TOBUNKENNEWS no.39, 2009 Column 『 美 術 研 究 』 の こ と 私が大学生だった 1990 年代、大阪大学の日本東洋美術史研究室に入る種々の雑誌のなかで、毎号 目を通すよう言われていた雑誌がいくつかありました。『国華』(1889 年創刊)と『美術研究』 (1932 年創刊)が双璧で、学会誌『美術史』(1950 年創刊)と、『MUSEUM』(1951 年創刊)、『仏 教芸術』(1948 年創刊)がこれにつぐ存在、至文堂(当時)『日本の美術』(1966 年創刊)は単著扱 いで別格、という感覚でした。無知な学生としては、図版を見て楽しむのがせいぜいだったなか、表 紙のストイックさだけでなく議論内容で光っていたのが『美術研究』でした。先生もしくは先輩によ れば、何でも東京国立文化財研究所(当時)というところが出していて、そこは美術史研究者にとっ てある意味理想の職場であるらしい。そこはその当時、美術史学の成立と展開をめぐってムズカシイ ことを考えていて、これが馬鹿にならないようだ。そこの研究者が好きに書いている雑誌なのだから、 これから何を考えるにしても何らかの参考になるんじゃないかと、漠然と思ったものでした。また、 勉強を続けていると過去の文献にあたらなければならない場面が増えます。古ければ古いほど「使え ない」のが常識ですらあるなか、『美術研究』は「これぞ基礎研究」なものにしても「発想勝負」な ものにしても、どうも様子が違いました。私の場合はこうして『美術研究』の愛読者になっていった のですが、逆の道もあったでしょう。他大学で同じことが起こっている保証もありません。けれども、 それだけの存在感を持った学術雑誌がそうあるものではない、ということは言えると思います。 その後、私は縁あって当研究所に職を得、現時点で『美術研究』の編集担当をしています。本誌の 刊行は、『日本美術年鑑』の刊行と並んで、企画情報部のなかで最重要視されている仕事のひとつで、 しかも本誌の名称は当研究所内でその母体・美術研究所の名前を伝える最後の存在となっていますの で、当然、その編集担当ともなりますと、やり甲斐と同時に、内容全般から文字組の細部にいたるま で、諸先輩からのプレッシャーのようなものをひしひしと感じないわけにはいきません。 さて、本誌創刊号(1932 年 1 月)の巻頭で矢代幸雄(美 術研究所主事)は「……現在の規模に於ける美術研究所は、 純粋なる調査機関として、調査研究の結果を挙げ、出版物 その他の形式によつて、之を発表して、社会に貢献するこ とを期するほかはなく、また我国に於ける一般美術研究の 現状、美術行政及び教育の整備の程度、美術上の海外聯絡 の方法等を勘ふれば、美術研究所が美術に関する基礎的調 査に精力を集中して、その結果を社会一般に提供して行く 方が、急務と言う可きである。……「美術研究」の主なる 任務は美術研究所の時報にして、美術研究所機能全部の経 常的報告に他ならぬ。……学界に速やかに発生せられねば ならぬ新資料の紹介、或は内外の美術界美術研究界の重要 事件に関する信頼すべき報道、美術文献の批評並びに紹介 等は、その最も努む可き職責である。……美術研究所は先 創刊号表紙:現行の表紙もほぼ同じ づこの定期的発表を以つて我が美術界の学術的情報機関と 10 TOBUNKENNEWS no.39, 2009 なり、斯界に刺戟を与へ参考資料たらんことを期するものである。……「美術研究」は……また一面、 美術研究所として世に紹介する価値ありと信ずる外部の研究論文をも、登載することに努むるであら う。……斯くの如き学術的発表の機会を作ることは、兎角沈黙勝なる我が美術研究界に、自由討究の 機運を醸成し、溌剌たる新研究の出現を促して、我が東洋美術の製作観賞並びに世界的理解を進むる 上に、新生命を鼓吹する縁由とならぬであらうか。是れ畢竟するに美術研究所の存在の社会的理由に 他ならずして、また同時に「美術研究」編輯の根本方針なることを、発刊第一号に序言する所以であ る」と記しています。 そもそも制度としての「美術」という聖別された概念そのものに問題があり、それを「文化財」 「文化遺産」にスライドさせたところで結局は同じことですので、今やこの矢代の言葉はやや楽天的 に響くかもしれません。本誌の報告内容が当研究所の「機能全部」をカヴァーしているわけでも、も はやありません。しかしながら、それを差し引いたとしても、本誌の責務が今でもほとんど変わって いないこと、こんなことを標榜+実践+蓄積してきた組織と定期刊行物が他にないことも事実です。 今現在、企画情報部の常勤研究者を中心に編集委員会を組織し、隔月で編集会議を開き、掲載内容 を協議・決定しています。本誌に論文等をエントリーしようとする研究者―所内の他部署や所外の研 究者も含まれます―は、これに先立って月例の企画情報部研究会などで研究発表を行います。研究会 では、所外の専門家も交え、時代やジャンルの枠を超えた忌憚のない議論が交わされ、それを受けて 編集委員会で載否を判断します。掲載が決まれば、論証に必要な分量の文章を書くことができます。 研究者がこの手の発表場所に恵まれているとは決して言えない現状で、本誌のこの方針は貴重ですし、 またそうでなければ本誌の責務は果たせないと考えています。 さらに近年では、海外編集委員を置き、外国語で発表された優れた論考の翻訳を掲載しています。 これによって研究視野を拡げ、日本美術の研究を極力相対化しようとしているところです。 またあまり知られていないようですが、本誌は(株)京都便利堂から市販されています(現状 1 冊 2310 円)。ですから一般書店で買えますし、定期購読もできます。本誌は創刊当初から何らかのか たちで市販されていたと思われまして、現在の編集委員会も本誌の「市販研究誌」としての性格に重 きを置いています。つまり、あまりにも些末な情報の羅列やかさ増しの文章など、紀要の類にありが ちなものは、それが編集委員によるものであっても載りません。本誌の内容は現状、結果的にほとん どすべてが企画情報部の研究プロジェクトの成果なのですが、それが内向きに閉じて自己完結してし まわないように、多少の温度差はあるにしても各編集委員が自戒しているところです。 このように本誌に載る文章は、もしかすると査読よりよほど実質的な審査手順をふんで掲載にいた っているわけです。それはおそらく代々それに近いものがずっとあったのでしょう。私が学生時代に 感じた「どうも様子が違う」というのは、どうやらこの付近に起因するようです(その意味で「好き に書いている」というのは語弊があるわけです)。本誌は間もなく 400 号の発行を迎えますが、今後 とも「兎角沈黙勝なる我が美術研究界に、自由討究の機運を醸成し、溌剌たる新研究の出現を促」す 研究誌たらんという気概を保ちつつ、少しでも多くの人に読んでいただけるように日々努力を怠らな いようにしなければならないと思っています。 (企画情報部・綿田 稔) 11
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