宇田川流域 治水計画提案書

宇田川流域
治水計画提案書
平成 27 年 3 月
宇田川流域治水計画策定協議会
まえがき
鳥取県米子市淀江地区を流れる宇田川は、霊峰大山から北西に伸びる尾根と丘陵の伏流
水を源流としています。二大水源である本宮の泉と天真名井は豊かな水量を誇り、清らか
なせせらぎにはバイカモの群落が可憐な白い花を咲かせています。
妻木晩田遺跡をはじめとした古代遺跡も残る集水域の丘陵から流れる水は、奈良時代の
条里制によって整備された水田地域を流れくだり、日本海の砂州として形成された淀江町
(旧淀江町)の中心街を通って日本海に注いでいます。
宇田川は、大雨が降ると、その地形的・地理的条件に加え、市街地の川幅の狭さによっ
て、JR 山陰本線上流域で、また、支川の天井川との合流点で氾濫し、水田地域やその周辺
の住宅に被害をもたらしてきました。近年では、平成 23 年の台風 12 号による洪水で、家
屋 14 戸、作業所 5 戸の浸水が発生しています。
このような水害への対策として、昭和 63 年、鳥取県は、宇田川治水のために、大規模な
河道拡幅を伴う治水計画を立てましたが、地元との調整ができず、宇田川の治水は手つか
ずのままとなっていました。
こうした歴史的背景を踏まえて、鳥取県は、宇田川の河川整備計画の策定に先立って、
平成 26 年 6 月 27 日に、流域住民の意見を踏まえた「宇田川流域治水計画」の策定に着手
し、流域の住民と専門家を委員とする宇田川治水計画策定協議会(以下、協議会という)
を設置して、地域の意見と専門家の意見を踏まえた治水計画案の提案を求めました。
県の要請を受けて、協議会では、宇田川治水の過去の経緯を踏まえ、また流域の実状に
即し、現実的で実行可能な治水計画の提案に向けて議論を行うとともに、住民意見交換会
の開催を通じて広く住民の意見をもとめ、提案書に反映させる努力を重ねました。
他方、事務局の鳥取県は、マスコミとの連携をとりつつ、事業の広報につとめるととも
に、協議会での議論のプロセスと議論の内容を流域住民に周知するために「かわら版」を
発行しました。また、協議会案の骨格が示されてからは、関係各地区に出向き、議論の詳
細について説明し、理解をもとめるとともに、アンケートを実施することで、よりよい提
案書の作成に向けて可能な作業を行いました。
協議会は、事務局での意見聴取の成果も考慮し、平成 27 年 2 月 20 日、協議会案である
本「宇田川治水計画提案書」について協議し、本提案書を鳥取県に回答することについて、
全会一致で合意に至りました。
1
合意の骨子は、淀江地区の市街地の構造に大きな変化を与え、また後背地の水田地域に
塩害を与える可能性のある大規模拡幅や放水路建設は行わないこと、水田地域での洪水の
一時貯留機能の維持と農地として持続的な利活用を両立させること、さらに流下能力の向
上のためにできることを行うこと、浸水被害のある住宅地区には地域住民の合意を前提と
して仕切堤の建設や道路の嵩上を行うこと、流域全体での治水を考慮すること等です。
本提案書は、鳥取県の設置した協議会での流域住民と河川、農業、漁業、まちづくりの
専門家および鳥取県および米子市の行政関係者の協働と合意によって作成されたものです。
協議会は、協議会の責任において本提案書を鳥取県に提案いたします。
鳥取県におかれては、流域住民のいわば総意にもとづく本提案書の意義と重要性を受け
止められ、宇田川の将来のために、
「流域の実状を踏まえた、現実的で実行可能な」治水計
画および宇田川整備計画を策定していただきたいと思います
平成 27 年 3 月 10 日
宇田川治水計画策定協議会
2
目
次
まえがき……………………………………………………………………………………………… 1
1.宇田川流域の特徴……………………………………………………………………………… 5
(1) 地形のなりたち・地質構成 ………………………………………………………… 5
(2) 流域の歴史 ……………………………………………………………………………10
(3) 土地利用 ………………………………………………………………………………18
2.治水上の課題……………………………………………………………………………………23
(1)地形的・地理的な課題…………………………………………………………………23
(2)河川整備計画策定と治水計画策定の手続き上の課題………………………………28
3.宇田川治水計画策定の必要性と意義…………………………………………………………30
(1)河川整備計画に先立つことの意義……………………………………………………30
(2)行政と流域住民との信頼の確保とその上での合意形成の必要性…………………31
4.「宇田川流域治水策定協議会」の設置および協議会による「宇田川治水計画
提案書」策定の経緯…………………………………………………………………………32
(1)宇田川治水策定協議会の組織…………………………………………………………32
(2)提案書作成のスケジュールおよび実施経緯…………………………………………34
5.「宇田川治水計画」提案書の骨子 ……………………………………………………………35
(1)「流域の実状を踏まえた、現実的で実行可能な治水計画」の必要性と、
その確認による淀江市街地の大規模拡幅および放水路案の不採用………………36
(2)市街地背後の農地の水害被害防止と農地としての持続的利活用の両立…………37
(3)低平地に滞留する洪水から市街地を守る工夫………………………………………39
(4)流域全体への配慮としての「流域治水」の考え方…………………………………40
6.具体的な治水計画の実施案……………………………………………………………………41
(1)農地による治水効果の維持と農地の持続的利用の両立……………………………42
ⅰ)塩害対策………………………………………………………………………………42
ⅱ)流木・ゴミの流入対策………………………………………………………………43
ⅲ)湛水区域の開発規制…………………………………………………………………44
(2)家屋の浸水対策…………………………………………………………………………45
ⅰ)道路整備………………………………………………………………………………45
ⅱ)仕切堤…………………………………………………………………………………45
ⅲ)排水路整備及びポンプ施設…………………………………………………………47
ⅳ)ソフト対策……………………………………………………………………………48
3
(3)流れを改善する維持管理………………………………………………………………48
(4)上流森林地域の保水力強化……………………………………………………………49
(5)流域治水に向けた協働…………………………………………………………………50
あとがき………………………………………………………………………………………………51
【付録】
◯これまでの協議会の経緯………………………………………………………52
◯参考文献…………………………………………………………………………62
4
第1章
宇田川流域の特徴
(1)地形のなりたち・地質構成
うだがわ
だいせん
つぼかめやま
こうれいざん
宇田川は、西日本最高峰の大 山 の北麓扇状地の稜線と、先端の壺 瓶 山 、さらには孝 霊 山
ほんぐう
を分水嶺として構成される面積約 16.7km2 の流域です。その流れは、本 宮 の泉の日 3 万㌧
ほんぐうかわ
たかいだに
の豊かな湧水から発して本 宮 川 を下り西尾原で宇田川と名前を変えます。宇田川は、高井谷
ま な い
いずみかわ
てんじょうかわ
おおふけがわ
の真名井の泉から発する 泉 川 と合流します。他方、孝霊山麓に発する 天 井 川 と大 更 川 は
いなよし
ふくい
稲 吉 で合流し、さらに福井付近で宇田川本川と合流します。その後、宇田川は、山陰道、
JR 山陰本線及び、国道 9 号をくぐり抜け、淀江町市街地を経て、日本海へ注いでいます。
本宮の泉から宇田川河口までの総延長は約 3.9km です。
図 1-航空写真による宇田川流域
5
図 2-大山と孝霊山を臨む淀江地区
流域の地形のなりたちは、大山が形成された前の時期にまでさかのぼります。壺瓶山、
ほんぐう
ふくおか
いなよし
にしおはら
本宮、福岡にみられる粗面岩質安山溶岩や、稲吉、福岡、西尾原にみられる粗面質安山岩
は、約 300 万年前(新第三紀鮮新世)に形成されたものです。大山の火山活動のはじまりは、
約 100 万年前(新生代四紀)といわれ、約 40 万年前までの第四紀洪積世前期から中期に発達
した古期大山と、約 25 万年前の洪積世中期から後期に活動した新期大山に二分されていま
つばぬきやま
たたら ど や ま
しもひるぜん
す。古期大山においては、側火山となる鍔抜山、 鈩 戸山、下蒜山が円頂丘となっていたと
いわれています。その後、約 60 万年前から 40 万年前にかけて、多量の溶岩流と噴出物に
よしわら
せんじょうさん
かぶとがせん
よって、吉原(江府町)、船 上 山 、甲ケ山の周辺山地とあわせ、流域内の本宮、西尾原、福
平、高井谷の丘陵地が形成されたといわれています。
図 3-大山と周辺地域の成り立ち
図 4-大山周辺の地質年代
6
さらに新期大山においては、約 40 万年前から数万年の休止を介して、約 25 万年前の孝
み せ ん
さ ん こ ほう
霊山の噴出とともに活動を再開し、約 2 万年前の活動末期に、弥山とその周辺の三鈷峰、
からすがせん
烏ケ山が形成され、孝霊山周辺の丘陵地はこの時期までに形成されたといわれています。
流域を取り囲む稜線、丘陵地が形成された後、約 5~6 千年前の縄文前期には気候がしだ
いに温暖になり、海水面が現在より約 5m程度高かったといわれています。この時期の海面
上昇は縄文海進とよばれています。壺瓶山の北側、西側の斜面には海食崖が、また福岡や
稲吉の孝霊山からの扇状地には波食棚状の平坦地がみられ、当時の海水面の位置を推察す
ることができます。この当時、現在の流域内の淀江平野はすべて水没しており、隠岐の島、
島根半島も小島となっていました。縄文時代の古い集落跡が漁猟用の石おもりの出土(中西
尾、鮒が口、河原田遺跡)とともに比較的高い標高に位置していることから、淀江平野が大
きな入り江となっており、人々は漁労にいそしみながら定住していたことが推察されます。
その後、湾口部には砂州が形成され始めます。縄文後期~晩期には、砂州によって入り
江がふさがれ、海抜 3mの範囲で古代淀江湖ができあがりました。その後、中世にかけて砂
州がさらに拡大し、また上流河川からの土砂運搬によって次第に埋め立てられて、海抜 1.5
mの範囲にまで縮小しました(中世淀江湖)。
図 5-湾口砂州の発達による淀江港
7
弥生時代から、淀江湖周辺の平地部は、稲作の適地として、妻木晩田遺跡をはじめとす
る多数の遺跡が発見されているように、大集落地帯であったことが分かっています。さら
にその後、本州唯一の石馬が出土した古墳期の遺構、現在に残る条里制の布設、上淀廃寺
に見られる初期仏教の遺構など、この地域は、5~7 世紀にかけて強大な地域国家であった
ことを想像させ、山陰地方でも特筆される場所です。
図 6-淀江平野の地形の変遷
8
近世には淀江湖は消失し、広大なデルタ地帯が形成され、沼沢地と池がわずかに残るよ
うになります。過去の地盤調査において、デルタ地表面から 6~7mは湖成層~沼沢性堆積
物であり、淀江湖が数メートルの水深があったことも分かっています。
図 7-淀江平野の堆積物
湾口部の砂州は、近世に至るまでに次第にその幅が拡大し、現在では JR 山陰本線から河
口までの約 500mの砂丘地となって発達して、現在の淀江市街地が位置しています。
河口部海岸線は美保湾のなかでも最も湾入しており、宇田川河口部が沿岸流の最も弱ま
る位置にあることから、微細な粒経の砂州が発達しやすかったと推察されます。
宇田川
図 8-美保湾の沿岸流と海岸砂の粒経
9
(2)流域の歴史
流域の歴史は、地形のなりたちに伴う集落の形成過程にその一部をみることができます。
古代集落は、その遺構から、淀江平野がまだ淀江湖であった時期に、現在の高台となる福
岡付近の段丘、高井谷、中西尾、福井、富繁、西尾原、福平、稲吉の扇状地上部に位置し
ていました。その後、中世、近世、近代を経て湾口に砂州が形成され、安定した砂丘とな
ってからは、淀江、西原の集落が海岸線に沿って形成されました。この砂丘状の東西へ伸
びる稜線には、旧国道(市道淀江西原線)が通っています。
図 9-鳥瞰図にみる宇田川流域
(点線で囲まれた部分が宇田川流域)
縄文時代から弥生時代
集落としての最も古い記録があるのは、旧石器時代か
ら縄文時代ものであり、尖頭器と尖り底の土器が出土し
ている中西尾地区の鮒ケ口遺跡が代表です。当時の尖頭
器の材料は、隠岐の島の黒曜石や、四国讃岐地方のサヌ
カイトであり、当時から交易のルートがあったと推察さ
れています。また、尖り底の土器にある爪形文は、南朝
鮮の土器に見られ、九州地方から多く出土し、他地方で
は希少なものであり、朝鮮半島、九州地方との交流があ
図 10-弥生時代「魏志倭人伝」想定ルート
ったことも推察されています。
10
弥生時代に入ると、わが国にも青銅や鉄の技術
と米作りが伝わりました。宇田川流域では、人々
は淀江平野を取り囲む丘陵地の先端で、竪穴式住
居で生活し、谷合いの水田を営みながら、次第に
ばん だ
平野部を開墾していったといわれています (晩田
す み だ
遺跡、楚利遺跡、山石馬遺跡、角田遺跡、井手挟
遺跡、川向遺跡、百塚第一遺跡など) 。これら遺
跡の大半では、古墳時代の土器もあわせて発見さ
れており、集落が長い期間にわたって定着してい
たことがわかります。
図 11-淀江平野周辺の主な縄文・弥生の遺跡
古墳時代
4 世紀から 7 世紀の古墳期に入ると、地域の豪族たちは自らの権力を誇示するため、土盛
り、高塚式の墓を建設しました。旧淀江町内でもその古墳として確認された数は約 400 に
のぼり、宇田川流域においても、多数の古墳をみることができます。石馬谷古墳は、本州
唯一の石馬が飾られていたと伝えられています。わが国の十万基以上の古墳のなかで、石
馬が出土したのは、この石馬谷古墳と、福岡県八女市の岩戸山古墳の 2 基のみとなってい
ます。また周辺古墳においても優れた石材加工がみられ、この地域の豪族が高い水準の技
術を持っていたことがわかります。
飛鳥時代から奈良時代
大和朝廷による中央集権国家
への建設が進む中で、646 年には
大化の改新のなかで、薄葬令が
出され、これまでの大規模な古
墳造営が少なくなり、また、仏
教信仰が盛んとなる中で、各地
の豪族は寺院の建立に勢力を注
ぎました。上淀廃寺もそのひと
つであり、建物の軒先となる軒
図 12-伯耆国の郡区分と寺社の分布
11
きょうこうじ
丸瓦には、『出雲風土記』にその名が残り、出雲地方最古の寺院とされる教昊寺の瓦と同型
のものが認められます。
このことから、流域内の上淀廃寺を建立した人物が、出雲地方とつながりを持つ有力な
豪族であったと考えられています。
また、大化の改新では、公地公民制度、国
郡里などの地方行政区画と地方官の任用、戸
籍・計帳作成と班田収授法の実施、調などの
新しい税制施行が始まりました。伯耆の国は、
河村、久米、八橋、汗入、会見、日野の六郡
つかづみ
さか と
な
わ
あ せ り
に分けられ、汗入郡は、束積、尺戸、奈和、汗入、
たかずみ
に
い
高住、新井の六郷があったとされ、現在の淀
江・宇田川地区は、新井郷に属していたとい
われています。
朝廷は農民の最低生活を保障し、あわせて
徴税を確保するために、農民に一定の耕地を
貸し与えました。条里制は、全国の耕地を一
斉に区画するために行われた大事業でした。
条里とは六町四方(36 ヘクタール)ごとに大区画し
た東西、南北の線をそれぞれ、条、里と呼ん
図 13-淀江平野における条里制
だことに始まります。区画を里といい、里は
36 区画の正方形に分けて坪とし、坪をさらに
10 等分して1反としました。淀江平野の大部
分を占めていたこの条里は、道路、大字境、
町境として利用されました。条里制の遺構は、
昭和 50 年代の圃場整備においても残すことと
され、その区画は現在でも良好にその姿をと
どめています。
これらのことから、弥生時期の米作りが伝
承されて以来、淀江平野では米作りが継続さ
れて現在に至っていることが改めてわかりま
す。
12
図 14-条里制の遺構を残した圃場整備
平安時代から鎌倉時代
律令国家を支える公地公民の制度
は、8 世紀中頃には早くもくずれはじ
め、負担の厳しさから逃亡する農民
も多く、また飢饉や疫病もしばしば
流行しました。一方、豪族や有力農
民は次々と開墾をはじめ、私有地を
荘園として広げました。こうした荘
園の領主は、国司や他の豪族から荘
園を守るため、中央貴族や寺社に寄
進して名義上の所有者とし、自分は
荘官として実質的に支配する方法を
図 15-平安後期の荘園の配置
とりました。
う だ が わ のしょう
平安後期の保元年間(1156~1158 年)には、流域平野部の農地は「宇多川 荘 (宇田川庄)」
ひ
え
として、滋賀県大津の日吉神社に寄進されました。この日吉神社から分霊を迎えたことが、
ひ よ し
現在の西原にある日吉神社のもととなったと伝えられています。貞観年間には、神階を与
あ め の さ な め
えられた神々のなかに、伯耆国天乃佐奈咩神と伯耆国三輪神があり、前者は先術の日吉神
かみのしょう
しものしょう
社、後者は小波の三輪神社にまつられています。鎌倉時代までに宇多川庄は、上 庄 と 下 庄
よ ど え
に分かれ、下庄が「淀江」と呼ばれることとなったことが「大山寺縁起」に伝えられてい
ます。
鎌倉時代の海岸部の歴史的な出来事としては、1274 年(文永 11 年)、1281 年(弘安 4 年)
の蒙古襲来後の九州地方から山陰地方までの海岸線防衛の拠点として、次々に海岸に城郭
こと うら
づくりがすすみました。その当時のもとされる古城跡が、琴浦町篦津、大山町富長、大山
町福尾、末吉に分布しており、これらを総括するために小波城があったとされています。
その後約 50 年たち、小波城は船上山合戦における最も激しい合戦の場となりました。
室町時代
室町時代から、1467 年(応仁元年)の応仁の乱を経て、戦国時代に入る時代まで、伯耆守
護として山名氏が長くこの流域をおさめていたとされています。宇多川荘は、戦国時代に
おいて山名氏により大山寺に寄進されており、その支配権が大山寺にあったとみられてい
ます。
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応仁の乱は、足利将軍の継嗣問題に端を発し、東軍の細川氏と、西軍の山名氏の有力守
護大名による勢力争いが始まりでしたが、伯耆国は山名氏の領地であり、隣国出雲は細川
氏の支配下にあったことから、両国境地帯を中心に合戦が繰り返され、その影響が淀江地
方にも波及しました。淀江地方を舞台にした合戦史には、1524 年 5 月(大永 4 年)の出雲広
瀬の富田城(月山)を拠点とする尼子経久が大軍を率いて伯耆に侵入し、米子、天万、尾高、
不動之岳、淀江を一気に攻落して東伯耆に侵攻した五月崩れと呼ばれる前期と、尼子氏が
1566 年(永禄 9 年)に毛利氏によって滅ぼされ
る戦いが起こった後期があります。
この後期には、毛利勢が江美城攻撃に際し
て、美保関から淀江港に上陸し、最短距離に
ある尾高城へ合流しています。淀江が戦国時
代においても、陸海の重要な拠点であったこ
とがうかがえます。
図 16-「大山寺縁起」にみる淀江平野
戦国時代から江戸時代
伯耆における最後の合戦は 1585 年(天正 13 年)の香原山合戦であり、その後全国統一の
進行につれて復興がはじまったといわれています。1603 年(慶長 8 年)に江戸幕府が開かれ
た後、めまぐるしく支配者が交代した後、1632 年(寛永 9 年)に池田光仲が藩主となり鳥取
藩が成立しました。鳥取藩は 12 代藩主慶徳まで池田氏を藩主として、明治維新までとぎれ
ることなく続きました。鳥取藩では、在方御法度とともに農民支配にあたらせるため、仕
置衆(後の郡代)を置き、1633 年(寛永 10 年)には、因幡、伯耆の両国の検地を行いました。
検地においては、土地の所在、面積、種別、等級、耕作者などが調査され、登録された農
民は耕作を保障されましたが、同時に年貢とその他の貢納の義務を負いました。この時代
においても、淀江平野では米作りを中心とした食料生産が継続されていきました。
さらに、流域内の新田開発もさかんに行われました。旧淀江町での生産力の増加率をみ
ると、1632 年(寛永 9 年)を 100 として 1701 年(元禄 14 年)は 114.5 となっています。これ
は、伯耆全体の 114、汗入郡全体の 116 とほとんど同じ傾向にあります。新田開発とともに、
農法や灌漑技術が発達した時期でしたが、北尾、高井谷、中西尾、西尾原、平岡での石高
増はみられませんでした。しかし、本宮(170.2)、中間(120.6)が顕著に増加しており、可
耕地の存在と開墾による形成、人口増による労働力の増加が卓越していたことが想像され
14
ます。さらに、海浜部の集落では、当時増幅していた砂丘地の開墾によって、収量増加が
もたらされたと思われます。
新田を開発する場合には、灌漑のための井手の設置が不可欠になります。江戸時代で最
も大規模な井手開削は、柄川彦右衛門による「新井手」の開削であるといわれています。
北尾村の高尾谷池の下流である淀江、寺内、北尾の水田地帯は、古来から灌漑用水が乏し
く、しばしば干害をうけていました。淀江村の庄屋となった柄川彦右衛門は、1770 年(明和
7 年)から測量と企画を行い、稲吉川から取水し、寺内村瓶山の麓を介して、淀江圃場を横
切り、今津村に注ぐ全長 1.3km に及ぶ井手を設計し、自費による工事で完成させたと伝え
られています。
江戸時代に入り、18 世紀後半から淀江村周辺は、弓ヶ浜半島を中心にさかんとなった綿
作、淀江港が商品流通の拠点となったこと、鳥取藩の御蔵設置などに伴い、遠隔地商業の
中心地として飛躍的に発展しました。淀江村(西原村を含む)の 18 世紀当初の土地所有者は
180 名をかぞえています。さらにこの時期から淀江村の街区も大きく拡大していったとされ
ています。
湾口砂州が発達し開発が進んだ西原地区に
向かって、宇田川にかけられた安久橋は、1859
年(安政 6 年)から 1861 年(文久元年)に工事が
及んだことにちなんで命名されたものとされ
ています。1862 年(文久 2 年)の淀江村の戸数
は 402 にまで拡大し、宿場町であった関係も
あり、蔵・納屋・馬屋を備えた家屋が 290 戸
におよんでいました。
図 17-江戸時代の灌漑
明治時代から現代
時代は幕末から明治に入ってから、廃藩置県などのめまぐるしい社会情勢の変化のなか、
旧淀江町政は 1889 年(明治 22 年)に鳥取県に、1 市、4 町、233 村が置かれた時期のひとつ
の町としてスタートしました。その後流域における水害状況、農地造成などの記録につい
ては、次のとおりであります。
15
表 1-淀江風土記にみる流域の変遷
(赤字は水害の歴史)
16
図 18-昭和 9 年床上浸水したガード付近
図 19-平成 23 年 9 月台風 12 号による浸水状況
17
(3)土地利用
宇田川流域は、その幹線となる河川の集水面積を単位として、宇田川 1,124.78 ㌶(67.4%)、
天井川 421.29 ㌶(25.2%)、大更川 122.27 ㌶(7.3%)、合計 1,668.34 ㌶(16.7km2)となって
います。
1947 年(昭和 22 年)の淀江町、宇田川村をあわせた土地利用状況においては、次のような
データが得られています。田畑 505.9 ㌶(25.9%)、宅地 45.1 ㌶(2.3%)、山林 728.3 ㌶
(37.3%)、原野 683.2 ㌶(34.9%)、合計 1,952.5 ㌶。統計がとられた年代と旧村単位の面
積集計に関連して、現在の行政区画による面積との乖離がありますが、当時から山林原野
の割合が 70%を越える状況にあり、平野部と開墾された谷合いの農地が 25%程度を占めて
いる状況にあります。
さらに、近年の 1976 年(昭和 51 年)から 2009 年(平成 21 年)までの土地利用の変化は、
図 20 のとおりとなっています。
流域全体に占める、各土地利用別の構成は、一般市街地 114.0 ㌶(4.9%)、畑・原野 214.37
㌶(9.2%)、水田 402.27 ㌶(17.2%)、山林 1,602.52 ㌶(68.7%)、合計 2,334.17 ㌶となっ
ています。1947 年(昭和 22 年)の土地利用に比較し、現在の状況については、市街化進展に
よる面積拡大が顕著であるといえます。また、農地に関しては、畑・原野、水田を含め約
25%、山林面積に関しては約 70%を占める傾向がつづいていますが、これは昭和を迎える
までに流域の開墾が可能な限り進み、その土地利用が継続されていると考えられます。
図 20-土地利用の経年変化
18
主産業
町制が発足してからの主となる産業は、農業、漁業、林業の第一次産業であり、特に奨
励された農業は、肥沃な土地と、宇田川の豊富なかんがい用水に恵まれて発展してきまし
た。現在では、昭和また旧淀江町の半分以上の面積を持つ林野では、収入までに長期間を
要することや、松くい虫の被害、外材の輸入等によって、その活動は低迷しています。
水田開発
水田の開発においては、
1925 年(大正 14 年)
に西原地区の区画整理が行われたほか、1940
年(昭和 15 年)には高井谷の真名井の水源を活
用して、淀江地区の圃場への灌水を行う、昭
和用水の工事がはじまりました。(1944 年(昭
和 19 年)完成)。その後、1973 年(昭和 48 年)
から県営淀江・宇田川圃場整備事業に着手さ
れ、昭和初期に完成した昭和用水も全面的な
図 21-昭和 15 年の昭和用水工事
布設変えによる改修が図られました。
また、平野部の最大の排水路として、大洞川の開削がなされ、周辺の用排水調節のため、
樋門が新設されました。
図 22-「県営圃場整備記念誌」にみる大洞川の整備
19
図 23-「県営圃場整備記念誌」にみる昭和用水の整備
図 24-「県営圃場整備記念誌」にみる電気揚水の整備
20
条里制による灌漑は田から田へ水を落として水をひく「あてごし」と呼ばれる用排水兼
用の灌漑によるものでしたが、圃場整備によって水田区画単位で「用排水分離」され、コ
ンクリート三面張の製品が使用されたことから、用水の量的な不足のほか、流末の宇田川
への早い応答の出水が伴い、宇田川河道への負荷が増加していることが指摘されています。
用水量の不足に関しては、電気揚水として河川から取水し、上流の圃場へ灌水を行う方法
がとられています。しかしながら、河川内の水質は宇田川が海面より低い平地を貫流する
ため、海水に起因する塩分を多量に含むことから、近年では取水が難航しているところで
す。
森林の状況
流域の山林については、その大部分が針葉樹で、丘陵平坦地は戦中戦後に、食料増産の
ために開墾され、畑地、果樹園となりました。1980 年(昭和 55 年)の時点で、山林の所有構
成は公有林 25%、集落有林 25%、私有林 47%であり、人工林率は 57%におよんでいます。
樹種構成としては、松が大部分を占め、その他は薪炭用の雑木となっています。
戦後の復旧期、木材需要は極めて旺盛で、伐採量が増加し、加えてパルプ産業の進出に
伴い木材不足となったことから、外材に頼らざるを得なくなりました。1961 年(昭和 36 年)
以降には外材の進出は増大し、国産材を圧迫するようにさえなっていきました。外材の進
出が激しくなっていく時期に、壺瓶山の松林が松くい虫による影響によって、次々と枯れ
始めたことから、1977 年(昭和 52 年)から空中からの薬剤散布による防除が開始されました。
その後、宇田川地区の山林にも被害が顕著となったことから、1979 年(昭和 54 年)ごろから
空中防除が始まりました。この時期には戦後の灯油、ガスへの使用による燃料の変革によ
って、これまで重宝していた薪炭林の需要が大きく減り、山林での作業頻度も激減しまし
た。さらに、植林後に伐採可能となるまで 30 年以上を要する回転率の低さと、伐採搬出コ
スト、木材価格の下落からも、林業としての後継者がないまま、山林の荒廃は進行してい
ます。しかし、国土保全、水源のかん養、自然環境の保全の面から、森林の多面的機能の
重要性が再認識されています。
宇田川流域においても、松林を主とした山林荒廃、ゴルフ場開発などにより、森林の持
つ保水力、さらには洪水調節機能が大きく損なわれつつあるとの懸念がもたれているとこ
ろです。
21
淀江町のまちなみ
流域のまちなみ、宇田川沿いの景観について、道路、鉄道の変遷からみていきます。
伯耆街道は今津~淀江~西原~小波浜~灘~佐陀
~日吉津を経て米子に通じる道で、鳥取往来、米子
往来また殿様道とも呼ばれましたが、宇田川には、
1934 年(昭和 9 年)に完成した淀江大橋が架かってい
ます。1964 年(昭和 39 年)に国道 9 号が開通して、一
部が県道に、残りは町道に編入されました。国道 9
号として宇田川に架かるのは、1962 年(昭和 37 年)
図 25-大正 14 年の JR ガード横の開削
に完成した新淀江大橋です。
淀江大橋の上下流には、安久橋(1975 年(昭和 50
年)改築)、川向橋(昭和 58 年改築)が架かっています。
川向橋の上流には、1902 年(明治 35 年)山陰本線が開
設された当時からある、JR 山陰本線の鉄道橋があり
ます。この鉄道橋の前後の街道は、盛土上の鉄道軌
道を通過するための坂道であったことから、厄介坂
と呼ばれ、交通の難所になっていましたが、1925 年
(大正 14 年)には軌道下を開削することにより、ガー
ド形状に改修され、昭和 30 年代には西尾原いきのバ
図 26-昭和 9 年に完成した淀江大橋
スも通行しました。
このように淀江市街地を流れる宇田川沿は、大正、昭和初期に完成した橋梁が現存して
おり、その時代のまちなみをそのままに残しています。
一方、近年では市街地は、旧市街地の周辺からさらに拡大しています。JR 山陰本線より
南側へは新興住宅地、福井地区平坦地へは住宅、工場などの進出がみられます。さらに、
近年の高速道路時代を迎え、流域内にも山陰道が建設され、鳥取から米子松江をつなぐ動
脈となっています。この山陰道の建設にあたって、当時宇田川の渡河構造をめぐり、県が
河川拡幅を河口部から計画した経緯があり、市街地の多数の家屋移転を伴うことから、強
い反対によって計画は白紙となりました。
宇田川沿いを北上するのが、JR 淀江駅から大山県道に接する県道赤松淀江線ですが、1931
年(昭和 6 年)から改修が開始され、1956 年(昭和 31 年)に完成し、バス路線にもなりました。
宇田川には福井地区で新宇田川橋、富繁地区で新富繁橋、第一富繁橋が架かっています。
宇田川の JR 山陰本線上流、天井川、大更川の流域においては、これまでの農地開拓によ
って、平坦地に農地が配置され、集落家屋が傾斜地裾部へ成立し、現在にいたっています。
22
第2章
治水上の課題
(1)地形的・地理的な課題
宇田川は支川の天井川、大更川を含め、その面積は約 16.7km2 であり、大山と孝霊山か
らの扇状地を外輪で規制される、四方約 4km の流域です。元来、宇田川とその支川は、日
本海に面した入り江に単独で注ぎ込む河川でしたが、湾口の砂州形成による閉塞による古
代淀江湖の形成と、河川から流入する土砂でしだいに低湿地が形成され、デルタ地帯を形
成しながら合流した後、単独の河道となりました。さらに、海から供給される砂で増幅す
る砂州は、河道の閉塞を激しくするとともに、安定した砂丘地には集落が形成されたため、
古くから狭小な幅の河道が残ることとなりました。JR 山陰本線の鉄道橋も、1902 年(明治
35 年)の開業以来、100 年以上変わっていません。これらの結果、扇状地、丘陵斜面から流
れ下った川床の地形は、古代の入り江海面より低く注ぎ込む標高でそのまま残り、支川合
流した後の宇田川は、非常に緩慢な流れとなっています。
河口部を砂丘地と狭小な断面に阻まれ、大規模に形成された低平地の湿地は、たびたび
の降雨で冠水したと思われます。この冠水条件で食料生産を行う場合に、最適であったの
が稲作であったと推察されます。
宇田川の水循環
流域に供給された雨は、孝霊山、本宮の高い標高から短期間に流出してきます。さらに、
宇田川本川、支川の流域が、一連の山体の外輪で形成されることから、合流する時間差が
少なく、低平地の合流部に短時間の流出が集中することになります。また、流域には約 70%
を占める森林がありますが、近年の松枯れをはじめとした森林の荒廃と、ゴルフ場等の開
発は、林床の侵食によって表土からの雨水浸透を困難にしています。さらに、森林から流
出する土砂は山麓のため池も閉塞させることにつながります。このように、森林の状態の
変化が、本来持っていた保水力と洪水調節の機能を損なう原因として指摘されています。
また、低湿地から豊かな生産基盤として、生産力向上を図るために整備されてきた圃場
においては、条里制から続いていたあてごし灌水による一時貯留機能が、用排水分離とし
た三面コンクリート張水路となったことにより、その出水応答は早くなり、森林斜面から
流れ下る表面水を短時間に排水し、河川に負荷をかける結果となっています。
一方で、生産力向上を図るために整備されてきた圃場においては、用排水を個々の区画
で求める必要が生じたことから、かんがいに必要となる水量が増加しているといわれてい
23
ます。このため、用水の確保を図る必要があり、電気揚水によって河川に集まった水を再
度活用する方策がとられていますが、川床の標高に起因する海からの塩分遡上によって、
その取水は難航しています。また、荒廃が進む森林からは多量の土砂がため池に流入し、
その用水量も減少しつつあることが報告されています。
さらに昭和 50 年代から、市街地の拡大に伴って、低平地への新興住宅、工場の立地が進
行し、今に至っています。
水生動植物
宇田川の河口部では、砂質の川底に好んで生息するマハゼ、ヒメハゼなどのハゼ類(魚類)
が確認されており、その上流では湧水などの清冽な水の指標種であるスナヤツメ南方種(魚
類)やバイカモ(植物)の群落、天然アユの遡上などが確認されています。
また、天井川・大更川でも、湧水などの清冽な水の指標種であるバイカモ(植物)の群落が
多数確認されています。
宇田川流域は、清冽な水に生息する生物が多数確認されており、非常に良い水質である
と考えられます。
一方、宇田川河口部の淀江市街地があり、その上流も水田が広がっていることから、窒
素やリンなどの流入も考えられることから、今後も宇田川流域の良好な水質を維持するこ
とが重要となります。
スナヤツメ南方種
ヒメハゼ
マハゼ
アユ
バイカモ
図 27-宇田川流域の動植物
24
宇田川の現状のまとめ
これらの要素の複合的な関連によって、近年の浸水が顕在化していると考えられます。
ⅰ)古来入り江であり、丘陵地から直接海に注いでいた複数の河川が、湾口の砂州閉塞に
よって、低湿地で1本の河川として合流せざるを得なくなり、緩慢な流れとなったこ
と。
ⅱ)砂丘地では集落形成後の活
発な市街化により、狭小で流
れにくい断面が長期間にわた
って継続していること。
ⅲ)近年の圃場整備によって条
里制から継続していたあてご
しによる圃場の貯留が激減し
たこと。
ⅳ)林業の低迷、松くい虫などに
よる森林の荒廃、隣地開発に
よって、森林の保水力が乏し
くなり、下流への短期間の流
出量が増大していること。
ⅴ)低平地に市街化が拡大し、
災害ポテンシャルが増大して
きたこと。
ⅵ)これら条件に加え、近年の
局地的集中豪雨の多発によっ
て、浸水被害が顕在化してい
0
ること。
ⅶ)環境の変化にも関わらず貴
図 28-宇田川流域の概要
重な動植物がみられること。
25
5
10km
図 29-平成 23 年の浸水状況
図 29-平成 23 年の浸水状況
新宇田川橋
26
宇田川橋
図 30-宇田川の河道地形
山陰道
八反田橋
津野橋
川向橋
JR山陰本線
号
淀江大橋
安久橋
国道
9
図 31-流域内の森林区分
宇田川流域治水計画策定協議会では、流域全体を視野に入れて「治水計画」を策定する
ことを目標に掲げました。そのために協議会では、流域の実情を深く理解する様々な関係
者が円卓を囲みながら、流域全体のもつ複雑な地形的・地理的・歴史的な空間構造を理解
するための情報を共有し、学び合いながら議論を深めました。その結果、宇田川流域の治
水には、流域空間の多角的・分野横断的な理解をもとにした流域空間の統一的・統合的な
計画づくり、
「流域治水計画」が不可欠であるという認識に至りました。
27
(2)河川整備計画策定と治水計画策定の手続き上の課題
流域全体での治水計画を策定し、事業を実現していくうえでは、その各場所を指定管理
する法律に基づいた手続きが必要になります。流域からの表面水を受け止め、低平地で顕
在化する浸水を改善するうえでは、その区域である河川を管理する「河川法」に基づく手
続きが必要になります。
河川法は 1869 年(明治 29 年)に制定された法律ですが、制定当時の河川法は、もっぱら
治水を目的としたものであり、低水工事の促進により河川のながれを確保しながら、当時
の交通、流通手段であった舟運を促進させるものでした。
その後の社会経済の発展はめざましく、水力発電、工業用水等の河川水の利用を増大さ
せ、利水関係の規定が必要になったことから、1964 年(昭和 39 年)に河川法が改正されまし
た。この時期にわが国においては、圃場整備による農業用水路、ダムなどによる発電用水
路、上水道の整備が進み、河川から特定の目的をもって取水するうごきが、高度経済成長
とともに進んでいきました。当時の改正において、流域の本川、支川をすべてまとめて一
水系として管理するとともに、国、県、市町村の管理区分が決定されました。すなわち、
国土保全上または国民生活上で特に重要な水系を国が指定する「一級水系(一級河川)」と、
一級水系以外で公共の重要な利害に関係するため県が指定する「二級水系(二級河川)」が
流域を管理するうえで区分されることになりました。その他、これら流域のなか、あるい
は単独の流域として、市町村長が指定し、管理する「準用河川」があります。
高度経済成長の後には、公害、環境問題がクローズアップされる時代になりました。河
川においても、過去の河川改修や、ダム建設にともない、水環境や生態系への配慮は重要
なものとなりつつありました。洪水、渇水などの異常時の現象に関わらず、「川の 365 日を
大切にする」という「河川環境」との思想が河川を整備するうえでの基本となりました。
さらに、各流域においては、様々な土地利用がなされており、その流域を流れる河川は、
流域住民によって、独自の利用形態がなされています。そのため、その河川を整備してい
くうえでは、今後の整備のあり方を、流域住民から意見を聴きながら決めていくことは不
可欠なものとなりました。
このように「環境」、「流域住民からの意見聴取」を、河川を整備・管理する思想として
追加し、1997 年(平成 9 年)に河川法が改正されました。法律改正に基づいて、流域住民か
らの意見を取り入れた方法によって決められた、今後の河川の整備のあり方は、
「河川整備
計画」としてまとめられることになりました。
28
この改正によって、河川法は、
「治水」、
「利水」
、
「環境」の三
本柱によって構成されることになり、その整備においても、そ
れぞれにバランスのとれたかわづくりを目指していくことにな
りました。
しかしながら、「河川整備計画」の策定にあたっては、一定
の技術的指標に基づいた調査解析によって、必要となる河川の
量的目標を、行政側が作成堤案したうえで、住民の意見を聴く
ケースが多く、また、概ね1年の短期間で管理されたタイムス
図 32-河川法の変遷
ケジュールでその作業が進められています。
さらにこの作業は、流域内では河川法が定める「河川」に限定されたながれであり、河
川に合流または接する、まち集落、農地、森林、砂防河川などは議論の対象になっていま
せん。このため、河川法に定義された住民参画のあり方だけでは、流域全体が抱える課題
を、根本から話し合い、解決に向けた取り組みを考えることは、難しいのではないかと考
えられます。
29
第3章
宇田川治水計画策定の必要性と意義
(1)河川整備計画に先立つことの意義
宇田川流域は、大山及び孝霊山の扇状地稜線を分水嶺とした四方約 5km のコンパクトな
地域で、旧淀江町内の集落によって構成されています。その地形は丘陵斜面から、傾斜地、
低湿地、砂丘地と起伏に富んでおり、それぞれの集落はその地形を生活基盤に利用してい
ます。特に、食料生産基盤としての土地利用は、地形の形成過程に応じた先人の努力によ
って、豊かなめぐみをもたらし続けています。
他方、宇田川流域の多発する浸水被害を解決、解消することは、宇田川の河川整備、特
に治水では重要な事項です。宇田川の治水は、宇田川の河川整備計画を策定することによ
って行われますが、そのためには、流域の実状を踏まえること、すなわち、宇田川、天井
川、大更川で起きている洪水の現象面をしっかりと捉えるだけでなく、改正河川法に謳わ
れるように、流域が抱える複合的な問題にかかわる流域全体の住民の意見を聞き、これを
宇田川の河川整備計画に反映させることが必要です。
協議会では、流域全体が抱える課題を地域住民と学識経験者をメンバーとする協議会委
員および広く流域の住民の間でのコミュニケーションをとり、相互の信頼関係を確立する
ための努力を払いつつ、本提案書をまとめました。議論のテーマを宇田川の河川区域だけ
に限定しなかったのは、宇田川の流域が農地、森、海、まち、集落などにひろくわたって
いるからです。
以上のような経緯でまとめられた本「宇田川治水計画提案書」は、改正河川法に定義さ
れる「流域の独自性に応じた計画づくり」の思想の実現であるだけでなく、宇田川の河川
域を超える全流域にわたって取られるべき解決策の提案となっています。
30
(2)行政と流域住民との信頼の確保とその上での合意形成の必要性
宇田川の流れる淀江地区では、高度経済成長期からの市街化進展はめざましく、県下で
進められた高速交通網の一環として、昭和 61 年から山陰道建設が開始されました。高速道
路は、淀江平野の中央部を東西に貫くものでしたが、このとき、鳥取県は、宇田川を渡河
する橋梁構造と併せ、宇田川を大きく拡幅する計画の検討を行いました。
県の計画は、天井川合流点から下流部で川幅を約 3 倍に広げ、農地と市街地を下り河口
に至るものでした。その結果として、淀江市街地の 100 軒を越える家屋移転が発生し、地
区内の数区画が消滅するという、淀江の市街地に多大な影響を与えるものとなっていまし
た。
これに加えて、計画の提示が行政側からの一方的で唐突であったことから、地区内で署
名活動までに発展した大きな反対が起こりました。この後、河道を別ルートに切り替える
放水路の検討がなされた時期もありましたが、実現を見ることなく、現在に至っています。
この河川拡幅の計画提示を発端とした経緯によって、行政の河川整備に対する市街地住
民の不信感が極度に高まりました。その後、河川からの溢水による浸水情報を把握するた
め、1993 年(平成 5 年)に宇田川橋付近に水位計が設置されましたが、市街地の浸水防止へ
の活用はなされていない状況にあります。
その後、鳥取県は、度重なる浸水を経て、特に 2011 年(平成 23 年)9 月の台風 12 号によ
る浸水被害をふまえ、宇田川流域の調査と、浸水被害の解消に向けた検討を 2013 年(平成
25 年)から開始しました。調査にあたっては、淀江地区自治会長連合会をはじめとして、各
自治会には案内紙によって、流域で起こっている浸水の実情と、調査検討の必要性につい
て、現地調査を行い、説明と周知を図りました。
この過程で鳥取県は、流域住民に対し、それまでに検討してきた計画内容について、す
べてを白紙として再検討することを約束し、調査検討した情報を開示するなど、信頼を回
復するための活動を進めました。
さらに、県は、関係者への説明を通して、流域内で起こっている浸水の実態を知らない
集落の住民が存在すること、一方、それぞれの集落ごとで、河川に関係する課題が多数あ
ること、さらに、宇田川流域で近年多発している浸水被害の原因として、地形・地理的な
課題、つまり、地形のなりたちと、その開発と利用の履歴が、重要な部分を占めているこ
とについて認識を深めました。
以上のような経緯のもと、鳥取県は、宇田川流域の治水の進め方については、流域全体
が抱える課題とその解決策までを流域住民の全員で共有し、話し合いながら宇田川にかか
わる多様な問題を検討していく「合意形成」の手法が不可欠であるとの認識に至りました。
31
第4章
「宇田川流域治水計画策定協議会」の設置および協議会による
「宇田川流域治水計画堤案書」策定の経緯
(1)宇田川流域治水計画策定協議会の組織
宇田川の治水計画では、流域全体が抱える課題と解決について広く住民と行政が共有し、
話し合いを進めながら合意形成を図ることが大切でした。そのため、流域各集落の実情を
熟知する関係者による委員会構成が必要となりました。
そこで、委員会事務局は、連合自治会長連合会の役員 9 名と公民館長、さらに、平成 23
年に浸水被害の実体験をもち、これまでの宇田川の河道状況に詳しい沿川の住民代表 7 名
に委員を委嘱しました。さらに、地域周辺で広く活動している環境(植物、水生動物)、観
光・産業(商業、農業、漁業)、歴史文化の専門家 6 名と、学術分野(社会的合意形成、農業
水利、河川工学、都市計画)からそれぞれ学識経験者 4 名を加えました。
これら委員 27 名によって、平成 26 年 6 月 27 日に、「宇田川流域治水計画策定協議会」
が発足しました。
協議会は、計画策定過程で、次の事項に配慮しながら進めました。
(1)情報公開を徹底するため、協議会の会議は公開とし、委員以外の者の公聴を認める
とともに、情報誌「かわら版」、ホームページ、新聞、テレビ等のマスコミを通じて、
情報提供を図る。
(2)協議会主催のもとで、協議会委員とともに広く流域住民全体からの意見を聴取し、
話し合いが行える機会を創出する。このため、住民意見交換会を 2 回(平成 26 年 7
月 31 日、平成 26 年 11 月 27 日)を開催しました。
(3)流域全体の課題解決に向けて、関連する分野の関係者及び、集落自治会への説明と、
話し合いを徹底して行う。実際に計 10 回、104 名の関係者と話し合いを行いました。
(4)治水の方向性に関してより具体的な意見を聴取するため、流域内の全世帯約 1,500
を対象として、住民アンケートを行う。具体的には、協議会および、2 回の住民意見
交換会による話し合いの経過を、かわら版、ホームページで情報提供しながら、平
成 27 年 2 月 8 日までに流域全戸(約 1,500)に対しアンケートを実施しました。
32
表 2-宇田川流域治水計画策定協議会委員名簿
分 野
学識経験者
細 別
桑
利水、土壌環境
猪
河川工学、水工学、水文学
都市計画
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
住民代表
淀江地区自治会長連合会
淀江地区自治会長連合会
淀江7区
淀江7区
淀江8区
淀江8区
西原11区浜
淀江9区
淀江9区
環境(植物)
環境(水生動物)
地域活動家
氏 名
く
社会的合意形成論
観光・産業(商業)
観光・産業(農業)
観光・産業(水産)
歴史・文化
わ
所属・役職
こ
と
子
敏
い の さ こ
し
こ
う
耕
迫
おさむ
治
谷
く ま が い
熊
お
秀
つ
儀
た
隆
か
ひ
中
英
が
い
長
な
て
た
ふ
陶
こ
し
越
み
富
す
鷲
や
一
山
登
だ
のぼる
國
多 津 子
田
益
み
ひ ろ ゆ き
が
頭
邉
ま
濱
田
べ
邊
な
こ
ま
わ た な べ
渡
づ
た
く に と う
た
昇
た
か
中
す
じ
司
寛
い
矢 田 貝
は
雄
のぼる
見
た
お
ま
ぎ
八 木
お
雄
ず
田
や
と
か
藤
や
三
み
文
頭
あ ん ど う
す
夫
健
田
安
お
け ん ぞ う
せ ん と う
泉
三
つ
徹
頭
長
み
省
公
井
が
正
で
こ う ぞ う
く に と う
國
一
た か ま さ
田
な
和
よ し か ず
津
く
之
ひ で か ず
田
田
な
将
だ
わ
高
ま さ ゆ き
部
生
た
芳
べ
ん
博
よ し た か
江
河
い
康
え
つ
本
か
や す ひ ろ
田
つ
勝
ほ
勝
た
松
か
彦
まさる
田
り
森
ま
昌
た
大
も
ま さ ひ こ
谷
お
じ
二
ひ の き だ に
檜
お
雄
幸
しげあ き
繁 明
よ
し
芳
ま
柾
お
夫
さ
き
城
た か と し
隆
俊
ひ で あ き
秀
明
備 考
東京工業大学大学院社会理工学研究科 教授
鳥取大学農学部生物資源環境学科 教授
鳥取大学大学院工学研究科 教授
米子高等専門学校建築学科 教授
連合会長
淀江
副連合会長
宇田川
副連合会長
大和
理事
淀江
理事
宇田川
理事
大和
監事
淀江
監事
宇田川
監事
大和
淀江公民館長
沿川自治会
沿川自治会
H23浸水地区 自治会長
H23浸水地区 自治会代表
H23浸水地区 自治会長
沿川自治会長
沿川自治会長
NPO大山日野川自然の会
大山自然歴史観館長
米子日吉津商工会役員
淀江宇田川土地改良区理事長
鳥取県漁業協同組合理事 淀江地区運営委員長
米子市淀江地域審議会会長、米子市文化財保護審議会委員
33
(2)堤案書作成の実施スケジュールおよび実施経緯
協議会による流域全体の課題の共有と、治水の方向性の検討については、協議会発足か
ら、平成 27 年 2 月末までの約 1 年間をかけて行うこととし、これを実行しました。この期
間は流域全体の課題と解決策を、住民全体で話し合い、合意形成に充てるために、集中し
て作業を行うことができ、かつ有意義なものとなりました。当初、協議会として予定して
いた委員内での話し合いは、現地視察会と、2 回の住民意見交換会を含めて 6 回でしたが、
1 回増やすこととして、計 7 回の機会を持つこととし、さらに治水の方向性の検討を深める
ことができました。
図 33-宇田川流域治水計画策定協議会の流れ
34
第5章
「宇田川流域治水計画」提案書の骨子
協議会、住民意見交換会、住民アンケートの実施によって、多面的な意見聴取と集中的
な話し合いを進めた結果、宇田川の治水計画の策定については、次の内容を骨子として、
合意に至りました。
(1)
淀江地区の市街地の構造に大きな変化を与え、また後背地の水田地域に塩害を与え
る可能性のある大規模拡幅や放水路建設は行わないこと
(2)
水田地域での洪水の一時貯留機能の維持と農地として持続的な利活用を両立させ
ること、
(3)
宇田川河口部での閉塞物の除去や断面の改善、繁茂した草木を取り除くなど、流下
能力向上のためにできることを行うこと
(4)
浸水被害のある住宅地区には地域住民の合意を前提として仕切堤の建設や道路の
嵩上を行うこと、
(5)
砂防ダムによる土砂流出を防ぐこと、ため池の嵩上げによって洪水調節機能を改善
することなど、流域全体での治水を考慮すること
図 34-流域治水計画の対策案
35
(1)「流域の実情を踏まえた、現実的で実行可能な治水計画」の必要性と、その確認に
よる淀江市街地の大規模拡幅および放水路案の不採用
大山、孝霊山の扇状地から流れ下る河川は低平地で合流する地形的特性を持ち、合流部
から低平地での豪雨時には、たびたび浸水が起きてきました。浸水実態が顕著である鉄道
橋上流の低平地は、古来淀江湖として形成された湿地帯で、その下流では湾口の砂洲が増
幅発達して砂丘地となり、定住基盤がつくられてきました。
先人たちは、自然の営みに逆らうことなく、低湿地を水田として活用するとともに、妻
木晩田遺跡に代表される巨大な弥生集落を形成し、古墳時代には本州唯一の石馬を誇る有
力な巨大国家建設しました。さらに、奈良時代には、条里制の導入により、周辺斜面から
流れ集まる水を効率的に活用し、かつ、あてごしとすることで、水田の持つ洪水調節機能
を活かしつつ暮らしていました。江戸時代においても、その水田所有者は、大部分が砂丘
地の西原、淀江地区に住んでいたとされており、拡大しつつあった砂丘地の市街地を、上
流の水田の洪水調節機能で防御していたと考えられます。
現在の居住地区となっている淀江市街地は、その地盤の高さを海岸からの砂供給によっ
て維持してきました。定住基盤となった砂丘地は、低湿地の軟弱地盤に比べ、家屋基礎と
して優れ、排水も良好であったと推察されます。
山陰本線が開業した 1902 年(明治 35 年)から 100 年以上も残る鉄道橋をはじめ、河口に
至るまで、古いまちなみが宇田川沿いで現在にまで続いています。また、古い集落周辺で
は旧淀江町庁舎建設をはじめ、市街化が拡大していきました。
このように、流域の中下流域のまちの形成過程は、その地形・地理的特性のもとにつく
られた合理的な土地利用に基づいています。
そこで、協議会では、上述のような流域の実状を踏まえ、その持続的な土地利用の思想
を活かし、治水対策を講ずる必要があるとの結論に至りました。
すなわち、淀江市街地のコミュニティを壊すこと、また、塩水の遡上による水田の機能
低下をもたらすことを回避するために、大規模な河道拡幅や放水路建設の案を採用しない
こととしました。また、実行可能な手段として、現状の地形構造を活かしつつ、宇田川の
流下能力の向上や住宅地の浸水対策を行い、また流域全体での治水をめざすという結論に
至りました
36
(2)市街地背後の農地の水害被害防止と農地としての持続的利活用の両立
低平地は、その地形が形成され、また頻繁に湛水するという自然的特徴から、複雑な用
排水系統がつくられ水田が営まれてきました。その灌漑手法は水田の洪水調節効果を発揮
し、下流市街地を洪水から防御する役割を担っていたと考えられます。近年の減反政策に
より一部水田に代替作物が栽培されている箇所もありますが、この低平地の食料生産とし
て最適な水田は、洪水調節機能を維持してきました。
近年では圃場整備に伴う水路の整備、流域のため池の流入土砂による利水用量の不足が
目立つことから、灌水後に宇田川へ流れ出る水を電気揚水によってリサイクルして活用し
ています。他方、宇田川河床高さが海面よりも低く、電気揚水には多量の遡上した塩分が
混入するため、取水が難航しており、用水量全体が不足傾向にあります。
そこで、本治水計画提案書では、下流部での拡幅や放水路等の建設などによる大規模な
整備では海水の遡上による水田の機能低下が予測されることから、この案を不採用とし、
他方、潮止め堰の建設により水を確保することによってこの地域独自の土地利用の在り方
を持続させること、同時に、水田の洪水調節も維持させることが必要であると判断しまし
た。
37
S
A
◯本宮川からの用水
◯天の真名井からの用水
本宮川水系
A
真名井水系
◯大更川からの用水
天井川水系
◯柳谷川からの用水
大口井手水系
◯溜池からの用水
高尾谷溜池水系
◯電気揚水
第2昭和用水
図 35-用水の利用状況
38
S
昭和用水水系
天井川水系(新井手水系)
松尾溜池水系
(3)低平地に滞留する洪水から市街地を守る工夫
低平地の市街地は、頻発する洪水が滞留する低平地にあり、浸水の危険にさらされてい
ます。低平地の市街化は、砂丘地の市街化の拡大に伴って、昭和 50 年代からはじまり、新
興住宅地、工場などが進出しました。それに追随して、道路、上下水道などのライフライ
ンが整備されてきました。
洪水が滞留する水位まで、全体の地盤高さを再造成することは、家屋の建て替え、ライ
フラインの再整備、盛土造成に伴う綿密な基礎工事など、多大な費用を要することになり
ます。一方で湛水が生じた場合には、市街地住宅を浸水させないことのみならず、周辺住
民を含めた円滑な避難行動や、湛水が継続する場合でも通行が確保される道路整備が併せ
て必要になります。
このため、現状の土地利用に極力影響をあたえず、滞留する洪水から住宅浸水を防ぐ方
法として、隣接する住宅所有者の了解を得ながら、仕切堤の建設や、道路の嵩上げを行う
ことを堤案します。仕切堤、道路嵩上げによって、降雨時には堤内地に新たな湛水が発生
することになるため、排水路の付け替え、排水ポンプの設置を併せて検討する必要があり
ます。また、洪水の滞留する区域での今後の開発は、新たな災害ポテンシャルを高めるこ
とにつながることから、その開発を規制するとともに、応分の補償を行うことが必要です。
39
(4)流域全体への配慮としての「流域治水」の考え方
宇田川は、流域のコンパクトな地形特性と、山から河川を介して海までを対象として、
一連の水の挙動を有する地理的特徴を有しています。
顕在化する浸水被害をもたらす流水は、流域の約 7 割を占める森林から短時間で供給さ
れています。しかし、その森林も松くい虫などの影響により、またゴルフ場の開発によっ
て、本来森林が持っている保水力が低下しているとの懸念がありました。このことは、傾
斜地、上流河川沿いの水田、畑にも多量の土砂を運搬することとなり、上流域の集落でも
課題となっていました。中下流域でも集落背後の斜面からの出水、農地の灌漑用水の不足、
さらには新興住宅地の浸水が問題となっています。
一方、本宮の泉、天の真名井の清らかで豊かな湧水は、下流に豊かな生態系を育んでい
ますが、河道内のゴミ、刈り取られた葦の流入、海域への流出等が課題となっています。
これら課題を解決するためには、流域内の土地利用上発生するものであること、かつ、
河川区域を超える視野をもつことが必要です。そのために、これら課題の解決にあたって
は、それぞれの問題の関係者が問題意識を共有し、ともに考えるテーブルに着くことが不
可欠でした。
以上のような多様な関心を統合することを必要とした宇田川の治水計画の策定にあたっ
ては、流域の独自性に基づき、水源地から農地、住宅地、市街地、さらに河口部に至るま
で合理的な土地利用を追求すること、これまでの合理的な土地利用の改変を出来る限り少
なくすること、こうした点を踏まえた現実的で実行可能な計画とすること、さらに、領域
横断的な視点で、かつ上下流の住民がお互いに目的を共有し、認め合い、配慮し、話し合
い、将来に誇れる流域づくりに向けて広く関係者の意見を聞きながら議論すること、こう
した点を考慮しつつ議論を進め、合意を形成してきました。こらの条件を満足するという
目的意識のもとで関係者がしっかりと議論し、合意によってまとめられたのが本「宇田川
治水計画提案書」の「宇田川における流域治水」の考え方です。
40
第6章
具体的な治水計画の実施案
流域治水計画の策定にあたっては、協議会、住民意見交換会、個別の関係者および集落
説明、住民アンケートによって、住民と関係者の意見をもとに話し合いを進めながら、流
域内の上下流で抱える様々な課題を共有し、相互に調整を図り、現実的で実行可能な課題
解決策として独自の方向性を見いだしてきました。
流域の地形・地理的条件に発生している多様な課題に対して、その土地利用を合理的に
調整し、相互バランスをとりながら、最適化するという方針のもと、本計画提案書は、具
体的な課題解決策をつぎのように提案しています。
現実的で実行可能な治水計画の方向性は、
「大規模な河道改修案と放水路案は採用しない」
との大前提のもとに、①まちづくりや景観との調和に配慮して、河道の流下能力を向上・
改善する、②浸水家屋への対策を考える、③農地の洪水を一時とどめる機能を維持しつつ、
農地としての利用を維持する、④森林の保全、上中流での対策を含め、流域全体で考えら
れる方策を検討する、⑤これらの方策を最適な形で組み合わせる、とういうものでした。
具体的な治水対策を検討していくうえで、どの程度の洪水の規模を想定しておくべきか
が、前提としての重要なテーマになりました。流域は大山山麓に起因する降雨と、平野部
で発生する降雨の、両面の特性を有していることから、米子観測局の降雨に大山観測所を
関連づけた独自の降雨指標を用いて解析を進めました。そして、これまでの観測による流
域への降雨量の統計解析、流域から到達する各支川を含めた流量、降雨が継続した場合の
低平地の湛水量などから、過去の洪水である、2011 年(平成 23 年)9 月の台風 12 号、2013
年(平成 25 年)7 月豪雨による洪水規模に対応できる治水計画とすることにしました。この
洪水をもたらす 1 時間の降雨量は、過去 50 年に1回の頻度で発生する規模(米子約 67 ㍉、
大山約 87 ㍉)に相当するものです。
41
(1)農地による治水効果の維持と農地の持続的利用の両立
ⅰ)塩害対策
流域の鉄道橋上流に現存する低平地は、古来から冠水頻度の高いエリアであり、その土
地利用のあり方として、食料生産基盤として水田としての利用が最適であったことから、
古代弥生時代から稲作が継続されてきました。さらに、周辺高台及び、下流砂丘地に造営
された集落を洪水被害から守るため、この低平地の水田に洪水を一時的にとどめる機能を
巧みに活用してきました。
一方で圃場整備後のかんがい用水は、用排水分離による水田間での滞水時間の短縮、た
め池の閉塞による貯水量減少によって、その用水量が不足する傾向にあり、宇田川に集ま
った水をリサイクル利用するため、電気揚水が行われてきましたが、海面より低い河床地
盤に伴って遡上する塩分によって、その揚水が難航している実情にあります。
しかし、条里制による従来のあてごし灌水が、圃場整備に伴う用排水分離により、河道
への流入負荷が増加する現在においても、この水田が持つ洪水調節機能は引き続き維持し
ていく必要があります。このため、低平地の水田の洪水調節機能を維持させるためには、
水田としての土地利用を継続させることが不可欠であることから、これらを両立させるた
めの具体的な対策が必要でした。
そこで、流域治水対策として、円滑な取水を確保し、水田としての土地利用が継続する
ため、遡上する塩分を遮断する、「潮止堰」を設置する案を提示しました。この堰は、可動
式の施設であり、常時は河道の底部を壁立て、海から遡上してくる塩分を遮断します。ま
た、洪水時には上流からの流れに順応して壁が倒伏若しくは開放します。現在、宇田川に
ある最下流の電気揚水施設は、鉄道橋上流約 100mに位置しており、潮止堰はこの施設より
下流に設置を検討することになります。また、その形状は、河道を横断する門型支柱をも
った扉型構造や、ゴム引布の袋体を膨脹収縮させる構造など、河道形状、基礎地盤、設置
後の利用形態によって変化するものであり、今後の調査設計に基づいて決定することとな
ります。
42
図 36-潮止堰整備イメージ
ⅱ)流木・ゴミの流入対策
洪水時に湛水する農地の管理の実情として、上流から流れ下る土砂、流れ木、ゴミの混
入が問題となっています。2011 年(平成 23 年)9 月の台風 12 号においては、支川天井川上
流で斜面崩壊が起こり、多量の倒伏した樹木が下流まで達したほか、同時に多量のゴミが
水田に混入した実績があります。大量の土砂、流れ木、ゴミが混入した水田では、稲刈り
作業に支障を来すことから、これらを除去するうえで、多大な労力と経費を要することに
なります。
43
洪水が発生するのは 6 月から 10 月の出水期でありますが、同時に水田においては、田植
えから稲刈りまでの稲作の適期でもあります。洪水発生を前提とした流域治水対策を進め
るうえでは、水田としての土地利用を継続させるうえで、適切な対策が必要となりました。
このため、協議会では、本川、支川の上流域に砂防ダムを設置することを堤案しました。
宇田川の上流域は、準用河川本宮川になりますが、源流部の本宮集落を守るために、砂
防ダムが設置されているものの、西尾原の河川区域までの間には、流下してくる土砂など
を捕捉する施設が設置されていません。また、支川天井川についても、稲吉集落から上流
に砕石場を有する規模の流域を抱えていますが、砂防施設の設置がなされていません。
このことから、これら上流域に砂防ダムを設置し、下流域への影響を緩和していくこと
が必要となります。また、砂防ダムはその容量を維持することによって、洪水を一時的に
貯留する効果もあり、その効果は宇田川下流域に集まる流量を約 10%低減すると試算され
ています。
砂防ダムの設置にあたっては、施設上流に堆積する土砂、流れ木を除去できる管理道の
併設が前提であるほか、本宮川にあっては、河岸斜面に設置されている用水路を分断する
場合には、機能回復を図ることが必要となります。
また、砂防ダム建設後、洪水によってさらに流入してきた土砂、ゴミなどについては、
河川維持管理の一環としての除去作業を検討する必要はあります。なお、この作業にあた
っては、河川管理者による維持作業のほか、近年活発化している、ボランティアなど地域
活力と協働した手法も検討できると考えられます。
ⅲ)湛水区域の開発規制
低平地水田の洪水調節機能を維持するためには、水田としての土地利用の継続が前提条
件になります。湛水する区域への新たな開発は、さらなる災害ポテンシャルを増大させる
ことにつながります。このため、現在湛水する区域にあっては、今後の開発を規制してい
く必要があります。
開発の規制については、建築基準法に基づいて指定される「災害危険区域」の設定が想
定されます。なお、この指定によって、今後の土地利用が限定されることから、水田所有
者には、上述の塩害対策、流木・ゴミの流入対策による水田利用の維持施策のほか、応分
の補償を検討することが必要となると考えられます。
44
(2)家屋の浸水対策
流域内の市街地の発達は高度経済成長とともに進み、低平地にも拡大しました。さらに、
市街地の拡大に伴って、交通ルートもその土地に適合した形状で整備されてきました。こ
のため、頻発する洪水においては、これら市街地の家屋、道路が併せて浸水することにな
り、近年局地的な豪雨が顕在化する中で、その災害ポテンシャルが増大している状況にあ
ります。
協議会では流域治水として、その流域内の現在の土地利用を大きく改変しないことを前
提条件としたうえで、定住基盤の安全確保を前提に検討を行いました。
ⅰ)道路整備
流域の低平地に洪水が湛水する地形的な条件に伴い、洪水時にはその避難経路のほか、
湛水が長時間に及ぶ場合でも物流等の日常経済活動を確保する必要があります。このため、
低平地の集落を経由する主要な交通ルートにおいては、その機能を確保するため、洪水に
よる湛水位に対応した路面高にかさ上げして改築する必要があります。
天井川合流部の周辺にあっては、一般県道赤松淀江線など、堤防として背後集落を浸水
から仕切る機能を併せた構造とすることが合理的となります。また路体構造としては、軟
弱地盤上に設置させることから、より軽量で、洪水後の維持補修管理を容易とする観点か
ら、盛土構造によるものが基本となると考えられます。
ⅱ)仕切堤
低平地に発達した新興住宅地にあっては、湛水が建物に影響することになるため、これ
を隔離する「仕切堤」の設置を堤案しました。仕切堤の高さは、想定する規模の洪水によ
って湛水する水位に、洪水流、風によって発生する波高を余裕高として加えて設定するこ
とになります。この高さは、最も宅盤が低い淀江 11 区浜集落の一画で、宅盤から約 2m程
度の規模となります。
仕切堤は、低平地西側においては、鉄道軌道盛土から山陰道盛土を介して福井地区まで
の集落家屋を保護する延長となり、前述道路盛土と接合することになります。一方、宇田
川右岸と東側低平地においては、集落を囲み、検討する避難路の盛土に接続する延長にな
ります。これらの構造としては、路体構造と同様に、軟弱地盤上に設置されることから、
より軽量で、その維持補修管理が容易となる盛土構造となると想定されますが、河岸と集
45
落が近接する区間にあっては、その構造幅を小さく規制するため、コンクリートなどの構
造物による場合も考えられます。
連続する仕切堤は、河川管理施設として管理されることになりますが、市街地、集落の
避難誘導に活用できるほか、新たな防災コミュニティの構築に向けて、その用途も多様に
検討できると考えられます。
図 37-仕切り堤のイメージ
46
図 38-仕切り堤による影響
ⅲ)排水路整備及びポンプ施設
低平地において洪水による湛水から定住基盤を守るため、仕切堤と道路かさ上げを行っ
た場合、堤防の河川側の水位上昇に伴い、宅地からの自然排水はできない状況になるため、
背後斜面から集中する表面水を円滑に排水する必要があります。このため、市街地の宅地、
道路に設置された排水路網の統廃合を図るとともに、主要な位置でのポンプによる排水が
必要になります。
47
ⅳ)ソフト対策
これら低平地の市街地、集落を保護する対策においては、想定を上回る洪水規模による
二次的な浸水被害について、その現象と発生メカニズムを十分に把握し、住民関係者との
情報共有を図りながら、避難誘導などのソフト対策を検討しておく必要があります。
現在、宇田川橋下流に水位計とともに河川ライブカメラが設置されていますが、今後河
川からの氾濫情報に、降水量、浸水想定などを組み合わせ、より分かりやすい水防情報と
して、広く提供していく必要があります。
(3)流れを改善する維持管理
流域内では河口部の砂州堆積による閉塞、中流域及び、支川の土砂堆積やアシ繁茂など、
流れを阻害する要因が多く存在しています。特に低平地から下流市街地の流れの改善は、
今後の流域治水対策を図るうえでも、重要な課題です。このため、具体的には、次の維持
管理対策が必要です。
・河口の堆積土砂の撤去。
・市街地狭小な区間における護岸補強時の断面改善
・上流の河床堆積土砂の撤去及び、繁茂するアシの刈り取り撤去
図 39-流れを改善する維持管理
48
(4)上流森林地域の保水力強化
流域面積の約 7 割を占める森林については、近年の林業の低迷、松くい虫による枯損に
よって荒廃しており、本来森林が持つ保水力が低下しているとの指摘が多数寄せられてい
ます。森林の荒廃は、保水力の低下に併せて、降雨による浸食と崩壊に脆弱な状況にあり
ます。このことから、局地的豪雨が顕在化する中で、森林の持つ保水力の強化は、今後の
重要な課題となっています。
流域の森林の大部分を占める松林は、現在空中からの薬剤散布によって、その形状を維
持していますが、薬剤影響を防止するため、集落人家から 200mの距離を確保して実施され
ています。このため、集落背後斜面の山林において、松がたち枯れた状況が顕著になって
います。
豊富な湧出量の本宮の泉を抱える本宮集落は、松枯れ後の山林に、広葉樹を導入する試
みを継続しており、淀江小学校の総合学習の場として、山林を提供しています。総合学習
においては、広葉樹のドングリを本宮から持ち帰り、学校内で発芽、苗木にまで育てて、
再度元の山林に植樹する作業を継続しています。これら作業によって、森林の持つ保水力
のほか、しいたけ栽培などの林産物供給、森林生態系など、ふるさとの森林の役割と重要
性を、次世代を担う小学生たちが学んでいます。
今後、流域森林による保水力強化は長期的な課題ですが、森林の公益的機能を確保する
うえで、森林所有者、流域住民、行政が協働した取り組みが必要であると考えられます。
図 40-淀江小学校の総合学習の様子と「とっとり共生の森」の仕組み
49
(5)流域治水に向けた協働
流域には、本宮の泉、天の真名井の泉に代表される、豊富で良質な水源に発する河川環
境、流域の大半を占め、多様な生物を育み独自の風景を持つ森林環境、古来から受け継が
れてきた歴史的まちなみ、集落の景観を持つ都市集落環境があります。流域治水の前提は、
課題解決に向けた、それぞれの土地利用の相互調整によるバランス確保にあり、その場所
の環境に極力影響を与えないことが重要になります。そのためには、流域内の環境特性を、
住民と関係者が認識し、共有していくことが必要です。そのため、流域治水における対策
についても、そのエリアに適合したものとするため、話し合いを含めた協働を行いながら、
進めることとしています。
具体的には、ハード施設(河川管理施設)の設計における、まちなみ、景観に馴染んだ
デザインの構築であり、仕切堤の構造形状、修繕する市街地護岸の景観、動植物への配慮
などが挙げられます。さらに、河川を維持管理する面においても、すでに行われている海
岸砂浜と周辺の清掃活動のように、地域における重要な区域においては、ボランティアを
含めた協働も発展できるものと考えます。
さらに、ソフト対策としての意識共有、相互連携も重要な課題であります。それは、洪
水時の降雨、河川の水位、浸水の危険性など、洪水に関連した分かりやすい情報を提供す
ることは河川管理者としての役割ですが、浸水状況の通報、避難誘導の連絡など、住民と
関係者が相互に連携して行動(協働)することも必要であると考えます。
図 41-河川・道路ボランティアの促進
50
あとがき
本「宇田川治水計画提案書」は、行政、流域住民、学識経験者の話し合いによる合意形
成の成果であるとともに、実務に携わった宇田川流域治水計画策定協議会の委員のみなさ
ん、事務局を担当された鳥取県・米子市の職員のみなさん、さらに協議会の運営および提
案書の作成に関わったコンサルタントのみなさんの、文字通りの協働の成果でもあります。
過去に厳しい対立のあった宇田川治水がこのような計画提案書の策定で再スタートでき
たのも、上記関係者のみなさんの宇田川流域にかける強い思いと対立を克服しようとする
熱意の賜物です。ここに、計画書案の作成に参加されたみなさんのお名前を記し、敬意を
表したいと思います。
宇田川治水計画策定協議会委員長
桑子 敏雄
学識経験者
猪迫耕二
熊谷昌彦
檜谷治
住民代表
安藤一雄
越田昇
長田健三
生田隆正
陶山登
本田秀和
大田勝
泉頭文雄
松江芳高
勝部将之
田中英省
森田康博
河津儀一
富田益司
八木多津子
國頭徹夫
長井公三
地域活動家
國頭芳夫
鷲見寛幸
田中秀明
濱邊隆俊
矢田貝繁明
渡邉柾城
鳥取県県土整備部河川課
岡田順三
岡本峰夫
田中良拓
露木裕文
日笠雄吾
鳥取県西部総合事務所米子県土整備局
安藤浩平
今井敏光
岡田雅美
船越督史
松井俊樹
森田克史
木下伸二
白根伸也
藤井優
豊島靖
沼田慎悟
村上悦生
米子市建設部建設企画課
北村知己
松本寛史
米子市淀江支所
桑本茂
永江浩庸
三井共同建設コンサルタント株式会社
北川佳代子 河野文俊
後藤元樹
森川裕之
株式会社ヨナゴ技研コンサルタント
今田晴之
武田稔
株式会社アテナ
上田泰子
鐘築一雄
(敬称略・五十音順)
以上
51
付録
これまでの協議会の経緯
【第 1 回協議会】 平成 26 年 6 月 27 日 18 時~20 時 米子市淀江支所
○協議会規約及び委員長選出。
○治水計画は白紙状態であり、協議会と住民意見による意見と話し合いにより、河川
の将来的な姿を合意形成に基づいて方向性を検討していく方針を共有。
○事務局が調査解析してきた事項に加え、関係委員から多様な意見、質問が提示され
た。
・
過去の浸水と低平地の湛水位、鉄道橋桁下、潮位との関連に着目し、宇田川河道
の特性を共有。
・
過去に県が提示した河道拡幅計画による家屋移転への反対の意向は、現在も根強
く記憶されているとの意見。
・
低平地に多数の圃場を有し、本来水が集まってくる地形にもかかわらず揚水施設
が多数存在する灌漑方式の特徴。しかし、塩分が多量に混入しており、揚水ポン
プが仕様できていないのが実情。
・
場所や地域によって、治水の方法は大きく異なってよいはず。人が被害をうける
のか、人が住まないところが被害をうけるか、など、地域の独自性をもって、淀
江らしさが出せる治水方法を検討するべき。まちづくりの観点からは、都市計画
区域内であれば、市街化区域と市街化調整区域を区別して考える。
・
流域の開発が進展し、道路は舗装され、圃場の用排水路はコンクリート製になり、
保水力が低下している。
・
昔は浜辺がもっとキレイであった。現在では、刈り取った葦が流れついて、砂浜
の景観を乱している。さらに、沿岸漁場にも多量のゴミが流出し、海底はゴミだ
らけにている。
○これらの多様な意見をもとに、現地視察において、治水対策上の流域内の課題とそ
の解決策にむけた検討を行うこととした。
図 42-宇田川流域治水計画策定協議会のようす
52
【現地視察会】 平成 26 年 7 月 31 日 13 時 30 分~18 時 宇田川源流から河口、米子市
淀江支所
○13 時~14 時
流域の環境情報説明、前回協議会での質疑への応答
○14 時~16 時 30 分 現地視察(マイクロバス、県公用車により流域内の要所視察)
・本宮(宇田川上流、準用河川本宮川)

本宮の泉 30,000 ㌧/日を湧出する県指定
の名水

水温 25℃以下、良好な水質で生息するバイ
ガモの群落

本宮流域のマツ林の立ち枯れ状況
・中西尾(淀江平野を一望)

本宮からの湧水を、本宮川を介して農業用水
として取水
・高井谷(宇田川支川、準用河川泉川源流)

天の真名井の泉 2,500 ㌧/日の名水百選の
ひとつ

泉川が淀江平野の低平地を緩流すること、高
井谷の農地が丘陵地にあることから、灌水で
きる面積が限定されている

淀江平野の用水量を確保するために戦時中
に開発された農業用トンネル(昭和用水)の
入り口を視察
・福岡(農業用排水路大洞川)

天井川の灌漑面積の範囲を共有。大更川の湧
水を源泉にして、天井川周辺の広範囲に灌水
している実情。

大洞川が用排水兼用になっており、
流末の樋
門で下流圃場への灌水と、豪雨時の排水をコ
図 43-現地視察のようす
ントロール。

圃場整備に伴うコンクリート製水路による用排水分離によって、条里制から続
いていた「あてごし」の灌水がなくなり、豪雨時の出水が激しくなっている実
情。
53

福岡地区上流のため池が、上流からの土砂で閉塞し、貯水量が確保できなくな
っている。結果ため池による洪水調節の機能が低下している。
・淀江(鉄道橋上流低平地から市街地まちなみを徒歩により視察)

平成 23 年 9 月の鉄道橋上流の浸水範囲を確
認

川床の高さが海面より低いこと、塩分が遡上
することも自然な高さであること、
汽水域に
住むボラが確認できた

緩い勾配で流れがない状況を確認

尾根境にある淀江運動公園の排水も、流域に
流れ込んでいる実情

鉄道橋、川向橋、淀江大橋、安久橋、新淀江
大橋まで古いまちなみが現存している
・宇田川河口

河口に砂洲が発達しており、閉塞されている

テナガエビなど、河道内に生息している水生
動物を確認
○17 時~18 時
図 44-現地視察のようす
意見交換:航空写真、流域図面に、視察によって気づいた事項を、委員が
思いのままポストイットに記載して貼り付け、意見交換しながら話し合いを進めた。
・
本宮の泉はすばらしい環境、詳細に調査して記録を残しておくべき
・
ゴルフ場跡の開発による流出への影響が心配
・
天井川の水量が予想よりかなり少ないと感じた。しかし、天井川は上流から鉄砲水が
頻繁にあると聴くので対策が必要
・
どの河川も通常は農地に用水を供給しているが、大雨の際には、出水が激しい。鉄砲
水、土石流、大雨の対策が必要。天井川合流部には、豪雨時に流れ木が混入した実績
がある。
・
以前、大更川は沢ガニ、天井川にはオオサンショウウオ、ホタルが生息していた、ま
た河川プールも設置されているが利用していない。環境に配慮した川づくりも必要。
・
流域内の水利用として決して潤沢な状況ではなく、リサイクルしながらなんとかやり
くりしている状況。常時の水利用、豪雨時の対策を区分して検討するべき。
・
バイガモは絶滅危惧Ⅱ種に指定されている、葦の繁茂によって影響を受けるため、豊
かな環境をバランスを取りながら維持すること
54
・
水域の生態系としては、本来河川縦断的に、淡水、汽水、海水のエリアがあり、この
環境を人為的に乱すことは好ましくない。落差工は水生動物の往来ができないので、
配慮が必要。また、流域には、スズキ、ドジョウ、シジミ、ヤリタナゴも生息できる
環境があるはずなので、調査を細かくしておいてほしい。
・
農地の畦畔高さを以前の状況と比較しながら保水能力を高める方策もありそう。
・
雨が降ればすぐに水が溜まる、そういった性質の土地であることを認識しながら、洪
水とどのように向き合うかが重要なこと
・
市街地河道内に撤去できるコンクリート構造物があるのではないか、河口の閉塞によ
って流れにくい状態であれば、テトラポットなどで対策してはどうか。
図 45-意見交換のようす
【住民意見交換会】
平成 26 年 8 月 27 日
19 時~21 時
淀江小学校体育館
◯流域航空写真を 5m×6mまで引き延ばして体育館床に敷設
◯流域住民、協議会委員が直接写真の上を歩き、眺め、自らの集落と河川、周辺の土地
利用を確認しながら、思った意見をポストイットに記載し、貼り付け。
◯住民に質問意見に回答しながら、話し合いを展開
・
この協議会は「改修ありき」のものなのか?以前、河川を拡幅する計画が持ち上
がった時には、9 区では反対した。 →そうではない。治水計画は河川を広げるだ
けが対策ではない。またハード対策に併せて、ソフト対策も重要な位置づけ。流
域にあった治水の方法を、住民意見を聞きながら合意形成のもとで決めていきた
い。
・
低平地の農地を持つ者は、水害時に自分の農地が浸かることを受け止めてきた歴
史的な背景を理解して対策を検討してほしい。また、現在では約 40%の減反を行
い、代替作物を栽培している実情を理解したうえで、対策を検討するべき。
55
・
治水の話をする前に、今ある河川の維持管理を徹底するべき。
・
河幅を広げることは、家屋の移転の問題のほか、高潮、波浪時に潮が流入しやす
くなってしまう。
・
天井川の流入を放水路で分離する方法、上流域にダムを建設する方法はないの
か?
・
大雨の際に流域内の農地に一時的に水を貯留させることが、下流域にとっては合
理的な対応では?上流域で営農している者としては、受忍できる話ではない。圃
場に貯水して桁の補修補償は誰がするのか?水が出た時には圃場に水を入れない
のが、圃場管理の在り方。
◯交換した意見を取り入れ治水計画の策定を行い、方向性を検討したうえで、第 2 回目
の意見交換会で話し合いを行うこととしました。
図 46-巨大航空写真を用いた住民意見交換会のようす
【第 2 回協議会】 平成 26 年 9 月 29 日 15 時 30 分~18 時 30 分 米子市淀江支所
・
これまでの協議会、現地視察会、住民意見交換会による意見を踏まえて、治水の方
向性の話し合いを行いました。

整備期間の概ね 20 年間は工事費的にも予算が継続する期間として考える。
56

大きなまちづくりの観点では、20 年間で何ができるかが課題であるが、20 年後
の町全体がどうあるのかという観点で議論する。さらに、大規模な農地を含む流
域として、農村の景観としての視点も取り入れる。

過去の水害の履歴をみれば、100 年くらいの再現期間を持っているようであるが、
どの程度の洪水規模を想定した計画づくりを目指すのか?
災害が発生するた
びに、指摘されるが、すべての規模に対応するのは不可能であり、最終的には避
難態勢(ソフト対策)が重要になってくる。 →近年の平成 23 年 9 月の洪水は概
ね 20 年規模であるが、想定している浸水範囲は 50 年に 1 回の発現規模を想定し
ている。それを超える洪水がないとは言えず、そのためには現在設置している水
位計やライブカメラからの情報を、避難情報としてさらに分かりやすく工夫する
べき。

これまでの話し合いにおけるポイントは
◇
家屋移転を伴う大規模な河道拡幅、放水路は、まちの機能を損なうことを考
慮する

◇
現状の河道の持つ問題を検討する
◇
歴史的まちなみや、豊かな水環境の位置づけを明確にする
◇
農地の持つ洪水を一時とどめる機能と、農地の利水対策を考える
◇
鉄道付近の溢水対策を考える
◇
長・中・短期での保水や砂防などを含め、流域全体の治水を視野におく
であり、今後の治水の大前提として、大規模な河道改修案と放水路案は採用しな
いものとする。さらにその方策案として、

◇
まちづくりや景観との調和に配慮して、河道の流下能力を向上・改善する
◇
浸水家屋への対策を考える
◇
農地の洪水を一時とどめる機能を維持しつつ、農地としての利用を維持する
◇
森林の保全、上中流での対策を含め、流域全体で考えられる方策を検討する
◇
これらの方策を最適な形で組み合わせる。
地域の特徴が外側から見えにくくなっている。その地域のシンボルは何で、何が
大事なのかを皆に知らせる方法を考えるべき。人が集まるところ『ノード』、地
域の特徴が分かる場所『ディストリクト』、人と川との境界部『エッジ』を明確
にするとともに、『ランドマーク』として流域の特徴付けが必要。

都市の人を助けるだけで、農家にとってのメリットがない。利水への具体的な取
り組みを確認しておきたい。
57

治山や砂防、農林部局を通じて、長期的なビジョンを示して、意見がそれぞれの
部局に届くようにしてほしい。

宇田川はコンパクトな流域として、山から海までをトータルしてマネジメントで
きる場所であり、治水、利水、環境を流域全体で考えるべき。

これまでにひとつのことについて、町民が何回も議論した記憶がない。協議会の
枠組みができたこともあり、継続的に少しずつでも改善できる、何かできそうな
感じがする。
・
治水の方向性について、協議会内で賛同を受け、次回協議会で具体的な治水対策を
提示し、意見をうかがうこととしました。
【第 3 回協議会】 平成 26 年 10 月 28 日 15 時 30 分~18 時 30 分
米子市淀江支所
・治水の具体的な方法について提示し、協議会委員からの意見をもとに、話し合いを行
いました。

・今後の治水の大前提として、大規模な河道改修案と放水路案は採用しないもの
とする。さらにその方策案として、
◇
まちづくりや景観との調和に配慮して、河道の流下能力を向上・改善する
◇
浸水家屋への対策を考える
◇
農地の洪水を一時とどめる機能を維持しつつ、農地としての利用を維持する
◇
森林の保全、上中流での対策を含め、流域全体で考えられる方策を検討する
◇
これらの方策を最適な形で組み合わせる。
これにより考えられる治水対策案は、以下のとおり
①河川の流れを改善すること
◇
河口堆積砂の除去
◇
護岸補強時の断面改善
◇
アシ(葦)・堆積土除去
②浸水家屋を洪水から守る
◇
住宅地を浸水から仕切る堤
◇
住宅地を浸水から仕切る道路かさ上げ
◇
住宅地の排水路、ポンプ整備
③農地の持続的利用と
◇
治水効果の維持
58
◇
潮止堰設置による塩分遡上解消
◇
砂防ダムによる土砂、ゴミ流出防止
◇
流出した土砂、ゴミの除去
④森林の保水力強化
⑤地域住民と県と市の連携
◇
河川堤防の草刈り
◇
河川海岸と周辺のゴミ除去
◇
流域内での防災・河川情報の共有
⑥意見交換によるまちなみ・景観に馴染んだ川づくり

土堤を作っても背後の斜面から流入する水の排除が必要。

土堤を作ることによって地域生活の分断が生じないか?できた土堤は次世代に
誇れる自然になるのか?景観、防犯上の問題にならないか?

いざ工事になってから、やっぱりダメだということにならないように、町民から
もっと意見が出るようにしないといけない。

土堤の高さ、規模を実際に体験できる模型づくりが必要。

鉄道部分をいくらか拡幅することによって、多少なりにも流れやすさが確保され、
土堤規模が小さくなることはないのか?

土堤を設置される近くの住民の意見が重要。住民によっては、土堤を桜並木にす
るとか、コンクリートで小さく作るとか、やり方も様々と思う。

土堤のほうが絶対有利との論理がきちんと説明できていない。森林の保全や砂防
ダムの話があったが、流れてくる水を減らすことを議論するべきであり、治水ダ
ムの話がないのはなぜか?
→本宮川の農地関係者の聞き取りでは、ダムによっ
て農地がなくなることへの危惧があった。一方、本宮川から取水する用水路の上
部斜面が崩落する懸念をされており、砂防ダムの必要性について要望をされてい
た。

土堤を作るアイディアは、今にでも必要となる浸水対策を行うもの。それに比べ
て流域の貯留効果を高めることは、一朝一夕には出来ない。短期の対策と、長期
の対策をよく考えながら実施するべき。

農地の一時貯留は、農地の被害を許容しながら、家屋を守っていくというもの。
農地には被害が出ないような誤解を招く説明ではいけない。いつどのような状況
で、浸水被害が出るのかを、農家以外の人にも分かるようにすること。潮止め堰
の設置による、現状と改善効果に関しても同様。
59
【住民意見交換会】 平成 26 年 11 月 27 日 19 時~21 時 淀江中学校体育館
・治水の具体的対策案として検討している内容について、全般に意見交換を行い、課題解
決に向けた検討事項を抽出しました。
・低平地の新興住宅地の土堤を、実寸大モデルとして作成。それぞれの宅盤からの土堤を
ロケーションとして体験してもらいながら、意見交換を行いました。
・発言のあった意見は次のとおりです。

治水計画について、大まかに理解できた。協議会ができて、良い方向に向かっている
と思う。

土堤の近くに住んでいる者として参加したが、土堤を低くし、浸水するようでは意味
がない。この程度の高さがないと意味がないと思う。

天井川の下流を拡幅する抜本的な対策を取るべきだ。家屋の浸水被害を防ぐために、
水田を犠牲にしてもいいのか?農家はそれで納得するのか?誰が補償するのか?
→現状の問題は、低平地にある農地と住宅地の浸水被害をどのように解決するかであ
る。現在浸水している範囲のなかで、どのように土地利用して、どのように治水対策
を行っていくべきかが論点なのであり、その計画を作るに至った。

今後は農家も減少し、25 年先に誰が農業をしているか分からないが、農地が宅地にな
っている場合もある。 →現在浸水している農地を宅地などに土地利用することは危
険であり、今後土地利用を区分するうえで、建築基準法による宅地開発の制限がなさ
れることになると思う。

淀江は森と水が豊かで誇り。地球温暖化による異常気象、環境悪化による森林の荒廃、
地下水のくみ上げなどで、将来的に湧水が枯渇するのではと心配。ゴルフ場開発にお
いても、過去土砂が流出して漁場に被害を与えたことから、開発許可を出したところ
に反省を求めたい。

土堤による対策は抜本的ではなく、あくまで対処的なやり方であることを理解するべ
き。地域の現状のなかで、お互いの考え方の違いを理解しながら、被害を最小限にと
どめるためにできる最大限の対策というイメージ。住民との間で認識の違いを理解し、
誤解を与えないよう合意形成し、実行可能な対策をとってほしい。

市街化区域外で海と山に挟まれたエリアで治水対策を行い、両方に対応しなければな
らない。海からの対策をしなければ、塩分遡上で営農に支障を来す、また、山からの
対策をしないと土砂が流れてくる。この両者のバランスを考えながら治水計画を行う
ことは非常に難しいことであるが両立させなければ治水は成り立たない。まちと農地
60
の住民で話し合いをして、どのように対応していくか、どのような治水計画、最善の
方策を立てるかが今回のテーマ。大規模な河道改修案でなく、環境保全をメインに対
策案を考慮したところが協議会での大きな方向性、成果である。
図 47-原寸大模型を用いた住民意見交換会のようす
【住民アンケート】 平成 27 年 2 月 8 日回答期限
1,481 部配布、回答数 285(回答率 19.2%)
・仕切堤による一時湛水する地区からの有効な避難路設置、市街地全体の避難経路を提案
する意見がありました。
・渓流の砂防工事における低平地の流入負荷の増加について、対策を検討するべきとの意
見がありました。
【第 4 回協議会】 平成 27 年 2 月 20 日 15 時 30 分~18 時 30 分 米子市淀江支所
61
参考文献
・淀江町史 1985 年(昭和 60 年)8 月 15 日
・淀江風土記
1989 年(平成元年)12 月
淀江町
淀江町役場
・県営淀江宇田川地区ほ場整備事業記念誌 昭和 63 年 淀江宇田川地区土地改良区
・河川法改正から十年 尾田栄章 RIVER FRONT 公益財団法人リバーフロント整備センタ
ー 2007 年(平成 19 年)Vol.59
・整備計画と住民の参画 林 桂一 RIVER FRONT 公益財団法人リバーフロント整備セン
ター 2007 年(平成 19 年)Vol.59
・大山火山における深層ボーリング試料の岩石記載と K-Ar 年代
竹下浩征・草野高志・八木公史・郷津知太郎
地質技術 第 2 号 2012 年(平成 24 年)
・私たちの「いい川・いい川づくり」最前線
「いい川・いい川づくり」研究会
株式会
社学芸出版社発行 2004 年(平成 16 年)7 月
・多自然川づくりポイントブックⅡ「川の営みを活かした川づくり」
多自然川づくり研
究会 財団法人リバーフロントセンター発行 2008 年(平成 20 年)8 月
・河川景観デザイン「河川景観の形成と保全の考え方」の解説と実践
と保全の考え方」検討委員会
財団法人リバーフロントセンター発行
「河川景観の形成
2007 年(平成 19
年)11 月
・社会基盤整備をめぐる社会的合意委形成
地システム専攻教授
桑子敏雄
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値
海岸 vol48、No.2 社団法人全国海岸協会 2009 年(平成
21 年)
・紛争解決と合意形成の空間構造
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システ
ム専攻教授 桑子敏雄 Civil Engineering Journal 2006.5(平成 18 年)
・社会的合意形成と風土の問題
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システム
専攻教授 桑子敏雄 千葉大学 公共研究 第 3 巻第 2 号 2006 年(平成 18 年)9 月
・景観の価値と合意形成
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システム専攻教
授 桑子敏雄 環境アセスメント学会誌 5(1) 2007(平成 19 年)
・環境政策の思想と社会的合意形成
テム専攻教授
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地シス
桑子敏雄
・現代日本の合意形成
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システム専攻教授
桑子敏雄 TASCmonthly 2008.4 (平成 20 年)
・コミュニケーションにおける合意形成と感性
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システム専攻教授 桑子敏雄 電子通信学会誌 Vol.92 No.11 2009(平成 21 年)
・国土政策と社会的合意形成のプロジェクト・マネジメント~歴史と現場からの考察~
東京工業大学大学院社会理工学研究科
価値地システム専攻教授
桑子敏雄
季刊
政
策・経営研究 2010 Vol.4(平成 22 年)
・否定しないで始める合意形成~防災道整備を通じて住民たちが深めた絆~
NIKKEI
CONSTRUCTION 2013.12.9(平成 25 年)
・「多自然川づくり」と「市民普請」
テム専攻教授
桑子敏雄
東京工業大学大学院社会理工学研究科
国土交通省全国多自然川づくり会議
価値地シス
関東地方整備局
2013
年(平成 25 年)12 月 6 日
・東郷池改修計画における地域との合意形成について
鳥取県県土整備部河川課
前田崇
文 多自然川づくり中国ブロック会議事例発表 2013 年(平成 25 年)10 月 31 日
・葬られた王朝―古代出雲の謎を解く 梅原猛 新潮文庫 2010 年(平成 22 年)4 月
・宇田川河川改修工事「総合治水計画策定業務委託」報告書
鳥取県西部総合事務所
2015 年(平成 27 年)3 月
・宮崎海岸の侵食対策~成り立ちと経緯~
国土交通省九州地方整備局宮崎河川国道事務
所
63