70年代は私にとって今に至る大事なエッ センスの吸収、蓄積の時期で

 70年代は私にとって今に至る大事なエッ
センスの吸収、蓄積の時期であったと云え
る。大人の仲間入りをしての10年間であり、
云わば第二期目の青春時代とも云える。70
年のハワイは私にとっての二度目の渡布だ
った。70年はジャンボ・ジェット機就航し
た年でもあり、この年から大量にハワイへ
日本からの観光客が運ばれるようになり、
合わせて日本資本により、ワイキキの景観
が一変してゆくことになるはじまりの年で
もあった。
日本がバブルに浮かれはじめるようにな
ってゆく背景には60年代後半に起きたベト
ナム戦争でのアメリカの大きな挫折感があ
った。ハワイのビーチのいたるところにヒ
ッピーたちが住みつき、ハワイの若者たち
もまたアメリカ本土で夢みたサクセス・ス
トーリーへの挫折感でハワイに再び舞い戻
っていた頃だった。
ワイキキで観光ビジネスだけが増々ヒー
ト・アップしてゆくだけで、若者たちの空
虚さを満たしてくれるものは無かった。
こうした中で登場してきたのがギャビー
・パヒヌイだった。私がギャビーと会った
のはそれから5年後のことなのだが。私も
この時期ハワイにいたのでわかるのだが、
若者たちは自分自身を見つける為の何か切
っ掛けのようなものが欲しかったように思
う。その切っ掛けがギャビーだった。
ギャビーの魅力については語り尽くせな
いほどあるが、音楽性は元より、彼のライ
フ・スタイルに大きな共感を覚えた人は当
時の若者の中で少なくないだろう。最後の
ハワイ人気質を持った人物と云われるよう
に、天衣無縫でゆったりとマイ・ペースの
ライフ・スタイルを貫いた人だった。
この一見平凡なライフ・スタイルに若者
たちが共感し、ギャビーのようなライフ・
スタイルをする若者が増えていった。何を
隠そう、私もそのライフ・スタイルに共感
した一人で、今だに私自身そのスタイルが
続いている。(パートタイム・ミュージシ
ャン党 党首)
70年代に脚光を浴びたギャビーは1980
年に亡くなるまでの間、70年代のハワイ音
楽を席巻し続けたと云ってよいだろう。い
や、今でもギャビーはハワイ音楽を席巻し
続けている、と云っていいだろう。そこが、
カリスマたる所以でもある。
本誌での紹介はギャビーが70年代に生み
だしたサンズ・オブ・ギャビーやその仲間
たち、そしてギャビーに大きくインスパイ
アされたミュージシャンたちを中心に取り
あげたもので、勿論これがすべてではなく、
一つの広がりにすぎない。
そこでざっとではあるがギャビーを中心
とした70年代のハワイ音楽を追ってみるこ
とにする。
70年に入ってのギャビーは永年活動の中
心においていた古巣のサンズ・オブ・ハワ
イとの最後のアルバム『サンズ・オブ・ハ
ワイ』を収録した後、続いてソロ・アルバ
ムの収録に臨んだが、このアルバムが後に
10年間の彼のサウンドを決定づけることに
なる。そのアルバムとはセピア・カラーの
ジャケットに大映しにされたギャビーの顔
がある、印象的なジャケットのアルバム『ギ
ャビー』である。このジャケット自体も当
時としては画期的なもので、それまではハ
ワイアンのアルバムと云えば、海の方に目
を向けたもの、或いは観光地を意識したも
のが主流だっただけに、私自身、このジャ
ケットをホノルルのレコード店でまだ発売
前のジャケットを見た時には、私自身の体
がゾクゾクと身震いしたのを覚えている。
画期的なジャケットの期待感を裏切るこ
となく、内容も充分に素晴しいものであり、
リリースされるや、すぐに大反響を呼び、
大ヒット。ギャビーを中心としたスラック・
キー・ギター・サウンドがここからスター
トを切ったのである。この後のギャビーの
アルバムに関してはギャビーのコーナーを
見ていただければわかる。
ベンチャーズやビートルズなど彼らにイ
ンスパイアされたバンドが続々出て来た現
象と同じように、ギャビーの後にも同じよ
うな現象が見られた。一番身近なところで
はギャビーの息子たち、ブラ、シリル、マ
ーティンのパヒヌイ・ブラザーズの3人であり、
彼ら3人とも共演しているピーター・ムーン
も準息子と云えるだろう。ピーターはギャ
ビー亡き後の80年代のハワイ音楽のリーダ
ー格となったミュージシャンの一人だ。
ギャビーの親友たちも見逃すことが出来
ない。アッタ・アイザックス、サニー・チ
リングワース、ジョー・ギャング等、ギャ
ビー・バンドの中核をなすミュージシャン
たちだ。
これに続くミュージシャンやバンドも続々
登場してくる。主なものとしては、マカハ・
サンズ・オブ・ニイハウ、オロマナ、サン
デー・マノア、フイ・オハナ、そしてウエ
スト・コース系の影響を受けたセシリオ・
アンド・カポノ、カラパナ等…列挙に暇が
ないほどだが、一部は本誌を見ていただけ
ればその一端がおわかりになるだろう。
最後にこの企画を立てられたKamani Hilakawa氏に感謝すると共に、70年代に起
きたギャビーを中心としたハワイのスラッ
ク・キー・サウンドは永い時を経て、よう
やくこれから日本でもスラック・キー・ギ
ターへの関心度、ハワイ音楽への関心度が
高まりつつあり、芽生えはじめてきている。
日本でも同じように登場してくるだろう
未来のミュージシャンたちへ本誌が一つの
切っ掛けとなってくれることを望む。
スラック・キー・ギターの仲間たちは心地
よい速さで確実に日本でも増殖している。
スラック・キー・ギターの夜明けはもうすで
に訪れているのかもしれない。私の身の周
りを見ている限りは…。