日本のメッシの育て方 ―――「なぜ」 からはじまるJリーグの育成哲学 子ども 批判ばかりされた子どもは 非難することをおぼえる 殴られて大きくなった子どもは 力にたよることをおぼえる 笑いものにされた子どもは ものを言わずにいることをおぼえる 皮肉にさらされた子どもは 鈍い良心のもちぬしとなる しかし 激励をうけた子どもは 自信をおぼえる 寛容にであった子どもは 忍耐をおぼえる 賞賛をうけた子どもは 評価することをおぼえる フェアプレーを経験した子どもは 公正をおぼえる 友情を知る子どもは 親切をおぼえる 安心を経験した子どもは 信頼をおぼえる 可愛がられ抱きしめられた子どもは 世界中の愛情を感じ取ることをおぼえる 『子どもが育つ魔法の言葉』(ドロシー・ロー・ノルト PHP文庫) はじめに ――― 「才能」は超えられる 近年、多くの若い日本人選手がヨーロッパのトップリーグへ移籍するだけでなく、中 心選手として活躍するようになりました。彼らの活躍を目の当たりにして、私たちは興 奮し、子どもたちも「いつかは自分も……」と目を輝かせます。 彼らのように「世界で活躍する」ためには、どのような才能が必要なのか、親御さん や指導者はどのように接すればよいのか、とても気になるところです。 もちろん、やみくもに練習をしたところで上達はしません。 長年、育成の仕事に携わり、一流になる選手にはひとつの特徴があることに、私は気 がつきました。もちろん、一流と呼ばれるからには傑出したテクニックや優れた身体能 力を持っているのですが、それ以上に顕著なのは、みな「考え抜く力」があるのです。 彼らは、なにか問題が起きたときにも自分で考えて問題を解決します。そして、それ を糧にひとまわり大きくなっているということです。 これは、決して先天的な才能ではなく、努力すれば誰にでも手にいれられるものです。 003 ※ プロ契約の有無にかかわらず、彼らはすでに「プロフェッショナル」なのです。 私は現在、日本プロサッカーリーグ (Jリーグ)の技術委員長という立場にあります。 Jリーグでは、プロとして通用する選手をひとりでも多く輩出するため「Jリーグアカ デミー」という育成組織を持つことを各クラブに義務づけています。 私は指導者のひとりとして、Jリーグ技術委員長として、この「考え抜く力」を子ど もたちに、また、私の仲間である選手育成に携わるコーチたちに身につけてほしいと考 えているのです。 成熟した現代社会には、こうすれば成功するというような「答え」がなくなってしま いました。いま求められているのは、まわりに流されず、自分で考えることで問題を解 決する人材です。 社会を生き抜くのと同様、サッカーという競技も「答えのないスポーツ」と言われて いるように、どのプレーにも、これといった明確な答えがあるわけではありません。自 分で考え抜く力は、サッカー界においても世界へ飛び出す上で、プレーヤーに要求され る大切な能力です。 したがって、私たちJリーグが育てているのは、世界で活躍する「日本人」だといえ 004 ます。究極的にはサッカー選手じゃなくてもいい。日本社会に、世界に、少しでも貢献 できる人材を育てたいと、私は常日頃から考えているのです。 本書では、どうしたら世界で活躍するサッカー選手を育てられるかと試行錯誤しなが ら、私が実践してきた指導のエッセンスをまとめました。サッカーを愛する指導者のみ なさんに、子どもたちを愛する保護者のみなさんに、そして、さまざまな形で「人を育 てる」立場にいらっしゃる方に読んでいただき、参考にしていただければ幸いです。 そうして育った子どもたちが、近い将来、日本にワールドカップを持ち帰る日が来る ことを夢見るとともに、サッカーを通じて人生を学んだ若者たちが、この国の未来を明 るくしてくれることを期待しています。 2012年7月吉日 上野山信行 Jリーグ技術委員長 クラブ、合計 クラブからなる。 005 ※公益社団法人日本プロサッカーリーグ クラブで、J2は 22 40 日本のプロサッカーを統括する組織で、JFA(公益財団法人日本サッカー協会)の傘下 団体。2012シーズンは、J1は 18 日本のメッシの育て方 はじめに 「才能」は超えられる じ 「なぜ?」と考えなければメッシは育たない プロローグ 003 012 く 「答え」は与えない、与えるのは「問いかけ」だけ 第❶章 思考力を鍛える 「答えを与えない」 コーチング 「自ら考える」ことでしか人は変われない も 「なぜ、ドリブルしたの?」それだけで、子どもは考えはじめる 022 コーチングに必要な3原則「双方向性」「継続性」「個別対応」 031 037 「ミス」と「できない」では指導法も異なる 子どもは泣くのが仕事でしょ 043 私たちは「商品」をつくっているんだ 050 30 やる気をなくす「ほめ方」もある 「メッシは センチで止めるぞ」夢は具体的に表す 「それで、世界に行けるのか?」指導者は言葉で導く 054 057 064 「ゴールキーパーを見てシュートをしろ!」じゃ、絶対に入らない 067 成長は「こころをひらく」ことからはじまる 第❷章「成功」 には偶然もあるが、 「成長」 には必然しかない 「学ぶ姿勢」がなければ、メッシの才能だって開花しない 074 大人は痛みから、子どもは喜びから学ぶ 078 081 子どもの理解力はあなたの「話し方」にかかっている ルールをなぜ守るのか 第❸章 自分に負けない 「こころ」 を育てる 「できないこと」 「悲しいこと」 「悔しいこと」 人が育つのは、いつもマイナスの感情だ なんでもいいから「ナンバーワン」を目指せ! 自分を知りたいなら、自らを「文字」にしてみる 完璧なトレーニングは、完璧な指導者しかつくれない 先のことなんてわからない「うまく」生きるな、「つよく」生きろ 通りの「コミュニケーション」がある 「傾聴」とは相手のこころを引き出すこと 人の子どもがいれば、 100 「口出ししない」が名選手を生む 100 088 097 103 111 119 122 129 137 145 悔しさが「強いこころ」の種になる サッカーは「サッカー」でしか上手くならない 151 たとえウソだと思っても、まずは、信用する 155 成長に必要な壁は、高すぎても、低すぎてもいけない 「わかった」と言う子どもが「できる」わけではない 第❹章 経験を 「成長」に昇華する、それが 「振り返り」 「がんばっているのに結果が出ない人」にならないために 「チームのためにプレーしました」そんなの、ただの言い訳だ 163 167 172 振り返りを「成長」に変える4つのステップ 182 人を育てる上で忘れがちな「配慮」 190 「ボールをまわして、点がとれるのか」手段を目的化しない 197 202 的確にコーチングするために覚えてほしい「俯瞰する」技術 コーチング「すべきとき」を判断する 206 おわりに 211 証言2……上野山イズムが世界を席捲する日 装幀/岡孝治 本文デザイン・図版/ムーブ(新田由起子) 編集協力/中村聡宏 本間浩輔(ヤフー株式会社) 証言1……「サッカーとはなにかを教えてもらった」 宮本恒靖(元日本代表主将) 219 222 226 プロローグ 「なぜ?」と考えなければメッシは育たない 番を背負い、3年連続でFIFAバロンドール(年間最優秀 リオネル・メッシ選手といえば、世界に名だたるビッグクラブのひとつ、FCバルセ ロナでエースナンバーの キロ。メッシの体格は、日本人とさほど変わりません。い られていることにあると、私は思います。 手選手を把握する力、サッカーというスポーツを貪欲に吸収する「知力」によって支え 彼のプレーのすごさは、練習によって培われた高い「技術」と、自分自身を知り、相 るのでしょう。 体格的には決して恵まれているとはいえないメッシが、なぜこれほどまでに活躍でき 世界中のサッカーファンを魅了します。 メッシが、ピッチ上を躍動し、屈強な世界のスーパースターたちをきりきり舞いさせ、 え、日本人のサッカー選手と比較しても、体格的に恵まれているとはいえません。その 身長169センチ、体重 たいか?」と訊けば、彼らは目をキラキラと輝かせてうなずきます。 誰もが憧れる存在の選手といっていいでしょう。子どもたちに、「メッシみたいになり プロサッカー選手を夢見て、日々ボールを蹴っているサッカー少年たちにとっても、 選手)を受賞するなど、押しも押されもせぬ世界最高峰のサッカープレーヤーです。 10 67 012 「なぜ?」 と考えなければメッシは育たない 月、当時、私が指導をしていたガンバ大阪ユースは、Jリーグユース選 この「知力」とは、学力などではなく、まさに「自分自身で」「考え抜く力」なので す。 1994年 手権、通称「Jユースカップ」の決勝に駒を進めました。 みや もと つね やす 決勝を前日に控えた夜のことです。私がホテルの部屋でくつろいでいると、チームキ ャプテンを務めていた宮本恒靖選手 (のちに、ガンバ大阪→レッドブル・ザルツブルク→ ヴィッセル神戸、元日本代表主将)が部屋にやってきてこう言いました。 「上野山さん、明日の試合のためのミーティングを開いてください」 サッカーの世界では、試合前日、監督やコーチが選手たちを集めて訓話し、注意を与 えたり、戦いに向けて鼓舞したりすることは、慣例ともなっています。 しかし、私は宮本選手に、 「もうミーティングはせんでええやろ」 と答えました。 なぜなら、それまでの試合や練習を通じて、私たちがやるべきことは十分にやってき 013 12 ていましたし、選手に伝えるべきことは伝えてきていたという自負があったからでした。 あとは当日、選手たちが自分たちで考え、持っている力を発揮するのみ。前日の夜に、 私が彼らにあえて何かつけ加えなければならないことは、もはやなかったのです。 サッカーでは、試合のハーフタイムの間にも、たいていミーティングが行われます。 多くの指導者は選手を集め、前半を終えてどうだったか振り返り、修正すべき点を指 摘するとともに、後半に向けた戦い方の指示を選手たちに与えます。 しかし、私はこのハーフタイムも、滅多に口を出すことはありません。 選手たちの様子に目を配りながら、前半戦を戦った彼ら自身が感じている課題や、後 半戦に向けての修正点などについて話しあっている内容に耳を傾ける程度です。 なぜなら、彼らの自主性に委ねることが大事だと思っているからです。 戦うのは、監督でもコーチでもなく、選手です。選手個人が自覚を持ち、ピッチで起 こるさまざまな状況に対応して動くためには、まず、彼ら自身で考えることが必要不可 欠です。ですから、監督やコーチが指示を与え、そのとおりに動くことを要求するので はなく、彼ら自身が考えて事態を打破することに期待するのです。 014 「なぜ?」 と考えなければメッシは育たない 私は、選手一人ひとりが自主的に考え、考え抜くことができるようになるために、彼 らには、徹底的に「なぜ?」と考えるように指導しています。 「それはなぜなのか?」 「本当なのか?」 そう考えることから、すべてがはじまります。そして、ときには、常識とされている ことも疑わなくてはいけません。 しかしながら、現代人は、日常生活があまりにもパターン化してしまっていて、何ご とにおいても、目的を考えずに行動する人が多いように思います。 ただなんとなく練習を行い、なんとなく終わる。「相手ゴールにどうやってすばやく 近づき、いかに効率的に得点を奪うか」ということを、つねに念頭に置きながら練習を 課している指導者など、ほとんどいないのではないでしょうか。仮に目的をもって練習 をはじめたとしても、いつの間にかそのような目的を見失ってしまっているケースも多 いものです。 サッカーを指導する現場で、ゴールの横からコーチがボールを転がし入れて、選手た ちがゴールに向かって蹴りこむ、といったシュート練習をしているケースを数多く見か 015 けます。しかし実際に、試合中、ゴール前にコロコロとボールがこぼれてきて、それを ノーマークで蹴りこむようなシーンはどれだけあるでしょうか。 これが試合でゴールを決めるためのシュート練習としてふさわしいのか、私ははなは だ疑問に感じずにいられません。 一方で、サイドから蹴られた速く強いボールに走り込んでボレーで合わせる練習を、 子どもたちがどれだけしているでしょうか。 ボールに合わせることが難しく、成功率が低いため、練習で採用しないケースの方が 多いでしょう。しかし、実際に試合で得点が生まれるチャンスは、こういう速くて強い クロスから生まれるものです。練習でもなかなか決まらない難しいシュートを、練習も せずに、試合本番で決めることができるでしょうか。 このように、練習の意味をつねに考えることが必要なのです。チームでいつも実施し ている練習だから行うというのではなく、日々の繰り返しや常識と言われていることで さえも、一度疑ってみることです。 なかむらしゅんすけ 横浜F・マリノスの中村 俊 輔選手がつけていた「サッカーノート」も話題になりま 016 「なぜ?」 と考えなければメッシは育たない した。自分の考えを文字にすることは、頭の中を整理する上で有効な手段だと、私も思 います。 しかし、中村選手が「サッカーノート」をつけているから、そのマネをして書いてみ ようというだけでは、じつはあまり意味がありません。ただ単に、日記を書けばいいと いうことではないのです。 自分の課題を明らかにするとともに、その課題克服に向けてどんな練習をしたのか、 その結果どのような成果が得られたのか……、こうしたことを考え、書き留め、振り返 ることがサッカーノートを書く目的です。すなわち、流行しているからサッカーノート をつけるということではなく、 「なぜ、サッカーノートを書くのか」を考え、実践する ことが大事なのです。 つ ね に、 「 な ぜ、 そ う す る 必 要 が あ る の か?」 と 自 問 自 答 し て、 目 的 を 明 ら か に し、 さらにその上で、自分自身の行動について「考え抜く」ことが、私は重要だと考えてい ます。 かまもとくにしげ かつて私は、釜本邦茂さんとともに、釜本フットボールクラブ(釜本FC)という少 017 年サッカーチームを立ち上げ、以来、サッカーの育成の仕事に携わるようになりました。 その後、釜本FCは、ガンバ大阪のユースチームへと受け継がれ、同時に、私もガン あら い ば とおる はし もと ひで お おお ぐろ まさ し ふた がわ たか ひろ いえ なが あき ひろ やす だ バ大阪ユースで指導に当たるようになり、育成・普及といった少年たちへのサッカー指 いな もと じゅん いち 導全体を見てきました。 う さ み たか し 宮本恒靖、稲本 潤 一、新井場徹、橋本英郎、大黒将志、二川孝広、家長昭博、安田 みちひろ 理大、宇佐美貴史など、その後、トップチームに昇格してプロサッカープレーヤーとな り、日本代表にまで選出された選手たちも育っていきました。 さらに、Jリーグ技術委員長となってからは、子どもたちのために、各Jクラブで育 成に励むコーチたちの指導にも当たってきています。 このように、私はいままで、多くの子どもたちや指導者と相対してきましたが、あら ためて「育成」の活動には、長い時間を要することを実感します。また、サッカーに答 えがないように、指導法にも正解はなく、それゆえ大変難しい仕事だと感じています。 本書で私が述べていることは、ごくごく当たり前のことかもしれません。しかし、み な、この当たり前のことができないものです。 018 「なぜ?」 と考えなければメッシは育たない 自分自身で「考え抜く」ということも、言ってみればごく当たり前の小さな一歩にす ぎないことかもしれません。しかし、この小さな一歩が、一つの流れになり、やがて習 慣となり、大きな花を咲かせるのです。 小さな「改善」や「気づき」によって、劇的にプレーが向上するわけではありません。 ほとんどは、目に見えない小さな進歩の積み重ねです。 しかし、 「はじめに」で述べたような、世界に通用する日本人、つまり「自分で道を 切り拓ける人」は、このような思考の積み重ねによって育っていくのです。これは、こ れまで私が多くの子どもたちと指導者を指導してきた経験から、自信をもって言えるこ とです。 どんなに偉大な選手も――もちろんメッシも――小さなことを積み重ねて、成長し続 けてきたということを忘れてはいけないのです。 019 第❶章 思考力を鍛える 「答えを与えない」 コーチング 「自ら考える」 ことでしか人は変われない 「 答 え 」は 与 え な い 、 与 え る の は「 問 い か け 」だ け サッカーというスポーツを通じて子どもたちを成長させ、「世界で活躍するサッカー 選手」を育てるために、各Jクラブで子どもたちの指導に当たるコーチたちの指導力を 向上させることも、私の重要な仕事のひとつです。 「サッカー指導者」と一言でいっても、いろいろな指導者が存在します。 自身も学生時代から本格的にサッカーをプレーしてきた方もいれば、面倒見のいい近 所のサッカー好きのおじさんという場合もあります。 実際に、Jクラブのアカデミーでも、さまざまなタイプの指導者たちが活躍していま す。かつてJリーグでプロ選手として活躍したコーチもいますし、プロ選手にはなれな かったものの、大好きなサッカーを仕事にするために指導者ライセンスをとり、子ども たちを指導しているコーチもいます。技術レベルもサッカー観も、指導者によってまっ 022 たく異なります。 このようにコーチのタイプは多様ですが、すべての指導者に対して、必ず「伝えてい る」ことがあります。 それは、子どもたちに対して「答えを与えない」ということです。 「コーチ」という言葉を辞書で引くと、 「 運 動 競 技 の 技 術 な ど に つ い て 指 導・ 助 言 す る こと」とあり、さらに、 「指導」という言葉を調べてみると、「ある目的・方向に向かっ て教え導くこと」とあります。したがって、コーチや指導者と呼ばれる人たちは、子ど もたちに対して、技術等について教え導き、助言する人ということになります。 しかし、私の考え方は違います。 私は、ただ答えを教えてはいけないと思っています。子どもたちに与えるのは、「問 いかけ」だけでいいのです。その問いかけによって「気づかせる」ことこそが重要です。 指導の目的は、たいていこれだけで十分果たせるはずです。なぜなら、サッカーは、そ もそも答えのないスポーツだからです。 「指導」という言葉は、どちらかというと、「教える」という意味で使われるケースが 多いようです。一方、コーチングは、自分で考えることができるように、気づきを与え、 023 思考力を鍛える 「答えを与えない」コーチング 第❶章 その考えを引き出す指導法です。 子どもたちを指導する上でも、なるべく「答えを与える」のではなく、「問いかける」 ことで、 「気づき」を与える、さまざまな可能性の中から自分で最適な選択肢を選べる ように導くことが大切だと思っています。 したがって、子どもに質問するのは、 「なぜ?」という言葉だけで十分なのです。 指導者の側に「こうしてほしかった」という思いや、「このような場面では、このよ うなプレーをすべき」といったサッカー観があったとしても、子どもが自分自身のプレ ーを自分で判断し、実行した場合、それが客観的に見て間違いとは言えないのであれば、 喜んで認めてあげます。 もし、違うプレーを選択する余地があった場合でも、そのプレーの可能性に気づいて いたかを尋ねさえすればいいのです。 このとき、熱意のあるコーチであればあるほど、あるいは、子どもたちが好きで好き でたまらないというコーチであればあるほど、ついつい言葉の数が多くなり、手取り足 取り教えようとしてしまいがちです。 しかしながら、それが子どもたちの自主性を奪い、指導者のサッカー観を押しつけ、 024
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