ふしぎな の世界へ ようこそ

金
太陽
錬金術
生命
赤色
エリクシール
ルビー
医化学
コロイド
と
アート & テクノロジー
ふしぎな
の 世界へ
ようこそ
**** *** *** **** *** **** ** **** *** ******* ****
2014
minami_no_kiki
minami_no_kiki / goldruby_ introdtxt. 2014
- ⅰ -
第Ⅰ部
金ルビー史入門
--史料を見る前に--
はじめに・
・
・
・
・
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・
・
1
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・
・
・
・
・
・
・
2
金ルビーの発明を追って
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・
・
・
・
・
3
略語について・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
6
金ルビー史への挑戦・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
7
7
1.
2.
・
・
・
第1章
・
・
・
・
錬金術書とは・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
補足・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 12
古代思想・原始的思考について・
・
・
・
・
・
・
・ 12
・
・
①
呪術思想
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 12
②
ヘルメス思想
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 15
③
赤い薬を求めて・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 17
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 17
・
・
・
・
・
・ 18
ⅰ.
鉱物質の薬
ⅱ. 空想による薬(霊薬・金丹)
ⅲ. スパジリカ/医化学・
・
・
・
・
・
・
・
・ 19
3.
ガラス秘伝書の真偽
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 20
4.
専
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 23
--金ルビーの価値について--・
・
・
・
・
・
・ 25
第2章
門
性
・
ルビーの赤は
・
¤
の色
1.
ルビーとは
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 25
2.
ルビーと金
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 30
3.
金ルビーガラス
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 31
「金着色ガラスの色名」
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 31
金ルビーガラスの歴史的製法・
・
・
・
・
・
・
・ 32
第3章
はじめに ・
・
・
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・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 32
赤色ガラス
・
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・
・
・
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・
・
・
・
・
・ 33
①
銅赤ガラス・
・
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・
・
・
・
・
・
・
・
・ 33
②
セレン赤ガラス・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 34
1.
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- ⅱ -
③
アンチモン・ルビー・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 34
④
金ルビーガラス・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 35
⑤
疑似金ルビー処方
・
・
・
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・
・
・
・
・
・ 36
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 37
2.
3.
金ルビー技術・
①
金・
・
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・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 38
②
王水溶液
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 39
③
カッシウスのパープル(カッシウス紫)
・
・
・
・
・ 41
④
金灰と金アマルガム・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 43
⑤
雷金
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 43
⑥
ガラス成分と熔解
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 44
⑦
発 色 処 理 (ス ト ラ イ キ ン グ )
・
・
・
・
・
・
・
・ 46
⑧
現代のガラス技術
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 48
⑨
金ルビーガラス製品・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 48
⑩
金ルビー技術の将来・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 49
・
・
史料集について
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 50
おわりに・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 53
あとがき・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・
・ 54
**********
この金ルビー史入門は、史料を読むための基礎として、その文化史・技術史を繙く基本情報を幅広く集め
たものです。この方針は史料集でも同じで、煩いほど必要と思える註釈や付録などを付けています。
史料はさまざまな分野に散在していますので、私の理解できないものが少なくありません。またガラス技
術や化学などの基礎知識に関しては、必要であればウェッブサイトや図書館で手に入ることを前提にしてい
ます。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 1/54 -
第Ⅰ部
金ルビー史入門
- - 史 料 を 見 る 前 に--
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 2/54 -
はじめに
17 世 紀 の こ と 、 冶 金 学 者 オ ル シ ャ ル は 金 ル ビ ー 研 究 書 の 冒 頭 で 、 次 の よ う に 記
しました。
「金の起源、生成、それにその完璧さについて語ることから始めてもよいが、鉱物について述
べ た ど の 本 に も こ う し た 記 述 が 満 ち て お り 、こ の 本 の 読 者 に は 免 除 し た 。」
(『 衣 な き 太 陽 』1684)
金には誰でも関心があるようです。金について誰でも知っているはずです。金メ
ダ ル や 金 の 延 べ 棒 は 別 と し て 、 装 身 具 を 初 め 、 集 積 回 路 IC の な か の 目 に 見 え な い
ボンディングワイヤに到るまで、とても身近なところにあるからです。金は、永遠
の輝きを持つ貴重な美術・宝飾品に姿を変えたり、あるいは一部の人々には格好の
資産となってきました。一方では技術者にとって、金は代替のない優れた特性を持
つ工業材料として、高機能部品に欠かせないものとなっていました。
ところが、金とガラスとの関係については、ほとんど人々に知られていないに違
いありません。金がガラスに入り込んで、そして金微粒子が分散すると、高貴なル
ビー色を示すという不思議な現象があります。これは秘術とも云うべきもので、高
度な技術でしか実現できないものでしたが、その色は比類なく美しく、したがって
貴金属細工やガラス工芸などで利用されました。一方で、金ルビーは数多の優れた
科 学 者 た ち を 魅 了 し て 、そ の 不 思 議 な 発 色 メ カ ニ ズ ム の 解 明 に 駆 り 立 て て き ま し た 。
どれ程多くの知恵と労力とが、この金ルビーの実現や謎の解明のために捧げられて
きたのか、厖大な史料の存在がその証拠と云えます。
金ルビーガラスの実用化は、とても長いガラスの歴史のなかではかなり新しい出
来事と云ってよいでしょう。ところが、なぜか「金属の王」である金によって「宝
石の王」であるルビーを作ることが、すでに紀元後のエジプトやその後のアラビア
・ イ ス ラ ム 化 学 で 、錬 金 術 師 た ち の 願 望 で あ っ た こ と が 多 く の 記 録 か ら 分 か り ま す 。
その昔、金でルビーを作ることには錬金術が、すなわち卑金属を金に転換する薬
「賢者の石」や、不老不死の薬「霊薬エリクシール」が、密接に係わっていたと云
えるでしょう。人間の欲望の第一が無尽蔵の富と不死であったからに違いありませ
ん 。し た が っ て 、金 ル ビ ー の 文 化 史 に は 、先 ず 最 初 に「 金 の 赤 色 」の 記 述 に 満 ち た 、
厖 大 な 数 の 錬 金 術 書 と い う 空 想 的 な 史 料 が あ り ま す 。「 金 に よ っ て 赤 色 の 染 色 薬 が
作れる」というのは、古くから常識であったと思えます。
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- 3/54 そ の 後 、 17 世 紀 末 に や っ と 金 ル ビ ー ガ ラ ス 器 が 現 実 の も の に な っ て 、 一 時 の 繁
栄 を 謳 歌 し ま し た 。 そ れ も 長 く は 続 か な か っ た も の の 、 や が て 19 世 紀 に は 裕 福 な
パトロンたちが増えて、ガラス工芸が頂点を迎えました。ルビーガラスの製造方法
は、ドイツやフランスでは産業助成協会にとって懸賞課題になったのです。豪華な
ガラス工芸品に欠かせない金ルビーガラスの製法を、ガラス工芸家・技術者たちが
解説した資料があります。
同時に、科学の目覚ましい発展につれて理解が深まり、金沈殿やルビー色発色に
つ い て 、 優 れ た 化 学 者 ・ 物 理 学 者 等 の 研 究 発 表 が あ り ま し た 。 そ し て 、 20 世 紀 に
なってようやく、今までのような憶測とは異なり確かな証拠によって、金ルビーの
発色が極微小金粒子の分散(金コロイド)によるものであることが突き止められま
し た 。 そ し て 、 20 世 紀 末 か ら は 、 極 微 小 金 属 粒 子 が 示 す 新 し い 特 性 の 利 用 に つ い
て関心が芽生え、いわゆるナノテクノロジーの一端として、金ルビーが論じられる
ようになりました。
したがって、人々に知られないこの金ルビー史は、科学史であるばかりか、翻っ
て人類の文化史でもあり、良くも悪くもそれらのもっとも核心的な部分であった、
と云えるのではないでしょうか。もはや、金ルビー製品そのものに鈍磨した私たち
の感性は驚きを感じないかも知れません。だが、その歴史的背景には一体何があっ
たのか、それを語る史料を手当たり次第に覗き見て、その不思議な世界に入ってみ
ようではないか、というのがこの史料集です。
金ルビーの発明を追って
金ルビーの製法が、近代まで化学史書においては常に重要なテーマとして取り扱
われ、また百科事典でも詳しく解説されてきたのは、思いも寄らない事実でした。
それほど高く社会的に評価された先端技術だったのです。
こ の 金 ル ビ ー ガ ラ ス の 発 明 者 に つ い て 、 ド イ ツ で は 、 17 世 紀 後 半 に 支 配 者 の 側
近として活躍をした、優れたガラス技術者・化学者・錬金術師であった、ヨハン・
クンケル男爵の功績である、と喧伝されてきました。ヨハン・ベックマンは『西洋
事 物 起 原 ( 原 題 の 直 訳 は 発 明 史 概 論 )』( 1786) の な か で 、 こ の 発 明 に つ い て 、 と
ても詳しく、しかしきわめて冷静に解説しています。というのも、そこには問題が
潜んでいたからでもあります。
金ルビーの発明をクンケルに帰してよいのでしょうか。それとも金沈殿に名を残
し、クンケルよりも僅か前に金ルビーを作ってクンケルを刺激したカッシウス博士
に 帰 す の か 、さ ら に 早 く 、史 上 も っ と も 有 名 な ガ ラ ス 技 術 書 、『 ガ ラ ス 技 術 』( 1612)
で金ルビー製法を記したイタリア人アントニオ・ネリや、人造宝石の製法に詳しい
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 4/54 オランダ人ホランドゥス、あるいは金灰を使用したロゼキエロの処方を残している
古いイタリアの金細工師たち、さらに古く「金でエナメルにルビー色を出す」と書
いたイスラム化学者の業績と考えるべきなのか、一概には云えないからです。
20 世 紀 に な っ て 、メ キ シ コ 人 化 学 者 コ ル ネ ホ ※
1
がドイツのコロイド化学雑誌に、
金コロイドに他ならない金ルビーの発明史を発表しましたが、その意図はクンケル
発明説を否定することでした。
1937 年 に 画 期 的 な 論 文 が 現 れ て い ま す 。 ド イ ツ 人 化 学 史 学 者 W.
ュラー※
2
ガンツェンミ
が、ガラス技術雑誌に「金ルビーガラス史概論」全 3 部を発表したので
す。以降、金ルビー史を語る際には、この論文が必ず言及されており、ガラス学者
ワイルでさえ、それなりにこれを評価しています。その結論を云えば、金ルビーは
ごく古くから存在していたが、それによる吹きガラス製品の製造技術を確立したの
がクンケルである、というものでした。
先 ず こ の 論 文 の 優 れ た 点 は 、化 学 史 専 門 家 の 視 野 の 広 さ に あ り ま す 。19 世 紀 ~ 20
世紀初頭には古代の文献が整理吟味し尽されており、その手法もその後の研究者の
有用な手引きや模範となるものでした。したがって、ガンツェンミュラーは金ルビ
ーの製造に関して、古代メソポタミア=アッシリアの粘土板やパピュルス写本、イ
スラム化学の書から、西洋の錬金術書、さらにリバウィウス、ネリ、グラウバー、
クンケル、オルシャル等を経て、ディロン、それに同時代のチンマーに到るまでく
まなく言及しています。※
3
ガンツェンミュラーは、純粋にガラス技術・工芸の観点からだけでは理解できな
い 金 ル ビ ー の 起 源 や 異 常 な 価 値 に つ い て 、 賢 者 の 石 や 霊 薬 を 追 求 し た 「 錬 金 術 」、
「医化学」の存在や、その思想を援用して解釈していますが、これが何よりも重要
なことです。これによって、金ルビー誕生の動機と価値とが示されたからです。金
ルビーを生み出したのは錬金術師たちであり、賢者の石を求める狂騒があったこと
が示されています。彼らによって金ルビーは医薬としても追求されています。
近代化学の曙に活躍した化学者、冶金学者などの多くは錬金術師であり、現代人
には理解し難い、伝統的な特異な思想、元素説を拠り所にしていました。したがっ
て、ここに金ルビーガラス史を、科学史の一端として一元的に捉えられない難しさ
があります。
ここで、近年の金ルビー史研究の一面を採り挙げてみますと、とりわけカッシウ
スやクンケル等を輩出したドイツでは美術史的な関心が高いことが伺え、博物館・
美術館の研究者らにより遺物、古文書の調査や論文発表が行われてきました。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 5/54 ヴァルター・シュピーグルの研究発表※
4
を、ウェッブサイトで読むことができ
ま す 。 21 世 紀 に な っ て 発 表 さ れ た デ ー ド ・ フ ォ ン ・ ケ ル セ ン ブ ロ ッ ク = ク ロ ー ジ
ッ ク 著 『 17 世 紀 末 、 18 世 紀 の 金 ル ビ ー 』 ※
5
は、近年の文献や遺物の研究成果が
反映されています。そこではドイツ語圏外にも目が行き届いていて、スラブ語系の
資 料 さ え 言 及 さ れ て い る の が 刺 激 的 で す 。 さ ら に 、 こ の 著 者 は 2008 年 に コ ー ニ ン
グ美術館で開催された展覧会に関連して、カタログ本『錬金術師のガラス』※
6
を
監 修 し て い ま す が 、 こ れ は ク リ ス タ ル ガ ラ ス と 金 ル ビ ー と い う 17 世 紀 の 錬 金 術 師
の成果に的を絞ったものでした。金ルビー美術史を概観するには、コーニングガラ
ス博物館のサイトもまたとても充実しています。※
7
そ し て 、 2010 年 の コ ー ニ ン グ ガ ラ ス 美 術 館 の 定 期 刊 行 物 で は 、 巻 頭 の 二 論 文 が
金ルビーをテーマに採り挙げており、とりわけその一つには、古代ローマ以降の肌
色 モ ザ イ ク ガ ラ ス (テッセラ)が 金 発 色 で あ る と 云 う 、 驚 く べ き 調 査 結 果 が 示 さ れ て
います。そしてもう一つは、ネリ前後にもイタリアには金ルビーの処方が少なから
ず残されていることを具体的に示していて、とかくドイツに目が行きがちな傾向に
反省を求めているようです。
さ て 、 金 ル ビ ー 史 上 難 題 と な る 、 錬 金 術が 信 仰 さ れ 、 ま た 学 問 す べ て が 哲 学 (あ
るいは宗教)の 名 の 下 に 一 元 化 し て い
た時代の知識に立ち向かうには、木を見て森を
見ない専門性は無用であることは明らかです。物質・事象の知識でなく、人間が主
体の思考が繰り展げられているからでもあります。これ以降は、本来ならさまざま
な分野の何人もの学者の関わる課題であるかも知れません。しかしながら、ここで
はあり合わせの道具だけで、あらゆる課題に立ち向かう技術的手法を採用している
こ と を 、お 断 り し て お き ま す 。も ち ろ ん 最 先 端 の ( 人 口 に 膾 炙 し て も
無駄な)情
10 年 経 て ば 反 古 に な る 、
報やツールを駆使して……ではありません。まったく私に縁のない史実
や理論の追求ではなく、余談に満ちた人間的な読み物にもなるよう心懸けているこ
とも承知置き下さい。
こ の ア ナ ク ロ イ ズ ム の 史 料 集 が 意 図 す る の は 、「 金 ル ビ ー 」を キ ー ワ ー ド と し た 、
① ガ ラ ス 技 術 発 達 史 、② 技 術 の 背 景 に あ る 文 化 の 発 達 史 、③ 文 化 を 象 造 る 思 想 史 を 、
当代一流の科学者、工芸家、著作家たち、さまざまな人々の、その手になる生々し
い文章を証言として窺い知ろうということです。そうすると、次々に思いも寄らな
い関係が明らかになってきます。例えば、金ルビー史の重要登場人物のさまざまな
接点に驚かせられます。父が発明したとされる金沈殿で金ルビーを作ったカッシウ
ス博士と金ルビー実験記録を公表したオルシャル、また金ルビーの製法でプロイセ
ン産業振興協会の懸賞を受賞したフース博士と名門ヨゼフィーネン・ヒュッテ工場
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 6/54 長ポールはその一例にすぎません。そして、江戸時代末期には、オランダ経由でオ
ルシャルの処方が日本にまで伝わっていました。さあ、できるだけ数多くの、多面
的な事実に触れ、隠れていた関係を見つけ出してみようではありませんか。そうす
ればいくつもの謎が解けてくるはずです。
※ 1 A. Cornejo, Beiträge zur Geschichte des kolloiden Goldes, Zeitschrift für Chemie und Industrie der Kolloide, Ⅹ
Ⅱ (1913) , pp. 1-6.
※ 2 Wilhelm Ganzenmüller, Beiträge zur Geschichte des Goldrubinglases, Teil Ⅰ , Glastechn. Ber., 15, Heft 9
(1937) , pp.346-353, Teil Ⅱ , 15, Heft 10 ( 1937) , pp.379-384 , Teil Ⅲ , 15, Heft 11 ( 1937), pp.417-426.
※ 3
古代からガラス技術について言及した書物の数は膨大であり、着色ガラスを中心にした近世までのリ
ストに下記のものがあります。
Anne-Françoise Cannela, Fonti scritte sullo studio della colorazione del vetro nel Medioevo, RSSV 1-2003, pp.11-37.
※ 4
Walter Spiegl, Johann Kunckel und die Erfindung des Goldrubins 他 数 編 が サ イ ト に あ り ま す 。
※ 5
Dedo von Kerssenbrock-Krosigk, Rubinglas des ausgehenden 17. und des 18. Jahrhunderts, Verlag Philipp
von Zabern, Mainz 2001.
※ 6 The Corning Museum of Glass ( ed. Dedo von Kerssenbrock-Krosigk) , Glass of the Alchemists ; Lead
Crystal-Gold Ruby, 1650-1750, CMG, New York 2008.
※ 7
www.cmog.org/article/gold-ruby-glass
略語について
CMG
JGS
=コ ー ニ ン グ ガ ラ ス 美 術 館 ( ニ ュ ー ヨ ー ク )( ガ ラ ス 工 芸 史 研 究 の メ ッ カ )
=Journal of Glass Studies. CMG の 紀 要 。
RSSV =Rivista della Stazione Sperimentale di Vetro. イ タ リ ア 国 立 ガ ラ ス 試 験 所 ( ム ラ ー ノ ) の 紀 要 ( 技 術 論
文 が 中 心 で す が 、 ロ ー マ ~ ヴ ェ ネ ツ ィ ア ・ ガ ラ ス の 重 要 な 研 究 論 文 が 、 た ま に 掲 載 さ れ ま す )。
AIHV= Association Internationale pour l'Histoire du Verre. オ ラ ン ダ に 本 拠 を 置 く 、 ガ ラ ス 史 研 究 組 織 。 博 物 館
のキュレーター向き。当然、私には無縁です。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 7/54 -
第 1章
金ルビー史への挑戦
金ルビー史の真相が見えにくいのには、いくつかの理由があります。先ず初めに
その問題点を整理し、次にその理解のために必要な道具を用意しておく必要がある
と考えます。すなわち、陰の文化の錬金術に起源があること、その根底には現代人
とは異なった思考があったこと、古いガラス処方書があっても現代の技術者による
解釈が通用しないこと、貴重なガラスの製法が秘匿され続けたこと、そしてかなり
特異でありながら、化学、物理、電気学者の研究から工芸家による実践まで広がり
のある分野であることが挙げられます。
より具体的には、金が合成できる、卑金属を金に転換できる、という錬金術の確
信の背景には、特異な元素論や原始的な思考による裏付けがありました。一時期、
信奉されていたフロギストン説も金ルビー発色の説明に援用されており、理解を拒
むベールともなっています。一方で、金ルビーの赤色発色が、電磁波である光の現
象 と し て 、マ ク ス ウ ェ ル の 電 磁 方 程 式 に 基 づ い て 物 理 学 で 理 解 さ れ る よ う に な る と 、
手 で 創 造 す る 工 芸 家 や 技 術 者 に と っ て 、容 易 に 理 解 で き な い も の に な っ た よ う で す 。
また、今日では貴金属のナノ粒子として、最先端の研究論文中に金ルビーが頻繁に
言及されています。これほど多様な物質論のなかで、古代から現代まで、絶えず注
目されてきたのが、ここでテーマとする「金ルビー」です。
先ずは避けて通れない錬金術について、一瞥しておく必要があるでしょう。
1.
錬金術書とは
「 化 学 chemistry 」が「 錬 金 術 alchemy 」か ら 、す な わ ち ア ラ ビ ア 語
‫اﻟﻛﻴﻤﻴــﺎء‬
al-kīmīā
か ら 生 ま れ た こ と は よ く 知 ら れ て い る は ず で す 。 語 源 etymology と は ギ リ シ ア 語 の
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- 8/54 「 真 実 ἔτυμον 」 に 由 来 し て い ま す 。 語 源 は あ る 事 物 の 本 質 を 語 っ て い る と 考 え ら
れ た の で す 。 し か し な が ら 、 怪 し げ な 民 間 語 源 ( sandblind < samblind は sand と は
無 関 係 で す 。 や か ん は 矢 が 当 た っ て カ ー ン ) に 満 ち て い た 語 源 学 は 、 20 世 紀 以 降 、
言語学者が忌避するものとなっていたようですが、それにも拘わらず一般人には豊
かな歴史的情報を与えてくれるために、とても無視することはできません。
ア ラ ビ ア の「 錬 金 術 」が さ ら に 遡 っ て 、エ ジ プ ト 、ギ リ シ ア に 起 源 を 持 つ こ と も 、
ま た そ の 言 葉 の 語 源 か ら 窺 え ま す 。 す な わ ち コ プ ト 語 khme,
black-land 、 エ ジ プ ト 」
※ 1、
あ る い は ギ リ シ ア 語 χυμεία
xhmi khemī 「 the
chymeia = 合 金 術 、
χύματος chymatos = 鋳 造 や 、 な か に は 古 代 中 国 語 の 「 金 Kiem 」 に 由 来 す る 可 能
性 が あ る と い う 、 20 世 紀 の 偉 大 な 学 者 の 説 ※
2
も あ り ま す 。 先 ず 初 め に 、「 化 学 」
がギリシア的エジプト-アラビア-近世ヨーロッパを経て発展してきたという、語
源的な事実を思い出しておくことにしました。
錬 金 術 書 で は 、究 極 の 極 意 で あ る 金 を 生 み 出 す エ ッ セ ン ス「 賢 者 の 石 」の 製 法 や 、
不 老 不 死 の 「 霊 薬 」 の 処 方 か ら 、 薬 品 調 製 や ガ ラ ス ( 模 造 宝 石 )、 金 属 な ど の 製 造
まで取り扱われています。概して錬金術師には、物質界の原理に通じ、物質変成の
秘 術 に 長 け た 賢 者 で あ る と い う 自 負 (むしろ妄想)が 窺 え ま す 。
一方、実用的なものを作り出すガラス技術は、思索的・妄想的な錬金術とは別物
であるはずですが、実際には錬金術と切り離せない所にありました。そして端的に
云 え ば 17、 18 世 紀 の 化 学 者 、 ク ン ケ ル も ベ ッ ト ガ ー も オ ル シ ャ ル も 、 そ の 他 多 く
の近世の科学者・化学者ら、ボイルやニュートンまでもが、一面では錬金術師と呼
ばれている事実があります。
彼らの自然理解が錬金術独特のステレオタイプ思想に依拠していたからでしょう
か 。 曰 く 、 金 は 「 硫 黄 と 水 銀 ( と 塩 )」 か ら 最 良 の 割 合 で 成 っ て い る 。 し た が っ て
金がこれらの原料で作れると考えられ、作り方の処方・事例に満ちた書物に誰もが
埋もれていたのです。
また、錬金術には、俗受けする「現実的かつ願望的」な目的がありました。先ず
第 一 に 、 金 を 増 殖 さ せ た い と い う 欲 望 。 17 、 18 世 紀 の ド イ ツ に お い て 錬 金 術 師 と
は、金の増大に躍起になった諸侯お召し抱えの「秘密の側近」でした。古くから、
鉛に粉を振りかけて金になると云われてきました。また、腐食せず永遠に輝きを失
わない金の不朽の特性を、自らの肉体に取り込もうとしたのでしょうか。この不老
不死への願望から霊薬という幻想が生まれ、やがて約しい心臓薬に零落し、金を食
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 9/54 べても排泄されるだけであり、それでは効果がないからと飲用金が考案されていま
す が 、も ち ろ ん 、そ れ ら は 赤 色 の 飲 料 で す 。こ う し た 支 配 階 級 の 金 に 糸 目 を 付 け ず 、
藁をもすがる欲望に応えるかに見えた職業、それが錬金術師で、ペテンやいかさま
を蔓延させた結果にもなりました。
さて、ガラスと接点があったのは、錬金術が目的とした賢者の石が赤色であるこ
とが広く知られ、模造宝石の製造技術に関心が高かったためでしょう。多くの錬金
術 書 中 に は 、と て も 空 想 的 な 、ル ビ ー を 第 一 と す る 模 造 宝 石 の 製 法 が 見 つ か り ま す 。
ところが、理解し難いこの錬金術について少しばかり知識を得ようとすると、困
惑しないではいられません。その研究は、技術史的関心(ニーダム、フォーブス)
は も と よ り 、 心 理 学 ( ユ ン グ )、 神 秘 学 ・ 宗 教 学 ( エ リ ア ー デ ) や 、 霊 学 ・ 人 智 学
(シュタイナー)の
領域にまで広がりを見せています。これでは化学ではなく幻想文
学に興味を持つ人しか近寄らないのではないかと思え、挙げ句の果てに、理解不可
能であるという、賢人たちの示した見解に到達するだけのことです。したがって、
ここでは錬金術書の注意事項を示すだけにしますので、あとは史料にある実例を見
るのがよいでしょう。
先ず、錬金術書独特の表現方法に注意が必要です。理解を拒む秘密主義と象徴形
式について、予め知っておくべきことがあります。先ずは中国に目を向けることに
します。
中 国 の も っ と も 有 名 な 錬 金 術 書 は 、 葛 洪 の 『 抱 朴 子 ・ 内 篇 』( 317 頃 ) ※
3
でしょ
う。このなかには、古代中国のガラス事情に関する貴重な記事があります。そのほ
んの少し前に、ある錬金術書の特徴を述べた、次の一文があります。
校 釋 /論 仙 卷 二
夫作金皆在神仙集中、淮南王抄出、以作鴻寶枕中書、雖有其文、然皆秘其要文
必須口訣、臨文指解、然後可為耳、其所用藥
復多改其本名、不可按之便用也、劉向父德治淮南王獄中所得此書
非為師授也、向本不解道術、偶偏見此書、便謂其意盡在紙上
(『 抱 朴 子 ・ 内 篇 』 中 央 研 究 院 漢 籍 電 子 文 献 に 拠 る )
そ の 大 意 は 、- - 文 章 で 書 か れ て い て も 、大 切 な と こ ろ は す べ て 秘 匿 さ れ て お り 、
文章を前にして口で秘訣を伝授されてからでないと実施できない。また、使用する
薬品の本当の名前を、多くは変えてあって使用することができない。そのため、手
に入れた本を読んだだけで試みた人が術に失敗した--ということです。これらが
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- 10/54 錬金術書の本質と云えるでしょう。
古くから錬金術書では薬品名が多義的で、一体どの薬品を使用したのか判断でき
ません。作業は空想的で、総じて魔術の類です。しかし、錬金術のさまざまな試行
の結果、そこには実用的に価値のある操作手順が含まれていたり、その結果さまざ
まな発明があったため、次第次第に方向転換が起こりますが、大概の場合、多くの
錬金術師は実用的な技術や真理の追究よりは、むしろ大向こうを唸らせたり、一攫
千金しようと製金術を虚しく追求したようです。
そうした錬金術書の特徴が見慣れない記号です。西洋の錬金術書中では、多くの
シンボルが使用されました。
「錬金術書中のシンボル」
上 表 は 、 当 然 で す が 「 天 動 説 」( 地 球 中 心 説 ) に 拠 っ て い ま す 。 し ば し ば 惑 星 の ラ テ ン
語 名 が 金 属 を 意 味 し て 使 用 さ れ て い ま す 。 太 陽 Sol と は 金 、 月 Luna と は 銀 で す 。 錫 は ジ
ュ ピ タ ー の は ず で す が 、 ラ テ ン 語 で Iovis と 書 か れ る と 戸 惑 い ま す 。 後 代 の 元 素 記 号 ( 例
え ば 金 は ラ テ ン 語 の Aurum か ら Au ) は 19 世 紀 初 め の ベ ル セ リ ウ ス Berzelius の 考 案 に な
る も の で 、 彼 は 元 素 の 名 称 の 頭 文 字 か ら 47 元 素 の 記 号 を 提 唱 し て い ま す 。
上に示したほかにも、鉱物、化学器具や操作方法を示すものがありますし、同時
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- 11/54 に 薬 剤 師 の 重 量 記 号 * ( gran )、 , ( ounce )、 - ( pound ) や 処 方 箋 独 特 の シ ン ボ ル
や略語があって面食らいます。大概、処方の初めには ®
、 す な わ ち レ キ ペ recipe
( ラ テ ン 語 recipiō の 命 令 形 2 単 現 「 ~ を 取 れ 」) が 書 か れ て い ま す 。 ロ バ ー ト ・
ボイルの実験日誌にあるルビーの処方はその典型でしょう。また、ネリの『ガラス
技 術 』 を ド イ ツ 語 に 訳 し た ガ イ ス ラ ー は 王 水 を Königl. ▽ . ( =Königliches Wasser )
と書いています。そのため併せて四元素※
4
のシンボルも示しています。
ところで、洋の東西を問わず錬金術書はその数が厖大で、西洋錬金術書のコンピ
レ ー シ ョ ン 『 化 学 の 劇 場 Theatrum Chemicum』 全 6 巻 ( 17 世 紀 )、 マ ン ジ ェ 編 『 不
思 議 な 化 学 の 図 書 館 Bibliotheca Chemica Curiosa 』( 1702)、 あ る い は 中 国 の 錬 金 術
や 仙 丹 、 神 仙 思 想 を 論 じ た り 実 践 し た 道 教 の 『 正 統 道 藏 』( 1445 成 ) な ど に 収 録 さ
れた作品の数に圧倒されます。そこに真理があるのなら一冊の本があれば十分であ
る、と考えるのは間違いでしょうか。次々に剽窃を繰り返しつつ、理解不可能な書
物を堆く積み上げているようです。
さ ら に 錬 金 術 書 の 作 者 た る や 、 モ ー ゼ 、( ユ ダ ヤ 人 の ) マ リ ア 、 デ モ ク リ ト ス 、
ア リ ス ト テ レ ー ス 、 ゲ ー ベ ル ( = ジ ャ ー ビ ル ・ イ ブ ン ・ ハ イ ヤ ー ン )、 ア ヴ ィ チ ェ
ン ナ ( ア ヴ ィ ケ ン ナ 、 ア ヴ ィ セ ン ナ と も = イ ブ ン ・ ス ィ ー ナ ー )、 ラ イ ム ン ド ゥ ス
・ルルスほか、有名人が名を連ねていていかがわしく、錬金術に反対した大学者で
さえ、後世に錬金術師に仕立て上げられています。
錬 金 術 の プ ロ セ ス に 深 入 り す る こ と は 困 難 で も あ り 無 駄 で も あ り ま す 。世 界 で は 、
「常温核融合」騒動に端を発したのか、現在は(金を鉛にする方がエネルギー的に
ずっと簡単なのに、自然の理に逆らった)錬金術ブームであるらしく、さまざまな
情報が容易に入手できます。ガンツェンミュラーが紹介した錬金術書の数はとても
多いのですが、その大部分を図書館サイトで目にすることができました。しかし、
暗号のような文章を苦労して解読しても、ほとんど得られるものはありません。一
方 、オ ル シ ャ ル の 真 摯 な 金 ル ビ ー 実 験 記 録『 衣 な き 太 陽( = 裸 の 金 )Sol sine veste 』
1684 は 、 ま た 錬 金 術 の 思 想 や 実 態 に つ い て も 知 る こ と が で き る 、 と て も 興 味 深 い
入門書となっています。
※ 1
A Coptic Dictionary, Oxford Clarendon Press, 1939, p.110( オ ン ラ イ ン )。 な お コ プ ト 語 と は 、 紀 元 以 降 、
ギリシア語を起源に持つ文字を使用したエジプト語で、キリスト教と密接に関わっており、その語彙もギリ
シア語からの借用が多いと云います。エジプトはローマ支配以前からギリシア系のプトレマイオス朝が支配
し、その最後の女王が才色兼備で名高いクレオパトラでした。
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- 12/54 ※ 2
J. Needham, Science and Civilization in China: Vol. V. 4, Chemistry and Chemical Technology, ( 1st. 1959
repr.
1992) p.355.
このシリーズの一部が日本語に翻訳されて、ジョゼフ・ニーダム『中国の科学と文明』
( 新 思 索 社 )と し て 出 版 さ れ て い ま す が 、 中 国 に 専 心 し た も の で は な く 、 広 く 世 界 に も 目 配 り さ れ て い て 、 と
ても興味深いものです。しかし、面白すぎるというのは、著者の姿勢に疑問があり、批判的に解釈する必要
がある、ということを示唆しています。
※ 3
印 刷 本 は 数 多 く あ り ま す 。 1.
文 学 大 系 第 8 巻 』 に も あ り ま す ) 2.
本 田 清 訳 註 『 抱 朴 子 内 篇 』( 東 洋 文 庫 512) 平 凡 社 、 1990。(『 中 国 古 典
王 明 著 『 抱 朴 子 内 篇 講 』 中 華 書 局 、 北 京 1980、 p.20。(『 諸 子 集 成 ・ 第
八 冊 』 に も あ り ま す 。)
※ 4
四元素(万物は大気、火、水、土からなる)というのは、古代ギリシアのエンペドクレースが唱える遙
か以前に、太古の人類が自然理解に抱いた原理であろうと考えられています。これが、古代から現代までど
のように人類文化の根源にあり、どれ程豊穣な遺産を生み出したか、ガストン・バシュラールの著書から窺
い知ることができます。序でに云えば、ユングやハーバート・リードらは四元性を深層心理から解釈してお
り、曼荼羅が採り挙げられていて、ついにはこれが有機物を構成する炭素の 4 配位に起因するという憶測も
そこにあります。
参考
ここで錬金術の入門書を一冊だけ紹介しておくことにします。セルジュ・ユタン著、有田史郎訳『錬
金 術 』 白 水 社 ( ク セ ジ ュ 文 庫 )、 1972。
補足
錬 金 術 書 に あ る 金 属 の シ ン ボ ル を 紹 介 し た 序 で に 、「 染 色 薬 」 Lat. tinctura
という言葉について、辞書にあ
る解説を纏めておきます。
「何かほかの物質に浸透したり、またさらに拡散したりして、そのものにある固有の特性を付
与 す る 薬 。金 の 染 色 薬 は あ ら ゆ る 物 質 に 金 の 特 性 を 付 与 し て 金 に 変 化 さ せ る と 考 え ら れ て い ま す 。
と く に 赤 い 染 色 薬 は 、「 賢 者 の 石 」、「 大 き な マ ギ ス テ リ ウ ム 」、「 赤 い 獅 子 」 な ど と 呼 ば れ 、 ま た
そ れ は 霊 薬 で も あ り ま す 。」
ガラス技術からすれば「着色剤」とすべきでしょうが、錬金術固有の表現であるので「染色薬」としまし
た。そのまま「ティンクチャー」と英語読みしている本もあります。
2.
古代思想・原始的思考について
①呪術思想
四元素論、陰陽五行説といった自然観。アニミズム、外魂、神秘的融即、言霊、
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- 13/54 天地照応、輪廻説などなど。古代人、原始人の思考様式には現代人の理性では理解
し難いものばかりで、概して単に未開、野蛮であるとか、無知であると判断されや
すいようです。ところが一方で、それらは感性を刺激したり、また懐かしくもある
世界を築いており、今でも再検討が必要ではないかと思えます。
さて、金ルビーを生み出した背景にある、そうした古い思考形式にまったく無知
であれば、そこにある奇々怪々な事実に当惑するだけです。ところが、それらを容
易に理解するための簡単な原理が見つかります。その一つは、イギリスの人類学者
フ レ イ ザ ー が 『 金 枝 篇 』( 初 版 2 巻 本 1890 年 、「 岩 波 文 庫 」 に 全 5 冊 の 縮 約 版 が あ
ります)のなかで、厖大な事例とともに示した呪術原理です。
『 金 枝 篇 』 は 、「 古 代 の ( イ タ リ ア の ) ネ ミ の 森 に お け る 王 ( 祭 司 ) 殺 し 」 の 物 語 か
ら始まります。これは、力衰えた首領は部族の存続を危うくするものであるため死
すべきであるという、謂わば猿山社会の切実な支配原理に通じるものですが、王権
が強固になると、狡賢い王は殺されるべき自身の身替わりを立てます。そして、や
が て は 古 代 イ ン ド の 『 リ グ ・ ヴ ェ ー ダ 』 や 、『 シ ャ タ パ タ ・ ブ ラ ー フ マ ナ 』 に あ る
アシュヴァ・メーダ(馬の犠牲)祭のように、駿馬を王の替わりに生贄にするよう
になったと考えられています。
また本書では、農耕民族共通の植物霊と大地母神崇拝や冬至の祭りについても、
たいへん明快な解釈が与えられています。しかし、これとは別に、目から鱗が落ち
るような原理が示されています。それが「類感呪術」と「感染呪術」と呼ばれる呪
術原理です。
類 感 と は 、 一 言 で 云 え ば 、 似 て い る も の は 相 通 じ る と い う 原 理 で す 。( こ れ が 発 展 す
れ ば 対 象 と そ の 象 徴 の 同 一 化 さ え 起 こ る に 違 い あ り ま せ ん 。)
感染とは、接触によって「本質的なもの」が伝染するという原理です。
これを下手に説明するよりも、ある文学作品を例に取り挙げるのがより適切でし
ょう。それもイタリア史上最高の文学者と讃えられた、ヴェネツィア生まれのダヌ
ン ツ ィ オ Gabriele D'Annunzio 1863-1938 の 作 品 で す 。
ダヌンツィオの波瀾万丈の人生について語る場ではありませんが、若くして詩人
の才能が認められ、大空に戦闘機を駆って戦い英雄となり、愛人であるイタリアを
代表する女優を連れてムラーノ島の名工セグーゾのガラス工房を訪れ※
ッシーに音楽を書かせた神秘劇『聖セバスティアンの殉教』※
2
1、 ド ビ ュ
の上演で教会に刃
向かい、その死に際してはときの首相ムッソリーニによって国葬が営まれた彼の作
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- 14/54 品は、天才の感性・直観が恐ろしくさえあります。ダヌンツィオ・フリークであっ
た 森 鴎 外 ( ド イ ツ 語 訳 書 を 揃 え て い た と 云 わ れ る ば か り か 、『 聖 セ バ ス テ ィ ア ン の
殉教』上演に到る経緯を長々と現地レポートしています)が翻訳した作品の一つに
『秋夕夢』※
3
があります。これこそ呪術のプロセスとその成果を生々しく描いた
作品です。
今は昔。ヴェネツィアに君臨するドージェ(提督)が呪い殺される。ドガレッサ(提督夫人)
が愛人を得たいがための仕業である。ところが、ヴェネツィアに流れてきた美しく蠱惑的な舞姫
がヴェネツィア中の男たちを魅了してしまう。折角ことが成就したのに、ドガレッサの愛人はこ
の舞姫に現を抜かすようになる。この舞姫を呪い殺そう、というので魔女が呼び寄せられる。-
-物語はこの呪術の一部始終である--
藁 人 形 な ら ぬ 蝋 人 形 が 拵 え ら れ る 。そ し て 青 色 と 黒 色 、
左右色違いの眼をした舞姫に似せるため、召使い女から頸輪の青・黒のガラス玉を取り上げて人
形の顔に嵌め込む。もう一人の召使い女は、逆襲されて血塗れになりながらも、その舞姫の髪の
毛を切って持ち帰り、人形の頭に巻き付けられる。そしてドガレッサは、この蝋人形に恨みを籠
めて針鼠のように針を刺す。--ところ変わって、舞姫を囲んだ祭りの宴も酣の船のうえでは、
斬り合いが始まり、船は火に包まれる。秋の夕べのブレンタ川を、空を焦がして死屍累々の遊山
船が流れてゆく……
人 形 の 眼 は 「 類 感 呪 術 」、 髪 の 毛 は 「 感 染 呪 術 」 に 拠 る も の と 解 釈 し て よ い で し
ょう。人形を作って呪い殺そうというのは、古代から世界中に広まっている秘儀だ
そ う で す 。 ロ シ ア ・ ロ マ ノ フ 王 朝 末 期 の ツ ァ ー リ ( ツ ァ ー と も 、「 皇 帝 」) は 、 食
事後には食器(クリスタル食器はバカラ社製に違いありません。当時はバカラ社の
最大の得意先でした)に呪いが掛けられないよう毀していた、と云われています。
こ こ に 類 似 と 接 触 と が 、如 何 に 重 要 な 原 理 と な っ て い た か を 知 る こ と が で き ま す 。
私たちも有名人の持ち物と同じブランド品に憧れたり、触ると何かが取り憑くと感
じ て い て 、御 利 益 を 求 め て 日 々 石 像 が 磨 り 減 り 、銅 像 が 輝 き を 増 し て い る よ う で す 。
原始的思考では、その原理が恐怖のために肥大したと思えるのですが、もう少し穿
った見方をして彼らを弁護しておく必要があるでしょう。
というのも、こうした判断の背景にあるのは共通性、同一性を重視する感性原理
で、これが彼らに支配的であるということです。私たち現代人に支配的な理性的な
判断が、区別や差違を求めているのとは正反対であるのです。きっとこのために、
赤くて透明な宝石は、太陽に通じ、心臓に作用するもので、代え難い価値を持って
いると見做されたのでしょう。
ところで、これはより根本的に宗教や美(感性学による)が、共感、同一性の価
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- 15/54 値に基づいて理解されることと類似しています。ここではヘーゲルの『美學』※
4
( 学 生 の 受 講 ノ ー ト )、 リ ッ プ ス の 『 美 學 大 系 』 ※ 5 や 、 ト ル ス ト イ の 『 藝 術 論 』 ※
6
のような、比較的平易な美学の歴史的名著を列挙しておくだけにしておきます。へ
ーゲルには弁証法的発展という歴史主義があり、感情移入説で有名なリップスには
現実離隔や統一性の法則といった芸術の法則が追求されていて、そして文豪トルス
トイには四大宗教はどれも同じく共通性を求める「愛」が原理であると解釈するト
ルストイ教(否、主義)と、それぞれ違いがあるものの、その根本は大きな違いで
はありません。多くの場合、神と自己の同一性の認識が信仰であり、男女の同一性
の認識が恋愛であり、自己の価値や理想を他物のなかに発見すること、共通を認識
することが美、といった具合に理解されています。こうした原理は対立するのもさ
え止揚によって統一してゆきます。それが父と子と精霊によるキリスト教の三位一
体の原理であると同時に、その連鎖がプラトーンやヘーゲルが(まるでトラス構造
のように)神の潜む世界の構造と見たものです。果たして世界をばらばらに解体し
ようとしている私たちの方が利口なのでしょうか。
※ 1
ダ ヌ ン ツ ィ オ 『 情 炎 』。 バ シ ュ ラ ー ル は 『 蠟 燭 の 焔 』 の な か に こ の 一 節 を 引 用 し て 、「『 生 ま れ つ つ あ る
コップが、吹き管の先端で、ちょうど色変わりしはじめた紫陽花の繖房花のように、バラ色に、また青色に
揺 れ て い る 。』こ う し て 、相 関 的 に 火 は 花 咲 き 、花 は 火 と 輝 く の で あ る 。」
( 澁 澤 孝 輔 訳 現 代 思 想 社 1971,
p.116。
仏 訳 か ら の 重 訳 )と 記 し て い ま す 。ダ ヌ ン ツ ィ オ の 原 文 は 、'... e le coppe nascenti oscillarono in cima dei ferri tra
rosee e azzurrognole come i corimbi dell'ortensia in punto di variare.'
と あ り ま す 。Gabrielle D'Annunzio, Il Fuoco,
Milano 1900.( Mondadori 再 版 1996、 英 訳 書 題 名 "The Flame of Life" )
※ 2
三 島 由 紀 夫 ・ 池 田 弘 太 郎 訳 『 聖 セ バ ス チ ァ ン の 殉 教 』 美 術 出 版 社 1966 が あ り ま す 。 初 演 は ロ シ ア ・ デ
ィアギレフ・バレー団のプリマ・バレリーナであるイダ・ルビンステインがセバスティアン役。その昔
( 1972.06.26)、 た ま た ま 日 本 語 ダ イ ジ ェ ス ト 版 初 演 を 上 野 の 文 化 会 館 で 聴 い た こ と が あ り ま す が 、 音 楽 は 東
洋的な旋律の美しい曲でした。
※ 3
『 鷗 外 全 集 44
翻 訳 篇 第 十 九 巻 戯 曲 九 』 所 収 1955
岩 波 書 店 。 (こ の ほ か の 各 種 全 集 の 目 録 に 見 当 た
り ま す が 未 確 認 で す 。 )独 訳 本 か ら の 重 訳 。 原 題 は 、 Sogno d'un tramonto d'autunno, 1898.
※ 4
ヘ ー ゲ ル 著 、 竹 内 敏 雄 訳 『 美 學 』(『 ヘ ー ゲ ル 全 集 』 所 収 、 全 9 分 冊 ) 岩 波 書 店 、 1956-1981。
※ 5
T. リ ッ プ ス 著 、 稲 垣 末 松 訳 『 リ ッ プ ス 美 學 大 系 』 同 文 館 、 1926。
※ 6
ト ル ス ト イ 著 、 原 久 一 郎 訳 『 藝 術 論 』( ト ル ス ト イ 全 集 31) 講 談 社 、 1953。
②ヘルメス思想
原始的な農耕生活や、さらに古く人類が日々食糧を自然界に依存していた時代に
は、人々は地上や水中などの動植物すべてが、天体の力の作用の下に生長・繁殖
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- 16/54 ( reproduction 生 殖 ) を 繰 り 返 し て い る こ と に た い へ ん 敏 感 で あ っ て 、 切 実 な こ の
関係の理解に努力したことは疑いありません。例えば古代の天文台は、人々の生活
を左右する、太陽や月や惑星などの運行を観察して、重要な行動の判断をするため
の機能を担ったものであったでしょう。近代の中国清朝でも、天子である皇帝は、
天を祀る天臺で天に通じる蒼璧(孔が空いた円盤形の玉器)を所持し、天空神に祈
っ た と 云 わ れ ま す ※ 1。
太陽に次いで、月は生命や繁殖に重大な作用を及ぼすものであり、月に纏わる伝
承は、ネフスキーの『月と不死』※
2
ほかの民俗学のテーマでした。古代の暦、太
陰暦(すなわち月の暦)は、この結果として農業や漁業などのために生まれたもの
であったでしょう。
また中国の天円地方説は、とりわけ建築デザインに反映されており、日本でも墳
墓(前方後円墳や上円下方墳があります)などに見られます。西洋ではドーム(聖
堂、円蓋)が天を表すものとなっていましたが、それもまた支配者の墳墓であり、
先 祖 の 「 家 」 = ド ー ム ( Gk.
domus) が 先 祖 を 祀 る も の と な っ て 神 聖
δόμος、 Lat.
化 し た も の で し た ※ 3。
さて、このように重要な天体に対する関心は、一方では占星術に発展し、やがて
占星術師でもあったコペルニクスが古代ギリシアのアリスタルコスに示唆されて
か、天体観測から地動説を導き出しました。
そして、このような天体の力を受けるのは生物に限らないと考えられたに違いあ
りません。そこに錬金術上きわめて重大な意味を持つヘルメス思想が生まれたので
し ょ う 。 ヘ ル メ ス 説 と い う の は 、 こ こ で は ヘ ル メ ス ・ ト リ ス メ ギ ス ト ス (3
るメルクリウスの意味)の 『
倍偉大な
エメラルド板』を原点とする天地照応説、と云うことにし
ておきます。
『エメラルド板』の起源は、ローマ時代末期のエジプトにあると考えられていま
す 。 こ の 第 2 節 に は 、「 上 に あ る も の は 下 に あ る も の に よ り 、 下 に あ る も の は 上 に
あるものによる。この驚異の仕業は一者の為せるもの」と説かれているだけです。
し か し 、お そ ら く は プ ラ ト ー ン の 流 出 説 ※
4
の 影 響 を 受 け 、拡 大 解 釈 さ れ て 発 展 し 、
「天体の力が地上の存在へ流出する」という説に発展したと考えられます。そして
ここでは、透明で輝かしいものが天上の力をもっともよく授かる、と考えられたの
です。この天地照応の思想は、錬金術のなかで重視されて、エメラルド板は度々翻
訳 さ れ ( ニ ュ ー ト ン 訳 と い う も の も あ り ま す )、 合 意 さ れ て き た も の と 思 え ま す 。 そ し て こ
の思想に基づいて、もっとも重視された地なる宝石がルビーでした。
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- 17/54 ※ 1
ベ ル ト ル ト ・ ラ ウ フ ァ ー が 天 空 神 の 象 徴 を 論 じ た 箇 所 p.154 に 、『 皇 朝 禮 器 圖 式 』 を 引 い た 説 明 が あ り
ま す 。 Berthold Laufer, Jade - A Study in Chinese Archaeology and Religion, Chicago 1912 ( repr. Dover Pub. 1974)
※ 2
ニ コ ラ イ ・ ネ フ ス キ ー 著 、 岡 正 雄 編 『 月 と 不 死 』( 東 洋 文 庫 185) 平 凡 社 1971。
※ 3
ウィーンのシュテファンスドームはハプスブルク家の墳墓でもあります。ボードウィン・スミス著『ド
ーム』は原初の聖墳墓教会の復元をテーマにしていますが、この著者のドーム発達史はブリタニカ事典
Encyclopaedia Britannica, 1969 の 'Dome' の 項 目 に も あ り 、 ま た ハ ー バ ー ト ・ リ ー ド が 『 イ コ ン と イ デ ア 』 で
採り上げています。一方で私たち日本人は、太古の建築様式が神聖化されて、今日の「神社」に継承されて
い る こ と を 知 っ て い る は ず で す 。 E. Baldwin Smith, The Dome - A Study in the History of Ideas, Princeton U. P. ,
Princeton 1950 ( Paperback 1971) .
※ 4
「 エ マ ナ テ ィ オ emanatio」 一 者 と よ ば れ る 神 か ら 、 水 源 か ら 水 が 四 方 へ 流 れ 出 す よ う に 万 物 が 流 出 す る
という、プラトーンに遡り、新プラトン派が唱え、後世に影響を与えた宗教上重要な考え。
③
赤い薬を求めて
「カードゥーケウス」
医療のシンボル、2 匹の蛇の杖・十字架
ⅰ.
鉱物質の薬
古代ギリシア医学では、ヒッポクラテース(コス学派)やガレーノスが後世に記
録を残しています。もう昔のことですが、古代の患者たちの病状や治療の記録を読
んで、とりわけ少女たちの容体の変化に一喜一憂したことがあります。
古 代 の 医 学 は 、自 然 界 に あ る さ ま ざ ま な 物 質 に 薬 効 を 求 め 、動 植 物 の み な ら ず「 金
属や鉱物」までもが薬となりました。古代中国でも、やはり天然物の薬効を論じる
本 草 学 が あ り ま し た 。『 神 農 本 草 経 』( 後 漢 頃 成 る ) は 今 日 に 伝 来 し ま せ ん が 、 そ
れ に は 500 年 、 南 朝 の 陶 弘 景 が 註 釈 を 付 し て い ま す 。 や が て 明 代 末 に は 集 大 成 と
も 云 う べ き 李 時 珍 1513-1593 の 『 本 草 綱 目 』( 1596 年 上 梓 ) が 皇 帝 に 献 上 さ れ て
い ま す 。 こ う し た 知 識 に 基 づ い て い る の が 、 日 本 で 云 う 漢 方 で す 。 例 え ば 地 龍 (「 白
頚蚯蚓」ミ ミ
ズ ) は 、『 神 農 本 草 経 』 以 来 今 日 ま で 優 れ た 薬 と し て 利 用 さ れ て い ま す
(その解熱作用は、実体験したので間違いありません)が、同書には丹砂(硫化水
銀 )、 雄 黄 、 雌 黄 ( い ず れ も 硫 化 砒 素 )、 鉛 丹 、 粉 錫 ( 鉛 白 ) な ど 、 有 害 性 を 吟 味 す
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- 18/54 べきものも少なくありません。
ただし、一般に毒とされていても人体にとって必須元素であるものもあります。食品中に有名な毒物が検
出されれば無害な含有レベルであっても騒動になって食用を忌避される一方で、バリウム(造影剤の硫酸バ
リウムは難水溶性であり、直ぐに体外に排出させるので無害に違いありません)が安全なものと誤解を招い
ているようです。もちろん、ガラス中に新しい成分を導入する際には毒性の情報が欠かせません。
前 述 の『 本 草 綱 目 』※
1
に は「 玻 瓈 、瑠 璃 」が あ り 、怪 し げ な が ら 前 者 は ガ ラ ス 、
後者は色ガラスと解釈してよいでしょう。玻瓈の項目には、
気 味 : 辛 、 寒 、 无 毒 。 主 治 : 驚 悸 心 熱 能 安 心 、 明 目 去 赤 眼 、 熨 熱 腫 、 摩 翳 障 (「 辛 く て 冷 た い
が毒はない。動悸息切れを安らかにし、視力をすっきりさせ目の充血をなくし、熱を伴う腫れを治め、曇っ
た 眼 を さ す る 」 と い う 意 味 と 思 え ま す 。)
とあります。辛いというのはアルカリ分のせいでしょう。その昔、たいへん耐水性
の悪いガラス器を舐めると辛かった、と聞いたことがあります。
金 に つ い て は 、 プ リ ニ ウ ス ( 33,25[ 84]) に 多 く の 効 能 が 記 さ れ て い ま す が 、 き わ め
て怪しげなものばかりです。
※ 1
鈴 木 真 海 訳 、 木 村 康 一 他 新 註 校 定 『 国 訳 本 草 綱 目 』( 第 八 巻 )、 春 陽 堂 書 店 1974( 初 版 1929)。
ⅱ
空想による薬(霊薬・金丹)
臨床試験して実証的に有効性と安全性とが確かめられるのではなく、呪術思想で
空想的に霊薬が生み出された時代がありました。
歴史的に見て、古代ローマ時代も中国漢代も時を同じくして、人々は空想的で神
秘 に 憧 れ て い た こ と が 分 か り ま す (ともに大帝国を築き、交易や文化交流があったことが知られ
て い ま す )。「
ロマンチック」という言葉はローマ的という意味で、一般に古代ロー
マの空想過剰であった美学的な傾向を云います。そしてキリスト教の誕生はこの基
盤 に よ っ て 理 解 さ れ て い ま す 。( パ ッ ク ス ・ ロ マ ー ナ と は い え 、 人 々 に は 不 安 と 刹
那的な享楽への逃避があり、そこに現実否定的な宗教の芽生えがあったのでしょ
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- 19/54 う 。) 一 方 、 前 漢 に は 神 秘 思 想 が 興 り 、 神 仙 思 想 、 陰 陽 五 行 説 、 易 な ど が も て 囃 さ
れます。
こうした結果、医薬品にも空想が憑依します。神秘思想に基づいて秘薬が生まれ
た の で す 。 西 洋 や 中 国 に お い て も 霊 薬 ( エ リ ク シ ー ル )・ 金 丹 が 発 展 し ま し た が 、
そ の ル ー ツ は イ ン ド に あ る と 考 え ら れ て い ま す 。 古 代 イ ン ド の 「 ソ ー マ सोम soma 」
も 、 ギ リ シ ア の 「 ア ン ブ ロ シ ア ἀμβροσία ambrosia (「 不 死 」 の 意 味 )」 も 、 と も に
不死の飲料です。日本人には「甘露」が馴染み深いかも知れません。漢訳仏典とと
も に 日 本 に 伝 来 し た こ の 言 葉 は 、 イ ン ド で は 「 ア ム リ タ अमत
amṛta 」( 音 訳 で は 阿
ृ
密 哩 多 ) と 云 い ま し た が 、 こ れ も 容 易 に 英 語 の 「 不 死 の 」 immortal に 関 係 し て い
る こ と が 分 か り ま す 。( ど ち ら も ル ー ツ が 同 じ イ ン ド ・ ヨ ー ロ ッ パ 語 族 IE な の で す
か ら 。) 一 例 と し て 、 古 代 ロ ー マ 以 降 延 々 と 書 き 綴 ら れ た と い う 奇 譚 『 ア レ ク サ ン
ドロス物語』でも、大王はエリクシールを探し求めて世界の果てまで冒険していま
す。
錬 金 術 で は 、 水 銀 が 生 命 的 な 原 理 を 担 う 根 源 物 質 と さ れ 、 金 は 水 銀 と 硫 黄 (と細
かな塩)か
らなる不滅性を担った金属でした。さまざまな配合と処理とで生み出さ
れる赤色の製剤こそが賢者の石であったり、霊薬、金丹であったりしたのです。赤
い 鉱 物 に は 辰 砂 ( 硫 化 水 銀 ) や 鶏 冠 石 ( 硫 化 砒 素 )、 光 明 丹 ( 鉛 丹 = 四 三 酸 化 鉛 )
などがあり、これらは霊薬の原料の代表格でした。金や水銀から不滅の命を得るた
め の 薬 を 作 ろ う と い う 試 み は さ ま ざ ま に 多 様 化 し ま す が 、「 丹 」 と い う 言 葉 が 意 味
するように、常にそれが赤くなければ効果がないと考えられたようです。
因 み に 日 本 最 古 の 辞 書 、 源 順 の 編 纂 し た 『 倭 名 類 聚 抄 』( 934 頃 ) の 薬 名 類 に は
筆頭に丹薬があり、金液丹の名も載っています。中国の皇帝らがこうしたものを服
用 し て 被 害 に あ っ た こ と が 知 ら れ て い ま す 。後 代 の 日 本 で も 徳 川 家 康 が 薬 に 凝 っ て 、
自 家 調 剤 の 薬 が 入 っ た( 自 家 薬 籠 の )ガ ラ ス 瓶 が 今 日 に 伝 わ っ て お り 、『 大 徳 川 展 』
( 東 京 国 立 博 物 館 2007.10.10-12.02) で 目 に す る こ と が で き ま し た 。 ガ ラ ス が 色 濃
くて薬の色は分かりませんでしたが、薬効あってか将軍はたいそう長命でした。し
かしながら、展示ケースに掲示された薬種(原料)リストには、やはり水銀や砒素
を含む鉱物が混じっていました。
ⅲ.
スパジリカ/医化学
西 洋 の 錬 金 術 で は 、 ス パ ジ リ カ ( Spagirik ス パ ギ リ カ 、 ス パ ギ リ ク と も ) と い う
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- 20/54 言 葉 が 現 れ ま す 。 こ れ は 16 世 紀 の 高 名 な 錬 金 術 師 、 医 師 で あ っ た パ ラ ケ ル ス ス が
ギ リ シ ア 語 ( σπάω 引 き 出 す +ἀγείω 集 め る ) か ら 創 作 し た 言 葉 で 、 さ ま ざ ま な 天
然 原 料 か ら 錬 金 術 に よ っ て 医 薬 を 合 成 す る 技 術 の こ と で す 。( 中 国 の 「 金 丹 術 」 に 近 似 し
ていますが、ガラス器具を駆使したより高度の化学操作を伴うもので区別し、また造語であり、そのまま英
語 風 に 読 み ま し た 。) こ れ が 広 ま っ て 、 一 般 に は 医 化 学 イ ア ト ロ ヒ ェ ミ ー
Iatrochemie と
呼ばれています。
多くの錬金術師は医者や薬剤師でもあり、怪しげな医薬品の調製に熱中します。
や は り 赤 色 の 薬 が 珍 重 さ れ 、 臙 脂 虫 (ケルメスやコチニール)や ア ン チ モ ン ガ ラ ス の 赤
色を利用しましたが、ついには金微粉末や金ルビーエキス(?)の入った飲用金が
作 ら れ ま す 。オ ル シ ャ ル は 、飲 用 金 を 飲 ま さ れ た 貴 人 が 犠 牲 に な っ た た め 解 剖 さ れ 、
原因が突き止められたことを冷ややかに記していますが、これらはきわめて高価な
ものと思え、庶民は被害に遭うことがなかったのかも知れません。
しかしながら、薬効の怪しげな赤いアルケルメス剤をありがたがった西洋人に限らず、私たちにも赤色の
食 品 を 特 別 視 す る 風 習 が あ り ま す 。祝 の 膳 の 赤 飯 や 赤 い 魚 = 鯛 。正 月 に は 大 福 茶 の 小 梅 干 し か ら 、紅 い 蒲 鉾 、
関東で欠かせない酢蛸、関西では赤なまこ、伊勢海老……きりがないので止めますが、これらの「赤色」食
品の信仰が金丹やエリクシールに遡るかどうかは別として、生命=心臓=太陽に繋がる同じ古代思考の産物
で、赤色が長寿に関係すると考えると、目出度く理解できそうです。
高度な金ルビー技術を、たゆまない創意工夫と努力で完成させたクンケルを第一とするガラス技術者たち
の恩恵を、私たちが身近に受け取るには正月は良い機会であると思えます。朱塗りの漆器とともにこの祝の
膳に相応しいのは、きっとルビーガラスの赤い酒杯で、まさに甘露(美酒)のための器ではありませんか?
3.
ガラス秘伝書の真偽
第一、処方書類に関して、錬金術書と同様にその成り立ちに疑問が湧きます。例
え ば『 旧 約 聖 書 』中 で 金 に 比 肩 さ れ た 貴 重 な ガ ラ ス 。こ れ を 製 造 す る 技 術 が 、当 時 、
安 易 に 公 開 さ れ る こ と な ど あ り え た で し ょ う か 。 処 方 書 の 写 本 に は 、「 秘 密 の 」 と
いうタイトルが付いていることがよくありますが、なぜ秘密を公表する必要があっ
たのでしょうか。とても胡散臭いものです。したがってガラスの処方書は、それが
ガラス製造者の覚え書きであったり、現場のマニュアルでもない限り、誰がいつ頃
書いたのか、そのものの素性を疑う必要があります。
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- 21/54 秘密主義は陶芸でも同じようですが、ときとして重要な技術が父子のあいだでさ
え継承されない世界をガラス製造者たちが作っていました。一方、現代の特許も、
肝要な条件を包含するようにしか記述されません。とりわけガラス工場の(利益を
を追求する)経営に当たる立場の技術者が、本や論文のなかで企業秘密を明かすこ
とはごく稀と思え、著書や論文では説明が不十分であったり、不正確であったりす
るようです。金ルビー技術は今日でも現場の秘密と云え、工場見学に訪れたとして
も、関係者であればすっかり敬遠されてしまいます。
そして第二には、処方の内容の真偽を判定することが難しいのです。ガラスの処
方に、原料として「砂と灰」だけが書かれていたなら、多くのガラス技術者は見向
きもしないでしょう。そのようなガラスなどありえないからです(これをシリカと
ソーダ灰由来の 2 成分と捉えるなら水溶性であるからで、このガラスを熱水に溶
か し た も の が 水 ガ ラ ス 、 つ ま ち 「 珪 酸 ソ ー ダ 」 液 で す )。 と こ ろ が 、 彼 ら が 製 作 し
たガラスの分析結果を見れば、きわめて多成分であり、今日のガラスと比べて遜色
ない優れた化学的耐久性であったことが分かります。なぜなら数千年ものあいだ風
化に耐えて、今日まで生き残ったのですから。このように処方書にある原料名は、
単なる手掛かりにすぎません。原料だけでなく、さらにどのような精製処理を経て
ガラスになったかということも重要です。
処 方 書 に 記 載 さ れ た 天 然 原 料 に 関 し て 、当 然 そ れ が 何 を 指 す の か 、産 地 は ど こ か 、
成分の含有量や不純物の存在について、できる限り吟味すべきです(とは云えきわ
め て 困 難 で す )。 古 代 ガ ラ ス の 産 地 、 シ リ ア の 海 岸 の 砂 も 、 エ ジ プ ト の ア レ ク サ ン
ドリアの砂も、ガラスに化学的耐久性を与える石灰(炭酸カルシウム)を多く含む
こ と を 、 W. E. S. タ ー ナ ー が 分 析 に よ っ て 明 ら か に し ま し た 。
融剤のアルカリは一般に植物の灰(草灰)ですが、その成分は植物の種類、生育
地 に よ っ て 大 き く 異 な り ま す 。そ う 、園 芸 が 趣 味 の 方 は 、い わ ゆ る 草 木 灰 が 根 肥 で 、
カリ分に富んでいることをご存知でしょう。また海辺の植物の灰はソーダ分が多く
て、古くから石鹸製造などソーダ工業の原料となっていました。ガラス製造で使用
された草木や海草類の種類は多く、さまざまな植物の灰の分析結果は、いくつかの
論 文 ※や デ ー タ ブ ッ ク ( 便 覧 ) に あ り ま す 。 ど れ も 多 成 分 で 、 カ ル シ ウ ム や シ リ カ
分が豊富であり、燐を含むという特徴が知られています。
とりわけ興味深いのは藁灰がガラス組成に近く、陶芸で藁灰釉として利用される
のにも納得が行きます。それはターナーが示唆しているように、釉薬の原点であっ
たのかも知れません。
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- 22/54 古代エチオピアのワディ・ナトルーン湖では、干上がって析出した塩化ナトリウ
ムが空気中の二酸化炭素と反応して炭酸ナトリウムに変化し、ガラス原料になりま
した。近世のヴェネツィアではレヴァント(日出ずる東の国=シリア、エジプトな
ど東地中海諸国)から輸入した石鹸用の草木灰が好まれ、これを煮て不溶解物を濾
過 、 あ る い は 沈 殿 除 去 し て か ら 煮 詰 め る 結 果 、 そ の 水 溶 性 成 分 の 一 部 が 10 水 和 物
の炭酸ナトリウムになったり、焼いて無水の、いわゆるソーダ灰になったりしたと
考えられます。
17 世 紀 に 「 硝 石 」 と あ れ ば 硝 酸 カ リ ウ ム
KNO3
であり、チリ硝石
NaNO3
ではありえ
ません。硝石は古代からとりわけ農業の肥料(窒素加里肥料)としてきわめて重要
であり、後には黒色火薬の原料ともなって、人工的な製造方法が確立されていたと
云います。
硼砂
Na2B4O7·xH2O
はヨーロッパで古くからチベット産がよく使用されていたこと
が 分 か っ て い ま す 。 多 く の 場 合 、「 焼 い た も の 」 と あ っ て 無 水 硼 砂 と 見 做 せ ま す 。
昔の原料は、有効成分が低含有量であることも多かったようです。例えばコバル
ト ・ ブ ル ー の 着 色 剤 、 い わ ゆ る 「 呉 須 zaffera 」 に つ い て み る と 、 青 色 着 色 ガ ラ ス
の 処 方 に 記 載 さ れ て い る 使 用 量 が 多 す ぎ ま す 。( 因 み に zaffera の 語 源 は ラ テ ン 語 の
「 サ フ ァ イ ア ( 青 玉 ) sapphirus」 と 考 え ら れ て い ま す 。)
このように多くの場合、処方からガラス組成を推定するにはたいへんな困難があ
ります。したがって、技術史研究者や考古学者が相手にするのはガラス遺物であっ
て、怪しげで証拠となり難い処方書にはほとんど目もくれないようです。いずれに
せよ、ほとんどのガラス原料は、今日の化学原料とはかけ離れた多成分のものであ
ったと推測できます。そして、このようにしてやっと、砂と灰とだけで優れたガラ
スが作れたことが理解できるのです。
※例えば、下記のものがあります。
1. W. E. S. Turner, Studies in Ancient Glasses and Glassmaking Process, Part III, The Chronology of the
Glassmaking Constituents, Journal of the Society of Glass Technology, ( 40)1956, 39T-52T.
2. M. Verità, L'invenzione del cristallo muranesi: una verifica analitica delle fonti storiche. RSSV, n.1 ( 1985),
pp.17-29.
3. M. Verità, Some Technical Aspects of Ancient Venetian Glass, Technique et Science, Les Arts du Verre, Namur
1991, pp.57-67.
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- 23/54 4.
専
門
性
金ルビーの発色について史料を漁れば、数多くの高名な化学者・科学者を魅了す
る 課 題 に な っ て い た こ と に 驚 か さ れ ま す 。「 水 と ガ ラ ス 、両 者 の 金 溶 液 の 深 赤 色 が 、
長 年 に わ た り 科 学 者 た ち を 魅 了 し て き た 」 と い う の は 、 1963 年 に ガ ラ ス 学 者 の ド
レマス※
1
が論文の冒頭に書いた言葉です。また、同時に「カッシウスのパープル
( カ ッ シ ウ ス 紫 )」 に も 、 多 く の 科 学 者 が 魅 せ ら れ て き ま し た 。
これらのなかには、近代化学の礎を築いたベルセリウスやゲイ=リュサック、コ
ロイド化学に貢献したノーベル化学賞受賞者ジグモンディーもいます。イギリスの
高名な物理学者マイケル・ファラデーやアメリカの偉人ベンジャミン・フランクリ
ン等も金の発色に熱中し、不思議な実験を報告しています。
また、ある時期には、誰もがシュタールのフロギストン理論で発色を論じていま
した。金ルビーはさまざまな分野、学説のもとで第一級の学者によって考察されて
きたのです。
ガンツェンミュラーは、そこに厖大な、しかも興味深い史料が存在することを示
しました。今日ではインターネットの恩恵がめざましく、多くの稀覯書が居ながら
にして閲覧できるようになりましたので、その一つ一つを自分でも探し出して確認
してみようというのが、そもそもの始まりでした。そしてまた、技術的な観点から
は、ヴェネツィア・ガラスの文献学者ルイージ・ツェッキーン※
2
に対するのと同
様、どうしても無い物ねだりをしたくなります。なぜなら、肝心の技術面がいつも
敬遠されがちだからです。
さらに視野を広めると、新しい史料(あるいは技術論文)が発掘できます。残念
ながら、今なお言葉の壁を越えることは難しく、金ルビーに関する文書の多くは、
数百年前のヨーロッパ各国の言葉(神聖ローマ帝国の支配地域が広いのでドイツ語
が多く、その他英語、フランス語、イタリア語など)や、近代化した(崩れた)共
通語=ラテン語で書かれていてます。しかも、死語や古の現場用語が散見され、た
とえ同じ言葉でも綴りが異なったり、現代語とまったく異なる意味であったりしま
す。いずれにせよ、古い書物は見慣れない文字--奇妙な字体や合略文字--に印
刷不良が輪を掛けて、解読のハードルを高くしていますが、時代変化の急激な日本
語よりはずっとマシかも知れません。
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- 24/54 ガ ラ ス の 場 合 に 限 っ て 、 一 つ 恩 恵 が あ り ま す 。 お よ そ 2,000 年 前 に 発 明 さ れ た パ
イプ(当初はガラスパイプ=共竿と思えます)による吹き成形技法を初めとして、
ガラス技術には古代の祖型が未だに継承されている部分が少なくありません。した
がって、今日の伝統的な工芸ガラス製造プロセスを知っていれば、近世のガラス技
術がまったく理解できなくはないのです。また、言葉の障壁の解消については翻訳
サイトがあります。読めない古典語の単語でも、最善の場合、検索サイトにコピー
・ ア ン ド ・ ペ ー ス ト す れ ば 、 読 み 方 も 意 味 も 詳 し く 出 て く る こ と さ え (稀に)あ り
ます。こうして数世紀以前の文章でも、ガラスの製法であれば、なんとか内容の見
当が付きます。
イ ス ラ エ ル の 小 学 生 た ち は 今 か ら 2、 3,000 年 前 に 書 か れ た 旧 約 聖 書 が 読 め る 、
ということを読んだことがあります。というのも、ユダヤ人が世界各地に離散して
いたため、イスラエル建国とともにその言語が旧約聖書に基づいて再建されたため
の よ う で す 。 一 方 、 19 世 紀 中 頃 の 英 文 に は 恐 ろ し く 難 し い も の が あ り ま す が 、 こ
れは当時の著者が高尚な文章を心懸け、とりわけギリシア語の単語を翻字して使用
し た た め で 、手 許 の 英 語 の 辞 書 な ど ま っ た く 役 に 立 ち ま せ ん 。明 治 期 の 日 本 語 に も 、
漢籍から引いた難解な言葉がありますが、それ以前に平仮名(合略仮名)さえ読め
ず、今やそれを国語辞典で引くことすらできません。ガラスの長い歴史から敷衍し
て学べることは、文化にはある程度の保守性や一貫性がないと、その民族は根無し
草になってしまう、ということかも知れません。
そ し て 金 ル ビ ー に 話 を 戻 せ ば 、 20 世 紀 に は 新 し く タ ー ナ ー 、 ワ イ ル や ス ト ゥ ー
キーを始めとする多くの優れたガラス学者たちが、さまざまな角度からこれを論じ
て い ま す 。そ し て 、学 者 た ち を 悩 ま せ た 多 く の 謎 に 、よ う や く 答 え が 示 さ れ ま し た 。
ここで、金ルビーを含めた着色ガラス技術に関する基本的な教科書として、ワイルとバンフォードを挙げ
ておきます。かなり古いのが残念ですが、たいへん有名なワイルには、金ルビー史が要領よく、しかも技術
的観点からは遺漏なく纏められています。より新しい物理学的傾向のバンフォードには、セレン、テルルの
発色促進効果の記述のほか、金粒子の大きさと発色(分光吸光特性)の関係が数式で示されています。
1.
W. A. Weyl, Coloured Glasses, Society of Glass Technology, Shefield 1999 ( 1st pub. 1951) .
2.
C. R. Bamford, Colour Generation and Control in Glass, Elsevier 1977.
※ 1
H. Doremus, Optical Properties of Small Gold Particles, The Journal of Chemical Physics, Vol.40, No.8 1964.
pp.2389-2396.
※ 2
Luigi Zecchin, Vetro e Vetrai di Murano, 3 v., Arsenale editrice, Venezia 1987. ( 全 論 文 集 )
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- 25/54 -
第 2章
ルビーの赤は ¤ の色
金ルビーの価値について
金ルビーの世界を理解するために、ここではその誕生に到る原動力となった、ル
ビーが持つ価値について概観してみましょう。すなわち古代思想、呪術思想、ある
いは俗信のなかで、ルビーがどのように重要であったか、と云うことです。
1.
ルビーとは
天 然 の 宝 石 「 ル ビ ー 」 は 、 不 純 物 と し て 酸 化 ク ロ ム を 小 量 ( 1% 程 度 ) 含 有 し た
酸 化 ア ル ミ ニ ウ ム Al2O3 で す 。 き わ め て 硬 い ( モ ー ス 硬 度 9 ) た め に 研 磨 剤 と し て 利
用されているコランダムという結晶の一種で、かつては時計のような精密機械の軸
受け部品にも使用されていました。結晶系は六方晶系で断面に六角形が現れること
があります。クロムの代わりに不純物として鉄が入ると、青いサファイアになりま
す。したがって、ルビーは金とはまったく無縁です。
ル ビ ー ruby の 語 源 は 、 ラ テ ン 語 の 「 赤 い 」 を 意 味 す る 形 容 詞 rubeus, a, um で す
が 、 日 本 語 で は 紅 玉 、 中 国 語 ( 中 文 ) で は 红 宝 石 hóng băoshí と 呼 ば れ 、 赤 色 の 宝
石の代表となっています。古代インドのサンスクリット語では、ベートリンク大辞
典に
ratnarāj が ル ビ ー と あ り 、 モ ニ エ ル の 辞 典 で は こ れ が 「 'jewel-king,'
a
ruby 」 と な っ て い ま す の で 、「 宝 石 の 王 」 で あ っ た と 分 か り ま す 。
しかし、古い書物にルビーとあって、それが私たちの云うルビーであるとは限り
ま せ ん 。よ り 一 般 的 な 名 称 で あ る「 カ ー バ ン ク ル 、カ ル ブ ン ク ル ス carbunculus 」( =
小 さ な 石 炭 、燃 え て い る 石 炭 )の よ う に 、赤 色 の 宝 石 の 総 称 と 考 え る べ き で し ょ う 。
なぜなら、赤色と輝きに価値があり、また一方で、それらの種類の区別がきわめて
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- 26/54 困難であったからです。宝飾関係では、真性のルビーをとくにオリエンタル・ルビ
ーと呼んで珍重しており、色調が類似したガーネット、スピネルやバラスルビーな
ど と 区 別 し て い ま す 。 こ の ル ビ ー を 4 種 類 に 区 別 し た 一 人 が 、 17 世 紀 の 万 能 の 偉
大な科学者ロバート・フックであると云われます。ところが、近代になっても、ル
ビ ー の 分 析 結 果 が 酸 化 ア ル ミ ニ ウ ム で な く 、多 成 分 の ガ ー ネ ッ ト 属 で あ っ た り し て 、
正 し く 区 別 で き な か っ た こ と が 分 か り ま す 。 と こ ろ が 、 20 世 紀 以 降 、 ベ ル ヌ ー イ
(ヴェルヌイユ)法でコランダムが人工合成できるようになると、これもまったく
天 然 の も の と 識 別 す る こ と が 難 し い と 云 わ れ て い ま す 。( 却 っ て 、 質 が 悪 い も の が
天 然 物 と 判 る そ う で す 。)
さて、古代の鉱物学ではルビーをどのように見ていたのでしょうか。石について
の 古 代 人 の 知 識 に つ い て は 、紀 元 前 遙 か な ギ リ シ ア の 、偉 大 な(「 神 の よ う に 語 る 」
人 と い う 綽 名 の ) テ オ プ ラ ス ト ス ( B.C.371 頃 -287 頃 、 ア リ ス ト テ レ ー ス の 高 弟 )
の 『 石 に つ い て De
Naturalis Historia 』 ※
Lapidibus』 や 、 そ の 後 の ロ ー マ 時 代 の 、 プ リ ニ ウ ス 『 博 物 誌
1
に多くの情報があります。
この最初期の記述であるにも拘わらず、きわめて明晰かつ正確と思えるテオプラ
ストス※
[ 18]
2
には、次のようにあります。
しかし、まさしく(※石炭とは)正反対の性質があると思える別種の石がある。というの
は 燃 や せ な い か ら で あ る 。 そ れ は 「 ア ン ト ラ ッ ク ス ἄνθραξ (anthrax) 」 と 呼 ば れ 、 印 章 ※ が 彫 り 込
まれ、色が赤く、太陽に翳せば燃えている石炭の色をしている。それにはとても高い価値がある
と 云 わ れ る が 、 な ぜ な ら と て も 小 さ な も の で も 金 40 個 の 値 段 だ か ら で あ る 。 そ れ は カ ル ケ ー ド
ノ ス ( ※ カ ル タ ゴ ) や マ ッ サ リ ア ( ※ マ ル セ イ ユ ) に 産 す る 。 [ 19]
ミレートスの近くで見つかる
石 は 、燃 え な く て 、尖 っ て お り 、そ の な か に 六 角 形 が あ る 。そ れ も ま た ア ン ト ラ ッ ク ス と 呼 ば れ 、
ダイヤモンドに似た性質の点で特筆すべきものである。……
※ σφραγίδια と あ り 、 指 輪 用 の 「 宝 石 」 と い う 意 味 も あ る よ う で す が 、 リ デ ル ・ ス コ ッ ト 辞 典 ほ か の 辞 書 で
は、この箇所は「印章」であるとしています。これはメソポタミアで印章の標本が見つかる硬度の低いガー
ネ ッ ト 製 を 指 す の で し ょ う 。 上 記 記 述 か ら も 、 加 工 で き る も の [ 18] と ダ イ ヤ モ ン ド の よ う に 硬 い 真 性 の ル ビ
ー [19]の 2 種 類 が あ っ た よ う で す 。
A.D. 6 ~ 7 世 紀 の 人 、 セ ヴ ィ リ ャ の 大 司 教 イ シ ド ー ル ス が 著 し た 百 科 事 典 と も 云
うべき『語源集
Etymologiae 』( 16,
14,
1) で は 、 カ ル ブ ン ク ル ス を 火 を 含 む 宝 石 の 筆 頭
に 挙 げ て い ま す が 、殊 更 そ の 夜 目 に 明 る い こ と が 強 調 さ れ て い ま す 。類 似 の 記 述 は 、
9 世紀の(フ)ラバヌス・マウルスの『万有誌
De rerum naturis ( De universo)』( 17,
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7) に
- 27/54 も見つかります。
こ こ で も う 一 つ だ け 、 1200 年 頃 の 『 ア バ デ ィ ー ン 動 物 寓 意 集
Aberdeen
Bestiary 』
か
ら、ルビーの効能説を「呪術思想」のお復習いのために追加しておきます。
貴石の効能
3.
ルビーにはあらゆる貴石の効能がある。それで、もしルビーを水のなかで洗い、それからそ
の 水 を 喉 が 渇 い た 病 人 に 与 え れ ば 、 ル ビ ー の 効 能 の た め に 誰 で も 病 気 が 治 る 。( 100r )
と こ ろ が 、13 世 紀 の ド イ ツ の 神 学 者 、ア ル ベ ル ト ゥ ス ・ マ グ ヌ ス( 1200 頃 -1280 )
が 著 し た 『 鉱 物 論 De
Mineralibus』 で は 、 石 に つ い て の さ ま ざ ま な 見 解 が 検 討 さ れ
ていて、きわめて理知的です。アルベルトゥスは石の効能の原因について、4 つの
賢者の見解の一つとして「ヘルメス説」を冷静に紹介しています。
ルビーに目を遣りますと、このようにあります。太陽、火星やその他のものに見
ら れ る 赤 色 が 、 カ ー バ ン ク ル 、 バ ラ ス や ガ ー ネ ッ ト に 見 ら れ 、「 し た が っ て 、 も っ
とも高貴なカーバンクルがその他あらゆる石にある力を纏めて保持している、と彼
らは云っている。というのも、より高貴な太陽がその力をあらゆる天上の力から得
ているのと同様に、その普遍的な力が光と力を天上のあらゆるものに与えているか
らである」と紹介しています。アルベルトゥスはこの説にたいへん理解を示してい
ますが、元素説による自然学の立場からは不完全なものと判断しました。
カ ー バ ン ク ル に つ い て 、 よ り 具 体 的 に は 、 次 の よ う に 述 べ ら れ て い ま す ※ 3。
カルブンクルスはギリシア語で「アントラックス」であり、ある者たちには「ルビヌス」と呼
ば れ て い る 。き わ め て 透 明 で 、と て も 赤 い 色 を し た 硬 い 石 で あ る 。そ れ は 、そ の 他 の 石 に 対 し て 、
金がその他すべての金属に対するのと同じ関係にある。上述したとおり、これにはその他すべて
の石よりも多くの力があると云われる。……
太陽に通じる赤い石=カーバンクルが、古来もっとも高貴であり、もっとも大き
な効力が期待されました。ここでは、もちろんルビーもバラスもガーネットも、ま
たそれらの模造品も、すべて同じ効果があると考えられたに違いありません。細か
な 区 別 に 関 心 が な く 、ま た 区 別 が 不 可 能 だ っ た か ら で し ょ う 。事 実 、プ リ ニ ウ ス は 、
カ ー バ ン ク ル の 種 類 の 判 別 が き わ め て 困 難 で あ る と 述 べ て い ま す ( 37,26[ 98] ) 。
宝石の価値について、さまざまな奇妙な伝承や呪術的な効能の迷信を抜きに語る
ことはできないでしょう。かつては、鉱物学の書物※
4
が、こうした情報を収集し
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- 28/54 ていました。ルビーについて見れば、第一に赤色と太陽と心臓(命・心)との関係
があります。そして前出の、ランプ石と呼ばれて照明代わりであった、などという
話はカーバンクルの語源「石炭」から、あるいは太陽からの類推でしょうか。しか
し、それらは金や不死を求めた錬金術が生み出した空想に比べると、かなり素朴で
す。これらは、金ルビーの効能として史料のなかで知ることができますので、ここ
で は 20 世 紀 に 出 版 さ れ た ク ン ツ ※
5
の本から理論的な考察を紹介しておきます。
さらに、特別な疾病に特定の貴石の使用が推奨されるのには、色彩のシンボリズムがたいへん
重要な役割を演じている。これは、ルビー、スピネル、ガーネット、紅玉髄、ブラッドストーン
等々の、赤色か、赤味を帯びた貴石の場合に気付かれよう。これらはあらゆる種類の出血、並び
にあらゆる炎症の最高の治療薬と考えられたが、また鎮静作用の働きがあったり、怒りや人間関
係の不和を取り除くと信じられた。これらの貴石の赤い色合いは、似たものは似たもので癒され
る ※ の 原 理 に 則 っ て 、 こ の よ う な 用 途 に 適 し て い る こ と を 示 唆 し て い る と 考 え ら れ た 。( p.370)
※ 「 同 毒 療 法 = ホ メ オ パ シ ー 」( 18, 19 世 紀 の ハ ー ネ マ ン に よ る ) の 原 理 と 云 い ま す 。 す な わ ち 「 毒 を 以 て 毒
を制す」とあり、類感的な治療方法と云えるでしょう。
「色彩のシンボリズム」という言葉が出た序でに、このルビーの「赤色」につい
て少しだけ見ておくことにします。進化論で知られる自然科学者でもある文豪ゲー
テが、ニュートンの光学理論に対抗して著した、今では色彩心理学の古典となって
い る 『 色 彩 論 』 1810 の 「 赤 色 」 観 を 挙 げ て お き ま す 。 ゲ ー テ の 目 に は 、 皮 肉 な こ
とに高感度の分光光学的観察能力が備わっているばかりか、人間の眼を通じた色彩
認 識 へ と 、さ ら に 高 次 の 精 神 的 な 意 味 を 見 出 す 試 み を 重 視 し て い ま す 。「 講 述 の 部 」
の最後で、色彩の精神的な意味が次のように考えられるのではないか、と述べてい
ます。
919 … … 相 對 立 す る 黄 と 靑 と が 下 部 に 於 い て は 綠 を 現 じ 、 上 部 に 於 い て は 赤 を 釀 し 出 す の を 見
る 場 合 、 綠 に 於 い て は エ ロ ヒ ー ム Elohim の 地 上 の 所 產 を 、 赤 に 於 い て は エ ロ ヒ ー ム の 天 上 の 所
產 を 、 想 起 せ ざ る を 得 ぬ で あ ら う 。( 改 造 社 版 ゲ ー テ 全 集
このエロヒーム
28 の 2、 村 岡 一 郎 訳 1938、 284-285 頁 )
とは、ヘブライ語で「神」を意味する言葉です。
「ゲーテの色彩環」
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 29/54 最後に透明な赤色の、重要な効能に触れておきます。ユングは、仏典の一つ『觀
無量壽經』※
6
を、インド人の瞑想力が西洋人の遙かに及ばない、きわめて優れた
ものであることを示すために取り挙げました。この、川向こうに沈みゆく透き通っ
た「赤い太陽」から始まる瞑想の終点は、七宝に満ちた浄土にある蓮華のうえに座
す阿弥陀仏=光そのものである自身の姿の発見なのでした。そして今日、彼らのこ
のような稀有な能力なくしてコンピュータ社会は築けなかった、とさえ云われてい
ます。
ルビーの赤に太陽を見、太陽から力を授かった金の発現を感じ取ったのは、世界
に意味を見ようとする優れた感性ではないでしょうか。古代中国の思想では、太陽
は『周易』に見られる陰陽二元論において陽の精であり、火精でした。生き生きと
した生命性・運動性を担う元素でした。
農耕に依存していた人々は、天体の回転が止まらないように踊りを舞ったり、冬
至には太陽が再び勢いを取り戻すようにと秘儀を執り行いました。メキシコの古代
文明アステカには、衰えた太陽を養うために、ピラミッドのうえで(天然ガラス製
の)ナイフで取り出した生贄の赤い心臓を捧げる儀式があったことが有名です。こ
れも天地照応説に基づいた事例の一つでしょう。
※ 1
『 プ リ ニ ウ ス の 博 物 誌 』( 全 3 巻 )、 中 野 定 雄 ・ 里 美 ・ 美 代 訳 、 雄 山 閣 出 版 1986。 英 訳 ( 対 訳 ) は Loeb
叢 書 ( 全 10 巻 ) ほ か 、 い く つ か の 原 典 版 、 英 語 訳 の サ イ ト が あ り ま す 。
※ 2
テ オ プ ラ ス ト ス は 、 次 の 資 料 ( 原 典 お よ び 英 訳 ) に 基 づ い て い ま す 。 Earle R. Caley, Theophrastus On
Stones, The Ohio State University, Columbus 1956.
※ 3 " De mineralibus libri quinque."
の 原 書 は 、 次 の 全 集 版 に あ り ま す 。 B. Alberti Magni, Opera Omnia, cura
ac labore Augusti Borgnet, vol. V., Parisiis 1890, p.32. 古 い 印 刷 本 に 関 し て は 、 次 の も の が サ イ ト に 見 つ か り ま
す 。1. Alberti magni philosophorum maximi de mineralibus libri quinque, Augusta Vindelicorum 1519. ( 頁 番 号 な し )
(Bayerische StaatsBibliothek) 2. De minaralibus et rebus metalicis libri quinque, Auctore Alberto Magno, Coloniae
1569, pp.125-126. ( google)
-
とてもありがたいことに新しい日本語訳があります。アルベルトゥス・マグ
ヌ ス 著 、 沓 掛 俊 夫 訳 『 鉱 物 論 』 朝 倉 書 店 ( 科 学 史 ラ イ ブ ラ リ ー ) 2004。
と て も 理 知 的 な ( 反 錬 金 術 的 な ) ア ル ベ ル ト ゥ ス の 見 解 は 次 の よ う で す 。「 す な わ ち よ り 高 き も の は 、 物
質、光、位置、運動や形態から、すべての高貴な力をより低きものへと流出する。この説は未だ自然学にお
い て は 不 完 全 で あ る が 、 占 星 術 師 た ち ( astronomicis ) や 錬 金 術 た ち ( magicis ) に は 十 分 で あ る だ ろ う 。 な
ぜなら、自然学者たちにおいては、物質中で作用している原因は、元素であるとか、それらが混じり合わさ
れ た り 物 質 を 形 作 っ た り し て 、 結 合 を 達 成 し よ う と す る 元 素 の 性 質 で あ る と か 謂 わ れ て い る か ら で あ る 。」
※ 4
① C. W. King, The Natural History, Ancient and Modern, or Precious Stones and Gems, and of The Precious
Metals, London 1865, pp. 150-151. ② 章 鴻 釗 『 石 雅 』( 1921 )。「 靺 鞨 」 と い う 黒 竜 江 周 辺 の 国 名 を 名 に 持 つ 石
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- 30/54 の 項 目 に 「 紅 寶 石 」 が あ り ま す ( pp.45-)。 ③ 鈴 木 敏 『 寶 石 誌 』( 1916、 復 刻 1974) は 近 代 的 な 鉱 物 論 で す
が、ベルヌーイ法による宝石の合成が記されている一方で、古めかしいカッシウス紫に拠る金ルビーの処方
も記載されています。たいへん理性的に、俗信や擬製のガラス玉が断罪されていますが、誕生石が紹介され
ているのは、やはり宝石の価値がその周辺にあるからでしょう。
※ 5
G. F. Kunz, The Curious Lore of Precious Stones, Philadelphia 1913.( 驚 い た こ と に 訳 書 が 出 ま し た 。 ジ ョ
ー ジ ・ フ レ デ リ ッ ク ・ ク ン ツ 著 、 鏡 リ ョ ウ ジ 監 訳 『 宝 石 と 鉱 物 の 文 化 誌 』、 原 書 房 2011。 日 本 の 水 晶 加 工 が
ペ ー ジ を 割 い て 言 及 さ れ て い ま す 。 や は り 名 著 の よ う で す が … … 。)
※ 6
① C. G.
ユ ン グ 「 東 洋 的 瞑 想 の 心 理 」、『 ユ ン グ 著 作 集 4、 人 間 心 理 と 宗 教 』 所 収 、 濱 川 祥 枝 訳 、 日 本
教 文 社 1970。 ② 坪 井 俊 映 『 浄 土 三 部 経 概 説 』、 隆 文 館 、 1957。 ③ 「 佛 説 觀 無 量 壽 佛 經 」 三 蔵 畺 良 耶 舎 訳 、『 大
正 新 脩 大 藏 經 』 12、 pp.340-346。 ④ J. Takakusu( 高 楠 順 次 郎 英 訳 )、 'The Amitāyur-dhyāna-sūtra', ed. F. Max
Müller, " The Sacred Books of the East.(『 東 方 聖 書 』) ", vol. XLIX, Oxford 1894.
この仏典には、仏陀の身体は
閻浮檀金(エンブダゴン)という最上の金であり、これが紫磨金、紫金であるとあります。ここでも、金の
本質と紫との関係が示唆されているように思えるのは、関係妄想なのでしょうか。
参考
1.
ミ ル チ ャ ・ エ リ ア ー デ 『 エ リ ア ー デ 著 作 集 第 一 巻 太 陽 と 天 空 神 ( 宗 教 学 概 論 1)』、 久 米 博 訳 、 せ り か 書
房 1986。
2. ジ ョ ゼ フ ・ キ ャ ン ベ ル 『 神 話 の イ メ ー ジ 』、 青 木 義 孝 ・ 中 名 生 登 美 子 ・ 山 下 圭 一 郎 訳 、 大 修 館 書 店 1991。
2.
ルビーと金
金がもっとも高貴な金属であり、同様にルビーがもっとも高貴な宝石であるとい
う、二つの見解の接点に金がルビーの赤色を生み出すという憶測があったに違いあ
り ま せ ん 。 近 代 化 学 の 夜 明 け の 時 代 に 生 き た リ バ ウ ィ ウ ス は 、『 ア ル ケ ミ ア ( 錬 金
術 )』 ( 1597) の な か で 、 ル ビ ー は 金 鉱 脈 の 近 く で 金 に よ っ て 変 質 し た 石 と 考 え 、 金
と 水 晶 液 と で ル ビ ー が 作 れ る と 確 信 し て い ま す 。赤 色 の 染 色 薬「 金 製 剤 」に よ っ て 、
石やガラスが人造ルビーになるという見解も、その起源が計り知れないほど古いも
のです。この「金と赤色とルビー」の関係が長年、錬金術師たちの強迫観念になっ
ていたに違いありません。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 31/54 3.
金ルビーガラス
やがて錬金術師のなかに、金によってルビー色のガラス状物質を作り出した者が
いました。しかし、その金ルビーは、粉砕されて心臓に効く薬にされています。あ
るいは、その後にやっとガラス器が作られても、そのルビー色の飲用器や薬瓶を使
用するとワインなどなどに神秘的な効力が伝染すると考えられ、薬効が期待された
ようです。ここにもまた、古代の思考原理が潜んでいることを指摘することができ
ます。
人類が金によってルビーを作り出そうと努力し、ついにそれを実現したのは驚異
の発明であったと思えます。なぜなら、当時は未だに太陽-金-心臓-赤色-ルビ
ーを結びつける考えが残っていたからです。ここにおいて空想が揺るぎない現実と
化したのです。ここで心臓とは、命であり、心であると解釈した古代を脱して、よ
うやく血液を循環させる機能を持った臓器と解釈されれるようになりました。
「金着色ガラスの色名」
資料中では金ルビーガラスの色調についてさまざまな表現が見られます。ここに今日の一般的な定義を示
し ま す が 、 通 常 は 感 性 的 な 評 価 が ほ と ん ど で あ る と 思 え ま す 。 色 の 表 現 に つ い て は CIE 表 示 系 の 主 波 長 や Lab
座標で表示できればより精確とは思いますが、旧来のマンセル記号を併記しました。
英語名
和名
バイオレット
マンセル記号
菫色・青紫
2.5P 4/11
パープル
赤紫
7.5P 5/12
カーマイン
臙脂
4.2R 4.3/10.7
赤
5R 4 ~ 5/14
青み
クリムゾン
レッド
バーミリオン
朱・辰砂
6.5R 5.5/14
黄み
ローズとは淡い赤色=ピンクの意味
なお金ルビーの変種としてトパーズがあります。日本語では黄玉と云いますが、組成を見ると淡いピンク
ないしパープルです。場合によってはコバルトだけを使用した青色のこともあります。
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- 32/54 -
第 3章
金ルビーガラスの歴史的製法
はじめに
私たちはガラス原料に何が使用されていても驚きません。人類は古代から、ガラ
スのなかにありとあらゆるものを添加してきたからです。
珊瑚、麒麟血やブラジルウッドを用いたのは、その赤い色がガラスで得られると
考えたからでしょうか。赤色を得る処方中に、それ自体が赤い原料が列挙されてい
るのは、呪術的な、赤色を引き寄せられると信じる思考があったからに違いありま
せん。こうした呪術的な原料は、ガラス熔解の実務とは別世界の、錬金術師たちの
処方に特徴的なものと云えるでしょう。
ガラスのなかに骨を入れた結果、美しい乳白ガラスが得られたのは驚きだったで
し ょ う 。近 代 以 降 は ウ ラ ン( J .リ ー デ ル に よ る )や 希 土 類 元 素 = レ ア ア ー ス( L .
モーゼルによる)までもがガラスに入れられ、きわめて美しい、神秘的な色をした
ガラス器が作られました。このようにガラス技術者は、何でもかでもガラスにして
みたがるものです。プリニウスに拠れば、水晶は古代インドでガラス原料に使用さ
れていたとあります。砂に換えて燧石「フリント」を使用すると、ガラスを緑色に
着 色 す る 不 純 物 の 鉄 分 が 大 幅 ( 1/100) に 低 減 し 、 レ イ ヴ ン ズ ク ロ フ ト が 美 し い 鉛
ク リ ス タ ル ガ ラ ス (「 フ リ ン ト ガ ラ ス 」) を 開 発 す る の に 貢 献 し ま し た 。
その反面、白くても不透明な石灰が近年までガラス製造者に忌み嫌われていたと
云 わ れ ま す 。こ の 効 能 が 正 し く 認 識 さ れ て 、積 極 的 に 使 用 さ れ る よ う に な っ た の は 、
タ ー ナ ー に 拠 れ ば 20 世 紀 以 降 で す 。( 17 世 紀 末 に ボ ヘ ミ ア の ミ ュ ー ラ ー が 石 灰 ガ
ラ ス を 開 発 し ま し た が 、 彼 の 死 後 、 こ の 技 術 が 一 時 、 途 絶 え ま し た 。)
そ も そ も ガ ラ ス 製 造 の 起 源 に あ っ た 高 温技 術 と い う も の は 、 銅 あ る い は 青 銅 (銅
と錫の合金)の 鋳 造 で あ り 、 人 類 が 最
初に手に入れたガラスは、銅に汚染された青色
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 33/54 ガラス(より正しくは、ガラス以前の石英焼結体=ファイアンスと云うべきでしょ
う)であったと考えられます。また、強力な着色剤の酸化コバルトも古代エジプト
ですでに利用されていました。この原初の青色ないし紺色のガラスが、天空との照
応で珍重された貴石ラピスラズリやトルコ石と同一視され、ガラスは第一に護符と
して発展しました。
1.
赤色ガラス
ところが、ガラスを太陽の色、赤色に着色することは、技術的にたいへん難易度
が高いのです。今日、青色はコバルトや銅で、緑色は鉄、クロムやバナジウム、あ
るいはプラセオジムで、ガラスを容易に着色できます。すなわち、ガラス中に融け
込んで電気的性質を持つイオンとなり、電磁波である光の特定波長を吸収するから
です。
しかし、銅でもセレンでも金でも赤色はイオンによるものではなく、容易には出
せ ま せ ん 。こ こ で 簡 単 に ガ ラ ス の 赤 色 着 色 技 術 に つ い て 一 瞥 し て お く こ と に し ま す 。
た だ し 、 希 土 類 元 素 ( レ ア ア ー ス ) の エ ル ビ ウ ム Er や ユ ー ロ ピ ウ ム Eu に つ い て は
発色が淡いために触れないことにしておきます。
①
銅赤ガラス
人類が初めて赤色ガラスを得た、この銅赤ガラスの製造技術がたいへん難しいの
です。単にガラスのなかに銅化合物を入れれば青~緑色になるだけです。さらに還
元 熔 解 を 行 っ て も せ い ぜ い 暗 い 赤 茶 色 に な っ て 、あ ま り 美 し い も の で は あ り ま せ ん 。
金属銅支配と云われる美しい鮮赤色にしようとすれば、酸化鉛を添加したり、還元
熔解を素地全体に均一に行う必要があり、なおさら困難になります。金ルビーが発
明されるまでは、この銅赤ガラスの処方が頻繁に紹介されましたが、それというの
もなかなか成功に覚束なかったからでしょう。
古代ガラス研究の権威者であったキザは、銅赤ガラス技術の難しさを知っていた
ために、古代の赤色ガラスは製造の容易な金赤ガラスであったと証拠もなく断言し
まし た。すで に古 代メ ソポ タミ アに は酸 化 銅を ガラ スに 入れ 、還 元条 件で 発色 させ
た (第一酸化銅を分散させた)赤 茶 色 の ガ ラ ス が あ っ て 、 粘 土 板 の う え を 転 が す ロ ー ラ ー
式の円筒印章や珠などが作られていました。また、プリニウスはカーバンクルの項
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 34/54 目 で 、「 ガ ラ ス に よ っ て き わ め て 正 確 に 模 造 さ れ る 」 ( 37,26[ 98] ) と 述 べ て お り 、
これこそ銅赤ガラスであったでしょう。
この銅赤ガラスの発色が酸化第 1 銅、あるいは金属銅のいずれによるものか、
前世紀中頃から検討が行われてきましたが、ごく近年のスウェーデンのブリングの
報告 書※では ルビ ーと 云え る赤 色ガ ラス で は、 金ル ビー 同様 に金 属状 態の 銅に よる
ものと結論されています。今頃なぜ銅ルビーなのか、それは次に述べる、広く普及
していたセレン赤が環境問題で製造困難になったからに他なりません。同時に、ブ
リングはモリブデンとセレンとでルビーガラスが生成することを見出しました。
※ Torun Bring, Red Glass Coloration: a Colorimetric and Structural Study, KTH, Stockholm 2006 ( ウ ェ ッ ブ サ イ
ト )。 単 行 本 が あ る が 未 見 。 環 境 に 配 慮 し た 、 カ ド ミ ウ ム を 使 用 し な い 赤 色 ガ ラ ス の 開 発 が テ ー マ で 、 赤 色 ガ
ラス技術が総括されています。金ルビーの可能性も否定されていません。
②
セレン赤ガラス
セ レ ン 元 素 が 、ス ウ ェ ー デ ン の 化 学 者 ベ ル セ リ ウ ス に よ っ て 発 見 さ れ た の は 1817
年とあります。しかし、セレン単独でガラスに淡いピンク色を出せることが分かっ
てからも、この技術は長く無視され続けました。ワイルに拠れば、変色脱色のため
に 実 用 性 が な い と 判 断 さ れ た か ら で す 。 (例 え ば 、 微 量 の セ レ ン と コ バ ル ト に よ り 赤 紫 色 を 出 し
て消色した真っ白のガラス製品は、徐冷処理が長引くと発色が進行してピンク色になります。)
こ の セ レ ン に よ っ て ガ ラ ス に 濃 い 赤 や 橙 色 を 出 す 方 法 は 、 1891 年 に ボ ヘ ミ ア の
ヴェルツが発明したとありますので、ガラスの歴史上ではきわめて新しい技術と云
えます。これは硫化カドミウム、硫黄、カーボンを併用して(硫セレン化カドミウ
ムにより)発色させるもので、融かせば発色するイオン着色のようには行かず、や
はり変色が付纏う厄介なもので、セレン赤のガラス製品の一部分が橙色になったり
し ま す 。ま た 、光 学 フ ィ ル タ ー の よ う な 鋭 い カ ッ ト オ フ 特 性 を 得 る に は 、直 発 色 ( 自
己発色)さ
せず、厳密に温度制御して再加熱発色(ストライキング)させる必要が
あります。
③
アンチモン・ルビー
ア ン チ モ ン は 、 美 し い 鉱 物 と し て 知 ら れ る 輝 安 鉱 Sb2S3 と し て 産 出 し ま す 。 金 属
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 35/54 アンチモンは低融点であり、古代から合金に利用されてきました。アンチモン・ル
ビーは硫化アンチモンをガラス中に形成させるものらしく、やはりセレン赤同様に
硫黄とカーボンを併用し、ストライキング発色させるそうです。ワイルに詳しい記
述がありますが、どれ程実用化されているのかほとんど情報もなく、個人的にもま
ったく未経験です。欠陥が生じやすく、とても実用化の困難な技術であることが推
測 さ れ ま す 。( 組 成 例 に つ い て 、 ウ ィ リ ア ム ズ の 説 明 中 に 示 し て あ り ま す 。)
ところが一方、錬金術書や近代の処方に原料として「アンチモン・ガラス」が記
さ れ て い る こ と が あ り ま す 。 こ の 場 合 に は 、 硫 化 ア ン チ モ ン Sb2S3 と 酸 化 ア ン チ モ
ン Sb2O3 の 混 合 物 で あ る 、 赤 色 の 非 晶 質 を 指 し て い ま す 。
序でに云えば、酸化鉄(弁柄)で赤色を出すという記述が少なくありません。ベ
ックマンの編註には鉄と錫で融けたガラスに不透明なスカーレットが生じるとあり
ます。むしろ、熔解してガラス化するのではなく、鉄赤上絵具(釉薬)に近似した
ものを意味している場合が多いようです。ワイルの『着色ガラス』では、6 価の鉄
がソーダガラスに赤色を齎すものの、実用性がないと考えられています。
④
金ルビーガラス
この技術的な概説はあと廻しにして、ここではいくつかの史実に触れておきたい
と思います。中空金ルビーガラス製法は、ドイツ人ガラス技術者ヨハン・クンケル
に よ っ て 1679 ~ 1684 年 頃 に 実 用 化 さ れ た と 考 え ら れ て い ま す 。 し か し 、 金 細 工
師の金ルビーエナメルや模造宝石についてはより古くから具体的な記述が数多あっ
て、一体どれ程遡ることができるのか知れません。
今日でも、古代ローマでは金ルビーを自在に製造していた、といった記事や報文
があって、慌てて原文を入手することがあります。ところが、それらは古いキザの
憶測や、ある特殊な事例の拡大解釈でしかありませんでした。
しかしながら、ルビーガラスではないものの、古代ガラスの成分として金が分析
によって検出されている二つの例に触れておくべきでしょう。その第一は、古代ロ
ーマの末期に作られた、その巧妙なレリーフ加工と不思議な二色性(反射光で豌豆
色、透過光で赤色を示す)によって、ガラス工芸史上の最高傑作と賞讃されるリュ
クルゴス・カップです。いつ頃からかロスチャイルド家の所蔵品となっていました
が、やがて大英博物館に移りました。それは、当代を代表するガラス学者ターナー
でさえガラスとは考えられないほど珍しいものでした。
のちに、幾度かこのガラス組成(他にも類似の出土品の数点)が分析されていま
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 36/54 す※
1
が、銅、銀とともに金が検出されています。これがどれ程確信的に入れられ
た も の か 分 か り ま せ ん が 、そ の 異 様 な 発 色 に お そ ら く 寄 与 し て い る と 考 え ら れ ま す 。
この歯切れの悪い云い方は、リュクルゴス・カップのように金以外に金属を数種大
量に含有するガラスは、金を核のようにして量的に遙かに多い銀や銅が析出、凝集
すると考えられ、金の含有量が少ないと粒子は巨大化するために光を散乱して乳濁
化し、このため特異な光学特性を示し、これを単に金ルビーの色と云うには難があ
ると思えるからです。リュクルゴスカップに関しては多くの資料がありますので、
これ以上ここで中途半端に語るべきではないでしょう。
二 番 目 に は 、 前 述 の と お り 、 ロ ー マ 時 代 末 期 か ら 12 世 紀 に 到 る 肌 色 の モ ザ イ ク
ガラス(テッセラ)が分析調査され、金がその発色に寄与していることが発見され
ました※
2。 空 想 的 な 錬 金 術 と は 異 な り ガ ラ ス 製 造 分 野 で は 、 古 代 ロ ー マ の き わ め
て高度な技術が一部で連綿と受け継がれてきたことが示されています。この分析結
果で興味深いのは、やはり銀あるいは銅が共存することで、ピンクではなく肌色の
色調が得られたばかりか、発色が促進しただろうと考えられます。とりわけ乳白ガ
ラスであったことが、金ルビー発色の技術的な敷居を低くしたに違いありません。
※ 1
Robert H. Brill, Chemical Analyses of Early Glasses, 2 vols., CMG, 1999. ( こ れ は 古 代 ガ ラ ス の 分 析 結 果 の 集
成となっています。)
※ 2
Marco Verità and Paola Santopadre, Analysis of Gold-Colored Ruby Glass Tesserae in Roman Church Mosaics
of the Fourth to 12th Centuries, JGS Vol.52( 2010), pp.11-24.
⑤
疑似金ルビー処方
ク ン ケ ル 以 前 の 16 世 紀 ま で の 金 を 使 用 し た 「 秘 密 の 」 処 方 と 、 ク ン ケ ル 以 降 の
金を原料に挙げているルビーガラスの処方には、ある重大な違いが見つかります。
すなわち、金ルビーの製造に成功した人々の使用しない成分が、古い処方には大量
に記載されていることがあるのです。それは、金ルビーの発色を阻害するのではな
いかと考えられる銅です。
ガラスに何でも入れてみたがるガラス屋が、金ルビーの製造に成功してから数百
年間、金ルビーに銀を入れてオレンジ色を出しても、意図的に銅を添加した例がな
かなか見当たりません。
銅を併用する処方は、むしろ銅赤あるいはエナメルを目論んだもので、金は補足
的な成分にすぎないと解釈する方がずっと自然でしょう。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 37/54 2.
金ルビー技術
こ こ で 先 ず 、 19 世 紀 の 前 半 に ド イ ツ で 出 版 さ れ た 大 百 科 事 典 『 ク リ ュ ニ ッ ツ 大
百 科 事 典 』( 全 242 巻 ) を 繙 い て 見 る こ と に し ま す 。 ヨ ー ロ ッ パ で も 所 蔵 す る 図 書
館が少ないと云われる稀覯書ですが、今ではクリュニッツ・サイトで誰でもアクセ
ス で き ま す ( 2009 年 現 在 )。 こ こ に は 金 ル ビ ー 発 色 の さ ま ざ ま な 処 理 が 、 簡 潔 に 、
網 羅 的 に 列 挙 さ れ て い ま す 。( こ れ は 史 料 集 に あ る デ ラ ヴ ァ ル を 引 い た も の で し ょ
う 。)
1.
金細工師が研磨する際よく行うように、金を軽石で擦って得られた粉末を、硝石、硼砂それ
に灰と混ぜて、美しい赤色のガラスができる。
2.
金小量を王水に溶かし、ガラス板のうえで弱火で乾燥させると、もっとも薄く載せた部分の
ガラスが、その表面に金の微粒子が浸透して赤く着色する。
3. 金 を 王 水 に 溶 か し 、 ガ ラ ス と 混 ぜ 、 そ れ か ら 窯 の な か で 煆 焼 す る と 人 造 ル ビ ー が で き る 。
4.
クンケルは、金を溶液からアルカリ液で沈殿させることによって、まさしくこの目的のため
の粉末を調製した。
5.
錫によって王水から沈殿し、適切な割合のガラスと一緒に熔解した金は、ガラスを美しいル
ビー色に着色する。
6. も し も 金 を 大 量 の 錫 お よ び そ の 2/3 の 鉛 と 熔 解 す る か 、 も し も ア ン チ モ ン ・ レ グ ル ス あ る い は
錫とともに煆焼によって混合したもの、およびこれらの方法で得られた金粉末を、ガラスに入れ
てもこの色が作れる。
7.
金を水銀とともにアマルガム化し、長時間加熱して水銀を追い出すと細かい粉末ができる。
この粉末を融かしてガラスにすると、同じような美しい赤色に着色する。
8. 金 箔 は 電 気 的 な 力 に よ っ て ガ ラ ス の 表 面 中 に 熔 融 さ れ て 、 同 様 な 赤 い 色 を 賦 与 す る 。
これは最初、フランクリン博士によって述べられたもので、それ以降頻繁に繰り返されている。
第 II 部 の 史 料 集 で は 、 こ の 元 に な っ た 史 料 を 紹 介 す る こ と に な り ま す の で 、 こ
こでは説明することはしません。先ずは、じつにさまざまな方法でガラス中に金を
導入することが試みられてきたという、その多様さだけに注目しておく必要がある
のです。したがって金ルビーは、決してガラス屋の狭い世界に留まるものではなか
ったのです。
次いで、金ルビー製造の工程について、概観しておく必要があるでしょう。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 38/54 ①
金
金について記すべき第一のことは、量の多寡を問題にしなければ、ありふれた元
素であるということです。
火山国の日本では石英の鉱脈に金銀が含有されており、かつて到るところに金山
が あ っ て 採 掘 さ れ て き ま し た 。 そ し て 現 在 、 菱 刈 金 山 (鹿児島県伊佐市)に は 佐 渡 金 山
を遙かに凌ぐ産出量があり、その金鉱石は世界最高水準の品位を誇っています。一
方 、 ガ ラ ス 技 術 か ら す れ ば 、 原 料 (石英)に 金 が 不 純 物 と し て 含 有 さ れ て い る と 、
ガ ラ ス 中 に 金 粒 子 が 生 じ て 問 題 を 生 じ る こ と さ え あ り ま す 。( 光 フ ァ イ バ ー ・ ガ ラ ス 中 に
金粒子があると大きな延性のために途切れずに長く引き延ばされて線になり、大きなロスになると聞いたこ
と が あ り ま す 。)
金は花崗岩や石英に伴って産出するばかりか、雄黄(硫化砒素)とともに産出す
ることがあります。プリニウスは、金に飢えたガイウス帝が雄黄を精錬させて金を
採 取 し た 、 と い う 記 述 ( 33,22[ 77] ) を 残 し て い ま す が 、 甚 だ 含 有 量 が 少 な か っ た
よ う で す 。( 砒 毒 に よ っ て 多 く の 犠 牲 者 が 出 た に 違 い あ り ま せ ん 。) し か し な が ら 、
金含有量が高い雄黄というものもあって、処方中に雄黄が記載されていれば金の原
料 と し て 使 用 さ れ て い る の で は な い か 、 と 疑 う 必 要 が あ り ま す 。 17 世 紀 以 前 の 著
者は金の原料としてでしょうが、まさしく雄黄や金マーカサイト(含金黄鉄鉱)を
処 方 に 挙 げ て い ま す 。( 雄 黄 は 英 語 で orpiment 、 語 源 は ラ テ ン 語 の auripigmentum
で す か ら 「 金 の 顔 料 」 の 意 味 で す 。)
史 料 か ら は 、 金 細 工 師 が 身 近 な 金 の 鑢 (ヤスリ)屑 や 金 箔 を ル ビ ー 用 の 原 料 と し て
利用したことが知れます。金箔とは、通常銀や銅を含む合金です。純金に拘った記
述もありますが、一般にヨーロッパのガラス工場では、クンケル以降、金貨(ドイ
ツ で は 純 度 900/1000 で 重 量 約 3.5gr の ド ゥ カ ー ト 貨 ) が 使 用 さ れ て い た こ と が 分
かります。
も ち ろ ん 、こ れ に は 金 貨 の 金 含 有 量 が 決 し て 一 定 で は な い と い う 問 題 が あ り ま す 。
比 較 的 新 し い ガ ラ ス 技 術 書 の 金 ル ビ ー の 箇 所 に 、 オ ー ス ト リ ア の 金 貨 は 金 98.6 %
で あ る が 、 フ ラ ン ス や ド イ ツ の も の は 90% で あ る 、 と 書 か れ て い ま す 。 現 代 で は
コレクター向けに純金の記念メダルが作られていますが、概して金貨の地金には銀
や 銅 が 配 合 さ れ て お り 、 一 般 に こ れ が 10 % を 占 め て い ま し た 。 ま た 、 金 貨 の 鋳 造
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- 39/54 所が違えば赤色の発色が異なるかどうか、といった記述が史料にあります。なかに
は金貨から金のみを抽出して使用する処方もあります。もちろん、金の含有量が
10%も 違 え ば 発 色 に 大 き な 影 響 が あ り ま す 。
ここで銀についてひとこと言及しておくと、通常、銀は銅を加えた合金であり、
近代まで銀でガラスを青色に着色させるという無駄な記述が多くあります。
もちろん現在では、プレミアの付いた金貨を使用している工場はないでしょう。
日 本 で は 、『 貨 幣 損 傷 等 取 締 法 』 の 第 一 項 に 「 貨 幣 は 、 こ れ を 損 傷 し 又 は 鋳 つ ぶ し
て は な ら な い 」 と 定 め ら れ て お り 、 罰 則 が あ り ま す 。( 古 都 鎌 倉 散 策 や 歌 舞 伎 (『 青 砥 稿 花 紅
彩 画 』) 鑑 賞 が 趣 味 で あ れ ば 、 天 下 の 公 銭 を 重 ん じ た 青 砥 藤 綱 の 故 事 が 思 い 起 こ さ れ る で し ょ う 。)
次に、史料に関係の深い貴金属類の特性を記しておきます。金属の純度が理想的
な状態であることはありえないので、密度や融点には、資料によって差違がありま
す。高度に精錬をしていても、産地によって特性が異なると教わったことがありま
す 。 今 日 で は 原 料 と し て 、 銀 の 含 有 量 を 無 視 で き る 純 金 24K の シ ー ト が 一 般 的 で
しょう。
貴金属類の物性値
金 属 名
金
銀
銅
白金
原子番号
79
47
29
78
原 子 量
197.0
107.9
密 度 g/cm3
19.32
10.50
63.5
8.92 ~
195.1
21.37
8.96
融 点 ℃
1,064.18
961.78
1,084.4
1,768
金、銀、白金は、田中貴金属グループ・サイトによる。
②
王水溶液
ここで先ず最初に、古代には無機酸やアルカリをどのようにして得ることができ
たのか、その可能性を検討しておく必要があるでしょう。
曽 根 興 三 著 『 錬 金 術 の 復 活 』 裳 華 房 ( 1992) は 、 一 見 く だ け た 愉 し い 錬 金 術 考
の読み物であるものの、一流の化学者の手になるものであって幅広い視野と奥深い
考察があります。古代中国の錬金術は真の化学で実証可能であったのに、その後不
老不死の霊薬に傾倒して崩壊したものの、一方西洋の錬金術は空想にすぎなかった
と主張されています。そのなかに、基本的な無機酸やアルカリの製法が記されてい
ます。それを元に、簡単に纏めて紹介しておきます。
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- 40/54 緑 礬 FeSO4·7H2O を 乾 留 し て 硫 酸 H2SO4 を 得 る 。
塩 NaCl と 硫 酸 H2SO4 と か ら 塩 酸 HCl を 得 る 。
硝 石 KNO3 と 硫 酸 H2SO4 と か ら 硝 酸 HNO3 を 得 る 。
石 灰 CaCO3 を 焼 い て 生 石 灰 CaO を 得 る 。
生 石 灰 CaO を 水 和 さ せ て 消 石 灰 Ca( OH ) 2 を 得 る 。
ソ ー ダ 灰 Na2CO3 と 消 石 灰 Ca ( OH) 2 と か ら 苛 性 ソ ー ダ NaOH を 得 る 。
塩 化 ア ン モ ニ ウ ム NH4Cl と 消 石 灰 Ca( OH ) 2 と か ら ア ン モ ニ ア NH3 を 得 る 。
小さな窯や蒸留装置があれば、比較的ありふれた原料から容易に酸やアルカリが
作り出せたことが分かります。
金 を 溶 か す 王 水 は イ ス ラ ム 化 学 者 、ジ ャ ー ビ ル ・ イ ブ ン = ハ イ ヤ ー ン( ゲ ー ベ ル )
が発明したと云われます。万能の溶剤のように思われがちですが、銀は表面が黒化
するだけであると史料にあり、また王水で銀と金とを分離している例があります。
この王水の調合方法の多様さに、目を疑わずにはいられません。史料によれば、
金の溶解に用いられた原料は、時代を遡るにつれて種類が増すようです。塩、硫酸
塩類、硝石、塩化アンモニウム、硫酸、塩酸、硝酸などが巧妙に配合されていて、
そ の ど れ も が 「 王 水 aqua regia 」 と 呼 ば れ て い ま す 。
やっと王水が硝酸と塩酸とだけで単純に作られるようになっても、その割合はま
ちまちで、今日のような 1 硝 3 塩にはなかなか収斂してゆきません。さまざまな
配合で金が溶けたのですから、その割合が金の溶解にまったく必須でないことが知
れ ま す 。( 塩 酸 が 金 と 反 応 し て 塩 化 金 酸 を 作 る の で あ り 、硝 酸 は そ れ を 促 進 さ せ る 成 分 で す 。)な か に は 、
塩酸に金を入れておいてから硝酸を滴らすという方法もあります。また、塩素酸と
塩 酸 を 混 合 す る と 王 水 同 様 金 を 溶 解 す る と あ り 、 17 世 紀 の ド イ ツ 化 学 工 業 の 祖 と
されるグラウバーが、これを「強い塩酸」と呼んで使用した、と云われます。
今日では、金を溶かす薬品がいくつも知られていて、その一つにハロゲンのヨウ
素( ヨ ー ド )が あ り 、ヨ ー ド チ ン キ で 金 が 溶 け る そ う で す 。ま た 植 物 の 葉 の 成 分( 葉
酸)も 効 果 が
あり、したがって太古の昔、酸について知識がなくても、上手く植物
を利用して、それこそ時間を掛けて金を溶かしていたのではないか、という憶測も
可能なのです。
金ルビーの処方例を挙げてみますと、金貨を叩き延ばしてできるだけ薄くしてか
ら、鋏で細く糸のように切り、ガラス容器中の王水に投入しています。このガラス
器は砂浴などで加温して溶解を促進させるのが常です。ただ溶かすだけでなく、場
合によっては酸気を嫌って完全に水分を蒸発させます。この間、腐食性の有害ガス
が発生しますが、大抵無頓着なようです。
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- 41/54 た ま に 、王 水 に 溶 け な い 不 純 物( 銀 と 思 え ま す )が 沈 殿 に な っ て 残 る こ と が あ り 、
これを濾過するという記述もあります。こうして塩化金酸の水溶液、あるいは結晶
が得られます。今日、塩化金酸(4 水和物)には市販品(劇物)がありますが、金
の 数 倍 高 価 に つ き 、密 封 さ れ た ガ ラ ス ア ン プ ル 内 で 潮 解 ( ? )し た こ と が あ り ま す 。
その後、さまざまな方法でバッチが調製されます。クンケル以降、粉末原料(珪
砂あるいはバッチ)に金溶液と錫溶液を投入して混合し、これを煮詰めるという面
倒な方法がありました。これは金溶液と他の原料とが均一に混ざりにくいためと思
えますが、ボヘミアの優れたガラス技術者ポールは論文中で混合の秘訣を紹介して
います。ときには、金溶液を混ぜた原料を融かしやすい調合で一旦ガラス化してか
ら 、別 に 調 製 し た ガ ラ ス 、と く に 鉛 ガ ラ ス や ク リ ス タ ル ガ ラ ス に 混 合 さ れ て い ま す 。
最後に、金の使用量について多くの処方に記載がありますが、一般的な話をして
おく必要があるでしょう。高価な金を必要最小限に抑えようというのは当然で、こ
れを低減する特許がいくつか見つかります。しかし、史料にもありますが、多めで
ある方が色調や発色の安定性が優れています。色被せ用では、ガラスに対して金
0.02 ~ 0.06wt % ( 200 ~ 600ppm ) の 範 囲 内 で 選 択 さ れ て い る よ う で す 。 多 す ぎ
れ ば ( 工 芸 用 の ガ ラ ス 組 成 で は 0.1%超 ) ガ ラ ス の 熔 解 時 に 金 が 粒 状 に な っ て 坩 堝
の底に沈殿し、坩堝回収作業者の望むところだそうです。
③
カッシウスのパープル(カッシウス紫)
金 ル ビ ー の 歴 史 を 概 観 し て 、 も っ と も 奇 妙 な も の は 17 世 紀 の 「 カ ッ シ ウ ス の パ
ープル沈殿」でしょう。
この調製には、薄い金溶液に錫片を少しずつ少しずつ加えるとか、たっぷりの清
水に金溶液を数滴垂らし、さらに錫溶液を数滴垂らして掻き混ぜる、といったさま
ざまな手法があります。必要な量を調製するには、数週間心血を注がなければなら
ない、という面倒な工程です。美しい赤紫色の沈殿ができたなら、デカンテーショ
ン(傾瀉)して上澄み液を捨て、さらに沈殿をよく洗浄します。これは酸化錫の周
りに金が凝集したもので、いくつもの論文にさまざまなカッシウス紫の分析結果が
纏められています。
クンケルがこのカッシウス紫を使用したという憶測から、以降金ルビーと切り離
せない重要な原料となりました。その一方で、カッシウスが金の錫による沈殿でル
ビーガラスを作ったという情報がクンケルの発明の原点になっていて、錫を併用す
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- 42/54 ることが必須であると考えたに違いありません。この錫の効能については、後に金
ルビーの成分の箇所で触れることにします。
実際に、この手間の掛かる金沈殿の調製作業は、金の融点を遙かに超える高温で
熔融するガラス素地の場合にはまったく無用です。ボヘミアのガラス工場では、お
そ ら く 18 世 紀 初 頭 か ら ク ン ケ ル 由 来 と 考 え ら れ る 処 方 に 倣 っ て 、 金 お よ び 錫 の 王
水 溶 液 を そ の ま ま 使 用 し て い ま し た 。 や が て 1830 年 頃 に 、 そ の 工 場 を 訪 れ た ド イ
ツ人技師フース博士が、カッシウス紫を使用していないと知ってたいへん驚いたこ
とがその文章から窺えます。賢明にもフース博士は、懸賞問題の課題にその製法が
含まれていたにも拘わらず、きわめて高価につく金沈殿をあっさりと切り捨ててし
まいました。しかしながら、低融点ガラス粉末と着色剤を混練して塗布し、低温で
焼き付けるエナメルの場合にはまったく事情が異なり、発色がカッシウス紫次第の
よ う で す 。 釉 薬 の 例 で は 、 ジ ョ サ イ ア ・ ウ ェ ッ ジ ウ ッ ド が 、「 良 質 」 の カ ッ シ ウ ス
紫を入手するように要請する手紙を友人宛に書いています。今でも磁器の絵付けに
カッシウス紫が使用されており、自動製造装置が使用されている、とメーカーのサ
イトにあります。
すでに書物でも、ルビーガラスのためにはカッシウス紫が不要であると強調され
ましたが、なおも多くのガラス技術者は、手間の掛かるカッシウスのパープルに拘
り 続 け ま し た 。江 戸 時 代 末 の 蘭 学 化 学 書 、宇 田 川 榕 菴 の『 舎 密 開 宗 』1837-47 で も 、
金 ル ビ ー 製 法 の な か に こ の 「 葛 修 氏 紫 金 」 が 記 さ れ て い ま す 。 さ ら に 20 世 紀 に な
っても未だに、金ルビーの原料にカッシウス紫が挙げられているのです。カッシウ
スのパープルを使用することが金科玉条とされ、カッシウス博士の名は科学史上栄
光 に 満 ち た も の に な っ て し ま い ま し た 。( 一 般 に 同 名 の 父 が 発 明 者 と さ れ て い ま す が 、 先 人 と し
てグラウバーや、親交のあったオルシャル等もそれを発見していたからです。メリフィールドは、さらに古
いボローニャ写本『色彩の秘密』中にその祖型を見出しています。あるいはイスラム化学に遡るとも考えら
れ て い ま す 。)
人々が金のパープル沈殿に夢中になった理由と思えるのは、ドレマスが書いたと
おり、そのパープル沈殿の神秘的な美しさにあるに違いありません。さらに、その
色は調製条件が僅かに違うだけで大きく変化し、赤、パープル、菫色、黒、緑など
の多彩な液体が得られるという不思議なものです。
第二の理由は、そこにあるでしょう。沈殿調製技巧の向上に技術者が熱中したに
違いありません。金ルビーガラスの製法を論じながら、実際にはカッシウスのパー
プル調製技法に終始している論文さえあります。マックス・ミュラー※
1
は 1884
年、依然調製が困難で正体の明確でないカッシウス紫について論文を発表し、さま
ざまな金沈殿に関する議論を総括しています。
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- 43/54 ※ 1
Max Müller, Ueber den Goldpurpur, Journal für praktische Chemie, Band 30, 1884, pp.252-279.
④
金灰と金アマルガム
金の化合物は、当然、金のイオン化傾向からして不安定で、酸化金でさえ低温で
金 属 金 に 還 元 さ れ る こ と が 知 ら れ て い ま す ( Au2O3 は 160 ℃ で 分 解 す る と あ り ま
す )。 ネ リ は 、 王 水 で 調 製 し た 塩 化 金 酸 を 焼 い て 金 灰 を 作 り 、 ガ ラ ス に 透 明 な 赤 色
を出すために使用する処方を記述しました。金灰とは酸化金であるという記述が多
くありますが、加熱により塩化金酸が分解して一旦、酸化金が生成したところで、
すぐに還元されるために金属金の微粉末が得られるにすぎないでしょう。イタリア
では、当初、この金灰が利用されていました。また、カッシウスの沈殿を金灰と呼
んでいる例もありますが、これには酸化錫が含まれています。
あるいは、金に水銀を擦りつけてアマルガム(水銀との合金)にし、それを焼い
て水銀を蒸発させ、金の微粒子を得るという、健康上恐るべき手順が処方書に書か
れ て い ま す ( 前 出 ク リ ュ ニ ッ ツ 7. )。 一 時 は 、 金 ア マ ル ガ ム が ル ビ ー 用 の 金 原 料 の
一つでした。
金を水銀中に溶かし込むこのアマルガム法は、古代に鍍金手法として広く利用さ
れていた技術です。日本でも東大寺の盧舎那仏(奈良の大仏)が、光の神性を顕す
ためにこの方法で金鍍金されたと云われます。焼いただけでは光沢がないので、さ
らに堅い材料で擦って光らせたそうです。健康被害を引き起こさなかったはずがな
い と 考 え ら れ ま す が 、金 鍍 金 の 湿 式 法( 電 解 鍍 金 )で も ま た シ ア ン 化 合 物( 青 化 金 )
を使用しますので、これも安全とは云えません。
⑤
雷金
金の沈殿を得ようとして、錬金術師は危険に遭遇しました。かつて王水の調合に
は塩化アンモニウムが常用されていました。金溶液がアンモニウムと反応し、沈殿
を 乾 燥 さ せ る と 、 図 ら ず も 金 の 爆 薬 、 雷 金 aurum
fulminans が 生 成 す る こ と が あ り
ました。この雷金については、今日でもどのような化合物であるのか議論がありま
す。オルシャルは、それがとてつもない轟音を立てて爆発した事件を報告していま
すが、その事件後は理由も分からずに、たいへん慎重な姿勢に変化しています。ア
ン モ ニ ア 塩 を 利 用 し た 金 沈 殿 の 調 製 作 業 は 危 険 な も の で あ っ た で し ょ う (ただし、高
価なので大量に作れる人はいないと思え、大事故については知れませんが、フラスコが爆発して青年が失明
し た 、 と い う 記 述 が 見 つ か り ま す )。 し か し な が ら 、 こ の 雷 金 を 金 ル ビ ー 原 料 に 挙 げ 、 油 と
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- 44/54 ともに粉砕するように指示している処方も見つかります。
⑥
ガラス成分と熔解
金ルビーガラス製造のために、鉄分の少ない高価なシリカ原料を使用する利点は
あ り ま せ ん ( む し ろ 酸 化 鉄 を 添 加 す る 処 方 が 数 多 く 見 ら れ ま す )。 し か し 、 人 造 宝 石 や ク リ ス タ
ルガラスの色被せに使用するうえで、高品質の原料を共用することが望ましいと考
え ら れ て い る よ う で す 。( 金 ル ビ ー を 生 産 し て い る 工 場 で は 、 こ の 無 発 色 カ レ ッ ト が 白 素 地 に 混 入 す
る ら し く 、 ク リ ス タ ル ガ ラ ス 製 品 に か な り の 金 が 含 ま れ て い る こ と が あ り ま す 。)
融剤のアルカリに関しては、ナトリウムよりも発色の優れたカリウムが好まれま
すが、カリ原料の乏しい水都ヴェネツィアでは、早くからワインの澱の酒石(酒石
酸水素カリウムを含む)が原料として、とりわけ焼いてから使用されていました。
古い金ルビーの処方では、これを潮解させて使用するという記述があります。もち
ろん、時代が下ると炭酸カリウムが取って代わります。また、古くは硝酸カリウム
も主要なカリ原料として使用されていて、今日、酸化剤として常用される以上にき
わめて多く添加されています。
基本組成に、融剤として優れた酸化鉛を原料として含有する鉛カリガラスを用い
ると、金以外の着色剤の場合と同様に発色がより濃く鮮やかになり、すなわち僅か
に 菫 色 を 帯 び た 、 た い へ ん 美 し い 赤 色 に な り ま す 。( 普 通 の ソ ー ダ ラ イ ム ガ ラ ス で は 茶 色 味
を 帯 び た 赤 色 し か 得 ら れ ま せ ん )。 鉛 ガ ラ ス の 存 在 理 由 が 、 第 一 に 、 模 造 宝 石 と し て の 発 色
の美しさにあるというのは古代から知られていたことで、もちろんネリも『ガラス
技 術 』 第 61 章 の な か で 強 調 し て い ま す 。 と り わ け 鉛 ガ ラ ス は 、「 長 い ( = 成 形 時
に 、 固 く な り に く く 細 工 し や す い )」、「 柔 ら か い ( 冷 間 で 研 磨 加 工 し や す い )」、「 屈
折 率 ( や 分 散 ) が 高 い 」、「 着 色 剤 の 発 色 が よ い 」 ガ ラ ス が 得 ら れ る の で 、 工 芸 用
途にとても都合がよいと考えられてきました。因みに鉛の代わりにビスマスを使用
すると、金ルビーを含め、ほとんどの着色剤の発色は、濁った汚い色へと変化し、
バリウムを使用すると深みに欠ける色になります。
17 世 紀 に は 、 硼 砂 が ガ ラ ス の 原 料 と し て 利 用 さ れ 始 め 、 タ ー ナ ー は ク ン ケ ル が
初めて人造宝石に用いたとしています。確かに、メッツガーが公開したマニュアル
に拠れば、クンケルのフリットには硼砂がかなり多く使用されています。しかしな
がら、おそらくそれよりやや早く、イギリスで鉛クリスタルガラスを発明したとさ
れ る レ イ ヴ ン ズ ク ロ フ ト ( 1632-83) が 、 当 時 イ ギ リ ス で 独 占 使 用 さ れ て い た ソ ー
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- 45/54 ダライムガラス組成を避けるために手本にしたルドウェル博士の組成※
1
も、硼砂
を使用したものであったことを付記しておく必要があるでしょう。また、オルシャ
ル ( 1684 年 ) も ル ビ ー 素 地 に 硼 砂 を 使 用 し て い ま し た 。 酸 化 硼 素 が ま た 錫 の よ う
に珪酸塩ガラスの金の溶解度を高めるという記述が見つかりますが、真偽のほどは
知れません。
カッシウス紫には酸化錫が含まれることから、古くは酸化錫が必須成分のように
考えられていたようです。この酸化錫の効能は、金ルビーの発色に関して二面的で
あ る と 云 え ま す 。 20 世 紀 に な っ て ア メ リ カ の ベ ラ ミ ー ※
2
は 酸 化 錫 SnO2 を 、 一 例
と し て 5.7wt % も 含 む ル ビ ー ガ ラ ス を 融 か し 、 そ の 発 色 促 進 効 果 の 点 で 特 許 を 出 願
しています。しかし、そののちウィリアムズ等※
3
は、それに反して酸化錫は小量
で効果があり、多いと発色を遅らせることを見出しています。ワイルは酸化錫がガ
ラスの金溶解度を高めることを指摘していますので、同じく金の溶解度を高める効
果の著しい鉛を入れないガラスでは重要成分ともなります。そして、比較的低温で
の発色処理では、錫の過剰なガラスは金の溶解度が高いために発色が遅れますが、
高温ではまた違った挙動をするようで、坩堝から取り出した素地の一部がすぐに発
色する様子が見られます。
ま た 、古 い ル ビ ー 処 方 で よ く 目 に す る 鉄 サ フ ラ ン( 鉄 ク ロ ッ カ ス 、弁 柄 、酸 化 第 2
鉄 Fe2O3 ) の 鉄 や 、「 ヴ ェ ネ ツ ィ ア の 白 ガ ラ ス 」 に 過 剰 に 含 ま れ て い た マ ン ガ ン の
ような、多原子価イオンのレドックス(酸化還元反応)効果もルビー発色に寄与す
ると云われます。また、亜砒酸、食塩や燐化合物などの、ガラス母体中で異種の相
を生じる成分の発色促進効果も知られています。
熔解時には予期せぬことが数多く起こり、設計どおりの組成が厳密に実現できる
ことはまずありません。とりわけ金ルビーガラスは熔解が難しいと複数の優れた技
術者から聞いたことがあります。クンケルの場合にも失敗が多かったことが自身の
記述から知れます。金ルビーの熔解は、高温が好ましいと云えますが、なおさら問
題が発生しやすくなります。
※ 1
D. C. Watts, How did George Ravenscroft discover lead crystal?, Glass Circle, vol.2 ( 1975), pp.71-84.
Robert Plot, The Natural History of Oxford-shire, Being an Esssay towards the Natural History of England, London
1705, pp. 258-259. Ludwell の 組 成 は 、 フ リ ン ト 1 ポ ン ド 当 た り 、 硝 石 、 酒 石 、 硼 砂 各 2 オ ン ス と あ り ま す 。
これが融けにくく、アルカリ過剰にして製品が短期間に風化する大失敗を犯したことから、この改善の結果
と し て 鉛 ク リ ス タ ル( 中 空 容 器 用 鉛 カ リ ガ ラ ス )が 生 ま れ ま し た 。レ イ ヴ ン ズ ク ロ フ ト は 宗 教 家 で も あ り 、
「紳
士」として認められていたために、今で云うリコール騒ぎを凌ぐことができたと云われています。
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- 46/54 ※ 2
合 衆 国 特 許 1,271,652. H. T. Bellamy, Method of Making Colored Glass, July 9 1918. お よ び H. T. Bellamy,
The Development of Improved Gold Ruby Glass, J. Am. Ceram. Soc. , vol.2, 1919, pp.313-322.
※ 3
John A. Williams, Guy E. Rindone and Herbert A. McKinstry, Small-Angle X-Ray Scattering Analysis of
Nucleation in Glass: III, Gold Ruby Glasses,
J. Am. Ceram. Soc. , 1981, 64 ( 12), 709-713. ( 史 料 集 の 「 20 世 紀
か ら 21 世 紀 へ 、 金 ル ビ ー の 科 学 と 技 術 」 に 要 約 が あ り ま す 。 )
⑦
発色処理(ストライキング)
通常、金ルビーというものは、原料を坩堝で熔解し、成形しても得られるガラス
素地は白いままで、適切に再加熱しないと赤色に変化しません。この事実は、長く
一部のガラス製造者にしか知られていなかったため、オルシャルはガラスに金を添
加したものの発色の仕方が分からず、一度は研究を投げ出しています。銅赤ガラス
の場合でも、鮮やかな赤色を得るには素地が淡い黄緑色であるのが望ましく、成形
後の比較的低温での熱処理(あるいは徐冷処理)で鮮やかな赤色に発色します。
も っ と も 安 易 な 発 色 方 法 は 、単 に 時 間 を 掛 け て 融 液 を ゆ っ く り と 冷 却 さ せ る だ け 、
というものです。模造宝石用金ルビーの製法で多くの事例がありますが、比較的小
容量の坩堝に素地を入れたままゆっくりと冷却させ、濃いルビー色に発色させてい
ました。熔融素地を鋳造しても同じことでしょう。
一方、クンケルの方式では長ければ 2 週間ものあいだ、成形した未発色のガラ
ス器を燻していますが、それにはわざわざ脂分の多い松の枝が使用されています。
そのような特異な薪が必須ではないことはやがて明らかになりました。ただし、温
度管理機器がない時代に、製品を軟化変形させずに「長期間」熱処理するのはきわ
めて困難と思えますが、製品を灰(?)に埋める工夫もあったそうです。
熱 処 理 の 条 件 、 す な わ ち 保 持 温 度 と 時 間 に つ い て は 、 20 世 紀 の 論 文 に 実 験 結 果
の報告がいくつかあります。これはガラス組成や添加物、金含有量によって変化し
ますので、一概には云えません。
この熱処理によってガラス中に金の結晶核が数多く生成し、凝集によって一定の
大 き さ ( 5nm
程度)に 成 長 す る と 、 ガ ラ ス 中 に 特 定 波 長 の 光 を 吸 収 す る 粒 子 が 分 散 し
た状態になって、やっと赤味を帯びて見えるようになります。コロイド化学者ジグ
モンディーは、ある長さの金ルビー素材の一端を熱処理し、温度差による粒子の生
成状態の変化を、自ら開発した顕微鏡で観察することに成功しました。
また、金の粒子が未だに小さい段階でその数が少ないと、より大きな粒子に小さ
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 47/54 な粒子が食われてゆき、数少ない巨大粒子が生成すると考えられています。粒子が
大 き く な り す ぎ る ( 100nm
以上)と、 光 の 吸収 で な く散 乱 が 支配 的 に な って 色 が 濁り
始 め ま す (したがって良好なルビー発色のためには、小さな粒子が数多く生成するように工夫しますが、
こ れ に は 金 の 含 有 量 を 高 め る の が 効 果 的 で す )。 粒 子 が 巨 大 化 す る と 、 一 般 に 青 玉 ( サ フ ィ リ
ン)と称して、透過光で青色、反射光で濁った茶色の 2 色性が見られるようにな
ります。この発色異常の茶色は「肝臓色」と呼ばれて嫌われてきました。
また当然のことですが、このような時間や手間の掛かる発色工程を省く工夫が考
案 さ れ て き ま し た 。 18 世 紀 後 半 に 、 マ ル ク グ ラ ー フ が 実 験 で 亜 砒 酸 を 原 料 に 大 量
に 使 用 し て 、 坩 堝 か ら す で に 発 色 し た 素 地 を 得 る こ と に 成 功 し て い ま す 。 20 世 紀
になって、ガラス中に低温で発色するセレン(あるいはテルル)が共存すると、金
ルビーの直発色に非常に有効であるという、画期的な事実が発見されました。水の
凝 固 の 場 合 に 不 純 物 が 結 晶 析 出( 凍 結 )を 促 進 さ せ た り 、雪 で は 塵 が 氷 晶 核 に な り 、
また雲核も同様で、金コロイドが生成する過程にも、ガラス中に何らかの微粒子が
存在することが望ましいようです。
しかしながら、金ルビーの色調は、さまざまな条件で変化することが知られてお
り、美しいルビー色を得るにはそれなりの手間が必要と云えるかも知れません。
古い文献のなかには通説とは異なった、目を疑う驚異的な記述が混じっていて、
考えさせられることが少なくありません。例えば、金ステイニング現象と思えるも
のをベッヒャーやボイルが記述していて、金がガラス器のなかに浸透して赤く発色
したのではないかと推測できます。フランクリンは電気的にガラス板の内部に金を
導 入 し て 、 発 色 さ せ て い ま す 。 ま た 18 世 紀 末 に 、 フ ラ ン ス の ボ ス ク ・ ダ ン テ ィ ッ
クは結晶化ガラスと思えるものを採り挙げ、金属酸化物の着色剤(イオン着色剤)
はすべて無能になるが、金だけは着色能力を失わないと正しく記しています。
この入門の部ではガラスのさまざまな性質について、数字で示すことは一切していません。ガラスはその
組成を無限に変えることができ、ある成分の増加によって特性値が直線でなく曲線を描いて変化するからで
す。
着色に関しても、着色剤の添加量を増加させると、概して「色が濃くなる」とは云えますが、実は色相、
つまり色味が異なってきます。例えば、青いガラスが濃くなると緑味を帯びたり、一方では赤味を帯びたり
することがあります。そのため、色合いを示す色度座標上に着色剤量に応じて変化したガラスの色をプロッ
トしてみますと、一定の色相で濃くなるのではなく色相(主波長)が変化して曲線を描くのが見られます。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 48/54 ⑧
現代のガラス技術
金ルビーの発色条件(温度×時間)が研究され、また粒子サイズと呈色(分光透
過率あるいは吸光係数)の関係については、マクスウェルの電磁方程式を根拠にし
たミーの理論式が示され※
1、 ま た
20 世 紀 以 降 、 多 く の 学 者 が 実 際 に こ の 関 係 を 測
定してきました。しかしながら、たとえ粒径分布を考慮していても、実測値には理
論値との僅かな隔たりがあります。
一方、ガラス中で未発色の金の状態についても調査されてきており、1 価の金イ
オンと金属金が平衡状態にあることが分かりました。ルビー色の発色を支配する要
因は何かについても、かなりの確度で論じることができ、大凡、科学的に理解でき
るようになった、と云えるようです。
※ 1 G. Mie, Beiträge zur Optik trüber Medien, speziell kolloidaler Metallösungen, Annalen der Physik, Vierte Folge,
Band 25, 1908 No.3, pp.377-445.( 英 訳 論 文 表 題 Contributions on the Optics of Turbid Media, Particulary Colloidal
Metal Solutions. た だ し ' on ' が ' to ' に な っ て い る 訳 文 も 見 つ か り ま す 。 ) 古 く て も 物 理 学 の 雑 誌 で 、 数 式 が 多
く、その驚異的な内容を理解することは私の能力を超えています。また、アインシュタインが特殊相対性理
論 を 導 き 出 し た の も マ ク ス ウ ェ ル の 式 に 基 づ い て い る ら し く 、ミ ー と 同 じ 雑 誌( Annalen der Physik, 17, 1905)
に論文が見つかります。
⑨
金ルビーガラス製品
金 ル ビ ー の 原 点 は ガ ラ ス 器 で は な く 、 難 易 度 の 低 い 金 細 工 師 の エ ナ メ ル (金属下地
に載せるもの、七宝)や 模 造 宝 石 (貴金属に組み込むもの)な ど の 低 融 点 ガ ラ ス 、 つ ま り 高 鉛
ガラスであったことが分かります。クンケル以前はすべてこの模造宝石類と見做し
てよいでしょう。しかし、ここでの主眼点はもちろん高温熔解を伴うガラス製品で
す。したがって、中国清代の磁器で有名な、金コロイド着色技術の一種であるファ
ミ ー ユ ・ ロ ー ズ の ピ ン ク や 、 ヘ キ ス ト (ヘヒスト)窯 な ど の 金 パ ー プ ル に は 触 れ て い
ません。というよりも知識がほとんどありません。
クンケルの製品はガラス器全体がルビー素地であるため、原料費だけでもきわめ
て高価につきます。ルビー素地は当然金の含有量に依って原価が決まり、発色の手
間や歩留まりを抜きにして、通常、白素地の 5 倍以上になります。しかし、ボヘ
ミアでは早くから、より経済的な色被せ成形法が利用されていました。金ルビーを
薄層で使用するために、製品の原料費をより安価にできるだけでなく、切子や彫刻
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 49/54 加工で色模様を形成するようにして、魅力的な製品が製作されました。
マイセン磁器製造所の二代目工場長シュタインブリュックに拠れば、この金ルビ
ーの色被せは、西洋磁器の発明者ベットガーが開発した、と云います。もちろん古
代ローマ時代には「色被せ」そのものであるカメオ技法があって、今更その技法に
は新規性が認められません。とはいえ、それは金ルビー工芸技術にとってきわめて
有 効 な た め に 、 ガ ラ ス 工 芸 が 華 や か で あ っ た 19 世 紀 の ガ ラ ス 技 術 者 、 ボ ン タ ン や
ペリゴーは処方だけでなく、同時に色被せ技法を詳しく紹介しています。
採り挙げるまでもないたいへん安易な方法ですが、成形中にポンテをとった花瓶
などの口元に金ルビーの素地を巻き付け、この部分を空気で一旦冷ましてから再度
ダルマやツボ口で加熱して赤く発色させ、口元だけが赤く縁取られた花瓶に仕上げ
る方法も行われています。
金ルビー製品は、それを生産する工場や工房にとって、技術と技能、それに芸術
性 の 高 さ を 象 徴 す る ス テ ー タ ス ・ シ ン ボ ル で あ り 、伝 統 が 大 切 に 守 ら れ て き ま し た 。
⑩
金ルビー技術の将来
過去現在の史料を探ることが目的でしたが、そのなかには未来への動きが潜んで
ます。ここでは、純粋な技術面とガラス工芸の両面からごく簡単に触れておくこと
にします。
ナノ金粒子製品にほかならない金ルビーに関する長年の知見は、近年のナノ技術
開発に繋がっており、貴金属微粒子をより多方面で利用する方向に進んでいるよう
で す 。な ぜ な ら 、物 質 を ご く 微 細 化 す る こ と で 新 た に 有 用 な 特 性 が 生 じ る か ら で す 。
ここでは、金ルビーの発色がプラズモン(光と相互作用する、金属中の自由電子が
形成する疑似粒子)の現象として捉えられ、これを制御するプラズモニクスという
技術が注目されている、とあります。
工芸分野においては、カットガラスを卑下し、吹きガラスの自由な造形を賞讃す
る 主 張 は 、 19 世 紀 の ラ ス キ ン 『 ヴ ェ ニ ス の 石 』 ※ 1 か ら 20 世 紀 の ハ ー バ ー ト ・ リ
ード『インダストリアル・デザイン』※
2
へと受け継がれたものでした。しかし、
これはガラスの特性の一面(粘性)を生かしたものであることは云うまでもありま
せん。例えば、アメリカ合衆国の人間国宝デイル・チフリーの生み出した豊かな色
彩と生物的な形態の生命感溢れる作品に、その典型を見ることができます。粘性こ
そガラスに特有の形態を生み出す性質であると云えるでしょう。あるいはガラスの
生命的な形態については、有機物の根源である炭素とガラスの成分、珪素との類似
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 50/54 性に原因があるのかも知れません。
し か し 、ガ ラ ス の さ ま ざ ま な 魅 力 的 な 特 性 の う ち で も っ と も 原 初 的 な も の は 何 か 、
吹きガラス成形法の発明以前に遡って見ますと、それが鋳造して作る宝石であった
ことから明らかになります。この宝石はもちろん呪物であり、護符として身に着け
たものであり、日本における玉に他なりません。
チェコの工芸家スタニスラフ・リベンスキー、ヤロスラヴァ・ブリフトヴァー夫
妻の鋳造と研磨による作品は、この透明体の原初の神秘的な美を見事に表現したも
のと思えます。さらに、この後は色彩や形態の目新しさとは違った、バシュラール
の物質的想像力の世界※
3
にも繋がります。
金はガラスで得難いルビー色を出すだけでなく、一方ではガラス中に形成される
金属粒子の作り出すさまざまな色彩変化をコントロールするものでもあります。機
能ばかりでなく、ガラスという素材の物質的想像力に、金は今後も貢献することで
しょう。※
※ 1
4
John Ruskin, The Stones of Venice, London 1907( 初 版 1851-53) , pp.360-363. こ れ は appendix に あ り 、
春 秋 社 版 世 界 大 思 想 全 集 賀 川 豊 彦 訳 上 1931,下 1932 に は 見 当 た り ま せ ん 。
※ 2
勝 見 勝 、 前 田 泰 次 訳 み す ず 書 房 1957, pp.84-89.
※ 3
とりわけ小浜俊郎、桜木泰行訳、ガストン・バシュラール『水と夢、物質の想像力についての試論』
国 文 社 1961。 及 川 馥 訳 ガ ス ト ン ・ バ シ ュ ラ ー ル 『 大 地 と 意 志 の 夢 想 』 思 想 社 1972。
※ 4
例えば、金粒子を含むガラスを比較的低温で塑性変形させると、同時にそのなかの金粒子が変形し、
ガ ラ ス の 光 学 特 性 に 異 方 性 が 生 じ て 、見 る 方 向 に よ っ て 変 色 す る こ と( ダ イ ク ロ イ ズ ム )が 知 ら れ て い ま す 。
3.史料集について
この史料集は、金ルビー発明の前段とその後の発展を、時代を追って、当時の生
々しい雰囲気を残しつつ、著者の言葉をできるだけそのままに伝えようとするもの
です。そのために、次の方針に従っています。
①
できる限り原典に当たり、原典に忠実に直訳に近い訳文を「心懸け」ていま
す。原典の入手が現実的に難しい場合、あるいは解読が困難な場合には、いくつか
の引用文や権威ある訳書を参照しました。多くの引用書には長年にわたって版を替
えて出版されたものがあり、時代に合わせて用語や表現が変わっていたり、さらに
は増補されて内容まで異なっている場合があります。可能な限り初版本に拠って訳
出しようと試みました。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 51/54 ただし、訳者は英語を初めとして語学の苦手な素人で、多くは機械を利用した翻
訳に手を加えたものです。もちろんほとんどが古文で、書体からして異様な文字が
多く、単語の綴りはもちろん、その変化形も現代語とは異なっていたりします。概
して、古い慣用句については調べにくいために、ありきたりの単語ほど怖く、やた
らと多い二重否定文は文脈から意味を判断すべきものらしく、いつも解釈に悩みま
した。
訳文の拙さや誤りは数知れず、読み返すたびに顔から火が出たり冷や汗をかいた
りですが、これは救いようがありません。常に訂正を繰り返しており、とりあえず
草稿ということにしておきます。
②
都合よく抜き書きするのでなく、ある程度纏まった文章になるようにし、著
者の意図や文章のニュアンスが伝わるように心懸けました。その結果、著者の人柄
が多少なりとも窺えるようになった、と思っています。
史料の表紙は原状を留めていないものがありますが、いくつかについて、それな
り に 再 現 、 あ る い は 創 作 し て み ま し た 。( 一 部 、 ウ ェ ッ ブ サ イ ト か ら 貼 り 付 け た 画 像 も あ り ま す
が 、 修 正 を 施 し て あ り 、 オ リ ジ ナ ル で は な い の で 注 意 し て 下 さ い 。) 古 い
出版物の表紙はとりわけ
長 々 と し た 、図 書 館 の 蔵 書 票 の 書 名 欄 に 収 ま ら な い 能 書 き が 興 味 深 く 、し か も 大 概 、
「王の許可」による出版であることが大書されています。通常、ガラス関係の資料
では数多くの図版に主眼が置かれていますが、このほとんど図版を欠いた史料集に
とって、細やかながらビジュアル面を補う意味合いもありました。
③
各種単位をできるだけ換算しようと試みましたが、中世イスラムや近世ヨー
ロッパの単位系はきわめて複雑で、時代ごと都市ごと計量対象物ごとに相違してい
て、今日のメートル法に換算しにくいものがほとんどです。概して、処方の重量に
関 し て 16-19 世 紀 の ド イ ツ で は 、 国 際 規 格 の ニ ュ ー ル ン ベ ル ク 薬 衡 ※ が 使 用 さ れ て
いたと云われます。しかし、プロイセンには独自の薬衡がありました。
※ Apothekergewicht
医薬、化学品の調製で使用する重量単位系。薬衡独自の単位が使用されていれば見分
けやすいのですが……。
古めかしい常用の薬品名は煩わしいばかりで、概ね語句を置換しました。例:塩
の 酸 → 塩 酸 、 強 い 酸 → 硝 酸 、 ヴ ィ ト リ オ ー ル (硫酸塩)の 酸 → 硫 酸 、 砂 の 液 (油)→
水ガラスなどなどですが、このほかでは辞典によって解釈の異なる場合があって困
り ま し た 。 と く に green vitriol 、 vitriol romano ( 水 和 硫 酸 鉄 )、 blue vitriol ( 水 和 硫 酸 銅 )、
verdigris ( 緑 青 = 塩 基 性 炭 酸 銅 ) の 混 同 が 目 立 ち ま す 。 奇 妙 な 、 固 定 ア ル カ リ と か 固 定
ア ル カ リ 塩 と い う の は 、 前 者 が 炭 酸 ナ ト リ ウ ム ( ソ ー ダ 灰 )、 後 者 が 炭 酸 カ リ ウ ム で
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 52/54 あると辞書にあります。アルカリ=炭酸カリウムとする辞書もあり、古くはソーダ
とカリとが区別できていなかったり、原料が多成分であったことにも配慮が必要で
しょう。
ガ ラ ス 熔 解 で 重 要 な 高 温 つ い て 、 19 世 紀 前 半 の シ ュ ー バ ル ト を 読 む ま で 「 °W 」
(ウェッジウッド温度)という温度単位の存在を知りませんでした。いや、それ以
前の時代には、温度という概念さえなくて、熱の程度「熱度」や燃え方などによっ
て表現されていますが、あまりにも奇妙な訳文になる場合には敢えて「温度」とい
う言葉を使用しました。
④
金が使用されていても金ルビーの処方であることが疑わしいものも採り挙げ
て い ま す 。ま た 、カ ッ シ ウ ス 紫 は 、長 く 金 ル ビ ー の 発 色 に 必 須 と 考 え ら れ た も の で 、
その本質については数世紀にわたって化学者の議論の的になってきました。そのた
め、あまりにも論文が多く、かなりを割愛しました。一方、電気実験や光学実験な
どでもガラスに赤色発色させる興味深い事例があり、これらを採り挙げています。
鉱物学や経済学の類の文献でも、金ルビーに関する重要な証拠となるものを採用し
ました。
ガラス史、技術史や化学史などの文献では、引用箇所の重複が著しいため一部の
史 料 に 限 定 し ま し た 。資 料 が 多 け れ ば 多 い ほ ど 核 心 に 向 か っ て 収 束 す る と は 云 え ず 、
むしろ拡散してしまうようです。少数の優れた学者に的を絞り込む方が効率的です
が……。
⑤
著作権の残存する近年の文献については取り扱いに慎重を期し、引用のルー
ルに従おうとしました。しかしながら、法律の解釈は専門家のあいだでも違いがあ
っ て 困 り ま す 。 そ の た め ワ イ ル を 初 め と し て 、 20 世 紀 の さ ま ざ ま な 技 術 書 、 工 芸
技法書への言及は控えました。現代の科学の光で、多くの謎が解明されつつありま
す。興味深い工芸品を生み出す手法も紹介されています。現在の知識を抜きに金ル
ビーを語るならば、単なる懐古趣味でしかないと思えるのですが……。
⑥
珍 し い 固 有 名 詞 が 多 く 、こ れ を 翻 字 す る の が 一 苦 労 で し た 。書 名 に つ い て は 、
訳題が見つかったものはほぼ前例を踏襲していますが、場合によっては原題を尊重
して訳題を創出しています。地名は、主として地図サイトや観光サイトなどで妥当
と 思 え る も の を 選 ん で い ま す 。 人 名 は 、 前 例 や 原 語 の 発 音 を 調 べ ま し た (ネイティブ
・ ス ピ ー カ ー が 読 み 上 げ て く れ る サ イ ト が あ り ま す が 、 こ れ を 聴 き 取 る 能 力 に も 難 が あ り ま す )。 そ れ で
も納得できないものがあり、おそらく異民族の家系のようです。
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 53/54 ⑦
翻訳能力の非力さから、ごく一部の言語の資料だけを対象としました。入手
可 能 な 資 料 で も 、残 念 な が ら「 諸 般 の 事 情 に よ り 」断 念 し た も の が 数 多 く あ り ま す 。
こうした手法によって、その時代のその人の考えに入り込むことができれば、と
考えました。すると、偉人の肉声が聞こえてくるかのようです。そこには、もちろ
ん私たちの常識とは異なるものが少なくありませんが、現代の物差しでそれらを誤
りとして軽視することはしていません。私たちがすでに誤りであると知っている説
が繰り広げられているのを読むのは、とても辛いものです。しかし、今日の私たち
の 常 識 と は 、( き っ と 私 た ち の 子 孫 が 嘲 笑 う よ う な ) 私 た ち の 時 代 の 偏 見 ( パ ラ ダ イ ム ) に
す ぎ な い と い う 観 点 か ら 、「 特 殊 」 な 事 実 と 、「 普 遍 」 的 な 人 間 の 知 恵 に 触 れ 、 驚
くようなことが一つでもあればリフレッシュになる、と考えました。
先ず、さまざまな処方間の同一性と相違に注目してみるのがよいでしょう。ただ
し、本に書かれた多くの処方が、無批判な(しかも誤った)転載であったり、単な
る実験にすぎなかったりして、実際に工場で使用されたものではないことに注意が
必要です。
おわりに
最後に、金ルビー史で見られる悲しい事実とは、工芸とは社会で必須のものでは
なく、しかも嗜好が時代によって変わるのがその本質であると云うことです。
一世を風靡した金ルビーが衰退した後に、それを復元することがたいへん困難で
あったことが史料から窺えます。すでに失われた工芸技法が少なくないでしょう。
それが趣味に他ならず、その精緻で、高価で、必要もない豪華なものを支えていた
パトロンたちが、心変わりしたり、姿を消してしまったとき、その技術や技能の多
くは失われたでしょう。気の遠くなるような贅を尽くした工芸品が、博物館に閉じ
こめられていて私たちを驚かせています。ありえないものがそこに現存します。
ここに集められたものの多くは、もはや反古として、忘れ去られたものばかりの
ようです。しかしそれが意味したもの、それに纏わるさまざまな歴史的事実は、き
わ め て 興 味 深 く 、私 た ち に「 人 間 や 文 化 に つ い て の 問 題 」を 投 げ か け て 止 み ま せ ん 。
金や太陽や赤色が意味したもの、それが人類にとって何であったのか……。それ
こそが掛け替えのない価値「生命」でした。金でルビーを作る発想はその背後にあ
った思想を抜きに語ることはできないのです。ハーバート・リードが『イコンとイ
デア』のなかで展開した、かたち「イコン」と、かたちのない思想「イデア」が相
互依存的に発展したという主張に倣って、人類文化のある部分は金ルビーと相互的
に発展したと考えるのは、ガラス屋の誇大妄想ではないと思うのですが……
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
- 54/54 あとがき
その昔、文献入手に手間が掛かるのは当たり前であったのかも知れません。洋書取次店でイタ
リ ア か ら の 取 り 寄 せ を 断 ら れ た た め 、 図 書 館 で ISBN コ ー ド か ら 出 版 社 の 住 所 を 調 べ 、 手 紙 を タ
イプしていましたので、やりとりやら船便やらで手元に届くまで 4 ~ 5 ヶ月掛かっていました。
今ではほとんど各出版社のウェッブサイトがあり、カード決済に対応していますので、図書館に
出 向 い た り 、 銀 行 や 郵 便 局 で 厄 介 な 海 外 送 金 手 続 き を す る 必 要 も あ り ま せ ん 。 PC の ク リ ッ ク か
ら 2 日ないし 1 週間で、アメリカ、ドイツやイタリアなどから本が届くこともあって驚きます。
( そ の 昔 、 海 外 送 金 の 際 に 、 某 都 市 銀 行 で 1 リ ラ 6 円 請 求 さ れ た こ と が あ り ま す 。 6,000 円 の 本
の 支 払 い に あ ろ う こ と か 60 万 円 と 云 わ れ た の で 、 す ぐ に 銀 行 を 代 え ま し た 。 今 で は ほ と ん ど ネ
ッ ト 経 由 で の 購 入 の た め 、 便 利 で 安 心 で 迅 速 で す が 、 決 し て ト ラ ブ ル が 皆 無 で は あ り ま せ ん 。)
本を買い集める趣味はまったくなく、住宅事情が悪いなか重くて嵩張る本は広げる場所もなく
邪 魔 な ば か り な の で 、 で き る だ け pdf フ ァ イ ル で 我 慢 、 ど こ ろ か 満 足 し て い ま す 。 ガ ラ ス 工 芸 史
関 係 に 多 い A4 か ら は み 出 す 本 は 、 必 要 箇 所 だ け を デ ジ タ ル カ メ ラ で PC に 取 り 込 ま な い と 読 め
ません。
多くの定期刊行物は掲載論文を 1 本毎に販売している場合が多いようで、この場合はカード決
済 で 即 刻 ダ ウ ン ロ ー ド で き ま し た 。 し か し 、「 も の 」 が 学 術 に 関 す る も の と は い え 、 高 額 す ぎ る
業者もあります。近頃は法外な(?)著作権料が発生することが増えており、安易に論文に手を
出すこともできなくなりました。
とりわけ、ウェッブサイトで稀覯書を公開している数多くの図書館サイト(ガリカ=フランス
国立図書館サイト、ドイツ各州の連邦図書館サイトほか)を利用しましたが、ヨーロッパ各地の
図書館に足を運ばなければ到底目にすることができなかったはずの稀覯書を、素人にも、居なが
らにして繙くことができる時代が来るとはまったく予想もしませんでした。この恩恵で史料には
事欠かなくなりましたが、かえって自身の語学能力のなさに歯痒い思いです。
ところがごく近年、図書館で蔵書のデジタル化が進むのと同時に、一部では商業主義が急速に
蔓延しているようで、素人にアクセスできるところが消えたり、ダウンロード禁止が目立つよう
になりました。折角デジタル化しても、それは保管のためだけなのかと疑われたり、一方で有料
化に熱心なところもあるようです。パブリックドメインの効用よりも商業主義の優先(著作権の
延長)や文化遺産の封印が何に利するのでしょうか?過去には優れた学者でさえ引用文を孫引き
しかできず、誤りを犯した例があるようです。
金ルビーに関しては、職業上、いくらか責任を感じるところがあって、近年、比較的熱心に史
料や論文に取り組んできたつもりです。しかし、最早ろくに読めもしない史料を探すことは卒業
して、ずっと思索的なガラス攷に取り掛かることにしたいと考えています。
2014 年
修正
2016.03.18
minami_no_kiki / goldruby_ introduction 2014
みなみのキキ
- Ⅰ -
金ルビー史料リスト
内容に応じて全訳または抄訳・部分訳となっています。
著 者 ほか
1 作者不詳
書名・論文名/雑誌名
出版等年代
古代メソポタミアの赤色ガラス処方(キャンベ B.C.7世紀
ル・ トムソン、レオ・オッペンハイムに拠る)
以前
おすすめ度
文化
技術
★
☆
2
ギリシア語写本1.偽デ 自然学と神秘学(ベルトロ『錬金術の起源』、
モクリトス
リップマン『錬金術の起源と発展』に拠る)
1~4世紀
★★
3
ギリシア語写本2.作者 (ベルトロ『古代ギリシアの錬金術師集』に拠
不詳
る)
10世紀頃
★
4
ジャービル・イブン・
物性の大いなる書(アル・ハッサンに拠る)
ハイヤーン
8世紀
★★
☆☆
10世紀
★
☆
5 アッラージー
6
エル・ベルーニ(アル
宝石の書(カーレ、サイード訳)
・ビールーニー)
7 作者不詳
8
秘密中の秘密の書(ルスカ訳)
賢者たちの協議会(トゥルバ)(ルスカ訳、ウェ
イト訳)
伝ヴィルヌーヴのアル
賢者たちの薔薇園
ノー
1040年代
12世紀
☆
★
13世紀?
☆
9 偽ゲーベルほか
西洋錬金術集
10 テオフィルス写本
(ヘンドリー『司祭にして僧なるテオフィルス,
14世紀頃
またの名ルゲルス』1847より)
☆☆
11 ボローニャ写本
色彩の秘密(メリフィールド『絵画技法の原典
集』1849より)
☆☆
12 フィラレーテ
建築論
1464
13 アグリコラ
発掘物の本性について
1546
★★
14 ミゾー
九百話
1566
★
1570頃
★
1597
★
☆
★
☆
15
ベンヴェヌート・チェ
金工術
リーニ
★
15世紀頃
16 リバウィウス
アルケミア
17 ホランドゥス
鉱物論
16世紀頃
18 シュヴェルツァー
錬金術
16世紀末
19 ベガン
化学入門(増訂版)
1612
☆
20 ネリ
ガラス技術(「第129章」原典およびメレット
、フリジウス、ガイスラー、クンケル、ドルバ
ック訳)
1612
☆☆☆
21 レナヌス
井戸から昇りゆく太陽
1613
★
22 作者不詳
カサナテンセ写本Ms.5461
1645
23 グラウバー
哲学の窯4
1648
★
☆
24 グラウバー
ドイツの繁栄4
1659
★
☆
25 フレンチ
蒸留技術
1651
26 ツヴェルファー
スパジリカ補遺
1668
minami_no_kiki / goldruby_ treatiselist. 2014
☆
- Ⅱ -
著 者 ほか
書名・論文名/雑誌名
出版等年代
おすすめ度
文化
技術
27 ベッヒャー
地下世界の自然学
1669
28 ベッヒャー
鉱物学
1662
☆
29 タヒェニウス
病理論
1679
30 ボイル
研究日誌33
1680
31 ボイル
物体の多孔性について(ショウ編)
16XX
32 オルシャル
衣なき太陽
1684
33 カッシウス
金について
1685
34 グルメット
衣なきに非らざる太陽(ドルバック訳)
1685
35 フォン・チルンハウス
2フィートの着火用レンズの特異な効果/学術
論叢
1691
☆
36 ダルドゥイン
ダルドゥイン処方書(ツェッキンに拠る)
17世紀末頃
☆☆
★
★
☆☆
★★★ ☆☆☆
★
37 作者不詳(クンケル) 不思議な工芸学校
1696
38 ド・ブランクール
ガラス技術
1697
39 クンケル
化学実験室(没後出版)(略伝付き)
1716
★★
40 ショメル
経済事典
1709
★
41 ライプニッツ
燐の発明事情/ベルリン論集
★
☆☆
☆
☆
1710
42 シュタインブリュック 記録(ベットガーのガラス)
1717
43 シュタール
硫黄についての概論
1718
44 リーデル、アイズナー
ボヘミアの金ルビー(ルネニーチコヴァーに拠
る)
45 ユンカー
観察化学
46 ブールハーフェ
新しい化学の手法(ショー註解)
1741
47 ポット
岩石成因論(モンタミー訳)
1746
48 ロモノーソフ
イワーノフ作『ロモノーソフ』1953より
49 フランクリン
電気に関する書簡
☆
18世紀
☆☆
1730
☆☆
18世紀中頃
☆
★
1750
☆☆
50 ドッシー
工芸の小間使い
1758
51 フォン・ユスティー
手工業および工場についての総論
1758
★
52 ルイス
科学と技術の連携
1763
★
53 モンタミー
エナメル画のための絵具について
1765
54 マケ/ペルナー
化学事典
1769
55 ボーメ
実験的および理論的化学第3版
1773
56 ル・ヴィエイユ
ガラス画とステンドグラスの技法
1774
★
57 デラヴァル
色彩変化原因の実験研究
1777
★
58 フォンタニュー
着色クリスタルの製造技術
1778
59 (アシャール)
第23篇/ゲッティンゲン学術時報
1778
60 マルクグラーフ
クンケルの赤色ガラスを完全に発色した坩堝か
ら取り出すために行ったいくつかの試験に関す
る報告/ベルリン王立科学アカデミー紀要
1779
61 ボスク・ダンティック 作品集
☆☆
☆☆
☆☆
☆
☆☆
☆☆
☆☆☆
1780
1780~
☆☆☆
☆☆
62 ベックマン
発明史概論(西洋事物起原)
63 トルゼフスキ
ガラス技術序説(リホタに拠る)/JGS
1785
☆☆☆
64 ロイゼル
ガラス製造技術試論
1799
☆
65 クリュニッツ
クリュニッツ大事典
19世紀初
minami_no_kiki / goldruby_ treatiselist. 2014
★★★
☆
- Ⅲ -
著 者 ほか
書名・論文名/雑誌名
66 プルースト
金の概説に有用な事実/化学・物理雑誌
67 馬場貞由
硝子製造集説
68
デ・シャルモット(馬
ショメル編経済事典オランダ語版
場の翻訳箇所の原典)
出版等年代
おすすめ度
文化
技術
1806
★
1810未刊
★★
☆
☆☆☆
1778
ドゥオー・ウィーラン
ストラスおよび人造着色宝石の製法についての
69 (およびカデ・ド・ガ
報告/国内産業助成協会会報
シクール)
1819
★
70 ダルセ
パリ近郊ショワジー=ル=ロワ・ガラス製造所
で製作された、赤色着色ガラスについての、化
学技術委員会の名において、ダルセ氏によって
作成された報告書/国内産業助成協会会報
1826
★
71 ド・フォントネル
ガラス製造者の完全な教本
1829
72 デュマ
化学の技術への応用について
1830
73 オノレ・ランソン
宝石製造の技術
1830
74 ゲイ=リュサック
カッシウスのパープル沈殿について/化学・物
理学年報
1832
☆
75 ゴルフィエ=ベセイル
金によって得られる様々な色調/化学物理学年
報
1833
☆☆
フース(およびメッツ 金溶液と酸化錫によるルビーガラス製法につい
ガー、シューバルト) て/プロイセン産業助成協会会報
1836
76
77 ベルセリウス
化学論
78 宇田川榕菴
舎密開宗
79 シューバルト
赤色および青色ガラスについてのいくつかの覚
え書き/応用化学雑誌
☆☆
★★★ ☆☆☆
1838
1837-47
★★
☆☆
1844
☆☆☆
80 シュプリットゲルバー 金含有ガラスについて/物理学・化学年報
1844
☆☆
81 ボンタン
19世紀のガラス画
1845
82 ボンタン
ガラス製造者の指針
1868
83 ローゼ
金含有ガラスについて/物理学化学年報
1847
84 作者不詳
処方ノート(モレッティに拠る)/JGS
1847
★
☆☆☆
☆☆☆
85 クナップ
化学技術教本
1847
86 ファラディー
ベーカリアン・レクチャー
1857
☆☆
87 ツィンマーマン
素人のための化学
1859
☆☆
88 ポール
ルビーガラス製造法/総合技術雑誌
1865
★
☆☆☆
89 W. ミュラー
金ルビーガラスについて/総合技術雑誌
1871
★
☆☆☆
90 ペリゴー
硝子、その歴史、製法
1877
★
☆☆
91 ベンラート
ガラス製造(ポールの引用部分のみ)
1880
92 ロック
ガラス器/米国特許
1883
93 ヘルマン
ガラス・磁器の絵付けとエナメル画
1897
94 スプリング
いくつかのガラスの照射について
1900
95 ディロン
ガラス
1907
2016.03.14 改訂
minami_no_kiki / goldruby_ treatiselist. 2014
★
☆☆
★★
- Ⅳ -
著 者 ほか
書名・論文名/雑誌名
出版等年代
おすすめ度
文化
技術
96 ジグモンディー
コロイドを知るために
1905
☆☆☆
97 ジグモンディー
ノーベル賞受賞記念講演/1926.12.11
1926
☆
98 キザ
古代のガラス
1908
99 ウィリアムズ
ガラスのルビー色発色についての覚え書き/イ
リノイ大学紀要
1914
100 鈴木敏
寶石誌
1916
101 ブラントとウォール
工業化学製品の処方集
1919
☆
102 ティーネ
ガラス
1931
☆
バッジャー他
金ルビーガラスの発色に及ぼす熱処理の影響/
Glass Ind.
1939
トルービー
着色ガラス製造のための方法とバッチ/合衆国
特許
1938
ヴィージーとワイル
金ルビーガラス中の錫の作用/J. Am. Cer. Soc
.
1942
ストゥーキー
金、銀および銅によるガラスの着色/J. Am. C
er. Soc.
1949
ウィリアムズ他
ガラス中の核形成の小角X線散乱分析III.金ル
ビー/J. Am. Cer. Soc
1981
ストールハンスケGLAF 金ルビーガラス;鉄とセレンの発色への影響/
O
Glass Techn. Eur.
2006
103
minami_no_kiki / goldruby_ treatiselist. 2014
☆
★
☆☆☆