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戦略としての「冒瀆的信仰」

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戦略としての「冒瀆的信仰」
廣松
勲
小説『黒人と提督』
(1988 年刊)は, ラファエル・コンフィアンが初めてフラ
ンス語で発表した作品である 1) . 物語の舞台は, 第二次大戦中のマルティニック
島, 首都フォール・ド・フランスに程近いモルヌ・ピシュヴァンである. この時
期のマルティニック島は, ドイツによるフランス占領とヴィシー政権成立によ
って「複合的植民地化 2) 」という特殊な状況を経験することになる. つまり, フ
ランス本土からはロベール提督が派遣され, 依然として旧植民地の地位は変わ
らず, ドイツの潜水艦が島を囲み, さらにはアメリカが掌握の契機を窺ってい
た. 物語では, モルヌ・ピシュヴァンの「下層民達」が, 宗主国フランスに対す
る抵抗と, 母なるフランスを守るための戦いとの間で煩悶する一方で, 或る奇
妙な連帯感を獲得する過程が語られる. 様々な登場人物の視点から, 同じ出来
事が反復的かつ多層的に展開する群像劇のような構成となっている.
本作で, 我々の目を惹きつけるのは, 主人公の黒人リゴベール(Rigobert 3 ))
を代表とする登場人物達の「笑い」である. 先の二律背反の苦しみにも拘らず,
彼らは頻繁に「微笑み」,「笑い」,「爆笑」する. しかも, そのほとんどの場合,
猥褻な語彙を伴った「卑猥なる笑い les rires graveleux 4) 」である. 登場人物たち
のこうした「卑猥な笑い」は, いったいどこから来ているのだろうか?また, 語
り手や作者コンフィアンにとって, 「卑猥なる笑い」を多用することに, いかな
る戦略的意図があるのだろうか?
笑いや猥褻さに注目して本作を分析した研究は, 少ないながら存在する 5) . し
かし, それらの論文では, 笑いに関しては, バフチンの概念に, 猥褻さに関して
は, フェミニズム理論やジェンダー理論に依拠し過ぎる嫌いがあった. その結
果, スピア(1992 年)の論考は別として, いかなる言語的戦略が, 本作における
笑いを生み出しているのかは判然としなかった.
そこで, 本論では, スピアの論考をさらに発展させて, 「卑猥なる笑い」を支
える戦略的思想を明らかにするため, 「中間言語 interlangue」という言語観を
手がかりとしたい. クレオール性論者達の重要視する「中間言語」は, 物語内に
おいては「冒瀆的信仰 la foi blasphématrice」という言葉に象徴されている. 本論
では, この「冒瀆的信仰」という逆説がテクストの主要モチーフになっているこ
とを明らかにしていく. 以下, 論の順序として, まず「中間言語」の概念を分析
し, 次に, 物語内容のレベルで顕著な, 主人公による「皮肉」と「侮辱」につい
て, さらに物語構成のレベルで顕著な, 「迂回」という語りの技法について検討
を加えてみたい.
「中間言語」とは何か?
『黒人と提督』における独特な言語を分析するための前提条件として, まずは
カリブ海域文学に特徴的な「中間言語 interlangue」という概念を検討しておこ
う. カリブ海域文学の宣言書でもある『クレオール性礼賛』
(1989 年)において,
コンフィアンらは, この概念に言及している 6) . この宣言書で, 彼らは自分達カ
リブ海域住民のアイデンティティの基盤を, クレオール語, 特にその「口承性
l’oralité」に求めた. 彼らによれば, 植民地化の歴史によって書記言語としてのフ
ランス語が公用語となった結果, この口承性はカリブ海域住民から断絶したと
される. それ故, カリブ海域住民のアイデンティティ形成のため, また「真正な
る authentique」文学言語を獲得するためには, クレオール語の復権が不可欠で
あるとされたのだ.
しかし, カリブ海域文学の使用すべき言語として, 彼らが選択する言語は, 非
常に屈折したものである. 彼らは, クレオール語とフランス語双方への「物神崇
拝」を退け, 両言語の安易な混交言語である「バナナ・フランス語」も否定した
上で, 次のような言語観を提示する.
社会のパレットが提供する限りの言語の多様性に対して, 完全に自由で開かれた
態度を保持すること, それが我々がいわゆる中間言語, より学問的には≪アンテ
ルレクト≫と呼ばれる問題にアプローチした時の精神状態である.(恒川訳) 7)
両言語を偶像化せず, また言語の無責任な混交も良しとしない , 一見して実
現困難なこの発想は, 彼らの住まう旧植民地の歴史的・社会的コンテクストから
生み出された苦肉の策である. 今現在もフランス共和国の海外県であるマルテ
ィニック島では, フランス語は社会的ステータスを得るために看過できない言
語であり, その一方で, クレオール語は私的空間での使用に限られる. つまり,
二言語が不均衡な形で併存する「二重言語使用 diglossie」社会なのである 8) . 公
教育を通して, フランス語を教え込まれたコンフィアンを含む作家達にとって,
偶像化しないとはいえ, 結局はフランス語を基調とする言語を創り出す以外に
表現方法がなかったのである.
では, この「中間言語」とは, 具体的にはどのようなものなのであろうか. ス
ピア(1992 年)は, 本作品におけるコンフィアンの文体を分析し, 言語的特徴を
区分した. 9) しかし, その区分はやや不明確であった. 本論では, スピアの分析
を参考にしつつ, コンフィアンの言語的特徴を改めて以下の四つに区分する.
① 翻訳借用(クレオール語の語彙や熟語の直訳・転化)
例 ) drivailleur (<drivayè), doucine(<dousin), soukliyans(<soukougnan), charroyer(<chayé),
maquereller
(<makrélé),
graphiner(<grafinyé
ou
grafounyé),
dérespecter(<dérèspèté), dès le chant de l’oiseau-pipiri (<opipirit chantan), etcetera de
∼
② 造語(理論的には可能だが標準フランス語では使用されない表現の発明)
例 ) belleté, dangeureusité, mauvaiseté, sérieusité, au finissement de ∼ , négrerie,
maigrichonnerie, raconterie, rigoladerie, mûlatraille, bêkaille, parlure, méprisation,
tout-à-faitement, tout-de-suitement, faire une causement avec∼, bouleversader
③ 合成語(連結符による単語の合成)
例 ) décrasse-gorge, débit-de-la-Régie, sent-bon, nègre-gros-sirop, pause-reins,
coq-calabraille,
coco-lapin-chéri,
oiseau-kayali,
masques-échassiers,
Mariannes-peau-de-figue, nettement-et-proprement
④ 反復と冗語法
例 ) surtout-surtout-surtout, à mesure à mesure, pas longtemps-longtemps, elle avait
envie de crier crier crier, se mettre à rire d’un gros rire gras, cogner ce qui s’appelle
cogner le tréfonds de son esprit, je suis pressé ce qui s’appelle être pressé
大枠では, 以上 4 つの傾向によって, コンフィアンの言語は「標準的」フラン
ス語と異なる. 統辞レベルにおいては基本的にフランス語に則りながらも, 語
彙や熟語レベルにおいては, クレオール語からの翻訳借用が多用される. これ
らの語彙や熟語は, 近似の形でクレオール語=フランス語辞典で確認できる表
現である 10) . その一方で, 作者の文体の最も大きな特徴は, どの辞書にも載っ
ていない表現, すなわち, 理論的には可能といえる造語や合成語を多用してい
る点である. これに加え, 奇妙な冗語法, 「標準的」フランス語から見ればすで
に古い言い回しや語彙, 俗語, また多くの外来語が用いられている点も特徴と
して挙げられる. このような文体は, クレオール語話者でもフランス語話者で
もない読者にとって, 非常に読み難い印象を与えはするものの, その表現上の
自由奔放さには感嘆せざるを得ない.
以上の具体例を鑑みると, コンフィアンの拠って立つ「中間言語」の微妙な性
格が明白である. その位置取りは, フランス語に対して否定的立場を取るが, 結
局は, フランス語に依拠せざるを得ない状態といえるだろう. こうした葛藤を
含んだあり方は主人公の言語表現と語り手の言語表現の双方において明らかで
ある.
その典型的な例として, 以下, まず主人公リゴベールの多用する「皮肉」と「侮
辱」について, 続いて, 語りの「迂回」について分析していく.
主人公の冒瀆的信仰:皮肉と侮辱がもたらす笑い
主人公リゴベールは, モルヌ・ピシュヴァンのあばら家に住み, その場限りの
日雇い仕事で生活する人物である. 彼は, ほぼ全篇を通して, 絶えず周りの住民
とは異質の存在として描かれる. 特に, 占領中の逃亡体験を通して, その性格付
けが軟化されるまで, 彼は共同体内部においてトリック・スターと称しうる存在
である. 物語の冒頭における主人公の第一声は, 彼の特徴を濃縮した形で表す.
『俺は神の野郎を罰してやるぞ! あの野郎を罰してやるんだ, 畜生め!』 11)
主人公は物語に登場すると同時に, 神を侮辱し始める. それに加え, 彼は自分
を黒人として生んだ母親も含めて, 絶えず罵倒, 侮辱, 皮肉を吐き続けるのであ
る. このような主人公を語り手は, 以下のように解説している.
その時, 彼[主人公]は神を侮辱し始め, あらゆる種類の何とも言えず汚い言葉を,
聖処女様や彼の母, イドメネに向かって吐き始めた. しかも, その言葉は自家製の
クレオール語であり, 街の老人達も賛嘆の声を挙げざるを得なかった. リゴベー
ルには言葉を発明する才能があったのだ. 極度に興奮した時などは, 言葉同士を
結びつけ, 眩いイメージを創り出してしまう. その眩さは, 聞く人をその場にぐっ
さり, しっかりと釘付けにしてしまうほどだ. こうして, 彼は一言のフランス語も
うまく話せなくてよいという驚くべき権利を得て, 大胆にも, それを誇るまでに
なっていた. 12)
ここで語り手は, 罵倒する主人公の言葉を「自家製のクレオール語」と称する.
さらに, リゴベールが「フランス語を一言もうまく話せない」ことを自ら誇って
さえいるとも指摘している.
しかし, このような指摘にも拘らず, 物語全篇の主人公の言葉は, いかに自家
製のクレオール語や破格の語彙を使用したとしても, 概ねフランス語の統辞と
語彙である. 同じく, 語り手の言葉も同様にフランス語が基本である. このよう
な自己矛盾は, 先に検討した「中間言語」という立場の持つ二律背反性とまった
く同じ構造である.
中間言語のジレンマは, 主人公の言語表現においてだけでなく , 主人公とは
対照的な性格付けのされたアメデとリゴベールとの対話においても, 明確に表
れる. マルティニック生まれの混血アメデは, 典型的なスカラーシップ・ボーイ
であり, ソルボンヌで学ぶも失意のうちにマルティニックに帰国した元教師で
ある. 彼は, 自らが無神論者であると語った後, 「なぜ, いつも神を侮辱するの
か?」という質問を主人公へ投げかけている.
『それじゃ, お前さんは神を信じないっていうのか?』, リゴベールは挑発した.
『俺はなぁ!あんたは俺を同類だとでも思ったか?俺は神を信じるし, 神が存在
していることも分かってる. けれども, 俺は神を糾弾する. 請け負ってもいいが,
神ってのは畜生の中の畜生なんだ. それに, 黒人には何もかもあくどくて, 白人に
は何もかも善良なんだよ. 俺は神の目の前に昇ってって, その顔のど真ん中に, あ
いつの 4 つの真実を言い放ってやるのを心待ちにしてるんだ. それで, あいつも誰
がリゴベール・シャルル‐フランシス様か, わかるってもんよ, 畜生が!』
このような冒瀆的信仰は, それまでアメデの学んだ書物には載っていなかった.
白人は, 神を信じるか信じないか, それだけだった. つまり畏れるか, 無視するか
のどちらかであって, この野蛮なヤクザ者のように, 神を糾弾することなどはな
かった. 13)
以上の引用部分では, フランス語を否定しながらも , 結局は依拠せざるを得
ないという中間言語のジレンマが, (キリスト教的)神への冒瀆的信仰という異
なる文脈で表れている. 引用直後の場面での主人公の発言は, この点をさらに
裏付ける. リゴベールは「貧乏人や黒人」のように虐げられた人々にとって, 今
現在の「苦しみ」を耐えるため, 来世・あの世での「より良い生活」を信じざる
を得ないとさえ述べるのである.
語り手は, こうしたリゴベールの立場を「冒瀆的信仰 la foi blasphèmatrice」と
名づけている. この撞着語法が端的に示すように, ここで問題となっているの
は, 単純に「信じる/信じない」という二項対立ではなく, 信じるが冒瀆する
という二項対立の中間に主人公が位置しているという点である. つまり, ここ
にも, 或る言語に対して偶像破壊的な立場をとるが, 結局は, その言語に依拠せ
ざるを得ない状態という中間言語の矛盾と同じ構造が, 明確に現れているので
ある.
さて, 主人公による言語や神に対する「冒瀆的信仰」は, 彼の言語表現におけ
る二つの特徴的な方法に読み取ることができる. まずは, 「信じてもいないこと
を, あたかも信じているかのように言うことで, その対象を馬鹿にする」という
意味での「皮肉」である. もう一つは, 「ある対象を正面から馬鹿にする」とい
う意味での「侮辱」である. リゴベールは, 皮肉や侮辱を込めて周りの人物に語
りかけるたび, 当惑する相手を「笑い」飛ばす. さらに, 彼の皮肉や侮辱は, ほ
とんどの場合, 「猥褻な」単語や表現を伴って出現する. このことにより, 彼の
「笑い」の冒瀆的側面が強調されることになる.
『今の僕の苦しみは, 神の罰なんだと思う… もうだいぶ前から, 夜のお祈りもし
ていないし… 』と, 教師は話し始めた.
『俺だって, われらの父よ なんて忘れちまったさ!』
『冗談を言っているんじゃないんだ… 思うに, 僕はあまりに多くの女性達と関係
を持ち過ぎた. あちこちでナンパしてたし. 自分の精力を抑えきれないんだよ…』
『俺なんか, もう驚かないけどな, 神の野郎なんか. あのお方は, 惨めな黒人たる
俺達が, この地で, ほんの僅かな喜びを持つことも気に入らないんだよ. なにせ,
聖処女様が脚を広げたがらなかったんだからな. ははは!』 14)
この対話は, 自らの性的不能が「神 Dieu」への不信心に対する罰だと考える
元ノルマリアンの教師アルシドと主人公リゴベールとの間で交わされる. アル
シドは, これまでの不信心への後悔を, 主人公に打ち明ける. それに対し, 冒瀆
的信仰の持ち主のリゴベールは, あたかもそれを悔やんでいるかのように返答
している. この点に主人公の「皮肉」を読み取れる. また, 彼が非の打ち所のな
い「フランスのフランス語」を話す, 元ノルマリアンの教師として人物造形され
ている点に鑑みるなら, 皮肉の矛先は, 彼が愚直に誇示する西欧的な価値観と
も捉え得る.
続く部分では, アルシドの女性遍歴への後悔を聞きかねて, 主人公は神を「侮
辱」し始める. ここでの主人公の侮辱は, 露骨な性的表現によって補強されてい
る. また, 引用部で両者が指示する神とは,「キリスト教的神」である. しかしな
がら, 二人の人物の使う「神」を示す単語は異なっている. アルシドは≪Dieu≫
という或る意味で高貴なフランス語を発するのに対して, 主人公は≪Bondieu≫
というクレオール語ではより身近な言葉で応じている. 深読みするならば, こ
の神を指示する単語の対比から, アルシドへの「侮辱」が, 彼の拠って立つ西欧
的な価値観にまで及んでいると読み取ることも出来るであろう.
さて, 以上検討したような主人公の皮肉や侮辱は, 性的な事柄との関連付け
と, フランス語とクレオール語の対比とともに行われることで 或る機能を獲得
する. つまり, 神やフランス的な価値観といった「聖なるもの」や「真面目なも
の」の価値付けを無効にする, もしくは攪乱する機能である. 主人公の発する
「笑い」は, このような機能による価値の変容・失墜と同時に生じる. すなわち,
主人公は, 或る対象の高い価値付けを, 卑猥な表現やクレオール語への言い換
えにより失墜させ, その落ち行く様を「笑って」いるのである.
しかしながら, この冒瀆的信仰の立場は, 主人公の人物造形としてのみ表出
する訳ではない. この立場は, 語りのレベルにおいても現れる. 以下では, 語り
・ ・ ・
の構造に注目しつつ, 中間言語という言語的選択がもたらした物語り 上の効果
を検討したい.
語り手の冒瀆的信仰:多義的な主題と循環する時間
本作品の語り手は, パトリック・シャモワゾーの小説の語り手のように, 現実
の作家と同じ名前を有したり, 物語内で大きな位置を占めたりすることはない.
その意味で, より古典的な全能の語り手に近いといえる. 但し, コンフィアンの
語り手も, 絶えず自らの物語に介入し, 内容や形式にコメントを加えていく点
では, シャモワゾーのそれと同じである.
それでは、本作品における語り手は, どのような形で物語に介入し, 物語を
展開させるのであろうか. ここでは, 物語内容と物語構成という二つの側面に
おける「迂回」という表現技法に注目しながら, 語りにおける冒瀆的信仰の立場
を検討していきたい.
次の引用部分は, 文盲のリゴベールが, 元教師のアルシドに新聞のスポーツ
欄を読んでもらう場面である.
『選手権試合・第 1 部リーグ.
クラブ・コロニアルは 2 対 1 で優勝候補のゴールデン・スターを破った. 当日は
晴天. 登場した両チームの名声に惹かれ, 観客席は大入りであった. まさに力漲る
試合. 屈強なる両チームは素晴らしい試合を繰り広げた. 両チームに…』
『うそだろ! ボールを転がしたのは, クラブ・コロニアルだけじゃねぇか!』, リゴ
ベールは叫んだ.
『両チームに, ボールという女王に昔から恋焦がれる我々は, 心から震えた. クラ
ブ・コロニアルが優勢に試合を進める中, 開始 10 分, センター・ハーフのモロー
がゴール前 30 メートルからシュート. ボールは…』
『イェー!』
『ボールは, 星屑のグラウンドへ向かって吹く強風に煽られ, キーパー・ペクーの
頭上でゴール・ポストに当たった. ボールはゴール前 7 メートルに落ちた. そこで
すかさず, 白黒ユニフォームの右ウィング・トレルは, ボールに駆け寄り, シュー
ト. 前半最初の得点を, 華麗に決めた. 』
『どうだ, おい, クラブ・コロニアルは強いだろ?強いんだから, 強いって言って
みろよ, こん畜生奴が!』と, リゴベールは声を荒げた. 15)
この引用だけでは, サッカーの記事を読むアルシドに対して, 主人公が合い
・ ・ ・ ・
の手を入れている場面にしか読み取れない. しかし, ここには隠された 意味が
込められている. それを解読するためには, 引用部の直前で語られるアルシド
の失恋劇を考慮しなくてはならない. 彼は黒人リシャールに恋人ルイジアナを
奪われ, 性的不能となってしまうのだ. このコンテクストから引用部を再検討
すれば, フランス的価値を体現するアルシドが, 荒くれ者のリシャールに負け
たという状況が, 「遠まわしに」, つまり「迂回」によって表現されているので
ある. つまり, 敗者「ゴールデン・スター」は元ノルマリアンで将来を有望視さ
れたアルシドを, 他方で勝者「クラブ・コロニアル」は船着場で働く荒くれ者リシ
ャールを象徴している. さらに, クラブ・コロニアルの「闘牛」や「黒毛の馬」
を示すトレル(Thorel)やモロー(Moreau)がボールを操る一方で, ゴールデン・
スターの「まぬけ, あほ」を示すキーパー・ペクー(Pécou)はそのボールを抑
えられないという試合の展開も, アルシドの失恋劇を代弁している。
このような意味内容の「迂回」を踏まえれば, アルシドは二重の意味で侮辱さ
れることになる. つまり, 主人公に記事を読むよう頼まれたことで侮辱され, ま
た上記のような隠された意味を設定した語り手によっても侮辱される. 後者の
・ ・ ・
隠された侮辱は, 密か に 意味しているという点からして, 余計に読者を笑わさ
ずにはおかない. つまり, 語り手による物語内容の「迂回」は, 主人公の笑いとは
別に, 読者にとっての「笑い所 risible」をもたらすのである.
我々は, このような物語内容における迂回を「ミクロの迂回」と呼ぶことにす
る. このように名付けたのは, より大きい範囲で, つまり物語の構成レベルでも,
「迂回」は表出するからである. これを「マクロの迂回」と呼んでおこう. 次に,
これを端的に示すものとしてコンフィアンの作品に特徴的な「環 cercle」とい
う章立てに注目したい.
本作は, 全体で 5 つの環から成り, その各々は 4 章に分かれている. 環と環の
繋がりは, 基本的に直線的な時間軸に沿っており, 戦争と占領を通じて徐々に
変容していくモルヌ・ピシュヴァンの住民達や地域の模様が年代順に配置され
ている. しかしながら, 各章における物語の時間経過は, その言葉が示すとおり,
正に円環的である. 以下の 2 つの場面からの引用部分は, 物語の時間が円を描き
始める発端を示している. その発端は, 多くの場合, 語り手が別人物の視点や意
見を元に, 物語を補足する, もしくは本筋から逸らせるという形で現れる.
確かに, あまり知られていないが, 他の説明によると [...] 16)
しかし, あまり穏やかでないが同じく知られている 2 つ目の説明が確証するには
[…] 17)
このような語り手による物語への介入は, ほぼ全ての章に現れる. その結果,
物語は章の冒頭で語られた事柄から, 別の人物や別の出来事へと逸れていくこ
とになる. しかし, 各章の最後には次の引用に挙げたような文章が登場し, 再び
冒頭で語られた内容へと回帰していく.
この戯言の本筋に戻ると(リゴベールの粗忽な精神のせいでしか逸れていないが)
[...] 18)
支離滅裂さに常に陥りそうになりながらも, この物語の本筋に戻ると [...]
19)
語り手は本筋を何度も迂回するものの, 結局は, 円環の環を閉じるように章
の冒頭の物語へと回帰する. その結果, 物語は以前語られた部分を反復するか
のような印象を読者に与えることになる. 環という章立ては, このような語り
の迂回によって生ずる物語の円環を示しているのである 20) .
以上のように, 語りにおけるミクロとマクロの迂回は, 物語内に, 「主題の多
義性」と「時間の反復性」を生み出していた. この点に鑑みるなら, 語りのレベ
ルにおける冒瀆的信仰の対象は, 不可逆的かつ, 年代順に進む時間という概念
と考えられる 21) . つまり, この迂回は, 各環の中では, 或る出来事を年代記的に
ではなく, 反復や多義性を元に描き出すことで, 不可逆的で年代順に進む時間
という概念を冒瀆しているといえる. しかし他方では, 結局, 物語が本筋に戻っ
てくるという点, また環同士の時間的繋がりは年代順であるという点を鑑みれ
ば, 結局, そのような時間性に基づかざるを得ないのである.
このような迂回という技法は, 単に西欧文学に古典的な技法であると還元す
ることはできない. コンフィアンらカリブ海域作家にとって, この技法は非常
に戦略的に選択されたものだからである. つまり, それはカリブ海域社会に伝
統的に存在する「語り部」の技法の一つを端的に示しているのである 22) . 次に,
語り部という伝統に注目しながら, 迂回という表現技法と冒瀆的信仰との関わ
りを分析していきたい.
冒瀆的信仰を象徴する語り部
迂回という技法を冒瀆的信仰の表れとして把握することは, カリブ海域社会
の社会的・歴史的コンテクストに鑑みても, 妥当な考えである. この点は, グリ
ッサンや, コンフィアンらクレオール性論者達が大きく依拠する「語り部」と
いう民衆文化の象徴的存在を検討すれば明らかである 23) .
語り部の伝統は, アフリカから伝わったと考えられている. しかしながら, コ
ンフィアンらが参照する語り部は, その起源はどうであれ, カリブ海域という
場で独自の発展を遂げた語り部である. カリブ海域の語り部は, 植民地支配や
奴隷制度, 特に労働の場である農園と領主の屋敷, 奴隷小屋が一体となったア
ビタション制度の中に生まれた. 日中の過酷な労働を終えた奴隷達は, 夜な夜
な集い, 音楽や踊り, そして民話などの「語り」によって, 自らの苦悶や悲惨か
ら一時的に解放された. しかし, そのような奴隷達の解放の場面に, 農園領主が
同席する事も少なからずあった. また, たとえ同席しない場合でも, 語り部は過
激な体制批判や主人達への悪口は隠さなくてはならなかった. つまり, 奴隷制
の抑圧からの一時的解放を提供する語り部にとって, 抑圧・支配する側の検閲的
まなざしを誤魔化すために, いかに語る内容を逸らせるかが問題だったのであ
る. グリッサンやコンフィアンらによれば, このような状況から, 語り部の迂回
という技法は生まれたとされる. 我々は, すでにこの時点で, 冒瀆的信仰の二律
背反的な立場取りを垣間見ることができる.
但し, 彼らは, 語り部の技法を含むカリブ海域社会の民衆的な「口承文学」と,
「書記」に基づく文学作品には断絶があると考えた. なぜならば, カリブ海域文
学の文体や物語の大部分は, 「押し付けられ」, 「同化して」しまった西欧の文学
的伝統に則っていると考えたからである. さらに, この断絶は, 時間の認識にお
いても生じた. コンフィアン自身, 書記文学と口承文学を対比する過程で指摘
したように, 口承文学が基礎にする年代順ではない反復的な時間概念と, 西欧
で生まれた不可逆的で年代順的な時間概念との間にも, やはり連続性が生まれ
なかったのである 24) .
このような断絶状態の克服は, 彼らの言う「真正なるアイデンティティ」の探
求には不可欠であった. しかし, それと同時に, 押し付けられた西欧の文学的伝
統や時間概念が, すでに自分達の血肉と化していることも否めない. それ故に,
彼らは民衆文化の象徴である語り部の技法を, 自分達の書記言語や物語に導入
するという実現困難な道を選んだのである.
以上のようなコンテクストを考慮するなら, 前章で検討した「迂回」は, 不可
逆的で年代記的な時間概念への単なる冒瀆ではない. そのような冒瀆の対象に
も, 絶えず浸らざるを得ない表現方法なのである.
結論
中間言語の思想的核である「冒瀆的信仰」の位相は, 物語の様々なレベルにお
いて読み取ることができた. つまり, 飽く迄フランス語を基調にせざるを得な
い文体や, 物語内容における主人公の皮肉と侮辱, また語りの迂回である.これ
らのレベルにおける「冒瀆的信仰」の出現は, 主人公の卑猥な笑いを引き起こす
だけでなく, 読者にとっての笑い所をも作り出していた. さらには, 物語構成自
体が, この冒瀆的信仰という立場取りを如実に反映したものとして捉えること
ができるのである.
今後の展望としては, 冒瀆的信仰という概念がフランス語圏カリブ海域文学
・ ・
だけ に 特有なものではないことを明らかにしていきたい. 宗主国の言語・文学的
伝統・世界観への反抗や抵抗といった単純な「拒否 Non」だけでは, 自らの作
品制作上の立場を決定できないという苦悩は, より広範囲の旧植民地地域文学
の分析に普遍化する可能性を有する. すなわち, 植民地化や奴隷制の歴史的・社
会的痕跡を刻まれた作家達にとって, 冒瀆的信仰の立場は完全には解決し得な
い難問であるが故に, 逆説的に絶えず創造の源なのである.
(東北大学大学院博士後期課程学生)
・
[注]
1) 本稿では次の版を使用 : Raphaël C ONFIANT, Le Nègre et l’Amiral, Grasset, 1988.
コンフィアンは本作出版の前年まで(1979 年∼1987 年), クレオール語で作
品を発表していた.「フランス語」での作品制作への転向は, シャモワゾーの
小説デビュー作『七つの不幸の年代記 Chronique des sept misères』
( 1986 年刊)
との出会いが大きな契機であったとされる. 転向の経緯は次を参照 : Thomas
S PEAR , ≪ Les Perles de la Parlure de Raphaël Confiant≫ , in L’Héritage de
Caliban, Maryse Condé (dir.), Jasor, 1992, pp.253-263 ; ラファエル・コンフィア
ン, ≪訳者解説≫, 『コーヒーの水』, 塚本昌則訳, 紀伊國屋書店, 1999 年.
2) Débra A NDERSON , ≪Le rire dans Le Nègre et l’Amiral de Raphaël Confiant≫, in
Francographies, N o 8, 1999, pp.49-57.
3) スピア(1992 年)は, 本作の文体を詳細に分析する過程で, 登場人物の名前
について分析を行った. 黒人 Rigobert の名前が Robert+rigoler という合成語
であると捉え, 主人公と Robert 提督との関係を暗示すると指摘している. さ
らに, 本作の題名『黒人と提督』と, 物語内でも言及される『運命論者ジャ
ックとその主人』との対照関係も指摘している.
4) Cf. Le Nègre et l’Amiral, p.62.
5) Voir Débra A NDERSON , op.cit. ; Ronnie S CHARFMAN , ≪ « Créolité » is /as
Resitance : Raphaël Confiant’s Le Nègre et l’Amiral≫ , in Penser la Créolité,
Maryse Condé (dir.), L’Harmattan, 1995, pp.125-134 ; Thomas S PEAR , op.cit. ;
Thomas S PEAR , ≪Jouissances carnavalesque : représentations de la sexualité≫, in
Penser la Créolité, pp.135-152.
アンダーソンは, バフチンの「カーニバル的笑い」という概念に立脚した上
で, 登場人物たちの笑いを分析した. シャルフマンは, 同じくカーニバル理論
における肉体の役割を考察した上で, 登場人物たちの身体の描かれ方を分析
し, 身体の独特の描写が読者にもたらす笑いについて考察を加えた . スピア
(1992 年)は, コンフィアンの言語の特徴を精緻に分析する過程で, いかに言
葉の反復が「滑稽な側面 aspect comique」を生み出しているのかを検討した.
最後に, 同じくスピア(1995 年)は, カリブ海域の男性作家による女性表象や
性描写を分析し, 彼らの男性優位主義的な傾向を指摘した.
6) Jean B ERNABÉ , Patrick C HAMOISEAU et Raphaël C ONFIANT, Éloge de la créolité,
Gallimard, 1989 (pour la première édition) ; 1993 (pour l’édition bilingue),
pp.43-50.
7) Ibid., p.48 ; ジャン・ベルナベ, パトリック・シャモワゾー, ラファエル・コ
ンフィアン, 『クレオール礼賛』, 恒川邦夫訳, 平凡社, 1997 年, p.75.
8) Voir Charles A. F ERGUSON , ≪Diglossia≫, in Word, N o 15, 1964, pp.325-340.
9) Thomas S PEAR , op.cit., p.257 et p.259.
10) Voir Ralph L UDWIG et alii, Dictionnaire Créole-Français (Guadeloupe), Servedir
et Jasor, 2002 ; Pierre P INALIE , Dictionnaire élémentaire Français-Créole,
L’Harmattan, Presses Universitaires Créoles, 1992 ; Sylviane T ELCHID ,
Dictionnaire du français régional des Antilles(Guadeloupe et Martinique),
Bonneton, 1997 ; Pierre A NGLADE , Inventaire étymologique des termes créoles des
caraïbes d’origine africaine, L’Harmattan, 1998 ; Jack C ORZANI , Dictionnaire
encyclopédique Désormeaux en 9 volumes, Désormeaux.
11) Raphaël C ONFIANT, op.cit., p.9.
12) Ibid., p.13.
13) Ibid., p.68.
14) Ibid., p.54.
15) Ibid., pp.55-56.
16) Ibid., p.55.
17) Ibid., p.19.
18) Ibid., p.59.
19) Ibid., p.99.
20) コ ン フ ィ ア ン は, 塚 本 と の イ ン タ ビ ュ ー で, こ の 環 と い う 章 立 て は カ リ ブ
海域社会に存在する円環的時間把握から着想を得たと述べている. 前掲『コ
ーヒーの水』巻末解説を参照.
21) Voir Raphaël C ONFIANT, ≪Questions pratiques d’écriture créole≫, dans Écrire la
« parole de nuit » ‐ La nouvelle littérature antillaise, Gallimard, Folio essais, 1994,
pp.171-180.
この論文で, コンフィアンは, 話し言葉としてのクレオール語を書き言葉
としてのフランス語に導入する際に生じる三つの問題を検討している. つま
り, クレオール語は「描写的な語彙」を有さない点, 両言語に「カリブ海域
の現実」としての風景描写に適する表現がない点, そして「時間性」が異な
る点, 以上の三点である . コンフィアンは , この時間概念の異なりを , クレ
オール語の「口承文学」における「停止した時間」や「反復する時間」と, 西
欧的な年代記的な時間把握との対照的な関係で捉えている.
22) Voir Patrick C HAMOISEAU et Raphaël C ONFIANT, Lettres créoles, Gallimard, Folio
essais, 1999, pp.72-83 ; Édouard G LISSANT , ≪29 Histoire et Littérature≫, dans
Le Discours Antillais, pp.234-267.
シャモワゾーやコンフィアンの「語り部」への関心は, クレオール語の「説
話」に関するグリッサンの考察に由来する. 但し, 前者が説話だけでなく語
り部という存在自体に注目するのに対し, 後者は特に説話の構造や文体への
関心が強い. 両者の共通点として挙げられるのは, 「迂回」と「反復」とい
う表現方法を, 語り部の技法の中心に置いている.
23) Patrick C HAMOISEAU et Raphaël C ONFIANT, ibid., pp.72-83 ; Édouard G LISSANT ,
ibid., pp.261-267.
24) Raphaël C ONFIANT, 1994, op.cit., pp.175-179.
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