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寸心居士

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(14)
第 780号
( 毎月 3 回 1 日 1 1 日2 1 日発行)
聞
新
連
国
造
(翼
雪冦雲農
場曇暑
)
平成 11年 1月 lB
心
居
士
︵
京都 芸術 短 期大 学 客 員教 授 ︶
の戒 名 も 向 じ ﹁寸 心 居 士 ﹂ で あ った 。
と 、 し み し み 思 った 。哲 学 者 西 田 幾 太 郎 博 士
石 にな る ま で に会 って 直 接 話 を 聞 き た か った
れ た 柿 の実 が 梢 に 一つ⋮ 。 皇 斎 が も の言 わ ぬ
も 仲 良 く 並 ん で い た 。夕 書 の空 に真 っ赤 に 熟
小さ な 石 碑 に ﹁寸 心 居 士 ﹂ と あ り 、越 守 の 墓
晩 秋 の龍 安 寺 の墓 地 に 旦 斎 の基 を 訪 ね た 。
が 逝 って久 し い 。
治 を し の ぐ 勢 い であ った ﹁植 重 ﹂ の佐 野 兄 弟
一時 は 植
﹁寸 庭 舎 ﹂ と 亘 斎 の前 で 揮 老 し た 。
武 者 小 路 実 篤 は 旦 斎 の作 庭 精 神 に 感 動 し て
し た 言 葉 であ り 同 時 に ﹁こ こ ろ ﹂ を意 味 す る 。
一寸 四方 即 ち ﹁方 寸 ﹂か ら 発
た の であ る が 、
創 作 し た 。 坪 庭 、小 庭 、露 地 等 に 対 し て 称 え
継 が れ て い る 。 旦 斎 は ﹁寸 庭 ﹂ と い う 言 葉 も
寺 垣 に は 佐 野 家 の伝 統 ﹁創 作 の精 神 ﹂ が 受 け
ず ﹂ 巧 妙 な る 工 大 と 評 さ れ た 。光 悦 垣 と 龍 安
石 垣 上 に 仕 切 ら れ た 竹 垣 は ﹁仕 切 って仕 切 ら
に 龍 安 寺 垣 を 創 作 し た のも 旦 斎 で あ る 。 低 い
で彫 った のか も 知 れ な い 。 石 庭 の方 丈 の 東 庭
れ も ﹁植 重 ﹂ の何 代 か 前 の 兄 弟 が 何 か の 由 縁
郎 ﹂と刻 まれ て いる が 、 あ る い は こ
郎 □甲 一
龍 安 寺 の石 庭 の塀 際 の石 の 一つに は ﹁小 太
も 龍 安 寺 の門 前 で庭 師 を 代 々 し て い た 。
い 屋 号 ﹁植 重 ﹂ の始 ま り で あ った 。 そ の 以 前
し た も の で あ る 。 栄 太 郎 の先 代 は 重 次 郎 と 云
ま る牛 の背 骨 の湾 曲 を ヒ ント に 光 悦 寺 に 創 作
て い る 竹 垣 を 作 った 。 そ の垣 は 実 は 、 う ず く
兄 弟 の父 、栄 太 郎 は 一般 に 光 悦 垣 と 呼 ば れ
性 も 違 い非 常 に不 仲 であ った 。
った 。 兄 弟 と も 作 庭 の腕 は 抜 群 で あ った が 個
寄 者 、北 村 謹 次 郎 邸 の庭 口 ﹁四君 子 苑 ﹂ を 作
術 館 に 日 本 庭 園 を 作 り 、越 守 は 京 都 屈 指 の 数
旦 斎 は 昭 和 二 九 年 に ニ ュー ヨー ク の近 代 美
の佐 野 旦 斎 と 越 守 兄 弟 を 知 る 人 は 少 な い 。
の名 や 業 績 を 知 る 人 は 多 い 。 し か し ﹁植 車 ﹂
京 の庭 師 ﹁植 治 ﹂ の小 川 治 兵 衛 と 自 楊 父 子
寸
檬 千♯子 ⑤
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