No.43 (Japanese) - 弘前大学大学院医学研究科/医学部医学科

1面:医学研究科長医学部長寄稿
2面:就任挨拶
3面:弘前医学会開催を前にして
4面:がんプロ養成プラン
5面:国際化教育奨励賞受賞報告
6面:日本癌治療学会総会 優秀演題賞を受賞して
7面:日本脈管学会YIAの受賞について
8面:研究室紹介 脳神経外科学講座
9面:学生短期留学報告
10面:図書館だより
11面:医学祭・医学展を終えて/学生チューター報告
12面:総合研究棟第二期工事進捗状況
13面:三沢空軍病院研修報告
14面:在相町会長寿クラブの皆さんに感謝状授与
第43号
発行日:平成19年12月20日
発行者:医学研究科広報委員会
印 刷:やまと印刷株式会社
題字 弘前大学長 遠藤正彦氏筆
これまでも同じ趣旨のこ
とを繰り返し述べてきまし
たが、医学はあくまで科学
の一分野であり、大まかな
分類では自然科学であるこ
とに多くの人は同意して下
さると思います。しかし、
医学は社会科学的、人文科
学的色彩を少なからず帯び
ており、また、常に社会的
存在としての人間を意識し
なければ医療は成り立ちま
せん。そう考える時、およ
そ医学に無縁な学問や知
識、技術、経験などは本来
存在しないのではないかと
さ え 思 え る の で す 。 そのようなことから、﹁無
用の用﹂という言葉が特に最
近 気 に な っ て い ま す。こ れ
を 国 語 辞 書 で 調 べ る と、
〝[荘子]無用とされてい
るものが、かえって大用を
なすこと〟
︵﹃ 広 辞 苑 ﹄︶と 説
明してありました。このよ
うな考え方は荘子ばかりで
はないようです。いずれに
せよ、
﹁ 大 用 ﹂に ま で 高 め る
と は 言 わ な く て も、今 は
﹁無用﹂と思える物事が本
当に﹁無用﹂であるか否か
を軽々に結論づけるべきで
な い 場 合 は 少 な か ら ず あ り、
医学には︵というより、恐
ら く 全 て の 学 問 に は ︶、 こ
れが特にあてはまるのでは
ないでしょうか。従って、
自ら医学を十分に修めた
と 考 え る 人 や、あ る い は
﹁ 名 医 ﹂で あ る と 公 言 す る
人 は 滅 多 に 居 ま せ ん。医
学者としての道に決して
終わりはないと思えるか
らでしょう。
例えば、先日チュートリ
アル教育に関する学生評価
のワークショップに参加す
る機会を得ました。その試
みを素晴らしいと感じると
と も に、六 年 生 の 学 生
チューターも積極的に参加
していたことは、大げさに
言うと、感動的でさえあり
ました。しかし、そのワー
クショップにおいては、い
くらか控えた表現ながら、
学生諸君の間にチュートリ
アル教育に対する﹁無用﹂
論が少なからずあったよう
に思います。もちろん、学
生諸君の気持ちはよく分か
りましたし、教育全体の中
でチュートリアル教育その
ものが、まだ確固たる地位
を得ていないということが
本質にあるのではないかと
感じました。チュートリア
ル教育についてこれ以上の
議論は別の機会に譲るとし
て、それに限らず、物事の
価値を目先の利益や成果の
みを基準に考えることは危
弘前大学の独立法人化は
いやおうなしに大学運営を
ひとり立ちへと追いたてて
い ま す 。﹁ ひ と り 立 ち ﹂ と
いう言葉自体は耳に心地よ
く響きます。しかし、運営
は経営の自立を促すことに
繋がります。国家財政が逼
迫している現在、教育の場
にも手をつけざるを得な
かったのが現状です。大学
を意識するようにもなり、
研究室全体が研究費を﹁無
用﹂に費やしていないか気
になった時期もありまし
た。貧しいが故の悲しさで
あると思います。しかし、
残念なことではあります
が、最近になってようやく
明確に﹁無用の用﹂の重要
性が理解できるような気が
に対する運営費交付金は
年々一%ずつ徐々に減額さ
れています。加えて五年間
で五%の人件費削減が期限
付きで打ち出されていま
す。これを履行するために
大学法人は大変な努力を強
いられています。先般、こ
れに水を掛けるような新
たな削減案が経済財政諮
問会議から打ち出されて
驚愕しました。科学研究費
の獲得に見合った配分の見
直しをすべきというので
す。弘前大学は残念ながら
減額される筆頭の総合大学
になるところでした。これ
では、巨大な大学はさらに
大きく、地方大学はやせ細
しています︵決して研究費
が潤沢になった訳ではあり
ま せ ん が ︶。
おそらく、
﹁ 無 用 ﹂を﹁ 無
用 ﹂ に 留 め る の も 、﹁ 大 用 ﹂
に高めるのも、その人の考
え方と資質の問題ではない
かと思えます。研究におい
ては、まさしくそれがセレ
ンディピティの一部だった
のではないでしょうか。そ
の意味では、
﹁ 無 駄 ﹂や﹁ 非
効率﹂を排することは重要
ですが、
﹁ 無 用 ﹂の 研 究 も 行
われることが本来は必要な
のかもしれません。研究は
さておいて、立ち止まって
よく考えてみると、ほとん
どの物事に、それなりの意
味があるように思えて来る
のです。還暦に近づいた今
になって、このことに気付
る一方となります。この危
機感は役員会の空気全体を
占めていました。重苦しい
雰囲気の中、弘前大学遠藤
正彦学長からのマスコミへ
の緊急声明と行政への呼び
かけは素早かったと思いま
す。幸か不幸か、参議院選
挙を通じて?大学の基盤経
費におよぶ今回案はひとま
ず鳴りを潜めたように見え
ます。しかし、新手の策が
打ち出されることは予想に
難くなく、私たちとしては
できるだけ防御に全力を挙
げなければなりません。防
御とは、科学研究費を始め
とする外部資金を手に入れ
ることです。大学全体の危
弘弘前前
弘
前大大
大学学
学医医
医学学
学部部
部附附
附属属
属病病
病院院
院長長
長 花 田 勝 美
身身の
身
のの丈
丈丈に
にに合
合合っ
っった
たた附
附附属
属属病
病病院
院院
︱
︱︱プ
ププロ
ロロク
ククル
ルルス
スステ
テテス
ススの
ののベ
ベベッ
ッッド
ドド︱
︱︱
険に思えます。私自身もそ
のことを明確に意識するよ
うになったのは、最近のこ
とであり、学生の時は、今
の学生諸君と同じように
思っていたことは間違いあ
りません。告白すると、そ
の後に研究室を運営する立
場になってからは、費用対
効果を含めて、研究の効率
弘前大学大学院医学研究科長・医学部長 佐
佐佐 藤
藤藤 敬敬
敬
科科学学
科
学とと
としし
してて
てのの
の医医
医学学
学をを
を再再
再びび
び考考
考ええ
えるる
る
長
稿
科
寄
究
長
研
部
学
学
医
医
いたのは遅きに失したと言
えますが、そして自らの中
で﹁ 無 用 の 用 ﹂を﹁ 大 用 ﹂へ
と止揚するようなことは最
早できないとは思います
が、
﹁ 無 用 の 用 ﹂と い う 言 葉
を心に留めて教育・研究に
臨みたいと、個人的には改
めて思っています。
講義、実習を含めた医学
教育の中に﹁無用﹂な物事
があるか否かの判断はやは
り容易にできませんが、も
し あ っ た と し て も 、﹁ 無 用
の 用 ﹂を﹁ 大 用 ﹂へ と 高 め る
心 構えを、医学の将来を担う
これからの人たちには是非
持って下さるよう願ってい
ます。
機感は大学職員の半数を占
める医学部も共有する重要
事項です。もちろん、医学
部附属の病院もその責務を
担わねばなりません。しか
しながら、附属病院の医業
収入は大学法人全収入の四
十%を占めますから、収入
を維持する責任は重大で
す。これまで医学部附属病
院は紛れもなく地域の期待
に応え、臨床教育、先進医
学の開発、地域医療に貢献
し、発展してきました。法
人の支援の下、病院の再開
発も予定通り進み、九月末
に新外来棟がいよいよ竣工
しました。医学部も基礎校
舎に続き研究棟側もリ
ニューアルすることが決ま
りつつあります。新しい医
学部校舎、新しい附属病院
の全体像を想像すると、何
とも胸躍る気持ちです。こ
のようななか、遠藤学長が
﹁身 の 丈 に 合 っ た 附 属 病
院﹂の 発 言 を さ れ て い ま
す。経営の自立を余儀なく
されている現状では適正規
模の病院であることの意味
を真摯に考えなければなり
ません。
﹁ プ ロ ク ル ス テ ス の ベ ッ
ド﹂は 最 近 よ く 耳 に し ま
す。プロクルステスは、ギ
リシア伝説でメガラからア
テナイへの街道に出没する
強盗でした︵異説もありま
す ︶。 彼 は 極 め て 融 通 の き
か な い 人 間 で し た。そ こ
で、捕らえた旅人を自分の
ベッドに寝かせ、旅人の背
が高く、ベッドから足がは
み出せば、頭か足を切り、
逆に、背が低く、ベッドが
大 き い と き は、足 を 引 っ
張って、無理矢理ベッドに
合わせて宿泊させたといい
ます。もちろん、旅人は亡
くなります。この話は、国
の医療費二千二百億円圧
縮に対する皮肉な比喩と
して受け取られていま
す。すなわち、圧縮財政を
ベッドとしてとらえ、国は
膨張する医療費を容赦なく
切捨てているというので
す。プロクルステスはやが
てアテナイの王子テセウス
に退治されます。さて、そ
れではいったい附属病院は
﹁ 弘 前 大 学 ﹂、 ﹁ 地 域 医
療﹂というベッドの上でど
の程度はみ出ているので
しょうか?今や護送船団の
なくなった大学附属病院は
単に膨張一辺倒ではなく、
今後の安定経営を視野に入
れ徹底した病院の再編が求
められています。もちろん
将来計画には高度救命救急
センターも含まれますから
一般病棟は縮少を余儀なく
されます。この分、周辺地
域がベッドの不足分を補う
手助けをしてくれることに
強 い 期 待 を 抱 き な が ら、
﹁身の丈に合う附属病院﹂
の背丈を模索しています。
︵平成十九年十月九日記︶
す る 研 究 会 な ど の 地 域 医 療 青 森 県 の 地 域 医 療 を 活 性 化 日産にとってはよそ者であっ
対 策 、 ② 市 民 公 開 講 座 な ど するためには、弘前大学医学 た 点 が 上 げ ら れ ま す 。 そ れ
の公開講座推進活動、③臨 部が活力ある状態にするべ 故に日産の生え抜きと異な
床 研 修 指 導 医 養 成 事 業 な ど きで、そのためにも青森医学 り 、 過 去 の し が ら み に と ら
の地域医師・コメディカル 振興会がそのバックボーン われないで改革を進めるこ
青森医学振興会理事長 棟 方 昭 博
の 教 育・研 修 、 Ⅱ.医学教育 と し て の 役 割 が さ ら に 重 要 と が で き た こ と で す 。 一 方
で、当時会長であった日産
や医学研究への助成、Ⅲ.
国 になるものと思います。
てのトータルのメリットが 際交流として国際学術集会 今後の医学部の発展なく 生え抜きの塙義一氏が、彼
あるのか今後慎重に検討す への助成などを行って来て して青森県の地域医療の問 を全面的にバックアップし
べ き 課 題 と 思 わ れ ま す 。 平 お り 、 さ ら な る 募 金 活 動 と 題 解 消 は な く、 そ の た め に て 全 て を ま か せ た こ と で 、
成 二 十 五 年 十 二 月 に は 特 例 会 員 の 募 集 に 努 め 、 事 業 の も 本 会 は さ ら に 幅 広 く 支 援、 彼 が 会 社 の 中 で 孤 立 せ ず 、
民 法 法 人 の 移 行 期 間 が 終 了 活発な推進を図っております。 助成を行い地域医療、医学教 き ち ん と 仕 事 が で き た 大 き
し ま す の で 、 そ れ ま で に は 現在、医療界には次々と難 育、医学研究の発展に貢献し な要因だといわれています。
新 法 に 即 し た 法 人 に 移 行 を 題が投げかけられ、日本の医 て い き た い と 思 い ま す。医 日 本 の 社 会 で は 、 よ そ 者 、
完 了 す る の が 今 後 の 本 会 の 療 が 崩 壊 す る の で は な い か 療に関係する各界、各層の皆 新 参 者 が 力 を 振 る う た め に
との危惧があり、特に青森県 様 方 の さ ら な る ご 支 援 と ご は 、 後 ろ 盾 に な る 権 威 が 必
課題であると思います。
平 成 十 九 年 度 は、Ⅰ.
地 域 の 地 域 医 療 は 極 め て 厳 し い 理解をお願い申し上げます。 要 な の で す 。 加 え て 、 あ ま
り知られていませんが、ゴー
医 療 振 興 事 業 と し て ① 生 涯 状 況 に あ る と 思 い ま す。弘
ン社長が現場を回り、社員
教育講演会、継続看護に関 前大学医学部が担っている
とともに危機感を共有した
ことは、厳しい改革を成し
遂げる上では極めて重要な
ことでした。彼は目標と達
成期限を示したのみで、細
かい提案については、現場
胸部心臓血管外科学講座 教授 福 田 幾 夫
からボトムアップで出すよ
うに仕向けたことが、現場
からの大幅なコストカット
を 成 功 さ せ 、V 字 回 復 の 原
動力になったことを参考に
すべきだろうと思います。
しかしながら、コストカッ
トのみでは成長を維持する
ことができないことは、日産
のその後の赤字再転落に象
人 は 自 分 が 置 か れ て い る
徴 さ れ る こ と で あ り、 こ
立場をすぐ状況のせいにす
れがもう一つの教訓です。
る け れ ど、私 は 状 況 を 信 じ
自 動 車 会 社 に と っ て は、
ない。
コストカットで調達した財
この世で成功するのは、
源 を﹁売 れ る 車 ﹂ の 開 発
立ち上がって自分の望む状
況を探しにゆく人、見つか
に 回 さ な け れ ば、 単 な る
らなかったら作り出す人。
縮小再生産の悪循環に陥っ
ジョージ・バーナード・ショー
てゆくことを意味します。
マネジメントの三要素は
一 .競 争 力
、
competence
二 . 将 来 性 marketing
、
三 . 財 務 finance
で あ り、
まさに日産の現状はこれら
をいかにうまく行うべきか
を象徴的に示しています。
これを現在の弘前大学医
学部附属病院に当てはめれ
で論じられており、新規の
公益法人がなかなか認可さ
れない状態にありました。
平成十八年五月に新公益法
人 関 連 三 法 が 国 会 で 成 立 し、
新しい法律の制定とその後
の流れが内閣府より公表さ
れ、そのアウトラインが次
第に明らかとなってきまし
た。現在の本会は旧法にのっ
とり設立されましたが、平
成二十年十二月一日にス
タートする新制度に即した
法人への衣替えの作業が必
要となります。新制度では
公 益 性の有無や目的に関わ
らず、準 則 主 義︵ 登 記 ︶で 簡
単に設立可能な一般社団法
人となります。さらに求め
る 公 益社団法人になるため
には、公 益 性 を 認 定 し て も
らう必要があります。一般
社 団 法 人は非公益団体で原
則 課 税、公 益 社 団 法 人 は 原
則非課税となり大きな違い
があります。公益認定の主
な基準は二十項目示されて
おり、さらに公益団体に認
定されるための二十三の事
業が具体的に示されており
ます。本会が対象となる可
能性のある項目としては、
﹁学術、科学技術の振興﹂
﹁ 公 衆 衛 生 の 向 上 ﹂﹁ 地 域
社会の健全な発展﹂などが
あ り ま す 。 公益法人になっ
た 場 合 に は、原 則 非 課 税 や
現行の公益法人並みの優遇
措置の可能性が大であるメ
リットもありますが、財政
的には基本的な考え方とし
て、収入よりも支出が大き
いことが求められるなどの
デメリットもあり、従来考
えられていた公益法人とし
本年十月一日から、医学
部附属病院副病院長を命ぜ
られました。経営担当とい
うことで、病院内の皆さん
とは、医師のみならず、各
職種の方々と一緒に仕事を
してゆかなければならない
と思いますので、宜しくお
願いします。
さて、国立大学が独立法
人化されてから三年が過
ぎ、さまざまな問題点が明
らかになってきました。こ
の間に、政権は﹁官から民
へ﹂をスローガンとした小
泉 政 権 か ら、
﹁お も い や り と
調和﹂を か か げ る 福 田 政 権
へと移り変わりました。棟
方昭博病院長の時代から、病
院長補佐として病院運営に
関わってまいりましたが、独
立法人化すれば、病院の人
事・財務は病院長の裁量権
となり、病院全体を主体的
に運営してゆく病院長に変
身できるのではないかと、ひ
そかに期待をしながら、材
料費の圧縮、集中治療部の
増床、医師の当直体制の改
革などに取り組んでまいり
ました。しかしながら、ふ
たを開けてみれば、人事権
は学長の裁量の元に据え置
かれ、病院事業の展開に必
要な資金も病院長の裁量に
まかせられる額はわずかで
す。
﹁学長に一時間以上怒ら
れ て 帰 っ て き た﹂と い う 病
院長の姿を見るに付け、﹁病
院 長 は つ ら い よ﹂ と 思 わ ざ
るを得ません。
日産のカルロス・ゴーン
社長は、赤字で瀕死の状態
であった日産を、工場閉鎖
や調達の見直しなど、大胆
なコスト削減で見事にV字
回復を成し遂げました。し
かしながら、本年度は再び
赤字に転落する予想です。
その理由は単純で、﹁売れ
る車がない﹂からです。こ
の日産の回復と再転落の中
に、私たちが学ぶべき教訓
が潜んでいると思います。
彼が、技術力は高いが車は
売 れ な い と 言 わ れ た 日 産 を、
数多くの前任者が取り組ん
で行えなかった大改革をな
しえた理由は何でしょうか?
第一に、彼は外国人であり、
制約を乗り越えて最大化を
副病院長︵経営担当︶
に就任して
青森医学振興会理事長に就任して
この度、菅原和夫前理事
長の後を受けて九月四日よ
り理事長に就任しました。
本会は、平成十一年三月に
当時の遠藤正彦医学部長
︵現弘前大学長︶の意向で、
任意団体として鵬桜医学振
興会として発足しました。
医学部の教育、研究、課外
活動への援助・助成を主な
目的として活動を始めまし
た。さらなる発展を目指し
て平成十三年に社団法人の
資格を申請し、四月二日に
青森県より社団法人青森医
学 振 興 会 の 設 立 が 許 可 さ れ、
その活動範囲も大きく広が
り青森県における地域医療
への貢献、さらには国際交
流推進等への援助・助成を
行ってきました。その後、
大学の法人化による種々の
問題も生じ、特に予算面で
の医学部における環境が厳
しくなり外部資金導入が強
く求められており、本振興
会への期待が高まっており
ますが、未だ充分な活動に
まで至っておりません。こ
の間、歴代理事長である臼
淵 勇 、吉 田 豊 、菅 原 和 夫 先
生らのご努力により医学部
学生への助成には特に力を
注いで来ました。さらなる
発展のためには公益法人化
が 求 め ら れ て お り ま し た が、
新しい公益法人制度が国会
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
ば、次のようなことが言え
る と 思 い ま す 。︵一︶
学長が
病 院 の 改 革 方 針 を 理 解 し、
病院長を全面的にバック
ア ッ プ す べ き で あ る。
︵二 ︶
当
面 の︵短 期 的 な︶赤 字 回 避 、
資金調達のためにはコスト
削 減 が 最 も 有 効 で あ る。
︵三 ︶
病院長は目標と達成期
限を具体的に示し、達成で
きない場合には責任を明確
に す べ き で あ る 。︵四 ︶
財務
改 善・ 業 務 改 善 は 上 か ら の
指示ではなく、各部署から
の 提 案 を 促 進 す べ き で あ り、
そのためには、各部署の危
機感の共有と協力が不可欠
で あ る 。︵五 ︶
調達した資金
は、生産性の高い診療部門
に再投資し、病院経営の牽
引車とすべきであり、ここ
か ら 得 ら れ る 余 剰 資 金 を、
社会的ニーズが高いが残念
ながら収益性は良くない部
門に配分すべきである。
現在、病院では診療報酬
対 策 特 別 委 員 会 を 設 置 し、
診療収入の改善とコストの
削減を目指して毎週のよう
にミーティングを行ってい
ます。その中で出された提
案に基づき、よりコストの
安い薬剤や診療材料に変更
することで、年間ベースで
五千万円程度のコストの削
減が可能になる見込みで
す。し か し な が ら、薬 剤
費・診療材料費を含めた医
療費の削減目標は今年度一
年間で二億円であり、さら
なる削減が必要です。学長
命令で十月からコンサルタ
ントも入り、診療材料の納
入価の圧縮に取り組んでい
ますが、現場の皆様の協力
が必要です。診療には差し
支えないように配慮してお
りますので、ぜひともよろ
しくお願いします。
現 場 と 危 機 感 を 共 有 し、
皆さんからの意見を吸い上
げるため、病院長、事務部
︵次ページへ続く︶
長、私で各部署に回ってい
ます。ここでは、さまざま
な提案をいただいています
し、できる限りそれに応え
られるように、期限を切っ
て 回 答 を し て い ま す。言
いっ放し、聞きっ放しの一方
通行の会にはしないつもり
ですので、どうか率直な意見
をお願いしたいと思います。
コスト削減のもう一つの
大 き な 柱 と し て、﹁機 会 費
用﹂の削減の必要も感じてい
ま す。
﹁機会費用﹂とは、本
来の業務以外に時間を割か
なければならない業務に要
する費用のことをさします。
医療職は、大学という組織
の中で確実な収入を得る事
のできる職種です。しかし
ながら、従来の大学病院の
官僚的な体質のため、医療
職は本来の業務以外の書類
の作成などに長時間を消費
しています。先日のパス委
員会で病院長が発表者を表
彰しようとしたところ、表
彰状を買う五百円の費用を
出すために、事務で伺い書
類を作成して、関係者から
ハンコをもらうと言い出し
た事がありました。これな
どは最も典型的な機会費用
の例で、そんなことならこ
ちらのポケットから五百円
出した方が、多くの職員を
煩わす時間より安くあがる
ことになります。国立大学
の時代は、医療職への支援
体制の不備のため、機会費
用 ︱医 療 職 が や ら な く ても
よ い、い わ ゆ る﹁雑 用 ﹂︱を
医療職の間で押し付け合
い、それが各職種間の感情
的分断の要因になっていた
と思います。これは、市中
の病院で長年勤務していた
私には、極めて奇異に感じ
ます。パス委員会でも常々申
し上げてきましたが、医療
職を増やす事に学長の許可
第九十二回
な環境におかれておりま
す。本誌を通して厚く御礼
申し上げます。
医療界をとり巻く環境は
年々厳しさをましておりま
す。少子高齢化が続き、複
数疾病をかかえる老齢人口
の増加が続く限り医療環境
に好転は望みえません。年
金受給者が三千万人を超え
ていることも大きな要素に
なっています。これに加え
て政治の方向性の問題があ
ります。土木行政の弊害は
徐々にうすめられています
が ︱︱そ の 証 拠 に 公 共 事 業
の減少により百万社といわ
れた建築会社がおそらくは
半減しています。それでも
医療費を含む社会保障費を
削減する基本的態度に変化
の兆しは認められません。
税 収 が そ ん な に 少 な い の か。
確かに若年労働力が減少す
れば国民総所得に影響はあ
るでしょう。しかし地方は
いざしらず中央のトヨタ自
動車に代表される大企業は
弘前医学会開催を前にして
弘前医学会は毎年各地区
医師会持回りで開催されて
います。これを弘前医師会
主催でも如何かというお話
を一昨年いただきました。
その準備も兼ねて昨年は八
戸市へ、今年は大館市に参
加しました。弘前医学会に
は私も大学医局在籍中色々
と発表の場をいただきまし
た。昨今では立派な発表に
は表彰も行われています。
これは若い研究者にとり良
い刺激になっていると思い
ます。弘前大学も多方面で
業績もあがり評価されてき
ていますが、これには弘前
医学会の存在があり、更に
青森医学振興会も十分寄与
されていると思われます。
弘前医学会に参加する医師
会員は少なく残念ですが、
逆に我々医師会員は大学医
師会或は医学部を通して毎
年何度となく先生方の御講
演を拝聴しております。そ
の恩恵は非常に大きく、他
市に比べて我々会員は贅沢
学士編入学試験合格者決定
︱県内枠初年度
ひっぱく
あ さ か
れば、どんな組織も多くの 利益の大幅増に拘らず税負
︵前ページより︶
平成二十年度
を必要とし、病院長にはま 制約を受けています。史上 担が少なすぎないか。法人
まならない以上、病院事務 最大の利益を上げたと言わ 税は何回にもわたり引き下
職員は医療職の支援にまわ れているトヨタ自動車でさ げられている。一方定率減
るべきであり、事務室にこ え も、現 場 で は 鉛 筆 一 本 、 税 の 廃 止、市 民 税 引 き 上
もっているべきではありま 消しゴム一個の最後まで使 げ、介護保険料の年金より
医学科入試専門委員長 中 根 明 夫
せん。自ら不要な書類作成 い切るという節約の積み重 の天引き、医療費の窓口負
︵感染生体防御学講座教授︶
業 務 を 作 り 出 し て い な い ね を 研 究 開 発 費 に ま わ し 担率引き上げ等国民負担は
か 、 お 上 か ら の 書 類 に 鑑 を て 、 売 れ る 車 を 作 っ た 成 果 増 加 の 連 続 で あ る 。 こ の 大 平 成 二 十 年 度 学 士 編 入 学 す。来 年 度 入 学 者 よ り 募 集
つけて他にまわすことで﹁忙 が 実 っ て い る の で す 。 大 切 企 業 の 減 税 総 額 は 消 費 税 の 試 験 が 終 了 し 、 十 月 五 日 に 定 員 二 十 名 の う ち 五 名 が 青
しい﹂と言い訳していないか、 な 事 は 、 制 約 の 中 で い か に 十 年 分 に 匹 敵 す る と 報 ぜ ら 二 十 名 の 合 格 者 が 発 表 さ れ 森 県 内 枠 、 残 り 十 五 名 が 全
本部の事務職員も含めて自 最大の効果を出すかという れた。これが事実とすれば ました。昨年度までと比べ 国枠となりました。青森県
問自答すべきです。これが、 点 で あ り 、 病 院 の 全 職 員 の 大 衆 課 税 で 法 人 税 を 補 し 一 週 間 早 い 発 表 で す 。 六 月 内 枠 と は 、 青 森 県 内 の 高 等
事 務 職 が で き る 、 最 大 の 費 協 力 な し に は 、 こ の 最 大 化 た こ と に な る 。 最 近 の 官 僚 二 十 四 日 の 第 一 次 選 抜 試 学校︵中等教育学校を含む︶
は成し遂げる事ができない の答弁はこれに対して大企 験、八月二十六日の第二次 または大学を卒業した人を
用圧縮だと思います。
大学病院は様々な制約の 事を私たちはもう一度心す 業は利潤を出して雇用の場 選抜試験、そして九月二十 対象とするものです。実施
を提供しているのだそうで 二日・二十三日の第三次選 にあたり、県内枠の受験生
中にありますが、よく考え べきだと思っています。
ある。過去にも放漫融資で 抜試験という、長丁場の難 が十分に確保できるか、全
バ ブ ル の 元 凶 に な っ た 大 銀 関をくぐり抜けた人達です。 国 枠 合 格 者 の 成 績 に 伍 し た
行 を 国 税 で 援 助 し 無 利 息 政 来 年 度 入 学 者 は 三 年 次 学 合 格 者 を 確 保 で き る か 、 心
策 を 行 い 、 本 来 年 金 生 活 者 士 編 入 学 六 期 生 に あ た り ま 配をしていました。しかし、
の貯蓄の利息になるべき額
︵一∼二兆円︶をそっくり した財政、窮乏せる地方、 千五百名もの急患を受け入
弘前市医師会長 田 村 瑞 穂
大銀行に移転することにし 崩壊に瀕した医療環境には れ、実質三次病院の役割を
た 。 ︱︱ 国 家 権 力 に よ る 所 ならなかったのではないか。 立 派 に 果 た し て い ま す 。 が
得移転。これと全く同じ図 〇六年国立大附属病院四 二次病院が御承知の如く当
式である。十月十二日朝日 : 割 ︵ 十 六 病 院 ︶ が 実 質 赤 字 初 の 十 病 院 が 現 在 五 病 院 に
国 会 議 員 宿 舎 を 都 内 一 等 地 と 報 ぜ ら れ た ︱︱ 十 月 十 一 半 減 し て い ま す 。 整 形 外 科
に千七百億円を投じて建設 日朝日。一位熊本一三・二 がない、過労等理由色々と
中という。かなり前よりT 億、東 北 大 学 が 二 位 で 一 あります。マンパワー不足
V で こ の 状 態 を 報 じ て いた 二・七 億 、以 下 京 都 、岡 山 と と 予 算 不 足 に 収 斂 し ま す 。
が 全 く 馬 耳 東 風 で あ る。昨 続 く 。 十 六 位 の 福 井 が 〇 ・ 市 立 病 院 に 最 低 五 名 の 医 師
日十月十一日TVでは朝霞 二億故弘前大学は黒字だっ 増員が出来るとER化含め
市に公務員宿舎を百億円で たかと推測しました。管理 た救急がもっと可能になる
八百五十世帯分建築すると 能 力 が 問 わ れ る べ き 時 に とされます。九月十九日、
いう話である。この国の議 あって各診療科の御努力の 市長さんとの単独会見にお
員、公務員は何と時代おく 他に、医学部長、病院長の いてもその点は強調もし、
れの特権意識をもっている 御労苦に敬意を表します。 良い感触も得られました。
ことか。因みに諸外国には まず黒字を確保と考えるの 今大学が推しすすめている
かかる宿舎は無いとの事で は堅実な経営者の態度では 高度救命救急センターは実
ある。必要ならば仏の如く あります。しかし蛇足です 現まで数年はかかるでしょ
応分の住宅手当を出してそ が、必要な医療機器の更新 う。この件でも十月五日に
れで各自算段するべきであ への投資、又当弘前地区に 県知事に市長と私は三師会
る。国税をあたかも己の金 おける救急救命センターの を代表し、二人で要望書を
の 如 く 気 前 よ く 使 い ま く 問 題 は 避 け て 通 れ な い で 手渡し会見をもちました。
る。このツケは各地におけ しょう。青森県では八戸市 今大学内部の意思統一が望
る簡保施設、健康ランド等 民病院と県病に同センター まれています。地方は財政
の無駄な施設をつくり、大 が設けられています。小児 的基盤が脆弱で何をやるに
幅赤字で運営する。赤サビ 救急︵一次︶は大学小児科 し て も 大 変 で は あ り ま す
て放置か、投売りの運命と の協力もいただき、津軽広 が、各機関の意見を集約し
なる。公平な税負担と必要 域地域として整備され機能 て良好な医療環境の実現を
な配分を行えば、今の逼迫 しています。大学は年間二 目指したいものです。
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
県内枠合格者の確保につい
ては杞憂に終わり、胸をな
で下ろしたところです。
平成二十度の受験者は五
百十七名で、昨年より二十
名増加し、倍率は二十六・
九倍でした。内訳は県内枠
十・八 倍 、全 国 枠 は 三 十・九
倍でした。県内枠の弘前大
学出身︵在学︶の志願者は
昨年の十八名とほぼ変わら
ず十九名と予想外に少な
く、今後学内での周知を徹
底させるよう努力する必要
があることを感じています。
今年の県内枠と全国枠を
合わせた志願者および合格
者の内訳をみると、これま
での四年間の入試と大きく
変化した点はみられません
でした。弘前大学出身︵在学︶
の志願者は昨年とほぼ変わ
らず十八名でした。今回設
けられた県内枠合格者の出
身大学をみますと、弘前大
学二名︵理工学部と農学生
命 科 学 部 各 一 名 ︶、 北 海 道
大学、早稲田大学、東京理
科大学となっています。全
国枠では十五名中関東勢が
九名と、例年と変わらず関
東在住者が多く占めていま
す。女性の合格者は平成十
九年度とほぼ変わらず七名
となりました。年齢別では
志願者の最も多い二十六∼
三十歳にピークがあり、平
均年齢もほぼ二十八歳と一
定で推移しています。出身
学部別では志願者の多い理
工系卒業者が最も多いです
が、今年は農学系、薬学系
出身者が著増し、合格者も
それに連動しています。
第一次選抜から第三次選
抜まで、準備期間を含める
と約十ヶ月間にわたって多
くの教職員のご協力をいた
だき、平成二十年度の学士
編入学試験をつつがなく終
えることが出来たことに心
か ら 感 謝 し て い ま す。ま
た、まもなく特別選抜、一
般選抜による入学試験が始
まります。また、平成二十
年度大学入試センター試験
が医学部担当となります。
特別選抜推薦入学試験に平
成十八年度から県内枠︵定
員十五名︶が設けられ、平
成十九年は定員二十名でし
たが、平成二十年度は臨時
定員増十名が加わり県内枠
が三十名、全国枠が従来通
り十名となります。これか
ら十二月から二月にかけ再
び多くの教員の方々や学務
担当をはじめとした事務職
員の方々に入試業務をお願
いしなければなりません。
どうぞよろしくお願いいた
します。
﹁がんプロフェッショナ
ル養成プラン︵以下﹁がん
プ ロ ﹂︶﹂ は 、 大 学 院 コ ー ス
と医師向けのインテンシブ
コ ー ス が あ り ま す 。﹁ が ん
プロ﹂の経緯については脚
注﹁がんプロとは﹂をご覧
下さい。
﹁がんプロ﹂の意義
いま、国民からがんに関
する幅広い知識と研究能力
を持つ優れたがん専門医の
不足が指摘されています。
大学には、がん専門医を育
成し地域医療に貢献する事
が求められています。これ
は、
﹁ が ん 対 策 基 本 法 ﹂と い
う法律が施行された事から
も分かると思います。これ
から大学院で勉強をしたい
と思っている研修医の皆さ
矢部 博興先生
医学研究科大学院
﹁がんプロフェッショナル養成プラン﹂
に入学して、がん専門医をめざそう。
︶の 認 定 医 で 、 学 病 院 で の 研 修 を 行 う と と
jsmo.umin.jp/
がんの薬物療法を専門とす もに、大学院のカリキュラ
る職種です。放射線腫瘍医 ム を 受 講 す る 事 が 可 能 で
は 日 本 放 射 線 腫 瘍 学 会 す。詳しくは末尾の紹介先
︵ http://www.jastro.jp/
︶
の まで連絡下さい。
認定 医 の こ と で 、 が ん の 放 照 会 先
射 線 治 療 を 専 門 と し ま す。 放 射 線 科 学 講 座 阿 部 由 直
がん診療研究センター長 阿 部 由 直
が ん 専 門 薬 剤 師 は 日 本 病 院 電話 :
〇一七二 三
︱ 九 五
︱ 一〇三
︵放射線科学講座教授︶
薬 剤 師 会︵
五/一〇二
http://www.jshp.
︶の認定であり、がん薬
ん、優れた技能と能力を持 線 治 療 の ニ ー ズ に 応 え ま
or.jp/
[email protected]
つ が ん 専 門 医 を 目 指 し ま す。緩和ケアチームが発足 物療法を専門とする薬剤師 または弘前大学医学研究科
し ょ う 。 そ し て 是 非 、 本 学 し 、 が ん 患 者 さ ん の 緩 和 医 で す。資 格 の 詳 細 は そ れ ぞ 学 務 グ ル ー プ 大 学 院 担 当
の ﹁ が ん プ ロ ﹂ に 注 目 し て 療 を 実 践 し て い ま す 。 こ の れ の ホ ー ム ペ ー ジ か ら ご 覧 電話 :
〇一七二 三
︱ 九 五
︱ 二〇六
下 さ い 。﹁ が ん プ ロ ﹂ は が 他 に 本 学 の 誇 り う る 特 徴 と 下さい。
[email protected]
ん専門医を育成するための して、近県の同規模病院と それでは大学院でどのよ
国 家 事 業 で す 。 医 学 部 附 属 比 較 し て 、 各 診 療 科 の レ ベ う な こ と を 行 う の で し ょ う ﹁ がんプロ﹂とは
今 年 の 四 月 に﹁が ん 対 策 基 本
病院は地域の中核としての ルが全国平均か、それ以上 か。いままでの大学院とど
法﹂が施行され、具体的な推進策
地 域 が ん 診 療 連 携 拠 点 病 院 で す 。 全 て の が ん を 診 断 か こ が 違 う の か 説 明 し ま す 。 として六月には安
に 指 定 さ れ て い ま す 。 各 診 ら 治 療 ま で 経 験 す る こ と が 従 来 通 り 専 攻 領 域 で の 学 位 倍内閣のもと、﹁が
療 科 に お け る 臓 器 を 主 軸 と で き ま す 。 小 回 り の 利 く 内 を 取 得 す る の は 同 様 で す 。 ん対策推進基本計
す る が ん 診 療 を 基 盤 と し 容 の 深 い 学 習 が で き ま す 。 専 門 領 域 に お け る が ん の 臨 画﹂が策定されま
した。﹁がんプロ﹂
て、横断的な診療科を充実 地域の医療と密接に関与し 床 と 研 究 を 主 と し た カ リ
は、文部科学省の
す る 事 に よ り 決 め の 細 か い ま す 。 基 礎 と 臨 床 の 交 流 が キ ュ ラ ム に な り ま す が 、 教 提案したプログラ
チ ー ム 医 療 を 実 践 す る 事 が 盛 ん で す 。 多 く の 症 例 が 経 育 課 程 も が ん に 特 化 し ま ムです。がん専門
可 能 に な り ま す 。 横 断 的 診 験 で き ま す 。 さ ら に 多 く の す 。 ま た 、 専 攻 に 関 わ ら ず 医を養成するため
療 科 と し て 腫 瘍 内 科 が 新 設 カ ン フ ァ ラ ン ス が 行 わ れ て 放 射 線 治 療 、 化 学 療 法 、 緩 に大学病院と有機
さ れ 、 が ん 薬 物 療 法 を 推 進 お り 、 偏 っ た 診 療 は ほ と ん 和 の 診 療 に 携 り ま す 。 大 学 的に連携していく
大学院のプログラ
します。放射線科ではPE どみられません。緩和ケア 院終了後も目的とする専門
ムとして位置づけ
T を 始 め と す る 新 し い 診 断 チ ー ム が 有 効 に 活 用 さ れ て 医 ・ 認 定 医 等 の 取 得 の た め られています。本
機 器 の 整 備 と 、 幅 広 い 放 射 い ま す 。 コ メ デ ィ カ ル と の に 病 院 研 修 を 継 続 し 、 最 終 学は、秋田大学、
協 力 関 係 が 成 り 立 っ て い ま 的 に は が ん 治 療 認 定 医 、 日 岩手医科大学、岩
披 露 し て 下 さ っ た 。 参 加 者 す 。 い ま 、 ま さ に 患 者 を 中 本 放 射 線 腫 瘍 学 会 認 定 医 、 手県立大学の四校
で申請し、採択さ
の中には、現実的・切実な 心としたチーム医療が行わ 日本臨床腫瘍学会認定医ま
れました。
も の と し て 問 題 を 抱 え て い れ る 環 境 が 整 備 さ れ て い ま た は が ん 専 門 薬 剤 師 の 取 得 ﹁がん対策推進
る 方 が 何 人 か い ら っ し ゃ す 。 こ の よ う な 本 学 の 長 所 を 目 標 と し ま す 。 図 は カ リ 基本計画﹂のなか
﹁ が ん プ ロ ﹂で の キ ュ ラ ム の 一 例 で す 。 詳 し で重点的に取り組
り、質 問 や ご 意 見 に 対 し を踏まえ、
て 、 矢 部 准 教 授 は 丁 寧 に お 大 学 院 生 活 を 十 二 分 に 活 用 く は 末 尾 の 紹 介 先 ま で 連 絡 むべき課題が三点
あげられており、
しましょう。
答えしていた。
下さい。
そのうち ︵一︶
放射
静かながら熱意を帯びた 大学院コース
インテンシブコース
線療法及び化学療
初 秋 の 夜 の 公 開 講 座 は 、 滞 医 学 研 究 科 に は ﹁ が ん プ 地 域 の 医 療 機 関 で が ん 医 法の推進並びに医
ロ ﹂ コ ー ス が 四 つ あ り ま 療 を 実 践 し て い る 医 師 の 皆 療従事者の育成と
りなく終了した。
す 。 が ん 治 療 認 定 医 、 腫 瘍 さ ん の た め に 、 イ ン テ ン シ ︵二︶治療の初期段
内 科 医 、 放 射 線 腫 瘍 医 と が ブ コ ー ス が 設 け ら れ て い ま 階からの緩和ケア
の実施の二項目に
ん専門薬剤師養成コースで す。県内または近県の医療
ついて﹁がんプロ﹂
す 。 が ん 治 療 認 定 医 は 幅 広 機 関 に 勤 務 ま た は 開 業 し て を通して実施する
い が ん の 知 識 と 必 要 と さ れ い る 医 師 で 、 が ん 化 学 療 ことになります。
る 専 門 性 を 有 す る 各 診 療 科 法 、 が ん 放 射 線 療 法 、 緩 和 ︵一︶についてはが
の 医 師 が 対 象 で す 。 認 定 は ケ ア に つ い て の 生 涯 学 習 あ ん専門医の育成と
が ん 治 療 認 定 医 機 構 る い は 各 専 門 領 域 で の 新 し 特に専門医の不足
している放射線療
︵ http://jbct.jp/index.html
︶ い 治 療 法 に つ い て の 研 修 及 法と化学療法の専
で 行 い ま す 。 腫 瘍 内 科 医 は び ブ ラ ッ シ ュ ア ッ プ を 目 的 門医養成の必要性
日 本 臨 床 腫 瘍 学 会 ︵ http:// と し ま す 。 一 定 の 期 間 、 大 があげられていま
中路 重之先生
路教授らの日々の努力がわ
かりやすく解説され、会場一
杯の出席者が熱心に聞き入
る姿が印象的であった。
矢 部 准 教 授 に よ る ﹁﹃ 過
食と嘔吐﹄の心理的意味に
ついて﹂は、患者さんと接
する中での諸々の、しかし
参加者ばかりか我々ですら
驚くような内容の逸話をご
籾山 淳子先生
び附属病院耳鼻咽喉科籾山
淳子先生による﹁睡眠時無
呼吸について﹂と題して講
演が行われた。澤村大輔皮
膚科学講座教授司会による
今年最初のこの公開講座
は、最近話題となっている
病態の内容とあってか、六
十七名もの参加者があり、
質問も活発に出されるな
ど、大変盛り上がった公開
講座となった。
第 二 回 は、翌 週 九 月 七
日、場所を同じくして開催
された。医学研究科社会医
弘前大学大学院医学研究 学講座中路重之教授による
科公開講座﹁肥満と健康﹂ ﹁社 会 医 学 か ら み た 肥
︵ 第 一 回 ︶ は 、 八 月 三 十 一 満 ﹂、 お よ び 医 学 研 究 科 神
日︵金曜日︶の午後六時半 経精神医学講座矢部博興准
か ら 午 後 八 時 半 ま で 、 医 学 教 授 に よ る﹁﹃ 過 食 と 嘔 吐 ﹄
部コミュニケーションセン の心理的意味について﹂と
題する内容であった。
ターで開催された。
第一回は、医学研究科内 中路教授による﹁社会医
分泌代謝内科学講座の玉澤 学からみた肥満﹂は、短命
直樹准教授による﹁肥満 : 県と言われる青森県におけ
体 の 中 で ど ん な こ と が お る肥満の現状、そして短命
こ っ て い る の か ? ﹂、 お よ 県 の 汚 名 返 上 に 取 り 組 む 中
玉澤 直樹先生
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
弘前大学大学院医学研究科公開講座
「肥満と健康」
法医学講座 教授 黒 田 直 人
す。また拠点病院においては、手
術、放射線療法、化学療法の各々
を専門的に行う医師が意欲を
持ってその専門性を発揮できる
環境整備に務める必要がありま
す。さ ら に 専 門 的 な 医 師 の み な
らず、看護師、薬剤師、診療放射
線技師等の医療従事者が協力し
て治療に当る体制を構築するこ
と が 求 め ら れ て お り ま す。︵二︶
に
ついてはより質の高い緩和ケア
を実施していくため、緩和ケアに
関する専門的な知識や技能を有
する医師や看護師等の医療従事
者を育成する必要性が謳われお
り、十年以内にすべてのがん診療
に携る医師が研修等により、緩和
ケアについての基本的な知識を
習得することという目標が定め
られています。
学術国際振興基金助成 国際化教育奨励賞
﹁海外でのクリニカルクラークシップ﹂
らいましたが、市野瀬君の
研修について視察を行って
きました。また、本学と提
携のあるテネシー大学を訪
れ、テネシー大学での本学
学生のクリニカルクラーク
学部のカリキュラムも同様
のものと考えていいと思い
ます。医学部四年間のうち
最初の二年間は生理学、解
剖 学 、薬 理 学 、解 剖 生 理 学 、
神経科学等のいわゆる日本
胸部心臓血管外科学講座 准教授 鈴 木 保 之
ペンシルバニア大学にお
ける本学六年生のクリニカ
ルクラークシップが本年度
はできないこととなり、こ
れに代わって昨年来日した
の研究室に学生
Dr. Gorman
を受け入れてもらうことに
なりました。心臓血管外科
のクリニカルクラークシッ
プを選択した斉藤義明君、
市野瀬剛君に今回行っても
Dr. Tiffany Bee:Trauma CenterのChif Resident(女医)
センターの正面玄関にはElvisの肖像画が掲げてあった。
大学の創設者Benjamin Franklinの像
ベンチに座っているところがユニーク
羊の実験で挿管し、スワンガンツカテーテルを挿入している市野瀬君
シ ッ プ 受 け 入 れ の 可 能 性 に で い う 基 礎 医 学 と 、 PCC
つ い て 、当 大 学 の
︵
Academic
prevention,
community and
︶ , DRS
︵ doctoring: recand Faculty Affairs, Assist- culture
ant Dean, College of Medi- ognizing signs and symp- に ス ペ シ ャ リ テ ィ ー の ク レ ク チ ャ ー や カ ン フ ァ ラ ン 必 要 と い う よ う な 回 答 は さ シ ー で は 心 臓 外 科 と 血 管 外 ろ 研 究 室 を 誰 か に 引 き 継 ご
と 面談をし
︶
と い っ た 公 衆 衛 生 学 ラークシップ各科四週間ず ス、レジデントからの指導 れませんでした。一応、日 科は明確には分かれていな うとしていた時期であった
cine, Dr. Shreve
toms
ていただき、その後
的 な も の と 面 接 な ど の テ ク つ と エ レ ク テ ィ ブ で 二 十 八 な ど に よ り 学 生 が 自 発 的 に 常 会 話 、 専 門 医 学 英 語 に 支 い よ う で し た。 Trauma と 記 憶 し て い ま す 。 当 時 留
Trauma
の見学をさせていた ニ ッ ク な ど の 学 習 を 行 い 週間のクラークシップを行 勉強していく形態をとって 障がないというのが条件と
の 問 題 と し て、 学 し た 私 と 外 科 レ ジ デ ン ト
Center
Center
だきました。
の試験を受 い
のテスト おり、この辺が日本の医学 なると思います。
は テ ネ シ ー 州 の 西 の研修期間中の研究室勤務
USMLE
Step
2
Memphis
USMLE
Step
1
まず、テネシー大学の話 けます。合格すると日本で を 受 け ま す。こ の
教育と異なる点であると思 との面談の後、 の は ず れ に あ り ほ か の 二 州 で い た Dr. Gorman
とで羊の
USMLE
Dr.
Shreve
から始めたいと思います。 い う 病 院 実 習 に 入 り ま す
の ビ と接して、そのテネシー州 実験、サルでの実験などを
Step の
2 テストは三から四 われます。そもそも、米国
Academic and Faculty
医 学 部 カ リ キ ュ ラ ム に つ い が 、 三 年 目 は 各 診 療 科 を 八 年 ほ ど 前 か ら 知 識 を 問 う で は 通 常 の 大 学 を 卒 業 後 医 ル に 隣 接 す る Trauma 以 外 の 地 域 か ら の 患 者 も 搬 一 緒 に や っ た 仲 で 、 昨 年 弘
て
から説明を受 週 間 ず つ ロ ー テ ー シ ョ ン 通 常 の テ ス ト に 加 え て 学 部 に 入 学 し て く る わ け
を見学させてもらい 送さ れ て く る よ う で す が 、 前に来ていただいて講演を
Center
Dr.
Shreve
け ま し た が 、 ほ ぼ 全 米 の 医 し 、四 年 目 は 救 急 医 学、さら
が 追 加 で、入学の時点で医学部を ました。案内してくれたの
以 外 の 患 者 は 低 所 してもらいましたが、今回
Clinical Skills Exam
Memphis
されたとのことでした。テ 目指すモチベーションが最 は
得者が多いようで、保険に は本学の学生に、実験の手
で
Dr.
Tiffany
Bee
Trauma
ネシー州立大学の医学部は 近の日本とはずいぶん違う
の Chif
Resident
︵女 加入していない患者の対応 伝い、手術見学などを行う
Center
医︶と い う こ と で し た。 に非常に困っているという ことを引き受けていただき
に 付 属 病 院︵臨 床 ように感じます。
Memphis
医 学 ︶、 基 礎 医 学 系 が 本 学 の 学 生 の ク ラ ー ク
内 に 手 術 室 、I C U 、 こ と で し た 。 現 在 の ア メ リ ま し た 。 実 験 室 は 医 師 が 三
Center
にあり最初の二年 シ ッ プ の 受 け 入 れ に 関 し 一般病室、MRI、CTな カの保険事情をよく反映し 人 か ら 四 人、検 査 技 師 三
Knoxville
人、病理学や検体検査など
間学生は
で 過 ご て、
はテネ シ ー 大 ど す べ て の 設 備 が そ ろ っ て て い る の で し ょ う か 。
Knoxville
Dr.
Shreve
し 、 ク ラ ー ク シ ッ プ に 入 る 学 の 四 年 生 で の Electives
ま い て 、 案 内 さ れ て い る 間 に 翌 日 Memphis
を 出 発 し を行う技師四人から五人、
と Memphis
に 移 っ て く る と た は Optional
の プ ロ グ ラ ム レジデント、クラークシッ フィラデルフィアへ向かい 実験系統は羊の実験と、ウ
い う こ と で し た 。 た だ し の 中 で 受 け 入 れ 可 能 であ プ 学 生 、 看 護 師 な ど の 回 診 ま し た 。
大 学 サギの実験の二系統で主に
Pennsylvania
に も 病 院 が あ り 、 り、 Visiting Medical Stu- も 行 わ れ て い ま し た 。 僕 自 ︵通 称 PENN
︶
の D r . Gorman 虚 血 性 心 疾 患 の 心 不 全 の 発
Knoxville
も 小 児 病 院、外 傷
の 申 し 込 み 用 紙 を 提 出 身 が 心 臓 血 管 外 科 で あ る こ の 研 究 室 は、か つ て Dr. 症 に 関 す る 研 究 、 虚 血 性 僧
dent
Memphis
セ ン タ ー な ど い ろ い ろ の 施 し 受 け 入 れ 側 ︵ 診 療 科 ︶ と と も あ り ま すが、胸部外傷、
︵ Annals of Thoracic 房 弁 の 逆 流 な ど を 行 っ て い
Edmunds
設からなっていて、日本で の交渉、学生の滞在先の確 外傷性大動脈損傷のような
の 現 在 Chief Editor る よ う で す 。 羊 を 使 っ て の
Surgery
い う 関 連 病 院 群 が 相 互 に 関 保 な ど も 行 っ て い た だ け る 場 合 は ど う す る の か と 質 問 を さ れ て い る︶が 運 営 し て 実 験 は 毎 日 の よ う に 組 ま れ
係してクラークシップの学 と言って頂きました。学生 すると、
の 心 い ま し た。現 在 は そ の Dr. て い て 、 羊 の 毛 を 刈 っ て 点
Cardiac
Center
生教育に取り組んでいると の英語力に対して、何か基 臓血管外科医に応援を頼む
の愛弟子、 Gorman 滴 を と る と こ ろ か ら 市 野 瀬
Edmunds
いうことでした。臨床に関 準が必要か尋ねましたが、 ということでその辺の連携 兄弟︵双子︶が研究室を運 君も手伝って、スワンガン
しての学生全員を集めての 今まで日本からの学生の受 は良いようでした。また現 営しています。約十年前私 ツカテーテル挿入、麻酔管
講 義 は な く 、 ク ラ ー ク シ ッ け 入 れ が な か っ た こ と も あ 在 米 国 で は 心 臓 外 科 と 血 管 が 留 学 し た 当 時 は Dr. 理 な ど も 行 っ て い ま し た 。
プのローテーション中に行 るのかもしれませんが、明 外科は分かれているところ
が Chief Editor
に 実験以外に、病院の朝のカ
Edmunds
わ れ る 各 診 療 科 ご と の ミ ニ 確 に TOEFL
の 何 点 以 上 が が 多 い よ う で す が、テ ネ なる二∼三年前で、そろそ
︵次ページへ続く︶
Trauma Center内の見学。病室を回りながらミーティングが
行われていた。
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
Dr. Shreve(右)、Ms. Ruby L Bland(左)と筆者
Dr. Shreveのofficeの前で
能な装置と、手術設備が整
備 さ れ た 部 屋︶が 三 室 あ
り、大動脈に対するステン
ト治療が盛んに行われ、こ
れも非常に勉強になるといっ
て い ま し た 。 Dr. Gorman
か
らは、来年も受け入れが可
能であること、研修内容の
グレードアップを行ってい
ければと考えているとのコ
メントがあり、本学の学生
が良い経験を得られる機会
として継続できるよう少し
でもお役に立てたらと考え
ています。
最後に国際化教育奨励賞
をいただき、今回このよう
な視察をする機会を得られ
た こ と に 対 し て 、 医 学 部 長 佐藤 敬先生に心から感謝
し、視察の報告とさせてい
ただきます。
日本癌治療学会総会
優秀演題賞を受賞して
肺腫瘍に対する体幹部定位照射 :
中等度の
線量を用いた線量増加試験︱中間報告︱
この度、平成十九年十月
二十四︱二十六日に京都で
開催された第四十五回日本
癌治療学会総会において優
秀演題賞を受賞いたしまし
たので、ご報告申し上げま
す。日本癌治療学会は、ご
存 知 の 通 り、癌 治 療 に 携
わっている外科、内科、産
婦人科、放射線科等、多数
の医師が加盟する由緒ある
学会です。常日ごろ、診療
や 教 育・研 究 等 で 多 忙 な
日々をすごしている私とし
ては、平日に開催される日
本癌治療学会総会には、な
かなか参加する機会がな
く、正直なところ、たまに
学生実習でどのようなこと
をしているのかを話した
ら、
〝 そ れ は learning
ではな
く teaching
だ よ。臨 床 医 は
よくそれを混同してしまう
ね 。〟 と 諭 さ れ ま し た 。 確
かにその通りでわれわれは
よくこれらについて勘違い
しがちです。物事を人から
教えられることより、自分
で掴んだ方が頭に残りま
す。現 場 で 何 か を〝教 え
る 〟こ と よ り〝 学 ば せ る 〟と
いう姿勢が臨床医には必要
な の だ と 思 い ま し た。た
だ、
〝 学 ば せ る 〟と い う こ と
は〝放って置く〟というこ
とではありません。どうし
たら良いかということを
参加証をもらいに行く程度
の不真面目な会員でした。
今回も演題締め切りの当日
に、突然、阿部教授から演
題を出すように言われ、外
来をこなしながら、抄録を
書き上げるという暴挙に出
て、ギリギリセーフで申し
込んだ次第です。申し込み
から二ヵ月後、学会事務局
から電子メールで受賞の知
らせを受けた時には、思わ
ずわが目を疑いました。後
で、一般演題千五百題あま
りの中から、厳正なる審査
を経て、優秀演題五十三題
のうちの上位に選ばれたこ
とを知らされ、日頃から学
今回のサマーセミナーは
自分にとってかなりプラス
になりました。この経験を
生かして学生や研修医のプ
ラスに繋がるよう努力して
いきたいと思います。
〝日本の多くの臨床医は教
育について専門家でない
上、現在のシステムではPB
Lの 実 施 は 難 し い し 、 や る
気の少ない学生に学ばせる
に は ど う す れ ば よ い か 。〟
とエバンス先生に質問して
みました。すると先生は一
言 、﹁ 大 切 な の は 教 師 の モ
チ ベ ー シ ョ ン だ よ 。﹂
会活動にしのぎを削ってい
る諸先生方に対して申し訳
ない気持ちを感じずにはい
ら れ ま せ んでした。更 に 、受
賞者が東北・北海道地区で
私ただ一人だったことが抄
録集で判明し、喜ぶべきか
悲しむべきか、複雑な心境
です。
前置きが長くなりました
が、今回、私が取り組んだ
テ ー マ は 、﹁ 肺 腫 瘍 に 対 す
る 体 幹 部 定 位 照 射 中: 等 度
の線量を用いた線量増加試
験﹂です。平成十五年五月
より、限局型肺腫瘍に対し
て体幹部定位照射を開始し
ましたが、院内の倫理審査
放射線部 准教授 青 木 昌 彦
り、教えている時は〝これ
で間違ってないだろうか?
何か抜けていないだろう
か〟と自信のない時もあり
ます。学生や研修医の意欲
に大きな個人差があること
を感じ残念に思うこともあ
ります。と言っても当の本
人も学生実習時は科によっ
て意欲が大きく変動してい
ました。実際教える立場に
なってみるといろいろなこ
とがわかり、教えを頂いた
先生方に大変な苦労をかけ
た︵かけている︶事につい
て申し訳なく思いました。
その後エバンス先生との会
食中、日本の医学教育につ
いて話し合いました。私が
第45回
︵前ページより︶
ンファレンス、回診などに
も参加してレジデントと一
緒に行動し、非常に勉強に
なっているようでした。
心臓外科の手術はいつで
も見学可能で、その他血管
外科も連絡を入れておけば
見学可能とのことでした。
現在病院内にカテラボ︵カ
テーテルによる造影検査可
麻酔科医員 遠 瀬 龍 二
が ︶。
出させます。
グループの先生は生徒の
私が関心を持ち、またエ 考えが偏った方向・誤った
バンス先生の専門でもある 方向に行かないように間接
Problem based learning 的 な 表 現 で 誘 導 し ま す 。 基
︵PBL︶は日本では問題 本 的 に 生 徒 自 身 に 考 え さ
指向型学習法といわれてい せ、何かを見出させようと
ます。教育手法の研究によ します。話し合って問題を
ればこの手法が最も効果的 解決するというのは最も原
とのエビデンスがあります 始的でそれでいて最も優れ
︵ちなみに最も効果薄なの ている手法であるというの
は大人数集めて先生が一人 が、PBLの根本にあると
で 行 う 講 義 だ そ う で す ︶。 教 え て い た だ き ま し た 。 実
おおまかに内容を説明いた 際ロールプレイングをしま
しますと、五∼十人の生徒 したが、英語力の乏しい私
と一人の先生でグループを には何とか議論についてい
作 り 、問 題 に 対 し ま ず brain く の が や っ と で し た 。 そ の
と い い 自 由 に 思 い 次の講義では実際PBLの
storming
つ く ま ま に キ ー ワ ー ド を 教官として働いている人も
言っていくという時間があ 交えて、PBLの弱点・欠
り ま す。そ こ で 出 さ れ た 点についての講義・議論が
キーワードでいくつかの共 ありました。現場のスタッ
通項に分けて、三∼五個の フからの否定的な意見はと
キークエスチョンに絞りま ても興味深いものが多く、
す。そ し て そ れ ら に 対 し 私は一見優れた手法にも負
て、各自が図書室に行き文 の側面が存在するというの
献を調べ、ネットを用いて はどの領域でも一緒なのだ
まとめてきます。自習の時 と感じました。
間が終わったら、みんなで
集まって調べてきたことを 私は本来教えを受ける立
基 に brain storming
を行い、 場でありますが、学生や研
最後にまとめを生徒自身に 修 医 に 教 え る 立 場 で も あ
を経て、約四年間にわたり
線量増加試験に取り組んで
おりました。今回は、中間
報告として、これまでの治
療成績をまとめ、今後の活
動方針を確認しました。と
ころで、体幹部定位照射と
は、何らかの方法で身体を
固 定 し、五 以 内 の 精 度 で
体幹部の病変に対して多方
向からビームを集中させる
高精度照射技術になります
が、﹁ピンポイント照射﹂
と言った方がわかり易いか
も知れません。但し、体幹
部の病変、すなわち肺癌や
転移性肺腫瘍の場合、呼吸
による動きを如何に制御す
るかが問題になります。私
達は、あらかじめ呼吸移動
の少ない症例を透視で選別
し、呼吸移動の大きい場合
は呼吸停止で照射する方式
をとっております。体幹部
定位照射では一回線量が通
常の照射よりもかなり多い
ので、いくらピンポイント
mm
エジンバラ大学
サマーセミナー受講について
今回私はエジンバラ大学
のエバンス先生のところへ
医学教育についてのサマー
セミナー受講の目的で向か
いました。エバンス先生は
医学教育研究の第一人者で
す 。〝 医 学 教 育 〟 と い う こ
とで一講座として成立し、
それがかなり重要視されて
いるということが、私が最
初に驚いたことでした。逆
に言うと、私が〝日本には
このような講座をもつ大学
はかなり少ないし、現役医
師・教授が忙しい臨床の合
間を縫って学生に講義して
い る 。〟と 言 っ た と き 、他 の
受講生が皆驚きの表情を見
せたのが印象的でした。良
い教育が良い医師を生み出
す、という意識で教育に力
を入れている印象がありま
した︵彼らにとっては当然
のことかもしれません
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
︵次ページへ続く︶
で照射するとは言え有害事
象には充分に注意を払う必
要があります。当初の二十
例 は 、一 回 6Gy
、総 線 量 54Gy
分
/9 割 で 開 始 し ま し た が 、
続く二十一例に対して一回
、総 線 量 56Gy/8
分 割 、現
7Gy
在 は 一 回 8Gy
に線量を増加
し 、総 線 量 56Gy/7
分割とし
ています。その結果、いず
れの線量分割においても局
所制御率は九十%を下回ら
ず、放射線性肺炎をはじめ
とする有害事象も全く問題
のない範囲でした。観察期
間が短い症例を含んでいる
ため、今後の検討を待つ必
要がありますが、現在まで
の二年生存率は原発性肺癌
Ⅰ期が八十七%、転移性肺
腫瘍は八十%と極めて良好
な 結 果 で し た。し た が っ
て、中等度の線量、すなわ
ち 一 回 6-8Gy
の 範 囲 で は 、局
所制御や有害事象に問題は
なく、もう少し一回線量を
平 成 十 九 年 十 月 二 十 五 日
か ら 二 十 七 日 ま で、松 本 市
で開催された第四十八回日
本 脈 管 学 会 総 会 に お い て、
弘前大学医学部と同理工学
部 の 共 同 研 究 の 成 果 が、
青森県内でこの治療を行っ
ている施設は大学病院だけ
ですが、県内各医療機関と
連携を取り合って、青森県
の肺癌死亡率の低下に少し
でもお役にたてればと考え
ております。
しかし、診療や臨床研究
をするにあたっては、自分
ひとりの力ではどうにもな
らず、放射線治療に携わる
診療放射線技師や看護師、
放射線治療グループのドク
ター達の協力が欠かせませ
ん。この場をお借りして、
皆様に感謝の意を表したい
と思います。また、直接、
ならびに間接的にご指導を
頂いた阿部教授をはじめ、
放射線科のスタッフにもお
礼を述べたいと思います。
放射線科学講座の齋藤美和
子さん、医療情報部の船水
亮 平 さ ん に は、お 忙 し い
中、ポ ス タ ー の 製 作 を 手
伝って頂きました。いろい
研究科胸部心臓血管外科学
講座︵旧外科学第一講座︶と
同 理 工 学 研 究 科 知能機械シ
ス テ ム 工 学 専 攻 が、過 去 四
年間にわたって行ってきた
共同研究の最新の成果をま
Young Investigator Award と め た も の で す。基 礎 に な
︵YIA︶臨床部門の優秀賞 る デ ー タ は、ガ ラ ス 管 を 用
を 受 賞 し ま し た。受 賞 者 は い た モ デ ル 実 験と、実 際 の
理 工 学 研 究 科 知 能 機 械 シ ス 手 術 中 の 血 流 計 測︵医 学 研
テム工学専攻の小山内聡史 究科麻酔科学講座との共同
さ ん で、研 究 発 表 の タ イ ト 研 究︶か ら 得 ら れ て お り ま
ル は﹁体 外 循 環 時 に お け る す。流 れ の 数 理 モ デ ル か ら
大 動 脈 弓 内 流 れ の 数 値 シ 計算された結果をモデル実
ミュレーション﹂です。この 験・臨 床 デ ー タ と 照 合 し、
研究は、弘前大学大学院医学 工学者のみの研究で、臨床と
ろとありがとうございまし
た。最後に、普段から家族
サービスを全くせず、父親
らしきことを何一つしてい
ないで仕事に没頭している
かけはなれた方向に進まな
い よ う、常 に 結 果 を 相 互 に
フィードバックしながら進
め て き た 点と、結 果 を 臨 床
に直結して応用できる可能
性を持っている点が、高く評
価 さ れ た も の と 思 い ま す。
YIAは脈管学の研究者の
登竜門ともいえる賞です。
多数の応募演題から、総
会においてYIA発表の機
会を与えられた演題は臨床
部 門 五題、基礎部 門 五 題 の
わ ず か 十 題 であり、臨 床 部
門の最優秀賞は慶應義塾大
学法医学教室の呂 彩子先
胸部心臓血管外科学講座 教授 福 田 幾 夫
第四十八回日本脈管学会
YIAの受賞について
増やしても大丈夫そうだと
の結論を得ました。
肺癌の患者さん達は、長
年の喫煙習慣による呼吸機
能の低下をはじめ、様々な
合併症を抱えていることも
少なくありません。また、
最近は高齢者の肺癌も増加
傾向にあります。Ⅰ期肺癌
の第一選択は外科的治療で
あることは言うまでもあり
ませんが、すべての患者さ
んが手術の適応となるわけ
ではありません。高齢や呼
吸機能の低下、合併症等で
手術の対象とならない場合
には、我々が行っている体
幹 部 定 位 照 射 を、自 信 を
持ってお勧めできます。比
較的少ないリスクで、確実
に癌を叩くこの方法は、呼
吸機能の低下している限局
型の肺癌のみならず、転移
性肺腫瘍に対してもお勧め
です。残念ながら、現在、
︵前ページより︶
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
私をいつも陰でささえてく
れている私の妻や子供達に
も、感 謝 し た い と 思 い ま
す。いつもありがとう。
生の急性肺塞栓症の監察医
解 剖 からの病理形態学検討
でした。呂先生は、肺塞 栓
症の病理の分野では第一人
者 で あり、過去にも Y I A
優秀賞を受賞されておられ
ま す。基 礎 部 門 の 最 優 秀
賞、優秀賞はいずれも東京
大学から の 発 表 でした。こ
のように、優れた研究の中
から、小山内さんが優秀賞
を 受 賞 されたことは、弘前
大 学 に とっても、我々共 同
研 究 者にとっても大変名誉
なことと思います。特 記 す
べ き こ とは、小山内さんが
発表者の中で最年少であっ
たことであり、彼の試行錯
誤からの成果が、医師から
も 高 く評価されたことだと
思います。研究指導者とし
て、弘前大学の若くて柔軟
な頭脳を活用して、共同研
究をさらに発展させていき
たいと思っております。
﹁脈管学会YIA
優秀賞を受賞して﹂
研究を数値シミュレーショ
ンで行えた場合、安全な手
術を行うためのデータを早
急に得ることが可能となり
ます。このような利点があ
ることから、私は﹁体外循
環時における大動脈弓内流
れの数値シミュレーショ
ン﹂の 研 究 代 表 者 と し て
日々研究を行っています。
この研究は前例が無いた
め、参考となる情報が少な
く、手探り状態でした。初
めに行った作業はCT画像
を基に構築した三次元大動
脈モデルに計算メッシュを
作成することでした。構築
した大動脈モデルの表面形
状は複雑であり、計算メッ
シュを作成する際、表面を
修正する必要がありまし
た。この表面修正の作業は
理工学研究科知能機械システム工学専攻
小山内 聡 史
私 が 行 っ て い る 研 究 は
﹁体外循環時における大動
脈弓内流れの数値シミュ
レーション﹂です。この研
究は医学部と共同で行って
います。
この研究背景として、心
臓外科手術や弓部大動脈瘤
手術時の体外循環によって
起こる脳塞栓や脳塞栓を含
む合併症の防止がありま
す。これらの症状の減少に
は、体外循環中における大
動脈内の血流を明らかにす
ることが必要です。
これまでの研究はガラス
管大動脈モデルを使用した
実験によって、流れを解析
し て い ま し た。こ こ 最 近
は、実験と並行して数値シ
ミュレーションを使用した
研究も行っています。この
と い う ソ フ ト を これらの問題を解決し、
STAR-CD
使用しています。苦労した 体外循環時における数値シ
点 と し て 、ま ず 、 STAR-CD ミ ュ レ ー シ ョ ン を 行 う こ と
の表面修正ツールを使いこ ができた時は達成感でいっ
なすまでに労力を要しまし ぱいでした。
た。さらに、表面修正には この研究が形になり始め
試行錯誤が必要なため、計 た頃に、福田先生から脈管
算メッシュを作成すること 学 会 の お 誘 い が あ り ま し
ができるまでには多くの苦 た。この時は研究に対して
自信が無く、とても不安で
労を経験しました。
次 に 行 っ た 作 業 は 体 外 した。ただ、この学会まで
循 環 時 の 大 動 脈 モ デ ル を に自分の研究を自信の持て
作 成 す る こ と で し た 。 ど るものにできたら、この先
のようにモデルを作成した の人生の大きな糧になると
かというと、先ほどの構築 思い、脈管学会に参加する
した大動脈モデルから大動 ことを決めました。
脈カニューレの先端部を取 研究概要がYIAの審査
り 除 く こ と に よ っ て 作 成 を通過した時はとても信じ
で き ま す 。 こ の 作 業 を 行 られませんでした。YIA
う に あ た っ て 、直 面 し た 問 で 自 分 の 研 究 を 発 表 で き る
題はそもそもこのような作 ということはとても名誉な
業を行えるかという事でし ことではありますが、それ
た。まず、研究室が所有し だけにプレッシャーも感じ
ているソフトを手当たり次 ました。ただ、YIAの審
第に使用してみましたが、 査 を 通 過 し た こ と に よ っ
上手くいきませんでした。 て、自分の研究に自信を持
そこで、新たにソフトを購 つこともできました。
入することになり、いろい 発表当日はとても緊張し
ろ試した末、マテリアライ ましたが、自分の研究に自
ズ 社 製 の 3-matic
が こ の 問 信を持って発表することが
できたので満足していま
題を解決に導きました。
す。私は発表後のYIA表
彰式は呼ばれないだろうと
思っていました。しかし、
優秀賞で自分の名前が呼ば
れた時は感無量でした。自
分の研究が認められたと思
うと今までの苦労もすべて
吹き飛びました。このYI
A優秀賞は私の研究で頂い
たものですが、この賞は多
くの先生方や研究室の仲間
に助けられて得たもので
す。この研究を支えて頂い
た皆様にはとても感謝して
おります。
最後に、YIA優秀賞を
さらなる研究発展への原動
力にして、今後の研究に邁
進していきたいと思ってお
ります。
脳 神 経 外 科 学 講 座
大 熊 洋 揮 ︵脳神経外科学講座教授︶
脳神経外科は臨床系講座 破裂瘤の経験の蓄積を元に 制で対応を行っています。
としては員数的に学内で最 至適な治療法で対処してい
四、その他
も矮小であるため、細々と ます。
顔面痙攣・三叉神経痛な
脳内出血
で は あ り ま す が 、﹁ 地 域 へ
の医療と、世界へ発信する 独自に開発した内視鏡装 どの神経圧迫症候群に対す
医学研究﹂を胸に刻み活動 置を用い、脳への影響を最 る微小血管減圧術、神経系
小限としつつ血腫除去術を の先天性奇形に対する各種
を行っています。
手術、高齢者認知症の原因
行っています。
の一つである特発性正常圧
虚血性脳血管障害
︻臨床活動︼
頭皮の動脈を脳の動脈に 水頭症に対するシャント手
臨床としては、血管障害 繋ぐバイパス手術、狭窄部 術等々も行っています。
と腫瘍を中心にして、ほぼ 位の動脈硬化を摘出する手
全分野にわたる診療を行っ 術、狭窄部位までカテーテ ︻研究活動︼
ルを挿入しステントを留置
ています
し拡張さる血管内手術など 研究に関しては、ここ数
を行っています。
年は人手不足および臨床活
一、血管障害
動を第一優先にしていたこ
クモ膜下出血︵破裂脳動
二、脳腫瘍
とから停滞しがちでした
脈瘤︶
頭蓋底・脳深部腫瘍
が、最近少しずつ芽が出始
脳神経外科の中で最も重
要な疾患の一つであり、当 各種の術中モニタリング めています。現在、進行中
科においても現在最も力を ︵ 腫瘍周囲に重要な脳、神 あるいは着手されつつある
入れて取り組んでいるもの 経組織が無いかどうかを調 ものに関して臨床研究も含
で す 。 平 成 十 八 年 の 統 計 で べ る こ と ︶を 開 発・応 用 し 、 め 内 容 を 紹 介 し ま す 。
は、全国の国公立大学附属 これらの併用で安全、確実
病院中で治療症例数が最多 な 摘 出 術 を 遂 行 し て い ま 一、血管障害
くも膜下出血
であり、これに基づき後述 す。
悪性脳腫瘍
高齢者脳動脈瘤性クモ膜
するような種々の臨床研究
下出血における脳動脈瘤
も行っています。発症二十 手術に加え、個々の病変
治療法の比較検討
四時間以内の手術︵開頭下 に適した化学治療、放射線
クリッピング術または血管 治療を選択し治療成績の向 脳動脈瘤の治療法として
は開頭下のクリッピング術
内治療としてのコイル塞栓 上を得ています。
下垂体腫瘍
と血管内治療としてのコイ
術︶を行い、その後重要な
合併症である脳血管攣縮に 神 経 内 視 鏡 の 併 用 に よ ル塞栓術があります。高齢
対し独自に開発した治療法 り、鼻を経由して頭蓋底に 者では開頭術による合併症
でその発生を最低限に抑え 到達し、脳を触れることな が発生しやすく、これによ
く摘出術を行っています。 り予後不良症例が高率とな
ています。
るため、コイル塞栓術を第
未破裂脳動脈瘤
一選択として行い、どちら
近年、脳の検査の普及に 三、頭部外傷
より発見される機会の増加 頭蓋内血腫で緊急手術が の成績が優れるかの比較検
している未破裂瘤に対して 必要な場合は二十四時間体 討を行っています。
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
脳動脈瘤手術に
おけるくも膜形
成の有用性
脳動脈瘤手術終
了後、くも膜を縫
合形成し、正常な
髄液循環を維持さ
せることにより、
クモ膜下血腫の消
失が促進され脳血
管攣縮の発生が抑
制されるかの検討
を行っています。
脳動脈瘤クリッ
ピング術の各種
クリップ鉗子の
開発
脳動脈瘤手術で
最も重要な器機は
クリップ鉗子であ
るため、狭術野に
おいても有用な各
種鉗子をメーカー
と共同開発してい
ます。
脳血管攣縮の治
療薬の開発
クモ膜下出血の
最も重大な合併症
である脳血管攣縮
に関して、次の薬剤の有効
と同様の手法
edaravon
性を検討しています。
で、実験的、臨床的に
① Edaravon:
検討しています。
脳血管攣縮
の 原 因 が free radical 脳 動 脈 瘤 の 成 因 と そ の 非
で あ る こ と か ら 、 free 手 術 的 治 療 法 の 開 発
の くも膜下出血を撲滅する
radical
scavenger
の 有 効 性 を、 ためには、脳動脈瘤を破裂
edaravon
実験的、臨床的に検討 前に発見し治療することで
しています。実験的に す。脳動脈瘤治療は現在、
は平滑筋の持続的収縮 手 術 的 治 療 し か あ り ま せ
に 関 与 す る Rho kinase ん 。 し か し 、 未 破 裂 動 脈 瘤
の分析を中心に検討し の 保 有 率 は 四 十 歳 以 上 で
ています。臨床的には 五 % に 達 す る と さ れ て お
クモ膜下出血症例にお り、これを全て手術的治療
いて症候性攣縮、予後 でカバーすることは不可能
などをパラメーターに です。ラット脳動脈瘤モデ
ルを用いて薬剤治療の可能
検討しています。
② Statin平
:滑 筋 の 持 続 的 性 の 検 討 を 開 始 し ま し た 。
収 縮 に 関 与 す る Rho / 脳 内 出 血
系 を 抑 制 す 従来行われてきた、開頭
Rho kinase
る 可 能 性 の あ る statin 下 血 腫 除 去 や 、 定 位 的 血 腫
の 有 効 性 を 前 述 の 除去に加え、神経内視鏡下
の手術の有用性を臨床例に
おいて検討しています。そ
のために、血腫粉砕のイリ
ゲーション・サクション装
置や軟性鏡の開発も同時に
行っています。
脳虚血
ラット中大脳動脈閉塞モ
デルを用い、虚血耐性を増
大する可能性のある各種薬
剤の投与実験を始めていま
す。
二、脳腫瘍
悪性グリオーマの腫瘍細
胞浸潤や髄液播種防止のた
め、細胞接着因子の一つで
あるカドヘリン遺伝子を腫
瘍細胞に導入した腫瘍移植
を用いた基礎実験を行って
いる。
車線または追い越し車線
にはみ出して左折車を抜
研 究 室 の 九 州 出 身で、
前任地の東海地方から弘
前 へ 転 任 し て き た先生
が、数 ヶ 月 た っ た ころ、
弘前での生活の話になっ
た。そ の と き、﹁先 生、
弘前はみんな右折優先で
つ っ こ ん で き ま す ね。﹂
と な っ た。
﹁や は り そ う
思 う か﹂と 私 も 強 く 賛 同
し た の が 二 年 前。私自
身 、仙 台 、東 京 、浜 松 、
熊 本 、福 岡 等 全 国 六 都 市
に 住 ん で、弘 前 が 七 番 目
の 場 所 。今 年 で 四 年 目 と
な り、弘 前 の 生 活 に は 満
足 し て い る も の の、車 の
運 転 ル ー ル に 関 し て は、
弘 前 が 最 悪 と 思 え る。車
の み な ら ず、弘 前 で の 車
の 運 転 、自 転 車 、歩 行 者
がルール︵マナー︶を守っ
ていない人が多く危険。
弘 前 で の 運 転 に お け
る、ひ や り︵イ ン シ デ ン
ト︶体 験 の メ イ ン は と い
う い うと、まず、赤信号
になっても車が突っ込ん
でくる。次 に 右 折 車 が、
交差点の中央付近まで進
ま ず に、停止 線 部 分 か ら
シ ョ ー ト カ ッ ト で く る。
そ の 結 果 左折、直 進 の 車
を 止め︵ブレーキをふ ま
せ︶、ついでに自転車 歩
行 者 も な ぎ 倒 す︵倒 さ れ
な い よ う に 歩 行者、自 転
車 も 止 ま る︶。と い う の
が 典 型 例。次 は、左折車
の 直 後 を 走 る 車 が、反 対
したらと思うこの頃であ
る。
車がいてもおかまいな
し︶。ま た セ ン タ ー ラ イ
ン を 全 く 無 視 し 運 転 ︵南
塘グランドから医学科生
協近辺でよく見かけ
る︶
、などなど。
な か で も、弘 前 で よ く
見 る こ の 右 折 走 行は、冬
の道路凍結時に交差点の
中央にまっすぐ出てか
ら、ハ ン ド ル を き つ く
切って曲がろうとする
と、ス リ ッ プ し や す い か
らではと個人的には思っ
て い る。確 か に、凍 結 時
にこういう右折の仕方
で、交 差 点 の 真 ん 中 か ら
脱出不能に陥りそうに
なったことが私自身にも
あ る。し か し、雪 の な い
時期に弘前方式右折走行
をやる必要はない。
雪 の な い 時 期 に 既 に 雪
に負けている。
全 国 的 に は、交 通 死 亡
事故前年度より減少傾向
な の に、青 森 県 は 平 成 十
九年は交 通 事 故 死 亡 者
数 が 前 年 を 既 に 超 え、
死亡事故増加率全国 № 1
に な り そ う で あ る。短 命
県にさらに追い打ちであ
る。私 を 含 め 他 県 か ら 来
たドライバーにとって
は、弘 前 ル ー ル の 運 転 が
奇 異 に 思 え る し、死 亡 事
故が多いのも当然の印象
を持つ。
標 準 レ ベ ル に な い 弘 前
方式はいいかげん止めに
い て い く︵対 向 車、並 走
学生短期留学
短期アメリカ留学の経験
ます。アピールポイントっ
てこんなに書くのか。どう
やらどんな仕事でもアプリ
ケーションを出すときにA
4三枚くらいは書くらし
い 。 ・・・八 行 し か 書 い て な
いじゃん。それは怒られる
よなぁ。とりあえず気合い
です。二時間半ほどで仕上
げ︵コピペではありません
よ 笑 ︶、即 刻 提 出 で す︵ 結
局 A 4 一 枚 ち ょ っ と ︶。 そ
れから呼び出しはなかった
から大丈夫だったのかな。
そ れ か ら 一 ヶ 月 ほ ど し
て、受け入れ先等々の問題
でクリニカルクラークシッ
プを行うことが叶わなく
なった事をお聞きしまし
た。残 念 で は あ り ま し た
が、履歴書を一度でも英語
で書いたのは良い経験だっ
た、と素直に感じていました。
そんな矢先、メールで心
臓外科の研究室なら受け入
れることができるとのお話
をいただき、行けるだけで
も御の字だ、とのことでよ
ろしくお願いいたします!
と即答。そこからは時間が
過ぎるのがあっという間で
した。航空機や宿泊先の手
配など、準備期間は万全と
は い え ま せ ん で し た が、
色々な先生方の助けもあ
り 、四 月 二 十 二 日 、成 田 発 。
デトロイト経由でフィラ
デ ル フ ィ ア へ。飛 行 時 間 十
四時間。アメリカは遠いなぁ。
フィラデルフィア空港に
は胸部心臓血管外科学講座
の鈴木准教授の後輩であ
り、自分が身を置かせて頂
くことになる研究室で現在
も研究を行っている松崎先
医学科六年 齊 藤 良 明
五年生の冬頃、胸部心臓
血管外科学講座の福田教授
よりアメリカでのクリニカ
ルクラークシップを行う旨
の構想を聞き、少なからず
海外の医療に興味を持って
いた自分は、それに応募す
るに至りました。まず待っ
ていたものは受け入れ先に
提出する履歴書、アピール
ポイントの作成です。何し
ろ今まで生きてきて、バイ
トといっても家庭教師・塾
講師などなどをこなした程
度。日本語でだって履歴書
なんて書いたことありませ
ん。ましてやアピールポイ
ン ト っ て・・・と り あ え ず さ
らっと書いてみました
が・・・案 の 定 の ダ メ 出 し で
す。教 授 室 呼 び 出 し ぃ の
﹁明日の朝までに書き直し
てこい!﹂って。とりあえ
ず仲間に助けてもらってB
SLを切り上げ︵丁度呼吸
器外科・心臓血管外科の研
修 中 だ っ た の も あ り ︶、 即
刻帰宅。パソコン画面に釘
付 け に な り google
検 索。う
∼ん、現実を思い知らされ
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
生・野間先生に迎えにきて
い た だ き ま し た。松 崎 先
生・野 間 先 生 の﹁い ら っ
し ゃ い。疲 れ た で し ょ
う 。﹂と い う 優 し い 言 葉 に 、
眠気&緊張で変にギラギラ
した目をしていたであろう
自分も助けられた事が今で
も思い出されます。
翌日からさっそく研究室
へ。研究室のメンバーに挨
拶をすませ、一通りの説明
を受けると、
﹁ じ ゃ あ っ ﹂っ
て。その後は自由。前任が
全くいなかった自分は、や
ること、やりたいことは自
分でみつけなければなりま
せん。う∼ん。とりあえず
実験の見学!
当 研 究 室︵ Gorman
’ s Lab
︶
は心臓血管外科の研究室の
一 つ。主 な 研 究 テ ー マ は
﹁梗塞後心筋症に伴う僧帽
弁閉鎖不全症﹂です。心筋
梗塞のモデルを作成し、心
筋及び弁の変化をみるのだ
と か。心 筋 梗 塞 に な る の
は・・・羊 さ ん で す 。 実 際 に
羊に麻酔をかけて、側方開
胸。心膜を切開し、心臓を
露出した後に健康な羊の冠
動 脈︵L A D だ っ た よ う
な 。︶ を 結 紮 。 人 工 的 に 心
筋を虚血にします。梗塞部
位は経験的に心筋の 程度
なんだとか。これ以上範囲
を大きくすると不整脈をき
た し て・・・と い う 結 果 に な
る そ う で す︵実 際 V F に
なって除細動器を使う場面
もありました。その時は助
か っ た け れ ど ︶。 梗 塞 を
作った後に心筋の動き、電
位を取るために十五カ所ほ
どクリスタルと呼ばれる電
極を心筋に埋め込み閉胸し
ます。術後の羊は、二週間
後︵または四週間後︶に再
手術。再開胸し、今度は人
工心肺に乗せて僧帽弁を人
工弁に置換します。そして
最初の手術から四週間︵ま
1/4
たは八週間︶でかわいそう
ですが心臓を摘出し、今度
は心筋の病理学的な検索を
するそうです。自分も二週
間の滞在期間に手術に入ら
せて頂きました。やはり最
後︵最期︶の手術が一番悲
しいものでありましたね。
自分がいたのは二週間だ
けでしたが、この様な実験
がほとんど毎日行われてい
るとのこと。スケールが大
き い。年 間 数 十 頭 と い う
羊、聞くところによると一
頭 ﹁ $1,000
以上はするん
じゃない?﹂らしい。さら
にこの実験室には年間数億
円という研究費が国から出
ているということですから
びっくりです。
二週間の間には、研究室で
の実験の他にも実際の臨床
の現場を見せて頂きました。
フィラデルフィアにある
ペンシルバニア大学病院の
心臓外科はアメリカにあっ
てさらにその最高峰に位置
する有名病院︵日本でいう
東 大 ・ 慶 応 ︶。 そ の 内 部 は
実験にもましてすさまじ
い。術場の数三十二室︵内
心臓外科専用三室、ここで
毎日五件ほど手術があ
る 。︶、I C U の ベ ッ ド な ん
と 八 十 床 ︵ す べ て 個 室 ︶。
アメイジング。
見学させて頂いた手術は
弁 置 換︵ 形
︶三
or 成 + CABG
件と肺移植一件。設備の充
実もさることながら、手術
も驚き。 AVR
・ TVR
・ MVR
・
で 四 時 間 ︵ 閉 胸・縫
CABG1
合 込 ︶。 技 術 的 な こ と は わ
かりませんが、手術に無駄
がない感じ。欲しい器具が
言う前に出てくる。使う↓
ポイっ↓使う↓ポイっ。お
そらく完全にマニュアル化
されているような。手術件
数の多さがもちろん背景に
はあるでしょう。
心臓外科医オブ・ザ・イ
ヤーを何度も受賞されてい
る DR. ACKER
の手術を見
学させて頂いたときは興奮
しました。もちろん何がす
ごいのかはわかりませんが、
の動く手だけを
DR. ACKER
みつめていました。その後
研究室に戻ってから鉗子い
じり。完全にミーハーです。
日本では滅多にお目にか
かれない移植も見学できた
のも良い経験となりまし
た。ペンシルバニア大学で
は年間三十例弱の心臓移
植・肺 移 植 が 行 わ れ て お
り、二週間の間にこれがみ
られたのも偶然ではない程
度の頻度ということになり
ます。手術室に入ると、つ
いさっきドナーから摘出さ
れた両肺がドンっ!と置か
れており、その見た目に最
初から圧倒されました。空
になったレシピエントの胸
腔に肺が収まり、最後には
空気を得て膨らんだ時の感
動は言葉にし難いぐらいの
ものでありました。
そんなこんなであっとい
う間の二週間。早すぎた。
結局何も形になるものは残
りませんでした。そんなん
で何か意味あったの?と言
われるかも知れませんが、
それに対してははっきり
〝Y E S〟と 答 え る こ と が
できます。それは﹃刺激﹄
です。実験・臨床さらには
研究室にいたペンシルバニ
ア大学の医学生︵ランディ
という女子医学生。三年生
にして毎日手術に入り、ほ
とんどすべての皮膚縫合は
彼 女 に ま か さ れ て い る。
の縫合もやらせても
Aorta
らっていたり。とにかく優
秀。らしい。というのも日
本でいうところのCBTで
は 全 米 一 位 だ っ た と か 。︶、
フィラデルフィアの町並
み、名 物 の チ ー ズ ス テ ー
キ、映画ロッキーの銅像、
本場のBボーイ、日曜に観
戦したMLBの試合、わざ
わざ一人で行ったNY、そ
こ で 観 戦 し た N B A の 試 合、
乗り遅れそうになった最終
便 の バ ス。す べ て が﹃刺
ペンシルバニア大学
心臓外科を見学してきました
総勢四人の日本人がおり、
研究室ではたまに﹁ここは
日本か﹂と錯覚するような
状況でした。しかし研究室
にはペンシルバニア大の医
学生二人を始め、実に多く
の人が居り、実験︵ヒツジ
やウサギの手術︶ともなる
とアメリカ人のスタッフや
学生が混ざるので、英語で
の作業となります。
実験はヒツジに人工的に
心筋梗塞を作り、その後の
虚血性心筋症の経過を実験
群・対照群で観察するとい
う も の で し た。実 験 群 で
は、虚血領域に形成外科で
シワ取りに使うという
を 注 入 し、
hydroxyapatite
﹁固める﹂ことで心室瘤や
心拡大を予防しようという
ものでした。結果は非常に
良好で、実験群の心室拡大
は抑制され、駆出率は保た
れ、心不全も発生しないよ
うでした。僕たちが昼食を
とりに行く建物には大きく
医学科六年 市野瀬 剛
この度、胸部心臓血管外
科の福田教授、鈴木准教授
のご紹介で、ペンシルバニ
ア大学心臓外科ゴーマン研
究室を一ヶ月︵〇七年六月
二十六日から七月二十日︶
見学してまいりました。研
究室、手術室、病棟を見学
し、アメリカの医療の一端
を垣間見ることが出来まし
た。
研究室にて
研究室では、ヒツジをモ
デルにした虚血性心筋症と
それに伴う僧帽弁閉鎖不全
症に関する実験、ウサギを
用いた紫外線による心筋虚
血評価に関する実験に参加
させていただきました。研
究室には筑波大学から松崎
先生、野間先生が研究留学
でいらっしゃっており、予
想外に日本語が通用する世
界でした。二週目から大分
大学から森田先生が加わ
り、研究室には僕を含めて
激﹄となって、小さかった
自分の世界を大きくしてく
れたような気がします。私
は、チャンスを頂き、せっ
かく手に入れたこの経験を
宝物として、これからの自
分を高めていければっ、と
思いつつ、今はただただ国
家試験に向けて机に向かう
毎日を過ごしています。
最後に、この度このよう
な機会を頂くにあたって多
大なるお力添えを頂きまし
た福田教授・鈴木准教授を
はじめとする先生方、現地
でお世話になった全ての人
に感謝申し上げます。
︵次ページへ続く︶
﹁未来の医学を作る﹂とい
う標語が掲げられており、
﹁あ あ こ れ が 未 来 の 医 学
か﹂と感銘を受けました。
将来、研究はしないつもり
でいたのですが、実際に関
わってみると大変に興味深
く、自分の医師としての人
生の中で、研究をし、論文
を書く時期を作りたいと思
うようになりました。
実験はほぼ毎日あり、ヒ
ツジに対して開胸手術や開
腹手術をするもので、人間
の手術と同じような流れで
し た。ヒ ツ ジ の 手 術 で す
が、内頚静脈を確保しチオ
ペンタールを静注、グリコ
ピロレート︵アトロピンの
よ う な も の ︶、 NSAID
、フ ェ
ンタニルパッチを投与し、
気管挿管という手順で導入
し手術室へ移動します。こ
のプロトコールは動物実験
に関わる倫理委員会によっ
て厳しく規制されていて、
完全に履行することが要求
されているようでした。
松崎先生は非常に学生思
いの先生で、開腹、閉腹な
ど様々な手技を教えていた
だき、たまに執刀させて頂
きました。閉腹に使う糸が
︵前ページより︶
大変少なく、松崎先生の糸
を極限に節約する方法は大
変参考になりました。
多くの日本の先生方が大
学院に行かれるように、ア
メリカでも、若手の医師が
研究に携わる期間がありま
す。僕が訪問している最中
にも、一般外科のレジデン
ト四年目の先生がいらっ
しゃいました。医学部卒業
↓ 一般外科 ↓ 胸部心臓外
科 ↓ 心臓血管外科という
キャリアをたどるらしいの
ですが、一般外科にいる時
に、将来希望する専門分野
のラボに一年間学びに来る
システムになっているそう
です。日本の初期研修に当
たる制度もありますが、学
生時代に実習を多く行うこ
とで免除されるそうです。
ただし、後で詳しく書きま
すが、学生実習とはいえ日
本の研修医と同等以上の仕
事量をこなしています。
手術室にて
心臓と血管を中心に、手
術︵患者さんの︶を見学す
ることも出来ました。手術
室は三十以上あり、ICU
は八十床ありました。大動
脈弁置換術、OPCABG、
心臓移植、下腿の動脈閉塞
に対するIVR、総腸骨動
脈狭窄に対するIVR、ほ
かには乳ガンの手術も見学
しました。心臓の手術は毎
日三件ほど行われており、
心臓移植も最低週に一件は
行われていました。年間五
十から七十の心臓移植が行
われているそうです。
印 象 的 だ っ た の が、医 師
で は な い 血 管 採 取 の 専 門 家、
同じく医師ではない手術助
手 の 専 門 家 で す。彼 ら は 医
師 で は な く、血 管 採 取 の 人
は、た だ ひ た す ら バ イ パ ス
に使う大伏在静脈の採取︵内
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
視鏡を用いて︶を行い、手術
助手の人は、手術助手︵第一
助手︶をこなしていました。
手術助手に関しては非常に
人 気 の あ る 職 業 ら し く、将
来 な り た い 職 業 top 10
に必
ず 入 る と い う こ と で す。若
手の心臓外科医は第一助手
と し て、もし く は 教 授 ク ラ
スの心臓外科医を第一助手
として術者を務めているよ
う で し た。カ ナ ダ か ら 来 た
二週間目の心臓外科のレジ
デントが心臓移植の術者を
していたのは衝撃的でし
た。心 臓 外 科 の レ ジ デ ン ト
は全員術者になるべく採用
されており、ダイレクトに術
者としてのトレーニングが
始まるようでした。
日 本 の 一 部 の 施 設 の よ う
に、アメリカでは一般的に、
血管外科が独立した科とし
て 運 営 さ れ て お り、ペ ン シ
ルバニア大では興味深いこ
と に、胸 腹 部 大 動 脈 瘤 な ど
で は、中 枢 側 吻 合 を 心 臓 血
管 外 科、末 梢 側 吻 合 を 血 管
外科が担当するということ
で し た。末 梢 血 管 に 対 し て
は、手術もIVRも盛んに行
わ れ て お り、ペ ン シ ル バ ニ
ア大では血管外科がIVR
も 担 当 し て い ま し た。高 安
動脈炎による胸腹部大動脈
狭窄に対する胸腹部大動脈
バ イ パ ス 術 で は、中 枢 側 の
吻 合 を 心 臓 血 管 外 科 が 行 い、
末梢側の吻合を血管外科が
行 う と い う 分 業 体 制 で し た。
心臓血管外科は胸部心臓外
科の中のひとつのサブスペ
シ ャ リ テ ィ ー で あ り、血 管
外科は一般外科の中のサブ
ス ペ シ ャ リ テ ィ ー で、最 近
は腹部大動脈瘤や末梢動脈
に対するIVRが多数試み
られており、血管外科が大変
人気のある科だそうです。
アメリカの学生さんは基
本的に病棟で仕事をしてい
るようでした。手術に手を
洗って入るかどうかは学生
個人の希望にかなり依存い
ているようでした。
病棟にて
午前五時から始まる血管
外科の朝回診に参加しまし
た。なぜ回診に参加しよう
と思ったかというと、アメ
リカ式の所謂﹁屋根瓦﹂方
式の教育に非常に興味が
あったからです。国際基督
教大学に通っていた頃から
屋根瓦方式には非常に興味
が あ り、弘 前 大 学 に 入 学
し 、 一 昨 年 よ り project
屋根
瓦という勉強会を運営して
おります。アメリカ国内で
もアメリカの医学教育は
﹁教育システムとして﹂非
常に評価が高く、アメリカ
の弁護士協会などがその方
法を取り入れようとしてお
ります。国際医療交流財団
の海外留学オリエンテー
ションに参加したときに聞
いた話ですが、日本の弁護
士教育にも取り入れようと
いう動きがあるようです。
というわけで、アメリカの
医学教育︵学生に対しての
みでなく︶がどのように行
われているのか、病棟のダ
イナミクスはどのように
なっているのかを見るべ
く、朝の回診に乗り込んで
まいりました。
朝の回診に参加する事に
なったきっかけは、ふと病
棟に行ってみたいと言って
みた事でした。チームダイ
ナミクスに興味があるから
是非回診を見たいという
と、快くOKしてくれまし
た。ゴーマン研究室出身の
医学部六年生につれられ、
毎朝四時起きで見学してき
ました。
最も印象的だったのが、
﹁医学生が名実ともにチー
ムの一員﹂ということでし
た。ペンシルバニア大の医
学生は朝四時くらいからプ
レラウンドといって、回診
に備えて独りで二十人近い
受け持ちの患者さんを回診
し、SOAPを立て、オー
ダーを作っていました。回
診の時には、レジデント、
チ ー フ レ ジ デ ン ト︵五 年
目︶が 学 生 の プ レ ゼ ン と
オーダーを聞き、OKを出
すか、修正してその日の病
棟が回り始めるというシス
テムでした。チーフレジデ
ントは、学生やレジデント
のオーダーや手技のミス・
改善点を見つけると病室を
出てすぐにそれを指摘し、
手短に解説していました。
回診中の学生、医師は非常
に早口で何を言っているか
半分くらい分かりませんで
したが、彼らのプレゼンは
SOAPの型どおりで非常
に 手 際 よ く、毎 日 同 じ パ
ターンでした。二十人受け
持 ち と し て、ペ ン シ ル バ ニ
ア大の学生は週に百回以上
プレゼンを行う計算になり
ま す。こ う す れ ば 診 察 の 流
れ、目 の 付 け 所 が 体 に 染 み
付き、見逃しの少ない系統的
な診察が可能になるのでは
ないかと思われました。
学生・レジデントのモチ
ベ ー シ ョ ン 、︵ プ レ ゼ ン な
どの︶繰り返し、ごく近い
先輩後輩の間での密な医学
情報の交換が、病棟の引き
締まった雰囲気を作り出
し、平均的にレベルの高い
医師が育つのではないかと
いう印象を受けました。
以 前 か ら 非 常 に 興 味 の
あったアメリカの医学教
育、そしてアメリカの医療
を実際にこの目で見る事が
でき、非常に貴重な経験を
することが出来ました。こ
の場を借りて改めて、両先
生をはじめ、教室の諸先生
方にお礼を申しあげたいと
思います。
図書館だより
附属図書館医学部分館長 蔵 田 潔
オンラインデータ
ベース
電 子 ジ ャ ー ナ ル と
めると、パッケージ契約で
は総額に大きな差をつけな
いエルゼビア社の方針のた
め、オンライン購入のため
に新たな財源が必要になっ
てしまう。本学ではこの財
源に﹁受益者負担﹂を充て
ることが決定された。
しかしながら、本学にお
けるエルゼビア社の雑誌の
大半は医学部医学科本体か
らの予算と各講座による購
読であり、パッケージ購入
の相当部分に貢献している
ので、医学部がさらに﹁受
益者負担﹂をすることは他
学部に比べ著しく不公平で
ある。そのため、来年から
は医学部としてエル
ゼビア社のプリント
版 を す べ て や め、そ
の予算をオンライン
版に振り向けること
と し た。こ の こ と は
同 時 に、他 学 部 で オ
ンライン版購読のた
めの新たな出費を必
要とすることを意味
す る。そ の 後、紆 余
曲 折 が あ っ た が、来
年分については各学
部からの予算拠出に
より相当額が確保さ
れ る こ と と な っ た。
し か し、今 後 も 継 続
してオンライン版の
購読を維持するため
に は、さ ら に 全 学 的
議論と合意が必要で
あろう。
︵統合機能生理学講座教授︶
年末、そして年度末も
近づいてきたこの時期
に、図書館のおかれてい
るいくつかの問題を取り
上げようと思う。
電子ジャーナル
図書館ユーザー、特に
研究者にとって特に重要
な問題として、本学にお
ける電子ジャーナルの記
事をすでに本コラムにこ
れまで二回載せていただ
いた。その問題を要約す
ると、図書館に限らず全
学からの予算は基本的に
ゼロあるいはマイナス
シーリングであるが、そ
れに対して電子ジャーナ
ルを含むほぼすべての学
術雑誌の値上げが相次い
でいる。このため、これ
まで購読していた電子
ジャーナルやプリント版
タイトルの購読維持が難
しくなっており、特に今
年 か ら Nature
誌のオンラ
イン版購読の中止という
状況になってしまった。
本学で利用可能な電子
ジャーナルのうち最大規
模のものはエルゼビア社
に よ る Science Direct
で
ある。この購読維持はプ
リント版とオンライン版
のパッケージ購読という
方法で契約が行われてい
る。これは、購読してい
るプリント版とオンライ
ン版をパッケージとして
一括して価格が決められ
るものである。しかし図
書館のみならず各講座等
でプリント版の購読をや
と も に Medline
な ど の オ ン の母体である米国国立医
ラ イ ン デ ー タ ベ ー ス も 予 算 学 図 書 館 ︵ NLM
︶の
削減のあおりから中止せざ
にアクセスする
PubMed
るをえなくなっている。こ ことにより、一九六〇年
のため、ユーザーの皆様に 代までの文献検索が簡単
はご迷惑をおかけしている にできるだけでなく、検
ことと思う。最近の文献の 索結果を自分のライブラ
検索はインターネット上の リーに加えることができ
で 行 う こ と が で き る。
PubMed
るが、古い文献が検索でき
な い な ど 不 都 合 な 点 が あ 医学部分館と保健学科分
る。私自身の解決策として 室の統合
と い う 文 献 作 成 ソ 最後に、本学の中期目
EndNote
フトを用いているので、こ 標として医学部分館と保
の欄を借りて紹介したい。 健学科分室の統合が掲げ
英文で論文を書かれる方な られており、最近になっ
ら EndNote
は も は や 必 須 ソ て検討を開始している。
フトといってよいのではな これも人件費を含む予算
いかと思うが、この中のオ 圧縮という側面が大であ
ンラインデータベースへの るが、実際に統合となる
ア ク セ ス 機 能 が 極 め て 有 用 と 、保 健 学 科 に あ る 図 書・
で あ る ︵ 図 参 照 ︶。 ソ フ ト 雑 誌 を 医 学 部 分 館 に 収 納
のオプションにある﹁コネ することは物理的に不可
ク ト ﹂機 能 を 使 い 、 PubMed 能 で あ る 。 ま た 、 保 健 学
科分室では学
生さんの図書
貸し出しなど
の利用が大変
多いと聞いて
お り、そ れ を
閉鎖すること
は保健学科の
学生さんへの
サービス低下
を 意 味 す る。
そ の た め、統
合する場合
も、保 健 学 科
での自主的管
理をお願いす
る と と も に、
重複雑誌の廃
棄 な ど、ス
ペース確保に
向けた努力も
必 要 で あ り、
その準備を進
めているとこ
ろである。
∼学生が変わる・学生が変える
チュートリアル∼
た。これは皮膚疾患 通して我々医学生も多くの いう意識を高めてくれる機
に重点をおかず、普 ことを学べました。自分達 会と認識しました。一番最
段疑問に思われるし が普段学んでいる医学は一 初に挙げた目的は今回達成
み、しわの発生メカ 般の人にいかにわかりやす できたのではと自負してお
ニズム、紫外線の怖 く説明すべきなのかという ります。これからも毎年医
さ、皮膚を健康に保 所に非常に苦労し、実際の 学生が主体となりこの医学
つ食事についてなど 臨床現場に出る前のよい経 展を実施してほしいと考え
の 展 示 を 行 い ま し 験になったと思います。ま ています。最後になります
た。説明を受けた方 た、定期的なこのような一 が、ご協力いただいた各講
には化粧品のサンプ 般の方々との交流というも 座の先生方、資金提供して
ルを景品としてさし のは閉鎖的な社会で勉強し いただいた医学研究科教授
上げるなどして、女 ている我々医学生にとって 団、ならびに医学部同窓会
性の皆様には大好評 は非常に新鮮なもので、自 鵬桜会の石戸谷先生に御礼
の 企 画 だ っ た と 思 い 分 が こ れ か ら 医 師 に な る と を申し上げたいと思います。
ます。女性の方が気
にされている子宮頸
﹁学生チューター﹂活動報告記
がん・乳癌について
の解説もしました。
検査キッドや乳癌の
触診検査練習用の模
医学科六年 今 智 矢
型を借り、実際に来ていた
だいた方に触ったり、使っ
て も ら う こ と で 楽 し ん で い チ ュ ー ト リ ア ル と は PBL﹁ 教 員 の 負 担 を 減 ら し た
た だ い た と 思 い ま す 。 特 に ︵ problem based learning
︶ い。本学での屋根瓦教育を
将 来 自 分 が な り う る 疾 患 と と も 呼 ば れ 、 三 十 年 ほ ど 前 充 実 さ せ た い 。﹂ と い う 思
いうことで若い女性に関心 に米国で開発された問題解 いにより、学生から提案し
を持っていただいたようで 決型の学習法である。わが て始まった。今回も発案か
す。
国では一九九〇年頃から導 ら実施まで六年生が中心と
展示の最後に実際の人間 入され、本学ではチュート なって行われた。去年は一
の臓器も展示しました。そ リアルは二〇〇四年度から ク ー ル の み の 実 施 だ っ た
の臓器と関連した起こりう 導入された。今回、六年生 が、今年度は相当数の人数
る 疾 患 、︵ 心 筋 梗 塞 ・ 肺 が 学 生 有 志 の 十 七 名 が 二 〇 〇 が 集 ま っ た の で 二 ク ー ル 担
ん・胃 が ん・大 腸 が ん ︶に つ 七 年 十 月 一 日 か ら 二 十 二 日 当 さ せ て い た だ い た 。
いても解説をつけました。 まで計八回、合計十二時間 旧来わが国の医学教育は
普段医学部などに属しなけ のチュートリアル教育を担 伝統的な旧ドイツ式の、講
ればみることのできない臓 当させていただいた。この 義を主体とする知識伝達型
器ということもあり、来て 学生チューターの試みは昨 の教育が主であった。しか
いただいた方々は驚きと関 年 度 の 六 年 生 学 生 に よ る し、チュートリアル教育で
は提示された患者の事
心を持ってみていただいた
例︵シ ナ リ オ︶の 中 か
ように感じました。これら
ら自ら問題点を見つけ
をすべてみていただいた段
出 し、そ の 問 題 を 手 が
階でアンケートを実施した
か り に、勉 強 を 進 め て
ところ数多くのご意見をい
ゆ き 、少 人 数︵ 八 人 の グ
ただきました。そのほとん
ループにチューター一
どが﹁来年も是非やってほ
人 が 同 席 ︶が 、自 主 的 学
しい!この展示を見られて
習 を 行 う。講 義 型 の 教
非常に満足です﹂というも
育 よ り 、学 ぶ プ ロ セ ス 、
のでした。このアンケート
学んだ知識のアウト
を見ていままで苦労して準
プットが重視されてい
備してきたけれど、やり遂
る と い う︵形 成 的 評
げて良かったと最後に実感
価 ︶。
できました。この医学展を
この様に使いようによっ
ては非常に有用なツールで
治療は?など︶と、教科書
では調べられないその患者
あ る チ ュ ー ト リ ア ル 教 育 で に 固 有 の 情 報 ︵ Need to
あるが、自分たちの体験に
と 呼 ぶ 、例 え ば 、こ の
know
照らし合わせてみると、本 人の既往歴・家族歴はどう
学では未だ充分に使いこな か ? な ど︶に 分 類 し、
せていないように感じてい
は次回までに
Learing Issue
た。本学でのチュートリア 調 べ て き て 発 表 す る。
ル教育は事例から疑問点を
はシナリオの
Need to know
見つけて発表する会に終始 後半で明らかになることも
していたように思うからで あれば、分からないままの
ある。我々は、より効果的 こともある。それらをもと
なチュートリアルを行うた に最終的には、活発な議論
めには活発な議論が是非必 をしながらその事例がどの
要であると考え、学生担当 ような病態であるのか図示
のクールではやり方を少し した病態流れ図︵意味ネッ
変 え て み た。こ れ に よ っ トワークまたは病態生理図
て、三年生学生は多少戸惑 とも言う︶を書くことを六
い、六年生も新しいやり方 年 生 チ ュ ー タ ー 担 当 分 の
を説明するために、介入が チュートリアル教育の目標
多 く な っ て し ま っ た か も し と し た ︵ 写 真 2 ︶。 チ ュ ー
れないと感じている。この ターの役割は、この学習の
点 は ど う か ご 容 赦 願 い た 過程をサポートすることで
い。
あ る。マ ラ ソ ン に 譬 え る
第一回目から第三回目ま と、学習者の少しだけ後ろ
では実際の手順として以下 を、しかし決して離れるこ
のように行った。まず、事 となくともに学習者の横を
例︵シ ナ リ オ︶の 中 か ら 走る伴走者のようなもので
キーワード、キーセンテン あると考えている。
ス を 事 実︵ Fact
︶と し て 抜 き 二 ク ー ル と も 最 後 の 回
出 し 、 そ の Fact
か ら 考 え ら ︵ 四 回 目 ︶に は 、三 年 生 一 同
れ る 仮 説・疑 問 点︵ Hypothe- に 集 合 し て も ら い 、 デ モ ン
︶
を 議 論 す る︵写真1︶
。 ストレーションやワーク
sis
次 に 、 Hypothesis
を 教 科 書 な ショップを行った。
どで調べて解決するべきこ 一クール目では、シナリ
と ︵ Learing Issue
と 呼 ぶ、 オが心停止の事例であった
例えば、意識障害を来す疾 ので、実際使用したシナリ
患には何があるか?検査、
︵次ページへ続く︶
写真2
医学祭・医学展を終えて
非常に有意義なものになっ
たと考えております。
心理精神分野のブースで
は、実際に医療現場で用い
ら れ て い る﹁Y G 性 格 検
査﹂
﹁ エ ゴ グ ラ ム ﹂と い う 心
理テストをパソコンで、す
ぐに診断結果がでるように
し、来ていただいた方の性
格や心理傾向について診断
しました。このブースが一
番の人気でやはり皆さんご
自分の性格にはかなり興味
があるようでした。又、社
会医学講座の先生方から体
脂肪計、骨密度計、四肢血
圧計︵動脈年齢を計る︶を
借り、来ていただいた方の
健康診断を無料で行いまし
た。特に女性のお客様が多
く、皆様自分の検査結果を
見 て、シ ョ ッ ク を う け た
り、いまのご自分の身体状
況に満足される方がいたり
と様々でした。性感染症に
ついても取り扱いました。
これは弘前保健所の方の協
力を得て、性感染症の検査
の啓蒙活動を行おうという
コンセプトのもとでやりま
した。他には皮膚の美容と
健康について解説しまし
写真1
平成十九年度医学祭・医学展実行委員長
医学科四年 松 崎 雄 一
十月二十六・二十七・二
十八日と三日に亘り、弘前
大学文京キャンパス総合教
育棟にて総合文化祭の一環
として、医学部学生主体に
よる医学祭が行われまし
た。三日間晴天とはいえな
い中、沢山の方々にいらし
ていただきました。その中
で医学生有志五十人によ
り、﹁医 学 展 ∼ 知 り て ー
じゃ!わんどの健康!医学
の世界をのぞいてみよう
∼﹂という展示を行いまし
た。臓器の展示、様々な疾
患の解説、心理テスト、体
脂肪・骨密度・血管年齢測
定の健康診断などを介して
①一般の方々が病気や身体
のしくみについて知る機会
を提供する。②医療をもっ
と身近に感じてもらうこと
により、医療にアクセスし
やすい雰囲気をつくる。③
医学部の学生と一般市民の
よりよい交流の場とするこ
とを目的としました。具体
的には七つの部門に分けて
医学生が四苦八苦し、半年
間準備に取り組みました。
一番力を入れたのは脳に関
す る 部 門 で Do you脳
︵ Know
︶テ ス ト と い う 題
名で、普段疑問に思われる
脳の不思議について解説す
るとともに青森県民に多い
脳卒中を中心に疾患につい
ても解説しました。展示に
こられた方はご年配の方が
多く、認知症、脳卒中につ
いて非常に心配されていま
した。そういう意見に対応
す べ く、今 回 は﹁知 の 創
造﹂という医学科の先生方
により毎年行われている講
演と医学展を共同して行お
うという鬼島 宏教授︵病
理 生 命 科 学︶の ご 提 案 の
下 、﹁ 脳 卒 中・認 知 症
について﹂というと
ころに焦点を置き、
脳神経外科学講座教
授の大熊洋揮教授に
脳卒中について、脳
神経内科学講座教授
の東海林幹夫教授に
認知症について各三
十分程度の講演をし
ていただきました。
一般の方々の参加が
多く、普段医師に聞
きたくても聞けない
疾患に関する質問を
たくさんいただき、
それに対して、先生
方から詳しく丁寧な
回答が行われ、参加
された方にとっては
TA写真
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
︵前ページより︶
れた。
オに沿って、六年生チュー 六年生チューター担当分
ターの脚本、出演で心肺蘇 のチュートリアル教育終了
生法のデモンストレーショ 後に三年生にアンケートを
ン︵劇︶を行った。発見者 取った。それによると学生
が倒れている人を発見し、 がチューターを務めること
救 急 隊 へ の 通 報、救 急 隊 の に よ っ て 、﹁ 議 論 が 促 進 さ
心肺蘇生法︵BLS︶
、病院へ れ た ﹂、﹁ 議 論 に 能 動 的 に 参
の 搬 送、医 師 の 心 肺 蘇 生 法 加 で き た ﹂、﹁ 自 主 学 習 時 間
︵ACLS︶を演じてみせた。 が 増 え た ﹂、﹁ 楽 し く 勉 強 す
三年生からは、
﹁劇がおもし る こ と が 出 来 た ﹂、﹁ 学 生
ろかった﹂
、
﹁実際の救急蘇生 チ ュ ー タ ー な ら で は の ア ド
法がわかり有用﹂
、
﹁六年生が バ イ ス が あ っ た ﹂、﹁ 学 生
か っ こ よ く 見 え た﹂な ど の チ ュ ー タ ー 制 度 の 継 続 を 望
む﹂という学生チューター
感想が聞かれた。
二クール目では﹁みんな 制度への肯定的な回答が多
で作る夢のチュートリアル くみられた。
∼学生が変わる・学生が変 また、学生チューターの
え る チ ュ ー ト リ ア ル ∼ ﹂ と 利 点 は 、﹁ 年 齢 が 近 く 接 し
い う 題 で ワ ー ク シ ョ ッ プ を や す い ﹂、﹁ グ ル ー プ の 雰 囲
開 催 し た ︵ 写 真 3 ︶。 K-J
法 気 が 良 く な る ﹂、﹁ 六 年 生 が
を用いて、夢のチュートリ 手本となり勉強の仕方が分
ア ル を 作 る に は ど う し た ら か る ﹂、﹁ 三 年 生 の 学 習 進 度
よ い か 、 小 グ ル ー プ で 問 題 が 分 か っ て い る ﹂、﹁ 熱 心 で
点 、不 満 、改 善 点 、良 い 点 、 あ る ﹂、﹁ 進 行 が う ま い ﹂ な
対策など、活発な議論がな どが挙げられた。一方、学
された。議論された内容を 生チューターの問題点は、
抽出し、最終的に模造紙に ﹁医学的知識が不足してい
貼 っ た 作 品 ︵ プ ロ ダ ク ト ︶ る ﹂、﹁ 三 年 生 へ の 評 価 が
を 作 っ た 。 三 年 生 か ら は 、 し っ か り 出 来 る か 不 安 ﹂、
﹁作 業 が お も し ろ か っ ﹁教員でないので緊張感に
た ﹂、﹁ チ ュ ー ト リ ア ル 教 育 欠 け る ﹂、﹁ チ ュ ー タ ー 間 の
の 意 味 を 考 え る こ と が 出 来 ば ら つ き が 大 き い ﹂、﹁ 知 っ
た ﹂、﹁ み ん な の 意 見 が 分 て い る 先 輩 だ っ た の で 気 が
か っ た ﹂、﹁ 勉 強 に 対 す る 姿 抜 け ず 緊 張 感 が 増 し た ﹂、
勢 を 考 え 直 す こ と が 出 来 ﹁ 介 入 が 多 い ﹂、﹁ 国 家 試
た ﹂、﹁ モ チ ベ ー シ ョ ン が 上 験 ・ 卒 業 試 験 を 控 え た 六 年
がった﹂などの感想が聞か 生の負担になるのではと心
配﹂と い う 感 想 が 聞 か
れた。また、
﹁チュート
リアル教育自体の意義
が 不 明 瞭 ﹂、﹁ 有 用 と 感
じ な い﹂と い う 意 見 も
あった。
六年生チューターの
感想によると、
﹁チュー
ターを経験して人にモ
ノを教える難しさがわ
か っ た ﹂、﹁ 議 論 を 促 す
の が 難 し か っ た ﹂、
﹁三年生から良い刺激
を 受 け た ﹂、﹁ 実 習 で の
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
写真3
自らの体験を話すと三年生
の 目 の 輝 き が 変 わ っ た ﹂、
﹁意外にちゃんとやってい
た﹂な ど の 意 見 が 聞 か れ
た。六年生にとっても、将
来、後輩医師や看護師、医
学的知識のない患者への説
明や教育・行動変容を起こ
す為に必要な医療コミュニ
ケーション能力の一端を、
の
See one, do one, teach one
屋根瓦教育を通して、学ぶ
ことができ、非常に良い経
験が出来たと思う。
一方、
﹁ 学 生︵ 三 年 生 ︶に
よって知識、態度、積極性
に か な り 差 が あ る ﹂、﹁ 三 年
生から﹃早く終われ﹄とい
う 雰 囲 気 を 感 じ た ﹂、﹁ 教 え
ようとするとウザがられて
悲 し か っ た ﹂、 と い う 意 見
も聞かれた。
本学におけるチュートリ
アル教育の今後の課題とし
て、チュートリアル教育の
目的を学生・教員に再認識
させること、講義式よりも
多くの教員が必要であるこ
とからマンパワーが不足し
が ち で あ る こ と、チ ュ ー
ターにばらつきがあるこ
と、チューターによっては
介入が過度または過小であ
りうること、学習方法や効
果への評価・点検方法が難
しいことなどが挙げられ
る。
対策として、チューター
が熱意を持って学習と実践
の場をうまく結びつけられ
るような働きかけをするこ
と、学生チューターを増や
すこと、チューターに対す
る Faculty Development
を
増やすこと、チュートリア
ル教育終了時の三年生への
試験の導入、自立した成人
学習者として学生の能力と
意欲を信じること、などを
提案したい。
今回、六年生チューター
が本学の医学教育に相応の
総合研究棟第二期
工事進捗状況
比較的穏やかな天候に恵
まれた秋も終焉を告げ、岩
木山の頂も雪化粧となり、
冬篭りの支度に忙しい季節
となりました︵この原稿を
仕上げた時期には猛寒波襲
来で皆様方には季節外れの
ご挨拶で申し訳ありませ
ん ︶。 医 学 部 旧 基 礎 校 舎 、
現総合研究棟の改修工事も
急ピッチで進んでいるとこ
ろです。医学部ウォーカー
の記事が少ないためか、改
修工事の進捗状況の記事が
必要ということで、この原
稿を書いているところで
す。既にお知らせしており
ますように第一期改修工事
により、研究棟は玄関を含
め、岩木山よりの西側半分
の改修を済ませておりま
生チューターによるチュー
トリアル教育を受けた三年
生の中から、将来進級した
際に自ら学生チューターを
買って出る人たちが現れる
ことを強く期待している。
最後になりましたが発案
から実施まで、総合診療医
学講座の加藤博之教授、感
染生体防御学講座の中根明
夫教授に、実施に関しては
学務グループの皆様に多大
なご協力をいただきました。
どうもありがとうございま
し た。︵学生チューター氏名、
市 野 瀬 剛、伊 藤 由 里 絵、沖
塩 尚 孝、北 澤 あ か り、熊 谷
直彦、小林 完、今 智矢、齋
藤 良 明、佐 々 木 全 英、佐 藤
次生、佐竹 立、滝口寛人、
出口美智代、平川八大、馬渡
晃弘、横山佳織、吉田えり︶
す。第二期工事では、八甲
田山よりの東側半分に属す
る講座がその改修の済んだ
ばかりのところに全部移動
する必要があります。一体
どのようになるのか検討も
つきませんでしたが、なせ
ばなるもので各講座の﹁狭
くて大変だ﹂という叫びも
あるものの、基礎全講座が
移転をすませ、今年の八月
より西側半分で狭い環境の
もと、教育、研究等を続け
ている状態です。一階の事
務や医学部長室なども合わ
せて西側に移動しましたの
で、西側の現状は廊下を含
めてほぼ物置に近い状態で
もあります。第二期には同
時に西側の解剖実習室や生
理、薬理の実習室の改修も
総合研究棟 改修工事
ワーキンググループ委員長 八木橋 操 六
︵分子病態病理学講座教授︶
責任を持って正式なスタッ
フとして参加したことに対
し て、佐 藤 医 学 部 長 よ り
ティーチングアシスタント
の 辞 令 を 頂 い た。こ れ は
我々にとって大変名誉で誇
ら し い こ と で あ っ た。ま
た、今後の学生チューター
制度への期待も込められて
いると感じた。
学生チューター制の試み
を実施している大学は、国
内、また海外を含めてもそ
う多くないようである。し
かも、本学では学生からの
提案で制度が始まり、発案
から実施まで六年生学生が
中心となってなされた点が
ユニークである。今後の学
生チューター制度の継続と
改善、更なる発展が望まれ
る。我々としては今回六年
含まれています。学生の教
育にも支障を来たさないよ
う に、工 事 日 程 が 計 画 さ
れ、九月から実際の第二期
改修が始まりました。
今年は概して天候に恵ま
れ、二期工事もこれまです
べて順調というところで
しょうか。工事の内部状況
の詳しいところまではわか
りませんので、外部だけか
らの推測による報告です。
外 見 は、第 一 期 よ り も ク
レーン車が大活躍し、外壁
の工事状況もおおげさに
やっているようにみえま
す。西 側 で 生 活 し て ま す
と、朝から床や壁を電動ド
リルなどでギーギーやって
いる音がうるさく閉口する
こともしばしばです。しか
しながら、概ね工事の西側
に与える影響は少なく、居
住自体には問題のない状態
です。医学部学生諸君の講
義、実習なども狭いキャン
パス内でいろいろ不便なこ
とも起こっていますが、な
んとか教育自体に支障がで
ないように調整して工事は
進んでいます。ただ、二期
では講義室自体は補強程度
の工事で、内部は第三期と
なると聞いています。これ
まで、耐震補強のための資
材の搬入などあわただしく
行われていましたので、来
年には強い地震がきてもお
そらく大丈夫でしょう。ま
た、アスベストは既に排除
されたと聞いておりますの
で、こちらも心配はないで
しょう。十一月に入りまし
て 、各 部 屋 の 電 気 、水 道 、ガ
スの配置や実験室設備など
ヒアリングが終わり、これ
から内部がさらにそろって
いくことと思います。すで
にお聞き及びのことと思い
ますが、一期工事よりもさ
らに予算が縮小さ
れていますので、
できるだけの節約
も必要とされてい
ます。地方大学の
宿命として最少の
設備で、最大の成
果をあげるのが
モットーでしょう
か。予 算 縮 小 か
ら、工期が遅くな
るほど粗末な工事
になる心配もある
かと思います。た
だ、研究棟に関し
ましては、部屋の
外観、内装なども
西側と東側が余り
写真1 改修中の東側総合研究棟。
大型クレーンが活躍中。
に異なってい
ると具合が悪
いですし、大
体は同じよう
にそろえてい
ただけるので
はないかと思
います。とく
にビルの外壁
については、
一階から六階
まで西側と東
側の色調も同
じようにそろ
えてくれると
聞き、安心し
ております。
工事中は研
究棟の正門が閉鎖され、ま
た臨床研究棟、大学病院と
の連絡橋も閉鎖されました
ので、多くの方々は不便を
感じているのではないで
しょうか。玄関からの出入
りはとくに不便で、閉鎖さ
れた正門の右隣に通用門を
作り、狭いとこで車の出入
りと同時に自転車、歩行者
が入り混じっており、危険
な状態でもあります。朝夕
の混みあうときなど、皆さ
ん十分な注意が必要かと思
います。また、図書館の利
用も玄関から、動物実験施
設側まで一旦外にでてから
実 習 室︵現 在 は 学 生 コ ン
ピューター室︶を回り込ん
で入る必要がありますの
で、しばしの間はご不便か
と 思 い ま す。し か し な が
ら、これまで各講座の先生
方、また事務職員の方々の
並々ならぬ努力と忍耐によ
りまして改修工事も無事進
行しています。第二期改修
終了まで残り半年を切りま
したが、この冬をなんとか
乗り越え、パワーアップし
た状態で完成を迎えたいと
ころです。
︵平成十九年十一月二十二
日記︶
写真2 改修一期で終えた西側1階に仮り住ま
い中の医学部事務。一応、廊下は整然
となっています。
私の三沢夏期研修体験記
りやすく話してくれ、私を
心待ちにしていてくれたと
いう内容を聞いて不安や緊
張は一気に吹き飛びまし
た。ところが、アメリカ人
が話す言葉は早いこと早い
こ と ⋮ そ の 後 、 Monica
とそ
の友達八人くらいでご飯を
食べに行ったのですが、日
本人だからといって容赦は
あ り ま せ ん 。 Native
が友達
同士でしゃべり合っている
テンポを全く変えずに私に
次々と話しかけてくるので
す これには参りました。
ゆっくり呑気にステーキ定
食など食べている場合では
ありません!そんな調子で
病院でも〝言葉の壁〟を打
破しながらの奮闘が始まっ
たのです。
空軍病院は医師数二十五
人、ベッド数十程度という
医学科五年 町 田 和 音
私は七月二十二日から三
十一日までの十日間、三沢
米軍基地内のアメリカ人の
家庭にホームステイしなが
ら空軍病院で研修させても
ら い ま し た。三 沢 研 修 で
は、本当にさまざまな人と
出会い、
〝 日 本 〟で は 体 験 す
ることのできないさまざま
なことを感じ、数えきれな
いほどのたくさんの笑顔と
人々の心の温かさを感じた
十日間でした。
まず、夕方三沢駅に着く
と Dr. Tillman
︵ Monica
︶と い
う夏期プログラム担当の研
修医の女性と、これから私
のホストファミリーになっ
て く だ さ る Dr. Mayers
と
という夫婦が出迎え
Patty
てくれました。なんとか緊
張しながらあいさつをする
と、とてもにこやかに分か
小さな病院で、騒然とした
感じはなくとてもゆったり
していて、軍人やその家族
が来たら何でも対応すると
いう基地内の診療所のよう
な 役 割 を 果 た し て い ま し た。
とても驚いたことには、朝 は
七時三十分開始、ランチタ
イムはしっかり取ってお
り、五時終了と業務の時間
がきっちり決まっているに
もかかわらず、忙しい忙し
い、自 分 は 働 き す ぎ だ と
言っている医師が多かった
ことです。もちろん仕事は
大好きで皆テキパキとこな
しており、どの医師も生き
生きとしていましたが、仕
事と私生活を時間できっち
り分けるというのはアメリ
カ人の国民性なのでしょう。
病 院 研 修 で は、一 般 内
科 、小 児 科 、家 庭 医 療 科 、外
科、産婦人科、ERのドク
ターに付いて見学しまし
た。一般内科・家庭診療科
では、胸痛、めまい、鬱気
分、耳が痛い、などなど実
にさまざまな訴えのある患
者が来ました。小児科はほ
とんどが健診で、重大な疾
患がある小児は県内の病院
で取り扱ってもらっている
そうです。外科は整形外科
や耳鼻科の手術を見学しま
した。外来は完全個室で、
机と診察台、簡単な診察道
具と処置道具のみのシンプ
ルな部屋で、一人一人に充
分時間をかけて診察してい
ました。医師は別の部屋に
個人の机を持っていて一人
分ずつカルテが届けられ、
外来の個室に出向いて診察
し、戻ってきてカルテへの
書き込み・処方を行うとい
う形式でした。診察を終え
三沢空軍病院研修報告
平成 19 年 12 月 20 日
医学部ウォーカー第 43 号
!!
三沢でのエクスターン
シップを終えて
部屋に戻ってくる度に、ド 戦してみてください!きっ させていただくためにご支 な ど を 見 学 さ せ て も ら っ
クターは患者・疾患につい とこのチャンスを最大限に 援をいただきました大山先 た。その他、産婦人科、放
て熱心に説明して下さり、 生かせると思います。たく 生、並びに夏期研修プログ 射線科、パイロットを専門
私は分からなかった事を質 さ ん の 素 敵 な 人 々 に 出 会 ラム委員会の諸先生方、そ に 診 る 航 空 医 学 な ど が あ
問しました。基地内にいる い、多くを得られること間 してお世話になったすべて る。例 え ば 家 庭 医 療 科 で
の方々に深く感謝申し上げ は、皮疹、咳、逆流性食道
の は 軍 人 と そ の 家 族 な の 違いなしです。
で 、 受 診 す る ほ と ん ど が 若 最 後 に な り ま し た が 、 こ ま す 、 あ り が と う ご ざ い ま 炎 、腰 背 部 痛 、下 肢 痛 、鼠 径
年層︵子どもから四十代く のような素晴らしい体験を した。
部痛、手根管症候群、躁う
ら い ま で ︶、 皆 自 分 の 訴 え
つ病、等々あらゆる患者が
や意見をはっきりと言い、
続々と現れ、一人の医師が
医師の説明をとても熱心に
手際よくそれらを診察して
聞いていて積極的にディス
いく。ドクターたちの出で
カッションしていたという
立ちは白衣か迷彩服で、人
医学科五年 平 岡 友 二
印象が強く残っています。
種も生粋の白人からスペイ
基地内のアメリカ人たち
ン系、アジア系と多彩。C
か ら 今 回 T撮影は近くの三沢市立病
は 、 日 本 語 は 普 段 の 生 活 に 二 〇 〇 七 年 七 月 二 十 三 日 ル ー の Hilux surf
必要ないようで、ほとんど か ら 八 月 三 日 ま で の 二 週 の実習責任者である、性格 院、未熟児はNICUのあ
しゃべれませんでした。し 間、青森県三沢市の三沢米 も体型もこれぞアメリカと る県病、難度の高い手術や
か し 文 化 や 食 べ 物 な ど 、 日 軍 基 地 病 院 で の 実 習 に 参 加 い っ た 感 じ の 陽 気 な Dr. 先 進 的 な 治 療 は ハ ワ イ の 米
が 現 れ 、い き な り 早 軍 病 院 に 搬 送 す る な ど の 制
本にとても興味があって日 させていただきました。三
Tillman
本 の 文 化 を 満 喫 し て い る 沢 基 地 は 、 一 、六 〇 〇 万 ㎡ 口 の ア メ リ カ ン ・ イ ン グ 約 は あ る も の の 、 地 域 や 関
人々がたくさんいました。 ︵四 八 五 万 坪︶の 敷 地 に リッシュでまくしたてる。 連施設とも連携しながら効
イ ン テ リ ア に も 日 本 の 文 化 三 、〇 〇 〇 m の 滑 走 路 を も 彼 女 に は こ の 二 週 間 、 実 習 率 的 に 診 療 が す す ん で い
を多分に取り入れていて、 つ巨大な施設で、昭和十七 全体のコーディネート、病 く。そんな中、随所に米国
私のホストファミリーの家 年に旧日本帝国海軍のため 院ドクターたちを前にした 流のシステムも垣間見られ
には着物帯のテーブルクロ に建設され、戦後、米国海 英語での症例発表の英文添 た。全身麻酔手術でも麻酔
スや鎧兜の等身大の置物が 軍航空隊との共同使用が開 削、オフタイムのウォール 科医はいない。麻酔は特別
あり、驚いたものです。ま 始された、日本の自衛隊に クライミング、昼食・夕食 の資格をもつ看護師が担当
た、ア メ リ カ 人 は ホ ー ム とって唯一の日米共通使用 とすっかり世話になること する。新患の病歴︵アナム
パーティーが大好きで、二 航空作戦基地である。世界 になるが、その早口と陽気 ネ︶をとるのも看護師の仕
日に一度は友達の家に招か の医療をリードする米国流 さは最初から最後まで変わ 事。そのほかにも多くの看
れて、そこの家のホームメ の医療とはどんなものか、 らなかった。
護師が専門資格を持ち、権
イ ド の デ ィ ナ ー や バ ー ベ 世界で最も訴訟の多いとい 戦闘機の轟音が絶え間な 限も広く、医師との分業体
キ ュ ー な ど を 楽 し ん で い ま わ れ る ア メ リ カ の 医 療 機 関 く 頭 上 を 行 き 来 す る 中 、 Dr. 制 は 日 本 と 大 き く 違 う 。 医
に 病 院 内 を 一 通 り 師と患者の関係も我が国と
し た。料 理 上 手 な 人 が 多 ではどのようにリスク管理
Tillman
く 、や は り American Foods が 行 わ れ て い る の か 、 医 師 案 内 し て も ら い 、 い よ い よ は 違 う 。 患 者 は 診 察 用 の 個
とコメディカルの分業体制 実習開始となった。病院で 室に通され、そこに医師が
は大大大好きです!
また、研修は四時で終了 はどうなっているのか、基 の実習は、救急外来、家庭 出 向 い て 行 っ て 診 察 を 行
な の で 、 Monica
、平 岡 さ ん 地 病 院 と 地 域 の 病 院 と の 連 医 療 科 ︵ 総 合 内 科 ︶、 小 児 う 。 患 者 は 個 室 で 椅 子 に
と Rock Climbing
を し た り 、 携 は ど う な っ て い る の か 、 科 、外 科 、整 形 外 科 、耳 鼻 科 座 っ た り 、 診 察 台 に 腰 か け
たり、思い思いの態勢で医
︵ ゴ ル フ ︶に 行 っ た り 、 等 々 の 好 奇 心 を
Paty
師が訪れるのを待つ。部屋
のディナーを 日本にいながら
Monica made
に入ると医師は、患者の様
食 べ た り と、ホ ー ム パ ー に し て 満 た し て
子を観察し、患者が最もリ
ティーのない日のアフター く れ る の で は な
ラックスして話ができ、診
5もイベント盛りだくさん い か と の 期 待 を
察が受けられるような場所
で、限りある時間を存分に 胸 に 私 は 三 沢 に
に 自 分 の ポ ジ シ ョ ン を と る。
楽 し む こ と が で き ま し た 。 向かった。
患者は医師の姿に臆するこ
基 地 内 に は 娯 楽 の た め の い 実習初日の朝、
となく自分の悩みを堂々と
ろいろな施設があって、と 待 ち 合 わ せ 場 所
の基地前の駐車
説 明 す る。お 互 い 軍 人 同 士
ても楽しかったです。
︵医師も軍に所属している︶
も し 、 少 し で も 興 味 が あ 場 で 待 っ て いる
という気安さを割り引いて
る 方 は 、 こ の 研 修 に ぜ ひ 挑 と、ネ イ ビ ー ブ
︵次ページへ続く︶
も、日本の外来とは随分と様
子が異なる印象であった。
基地の中には、日常生活
に必要な施設が全てそろっ
ている。アメリカにしては
小ぶりなショッピングモー
ルでも、生活必需品は食料
品から衣料品にいたるまで
すべてが揃っていて、支払
い は も ち ろ ん U S ド ル。
フードコートでは、お決ま
りのハンバーガー、ピザ、
サンドイッチなど、トッピ
ングもアメリカ流。そのほ
か 、会 員 制 ク ラ ブ 、映 画 館 、
アスレチックジム、ゴルフ
場︵ 十 八 ホ ー ル ︶、ウ ォ ー ル
クライミング、フットサル
のグラウンド、学校は幼稚
園、小学校から大学まであ
る。一万人以上の人が働く
基地の住居は、基地内の専
用住居に住む人と、基地外
の一軒家に住む人が半々く
らい。これだけの巨大な施
設が、多くは我々の税金で
維持・管理されているわけ
で、日本の安全保障にはこ
んなところにもお金がかか
るのだということをあらた
めて実感した。基地内では
米国人とともに、多くの日
本人が働いている︵一定割
合の日本人の雇用が日米間
の協定で定められているた
め︶が、地元への経済効果
もそれなりにあるようであ
る。残念なのはアメリカ人
の約半数が任期中︵二∼三
年︶に一度も日本国内を観
光せず帰国するということ
である︵基地外へ出るのは
休暇で米国に帰る時だ
け ︶。 日 本 で の 勤 務 は 、 極
東のへき地での勤務とみな
され、他の先進国︵ドイツ
やイタリアなど︶に比べる
と特別手当がつくらしいが、
一般のアメリカ人にとって
は、日本という国はまだま
だ特殊な国なのであろう。
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採用︵ ・ ・1︶
麻酔科 助教
木 村 太 ︿医員﹀
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︵前ページより︶
―医学部大黒松小公園の清掃奉仕活動―
医学研究科事務長 瀧 川 明 伸
臨床教授・ 臨 床 准 教 授
称 号 付 与 者
編 集 後 記
に伴ってこの場所に移設し 採用︵ ・ ・1︶
公 園 の 樹 々 が 鮮 や か に 色 うに紹介されております。
お悔やみ
た も の で 、 そ の 碑 に は 次 の 糖鎖工学講座 助教
づいた去る十一月五日、こ
﹃○ ○ が 殿 様 か ら 功 に よ
弘前大学名誉教授︵元整形
ような言葉が刻まれており 田所 友美
の公園の清掃を長年にわ
り五十石加増の話があった
外 科 学 教 授︶原 田 征 行 氏 に
ます。
たって奉仕してくださった
消化器血液内科学講座 助教
時、加増より松が欲しいと
は、平 成 十 九 年 十 一 月 二 十
在相町会の長寿クラブの皆
佐 藤 研 ︿医員﹀
申し出て頂いたものだ。そ
さんに対し、感謝状の授与
胸部心臓血管外科学講座 助教 三 日 御 逝 去 さ れ ま し た。享
この碑は、御遺体を医学
れで五十石松というのだ。
年七十歳
式が執り行われました。当
青 木 哉 志 ︿医員﹀
の教育と研究のため弘前大
天守閣への登坂左手の松
ここに、謹んで哀悼の意を
日は、代表の葛西憲之助さ
学医学部に提供していただ
と、養生幼稚園の松と共に
表し、御冥福をお祈りいたし
んは入院中でおいでいただ
昇任︵ ・ ・1︶
いた方がたの尊い御遺志を
弘前三大名松の一つだと
けませんでしたが、クラブ
消化器血液内科学講座 准教授 します。
末永く称え、医学にたずさ
言って去った﹄と巡視の高
︵従四位瑞宝小綬章 受賞︶
の 高 松 雄 爾 さ ん 、佐 藤 光 さ
坂本 十一
わる者が、その御期待に応
谷の話である。
ん、皆川悦子さん、豊田ミ
︿消化器血液内科学講座 講師﹀
える責任を自覚するために
山 野 元 命 が 信 寿 公 か ら
サさん、葛西チサさんにお
胸部心臓血管外科学講座 講師
造られたものです。
貰った松で、はじめは現在
今 年 も ま た 積 雪 の 少 な い
いでいただき、奉仕活動を
大德 和之
平成二年十月
の医学部図書館に下り行く
始めたきっかけや日頃の活
弘前大学医学部 ︵碑文︶ ︿ 胸部心臓血管外科学講座 助教﹀ 師走の頃ですが、新年に向け
道の傍にあり﹃大清水松﹄と
街はあわただしく動いてい
動のお話を伺わせていただ
呼んだ。
る よ う で す。平 成 十 九年、
校
舎
の
小
さ
な
片
隅
に
、
日
きました。
辞
職
︵
・
・
︶
このような松だが、今は
皆様の一年はいかがでした
頃 私 た ち が 感 謝 し 忘 れ て い 脳神経病理学講座 助教
折角の機会ですので、こ
医学部にある松だから、そ
る 場 所 が あ る よ う に 思 い ま 朱 剛 ︿中国医科大学﹀ で し ょ う か。弘 前 大 学 医 学
の紙面を借りまして、小公
して大きい黒松だから﹁大
部 は、今 年 の 四 月 か ら 大 学
す。この機会に﹁医学部大
園内にある歴史ある大黒松
黒松﹂というのも心楽しい
院部局化・重 点 化 と し て 医
黒松小公園﹂に立ち寄られ 辞職︵ ・ ・ ︶
と医学部にとってとても大
ことでなかろうか。
学研究科となり新たなス
て み て は 如 何 で し ょ う か 。 糖鎖工学講座 准教授
切な解剖体慰霊碑について
タ ー ト を 切 り ま し た。部 局
少し紹介したいと思います。 ︵医学部三十年史より抜粋︶
今 淳
化に伴う予算措置は十分と
大黒松については、詳し
︿青森県立保健大学﹀
は 言 い 難 く、名 称 だ け の 変
くは医学部三十年史に余話 また、解剖体慰霊碑﹁献
●医学部附属病院
更 と 危 惧 も さ れ ま し た が、
として掲載されております 体之碑﹂は、もともとは長
●大学院医学研究科
この九ヶ月間を振り返って
が、弘前大学のホームペー 勝寺にあったものですが、
併任︵ ・9・1︶
みると実際にはどうだった
ジ ︵施設環境部の史跡案内︶ 解 剖 体 慰 霊 祭 を 無 宗 教 方 式 休 職 ︵ ・ 9 ・ 5 ︶
集中治療部長
でしょう。大学・医療を取り
に同 誌 の 抜 粋 と し て 次 のよ で 執 り 行 う よ う に し た こ と 皮膚科学講座 助教
廣田 和美
巻く環境が依然として厳し
武田 仁志
い 中、弘 前 大 学 の 志 気 向 上
昇任︵ ・ ・1︶
臨床准教授
には繋がったと感じられま
総合診療部 講師
辞職︵ ・9・ ︶
高 橋 克 郎 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院外科医長︶
す。ま た 建 物 に 目 を 向 け る
大
串
和
久
内
分
泌
代
謝
内
科
学
講
座
助
教
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
と、今年度の総合研究棟︵基
︿総合診療部 助教﹀
照
井
健
礎棟︶改修・外来新棟の完成
︿青森県立中央病院﹀
田 澤 俊 幸 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院外科医長︶
に 加 え て、来 年 度 か ら 二 年
併任︵ ・ ・1︶
耳鼻咽喉科学講座 助教
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
間の予定で臨床研究棟改修
附属病院副病院長
王子 佳澄
も 行 わ れ、そ の 整 備 が 進 み
福田 幾夫
︿青森県立中央病院﹀
吉 崎 孝 明 ︵大館市立総合病院外科部長︶
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
ます。これでシステム︵部局
病
歴
部
副
部
長
臨
床
検
査
医
学
講
座
助
教
化︶のみならず器︵建物︶も
加藤 博之
富田 泰史
平 川 均 ︵大館市立総合病院整形外科部長︶
更新され、名実ともに医学研
︿ ノースカロライナ大学チャペルヒル校﹀ 辞 職 ︵ ・ ・ ︶
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
循環器内科・呼吸器内科・腎臓内科 助教 究 科 の 時 代 が 始 ま り ま す。
慢性の医師不足など不満を
大和田真玄
柳 澤 道 朗 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院整形外科医師︶ 採 用 ︵ ・ ・ 1 ︶
述 べ れ ば、き り が あ り ま せ
︿五所川原市立西北中央病院﹀
分子生体防御学講座 講師
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
んが、これまでの医学部の歴
麻酔科 助教
三村 純正
長 沼 慎 二 ︵青森県立中央病院整形外科副部長︶
史 を 塗 り 替 え る よ う な、医
︿ 独立行政法人科学技術振興機構﹀ 髙 瀬 肇
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
学研究科の飛翔のために
︿東京女子医科大学﹀
内分泌代謝内科学講座 助教
各々が足元から着実に成果
工 藤 貴 徳 ︿医員﹀
大 和 隆 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院泌尿器科医長︶
を 築 く 努 力 を し ま し ょ う。
臨床検査医学講座 助教
平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
来る平成二十年が皆様に
島 田 美 智 子 ︿医員﹀
と っ て、良 い 年 と な り ま す
ように。
︵鬼島 記︶
川 口 俊 明 ︵青森県立中央病院泌尿器科副部長︶
平成十九年九月一日∼平成二十年四月三十日
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在相町会の長寿クラブの皆さんに感謝状授与
三沢ではアメリカ人家庭
家にホームスティ
McNicol
し た 。 Steve
︵ 夫 ︶ & Laura
︵妻︶夫妻とその子供たち
にはすっかり世話になっ
た 。 Steve
は元電機製品の
営業・販売員で現在は専業
主夫。食事の準備から子供
たちの送り迎えまで全て彼
が や っ て い る 。 Laura
は病
院の手術室に勤務する看護
師で、一家の家計を支えて
い る 。 McNicol
家は他に
チ が あ り 、ま た 、ケ ヤ キ 、コ
、 Mathiew
と末娘の
Pierre
ブシ、ヒマラヤシーダ、カ
の計五人家族。実
Elizabeth
シワ、ドウダンツツジ、ド
は、普段は他にも三人の子
イツトウヒが配置され、ベ
供たちが住んでいて︵米国
ニカナメモチ︵レッドロビ
に 一 時 帰 国 中 ︶、 そ れ 以 外
ン︶の垣根で囲われていま
にも既に独立している子供
す。
三人の計九人の子供がい
この小公園は、十年ほど
る。お互いに子連れのバツ
前にみちのく銀行からのご
イ チ 同 士 で、再 婚 後 に
寄附によって、弘前市の随
と Elizabeth
が生ま
Mathiew
所に造られている﹁街角広
れたという、現代アメリカ
の縮図のような家。子供た 基礎校舎敷地内の西北隅 場﹂に倣って今のように整
ちからは毎日英語を学び、 に小さな公園があります。 備されたもので、﹁医学部
典型的なアメリカ料理を毎 そこには、大きな松の木を 大黒松小公園﹂と命名され
日堪能し、ステーキハウス 中心に解剖体慰霊碑、ベン ております。
にも連れて行ってもらっ
た。三沢での滞在で一番の
弘前大学医学部
収穫は、このホームスティ
を通じて、異なる価値観、
生活習慣等を肌で感じるこ
とができたことではないだ
ろうかと思う。
最後に、このような機会
臨床教授
を与えてくださった大山教
授 を は じ め と す る 大 学 の 諸 三 上 勝 也 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院外科医長︶
先生方・スタッフの皆さん 平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
に心から感謝申し上げま
大 石 晋 ︵大館市立総合病院外科部長︶
す。自らを日常から離れた 平成十九年九月一日∼平成二十二年八月三十一日
異なる環境に身を置くこと
で 、 新 た な も の が 見 え て く 佐 藤 年 信 ︵独立行政法人国立病院機構弘前病院副院長︶
るだけでなく、普段何気な 平成十九年十月一日∼平成二十二年九月三十日
く見過ごしていることにも
安 保 亘 ︵青森県立中央病院小児科部長︶
あらためて気づくことが多
平成十九年十月一日∼平成二十二年九月三十日
かった。この弘前大学なら
で は の ユ ニ ー ク な プ ロ グ ラ 志 賀 健 人 ︵青森県立中央病院集中治療部長︶
ムでの経験は、何らかのか 平成十九年十月一日∼平成二十二年九月三十日
たちで将来役にたつであろ
うと確信している。
医学部ウォーカー第 43 号
平成 19 年 12 月 20 日
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