心 の 成 長 は 人 間 と し て の 成 長

心
人の
間成
と長
しは
て
の
成
長
りするつもりでおりましたが、
私が中学校時代から現在に至
るまで、大変お世話になって
おります高橋憲康先生からご
指名を受けました。私の尊敬
する先生からのご指名であり、
断ることができませんでした。
この広い北海道の中では、
もっと素晴らしい指導者の
方々がいます。僭越ではござ
いますが、私の経験や知識か
ら、バスケットボールに対す
る考えや姿勢を掲載させて頂
きました。
このホームページを読まれ
ている方々のお役に立つこと
ができるような内容にしよう
と思い、拙い文章ではありま
すが、紹介させていただきま
す。
1、バスケ ットボ ールと の出会い
私が、このバスケットボー
ルというスポーツを始めたの
は、小学校5年生からでした。
それまでは「野球」が大好き
で、札幌の少年野球チームに
小学校1年生のときから加入
○はじめに
し、朝から夕方遅くまで野球
北海道ジュニアバスケット
をしておりました。石がたく
ボール連盟広報委員会の皆様、 さん転がっているグラウンド
連盟サイト100万回ヒット
を、コーチと共に拾い集め、
達成、本当におめでとうござ
野球ができるような環境を整
います。私個人としても、連
えて練習に励んでいました。
盟設立当初から関わってきた
人は自分の取り組むべき
一人として、大変うれしいも
事柄が出てきたときに、自
のです。道外の方々と接する
ら「環境をつくる」ことも
機会があった際には、連盟の
大切である ことも学んだ時期
組織の連携の良さやホームペ
でもありました。
ージの充実、選手登録につい
しかし、小学校3年生の3
てのことなど、多くの面で誇
学期でした。父親の転勤から、
れるものがあります。
転勤先の地域や小学校では少
今後とも連盟が発展し続け
年野球チームがないとのこと。
ていくことを陰ながら応援し
そこで、暇を持て余していた
つつ、自らも微力ではありま
私は、1年間弱の間、バレー
すが支えていくことができる
ボールや卓球の面白さを知り、
よう努力し続けていきたいと
友達と体育館や教室で遊んで
思っております。
いました。
さて、今回の「Jrクリニ
小学校4年生のとき、体育
ック」につきましては、お断
館からの帰り道でした。昼休
みに遊んでいた私は、持って
いたバレーボールをコントロ
ールしながら、階段を上った
のでした。「もしかすると、
球技が得意なのでは?」と思
った私は、友人に連れられて
体育館のギャラリーからフロ
アで活動していたバスケット
ボール少年団の活動を見まし
た。「これぐらいならできる
かも・・・」との(大きな)
勘違いから、今日まで深く
「バスケットボール」に打ち
込んできました。
自分の得意なものを見つ
け、どんどん進化・成長さ
せて いく 。 そのような考えは、
どこの場面でも必要な考えか
と思います。
人に負けることが大嫌いだ
った私は、この後、このバス
ケットボールを続けることに
なりますが、偶然にも加入し
たミニバスのチームが強くて、
北村 剛(きたむら つよし)
1969年生まれ。39歳。
札幌市立大谷地小学校→滝川市立西小
学校<道大会ベスト8>→広島町立東部
中学校(当時)<道大会ベスト8>→北
広島高等学校<道大会出場>→北海学園
大学<1∼3年生次インカレ出場、2 年
生次オールジャパン出場>
平成5年の4月より江別第二中学校に
赴任。当時三浦崇史先生(現江別第一中
学校)のアシスタントとして指導に関わ
り、平成5年男子準優勝、平成6年男子
ベスト4を経験。平成7年より男子チー
ムを指導し始め全道3位(女子は優
勝)。平成8年男子全道ベスト8.
平成9年より千歳青葉中学校に赴任。
平成14年に男子チーム全道3位。平成
18年に女子チーム全道ベスト8。
平成19年より江別大麻中学校に赴任
し現在に至る。
全国オールスター大会では男子チーム
4回、女子チーム1回出場。平成7年度
には準優勝(南北海道男子チーム)を経
験。北海道オールスター大会では、昨年
度男子チーム準優勝、今年度優勝を経験
する。
現北海道ジュニアバスケットボール連
盟事務局次長。
てくれました 。また、3年
生は引退後にも時間を見つ
けて後輩たちのために練習
相手になってくれることも
たくさんありました 。このよ
うに、当時の中学校における
伝統 が築かれていったの
ではないかと思います。
私が中学1年生のとき、普
段の生活と「バスケットボー
ル」の関わりについて学ぶこ
とができました。普段の生活
の中で、「時間を守る」「ル
ールを守る」「礼儀を重ん
じる」等、中学生として当
たり前のことをしっかりと
できる生徒は、バスケット
ボールについての技術も上
達する 。そのような教えを服
部先生が常に語ってくれてお
りました。当時の私には、充
分理解できなかったことでし
たが、今、指導者になって考
えるとき、同じように私も中
学生に話をしています。
常に瞬間的に正しい判断
を下すために、日々練習に
練習を積み重ねる。苦しく
も辛い状況の中でも適切な
判断のもとでプレーする。
これがバスケットボールの
2、本格的に取り組み始め
大切なところ だと思うのです。
て
ミニバス経験者がほとんど
再び父親の転勤のため、北
いない中で、管内の常勝チー
広島に転居してきました。こ
ムへと育ててくれた服部先生
こで私の一生涯の恩師となり
は、単に技術を教えるのでは
ます服部英俊先生と出会いま
なく、バスケットボールを通
した。入学当時、ミニバス経
じて 人間 を育ててくれた
験者は私1人でした。
のではないかと思うのです。
ですが、服部先生のバスケ
この中学生という、様々な
ットボールに対する情熱とご
面で多感な時期を「バスケッ
指導により、私たちの時代よ
トボール」に打ち込み、自ら
りも先輩たちの時代にも、石
先生自身も多くの時間と労力
狩管内にて輝かしい成績を残
をかけて私たち選手を育てて
した方々がたくさんにいまし
くれました。最終的には男女
た。
でアベック全道大会出場を果
中学生のとき、たくさんの
たすことができました。
先輩たちが駆けつけてくれ、
現在、服部英俊先生はこの
私たち中学生を相手に練習
世にはおりませんが、技術的
してくれたり、話を聞かせ
な面よりも人間的にご指導頂
小学校5年生のときから全道
大会に出場しているチームで
もありました。私たちの時代
にも「全道大会」に出場する
ため、厳しい練習もあったよ
うに思いますが、再び全道大
会出場を果たしました。
私にとって、この全道大会
の地が江別であり、今でも江
別市民体育館に行くと、小学
校時代の大会の様子を思い出
すことがあります。優勝した
札幌青葉少年団に10点差と
の接戦ではありましたが、ベ
スト8の結果となりました。
当時、バスケットボールの
リングの位置は、現在の中学
生以降の高さと同じ「3m0
5cm」でした。ボールがリ
ングに届かず、両手でシュー
トしていた時期もありました。
しかし、ゴール付近ではワン
ハンドシュートのほうが確率
よく決めることができました
し、相手のディフェンスをか
わすこともできました。苦手
なことや不得意なことに対
して、諦めずに取り組むこ
との大切さを知ることがで
きた時期 でもありました。
いたことで「今の自分」があ
ると思います。心より感謝し
ております。
この時期、私は大変恵まれ
た環境の中でバスケットボー
ルに励むことができたのも、
服部先生のおかげであると思
っております。現在の学年別
大会(現北海道オールスター
大会)に札幌の中学生と共に
チームを結成し、大会に臨み
ました。
また、この大会後、現在の
「北海道選抜」の取り組みの
前身となる試みも実施されま
した。昭和63年の北海道国
体(私たちが高校3年生のと
き)の強化のために、現連盟
会長であります幸丸政実先生
を中心とした道協会強化委員
会の方々の企画による「強化
合宿」に参加することができ
ました。
当時、札幌や北海道内の優
れた選手たちと共に練習に参
加し、技量を高めるために努
力しました。自分が他の集団
に混じったとき、客観的に
自分を見つめ、何が必要な
のか、自分の役割として何
を求められているのかを考
える、自分を成長させる絶
好の機会 となりました。
3、指導者としてのスター
ト
小学校時代の初山先生、中
学校時代の服部英俊先生、高
校時代(2∼3年生)にご指
導頂きました長野雅男先生、
大学でご指導頂きました亀井
伸照監督、そして松下良春コ
ーチから多くのことを学び、
そして平成5年から教員とし
て、指導者としてスタートし
ました。
当時、三浦崇史先生(現江
別第一中)と共に江別第二中
学校の選手たちを指導するこ
とになりましたが、ここでも
多くのことを学び、現在の姿
現実的に可能な目標を決
勢や考えの基礎となっている
めたならば、その目標達成
ことが少なくありません。
に向けて精一杯努力する。
プレーヤーであったことか
たとえ辛く苦しいことが続
ら、私は選手たちに「これぐ
いても諦めない姿勢は、バ
らいできるだろう!」と思っ
スケットボール以外の場面
て指導することもありました。
でも生きていくものである。
しかし、所詮は中学生です。
(3)「良い選手の前に良い中学生である」こと
三浦先生と共にバスケットボ
バスケットボールだけに
ールの指導に関わっていたと
没頭しその他のことはいい
き、「できないことが当たり
加減に過ごすことは、果た
前」と思って根気強く教える
していいことなのだろうか。
ことの大切さを学ぶ機会とな
バスケットボールさえ上手
りました。
くなればいいのだろうか。
その前に、自分(たち)は
4、指導者 として 心がけ ているこ
中学生であることを認識し、
と
中学生として健全に成長し
今から9年前、道強化委員
ていくことが求められてい
会に所属していた際に、日本
る。その 心 が、やがて
体育協会の公認コーチの資格
プレーにも現れてくると思
を取るチャンスを頂きました。
う。
指導者としての様々な知識
(4)経過を重視しよう
をしっかりと学び確立させて
「シュートを決めた」
いくことのできる機会となり
「試合に勝った」だけで判
ました。
断するのではなく、そこま
そのときに学んだ知識の中
で行き着くために正しい考
で、指導者(=COACH)
え方で取り組んでいたか、
とは「(幌馬車にて)目的地
最善の工夫や努力が見られ
へと導く」ことの意味がある
たかどうかを客観的に判断
とのことを学びました。
できるように心がけること。
日々、指導者として「目的
偶然できたことなのか、
地へと導く」ために心がけて
それとも意図的にできたの
いることをいくつか紹介しま
か・・・を見極めることも
す。
大切だと思う。
(5)「バスケットボール」が人を育てる
(1) 「目標 」を設 定する
バスケットボールは「ハ
自分がどのような選手に
ビットスポーツ」であるこ
なりたいのか、現在のチー
とから、瞬間的に状況を見
ムはどこまで勝ち上がりた
て判断するスポーツです。
いのか・・・をしっかりと
習慣が身についていない中
考えさせる。自分(たち)
で戦うことは、不可能であ
で決めたという責任と自覚
ると考えます。ですので、
を持つことで、一生懸命練
普段の練習から正しい技術
習に取り組むことができる。
を身につけていく必要があ
毎月の予定表を配布し、
るのです。
選手たちにもいつ、どのよ
また、山崎純男先生(現鶴
うな予定が入っているのか
鳴学園長崎女子短期大学教
を明らかにした上で練習を
授)のレポートを拝見させ
行う。
て頂いた中では、「場面理
(2)「目標」達成に向けて努力する
解力」と記載されておりま
した。瞬時に変化する状況
を冷静に見て、的確に判断
する力も必要となります。
そのようなスポーツであ
るゆえに、日頃よりの 目
と心の鍛錬 が必要になっ
てくるのです。日頃より周
囲の状況を見て「どう行動
するべきか」が問われます。
普段から 目 と 心 を
鍛えておくことが、厳しい
状況の中でも的確に判断で
きると思うのです。
逆に言えば、普段からい
い加減なことばかり考え行
動している人間が、果たし
てコートの上だけコーチの
指示を聞き入れ、チームの
仲間と共に協力して勝利に
貢献できるか・・・私には
ありえないことであると思
います。
5、競技者 <中学 生>に 必要なこ
と
(1)健康な身体
心身共に健康であること
は、プレーヤーとしては必
要不可欠な条件です。好き
嫌いなく食事を摂ること。
睡眠をしっかりとること。
激しいトレーニングを行っ
た後には「ストレッチ」
「アイシング」を怠らない
こと。
(2)正しい技術
日頃より自分のチームの
コーチから教わっているこ
とと思います。エンデバー
の教本によって、自分の年
齢に応じて正しい技術を身
につけていきましょう。
(3)素直な心
自分にとって必要な事柄
を指導してくれているので
あるとの認識を持ち続け、
常に素直な気持ちでプレー
しましょう。ただ、コーチ
に言われたことだけをプレ
ーすればいいか・・・時と
しては、コーチが指導して
くれた事柄の 裏 を考え
てみたり、次のプレーをイ
メージしたりすることも必
要と考えます。
(4)向上心
取り組むからには、常に
「成長しよう!」と思って
練習に励みましょう。でき
たことは更に次のステップ
へ。できなかったことは、
反復してできるように取り
組む。このようなことの繰
り返しで、確実に成長でき
ると思います。
(5)前向きな姿勢
時には、自分にとって不
都合なこともあります。
「上手くいかない」「でき
ない」ことも起こるでしょ
う。しかし、そのようなと
きこそ「自分を成長させる
時期だ!」と考え、根気強
く取り組むことが必要です。
ここで投げ出さずに取り組
むかどうか・・・が人間的
にも成長できると思うので
す。
(6)チームワーク
個人競技ではなく、集団
で戦うスポーツです。コー
トに立つ5人は当然ですが、
ユニホームをもらった選手
たち、またはユニホームが
もらえなかった選手も含め
て、バスケットボール部の
選手一同で戦うスポーツで
す。ですから、チームの結
束力を高めることも大変重
要なことであると思います。
今から3年前の3月、千歳
青葉中学校女子チームを指
導していたときのことでし
た。チームのメンバーであ
る姉妹2人が保護者の方の
仕事の都合で転校すること
に。
しかし、ここで選手たちが
市内大会や管内大会、そし
て全道大会まで勝ち上がる
ことで、少しでも長く共に
プレーできるとの思いを強
く持ち続け、最終的には8
月の北海道大会まで出場す
ることができました(保護
者の方には大変申し訳なく
思っております)。また、
ユニホームをもらった選手
たちだけではなく、陰なが
らも選手たちを支え続けて
くれたマネージャーの貢献
も大きく勝利に結びついた
と思います。
石狩管内大会でも新人戦に
てベスト8、4月の春季大
会でもベスト4までのチー
ムであったのが、気持ちが
1つになってできた、素晴
らしい出来事であったと今
でも選手たちを誇らしく思
いますし、選手たちに感謝
しております。
また、今年3月に行われ
た「北海道オールスター大
会」におきましても、昨年
の学年に引き続き、スタッ
フとして関わることができ
ました。選手たちの個々の
技量は石狩のトップレベル
であり、選手たちは各チー
ムのエースばかりでした。
その選手たちを1つにまと
めてくれたのが、チームの
キャプテンと副キャプテン
の存在でした。彼らは石狩
選抜チームのために、多く
の場面でチームワークの大
切さをチームに広め、勝利
に大きく貢献してくれまし
た。素晴らしいリーダーの
もとでチームが1つになれ
た例であると思いますし、
選手たちには大変感謝して
います。
6、おわりに
自分の拙い経験や学んだ知
識の一部を紹介しました。こ
れがすべてではありませんが、
中学生のために考えたつもり
です。少しでも参考になれば
と思います。
私は、中学生の指導者とし
て、これからも勉強し続けて
いこうと思っております。選
手たちが「バスケットボー
ル」を通じて、人間として成
長してくれることをいつまで
も願い続けて行きたいと思い
ます。
是非とも、中学生の皆さん
も、好きなバスケットボール
を続けていくためにも、技術
の面の向上はもちろんですが、
心の面での成長も育みつつ、
人間として成長してほしいと
思います。
次回(6 月 15日掲載予
定)は、長谷川先生(旭川緑
が丘中)です。お楽しみに。