昭和31年1月24日第三種郵便物認可 平成29年1月5日発行(隔月1回5日発行) 「燈光」第62巻・第1号 1 = 今月の表紙 = 納沙布岬灯台(北海道根室市) 日本最東端に建つ北海道最古の灯台です。 1870(明治 3 )年に、山形の庄内藩出身で北海道開拓事業に携わっていた 明治政府官僚・松本十郎氏が難破船の帆柱を利用して灯竿を建てたのが始ま り。翌年の1871(明治 4 )年に、ご存知「日本灯台の父」リチャード・ヘン リー・ブラントンがやって来て、高さ13m の木造六角形灯台の建設を開始、 1872(明治 5 )年 8 月15日(旧暦 7 月12日)に北海道初の洋式灯台として「納 沙布埼灯標」の名称にて初点灯。1930(昭和 5 )年に現在の高さ14m コン クリート造り灯台に改築。1963(昭和38)年に「納沙布岬灯台」に名称が変 更されました。因みに、納沙布の地名は、アイヌ語の「ノッ・サム=岬のそ ば」が語源だそうです。岬に立つと、珸瑶瑁(ごようまい)水道の対岸に歯 舞群島・水晶島、ほぼ中央に貝殻島灯台をはっきりと目視確認できます、え っ !? その近さに驚きです。 (一般会員 岡 克己) 祝 灯台記念日 148周年灯台記念日 燈光会会長を囲んで受賞者とご家族の皆さんとの記念撮影 中島長官、八木交通部長と泉さんご家族との記念撮影 祝 灯台記念日 中島敏海上保安庁長官祝辞 山田隆英燈光会会長挨拶 八木一夫交通部長 乾杯! 盛山正仁衆議院議員祝辞 祝 灯台記念日 「灯台絵画コンテスト2016」海上保安庁長官賞受賞 鹿児島県奄美市立小宿小学校 2 年 泉 優音さん 航路標識の周知・広報に貢献 燈光会会長表彰受賞 美しい部埼灯台を守る会会長 大迫秀八郎 氏 「灯台絵画コンテスト2016」 小学校低学年の部金賞受賞 和歌山県美浜町立松原小学校 年 尾崎月灯さん 祝 灯台記念日 3 「灯台絵画コンテスト2016」 小学校高学年の部金賞受賞 埼玉県上尾市立西小学校 年 渡部朔矢君 4 「灯台絵画コンテスト2016」 中学生の部金賞受賞 香川県高松市立太田中学校 年 森川真衣さん 1 新しい年を迎えて 田 隆 英 公益社団法人燈光会会長 山 として親しまれた無線による船舶気象通報の廃止など 年に制定されて以来初めての航路標識法の実質 新年あけましておめでとうございます。 会員及び関係者の皆様におかれましては、健やかに 初春をお迎えのことと心からお慶び申し上げます。 感させられました。 昭和 昨年は、海外では、英国において必ずしも国民の真 意ではないと思われるEU離脱の国民投票が可決さ 改正、市販の中短波ラジオでも受信でき「灯台放送」 があり、やはり世の中は常に変わっているのだと、実 技術の進展等も含め何事もとどまることはないので しょうが、今後とも、航路標識の海上における船舶交 れ、米国では、一年前には泡まつ候補と言われていた トランプ候補が大統領選挙で当選するなどいずれも大 通の安全の確保と運航能率の増進という使命はなんら 燈光会は、 月に事務局が引っ越して、事務室は綺 麗になり、広くもなりましたが、引越の荷物整理の際、 変わることはありません。 方の予想とは異なる結果となりました。 国内的には、リオデジャネイロオリンピックで日本 選手のメダル獲得数が 個と史上最高となる活躍があ りましたが、熊本の大地震や、観測史上初めての北海 貴重な資料が数々見つかり、 中でも昭和初期の苦労され 道を ど異常な自然現象が見られました。 また、燈光会の か所の支所のIT化を図り、パソ コンによる事業報告システムを 月から導入しまし 灯台記念日の祝賀会等で放映することができました。 た灯台職員の生活ぶり等が撮影された映像も見つかり、 3 航路標識事業の面では、交通部の内部組織の改組の ほか、特に本会のOB会員には感慨深い話題として、 10 15 7 — 2 — 24 度も襲った台風や 月の東京都心での積雪、ま 41 11 た、各地で何 年ぶりといわれる猛暑や豪雨が続くな 3 覧等がすべての支所で行えるようになり、事務能率の た。報告書の作成、電子メール、インターネットの閲 おります。これも会員の皆様方のご支援・ご協力の賜 参観業務を通じて皆様に航路標識の正確な知識と体験 の参観灯台でほぼ通常の一般公開を行うことができ、 どよろしくお願いいたします。 係者の皆様方におかれましても、ご支援・ご協力のほ 識事業の発展のため努めてまいりますので会員及び関 くの人にご理解いただくための活動を通じて、航路標 物であると深く感謝いたしております。 これからも、燈光会は、海の安全の基本となる航路 標識事業の重要な役割と灯台の素晴らしさを、より多 向上を計ることができました。 さらに、毎年災害等で一部の参観灯台では参観事業 を休止せざるを得なかったのですが、昨年は、全国 を通した周知・啓蒙に大きな実効をあげることができ ました。 年頭にあたり、航路標識事業の益々の発展を祈念し、 2017年が皆様にとりまして良き年でありますよう にお祈り申し上げ挨拶といたします。 中 島 敏 海上保安庁長官 ます。特に、燈光会におかれましては、灯台参観事業 するご支援並びにご協力を賜り、心より御礼申し上げ 新 年 に あ た っ て このように燈光会の活動の大きな柱である灯台参 観・周知広報事業につきましては概ね順調に推移して 新年明けましておめでとうございます。 皆様におかれましては、平素より海上保安業務に対 — 3 — 15 り感謝いたします。 の普及等に貢献していただいておりますことを、心よ 尽力をいただくとともに、航海の安全、海難防止思想 洋調査、海賊対策など、法治平安の海を護るため職員 した。 備・対応し、海上警備を無事に完遂することができま また、世界トップリーダーを我が国へお迎えした伊 勢 志 摩 サ ミ ッ ト で は、 過 去 最 大 規 模 の 警 備 体 制 で 準 をはじめとする航路標識事業に関する周知宣伝等にご さて、昨年を振り返りますと、まず思い起こされる のは尖閣周辺海域における中国公船への対応でござい 一丸となって任務を遂行してまいりました。 こうした領海警備や災害のみならず、海難救助、海 上犯罪の取締り、海洋権益の保全等に資するための海 ます。中国海軍艦船による尖閣諸島の接続水域への入 が、ご心配、ご不便な生活をお過ごしのところではご 九州でも大きな地震が起きる事をあらためて認識し た熊本地震については、今だ多くの被災された皆様方 を続けているところです。 エスカレートさせないよう、冷静かつ毅然とした対応 国の領土、領海を守りぬくという方針のもと、事態を 勢は依然として予断を許さない状況にあるなか、我が 携して様々な取り組みを総合的に推進しながら、小型 う目標の達成に向け、関係省庁・機関等の関係者と連 ンで掲げられた「小型船の事故隻数の まず つ目は、交通部の組織改編による「安全対策 課」の設置です。この組織改編は、第三次交通ビジョ その中でも特に、次の つをご報告させていただき たいと思います。 な取組みを着実に推進してまいりました。 燈光会会員及び関係者の皆様に、より深くご理解い ただいている海上交通安全行政につきましても、様々 ざいますが、当庁といたしましても、発災当時から即 船舶の事故防止対策を強力に推進する組織として、 日に本庁及び管区本部交通部に設置したところで 2 — 4 — 域、中国漁船に続いて、中国公船が尖閣諸島周辺の我 時に巡視船艇及び航空機等を発動させ負傷者等の救 月 3 1 が国領海への侵入を繰り返す事案が発生するなど、情 助、搬送を行うとともに、生活支援活動として、巡視 す。 4 割減少」とい 船により給水・食糧支援、入浴提供等の支援も積極的 に行いました。 1 つ目は、第三次交通ビジョンにおいて示された東 京湾における一元的な海上交通管制を実現するため、 津波等の非常災害時における船舶への移動命令等の必 要な措置を盛り込んだ「海上交通安全法等の一部を改 正する法律」が 月に成立、公布されました。現在、 年 月を目標に、 (新) 東京湾海上交通センター や船舶の運航を支援するための情報提供業務の充実・ 強化を図ってまいったところです。 さて、燈光会におかれましても、航路標識事業に関 する知識、海難防止思想の普及のため、灯台参観事業 整備等を鋭意進めているところです。また、本法律改 の運用開始に向け、政省令改正及び管制システム等の えるなど、今後、益々発展されることが期待されると には、灯台事業を開始して150周年という節目も迎 進し、本年で創設102周年を迎えられ、さらに来年 をはじめとする海上交通の安全に繋がる各種事業を推 正では、皆様と関係の深い航路標識法について、許可 ころにあり、逓信省の時代から今日までの一世紀とい きな改正を、制定以降初めて実施し、本年 施行に向け進めているところです。 が、船舶交通を取り巻く環境も同様に大きく変化して きており、これに対応するため特に、安全な海の活用 て、新年の挨拶とさせていただきます。 最後に、燈光会会員及び関係者の皆様にとって、今 年一年が健康で幸多き年になることを祈念いたしまし す。 海上保安庁は船舶交通の安全・安心をめざし、皆様 のご期待に応えられるよう努力してまいりますので、 旧も平成 年度末で 28 防波堤等の復旧に伴い工事施工が可能となった 箇所)の復旧を実施しています。 10 92 さらに近年のスマホやICTの急速な発展は皆様の 生活からも実感せずにはいられないことと思います ( 基 その他の事項としまして、国をあげて推進する東日 本大震災復興事業においては、被災した航路標識の復 1 皆様方には引続き一層のご支援をいただければ幸いで 4 %となり平成 年度予算では、 ことに改めて感謝申し上げます。 基準の明確化や標識設置の届出制を導入するなどの大 平成 5 う長い間、燈光会が航路標識事業の発展に尽力頂いた 30 月 日の 1 27 — 5 — 2 8 新 年 を 迎 え て 八 木 一 夫 海上保安庁交通部長 保安庁以外の者による航路標識の設置を促進させるほ の安全確保及び船舶運航の能率を向上させるもので、 年を経ての初めての実質改正となり、法 か、非常災害時における緊急措置等により、船舶交通 制定以来約 新年明けましておめでとうございます。 燈光会会員及び関係の皆様におかれましては、平素 から海上保安業務、特に海上交通業務に深いご理解と ていただきます。 昨年も海上保安庁においては様々な取り組みを行っ てまいりました。そのうち主要な取組みをご紹介させ ができるなどの特例措置を講じるとともに、平時にお ける船舶事故を未然に防止するため、指定海域等にあ 法及び港則法の改正は、津波等による非常災害時にお る船舶に対して海上保安庁長官が移動等を命ずること 行に向けて準備を進めています。また、海上交通安全 第一に、船舶交通の安全・安心を目指した取り組み として、平成 年 月 日の海上保安の日に「海上交 つの法律の一部を改正したものとなっておりま いても渋滞や信号待ちを解消し、混雑を緩和するため の もに、その手続きを一部簡素化することにより、海上 識を設置しようとする場合の手続きを明確化するとと 交通部の組織を改編しました。海難の把握・分析及び 第二に、第三次交通ビジョンに大きく掲げた目標で ある「小型船の事故隻数の 割減少」の達成に向け、 3 — 6 — ご協力をいただき、厚く御礼申し上げます。 4 律の近代化を行ったものとなっており、本年 月の施 70 通安全法等の一部を改正する法律」が成立しました。 12 の措置を講じるという画期的なものとなっています。 5 この改正は、航路標識法、海上交通安全法及び港則法 28 す。このうち、航路標識法の改正については、航路標 3 年 月 日に新設し、企画課、航行安 識機能が低下した光波標識の配置・機能の最適化を行 第四に、上記のような新たな取組みを進める一方で、 極めて厳しい予算事情の中、港湾整備の進捗により標 対策の検討、並びに情報提供を一体的に担う「安全対 策課」を平成 課体制とし、海上交通 1 安全施策の効果的かつ効率的な推進を図る体制としま っているところであり、また、灯台等から放送されて 日に いた無線による船舶気象通報が、平成 年 月 課全ての課が同じフロアで執務できるよ うに改修を行い、勤務環境をも大きく改善しました。 月に日 国際的な取組みに目を向けますと、人材育成関係で は、ASEAN諸国におけるVTS管制官の育成に積 極的に取り組んでいるところであり、一昨年 9 30 廃止され、昭和 年から無線電信で開始されて以来、 28 年の永い歴史の幕を閉じました。この無線放送の廃 止は、新聞やNHKニュースでも大きく取りあげられ たほか、海上保安庁のツイッターではリツイートが6 600を超えるなど大きな反響も寄せられたところで センターが今年度マレーシアに設立される予定です。 ては、VTS管制官育成のためのASEAN地域訓練 いしますとともに、皆様のご健勝とご発展をお祈り申 ますが、関係の皆様には引き続きご支援ご協力をお願 以上述べましたとおり海上保安庁交通部は、本年も 船舶交通の安全・安心をめざし邁進する所存でござい す。 また、昨年度は、VHFデータ通信システム(VDE し上げまして、新年の挨拶とさせていただきます。 ど、VDESの国際標準化に向け、我が国が主導して る日本の貢献とVTS業務への活用案を発表するな 関連会議に参加し、VDES技術基準等の制定におけ 初めて開催したほか、国際航路標識協会(IALA) 認された「VTS人材育成協力プロジェクト」におい 24 S)の開発に関するIALAワークショップを東京で ASEAN交通大臣会合において日本主導で提案し承 11 67 あっては、 した。加えて、この組織改編にあわせ、本庁交通部に 全課、整備課と合わせ新たな 4 進めているところです。 — 7 — 4 28 4 時 月 日(火) 18 階の東海大学校友会館 1 の小中学生が金賞をそれぞれ受賞され、今回の表彰式 にご家族とご一緒に出席されました。 選定されたものです。受賞者には、副賞として、図書 入賞作品は、上野燈光会副会長を審査委員長として、 嘱託の徳野画伯をはじめとする審査員の先生方により 広報に尽力された方に対する感謝状の授与及び「灯台 カード、ディズニーランドの入場券及び海上保安グッ きして挙行されました。 今年度は「美しい部埼灯台を守る会」が航路標識の 周知・広報に尽力され顕著な功績があったとして受賞 されました。副賞として、クリスタルの内部にレーザ ーにより焼き付けられた「初代観音埼灯台」の置物が 贈呈されました。 祝賀会は、定刻の 時 分に燈光会総務部長の司会 により、次の式次第に従って進行されました。 ズの「うみまる」が贈呈されました。 また、祝賀会に先立ち同会館の「相模の間」におい て、 時 分から燈光会会長による航路標識の周知・ が海上保安庁長官賞を、和歌山県、埼玉県及び香川県 148周年灯台記念日祝賀会開催 分から東京霞が関ビル 148周年灯台記念日の祝賀会が 11 「望星の間」において開催されました。 35 絵画コンテスト2016」の入賞者に対する表彰状授 30 与の式典が燈光会役員列席のもと、父兄の方々もお招 17 灯台絵画コンテストでは、鹿児島県奄美市の小学生 30 四 来賓祝辞 五 表彰者紹介 三 海上保安庁長官祝辞 一 開会 二 燈光会会長挨拶 18 — 8 — 30 祝 灯台記念日 六 乾杯 七 懇談 燈光会副会長挨拶 八 九 閉会 最初に主催者である山 田隆英燈光会会長からの 挨拶で始まり、中島敏海 上保安庁長官、盛山正仁 法務副大臣からの祝辞を 同会の活躍について次のように紹介されました。 美しい部埼灯台を守る会は、平成 年 月 日に結 成された任意団体で、結成以来、航路標識の重要性を 27 良く認識され、毎月第 日曜日を活動日として、部埼 8 灯台及びその周辺の環境整備等を実施、この整備等を 通じて一般の人の同灯台へのアクセス等が容易とな り、ひいては航路標識事業の周知啓蒙に多大な貢献を されていることへの功績により受賞されました。 議院議員、江島潔参議院 鹿児島県奄美市立小宿小学校二年生 泉 優音さん ◦海上保安庁長官賞 次 に、「 灯 台 絵 画 コ ン テ ス ト2016」 に お い て 受 賞された、 議員からのメッセージの披露がありました。 このほか、 次に灯台記念日に表彰を受けられた方々が中央の演 壇に上がり、司会者から出席者の皆様に次のように紹 した。 埼玉県上尾市立西小学校四年生 渡部朔矢君 ◦中学生の部 和歌山県美浜町立松原小学校三年生 尾崎月灯さん ◦小学生高学年の部 お祝いのメッセージを頂戴している旨の紹介がありま 市の吉田雄人市長や三重県志摩市の竹内千尋市長から 日本初の西洋式灯台「観音埼灯台」誕生の地、横須賀 いただいた後、松本純衆 17 最初に、航路標識の周知・広報に尽力され大きな功 績があったとして、燈光会会長から感謝状を受けられ 介されました。 れた森川さんは残念ながら翌日の学校行事の関係で祝 これらの方々が、審査員からのお褒めの言葉ととも に紹介されました。なお、中学生の部で金賞を受賞さ 香川県高松市立太田中学校一年生 森川真衣さん — 9 — 2 続いて燈光会会長賞(金賞) ◦小学生低学年の部 写真- 1 祝賀会風景 た「美しい部埼灯台を守る会」会長の大迫秀八郎様と 祝 灯台記念日 賀会はご欠席されました。 影された動画を放映させていただくとともに、海上保 安庁交通部から「技術革新と合理化の灯台半世紀」や 選」のパネル展示等をいただき祝賀 会に華を添えていただきました。 「日本縦断灯台 示していることも併せて紹介されました。 祝宴も終わりに近づき、恒例の「喜びも悲しみも幾 年月」の歌が故若山彰さんのお弟子である日本クラウ また、今年の絵画コンテストの応募総数791点の 中から受賞された 点については、すべて会場内に展 次に、海上保安庁交通部長八木一夫様の乾杯のご発 声に出席者が唱和して歓談が始まり、時間の経過とと 番を田山さん、 番からは指名者を含め全員で合唱 ていきました。 しました。 会場の運営に海上保安庁 最後の締めは、上野紘燈光会副会長の挨拶で祝宴は 幕を下ろしました。今年の祝賀会は213名の参加者 いました。 す。 (燈光会事務局) 借りてお礼申し上げま おります。ここに誌面を 行できたものと感謝して の皆さん方の大きなご支 援があればこそ円滑に進 また、出席者の皆様は熱心に絵画コンテストの作品 をご覧になり、 受賞者の皆様やご家族の方に語りかけ、 2 を得て、盛会裏に終えることが出来ましたが、これは 1 今年は、昭和 年頃の 北海道襟裳岬灯台での勤 務状況等を松竹文化映画 製作所様で撮影され、当 会に寄贈いただきました 「 海 を 照 ら す 人 々」 の 映 像と川崎市在住の丸山胤 幸様からご提供いただき 写真- 2 空撮映像 記念写真を撮るなど微笑ましい光景が繰り広げられて せる姿が会場の各所に見られ祝賀会の雰囲気は高まっ ンレコード所属の歌手田山ひろしさんのリードにより 50 もに出席者の方々の輪が広がり、思い出話に花を咲か 25 15 ました灯台を上空から撮 写真- 3 合唱風景 — 10 — 祝 灯台記念日 13 灯台関係施設の一般公開を行いまし 「うーみん」 による周知活 動及び灯台記 念日施設一般 公開のチラシ を入れ込んだ ポケットティ ッシュを配布 しました。 時間を待たず して、ポケッ 階多目的プラザ 分から 時の間、当センター向かい にご迷惑をお掛けしないか、ヒヤヒヤ 影に長蛇の列が出来るほどであり、駅 ーみん」人気も絶大で、握手や写真撮 はあっという間に配り終えました。「う が来場され大盛況となりました。展示 であったにもかかわらず、多数の方々 した。一般公開に関する周知が短期間 行体験」と称したイベントも開催しま トティッシュ をお借りし、水の子島灯台の模型や灯 等の説明を担当された航行援助技術課 一般公開に先立ちまして、当日 時 た。 台レンズ、LED灯器や灯台に関する しながらの周知活動となりました。 パネルなどを設置、航路標識の変遷を にある立川市役所の 所を訪れた方々はLED灯器の光に吸 そして航路標識業務への理解を含め 一般の方々に接する機会が少ない 「陸の海上保安庁」である当センター、 ぶりに、てんてこまいの場面も! 立川」で人気を博した航路 灯台レンズやアセチレンガス灯器等 の展示のほか、パネルや「2016海 保フェア ネル等を興味深く見ておりました。 て、さらに楽しんでいただくためにも 標識シミュレータを使用した「夜間航 16 また、当日 時から 時の間、当セ ンター最寄のJR立川駅内において、 13 1 11 い寄せされるように足を止められ、パ 長、電子情報分析課長はあまりの盛況 分かりやすく紹介しました。立川市役 本番の施設一般公開は、 時から 時の間、実施しました。 写真- 1 ・ 2 見学者に説明する職員 灯台記念日 特 集 「14 8 周 年 灯 台 記 念 日 施設一 般 公 開 」 に つ い て 海上保安試験研究センターでは、平 成 年 月 日(火) 時から 時の 11 間、148周年灯台記念日企画として、 1 11 13 in — 11 — 16 8 1 28 30 来年度以降も継続して施設一般公開を に「みなとミュージアム」という展示 ージアムの一角をお借りすることがで 所産業振興課にお願いして、このミュ 室があります。管理者である姫路市役 (海上保安試験研究センター) 実施していく予定です。 図- 1 姫路保安部とイベント会場の位置図 きました。 展示物のメインは、燈光会にお願い して灯台絵画コンテストの昨年の応募 作品から海上保安庁長官賞、金賞、銀 とができ、これらの絵画をミュージア 灯台記念日に併せて灯台絵画・ 写真展等のイベントを開催 姫路海上保安部では、 月 日の灯 台記念日前後に絵画・写真展等いくつ ムにある姫路市の広報用掲示板に展示 結ぶカーフェリーや、家島諸島への定 階 賞、銅賞受賞作品 点をお借りするこ かのイベントを開催しましたので、そ の内容をご紹介します。 灯台記念日といえば、各地で灯台の 一般公開を行う部署を多く見かけます が、姫路管内には一般公開に適した灯 台がないことから、灯台絵画と写真パ ネルの展示を行うことにしました。保 安部に近くて、人が多く集まる場所を ~ 分の距離に、姫路ポートセンタービ 考えたところ、保安部から徒歩で 2 2 — 12 — 1 期船の待合室となっているビルの 写真- 1 姫路市の広報用掲示板をお借 りして灯台の絵画を展示 11 ルという建物があり、姫路と小豆島を 3 10 しました。(写真─ ) また、全国の灯台の写真データをプ リントしてパネルを 枚作成。この中 から「あなたが好きな灯台を選んでく ださい」と来場者に投票用紙を配布し たところ、予想を大幅に上回る約20 0名からの回答がありました。 パネル展示だけでは、壁に貼り付け たものばかりで面白くないので、赤と 緑に光るLED灯器を展示、目立たせ ることで人目を引きました。また、そ (写真─ し、来場者に楽しんでいただきました。 の隣には旧式の電球交換装置や点灯さ せた電球を展示、電球とLEDの違い ) や特徴をパネルで説明。灯台の灯りは 日に姫路市主催の「ふ つ)臨港公園という芝生広場がありま す。 ここで 月 れあいフェスティバル」という市民交 流のイベントが行われました。特設ス テージでは歌や踊りが繰り広げられ、 岸壁では当保安部所属巡視艇ぬのびき の一般公開も行われました。芝生広場 の周囲に張られたたくさんのテントで は当保安部をはじめ、消防、海洋少年 団等の団体や姫路周辺の自治体にブー スが割り当てられ、独自の企画で来場 者を楽しませました。 この公園の一角には灯台のモニュメ ントがあります。この灯台は、昭和 来場者の年配のご夫婦に、このこと を説明したところ「それでも電球の光 をアピールしました。 く思います。 えることができたことを非常にうれし りました。これだけ多くの来場者を迎 週間に1200名を越える来場者があ 燈光会、姫路市、海上保安協会のご 協力をいただき、灯台記念日の前後 モニュメントといえども灯台ですか (しかまつ)灯台を復元したものです。 年に現在の姫路港飾磨埠頭あたりに設 の方が灯台の灯りっぽいなぁ」とつぶ を作成。 灯台上部から垂らしたところ、 置され、昭和 年に廃止された飾万津 やいておられたのが印象的でした。 ふれあいフェスティバル て灯台写真のスライドショーを上映 ーツと雑索をもらい受け、白い三角旗 たいものです。保安部の船艇から古シ ら、晴れの日には飾り付けをしてやり 41 — 13 — 30 また、この会場にはプロジェクター が備え付けられており、これを利用し 1 白い旗が真っ青な秋空に映えて、予想 電球からLEDに変わりつつあること 12 写真- 2 プロジェクターで投影した美 しい灯台のスライドに見入る 来場者 姫路保安部の前には飾万津(しかま 2 10 1 15 会場であるみなとミュージアムにお いて、 年間に亘り当保安部所管灯 台の灯火を監視していただいた東二 見漁業協同組合に海上保安庁長官か ら、 年間監視していただいた住友 大阪セメント赤穂工場に第五管区海 上保安本部長からの感謝状を姫路海 上 保 安 部 長 か ら 伝 達 し ま し た。 (写 真─ ) 伝達式終了後、 受賞者の方々 また、 に対し、展示されたパネル等につい れがうみまると一緒に記念撮影してい 人気は群を抜いており、多くの家族連 的に受け入れていますが、 姫路海上保安部では、地域連携とし て地元小学校の見学や職場体験を積極 地元小学校の校外学習受け入れ て説明しました。 ました。当日はハロウィン前日という 地元の菅生(すごう)小学校から 人気を競いましたが、中でもうみまる ことで、手作りの衣装で仮装した来場 ) 姫路保安部では、 日後に控えた灯 台記念日をアピールするため、事前に 者も多く、主催者と観客が一緒にお祭 生 日に 主催者である姫路市にお願いして保安 り気分を盛り上げ、とても賑わいまし 年 人が見学に訪れました。小学生た 月 部のブースとなるテントを灯台のモニ た。 2 1 11 ちは、みなとミュージアムで開催中の 灯台絵画や写真パネルを見学した後、 先生役の保安部若手職員から、 船や港、 灯台の役割について説明を受けまし — 14 — 20 15 4 ュメント前に張ってもらい、制服を試 灯火監視協力者への感謝状伝達式 月 日には、灯台絵画・写真展の 43 (写真─ 写真- 4 今年の灯火監視協力者への感 謝状伝達式はイベント会場で 実施 左から宮里部長、東二見漁協 大西賀雄組合長、住友大阪セ メント (株)青木秀起執行役 員、渡川次長 着して、灯台をバックに記念撮影がで 以上に美しくはためいてくれました。 写真- 3 ふれあいフェスティバル うみまるは子供たちに大人気 きるベストポジションを確保、多くの 2 2 人に利用して頂きました。 会場では各団体の「ゆるキャラ」が 11 3 改修が進められている中、設置当時の くの灯台が水銀槽解消のための灯器の 原形をとどめ、稼動可能な状態で保存 年から毎年、日本国内の歴史的 意義のある機械技術関連遺産を「機械 平成 遺産」として認定しているもので今ま た。広いミュージアムの中を元気に走 り回っていた子供たちも、説明が始ま 年前から申請を続けた結果、和 歌山県初、全国で 番目の「機械遺産」 け、 ると興味深く聴いていました。 11 樫野埼灯台の光学系回転装置は、多 83 - 認定されています。 3 でに、YS されているため機械遺産の認定に向 17 、ウォシュレット等が 一週間に亘る各イベントの開催を通 じて、多くの来場者と話をする機会が ありましたが、まだまだ一般の方々に は灯台記念日の認知度は低いことを改 148周年灯台記念日の関連行事とし て実施しました。 — 15 — めて認識しましたので、 今後も更に工夫 (姫路海上保安部交通課) 7 機械遺産は、一般社団法人日本機械 学会が創立110周年記念事業として 写真- 1 機械遺産パンフレット を凝らした広報活動を続けていきます。 樫野埼 灯 台 の 光 学 系 回 転 装 置 一般公 開 樫野埼灯台の光学系回転装置が平成 年 月 日に機械遺産の認定を受け 8 てから初めてとなる灯台の一般公開を 28 に認定されました。 29 階段を上るやさしいお母さんの家族 は、女の子から「海の教室」で樫野埼 灯台の説明をしてもらったよ」と妹、 弟、両親に灯台の中を生き生きと案内 しており、ちょっとした灯台女子の様 でした。 「3 D 海 底 地 形 図 」 の 展 示 を 見 た 老 夫 婦 は、「 昭 和 南 海 地 震 で 発 生 し た 津 波が田辺市会津川の上流まで押し寄せ て、冬の寒い朝に思わず避難した北消 防署の空き地であたたかい炊き出しを 頂いたのを昨日のことのように思い出 た中、富山・名古屋・埼玉とさまざま の顔がわかるほどの距離」を飛行する し、 安 心 し た 多 く の 観 光 客 は、「 機 長 す の で ゆ っ く り 見 て 下 さ い。」 と 対 応 よ。分銅筒の下は井戸でなぁ!」と話 「じいちゃんが樫野埼の灯台 ま た、 守で夜中に巻き上げに連れて来られた す。 」と話していました。 な箇所から多くの観光客が訪れ、灯台 す お じ い さ ん に、「 現 在 も 井 戸 は あ り 分程度の行程調整は簡単にできま まで来て初めて知った灯台の一般公開 航空機に歓喜の声を揚げていました。 ど の 飛 行 機、 格 好 い い ね ぇ。」 と 尋 ね いました。 (田辺海上保安部交通課) 約300人の方々が訪れ、それぞれ 年に 回の灯台の一般公開を楽しんで ま す よ。」 と 案 内 す る と 懐 か し そ う 見 のおもてなしにびっくりした様子でし 「 ま も な く、 海 上 保 安 庁 の 飛 行 機 が しょう戒に併せて灯台の目の前を通過 られ、未来の海上保安官を垣間見た気 女の子を引いて男の子を抱っこして がしました。 し ま す。 」 と の 案 内 に、 バ ス ツ ア ー の た。 入っていました。 「 写真- 3 関西空港航空基地のサーブローパス すぐに、小さな子供が海上保安庁の パンフレットを手に駆け寄り「今のは、 に恵まれ、最高のコンデションとなっ 5 観光客は、集合時間を心配しましたが、 ツアーガイドさんが機転を利かして 1 — 16 — 写真- 2 燦然と輝く認定書 平 成 年 月 日( 土 曜 日 )、 灯 台 記念日に先がけて実施した一般公開 10 は、前日の大雨がうそのような秋晴れ 28 日(土)に毎年恒例となって 早速検討開始しました。 に方策を模索すべしとの意見があり、 内容の理解を深めてもらうことを目標 ですが、今回は、もっと来場者へ業務 本腰入れて諸準備に取り掛かりまし 「これはもしや過去最高の来場者と なるのでは」 という期待感を持ちつつ、 の電話や取材依頼が殺到! とかもっと来場者数を増やし最低20 名前後という状況だったことから、何 道路も狭隘で、毎回の来場者は100 当センターがある場所が、淡路島北 端の人里離れた山の上で、市道や専用 した。 PRを げ込みや地元淡路島内観光協会等への 成・掲示依頼、マスコミ関係等への投 施 す る 必 要 性 を 踏 ま え、 ポ ス タ ー 作 を決定したうえで、広報を積極的に実 し景品をつけようという大まかなこと にし、正解者への景品贈呈、さらに今 ンターや灯台にまつわる問題をクイズ 交通センターの写真展示や海上交通セ てほしいという思いから、全国の海上 今回新たに実施したものは、海上交 通センターに関する業務をもっと知っ た。 にある ろ、淡 がけたことは、来場者を増やすため広 イベントでの経験を踏まえ、まず、手 新聞各 のほか 広報誌 ら問い 報をどうするかということと、来場者 た。 合わせ 社等か 過去、毎年恒例であるこの一般公開 への安全確保について議論を行いまし 路島内 今回のイベントを検討するにあた り、今年 月末に開催した淡路夏祭り たとこ 実施し 9 示物やイベント等の準備を開始しまし 0名超という目標を立て、 月から展 た。 月 日の「灯台記念日」にち 大阪湾海上交通センター施設を 一般公 開 月 いる、 試行錯誤した結果、新たなイベント としてクイズ・スタンプラリーを実施 1 なみ当センターの一般公開を開催しま 11 29 7 — 17 — 10 「す・またん」出演はこの人 写真- 1 受 付でクイズラリーに参加さ れた方へ記念品を配布 写真- 2 展 示室の状況(奥で「灯台の 空中散歩(DVD)」上映中) とでるか、不安をかかえつつ、来場者 一般公開当日は、朝から曇りがちで 強風であったことから、吉とでるか凶 への「おもてなし」をという思いで作 成 準 備 し ま し た。( 苦 労 し て 作 成 し た 月に突然のテレビ取材を受けた 景品が盛りだくさん……) 年 た、 緊 急 対 応 で は あ り ま し た が、「 灯 「す・またん」(読売系列)を放映、ま りには「車が列をなしている」とのう 時前すでに海岸通 さらに、当センターに来るためには 狭隘な市道、専用道路(約 ㎞)を上 特に景品については職員がデザイン した手製カレンダー、消しゴム、ふう 準備しました。 交代勤務でこその人員配置等頭を抱え 上版VTSもどき)も行う必要もあり、 配置、対向車速度制限等の情報提供 (陸 両の安全を確保すべく、要所に職員を らなければいけないことから、通行車 来場者への対応も気配り思いやりの 精神で接し、職員はそれぞれの担当箇 場とあいなりました。 機応変に対応すべく、予定を早めた開 れしい情報、担当職員の機転により臨 を迎えようとした 台 の 空 中 散 歩( D V D )」 や 灯 台 に ま せんガムを作成、さらに屋上には展望 つわるパンフレット(燈光会寄贈)を 者のために、長さ約8mの巨大パノラ っては、癒しの時間を過ごしていただ 加えて、当センター職員のオカリナ 演奏も特別お披露目され、来場者にと ありました。 ほうが恐縮してしまう場面もたくさん ルをいただいたりで、主催する当方の たくさんのありがたいお言葉や、エー あいにくの強風であったにもかかわ らず、足を運んでくださった方々から、 でした。 質問を受けたりし休む時間もない状況 所に分散し、 来場者に説明を行ったり、 写真- 4 記 念品(職員デザインによる 手作りカレンダー、消しゴム、 ふーせんガム) ながらスケジュールをたてました。 写真- 3 屋 上で明石海峡を眺望(職員 が作成した約 8 mのパノラマ 写真を掲示) マ写真を展示、限りある時間で来場者 10 けたものと思います。 — 18 — 2 7 最終的には、通年の倍以上の286 名が来所され、その大半が島内からの ったものと確信しました。 解が得られ、より地域との絆が強くな 庁・海上交通センター業務に関する理 通部重要文化財とも言える貴重な品々 今ではほとんどの職員も知らない、交 ました。灯器等の展示では「石油単芯 での灯器、レンズ等の展示などを行い 特別展では、七管区内の主要灯台を 説明したパネルや、明治期から現在ま 写真- 2 「海を照らす人々」上映 ~ 月 日までの間、同特別展を開催 最後になりましたが、今回も江埼灯 台との共同による一般公開となり、神 や、LED灯器を点滅させ、航路標識 しました。 戸海上保安部と協力したこと、また、 機器の移り変わりを見て体感していた お客様であったこともあり、海上保安 燈光会には急遽パンフレットやDVD だきまし ) た。( 写 真─ 会の倉庫 れた、昭 の襟裳岬 — 19 — 灯器」、「アセチレンガス灯器」などの 視聴のための準備をしていただき、心 (大阪湾海上交通センター) から感謝申し上げます。 また、 今 年 で発見さ 月、燈光 第七管区海上保安部交通部では毎年 148周年灯台記念日関連行事 月 日の「灯台記念日」に伴い、福 岡県北九州市門司港にある(公社)西 において「灯台記念日特別展」を開催 21 写真- 3 表彰状授賞式風景 9 1 灯台(北 15 月 日 しています。そして今年も、 10 写真- 1 特別展の展示風景 11 1 和 年頃 1 部海難防止協会「関門海峡らいぶ館」 11 写真- 4 インタビュー風景 写真- 5 関門センター見学 海道)で勤務する職員と家族の紹介を 七管区内在住の方々の作品 点の中か ら 点を展示しました。写実的な作品 から想像性豊かな作品まで多岐に渡 る事が出来、特別展に華やかさを添え ) 行う映画「海を照らす人々」の上映も てくれました。この作品の中から七管 り、画材の質感や色合いを直に感じ取 そして今年も、燈光会からの協力を 得て同会主催の「灯台絵画コンテスト 図- 2 灯台カード(裏) 行いました。(写真─ 69 2016」に応募された作品の中から、 — 20 — 33 図- 1 灯台カード(表) 2 各地の著名な灯台をデザインとした灯 また、 月 日からは、灯台のこと をより知ってもらうために、七管内の 今年の目玉を何にするか……、と思 案していたところ、初点火から北薩摩 れました。 に「灯台記念日盛り上げ隊」が結成さ 上げようと、串木野海上保安部交通課 部長賞、同交通部長賞、七管灯台OB 台カード(画像データ)の配布も開始 区特別賞として、第七管区海上保安本 会である澪朋会会長賞を設け選考を実 しました。この灯台カードは、全国初 施し、 ) 1 月 日には各賞受賞者へ表彰 11 だき、大成功といえるイベントとなり 族の方々のほか新聞記者にも来ていた 名の受賞者とご家 おられ、参加いただけるか不安もあり 受賞者の中には遠方から来られる方も 皆さんも七管の灯台を訪れてみてはい 基の灯台カードを配布しているので、 入手できるものです。七管内で合計 電話で読み取れば、画像データとして 台に貼付されているQRコードを携帯 る一覧表にある灯台に実際に赴き、灯 の試みで、七管のHPに掲載されてい 灯台所在地である長島町に今年発足し ラボしようとの意見が出され即決定、 長崎鼻灯台と、消防の「119」をコ の海を灯し続けて「119年」となる ましたが、当日は ました。授賞式では七管区次長、交通 日灯台長及び 日海上保安官に任命 た地元女性消防団「椿妃隊」の隊員を つば き たい 部長、澪朋会会長から各受賞者へ表彰 点灯119年の 「元祖長崎鼻灯台」 を特別公開! ~「灯台記念日盛り上げ隊」 奮闘記~ 月初旬の残暑が残る頃、148周 年灯台記念日関連行事を例年より盛り 市 町の防災無線での周知放送、地元 送依頼、ポスター掲示、串木野管内 ている地元民放テレビ局でのデータ放 ま た、「 盛 り 上 げ 隊 」 で は 周 知 活 動 にも力を入れることとし、例年実施し することになりました。 1 20 (第七管区海上保安本部交通部) 、 ) かがでしょうか。(図─ なる新聞記者からのインタビュー取材 )表彰式 もあり、小学生の受賞者達は終始緊張 の 面 持 ち で し た。( 写 真 ─ 後には、関門海峡海上交通センターへ ご案内し、職員から同センターの役割 等についての説明がありました。授賞 式の緊張もほぐれたのか、日頃間近で 見ることのない管制業務に受賞者とそ 2 3 の家族からは感嘆の声が上がり、笑顔 ) 7 1 1 しました。 島週末おでかけ情報」での放映が決定 て夕方の地方番組「情報WAVE鹿児 たところ、熱烈なアピールの甲斐あっ 児島放送局への取材交渉を初めて試み ラジオ局への出演等に加え、NHK鹿 2 状を授与した後、恐らく人生初めてと 状授賞式を実施しました。(写真─ 3 が広がりました。(写真─ 9 4 5 — 21 — 3 11 取材当日、構成や撮影方法などの打 合わせを行った後、いよいよ撮影開始。 灯台の歴史や点灯の仕組みの説明、特 事 前 練 習 を 何 回 も 繰 り 返 し( 写 真 ─ ので、同僚の古賀官とともに次長室で そして 月 日の公開当日。 )、 い ざ 本 番 を 迎 え ま し た が、 練 習 雲一つない絶好の行楽日和となり、 公開時間 分前にもかかわらず待って 写真- 4 チェックする上司 の成果が出て、ド緊張状態にもかかわ 「椿 はじめに、串木野海上保安部長が 妃隊」隊員 名を 日灯台長及び 日 いる人々の姿がありました。 )。 らず、途中までは卒なく受け答えがで これに上手く言葉が出ずカミカミにな ……と、これで乗り切れると思った 瞬間、DJのアドリブ攻撃が炸裂し、 した。 令で特別公開がいよいよスタートしま きました(写真─ ってしまいましたが、逆に思い出に残 次に、地元ラジオ局(FMさつませ んだい)に出演して特別公開の呼びか )。 けを行いました。 日灯台長の号 1 別公開の告知(写真─ )など、 分 3 海上保安官に任命し、 1 程の放映時間に対して撮影は 時間に も及びましたが、効果抜群の宣伝とな 11 30 2 事前の周知活動が功を奏し、家族連 れ、カップル、老夫婦など幅広い年齢 りました(写真─ )。 写真― 3 事前練習 る良い経験となりました(写真─ 5 1 — 22 — 写真- 2 最後の告知シーン 4 5 3 写真- 1 取材中の状況 2 1 私自身、初めてのラジオ出演でした 2 は「テレビを見て ら多数訪れ、中に 層の方々が遠方か 後 日、「 灯 台 記 念 日 盛 り 上 げ 隊 」 の 解散式を盛大に行い、来年は今年以上 苦労が報われました。 ・写真 姿を見せ、上空に 鹿児島航空基地M A機が飛来すると 来場客は両手を振 りながら歓声を上 げて大盛況でし た。 今年の特別公開 は、例年にない周 知活動の試みもあ ) 。 に盛り上げようと皆で誓いました(写 (写真─ ─ )。 6 公開途中、海上 に巡視船とからが 7 り準備作業が大変 (串木野海上保安部交通課) 真─ 写真- 7 118番目の来場者 でしたが、大盛況 来たよ」と声をか 写真- 8 灯台公園入り口より のうちに終わり、 — 23 — けていただき、大 写真- 5 本番中 変感動しました 写真- 6 踊り場から 8 貞明皇后ゆかりの花瓶について 月に貞明皇后から贈 四日市海上保安部交通課 ていただいたところ、昭和 年 平成 年 月下旬、灯台記念日が近づいたこともあ り、資料収集のため四日市海上保安部部長室の書棚に てきましたが、幸いにも部長室書棚に保管されてきた この花瓶については、四日市海上保安部では、残念 ながら何十年もの間、出所がわからないまま保管され られた恩賜の花瓶であることが確認できました。 保管されている書籍を部長立会いの下、見せていただ ことから、丁重に扱われ、大切に受け継がれてきたも 花瓶を書棚から出してみると、 「賜」の文字が刻印 されていること ◦明治 年 参考として、四日市海上保安部に係る灯台管理の組 織の変遷、移転は以下のとおり行われています。 いたところ、書棚の片隅に古い真鍮製の花瓶が保管さ のと思われます。 恩賜の花瓶の持つ力 2 れているのに気づきました。 23 月 日 逓信省燈台局四日市燈台(四 日市市稲葉町) ◦昭和 年 ◦昭和 年 2 9 日 四日市港防波堤燈台を三重県 から移管 月 日 四日市燈台廃止 運輸省燈台局四日市港防波堤 月 燈台 2 に写真を提供し 2 1 から、それは貞 明皇后恩賜の花 瓶ではないかと 2 年 月 29 確認のため、 同じものがある ◦昭和 8 尾鷲海上保安部 察しました。 19 9 写真︱ 貞明皇后(主婦の友社より) 23 3 28 1 — 24 — 1 ◦昭和 年 ◦昭和 年 月 日 四日市海上保安署発足 月 日 四日市港航路標識事務所発足 所を四日市市高砂町に移 月 日 事務 転(保安署と同居) ◦昭和 年 5 10 1 日 保安部を港湾合同庁舎へ移転 (四日市市千歳町) なお、逓信省燈台局時代からの経歴簿が保管されて いますが、 残念ながら花瓶の記録はありませんでした。 ◦昭和 年 月 ◦昭和 年 月 8 日 四日市海上保安部発足(事務 所と保安署統合) 1 16 36 10 9 及び視察記録から、この花瓶は、四日市港防波堤燈台 長に贈られたものであると考えられます。 年に四日市燈台が 年に四日市港防波堤燈台が三重県 )という大型燈台が存在し、当時職員が 一般的に、燈台長のイメージとしては、陸上の大型 燈台が思い浮かびますが、昭和 年までは四日市燈台 (写真─ 名配属され、昭和 3 年までに 基の標識が四日 から移管されたことを受けて、同 廃止されています。昭和 3 5 市港に設置され ていましたの で、四日市港防 波堤燈台を中心 とする事務所 が、これら標識 を管理していた ことが伺われま す。 さらに、経歴 簿によれば、四 月 日の 日市港は、昭和 年 伊勢湾台風来襲 また、事務所の統廃合も頻繁に行われており、度重 なる移転にも関わらず、 年間も所在が不明となるこ 慮すれば、この花瓶がよく無事であったと思います。 し、書類等が流失したとの記録があり、被害状況を考 により、燈台数基に甚大な被害を受け、事務室も冠水 写真- 2 四日市燈台(四日市市より入手) 明治19年 8 月 1 日初点灯 昭和 3 年 2 月29日廃止 となく永々と保管されてきたことを鑑みると花瓶が持 つ神々しい力を感じざるを得ませんでした。 — 25 — 4 経歴簿では、昭和 年 月 日から昭和 年 月 日まで、佐藤富治氏が四日市港防波堤燈台長として、 3 3 18 5 年間勤務された記録があり、当時の燈台の配置状況 6 12 9 33 28 23 2 34 37 2 68 16 1 12 42 20 花瓶に関わる全国調査 この花瓶が貞明皇后から贈られた由緒あるものと判 明したことから、恩賜の花瓶は全国に何個存在するの か、また、関係する資料を入手したく、第四管区海上 (佐渡市)から移設) ⑦ 尾鷲海上保安部部長室 ③ 清水海上保安部次長室 ④ 燈光会(東京都港区) ⑤ 岩崎ノ鼻灯台(富山県高岡市) ⑥ 能登観音埼灯台(能登島灯台(旧導灯)から移 設) 今回の灯台記念日において、同交通部及び名古屋海上 保安本部交通部企画課に相談したところ、偶然にも、 保安部が、明治村にて「皇室との縁(ゆかり)展」と 貞明皇后とのかかわり ⑧ 四日市海上保安部部長室 ⑨ 関門浮標基地(山口県下関市) 題し、貞明皇后に関わる特別展示を計画しているとの ことでした。 とのかかわりについて、簡単にまとめさせていただき 整理の関係上、燈光会発行の「燈光会百年の歩み」 から抜粋させていただき、左記に貞明皇后と灯台職員 同交通部企画課は、この機会をとらえ、全管区にこ の花瓶に関する情報収集を行ってくれるとのまさに渡 りに舟といったありがたい対応をしていただきまし ます。 日、5000円を御下賜 月 日「社団法人燈光会」 6 た。 ① 大正 年 月 日 観音埼灯台行啓 孤島や岬の灯台における職員の慰安のため、同 月 これをもとに、翌 年 6 設立 13 恩賜の花瓶保管状況 9 次項に全管区に調査協力いただいた結果を報告させ ていただきます。 4 ② 昭和 年 月 日 灯台職員の慰安と子女の教育のため6000円を 10 4 13 23 月末において、以下の 5 12 恩賜の花瓶については、 点が確認されました。 11 ① 稚内海上保安部次長室 ② 新潟海上保安部次長室(平成 年 月弾埼灯台 27 12 11 10 — 26 — 2 3 せんでしたが、昭和 年に貞明皇后から贈られたラヂ オについて記載があったことから、この花瓶調査に併 御下賜 これをもとに、全国各灯台にラジオ200台を設 せ、全管区に恩賜のラヂオについても調査をお願いし 台保管されています。 紙にて報告させていただきます。 今回の調査において、鳥羽海上保安部から驚きの情 報があり、同保安部に了解をいただきましたので、本 送資料館に ラヂオについては、2007年 月号の燈光に詳細 が記されており、野島埼灯台資料館に 台、NHK放 局回送設置ス ラヂオ設置 皇太后陛下御下賜ニヨリ昭和十二年一 月二十七日羅州丸ニヨル視察ノ際 本 四日市海上保安部所有の「経歴簿」の記録は以下の とおりです。 ました。 置 ③ 昭和 年 月 日 御歌写を賜る 「荒浪も くだかむほどの 雄心を やしなひながら まもれともし火」 ④ 昭和 年 月 日 剣埼灯台行啓 灯台職員及びその家族の福利増進のため3000 円を御下賜 これを元に、灯台職員及び家族の済育のため「財 団法人燈台済育会」創立 ⑤ 昭和 年 月 日 臥蛇島灯台に御下賜金賜る 沖縄戦での臥蛇島灯台職員奮闘の新聞記事をご覧 になり御下賜 ⑥ 昭和 年 月 日 石廊埼灯台行啓 灯台職員慰労として、同 月 日、5000円御 下賜 それは、旧鳥羽航路標識事務所庁舎から昭和 年 日付の燈光会発行のラヂオの由来が記載された証 ) 旧鳥羽航路標識事務所は、現在、倉庫として使用さ れており、旧事務室の書棚の上に額縁に入れられ横置 — 27 — 12 書が発見されたことです。(写真─ 月 1 12 花瓶調査に伴う貴重な資料の発見 12 11 1 26 7 7 18 これをもとに、各灯台200箇所に花瓶を贈る 2 12 6 6 9 3 3 21 14 16 20 22 今回の花瓶調査において、四日市海上保安部所有の 「経歴簿」によれば、残念ながら花瓶の記録はありま 5 されていた模様 御歌の翻刻における新たな解釈 「燈光会百年の歩み」によれば、昭和 年 月 日に、 中知床岬灯台の模型を御内献、御進講の折、御歌写を 賜ったと記されています。 「荒浪も くだかむほどの 雄心を やしなひながら まもれともし火」 一方、主婦の友社が出版している「貞明皇后」の本 においては、昭和 年、の御下賜金(ラヂオ受信機配 26 です。以下に証 書の内容を記載 します。 恐らく恩賜の ラヂオの由来を 記録した証書 は、他になく、 貴重な資料の発 見に繋がったと 思います。 12 ご じん じ た ほんだい たま ここ ゆ らい きん き ほう たてまつ 布)の際、御歌が添えられたと記載されています。 と考えます。 を送付いただきました。(資料─ この御歌は「荒浪も 砕かんほどの 雄心を 養い 思います。 ながら 守れともし火」と訳され、「荒浪を砕くほど の雄々しい心を持って灯台の火を守れ」と解されると ) これらは、 年の違いがありますが、どちらも記載 がありますので、どちらも正しいと言わざるを得ない こうたいごう 14 畏クモ 皇太后 へい か ならびに 陛下ニハ航路標識従事員 並 同家族ノ日常生活ニ深キ かしこ 11 なお、この御歌は、色紙に書かれ、保存されている 保安部があり、今回の花瓶調査において、色紙の写し まんいち ルコトトセリ 茲ニ本臺ノラヂオ施設ノ由來ヲ謹記シ たてまつ とう だい ほう こく まこと ささ もっ ご こう おん 奉 ルト共ニ我等は燈臺報國ノ誠ヲ捧ゲ以テ御鴻恩ノ 萬一ニ報ジ奉ランコトヲ期ス 十二年一月二十一日 昭和 しゃだん 社團法人 燈光會會長正五位勲五等 福原敬次 1 3 — 28 — 6 御仁慈ヲ垂レサセ給ヒ昭和十一年十二月二十三日 燈 たい ご か し きん ご さ た 光會ニ對シ再度御下賜金ノ御沙汰アラセラレタリ 燈 こ ありがた おぼしめし てい かくとうだい し せつ 光會ハ斯ノ有難キ思召ヲ體シ各燈臺ニラヂオヲ施設ス 写真- 3 恩賜のラヂオの証書 (鳥羽海上保安部所蔵) や志なひなから まもれ登もし火 あ羅浪も く多かむ本との をこころ火 皇太后宮御歌お うたどころ きんてる 御歌 所 長公爵三條公輝拝書 以下に、当方にて翻刻した内容を記載します。 刻してみたところ、新たな発見と感動がありました。 1 まず、 行目は、御歌所(19 47年廃止)という旧宮内省の外 ) の「を」はどう見ても「火」です。 心を)と解読されていますが、下 また、通説となっているこの歌 の翻刻としては、「をこころを」(雄 真─ ながら書いたという意味です。(写 長で公爵である三條公輝氏が拝み 始に関する事務を司ったところの 局があり、皇族の御製和歌と歌会 2 の「を」と比べても全く違います。 すなわち、「をこころ火」は、「御心火」と解釈し、 つまり守灯精神を意味しているのではないかと考えま す。 さらに、「登もし火」における「登」という字を当 てているのは、灯台の火がいかにも登っている描写が 思い浮かびます。 なお、以下説明は、もう少し深読してみたもので、 あくまでも個人的な解釈と捉えていただいて結構で す。 — 29 — 4 歌の最後の「ともし火」の「火」と同じで、「をこころ」 写真︱ 三條公輝氏 インターネット(三條公爵家より) 4 くずし字が用いられていることから、昨年 年間古 文書講座に参加し、古文書の解読経験から、改めて翻 資料- 1 御歌写 「あ羅」は、 「安羅」とも解釈されます。安羅とは、 400年頃、朝鮮半島に安羅という国があり、侵入し てきた高句麗軍に反撃するほどの強力な軍事力があっ たそうです。通説では、 「荒」でしょうが、強国の安 羅をかけ、とても強いとか厳しいという意味を含ませ たのではないかと考えます。 あと一つの考えとして「安羅浪」は、 「さまよう船 に安心の羅針」とも考えられます。 発見もありまし た。また、何かに 突き動かされた感 があり、非常に運 命を感じていま す。 貞明皇后からい ただいた花瓶につ いては、この度、 本部交通部企画課のご好意により、ガラスケースに入 第四管区海上保安 から、全体的には、 「とても厳しく苦労も多い本台の れ、花瓶の説明書きを加え、部長室に丁重に飾ること また、 「く多」の「く」はひらながですが、 「苦多」 とも考えられ、次に「志」の字が当てられていること 仕事を、守灯精神の志を育てながら、灯台の灯を守れ」 とさせていただきました。(写真─ ) ◦くずし字用例辞典 東京堂出版 ◦くずし字解読辞典 東京堂出版 ◦貞明皇后 主婦の友社 ◦燈光会百年の歩み&「燈光」公益社団法人燈光会 参考文献 して、お礼を申し上げたいと思います。 今回の調査に関しましては、多くの関係者のご協力、 資料提供があり、大変助けられました。本紙をお借り 5 — 30 — 写真- 5 部長室に飾られた花瓶 との深い意味を持たせているのではないかと考えまし た。 厳しい勤務環境での中で、忍の一心で、灯火の維持 に心血を注ぐ灯台職員にあてられた言葉ではないかと 終わりに 考えます。 た、いくつもの偶然が重なり、奇跡とも思える新しい 今回、恩賜の花瓶との出会いにより、貞明皇后につ いて、学ばせていただく貴重な機会となりました。ま 7 海上保安庁交通部企画課 え方に基づく、強くてしなやかな国をつくるための取 は言えない中、今後も引き続き、事前防災・減災の考 平成 年交通部の主な出来事 あけましておめでとうございます。 組みが求められています。 総理大臣が来賓として出席し、 「海上保安庁の役割は、 海上保安庁においては、 月の海上保安学校卒業式 に、開校以来現職総理大臣としては初めて、安倍晋三 の維持等を目的とした海上交通安全法等の一部改正や 策を推進したほか、非常災害時における海上交通機能 に、船舶事故隻数の約 割を占める小型船舶の安全対 そのような中、交通部に目を向けてみると、業務執 行体制の更なる充実強化を図るための組織改編を行 これからも変化し、 その重要性を一層増していく。 」「広 突風の影響と思われる海難を契機とした海の安全情報 月からは新体制で業務にあたってきました。特 い視野を持ち続け、柔軟な発想で、時代の変化に即応 の拡充、航路標識の防災対策など、引き続き、船舶交 4 ただきます。 これらも含め、昨年 年間の交通部にまつわる主な 出来事について、本紙面をお借りしてご紹介させてい 7 い、 して全力を尽くしてほしい。 」と祝辞を述べ、卒業生 通の安全を確保するための施策を進めました。 した。 のみならず、多くの職員がその激励の言葉に感動しま 本中が感動と勇気をもらった 年でした。 ックでの日本人選手の金メダルラッシュや健闘に、日 世相を表す漢字として「金」が選ばれた平成 年。 昨年は、リオデジャネイロオリンピック、パラリンピ 28 一方で、甚大な被害をもたらした熊本地震や台風 号など、多くの自然災害の発生もまた、忘れることが 10 1 — 31 — 28 1 3 できない 年となりました。今なお復旧が完了したと 1 .交通業務競技会「KJG 」開催( 月) 海上交通業務に関する取り組みを競技会方式で発表 することにより、各管区の状況を把握・分析し、組織 日に 的な人材育成に資することを目的として、本庁交通部 月 年( 月) ることを目的に「小型船舶安全対策業務発表会」を開 催しました。 .東日本大震災から 月 日現在で142基(約 %) 東日本大震災から 年が経過しました。航路標識関 係では、津波等により被害を受けた航路標識158基 のうち、平成 年 月) の復旧等を行いました。残る 基についても、引き続 写真- 1 【交通部長賞を受賞した福岡海上保安部 林官の発表】 16 第 次交通ビジョンに掲げる「小型船舶の事故隻数 の 割減少」という目標達成に向け、関係省庁・民間 .交通部四課再編( き、関係機関との調整等を図りつつ早期復旧に向け対 る海難防止の取 せて実施してい 海域特性に合わ 本庁に招集し、 90 で初めてとなる「海上交通業務競技会」を 3 回目となる競技会では、各管区の部署の職員を 開催しました。 第 5 1 4 応しているところです。 19 5 12 1 1 有して、同業務 の活動状況を共 もらい、各部署 形式で発表して 携強化や日本技術の国際標準化を視野に入れた技術開 に、海上交通分野における国際機関及び諸外国との連 ら、小型船舶の事故防止対策を強力に推進するととも 会社と連携して様々な取組みを総合的に推進しなが 日から 発部門を発展・強化するため、平成 年 月 の充実・改善を 4 1 課体制に再編するとともに、管 4 区本部においても本庁交通部と同様の 課体制に再編 「整備課」の新たな 本庁交通部を「企画課」、「航行安全課」、「安全対策課」、 の意識向上を図 28 4 併せて部署職員 促すとともに、 り組みを競技会 3 — 32 — 28 30 各部署が地域・ 1 2 3 3 1 しました。 海難(船 新たに設置した「安全対策課」においては、 舶事故及び人身事故)の調査・分析とこれに基づく海 月 日の衆議院本会議において可 ができることとするとともに、平時においても指定港 となっています。 通報の手続きを簡素化する等の措置を盛り込んだ内容 る船舶に対して海上保安庁長官が移動等を命ずること 内の水路及び指定海域内の航路を航行する船舶による 図- 1 【海上交通管制の一元化のイメージ】 難防止対策を実施するとともに、ディファレンシャル G P S セ ン タ ー の 業 務 執 行 体 制 を 発 展・ 強 化 さ せ た 「安全情報提供センター」において、事故防止に必要 な情報の提供(海の安全情報(沿岸域情報提供システ ム) )を行うなど、海難防止のための一連の業務を一 月) 的な海上交通管制の構築に向け、第190回通常国会 年 に「海上交通安全法等の一部を改正する法律案」を提 出 し、 平 成 月 日に公布されました。 12 18 この法律は、津波等の非常災害が発生した場合にお ける船舶交通の危険を防止するため、指定海域等にあ 決・成立し、同年 5 5 28 — 33 — 元的に実施しています。 .海上交通安全法等の一部改正 可決成立( 5 非常災害時における海上交通機能の維持や、平時に おける安全性の向上及び国際競争力の強化を図る一元 4 月) 交通部長(前職 国土交通省港湾局総務課長)が着任 し、新たな体制で交通行政を推進していくこととなり ました。 ら、小型船舶操縦者法に定められた発航前検査及び適 切な見張りの実施を行っていない場合にも違反点数を 付与することを内容とする同法施行規則の一部改正が なされ、 月 日から施行となりました。交通部では、 小型船舶の安全対策を一層強力に推進するため 月に 1 .交通部幹部交代( 24 月 日付けで徳永重典総務部参事官(前職 第九 管区海上保安本部次長)が、 月 日付けで八木一夫 6 安全対策課を新設し、現場における小型船舶の船長等 への安全指導の強化や、海難の原因調査の徹底を行っ ているところ、遵守事項違反に係る事務についても警 写真- 3 【遵守事項違反啓発用ステッカー】 備救難部と連携しつつ主体的に実施していくことにな 写真- 2 【発航前検査チェックリスト】 りました。 . 遵守事項制度を活用した小型船舶の安全対策( 月) 7 6 小型船舶を操縦する者の安全意識を高める観点か — 34 — 7 4 1 5 4 6 .海の安全情報拡充( 月) 名の方が亡くなりました。 平成 年 月、長崎県対馬市の東方沖において、竜 巻等の突風の影響と思われる漁船の転覆事故が発生 し、乗組員 交通部では、同事故を受け竜巻をはじめとする急激 な天候変化による小型船舶事故の防止を図るため、イ サービスに加え新 たに電子メールで 月 日から開始 も提供する業務を しました。 .ラジオ放送に よる船舶気象通 報等廃止( 月) 月 日、レー ダー、GPS及び 9 ンターネット、電子メールで提供している気象警報・ 注意報等に新たに「竜巻注意情報」 、 「雷注意報」を追 加、また、全国133箇所の灯台等で観測した風向、 1 たことから、ラジ が少なくなってき においては、利用 一部の航路標識等 の多様化が進み、 伴う情報提供手段 ーネットの普及に 向上並びにインタ 計器の普及・性能 電子海図等の航海 30 オ放送による船舶 — 35 — 8 8 8 風速、波高等の気象現況をインターネット、テレホン 写真- 4 【海の安全情報リーフレット】 9 9 5 27 7 写真- 6 写真- 5 【平成 8 年ころの船舶気象通報の放送状況】 【焼尻島灯台(北海道) の最後の船舶気象通報】 気象通報業務等を廃止しました。 報提供等小委員会」にて審議されることとなり、平成 回の審議が行われ、昨年 月に 結審となりました。 6 12 委員会議長に交通部職員 . I A L A e-Navigation が就任( 月) なっています。 ための準備を行っています。今後、今年 月に予定さ がとうございました。 .交通政策審議会航路標識・情報提供等小委員会で 月) 写真- 7 【航路標識小委員会】 2 月 日、フランス(パリ)で開催された第 回国 際航路標識協会(IALA)理事会において、同協会 12 総合的に活用した次世代の航行支援システム 委員会は、国際海事機関(I IALAの e-Navigation MO)が進める既存及び新規の電子航行支援設備等を IALAの常設技術委員会の議長の就任はアジアか ら初となります。 野口課長補佐の就任が決定しました。 委員会の議 常設技術委員会の一つである e-Navigation 長として海上保安庁交通部企画課国際・技術開発室の 63 の審議( 交通政策審議会に審議 を付託した「船舶交通の 安全・安心を目指した第 三次交通ビジョンの実施 のための制度のあり方」 の う ち、 「航路標識を活 用した安全対策の強化」 は、海運業界の代表者等 13 10 の有識者で構成される同 10 12 た。昭和 月 日 時零分、北海道焼尻島灯台の放送を最後 に灯台からの無線による気象通報業務は終了しまし 結果を航路標識法施行規則やガイドラインに反映する 小委員会では、航路標識法の改正に伴う具体的な制 度の運用に係る基準等が審議され、交通部では、その 年 月からの合計 業務の一部廃止については広報を行うとともに海上 保安庁ツイッターでも次の内容を発信したところ、非 常に多くの反響がありました。 年の歴史に終止符】 10 れている部会において、結審内容が報告される予定と 【 27 年の開始以来、永年に渡りご愛顧賜りあり 12 24 審議会の「航路標識・情 — 36 — 30 67 9 9 の実 e-Navigation 現に向けて主導的 な役割を果たして 写真- 8 【第63回国際航路標識協会理事会】 います。 野口課長補佐の 議長就任は、航行 援助分野における 国際活動に対する 海上保安庁の取組 きIALAの活動 — 37 — み及び同氏の同委 員会副議長として の実績が評価され たものであり、海 の航路標識当局と 上保安庁としては ( e-Navigation ) に つ い て、 航 路 標 識 当 局 の 立 場 か ら の検討、IMOへの提案等を行うために設置されてい 協調して、引き続 装 置( A I S ) や V D E S(VHF に積極的に貢献し ていきます。 Data Exchange )の技術基準に関する国際的な勧告等の作成 System を行っています。 他のIALA加盟 る技術委員会で、GPSの脆弱性対策、船舶自動識別 図- 2 【国際航路標識協会の組織体系】 海上保安庁では今年 月に「VDES開発のための IALAワークショップ」 を東京において開催する等、 2 ) が多く、こませ網漁やさわら流し網量などの漁業が盛 海上交通の要衝です。また、水深も ~ mのところ 備讃海域は岡山県と香川県に挟まれた海域であり、 東西約 ㎞、南北約 ~ ㎞の多島海域で、古くから 行きました。 多津町所在の備讃瀬戸海上交通センターへ部署見学に 海上保安学校航行援助教官室 海 上 保 安 学 校 だ よ り(その 夏季特別日課を利用した部署訪問 夏季特別日課中の学生は、海外研修に行ったり、地 元に戻り家族、友人達と一緒に過ごすなど、それぞれ 年生にな ると休暇を楽しむばかりではなく、自分が現場に配属 んに行われている海域です。このような海域において、 の夏季特別日課を楽しんでいます。ただ、 となったとき、どのような職場で働くことになるのか 関連付けて説明をしていただいたためとても分かりや 管制課の業務を体験しました。運用管制課での担当は 初めに午前中、オリエンテーションで備讃海域の特 徴や航路しょう戒船についての説明を受けた後、運用 触れて体験することができました。 備讃瀬戸海上交通センターがどのような業務を行って すく、また、実際に船舶の動向の分かるレーダーの映 期の女性の方で、学校の授業と 、夏季特別日課を利用し、わたしは 月 日(木) 第六管区配属予定の海上保安学校学生として、海上保 情報システム課程第 安業務を体験することにより現場で必要な知識を習得 情報システム課程第 期 瀬谷 里佳子 部署見学「備讃瀬戸海上交通センター」について が気になってくるものです。ここでは、夏季特別日課 30 いるのか詳しく教えていただき、また、実際に機器に 10 15 像や、AISも操作させていただきました。静的情報 24 し、今後の勉学に役立てることを目的とし、香川県宇 4 22 — 38 — 2 10 を利用し職場訪問した学生のレポートを紹介します。 2 90 3 8 (船名・船の長さ等) 、 動的情報(位置・針路・速力等) 及び航海関連情報(目的地・到着予定時刻等)が船舶 を選択するだけで閲覧することができました。学校で はこういった機器を実際に配属される海域の映像を見 ながら使う機会がないため、有意義な時間を過ごせま した。 午後は、情報課の業務を体験しました。常に最新の 気象データに更新し、提供することで海難を事前に防 止することができ、FAXやラジオ放送の原稿の変更 の操作を行いました。また、現在ラジオ放送では読み 上げている音声も聞きました。 つのパソコンででき ることをあえて 台のパソコンで分散して行い、機器 1 が故障した際の対策を取っている等の状況から、情報 提供の重要性を改めて感じました。現場に出ると陸上 勤務でも船艇勤務でもパソコンは必ず使います。現場 に出て数年たてば、海上交通センターの情報課に配属 となる機会も考えられるため、今のうちからパソコン の知識をつけていこうと思いました。 次に、整備課の業務を体験しました。整備課では、 機器の整備・管理を行っており、海上交通センターの — 39 — 3 機器の心臓部で、機器のほとんどが故障の対策として 写真- 4 業務概要説明 写真- 2 運用管制課の説明 上げソフトを利用しているということで、実際に読み 写真- 3 情報課の説明 写真- 1 業務概要説明 度に設 で重要な点を知ることができました。卒業まで か月 を大切に、時間を少しでも無駄にしないよう、これか 二重化されていました。その他にも、室温を 定し、湿気への対策を行っていました。また、備讃瀬 らも勉学に勤しみます。 松所管のため除く。 )のアンテナ等機器の管理を行っ ています。そのため、例えば下津井で異常が確認され るのか把握しておく必要があると感じました。 うなトラブルが完成図書のどのあたりに記載されてい ければ意味がないため、トラブルが起きる前にどのよ ラブルが起きた際、何が原因かということがわからな こにつながっているのかということがわかっても、ト とができましたが、疑問点も多くあります。機器がど 在学校で行っている授業内容と関連付けて見学するこ と思っていたので驚きました。整備課の業務では、現 その後、 班に分かれ、整備課、情報課及び運用管 制課のそれぞれで実習を行いました。 当日はセンター所長への表敬後、センターの業務概 要説明が行われました。 ました。 に現場を見ることができるこの実習を楽しみにしてい 学生達は事前に元運用管制官の教官から海上交通セ ンターでの業務について説明を受けていたため、実際 ました。 月 日(木)、 日(金)、情報システム課程第 期生は、大阪湾海上交通センターでの校外実習を行い たら下津井に行き、整備を行うということをこの部署 部署見学に行くことで、備讃瀬戸海上交通センター に配属となった時の育成の流れが、どんな業務をする 期の方とお話 かといった詳しい動きを把握することができました。 期及び第 24 は、管制業務に関することを説明していただいた後、 26 船舶がふくそうする明石海峡航路の状況を見学しまし 25 しすることもでき、現在、学校で勉強している内容と また、情報システム課程第 見学で聞き、海上交通センター内の機器の整備だけだ 淡路島初上陸(情報システム課程第 期生 の大阪湾海上交通センター業務実習) 戸海上交通センターでは、備讃海域全て(地蔵埼は高 7 24 整備課では施設や機器に関すること、情報課では航 行船舶に対する情報提供に関すること、運用管制課で 4 8 関連付けて説明していただきました。そのため、より 3 — 40 — 22 た。 22 自分にとって必要な知識、これから勉強していくうえ 21 また、運用管制官が実際に 訓練で使用するシミュレータ ーによる実習も行われ、運用 管制業務の難しさを肌で感じ ました。 説明していただいたセンタ ー職員の方も学生達の実習に 対する高い意欲を目の当たり にしたためか、説明にも熱が — 41 — 写真- 3 運用管制課での実習 写真- 5 大 阪湾海上交通センター所長 と記念撮影(第24期B) 入り、その結果、予定時間を 超えてしまい質疑応答の時間 が少なくなってしまうほど、学生にとって実りの ある実習となりました。 最後になりましたが、大阪湾海上交通センター 職員の皆さま、情報システム課程第 期生の実習 のほどよろしくお願いします。 海上保安学校では質の高い学生の輩出を目指し 教育していきますので、引き続きご支援、ご協力 うございました。 のため、お忙しい中多大なご協力を頂きありがと 24 写真- 1 情報課での実習 写真- 4 大 阪湾海上交通センター所長 と記念撮影(第24期A) 写真- 2 整備課での実習 追伸 引率教官の談 実習の予定時間もオーバーしたなか、質疑応答の時 間では教官の「質問があるかな?」との心配もよそに 学生全員が質問の手を上げたので、引率した教官とし てもほっとした反面、 「このままでは舞鶴に帰る時間 が……」と内心では焦っていたのは言うまでもありま せん。 いかがでしたでしょうか?これで海上保安学校の紹 介は終わりになります。これからも時季折々の出来事 を皆様にご案内させていただきますので、ご一読のほ どよろしくお願いします。 — 42 — 明 治 の 灯 台 の 話( 番 外 編 ) 灯台研究生 かかるように砕けて、砕けた浪がどどどと狂うとみる うちにボートは一瞬のうちに波底へまき込まれて、も う浪の上へ浮かんでは来なかった。 三秒、四秒、五秒……治江は顔色を変えながら息を 殺して神に祈った。 ぼく 夫! ボート! 命! 死! 治江はもうじっとし て岸にいることが出来なかった。 らないで下さい、旦 「奥様、どうかそんな無理を仰 那様の腕でも漕ぎきれなかったこの高潮が…」 おっしゃ 「朴さん、舟を出しておくれ、私をのせてあそこま で…あそこまでやっておくれ。ね、やっておくれ!」 波は踊りかかるように岩に砕けて高く飛沫をあげな がら治江の裾を濡らした なら、私一人で行くよ。さ、早く舟の用意をしておく わず眉を曇らせた。 れ。」 度か海中に身をおどらせようとする治江を小使の ぼ幾 く 朴さんは固く固く抱き止めた。 「奥様! 奥様!」 った… しろ夫を呑んだ同じ怒濤の中に突き進んで殺されたか 夫の危険は妻の心を狂いおおせてしまった。治江は いたずら 最愛の人の身を案じながら岸で徒にもだえるよりもむ ひとときばかりたった、それが小半日のようにさえ 治江に感じられた。 間に隠されてしまうこともあった。 風は吹きまくる、浪はいよいよ荒れつのってきた。 ボートの姿はもう黒い一点になって、ともすれば波の 「いいよ、お前は命が大切なのだろう。しかし私に は旦那様は命以上だもの。お前がつれてってくれない 「奥様、ひどく荒れますね」 いつのまにか主人の身を案じて岸辺へ降りてきた小 ぼく 使朴さんも波の色がだんだん変わってゆくのを見て思 若い燈台守の哀れな殉職(前篇から続く) (八尾島灯台の夫婦の殉職の新聞記事より) 八尾島 (パルミド)灯台 (後篇) − 「あっ!」 突然、治江は驚きの悲鳴をあげた、大きな浪が崩れ — 43 — − 「奥様…」 「もう駄目かしら…」 げようとする衝動に激しく駆りたてられた。 夕闇が潮と共にひたひたと迫ってきた…。 最愛の夫の命ももう駄目だろう―治江は小使の腕に 堅く制せられながらもなお絶望のあまり海中に身を投 に涙の痕が淋しく光って見えた… 薄気味悪く大空に拡がった暗雲の裂け目をもれる魔 色の残光を受けて、死人のように蒼ざめた治江の双頬 ひろ 浪かに嘆く女、治江の天に叫び海を恨む悲しい姿は涙 が涸れはててもなお波打ち際を離れなかった。 写真- 1 今日の八尾島の全景 (韓国 八尾島観光サイトより) 希望の言葉は続かなかった。 海面はいよいよ暗くなる。 灯だ! 忘れてはならない燈台の任務。 治江は決然として磯を離れた。 カチカチ、カチカチ……曲りくねった階段を昇って ゆく時の足音。これも夫と二人で昇ってゆく時は淋し いとも思わなかった。それが今は暗い、気味悪いまが こだま りくねった階段、怪しげな海鳥の声が空洞な燈台の中 へ通り魔のように木魂してくる。冥府へ通ずるような 恐ろしさ。治江は岩に砕かれ血にまみれた夫の顔を闇 の中に思い浮かべた…。 やがて燈台に火はあかあかとともされた。 狭い燈火室を去らなかった。 をよもすがら灯にこがれてあくる朝は死んで 夏のむ夜 し むし ゆ く 蟲、 ち ょ う ど そ の 蟲 の よ う に 治 江 は そ の ひ と 夜 白く光に照らされた波頭にぼっつり黒いものが浮か ぶとき、もしやと思っては眼を輝かせた。 夜は明けた。 海は、しかし、夫を妻の許へかえそうともしなかっ た。 正午過ぎ、幸い仁川港へ入る船影を認めたので燈台 からは昨日の出来事を信号して水上警察の応援を求め — 44 — 「私の行く途はたった一つだ、夫の行った途だ!」 貞淑な妻治江は燈台の上から白く砕ける太洋の波の 上に身を躍らせた。 みち その次の日一日中海上を探した警察艇は空しく引き 上げた。 高く、玉と飛ぶ水沫、それが二十五歳の若妻を弔う この世の最後の手向けとなった。 みち そして四日目には警察署長と一隊司令官からの感謝 状を持った艇が弔問のために八尾島の岸についた。 た。船からは快諾のしらせがあった。 「何分にも御承知の通り潮が速いので、遺骸を発見 することが出来ませんので…」 ×× ×× 遠く夫を追うて行ったのか治江の屍も遂にあがらな かった。 われひとりしづ心なくさまよいぬ 白波よせてくだくる波辺 そのときよ、波のまなかにささやける やさしき言葉われききぬ ―ハイネ― この新聞記事は、燈光会保管の個人寄贈のスクラッ プ帳に挟まれていたものです。 回に分けて連載され ていたもので、次の手書きのメモが添えられています。 昭和三・八・四 大 阪朝日記事付録 朝 鮮朝日南鮮版 昭和二・五・八日の出来事 谷山定一、妻さよ 八尾島灯台殉職事故が起きた 年後に、偽名を用い — 45 — 海事出張所長の言葉は同情に慄えて低かった。 「そんなことは決して御心配下さいますな。それよ りも、これは主人がいなくなってから以来の燈台日誌 と報告書でございます、行き届かない点が多いことで しょうが一応御調べ下さい」 治江は燈台管理人の提出すべき報告書を出張所長の 前へ置いた。 かの夫、この妻、そのいづれ劣らぬ雄々しさに出張 所長の胸は張り裂けそうであった。 港から来た人々は帰って行った、治江は今まで堪え てきた悲しさを残りなく泣くために燈台に昇った。 世の中でたった一人の私の人! それを海は遠く遠 くもって行ってしまったのだ… 海! 海! 最愛の夫の眠る海! ああ、夫の呼ぶ 声が聞こえはしないか… 3 1 て日本で報道された新聞記事でした。 また、昭和 年 月号の燈光では、萩原氏はこの殉 職事故に関して次のとおり記しています。 事故が起きた当時、 メディアで大きく取り上げられ、 話題となった後もなお反響が続いていたことが確かに ト)灯台と併設の韓国灯台博物館の見学会も組まれ、 既に日本人が関与した明治期の韓国の灯台についても つたな 並行して調べていました。また、韓国語にも以前から 興味があり、学芸員をはじめ多くの韓国人と、拙い韓 国語で懸命にコミュニケーションを図った懐かしい思 定及び技術提案に関する会議への参加が最初の訪韓で 同地にて開催されたロランCとDGPSの日韓共同測 した。しばらく韓国語とも疎遠になっていたため、何 連れていって欲しいと昨年頃から強くせがまれていま その後も韓国語は時々思い出したようにやり、その 様子を見ていたせいか、韓流に夢中の娘から、韓国に い出があります。 した。滞在期間中、韓国を代表する虎尾串(ホミゴッ 岸の蔚山(ウルサン)と浦項(ポーハン)への出張、 1 国の明治期の灯台について情報交換を行いました。こ 見学後に同博物館の学芸員へ、個人的に調べていた韓 八尾島灯台へ到達するまで み 記されていました。 た。 の明治の灯台の話を書き始めて 年後でしたが、当時 写真- 2 虎尾串(ホミゴット)灯台と韓国 灯台博物館(平成17年11月撮影) ちた八尾島灯台、 胸を打つ悲話といくつもの謎に充 その灯台に今年の夏いよいよ訪ねることができまし 談として放送までされ、後日種々の風説を耳にした ったと言ふので 八尾島事件は若ひ妻君が夫の後をと追 うだい 非常に同情され、京城放送局から燈臺守夫妻の殉職美 10 韓国は、約 年振りの再訪でした。平成 年の秋、 今は無き航路標識測定船「つしま」に乗船し、韓国東 17 — 46 — 14 10 1950年、韓国戦争が勃発して韓国が歴史の闇の 中に入ったとき、暗い海の中に光る海の道しるべの役 度も先延ばしをしていると、いつの間にか家族から嘘 つき呼ばわりされ、今年の夏に意を決して、パスポー 目を果たし、「仁川上陸作戦」を成功に導いた場所が 日目 尾島」です。(じゃじゃ~ん!) ありました。それが、韓国初の灯台のあるここ、「八 いんちょん 人でソウルへ行くことにしまし トも取り直し、娘と 日の た。当初は各地を巡るソウル観光も計画しましたが、 娘の興味はファッション&コスメ、 泊 1903年 月に光が入った韓国初の灯台がある八 尾島は、南北に二つの島が砂州でつながり、まるで八 名が付きました。 4 月の 10 いんちょん 地方文化財第 号に指定されています。八尾島は一般 1 しているだけで、島民も居ない土産物屋もない、駐屯 ら身近な観光スポットです。島は韓国海軍が数名駐屯 ため、きれいな自然のままの姿を保っています。 した。現在も軍隊が駐屯していて商業施設は作れない 訪問の年を迎え、一般人にも公開されるようになりま インチョン 川港を 時半発の午前 今回の八尾島灯台訪問は、仁 の便で島に渡り、午後 時半発の午後便で戻る、島で インチョン れる静かな島ですが、朝鮮戦争の際に韓国が劣勢に追 ッカーサーが、八尾島灯台から突撃の合図の光りを放 の滞在 時間の十分な灯台調査&島内探索を計画しま い込まれていたとき、仁川上陸作戦を指揮した米軍マ ち、その後ソウルを奪還したという、韓国の記念すべ 2 施設と八尾島灯台と灯台資料館があるだけの自然あふ 人に公開されていませんでしたが、2009年に仁川 40 インチョン を訪ねることは間違いなくありませんでした。 6 八尾島の灯台は韓国初の灯台であり、行ってみたい いんちょん 灯台第 位、韓国の灯台文化遺産第 号、仁川広域市 をお互いの自由行動にして、自分はソウルから遠くな い八尾島灯台訪問を計画するに至ったのです。娘の強 2 の字のように両側に広がっているため、八尾島という 3 い韓国旅行の要望がなければ、この時期に八尾島灯台 2 八尾島灯台がある仁川へは、ソウルから地下鉄で約 インチョン インチョン インチョン 1 分、仁川駅から仁川港まではタクシー又はバスで約 2 期間は 日 便の観光船が出ている八尾島はソウルか 1 1 き島(灯台)であるとされています。韓国の観光サイ した。島への観光船の運営は、現代(ヒョンデ)マリ 人だけ ン開発、カウンター兼務のオフィスには職員 9 トには、八尾島が次のように紹介されています。 4 3 — 47 — 2 分、仁川港から八尾島へは約 時間、 月~ 10 50 行こう!と気を取り直し、自分が日本から八尾島灯台 ほか韓国の灯台を調べに来たこと、船が出るまで小月 尾島灯台跡地に行っていることを告げると、奥から代 表のキム・チェチョン氏が出てきました。実は今回の 訪問前に、八尾島灯台調査のために自分が八尾島へ渡 ること、島の灯台資料館の展示品に関する質問などを 現代マリン開発へメールで送り、キム氏とは何回かや りとりをしていたのです。改めて自己紹介をすると、 キム氏から思いがけない申し出を受けました。「日本 待つ!それよりも問題は、午後便で往復だと島で滞在 氏がオフィスから連絡してくれたおかげで、特別に敷 な鉄の柵で囲まれており物々しい雰囲気でした。キム 建っています。同地に着いてみると、丘の周囲は頑丈 — 48 — から韓国の灯台を調べに来ていただいたのに申し訳な まさ いです。午後の出港までの時間、小月尾島灯台跡地へ は私が案内します」との正に天からの救いの言葉に恐 インチョン 縮しながらも、すぐさま小月尾島灯台跡地に向いまし た。小月尾島灯台は仁川港沖の小月尾島という小さな インチョン 島にあった灯台ですが、現在、小月尾島は周囲が埋め 立てられ仁川港の一部となり、そこが島だったことは 言われないと分かりません。ただし、そこだけが小高 が わ ず か の 時 間 だ け、 灯 台 は 遠 く か ら 眺 め て 終 わ り インチョン 衝撃の通告、 「午前便は予約客が少ないから欠航です」 か!ぼう然とする中、それなら午後の出港時間まで小 地内に入らせていただきました。丘を上るとセンター 4 月尾島灯台(八尾島灯台と同日に点灯開始)の跡地に との全く理不尽な理由でした。これから い丘になっており、現在は仁川港海上交通センターが 日は午後便のみのため、午後 時に来て下さい」との 時前にカウンターを訪れると、 「本 写真- 3 八尾島(パルミド)の韓国版観光パンフレット 時間以上も 1 でした。当日、 9 の玄関前では、センター長のオ・サンボク氏が待って ポなしです。同課を訪れると、課長室で全体ミーティ 通課とほぼ同じ職種です。こちらの訪問も、全くのア 変わっていたこと、記念の場所に海を守る施設が今も 韓国最初の灯台が、時を経てVTSセンターに生まれ の地には何も残されていないとのことでした。 しかし、 当時の絵葉書の写真)があるだけで、当時のものはこ 島灯台に関しては展示パネルに写真(本稿にも掲載の 遷を紹介する展示コーナーに案内されました。小月尾 れていました。さすがに電話で話す勇気もなく、同じ にと同課の電話番号とメールアドレスとともに紹介さ 八尾島灯台の詳しいことはチン氏に問い合わせるよう はチン氏の名前は、今回韓国を訪れる前にキム氏から、 補佐のチン・チョンギュ氏が応対してくれました。実 キム課長に快く招かれ、突然の訪問を詫びた後、課長 ングが行われており、少々緊張しながら待っていると、 インチョン 階に設けられたVTSと仁川港の変 立っていることを、その地で確かめられただけでも十 職業人へ私的な旅行の目的で問い合わせることに気が おり、センター 分満足でした。センター長に謝辞を述べ、次にキム氏 引け、チン氏とは何の連絡も取りませんでしたが、キ の大所帯、釜山に次ぎ韓国内で 番目に大きい航路標 40 八尾島灯台に関しては、チン氏から分厚い報告書が 提示されました。表題は「パルミド灯台 補 修整備実 施設計用役報告書 2 015・ 」と題した、昨年秋に を助けてくれました。 しており、英語も堪能で、愚生との拙い韓国語の会話 識課でした。チン氏は、IALAの国際会議にも出席 2 10 インチョン は、仁川海洋水産庁航路標識課へ向かってくれました。 ム氏から仁川海洋水産庁へは愚性の情報は既に入って インチョン こちらは八尾島灯台を保守管理している韓国海洋水産 インチョン いたようでした。 川海洋水産庁航路標識課は、仁川港周辺海域の航 仁 路標識の保守管理を行っており、支所を含め職員 名 インチョン 部の出先機関です。愚性が現在在籍のY海上保安部交 写真- 4 仁川港海上交通センター — 49 — 1 作成された八尾島灯台の補修工事実施計画及び現状調 査報告書でした。そこには、補修工事の計画図ととも む 残 る 基 は 石 造 の 塔( stone tower )と明記されて いました。また、灯台の構造に関する調査報告は次の とおりまとめられていました。 近年実施したパルミド灯台に対する構造体成分調査 では、鉄筋がない無筋コンクリートであると報告され ている。この調査結果と様々な記録を見ると、パルミ ド灯台は最初の建立当時からコンクリート構造であ る。この事実を把握していたにも関わらず、韓国灯台 表(1907年)には、なぜレンガ造となっているか との点については、今後もさらに研究が必要である。 ・ 付けの英国副領事官の報告書に次のとおり記さ そして、灯台の設計者については、やはり記録がな く分からないとのことでしたが、建設業者は1902・ The contractors for the lights and storehouses are the Japanese firm of Ishikawa and Company: ( not payable until the contract price is Yen 40,000 ) completion of contract — 50 — 3 れていました。 19 に、愚生が探し求めていた八尾島灯台の古い写真や設 置当時の英文の報告書、灯台の構造に関する資料がま とめて掲載されていました。まさに八尾島灯台の謎の 真相が記された報告書でした。 基とも竣工してお 6 写真- 5 (上)同センター 1 階展示コーナー、 (下)センター長 オ氏(右)キム氏(左) 先ずは、灯台の構造については、点灯開始前の19 02・ ・ 付けの英国副領事官の報告書に、当時既に 灯台本体は八尾島灯台をはじめ 7 )だけはコンク り、八尾島灯台( Round island Light ) 、小月尾島灯台を含 リ ー ト 造 の 塔( concrete tower 4 10 灯台と倉庫(付属舎)の建設請負業者は、日本の石 川アンドカンパニー商会である。 契約金額は四万円 (工 事が完了するまで支払われない) 灯台の建設工事は、日本人が行っていたようです。 チン氏からは、 恐らく英人技師ハーディングが設計し、 日本人技師石橋絢彦の指揮により建設工事が進められ たのではないかとの見解が述べられました。この他、 八尾島灯台に関する愚生の質問に対するチン氏の回答 いる ・設置当時の図面や写真がない理由 →見たことがない →分からない ・日本人が居た痕跡、墓碑や石碑などの有無 — 51 — は次のとおりでした。 ・灯台の両脇に連なる石壁の設置目的 →分からない ・灯台にレンガが使用されているのか →レンガは全く使用されていない(見当たらない) ・灯台の石材の生産地 →分からない ・灯台職員の官舎の場所 設置当時の場所は不明、現在は灯台から離れた場 → 所に旧灯台事務所と軍の駐屯施設がある ・古い記録文書の保管の有無 当課にはない、八尾島の灯台歴史館で保管されて → 写真- 6 (右)パルミド灯台補修整備~報告書、(左上)同報告書の記載、 (左下)仁川海洋水産庁航路標識課 チン課長補佐 以上、多くのことが未解明のままでした。これら愚 問にも嫌がらず真摯に答えていただいたチン氏にお礼 ており、八尾島着岸時は、もう駄目かと思うほど何度 も接岸をやり直し、上陸したときはすでに午後 時過 インチョン 仁 川 港に戻っている時間でした。そもそも、キム社 ぎ、 当 初 の 予 定 で は 八 尾 島 灯 台 の 調 査 を 終 え て 船 が 長との昼食を終えたのが出港時刻の午後 時間近く遅れの 時前、しかし乗船者は誰も 1 の八尾島への観光船は、やはり日本 外装が金の 鯱 の中古船でした。島内で案内をする 「文化観光解説者」 本からはるばる来たのに残念な姿でした。観光の一団 島に上陸後は、駆け足で灯台を目指しました。しか し、灯台は改修工事中、周囲は足場に取り囲まれ、日 痛感しました。 の感覚やセンスの問題など、日本とは全く違うことを は不釣り合いな大音響での韓国歌謡ショーなど、時間 文句は言わない、船の時刻表は無いに等しく、景観と 出港は 時、そして を述べ、何の手土産もなかった代わりに、持参してい 3 た八尾島灯台ほか韓国最初の灯台に関する日本の記録 資料を総てチン氏に渡してきました。 昼食はキム社長から、少しほろ酔いになるほどの歓 待のごちそうをいただき、島内滞在は 時間とのうれ しい約束ももらい、待望の八尾島へ出発しました。 2 の肩書を持つ 名のガイドも同乗し、日本語が出来る しゃちほこ 八尾島灯台訪問 1 て質問しましたが、やはり明快な回答はありませんで 年配のホ・ムヘン氏に八尾島灯台の未解明な点につい 込み、特別に灯台の中に入らせてもらいました。室内 が過ぎ去ったのを見計らい、ホ氏に短時間だけと頼み 船尾には救命胴衣が目立つように山のように積まれ、 井も日本の灯台で見慣れたものとは異なるものでし 上る直梯子があるだけでした。その直梯子も室内の天 ばしご 出港してすぐにキム社長自ら装着し乗船者へ入念な使 た。灯室に上ると、中央には 等フレネルレンズが鎮 ばしご 階 ) は 何 も な く 想 像 し て い た 以 上 に 狭 く、 灯 室 に ( 用説明がありました。出港した船内の 階では、なぜ 1 かす BARBIER BENARD & TORENNE 座 し、 刻 印 は け 号の影響で海は時化 し か韓国民謡ショーが行われ、大勢のハルモニ、ハラボ 6 ジ(おばあちゃん、おじいちゃん)らが一緒に踊った 1 の 文 字 が 微 か に 読 み 取 れ ま し た。 ま た、 灯 室 PARIS のドーム(屋根)を高くしている継ぎ足し部分の内部 りして楽しんでいました。台風 10 — 52 — 1 した。昨年のセウォル号の沈没事故があった教訓か、 3 は板張りでした。この継ぎ足しされて長く伸びた灯室 も、日本の灯台では見たことがない八尾島灯台の大き な特徴です。 わずかな時間でしたが、ホ氏には長く感じられたよ うで、ホ氏から「アンデ、パ ルリ、パ ルリ(駄目、早く、 早く) 」と早く出るよう促され、隣接の灯台資料館へ 移動後も、 一団から外れて一人で回っている日本人は、 やはり怪しく見えたのか、他のガイドにもぴったり付 き添われ、写真も自由に撮影できず、またも「パ ルリ、 点検記録簿、又は灯台経歴簿など、点灯開始当時の灯 離れた海上で殉職者らに合掌し、八尾島に別れを告げ くなく、持参した線香を手向けることも出来ず、島を — 53 — パ ルリ」の連呼でした。 島内巡りの最後は、2014年に岸壁近くに完成の 灯台歴史館へ韓国人一行とともに案内され、朝鮮戦争 のニュース映像を中心とした灯台と島の変遷の紹介ビ デオ見せられた後、展示コーナーでようやく日本から 探し求めていた八尾島灯台の古文書をガラス越しに目 年作成の国有財産異動調書をはじめ大正 にすることが出来ました。しかし、日本管理時代の資 料は、大正 台の様子が分かるものは、 そこにもありませんでした。 ました。 写真- 7 (右上)新旧の八尾島灯台、(右下)工事中の旧八尾島灯台 (左)灯室に残る 6 等フレネルレンズ 島内で日本人殉職者の慰霊碑や墓碑を探す時間も全 どが韓国管理以降のものでした。明治期の当直日誌や 後期からの数冊の財産関係の記録資料のみで、ほとん 15 韓国や中国には八尾島灯台のように、日本人技術者 が設置、又は関与した灯台が当時の面影を残し今も各 地に健在です。それら灯台にも、数多くの知られざる 秘話が残されています。今回、韓国の灯台の歴史を調 べている中で、偶然目にした台湾の灯台に目が釘付け になりました。その灯台は、八尾島灯台と同じ灯台の 脇に石壁が密着して建てられているのです。灯台の名 前は東犬灯台(又は東莒島燈塔) 、1872年に点灯 開始した、中国大陸がすぐそばの台湾の離島に立つ、 韓国の総税務司になっています。彼に依頼され、中国 命され、1893年にロバート・ハートの命を受け、 韓国最初の灯台の設置を指揮したジョン・マクレヴ ィ・ブラウンは、1874に中国広東省の副総監に任 灯台を設計したのではないかというチン氏の見解は、 かは判明しませんが、英人技師ハーディングが八尾島 石壁が果たして東犬灯台と同じように防風壁だったの 東犬灯台の石壁は、官舎から灯台へ向かう際の風除 けのための防風施設だとされています。八尾島灯台の — 54 — 台湾本島から一番遠い灯台です。この灯台は、ロバー ト・ ハ ー ト の 指 導 の 下、 デ ビ ッ ド・ ヘ ン ダ ー ソ ン から灯台技師ジョン・レジナルド・ハーディングが韓 八尾島灯台の印象と今回の様々な調査記録を見ていく )が設計したイギリス人による ( David.M.Henderson 台湾初期の洋式灯台と紹介されています。 国に来ています。ハーディング技師は、日本統治時代 と、愚生もそう思わずにはいられません。日本の明治 が ら ん び 期の灯台を通して、日本を含むアジア各地の灯台がネ しています。この ットワークのように次々とつながっていく灯台の歴史 人の英国人は、皆同時代に中国で 写真- 8 台湾 東犬灯台と石壁 以前の1883年に台湾を代表する鵝鑾鼻灯台を建設 過ごし、灯台のキーワードでつながっています。 4 に興味が尽きない今日この頃です。 最後に、前記の「パルミド灯台 補 修整備実施設計 用役報告書 2 015・ 」に見られる八尾島灯台の紹 介文を記し終りにいたします。 インチョン 川市有形文化財第 号で、我が国 パルミド灯台は仁 に導入された洋式灯台の最初であり、韓国初のコンク こうし (始まり) リート建築物である。近代の象徴と云える西洋式灯台 40 (韓国の)国家文化財の価値をもつも の 嚆 矢 として、 のである。 — 55 — 10 あっぱれ灯台復 旧 事故発 生 の 連 絡 か ら 復 旧 準 備 ま で 北海道へ大きな被害をもたらした台風も過ぎ、心配 した灯台の事故もなく「ホット」していた矢先、連休 た。 「 え っ! 消 灯!」 と 思いつつ大谷課長は、通 報者からの情報を再確認 し、手順に沿った対応で 次長、部長へ報告のうえ、 第一管区海上保安本部へ 一報を入れた。 しかし、電話の内容か ら消灯していることは間 違いないと思うものの確 図- 1 室蘭保安部管理標識エリア 室蘭海上保安部交通課 実な対応をとるため、夕刻再確認を行なったうえで現 場対応にあたることとした。 夕刻、間違いなく消灯していることが確認されたた め、現場調査を含めた復旧のための準備を開始した。 職員による復旧の現場対応 事故の連絡を受けた翌々日、復旧に必要な予備品(灯 器、バッテリー)、仮灯等を準備し、大谷課長と小野 寺官が朝一番で静内漁港の現場へ向かった。 現場到着後、灯器を確認のところ、「これは酷い! 何だこれは?」 何と、灯器のフードが無残に割れ、なかに水が溜ま り、さらに灯器のなかに釣りの錘が残っていた。また、 太陽電池パネルにも何かがぶつけられた放射状のひび 割れを発見した。 これは紛れもなく人災、事件であると確信し、大谷 課長はすぐさま同行した小野寺官と伴に地元警察署へ — 56 — 明けの 月 日(火)の朝、管内の灯台監視協力者か 11 ら「静内漁港の灯台が消えている!」との連絡が入っ 10 出向き、届出を受けた警察 官がそのまま現場に赴き現 場検証が行なわれた。 あっという間に現場到着 から約 時間以上が経過。 「 仮 灯 設 置 の 応 急 復 旧、 急がないと間に合わな い!」 了。 この間、本復旧に時間がかかることを予想した大谷 課長と小野寺官は、太陽電池とバッテリーが正常に機 能している点に着眼し、持参した電池式の仮灯配線を 脱着したうえ本灯の電源に接続しており、現場での機 転を利かした対応である。 灯器の自作復元 翌日破損した灯器を持ち帰って再確認するが、とて も再使用出来る状態になく、現有保管の予備灯器もボ ルトの取付ピッチが合わず、なお且つ灯器の高さが違 うため部署としてはお手上げ状態となった。そのため、 本部整備課を通じて同型灯器を照会したが製造年度が 古く、予備品が存在しないことが判明した。 巡視船機関科出身の 小野寺官、それで引き 下がるわけにはいか ず、早期復旧を行なう ための方策をあれこれ 思案しつつ灯器の構造 をあらためて確認し、 「 筐 体 は 使 え る! パ ー — 57 — ここからが、同行した小 野寺官との腕の見せどこ ろ。破損した灯器を取り外 し、仮灯を取り付ける作業 を開始。 「残すところあと数時 間! 時間との 勝負! 日暮れ までに何とか仮 人の 灯を!」と、息 の合った 作業で日暮れ間 近のギリギリセ ーフで作業完 写真- 4 試 行 錯 誤 で パ ー ツ の組立 写真- 2 損 傷した太陽電 写真- 1 灯 器 の 中 に 釣 池パネル りの錘 写真- 3 仮灯設置完了 3 2 ツがあれば組み合わせて何とか……!」と、倉庫に保 官と小原管理官の 名で現 年目の新人の居倉 管していたパーツを試行錯誤のうえ組み合わせたとこ 場復旧にあたった。 に加え ろ 見 事 点 灯! こ れ に フ ー ド を 被 せ て 自 作 灯 器 の 完 器取り付け→太陽電池取り 灯、太陽電池取り外し→灯 成! 現場到着後、 名それぞ れの作業を確認しつつ仮 しかし、これだけでは未だ安心できないため、バッ テリーを接続のまま一昼夜の点灯試験を行い、灯質、 付け→各配線作業→点灯確 認と、手際良く作業を進め、 時 分に復旧完了。 40 復旧作業はトラブルもなく 人の連携プレーで見事 日没前に復旧し、これも前日を含めた作業の段取りと チームワークの勝利である。 〈事故発生から復旧まで〉 日(火)消灯連絡 — 58 — 3 3 写真- 8 灯器取付け完了 写真- 9 太陽電池取付け完了 写真- 6 復元した灯器 2 配光に異常がないことを確認し、見事再使用可能な状 態に復元させた。 18 何と驚き! 月 日(金)に灯器を持ち帰ってか ら、土日を挟み 日(月)~ 日(火)の僅か 日で 灯器を復元した。 現場本 復 旧 月 11 14 灯器を修復した翌日、事故発生に対応した小野寺官 写真- 7 現場復旧作業 3 16 写真- 5 損傷した灯器 2 10 17 10 月 月 月 月 月 月 月 日(日)休日 日(土)休日 日(木)仮復旧 仮灯設置 日(金)障害灯器等保安部に持ち帰り 日(水)復旧準備 月 月 ものであり、今 復旧に繋がった だことが今回の う諦めない挑戦 日に灯 の心で取り組ん 日(月)灯器修理 日(火)点灯試験 台記念日を迎え ったのは、何よりも事故を担当した小野寺官を含めた 事故発生の状況から、復旧まで長引くことが予想さ れた今回の事故で、比較的短期間のうちに本復旧に至 を駆使し、守り抜いてきた「守灯精神」とも思える灯 け、持てる技術 成らぬ何事も、成らぬは人の為さぬなりけり」の諺の 昨今標識保守の省力化が進められ、職員の保守技術 の低下が問題視されるなか、 「為せば成る、成さねば 力は賞賛に値するものである。 てるということに挑戦し、そして見事復元させた技術 用することをタブー視する灯器を敢てバラして組み立 台保守の原点を思い起される事故復旧でもありまし 写真-10 無事復旧作業完了 た。 復旧完了! やったぞー! 交通課職員の標識復旧への責任感と熱意によるもので の如く手を掛 諸先輩が我が子 までに数多くの ましたが、これ 1 日(水)本復旧 11 あり、また、汎用品としての扱いから修理してまで使 最後に ! 月 19 18 17 16 15 14 13 12 如く、技術力の低下以上に、 「何とかしよう!」とい — 59 — 10 10 10 10 10 10 10 10 のぼれる灯台 introduction 今月は… ★ 潮 岬 灯 台 ★ 潮岬灯台は、本州最南端の灯台であり、さらに、我 が国最初の洋式木造灯台です。野島埼灯台と同じく(本 誌H28.7月号参考)江戸条約で建設を約束された灯台 の 1 つで、この沖合いは潮の流れが速く、風も強いた めに航海の難所であり早急に灯台を要しました。明治 2 年 4 月に起工され同年12月に東支那海で沈没事故が あり、明治 3 年 6 月10日に仮灯が点灯されました。そ して、明治 6 年 9 月15日木造八角形 3 層櫓型の灯台は、 第一等反射鏡(19個)の本灯を点灯しました。木造としては、これに匹敵するも のはない堂々たるものでありましたが、惜しいことに耐久性がないために早くも 石造に建て替えられ現在に至っています。歴史的、文化的にも価値が高く、明治 期の灯台では評価「Aランク」 、近代化産業遺産にも選ばれており、2018年には 本点灯から145年を迎えます。潮岬から東側の熊野灘に面した地域は、吉野熊野 国立公園の指定地であり、また、海の中に四季があると言われ、世界最北のサン ゴが生息する海でもあり、串本沿岸海域がラムサール条約登録湿地に認定されて います。また、灯台付近には、潮御崎神社が建立されておりましたが、灯台の改 築に伴い神社が移転されました。この神社が今地元で話題のパワースポットとな っているようです。そしてこの度、潮岬小学校の児童によりスイミーの壁画がリ ニューアルされました!見所満載の潮岬へぜひ訪れてみてはいかがですか! ** 概 要 ** 所 在 地 位 置 灯質(光り方) 光度(光の強さ) 光 達 距 離 高 さ 塗 色・ 構 造 レ ン ズ 設 計 者 着 工 竣 工 初 点 灯 参 観 開 始 ア ク セ ス 和歌山県東牟婁郡串本町潮岬2877 北緯33度26分15秒 東経135度45分16秒 単閃白光 毎15秒に 1 閃光 970,000カンデラ 19海里(約35キロメートル) 地上~灯塔頂部 22.51メートル 平均水面~灯火 49.47メートル 白色 円形 石造 LBH-120型灯器(Lighthouse Beacon Halogen 120cm) リチャード・ヘンリー・ブラントン 明治 2 年 4 月 現在の灯塔 明治10年 5 月 明治 3 年 6 月10日 〃 明治11年 4 月15日 明治 6 年 9 月15日 昭和34年 4 月15日 バス:JR紀勢本線「串本駅」~「潮岬灯台前」下車 — 60 — ♪潮岬灯台の思い出♪ 燈光会 ャラクター マスコットキ ☆ピカリン☆ ~トルコ編~ 奈良より家族 3 人で来ました。あいに くの雨でしたがそれでも眺めがきれい でした。串本で買った、かりんとうま んじゅうを食べながら観光を楽しみま した。エルトゥールル号の話がここの ことだと知らなかったです。久しぶり に 3 人で旅行しました。良い思い出に なりました。 山口からこの地に来ました。最南端の 潮岬はとても勇大で素晴らしいながめ でした。トルコとの親友には感心し感 動しました。 いつも主人が船から見ている灯台 に来ました!日本の生活を支えて くれている船乗りさんありがと う!船の安全を見守ってくれてい る灯台ありがとう! 普段は、貨物船から見ている灯台 を陸上から見に来ました。 ~船 員 編~ 35年前この灯台を観ながら航海 していました。 船員として長くお世話になりあ りがとう。 思い付きで串本に来ました。灯台の勉強 ができました。良い知識と、情報が得ら れる場所があってとても良い。 ~学 習 編~ 新宮市で海上自衛隊の艦船を見学 し、同じ日に潮岬の灯台を見学する。 海について学ぶ良い一日でした。 海無し県の岐阜から来たので、航路標識 についての知識が少なくとても感銘を受 けた。目印なき海を示すものという以上 に灯台への考えが変わった。 — 61 — ~Birthday編~ 92歳の誕生日に大阪から来ました。感 動し寿命が延びました。 息子の誕生日旅行で来ました。息子と 共に輝き続ける灯台でありますように。 展示室の回転灯と同じ昭和59年に生ま れました。誕生日旅行として来たこと にドキっとしました。海のきれいな、 海鮮のうまい、クジラがかわいいとて もいいところですね。また来ます! 30歳を迎えます。その記念に和歌山に 来ました。長い道のりでしたが、海を 眺め風に吹かれると気持ちがいいもの です。すてきな旅、すてきな30代にし たいと思います。 ~Baby編~ ちょっとした新婚旅行で来ました。 6 月に生まれてくる赤ちゃんはただ いま 8 カ月。天気にも恵まれて良い 旅行でした。 奈良から車で来ました。次はお腹の ベビーちゃんと一緒にきます‼ 産前旅行に来ました。階段急だった。 次は 3 人で来たいです‼ 愛知県日新市から来ました!結婚後、 久々の旅行です。天気も良く気持ち のいい風を感じながら散歩ができまし た。次は、子どもを連れて来たいな~ ~初代潮岬灯台~ 白色八角形木造 3 層櫓型 19メートル 第一等反射鏡(19個)不動灯式 1,250 C.P(Candle Power) — 62 — 燈光俳壇 選 させ、商売が繁盛し、財布も主が現れずに自分のも のとなり、改めて騙したことを謝り、お酒飲む?と いう女房に、「よしとこう、また夢になるといけねえ」 東 京 山 本 五 風 というオチが有名。その落語を聴きながら差し向か 木枯一号出勤のドア押し戻す もいわれる冬の初めの強い北風。いつもの力で出勤 評 「木枯」の語源は「木を枯らす」とも「木の嵐」と いの熱燗のお酒とは洒落ている。 自覚なく進みし老いや今朝の冬 のドアを開けようとして北風に押し戻されてしまっ たのだ。「木枯一号」を上五に置いた詠みが木枯の 畦辿る近道登校北風強し 評 風呂吹きは冬に味を増す大根や蕪などを煮てふうふ う吹きながら食べる料理である。「風呂吹きはいづ 風呂吹きは八丁味噌がうみゃでよ 名古屋 豊 蔵 十四三 到来が予想外であったことをよく伝えていて楽しい 詠みとなった。 木枯や上弦の月研ぎ上げし 夜空には「上弦の月」が光っているのを発見したの れの国にも候へども伊勢の風呂吹きは…」という解 評 出勤の時の木枯は日中に治まり、勤務場所から退出 するころは平静にかえっていたのであろう。澄んだ である。それを朝方の木枯の強風が磨ぎ上げて吹き 説もあるので、名古屋地方は一言も二言もあるので 評 東日本地震に続いて熊本地震が発生し、防災機関の 冬の雨防災服が湯気を上げ あろう。「うみゃでよ」の方言が生き生きしている。 去ったものと見ているのである。 芝浜を聴きて熱燗差し向ひ 評 「芝浜」はあまり働かない酒飲みの旦那と女房の話。 旦那が拾った大金の財布を女房が隠して旦那を改心 — 63 — 訓練のみならず、学校や市町村においても定期訓練 評 橐吾の花は石蕗の花で初冬に咲く。園芸種もあるが、 暖地では自生もありこの句の内容からこの橐吾の花 は治世の花と受け取った。「今年も忘れずありがと を怠らなくなり、報道機関もそのことに注目してい る。この句はその訓練の内容は不明であるが、参加 う」のは作者の郷土への愛が籠められていると思っ た。 石叩き走り日暮の慌ただし 鵙の声朗朗渡る里の朝 守宮の子三寸足らず冬に入る 近 詠 氷柱・スキーその他当季 兼題 十二月訃報メールを転送す 目の前のビルが鏡の枯木立 冬ざくら老の歩みの芝居めく 坂 正 直 者の真剣な動きを捕えて現実感が伝わってくる。 燈光の鮮やかにして冬めきぬ 評 俳句で冬というと十一月八日ごろから次の年の二月 三日までをいう。しかし、現実の天候は暦どおりと 行かないことが多く、自然現象を体感してその到来 を知ることがある。この句は仕事上の灯台の光線が 「鮮やか」と受け取って冬を感じたと言っている。 一夜にて北風の候とはなりにけり 香嵐渓絢爛豪華に紅葉照る 南さつま 坂 本 さだを 味噌を搗く妻の姉さん被りかな 評 私は農村で育ったので、この「味噌を搗く」の作業 を知っている。当時はどこの家でも春には味噌玉作 りをして吊るし干しをして置いて、冬になってこれ を搗き塩と麹を加えて味噌樽に仕込むのである。作 者は、その仕事に励む妻の「姉さん被り」愛情を感 じているのである。 橐吾の花今年も忘れずありがとう — 64 — ○生前は病知らずの妻なりき笑顔の顕ちて涙止まらず 川 崎 吉 田 公 一 選 横 浜 宮 田 昭 燈光歌壇 ○東京湾浮標の一過点滅は往き来する船の安航を祈る ○明日からは独り暮らしになるのかと涙こみあげくち ○妻逝きて拝む朝々仏前の遺影の妻の目のいとほしき る ○逝きし妻の葬儀を終えて弔問の客と話して少し休ま にんふ ○一生に一度の夢は天空に銀河鉄道の舵をとること ○海を恋ふ施律聞きたし水玉の妖女呼びたき夜の航海 ○渡り島序列ありしか蒼穹に間合いをとりて追ふ一羽 あり ギリシャ神話に出てくる山、川、木の精で若く美し では。少年のような純粋さが快い。水玉のニンフは 中でも銀河鉄道の舵をとりたいというのは作者なら 出航の安全を祈っているという一首目。数多い夢の いとおしさにこみ上げてくる熱い涙。「仏前の遺影 せる妻の遺影作者をみつめるその眼差しの優しさ、 故なのか残された作者の涙が切ない。朝々手を合わ 笑顔である。元気で病知らずを自認していたのに何 評 一連は愛妻の挽歌。一つの流れの中に葬儀も終えて 戻って来た独りの部屋。目に浮かぶのは優しい妻の びるをかむ い女性の姿で歌と踊りが大好きという夜の航海を楽 の妻の目のいとほしき」愛に満ちた心の叫びです。 評 東京湾を通るたび目に入る浮標、航海の安全を願い 通過する度点滅するのだ。航路標識としての浮標は しむ術か。遅れて飛ぶ一羽の渡り鳥に序列があるに だろうか。蒼穹の間合いを見上げて楽しい。 しらたきよう子 京 東 ○初雪に覆われていく千駄木の黄葉見上げる心弾みて — 65 — ○合宿の岩井海岸目の前に真白き富士のどどどと迫る 名付けたもの、保養地の近くの灯台で退職前の職員 り、皇室と灯台の関わりは深い。隠居灯台とはよく その資格者を狙う官庁企業の誘いに優秀な若者の退 を慰めたものか、勉強して取得した灯台の無線技師。 ○水茎のあとの色香にむせ返る長恨歌に見入る師の個 展会 職を止められなかった離島や僻地の灯台守の切ない ○尊きはいまこの時間この場所に集う仲間との輪の時 間なる えなくてはならない問題。見晴らしの良い公園と錯 人を集める 桜 沢 つや子 ○人を深く思ひて書きしといふ書家の長恨歌常に と所あり ○淡々と書かれし書家の長恨歌立ち止まらせるひ 白き灯台照らす ○カーテンを洩るるひと筋朝の日がカレンダーの 近 詠 覚するのでしょうと作者のコメントです。 思いを改めて思う。三首目は観光という見地から考 評 観測史上初の十一月の都心の積雪は黄葉の上であっ た。作者のはずんだ気持ちが一首に明るい。二種目 の合宿は書の研鑽のため、千葉県から眺める目の前 の富士山に圧倒された。三種目、水茎のあとの色香 にむせ返ると詠む。長恨歌は玄宗皇帝の寵愛をうけ た楊貴妃の生涯を格調高く詠んだ白居易の傑作で七 言百二十句の長編叙事詩。 北九州市 土 谷 文 夫 ○皇室と灯台の絆深くして能登の埼にも行啓の跡 ○隠居灯台というところありて苦労せし先輩ら最後を 安らぐ ○資格もつ灯台の無線技師たちは引き抜かれゆけり離 島をあとに 見しか ○トイレが無いベンチも無いと灯台を観光客は公園と 評 能 登 半 島 の 禄 剛 埼 灯 台 に は 常 陸 宮 殿 下 の 樹 木 が あ — 66 — (本庁交通部主催) 官) ◦立川市観光協会主催スタンプラリ ーへの協力 介 ◦来所者が実験・体験できるコーナ ー ◦海上保安協会によるグッズの販売 など、多くのイベントが盛大に催され イムコンサート レネルレンズやビーコン型灯器、電球 航行援助技術課では、第一試験研究 棟加工室を開放し、昨年に引き続きフ ました。 ◦海上保安庁音楽隊によるランチタ よる救助訓練展示 ◦羽田航空基地航空機(MH機)に 部) ◦3D海底地形図の紹介(海洋情報 ◦受験相談コーナー(教育訓練管理 — 67 — 立川」 ◦津波 防災の日に関連したイベント 示した海上保安庁写真展 ◦写真 家 岩男克治さんの写真を展 写真 2 レンズに魅入られる来所者 「20 1 6 海 保 フ ェ ア 開催について 毎年恒例となっています海上保安試 験研究センターの業務紹介及び当庁業 日(土) 時から 15 当日は、天候にも恵まれ、1152 名に来所いただき、 10 ◦ビデ オやパネル展示による業務紹 写真 1 灯台用機器の展示室 in 務の一端を紹介する場として、施設等 の一般公開を 月 15 時まで実施しました。 10 や灯器、電源の変遷に関する展示、開 潮岬灯台壁画 (スイミー) 披露式 平成 年 月 日、148周年灯台 記念日に合わせて潮岬灯台の壁画スイ こ の 度 の イ ベ ン ト を 通 し、 多 く の 方々から海の安全を守る航路標識に対 上誠田辺海上保安部長から感謝状の授 もらった事が始まりで、その後、風化 年 月に同じ潮岬小 年生にリニューアル に再リニューアルをしてもらったもの 年生から また、関西空港海上保安航空基地の 航空機による展示飛行も行なわれ、子 です。 学校 供達は、目の前を飛行する航空機に、 12 年生、最後に 年生 4 14 年生の 3 3 続いて 年生、 3 2 1 1 をしてもらっており、今回は 年振り 大きな歓声をあげて手を振って喜んで 再リニューアル作業は 日に分けて 行なわれ、初日は 年生が下絵を描き、 握手攻めになりました。 記念撮影では、記念品で贈呈したう みまるが、きぐるみで登場すると、子 写真- 1 手を振る児童 いました。 7 ます。 航行援助技術課) 11 が仕上げを行い、 年生から 3 (海上保安試験研究センター 3 14 潮岬灯台の壁画は、平成 年 月に 潮岬小学校 年生から 年生に描いて 1 係各部課から多大な業務協力をいただ 3 した壁画を平成 贈呈しました。 1 供達から「かわいい」の歓声とともに 最 後 に な り ま し た が、『 海 保 フ ェ ア 立川』を開催するにあたり、本庁関 与と記念品にうみまるのぬいぐるみを 小学校 年生から 年生に対して、川 ューアル作業に協力をしてくれた潮岬 ミーリニューアル披露式を行い、リニ 1 )を光 発中のCOB( chips on board 源とした灯器の展示を行いました。 さらに今年は、本館地下 階も開放、 航路標識シミュレータを使用した「夜 間航行体験」と称したイベントを実施 28 する期待や激励を頂戴いたしました。 しました。 11 1 — 68 — 1 いたことに対し、心から感謝申し上げ in 写真- 2 集合写真 名が 匹以上の魚や海の生き物を描 いて、完成させました。 壁画に描かれたスイミーは、小学 年生の国語の教科書に載っている物語 の主人公で、たくさんの小さな赤い魚 匹だけいる真っ黒な魚です。 第 回澪朋会総会及び懇親会の報告 (金)に北九州市門 平成 年 月 日 司 区 の 門 司 倶 楽 部 に お い て、 「第 回 スイミー達が住む海には小さな魚を食 した。 澪朋会総会及び懇親会」が開催されま の中に べる大きな魚が居て、小さな魚たちは、 泳いで海で一番大きな魚のふりをし 恵をしぼったスイミーが、皆で一緒に 識事務所長を退職された平尾豊重先輩 台OB会)で、平成 年に関門航路標 識業務経験者の会(いわゆる七管区灯 1 会長のもと、平成 63 て、大きな魚を追い出す物語で、皆で 隠れて生活していました。そこで、知 大きい魚に食べられないよう、岩陰に 29 「澪朋会(れいほうかい) 」は、昭和 年 月 日に発足した七管区航路標 28 2 協力しあえば、大きな力になることを 11 年 月末の会員数 13 は101名となっています。 「澪標(みおつくし)」の「澪」、友や仲 教えています。 目を楽しませてくれています。 会」 と名付けられています。発足以降、 月ごろに恒例の門司倶楽部で総 間を示す「朋」の字を採用して、 「澪朋 今年で建設から143周年の歴史を 持つ、潮岬灯台とともに、スイミーの 毎年 澪朋会の名前の由来は、大阪市の市 章として採用されている航路を示す 9 このスイミーを題材とした愛嬌のあ る壁画は、潮岬灯台を訪れる人たちの 28 壁画も訪れる人々から末永く親しんで (田辺海上保安部交通課) 頂きたいと思います。 総会では、お亡くなりになった同朋 会及び懇親会が開催されています。 10 — 69 — 10 1 1 29 28 90 前に配っていたことが大好評で、昔々 の学校話で盛りあがったことは勿論で すが、ひとたび灯台守の喉をビール・ 日本酒・焼酎 が通過すれば、昔の苦 労 話( 何 度 も 聞 い た 話 も あ り )、 シ ル バーセンターや介護ボランティアで働 い て る 話( 我 が 老 後 の 想 像 あ り )、 家 の畑で野菜を作っている話(スーパー よ り 立 派 な 野 菜 が で き る ら し い )、 毎 日毎日が暇で暇でしかたがない話(明 日は我が身)などなどのマシンガント ークで大いに盛り上がり、 盛大な宴は、 そのままいつもの恒例のスナックへと 台や沖ノ島灯台を視察した時に灯台の 方の功績や苦労への敬意、水ノ子島灯 願いまして報告させていただきます。 最 後 に、 来 年 も 同 じ よ う に 先 輩 の 方々と元気に楽しい宴が出来ることを 流れていきました。 への黙祷、会長挨拶、会計報告、役員 大変ありがたい言葉をいただいた後、 (第 七管区海上保安本部交通部企画課) 介、記念撮影などが行われました。 「乾杯!」の音頭でスタートしました。 宴のテーブルの上には、参加者の海 上保安学校時代の若かりし顔写真を事 今年、叙勲を受賞した船島淳一先輩の 懇親会では、会員のOBのほか、第 七管区海上保安本部長、次長、交通部 長、門司海上保安部長、関門海峡海上 交通センター所長及び現役職員が参加 — 70 — etc. 歴史と過去の功績に感動した話など、 して、冒頭に七管区本部長から諸先輩 写真ー 2 澪朋会懇親会の第七管区海上保安本部 長挨拶 等の選解任、新会員、今年の叙勲の紹 写真- 1 澪朋会総会の記念写真 昭 和 三十一 年 一 月 二十四 日 第 三 種 郵 便 物 認 可 平 成 二十九 年 一 月 五 日 発 行︵ 隔 月 一 回 五 日 発 行 ︶ ﹁ 燈 光 ﹂ 一月号 第六十二巻 第 一 号
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