第4号(2005年)

日本橋学館大学紀要 第4号
目 次
原著論文
教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
−教師の内省が子どもの行動に及ぼす影響− ・・・・・・・・・・・・・・・・長 澤 泰 子
3
太 田 真 紀
カウンセリング心理学の授業における進路選択支援 ・・・・・・・・・・・・・・佐々木 由利子
15
イル・モンド・フェステッジャンテ
祝 う 世 界
−フィレンツェのメディチ家宮廷における祝祭時の劇場システム(1608-1661年)−
・・・・・・・・金 山 弘 昌
29
−情報伝播と情報倫理− ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・茶 園 利 昭
53
児童養護施設における教育支援としての英語学習指導 ・・・・・・・・・・・・大久保 澄 子
67
企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能 ・・・・・・宮 入 小夜子
77
報告・資料
情報心理に関する研究(Ⅱ)
社会病理と沖縄シャーマニズム
−不登校児童生徒とその親のための相互扶助共同体の事例から−
・・・・・・・・塩 月 亮 子
87
e-learning について ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・中 西 はるみ
97
研究ノート
中英語否定構造に関する一提案
−Yoko Iyeiri著 NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN MIDDLE ENGLISHを考察して−
・・・・・・・・伊 藤 礼 子
105
THE BULLETIN OF NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY NO. 4
Contents
Original Article
A preliminary study on the communication analysis
in the clinical work at the educational settings III
:Effects of the teacher's introspection on the child's behavior
Taiko NAGASAWA
Maki OTA
3
Supporting Career Decision-Making in the Counseling Psychology Class
Il Mondo Festeggiante:il sistema teatrale
nelle feste della corte medicea (1608-1661)
Report
A Study of Information Psychology (II)
:Information Propagation and Information Ethics
Yuriko SASAKI
15
Hiromasa KANAYAMA
29
Toshiaki CHAZONO
53
Teaching English as Educational Support in a Children's Home
Sumiko OKUBO
67
Sayoko MIYAIRI
77
Social Disorder and Shamanism in Okinawa
: From a Case Study of a Mutual Aid Society for Children Who Refuse to Go to
Ryoko SHIOTSUKI
School as well as for Their Parents
87
Harumi NAKANISHI
97
Note
A Suggestion for Negative Constructions in Middle English
:On NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN MIDDLE ENGLISH by Yoko Iyeiri
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・Reiko ITO
105
Staff Division's Change Agent Function in Corporate Change
About e-learning
3
原著論文
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
−教師の内省が子どもの行動に及ぼす影響−
長 澤 泰 子*1
太 田 真 紀*2
言語障害学級,通称ことばの教室における教師と子どもの相互交渉の分析に関する二つの論
文において,我々は,1)子どもにとって辛い経験の根元である,吃音に関する感情を感じと
るためには,声の調子,表情,体の方向など子どもの非言語的表現が重要であること,2)教
師が,子どもの感情を理解できると,子どもは自分のいやな経験について話し始めることを報
告した。
本研究においても,教師と子どもの相互交渉を,教師の内省が子どもの行動にどのような影
響を与えるかという観点から,コミュニケーション分析を続行する。教師Bは,大学で障害児
教育は学んだものの,はじめてことばの教室の担任として赴任した20代前半の女性で,今まで
に吃音のある子どもの指導をした経験はない。A児は,自分の吃音に気づいている2年生の男
児である。18ヶ月に渉り41回の通級指導が実施されたが,その間,A児は,引越しによる転校,
弟が重病で入院し母親が弟の看病にかかりきりだったという大変な経験をしている。
VTRで記録された言語指導,各セッション後,インタビュー,電話,メモによって得られ
たB教師の内省が,クラス担任との交換ノートとともに比較・分析された。結果は,教師Bに
よって設定された目標つまり,吃音をもつ子どもたちが肯定的な自己評価を育むための必要条
件と考えられる,
「自分の吃音について話すようになること」との関連で考察された。
本研究において明らかになったのは以下のことである。
1.教師Bの臨床教師としての知識や技術は未熟であっても,子どもの真のニーズに応え
ようとすることによって,子どもAに望ましい行動の変化が出現する。
2.子ども主導型の指導は,教師−子どもの相互関係を改善する役に立ち,結果として,
子どもは吃音について話し始めるようになった。
3.教師Bは,ことばの教室に新任教師として赴任し,吃音をもつ子どもの指導に自信の
ないなかで,教科書を読む,研究会や研修会への出席する,先輩のアドバイスを求め
るなど,最大の努力を払った結果,質の高い臨床教師へと成長した。
キーワード
教師の内省・教師の自己研修・吃音のある子ども・肯定的な自己評価
1.問題と目的
教育臨床において子どもと接する臨床教師は,
2004年9月30日受理
A preliminary study on the communication analysis in the
clinical work at the educational settings Ⅲ : Effects of the
teacher's introspection on the child's behavior
*1 Taiko NAGASAWA
日本橋学館大学人文経営学部
*2 Maki OTA
東京都立大学大学院人文科学研究科
専門的訓練を受けて当該教育臨床の研究や実践を
経験してきたものとは限らない。学校という場に
おいて,子ども達の指導をするためには,通常学
級担任であれ,ことばの教室のような個別指導を
主として行う通級指導教室の担任であれ,教員免
許がありかつ教員採用試験に受かることが何にも
まして優先する。いったん採用されれば,校内人
事または転勤により,通常学級担任から,通級指
導教室の担任に配置転換になることもある。また,
4
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
障害児教育を意図して教師になったものが,通級
と20代女性の新任教師Bである。A児については,
指導教室において,吃音などを持つ子どもの臨床
後述する。B教師は大学卒業後,障害児教育を一
教育を担当する場合もある。
年間学んだが,吃音に関しては,繰り返し,引き
他方,かなり経験を積んだ臨床教師でも,吃音
伸ばし,ブロックの3種類のどもり方があるとい
を持つ子どもを対象とする指導は難しいから,で
う程度の知識しか持っていなかった。さらに,吃
きれば避けたいという思いを持っている。その理
音のある人に接するのはA児が初めてであった。
由として,1)吃音の原因が明確になっていない,
A児の指導は,2年生の2学期から3年生の3学
2)世間には様々な治療法が流布されており,ど
期まで,原則として,週1回行われた。
れが正しいか分からない,3)吃音は個性であり
そのままでよいという考えがある,4)LDや
2.2 A児の概要
AD/HDを持つ子どものような外見上の問題より
A児の家族構成は両親,妹(幼稚園の年中),
は,心理的・内面的問題が中核であること,など
弟(1歳)。母方の祖父,母親のいとこが吃音を
が挙げられる。
持っている。母親は吃音について祖父と話したこ
我々は,吃音を持つ成人のアンケート調査から,
とはないが,彼が孫について「自分の悪いところ
吃音を持ちながらも肯定的な自己評価をもち,ポ
受け継いでしまった」と思っていると感じていた。
ジティブな社会生活を営んでいくためには,こと
A児の吃音は4歳頃から目立つようになり,大学
ばの教室などにおいて,家庭や学校と密接な連携
病院で受診したところ「治療法が分からない」と
をとりながら,学齢期から,子どもと吃音につい
言われた。入学当初,担任は母親に吃音に対して
て,率直に話し合うことの重要性を報告した(太
通級指導が受けられると話したが,母親は「吃音
田,2001,太田・長澤2004)。この知見を発展さ
は遺伝だから」と,その話を断った。2年生の時,
せるため,学齢児の教育臨床において,子ども達
A児が友だちから「あんたのしゃべり方,変だか
が吃音を持つ自分と向き合い,自分の吃音につい
ら,うつる」と言われた。その場にいて,ショッ
て他者と語り合えるようになるためには,臨床教
クを受けた母親は,ことばの教室に,指導を申し
師の態度や行動が重要であり,1)子どもの非言
込んだ。通級開始当初,A児は,口のまわりを過
語的行動に注意して対応しないと,子どもは心を
度に緊張させ,つまったり,繰り返したりしてい
閉ざしてしまう,2)子どもと吃音の話をすると
た。話すことをあきらめるような態度はみられな
いうことは,その価値観を押しつけるものではな
かった。
い,3)教師と子どもの行動は相互に影響し合う
こと,などを報告した(長澤・太田,2003, 2004)
。
2.3 データの収集
本稿においては,吃音を持つ学齢児への教育臨
A児とB教師の許可を得て,臨床場面をVTRも
床を担当することになった新任の教師が,子ども
しくはカセットテープに任意で記録してもらっ
との信頼関係を構築しながら,吃音について話し
た。VTRについてはカメラを固定して撮影したた
合えるようになる過程を臨床場面の教師の行動や
め,A児やB教師の様子が画面におさまっていな
内省を子どもの変化と対応させ,分析を行い,臨
いこともあった。指導に関する教師の気持ちにつ
床教師の望ましい姿を検討する。
いては,筆者がVTRなどを受け取りに訪問した際,
2.方 法
聞き取りを行い,録音やメモによって記録した。
また,B教師はVTRを筆者に渡す前に自発的に
2.1 対象
VTRを見直し,反省点や指導で心に残ったことな
公立小学校に設置されていることばの教室にお
どをメモにした。教師の内省は【気持ち○】とい
いて通級指導を受けている吃音のある2年男児A
う項目を設け,○の部分にはデータの入手手段を,
長澤泰子・他:教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
記 号
5
VTRにおける状態
2人が横並びの場合の状態(横並びしていない場合の状態)
●
●
●
(点線) 両者とも相手に顔もしくは体を向ける(両者とも相手の顔を見る)
(一重線)
教師だけが相手に顔もしくは体を向ける(教師だけが相手の顔を見る)
(波線)
A児だけが相手に顔もしくは体を向ける(A児だけが相手を見る)
(下線なし)
両者とも相手に顔や体を向けていない(両者とも相手の顔を見ていない)
(傍点)
教師が映っていない場合:A児が教師のいる方向を見ている。
●
図1 行動に関する記号
インタビューをI,メモをM,電話の場合をTで
と返事をしたので,メトロノームを用いた指導を
表し記入する。
試みた。A児はメトロノームのリズムに合わせら
学級担任への【連絡帳】の内容
を必要に応じて記載する。
れず,練習をやめ,遊びに戻った。
2年生10月中旬:B教師が「本読みをしてみな
2.4 吃音の話をする相互交渉の記述
い?」と誘ったが,「遊びたい」と言ったので,
音声言語,声の様子,視線,顔・体の向き,体
プレイルームで遊んだ。A児は「これやろうよ」
の動きなどを書き起こし,図1の記号を用いて表
とB教師を連れまわすような感じで,遊びを次々
記する。会話の同時性は記号〔 で,発話の中断
とかえていった。【気持ちI】とてもベタベタし
は記号=で,身体の動き・表情は(
てくる。遊びが次々と移ることが気になった。
)内に表記
する。
【連絡帳】遊びの内容・練習の内容・今後の方針
3.結 果
A児の学校生活にとって大きな節目となった転
校を中心に時期を分割し経過をたどる。
として「関係作りを中心とし,本人と一緒に吃音
について考えていけたらなと思っています」と記
載。
2年生10月下旬:吃音について初めて話し合っ
た。2人は90度に向き合って座り,B教師が吃音
3.1 転校の話が持ち上がった時期
(2年生2学期∼3学期:通級回数11回)
2年生9月下旬:ことばの教室への入級決定。
の 絵 本 『 ど も っ て も い い ん だ よ ね 』( 朝 日 ら ,
2002; 長澤, 2001)を読み聞かせた。B教師が最後
の行「今度は君の話を聞きたいな」と読んだ時,
A児には吃音症状の検査と面接が行われた。A児
A児は困った表情をし,B教師を上目遣いで見て
は入級の理由として,「ことばがつまるから」
,こ
「はい,終わり」と言って絵本を閉じた。B教師
とばがつまりやすいときは「緊張しないとき」と
が登場人物の経験に似たことはなかったかをたず
答えた。A児が吃音について他者と話すことがで
ねたところ,本読みでつかえ友だちから笑われた
きることから,B教師が担当することになった。
経験が書かれているページを開いた。以下にその
A児は母親に「来週,楽しみ。早く来たい」と言
相互交渉を示す。
ったとのこと。
B教師(以下B):(絵本を見ながら)あー,つ
2年生10月初旬(初回):プレイルームで,ミ
っかえたりなんかすると,みんなが?
ニチュアで町を作る遊びをした。遊んでいるとき,
A児(以下A):わ,わ,わらったり。
難発が認められたので,B教師はすかさず,「ど
B:笑う?
んな感じだった?」とたずねた。A児は「のどが
A:(顔を下に向ける)くっくっくって,はーな
痛い」と答えている。B教師は「話し方の練習を
やってみようか」と誘ったところ,A児が「うん」
したりしてるみたい,少しだけ。
B:どういうことを?
6
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
A:それは聞いたことがない。
の決定で3年生から転校することになった。
B:聞いたことがないけど,話してる感じがする
任を訪問したところ,「ことばの教室に通うよう
んだ。
になり,情緒的に安定してきた。
担
A児に十分に
A:うん,感じがする。
してやれていないことをB教師がやってくれてい
B:Aくんのことについて?
るので有り難い。
A:うん。
と言われたので,吃音のパンフレット(Conture
B:そうなんだ。
& Fraser, 1979:長澤・中村訳,1993)を担任に
A:遊ぼう(立ち上がる。
)
渡した。
吃音に関する本を読みたい」
B教師はどのような時にどもるかなど質問を続
2年生1月:3学期は弟も毎週ついて来ること
けていた。A児は誰とも吃音について話したこと
になったため,遊びに妹が加わった。指導中の遊
がないと答えていたが,再び「遊ぼう」と言った。
びで,A児と妹の意見が食い違うと,母親は「妹
この頃,引越しに伴う転校が問題となっており,
の言うとおりにしてあげなさい」と注意していた。
来年度からと主張するA児に対して,母親は悩ん
【気持ちM】A児は私と2人で遊びたいんだろう,
でいた。【気持ちI】絵本をめくる様子から,吃
私を独占したいと思っているだろう。弟や妹をど
音の話にとても興味があるように思った。自分は
うすればいいだろう。C教師に相談したところ,
吃音の話を聞かなきゃと思って,嫌がっているの
きょうだい関係の調整も必要であるというアドバ
に無理に引っ張ってしまったようだ。しかし,こ
イスを受け,指導中も3人で遊ぶことになった。
れを機会に吃音を話題に出しやすくなった。吃音
【連絡帳】引越しのこと。自分のことで好きなこ
指導に対して自信がないため,そのことを本人に
とだけでなく,「何する?」と聞いてくるように
踏み込んで聞くことができなかった。
なったA児の変化,今後の方針として「今年もA
2年生11月初旬:A児が教室に来るとき,弟は
預け,妹だけをつれてきていた。家庭では小さな
弟の面倒をみなくてはならないため,通級日の待
くんと楽しく活動していきたいと思っています」
と記載。
2年生2月:吃音がひどくなった。
【気持ちI,
合室で兄を待つ時間は,妹にとって母親を独占で
T】質問を受け流しているように感じる。遊びた
きる時間になっていた。今回は弟も一緒に来室し
い気持ちが強いのだろう。話し方へのアプローチ
たため,妹も一緒にプレイルームで遊んだ。【気
はしないことにしよう。転校の心配があるのだろ
持ちI】吃音について話せるといいな。吃音指導
う。でも,3学期に入り,ベタベタしなくなった。
をしっかりとやらなきゃ,勉強していかなきゃ。
2年生3月:3学期末が近づくにつれ,A児の
でも,今はA児と仲良くなれればいいかな。A児
吃音は難発ぎみとなり,随伴運動が目立つように
は遊びたいと思っている。
なった。指導では遊びに専念した。【気持ちT】
2年生12月中旬:B教師がA児に「どもったと
き,つらくない?」とたずねたが,A児は「うう
転校を不安に思っているのか,吃音がひどくなっ
てきた。大丈夫だろうか。どうすればいいだろう。
ん」と答えた。B教師の「転校するんでしょ」と
【連絡帳】吃音や引越しに関する質問を受け流さ
いう質問に対しても,A児は「うん」と答えただ
れたこと。転校に関する母親の不安。そして「A
けであった。母親へのインタビューでは,A児は
くんの気持ちをわかりあうことができず,私も試
翌年度からの転校を嫌がっていること,最近吃音
行錯誤です」と記載。
がひどいという話があった。【気持ちI】吃音の
ことも転校のことも受け流されてしまった。
2年生3月下旬:担任を訪問したところ,12月
に読んだ吃音のパンフレットに対する感想の第一
2年生12月下旬:学区外に引越し。A児は卒業
声は「難しいー」であった。担任は「吃音は原因
まで今の学校に通い続けることを希望したが,親
が分からないが,まわりの大人のかかわりによっ
長澤泰子・他:教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
てかなり改善するようなので,本人の負担になら
ないように,どう考えるかが大事だと思った。」
と述べた。
7
A:他の友だちは言ったけどね。
また,今の学校のクラスと前の学校のクラスは
どちらが好きかという問いに対して,A児は今の
友だちが遊びに加えてくれないことを話した。ま
3.2 新しい学校での生活(3年生1学期:
指導回数9回)
3年生4月:転校したが通級はそのまま続ける
こととなった。
3年生4月下旬:B教師は母親から電話で,1)
た,運動会の話の時,A児のほうから「先生も見
にくれば,ひまだったらね。」とB教師を誘った。
【気持ちT】友だちに吃音を説明できるようにな
ったのは,転校による成長のおかげかな。また,
昨年秋に読んだ吃音の絵本の中に,どうしてども
A児は友だちから話し方について聞かれ「小さい
るのかと友だちに聞かれ「誰も分からないんだ」
頃からこういう話し方なんだ」と答えたこと。2)
と答えた子どもの話があったが,その話が頭に残
帰宅後,友だちと遊ばずに家にいることが多くな
っていたのかな。
ったとの連絡を受けた。【気持ちT】友達に説明
3年生5月下旬:弟が髄膜炎にかかり,最低1
できた,よかった。本人の口から聞きたいので,
ヶ月は入院することになった。母親は早朝から夜
今度聞いてみよう。【連絡帳】新しい担任への挨
遅くまで,看病のため家にいなかった。妹は母親
拶。これまでの指導の方針と内容,現在の吃音症
が夜迎えに行くまで他家に預けられた。夜,A児
状,友だちに吃音について説明できたこと,吃音
はひとりでいることが多かった。ことばの教室に
への対応として「どもっても話すこと,自分の思
は,祖母がついてきた。転校や弟の入院のため,
いが伝えられること」が重要であり,そのために
A児はさまざまなストレスを一人でかかえること
は周囲の大人が,「どもってもいい」という環境
となった。
を作ることだと思います」と記載。
3年生5月中旬:B教師はA児の吃音を理解す
3年生6月上旬:B教師は吃音に関する知識
(Crowe & Cooper, 1977)をクイズ形式で行った。
るために検査を行った。また,友だちに吃音の説
「どもりは同一家族内に生じるか?」という質問
明ができた話を聞きたくて,新しい学校生活につ
に対して即座に正解をした。この年齢で,吃音に
いてたずねた。その時の相互交渉を以下に示す。
は家族集積性があるということを,理解するもの
但し,B教師とA児は向き合い,その間にカメラ
は少ない。A児の祖父が吃音であるためか,A児
が置かれてあったため,教師は映っていなかった。
はこの内容を実感していたのだろう。この頃,他
B:何か友だちに言われたことない?
......
A:あるけど,ちゃんと説明して=
者を交え,野球を楽しめるようになっていた。
B:あ,そう。どうやって説明したの?
A児の親が担任との間にトラブルが合ったとのこ
A:自分でもこういうふうに,な,な,なっちゃ
..
うって分かんないって。
と。どうするか話合ったところ,その担任を知っ
B:わかんないんだよって。
と述べた。
【気持ちI】B教師は,自分が担任との
A:うん。
連絡帳にA児の悪い点を記述し,担任もそれに同
.... ......
B:そうなんだよねー。えらいね,ちゃんと言え
....
たんだー。
.......... ..
A:(少し嬉しそうな表情で)うん。
...........
B:そしたら何って言った?
.. .......
A:へー,そうなんだって。
.............
B:他には何も言わなくなった?
3年生6月中旬:B教師,D教師,筆者(O)が,
ているD教師は,障害に理解のある,いい先生だ
意するコメントを書いていたことを思い出した。
「自分はA児の良いところを担任に伝えなければ
ならない立場なのに,逆のことをしてしまった。
」
3年生6月下旬:楽な話し方をA児とさぐろう
とし,いろいろな音読(例:おもしろい読み方な
ど)を行った。B教師は本読みでどもることがあ
8
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
るかを質問した。その相互交渉を以下に示す。な
決めた。母親は吃音に触れてはいけないと思って
お,カセットテープによる記録なので,発話のみ
おり,A児との話し合いにおいて吃音に関するこ
記述する。
とは話題にしなかった。一方,B教師は研修会や
A:なるときもあるし,ならないときもある。
研究会に出席したり,吃音指導に関する書物「学
B:苦しい感じにならない?
齢期の吃音指導」(Dell, 1979 長澤訳 1995)を精
A:気にしてないから。みんなに笑われるかもし
読した。【気持ちM,I】これまで「どもってい
れないし=
い」という指導をしていたつもりだったが,自分
B:そんなことないよー。
はどもらない話し方を身に付けさせるような逆の
A:かもだから,かも。
指導姿勢をもっていたことに気づいた。
B:絶対ない。でも,そう思うかなー。
A:(小さな声で)ちょっと思う。
再び本読みをした。B教師が「自分なりに楽に話
せる読み方が分かるといいね」と言うと,
A:(真剣そうな声)うん,だけど,考えてみた
けど,それは本当にそれはないんだよ。
3.3 元の学校に再び転校した時期
(主に3年2学期:指導回数13回)
3年生9月初旬:A児は元の学校に再び転校し
た。母親は弟の病気によって,子ども達は生きて
いるだけでいい,せっかく生きているのだから,
B:考えただけでしょ。やってみたことは?
いやなことを我慢させることはない,6年生まで
A:だけど一緒だよ,そう思う,おれ。だけど,
通わせようと思うようになったとのこと。A児の
その時なるときはなる。ならないものでもな
学年は元々1クラスであったこと,2年時の担任
る。いろいろ。だから,分かんなくなっちゃ
が引き続き担任をしていたことから,A児はすぐ
う。
にクラスにとけこめた。B教師は元の学校に転校
B:自分でも分かんなくなっちゃうよね。そっか
ー。
した様子をA児にたずねたが,A児は「まだ行っ
たばっかりだから」とだけ答えた。指導において
この後,どもりにくいと言われている斉読を行っ
は,楽にどもる話し方(随意吃)を身につけさせ
た。【気持ちT】A児は吃音をどうすることもでき
ようと,ポケモンゲームに初めの音を繰り返すル
ないと思っている。どうしたらいいだろう。
ールを組み込んで,練習した。【連絡帳】挨拶。
3年生7月上旬:B教師は筆者たちにA児が
1学期の様子。転校に関する質問を受け流された
「吃音はどうすることもできない」と思っている
こと。随意吃の練習を今後行う意義としての「随
ことを相談した。筆者(N)は「吃音はどうする
意吃の方法を知っていることは,もし言葉がつま
こともできないもの」ではないことを伝えなけれ
って出ないときがあっても,自分で楽にどもって
ばならないこと,話し方の練習はそれを伝えるた
言葉を続けられる方法を知っていることになりま
めのものであることを話した。さらに,楽にども
す」という説明と具体的な内容を記載。
る指導をしているVTR(関ら,1989)を一緒に見
3年生9月中旬:吃音には3つのタイプがある
た。【気持ちI】実際の指導を見たので,イメー
こと,繰り返すタイプは楽であることを説明し,
ジがわいた。勉強して,自分もさらに取り組んで
楽に繰り返すどもり方の練習を行った。A児は練
みよう。
習を嫌がらないが,少しも楽しそうではなかった。
3年生夏休み:弟が退院した。少し落ち着いた
遊びでは野球をやった。キャッチボール,打ち方
ので,母親が学校の様子を聞いたところ,A児は
の練習であったが,20分も楽しめた。【気持ちT】
泣き出し,いろいろ我慢していたことや元の学校
この間見た,VTRでは子どもは楽しそうだったの
のほうがよかったと思っていることを話した。両
に,A児は少しも楽しそうではなく,つきあって
親は2学期からA児を元の学校に通わせることに
くれている感じである。どうすればいいんだろう。
9
長澤泰子・他:教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
遊びに変化があった。野球は,長い時間楽しめた。
方の勉強してるから,後でやろう」と断った。母
変わったな。
親が「吃音をひとにどのように説明したらいいで
3年生10月中旬:毎週,B教師は話し方の練習
しょうね」と言うので,B教師は本人にきくこと
に関する教材の工夫を試みた。ポケモンゲーム,
を提案し,2人でA児にたずねたところ,A児は
絵カード,パソコンで作った自分の地図をもとに
「
『くせ』っていってる」と答えた。母親は肯定し
したビンゴゲーム,ストラックアウト,本読みな
たものの,部屋を出たとき,B教師に「でも吃音
どの中で最初の音を繰り返して言う練習をした。
はくせではないですよね」と言った。これは母親
指導中の遊び場面においては,妹がA児と言い合
とA児が吃音について話した初めての会話だっ
いになると,母親は妹に「お兄ちゃんは勉強中だ
た。
からじゃましちゃだめよ」と注意するようになっ
3年生11月中旬:話し方の練習をした後,プレ
た。A児がコンピュータで地図を作っていたとき
イルームで遊んだ。指導の途中,弟の通院のため
の相互交渉を以下に示す。A児とB教師は横並び
に母親の帰りが遅くなるとの電話が入った。A児
になり,カメラは後ろに設置されていた。
にひとりで待つことの不安についてたずねた。A
B:Aくんは話し方がこれから先,どうなって欲
児は,変な電話がこないか不安であると話した。
しい?
B教師は吃音ゆえに電話に出ることがいやなのか
A:なおって欲しい。
を確かめようと思い,「電話でるのいやなの?」
B:なおって欲しい。どういう練習=
とたずねた。A児は「知らない人だから不安。こ
他の教師が入室してきた。その教師が指導でパソ
んな変な話しないで,これ(遊び)やろう」と言
コンを使うため,A児はパソコンを譲らなくては
った。【気持ちM,I】吃音ゆえの電話に対する
ならなくなった。A児が作成していた地図を保存
抵抗について聞き出そうとしたのは,失敗。電話
しているとき,
のことまできくことなかった。
B:どういう練習がいいかな?
A:違うのしよう。
3.4 別の地域に再び転校する話が持ち上が
B:違う練習がいい?今みたいのじゃなくて?
っていた時期(主に3年生3学期:指
A:違う遊びをしようかな。
導回数8回)
B:その話じゃなくて,今のね。
A:うん。
【気持ちM,T,I】どういう練習がいいか,本
3年生12月上旬:母親が来室出来ず,ひとりで
来たので,B教師は指導終了後,A児をバス停ま
で送っていた。途中,B教師はA児に「話し方の
人も分からないのに,聞き方がまずかった。また,
練習をしているけれど,どのようなどもり方が
A児がコンピュータで夢中になっているときに無
楽?」と質問した。A児は「繰り返したほうが楽
理に答えさせてしまった。いまでも,A児は吃音
だ」と答えた。【気持ちT,I】A児は繰り返す,
をなおしたいのだと感じていたが,本心を聞いた
どもり方のほうが楽だと話してくれた。繰り返す,
のは初めてだ。音を繰り返す練習では,自分の合
楽などもり方をめざしているので,A児が難発で
図のタイミングが悪くて,うまくいかない。どう
つまったときは,会話の中でつまったことばを連
しよう。でも気がついたら,A児は練習には楽し
発で返すようにしている。でも,話し方の練習は
そうに取り組むようになっている。どうしてだろ
しているが,どうすると日常の話し方にまで影響
う。
が及んでいくのだろうか。
3年生11月上旬:プレイルームで,ビンゴゲー
3年生12月中旬:B教師が母親の面接を行った
ムを使った話し方の練習をしているとき,同じ時
時,母親から再び引越しの話が出た。現在,バス
間帯の男児が遊ぼうと誘いに来たが,「今,話し
通学をしているA児が不憫で学区内に住居をさが
10
していたが,いい物件がなかったため,地域を広
げて探したところ,他の地域に引っ越す可能性が
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
A:でも,高くてもつまらないときもあるし,低
くてもつまるときもあるけど。
出てきたとのこと。【連絡帳】吃音症状。引越し
B:じゃ,今日さっそく低い声で練習してみよう。
の可能性。母親がA児との会話で吃音を話題にし
A:うん。(ゲームについて)これどうやってす
ないこと。随意吃の練習については「引き続きや
っています。ただ,なかなか会話の中に汎化しな
るの?
この後,A児のほうから友だちとお笑いコンビ
い状況です。どの様にしたら汎化していくのか,
をやっていることなどを話してくれた。【気持ち
模索中です」と記載。【気持ちT】A児はまた転校
M】A児から吃音の話をしてくれたことに「やっ
することになったら,大変だろうな。
たー」と嬉しくなった。嬉しくて,たたみかける
3年生1月下旬:A児がパソコンのゲームをし
ようと,ゲームのソフトをひらこうとしていた。
B教師はやや後ろに座って見ていた。そのときの
ように話しかけてしまい,その後のA児の話がし
っかりきけていない。
3年生2月:【連絡帳】学校での様子を話して
相互交渉を以下に示す。
くれたこと。A児の変化として「今までのように
A:な,な,なんかね,研究したらね,こういう
ベタベタしたり,甘えたりしてくることがほとん
ふうに,た,たかめの声を出すと,なんか,
どなくなりました。口調も変わり,成長したなと
あんまり,ううん,け,けっこうつまるんだ
感じます」と記載。
けど,ひ,ひくめの声を出すと,あ,あんま
りつまんないって分かった。
B:えっ(A児の腕に触れ,近寄る)うそー。本
当?
3年生3月:最後の指導は母親,きょうだい,
筆者を交えて,たこやき作りを楽しんで終えた。
母親はB教師,ことばの教室にとても感謝し,率
先して片付けを行い,丁寧な挨拶をして帰った。
A:うん。
引っ越し先が他区であるためB教師による指導は
B:どういう感じ?(低い声で)あーって?
打ち切りとなった。【気持ちI】A児とは話し方
A:ううん。あのさ,こういうふうに「先生」っ
の練習を始めたところであり,話し方の指導を勉
ていうふうに高い声でやるとつまる。
B:あ〔ー。
A: 〔(少し嬉しそうな表情で)って感じがし
たんだけど。
強しながら,A児とともにもう少し取り組みたか
った。
4.考 察
B:でも,それ,いいかもしんないよ。ちょっと
指導経過を,子どもの様子,教師の行動・内
待って,もう一回。低い声ってどういう感
省・連絡帳の記述,そして吃音の話における相互
じ?
交渉に分けて,表1にまとめて示す。
A:(低い声から徐々に高くしながら)あー,
〔あー,あー。
B: 〔あー,
2年生のA児は明確に自分の吃音を意識してい
たにもかかわらず,話し方の練習をするよりも遊
びを好んでいた。ところが,3年生になり,自分
あー,あー(A児と一緒に徐々に高い声にし
の吃音に対する思いを,ポツポツと話すようにな
)
ていった。
り,退級時には,「研究したんだけど・・」と自
A:(パソコンの画面のゲームに関して)いい?
分がどんなときにどもってしまうかを幼いことば
B:(話し方のことと勘違いして)そういうふう
ではあるが,自発的にB教師に伝えている。これ
にやればいいじゃない。
(A児に触れる)
は,吃音を持つ自分と向き合えるようになるため
A:(嬉しそうに)これでしょ,これでしょ。
の大きな前進であると考えられる。このような変
B:うん。
化は,臨床教師との関係において可能になるもの
11
長澤泰子・他:教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
表1 A児の指導経過
転校の話が持ち上がった時期
新しい学校に転校した時期
元の学校に再び転校した時期
(2年2∼3学期)
(3年生1学期)
(主に3年生2学期)
別の地域に再び転校する話が
持ち上がった時期
(主に3年生3学期)
弟の病気
通級開始
遊
び
の
様
子
遊びが次々と移った。ベタ 同時間帯の児童とその担当教 試合形式ではなく、A児とB教 A児はベタベタしたり、甘え
ベタしてきた。しかし3学 師も加わって野球の試合をし 師だけでキャッチボールを長 たりしないで、遊べるように
期頃からあまりベタベタし た。
い時間楽しめるようになった。 なった。
なくなった。
・吃音指導に自信がないため、 ・転校先の友だちに吃音の説 ・「どもってもいい」との方 ・A児が自分から吃音の話、
A児が話し方の練習をし
明ができたことを聞き、安心
向で指導をしていたつもり
学校での友だちとのことを
たいのかを踏み込んで聞
し、A児の成長を喜んだ。
なのに、研修会や勉強によっ
話してくれるようになった。
けない自分に気づいた。 ・転校先でのトラブル、弟の
B
教
師
の
気
持
ち
て、逆の意味をもっていた ・A児は元の学校に戻って喜
吃音指導の勉強をしない
入院によって、A児はつら
ことに気づいた。そして、
んでいたのに、また転校し
といけないと思った。
い環境に置かれた。A児の
随意的にどもれるようにな
たら大変だろうな。
・VTRを見直すたびに、A
環境を良くするためにも担
れば、A児も楽だろうと思
児と同等に遊んでしまっ
任にA児の良さを伝えていく
い、随意吃の練習をするこ
ていることを反省した。
つもりが、連絡帳で逆のこ
とにした。
・転校が近づくにつれ、A
児の症状が悪化し、どう
すればいいか悩んだ。
とをしていたことに気づき、 ・話し方指導において、A児
反省した。
・A児が吃音をどうにもなら
に分かるように説明できな
かったり、A児に誤解をあ
たえたりと自分のやり方の
まずさを反省することが多
かった。
・日常の話し方にまで汎化す
る話し方の練習のポイント
について悩んだ。
どのような吃音指導をすれ 今学期はA児の吃音について どうすれば随意吃を理解して A児が話し方の練習をしたい
ばいいのだろうかという焦 知ろうと思い、検査を実施した もらえるか、どのような教材 と思っているときは練習をし、
りはあったが、A児は遊び り、吃音の知識クイズを行っ を用いれば、A児が楽しんで 遊びたいと思っているときは
たいと思っていると判断し、 たり、本読みの練習などをし 取り組めるかを考え、常に教 遊ぶようにした。
B
教
師
の
行
動
遊びを通して信頼関係を築 た。A児の吃音に対する思い 材を工夫した。
くことに努めた。
を知り、筆者たちに対応を相 母親からひとに吃音をどのよ
談した。また夏休みに研修会 うに説明すればいいか相談さ
や私的な勉強会に参加したり、 れたとき、母親と一緒に、A
本を読んだりした。
児はどう説明しているかをき
いた。この結果、吃音につい
て、はじめて親子の会話を持
たせることができた。
B
教
師
の
連
絡
帳
実施した指導、特に遊びの 実施した指導、遊び・音読の これから取り組む随意吃の練 自分から学校の様子を話した
吃
音
の
話
に
お
け
る
相
互
交
渉
A児は質問に答える時B教師 A児はB教師を時々見たりしな A児は質問に答える形で、初 A児は体をB教師に向け、「研
記述、引越しの記述が多か 練習の記述、吃音症状の記述 習の意義および練習の様子が こと、A児の成長に関する記
った。
が多かった。
書かれてあった。
述がみられた。
を見ていなかった。また、 がら、質問に答えた。また、 めて「吃音をなおしたい」と 究したんだけど、低い声で話
A児は「遊ぼうよ」と言っ B教師の「読みやすい話し方 話した。その時のA児の体や すとつまりにくいことが分か
て、話を終えたがった。
が分かるようにしよう」とい 顔はB教師に向いていなかっ った」と自分から話した。
う言葉に、A児は吃音はどう た。
にもならないと思っていること
を話した。
12
と考えられる。教師の内省を中心とし考察する。
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
導型の指導でより深まる。一度成立した信頼関係
は そ う 簡 単 に 壊 れ る も の で は な い 」( 長 澤 ら ,
4.1 臨床教師の役割
1989:p. 397)と述べている。子ども主導型の活
臨床教師は,特別なニーズを持つ子どもの個別
動を行えば高い確率で,遊びになる。B教師は,
指導計画を立案・実行し,その子どもが少しでも
A児が遊びたがったから,遊ぶことにしたと述べ
楽に生活していけるようにサポートする専門職で
ているが,子どもとしっかりとつながろうとした
ある。しかし,このことは理想的に行われている
結果が,このような選択をさせたのだろう。そし
とは限らない。現にB教師は,吃音についてほと
て,A児は,徐々にではあるが確実に変化してい
んど知識のないまま,A児の担当になってしまっ
った。
た。B教師は初回から,話し方の練習をさせよう
としているがA児はそれに応じてくれなかった。
4.3 教師自身の変化
家庭においては長兄としての立場が強調され,父
B教師は,内省において自分の力不足を意識し
母に甘えることが充分でなかったのかもしれな
ていた。表1に記載されているB教師の気持ちを
い。B教師は,ベタベタしてくることを気にしな
見るとそれがよく分かる。対応する行動の欄では,
がら,それを許し,遊びを通して信頼関係を築く
反省に対して前向きの決定がなされ,それが実行
ことに目標を変えた。自分の遊び方に対して,同
されている。研修会や研究会に積極的に出席し,
等に遊んでいると反省しているが,これは,むし
吃音に関する知識を吸収した。周囲にいる先輩達
ろ子どもとしっかりと向き合って遊んだことにな
の意見やアドバイスに耳を傾け,教科書を何回も
り,このことが,A児の遊び方や吃音に対する感
読み返していた。随意吃,楽な話し方の練習では,
じ方を徐々に成長させていったものと考えられ
教師としての技術は未熟ではあったが,A児が楽
る。
しめそうな様々な教材や方法を試みていた。
転校が決定し,A児の吃音症状は悪化してくる
3年生の1学期は,転校先でのトラブルや弟の
が,新しい学校で,吃音のことについてとにかく
病気などA児にとって辛い時期だった。2学期に
説明できたのは,B教師が遊びを中心に据えなが
なり元の学校へ再転校したが,4年生になるとき,
らも,時に応じて吃音を話題にしていた結果であ
また新たな地域に転校するということが決まって
ろう。子どものニーズによって,指導の方針や方
いた。それでも,A児は自分の吃音について話す
法を変え得る柔軟性が,臨床教師に求められる重
ことが出来るようになってきた。3年生3学期に
要な資質であろう。
実施した,自分についてと話し方についてのアン
ケートでは,A児は,「発言しなければいけない
4.2 信頼関係を結ぶための対応
ときはちゃんと言える」
,「話す時,ことばが出な
B教師は,遊びを通して信頼関係を築こうと努
かったらどうしようと心配にならない」と回答し
めた。子ども達にとって遊びは自発的な楽しいも
ていた。退級する時,A児が吃音をどのように捉
のであり,学習の場としても最高のものである。
えているか確認しなかったが,吃音をなおしたい
実際には,ことばの練習も,子どもにとっては遊
という思いだけではなくなっていたように感じて
びであることが望ましい。しかし,学校では,遊
いた。B教師は低い声だと言いやすいと自分で思
びと学習ははっきりと分けられており各教科の目
いをめぐらせることができるようになった様子を
標が定められている。教育臨床においては,この
みても,吃音に対する思いや意識が広がり,柔軟
形を破ることが時に必要となる。長澤らは,こと
になってきたように感じていた。A児の変化は,
ばの教室における吃音児指導に関する研究におい
勿論,B教師だけではなく,両親や学級担任のサ
て,「信頼関係は,指導者主導型よりは子ども主
ポートによるところも大きいだろう。しかし,こ
長澤泰子・他:教育臨床におけるコミュニケーション分析の試みⅢ
のように感じることが出来るようになったB教師
の変化は,A児の担当をしたからにほかならない。
13
障害児を持つ親の会。
4)Dell, C. W.:1979 Treating school age stutterer: A
guide for clinician. Stuttering Foundation of America
(長澤泰子訳(1995)学齢期の吃音指導:専門家
謝 辞
のための手引き.大楊社)
。
本論文の作成に当たって快くデータを提供して
くださったB教師およびA児と家族のみなさんに
5)長澤泰子:2001,『どもってもいいんだよねっ』
第一次試作版(未公刊)
。
6)長澤泰子・太田真紀:2003,「教育臨床における
心より感謝します。
コミュニケーション分析の試み −吃音のある
子どもと教師の話し合い場面について−」『日本
橋学館大学紀要』第2号,3∼13頁。
引用文献
1)長澤泰子・田中紘美・関律子:1989,「ことばの
7)長澤泰子・太田真紀:2004,「教育臨床における
教室における吃音児指導に関する研究 1.そ
コミュニケーション分析の試みⅡ −教師の行
の背景」『日本特殊教育学会第27回大会発表論文
動が子どもの行動に及ぼす影響−」『日本橋学館
集』396∼397頁。
大学紀要』第3号,3∼13頁。
8)太田真紀:2001,「吃音児の肯定的自己評価と促進
参考文献
1)朝日滋也・中村勝則・豊嶋瑞穂・太田真紀・長
する要因について−成人吃音者への思春期を中
澤泰子:2002,「子どもとともに吃音に向き合う
心とする回顧的質問紙調査より−」,慶應義塾大
ための教材開発の試み」『日本特殊教育学会第40
学大学院社会学研究科修士論文(未公刊)
。
9)太田真紀・長澤泰子:2004,「吃音児・者におけ
回大会発表論文集』616。
2)Crowe, T. A. & Cooper, E. B. : 1977 "Parental
る肯定的自己評価の促進要因 −成人吃音者に
attitudes toward and knowledge of stuttering". Journal
対する質問紙調査−」『特殊教育学研究』41巻,
of communications disorders, 10, 343-357.
5号,465∼474頁。
3)Conture, E. G. & Fraser, J.( Eds.) : 1989,
10)関律子・田中紘美・長澤泰子:1989,「ことばの教
Stuttering and your child, question and answers .
室における吃音児指導に関する研究3.“楽にど
Stuttering
もる”練習に至ったR君」『日本特殊教育学会第
Foundation
of
America.(長澤・中
村訳:1993,『子どものどもりQ&A』
全国言語
27回大会発表論文集』
,400∼401頁。
14
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
A preliminary study on the communication analysis in the
clinical work at the educational settings III:
Effects of the teacher's introspection on the child's behavior
Taiko NAGASAWA*1
Maki OTA*2
Synopsis
In the previous two studies in which we analyzed the teacher-child interaction at the speech special
class or Kotoba-no-Kyoshitsu, we reported, 1) the importance of the non-verbal expression of the
child such as vocal tone, facial expressions, body direction and so forth, in order to apprehend child's
feelings towards stuttering that is the source of bitter experiences, and 2) when the teacher
understood the feelings of the child, the child began to talk about his bitter experiences.
The present study continues a communication analysis of the teacher-child interaction in terms of
effects of the teacher's introspection on the child's behavior. Teacher B was a newly assigned female
in her early twenties, who had no experience of teaching any child who stutter, although she studied
special education in university. Child A was a second grade boy who was conscious of his stuttering.
Forty-one speech sessions were held in 18 months, during which period Child A experienced quite
tough situation, such as changing the school because of moving, and then hospitalization of the
younger brother because of serious illness resulting in being paid little attention by his mother.
The speech sessions recorded with a VTR, and Teacher B's introspection after each session
obtained through interview or telephone or her own notes were comparably analyzed, together with
the communication notes exchanged with the classroom teacher. The result was discussed in terms
of the final goal Teacher B made for Child A, that he could talk about his stuttering with her, which
would be the essential condition for the boy to develop positive self-evaluation.
The findings were as follows:
1) Although Teacher B's professional knowledge and skills were limited, as she tried to respond to
child's needs, the agreeable behavioral changes of Child A emerged.
2) Child-centered teaching would help the teacher-child interaction improve, and as a result, Child A
began to talk about his stuttering.
3) Teacher B who was new in Kotoba-no-Kyoshitsu, having no confidence in treating Child A, made
every effort to study new area, by reading text books, attending seminars and workshops and seeking
senior's advices and so on, and she has now educated herself to be a sophisticated clinical teacher.
Key words
teacher's introspection, self-education of teacher, child who stutters, positive self-evaluation
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administrations, Nihonbashi Gakkan University
*2 Graduate School of Humanities, Tokyo Metropolitan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.4
15
原著論文
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
佐々木 由利子*1
カウンセリング心理学の授業において進路選択支援のプログラムを施行した。プログラムの
効果を測る為に初回と最終回に,進路選択のための自己効力尺度(CDMSES,
浦上1995)と
書き込み満足度の自己評価を含むキャリア計画シート(CPQ)を施行した。
4回のうち3回以上出席した50名の学生のデータが実験群資料として分析された。対象群の
データは他のクラスでCDMSESに回答した43名の者により構成される。12名の者はCPQにも回
答した。
実験群のCDMSES得点は有意に上昇したが,対照群の得点は上昇しなかった。実験群のCPQ
の書き込み満足度自己評価もまた有意に上昇したが,対照群はしなかった。これらの結果は本
プログラムに効果があったことを示していよう。各プログラムの効果を実験群に判定してもら
ったところ,諸得点が向上した学生は学生自身の積極的努力を要するプログラムを高く評価し
ていた。
キーワード
進路選択支援 大学生 キャリア
1.問題と目的
いことがその基にある。
筆者はこれまである大学において学生相談の一
大学を卒業し,就職をした若者のうちの3割が
環としてグループワークのセミナーの形態で3年
3年以内に離転職するといわれている。またフリ
生に就職の為の自己分析援助を行ってきたが,人
ーターとして正社員にならないまま年を重ねてし
数が限定されてしまうこと,自己表現についての
まう若者が増えていることが問題視されている。
理解,たとえば自己PRのしかたを学ぶ面には受
一方,高校までに上級学校への偏差値による受験
講生の満足度にみる効果は高いが,自分に向いて
指導以外に,社会に出てからの職業を中心とした
いる職業を知る面では効果は十分ではなかった,
自分の進路を真剣に探索する機会は若者達にこれ
という問題点があった(佐々木2001)。そこで今
まで余り与えられてきていない。大学の3年にな
回カウンセリング心理学の授業の一環として,キ
っていざ就職活動という時期になってから自分の
ャリアカウンセリングを取り上げる際に,多数の
やりたい仕事や適性について悩む学生は非常に多
学生を対象とし,自分に向いた進路・職業を探す
い。一つには自分の能力や志向性についての自己
という面を重視したプログラムを施行し,その効
理解が十分でない,今一つに現実の職業のこと,
果を測り,授業形態で行うならどういうプログラ
またどうすればなれるかについて余り良く知らな
ムが無理無く可能であり,効果が高いのかを調べ
2004年9月30日受理
Supporting Career Decision - Making in the Counseling
Psychology Class
*1 Yuriko SASAKI
日本橋学館大学人文経営学部
ることを目的とした。
これに関連する研究として浦上(1995a)は大
学・短大生用の進路選択に対する30項目の自己効
力尺度を作成し信頼性・妥当性を検討している。
16
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
自己効力の概念は自分の進路を自分で決めること
(5)自己分析シート書きこみ(次週までの宿題)
を助け,行動変容の為に操作が可能であることが
と(6)指定図書を読んで自分の関心ある職業に
特徴としている。浦上(1995b)はこの尺度と職
ついてレポート作成を指示(提出期限2週後)
。
業不決断尺度の関連を調べ,情報・自信不足,希
3回目――(7)価値観に関する意識調査施行
望関連不安,相談希求,葛藤,モラトリアムの5
(15分)と集計と解説(50分),(8)小グループ
因子のうち情報・自信不足が最も強く自己効力と
で宿題自己分析シートの発表話し合い。
(15分)
負の関連をしていることを見出している。浦上
4回目――(9)女性のキャリアについての意識
(1996)はさらにこの自己効力尺度と自己効力を
調査(7分),女性のキャリア形成についての説
高めるためのワークブックを用いて自己と職業に
明(30分)
,(10)進路選択に対する自己効力尺度
ついての情報不足,決定方略の欠落を補完する試
施行2回目(7分)
,(11)進路・キャリア計画シ
みを行い効果を挙げている。安住・足立(2004)
ート書き込み2回目(35分)
。
はキャリア・グループ参加者に自己効力尺度を実
なお,このプログラムを行うカウンセリング心
施して参加前・参加直後・就職活動を経験した1
理学のクラスを実験群として,比較的背景の共通
年後の得点を調べたところ回毎に上昇していた。
性が高いと思われた,心理臨床専修科目と人間社
また足立(1995)は職業的同一性と職業的自己実
会専修科目の青少年期の心理,社会人類学,歴史
現の関連性を検討し,両概念は価値(なりたい・
社会学の計3クラスの学生に対照群として協力を
なるべき自分の理解と統合),期待(職業につく
得た。彼等に進路選択のための自己効力尺度をほ
意欲と職業につける可能性)と方法(職業でなり
ぼ同時期に,間隔を実験群と同一にして2回施行
たい自分を実現する方法の理解)の3つの要素で
した。対照群のうち1クラスの学生には進路・キ
把握でき,両者の達成の程度はその3要素の相乗
ャリア計画シートも2回書きこんでもらった。
効果で測定できるとしている。
本研究は浦上の自己効力尺度を指標として用
い,心理テストや書きこみシート等を用いたプロ
グラムの効果を測る。
2.方法
2.1 手続き:被験者とプログラム内容
2.2 各課題の詳細
上記のプログラム内容について少し詳しく説明
すると,(1)キャリアカウンセリング理論の紹
介はF.パーソンズやウィリアムソンによって心理
テストや自己棚卸し表による自己理解と職業理解
の大切さを話し,プログラムへの動機付けを行う。
2004年5月から6月にかけて,日本橋学館大学
(2)進路選択に対する自己効力尺度は既述のよ
(首都圏の共学4年制大学)のカウンセリング心
うに浦上(1995a)の開発したもので,Banduraの
理学の授業(登録受講者111名)でキャリアカウ
提唱した自己効力の概念からTaylor&Betz(1983)
ンセリングを扱う際に4週にわたってプログラム
により進路選択に対する自己効力の概念が発展し
を施行した。その内容は以下の通りである。各回
た。これは主体的な進路選択力の内包する,進路
1コマ90分である。カッコ内におおよその時間を
の計画力,進路の選択力と2つの力を包含してい
示した。プリント配り時間等除く。
るという。この尺度を当該プログラムの最初と最
1回目――(1)キャリア・カウンセリング理論
後に実施しこのプログラムの効果を測る一つのめ
の紹介(40分),
(2)進路選択に対する自己効力
やすとする。
尺度施行(7分),(3)進路・キャリア計画シー
(3)進路・キャリア計画シート(資料1)も最
ト書きこみ。
(35分)
初と最後に書きこんでもらい,自分の将来の計画
2回目――(4)ホランドの職業興味検査(VPI)
について具体的に確認し,あわせてプログラムに
施行(15分)と集計と解説(70分)
,
よりなんらかの変化が見られたか確認するもので
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
17
ある。1回目と2回目では必要に応じて少々内容
の中にはこんな仕事もあるのだと思うほど広く紹
を違えた。また書いた内容について非常に納得の
介されている。
ゆくものが書けたから,ごく不十分なものしか書
・R-CAP JOB CATALOGUE(リクルート)
けなかったまで6段階の書きこみ満足度の自己評
リクルートの大学生向け適職発見テストの付
価をしてもらうことで,本人の意識上の変化を知
録。140種の職業についてどこで,何を,どんな
ることができるようにした。
人とする仕事か,やりがい,必要な知識スキルを
(4)ホランドの職業興味検査は広く使われてい
手短かにまとめたもの。
るテストである。職業選択と性格には関連性がみ
(7)職業価値観テスト(価値観に関する意識調
られるとし,現実的,研究的,芸術的,社会的,
査)は中西・三川(1988)の職業価値観の国際比
企業的,慣習的の6タイプ傾向の個人において強
較に関する研究で使われたもので,D. E. Superら
いもの上位3つの組み合わせにより,向いている
のWork Importance Studyの国際的な比較研究の際
とされる職業が具体的に提示される。
に作成されたものである。20の価値観への重み付
(5)自己分析シートは筆者が他大学で行ったキ
けが測れるようになっていて,それらは能力の活
ャリア・グループのさいに使ったものの一部を使
用,達成,昇進,美的追求,愛他性,権威,自律
用した。(佐々木1996)内容は1枚目が小学校か
性,創造性,経済的報酬,ライフスタイル(例,
ら大学時代までの経験の棚卸し(好きだった科目,
自分自身の考え方に従って生活すること),人間
特技・資格,趣味・スポーツ,クラブ・サークル,
的成長,身体的活動,社会的評価,危険性,社会
アルバイト他)と2枚目が自分の性格について幼
的交流(例,グループで仕事をすること),社会
年期から現在まで恩師,両親・兄弟の指摘,自己
的関係(例,友人と一緒にいること),多様性,
の記憶の記入と,自分の未来について20代から50
働く環境,肉体的能力,経済的安定性である。
代までのイメージ,目標の記入とからなる。
(8)宿題自己分析シートに基づく話し合いは近
(6)職業についてのレポート作成は,若者にさ
くの席の2,3人でグループを組んで20分ぐらい
まざまな職業の実態について知ってもらうのに役
書いた内容の発表とそれへの感想の話し合いをし
立ちそうと思われた3冊の本を図書館のリザー
てもらった。
ブ・ブックとし,どれでも好きなもの(それ以外
(9)女性のキャリアについての意識調査は,女
でも良い)を読んで,自分がなってみたいと思う
性のキャリア形成において女性であるが故の様々
職業(複数の方が良い)につき,どういう仕事で
な理由によって女性が自らの可能性を閉ざしてし
どういう能力・適性が必要で,そのやりがい・厳
まう場合が大いにあり得るため,その援助を考え
しさはどのようなもので,資格・教育等どうすれ
た。女性が自らの可能性を閉ざしてしまうような
ばなれるのかを調べてA4で3枚のレポートを書
意識の面を検討するため,論理療法の立場から女
くことを課した。リザーブ・ブックとした3冊は
性のキャリア形成援助を考えたD. Richman(1988)
次ぎのようである。
にヒントを得て独自の考えも加えて質問紙を作成
・「この人がかっこいい!この仕事が面白い!」
した。女性がキャリア形成の途上で遭遇しそうな
(キャリナビ編,2003)
役割葛藤による15項目からなる(資料2)。キャ
学生がさまざまな分野で仕事する大人にイン
リア形成の障害となりうる要因として取り上げら
タビューする形で仕事の面白さ,やりがい,大変
れたのは結婚願望による低目標,依存願望,社交
さ,どういう経緯を経てなったかをまとめたもの。
生活優先,非主張性,出産優先,妻役割優先,子
・「13歳のハローワーク」
(村上龍2003)
供の将来形成優先,結婚相手探し優先,女らしさ
青少年の好奇心の向く対象によって仕事を分
優先(非競争),男性優位意識,現状満足,老親
類して前後に似通った職種が紹介されている。世
への親孝行,夫引退への同調,家族ある男性への
18
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
地位委譲,老後ボランテイア優先である。これら
3.結果
キャリア形成のネックとなりそうな意識のうちど
れが強いかが分かる。得点の高い項目は「ねばな
3.1 被験者の内訳
らない」意識に捕われていることを示す。
このプログラムを受講した学生(実験群)のう
このほか女性のキャリア形成について,女性の
ち,効果判定の為1回目と4回目の受講を必須と
年齢階級別労働力率のデータや筆者の過去の研究
し,4回のうち3回は受講している学生のデータ
(田中・佐々木・湊2004)結果から,結婚・出
を有効回答とした。結果50名分が有効回答となっ
産・育児・老親の介護などの負担を担いながらも
た。学年の内訳は4年生7人,3年生9人,2年
日本の大卒女性が切り開いてきた職業生活のあり
生34人で1名の例外を除いて他は心理臨床専修生
方についての説明を行った。
である。
対照群の学生のうち進路選択に対する自己効力
2.3 本研究の仮説
尺度を2回受けた者43人の回答を有効回答とし
本研究の仮説としては次ぎのようである。
た.有効回答対照群の学生の内訳は4年生6人,
仮説1)本プログラムが有効であったなら,受
3年生27人,2年生9人,1年生1人である。専
講生(実験群)は進路・キャリア計画シートの書
修の内訳は人間社会13人,心理臨床26人,情報管
込みにおいて2回目に1回目より改善が見られる
理1人,言語文化1人,美学芸術2人である。
はずで,それは書き込みに対する満足度の自己評
実験群と比較して学年は3年生が多く2年生が少
価が1回目より2回目に向上する形で表れ,対照
ないという結果になった。
群はそれほど変わらないであろう。
実験群のクラスであるカウンセリング心理学は
仮説2)同じく,進路選択に対する自己効力尺
心理臨床専修の必修科目のため2年次で受講する
度の得点は,本プログラム受講生(実験群)は1
者が殆どで,カウンセリング心理学を受講してい
回目より2回目が高くなり,対照群の得点はそれ
ない心理の2年生を対照群としてまとめて見つけ
ほど変わらないであろう。
ることは困難で,心理臨床専修科目1クラスの他
仮説3)自己効力尺度得点や書きこみ満足度が
に比較的等質と考えられる人間社会専修科目の2
著しく向上した受講生は主体的に課題に取り組ん
クラスに協力を依頼したが,それでも多くの2年
だと考えられ,余り変わらなかった受講生よりも,
生被験者のデータを集めるのは結果的に難しかった。
各課題への進路探索上の効果への評価は高く,自
対照群のうちの心理臨床専修科目クラスでは自
己努力の必要な課題ほど余り変わらなかった学生
己効力尺度と共に進路・キャリア計画シートの書
と比べて高く評価するであろう。
きこみもしてもらい,書きこみ満足度の自己評価
探索課題1)プログラム各課題の進路探索上の
効果への評価は学生の現時点における関心のあり
もしてもらった。その結果書きこみ満足度につい
て12人の対照群としてのデータが得られた。
ようによって左右されるであろう。すると評価の
平均値により受講生全体の関心の傾向が推測出来
3.2 仮説1について
よう。
進路・キャリア計画シート(キャリア・シート
探索課題2)書き込み満足度や自己効力尺度の
と略す)への書きこみ満足度が実験群では1回目
得点が大きく上がった学生によって評価の高かっ
より2回目に向上するであろう,対照群ではそれ
た課題はなんらかの意味で有効性が高いと考えら
ほど変わらないであろう,という仮説1について。
れる。その特質はなにかをあわせて調べる。
表1は両群の1回目と2回目の書きこみ満足度得
点の平均と標準偏差である。t検定の結果,実験
群の1回目と2回目の平均の差は有意であった。
19
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
表1 進路・キャリアシート書きこみ満足度:実験群と対照群の差
実験群と対照群の平均値と標準偏差
1回目平均値
実験群(N=50)
対照群(N=12)
両群の平均の差
2回目平均値
1回目と2回目の
平均の差
2.98 (SD=1.5)
3.52 (SD=1.46) 0.54
*
3.08 (SD=1.62)
3.16 (SD=1.59) 0.08
n.s.
-0.1
0.36
*p<.05
(両側検定:t(49)=2.567,p<.05)1回目よ
プログラムへの評価が高く,自己努力を必要とす
り2回目の方が書きこみ満足度は高まったと言え
るプログラムほど向上しなかった学生と比べて高
る。
く評価するであろうという仮説について。
一方対照群の2回の書きこみ満足度の平均
の 差 は 有 意 で は な か っ た 。( 両 側 検 定 : t
実験群のうち自己効力尺度得点が大きく上昇し
(11)=0.209,p>.10)である。仮説1は支持さ
ていた者上位14名(得点差15点以上)と,書きこ
れる結果となった。
み満足度の大きく上昇していた者上位12名(得点
差2以上)をそれぞれ向上群とした。残りの受講
3.3 仮説2について
生のうち,自己効力尺度の得点が平均値より高い
進路選択に対する自己効力尺度の得点が実験群
者と低い者(2回で異なるものはどちらへの偏り
では1回目より2回目に向上するであろう,対照
が大きいかで決めた)をそれぞれ高群(13名)・
群ではそれほど変わらないであろうという仮説に
低群(23名)とし,同じくキャリア・シート書き
ついて。表2は両群の1回目と2回目の自己効力
こみ満足度の2回の自己評価においてどちらかが
尺度得点の平均と標準偏差である。t検定の結果,
4以上のものを高群(17名),どちらも3以下の
実験群の前後2回にわたる自己効力尺度検査の平
者を低群(19名)とした。書きこみ満足度が例外
均の差は有意であった。(両側検定:t(49)=
的に著しく低下していた2名のデータは除いた。
3.27,p<.01)1回目より,2回目が向上してい
以上のように2種の3群に分けて結果をみること
たといえる。一方対照群の2回の平均差は有意で
とした。
はなかった。
(両側検定:t(42)=1.57,p>.10)
対照群においては特に変化は認められなかったと
3.4.2 向上群の各プログラムへの評価
いうことになる。仮説2も支持される結果となった。
受講生に各プログラムへの進路探索上の効果を
効果大から効果小まで5段階で判定してもらった
3.4 仮説3について
が,2種の向上群,高群,低群の判定点の平均値
3.4.1 手続き
を一覧表にし,分散分析の結果を記したのが表3
自己効力尺度と書きこみ満足感の著しく向上し
である。自己効力尺度による向上群の判定値は数
た受講生は余り向上しなかった受講生と比べ,各
字上全てのプログラムにおいて他の2群よりも高
表2 自己効力尺度得点:実験群と対照群の平均値と標準偏差
1回目平均値
2回目平均値
1回目と2回目の
平均の差
実験群(N=50)
93.8 (SD=17.9) 101.4 (SD=17.8) 7.6
**
対象群(N=43)
89.0 (SD=19.6)
n.s.
両群の平均の差
4.8
91.6 (SD=22.3) 2.6
9.8
**p<.01
20
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
表3 各プログラムへの役立ち度判定値:2種3群間差の多重比較検定結果
群別
尺度向上群
尺度高群
尺度低群
書込み向上群
書き込み高群
書き込み低群
全体
統計値
①効力
②キャリア
尺度
・シート
N
14
14
M
3.5 b
SD
0.74
N
③VPI
④自己分析
⑤価値観
シート
テスト
13
14
14
14
14
3.57 b
4.08
3.5 b
3.64 b
2.87
3
0.85
1.19
0.94
0.74
1.19
1.11
12
11
13
13
12
13
12
M
2.92
3.18 c
3.85
2.92
3.5 c
2.85
2.67
SD
1.24
1.14
1.17
1.26
1.17
1.34
1.37
N
21
22
20
19
22
22
21
M
2.43 b
2.41 b c
3.25
2.42 b
2.86 b c
2.27
2.27
SD
0.74
0.8
1.02
0.77
0.64
0.98
0.94
N
10
12
12
12
12
12
12
M
3
3.75 a c
3.83
3
3.58
2.67
2.67
SD
1.41
1.22
1.19
1.35
0.52
1.23
1.07
N
16
16
17
16
16
16
16
M
3.13
2.94 a
3.47
2.88
3.5
2.75
2.5
SD
0.81
0.68
1.18
1.03
0.9
1.06
1.27
N
19
18
17
19
18
19
19
M
2.79
2.67 c
3.76
2.79
2.94
2.47
2.57
SD
0.98
1.14
1.03
0.92
0.87
1.26
1.12
N
47
47
46
48
48
49
49
M
2.87
2.93
3.63
2.83
3.25
2.59
2.55
SD
0.99
1.03
1.14
1.08
0.89
1.17
1.14
⑥話合い
⑦女性
キャリア
a は向上群と高群間の有意差、b は向上群と低群間の有意差、c は高群と低群間の有意差
い。ただし3群の判定の違いを見る分散分析と多
上群よりである。
重比較検定(フィッシャーのPLSD)で有意な判
定値の差が出たのは①自己効力尺度(向上群と低
3.4.3 自己努力を要するプログラムについて
群の差)②キャリア・シート(向上群と低群,高
ところで自己努力の必要なプログラムはどれか
群と低群間の差)④自己分析シート(向上群と低
を調査者の観点から規定すると,3段階に分けら
群間の差)⑤職業価値観テスト(向上群と低群,
れ,次ぎのようになる。
高群と低群間の差)である。
書きこみ満足度の向上群の判定値は殆どのプロ
(1)自分で主体的に行わない限り何も得られ
ないが,努力を投入すればするほど自己発見とい
グラムで他の2群より高かったが,①効力尺度と
う形で成果が得られるプログラム
⑥自己分析シートに基づく話合い(共に高群が最
・進路・キャリア計画シート ・宿題自己分析シ
高)は例外だった。しかし統計上3群の差がでた
ート ・自己分析シートに基づく話合い ・職
のは②キャリア・シートのみ(向上群と高群,向
業についてのレポート(ただしこれは受講生に
上群と低群間の差)であり,全体に向上群と他群
よる効果判定が行われていない)
の差が自己効力尺度ほど見られなかった。
(2)受身で取り組んでもある程度成果が得ら
効力尺度も書き込み満足度ももともと高かった
れるが,十分な成果を得るには必要な手続きプロ
高群はほぼ全てのプログラム評価で向上群と低群
セスをきちんと最後までこなさなければならない
の中間の値を示しているが,どちらかというと向
プログラム。
21
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
・ VPI職業興味検査(手続きプロセスは長いが比
較的簡略に自動的に行える。
)
・ 職業価値観テスト(回答は簡単だが,集計の
該学生の現在のニーズに合っていると考えられる
が,それは何か。表3に各プログラムの全体での
判定平均値を載せている。受講生全体に人気の高
ための計算が数多く手間が要る。
)
い順にVPI,職業価値観テスト,進路・キャリア
(3)受身でも楽に取り組め,そこから何を得
計画シート,自己効力尺度,自己分析シート,自
るかは個人の意識次第のプログラム
己分析シートに基づく話し合い,女性のキャリ
・ 進路選択に対する自己効力尺度(質問への回
ア・アンケートということになった。心理テスト
答が自分の準備状態を意識させる。
)
類が人気の上位に挙がっている。
・ 女性のキャリアについてのアンケート(女性
各プログラムへの代表的感想は自己効力尺度が
のキャリア形成について考えられる。但し関
「自分について考えさせられた」
,キャリア・シー
心の持ち方に男女差はあろう。
)
トは「自分が何をしたいのか改めて考えられた」,
この分類によれば,仮説どおりなら(1)の領
「書くことで考えさせられた」,VPIへは「細かく
域のプログラムで向上群と他の群の効果判定で大
分析できた」「自分に向いているものがわかって
きい差が出るはずである。2種の向上群で他群と
面白かった」,自己分析シートへは「今までのこ
の差が大きく出た②進路・キャリア計画シートは
と,これからのことを考えることが出来た」,職
まさにこの仮説通りの結果となった。④自己分析
業価値観テストは「自分の目指す仕事の価値観が
シートは効力尺度の向上群で低群との間に有意差
分かってきた」,話合いは「話合いで自分の新た
が出た。それに基づく話し合いには群間に有意差
な一面が見えた」「意味がよく分からなかった」,
は見られなかったが,効力尺度による向上群,高
女性キャリアについては「キャリアについて自分
群がほぼ似た平均値で低群より高い。
の考えが分かった」「女性がどのような生活をし
(2)の領域のプログラムは⑤価値観テストに
ているのかが分かった」である。
おいて効力尺度の向上群で低群との間では仮説通
りの有意差が出た。ただし高群と低群の間にも差
3.6 探索課題2 向上群に評価されたプロ
グラムについて
が出た。向上群と高群が共に評価したプログラム
ということになる。③VPIより自己努力をより必
向上群で評価の高いプログラムはトップは文句
要とした職業価値観テストでこうした結果が出た
なしにVPI,2番目が尺度による向上群で価値観
のは仮説を支持し,かつ高群が高いのも納得でき
テスト,書き込み満足度向上群で進路・キャリア
る結果である。
計画シートとなった。従って2種の群の2,3番
(3)の領域のプログラムが仮説どおりなら向
目は互いに入れ替わる。4番目は両群共に自己効
上群と他の群の判定値には差はあっても,小さい
力尺度,自己分析シートが同位,次いで尺度群の
だろうということになる。実際は自己効力尺度に
6,7が女性のキャリア・アンケート,自己分析
は効力尺度の向上群と低群間に有意差が見られ,
シートに基づく話し合いで,書き込み満足度群は
女性のキャリアについては群間に有意差がみられ
順位が入れ替わる。尺度向上群はテスト的なもの,
なかった。したがって女性のキャリアについては
書込み向上群は書込むものへ評価が高いようだ。
仮説通り,自己効力尺度については仮説は支持さ
各プログラムの特質については考察の項で検討す
れなかった。
る。
3.5 探索課題1 受講生全体の関心の傾向
について
受講生全体によって評価の高いプログラムは当
4.考察
4.1 プログラム全体の効果について
仮説1と2が共に支持されたことで,このカウ
22
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
ンセリング心理学の授業における進路・キャリア
ことで,まじめに取り組めばこそ気づきもふえる
発見サポートプログラムの効果が確認された。た
が,適当に片付ければ得るものは少ない。書込み
った4回の授業であり,短期集中プログラムなの
向上群によってより上位に評価されたのは仮説3
で,自己効力尺度に変化がみられるか危惧された
の結果の示すとおり書込み向上群が主体的に取り
が,杞憂に終わった。
組んだからであろう。両低群による評価は低く,
ただ対照群の選択については多少問題が残っ
書きこむのが面倒と思われたのかもしれない。
た。ひとつは先に述べたような事情で実験群が殆
③VPI職業興味検査
ど2年生なのに,対照群は3年生が最も多かった
受講生全体でも向上群でもプログラム評価のト
ことである。しかし理論上は3年生のほうが進路
ップであった。簡単に施行できるし,6タイプ傾
決定を間近に控え心準備が進んでいて1回目から
向の強い上位3つの組み合わせにより,向いてい
自己効力尺度得点は高く出ても,この集中プログ
る職業としてかなり具体的な職業名が挙がって来
ラムを受けないので尺度得点の変化はそう大きく
て明快である。その他思いがけない角度からも自
ないと考えられる。実際は1回目の平均がそう高
己分析できる。自己努力投入要度は中くらいだが,
くもなく,変化も予想通り大きくなかった。
その割に得られる情報は具体性も,意外性もある
今一つは進路・キャリア計画シートの書きこみ
ので全員に人気があったと思われる。こうした思
を行った対照群被験者が少ないことである。この
いがけない発見を楽しめる要素はプログラム編成
シートに2回書きこむのは2回書く意味の分かり
上非常に大切と考えられる。
にくい対照群学生にとっては特に心理的に負担の
はずで,時間的にも約35分と結構長いので,授業
④宿題自己分析シートと⑥それに基づく話し合
い
の一環として調査者が意味を説明できる調査者担
④は全体で5位,両向上群で4位の学生の効果
当の授業でしか行えなかったが,もっと多いこと
判定である。同じ書きこみ式の進路・キャリア計
が望ましい。
画シートと比べてどちらも自己努力要度は高い
が,これほど差があるのはなぜか。
4.2 各プログラムについて
自己分析シートはキャリア・シートと比べてより
①自己効力尺度について。これはプログラム全
広く深く自分の経験・性格・ビジョンを掘り下げ
体の効果評価のために導入された。このような短
るようになっている。キャリア・シートの書けな
期プログラムでも効果評価に有効と判断出来る。
かった部分へのヒントをこれから得られるよう
先に記したようにこれに回答するだけでも卒業後
に,じっくり書きこんでほしく宿題とした。おそ
の進路探索の必要性について啓発されるところが
らくキャリア・シートの2番煎じと感じられた
ある。学生による進路探索上の効果判定評価は全
り,書く内容が広がり過ぎて,キャリア・シート
体で4位であったが,対照群の自己効力尺度得点
ほどまとまって進路探索の目的に収斂していかな
もわずかながら向上している。
いと感じられたのではなかろうか。
②進路・キャリア計画シート書き込み。全体で
そういうことで書きこむ動機付けが弱かったと
の評価は3位のプログラムで,書きこみ満足度が
すると,⑥の話し合いも余り活発にならなかった
向上した群によって2位と高く評価されている。
かもしれない。全体,向上群ともに6,7位の評
最初にこれに書きこむことが,「書くことで考え
価である。また15分という時間も2,3人に一通
させられた」という感想の示すように,自分の計
りの発表しか許さず,短か過ぎて話し合いが表面
画のあやふやだったり,不足な部分を明確にして,
的で中途半端なものに終わった可能性がある。
全体のパースペクティブを与えてくれたと思われ
⑥職業についてのレポート作成
る。しかしそれは自分の書く作業の中から気づく
これについて受講生の効果判定を求めなかった
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
23
のは大きな失敗であった。レポートは学生にとっ
ートは必要でその内容はキャリアや進路に直結し
ては負担の大きい課題でマイナスの評価しかしな
ていて,書き込むことにより出来ていることこれ
いだろうと思って尋ねなかったが,他の書きこみ
からやらなければいけないことのパースペクティ
シート同様たとえ負担は大きくても進路探索の助
ブが得られるものが良いと思われる。しかし心理
けには大いになるかもしれない。学生は書く時は
テスト,書きこみシート共に2つづつ必要かは検
大変と思っても後では評価するかもしれない。そ
討の余地がある。総じて授業という場面で多数の
こは尋ねるべきであった。
学生を対象とするためグループワークは十分取り
⑦職業価値観テスト
入れられなかったのが心残りであった。今後の工
これは受講生全体と尺度向上群共に効果2位の
夫の余地があると思われる。
評価であった。とくに向上群・高群と低群の差が
はっきりしていた。20の職業価値観のうちどこに
謝 辞
自分が重きをおいているかを知ることができる
調査の回答にご協力下さいました学生の皆様,
が,集計がなかなか面倒である。授業中にこの集
データ収集に多大なご協力を下さいました塩月亮
計作業を投げてしまったのではないかと疑われる
子先生に厚く御礼を申し上げます。
学生が少なからず見うけられた。このへんで差が
生じた可能性がある。しかし,VPIと職業価値観
引用文献
テストともに上位を占めていることを考えると,
1)足立明久:1995「職業的自己実現と職業的同一
心理テストは学生達に人気があり喜ばれていると
いえよう。
⑨女性のキャリアについて(アンケートも)
これは全体で7位,両向上群で6位の評価であ
る。学生達にとって余り関心のあるテーマではな
かったようだ。女子学生にはともかく,男子学生
には無理ないかもしれない。出産・育児・老親の
介護等の仕事はまだまだ女性の側に負担が重く,
キャリア形成の妨げになっているが,今現在学生
の立場の者にとってはまだまだ遠い先の話で,実
性の各概念の具体化―進路の指導と相談の実践
的方法論のために―」『進路指導研究』16,1‐
9頁。
2)安住伸子・足立由美:2004「女子大生の進路選
択決定援助に関する研究」『学生相談研究』25巻
1号,44‐55頁。
3)井上知子・三川俊樹・芳田茂樹:1993「価値観
測定の研究と方法についての文献展望」『追手門
学院大学文学部紀要』27号1−19頁。
4)キャリナビ(編):2003『この人がかっこい
い!この仕事がおもしろい!』日経BP社,東京
5)村上龍:2003『13歳のハローワーク』幻冬舎,
東京。
感を持っては考えられないのであろう。しかし一
6)中西信男・三川俊樹:1988「職業(労働)価値
度アンケートに答えたり話を聞いておくことがい
観の国際比較に関する研究―日本の成人におけ
つの日か役に立たないとも限らない。
全体のプログラム構成について
る職業(労働)価値観を中心に―」『進路指導研
究』9,10−18頁。
7)Richman, D. R. : 1988, "Cognitive Career
今回の研究によって授業中4週のプログラムで
Counseling for Woman," Journal of Rational‐
もそれなりに進路選択支援の効果をあげられるこ
Emotive Therapy and Cognitive− Behavior
とがわかった。学生による効果判定からは心理テ
ストによる新たな自己発見という形式が最も評価
されることがわかったので,これは欠かせないと
考えられる。また向上群の学生によって効果判定
が高いのは,主体的に取り組めば効果の上がる書
Therapy, Vol. 6, No. 1&2, pp. 50−65.
8)佐々木由利子:2001「就職のための自己分析セ
ミナーの内容と効果についての研究(その2)
『学生相談研究』22巻3号,272−284頁。
9)田中祥子・佐々木由利子・湊道子:2004「津田
塾大学卒業生のキャリア・ライフ・パターンの
変遷」
『津田塾大学紀要』36号,93−120頁。
き込み形式のプログラムだったことが確認された
10)Taylor, K. M. & Betz, N. E.:1983, "Application of
ので,やる気のある学生のために書き込み式のシ
Self−Efficacy Theory to the Understanding and
24
Treatment of Career Indecision, "Journal of
Vocational Behavior, 22, pp. 63‐81.
11)浦上昌則:1995a「学生の進路選択に対する自己
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
( 1 9 8 3 ) の 追 試 的 検 討 」『 進 路 指 導 研 究 』 1 6 ,
40‐45頁。
13) 浦上昌則:1996「『進路選択に対する自己効力』
効力に関する研究」『名古屋大学教育学部紀要』
の育成に関する予備的研究―ワークブックを用
42,115−126頁。
いた育成法について―」『進路指導研究』17−27
12)浦上昌則:1995b「女子短期大学生の進路選択に
対する自己効力と職業不決断―Taylor&Betz
頁。
① ② ③
年 月 日 学籍番号 名前
②進路・キャリア書きこみシート( )感想
③
②
①自己効力尺度( )感想
①
⑦女性のキャリアについてのアンケート( )感想
⑥自己分析シートに基づいた話合い( )感想
⑤職業価値観テスト( )感想
④宿題自己分析シート( )感想
③VPI職業興味検査( )感想
それぞれの課題の進路探索上の効果を判定してください。効果大5∼効果小1まで
エピソードをなるべく詳しく書いて下さい。
ましたがその効果について調べます。
前回の調査から1ヶ月たちました。その間に色々進路探索の為の課題をやってもらい
――――――――――――――――――――――――――――――――――――――――
6―――5―――4―――3―――2―――1
非常に納得のゆくものが書けた ごく不十分なものしか書けなかった
号に丸をつけてください。番号の上の文章は両端の番号の意味です。
9.ここまで書いてきた内容について自己評価すると次のどこに当てはまると思うか番
か書いてください。
仕事のどれかに役に立ちそうなことがあったら、どの仕事にどのように役に立ちそう
8.これまで経験した部活動、アルバイト、習い事、ボランティア、趣味その他でしたい 5. 上記の4に書いた「向いている理由」を裏付け、読んだ人が納得するようなるような
① ② ③
4. 自分のどういうところがそれぞれに向いていると思いますか?
① ② ③
3. それぞれの仕事に必要とされそうな能力適性はどんなものと思いますか?
① ② ③
2. それぞれを選んだ理由を書いてください。
① ② ③
ほうが良い勉強・技術・資格はなんでしょうか?
①第一希望 ②第二希望 ③第三希望
7. それらの仕事につくために在学中に取っておいた方が良い科目、身につけておいた
候補を上げてください。
1. 自分の将来の仕事・職業にどのようなものを考えていますか?なるべく具体的に3つ
6. それらの仕事につくためにこれからどう準備する必要がありますか?
進路・キャリア・プランシート(1回目と2回目の合成)
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
25
資料1
26
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
資料2
女性のキャリアについて
04年 月 日 専攻______学年__年 性別(○を)男 女 年齢___才
次の文章は女性がキャリア発達の途上で遭遇するかもしれない思いを記述したものです。
以下の項目を読んで、将来を想像した時、よくよく考えてみると本音のところでは自分の考えに当
てはまると思う回答欄の番号に○を付けてください。番号の意味は次ぎの通り。
3 そういう思いがけっこうある。
2 そういう思いが少しある。
1 そういう思いは余りない。
0 そういう思いは全くない。
1. 私は(女性は)昇進を求めるべきではない。上司が気を悪くして
良くない結果になるかもしれないから。
回答欄(○付け)
3 2 1 0
2. 私は(女性は)余り高いキャリア目標は持つべきではない、
結婚相手が見つからなくなるから。
3 2 1 0
3. 私(女性)のキャリアは子供を産む時期を逃してしまうなら
価値がない。
3 2 1 0 4. 私(女性)が一人で生きるのは心細く、両親、夫などいつも
誰か面倒見てくれる人がいなければならない。
3 2 1 0 5. 私は(女性は)良き妻として夫のキャリアをサポートすることにもっと努力
しなければならない。そちらの方が女性のキャリアより大切だから。
3 2 1 0 6. 教育訓練よりお付き合いが優先されるべきだ、なぜなら私(女性)にとって 働くことより養ってくれる人を見つけるほうが大切だから。
3 2 1 0
7. 私は(女性は)同僚男性と競争すべきでない、なぜなら彼等は
私(その人)を女らしさがないとみなし、それは困ることだから。
3 2 1 0 8. 私は(女性は)良き母として子供の能力開発・勉強のサポートにもっと努力
せねばならない。子供の将来の方が女性のキャリアより大切だから。
3 2 1 0 9. 私は(女性は)キャリア目標を脇に置いて、結婚相手を探すこと
に集中すべきだ。さもないと結婚できない。
3 2 1 0
10.たとえ私(女性)により専門知識があっても男性上司の為に
働く立場を維持すべきである。なぜなら私(女性)には男性部下の
監督は出来っこないから。
3 2 1 0 11.私は(女性は)キャリア・アップしたくてもそこまで来られたこと
に感謝して、更に自分の幸せを追求すべきではない。
3 2 1 0 12.自分のキャリアを維持するエネルギーと望みがあっても
私は(女性は)夫と共に引退すべきである。
3 2 1 0
13.私は(女性は)自分の地位にとどまって、養う家族のある男性を昇進
させないのは無神経で利己的なことだからそれを譲るべきである。
3 2 1 0 14.引退近い年になったら私は(女性は)退職後のためのお金を稼ぐ代わりに
ボランティア活動で他人の援助をすべきである。
3 2 1 0 15.私は(女性は)良き娘あるいは嫁として衰えてきた老親にもっと親孝行
せねばならない。親の幸せの方が女性のキャリアより大切だから。
3 2 1 0
佐々木由利子:カウンセリング心理学の授業における進路選択支援
27
Abstract
Supporting Career Decision-Making in the Counseling
Psychology Class
Yuriko SASAKI*1
Synopsis
A support program for career decision making was administered in the class of Counseling
Psychology. The Career Decision‐Making Self‐Efficacy Scale(CDMSES, Urakami1995) and a
Career Plan Questionnaire(CPQ) which included the self-evaluation scale of satisfactory writing
were administered at the first and the last session in order to evaluate the effectiveness of the program.
The data of 50 students who participated in at least three out of possible four sessions were
analyzed as the experiment group data. The control group data was made up from 43 students of
other classes who completed CDMSES twice. 12 of them also answered a CPQ.
The CDMSES scores of the experiment group increased significantly whereas the scores of the
control group didn't. The self‐evaluation scores of satisfactory writing of CPQ of the experiment
group also increased significantly whereas the control group scores didn't. These findings indicate
the effectiveness of this program. When asked to rate the effectiveness of each program the students
of the experiment group whose scores had improved gave high evaluation to programs which
required greater effort.
Key words
Career decision-making support, college students, counseling psychology class
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administrations, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.4
29
原著論文
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
イル・モンド・フェステッジャンテ
祝 う 世 界
−フィレンツェのメディチ家宮廷における祝祭時の劇場システム(1608-1661年)−
金 山 弘 昌*1
上演芸術史において,フィレンツェのメディチ家宮廷がもつ重要性については議論の余地が
ないであろう。まさにこの宮廷において,ヤーコポ・ペーリによる史上初の音楽劇(オペラ)
が上演され,ブオンタレンティ設計の有名なメディチ劇場が開設されたのである。大公国の政
治経済的衰退が明らかな17世紀においてさえも,この宮廷で催される祝祭と上演物は西欧の他
の諸宮廷にとっての模範であり続けた。
本論文では,17世紀前半,より厳密には,いずれも婚礼祝祭の催された1608年と1661年の間
の時期において,メディチ家宮廷で用いられた劇場システムについて考察したい。
同宮廷では,とりわけさまざまな上演物が催される祝祭においては,上演物自体の類型を考
慮しつつ,さまざまな類型の劇場と劇場的場が用いられた。
メディチ家が催した祝祭,とりわけ婚礼祝祭の検証を通じて,同宮廷では劇場と劇場的場が
概ね二つの類型に分類されていたと推定できる。一つはトルネオ(騎士試合)用の野外劇場で
あり,もうひとつは演劇と音楽劇の上演のための室内劇場,近代的な意味での文字通りの劇場
である。
野外劇場に関しては,たとえその形式が変化したとはいえ,中世に起源をもつ「囲われた広
場」の伝統が,とりわけその機能において存続していた。しかし演劇と音楽劇のための室内劇
場については,宮廷は恒常的に機能する劇場を生みだすことに失敗し,各種の劇場的場の応急
的な使用に依存し続けたということを銘記せねばならない。この傾向はとりわけ1630年代のメ
ディチ劇場の解体以後に顕著である。ピッティ宮中庭の使用などさまざまな提案がなされたも
のの,有効な方策とはいえなかった。それ故に,1661年の婚礼祝祭においては,アッカデミ
ア・デリ・インモービリのペルゴラ劇場が音楽劇の上演に充てられたのである。かくして上演
の場の問題は,貴族たちが所有するほとんど私的かつ市民的な劇場を用いて宮廷外で上演物を
催すというかたちで解決されたのである。
キーワード
祝祭 17世紀イタリア建築 劇場 フィレンツェ メディチ家
シェノグラフィー
1.序:劇場の都フィレンツェ
ある。近代の舞台美術の中核となる透視図法がブ
オ
ペ
ラ
ルネレスキにより定式化され,近代の音楽劇の嚆
イタリアの古都フィレンツェは周知のごとく美
矢と目されるペーリの≪ダフネLa Dafne≫(1596
術の都として名高い。しかしこの都は単に造形芸
年)が初演され,そして近代の劇場の原型のひと
術のみならず,上演芸術の歴史においても重要で
つとされるウフィツィのメディチ劇場(1586年,
2004年9月30日
Il Mondo Festeggiante : il sistema teatrale
nelle feste della corte medicea (1608-1661)
*1 Hiromasa KANAYAMA
日本橋学館大学人文経営学部
89年改築)がブオンタレンティによって設置され
たのは,まさしくこの都市においてなのである。
本論は,フィレンツェの華やかな上演芸術史の
文字通り舞台となった劇場建築について考察を試
30
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
みるものである (1)。本論で今回注目するのは,
に応じて振り分けられるという事実である。つい
17世紀のメディチ家宮廷の祝祭における,劇場と
でそれぞれの類型について検討を加えるが,野外
いわゆる「劇場的場luoghi teatrali」の使用の問題
劇場が中世以来の騎士試合(トーナメント)会場
である。ここで「劇場的場」と訳出した概念を最
としての都市広場の伝統を留めるのに対し,室内
初に提唱したのは,フランスの研究者ジャコであ
劇場については17世紀中葉に根本的な変革を伴う
り,それはルネサンス祝祭の研究において「ある
ある種の「危機」を迎えたことを明らかにする。
上演の場,つまり俳優たちの演技と観客たちのた
メディチ劇場はこの時期には廃止され,宮廷祝祭
めの諸空間」を意味した(2)。この概念に注目し
の要となる音楽劇がそれぞれの機会に異なる劇場
発展させたのがイタリアの上演芸術史の重鎮ルド
的場で上演されており,明らかにこの時期の室内
ヴィコ・ゾルジなのだが,その定義によれば,
劇場は専門化や常設化に失敗し,それどころか目
ト
オ
ペ
ル
ネ
オ
ラ
「上演を専門の目的として誕生したわけではない
指すべき方向性を見失っているようにさえ思われ
場所で,その目的に一時的にあるいは漸進的に適
る。そしてその解決は結局アッカデミアという貴
用された場所」(3)とされる。具体例としては宗
族らの私的団体による宮廷外の劇場設置によって
教祝祭における広場や聖堂,宮廷祝祭における宮
一応のかたちで実現されたのである。最後の節で
殿の広間や中庭が挙げられている。つまり「劇場
は,1652年の祝祭の実例を採り上げ,祝祭時の上
的場」とは,近代の本格的専門的劇場の成立以前
演の場の選択の過程の実際を検討しつつ,上記の
に,上演の場として用いられた各種の施設や空間
分析を具体的に確認する。
の総称である。
スペクタクル
本論では,これらの「劇場的場」と本来の劇場
ビルディング・タイプ
を含む上演の場に注目し,その建築類型としての
2.メディチ宮廷の祝祭における上演物
とその上演の場
性格とともに,機能や用法について明らかにする
16世紀以来,メディチ家のトスカーナ大公宮廷
ことを主眼としている。そしてこれら一群の上演
における祝祭の発展は顕著であり,既に多くの研
の場の体系的な用法のことを,本論では「劇場シ
究がこのテーマに捧げられている(5)。とりわけ
ステム」の用語で表すことにする。また対象とす
発展に寄与した初代トスカーナ大公コジモ1世に
る年代は,多少の幅はあるものの,1608年の婚礼
とって,祝祭は世襲の「王朝」の正統性のプロパ
祝祭から,1661年の同種の祝祭までの間とする。
ガンダであり,また最盛期の大公フェルディナン
ダイナスティ
オ
ペ
ラ
ちなみにこの年代は,フィレンツェの音楽劇 や
ド1世にとっては,王朝の自画自賛にしてかつ他
スペクタクル
上演物について詳細な年譜を編纂したウィーヴァ
王朝との対等性のアピールであった。メディチ王
ーの区分によれば,ウフィツィのメディチ劇場ほ
朝の正統性が揺るぎないものとなった17世紀にお
か既存施設を流用した劇場的場での上演の時代
いても,婚礼祝祭や王侯の葬儀,あるいは外国の
(1590-1644年)と,アッカデミアという私的団体
賓客をもてなす祝祭は,とりわけ宮廷外交の要の
による本格的劇場開設の時代(1644-1678年)の
ひとつとしての意義を依然として有していた(6)。
二つの時期を跨ぐものである(4)。
さらに絶対主義の宮廷という,近代的合理性や紀
以上のテーマに基づき,本論では,17世紀フィ
律のみならず伝統や慣習をも重視する過渡的な社
レンツェの宮廷祝祭の諸例の分析を通して,以下
会においては,累代の祝祭という慣習の継承自体
のようなことが明らかにされよう。祝祭時には,
が重要であったともいえよう。さらに宮廷の祝祭
一群の上演の場が使用されており,上演物の類型
は,宮廷と貴族に対してのみならず,また民衆を
オ
ペ
ラ
に応じてそれぞれトルネオ用の野外劇場と音楽劇
慰撫する行事としても重要であった。それ故に,
やコンメディア用の室内劇場に大別され,さらに
とりわけカーニヴァルの期間にあわせ,民衆を対
劇場としての設備の充足の程度と必要とする経費
象とした娯楽として,有名なカルチョ・フィオレ
イル・モンド・フェステッジャンテ
31
金山弘昌:祝う世界
ト
ル
ネ
オ
ンティーノ(古式サッカー)や騎士試合が催され
されている。さらに公的な祝宴banchettoがしばし
たのである(もっとも競技者たちはあくまで貴族
ばパラッツォ・ヴェッキオの「五百人会議の広間」
(7)
。
に限られたのであるが)
でおこなわれている。祝宴は宮廷祝祭の重要な部
サーラ・デイ・チンクエチェント
そのような社会的的背景をもつ17世紀のメディ
分を占め,舞踏会balloや音楽の演奏を伴う,一種
スペクタクル
チ家宮廷の祝祭は,その形式と内容において16世
の上演物でもあった(12)。
紀の原型を実質的に継承していた。とりわけ婚礼
一方17世紀の祝祭の例としては,1608年,1637
祝祭に関しては,1589年のフェルディナンド1世
年,1661年のもっとも主要な三つの婚礼祝祭を例
とクリスティーナ・ディ・ロレーナの婚礼祝祭
に挙げる。それぞれの催しと劇場についてはやは
が,事実上その後の定式となったのである(8)。
り付録の一覧を参照されたい(13)。
スペクタクル
この祝祭における各種上演物の組み合わせとそれ
まず1608年であるが,上演の場所に注目するな
ぞれの上演の場については,論文末付録の一覧を
らば,1589年との異同は以下のようである。まず
参照されたい(9)。
主要な催しの≪パリスの審判Il Giudizio di Paride
メディチ家の婚礼祝祭は,固有の行事だけでな
く,都市の既存の宗教的行事や歳事的行事をも組
≫はやはりウフィツィの劇場で上演されている。
これは幕間劇を伴う「寓話劇favola」で,≪ラ・
スペクタクル
み合わせたものだが,ここでは世俗的上演物につ
ペレグリーナ≫と同種の類型である。新たな特徴
いて注目したい。
として,「夜の祝祭劇veglia」の名で音楽劇≪愛の
オ
ペ
ラ
もっとも公的性格が強くかつ重要な行事は,ウ
夜Notte d'Amore≫がピッティ宮内の「賓客の広間
フィツィのメディチ劇場における≪ラ・ペレグリ
Sala dei forestieri」で上演されている点が挙げられ
ーナLa Pellegrina≫の上演である。宮廷祝祭の要
る。これは晩餐会後の舞踏会に挿入された幕間劇
コンメディア
となる喜劇 commediaは,民衆的で豊かな身振り
であった。一方野外では相変わらずサンタ・クロ
や即興性を伴うコンメディア・デッラルテとは異
ーチェ広場で各種試合とカルチョが開催されてお
なり,台詞の詩句の美しさに重きを置くもので,
り,新たな試みとしてはアルノ河を舞台とした各
古代ローマのテレンティウスの洗練された喜劇に
種催しが挙げられる。
範を採った古典主義的な劇といえる(10)。また本
体の喜劇以上に重要なのが,幕間に挿入される音
1637年の祝祭は,よりコンパクトな構成をもつ。
祝祭の中核となる行事のひとつ,寓話劇≪神々の
まくあいげき
楽と舞踏を伴う6篇の幕間劇 intermedioである。
婚礼Le Nozze degli Dei≫はピッティ宮中庭で,も
幕間劇は豪華な舞台美術や衣装を用いる一種のバ
うひとつの《騎馬祝祭劇Festa a cavallo》すなわち
レエであり,祝祭に欠かせぬ王朝賛美の要となっ
トルネオは完成間もないアンフィテアトロで開催
た。出演者たちは,職業的歌手や演奏家,俳優,
された。また野外の催しも内容場所ともに若干変
そしてアッカデミアというアマチュア的集団に属
化し,サンタ・マリア・ノヴェッラ広場での二輪
する貴族の子弟らを主体としていた(11)。同じウ
馬車競技がサンタ・クローチェ広場の騎馬試合や
フィツィの劇場では,バルドラッカ劇場を本拠と
カルチョに取って代わっている。
する職業的劇団,ジェロージ劇団Comici Gelosiに
1661年の祝祭は,アンフィテアトロでのトルネ
よるコンメディア・デッラルテの上演もおこなわ
オ≪祝う世界Il Mondo Festeggiante≫,サンタ・マ
れている。またピッティ宮の中庭で演じられたブ
リア・ノヴェッラ広場の二輪馬車競技など,1637
オンタレンティの天才的舞台装置で有名なナウマ
年の例を基本的に踏襲しているが,もっとも重要
かち
キアnaumachia(模擬海戦)とズバッラsbarra(徒
なオペラ(
「祝祭劇festa teatrale」
)はペルゴラ劇場
試合)も重要な催しと考えられる。またサンタ・
で上演されている。メディチ家の息女が他家に輿
クローチェ広場では各種のトルネオとフィレンツ
入れする場合も,上記の例よりは小規模ながら,
ェの伝統として有名なカルチョが数度にわたり催
婚礼祝祭が催された(14)。
32
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
スペクタクル
1600年,マリー・ド・メディシスとフランス国
外の上演物は,3種に大別できる。トルネオtorneo
王アンリ4世の婚礼祝祭では,初期のオペラ≪エ
の名で総称される騎士試合,二輪馬車競技あるい
ウリディーチェL'Euridice≫がピッティ宮内の
は競馬,そしてカルチョである。なかでももっと
「演劇の広間Sala delle commedie(別名ドン・アン
も重要なのがトルネオであった。トルネオは,騎
トニオの間)」で,最後にオペラ≪ケファルスの
馬で槍をもっておこなう中世の騎士試合に起源を
誘拐Il Rapimento di Cefalo≫がウフィツィの劇場
有する模擬戦闘競技であり,封建貴族たちが,主
で上演されている。1617年,カテリーナ・デ・メ
君と宮廷,そしてさらに民衆に対して己の力量を
ディチとマントヴァ公フェルディナンド・ゴンザ
示す催しであった (15)。厳密には,騎馬か徒 か,
ーガの婚礼祝祭では,トルネオとバレエの要素を
集団試合か個人試合か,あるいは他の競技形式の
採り入れたオペラ≪ティレーノとアルネアの解放
違いにより分類され,それぞれ異なる名称をもつ
La Liberazione di Tirreno e d'Arnea≫が,ウフィツ
が(例えば厳密にはトルネオは集団,ジョストラ
ィで「夜の祝祭劇veglia reale」として上演された。
は個人の試合である),ここでは各種の騎士試合
1628年,マルゲリータ・デ・メディチとパルマ公
や模擬戦闘を総称的にトルネオと呼ぶことにす
オドアルド・ファルネーゼの婚礼祝祭では,「叙
る。またナウマキア(模擬海戦)も広義にはトル
唱形式の音楽で表された寓話劇favola rappresentata
ネオに分類し得るであろう。
かち
in musica recitativa」としてオペラ≪フローラ,ま
当時の宮廷祝祭におけるトルネオは,「騎馬バ
たは花々の誕生La Flora o vero Il Natal de' Fiori≫が
レエballetto a cavallo」などの名で呼ばれ,しばし
ウフィツィで上演され,次いで「ピストルと剣に
ば単なる騎士試合ではなく,アリオストやタッソ
よる騎馬試合abbattimento a cavallo con pistola e
などの騎士道文学やギリシア・ローマ神話,ある
stocco」つまりトルネオ≪イスメノの挑戦La
いは寓意を主題とした演劇的設定がなされ,バレ
Disfida d'Ismeno≫がピッティ宮外のグロッタ・グ
エと音楽の要素をもち,豪華な山車や舞台装置を
ランデ前広場で開催された。
伴う上演物であった。これを今日の研究者たちは
このように見てくると,複雑多様に見える宮廷
「主題付きトルネオtorneo a soggetto」あるいは
祝祭の上演物の類型と上演の場の選択にも,少な
「トルネオ・オペラtorneo opera」と呼ぶ。フィレ
くともその中心となる催しに関する限り,一定の
ンツェにおけるトルネオには,しばしばメディチ
規則が存在することが明白である。つまり室内の
家の大公や公子らが参加した。このような催しは,
劇場や劇場的場におけるコンメディアと,広場を
当然ながら祝祭の中心的行事に位置づけられてい
含む野外の劇場的場におけるトルネオという組み
た。
合わせである。紙幅の都合で詳細は略すが,外国
フィレンツェで伝統的にトルネオの会場となっ
の賓客を歓迎する祝祭や,謝肉祭の祝祭など,小
たのは,古くロレンツォ・イル・マニフィコの時
規模の宮廷祝祭においても同様であった。メディ
代以来,サンタ・クローチェ広場を代表とする都
チ宮廷の劇場や劇場的場は,その実際の形式にお
市の広場であった(図1)。「囲われた広場piazza
いてはさまざまであるが,それらの用法上の区分
recinta」
,つまり競技場を仕切る囲いrecintoと観客
に基づくならば,「トルネオのための野外劇場」
席palchiを仮設した公共の広場において,民衆の
と「コンメディアのための劇場」の二種に大別で
観覧の下で開催するというのは,トルネオの起源
きるであろう。次節以下では,それぞれの類型に
以来の伝統的な上演形式であり,この伝統は17世
ついて,その形式や機能について検討を加える。
紀にまで引き継がれていた。具体例としては,
3.トルネオのための野外劇場
17世紀のメディチ宮廷の祝祭におけるおもな野
1589年の複数のトルネオ,1608年の《バレエと二
十人試合Ballo e Giostra de' Venti》,1616年の騎馬
バレエ≪愛の戦いGuerra d'Amore≫などが挙げら
イル・モンド・フェステッジャンテ
33
金山弘昌:祝う世界
図1 サンタ・クローチェ広場における1616年のトルネオ≪愛の戦い≫,ジャック・カロによる版画
図2
ピッティ宮中庭のズバッラ,1589年
れる。また会場としては,サンタ・クローチェ広
1628年の「ピストルと剣の試合」などピッティ宮
場だけでなく,時にサンタ・マリア・ノヴェッラ
北側(サンタ・フェリーチタ側あるいはグロッ
広場も用いられた。
タ・グランデ側)の空き地の活用などがその事例
もっとも厳格な階級分離を特徴とする絶対主義
である(18)。
の宮廷においては,トルネオの観客から時として
このような階級分離の一つの帰結が,1630年代
民衆が排除される場合があり,その際にはトルネ
に お け る 「 ア ン フ ィ テ ア ト ロ ( 円 形 闘 技 場 )」
オの会場も宮殿内に移された。あくまで都市の広
(1630-1635年頃)の建設である(図3)(19)。ピ
場の使用と並行しながらではあるが,古くは1579
ッティ宮後背のボーボリ庭園に設けられたこのア
ズ バ ッ ラ
年の徒試合や1589年のナウマキアのようなピッテ
ンフィテアトロについては,すでに論者は他の箇
ィ宮中庭の使用 (16)(図2)に始まり,次いで
所で論じているので詳説は避けるが,実質的に祝
1613年のウルビーノ公を迎えての「槍試合barriera」
祭時のトルネオ専用の施設,いわゆる「トルネオ
や1617年のトルネオ≪ティッレーノとアルネアの
劇場」の一種といえる。このような専用施設の成
かち
解放≫,ウフィツィのメディチ劇場での徒のトル
立は一見する大きな変化であるが,その機能に関
ネオの上演 (17),そして1606年の模擬攻城戦や
する限り,アンフィテアトロは中世以来の伝統的
34
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
図3 ボーボリのアンフィテアトロにおける1637年の騎馬バレエ(GDSU 310P)
な「囲われた広場」に近く,それどころかその古
えば1616年の例では2万5千)(24),民衆の観覧
代風の形式においてさえ,14世紀のローマでコロ
も許されたと考えるのが妥当であろう(25)。
セウムやナヴォーナ広場がトルネオの会場として
興味深いことに,少なくともフィレンツェの事
用いられていたことを想起するならば(20),むし
例に限っては,アンフィテアトロにおけるトルネ
ろ原型への回帰とさえいえよう。さらにアンフィ
オの上演は,観客としての民衆の位置づけの変化
テアトロは庭園建築としての性格を併せもつこと
とだけではなく,上演物自体の類型的な変化とも
も特徴である。
相関関係にあるように思われる。後述するように,
しかしアンフィテアトロは必ずしも成功とはい
17世紀初頭までは室内劇場であるウフィツィのメ
えず,例えば大公の建築家アルフォンソ・パリー
ディチ劇場が祝祭の中心的施設であった。そこで
ジは早くも1641年に不満を表明し(21),1661年の
は演劇とともに,バレエの要素を含む幕間劇が上
使用時にも,観客席の増設や馬車の動線の確保の
演された。同劇場の平土間は舞台として使用でき,
ため多大の時間と経費を要している(22)。後述す
とりわけバレエの上演時に用いられたのである。
るように,小規模な祝祭の場合は都市の広場が選
バレエの複雑な動きとそれが描き出す図形は,君
択されることも稀ではなかった。またトルネオと
主と王朝を賛美する記号に他ならず,宮廷祝祭の
いう競技の起源と本質故に,時として観客として
プロパガンダ上欠かせないものであった(26)。ま
の民衆を排除し切れず,再び迎え入れる場合も見
た時にトルネオの要素が加味される場合もあっ
られた。例えば1613年のメディチ劇場での槍試合
た。実際,メディチ劇場は,1618年に建設された
においては,トルネオ自体は宮廷のみを観客とし
パルマのファルネーゼ劇場など,室内形式ながら
たものの,民衆への「お披露目」のため,試合の
もトルネオの開催が可能な「トルネオ劇場」の原
参加者たちが終了後に別途パレードを挙行してい
型とされており,徒のトルネオも上演可能であっ
る(23)。また1661年の騎馬バレエ《祝う世界》の
た(図4)。しかしメディチ劇場の使用が実質的
上演時には,多額の費用を投じて仮設の観客席を
に断念されると,「幕間劇」もまた祝祭時のプロ
増設し,2万名の観客を収容した。この数値は同
グラムから外され,代わってバレエの要素は,野
時代の複数の記録,しかも私的記録にさえ見られ
外で催される騎馬のトルネオの方で格段に強調さ
るもので,一応の信頼に値する。そしてこの人数
れるのである。初めてアンフィテアトロで開催さ
は宮廷人だけでは遙かに及ばぬものであり,むし
れた「騎馬祝祭」について,公式リブレットに付
ろ広場でのトルネオの観客数に近い数といえ(例
けられたステーファノ・デッラ・ベッラの版画
かち
イル・モンド・フェステッジャンテ
35
金山弘昌:祝う世界
図4 ウフィツィのメディチ劇場,≪ティレーノとアルネアの解放≫のバレエ,ジャック・カロによる版画
が,騎馬隊のフォーメーションを克明に記録して
いるのがその何よりの証拠である(図5)。明ら
成立によって締めくくられる。
1583年にブオンタレンティにより設置され,
かにアンフィテアトロは,野外と室内の区別を越
1589年に同じ建築家の手で改築されたメディチ劇
えて,廃止されたメディチ劇場の機能の一部を継
場は,フィレンツェ独自の劇場建築の頂点である
承したのである。
とともに,同時代の宮廷劇場のモデルともなった
4.コンメディアのための劇場
画期的施設であった(図6,7)。メディチ劇場
は,パラッツォ・ヴェッキオとピッティ宮を繋ぐ
劇場の建築史を振り返るなら,広場や聖堂,宮
巨大な通廊ともいえる行政庁舎ウフィツィの2階
殿の広間などに仮設された「劇場的場」から,恒
と3階の大広間を利用した施設であり,いまだ常
常的で本格的な設備をもつ近代的劇場の建築類型
設の近代的な劇場とは言い難く,むしろ過渡期の
への発展の過程であるといえよう。メディチ宮廷
類型であった。興味深いことに,この劇場では平
コンメディア
オ
ペ
ラ
における,演劇や音楽劇のための劇場も同様の変
土間も舞台として使用できたため,それまでパラ
遷を示しており,当初はパラッツォ・ヴェッキオ
ッツォ・ヴェッキオの「五百人会議の広間」で上
の「五百人会議の広間」やピッティ宮の広間が劇
演されていた演劇のみならず,サンタ・クローチ
場の機能を果たしていたが,ついに1583年,ブオ
ェ広場で催されていたトルネオの一部さえも開催
ンタレンティがウフィツィ(行政庁舎)内部に設
された。この意味では,その後この劇場をモデル
置したメディチ劇場により,本格的な劇場を備え
としてパルマ(ファルネーゼ劇場)やボローニャ
ることとなった(27)。しかしその後の展開は単線
(トルネオ劇場)などに成立する「トルネオ劇場」
的ではなく,劇場的場の使用への一時的後退を経
の先駆と見なし得,また形式には大きな隔たりが
た後,結局は宮廷外における新世代の常設劇場の
あるものの,ボーボリのアンフィテアトロの祖型
36
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
図5 アンフィテアトロにおける1637年の騎馬バレエ,ステーファノ・デッラ・ベッラによる版画
図6 ウフィツィのメディチ劇場、ゾルジらによる復元模型
図7 同復元案平面
イル・モンド・フェステッジャンテ
37
金山弘昌:祝う世界
のひとつともいえよう。
の南側の翼部にあるが,最上階の3階に位置し,
メディチ劇場は四半世紀に渡り宮廷劇場の中核
「ドン・アントニオの広間」とも呼ばれる。2階
を担ったものの,徐々に使用が稀になり,記録上
の「賓客の大広間」とは螺旋階段で連絡されてい
は1628年が最後の使用となった。この原因につい
る。明白な史料はないが,おそらくはウフィツィ
ては,すでに研究者たちがさまざまな指摘をおこ
の劇場と類似の理由から廃止され(記録上は1626
なっている。例えばテスタヴェルデは,祝祭時の
年が最後の使用例),17世紀半ばには複数の部屋
みに間欠的に使用されるため(28),木と画布を素
に分割されてしまった(今日の「冬の区画
材とする舞台装置や客席の保守点検がかなりの負
Quartiere dell'Inverno」に相当する)。「賓客の大広
担となったこと,舞台装置や換気の能力不足,そ
間(今日のSala Bianca)」は,ピッティ宮の中で
してなによりも急速な舞台美術の発達への対応の
も最大規模の大広間であり,とりわけ外国の賓客
困難などを指摘している(29)。1637年の祝祭の公
を迎えての祝宴や舞踏会の場として用いられた
式リブレットでは,すでにメディチ劇場の使用断
(図8)。劇場としての使用は,やはり史料上は
念が明記されており(30),1641年の史料ではすで
1620年代までであるが,次節に示すように,潜在
に舞台が撤去されたと述べられている(31)。
的な劇場的場としての地位はその後も保ち続け
観客の収容能力ではメディチ劇場に劣るもの
た。もうひとつの「彫像の広間Sala delle Statue
の,ピッティ宮内部にも,仮設の劇場として転用
(今日のSala delle Nicchie)」は,2階の大公のア
可能な大広間が存在した。従来は,「賓客の大広
ッパルタメント(続き部屋の居室)に隣接し,宮
間Sala Grande dei Forestieri(今日のSala Bianca)」
殿内での公的な晩餐と舞踏会の場であり,また大
が唯一劇場に使用可能な広間とされ,同時代の史
公薨去時には遺骸を安置し顕示する場となる。
料中に「演劇の広間Sala delle Commedie」と呼ば
1620年代後半から30年代にかけての宮廷では,
れる広間と同一と考えられてきた。しかしファン
特別な祝祭時を除き上演活動が停滞気味となる。
タッピエによる近年の研究は,二つの広間が別の
17世紀初期までと比べ記録が不十分であること
ものであることを明らかにした(32)。ファンタッ
や,幼い大公フェルディナンド2世を庇護するク
ピエによれば,少なくとも17世紀初頭においては,
リスティーナ・ディ・ロレーナとマリア・マッダ
ピッティ宮内に劇場としての使用可能な三つの大
レーナ・ダウストリアの二人の摂政の盲信家的な
広間が存在した。1620年代まで頻繁に使用された
姿勢,1629年のペストの流行など,さまざまな理
のが,前述の「演劇の広間」である。これは誤っ
由が挙げられるが,もう一つの理由として適切な
て同一視されていた「賓客の大広間」と同じ中庭
上演の場の不足も付け加えることができよう。実
図8 ピッティ宮2階平面、A)
「賓客の広間」,B)「彫像の広間」
38
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
際,ファンタッピエは,この時期の祝祭における
た(今日のバッコスのロンドの一部に相当)(図
劇場の選択に一貫性が見られないことを指摘して
9)。その規模から推測する限り,ウフィツィの
いる(33)。1628年の祝祭時こそ,ウフィツィの劇
劇場同様にトルネオも上演可能な劇場を目指して
場が使われたものの,他の小規模な事例を見ると,
いたと考えられる。しかし結局劇場としては一度
例えば1625年の謝肉祭時には,ウフィツィのみな
も使用されず,まさに祝祭のあった1636年から37
らず,メディチ家の別荘ポッジョ・インペリアー
年にかけて,劇場としての設備を撤去し,木材倉
レとカジーノ・メディチェオも使用されている。
庫に転用された。以後この施設は「薪の大部屋
またファンタッピエによると,1619年にピッティ
Stanzone delle Legne」あるいは単に「倉庫Arsenale」
宮の「賓客の大広間」で初演された音楽劇≪メド
と呼ばれた(36)。
ロIl Medoro≫は,1626年の再演時には「彫像の広
次に1637年の祝祭時,大公フェルディナンド2
間」で上演されたという。まさにファンタッピエ
世は劇場不在の問題を解決するため,ある決断を
の結論するように,メディチ宮廷はウフィツィの
下す。それが中庭の使用である(図10)
。
劇場という常設の専用施設のモデルを他の宮廷に
アンマナーティ設計のピッティ宮中庭は,前述
提案した当事者であるにも関わらず,17世紀半ば
のごとく,完成後間もない1579年には既に,フラ
にはまた各種の「劇場的場」の応急的な使用とい
ンチェスコ1世とビアンカ・カッペッロの婚礼祝
う旧態に後退してしまっていたのである(34)。ま
祭に際してトルネオの舞台として使用された。ま
た同じくファンタッピエは,1638年に起きたピッ
た1589年には,ブオンタレンティの手で有名なナ
ティ宮の火災が,前述のメディチ劇場の撤去のみ
ウマキアとズバッラという,一層手の込んだトル
ならず,その後も宮殿など重要施設内の常設劇場
ネオが上演された。しかし1637年の事例では,ト
の設置を忌避させたのではないかとも推測してい
ルネオを催すのではなく,それまでウフィツィな
る(35)。
ど室内劇場に限られていた音楽劇をここで上演し
オ
宮廷も劇場の「不在」の問題を認識しており,
ペ
ラ
たのであった。
まず,1630年頃にコンメディア用の劇場の新設が
1637年の祝祭の公式リブレットの著者バルディ
計画された。アンフィテアトロ同様,宮殿全体の
は,異例にもその舞台裏について詳細な解説をお
増築の一環として建設されたその施設は,宮殿外
こなっている。
部にあり,宮殿主要翼の北に直交して位置してい
図9
「婚礼の際ほとんど常におこなう慣習のある,
ピッティ宮の「薪の大部屋」(写真左下)
イル・モンド・フェステッジャンテ
39
金山弘昌:祝う世界
叙唱形式で歌われる寓話劇の上演を望まれた大
や経費を度外視する限りにおいては成功であり,
公は,幾つかの理由により,旧い広間[註:ウ
この劇場的場は無蓋(上演時には天幕で覆われる
フィツィのメディチ劇場]を諦め自らの宮殿の
が)という点を除けばメディチ劇場の後継たり得
中庭に劇場をつくるということで解決し,皆を
たといえよう。それどころか,ゾルジは,同じ機
(37)
驚かせたのだった」
会に初演を迎えたアンフィテアトロの階段席と比
この「異例の」選択の理由としては,観客の収
べ,宮殿の窓や欄干を「桟敷」として用いる中庭
容力が広間では不十分であること,夜間とはいえ
こそむしろ近代的な劇場の「祖型」とさえ評価し
7月の炎暑下,閉鎖的な場では観客が快適ではな
ている(39)。しかしその後中庭は1646年のオペラ
いことが挙げられている。また困難としては,
≪エジストEgisto≫の上演にしか用いられず,そ
アーキタイプ
「ジュリオ・ロマーノ以来」の叙唱形式の音楽劇
の後は潜在的な劇場的場に留まった。
の上演が,より小さく閉鎖的な室内劇場を前提と
先行する諸解決策の実質的失敗を受けて,1641
したものであること,そして準備中に雨や炎熱に
年9月,大公の建築家アルフォンソ・パリージは
晒されることがまず挙げられ,ついで複雑で精巧
大公フェルディナンド2世に対し,ピッティ宮の
な装置を備えた舞台を仮設すること自体を挙げて
増築にともない複数の劇場を新設することを提案
いる(38)。結局それらの困難は,建築家アルフォ
している(40)。ひとつは,増築される側面翼のう
ンソ・パリージと作曲家コッポラにより克服され
ち北側のもの(現在のバッコスのロンドに相当)
たとバルディは伝えている。すなわち中庭のボー
の背後に置かれる「祝祭のための大広間un salone
ボリ側を占める≪モーセの泉≫のある棟の上に舞
da far festine e feste」であり,これは「賓客の大広
台を仮設した上で,中庭に半円形の婦人席を設け,
間」や「彫像の広間」と同様の用法を想定し,し
さらに中庭側に臨む宮殿の窓やテラスを宮廷人た
かも大公や賓客の日常を妨げない利点があるとさ
ちの桟敷席としたのであった。
れている。もうひとつは,パリージが低い評価を
ピッティ宮中庭での音楽劇の上演は,その労力
与えるアンフィテアトロの代替としてグロッタ・
図10 ピッティ宮中庭における音楽劇≪神々の婚礼≫の上演,1637年
40
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
グランデ側に新設する「囲われた広場あるいは劇
ロ劇場も不足とし,新たに1652年にペルゴラ通り
場Piazza recinta o teatro」である。そして最後に,
の毛織物組合の土地を借りて劇場の建設に着手し
ウフィツィのメディチ劇場の代替として,やはり
た。これがアカデミア・デリ・インモービリ劇場,
グロッタ側に置かれる宮廷祝祭用の劇場としての
後のペルゴラ劇場である(図12,13)(45)。建築
「大広間salone」である。しかしいずれにせよパリ
家には,やがてフィレンツェの舞台美術の中核を
ージの提案はついに実現されることはなかった。
担うフェルディナンド・タッカが登用された。ジ
以上のように,宮廷の室内劇場をめぐり試行錯
ョヴァン・カルロ公は,先進的な劇場と舞台美術
オ
ペ
ラ
誤が繰り返されていた1630-40年代,音楽劇のた
の習得のため,タッカをエミリアやロンバルディ
めの劇場ととりわけその舞台美術は,ヴェネツィ
ア地方に派遣し,同地の先進的劇場を視察させて
アやパルマを中心としてイタリア各地で一層の発
いる (46)。結果として完成したペルゴラ劇場は,
展を遂げており,フィレンツェはますます「時代
とりわけエミリアの劇場の影響を受け,最先端の
遅れ」となりつつあった(41)。いまや最新流行の
設備を誇る劇場となった。インモービリはジョヴ
ヴェネツィアの音楽劇を上演するためには,透視
ァン・カルロ公の庇護下にあるだけでなく,多く
図法の効果を発揮するための奥行きの深い舞台と
の宮廷人をメンバーとしており,結果的にその新
高度な装置を備えた新しい劇場の形式の導入が必
劇場も事実上の宮廷劇場として扱われた。同劇場
要とされていたのである。
は1657年にこけら落としを迎えるが,早くも翌
結局のところ,室内形式の宮廷劇場設置の試み
1658年には,スペイン王子の誕生を祝す宮廷祝祭
は失敗し,代替的な中庭でもこの難問を完全に解
として,音楽劇≪ヒュペルメストラL'Hipermestra
決できなかった。代わって宮廷の祝祭の主役を担
≫を上演している。そして1661年には,皇太子コ
ったのが,1650年代から急速に発展した,貴族た
ジモとマルグリット・ルイーズ・ドルレアンの婚
ちの私的団体,アッカデミアの運営する劇場であ
礼祝祭に際し,≪テーベのヘラクレスErcole in
る(42)。このアッカデミアやコンパニアなどと呼
Tebe≫が上演された。メディチ家の宮廷劇場の歴
ばれる団体は,当初は貴族の師弟の教育を目的と
史は,結局半ば民間の劇場に受け継がれるのであ
し,とりわけ乗馬やフェンシングの鍛錬を主眼と
る。もっとも同じ1661年に劇場を主催するインモ
していたが,演劇や音楽の教育にもかなりの重要
ービリを率いるジョヴァン・カルロ枢機卿が死去
性を与えていた。そして17世紀には,上演芸術の
したことにより,同劇場の活動は停滞する。しか
分野において,宮廷や商業劇団に匹敵しあるいは
しこの間は宮廷においても婚礼祝祭などの大規模
凌駕するほどの重要な役割を担うことになる。団
な行事は稀となり,長期の空白を経た後の1689年,
員たちは,経済的に劇場を建設維持するのに寄与
皇太子フェルディナンドの婚礼が祝われた時,
するだけでなく,職業的な役者や音楽家たちとと
≪トロイアのギリシア人≫の上演に使用されたの
もに自らも舞台に立ち,あるいは演奏や歌唱をお
はやはりペルゴラ劇場であった。同劇場は,やが
こなったのである。
て18世紀初頭には完全に宮廷からの独立を果た
フェルディナンド2世の弟,ジョヴァン・カル
し,入場券制度で経営され一般市民にも開かれた
ロ公(後に枢機卿)を庇護者とするコンパニア・
近代的な商業劇場へと発達を遂げることになる。
デイ・コンコルディはとりわけ画期的な功績を残
した(43)。まず同会が1650年に建設したココーメ
ロ劇場(後のニッコリーニ劇場)は,やがて他の
5.劇場選定のプロセスの実際例:
1652年,モデナ公のための祝祭
諸アカデミーの手を経て本格的な商業劇場に発展
すでに説明してきた通り,メディチ家の宮廷は
する(図11)(44)。またコンコルディから発展し
実質的に恒常的な劇場を持たずに17世紀半ばを迎
たアカデミア・デリ・インモービリは,ココーメ
えた。そのため祝祭に際しては,常に臨時の,
イル・モンド・フェステッジャンテ
41
金山弘昌:祝う世界
図11 ココーメロ(ニッコリーニ)劇場,1650年頃の平面
図12
1658年のペルゴラ劇場,タッカの下絵によるシルヴィオ・デリ・アッリの版画
図13
デルフィーノによるペルゴラ劇場観客席平面の復元案
42
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
「アド・ホック」的な措置が必要とされた。それ
設置し,しかも釘を一本も使わぬというもので,
らの措置の概略を述べるならば,まず前述のよう
その上何の物音も立てずに三時間で撤去できる
な上演物の類型により野外あるいは室内の区別を
というものでございます。また二つの場面変換
おこなった上で,既存の施設の中から適切なもの
が可能で,そのひとつは海の場景と貝殻形の大
を選定し,さらに上演に必要な仮設の舞台や装置,
仕掛けからなっておりました。この舞台を作る
観客席などを設置するというものであった。
には,たとえ直ちにご命令を賜りましても,い
比較的小規模な祝祭に関するものであるが,こ
ささか時間を要します。しかし完成させること
のような選定のプロセスを物語る興味深い史料を
はお約束いたします。この舞台に関する費用は
紹介したい。1652年1月(フィレンツェ暦では
およそ3千スクードほどとなりましょう。
1651年)にモデナ公フランチェスコ・デステ1世
しかしはるかによりよいと愚考いたしますの
の公式訪問を迎えておこなわれた謝肉祭の祝祭に
は,サンタ・クローチェ広場において,次のよ
関して,建築家アルフォンソ・パリージからフェ
うな方法で祝祭を催すことでございます。すな
ルディナンド2世に宛てた1651年11月13日付けの
わち広場を楕円の劇場のようにし,広場を大き
報告書の抜粋である。
く使えるよう周りの家の間際まで仕切のある客
「大公殿下より,謝肉祭の初日の祝祭をおこ
席を設けるというものでございます。これを設
なうことのできる場所について考慮するように
ける費用は少額で,というのも場所を大工たち
とのご命令を承りましたので,以下のことを申
に与え,彼らが自分たちの出費で客席を設ける
し上げます。コンメディアの上演は次の三つの
ようにすればよいからでございます。祝祭の催
場所を除いては不可能かと存じます。すなわち,
しは半ばは夜間,半ばは昼間にいたしたく存じ
ウフィツィの上階の古い劇場,あるいは薪の大
ます。そして原則としてローマ人たちが余興と
部屋,あるいは宮殿内の賓客の広間でございま
祭典を催し,さまざまな種類の出し物を演じ,
す。ウフィツィの広間については,殿下が火災
さまざまな舞台装置を用いて,戦車競技や競馬,
の危険に鑑みそこにあった舞台の撤去をお命じ
徒競走などを催した劇場のように見せかけたい
になりましたので,費用は1万2千スクード以
(47)
と存じます。
」
上かかるかと存じますし,しかも時間が限られ
この史料には多くの興味深い内容が見られる
ております。薪の大部屋につきましては,その
が,ここで注目したいのは,祝祭の構想が,劇場
全てを用いるなら費用はおそらくより大きくな
となる施設の選定に左右されているという事実で
りましょう。しかしその一部だけを用い,舞台
ある。少なくともパリージら祝祭のプロデュース
と衣装部屋を設けることのできる複数の小部屋
に当たる宮廷人たちにとって,上演物の内容と経
をもつ劇場用広間とするならば,ここで何度も
費は,その舞台となる場の類型や性質によって決
うまく上演することができましょう。しかしそ
定されるべきものであった。実際,この書簡とと
れには少なくとも1万スクードは要するでしょ
もに,各施設とその上演物毎にまとめられた見積
うし,また上演中に音が漏れ聞こえたり,ある
り表も残されている(48)。それにはより多彩な候
いは外部の物音が中に聞こえてしまうでしょう。
補が挙げられている。書簡でも挙げられた賓客の
賓客の広間については,コンメディアの上演
広間(経費3千スクード以下),薪の大部屋(1
を望むのであれば,広間の使用を妨げずに舞台
万スクード),サンタ・クローチェ広場(4千な
を設置するためには,フェッランディナ公のた
いし5千スクード,上演物の種類により最高7千
めに私が製作いたした舞台と同様のものを作る
スクード)の他,バルドラッカ劇場Stanzone dei
必要がございましょう。この舞台は結局使用さ
commedianti(4ないし5千スクード),ココーメ
れず,もはや現存しませんが,二時間で舞台を
ロ劇場(2千スクード)といった,コンメディ
イル・モンド・フェステッジャンテ
43
金山弘昌:祝う世界
ア・デッラルテの劇団の劇場やアッカデミアの劇
は不都合な面があった。1652年の例では,劇団の
場,すなわち事実上「民営」の劇場の名も挙げら
公演期間と重なることが問題として指摘されてい
れ,さらにはピッティ宮中庭(6千スクード)も
るが,他にも多くの問題があった。バルドラッカ
候補となっている。上演種目は広場や中庭など野
劇場(別名「税関の劇場」)は,16世紀半ばに遡
外が槍試合giostraなどトルネオに類するもの,室
るコンメディア・デッラルテの劇場で,ウフィ
内空間がコンメディアである。またサンタ・クロ
ツィに近い税関庁舎内にあり,宮廷からジェロー
ーチェ広場については,各種の上演物が表明され,
(51)
。
ジ劇団に賃貸されている施設であった(図14)
それぞれの費用が算出されている。また書簡で使
宮廷との関係も深く,大公らはウフィツィに繋が
用断念が表明されたウフィツィの旧劇場はすでに
る専用の通路で訪れることができた。しかし祝祭
除外されている。
時の公的な劇場に転用するに際しては,その規模
モデナ公を迎えての謝肉祭の祝祭は,結局のと
ころ,1652年1月15日にサンタ・マリア・ノヴェ
の小ささもさることながら,貴賓たちの観客席が
問題となったはずである。民衆をおもな観客とし,
ジ ョ ス ト ラ
ッラ広場で槍的試合が実施されており,またその
しかもしばしば卑俗な内容を扱うこの即興仮面劇
内容はパリージの提案に酷似している(49)。サン
の鑑賞に際しては,大公始め宮廷の貴顕たちは,
タ・マリア・ノヴェッラ広場は,パリージが推奨
デコールムの原則上,普段は格子で隔てられた専
したサンタ・クローチェ広場と同様に伝統的な都
用席から「お忍び」で観劇していたからである。
市の中の「野外劇場」であり,とりわけ二輪馬車
またココーメロ劇場は,前述のように,当時は
競技や競馬がおこなわれていた。従って実質的に
宮廷貴族たちの私的団体コンパニア・デイ・コン
候補に挙げられたサンタ・クローチェ広場と互換
コルディの劇場であった。同団体は大公の弟ジョ
可能な「劇場的場」であったといえよう。トルネ
ヴァン・カルロ公を長とし,この庇護者の援助並
オ用の宮廷劇場としてはアンフィテアトロもある
びに所属する宮廷人たちの寄付によって運営され
が,これは候補の中にも挙げられていない。前述
ていた。このココーメロ劇場については,前年の
のように,アンフィテアトロの使用に要する経費
1651年9月に,フィレンツェを非公式に訪問した
の大きさ故に除外されたとも考えられるが,ある
マントヴァ公夫妻を迎えてのコンメディアの上演
いは謝肉祭の祝祭の通例に則り,民衆への開放を
実績があった。しかし同時の宮廷の日誌(Diario
前提としたために,それが困難なアンフィテアト
di etichetta)の記述によると,場所の狭さと暑さ
ロを候補から外したという可能性もある。という
のため観客席には僅かの人々しか入れず,しかも
のも,同じ1652年4月の二人のオーストリア大公
大公とマントヴァ公の席では従者たちが扇であお
の来訪時には,アンフィテアトロで≪模擬戦と騎
ぎ続けなければならなかったという(52)。ココー
馬バレエCombattimento e Balletto a Cavallo≫が上演
メロ劇場には,このような規模や換気の物理的問
されているからである(50)。
題以外にもおそらくバルドラッカと同様の問題が
このように見てくると,室内劇場の常設に事実
皆無とはいえなかったはずである。規模や設備,
上失敗し,野外劇場においてもボーボリのアンフ
あるいは宮廷の使用に適したデコールムの問題の
ィテアトロに不満を抱くメディチ宮廷にとって,
解決は,前節で述べたように,結局はペルゴラ劇
既存の都市の劇場や劇場的場を活用するのが,も
場の設営を待たねばならなかった。パリージが宮
っとも合理的でかつ経済的な方策であったことが
廷祝祭に相応しい劇場の不備に悩んだのとまさに
明白である。
同じ1652年,この新しい劇場の定礎が置かれたの
ただし室内劇場については,1652年の事例でバ
ルドラッカ劇場が採用されていないことからも明
らかなように,商業劇場を宮廷が使用することに
である。
44
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
図14 バルドラッカ劇場(
「税関の劇場」
),ゲッリによる復元模型
となり,廃止されるにいたる。それにより宮廷は
6.結び
各種「劇場的場」を仮設の劇場とする旧いシステ
以上のように17世紀のメディチ宮廷の劇場シス
ムに立ち戻らざるを得なくなり,とりわけ17世紀
テムを概観し,実例を検証してきたが,結びとし
中葉においては,ほとんど劇場選択の定式が崩壊
て本研究の現時点での知見を再確認しておきた
していたとさえいえよう。当然ながら宮廷では新
い。
世代の施設をもつ常設劇場の設置が求められ,企
メディチ宮廷の劇場あるいは劇場的場は,コン
画されたが,目まぐるしい舞台美術の変遷と防火
メディアあるいは音楽劇のための室内施設と,ト
やデコールムなどの宮廷内のさまざまな制約が,
ルネオのための野外施設に大別される。またメデ
その実現を不可能にした。そしてその解決は,結
ィチ劇場やピッティ宮中庭の場合,両者の性質や
果的に,宮廷人による,しかし宮廷外の半ば私的
機能の部分的な折衷が見られる。
な劇場において初めて可能となったのである。
まずトルネオのための施設であるが,トルネオ
宮廷の祝祭においては,上記二類型の劇場や劇
自体の内容と社会的意義に大きな変化が生じなか
場的場が,その機能に応じて選択され,組み合わ
ったことを反映して,それが演じられる劇場ある
された。1652年のモデナ公のための祝祭の場合に
いは劇場的場は,源流である中世の都市広場の性
見られるように,経費や観客層を勘案してまず上
格を継承していた。ボーボリの巨大なアンフィテ
演の場が選定され,それに従って上演物の類型が
アトロは宮廷専用のトルネオ劇場として成立し,
決定される事例も見られた。常設の宮廷劇場の不
問題点がないわけではないものの,大規模な祝祭
在は,既存の各種劇場的場の応急的使用により克
時にはその任を十分に果たした。またより経費を
服され,時として商業的施設の借り上げまで検討
抑える必要のある小規模の祝祭時には,伝統的な
された。バロック期のメディチ宮廷は,その祝祭
都市広場の使用が継続された。
に際して,固定化した劇場システムの構築こそで
オ
ペ
ラ
これに比べてコンメディアや幕間劇,音楽劇の
きなかったものの,その代りに不完全ながらも非
ための施設は,上演物の内容や舞台美術の変遷の
常に柔軟で多様な組み合わせの可能なシステムを
大きさを反映して,大きな変容を余儀なくされた。
駆使していたのである。
16世紀末から17世紀初頭にかけて宮廷劇場として
の機能を果たしたメディチ劇場はやがて時代遅れ
イル・モンド・フェステッジャンテ
45
金山弘昌:祝う世界
Seriacopi. [Musica e Teatro. n. 11/12. ] Milano, 1991.
註
(1)フィレンツェの劇場建築史についての主な研究
は以下。L. Zorzi, Il teatro e la città. Torino, 1977,
pp. 61-234. La scena del principe, in Firenze e la
Toscana dei Medici nell'Europa del Cinquecento. L.
Nagler, 1964, 70-92. Il luogo teatrale, 1975, pp. 110116.
(9)一覧作成にあたりおもに以下を参照。Saslow,
1996. Testaverde, 1991, p. 68.
Zorzi, ed. Milano, 1980. Il luogo teatrale a Firenze, E.
(10)例えばフィレンツェで編纂された著名なアッカ
Garbero Zorzi, et. al. ed. Milano, 1975. Teatro e
デミア・デッラ・クルスカの辞典でもテレンテ
spettacolo nella Firenze dei Medici. Modelli dei
ィウスの名が特に挙げられている。"Commedia".
luoghi teatrali. E. Garbero Zorzi, M. Sperenzi, ed.
Vocaborario degli Accademici della Crusca. Venezia,
Firenze, 2001. I teatri storici della Toscana :
1618.
censimento documentario e architettonico. VIII. Firenze.
(11)Saslow, 1996, pp. 50-51.
E. Garbero Zorzi, L. Zangheri, ed. Firenze,Venezia,
(12)P. Marchi, "Il banchetto di corte". La scena del
2000. 福田晴虔。建築と劇場−十八世紀イタリア
の劇場論。中央公論美術出版,1991。
principe, pp. 330-333.
(13)一 覧 作 成 に あ た り お も に 以 下 を 参 照 。 F. de'
(2)J. Jacquot, "Avant-propos". Le lieu théâtral à la
Bardi. Descrizione delle feste fatte in Firenze per le
Renaissance. J. Jacquot, ed. 2. ed., Paris, 1968, p. vii-x.
reali nozze de' Serenissimi Sposi Ferdinando II
(3)Zorzi, 1977, p. 140, n. 4.
Granduca di Toscana e Vittoria Principessa d'Urbino.
(4)R. Lamar Weaver, N. Wright Weaver. A Chronology
Firenze, 1637. A. Segni. Memorie delle feste fatte in
of Music in the Florentine Theater : 1590-1750 :
Firenze per le reali nozze de' serenissimi sposi
operas, prologues, finals, intermezzos, concerts, and
Cosimo principe di Toscana, e Margherita Luisa
plays with incidental music. Detroit, 1978, pp. 19-21.
principessa d'Orleans. Firenze,1662. Nagler, 1964, pp.
(5)メディチ家の宮廷祝祭に関するおもな概説書は
101-115, 162-174. Feste e Apparati Medicei da
以下。Feste e Apparati Medicei da Cosimo I a
Cosimo I a Cosimo II, 1969, pp. 102-105. Weaver,
Cosimo II. G. Gaeta Bertelà, A. Tofani Petrioli, ed.
1978.
Firenze 1969. A. M. Nagler. Theatre Festivals of the
Medici : 1539-1637. New Haven and London, 1964.
S. Mamone, Il teatro nella Firenze medicea, Milano
(14)こ れ ら の 祝 祭 に つ い て は お も に 以 下 に 拠 る 。
Nagler, 1964, pp. 93-100, 131-133, 139-161. Weaver,
1978.
1981. "Per un regale evento" Spettacoli nuziale e
(15)ト ル ネ オ に つ い て の 基 本 文 献 は 以 下 。 C. F.
opera in musica alla corte dei Medici. A. M. Bartoli
Menestrier. Traité des tournois, joustes, carrousels, et
Bacherini, ed. Firenze, 2000. R. ストロング。ルネ
autres spectacles publics. Lyon, 1669. Tani, G.
サンスの祝祭 王権と芸術。星和彦訳,平凡社,
"Balletto a cavallo". Enciclopedia dello spettacolo, I,
1987,下,pp. 63-117。北田葉子。近世フィレン
Roma, 1954, pp. 1380-83. E. Polvedo. "Torneo".
ツェの政治と文化−コジモ1世の文化政策
Enciclopedia dello spettacolo, IX, Roma, 1962, pp.
(1537-60).J. W. ヒル。「フィレンツェ:音楽付
991-999. E. Polvedo. "Le théâtre de tournois en Italie
き見世物とドラマ,1570-1650」飯森豊水訳。西
pendant la Renaissance". Le lieu théâtral à la
洋の音楽と社会3 オペラの誕生と教会音楽。
音楽之友社,1996, pp. 136-161.
(6)I. Ciseri. "Diplomazia dell'effimero: autocelebrazione
Renaissance. 1968, pp. 95-104.
(16)Il luogo teatrale, 1975. pp. 131-139.
(17)Nagler, 1964, pp. 119-125, 131-133.
e omaggio allo straniero nell'iconografia della corte in
(18)[G. Parigi.] Relazione d'uno spettacolo militare fatto
Italia". The Diplomacy of Art. E. Cropper, ed.,
in un prato de Pitti all'Illustriss. et Eccellentiss. Sig.
Milano, 2000, pp. 21-44.
Paolo Giordano Orsino Principe di Bracciano.
(7)H. ブレーデカンプ。フィレンツェのサッカー。
原研二訳。法政大学出版局,2003。
Firenze, 1606. Nagler, pp. 139-161.
(19)アンフィテアトロとそれに関する文献について
(8)この祝祭についての主な研究は以下。ストロン
は以下の拙論を参照されたい。金山弘昌。「ボー
グ。ルネサンスの祝祭。1987,下,pp. 63-100. J.
ボリ庭園の『アンフィテアトロ』−17世紀後半
M. Saslow. The Medici Wedding of 1589. Yale Unv.
の 改 築 案 」 紀 要 ( 日 本 橋 学 館 大 学 )。 第 1 号
Press, 1996. A. Testaverde Matteini, L'officina delle
nuvole : il Teatro Mediceo nel 1589 e gli "Intermedi"
del Buontalenti nel "Memoriale" di Girolamo
(2002年)
,pp. 47-63.
(20)Polvedo. "Le théâtre de tournois en Italie pendant la
Renaissance". 1968, p. 96.
46
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
(21)Archivio di Stato di Firenze(A. S. F.). Miscellanea
(41)E. Garbero Zorzi, L. Zangheri, "Il teatro di via della
Medicea, filza 39, inserto 3, cc. 5-7. "Relazione
Pergola. Corte e accademia nella cultura fiorentina".
d'Alfonso Parigi al Ser.mo Gran'Duca sopra l'aggiunta
Lo spettacolo maraviglioso: il Teatro della Pergola,
da farsi nelle Testate del Palazzo de Pitti."
l'opera a Firenze. M. De Angelis et al. ed. Firenze,
(22)金山.2002. p. 52.
(23)Nagler. 1964. p. 125.
2000. pp. 15-38(15).
(42)フィレンツェのアッカデミアについては以下。
(24)Nagler. 1964. p. 129.
S. Mamone, "Tra tela e scena. Vita d'accademia e vita
(25)デクロワゼットのように,民衆の観覧の可能性
di corte nel primo seicento fiorentino", Biblioteca
について疑義を呈する研究者もいる。F.
Teatrale, 37-38, 1996, pp. 213-228. S. Mamone, "Il
Decroisette. "Les Fêtes du Mariage de Cosme III avec
sistema dei teatri e le accademie a Firenze sotto la
Marguerite Louise D'Olréans a Florence, 1661". Les
protezione di Giovan Carlo, Mattias e Leopoldo
Fêtes de la Renaissance, III, 1975, pp. 421-436.
(26)メディチ家のバレエのシンボリズムについては
以下。Zorzi. 1977. p. 134.
(27)劇場的場としてのパラッツォ・ヴェッキオの五
百人会議の広間についてはおもに以下。Il luogo
teatrale. 1975. pp. 93-105. Teatro e spettacolo nella
Firenze dei Medici. 2001. pp. 147-159. 同じくピッ
principi impresari". Teatro e spettacolo. 2001. pp. 83-98.
(43)コンコルディ(後のインモービリ)については
以下。なお註42も参照。S. Baggio, P. Marchi.
"L'Accademia degli Immobili in epoca". Lo
spettacolo maraviglioso. 2000. pp. 39-45.
(44)ニッコリーニ劇場については以下。I teatri storici
della Toscana. 2000. pp. 93-122.
ティ宮中庭については以下。Il luogo teatrale.
(45)ペルゴラ劇場については以下。U. Morini. La R.
1975. pp. 131-143. Teatro e spettacolo nella Firenze
Accademia degli Immobili ed il suo Teatro "La
dei Medici. 2001. pp. 204-213. メディチ劇場につい
Pergola". Pisa, 1926. Lo spettacolo maraviglioso.
ては以下。Il luogo teatrale. 1975. pp. 105-131.
2000. I teatri storici della Toscana. 2000. pp. 123-160.
Teatro e spettacolo nella Firenze dei Medici. 2001.
(46)Garbero Zorzi, Zangheri. Lo spettacolo maraviglioso.
pp. 167-198. Testaverde. L'officina delle nuvole.
1991.
(28)例えば史料上は,1586,1589,1600,1608,
2000. pp. 17-18.
(47)Archivio di Stato di Firenze, Miscellanea Medicea
357/70, inserto b.
1613,1617,1624,1628年の使用が記録されて
Avendomi comandato V.A.S. di far reflessione
いる。すなわち平均5年程度の間隔で使用された
sopra il luogo da potersi fare una festa per al Principio
ことになる。もっとも採算を度外視した宮廷劇
di Carnovale, dico che non mi par che si potessi fare
場の使用において大きな間隔は稀ではなく,例
trattandosi di commedia se non in tre luoghi, cioè o la
えば有名なパルマのファルネーゼ劇場は,完成
Sala Vecchia sopra li Uffizi, o nello Stanzone delle
後最初の使用まで実に十年を経ている。
Legne, o vero in Palazzo nella Sala de forestieri.
(29)Testavelde. 1991. pp. 150-152.
Nello stanzone delli Uffizi S.A.S. fece levare la scena
(30)Bardi. 1637. p. 23.
che vi era per i pericoli del fuoco, la spesa saria di più
(31)A.S.F. Miscellanea Medicea, filza 39, inserto 3, c. 5.
di dodici mila scudi, et il tempo è breve. Nello
(32)F. Fantappiè. "Sale per lo spettacolo a Pitti (1600-
Stanzone delle Legne per pigliarlo tutto la spesa
1650)". Vivere a Pitti. Una reggia dai Medici ai
sarebbe maggiore, ma si potria pigliarne una parte e
Savoia. S. Bertelli, R. Pasta, ed. Firenze, 2003, pp.
far una sala adatta con suoi stanzini ott [ imamente? ]
135-180.
cavarvi la scena e le stanze per li abiti qui con più
(33)Fantappiè. 2003. pp. 169-170.
tempo si faria benis.mo ma ci vuole almeno diecimila
(34)Fantappiè. 2003. p. 170.
scudi a farla, e nelle prove, o si è sentito, o si sentono
(35)Fantappiè. 2003. pp. 172-173.
i romori di fuora.
(36)P. Marchi, "Il sistema teatrale nello spazio di Boboli
Nella Sala de forestieri, a volerci far una
all'inizio del Seicento". Boboli 90. Firenze, 1990, pp.
commedia, e far scena capace, per non impedire l'uso
351-358(355-357). Fantappiè. 2003. p. 172.
della Sala, saria necessario fare una scena come quella
(37)Bardi. 1637. p. 23.
che feci per il Duca di Ferrandina che non si adoperò,
(38)Bardi. 1637. pp. 24-25.
e non è più in essere, quale era fatta in maniera che vi
(39)Zorzi. 1977. p. 137.
si conduceva in due ore e si rizzava il palco e tutto
(40)A.S.F. Miscellanea Medicea, filza 39, inserto 3, c. 5.
senza pichiare o confricare un chiodo, et in tre ore si
イル・モンド・フェステッジャンテ
47
金山弘昌:祝う世界
levava senza romore, et aveva due mutazioni di scena
di Palii di carrette, cavalli, e a piedi. [...]
con un mare, et una machinetta d'una conchiglia, a far
なお紙幅の都合で後半は省略するが,そこでは
q.a dubito del tempo, se bene avendo l'ordine subito.
古代ローマの凱旋式に着想した上演物の構想が
Mi promettervi di finirla. La spesa sarebbe nelle scene
詳述されている。
intorno a tre mila scudi.
Ma a me parria assai meglio il fare una festa su la
(48) Archivio di Stato di Firenze, Miscellanea Medicea
357/70, inserto e.
Piazza d S. Croce in q.o modo cioè. Con ridurla in
(49)Weaver. 1978. p. 118.
Teatro ovato, e fare i palchi attorno che arrivassero
(50)[B. Rigogli.] Combattimento, e Balletto a Cavallo
alle case per lasciare Piazza maggiore, che questo è
rappresentato di notte in Fiorenza a' Serenissimi
poca spesa il farlo perche si da il sito ai legnaioli, e
Arciduchi, & Arciduchessa d'Austria, Ferdinando
questi fanno i palchi a loro spese. La festa vorrei che
Carlo, Anna di Toscana, e Sigismondo Francesco ....
fosse mezza di notte e mezza di giorno e si fingesse in
principio un Teatro di quei dove i Romani facevano i
lor giuochi e feste e vi facessero le loro comparse in
differenti maniere, e con diverse machine i corridori
Firenze 1652.
(51)バルドラッカ劇場については以下。I teatri storici
della Toscana. 2000. pp. 83-88.
(52)A. S. F., Miscellanea Medicea, 442, cc. 56v-57r.
48
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
付録 主要な婚礼祝祭のプログラム
1)1589年の大公フェルディナンド1世とクリスティーナ・ディ・ロレーナ婚礼祝祭のスケジュール復
元案(TestaverdeとSaslowによる)
日 付
1589.
4.16
上 演 の 場
ウフィツィのメディチ劇場
題 名
La Pellegrina,リハーサル
4.18
クリスティーナ,ジェノヴァ到着
4.27
チェーザレ・デステ(後のモデナ公)到着
4.28
クリスティーナ,郊外ポッジョ・ア・カイアーノの
別荘に到着。フェルディナンドと顔合わせ。
4.29
バルドラッカ劇場
4.30
類 型
チェーザレ・デステの観劇
commedia dell'arte
クリスティーナ,フィレンツェ到着。入市式
entrata
4.30夕
パラッツォ・ヴェッキオ
祝宴
banchetto
4.30夕
シニョリーア広場
花火
fuochi pirotecnici
カレンディマッジョの祝祭
5.1
パラッツォ・ヴェッキオ
祝宴
banchetto
5.2
ウフィツィのメディチ劇場
La Pellegrina
commedia
5.3
サンティッシマ・アヌンツィアータ聖堂 宗教行列
5.3
Oratorio di Compagnia
La Scoperta della Croce
5.4
サンタ・クローチェ広場
カルチョ
calcio a livrea
ウフィツィのメディチ劇場
La Zingara
commedia dell'arte
5.1夕
5.5-6
cerimonia
ヴェネツィア大使謁見
5.6
5.7
サン・ロレンツォ聖堂
サント・ステーファノ騎士団新規騎士叙任式
5.8
サンタ・クローチェ広場
Caccia(狩猟)
5.9
サン・マルコ聖堂とフィレンツェ市内 聖アントニヌスの遺骸移送の儀式
5.10
サンタ・クローチェ広場
Quintana(槍的試合)
torneo
5.11
ピッティ,中庭
Sbarra(徒試合)とNaumachia(模擬海戦)
torneo e naumachia
5.13
ウフィツィ
La Pazzia di Isabella
commedia dell'arte
5.14
聖霊のミサ
5.15
ウフィツィのメディチ劇場
La Pellegrina再演
commedia
ヴェネツィア大使との晩餐会
banchetto
5.15
5.22
ピッティ
ローマ貴族たちとの晩餐会
banchetto
5.23
サンタ・クローチェ広場
Giostra del Saracino
torneo
5.24
サンタ・クローチェ広場
Giostra o Mascherata allegorica(マスカレード)
torneo
5.28
フィレンツェ市内
Mascherata dei Fiumi Reali
mascherata
サンタ・クローチェ広場
Combattimento di una Nave contro un Castello(模擬攻城戦) combattimento
ウフィツィのメディチ劇場
逸名喜劇
6.6-11
6.8
6.12
新大公妃,48人議会謁見
6.16
聖体の祝日
6.24
洗礼者聖ヨハネの祭日
イル・モンド・フェステッジャンテ
49
金山弘昌:祝う世界
2)1608年,大公コジモ2世とマリア・マッダレーナ・ダウストリアの婚礼祝祭スケジュール
日 付
上 演 の 場
題 名
類 型
9.14
グラーツ,イエズス会聖堂
代理結婚式
cerimonia
10.18
フィレンツェ
新大公妃入市式
entrata
備 考
プラート門より,
大公マクシミリアン同行
10.19
パラッツォ・ヴェッキオ
婚礼祝宴
banchetto
10.20
サンタ・クローチェ広場
カルチョ(古式サッカー)
calcio a livrea
10.21
サン・ロレンツォ聖堂
大公による貧民救済の祝祭
festa pia e caritevole
10.22
ピッティ,賓客の間
舞踏
ballo
10.22
ピッティ,賓客の間
Notte d'Amore
veglia(spettacolo di musica)
新大公妃,48人議会謁見
udienza
10.23
同日パリオ(競馬)
悪天候により中止
10.24
パラッツォ・メディチ
サント・ステーファノ騎士団総会 その後サン・ロレンツォ聖堂
での荘厳ミサ
10.25
ウフィツィのメディチ劇場
Il Giudizio di Paride
10.26
(日)
サント・スピリト聖堂
内陣献堂式
10.27
サンタ・クローチェ広場
騎馬バレエもしくは
ballo a cavallo e torneo
Gistora dei Venti(二十人試合)
10.27
サンタ・クローチェ広場
Giostra del Saracino(槍的試合) torneo
名門貴族子弟参加。
10.28
サンタ・トリーニタ橋
Battaglia del Ponte
torneo
ピサ市民による。
10.30
サンタ・クローチェ広場
騎士試合
torneo
シエナ市民による。
11.3
アルノ河
L'Argonautica
torneo e naumachia
11.4
アルノ河
花火
fuochi pirotecnici
大公マクシミリアンら
主要賓客一部帰国
11.5
サンタ・クローチェ広場
Giostra di Saracino
torneo
一連の祝祭の公的な幕引き
favola
6篇の intermedio(幕間劇)
挿入。祝祭の山場。
50
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
3)1637年,大公フェルディナンド2世とヴィットリア・デッラ・ローヴェレの婚礼祝祭
日 付
上 演 の 場
7.5
以前夜
7.6
題 名
類 型
パルマ公入市式
洗礼堂と大聖堂
ヴィットリア・デッラ・
ローヴェレ戴冠式
7.6夕
コルソ通り
palio di broccato d'oro palio
palio
7.6以後
ライオン檻
caccia
民衆向け余興
7.7
サンタ・マリア・
ノヴェッラ広場
pailo a carrette(二輪馬車競技) palio a carrette
7.8
ピッティ,中庭
Le Nozze degli Dei
favola
ピッティ,
アンフィテアトロ
Armida e l'Amor pudico.
Festa a cavallo
torneo
7.8以後
備 考
サン・ジョヴァンニの
祭日に行われる
恒例行事を模したもの。
4)1661年,皇太子コジモ3世とマルゲリータ・ルイーザ・ドルレアンの婚礼祝祭
日付
上 演 の 場
1661.
6.16
題 名
類 型
新皇太子妃,郊外アンブロジ
アーナ別荘着。大公の弟らの
出迎えを受けた後,
"privatamente"にピッティに到着。
6.20
新皇太子妃,公式の入市式
entrata
シニョリーア広場
「オマッジョ」の儀式
恒例行事
ピッティ
婚礼祝宴
banchetto
6.27
ラルガ通り
馬車行列
6.29
サンタ・マリア・
ノヴェッラ広場
corso dei cocchieri(馬車競技) corso, palio
7.1
ピッティ,
アンフィテアトロ
Il Mondo Festeggiante.
Balletto a Cavallo
torneo
パラッツォ・ヴェッキオ
festino
banchetto
6.24
7.1夕?
7.9夜
7.8,12,22,
8.7
備 考
アルノ河と市街
ペルゴラ劇場
サン・ガッロ門より。
観客2万人。
illuminazione, fuochi pirotecnici サンタ・トリーニタ橋に
"Teatro"仮設。
Ercole in Tebe
festa teatrale
イル・モンド・フェステッジャンテ
51
金山弘昌:祝う世界
Il Mondo Festeggiante : il sistema teatrale nelle feste
della corte medicea (1608-1661)
Hiromasa KANAYAMA*1
Synopsis
Nella storia dello spettacolo è indiscutibile l'importanza che riveste la corte medicea di Firenze,
presso la quale avvenne la prima rappresentazione del melodramma di Jacopo Peri, e fu realizzato il
famoso Teatro Mediceo progettato da Buontalenti.
Nel Seicento, anche se era già evidente la decadenza politico-economica del Granducato, le feste e
gli spettacoli che si svolgevano presso la corte fiorentina furono presi a modello continuamente dalle
altre corti europee.
In questo breve saggio si desidera trattare del sisitema teatrale in uso nella corte medicea nella
prima metà del Seicento, e più precisamente nel periodo compreso fra il 1608 e il 1661, quando vi
furono anche delle feste nuziali.
In questa corte, quando soprattutto durante le feste si tenevano vari spettacoli, si usavano vari
tipi di teatro e di luogo teatrale, tenuto conto della tipologia del contenuto scenico.
Analizzando lo svolgimento delle feste organizzate dai Medici, soprattutto di quelle nuziali, si
evince che presso la corte i teatri e i luoghi teatrali appartenevano generalmente a due diversi tipi:
uno era il teatro all'aperto per il torneo e l'altro era il teatro interno, vero e proprio teatro nel senso
moderno per le commedie e i melodrammi.
Per quanto concerne il teatro all'aperto, anche se la sua forma era mutata, la tradizione di origine
medievale della "piazza recinta" per il torneo rimaneva soprattutto a livello funzionale. Riguardo invece il
teatro per le commedie e i melodrammi, occorre notare che la corte medicea fallì nel creare un teatro che
funzionasse coerentemente, rimanendo così a dipendere dall'uso occasionale di vari luoghi per tenere le
rappresentazioni. Tale fenomeno è particolalmente evidente dopo lo smantellamento del Teatro Mediceo
degli Uffizi negli anni Trenta del XVII secolo; per rimpiazzarlo, furono avanzate diverse soluzioni, come ad
esempio l'uso del cortile di Palazzo Pitti, ma si trattò di ripieghi non molto efficaci. Per questo motivo nella
festa nuziale del 1661, il melodramma fu rappresentato nel Teatro della Pergola degli Accademici degli
Immobili. Il problema del luogo dove tenere le rappresentazioni fu così risolto organizzando gli spettacoli
fuori dei locali riservati alla corte, sfruttando il teatro quasi privato e civico dei nobili.
Key word
Pageants-Italy-Florence-History-17th Century. Architecture-17th Century-Italy-Florence.
Theatre-17th Century-Italy-Florence. Florence(Italy)-History. Medici-History-Florence-1421-1737.
*1 Faculty of Human Cultural Sciences and Business Administrations, Nihonbashi Gakkan University
NIHONBASHI GAKKAN UNIVERSITY Bulletin No.4
53
報告・資料
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
情報心理に関する研究(Ⅱ)
−情報伝播と情報倫理−
茶 園 利 昭*1
キーワード
情報心理(psychology on web sites)
情報倫理(information ethics)
情報伝播(information propagation)
情報倫理力(information ethical power)
1.はじめに(要旨)
この2つの現象は一見関連がないように見える
が,人々がある種の情報に依存して大きなうねり
情報の伝播行動を数理モデルで分析する試み
となって動いた結果という意味で共通している。
は,籠谷和弘氏の論文数点をのぞけばほとんど発
たとえば後者の例でいえば,消費者はずっと先
表されていない。
(10,11:籠谷,1999)
の次世代商品には手を出さない。なぜなら,そう
筆者は,電子ネットワーク上での情報の伝わり
いう商品は理解するのに時間がかかるだけでな
方と,情報伝播のシステムダイナミックによる分
く,使いこなせなかったり,規格の整合性問題な
析を発表した(2,3:茶園,2001)。本論文は,
どのリスクがあるからである。それよりむしろ,
この2篇の論文を「情報伝播モデルに情報倫理機
ある程度なじみのある商品でしかも若干進化した
能を盛り込むとどうなるか」という視点から考察
商品,つまり0.7世代先の商品を求めるからであ
したものである。
る。
(1:朝倉,2004)
2.情報の拡散現象
流行の法則を示したロジャースの理論(25:ロ
ジャース,1966)によれば,新商品には,まず
①2004年8月に中国・重慶で開催されたサッカ
3%のイノベーターが飛びつき,次にアーリーア
ー・アジアカップで,地元市民の反日感情が日本
ダプター(7%)が買い,そしてその後にフォロ
チームに激しくぶつけられ,勝利を喜ぶ日本人サ
アーが加わって,普及率が5割を超えたときに急
ポーターに罵声(ばせい)やゴミが投げつけられ
速に普及し成熟するという。先のサッカーの例で
るという事件があった。本来,スポーツと政治は
は,この過程が極めて短時間に起きたと考えられ
別物であるべきだが,ちょっとしたキッカケでフ
る。
ァンはしばしば暴走することがある。
この理論は,新製品が市場にどのように受け入
②バブル後の長い不況のトンネルを抜けたかの
れられていくかを明らかにし,マーケティング分
ように,薄型テレビ,デジタルカメラ,そして
野で大きな貢献を果たした。またこれは「革新現
DVDレコーダーのいわゆる「デジタル三種の神
象の社会への浸透過程」とのアナロジーとして考
器」を中心とするIT景気が起きている。
察できる。新奇なファッションや革新的な技術,
2004年9月30日受理
A Study of Information Psychology (II)
: Information Propagation and Information Ethics
*1 Toshiaki CHAZONO
日本橋学館大学人文経営学部
新製品なども「革新現象」と見なせば,広い範囲
にこの過程を見ることができる。
ロジャースは「受容れる人」を革新者(イノベ
ーター)と追従者(フォロアー)に区別している。
54
革新者とは,他の人より情報についてより鋭敏で,
革新的なことに敏感に反応するタイプの人のこと
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
3.情報拡散モデルの3タイプ
であり,追従者とは,新製品に対して鈍感であっ
情報の伝達には,全ての人が革新的行動をする
たり,購入に慎重で,世間の評判を聞くなど,他
場合と少数の革新者と残りすべてが追従者の場
の人を経由して知る間接伝達によって行動する人
合,そして上記2つが一緒になった混合型の場合
のことである。
の3タイプがあり,森田はこれを(1)外部影響
まず革新者グループが受容し,ついで追従者グ
ループが続くという革新の普及過程は,地中に雨
水が浸透することになぞらえて「浸透理論
型拡散モデル,(2)内部影響型拡散モデル,そ
して(3)混合影響型拡散モデルとしている。
(17:森田,1997)
(Trickle-down Theory)
」とも呼ばれる。
(17:森田
道也編著,1997)
すでに「その情報を知っている人(受容者)」と,
(1)外部影響型拡散モデル
すべての人が革新的行動をする場合であり,新
まだ「知らない人(未受容者)」を合わせた「情
製品でいえば,一般の人はほとんど自分だけの判
報が伝播される対象者全体」を市場と見なせば,
断で購入してしまうほど安価か,あるいはその製
情報の伝播問題も「新製品の普及過程」のアナロ
品についての基本的な理解をしている場合であ
ジーで扱える。すなわち,新しい情報の発生源近
る。ここでは識者の意見や他人の評判はあまり重
くにいる(あるいは早い時期に新しい情報をキャ
要視されず,一人一人が自分で判断して行動する
ッチした)グループを「革新者」に,またそれが
場合である。情報の伝達で言えば,全ての人が
次々に伝達されていくグループを「追従者」と読
「ねえねえ聞いた?」とか「こんなこと知って
み替えるとき,革新者とはある情報を入手したと
る?」などと中味を吟味せずに触れ回るような場
きそれを積極的に他の人に伝える人のことであ
合であり,まだ判断力の十分でない若年層にしば
り,その行動はどれだけ情報を伝えようとするか
しば見られる「あっという間に広がった」という
の情報発信量に依存する。
(1)
ケースがこれにあたる。
ところで,人は情報を受け取ったときその内容
の如何を問わずに次に伝達するわけではなく,そ
(2)内部影響型拡散モデル
の情報が伝えるに値する内容かどうかの価値判断
有識者とか評論家などの少数のオピニオン・リ
をするに違いない。したがって100%革新者や
ーダー(革新者),あるいは追従者ではあるがた
100%追従者となる人はおらず,その時々に応じ
またまモニターなどになってその製品の試供品を
て0%から100%までの間を逡巡しているといえ
受けた人などがまず使用し,ついで追従者が彼ら
る。
(2)
の口コミや評価・評判などを知って購入するとい
筆者は,情報倫理の知識こそが情報の受容者が
う場合である。(1)の製品に対して,高価であ
どのような行動をとるかを決めていると考える。
るとか革新的であるために価値が良くわからない
情報の真偽を疑う習慣がなく,情報を伝達するこ
などの場合にあたる。
とによる影響を考えない人は,情報倫理力が弱く,
長いあいだ情報伝達チャネルが限られていたた
逆に,情報を受けても一歩立ち止まってその内容
めにこのモデルは非常に有効に働いてきたが,イ
や価値を判断し,次に伝達するかどうかを決める
ンターネットや電子メール,掲示板,携帯電話な
人には情報倫理力(=情報をただしく判断・評価
ど,個人が自由に情報発信できる機会が増えた今
する力)があり,これこそが情報の無責任な拡散
日では,しだいに効果が薄くなり,少数のオピニ
を牽制する力として働いていると考えている。
オン・リーダーの意見よりむしろ身近な人の口コ
ミ情報の方を信用するという逆転現象が起きてき
55
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
ている。
と考えるのである。
4.情報伝達の基本的パターン
(3)混合影響型拡散モデル
口コミと直接的な接触の両方が働く場合であ
情報伝達モデルは
り,(1)と(2)の混合モデルである。たとえ
(1)直線型成長
ば,新聞・雑誌などでの書評を読み,読みたいと
(2)S字型成長
思った本について,身近な人から「あれは面白か
(3)超過と崩壊
った」とか「あれはいいよ」と聞き,購入する場
(4)振動
合である。
(5)メイン・チェーン
これからはこのタイプが情報伝達の主流となる
の5つの基本的パターンから構成される(25:
だろう。内部影響型拡散モデルとの違いは,口コ
ステラマニュアル)。以下に,それぞれの特徴を
ミと直接的な接触の両方が働くことである。つぎ
簡単に述べる。
つぎと新製品が発売され,製品のライフサイクル
が極端に短くなってきている今日では,このタイ
4.1 直線型成長
プがマーケティングの主流になるだろう。
もっとも簡単な複合プロセスと排出プロセスの
従来の外部拡散型,すなわち一部の識者・評論
構造であり,成長と衰退の両者がある一定の率で
家,専門家という人達によって評価されたものを
起こる。
(「情報の発生と消滅」の初期段階でこの
受け取るという形から,友人・知人,あるいは
現象が見られるが,それは次の「S字型成長」の
(わけの分からない)風評によって短時間に情報
一部と考えられる。
)
の価値判断をしなければならなくなってきたため
このモデルでは複合率と喪失率の関係に応じて
に,「それは本当なのか?」「価値ある情報か?」
3種類の挙動パターンがある。複合率(発生率)
を自主的に判断しなければならないという社会に
と喪失率(消滅率)が共に定数であるとするとき,
なってきている。そこで「情報をただしく判断・評
「複合率<喪失率」の場合(曲線1)は,プロセ
価する力」がますます求められている。
(3)
スの各サイクルで,追加より減少の方が多いため
この「力」の大きさをあらわすものとして,
に,時間経過とともに衰退している。もちろんス
「情報倫理力(あるいは情報倫理係数)」という概
トックが少なくなるにつれ,インフローとアウト
念を導入したい。この値が大きいと情報の伝達に
フローも小さくなり,ついには共に無視できるほ
ブレーキがかかり,小さいと拡散するかなかなか
ど極少となる。この過程では,「純縮小率=喪失
終息しない。当然のことながら情報を知った全て
率−複合率」である。
の人が次の人へと情報を伝えるわけではない。あ
つぎに「複合率>喪失率」の場合は,各サイク
る人から次の人へと伝達される情報量(すなわち
ルで減少より追加の方が大きいので,ストックは
「情報発信量」
)は情報倫理力によって規定される
しだいに大きくなる。ストックが大きくなると,
ストック
インフロー
アウトフロー
複合率
喪失率
図1
56
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
1:ストック
2:ストック
3:ストック
50.00
3
3
25.00
3
1
2
3
2
2
2
1
1
1
0.00
0.00
5.00
6.00
9.00
12.00
図2
それにつれてインフローが(もちろんアウトフロ
の発生部分を単純化して表わしたものである。
ーも)大きくなるので,全体としては指数関数的
ここでは,何ら複雑な条件をつけないで,フロ
な成長となる。情報が広まり始めた初期の段階に
ー(情報の発生数)には発生率(複合率と同じ)
このような形となることがある。
のみがある確率でインプットされているので,情
つぎに「複合率=喪失率」の場合であるが,イ
報はたえず発生し,グループ(市場)全員に知れ
ンフローとアウトフローが等しいために,ストッ
わたるまで個数が増えつづける自己強化型のプロ
クは定数としてとどまり,時間が経過しても値は
セスである。ここで「情報の個数」は文献2の基
変化しない。しかし,複合率と喪失率が確率的に
本公式Ⅰ[4.1]の「情報の流布量」に相当する
変化するときはこれとは異なる動きとなる。
ものを想定している。
(2:茶園,p.31,2002)
この構造は生物学や社会科学の複雑な構造をあ
(2)複合率と喪失率が確率的に変化するとき
らわすときの基本プロセスであるが,情報伝播問
の「情報の発生+消滅」
題では,複合率や喪失率が一定の値をとるとは考
えにくく,次節の確率的に変化する値をとると考
つぎに情報の消滅プロセスを付け加えてシミュ
えられる。
レーションすると,情報の個数は次のようになる。
(ここでは情報の発生と消滅に同じ分布を仮定し
(1)複合率と喪失率が確率的に変化するとき
ている。
)
の「情報の発生」
図4と図6は共に100日間での情報のストック
図3は「情報」を「うわさ」と読みかえて情報
数である。単純に情報の発生だけを取り上げた場
うわさの個数
うわさの発生数
発生率
図3
57
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
合は,100日後には情報は500近い累積数となって
はおなじ確率分布を使うとき,この確率モデルで
いるが,消滅プロセスを加えることにより40近く
情報の累積を減らすには「複合率=喪失率」でな
になっている。
く「複合率<喪失率」でなければならない。この
情報の発生と消滅にはおなじ確率分布を使って
喪失率を大きくする力,すなわち発生を押さえ込
いる(情報は発生と同じ率で消滅するとする)が,
み累積させない力として情報倫理(力)が働くと考
差引ゼロにはならず,じりじりと累積していく。
える。
このことから分かるように,情報の発生と消滅に
図4
うわさの個数
うわさの発生
うわさの消滅
発生率
消滅率
図5
図6
58
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
4.2 S字型成長
初期の段階では「指数関数的成長」の形をしてい
ある時期から(最終的には)成長を抑制するた
るが,やがてほぼ直線的な成長となり,やがて成
めの何らかの力が働くようなときであり,S字型
長が止まる。全体としては「S字型成長」曲線を描
の(自己強化型)成長曲線となる。
(4)
く。この成長曲線は新製品の普及(率)などで良
く見られる。情報の伝播でいえば,なんらかの外
この図は,喪失率がストックからの情報を受け
てアウトフローへ情報を渡している点で(1)を
部の弱い圧力(言論統制,メディア統制など)や,
拡張したものであり,ストック量に応じて喪失率
弱い自己統制などが働いた場合に起こると考えら
が増加しているのが特徴である。
れる。また,サイバー空間における集団力学とし
て,リヴァイアサンの意見が情報倫理力として強
ある情報が広く知れわたるにつれて,その情報
く規制することもある。
(24, WALLACE, 2001)
を知ったときそれを誰かに伝えようとする意思が
弱くなり,急激に人々の関心が薄れるので,情報
途中まではストックが複利的に成長するのでア
の伝播の過程ではストックが増加するにつれて喪
ウトフローも指数関数的に成長している。前項の
失率が増加し,やがてインフローを抑制し,つい
「直線型成長(ファースト・オーダー・リニア・イン
にはストックの増加が停止するという現象がよく
フラストラクチャ)」で「複合率>喪失率」の場合
見られる。つまり,誰もが知っているような情報
も指数関数的な成長をしており,ここまでの段階
はわざわざ知らせる価値がなくなってくるという
ではこのモデルがどちらのタイプかは分からな
ことである。
い。
ストックと喪失率との関係は任意の関数で定義
このタイプは,指数関数的な成長から漸近的な
できるが,実務的には下図のようにグラフを直接
アプローチへと変化するが,この挙動を変えるポ
描いて定義する。
(5)
イント(変曲点)からアウトフロー(の増加率)
成長の過程は3つの相を示していて(図9),
が増えていき,ストックの成長が徐々に低下して
ストック
インフロー
アウトフロー
複合率
喪失率
図7 (26:ステラマニュアルより)
図8
59
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
1:ストック
2:インフロー
3:アウトフロー
30.00
1
1
10.00
1
2
2
3
3
2
1
3
2
3
0.00
0.00
5.00
10.00
15.00
20.00
図9 (26:ステラマニュアルより)
いく。新製品の普及過程にかぎらず,情報の伝播
増加していき,やがてストックからのアウトフロ
過程でもこのタイプがしばしば生じる。情報伝播
ーがインフローを超えるようになるとストックの
のモデルがこのタイプとなれば,変曲点がどこか,
崩壊というパターンとなる。
いつ変曲点となったか,あるいはいつ変曲点とな
るかを推測することもできよう。
図11はリソースが異なる場合のストックの超過
と崩壊の様子をあらわしている。情報伝播のプロ
セスに当てはめると,ある情報が知られるような
4.3 超過と崩壊
る(つまり,まだ知らないグループの人数が減る)
時間とともに急激に増えていったものが,ある
につれて,情報の伝播効率が落ちてきて,やがて
時からなだれを打ったように急激に衰退するとい
終息に向かうことになる。
(6)
う現象は,多くの物理,生物,あるいは社会シス
「超過と崩壊」と「S字型成長」は非常に近い関
テムで見られる。情報の伝播で,その情報を信じ
係がある。(7)テレビの例でみてみよう。白黒
ているかどうかという尺度,あるいはあらたに情
テレビは1956年ごろから普及し始め,ほぼ10年後
報を知る人の数という尺度でみたときしばしばこ
の1968年に家庭への普及率が98%近くのピークを
のパターンが成り立つ。それは,人があまり知ら
示した。しかし,白黒テレビにおよそ10年遅れて
ないうちこそ情報は価値があり,ある程度皆が知
普及しはじめたカラーテレビに押されて下降の一
るようになると,人々の関心が急激に薄れるため
途をたどり,典型的な超過と崩壊のパターンを示
である。このような現象を「超過と崩壊」と名づ
した。いっぽうカラーテレビはきれいなS字型成
けよう。
長曲線を描き,現在ほぼ100%普及しているが,
図10は「超過と崩壊」の最も単純な構造である
これに替わる新たな製品が開発されれば,やがて
が,これは(2)の「S字型成長」のインフラスト
白黒テレビ同様の崩壊曲線を描くことだろう(図
ラクチャを拡張したものである。S字型(図7)
12)
。
では,喪失率がコネクタで「ストック」とつながっ
新製品の普及率の場合には,ある程度普及する
ている(情報がきている)のに対し,「超過と崩
まではS字型成長であるが,その後,別の新製品
壊」では「リソース」という別の「ストック」からコ
への買い替えがおこり,普及率は降下していき,
ネクトされている。リソースはストックを維持す
やがて旧製品は製造中止となるので,ここまでの
るように作用するのであるが,「リソース」が有限
過程を取り上げれば,超過と崩壊のタイプとなる。
のときは,リソースが枯渇するにつれて喪失率が
これを「うわさ」の伝播問題でみると,あるう
60
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
ストック
インフロー
アウトフロー
複合率
リソース
喪失率
消費
ストック1ユニットあたりの消費
図10 (26:ステラマニュアルより)
1:ストック
2:ストック
3:ストック
4:ストック
200.00
100.00
4
4
3
3
2
2
1
4
3
2
1
1
0.00
0.00
6.00
12.00
1
18.00
2
3
4
24.00
図11
図12 家電・耐久消費財等普及率
(安田浩氏作成:http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g10725hj.pdf)
61
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
わさ(たとえば1973年12月におきた「豊川信用金
4.5 メイン・チェーン
庫取り付け騒ぎ」(7:伊藤,1974))が地域の人
これは物が流れる一連の段階を表現したいとき
に知られる過程(うわさの発生個数)は典型的な
に便利なインフラストラクチャである。人口増の
S字型成長曲線を描いているが,さらに時間を延
モデルでいえば,高齢者の人口は中年層の影響を
ばしてその後の変化まで見ると,そのうわさは急
受け,中年層の人口は青少年の影響をうける。そ
速に終息へと向かっており,超過と崩壊の過程を
して,各階層で,出生や死亡,成熟,高齢化など
描いている。
がたがいに絡まりながら関係してくるというケー
したがって,S字型成長モデルは超過と崩壊の
スである。人口という単一のフローによって供給
モデルに含まれるので理論上はわざわざ2つのタ
されていながら,アウトフローはチェーンそれぞ
イプに分類する必要性はなく,普及現象のどこに
れのストックの排出をうながし次のストックに物
重点をあげてとりあげるかの違いだけであるとい
を移動させている。情報の伝播では考えにくいパ
えよう。
ターンである。
5.情報の伝達モデル
4.4 振動
経済活動や非常に変化に富んだ社会的,生物学
5.1 モデル(1)‐全員が革新者である場合
的,あるいは物理的挙動で,ある種の振動が発生
情報(流言)には「噴出流言」と「浸透流言」
することがある。たとえば「雇用と失業(解雇)」
があるが,全員が革新者として機能するときは
などの現象や,生産と在庫などで振動現象を見る
「噴出流言」の場合となり,このモデルのフローダ
ことができる。
イ ア グ ラ ム は 下 図 の よ う に な る 。( 3 : 茶 園 ,
振動を起こすには最低2つのストックが必要で
2001)
ある。ストック1がストック2からのアウトフロ
しかし実際には,グループの構成員全員が異常
ーの発生の触媒となり,ストック2はストック1
な精神状態に陥っているとき以外では,このよう
へのインフローの発生の触媒となっている。(図
なケースは極めて考えにくい。
13)情報の伝播では,通常ではこの現象は起こら
ない。ある都市伝説(たとえば「当たり屋情報」
)
5.2 モデル(2)‐少数の革新者と残りす
は繰り返し流布されている(当たり屋情報は偽情
べてが追従者である場合 報!:http://www.psy.ritsumei.ac.jp/~satot/rumor/atatest.
文献(3:茶園,2001)で「阪神大震災」での
html)が,これは「振動」のように見えても,「超
情報伝播をとりあげ,「阪神大震災」のニュースの
過と崩壊」が繰り返し起きていると考えられる。
伝播は立ち上りが鈍く,2時間を過ぎた頃から急
速に伝播し,いわゆる「S字型成長曲線」を描い
ストック1
インフロー1
アウトフロー1
生産性1
ストック2
インフロー2
アウトフロー2
図13 (26:ステラマニュアルより)
生産性2
62
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
受容者
情報発信チャンネルの数
総人数
未受容者数
革新者の割合係数
図14
ていることを示したが,「少数の革新者と残りす
見識を持つ大人であれば,怪しげな情報は転送し
べてが追従者である」場合にこのような現象が起
ないだろうが(10),まだ十分な判断力を持たな
こる。
い人は,悪意が無くても(場合によっては崇高な
モデルとしては次のようなフローダイアグラム
使命感に燃えて)積極的に情報を転送してしまう
を考えられる。
かもしれないからである。
(11)
ここでは,図14にXとYというコンバータが追
したがって,この革新者の割合係数とは別に,
加され,新規に受容する数(情報チャネルの数)
ブレーキとなるべく「情報倫理」をプログラムに組
はMIN(X, Y)として決まるとしている。
(Yは未
み込む必要がある。
受容者数を1単位時間遅らせた値であり,Xは革
5.3 モデル(3)-モデル(1)とモデル
新者の割合係数*受容者*未受容者数)
革新者の割合係数は,新製品や技術の普及活動
(2)が混合している場合
であれば,大きい方が望ましいかもしれないが,
このモデルはモデル(1)で使われる式
XT = XN1 + XN2 + ... + XNT
ネット上を流れる情報についてはここを流れる全
XNT = aXT(L - XT)
ての情報(その中には,迷惑メールや,流言蜚語,
を次のように変形したものである。
(12)
中傷・誹謗などのマイナス情報も含まれる)を対
(3:茶園, p.16, 2001)
象としているので,必ずしもそうではない。ここ
XT = XN1 + XN2 + ... + XNT
では,ある情報を受け取った人が,その情報を次
XNT = (a + bXT)(L - XT)
の人に流すかどうかの判断をキチンとするかどう
かが重要となり,怪しげな情報,眉唾な情報など
ここでaは外部影響効果に,またbは内部影響効
は本人の判断と責任で,そこでストップさせ次に
果に関係する定数である。 b=0 とするとモデル
回さないという判断が求められる。これは偏に
(1)になり,a=0とするとモデル(2)になる。
「情報倫理の知識(力)を持っているかどうかにか
図16はモデル(1),
(2)
,
(3)の3タイプで
の受容者数の推移傾向を示したものである。
かっている」と筆者は考えている。十分な良識と
受容者
新規に受容する
総人数
革新者の割合係数
X
Y
図15
未受容者数
63
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
1:受容者数 I
2:受容者数 II
3:受容者数 III
1000.00
1
1
3
2
3
1
3
2
500.00
3
2
1
2
0.00
0.00
12.50
25.00
37.50
50.00
図16
受容者係数がそれぞれ異なるので,この曲線を
気になる情報や大事な情報だと思えば繰り返し
直接比較することは意味がないが,3タイプの傾
発信するだろう(リピーターのようなものであ
向は分かる。すなわち,モデル(1)では情報の
る)から,これをモデルに組み込む必要がある。
初期の段階から受容者が急激に増え始めるのに対
モデル(1)ではこの値が大きく,あるグルー
し,モデル(2)では始めはゆっくりと増加し,
プの人たちが情報発信の中心となり,繰り返し
ある時点から急激に増加する。モデル(3)はこ
情報を発信すると考えられる。モデル(2)で
の両モデルの中間である。
は,特定の人だけでなく,新たに情報を受けた
6.おわりに
人がリピーター的な働きをするので,鼠算式に
情報が伝播すると考えられる。
以上,筆者が発表した2編の論文を,「情報伝
②情報の「噴出・浸透」度も考慮したい。知人か
播モデルに情報倫理機能を盛り込むとどうなる
ら知人へと親しい人たちのネットワークを通し
か」という視点から考察した。
てその内容に興味や関心をもった人の間を流れ
最後に,モデル構築時でのいくつかの事項を列
記し,今後の解析の手がかりとしたい。
(1)モデル構成の前提
①混合影響型拡散モデルとする
②情報倫理力をあらわすものとして情報倫理係
数を組み込む
③インフラストラクチャとして「超過と崩壊」の
パターンを取り上げる
(2)定式化で考慮すべき点
混合型情報拡散モデルであるから基本的には
る情報を「浸透情報」と呼ぶことにする。また,
災害時におけるような強い社会不安と時間的に
切迫した緊急事態においては,その場にいる見
も知らぬ人々の間を急速に流れるような情報を
「噴出情報」と呼ぶことにすると,噴出情報は
パニックなどに結びつきやすい。モデル(2)
の場合にとくに「噴出・浸透」度が大きいと考
えられる。
③情報を受け取ったとき,それを次に伝えるかど
うかの判断のよりどころとなるのが「情報倫理
XT = XN1 + XN2 + ... + XNT
力」であり,これをモデルに組み込む必要があ
XT = (a + bXT)(L - XT)
る。
の2式を解くことになるが,そのとき次の点を
考慮する必要がある。
①情報の受容者は一度発信すれば終わりでなく,
64
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
である。このようなとき,とりあえず得られた
注
(1)追従者には情報を自分の所で止めてしまう人も
含まれる。
いくつかの点をプロットし,それらの点を結ん
だ曲線(グラフ)で関数を定義する。
(2)情報の伝達では,本来は伝達すべきでない情報
(6)この「超過と崩壊」は生態系を調べるときに最も
(いわゆるガセネタなどと呼ばれるもの)を受け
頻繁に見られる現象である。たとえば,森林に
取ったときそれを伝達してしまう誤り(統計学
棲むシカの個体数は,食糧事情と餌となる捕食
でいう第二種の過誤,β-過誤)や,反対に,真
動物の個体数から決まってくる。事実,1900年
実の情報,積極的に伝達した方がよい情報を受
にアメリカで,家畜を襲撃されたことが原因で
け取ったのに,見過ごしてしまい伝達しない誤
地元の牧場主や農家が家畜を襲う捕食動物に50
り(第一種の過誤,α-過誤)も考慮にいれなけ
ドルの賞金をかけた。その結果,10,000頭から
ればならない。
10年後には200,000頭と20倍に増加したシカの個
(3)日本は毎年台風に見舞われるが,これは気象観
体数が,その後の10年で再びゼロ近くまで激減
測技術の向上と時間的なゆとりがあるので,そ
するという典型的な「超過と崩壊」のパターンを
れほどの心配はない。しかし,地震による災害
は予測がつかないだけに心配である。日本は高
度の情報化社会を築きあげてきたが,通信回線
が使えなくなるとたちまち無力化してしまうこ
とがほぼ10年前(1996年1月15日)に発生した
「阪神淡路大震災」の例で明らかになった。あれ
よりも大規模な地震が首都を襲ったときどうな
るかと考えるとき,情報倫理の重要性は強調し
てもしすぎることはないだろう。
(4)生物体の全部,または部分の成長量(体重,脚
長など)が,時間の経過にともない増加する過
示したと言われている(26,1997)
。
(7)数学的には,S字型成長曲線は超過と崩壊型曲
線の積分値のグラフと考えることもできる。
(8)http://www.meti.go.jp/report/downloadfiles/g10725hj.
pdf
(9)当たり屋情報は偽情報!(http://www.psy.ritsumei.
ac.jp/~satot/rumor/atatest.html)
(10)もっとも,最近の新聞やテレビで報道される事
件を見ていると,子供に限らず大人までもがあ
まりに非常識な者がいるので,この考えもぐら
ついてくることすらあるが。
程をグラフで図示するとこの種の成長曲線を描
(11)筆者のところにも度々そのようなメールが送ら
く。曲線の形状は,その種の生活史,生活環に
れてくる。最近の例で言えば,イラクで日本人
よって特徴づけられているが,ふつう一生のあ
が3名捕らわれたときに,まだ事件の概要がつ
いだの中ほどで成長量が最大になり,その後し
かめないうちから「人質を救おう」の呼びかけ
だいに減少していくために,一般にS字型(シグ
モイド型)となることが多い。
メールが数多く送られてきた。
(12)この式については参考文献[3]で述べている
個体群の成長曲線は理想的条件下では,個体群
が再掲すると,
は指数関数的に増加する。いわゆるねずみ算的
XT:T期までに革新を受容した(うわさを聞い
に生物が大発生する過程である。しかし現実に
た・受けた)人数
は生活空間,食物量など生活資源量が有限であ
YT:T期までに革新を受容していない(うわさ
るために,個体群の成長はやがて停止し,環境
を聞いていない・受けていない)人数
の収容量にみあった個体群水準で安定すること
XNT:T期に新規に受容する(うわさを聞く・受
になる。
[立川賢一]
ける)人数
(5)アンケート調査などから得られた実際のデータ
から関数をグラフの形で定義してシミュレーシ
L:総人数
とするとき次の式を解くことと同じである。
ョンする。たとえば,オイルショックのときの
XT = XN1 + XN2 + ... + XNT
……(3)
「トイレットペーパー」騒ぎとか,定価1980円の
XNT = aYT = a (L - XT)
……(4)
品物に,なんと3∼5万円という途方もないヤ
ミ値がついたゲーム機「たまごっち」のように,
「品不足(在庫がない)」などといううわさを聞
いて慌てて買いまわりに走る,という現象を考
えよう。この場合,うわさを聞いた行動と実際
の買いまわり行動との関係を示す信頼できるだ
けのデータが集まらないかもしれない。まして
や,むりやり数学的に関数を定義しても無意味
参考文献
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型テレビがなぜ売れたか」
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65
茶園 利昭:情報心理に関する研究(Ⅱ)
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,明治書院,東京
22) 岡野道治著:1997,理工系システムのモデリン
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24) Wallace, Patricia M.: The Psychology of the Internet,
究−愛知県豊川信用金庫取り付け騒ぎの現地調
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― 伝播行動の数理モデル分析,現代のエスプリ
別冊「流言,うわさ,そして情報」
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本文芸社,東京
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67
報告・資料
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
児童養護施設における教育支援としての英語学習指導
大久保 澄 子*1
キーワード
児童養護施設(children's home) ボランティア(volunteer) 教育支援(educational support)
英語教育(English teaching) サジェストペディア(Suggestopedia)
はじめに
の家庭にも起こりうる「普遍的」な問題である。
ニーズの一般化が進む中で,社会的養護 (2) に
大学や短期大学における英語教育の現場では,
おける「教育の質」が今後重要である。子どもの
授業への無関心,マナーの欠けた言動や私語など,
精神を安定させ,その上で質の高い教育を受けさ
学生としての問題行動が見られるようになった。
せるためには,学際的協力による実践・研究が必
無気力な学習態度や秩序ある生活習慣の欠如は,
要となっている。児童養護施設の教育支援として
多くの大学で一般的にみられる傾向があり,その
(3)
日本橋女学館短期大学(以下短期大学と略記)
背景には,社会環境の変化によって社会や家庭に
での専門(英語教育)を活かしたいと考え,社会
おける教育機能が低下していることがある。また,
福祉法人S園(以下S園と略記)においてボラン
一般的に大学入学者の基礎学力の低下が問題とな
ティアとして英語学習指導をおこなった。
っている中で,英語基礎学力やコミュニケーショ
本稿では,1999年3月から2004年2月まで5年
ン能力の欠如も顕著に見られる。これは学生側の
間のS園における活動を報告し,児童養護施設に
問題だけではなく,中学校での英語教育の不十分
おける学習指導上の問題点や今後の課題について
さも示している。現在大学において導入期の効果
考察を試みる。
的な教育方法が極めて重要となっている。
社会では,虐待やネグレクトなどの「子どもへ
1 S園と教育支援
の不適切なかかわり(Child Maltreatment,以下マ
1.1 大舎制施設S園
ルトリートメントと略記)(1)」が社会問題化し,
S園は,戦争孤児や浮浪児を自宅で養育し始め
子育てに対して,各分野の専門職の協働によって
たことから出発し,1952年県認可の養護施設とな
社会的に解決しなければならない福祉的ニーズが
り,1996年に社会福祉法人児童養護施設となった。
増加している。家庭での養育機能の低下や子ども
定員50名の平均的大舎制施設で,2002年に小舎制
へのマルトリートメントの増加現象は,健全な社
施設(定員6名)を併設した。現在小規模グルー
会構築に悪影響を及ぼし,将来の社会不安への要
プケアも試みられている。3∼6才4名,小学生
因となる。
24名,中学生18名,高校生10名,計56名が入所し
児童養護の問題は「救貧的」なものでなく,ど
2004年9月30日受理
Teaching English as Educational Support in a Children's Home
*1 Sumiko OKUBO
日本橋学館大学人文経営学部
ている。家族病理的 (4) なマルトリートメント
を受けた対象児童が増えている。
施設長は,大舎制施設を肯定し,ケアの小規模
化には批判的立場にある。集団の相互育成効果を
68
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
利用して,家庭を越える機能を持つことを目指し
アと略記),映画・演劇,野球,東京ディズニー
ている。大舎制と小舎制に対する論議では,現在
ランド,スキーへの招待など民間企業からの支援
小舎制への支持が圧倒的な大勢である。しかし,
も多い。国内の企業や海外のボランティアによっ
職員1∼2名の小舎制施設では,特に職員の資質
て子どもの海外研修も行われている。また市民ボ
が問われ,誰も見ていない環境の中で職員による
ランティアとして,臨床心理士による引きこもり
マルトリートメントを誘発する危険性も含んでい
児童のケアやピアノ指導,教会での活動も行われ
る。他方,大舎制施設では,子ども相互の関わり
ている。
合いは,時にはカウンセリングを越える問題解決
家庭の中で子どもの教養として培われるべきこ
力を持つことが,現実に接している子どもの会話
とが,多分野にわたるボランティアの教育支援と
から感じられる。多くの子どもはマナーが身につ
して子どもに提供され,施設の教育システムを補
き素直に育っている。S園における養育力を見る
完していくことが必要である。
限りでは,大舎制施設を肯定的に捉えることがで
1.3 学習指導
きる。
施設によっては,日常的なケアの実情を知られ
学習指導は,子どもに学習の重要性を認識させ,
ることを避けるために,各種の支援を受けること
学校生活を円滑に送らせるために,教育支援の中
に消極的であったり,児童指導員(以下指導員と
で最も重要な要素である。放任された環境で育っ
略記)によるマルトリートメントなどの問題も発
た子どもは,家庭での会話や学習の経験が少なく,
生している。しかしS園では,ケアの実状をオー
日本語能力が欠如し成績が低位である。そのこと
プンにし,多くの支援を受け入れ,新しい試みを
が施設への誤った認識や差別を生む原因ともなっ
取り入れてケアの質を高めようとする積極的な姿
ている。施設長は,フリーターやニートが増加す
勢が見られる。
る中で,モラトリアム期間が許されない子どもに
基礎学力をつけることを重視している。
1.2 教育支援
S園の学習指導は,指導員と大学生ボランティ
教育支援は,知識や技能の教育及び社会性を育
てるための施設の諸機能に対して,主体としての
ア(表中:大学生)によって表1のように行なわ
れている。
子どもに利益になる援助活動を行うことと捉えら
2 英語学習指導
れる。施設では,ケアの質的向上のために大学の
専門機能が提供され,教官による心理カウンセリ
2.1 指導の目標
ング,精神科医師グループによる思春期プロジェ
子どもは,入所以前の家庭環境などから学業遅
クト等の治療的機能を持った実践・研究も始めら
進児になりやすい状況にいる。遅進児の傾向とし
れている。また,学習指導を中心とした大学生や
て,「授業中集中力がたりない」,「学習の習慣が
大学院生のボランティア(以下大学生ボランティ
身についていない」,
「英語はだめと思い込んでい
表1 子どもの学習時間と指導内容
学習時間
小学生
中学生
高校生
月曜日から金曜日
午後6:40∼7:30
土曜日
午前9:00∼10:00
月曜日から金曜日
午後7:00∼9:00
土曜日
午前9:00∼11:00
指導者と指導内容
指導員:小学生を低学年から高学年まで3∼4グループに
分け,漢字や計算などドリル中心の学習指導。
大学生:中・高校生への指導が始まるまで個別指導をする
場合もある。
(月・水・土)自習,指導員:試験前などには国語・数学・
英語を中心にドリルをさせる。
(火・木・金)大学生:子どもの質問に答える個別指導。
子どもはこのうち2日間別々の大学生の指導を受ける。
69
大久保澄子:児童養護施設における教育支援としての英語学習指導
る」
,「文法事項がわからない」など多くの特徴が
あげられる(羽鳥,1982;153-155頁)。これは,
大学における英語嫌いの学生にも見られる現象で
あり,英語に対して否定的な自己概念を持ってい
る。英語学習指導は,子どもをそのような状況に
陥らせないために次の3点を目標とした。
(4)指導者は,他の子どもとの比較ができな
いため学習上の問題点をつかみづらい。
(5)子どもとの交流に重点がおかれ,おしゃ
べりが多い。
大舎制施設には,同じ学齢の子供が複数いるた
め,
「グループ対象の教育目的を持った指導」(以
(1)子どもを英語嫌いにさせない。
下グループ指導と略記)が可能である。グループ
「英語嫌い」は,大学での授業を進める上でも
指導では,指導者の専門的知識や教育技術の水準
学習障壁となっている。子どもに「英語はだめだ」
によって教育効果が大きく異なる。また,教育目
という学習を邪魔する自己概念を持たせないよう
的に適した教材の準備などに時間が必要である。
にする。
指導上次の点に留意する必要がある。
(2)成績を気にさせず,コミュニケーション
(1)指導科目に対する充分な知識
能力養成のための基礎力をつける。
(2)教育計画に基づく指導
成績へのプレッシャーは子どもにストレスを与
(3)教育方法に対する認識
え,潜在能力を抑制する。学習指導は,口頭練習
(4)教材準備あるいは作成
(文字による学習はさせない)によってコミュニ
英語学習指導は,グループ指導で行い,教育内
ケーション能力をつけることに重点を置き,学業
容や方法等については,主体的に実施することが
遅進を気にさせず,成績を向上させる目的の指導
できた。しかし,当時施設長は,子どもの学業成
方法はとらない。外国人に気後れを感じさせない
績を向上させるためには,ドリルによる学習が最
ようにするために,ボランティアを申し出た外国
も効果的であると考えていたため,英語学習指導
人(3名)との交流を計る。
の教育目標や方法等に対して双方の考え方には相
(3)英語学習へのレディネス
英語が役立つ環境を示し,文化的背景への興
味・関心を起こさせる。生涯学習への土壌として,
違があった。
2002年に第2グループ,2003年に第3グループ
の指導を試みた。
躊躇なく英語学習に取り組むことのできるレディ
ネスを育てる。
2.3 S園におけるグループ指導
2.3.1 大学生に見られる導入期の学習項目
2.2 個別指導とグループ指導
における問題点
学習指導には,個別指導とグループを対象とし
大学生の英語基礎力には,中学校での学習項目
た指導がある。学生ボランティアによる個別指導
に習熟していないいくつかの点が見られる。グル
は,教育目的を持たず,宿題などに対する子ども
ープ指導では,その問題点を把握し,その点を子
の質問に答える指導を行っている。決められた時
どもに習熟させる必要がある。短期大学や大学に
間子どもの相手をすることで,ボランティアの目
おける習熟度別クラス編成で下位クラス(以下下
的を達しており,次のような問題点がみられる。
位クラスと略記)の学生は,導入期の学習項目を
(1)理解が不足している子どもは,何を質問
英語コミュニケーションの中で的確に運用するこ
してよいかわからない。
(2)質問に答える形式では,系統だった学習
ができない。
(3)国語力が低く,説明が理解できない。自
分で考える能力が欠けている。
とができない。授業「LL実習Ⅰ(短期大学)」に
おける質疑応答形式の口答試験や「国際ビジネス
英語Ⅰ(大学)」の初めに実施している基本的な
文法項目の理解度テスト(会話体の和文英訳)に
よると,特に日本語の観点から分かりにくい時制,
70
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
数(すう)
,冠詞,代名詞の理解が不足している。
と答えられる学生は稀である。
これらはコミュニケーション能力の基礎として最
も重要な導入期の文法項目であり,日本人学習者
2.3.2 グループ指導における教育項目
に共通した問題点でもある。
グループ指導は時間数が少ないため,中学校の
(1)時制
英語授業の内容をもとにしてコミュニケーション
① Be 動詞と一般動詞の機能を理解していない。
能力を補う方法が適している。中学校での授業で
② 現在時制(present simple,present continuous)
は,それぞれの学習項目が定着しないまま次の項
の形態が習得されていない。
目を学習するということが繰り返され,文法項目
③ Present simpleとpresent continuousがそれぞれ
を体系的に理解させていない点が見られる。その
どのような状態を表すことができるか,そ
ため,グループ指導ではそれぞれの項目について
の違いを理解していない。
その関連性や違いを理解させるようにする。特に
④ 基礎的な過去・過去分詞形の形態素が習得
されていない。
⑤ Present tenses, past tenses, perfect tensesを正確
に使用できない。
下記の教育項目について,前述した問題点が習得
されるように重点的に指導する。
(1)時制は,present tenses(未来を表すものも
含む)
,past simple(past continuousを除く)
,
下位クラスの学生はほとんど導入(①と②)か
present perfectとする。英語の時制は,日
らの問題(I going, He go, She is go, etc.)をかかえ
本語よりも時間の関係を正確に表してい
ており,上位クラスでも③を正確に理解している
る。コミュニケーション能力養成のため
学生はほとんどいない。
に,この点を意識して指導する。
(例)
「太郎は日曜日にはいつもサッカーをし
て い ま す 。」 と い う 日 本 文 に 対 し て ,
“Taro is always playing soccer on Sunday.”
(2)冠詞と数,代名詞は,それぞれの項目が
相互に関連しているため,口頭練習によ
って無意識的に応答できるようにする。
と答え,“Taro usually plays soccer on
Sunday.”と答えられる学生は少ない。
(2)数(すう)
,冠詞,代名詞
日本語にない数と冠詞は,英語では重要な役割
2.3.3 グループ指導の教育方法:プーシキ
ン記念ロシア語研究所における「イ
ンテンシブ」の応用
を持っている。また主語の省略が多い日本語と比
第2言語習得には,教師と学習者,学習者間の
べて,英語は代名詞を多用する。学生は中学校で
心理的な交流など人間の情緒的要因が学習の重要
それぞれの項目を学習しているが,コミュニケー
な要素となる。そのため1970年代に入ってG.
ションの中でそれらを的確に使用できないことが
LozanovのSuggestopedia,C. CurranのCommunity
顕著に見られる。
Language LearningやC. GattegnoのThe Silent Wayな
(例)下位クラスの学生にリンゴ1個の絵を見
ど,認知理論に基づいた教授法 (5) が開発され
せ,「①これは何ですか。②それはリンゴ
た。従来から行われてきた「教師が主体となって
で す 。」 の 英 文 を 作 ら せ た 場 合 , ① の
言語構造を教育する」ものではなく,精神力学を
“What is this?”は,ほとんどの学生が正
重視した学習者中心の教授法である。それらの教
しく答えるが,②では,“Apple.,This is
授法は,「コミュニケーション」がその共通点と
apple.,It is a apple.”などの誤答が多い。
してあげられ,カウンセリングの技法も多く使用
また2個のリンゴの絵を見せ,同様の問
されている(大久保,1999;30-32頁)
。
題をだすと,“What are these?”と答えら
れる学生は少なく,
“They are (two) apples.”
学習意欲に欠ける学習者に対するグループ指導
には,人間の心理を重視して個人のさまざまな学
71
大久保澄子:児童養護施設における教育支援としての英語学習指導
習障壁を取り除き,楽しく学ぶ学習者中心の教育
いにさせない」ことを実現するために有効である
方法が適している。そのため,ソビエト(現在ロ
と推測された。
シア)のプーシキン記念ロシア語研究所(以下プ
Suggestopediaは,Introduction, Active Concert
ーシキンと略記)における教育方法「インテンシ
Session, Pseudopassive Concert Session, Elaboration
ブ」の応用を考えた。プーシキンは,ソビエト国
で構成されている(Lozanov, 1988; pp. 21-28)が,
内や海外のロシア語教師の教育技術や資格の向上
インテンシブは,Introduction, Concert Sessionsに
などを目的とした教育機関であり,各教師がイン
あたる「提示」,Elaborationにあたる「練習(オ
テンシブを用いて教育技術等の向上のために教育
ートマチック化)」,上級者用として「問題解決」
や研修を行っていた(大久保,1991;26頁)。イ
に分かれている。Suggestopediaで重きをおかれて
ンテンシブは,プーシキンにおけるSuggestopedia
いるsuggestionやリラクセーションの手法は簡略
的教授法である。
化されている。「練習」は,学習項目の定着に優
日本では,А. Акишинa(以下アキーシナ
れている。グループ指導では,子どもの不安や緊
と略記)が,初めてSuggestopediaによる実験教室
張を取り除き信頼関係を築くためのsuggestionに
を行った(6)。アキーシナが筑波大学外国語セン
留意しながら,特にこの「練習」の方法を取り入
ターでロシア語同好会の学生を対象に行った実験
れた。
授業によってインテンシブの教授法を知り,1989
年モスクワのプーシキンで取材を行なった。1990
2.3.4 インテンシブを応用したグループ
指導
年に,当時教員資格向上講座の講座長であったア
キーシナを招聘し,インテンシブの教授法を紹介
期間:1999年3月∼2002年7月
するために短期大学で12日間のロシア語公開講座
場所:S園
を開催した。それらの授業の中で特色としてあげ
時間:1999年3月(週3回,1回60分),4月
られるのは,受講者に学習を意識させない教育環
境(教室の装飾,喫茶コーナーや音楽等)作り,
学習に緊張や抵抗感などをもたせないための
suggestionや楽しく自然に学ぶための変化に富む
以降(週1回80分)
対象児童:6名(4月時点での中学1年生5名,
小学校6年生1名)
グループ指導は,学習環境,学習時間などイン
豊富な活動(ゲーム,歌,ダンス等)であった。
テンシブの学習条件と大きく異なる。また,学習
また,プーシキンのコミュニケーション理論は,
の動機も自発的なものではなく,施設長から強制
人間を社会の中での一つの個性であると捉え,
されたものであるため,その日の気分や反抗等で
「個性を持った人間とそれに関わる集団との相互
毎回全員が参加するわけではない。そのためグル
関係(大久保,1990;28頁)」を重視している。
ープ指導では,前述した教育項目に沿って作成し
このような特色は,グループを対象とした教育や
た2∼10行の短い対話文をテキストとし,その提
S園におけるグループ指導の目標である「英語嫌
示と練習が一回のレッスンで終了するように行っ
表2 対象児童の入所状況
A子
B子
C男
D子
E男
F男
生年
1986
1986
1986
1986
1987
1987
入所年齢
7歳
11歳
3歳
2歳
6歳
6歳
入所理由
・ 離婚によって母子家庭となり,子どもが多いため経済的な問
題によって養育困難に陥った。
・ 父母の次の結婚や恋愛関係によって養育を放棄した。
・ 違った父親を持つ兄弟姉妹が多く,義理の父親が虐待をした。
・ 母親が精神的な病歴を持ち,入退院を繰り返し養育困難にな
った。母親に精神疾患があり虐待をした。
72
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
た。テキストは,子どもの習熟度を見ながら適宜
った。これは不定冠詞(a)を持つ名詞を用いた
作成した。インテンシブのテキストは,左に目的
レッスンの後に行ったものである。
言語,右に母語を示すのが特徴であり,提示はテ
① テキスト:
キストのセンテンス毎に下記のように行う(大久
What's this?
これは何ですか。
保1990;34頁)
。
It's an orange.
それはオレンジです。
(例)What's this?の提示
1回目: What's this?(教師)
→ これは何ですか。
(教師)
What's this?(教師)
→ What's this?(子ども)
2回目: これは何ですか。
(教師)
テキストの提示を行った後不定冠詞(an)の説
明をし,単数カード(52枚)の半分(未学習分)
を1枚ずつ提示する。
② カードを円になって座っている子どもに均
等に配る。子どもAが答えさせたい子どもにボー
ルを投げて自分のカードを示してWhat's this?と質
→What's this?(子ども)
問をし,受け取った子どもが答える。次にボール
→What's this?(教師)
を受け取った子どもが他の誰かを選んでボールを
グループ指導では,子どもの集中が持続するよ
投げ質問をする。
うに一つの練習方法を20∼30分程度にして変化を
ボールの使用はインテンシブの特徴であるが,
もたせ,テキストの内容がオートマチックに反応
練習への集中と即答を促すことに効果があった。
できるようにした。
ボールの代わりにフルーツや菓子類なども使用
インテンシブでは,学習を受け入れ易くするた
めに,学習者にsuggestionを行うが,グループ指
導では次の点に留意した。
(1)
「英語は楽しい。潜在能力があるので,習
し,レッスン後に食べながら話をする機会を多く
持つようにした。
③ 既習カードを加えた52枚をテーブルに並べ,
全員が立ってテーブルの周りを右か左に比較的速
うことは何でも覚えられる」という内容を,
く歩きながら回る。全員でWhat's this?と言い,A
できるだけ多くの場面で示唆する。
がIt's an eraser.(適当に選んだカード)と言うと,
(2)教師に対する尊敬や信頼は教育効果を高め
るため,エネルギーをみなぎらせて自信た
っぷりに指導し,authorityを示す。
A以外の子どもがそのカードを競って取る。順次
答えさせる。
体を動かしながらの練習はインテンシブの特徴
(3)誤りはできるだけ直接訂正せずに,教師の
であるが,動いている中でカードの内容と位置を
言葉の中で気づかせるように配慮し,英語
追い,聞いた英語に素早く反応することによって
が難しくない印象を与える。
語彙の記憶と定着に効果があった。
(4)コミュニケーションは,口頭だけではなく
顔の表情や手足の動きなど身体全体で表現
④ 最後に獲得したカードを,英語でone, two,
threeと大声で数えさせる。
するものである。動作は少し誇張して表現
し,真似させて記憶に残るようにする。
【インテンシブを応用したレッスン例】
「単語,be動詞,冠詞」
2.4 自宅における学習指導
中学3年生全員が高校へ進学した後,グループ
指導の継続に問題が生じた。自傷の問題を抱えて
単語は意味だけを教えるのではなく,冠詞やbe
いたA子は,母親による虐待や母親の自殺などで
動詞と共に文として提示した。身の回りにあるも
症状が悪化し,精神病院に入院した。D子がクラ
の(机や椅子など),人物や動物などのカード
ブ活動で来られなくなるとB子も休んだ。学習指
(9cm四方)を単数複数あわせて80枚作成した。
導の継続についての話し合いで,最も熱心でなか
練習はできるだけ自然のスピードでテンポよく行
ったE男と最も反抗的であったF男が継続を申し
大久保澄子:児童養護施設における教育支援としての英語学習指導
出た。
73
② E男が「今日の会話」を,F男を主語(三人
生育過程における生活習慣や生活水準は,大人
になってからの生活のレベルに影響を及ぼす。将
来の生活モデルを描けることが,学習の動機付け
称単数)として話す。
③ 上記二通りの「今日の会話」を文字で書かせ,
会話の英文とスペリングを確認させる。
にも強く影響する。実際の生活に触れさせること
【会話による英文法教育のレッスン例】
が必要だと考えて,自宅で学習指導を行うことに
「今日の会話:F男の恋」
した。
F: Sumiko, I don't want to have lunch today.
S: Why not?
2.4.1 指導内容
期間:2002年8月∼2004年3月
日時及び内容:毎週日曜日 10時∼14時
10:00∼10:40
コーヒー店で会い最近の出来
事を英語で話す。昼食のメニューを決める。
10:40∼11:10
スーパーマーケットで昼食の
ための買い物を一緒にする。
F: I fell in love with a pretty girl, so I can't eat
anything. I haven't eaten for 5 days.
S: Really? Where did you meet her?
F: She came to work at S-en. I was interested in her as
soon as I saw her.
S: What does she do?
F: She's a college student.
11:10∼12:10 英語学習
S: What's she like?
12:10∼13:00 料理
F: She has big eyes and short hair. She's so cute!
13:00∼14:00 食事
S: Where is she now?
対象児童:4名(E男,F男,第3グループから
女子2名)
① おしゃべりによる気楽なコミュニケーション
をできるだけ多くとる。
② 一緒に買い物をし,料理をし,適切な食器を
使って正しいマナーで食事をする。
③ 男性ボランティアが料理を教えるなど,性別
F: She's taking care of the kids at S-en.
S: How long has she worked there?
F: She's worked there since August 20.
S: By the way, what does she usually do on Sundays?
F: She usually listens to music.
S: When is she leaving?
F: She's leaving the day after tomorrow.
役割分業を意識させないように配慮する。
④ 外食や手伝い(草抜き,掃除,ごみ捨て等)
などを経験させる。
2.5 結果
(1)英語学習指導の目標の達成
インテンシブでは,会話的なインタビューによ
2.4.2 教育方法:会話による英文法教育
って受講者の能力を把握し,終了時にも「あなた
3年間のグループ指導で各時制の形態は理解し
はロケットのように速い進歩があった」などと,
ていたが,コミュニケーションの中で適切に使用
よい点を強調して評価を伝える。英語学習指導で
することはできなかった。そのためpresent tenses,
は,成績に関して子どもにストレスを与えないた
past simple,present perfectを含めた短い会話を毎
めに,成績が低位であっても受容的態度を示し,
回作り,時制の違いを会話によって理解させるこ
テストなどは行わず学習状況から習熟度を把握し
とを試みた。
た。表3は,客観的評価としての中学1年と高校
① 子どもが話したいことや絵を用いて,F男と
2年の全教科の評定平均(表中:平均)と英語の
筆者で話し合いながら「今日の会話」を作る。
成績,及び指導員におしゃべり的なインタビュー
多少不自然でも単語だけで答えさせないよう
を依頼して調査した英語に対する子どもの状況で
に工夫する。
ある。
74
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
表3
B子
C男
D子
E男
F男
学校における評価
英語に対する子どもの状況
中学1年
高校2年 ・ 全員が「英語嫌い」になっていない。
平均 英語 平均 英語 ・ 英語の評価5の子どもは,英語に対する自信があり,学
2.3
2
3.1
3 校やクラスで英語のテストが一番になることが多い。
2.1
2
3.0
3 ・ 特にオーラルコミュニケーションの授業に自信がある。
3.4
3
4.7
5 ・ D子は「初めはやらされている意識が強くて嫌だったが,
2.2
2
3.5
3 現在の学習に大変生きている。」と好感を持っている。
2.5
3
3.6
5 (F男は1学年下であるため高校1年の成績)
表3をみると,子どもを英語嫌いにしないとい
が,リンゴ1個の絵をみせて“What's
う英語学習指導で最も重視した目標は達成され
this?”と質問した。誰も答えないので
た。学校における評価も予想や期待を上回る結果
「ハイ」と手を上げて,“It's an apple.”
を得られ,学習指導の成果が裏付けられた。F男
(イッツアンナプル)と素早く答えた。
は,オーラルコミュニケーションの授業では「寝
クラスのみんなは大声で笑った。しかし
ていてもいい」と教師に言われるほどクラスでは
先生は,嬉しそうなジェスチャーをしな
他の生徒より優れており,D子の英語の成績は学
がら“Very good!”と言った。
校で常に最上位である。また,E男(A子の弟)
は,グループ指導によってWhat's this?が言えても
whatやthisを中学3年になっても書けなかった。
自宅での学習では文字を書くことを嫌がらないよ
(3)S園におけるグループ指導に対する
留意点
グループ指導では,その成否を左右する要素が
あり,実践結果として次の点が指摘できる。
うになり,口頭で使える英語を徐々に書き表せる
① 教育に適切な環境:子どもはボランティア
ようになった。高校3年になって学校のテストで
慣れしており,常に家にいる感覚のため緊
も高得点を取れるようになり(テストの得点が良
張感がない。個室(特に和室)での指導は
くなると得意そうにテストを見せるようになっ
学習に集中させることが困難である。子ど
た)学習意欲が増している。学習者中心の教育法
もは周囲の眼を意識することによって自己
が最も効果を及ぼした子どもであると考えられ
を規正する。
る。
② 指導員の意識:それぞれの仕事が忙しく,
(2)グループ指導の教育方法
学習の重要性に対する認識が薄い。決めら
英語教育は短期間でその成果を見られないた
れた時間に集まっていたことはなく,指導
め,指導方法に信念を持ちその効果を信じなけれ
員が「C男は今お風呂に入っていますから
ば学習指導を長期間継続することは難しい。口頭
来られません。
」などの状況が多くあった。
で多くの構文を表現することができれば,結果と
して学業成績に良い影響を与えるという確信を持
③ グループの構成:元気で乱暴な学業遅進児
が2名いると学習環境が整わない。
っていた。しかし,文字を教えない口頭での教育
④ 子どもの心理発達段階への理解:一般的に
は,学業成績向上に即効性がなく,教育方法に対
も思春期の子どもの対応は難しいが,マル
する疑念を否定しながら指導を続ける長い期間を
トリートメントを受けた子どもには,不信
必要とした。グループ指導3年目に,中学2年の
感,劣等感が多く見られ,より受容的な接
F男が話してくれたエピソードは,指導方法を変
し方が必要である。園内における子どもの
える必要がないと考える根拠となった。
関係も複雑で,リーダー格の女子が不機嫌
F男:今日は良い事があった。英語の時間に
だと他の子どもも不機嫌にふるまい,学習
AET(Assistant English Teacher)の先生
への集団無視なども多くあった。また,教
大久保澄子:児童養護施設における教育支援としての英語学習指導
材の菓子類に対して「どうせ余ったものを
75
い。
持ってきたんでしょ。」などと,反抗的な態
学習指導では,A子の自傷や落ち着きのない子
度で相手の真意を窺う発言も多い。高校生
どもへの対応に苦慮することが多くあった。マル
になると反抗が強い子どもほど信頼や好意
トリートメントを受けた子どもには,精神の治療
を示すようになったが,信頼を獲得するの
的機能を持つ援助が必要であるが,同時に施設の
に時間が必要である。心理発達段階への理
指導員やボランティアに対しても,実践に有効な
解が深いほど指導上のストレスが軽減され
教育的情報の提供が重要である。心的ケアに対す
る。
る基礎知識は,子どもへの対応に対する不安を解
(4)自宅における学習指導での子どもの態度
① 園ではその日の気分で休んだりしたが,病
気や公的な行事以外は休まなかった。
② 非常に親しみを示すようになり,園や学校
での出来事,指導員のこと,個人的なこと
(特に悪いことをしたこと)などを良く話す
ようになった。
③ マナーや学習態度が大変良くなり,指導が
容易になった。
消することに役立ち,子どもに自信のある態度で
接するための一助となる。将来を担う子どもが健
全に養育されるために,大学の関係領域の専門家
による援助が早急に進められることが期待され
る。
社会では,一般家庭の中で不適切な養育を受け
ている子どもが増えており,子育てに悩む親への
ケアなどの新たな福祉ニーズが発生している。施
設に措置される子どもよりも悲惨な状況にいる子
どもも多い。これらのニーズに対して施設の教育
考 察
機能を充実させ,施設の社会化を促進させること
英語学習指導は,子どもの学習意欲や成績を向
が今後の課題である。多様な援助を統合化し有効
上させ,英語コミュニケーションに対する自信を
に機能させるために,施設長のキーパーソンとし
もたせることに効果があった。学習者中心の教授
ての役割は重要になってくる。
法「インテンシブ」は,学習に際して子どもをリ
福祉分野における「人」を対象としたボランテ
ラックスさせ,子どもに学習を邪魔する自己概念
ィア活動では,全体的な見地から対象者の状況を
を形成させないために有効であることが実証され
知り,それに対するあるべき姿への視点を活動者
た。特に教授法の持つ理念を子どもへの対応に適
自身が持つことが有効である。本活動では,事前
用することが重要であった。施設長は,ドリル形
に大学において社会福祉の概要を学んだが,この
式の学習の効果がないことを認識して「40点を目
ことは教育支援のあり方に対して独自の展望を持
指す(子どもや指導員に成績に対するプレッシャ
ちながら主体的に活動を展開することに活かされ
ーを与えない)教科書中心(基礎力を重視する)
た。しかし,思春期の複雑な子どもの心理への対
の指導」に方針を変更した。また,学生ボランテ
応などには,より実践的な情報や知識が必要であ
ィアによるグループ指導も始められている。今後,
った。学際的なボランティア活動の成熟のために
効率的な教育をするためには,指導員の担当教科
は,各専門分野の情報交換による協働が不可避で
や教育方法に対して,専門的な研修が必要であろ
あると考える。
う。しかし学習指導で最も重要なことは,子ども
教育支援としての英語学習指導をより充実させ
に自発的な学習意欲を持たせることである。子ど
ていくためには,早期英語教育を意図したコンピ
もが「努力次第でどのような進路の選択も可能で
ュータを使用した教育システム構築への視点も必
ある」と信じられる環境を整える必要がある。勉
要である。また身近なことを題材としたテキスト
学意欲の高い子どもに対する大学などの高等教育
やそれを習熟させるための教材は,学習に親近感
への進学制度は,早急に検討されなければならな
をもたせ記憶に効果的な作用があると推測され
76
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
る。これらのことを視野に入れながら,児童のた
嘉一:1984,
『英語教授法のすべて』大修館書店,
めの教材研究やS園の子どもを教材作成に参加さ
東京,15-16頁。
せた教材の開発を今後試みたいと考えている。
(6)1975年,モスクワのルムンバ民族友好大学の言
語学者アラ・アキーシナによって日本で一ヶ月
15回のロシア語実験教室が開かれた。
関英男:1979,『学習五十倍加速法―落ちこぼれ
注
(1)
「子どもへの虐待」に代わる概念。「子どもへの
をなくす教育法―』応用技術出版,東京,3頁。
虐待」は深刻な行為のイメージが強く,軽度の
行為が軽視される危険性がある。高橋重宏,坂
田周一,東條光雅,中谷茂一:1997,「マルトリ
ートメントに関する児童相談所専門職員の意
識」
,
『駒澤社会学研究』第29巻,46頁。
(2)社会的養護には,施設,里親委託,養子縁組で
参考文献
1)大久保澄子:1990,「プーシキン記念ロシア語研
究所に於けるサジェストペディア」,『研究論集』
第3号,日本橋女学館短期大学。
2)大久保澄子:1991,「プーシキンロシア語研究所
のケアなどの形態がある。庄司洋子,松原康雄,
(ソビエト)におけるインテンシブメソッドによ
山縣文治:1998,『家族・児童福祉』有斐閣,東
る公開講座を開催して」,『児童英語教育』,日本
京,158頁。
(3)2000年4月に大学が設置され,短期大学は2001
橋女学館短期大学児童英語教育研究グループ。
3)大久保澄子:1999,「外国語教授法にみられるカ
年3月に廃止された。筆者は1987年4月から
ウンセリングの考え方」,『研究論集』第12号,
2001年3月まで短期大学で教鞭をとった。
日本橋女学館短期大学。
(4)個人病理的な説明に合致しない虐待。
杉山登志郎,本城秀次,大石英二,岩谷力:
1985,「児童虐待へのチーム医療」,『小児の精神
と神経』第25巻 第3号,184-8頁。
(5)1970年に入って行われるようになった新しい教
授法で,意味中心,学習者中心,問題解決学習
へと外国語教育の考え方を方向転換した。伊藤
4)羽鳥博愛:1982,『心理言語学と英語教育』大修
館書店,東京。
5)Lozanov G., Gateva E.:1988, The Foreign Language
Teacher's Suggestopedic Manual, Trans. Research
Institute of Suggestology, Gordon and Breach Science
Publishers, London.
77
報告・資料
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能
宮 入 小夜子*1
キーワード
組織変革(Organization Change) チェンジエージェント(Change Agent) スタッフ(Staff)
はじめに
が期待されているのである。
これらのスタッフ部門が,企業においてチェン
企業変革においては,戦略,制度,仕組,組織
ジエージェントとしての機能を果たすことができ
構造,システムという目に見える側面と,組織風
れば,変革はより促進されていくはずである。そ
土,従業員の意識という目に見えない側面の両方
の意味では人事,経営企画などの部門にもまた役
を変えていくことが求められる。こうした改革を
割の再構築というべき変革が求められているの
主体的に進めていく使命や役割を持った人を,
だ。
“チェンジエージェント”と呼ぶ。変革の担い手
企業変革を推進していくうえでのスタッフ部門
は企業のトップ自身であったり,経営企画や人事
の役割,さらに,スタッフ部門がどのようにチェ
部門であったり,また時には外部のコンサルタン
ンジエージェントとしての機能を果すことができ
トであったりする。
るのか,課題は何かについて明らかにしていきた
しかし,現実に仕事のやり方を変え,成果を出
していくのは現場の第一線の従業員たちである。
昨今の激しい経営環境の変化の下では,変革のス
ピードが求められ,未知の課題に取り組むうえで,
人事や経営企画などのスタッフ部門は,従来の
い。
1.チェンジエージェントの概念
チェンジエージェントは主に米国の応用社会学
や応用行動科学の世界で発展した概念である。
「企画し,計画通りやらせる」立場から,組織の
Lippitt, Watson & Westley(1958)は,チェンジ
変革ニーズに応えてサポートしていく立場への転
エージェントの概念を,変革のプロセスに関与す
換が求められている。
る組織の内部,あるいは外部のプロフェッショナ
変革を推進するうえで,人事・人材開発・経営
企画部門などのスタッフ部門が果す役割がますま
ル(プラクティショナー=実践家やコンサルタン
ト)
,とくに行動科学者と考えていた。
す重要となってきていると同時に,現場との対話
ここで示されたように,チェンジエージェント
を通して,現場が本当に必要とする変革のサポー
は,企業や組織の内部の構成員による「内部チェ
トをし,これまでとは違うスタンス,やり方で主
ンジエージェント」と,企業や組織の変革を外部
体的に会社を変えるプロセスに関わっていくこと
からサポートする「外部チェンジエージェント」
の2つに分けられる。
2004年9月30日受理
Staff Division's Change Agent Function in Corporate Change
*1 Sayoko MIYAIRI
日本橋学館大学人文経営学部
内部チェンジエージェントは,変革の対象とな
る組織内にあって,必要な一連の業務を担当する
専任の人またはグループである。トップ自らその
78
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
任にあたる場合と,戦略的に位置づけられた部署
2.組織変革理論における
チェンジエージェント
や組織,機関が推進する場合がある。
一方,外部チェンジエージェントは,クライア
ントの課題解決において,そのコンセプト策定か
組織変革のプロセスについては,多くのモデル
ら実行に移すまでのプロセスを,一貫して支援し
が提示されているが,その中で主要なものをあげ
ていく組織外の専門家と定義することができる。
てみたい。
Tichy(1978)は,チェンジエージェントを4
もっとも有名な変革モデルは,図1に示したよ
つのタイプに分けて比較している。
うに,Lewinの3段階モデルである(Lewin, 1958)。
(1)外的圧力(OP: Outside Pressure)タイプ
LewinのモデルについてWeick & Quinn(1999)に
特定の変革を提唱・主張し,戦略を計画し,
よると,第一段階は,現時点での行動を解凍
さまざまな方法を使ってその戦略を実施する
(unfreezing)することである。現状および現在の
人。
諸々の期待を否定し,危機感の醸成と組織変革に
(2)トップ用分析(AFT: Analysis for the Top)タ
向けた動機付けを行なっていく。
イプ
第二段階の移行(movement)では,認知構造
クライアント組織を研究し,トップマネジメ
の再構築を行い,様々な概念の意味付けの変更や
ントに報告する人
概念の拡大を通して新しい価値判断基準を醸成し
(3)人 間 変 革 技 法 ( PCT: People Change
ていく。
Technology)タイプ
第三段階の再凍結(refreezing)においては,第
トレーニング,教育,行動変容,および職務
二段階で醸成された新たなレベルの行動が定着す
充実化などの技法を通じて,組織の個人にサ
るようなプロセスを確立するために,変革を支援
ービスを提供する人。したがって,変革の対
する風土や規範の醸成が行なわれる。
象は個人であり,必ずしも組織とは限らない。
Lippittら(1958)はLewinの3段階の変革モデ
(4)組織開発(OD: Organization Development)
ルを5つの局面に拡大し,計画的な変革モデルを
タイプ
提唱した。彼らは,変革プロセスを,第一段階が
組織の人間的な側面に関し,自己管理と問題
完了していなくとも,第二段階を実施していると
解決のメカニズムを開発・改善するように支
いったような不連続の活動として捉え,stepでは
援し,経営幹部たちが協働し合えるように目
なくphase(局面)と呼んだのである。
標設定,意思決定,対立処理,および権限委
Phase1. 変革へのニーズを開発する
譲などの基本的ルールの計画と共有プロセス
Phase2. 変革リレーションシップ(関係)を確立
を通して援助する。
する
本稿においては,Tichyが4番目にあげている
Phase3. 変革へ向かって作業する
ODタイプをチェンジエージェントの定義として
Phase4. 変革を一般化し,定着させる
用い,変革の促進とそのためのプロセスに関与す
Phase5. 最終的関係を達成する
る人々と捉えることとしたい。
第1段階
解凍
(変革の必要性の認識)
彼らは,それぞれの局面においてチェンジエー
第2段階
移行
(新しい状態の創造の試み)
図1
第3段階
再凍結
(新しい状態の確保)
宮入小夜子:企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能
79
ジェントがどのような活動をするかについて詳細
務をより専門的に共通化し,これらのスタッフを
に述べている。
集めて組織を別につくることによって,全体の効
たとえば,Phase1. の変革ニーズの開発局面で
は,チェンジエージェントが深刻な問題について
率性を高めようとするのがライン・アンド・スタ
ッフ組織である(高柳暁,1997)
。
のデータを提起し,変革のニーズを感じた第三者
ラインとは,企業の本来の目的である基本機能
がチェンジエージェントを潜在的なクライアント
を直接的に遂行する部門や人のことをさしてい
(個人またはグループ)に引き合わせる。そのこ
る。流通業やサービス業における販売部門や仕入
とによって,クライアント自身が自分のニーズに
部門,製造業では生産部門や営業部門のことをラ
気づいて動き始める。
イン部門と呼んでいる。各ライン部門は,企業の
Phase 2. では,チェンジエージェントとクライ
アントとの間に共同体的な作業努力を展開してい
く。
最終目的に対して責任を持ち,そのために大幅な
権限委譲が行なわれているのが一般的である。
一方,スタッフとは,ライン部門が円滑に機能
さらに,Phase 3. において,チェンジエージェ
するように補佐する部門で,ライン部門に対して
ントが情報を収集しながら問題領域に関する理解
専門的・技術的な助言・提案・勧告やサービスを
を深め,問題を明確化していく。そして,変革の
提供する。従来のライン機能から分化したもので
目標を設定し,そこに至るプロセスを描いて実行
あり,それ自体で独立性を持つものではない。人
に移していく。ここでは,新たな組織構造を提案
事,経理,企画,技術,資材などの部門がそれに
したり,具体的なトレーニング・プログラムを実
あたり,企業全体について,トップに対して助言
施したり,制度設計を行なったりする。
する戦略部門のゼネラル・スタッフなども含まれ
Phase 4. は変革の定着化のために,変革で発揮
された力を維持するためのメカニズムを確立し,
る。
スタッフ部門はライン部門に対して,助言・勧
他の部分へと普及させていく。チェンジエージェ
告または報告を行なうが,これらは管理者からの
ントは,組織の効果性をモニターし,情報をクラ
担当者に対する命令のように拘束力を持つもので
イアントが理解できるように支援する。そして,
はないとされている。つまり,スタッフはある問
将来にわたって組織が変革し続けられるよう,必
題に対して結論を導くまでは行なうが,決定する
要に応じて専門的な援助を提供する。
のはあくまでラインということになる。
Phase 5. は,クライアントはチェンジエージェ
一般的に,組織規模が大きくなるにつれてスタ
ントに依存することをやめ,クライアントが問題
ッフ活動の重要性・複雑さ・専門知識が高まり,
を自分たち自身で解決できるように,変革を制度
通常のライン管理者ではスタッフ活動を適切に処
化する局面である。最終的には,チェンジエージ
理できなくなってくる。また,組織の規模の経済
ェントが必要とされなくなることを目標とすべき
を追求していくには,スタッフによる予測や管理
という価値観である。
のための専門的知識がより必要となってくる。
この構造においては,ラインとスタッフの連携
3.ライン‐スタッフ組織における
構造上のスタッフ部門の機能
ライン−スタッフ組織は,科学的管理論のH.
Emersonが提唱した組織形態で,軍隊において作
や緊張関係が適切に保たれれば,ライン管理者を
スタッフ活動から解放し,本来のライン活動に専
念させることができるため,ラインの生産性を高
めることができるという長所を備えている。
戦の専門家として将軍を補佐する参謀部制を経営
一方で,専門性の要求に応えるためにスタッフ
組織に応用したものといわれている(高松和幸,
が際限なく肥大化すると,ラインにおいて無力化
2003)。職能別組織の中の事業遂行に間接的な業
や命令系統の混乱,責任の所在の不明確化などを
80
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
引き起こし,ラインとスタッフとの間のコンフリ
クトや全社的な混乱が起こりやすいという短所も
以下の文章は,ある自動車販売会社グループの
採用情報の中で紹介されているものである。
持っている。また,ライン管理者がスタッフ職能
「本社スタッフのミッションはグループのチェ
遂行には関与しなくなるため,本来はラインで運
ンジエージェント(変革者)である。財務・会
用したり遂行するような制度や計画の企画に参
計・経理・情報システム・人事・総務などのいわ
画・協力しにくくなるという問題も生じる。
ゆるスタッフとしての通常業務の他に,少数精鋭
伝統的組織論においては,スタッフ部門はライ
の業務に精通した社員によるプロジェクトチーム
ン部門に対して単に助言とサービスを提供するに
に参加し,他部門や外部専門家とコラボレーショ
すぎないとされているが,March & Simon(1977)
ンしながら様々な課題解決に取組んでいる。積極
によれば,組織の現実としてスタッフ部門はライ
的に問題提起し,変革し続けていく。
」
ン部門に対して権限を行使していると指摘してい
ここに表わされたように,スタッフ部門は専門
る。しかし,この点については,ラインの命令権
職能として職務を遂行するだけではなく,組織の
限とは異なり,スタッフ部門のそれは職能的権限
変革促進機能であるチェンジエージェントとし
(functional authority)と言えるものである。これ
て,その専門性を活用しながらラインとの直接的
は違反に対して制裁権を伴わないため,スタッフ
な連携を積極的に行なっていくことが期待されて
の権限の行使は示唆・説得・教育や情報の提供な
いるのである。
どの方法に依存している。
4.スタッフ部門の
チェンジエージェント機能
4.1 スタッフ部門の職務とチェンジエージ
ェントとしての要件
さらに,本社スタッフ部門は経営層に直結した
業務を担当し,コミュニケーションの機会もライ
ンに比べて多いうえに,組織全体や社員を見渡せ
る位置にいることから,経営層と現場,また部門
間をつないで問題解決の支援をしていくことがで
きる。
変革の推進役としてのチェンジエージェントと
Margulies(1978)は組織開発(OD)コンサル
いう役割を意識することで,人事・企画部門が持
タントについて,その役割をマージナル(境界ぎ
つ経営ツールの使い方が変わってくる。
りぎり)なものだと述べているが,ODコンサル
スタッフ部門の専門職能において活用可能な経
タントをチェンジエージェントに置き換えてみる
営ツールとしては,経営戦略・方針・計画の策定,
と,外延周辺,バウンダリー(境界面)で活動す
予算作成,人事諸制度の改革・人事施策の策定,
る人々と捉えられる。マージナルであるというこ
組織改編,外部との提携・合併手続き,システム
とは,内部,外部どちらのチェンジエージェント
構築,教育研修,全社活動・運動,広報,などが
にとっても重要なことである(Warner Burke,
あげられる。
1987)。組織変革の機能は本社の経営企画,人事,
このような専門職能は,従来も企業変革や成長
もしくは人材機能の一環であることが多く,内部
のための課題を解決する場面やそれに対応する場
チェンジエージェントは基本的にはこうした機能
面で発揮されてきたはずである。しかしながら,
の組織メンバーであることが多い。したがって,
スタッフ部門がその専門性に埋没し,これらの経
組織内の他部門に対してはマージナルな立場であ
営ツールを担当職務の一部としてしか捉えない場
ることから,チェンジエージェントとしての役割
合,官僚的な組織が陥りがちな,縦割りの「計画
を果たす可能性や妥当性を十分に備えているとい
し,やらせる」という構図になりかねない。それ
うことがいえる。
では変革を促進するどころか,阻害する要因とな
る危険性さえはらんでいるのである。
以上のことから,スタッフ部門の人々が組織の
変革に関して発揮できる潜在的な可能性は非常に
宮入小夜子:企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能
81
大きいということがわかる。置かれた立場におい
的としていた。4ヶ月間のプログラムの間と最後
て,既にチェンジエージェントとしての要件を備
には社長以下専務以上の役員も同席し,変革ビジ
えているという前提に立ち,それでは具体的にど
ョンをトップの立場で伝えると同時に,研修の場
のように行動することが必要かについて,事例を
で受講者の取り組み課題について報告を受けるこ
もとに考察していきたい。
とになっていた。この研修は社内的には1つのプ
ロジェクトに位置付けられている。
4.2 事例研究
このプログラム終了直後の異動で,実際に受講
4.2.1 調査方法
修了者の中から事業部長,本部長等を複数抜擢し
平成16年2月より9月までの7ヶ月間に行なわ
て若返りをはかり,研修中に議論された課題や社
れた人事・人材開発・経営企画部門の担当者を対
長の方針の実行において,改革のスピードを加速
象にした企業変革のワークショップに参加した企
させるような組織体制が実行された。
業の中から2名を抽出し,ワークショップの中で
Oさん自身は,室長の社長と定期的にミーティ
紹介された自社事例の発表をもとに,所属企業に
ングの機会を持ち,参謀役として,社長が打ち出
おけるチェンジエージェント機能について分析し
す方向性や施策について進言を行なえる立場にあ
た。内容については以下のとおりである。
る。役員候補者研修受講者が第4期で既に64名と
なり,1期生の中から事業部長,本部長に抜擢さ
4.2.2 A社(Oさん)の事例
れたキーパーソンたちと社長との懇談の場を月1
A社は,従業員数約2,200名,年商1,500億円の
回設定し,戦略遂行のためのベクトル合わせを行
医療機器メーカーである。
2002年度スタートの中期経営計画の実現に向け
なっている。Oさんは,これらのプロジェクト修
了者たちと気軽に話ができる関係を築いており,
て,2004年度,社長直轄の構造改革推進室が設置
常にモニタリングを行ないながら社長や経営層に
された。室長には社長が就任し,業界トップの企
対して情報提供や提案を行なっている。
業への変革を目指している(現在国内2位,グロ
ーバルで5位)
。
また,社長以外にも人事担当役員である執行役
総務本部長など,本社のキーとなる役職者とコミ
構造改革推進担当のOさんは,約3年前に途中
ュニケーションを密にし,今までバラバラになり
入社し,人事教育グループに配属された。前職と
がちであった経営層を触媒役となってつなぎ,一
の比較で,A社の企業体質や従業員意識に違和感
体化を側面から進めようとしている。社長との会
を抱くことも多く,部門間の壁の厚さや経営層の
合を頻繁に持ちながら,トップが意図するところ
コミュニケーションの悪さなどについて問題意識
を他の経営幹部やライン長に分かりやすく伝える
を持っていた。
ことで,組織全体が動きやすくなると考えている。
入社当初は人事・採用,研修プログラムの企
今後は改革の方向性を主任(係長)以下の一般
画・実施など人事に特化した業務を担当していた
社員にどう浸透させていくかが課題であると考
が,昨年から構造改革推進担当を担当するように
え,新たな場の設定を企画している。
なると,今までのキャリアを活かして,執行役,
これらの一連の行動を通して,Oさんは2005年
本部長・部長クラスを対象とした研修を新設し
度の中期経営計画の実効性が高まる環境作りを行
た。この研修は,外部研修機関に講師を委託し,
ない,着任当初問題と感じていた組織内コミュニ
外部施設において実施された。次期役員候補とし
ケーションや意思決定プロセスの変革に影響を与
て選抜された部長・課長クラスが,具体的な経営
えつつあることを実感している。
課題について議論し,部門横断的な改革テーマを
抽出し,協力して課題に取り組んでいくことを目
82
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
4.2.3 B社(Mさん)の事例
営サイドにとっては危機意識の欠如として受け止
B社は,大手エネルギー企業の100%子会社で,
められ,経営層と現場のギャップは大きかった。
トップと役員の7割は親会社からの出向者で占め
ラインの従業員たちに対しては,特に年配の技
られている。従業員1,300人,年商500億円あり,
能者を対象に定年前に早期退職コースを選べば65
主に親会社からの工事を受注,施工,販売してい
歳まで延長して契約社員としての再雇用が保証さ
る設備工事会社である。4年前から親会社が大規
れるというプログラムが用意されたが,組織内で
模な事業戦略の変更を打ち出し,その影響を受け
の情報共有に問題があり,誤解を招いて不安が増
てリストラを進めてきた。特にコストダウンの目
幅されるという事態が起こっていた。これは,M
的で人件費削減を余儀なくされ,不採算部門の分
さんが行脚して新人事制度の大枠を策定した時点
社化や成果主義型の人事制度への変更を行なって
とは異なり,このプログラムについては対象とな
きた。
る従業員が多いために,専任部署が新設され導入
これは,設備工事を行なってきた技術者の高齢
化・高資格化が進み,人件費水準の高止まり傾向
の手続きを行なうことになったことも原因となっ
ていた。
や雇用のミスマッチが拡大し,採算性が悪化して
チェンジエージェントとしての意識を持って制
きたことが理由のひとつである。また,親会社か
度改革にあたったMさんとは異なり,新任部署の
らの厳しいコストダウン要求や,出向・転籍組の
担当者はプログラムの概要説明や手続き方法など
役員や管理職が経営改革のスピードアップを強く
について一通りの説明会と研修を開催したのにと
求めたという事情があったためである。
どまっていた。プログラム策定においてMさんが
人事企画担当課長のMさんは勤続20年のプロパ
思いを込めた意図や,将来ビジョンの中での技能
ー社員で,6年前に人事部に来る前は,組合専従
者の位置づけなどについては,結果的に十分伝わ
を経験していた。人事部においては4年前から5
らなかったということが考えられる。Mさんは,
回にわたって人事制度のマイナーチェンジを行な
事態の改善を図るために,今まで社内に築いてき
ってきた。従来の親会社と同様の年功型処遇制度
たキーパーソンのインフォーマルなネットワーク
がそぐわなくなったことや,経営的に業績が厳し
に働きかけ,できるだけ全体像がつかめるような
くなってきたことなどを,関東一円の事業所に延
情報を意識して流している。
べ100回以上足を運んで説明して歩きながら,人
業務の一環としては,マネジャー層を対象にし
事制度改革にあたっては,現場の生の声を聞きな
た目標管理の研修を開催し,新人事制度に関して
がら変更を加えていった。また,組合とも飲み交
の理解を深めてもらい,運用を通して既存の行動
わしながら協力を取り付け,何とか来年度からの
規範が変わっていくことを期待している。また,
完全導入にこぎつけた。
若手のチームリーダー160人の研修を企画し,そ
Mさんの問題意識としては,親会社からの出向
の中でも経営の状況や改革の取り組みの理解を深
社長が明確に強力な改革の方向性を打ち出してお
め,危機感を醸成しつつ,彼らが自立的に行動で
らず,出向組とプロパーの役員間の利害の対立等
きるような環境づくりを行なおうとしている。こ
で意思疎通がうまくいっていないことが,ライン
れらの若手リーダーの中から,現場の改革を推進
へ変革のメッセージとして浸透しにくくなってい
していく人たちを発掘し,育成していくことがね
ると捉えていた。この経営層に対するプロパー社
らいである。
員の不信感は,ライン長から現場従業員にまで蔓
Mさんは,出向者が中心の経営層に対して,新
延し,生き残りのための各施策は現場にとっては
たに執行役員制度を提案し,ラインに大幅に権限
理解されにくく,全社一丸となった取り組みとは
委譲して執行責任を持たせた組織体制のもとで,
なっていなかった。このような現場の状況は,経
この成果主義人事制度を機能させたいと考えてい
宮入小夜子:企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能
83
る。また,執行役員ポストはプロパー社員のキャ
者となりがちだった部門長が,束となって変革推
リアパスにもつながり,現在の役員層に対して現
進チームとなることを目指しているのである。さ
場の状況がもっと伝わりやすくなるのではないか
らに,社長の考えやOさんの活動を担当役員にも
とも期待している。
理解してもらえるよう,積極的に一対一のコミュ
5.事例の考察
ニケーションをとりながら,組織変革が促進され
るような環境づくりを行なっているといえる。
前項において,人事や企画部門のスタッフの事
一方,Mさんは組織変革において,人のモチベ
例をとりあげたが,この2人のチェンジエージェ
ーションに直結する人事制度改革というしくみ
ント機能について以下考察していきたい。
を,いかに社員自身が受け入れ,納得し,組織の
成長につなげていくかということに腐心した。個
(1)経営ツールの活用による変革機会の創出
A社のOさんとB社のMさんは,それぞれ管理職
研修と人事制度改革という,本来担当する業務領
人の評価や賃金に直接関わるだけに,「誰が」策
定したのか,「誰が」説明してくれたのか,とい
うことと納得性の間には相関があるだろう。
域の中で,これらの経営ツールや機会を組織変革
Mさんは以前から労を惜しまずに各事業所に出
の中に明確に位置づけて活用し,変革のフェーズ
向き,インフォーマルな飲み会を含めて,ライン
をつくってきたところが共通している。
の人たちと積極的にコミュニケーションを図って
Oさんは,トップからの信任も篤く,参謀的な
いた。このような積み重ねによって,現場の人た
役割と自認していたが,転職して間もないことか
ちの多くはMさんに強い信頼を寄せていた。した
ら,社内的には異質な存在と受け止められていた。
がって,現場を回ればラインの人たちは不満や忌
しかし,担当業務とその専門性において,変革の
憚の無い要望をぶつけてくる。それらは,実際に
キーパーソンとなる人たちを組織化することが可
はライン長から経営方針や情報がきちんと伝えら
能な立場を活かし,研修という枠組みの中で変革
れていないことからくるものも多かったのだが,
型の次期リーダーを意図的に集めて,部門横断的
だからこそMさんは直接双方向のやりとりや補足
に経営課題について自由に議論してもらう機会を
情報が必要だと考えていた。
設けた。プログラムの運営は外部講師に依頼した
このようにして集めた現場の声をなるべく人事
が,内容も講師の選定についても,Oさんの意向
施策に反映し,経営に提案していくことがMさん
が強く反映されている。したがって,内部のチェ
のもう一つの重要な役割であった。時には社長を
ンジエージェントとして問題提起できないような
始めとして,一人ずつ役員に会って,現場従業員
テーマについては,この外部講師のインストラク
のモチベーションを高め,課題遂行の実効性をあ
ションの中で伝えてもらうことも可能であった。
げるために,なぜ施策が必要か,どのような打ち
また,社長の変革への思いや方向性を直接伝える
出し方が有効か,ということを熱心に説明して歩
場としても活用された。
いた。このようなMさんの行動は,人事企画のス
Oさんは,研修に同席して管理職の受講者が議
論している様子を観察し,変革を目指す組織の部
タッフとして決してその枠をはみ出したものと受
け取られることはなかったと考えられる。
門長に誰が適任であるか参考情報として社長に提
供することができた。研修終了後,これらのキー
パーソンが定期的に経営課題の遂行状況や問題意
識を共有する場を設け,社長との昼食会を企画し
(2)現場とのコミュニケーションを重視した信
頼関係の構築
OさんとMさんの行動特徴で共通している点と
てトップの考えを浸透させる機会もつくった。こ
して,次のようなことがあげられるだろう。
れは,どちらかといえば,今まで部門の利益代表
・ トップから専門職能として信頼され,任され
84
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
ているため,専門領域においての企画提案が
受け入れられやすい。
・ 企画や施策実行の場面で,ライン・メンバーに
トップ・経営層のメッセージが伝わるように,
直接的または間接的な演出をしている。
・ 日ごろから現場のキーパーソンとのコミュニ
ケーションを積極的に行ない,その人たちの
・ 各部署で出た質問や意見を公開し,その後の
取組み状況などが誰でも見えるように,Web
上などで伝えていく。
・ スタッフ部門が主催する場だけではなく,現
場レベルのミーティングなどに参加して,必
要な情報を提供するように心がけ,また,現
場の声を聞きに行く。
問題意識を把握しているため,施策の打ち出
・ 現場の反応や取り組み状況を見て,計画自体
し方やタイミングについて十分な配慮を行な
が明らかに不適切だと判断される場合,速や
っている。
かに修正・見直しをし,変更の背景や理由を
・ 実施後に起こる人の意識の変化を活用し,そ
の後の変革行動やそれを促進するためのネッ
トワークづくりを意識している。
・ 現場の本音を引き出し,主体的に考え,問題
に対する認識を深めるようなプロセスを重視
伝えていく。
つまり,現場との双方向のやりとりを積み重ね
ることで,結果的には経営方針が遂行され,実現
していくということが言える。
人事制度改革は,組織変革において,人の動機
している。
付けや成果に対する考え方,評価の基準を明確化
2人の事例からは,ややもすると体制側と見ら
する意味で,大変重要なプロセスである。限られ
れ,ラインからは煙たがられるような存在の本社
た人件費の意味ある分配を目指した成果主義人事
スタッフや部門が,まずは現場重視の姿勢を打ち
制度の導入が主流となりつつあるが,現実には,
出し,中に入り込んで現実をきちんと把握し,信
「成果主義=減給」と受け取られ,従業員は強い
頼関係を築いておくことがチェンジエージェント
不安を感じていることが多い。現行制度の何が問
として動くための第一の条件であると言える。内
題で,なぜ変えなければいけないのか。新たな制
部であれば誰でも信頼関係を作れるわけではない
度のしくみはどのようなものなのか。結果として,
が,この点に関しては,外部のチェンジエージェ
自分の将来賃金やキャリアパスはどうなっていく
ントが同様な信頼関係を築くことは容易ではない
のか,というようなことについて,十分な情報を
だろう。
提供することが受容度を高めるためには大切であ
る。
(3)スタッフ部門と現場を連動させる変革プロ
セスの展開
B社の事例のように,新制度に対する思い込み
や不信,あるいは理解不足によって,運用面での
変革当事者となる現場との信頼関係を構築した
機能不全を起こしたり,現場での不満が高まった
上で,スタッフ部門の専門職能に関連した切り口
りすることを防ぐためには,制度導入前の一通り
で変革プロセスを展開していくことが有効である
の説明会だけでは不十分と言える。Mさんのよう
と考えられる。たとえば,経営方針や制度改革な
に,担当者が現場に何度も足を運び,現状の制度
ど,背景情報や策定理由などの伝え方によって,
や評価に対する問題について従業員や管理者の声
現場が納得するような情報のやりとりがかなり効
を聞きながら,新たな制度の考え方や特徴を伝え,
果的にできるだろう。
少しずつ理解と信頼感を高めていくような地道な
・ トップが全社会議や社内報の巻頭言などでメ
働きかけが必要である。
ッセージを伝えた後に,企画部門の担当者が
人事制度や評価について考える場を設けなが
各事業所や現場を回って,方針/計画の発表や
ら,自由に議論を進めていくことは,現場のキー
説明会を議論の場として展開する。
パーソンのネットワークづくりのきっかけともな
宮入小夜子:企業変革におけるスタッフ部門のチェンジエージェント機能
85
り,導入前の合意形成や導入後の状況把握や問題
共有化させ,ハード面での改革を実行していくた
抽出,そして評価者同士の情報交換の場としてつ
めには,トップが今後の自社あるいは自部門のあ
なげていくことも可能となる。
るべき姿や進むべき方向性などについて,自分の
Oさんの事例は,研修という場の活用が,変革
言葉でメッセージを発信しつづけることが重要で
プロセスにおいて重要な意味を持っていることを
ある。その上で,スタッフ部門が翻訳機能として,
示唆している。人事や人材開発担当者に危機感や
戦略策定の背景や考え方を現場部門にも理解でき
思いがあれば,研修という「場」をどのように変
るように伝えることが必要である。
革に結びつけたらよいかの知恵が出てくるのであ
る。
従来の研修は,階層別や職種別に「あるべき姿」
また,一般的に公式ルートだけでは都合の悪い
情報が迅速にトップに伝わらない。これは,トッ
プが問題状況の正確な認識ができずに判断を下す
とそこに至るための個々人のスキルアップをねら
危険性があることを意味する。そこでチェンジエ
いとした,知識や技能の習得が中心のものがほと
ージェントが,社内研修,小集団活動,組合活動,
んどであった。個々人のレベルアップによって総
プロジェクトチームへの関与,顧客との接触など,
和としての組織力が高まると考えられていたため
あらゆる機会をとらえ,人々の本音を引き出すと
である。もちろん現在でも,知識や技能の習得は
ともに,現場の抱える問題状況を顕在化させてい
必要であるが,組織の見えない問題を顕在化し,
く努力が必要となる。
現場が自ら課題を設定し,問題を抱えた当事者同
組織変革は,現状否定や既得権益の損失と受け
士が知恵を出し合って,組織の垣根を越えて行動
止められる層からの抵抗がつきものである。この
しなければ現実の問題は解決しない,という認識
ような場合,最初から公式のルートでトップダウ
を強く持つことが本当の意味での組織力を高めて
ンのみに頼った変革方法では,最終的にうまくい
いくことになるのである。
かない可能性が高くなる。このような事態を回避
チェンジエージェントは,人事や経営企画部門
していくためには,チェンジエージェントがイン
などのスタッフだけではなく,ラインの管理職や
フォーマルな行動もとりながら,実質的な変革の
企画的な職務の担当者などが,トップの意思を受
ための条件を整えていくことが有効となる。
けて企業内外のネットワークを活用し,自主的な
6.まとめと今後の課題
行動を起こすことによって企業の戦略的な問題解
決に取り組むことが必要である。そのためには,
複雑で変化の激しい経営環境においては,一人
Oさんのように,研修の場を部門横断的なキーパ
のリーダーの能力で企業を率いていくことはもは
ーソン発掘と育成,そしてその後の変革を推進す
や困難となってきている。このような経営環境の
るリーダー同士のネットワーク構築の機会として
もとでは,トップマネジメント機能を組織的にカ
活用することが可能であることを示している。
バーし,企業変革力を高めるために,チェンジエ
ージェントの機能がますます重要になってきてい
(4)トップと現場のパイプ役としての機能の発揮
る。
スタッフ部門のチェンジエージェント機能とし
チェンジエージェントの役割は,トップとその
てもっとも重要なものは,トップと現場をつない
組織メンバーを援助し,変革を計画して,そのプ
でいく役割である。高度成長期には日本企業はボ
ロセスに対して専門性を発揮し,変革を成し遂げ
トムアップによる現場改善が強みであったが,組
ることである。チェンジエージェントは,変革に
織変革においては,その根幹となる戦略は明確な
向けてのマネジメントを促進する方法論を提案
トップダウンによって行なうことが変革のスピー
し,メンバーが直接影響を受ける意思決定に参画
ドに関わってくる。現場にトップの持つ危機感を
させ,変革に対してのコミットメントを高めてい
86
く。
そのためには,変革に取り組む主体は,あくま
でも現場の業務を担当している人々自身であり,
チェンジエージェントはその支援者であるという
ことを,支援を行なう組織のメンバーにもきちん
と理解されている必要がある。本社のスタッフ部
門やそのメンバーがチェンジエージェントとして
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
参考文献
1)Barge, J. K., & Oliver, C. :2003, "Working with
appreciation in management practice". Academy of
Management Review 29 (1), pp124-142.
2)ピーター・ドラッカー著,上田惇生訳:2003,
『変革の哲学−変化を日常とする』ドラッカー名
言集,ダイヤモンド社,東京
3)Lewin, K. :1958, "Group Decision and Social
Change"In Readings in Social Psychology, ed. E.E.
行動する場合,自分たちは現場の変革の支援者と
Maccoby, T.M. Newcomb, and E.L. Hartley, pp.197-
いうつもりでも,ラインからみると,社長や経営
211. New York, Rinehart and Winston.
側の意向をそのまま現場に下ろして実行させる人
たち,という先入観をもたれやすいことも事実で
4)Lippitt, R., Watson, J., and Westley, B. :1958,
Dynamics of Planned Change. New York: Harcourt,
Brace
ある。このような先入観はチェンジエージェント
5)March, J.G. & Simon, H.A. :1958, Organizations,
の機能発揮には阻害要因となってくる。そのよう
J.Wiley & Sons(土屋守章[訳] :1977,
『オーガニ
な事態を避けるためにも,チェンジエージェント
ゼーションズ』ダイヤモンド社,東京)
と現場組織の人々の間の相互理解を醸成するよう
な対話の場や接点を数多く持つことが重要であ
6)Margulies, N. & Raia, A.P. :1978, Conceptual
Foundations of Organizational Development. New
York: McGraw-Hill
る。その上で,本質的な問題が顕在化し,一緒に
7)E.M.ロジャーズ著,青池愼一・宇野善康監訳:
解決方法を考えていこうという支援が可能とな
1990,『イノベーション普及学』産能大学出版部
る。この信頼関係構築のためのプロセスがあって
刊,東京
8)Schein, E. :1980, Organizational Psychology, 3rd ed.,
初めて,チェンジエージェントが本来の機能を発
Prentice-Hal, N.J.(松井賚夫訳:1982,『組織心理
揮し,現場の当事者主体の組織変革が実現するこ
学(第3版)
』岩波書店,東京)
とになるだろう。
今回インタビュー対象となった事例は,どちら
も人事部門のスタッフであったため,今後の研究
9)高柳暁 編著:1997,『現代経営組織論』中央経
済社,東京
10)高松和幸著:2003,『経営組織論講義』第2版,
創成社,東京
課題としては,経営計画や戦略策定などで中心的
11)Tichy, N.M. :1978, "Agents of Planned Social Change:
な企画機能をもつ経営企画や戦略スタッフなどの
Congruence of Values, Cognitions, and Actions".
事例研究なども必要と考えている。また,企業に
よっては,特に外資系企業を中心として,組織変
革や業務改革を専門とするチェンジエージェント
機能を前面に打ち出した部署を設置したり,専門
職を配置したりしている企業も多くなってきてい
ることから,このような対象をさらに調査するこ
とが次のテーマであると考えている。
Administrative Science Quarterly 19: pp164-82.
12)Warner Burke, W. :1982, Organization Development.
(小林薫・吉田哲子[訳]:1987,『組織開発教
科書』プレジデント社,東京)
13)Weick, K. E. & Quinn, RE. :1999, "Organizational
change and development". Annual Review of
Psychology 50, pp361-86
14)Weick, K. E., : 1969, The Social Psychology of
Organizing, Addison-Wesley(金子暁嗣訳:1980,
『組織の心理学』誠信書房,東京)
87
報告・資料
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
社会病理と沖縄シャーマニズム
−不登校児童生徒とその親のための相互扶助共同体の事例から−
塩 月 亮 子*1
キーワード
シャーマニズム(shamanism)・不登校児童生徒(children who refuse to go to school)・
相互扶助共同体(mutual aid society)・霊能(spiritual ability)・沖縄(Okinawa)
はじめに
と唯物論的に考える自殺願望者に対し,死後の世
界が存在し,命や魂が永続することを指摘する。
「野のカウンセラー」ともよばれている沖縄の
これは,苦しみは死んでも終わらない可能性を示
シャーマン=ユタ(的人物)は,以前からクライ
唆しているといえる。それでも相手の決心が変わ
アント自身やその家族・親族などの重大な危機的
らないのなら,友達を呼んでお別れ会を開き,
場面において,一種の説明体系と対処行動を与え
「自分は死ぬ」と挨拶するよう,また死ぬまでの
る者として関与してきた。1970年代の本土復帰以
準備や死後の処理,それらの費用などについても
降,急速な近代化が進んだ沖縄では,本土と変ら
話すという。すると,大概の人は「死ぬのは大変
ない社会病理―例えば非行やいじめ,ひきこもり,
だから,もうやめます。」と答えると説明した。
鬱病や自殺者の増加―が深刻な問題となってお
生前葬の開催を勧めるのは,「死ぬのは個人の自
り,それに悩む本人や家族が選択肢のひとつとし
由」と考えている自殺願望者に,人は一人で生き
てシャーマン=ユタ(的人物)に接触・依存する
てきたのではない,自分の命は自分だけで完結し
ケースが多くみられるようになった。
ているのではないという「自己存在の社会性」を
筆者自身が奄美大島・名瀬市のあるユタ(男性)
自覚させるためと考えられる。
から聞いた話では,これまで若い女性や日本本土
このように,ユタは生と死の連続性,自他のつ
の医師など自殺願望者が幾人も訪ねてきて,悩み
ながりを説く者であり,自身の身体的・精神的苦
を相談した後に死を思いとどまったということで
痛の経験に照らし合わせてクライアントの苦しみ
ある (1)。彼は自殺したい人が訪ねて来ると,
を救済しようと試みる。それゆえ,現代の社会病
「死にたいなら,どうぞ構いません。
」とまず言い,
理とよばれる問題にも深く関わり,上記のような
自殺願望を否定しない。次に,「でも,あの世は
自殺願望者などに対する対処を恐らくカウンセラ
この世で生きるより,もっとつらいですよ。自殺
ーとは異なる視点からおこなったりしている。し
したらどこへも行けず,あの世とこの世の間をさ
かしながら,社会病理と沖縄シャーマニズムに関
まようのだから。
」と話し,
「死ねばすべて終わり」
する研究は,非行少年をもつ家族・親族のユタへ
の依存度を研究したものなどが散見されるのみ
2004年9月30日受理
Social Disorder and Shamanism in Okinawa
: From a Case Study of a Mutual Aid Society for Children Who
Refuse to Go to School as well as for Their Parents
*1 Ryoko SHIOTSUKI
日本橋学館大学人文経営学部
で,十分なされているとは言いがたい(2)。まし
て,ごく最近クローズアップされている若者の不
登校やひきこもりの問題が,沖縄の伝統的宗教体
系のなかで相互扶助的動きと関連付けて研究され
88
る例は,ほぼみあたらないといえる。
そこで本報告では,社会病理のなかでも特に不
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
1.2 シャーマンになった娘
―母娘関係の逆転―
登校について取り上げ,事例を通して不登校児童
沖縄県那覇市T地区出身で,同地区在住のG・
生徒やその家族が沖縄シャーマニズムを用いてど
Sさん(1953年生,女性)には,子どもが長女,
のように家族関係を解体・再構築し,相互扶助の
長男,次女の順で3名いる(8)。G・Sさんは子
ネットワーク作りをおこない,不登校に対する価
どもたちの父親とは離婚し,現在は本土出身の男
値観や態度を転換させていくのかを明らかにする
性と再婚している。一番下の娘G・Rさんは現在
ことを目的とする。沖縄では不登校への対処法が
中学2年生で,学校へ行きながらシャーマン(9)
複数あり,そのなかには伝統文化による方法もあ
業をおこなっている。次女がシャーマンになった
ることを論じることで,これまでに無い新たな視
のと同時に,母親であるG・Sさんもその下に仕
点から現代の社会病理とその問題解決にアプロー
えるシャーマンとなり,今では二人でシャーマン
チすることが可能となると考える。
の素質,すなわち霊能があると思われる不登校児
1.シャーマンになる不登校生徒
1.1 不登校とは
文部科学省によれば,「不登校児童生徒」の定
童生徒,あるいは社会不適応とみられる子どもと
その家族(特に母親)のために,いわゆる「霊能
(開発)学校」(10)を開催している。以下,G・
Sさんによる話を紹介する。
義は,「何らかの心理的,情緒的要因,身体的あ
るいは社会的要因・背景により,登校しないある
(次女の)G・Rは3歳のときから霊能力を発
いはしたくともできない状況にあるため年間30日
揮した (11)。彼女が幼稚園児のときには,(霊能
以上欠席した者のうち,病気や経済的な理由によ
力が高いという)評判を聞きつけた人たちがハン
る者を除いたもの」という(3)。現在,不登校児
ジ(判示;託宣)を取るため家に訪れていた。そ
童生徒数は全国で12万人を超え,沖縄県でも1500
のなかに,足の悪い子がいて,車椅子でやってき
人以上の小・中学生が不登校となっている(4)。
た。娘は(その人に)何か手かざしや儀礼をおこ
ここ1,2年はスクールカウンセラーや家庭訪問
なったわけではなく,「神様が治しているから。」
などの取り組みが功を奏し,不登校児童生徒数が
と言って,小さかったので遊んでいた。すると,
減少し始めたといわれるものの(5),10年前と比
その子の足が治った。
較してもその数は約2倍という高い水準にある(6)。
このように,最初は神霊治療をしていた。この
不登校は以前,
「学校恐怖症」
,そして「登校拒
ころは,「まぁ,そんなものか」と見ていた。で
否」とよばれてきた。たが,最近はそれが個人的
も,小学校に入ってからは大喧嘩をした。小学生
な病理ではなく社会状況と関連する現象と捉えら
のときは登校拒否とみられ,ほどんど学校へ行か
れ,どの子にも起こり得るという見解が一般的に
なかった。自分は「学校とウガミ(拝み)とどち
なったことから「不登校」といわれるようになり,
らが大事か。」と鬼になって(娘に)言った。す
それを「問題」とすることが疑問視されてもい
ると「ウガミ」という返事で,毎日が戦いだった。
る(7)。ここでは以上のような見方もあることを
ランドセルを持たせて拝みに行かせた。「なぜ学
考慮に入れたうえで,沖縄における不登校児童生
問まで止めるのか」と神を恨んだが,学歴より神
徒がどのようにシャーマニズムと関わっているの
の方が知恵があることを悟った。娘は学校を3校
かを,事例を通して明らかにしていきたい。
替わった。あとで考えれば,この世界(霊的な神
の世界)があることを3校に知らしめたことにな
る。「(霊能者に)なるなら一流になれ。」とも子
どもたちに言った。
89
塩月 亮子:社会病理と沖縄シャーマニズム
そのうち自分も(娘の行く)聖地について回る
った。その後,(霊的な力があることを)幼馴染
ようになり,自分が聞得大君の生まれ変わりとわ
の女性Iさんに打ち明けた。彼女は今,それを理
かって,子どものやっていることを理解した。そ
解し,
「霊能学校」を手伝ってくれている。
して,
「(あなたが)もっと勉強をしてから(神の
ことを)教えてあげる。」と子どもに言われるよ
1.4 「霊能学校」の開設
うになり,立場が逆になった。娘は中学から(霊
自分(G・S)は5年前まで近くのスナックの
能に関する修行の)ほとんどのことはやったとい
テナントを借りて,ハンジのサロンのようなもの
うことで,学校に行き出した。(人々は)個人の
をやっていた。そこには神の絵もかけ,(霊能等
ことだけでなく,どの掛け軸を(村の拝所に)か
に関する)本も沢山置いて,図書室のようだった。
けたらよいかなどを聞きに来る。自分もハンジを
その人に合った本を貸したりした。だが,そこに
取るが,(神の声が)聞こえるだけで,娘のよう
は水商売の人が来たり,私たちの信用を使ってお
には見えない。娘は一番上の位(のシャーマン)
金がらみの商売をしようという人も出てきた。
で,神に頼むとちらちらしているテレビの映像の
「神社を造りたい。」と言ったら,(信者の人が)
ようなものがパッと写る。娘は(神の世界の)中
インターネットでお金を集めたりした。次第にわ
心だから動かず,自分を久高島や今帰仁などあち
けがわからなくなり,いったんそこを閉じた。そ
こちへ次々と行かせる。そのため,洗濯などなか
のころは朝から晩までお客が来て,子ども(G・
なか家のことができない。また,娘の描いた絵に
R)の帰りを待っていたりした。そういう状態が
ついては,(娘に)本で勉強させられる。自分が
嫌になって,1日1組だけ(ハンジをおこなうこ
そこまで到達していないと,「話してもわからな
と)としたりして,人を断った。家賃を払ってい
いから。
」と言われ,教えてくれない。
(娘に)テ
るのにここ2年のうち6回も引っ越した。ハンジ
ストもされる。
料も,みな資料のパウチ代などに消えていくけど,
中山みきなどと較べると(苦労は)まだまだ。
1.3 G・Sさんの生い立ち
今はまた閉じていたのを開き始めるとき。磁場
自分と娘がシャーマンとなったG・Sさんは,
の関係で,沖縄に子どもたちの霊能力者が今沢山
自身の幼少時の親子関係について話してくれた。
生まれている。その子たちが沖縄を救い,世界を
以下は彼女の話である。
救う。こういう子どもが3000人は生まれている。
本土にもいるが,理解されていない。今,口コミ
父親には霊力があった。自分も霊的なものが見
でそういう子をもった母親が(家に)やってくる。
えたため,父のことを理解できた。しかし,母は
そうすると,自分は「母子だけでなく,父親もお
父のカミダーリ(巫病)を理解できず,「ユタム
じいちゃんもおばあちゃんも呼んでくるように。」
ヌイイ(ユタのような物言い)して」と非難した。
と言う。皆の前で本 (12) を使い霊界の話をし,
父はアルコール浸りとなり,自分が小学3年生の
協力してもらうようにする。なかには,「こんな
ときに精神病院へ入れられた。私は父を助けられ
のにだまされないように」と,子どもの親につい
ず,こういうこと(霊的なものが見えるなど)は
て来る人もいる。(家に来る人たちには)自分の
言うものではないと,(霊力が)閉ざされた。し
ように離婚したりしないよう,夫婦喧嘩の対処法,
かし,自分の子どもたちにこういうことが出て,
現世的ケアも教える。
もうそれを閉ざしておくことができず,いつまで
2001年12月からMちゃんをはじめとする子ども
も逃げられないと思った。使命があるときは,神
たちが来るようになった。Aちゃんという高校生
は何代にもわたって逃がさない。(神は)3世代
も来ている。Mちゃんは学校に行くのを(神に)
に伝えたのに,自分たちはその使命に気づかなか
2年止められた。Aちゃんも同じく止められた。
90
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
最初に(霊能力の)症状が(彼女たちに)でたと
れているが (14),そこに人々が集まり,ハンジ
きは,(神は)少し厳しかった。1歳くらいで子
(判示;託宣)をしてもらうという話はあまり紹
どもを連れてくる親もいるが,「3歳くらいでま
介されていない。たいていの場合は幼少期にその
だそういうこと(霊的なこと)を言ったら連れて
徴候がみられても,そのあと結婚や離婚,出産や
きなさい。」と話している。(「霊能学校」では)
子どもの死,自身の病気などの試練を経験し,カ
家族皆でピクニックみたいに聖地に行き,帰って
ミダーリ(巫病)の苦労を経たのち中高年になっ
きたら子どもたちに絵を描かせる。皆似たような
てようやく一人前のシャーマン=ユタ(的人物)
絵を描く(13)。子どもたちが見えるものを描かせ
となるというのが通説であろう。幼少期からユタ
るため,
(親に)「クレヨンを何色も揃えなさい。
」
的な仕事をおこなうことが近年の新しい現象かど
と言う。不信心者には,蝋の粘土を使って教える。
うかはわからないが,「純真な子どもだからこそ
これは焦る人はポキポキ折るので,焦らずゆっく
よく当たる」という説明を聞くと,ネパールのク
り作ることが大切,つまり,(霊能開発の道は)
マリ信仰のように,少女信仰ともいうべきものが
長くかかるということを教えるため。娘は新しい
沖縄にもみられる(あるいはみられるようになっ
人(クライアント)が来ると,「1ヶ月したら夢
た)といえるのかもしれない。
を見るから,それから来なさい。」と言っている。
いずれにせよ,もと不登校児童がシャーマンと
神の道は長いから,すぐにどうにかして欲しいと
してある意味では社会的に活躍し,その母親も最
いう人には,1ヶ月考えてから来てもらう。来な
初の葛藤を乗り越え,娘と共に新たに自分たちの
くなってもそれはそれでいい。しばらくして来た
経験を活かし,以前の自分たちと同様の状態にあ
ら,また受け入れる。どうするかはその人にゆだ
る親子を「霊能学校」という相互扶助的共同体の
ねる。
創造を通して応援しようという試みが,沖縄でみ
このような試みは,人間的常識,枠を超えるた
めにおこなっている。(神や聖地に関する)資料
は作るが,それはすぐには親たちにあげない。涙
られ始めたのである。
2.
「霊能学校」の活動例
を流しながら,一歩一歩やるようにする。その方
2003年9月7日,筆者ら (15)は「ピクニック
が後で本当に身に付くから。また,古本屋さんも
のよう」と形容される「霊能学校」に参加した。
教える。母親が不安定になると子どもも揺らぐの
ここではそのときの様子を紹介する。
で,注意する。お母さんたちと信頼関係をもたな
夕方4時過ぎごろから,G・Sさんの自宅に親
いといけない。こういう子どもをもつと,親たち
子連れの家族が20名ほど集まった。その場には,
は(ハンジ料がもらえるので)お金に翻弄されて
一番霊力が高いとされるG・Rさんの姿はなかっ
いく。また,現世の勉強もしっかりするようにと
た。実際に指導するのはG・Sさんで,その補助
子供たちには言っている。(霊能を測る試験の)
を幼馴染の女友達,Iさんがおこなっていた。ま
難関をクリアーすると楽しくて,子どもたちもニ
ず,参加者のうち二家族の例を挙げてみる。
コニコする。
・Yちゃん(7歳,小学1年生,女児)…6歳か
ら壁にローマ字が見える。妹も最近見えると言
以上をみると,「霊能学校」を開催している
い出した。G・Sさんによると,神はその子に
G・Sさんの娘は,幼少から沖縄の民俗語彙でい
あった教え方をし,YちゃんにはA,B,C,
うところの「サーダカウマリ」(霊力の高い生ま
Dで道徳を教えるという。参加したのはYちゃ
れ)とみなされ,人々の信仰を集めていたことが
んとその妹,彼女たちの両親,母親の従兄弟2
わかる。従来の研究では,幼稚園入園前などの幼
名と母方の祖母,計7名であった。
少期から霊力があるといわれる例は数多く紹介さ
・Hくん(6歳,幼稚園生,男児)…Hくんは5
91
塩月 亮子:社会病理と沖縄シャーマニズム
歳くらいからここに来るようになった。G・S
て行ったらいいのか決めるのも,娘のG・Rさん
さんによれば,彼は「学校もウガン(拝み)も
の指示によるという。
楽しい。神の道はとても楽しい。」と言ってい
る。しかし,その母親には「これからはお母さ
さらに指導料に関しては,G・Sさんは次のよ
うに述べている。
んがきつく(大変に)なる。勉強をしていくと,
その重みがわかり,真剣勝負になるから。」と
こういうのはお金も沢山かかる。やってきた人
説明しているという。参加したのはHくんとそ
でないとこういうことは気づかない。この子たち
の男兄弟3名,両親の計6名である。
はまだ子どもだけど神の位は高いから,「きちん
と(お金を)いただきます。
」と言って取る。
「子
上記の家族を含む数家族は,車数台を連ねて20
分ほどかけ,
「12神」,別名「古代富士」が祀られ
どもなのにこんなに取るのー。」という人には
(指導を)お断りする。
ている場所へと移動した。G・Sさんによると,
この12神は沖縄が創生されるときに神様が降臨し
以上のことから,この「霊能学校」は,不登校
た場所で,古代富士山頂の火口を指すという(16)。
児童生徒をはじめとする霊的なことを口にする子
また,聖地巡りに参加した子どもたちには,「つ
どもとその家族・親族を対象に,能力開発を目指
いてこられなかったら置いて行く」と厳しく言い,
してもと不登校児童だった娘とその母という二人
団体行動を教える場ともなると聞いた。
のシャーマンにより用意されたプログラムをこな
子どもたちは聖地に着くと,線香を焚いて神に
していくという,「相互扶助共同体」ともいうべ
祈り,自分たちで作った供物の入った重箱を捧げ
きものである。そしてそれはボランティアという
ていた。その手順は手馴れたものであり,30分ほ
より,いわゆる月謝にあたるような指導に対する
ど子どもたちの自主性にまかせてウガン(拝み)
お金を払うシステムとなっている。
はおこなわれていた。その後,「今日ここで何が
このような共同体はまた,指導者のもと,皆で
見えたか,聞こえたかを絵に描くように」という
共有する宗教的世界観をもつことになる。次章で
宿題が子どもたちに出された。
は,彼女たちの唱える宗教的世界観についてみて
絵を描く宿題は,G・Sさんによれば子どもた
ちの霊能がどれだけ開いたかを測るためという。
また,霊夢をみたときも,それを描いておきなさ
いと指導している。描かれていることの意味は
いきたい。
3.G・Sさんたちの宗教的世界観
G・Sさんやそこに集まる信者の人々が述べる
G・Sさんが解釈するが,最終的には娘(G・R)
宗教的世界観は,様々なものが絡み合い,複雑多
にうかがいをたてる。すると,「今日はお母さん
岐にわたる。詳しく紹介するにはここでは紙幅が
(G・S)は何点だった。
」と娘は言うそうである。
足りないため,彼女たちの発言をもとに,特徴的
このように娘と母で解釈したことをもとに,子ど
と考えられるものを抽出し,以下にまとめる。
もたちのお母さんにもその意味を解釈させる。そ
① 沖縄中心観
れはまるで,幼稚園や小学校を受験する子どもの
② 世界平和の推進
親が,試験を受けて試されているような感じを受
③ 基地問題への提言
ける。
④ 古代文明など,ニューエイジ文化の影響
聖地巡りに関しては,この12神だけでなく,例
⑤ 日本本土に対する強い意識および優越感
えば基地のなかにある聖地にも行くという。この
⑥ 伝統的世界観
前は子どもたちのテストを基地内でおこない,最
⑦ シンクレティズム(様々な宗教の取りこみ)
終点検は娘がした。子どもたちを次にどこへ連れ
92
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
①∼⑤は相互に関連のある事項といえる。これ
人も蘇生させるもので,生命の樹。娘だけが触れ
らについては,次のような発言が聞かれる。
「(自
る。それは沖縄∼本土∼北アメリカ∼南アメリカ
分たちは)ホピの人たちとも交流がある。沖縄が
∼アフリカ∼沖縄へと移動した。天孫降臨がこの
一番の霊地であるとわかり,(彼らは)訪ねてき
沖縄の地であることの証明になる。このご神体は
た。今,世界の人々が聖地を探して歩く旅をし,
かつて共通した文明の起源を古代人が持っていた
沖縄に行きついている。その理由は,沖縄を雛型
ことを示し,また混沌とした世界の状態のなかか
にして世界平和を願うからである」
。
ら,いかに世界平和を実現するかの道標になりう
また,③については,「この(神の)道は『沖
るかを知らしめるもの」
。
縄を助けてください』ということから始まった。
さらに注目すべきは,沖縄が長年日本本土(大
沖縄の基地は,人々にお金が無いので存在する。
和)に呪詛されていたため,両者は支配・被支配
そのうち基地がいらなくなる。そのため,夫とも
関係にあったとする解釈である。G・Sさんらに
ども努力をしている。基地を無くして平和の実現
よると,「沖縄は,島津藩の進入以来,熊野権現
へ。万物は神のもの。土地もそう。土を救うこと
の三本足のヤタガラスの印が裏におしてある起請
は地球を救うことになる。環境問題も大事である」
文により呪詛されている。その何百年の呪縛を娘
と述べている。
が小学生にならない前なのに解いた。実際は自分
④については,ヒエログリフなどの古代文字,
を熊野に送り,熊野の宮司さんらの前で祝詞を詠
イスラエルに対する意識の強さなど,発言の随所
ませた。この封印を解いてから,沖縄の社会状況
にニューエイジ文化の影響が読み取れる。
は変わった。日本本土でも沖縄食品ブームが起こ
⑤の日本本土に対する意識については,その文
り,沖縄が認められてきた」と説明する。これは
化を沖縄の文脈に取りこみ,活用して,新たな歴
「呪詛」という概念を用いて沖縄の歴史を語り直
史認識を生み出そうとする試みがみられる。これ
す,いわば新たな呪詛解きの物語の創造といえよ
は①の沖縄中心観に繋がるものであり,それは,
う。
次のような話からもうかがえる。「沖縄は小さな
続いて⑥として挙げた伝統的宗教観について
モデルで,ここから日本もできた。沖縄が日本や
は,香炉,ヒヌカン(火の神)
,神と神との繋ぎ,
世界の型になる。世界救世の磁場は沖縄にある。
フタバウクシ(神起こし),聞得大君などという
12神の場所もそうで,ここは電波が強い。沖縄と
語彙からも推測できるように,その宗教的世界観
日本では沖縄が時差で1時間早くでき,神様の降
は決して新しいニューエイジ的な文化の側面ばか
臨が12神(という場所)でおこなわれた。日本が
りではなく,伝統的な世界観を踏まえたものとみ
表の世界なら,われわれは神の,裏の世界。両方
ることができる。G・Sさんは,次にように説明
は合わせ鏡になっている」
。
する。「香炉の灰の繋ぎはとても大事。これはポ
さらに彼女たちが重視するのは,日本本土にみ
られる古代文明である。例えば,「七支刀」とよ
イント,チャンネル合わせである。一人前になっ
た子どもたちは,皆香炉で繋いである」。また,
ばれる古代の刀,天皇がもつとされた「三種の神
「娘はフタバウクシをやっている。これはケーブ
器」,G・Rさんの前世の姿といわれる日本神話
ル繋ぎといえる。ヒヌカンに『わからないから教
に出てくる「コノハナサクヤヒメ」などがそれに
えて』と聞く。ヒヌカンは(願いを)通すもので
あたる。七支刀に関するG・Sさんの説明は,次
あり,祈ると夢で教えたりテレビでみたり,本や
の通りである。「娘のご神体は七支刀で,これは
人に聞いたり,電波がピピピッといったりしてわ
石上神宮にある。平成8年の娘の(霊能者として
かる」
。さらに,神から教えられたことに対して,
の)お披露目のとき,神示により100万円をかけ
彼女たちは夢合わせもおこなうという。
て七支刀を復元し,それを娘が振った。これは死
最後に挙げた⑦シンクレティズムに関しては,
93
塩月 亮子:社会病理と沖縄シャーマニズム
G・Sさんがまさに「万教同根」,すなわち「根
という逆転現象を起こし,従来の家族にみられた
本,源をみれば,どんな宗教も繋がる。仏教でも
権力関係を脱構築する。その結果,家族関係が新
神道でも本質は一緒で,神に通じるいろいろな道
たに再構築されるとみなすことができる。家族関
がある」と説明するように,他宗教に関して決し
係の再構築は,「霊能学校」に家族や親族皆が参
て排他的ではなく,それを取りこみ繋げていくと
加することが望ましいとされることにより,さら
いう世界観がみられる。これは,沖縄にこれまで
に促進されると考えられる。
特徴的とみられてきたブリコラージュ的世界観と
一致する。
また(2)については,(1)を実行すること
で,それまで不登校という問題を抱え悩みの種と
4.まとめと考察
なっていたわが子が,別の使命を帯びた大切な子
どもに変わるという価値観の転換も促すことにな
これまで,沖縄県那覇市における不登校児童生
る。いみじくも「霊能学校」に来ていたある男性
徒とその親のための「霊能学校」に関する事例を
は,「神の叡智は素晴らしく,学校で教わるよう
もとに,その主催者である娘と母親のライフヒス
な人間の叡智はたいしたことがない。こういう考
トリー,および学校の状況,主催者が唱える宗教
えに切り替わるには,3年はかかった。このふた
的世界観についてみてきた。そこに集う不登校児
つは比較するものではない。」と話したように,
童生徒をかかえる家族たちは,自分の子どもが
学校に行き知識を得ることが大切で,不登校は問
「狂って精神病院に行くか,それとも(霊能を)
題であるとみる世間の見方に従っていた己の価値
コントロールできるようになるのかの分かれ目」
観を反省することを求められる。
であり,「ぎりぎりのところまで追い詰められ」,
次に,(3)に挙げた体験者同士による相互扶
藁をもすがる気持ちでこの集まりにやってくる。
助共同体の形成については,これまで様々な研究
そして,同じような苦しみを経験した母と娘の主
者が沖縄の伝統的信仰にみられる治療体系につい
催者により,家族関係の再構築や価値観の転換,
て言及する際に特徴的な点として,「共同体信仰
相互扶助,霊能開発教育などに励むこととなる。
治療システム」,あるいは「回復者カウンセリン
これまで述べてきた事例のポイントをまとめる
グ」など,それぞれの言い方で指摘してきたこと
と,以下のようになる。
である(17)。現代の医療界においても,体験者が
同じ病で苦しんでいる人のケアをすることの重要
(1)家族内における権力関係の脱構築
性が説かれているが,沖縄においてはすでにその
(2)従来の価値観の転換
ようなケアシステムが社会のなかに埋め込まれて
(3)体験者同士による相互扶助共同体の形成
いるといえる。
(4)社会との繋がりの回復
続いて(4)の社会との繋がりの回復について
(5)社会における新たな位置づけの付与
は,不登校児童生徒とその親は,学校という社会
(6)霊能開発を目指したステップアップ式早
との絆が薄くなったり切れてしまうことにより,
期教育
社会的に孤立しやすくなると考えられる。不登校
はひきこもりとも密接な関係をもつと指摘される
まず,(1)に関しては,G・Sさんら母娘が
が,そのような状況に陥らず,(3)で示した共
経験したように,母が娘に命令して操作するとい
同体に参加することは,社会との繋がりの回復を
う権力関係から,娘が母に命令し,上位に立つと
はかる一手段となっているとみることができる。
いう立場の逆転を,「霊能学校」に集う他の親子
そして,(5)で示したように,伝統的にせよ革
たちにも促しているといえる。子どもが親よりも
新的にせよ,シャーマン(ユタ的人物)として沖
霊力が高いということで,親が子どもを敬い従う
縄で生きていくことを決心することは,その子ど
94
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
もにとっては社会における新たな位置づけを付与
校に悩む親や家族がシャーマンの主催する「霊能
されることに繋がる。すなわち,ただの不登校児
学校」に入り,子どもとの関係や価値観を見直し,
童生徒とみなされればやっかい者として社会的な
子どもの霊能開発に全力を傾けるという現象もみ
居場所がないが,シャーマンとして認知されれば
られる。このようなケースはあまり一般的ではな
人々に必要とされる存在となり,居場所の確保が
いかもしれない。しかし,沖縄のシャーマニズム
できるといえるのである(18)。それには,最後に
の伝統には,生と死の連続性,自他のつながりを
(6)として挙げた霊能開発を目指したステップ
回復させ,自分が経てきた身体的・精神的苦痛の
アップ式早期教育を用いている点がユニークであ
経験に照らし合わせてクライアントの苦しみを救
る。まだ幼稚園児も含むような若年層が対象であ
済しようと試みる信仰治療体系があり,そのシス
るため,心に浮かぶもの,見えるものを絵に描く
テムは現在でも存続している。それゆえ,現代の
という方法が,箱庭療法のように自己表現の手段
社会病理とよばれる問題にもシャーマン(ユタ的
となっていると推察することもできる。親にとっ
人物)たちは深く関わり,カウンセラーとはまた
ては子どもの描いた絵の解釈を主催者によりテス
異なる視点から援助・救済をおこなっている。こ
トされることで,ある意味では子どもに絶えず向
こでは,そのようなシャーマンたちによる相互扶
き合うことになる。と同時に,それには子どもを
助的活動を取り上げ,その分析を試みた。不登校
霊能関係のエリートに育てるという早期教育に夢
への対処法として,彼女たちの手法がすべて有効
中になっている教育ママのような側面もあり,子
とはもちろん言えないだろう。しかしながら,家
どもへの期待が将来的に子どもに別のプレッシャ
族内における権力関係の脱構築や価値観の転換の
ーをかけるという危惧も生まれる。霊能力をステ
仕方,社会的位置づけの回復のさせ方など,学ぶ
ップアップ方式で「進化」させていくということ
べき点も多々あると考える。
は,トランスパーソナル的な考え方とも共通する
今後のシャーマニズム研究における新たな課題
ところがあり,現代に受ける手法・思想ともいえ
として,ここで述べたような不登校以外にも,自
る。今後は,この共同体がどのように変化してい
殺や鬱病,ひきこもりなどの社会病理といわれる
くのかを細かく追っていくことが必要となるだろ
現象が,沖縄のシャーマニズムとどのような関係
う。
をもつのかについて明らかにしていくことが重要
おわりに
本稿では,沖縄にみられる具体的な事例を通し
て,不登校児童生徒やその家族が沖縄シャーマニ
ズムを用いてどのように家族関係を解体・再構築
し,相互扶助のネットワーク作りをおこない,不
になるといえる。
注
(1)2003年7月1日に実施した奄美大島・名瀬市に
おけるシャーマニズム調査のデータによる。塩
月 「シャーマニズムと現代―生と死の連続性説
くユタ―」
(沖縄タイムス 2003年9月15日)参照。
登校に対する価値観や態度を転換させていくのか
(2)主なものとして,社会心理学者,大橋英寿によ
を明らかにすることを試みた。沖縄では不登校へ
る非行と沖縄シャーマニズムに関する研究が挙
の対処法が複数あり,そのなかには伝統文化を活
用するという選択肢もある。「はじめに」でも述
べたように,「野のカウンセラー」ともよばれる
沖縄のシャーマン=ユタ(的人物)は,以前から
クライアント自身やその家族・親族などの危機的
げられる(大橋 1998年 参照)
。
(3)文部科学省 『平成15年度学校基本調査速報』
参照。
(4)文部科学省 『平成16年度学校基本調査速報』
および「不登校−まだ足りない心の居場所−」
(沖縄タイムス 2004年8月12日)参照。
(5)不登校児童生徒数減少の要因として,保健室登
場面において,一種の説明体系と対処行動を与え
校や民間フリースクールに入る生徒は出席とさ
る者として関与してきた。現在は,子どもの不登
れるなど基準が甘くなったからであり,実態を
95
塩月 亮子:社会病理と沖縄シャーマニズム
反映していないという意見もある。
(6)磯部 2004年 p.46。
(7)磯部 2004年 pp.36-39,河合編 2003[1999]年 他
参照。
(8)本事例は,2003年8月∼9月,および2004年8
月の約2ヶ月にわたる断続調査で得たデータを
もとにしている。
(9)彼女たちは自らを「ユタ」とよばず,
「聞得大君」
12神のことで,神は光でもあるという。
(17)
「共同体信仰治療システム」は大橋英寿の提唱
した概念である(大橋 1998年)。また,「回復者
カウンセリング」とは,主に精神科医の一部で
用いられている用語である。
(18)
「居場所の確保」は,不登校支援には非常に大
切なことである。現在,不登校児童生徒をもつ
親同士のセルフ・ヘルプグループや,カウンセ
や「コノハナサクヤヒメ」の再来と称している。
ラー・教員を含む支援ネットワークグループ,
しかし,筆者がみるところ,彼女たちは伝統的
ラーニング・アシスタントとして大学生を参加
なユタ的要素と新しいニューエイジ的要素を併
させるNPOなど多数の団体が,地域ぐるみで
せもっている。したがって,ここでは広義の巫
「居場所づくり」を進めている(高垣・春日井編
者を表す「シャーマン」とよぶことにする。
著 2004年 参照)
。
(10)
「霊能学校」という名称は,どこかに登録した
り看板を出したりしているような正式名称では
参考文献
ない。しかし,本人たちがこのような表現で語
1)磯部潮 2004『不登校を乗り越える』PHP研究所。
っていたため,ここでは括弧付きで使用するこ
2)河合隼雄編 2003[1999]
『不登校』金剛出版。
とにした。
3)文部科学省 2004『平成15年度学校基本調査速報』
。
(11)ある信者によると,G・Rさんは赤ちゃんのと
き死にかけたという。そのとき親族が50人ぐら
い集まり,「助けて」とお祈りをしたら,神から
「神の力がいりますか」と言われた。その後G・
Rさんは学校を止められた(神により学校に通
えなくなった)という。
4)文部科学省 2003『平成14年度学校基本調査速報』
。
5)大橋英寿 1998『沖縄シャーマニズムの社会心理
学的研究』弘文堂。
6)沖縄タイムス「不登校−まだ足りない心の居場
所−」2004年8月12日 朝刊1版オピニオン5面。
7)Maxine C. Randall, Kazuhiko Matsuo, Chikara Ogura,
(12)例えば,吉田信啓著『ペトログラフ・ハンドブ
Haruo Nakamoto and Masako Urasaki 1996 "ERP,
ック』(中央アート出版社,1994年)など,ニュ
MMPI and case assessment of culture phenomena as
ーエイジ文化の影響の強い本が参照されている。
risk indicator in schizophrenia", Chikara Ogura,
(13)これは,夢判断など,感知したことをお互い話
Yoshihiko Koga, Minoru Shimokochi(eds.) Recent
し合ったり見せ合ったりする沖縄シャーマニズ
Advances in Event-Related Brain Potential Research,
ムの伝統的慣習に則しているともみられる。
Elsevier Science B.V., Amsterdam, pp.558-563.
(14)例えば,M.C. Randall他によるサーダカウマリの
研究がある(1996年 pp. 558-563)
。
(15)本調査は佐藤壮広(立教大学非常勤講師)と共
同でおこなった。
(16)G・Sさんによれば,12神は天・地・海・火・
水・金・銀・松・岩・石・父・母の12の雛型を
表す。また,古代富士山は沖縄の聖地,宇栄原
8)塩月亮子 「シャーマニズムと現代―生と死の連
続性説くユタ―」沖縄タイムス2003年9月15日
朝刊1版文化11面。
9)高垣忠一郎・春日井敏之編著 2004『不登校支援
ネットワーク』かもがわ出版。
10)吉田信啓 1994『ペトログラフ・ハンドブック』
中央アート出版社。
97
報告・資料
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
e-learning について
中 西 はるみ*1
キーワード
情報技術IT(Information Technology) 教材設計理論(Instructional Design)
コンピュータベーストレーニングCBT(Computer Based Training)
WebベーストレーニングWBT(Web Based Training)
学習管理システムLMS(Learning Management System)
1.はじめに
解決方法の考察,本学でのe-learning取り入れに関
する構想などについて述べたい。
コンピュータやインターネットの普及に伴い,
2.e-learningとは
情報技術IT(Information Technology)を教育に取
り込む試みがなされてきた。近年,ブロードバン
IT技術を使った教育はずいぶん以前からはじま
ドの浸透により,教材として音声や映像などのマ
っているが,実用的に効果をあげるようになるに
ルチメディアが利用しやすくなってきた。その上
は,長い年月と試行錯誤を要した。情報ネットワ
インターネットによる双方向コミュニケーション
ークが整備され,教材設計理論(Instructional
が可能になったので,e-learningは一層発展する
Design)が進歩することにより,実用に耐える教
と期待される。パソコンやコンピュータネットワ
育システムを構築できるようになったのである。
ークなどを利用して教育を行なうと,教室での学
IT 技術を使った教育をコンピュータベーストレ
習とは違って,遠隔地にもいつでも教育を提供で
ーニングCBT(Computer Based Training)やWeb
きる。また,コンピュータならではのリアリティ
ベーストレーニングWBT(Web Based Training)
のある教材が利用できる。学ぶ側にとっては,時
と呼ぶこともあるが,単にコンピュータやWebの
間に縛られず,経済的な負担も少なく,独自で興
技術を教育に取り入れて成果をあげるという意味
味の赴くままに深く学ぶことができる。e-learning
合いでなく,もっと広く教育や学習の概念をあら
は大学や研究機関以外でも,自宅での補助学習や
わす用語として「e-learning」が使われるようにな
通信教育,企業での研修などさまざまな方向に利
った。
用することができる。
また,学習効果を高め,学習者の利便性を向上
本報告・資料ではe-learningとは何か,e-learning
させるために,情報や通信技術を活用した学習シ
の現状と未来,教育に取り入れることに関しての
ステムをすべて含めてe-learningと言う場合もあ
利点と欠点,そこから発生するさまざまな問題と
る。e-learningは,文字や音声,映像,アニメーシ
ョンなどを使った分り易い教材を利用しながら対
2004年9月30日受理
About e-learning
*1 Harumi NAKANISHI
日本橋学館大学人文経営学部 非常勤講師
面して講義を行うものから,インターネットを用
いて完全な自己学習を行うシステムまで,多種多
様である。次にe-learningシステムのイメージ構成
98
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
LAN
映像サーバ
インターネット
学習者
教材サーバ
学習支援サーバ 学習管理サーバ
図1.e-learning 構成図
図(図1.)を示す。この図から分るように,学
ドユーザに届けられる。
習者はLANにPCからインターネットを接続して
(3)e-learningは,学習というものを非常に広い
学習できる。学習者は,好きな場所で,都合の良
視野で捕らえ,従来のトレーニング重視の
い時間に,学習したい教材を選んでインタラクテ
考え方の限界を超えた解決する方法を提示
ィブに能動的に学習ができる。企業や大学の垣根
するものである。
を越えて広く海外との連携や,社会人への学習機
会を提供し,社会に貢献することも期待できる。
2.2 e-learning のアプリケーション
単なる知識の獲得だけでなく,今後は,実務能力
e-learningの代表的なアプリケーションには,
的応用力を身に付けたり,擬似的に失敗を学ばせ
(1)遠隔講義
ることができるシミュレータが多くなっていくも
(2)WebベーストレーニングWBT(Web Based
のと考えられる。自己学習により,学ぶと言うこ
Training)の二つがある。
とは何かを知ることができる。また,対面授業と
今日ではさらに,次の二つの機能が加わり重視さ
e-learningを併せて高い学習効果をあげることがで
れるようになっている。
きる。教材の対象も,情報技術から理工学や医学
(3)学 習 管 理 シ ス テ ム L M S ( L e a r n i n g
などの他,語学や文系関連にも範囲が広がってい
Management System)
る。2005年度には,全国の小・中・高でも各普通
(4)学習コミュニティ形成機能
教室に2台のコンピュータを設置して,情報通信
遠隔講義とは,インターネットなどのIT技術を
技術を利用した教育に移行すると言われている。
駆使し,遠隔地にいる講師と生徒の間でリアルタ
今後,ほとんどの学生がe-learningに慣れていると
イムまたは異なった時間帯で講義を受けることで
いう時代が来ると考えられる。
ある。たとえば,教室のプロジェクタに遠隔地の
授業風景・授業内容を映し出して行われたり,自
2.1 e-learningの定義
マーク・ローゼンバーグはe-learningを「3つの
根本的条件」で定義している1)。
宅でパソコン画面で講義を受けることである。
Webベ ー ス ト レ ー ニ ン グ WBT( Web Based
Training)とは,CD-ROM ,テキスト,オンライ
(1)e-learningはネットワークを利用するもので,
ンテキストなどをベースに,インターネットを利
教育内容や情報の更新,保管,検索,配付,
用して,確認テストやQ&Aで理解度を確認しな
共有が即時に可能である。
がら学習を進めるシステムである。通常の集合形
(2)e-learningは標準的なインターネットテクノ
式の教育と異なり,学習者は時間的にも場所的に
ロジーを使い,コンピュータを介してエン
も拘束されることなく,自分に適した教材を使っ
99
中西 はるみ:e-learning について
学習者
教材データ(教材、テ
スト、総合問題)
サーバ
イ
ン
タ
ー
ネ
ッ
ト
学習履歴データ
Q&Aデータ
成績データ
学習者管理情報データ
図2.WBT
て学習を進めることができる。同じところを繰り
が,オンラインゲームの技術を使うこともある。
返し理解できるまで学習できるのも大きな利点で
これはネット上に仮想のキャンパスを作り,仮想
ある。
大学で自分の分身となるキャラクター(アバター)
教材データにはテスト問題なども加えられ,学
をバーチャルに行動させるものである。ゲーム感
習履歴データ,Q&AデータなどはWebサーバで公
覚でアバターを操作して,ほかの受講生と会話し
開され,学習者が利用することが出来る。
たり建物に入って学習や手続きをしたりできる。
また,成績のデータベース・学習者管理情報
(ユーザIDやパスワード)など,主に管理者が参
3.e-learningの現状
照するデータも管理者権限でWebサーバへアクセ
先ず,企業が研修などにe-learningを受け入れ活
スでき,お互いが離れた場所にいても個人に適切
用し始めた。点在する事業所から研修所への出張
な学習を進めることができる。
などは費用が高くつくし,研修内容の充実や統一
Webサーバでは,テスト問題の自動採点などが
も図れるので,e-learningシステム導入や運営にか
でき,解説の参照履歴,テストの成績などの学習
かった費用はすぐ取り戻せる。企業向けe-learning
履歴が蓄積される。
は産業として始動しつつある。大規模な展示会
学習管理システムLMS(Learning Management
System)は,教材や受講生をコースや難易度で分
(e-learning WORLD)が,東京ビッグサイトで毎
年開催されるほどになっている。
類してシステムに登録管理し,受講生の学習進捗
そして教育機関でも,キャンパスの情報化が行
状況(学習履歴)を管理し,学習効果の度合い
われるに従ってe-learningを取り入れ,教育の充実
(理解度)を測定して保存管理する。また,受講
を図るとともに,学生数の減少などに伴うコスト
生の理解度に応じて次に提示する教材を変更する
の面でも利用が見込まれるようになった。こうし
機能も併せ持つ。
てe-learning導入の必要性は高まっているが,シス
学習コミュニティ形成機能は,パソコンに向か
テム導入,コンテンツ作成,教員・学生へのサポ
う学生が孤立しないためのものである。オンライ
ート体制の整備など大学への負担が大きくなる。
ンでほかの学生と講義について話し合ったり,教
また,一番の目的である教育効果という点から言
員やアシスタントに質問や相談をしたりしてコミ
うと,コンテンツの作り方,映像情報の利用の仕
ュニケーションをとることによって,仲間意識を
方,授業の代替とするのか併用する支援に限るの
持ち,学習意欲を持続させるという役目を持つ。
かなどの方式の決定など,e-learningを効果的に利
このために電子掲示板や電子メールが使われる
用する方法については,まだ,確立されていない。
100
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
4.まったく導入を考えていない
3%
1.既に導入している
38%
3.導入の予定はないが
興味・関心はある
47%
2.導入を検討している
14%
図3.大学におけるe-learning導入状況(2003.4 vcom より)
各大学で,試行錯誤が始まったばかりというのが
が大きくなる可能性がある。その多くの部
現状であろう。
分をe-learningがサポートできると予想され
vcom 2)によれば,上記グラフでわかるよう
る。
に,約50%の大学で導入に強い関心を持ち前向き
また,単独の大学が単独の仮想大学を作る
に考えていて,導入の目的と活用状況は主に通常
必要はなく,大学の統合化も考えられる。
の対面授業の支援教材としてというアンケート結
果が出ている。
4.大学におけるe-learning
大学におけるe-learningの意義,課題,評価につ
いて述べ,実例をあげる。
(5)未来には,国際的スター教員を擁する人気
大学に学生が集中して,教育の寡占化が起
こる可能性がある。
(6)教育が国際的に商品化され,安価で優れた
教材,優れた教育プログラム,優れた大学
の単位など,人気ブランド志向を引き起こ
す。
4.1 大学におけるe-learningの意義
(1)自習の支援をする。学生にとって教え込ま
れる授業から自ら学ぶ授業への進化をうな
4.2 大学におけるe-learningの課題
(1)教員の労力に負うところが大きい。全ての
がす手段になる。授業に欠席した学生や,
教材をWebにアップすることを考えると,
受講しても理解できなかった部分のある学
その労力はきわめて大きい。また,教材は
生にとっては,理解度の向上や学習時間の
書き言葉であるが,授業の多くは話し言葉
確保に利用できる。
で学生に伝達される。話し言葉で伝える内
(2)キャンパスが分散している大学では,他キ
容をすべて書き言葉にするのは不可能であ
ャンパスからの受講が容易になる。これに
る。Web用に変換すると言うより,もとも
よって講義の選択肢を増やしながら重複の
とWeb用であるようなセンスの教材が必要
無駄を減らせる。付属校へのサービスも容
になるであろう。
易になる。
(2)教員の学生への指導方法による労力が大き
(3)大学どうしの連携によるカリキュラムの補
い。e-learningでは学生の質問は電子メール
完・多様化が図れる。特別講義が頻繁に行
で行われる。全ての質問に電子メールで返
われ,世界的学者の講義がいながらにして
事をすることは時間的に不可能である。経
聴講できる。
験が積まれればFAQなどのページを設け
(4)将来,大学の学生数の定員や通学範囲など
ればある程度は解決されると思うが,満足
の制約を超えて,教育機関の受け入れ態勢
な指導というわけにはいかないかもしれな
101
中西 はるみ:e-learning について
い。
(3)学習の継続の難しさ。e-learningはドロップ
問題として解決を見ればe-learningや仮想大学にも
当てはまることだと思う。
アウト率が高い。Web上の教材だけで自己
学習をして単位を取得できる学生はもとも
4.4 大学でのe-learningの実例
と相当の能力がある人である。
東京工業大学は,日本の遠隔講義のパイオニア
それ以外の人には,かなり難しく,結局理
である。大岡山と長津田の両キャンパスを二十年
解できなくなって,ドロップアウトするこ
以上前から結んでいる。今日では,一橋大学との
とになってしまう。
遠隔授業交換や高校や高専への講義配信(高大連
(4)教材作成用の機材や部屋など高価な設備が
必要である。
携プロジェクト)も実施している。2002年度より
衛星通信遠隔教育(ANDES)システムを用いて,
従来から英語で開講している国際大学院コース科
4.3 大学におけるe-learningの評価
目を,タイ王国国家科学技術開発庁とアジア工科
インターネットにつなぐことさえできれば,e-
大学に配信している3)。'02年は VLSI 設計論,信
learningは可能であり,「いつでも,どこでも,誰
号処理特論などが配信され単位として認定され
でも」というキャッチフレーズの条件は十分達成
た。
できると思う。また,まだ発展途上のシステムで
大阪大学大学院もタイ国のマヒドン大学やチュ
あるため,これから今まで気がつかなかったよう
ラロンコン大学へ応用生物工学の授業を配信して
な意義なども増えてくると思われる。本質的な課
いる4)。
題である,学習の継続の難しさなどは,改善が難
しく,新たな課題も出てくる可能性もある。セキ
ュリティ問題も多種にわたるであろうことが予測
慶應義塾大学は,インターネット上での高等教
育の研究に取り組んでいる。
(1)タイ,ラオス,ミャンマー,インドネシア,
される。情報科学的な研究だけでなく心理学的・
マレーシア,ベトナムの6カ国10大学1研
教育学的研究も必要である。いくら意欲があって
究所に衛星通信で授業を配信するSOI-ASIA
始めた学習も,内容が難しくては「つまずき」が
プロジェクト5)。
生じてしまうし,やさしすぎても退屈になる。感
(2)奈良先端科学技術大学院大学,北陸先端科
動と実りの多いコンテンツの制作はとても難し
学技術大学院大学,東京大学,京都大学,
い。また,社会人では,仕事上の会議や出張など
千葉商科大学,東京工科大学などと遠隔講
学習のための時間にゆとりを持つことは現実では
義で提携。
とても困難であろう。またWeb上の教材だけでは
(3)ビジネススクールで夜間遠隔セミナーを開
理解が難しい場合でも,仕事を持っていては自習
催。将来は MBA コースの一部もネット化
時間の確保も困難になってくるだろう。仮想大学
の予定。
のような同じ内容のプログラムを多くの人が利用
東京大学では,'99年度に大型計算機センター,
する場合,個々の能力に応じて対応するというこ
教育用計算機センター,図書館の一部を改組・統
とはたいへん難しいことと思う。そこで,教材の
合して情報基盤センターとした。情報基盤センタ
提示や評価だけではなく,現実問題としての学習
ーは,キャンパス情報化のインフラストラクチャ
者へのサポートがどうしても必要になってくる。
の整備を担うとともに,各キャンパスのネットワ
これは,何もe-learningや仮想大学に限った問題で
ーク教室を結ぶ遠隔講義・会議システムの提供
はなく,現実の大学が持つ課題と同じところに行
や,教材支援サービスを行っている。教材支援サ
き着く。e-learningや仮想大学の場合特に直接的に
ービスには,コンテンツ制作のための(1)シナ
顕著にあらわれるということだろう。教育全体の
リオ・企画支援(2)静止画,動画,録音,テキ
102
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
ストなどコンテンツ素材の撮影・製作支援(3)
既存の授業や教科書を掲載するだけでは対面授業
ノンリニアビデオ編集(4)オーサリング支援,
より劣ってしまうのは当然である。e-learningは,
(5)配信支援などがある。引き続き'00年度に
これまでの教室での講義による教育体系と全く別
「情報学環」,「学際情報学府」という二つの大学
の体系を新たに作ることに等しいと思う。
院組織を設置し,'02年度にはe-learning サイトiii-
本学でさしあたって必要でしかも実現が可能な
onlineを開設した。初年度は「自然言語処理論」,
場合は,「情報リテラシー」の授業に対してe-
「コミュニケーション・システム」
,
「情報政策論」
,
learningを用いることである。特に,再来年度か
「メディア表現論」の4科目の授業がネットで公
らは高等学校で情報教育を受けた世代が大学生に
開されている。またシンガポールと提携してAsia
なる。そして,将来は小学校からe-learningを体験
e-Learning Network プロジェクトを立ち上げてい
した学生たちが大学へやってくる。従来のリテラ
る6)。
シー教育は,カリキュラムの見直しが必要である。
信州大学工学部では'02年度よりインターネッ
学生の習熟度には,今まで以上に大きな差がある
トを使った遠隔教育による大学院を開講した。信
と思われる。具体的には,この点をカバーするた
州大学が構築したSUGSIは,講義を収録,蓄積し
めにe-learningの利用が見込まれる。Windows入門
て,資料連動提示型ビデオ・オン・デマンドでイ
とMicrosoft officeのWord,Excel,PowerPointの入
ンターネット上に再配信するシステムの総称であ
門をWebで提供しているサイトがある。千歳科学
る。これには,講義VOD,インターネットライ
技術大学の「PC-maestro」である10)。筆者はこの
ブ授業をはじめ,遠隔地間での少人数ゼミナール
サイトを,他大学での「情報処理」の授業に取り
のためのライブゼミ,テレビ会議システム,シス
入れることを試みた。予習・復習に使用するよう
テム統合のためのWebページ,レポート収集シス
URLを提供して,簡単にたどり方を説明した。
テムが含まれる。このシステムを使った遠隔受講
期末テストの時は,持込み可,インターネット使
コースは社会人対象であり,分野によっては博士
用可の状態で当然このサイトも見てよいことにし
号まで取得できる。開設発表の直後から全国より
た。ソフトを使う際には,使い方を覚える必要が
多数の問い合わせが寄せられたという7)。
あるものと,覚えていなくてもマニュアルを見な
都立科学技術大学と科学技術高校の間では,デ
がら実現できれば一向に差し支えない部分がある
ィジタル回路実習を遠隔で行っている。主たる教
と思うが,後者の場合などにすぐに参照できるサ
員は遠隔で指導し,実験室には補助教員を配置し
イトがあるということになる。
ている8)。
このサイトを使用した際の感想文を学生に書い
八洲学園大学は,2004年4月に横浜に開学され
てもらった。概ね評判は良いようである。人に聞
た日本ではじめてのe-learning大学である。一度も
かなくても自分で解決していけることに価値を見
登校しなくても卒業が可能である。さまざまな事
出している学生が多かった。家族の者(たとえば
情と環境の人々が,学ぶことを体験し,生涯学習
母親など)にも紹介したと言っている学生もいた。
を体現していく場を提供している9)。
不評だった点は,めんどくさいとか,使い勝手が
5.本学における試案
悪いと言うものがあった。本学では,予習・復習
だけでなく,自習したあとテストをし,習熟度別
小規模で限定的なe-learningはWebさえ使えれば
のクラス編成などに用いると良いと思う。もちろ
可能であるが,本格的な実施には経済的支援や技
んクラス編成が決まったあとは,対面授業とこの
術的支援の整った態勢が絶対に必要である。Web
サイトの利用とをあわせて授業をすすめていくと
での表現技法やWBT教材のデザインに熟達する
良いと思う。将来に向けては,本学独自の学習ソ
のは大変な時間と労力が必要である。また,単に
フトをいろいろな分野で開発し,e-learningシステ
103
中西 はるみ:e-learning について
ムに載せ,他大学や付属校との交流も持てるよう
になると良いと思う。
参考文献および引用サイト
1)Marc J. Rosenberg 著,中野広道訳,E ラーニング
戦略,ソフトバンク刊,2002年。
6.おわりに
2)http://www.vcom.or.jp/vcom
3)Akinori Nishihara,「衛星通信を用いた遠隔講義」
,
今や教育の流れはe-learningへと大きく動いてい
るように感じられる。しかし,すべての教育をelearningに置き換えることは効果をあげることに
第4回DSPS教育者会議,pp. 3-6,2002年8月。
http://www.cradle.titech.ac.jp/andes/kouza.html
ANDES 衛星通信公開講座
4)中嶋幹男他,「大阪大学サイバースクール,住友
は結びつかず,現実的ではないと思う。人と人が
信託銀行など,同期型 e-ラーニグの活用事例と
対面する集合型教育の手法には,共感するという
その効果」,e-Learning Forum 2002 Track L-4,
大きなメリットがあり,対面だからこそ得られる
2002年7月26日,東京ビックサイト。
細かい効果も多い。教育手法の選択肢の一つとし
てe-learningを捉え,教育の仕組みを組み立ててい
くことが大切である。いわゆる「ブレンディッド
ラーニング」,すなわち,それぞれの教育手法の
"いいとこどり"
をした柔軟な教育環境の構築が
求められる。経費と時間を節約した分,手厚い対
http://www.tis.co.jp/news/2002/pdf/020508.pdf 大阪
大学同期型e ラーニングを活用し,アジアの大学
とサイバースクールを構築
5)http://www.soi.wide.ad.jp/kg/soi-asia.html
6)http://www.itc.u-tokyo.ac.jp/
東京大学情報基盤セ
ンター
7)http://www.shisutemu.shinshu-u.ac.jp/kenkyuu/
面教育に時間と労力を費やせたらよりよい教育が
publish/newsletter/newsletter3.pdf
実現できる。これは,まさに,コンピュータ導入
ステム開発センター
時と同じ考え方である。はたして,コンピュータ
導入によって経費と時間が節約された分,ゆとり
のある,人に手厚い生活ができているであろうか。
教育は,人が主役である。人の学ぶ意欲がベース
にあってこそ,教育的な効果が上がる。それに加
SOI-
ASIA Project
信州大学教育シ
8)http://www.tmit.ac.jp/index_faculties.html 東京都立
科学技術大学
9)http://potal.study.jp/module/frame/frame_index.asp?
place=1&cid=ysuniv
Study.jp for School八洲学園
大学ロビー
10)http://www.chitose.ac.jp/index-j.html 千歳科学技術
大学 PC-maestro
えて,効果的かつ適切な教育手法を使った上質な
教育システムが提供され,充実したコンテンツが
あれば,さらに教育効果が上がるであろう。
その他
http://www.adwin.com/business/wbt.html
ADWIN homepage - 教育・学習教材の制作・販売
http://www.ac.cs.musashi-tech.ac.jp/~shida/article/elearning1.htm
e-Learning の動向と将来
http://www.hzs.co.jp/index.htm
テム 日立造船情報シス
105
研究ノート
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
中英語否定構造に関する一提案
−Yoko Iyeiri著 NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN MIDDLE ENGLISHを考察して−
伊 藤 礼 子*1
キーワード
否定構造(Negative Construction) 中英語(Middle English)
統語変化(Syntactic Change) 韻文(Verse)
1.はじめに
CONSTRUCTIONS AND THE NATURE OF THE
FINITE VERB 5. NEGATIVE CONSTRUCTIONS
英語の否定構造はJespersen (1917:9-11)によると
AND SYNTACTIC CONDITIONS 6. MULTIPLE
(1)ic ne secge(2)I ne seye not(3)I say not
NEGATION 7. NEGATIVE CONTRACTION 8.
(4)I do not say(5)I don't say(1)と発達して
SUMMARY AND CONCLUSIONS
きたとされるが,それぞれの段階は共存している
序文で著者は次のように述べ,
“The objective of
ことが少なくない。Jack(1978)(2)は中英語散
the present study is to investigate the historical
文の否定構造を研究し成果を挙げている。そこを
development of ME negative constructions and to
埋めるべく中英語韻文を詳細に調査し分析したの
provide a descriptive account of it.”中英語期の否定
が家入葉子著 NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN
構造の研究とその記述が目的であることがわか
MIDDLE ENGLISH. Kyushu University Press 2001xx
る。また選択されたテキストは韻文24作品と散文
+ 232pp.である。
16作品の合計40作品で,彼女の恩師である Jack
本稿では,まず家入(2001)の紹介を行い,次
(1978)の研究は散文のみであり,隙間を埋める
にその調査データに基づき中英語期における否定
ことができるよう韻文を中心に選択している。作
構造を考察したい。
品の時代的,地理的分布も偏りのないように配慮
2.NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN
MIDDLE ENGLISH (2001)
2.1 概要
され,また作品に対するコメントも付けられ,中
英語テキストの特色をコンパクトにまとめ参考に
なるものである。
豊富な用例はもとより,73のグラフ (3)と24
全体は次のように構成されている。1.
の表を駆使し,視覚的にも理解しやすい詳細な調
INTRODUCTION 2. HISTORICAL DEVELOPMENT
査報告となっている。また付録としてグラフの数
OF ME NEGATIVE CONSTRUCTIONS 3. SYNTACTIC
値も列記している。豊富な用例と頻度数は今後の
VARIETIES OF NEGATION 4. NEGATIVE
研究資料にもなりうるもので評価すべきものであ
ろう。
2004年9月30日受理
A Suggestion for Negative Constructions in Middle English
: On NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN MIDDLE ENGLISH
by Yoko Iyeiri
*1 Reiko ITO
日本橋学館大学人文経営学部
中英語期の否定構文についての過去の研究も
Jack(1978)はもとよりJespersen(1917),Engblom
(1938),Ellegård(1953),McIntosh(1986)(4),
(5)等に言及し漏れはない。
Tieken(1994&1995)
106
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
ているのか判断できない場合がある③代名詞目的
2.2 否定構文の歴史的発達
他の否定
語は定形動詞とnot の間にくること,等も実証し
要素と共起する副詞neや接続詞ne /nor(2)グル
ている。中英語のテキストでは,定形動詞の前の
他の否定要素と共起しない副詞not,接続
notは143出例し①notがneを伴う場合45例(韻文30
(6)
詞neither,他の否定語never/no等に分けている。
例 散文15例)②neを伴わない場合,98例(韻文
また ne と not の年代的,地理的発達についても①
95例 散文3例)③法助動詞を伴った場合23例
否定の要素として(1)グループA
ープB
ne
②ne...not
③notをテキスト別に調査し,②
(韻文,散文の区別無し)としている。I not sayは
ne...notと③notをまとめグラフ3(p.27)に表して
I say notの変異形とし,少なくとも中英語の場合,
(7)の“a bridge construction”す
いる。Ukaji(1992)
定形動詞の前位置は否定副詞の位置としている。
なわちI not sayはI say notとI do not sayの間の形で
家入はさらに①動詞が行末にある場合, not は
あることを引用し(p.46)
,Jespersen(1917)の独
定型動詞前にありこれは韻律に関係すること②定
立した(1)(2)(3)の発達段階に疑問を呈し
型動詞前のnotは従属節中に多く,それが特にthat
ている。筆者もこの提案には賛成であるが,むし
節に多いのは古英語からの傾向であること,を実
ろ①neと②ne...notを同じ範疇にまとめることを提
証している。
案したい。このことについては3.1で扱う。
never や no のある否定節の発達についても韻文
2.4 否定構造と統語条件
と散文の違いに注目し,韻文の方が保守的である
否定の一致を多重否定と関連づけ,否定疑問は
こと,またneを伴った多重否定が減少しているこ
初期中英語でne...notよりneを好むとし,後期中英
とも実証している。
語になると副詞のnotが一般的でne→ne...not→not
で発達したとJack(1978)の分析を紹介している。
2.3 否定の統語的多様性
そこで家入はThe South English Legendaryを調査
ここで注目すべきことは副詞neの語順について
,
し,22例の否定疑問文中に7例のne...not(31.8%)
の言及である。定型動詞の前後の二種類に分けて
1567例の否定平叙文中425例の ne...not (27.1%)
調査し次の結果を得ている。①大多数のneは定形
を見出し,否定疑問文の方が never や no と共起し
動詞の前にくること②定型動詞が行末にあって
ないことを発見している。そして not だけの用法
も,neは主語の直後にくる(散文でも韻文でも)
はまだ確立せず,否定疑問ではたった1例のみで
③主語より前に定形動詞がある場合でもneは主語
あった。他のテキストでも同様で特に Paris and
の直後にくることがある④韻律も関係することも
Vienneで,neverやnoの存在がnotの発達に影響を
ある⑤従属節では変則的な場所にあることも多い
与えたと考えられ,後期中英語になり never や no
が,これは古英語からの古い形を踏襲し,特に韻
が自由に発達したとしている。
文に多いこと。
さらにnotは一般的に定形動詞の後が多いがBlake
2.5 いろいろな節の場合
(8)の指摘の通り,例外としてShakespeare
(1988)
条件節,すなわちif条件節や倒置の条件節にneが
では時に定形動詞の前に起こることも考慮に入れ
多数生起し,後期中英語のChaucerでは顕著である
て論じられている。すなわち定形動詞の後でも,
が,neverやnoの使用は少ないことも実証している。
位置は自由で直後にくるとは限らない場合がある
Brut(9)ではneverやnoの使用は頻繁であるにもか
わけである。家入の分析では①7187例のnotで812
かわらず,条件節では皆無であり,条件節否定文36
例は定形動詞の直後ではない②ただし特に初期中
例中33例がneである。調査した散文中no/neverの例
英語ではnotの使用が確立されてないのでnotが節
は最大でもThe Letters of John Paston Ⅱ(10)の4例しか
を否定しているのか節中のある特定要素を否定し
ない。後期中英語ではneの出現が少なくなってきて
107
伊藤礼子:中英語否定構造に関する一提案
いるが,それでも条件節では多いことが判明した。
グラフ33(p.78)で韻文4テキストにおける条
件節での not の出現率が高いことが明白で,初期
否定文は極めて限られている。倒置と否定(never/no)
の関係はさらに詳細な調査が必要と結んでいる。
存在構文では否定を表すのにneverやnoが多い。
中英語期のneのみからの自然な発達とし,never/no
初期中英語ではneはnever/noと共起し,後期中英
の存在がnotの発達を妨げたとするJack's Lawと一
語になるとne自体が減少し,他の否定語とも共起
致しているとしている。条件節自体が保守的な発
しなくなる。
達をしてきたことは古英語期から古い語順を条件
節が保ち続けていることからも納得できよう。
2.6 多重否定
ne...notの発達に抵抗した条件節内のneは居残り,
家入は広義の多重否定を採用し,次の3タイプ
このことがnotだけの発達を促したとしている。
否定節に続くthat節はnot/ne...notよりもneを好む
に分けている。
(1)タイプ1 副詞否定辞neを含む多重否定
傾向がある。少なくともThe Canterbury Taleまで
(2)タイプ2 接続詞ne/norを含む多重否定
は顕著で,また散文より韻文の方の割合が多い。
(3)タイプ3 not/neither/never/noの組み合わせ
ただ上位・下位の関係が薄い関係詞節では他の節
より若干少ないことも判明した。
による多重否定
neither...norも含むとしているがこれには疑問が残
接続詞neの場合は主節の否定の激しさが従属節
る。筆者はneither A nor BはA, B各項目を否定して
まで持続,持ち越され否定の一致が否定文377例
いるのであって,二重に否定しているわけではな
中22例に見られる。また接続詞ne節内では定形動
いと考える。
詞の位置が否定形の選択に影響を与える。すなわ
中英語期における単純否定と多重否定の歴史に
ち接続詞neの直後に定形動詞がくると,neが選択
ついて,①多重否定のピークは13世紀後半∼14世
されない。(254例)neの繰り返し(接続詞ne+副
紀前半②多重否定表現は強調であること③方言差
詞ne+定形動詞)は9例で繰り返しは避ける傾向
(地域差)もあり,またその衰退は北部方言より
にあることも判明した。
またdouten 'to doubt'やforbeden 'to forbid'に続く
that節でもneが補足的に使用される。これは否定
始まった④Chaucerの形式的文体では多重否定が
保持されていること,等を述べている。
グラフ56(韻文)とグラフ57(散文)(p.133)
構造の外的要因についての言及で興味深い。また
で100否定形中の二重否定,三重否定,それ以上
補足的否定は多重否定との関連も考えられる。
の多重否定の割合を示し,多重否定の場合圧倒的
接続詞before, unless, lest, than等の後の補足的否定
に二重否定が多いことも実証している。
辞neも見られる。否定的な含意でanyが使用される
こともあり,現代英語のnot...anyの構文発達につな
がるものである。接続詞whenの代わりにneが使用さ
2.6.1 副詞否定辞neを含む多重否定
(タイプ1)
れるとその節内にはneは入ることはなく,これは
グラフ59「ME散文における100否定形中のタイ
neの繰り返しは避けることによると考えられる。
プ1多重否定の割合」とグラフ60「ME散文にお
疑問の従属節が続く場合,動詞 witen は ne との
ける100否定形中の単純否定の割合」
(p.135)を比
結びつきが強いことも判明している。命令文や願
較し,neの衰退が多重否定の衰退を招き,副詞ne
望文ではneよりne...notやnotが好まれ,特に韻文
が多重否定に強く関係していたことを示している。
にはneが少ない。
平叙文中のV+S語順では,neの使用は極めて少
なく,あるとしてもne+他の否定辞に限られる。実
際,韻文でV+S平叙文は多数あるが,neのみでの
2.6.2 接続詞ne/norを含む多重否定
(タイプ2)
中英語期にne/nor接続詞はそれ自体でもまた他
108
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
の否定辞と共にも生起する。韻文ではタイプ2の
3.1 ne,ne...not, notの変化
多重否定は高い比率で生起し,進歩的テキストで
家入(2001:p.24, p.26)はグラフ1「ME韻文
は多重否定のほとんどがこのタイプになっている
における否定文100当たりの ne, ne...not, not の頻
ことが実証された。グラフ65(p.140)は後期中
度」(p.24)とグラフ2「ME韻文における ne,
英語で韻文が副詞neを保持する傾向があることを
ne...not, notの割合」(p.26)で中英語における3者
示している。グラフ66(p.141)では全多重否定
の動向を示している。家入の指摘通り,ne...notは
に対するne/norを伴う二重否定の割合を示し,後
初期中英語から増加し,テキスト6で最大になり,
期中英語になると全多重否定に対する二重否定は
その後明らかにnot に取って代られていく。そこ
散文で100%近くなることを実証した。
で家入は“There is a reason to surmise that ne...not is
simply a variant form of not alone, which occurs at the
2.6.3 not/neither/never/noの組み合わせに
transitional stage from ne to not. Presumably, it is not an
よる多重否定(タイプ3)
established form which has the same status as ne alone or not
neitherによる多重否定はMidlandsが起源である
alone. As Figure 3 shows the culmination of the development
ことが推測された。
of the adverb not is already reached simultaneously with
the development of ne...not. Ne...not is not an independent
2.6.4 多重否定の衰退とand/orの発達
(p.26)
stage which leads to the next stage, i.e. not alone.”
既に述べたように多重否定の衰退はneの消滅に
と述べ,グラフ3(p.27)でne...notとnotを合わせ
関係すると考えられるが,①接続詞never/noの位
た頻度を集計している。確かにne...notは過渡期の
置に any/ever が発達したこと②否定節における
表現と考えられるが, not と一緒にまとめること
never/noの位置に非断定のany/everが発達したこと
ができようか。むしろ筆者はne...notはneの変異体と
も関係があること,も示した。またorが否定構造
した方が妥当と考える。元来ne...notのnotは「OE
に出現するとne/norと選択的で,orとne/norが写本
以来のneは無勢で弱すぎるためnot(<naught<OE
によって違っている場合もあることも判明した。
nawiht=nothing)で補強された」
(中尾・寺島,1988,
グラフ72(p.151)と73(p.152)でME韻文・散文
p.123)と言われ,否定の強調であり, ne にあく
におけるne/norとorの出現率を示し,散文の方が
まで付随するものと考えられている。反対にneと
若干多いことを実証している。
ne...notをまとめたものが図1である。
図1からneとne...notが作品15からその使用が急
3.考察
速に減少していることが窺える。家入のグラフ3
ここからは家入の提案や分析についての筆者な
りに考察を試みる。
からではその変化が明確ではない。
文法機能が薄れた場合,別の語で補強すること
100
80
60
ne
ne...not
40
20
not
0
1
2
3
1. Poema Morale
2. LaЗamon's Brut
3. The Owl and the Nightngale
4. King Horn
5. Havelok
6. The South English Legendary
4
5
6 7
8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
7. English Metrical Homilies
8. Genesis and Exodus
9. William of Shoreham
10. Cursor Mundi
11. Sir Ferumbras
12. Confessio Amantis
13. Handlyng Synne
14. Kyng Alisaunder
15. Pearl
16. Cleanness
17. Patience
18. Sir Gawain and the Green Knight
19. The Canterbury Tales (verse)
20. The Alliterative Morte Arthure
21. Alexander and Dindmus
22. The Destruction of Troy
23. The York Plays
24. The Stanzaic Morte Arthur
Figure 1 Ne, ne...not, and not per 100 negative clauses in ME verse
109
伊藤礼子:中英語否定構造に関する一提案
はしばしば認められる現象である。たとえば本動
15から多重否定が少なくなっていることがわか
詞doは使役の意味が弱まり助動詞のdoに進行する
る。グラフ1(p.24)も作品15からneが減少して
と,意味を補完するためにさらにdoを置くという
,
いる。中英語期における否定構造は作品15(Pearl)
“double do” が出現することが検証されている。
すなわち1400年頃から変化したと考えられる。
(Denison, 1993, p.259. Koma, 1993(11), Ito, 1995,
52-3)言語変化ではある機能が弱化すると他のも
3.3 動詞“witen”とneの結び付き
のでそれを補うということが頻繁に起こるわけで
witenがnotよりもneとの結びつきが強い(p.96)
ある。ゆえに ne の弱化を補うために not が付随し
ことも興味深いものがある。その後の近代英語期
たと考えた方が妥当と考える(12)。
におけるdo notの発達においても,wite(<witen)
やknowが抵抗し,ある特定の語とnotの結びつき
3.2 多重否定
が強いことも判明している。
(Ito, 2003, p.106)ま
家入は中英語期における多重否定の衰退は
たその語源を考慮すると借入語より英語本来語の
ne...notではなくneの消滅に関係していると指摘し
方が古い構造を保つ傾向がある。家入では witen
ているが(p.147),筆者はne...notとの関連で考察
のみで他の動詞については言及していないが,他
してみたい。 Ne...not を広い意味で多重否定と考
の動詞の調査も必要であろう。
えるとne...notのneが消滅することは多重否定の一
4.おわりに
つの否定辞が消滅したことになり,その結果多重
否定が衰退したことになるではなかろうか。グラ
家入葉子著 NEGATIVE CONSTRUCTIONS IN
フ62(p.137)を以下に示したい。ここでも作品
MIDDLE ENGLISH (2001)は中英語期における否
100%
80%
60%
ne
40%
ne...not
20%
not
0%
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
Figure2 The proportions of ne, ne...not, and not to the total of the three forms in ME verse
100
80
60
40
not
20
0
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
Figure3 The use of not (i.e. ne...not plus not) per 100 negative clauses in ME verse
70
60
50
40
30
20
10
0
ne
1
2
3
4
5
6
7
8
9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
図1 中英語韻文100否定節当たりのne とne...not の割合
110
日本橋学館大学紀要 第4号(2005)
定構造を詳細に分析し,①ne/ne...not/notの量的変
化②neの語順③never/noがnotに与えた影響④多様
O. Ihalainen, & I. Taavitsainen (eds), 1992 pp. 453-62.
(8)Blake, N. F. 'Negation in Shakespeare', An Historic Tongue:
Studies in English Linguistics in Memory of Barbara
な節内におけるneの振る舞いを解明⑤多重否定の
衰退とその要因を実証した。そのデータをふまえ
て,著者はne...notを多重否定と捉え,多重否定の
Strang, G. Nixon & J. Honey (eds) 1988, pp. 89-111.
(9)La3amon's Brutは13世紀後半に書かれたとされる。
(10)The Letters of John PastonⅡは1461年から79年まで
にパストン家のJohn Pastonによって書かれた手紙。
衰退とneの関連性を示し,その衰退の時期はPearl
頃から始まることを示した。また否定辞の変化は
(11)Koma, O. 'On the Unstable Do in the Fifteen Century,'
Synchronic and Diachronic Approaches to Language
動詞に影響されることも示唆した。
1993, pp. 45-55.
中英語期におけるneと多重否定の衰退,また動
(12)家入(2001, p.196)の数値を以下に示す。
詞と否定辞の関連についての詳細な調査と考察が
参考文献
さらに必要と考える。
1)Denison, David. English Historical Syntax: Verbal
Constructions. London, Longman, 1993, p.256-274.
注
2)Ellegård, Alvar. The Auxiliary DO : The Establishment
and Regulation of its Use in English . Stockhom,
(1)下線は筆者による。
(2)Jack, George B. "Negative Adverbs in Early Middle
English". ES 59: 295-309 1978.
Almqvist & Wiksell, 1953.
3)Engblom, Victor. On the Origin and Early Development
of the Auxiliary "do". (Lund Studies in English 6.)
(3)以下家入のFigureはグラフと表記し,筆者作成は
図と表記する。
Lund, Gleerup, 1938.
(4)McIntosh, A, M. L. Samuels, & M. Benskin. A
4)Ito, Reiko. "A Historical Study of Periphrastic DO-The Case
Linguistic Atlas of Late Mediaeval English. 4vols. 1986.
of Interrogative, Negative and Imperative" 日本橋女
(5)Tieken-Boon van Ostade, I. '"After a copye unto me
学館短期大学「研究論集」第8号,1995, p. 52-3.
delyverd": Multiple Negation in Malory's Morte Darthur',
5)Ito, Reiko. "Corpus Based Study of Syntactic Change
English Historical Linguistics 1992 : Papers from the 7th
from NOT to DO NOT in Early Modern English" 日
International Conference on English Historical Linguistics,
Valencia, 22-26 September 1992. F. Fernándes, M.
本橋学館大学紀要第3号,2004, p. 101-7.
6)Jespersen Otto. A Modern English Grammar on Historical
Principles. Vol V. Heidelberg, Carl Winter, 1909-49.
Fuster & J. J. Calvo (eds.) 1994, pp.353-64.
Tieken-Boon van Ostade, I. The Two Versions of
7)Jespersen, Otto. Negation in English and Other
Malory's 'Morte Darthur': Multiple Negation and the
Languages. Copenhagen. Andr. Fred. Host & Son,
Editing of the Text. 1995.
Kgl. Hof-Bonghandel, 1917.
(6)中尾・児馬(1990; p.156)に従い,副詞ne/notを
8)中尾俊夫・寺島迪子.
「否定辞」,その他neither/never/no等を「否定語」
と表記する。
Change', History of Englishes: New Methods and
文法.東京,大修館,1990, p. 156-166.
10)Visser, Fredericus T. An Historical Syntax of the
Interpretations in Historical Linguistics, M. Rissanen,
English Language, PartIII, Leiden, E.J.Brill, 1963-73.
Total of multiple negation
ne...not
1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
Figure 62
Multiple negation and ne...not in ME verse (per 100 negative clauses)
1
2
3
4
5
6
7
8
9
10
41.2 25.9 45.3 33.3 23.5 25.4 5.6 26.3 24.9 8.2
ne...not 6.9 9.0 13.8 15.7 10.8 27.1 5.2 13.6 22.7 2.0
not
0
0
0
0
9.7 1.0 43.1 15.8 11.4 28.6
ne.
東京,
9)中尾俊夫・児馬修編.歴史的にさぐる現代の英
(7)Ukaji, M. '"I not say": Bridge Phenomenon in Syntactic
100
80
60
40
20
0
図説英語史入門.
大修館,1988,p. 123, 179-180.
11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24
20.6 12.0 8.8 35.9 4.7 8.4 13.1 10.0 8.8 6.5 3.5 1.5 1.3 7.3
14.2 1.6 2.0 5.3 0.8 0
1.6 1.1 4.4 0
4.7 1.3 0.4 5.5
13.9 34.1 34.7 4.0 24.4 12.9 27.9 22.6 30.4 15.3 14.0 27.7 43.8 21.7
Figure 1
112
日本橋学館大学紀要
投稿規程
1.本誌には教育・研究に関する原著論文,報告・資料,書評等を掲載する。
2.論文は未公刊のものに限る。
3.投稿の資格は原則として本学の専任および兼任の教職員とするが,本学と関連をもつ
研究者を認める場合がある。
4.
「原著論文」および「報告・資料」は一般投稿を原則とするが,
「報告・資料」
「書評」
等は委員会が執筆を依頼する場合がある。
5.本誌に掲載する原稿の採否は,紀要編集委員会で審査のうえ決定する。
6.掲載された論文等の著作者は,国立情報学研究所による電子化・公開,及び本学ホー
ムページその他に無料公開することを許諾するものとする。
7.それぞれの内容は次の要件を備えているものとする。
a.「原著論文」は,問題・方法・手続き・結果・結論・考察の各部分から構成され,
独自の論旨が明確であること。
b.「報告・資料」は,本学教育・カリキュラム等に関する考察,および教育のための
教材および参考資料,実態調査の報告などとする。
8.投稿は次の要領による。
a.原稿の他に同文のコピー1部を添付する。
b.和文原稿はなるべくワードプロセッサーで執筆し,ハードコピーとともにフロッ
ピーディスクをそえて提出することが望ましい。その場合 16,000字以下(1行40
文字×30行を1頁とする)としA4判用紙を用いる。
原稿用紙の場合は,図表その他の資料等すべてを含めて40枚以下とする。
c.欧文原稿の場合は,65ストローク33行ダブルスペースで15枚以下とし,A4判用
紙を用いる。
d.日本語およびその英訳のキーワードを5個以内つける。
e.題名,執筆者所属氏名には欧文を付する。また,「原著論文」については450語程
度の欧文抄録(およびその日本語訳)をつける。
f.本文において章・節などの記号をつける場合は,次のように記すのを原則とする。
序・結論を除き,
章にあたるもの 1.
2.
3.
節にあたるもの
1.
1
2.
1
3.
1
項にあたるもの
1.
1.
1
2.
1.
1
3.
1.
1
項以下のもの
1.
1.
1.
1
2.
1.
1.
1
3.
1.
1.
1
g.文字は,当用漢字,現代かなづかいを原則とし,数字は算用数字,欧文は活字体,
統計記号はイタリック体で記す。
113
h.外国地名・人名は原語を用いる。外国語はなるべく訳語を付ける。ただし,日本
語として慣用化している外国語はカタカナで記す。
i.図表は別紙にトレースのないように描き,次のように記す。
図1,図2,
表1,表2,
Figure 1
Table 1
なお,本文中に図表のスペースを換算して位置を明記する。
j.邦文の引用文はすべて「
」でくくり,欧文の引用は"
その直後に,著書名・年号・所在ページを示す(
"でくくる。
)でくくる。
[例] "****" (Davies,1968;p.153)
k.注には(1)
(2)のように番号を付し,本文末にまとめる。
l.参考文献の記載はつぎの方式によることとし,著者名のアルファベット順に並べ
て番号を付ける。
1)雑誌論文の場合
著者名,発行年,論文名,雑誌名,巻数,号数,始めの頁,終わりの頁。
例 1 土居健郎:1960,
「ナルチシズムの理論と自己の表象」
『精神分析研究』
第7巻 第3号,7-9頁。
例 2 Collins,D.T. :1982, “Notes on the Hospital Treatment of Disordered
Youth,
”Japanese Journal of Psychoanalysis,Vol.20,No.1,pp.20-28.
2)単行本の場合
著者名,発行年,書名,出版社名,発行地。
例 1 山本太郎 :1998,
『決定権の所在』 伊藤出版,東京。
例 2 Kernberg ,O.F. :1980,Internal World and External Reality ,Jason
Aronson,New York.
3)単行本の1章または一部の場合
著者名,発行年,論題名,編者名,書名,出版社名,発行地,始めの頁,終
わりの頁。
例 1 内井惣七:1991,
「数学的論理学の成立」神野慧一郎(編)
『現代哲学の
バックボーン』 勁草書房,東京,11-32頁。
例 2 Smith,L.C.: 1998, "Defining the Role of Information Science, " Alan
C. Bowen(ed.)
,Library and Information Studies, International Publishing
Company, New York, pp. 77-106.
m.原稿の末尾に脱稿年月日を記入して提出する。
n.執筆者校正は2校までとする。原則として加筆修正は認めない。
紀要編集委員会
平成16年4月21日
編 集 後 記
日本橋学館大学紀要は,今年度で第4号を発行
教授は,再三卓越した見識を示されたばかりでな
するはこびになった。その間,教員の教育,研究
く,事務的にも正確無比なお仕事によって委員会
活動の発表の場として,一定の役割を果たし得た
全体を支えて頂いた事実がある。ここに改めて感
ことを喜ばしく思うとともにご投稿頂いた教員諸
謝申し上げる次第である。
氏に感謝申し上げる。
最後になったが西村 光弘事務局長,佐藤 律子
私は,創刊号から今号まで編集委員長の役割を
総務課係長,中島 清美,秋山 弥香の事務局諸
つとめさせて頂いたが,停年退職に伴ない,次号
氏から頂いた細心かつ積極的な姿勢によるご貢献
からは山口 操教授に委員長をお引き受け頂ける
に,心から御礼申し上げる。
ことになった。これまで編集委員として山口 操
(編集委員長 岩崎 徹也)
日 本 橋 学 館 大 学 紀 要 第4号
ISSN 1348-0154
平成17年3月25日 印刷
平成17年3月30日 発行
編集者 日 本 橋 学 館 大 学
紀要編集委員会
委員長 岩 崎 徹 也
委 員 池 木 清 山 口 操
平 尾 浩 三 楠 原 偕 子
古 山 英 二 茶 園 利 昭
発行者 日 本 橋 学 館 大 学
〒277−0005 千葉県柏市柏1225−6
TEL 04−7167−8655
http://www.nihonbashi.ac.jp/
印刷所 十一房印刷工業株式会社
〒162−0813 東京都新宿区東五軒町5−18