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ライター・兵土美和子 氏
寒波の到来で、福岡には珍しくこの時期に雪が舞い、冷え込んだにも関わらず、会場はほんわかと柔らかな
熱気に包まれていた。
語らい座は今回で4回目。季節が違うこともあるのだが、毎回ゲストの方が違うからだろうか、会場の空気や
観客の方の層・反応にも諸回、それぞれ色がある気がする。今回のゲストはゆふいんを代表する旅館、「玉の
湯」の代表取締役社長、桑野和泉氏。
桑野氏と松岡座長とは、オリンピックの年である1964年生まれの同い年で、国や地域づくりのための委員会
でよく顔をあわせる「委員会」仲間だそう。しかも同じくワインが好きで、座長曰く「シンパシーを感じる」方だと
か。
■コンセプトは「我が家」
ゆふいんの特徴は、なんといっても由布岳と裾野に広がる田園地帯、自然をのんびり感じることができる温泉
地であることだ。
「玉の湯」は、そのゆふいんのよさを旅館のよさとしながら生き続ける旅館。桑野さんが映すスライドで見る、
雑木林や野の花に囲まれた佇まいからは、訪れる人を優しく大きく包み込む大らかさを感じる。もともとはお寺
の保養所だったそうで、門がないことも、そんな雰囲気を醸す一因なのかもしれない。
桑野氏は言う。「ゆふいんの旅館の特徴は、お客様を旅館の中に囲い込まないこと。玉の湯だけではなく、他
の旅館から“我が家”に来る、反対に他の旅館に“我が家”に泊まっているお客さんが行けるよう、パブリック空
間を設けています。バーであったり、おみやげもの屋だったり。そんな場を設定することで、私どものお客様で
はない方も出入りをしてくださる。そうやってつながっていければいいなと思う」。
彼女の口からは“我が家”という言葉がたくさん出てくる。彼女が言う“我が家”とは「玉の湯」のことなのだが、
私たち客にとっても「玉の湯」のことを「我が家からつながる」場だと思ってもらいたいと言う。彼女は続ける。「温
泉に来たらゆっくり過ごしてもらいたい。我が家の延長というわけではないが、暮らしをつなげてもらいたい。か
つその中に温泉があるという、非日常を感じてもらえたらいい」。
「玉の湯」では 13 時チェックイン、12 時チェックアウト。つまり 23 時間のステイが基本だ。
「23 時間って珍しいですね」。と言う座長の言葉を受け、桑野氏は「そうですね。他に特徴がないので、せめてや
れることをと考えています。これはお金がかからない」と、にっこり。「ゆふいんの特徴は、季節を感じとれること
だと思うので、光とか風とかを感じてもらえるようにしています」。「温泉地が提供できる必要なことは、私は時間
だと思う。だから時間をゆっくり過ごしてもらいたい」とも語る。
桑野和泉氏
■ 地域とつながり、人とつながる
また、地域とつながること、人とつながることを、彼女はことのほか強調する。
それは、彼女自身や玉の湯だけのことではなく、ゆふいんの使命だという。
今でこそ、ゆふいんは全国に名を轟かせる温泉地・観光地なのだが、昭和の初期・中期は、名前も知られず
「奥別府」と言われていた。昭和 40 年代ごろから「ゆふいんを自然の中でゆふいんらしく発信しよう」と玉の湯会
長で桑野氏のお父上である溝口氏と、亀の湯別荘の中谷氏、山のホテル夢想園の志手氏(故人)の3人を中心
に、その方向性やあり方を外部の方を交えて議論を重ね、「ゆふいんの地が目指すのは滞在型温泉地だ」とし
て、世に発信をし始めた。
今のゆふいんは、その時代の「外部とつながりながら、ゆふいんという地域らしさを考えてきた」ことがベース
にある。
■議論する・外にひらく
ゆふいんの街はその当時から、議論を多く重ねて来た町である。世界的に有名な建築家、磯崎新氏にJRの
駅の設計を依頼することになったときも、たくさんの議論が行われた。最初磯崎さんからは、現在の駅舎よりも
っと高さのある案が出ていたが、議論の中でゆふいんにはその高さは必要ではないとして、低くした経緯がある。
「プロの磯崎さんがゆふいんを知り抜いた中で作ってもらったものがみえるから、そこで議論が生まれた」と桑
野さんは言う。「議論の中で町民も、行政も、プロも、若い人も一緒になって考えていく。最初は“ゆふいんには
黒い駅舎はいらん”と言っていた人もいたが、磯崎さんを含めて一緒に考え抜いた中で生まれたものは、時間と
ともに確実に存在感を現している。そうなると街の人も変わっていく。街の中に様々な新しいものが生まれると
きに、いろいろな議論があれば、“自分たちが参加した” “僕が作った駅だ”という思いや意識になる。今では磯
崎さんの作った建物を悪く言う人はいないどころか、自慢になっている」。(桑野氏)
これら議論が行われる際に、中だけではなく、外部の方や別の視点があることが重要だ。
「議論はすばらしいことだが、トライアングル(3者)以上にならないと勝ち負けになる可能性が高い。だから外部
の目が入ることで、議論が上昇のスパイラルになっていく。中に居ると見えないことが外の人の存在によって見
ることができるようになる。」(桑野氏)
「“外とつながること”には“溝口ファミリー(玉の湯)と他の旅館” “ゆふいんの街と外の街” “大分の観光と
日本の観光”とあり、これらはスケールは違いますが、一貫して連続した思想を持っているんですね?」との松
岡座長の指し水に、桑野氏はこう答える。
「そうですね。そしてそこから得る大切なことは客観的であることだと思います。(亀の湯別荘の)中谷さんは、全
部記録を残して本にしています。“思い”だけではなく、記録です。文章にできるということは、客観的にみている
ということだと思うんですね。“思い”はもちろん大切だが、クリエイションにつながるとは限らない。歩いていける
範囲が、自分の街。その街を客観的に見ることが大事」。
松岡座長は「そこにプロや外部の人間という触媒が入ることで、議論の内容が次にステップアップするのだと
思います。触媒は、他の2つが融合したりスパークするには欠かせない存在。一方、触媒そのものは物質として
は変化しないんです。プロは冷静にプロでなくてはいけない」と、プロとして地域に「外部の風」として入ってきた
経験からコメントされる。
■人間が回復する力を持つ田舎や自然
さて、そんな「外部とのつながり」を大切に思う桑野氏が大好きなのが「旅」だそうだ。
「平成になって、田舎に元気がなくなり、日本の田舎を回るとつらく感じていました。人間が回復する力は、農
漁村という田舎にあると思います。ヨーロッパの田舎に行ってそれを感じました。田舎は自分たちの近くにある
のに、旅をしないとわからない」。
桑野氏のお気に入りは、フランスのラギオールという村にあるミッシェル・ブラスのレストランだそうだ。人口50
0人くらいの街にある、ミシュランの 3 つ星を持つ有名なレストランなのだが、ここの料理は桑野氏いわく、「村の
においがする料理」だそう。花や植物も村のものをふんだんに使う。そしてこのレストランがあることが「村の誇
り」となっているそうだ。
彼女がそのフランスの旅で感じたのは、「最大のもてなしは森や自然。健康を取り戻すこと。都市にない空間
にある自然や湖は何千年と変わらない」ということ。
旅で出会う田舎や自然、レストランのあり方が、ゆふいんという町、玉の湯という旅館を考える時の刺激にも
なっていて、「自分たちが目指しているものは間違ってない!」と改めて思う、と桑野氏は言う。
■都市のあり方とは
彼女は田舎だけではなく都市も旅している。今年の10月にバルセロナに行って思ったことは「街が楽しい」と
いうこと。「オリンピックや万博計画で、都市計画がしっかりなされていて、人が歩ける空間になっている。また
“カタルニア美術館”では地域の失われつつあるものが、ちゃんと残されている。地域の誇りや、人々がカタルニ
アという地方を愛しているということが、あの街の至る所に見えてきます」。
松岡座長が言う。「私は、バルセロナって地理的にもスケール的にも、そして市民の誇りという意味でも福岡
に近い街だと思う。さて、ここからが問題。こういうことを言うと、『では福岡をバルセロナのような街にしよう』と、
急に考え方がテーマパーク化してしまう」。
座長は続ける。「もっと長い時間をかけて街を作っていくことを、21 世紀には絶対考えなくてはいけない。私た
ちが生きる成熟社会においては、これから振舞う一挙手一投足が、いいも悪いも後世にとても影響を与える。
“テーマパーク、面白いからいいじゃん”と無責任に考えてはダメ」。
「大事なものを都市は失っている。100 年もたたないものを壊してしまう日本っておかしいと私は思う。それを身
近なところで考えていかないといけない」。桑野氏も同調する。
■「時間軸」で地域をデザインする
ゆふいんは 100 年構想で滞在型温泉地を目指している。
ここで必要とされるのは「時間軸」という考え方だ。
桑野氏は言う。「ゆふいんで生きるということは、絶えず“地域デザインの美学を持ち続ける”というメッセージ
だと思う。私たちはどうしても日々流されて、目の前のことだけやってしまいがちだが、しかし時間軸を忘れて
はいけないと思う。玉の湯が存在するのは、ゆふいんがあるから。時代の中でゆふいんという街につながっ
ていきたい。他のみなさんとつながっていきたい。そのためには“時間軸”という考え方をしっかり持っておく必
要がある」。
そして、最後に彼女が言った言葉は印象的だった。
「一番になるのはとても大変。それよりオンリーワンを目指して、地域雇用、貢献になることが大事。写真を見
て“あ、これは玉の湯だな”とわかってもらえなければだめだと思っています」。