中央アジア近現代史に - CIAS 京都大学地域研究統合情報センター

が、幸せに成長した自分の幼い娘を注視しながら沈黙して
店の中へ消えてゆく。ミーナはどんな声を上げようとした
のか。
パキスタン人に見てもらうためにこの映画を作った、と
著者紹介
①氏名……村山和之(むらやま・かずゆき)。
ディー・ウルドゥー語)。
② 所 属・ 職 名 …… 中 央 大 学 総 合 政 策 学 部・ 非 常 勤 講 師(ヒ ン
③生年・出身地……一九六四年、千葉県外房。
④専門分野・地域……パキスタン・バローチスターン文化研究。
⑤ 学 歴 …… 和 光 大 学 人 文 学 専 攻 科(芸 術 学 専 攻)、 パ キ ス タ ン
いうマンスール監督のメッセージは、果たしてどれほどの
人に「話す」契機を与えて、人を救済したのだろうか。こ
国立バローチスターン大学文学部言語学科ブラーフイー語修
⑥職歴……和光大学人文学部芸術学科・表現学部総合文化学科
士課程中退。
れだけは数字が出ていないので、今はまだ誰もわからない。
◉参考文献
(非常勤講師)、千葉大学文学部日本文化学科(非常勤講師)
、
⑦現地滞在経験……パキスタン・バローチスターン州、一九八
立教大学現代心理学部映像身体学科(非常勤講師)。
景山咲子(二〇一二)「ショエーブ・マンスール監督『BOL~
声 を あ げ る ~』 で 二 度 目 の 福 岡 観 客 賞」『パ ー キ ス タ ー ン』
日本・パキスタン協会、第二四四号、一二―一八頁。
九六〜九九年(調査:非常勤講師)。
九〜九一年(調査:副手)、一九九二〜九五年(留学)、一九
な い の で フ ィ ー ル ド で の 経 験 が す べ て で あ る。 参 与 観 察 を
⑧研究手法……バローチスターンに関する先行研究がほとんど
映画リスト
〔話せ!〕、②ショエーブ・
『BOL~声をあげる~』……①
行っている。
マ ン ス ー ル、 ③ 二 〇 一 一 年、 ④ パ キ ス タ ン、 ⑤ ウ ル ド ゥ ー
⑨所属学会……日本南アジア学会、聖者の宮廷講(共同主宰)
。
語、パンジャービー語、⑥アジアフォーカス・福岡国際映画
祭(二〇一二)、インディアン・フィルム・フェスティバル・
ター・ブルック監督、一九七九年、イギリス)。
⑫ 推 薦 す る 映 画 作 品 ……『注 目 す べ き 人 々 と の 出 会 い』(ピ ー
九六七年)。
⑪ 推 薦 図 書 …… 梅 棹 忠 夫『文 明 の 生 態 史 観』(中 央 公 論 社、 一
キスタン経由でアフガニスタンを攻撃したこと。
⑩研究上の画期……九・一一事件を受けてアメリカ合衆国がパ
②ショエーブ・マンスール、③
ジャパン(二〇一二)。
『神に誓って』……①
二〇〇七年、④パキスタン、⑤ウルドゥー語、英語、⑥アジ
アフォーカス・福岡国際映画祭(二〇〇八)。
、②カ
My Name Is Khan
ラン・ジョーハル、③二〇一〇年、④インド、⑤英語、ヒン
『マ イ ネ ー ム・ イ ズ・ ハ ー ン』…… ①
ディー語、⑥DVD販売。
制作や映画人の養成も国家事業として行われる一方で、こ
こにももちろんイデオロギーを喧伝する役割が課せられた
り、検閲・統制が及んだりしていたということである。
ウズベキスタンだけでなく、かつてソ連の構成単位であっ
た「民族共和国」の映画は、各共和国の映画界の上に連邦
中央の、すなわちモスクワの映画界が位置するという二重
構造のもとに置かれ、全体としてソ連映画界を形作ってい
た。独特の芸術性をもつソ連映画の主流とはやはりモスク
ワで制作されるロシア語映画であったと言えるが、全連邦
的な、あるいは国際的なヒット作品が民族共和国出身の監
督によって生み出されたり、民族色を前面に押し出した作
380
381 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
品がきら星のように登場したりすることもしばしばあった。
ソ連解体と独立を経て、数は少ないながらも現在のウズ
基本的にはこうした環境のもとで映画の世界に足を踏み入
ベキスタンで国際的な活躍をみせている映画監督たちも、
ウズベキスタンは中央アジアの一国である。そうした単
なお、ウズベキスタンにおける映画史と代表的な作品につ
れた世代が中心となっている。映画に関する専門教育はウ
いては、その成立から独立を経た最近の動向に至るまで、ソ
純な意味ではウズベキスタンの映画は確かにアジア映画な
で 発 展 し て き た こ と を 考 慮 す る な ら、 一 般 的 な い わ ゆ る
ズベキスタンの首都タシュケントとモスクワの双方で受け
「アジア映画」のイメージとは少し異なる部分も抱えてい
連映画全体も視野に入れながら、井上徹氏が一連の解説を書
ていることが多く、ウズベキスタン映画界では今なおそれ
るということになるだろう。それは簡単に言うなら、国家
(井上 二〇〇三 二; 〇〇七 二; 〇一二)
。
いているので参照されたい
のだろうけれど、この国が一九九一年まではソ連の一部で
の強力な後ろ盾と保護のもとで映画産業が形作られ、映画
あり、そしてソ連型社会主義のもとでさまざまな近代化の
帯谷知可
がステータスでもあるようだ。
中央アジア近現代史に
思いをはせながら
経験をし、映画芸術そのものももっぱらそうした条件の下
【ウズベキスタン】
ソ連型社会主義時代の研究と映画
実は私はまったく映画通ではない。ここに原稿を書かせ
ていただくのも少々おこがましいと感じているくらいであ
る。私が最も関心を持っているのはロシア革命期の中央ア
ジアの政治や社会であり、現在の国としてはウズベキスタ
ンが主たる研究対象地域となるが、なぜかこれまで映画に
は積極的な関心が向かなかった。しかしつい最近になって
から、ウズベキスタンの過去の映画をぜひ見て (そして集
めて)おかなければならないと考えるようになった。それ
には二つのきっかけがあった。
ひとつは、中央アジアにおけるソ連時代の社会主義建設
どを聞くにつけ、ウズベク映画人の生きたソ連時代、社会
をテーマとするドキュメンタリー写真に地域研究資料とし
ての関心を抱いたことの当然の延長として、同じテーマの
主義時代の記憶に強く惹きつけられたのである (写真)
。
インタビューしてはどうかというのが彼のアドバイスで
談判に彼自身がモスクワに乗り込んでいったエピソードな
規模な映画館を建設するための費用がなく、そのための直
味が湧いたことはもちろんなのだが、ウズベキスタンに大
棄をテーマとした『パランジ』
(一九七七)など)に俄然興
画 (例えばソ連時代の女性解放とイスラーム・ヴェールの放
ことである。彼自身が制作した数々のドキュメンタリー映
氏 (一九一一―二〇一〇)にインタビューする機会を得た
鎮中の重鎮、ドキュメンタリー映画監督マリク・カユモフ
シーンが特に印象に残っているが、中央アジアのオアシス
あ る。 映 画 の 中 で、 葡 萄 畑 に さ ん さ ん と 太 陽 が 降 り 注 ぐ
くとれる」あるいは「豊かな」という意味ももつ形容詞で
そしてそれらの映画をどのように人々が受け止めたのかを
エト・ウズベキスタンの姿や当時の社会の様子を抽出し、
だったように思う。映画に反映されている望ましいソヴィ
時 代 を 自 ら 生 き た「元 ソ 連 人」 と し て の 感 覚 か ら の 言 葉
は文献研究に携わる研究者としてというよりは、社会主義
してみたら、という彼の思いがけない言葉であった。それ
究者と話していた時の、そのテーマならぜひ映画を素材に
研究プロジェクトについて旧知のウズベキスタンの歴史研
もうひとつのきっかけは、社会主義的近代化に関連する
ドキュメンタリー映画に関心を持つようになり、長年にわ
あった。これは私にとってはそれまでまったく念頭に浮か
たりウズベキスタン映画人協会の総裁を務めた映画界の重
んだことのないことで、新鮮な驚きを感じると同時におお
地域の豊かさと美しさが、少年の故郷の貧しく悲惨なロシ
アの農村とあまりにも対照的である。ソ連域内では中央ア
いに納得したのである。
右に述べたような関心から、ここではウズベキスタンの近
ジアはしばしば「疎開地」になったが、現在では間にいく
つもの国境ができた。
現代史に思いをはせることのできる三本の映画を紹介しよう。
としても名高い作品である。飢饉に襲われたヴォルガ川沿
古典的なウズベキスタン映画の、そしてソ連映画の名作
だった。原作A.ネヴェーロフの同名の短編小説は邦訳で
がある。今にして思えば、初めて見たウズベキスタン映画
ときに公開作品の中に含まれていて、見に出かけた思い出
まだ学生だった頃、東京でソ連映画の連続上映があった
岸地方の貧しい村から、祖父も父も失い、母と弟たちを養
読むことができる (ネヴェーロフ 一九八五)
。
『タシケントはパンの町』
わねばならなくなった少年がタシュケント (ウズベキスタ
分のお腹を満たし、家族のために何がしかのものを携えて
経験をする。タシュケントで精いっぱい働き、ようやく自
たり、ボリシェヴィキの人情に助けられたりとさまざまな
シュケントで、少年はたくさんの人々に出会い、逮捕され
〇〇七:三)物語である。道中で、そしてたどり着いたタ
という「ロード・ムーヴィー的な味わいもある」(井上 二
にもぐりこみ、二千キロ離れたタシュケントへの旅に出る
バーグさん、ビデオ鑑賞会であなたの映画『E.T.
』を
T.』 に 触 発 さ れ た も の で あ る ら し く、「親 愛 な る ス ピ ル
るが、原題に「スピルバーグに捧ぐ」とあるように、『E.
ケージには「傑作ハートウォーミングSFムービー」とあ
を 得 や す い ウ ズ ベ キ ス タ ン 映 画 だ ろ う。 そ の D V D パ ッ
DVD化もされており、おそらく日本で最も観賞する機会
日本における映画祭で公開された後に日本語字幕付きで
『UFO少年アブドラジャン』
ンの首都)へ行けば穀物が手に入るとの噂を聞いて、列車
故郷の村に戻ってみると、すでに家族は餓死していた、と
見ました。いい映画でした。例の空飛ぶ円盤が私の村にも
やってきました」というナレーションで始まり、常にスピ
いう衝撃のラスト。やり場のない悲しみに打たれる。
タイトルにある「パンの」という形容詞は、「穀物がよ
382
383 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
写真 タシュケントの映画人会館(2012年11月
撮影)。カユモフ氏がモスクワと直談判して建設
されたと語ったのがこの建物である
る謎の少年にとりあえずロシア語で話しかけてみたりする。
ザルバイやその妻は、よそ者であることがはっきりしてい
キスタンのコルホーズ (集団農場)に少年の姿をした宇宙
ウズベク語とロシア語の両方がわかり、多少なりとも現地
ルバーグへの語りかけで話は進行する。ソ連時代のウズベ
人が空から落ちてきて、純朴なウズベク人コルホーズ員バ
社会を知っている人には面白さ倍増の映画だと言える。
この映画の監督ムサコフは、この映画が日本で公開され
ザルバイの家に受け入れられてアブドラジャンと名付けら
たのを縁にウズベキスタン映画界の中で日本と特に強いパ
れ、そこから奇想天外な出来事があれこれ起こり、ソ連軍
が宇宙人探索のためコルホーズへやって来たところで少年
イプを持つ存在となっている。
混じり具合も面白い。アブドラジャンに初めて出会ったバ
うに思える。さらに、映画の中のウズベク語とロシア語の
における権威のあり方や伝統的価値観を垣間見せているよ
長への人々の素朴な、しかし絶対的な敬意は、地域共同体
ルメされており、俗物としか思えないようなコルホーズ議
てウズベキスタンのコルホーズの様子がコミカルにデフォ
カ当時の若者の関心事をうかがわせる。また、全編を通じ
て「パナソニック」とつぶやいてみたりと、ペレストロイ
ス・リー(?)の空手の真似をしてみたり、ポーズを決め
だが、アブドラジャンが受け入れられた家の末息子はブルー
たものであることはスピルバーグのくだりでもわかること
界とその文化との接触から多くのインスピレーションを得
直し)のもとでの自由化の進展と、それに伴う資本主義世
からゴルバチョフ書記長が推進したペレストロイカ(建て
画である。まず、この映画の制作自体が一九八〇年代半ば
いるようだが、最近はフィルムを使った映画制作はほとん
観」と「伝統」の間で苦悩する主人公の姿が淡々と描かれ
請されるようになり、「公」と「私」の間で、「新たな価値
ル)を脱がない。やがて私生活の「ソヴィエト化」をも要
妻たちは家の外では決してパランジ (イスラームのヴェー
に、家に帰れば三人の妻のかいがいしい世話を受け、その
シア語でソヴィエト政権の諸政策を声高に叫ぶのとは裏腹
ジ演説を職業とすることになる。仕事ではウズベク語やロ
ら「民族カードル」として採用され、ソヴィエト政権のア
たロシア人革命分子を助けたことが縁で、ひょんなことか
なった主人公イスカンダル。自宅にたまたま逃げ込んでき
た兄の妻を慣習に従って受け継ぎ、三人の妻を持つことに
期のトルキスタン (ほぼ現在のウズベキスタン)
、亡くなっ
評価を受けているもののひとつである。舞台はロシア革命
ウズベキスタン独立後に制作された芸術映画として高い
『演説者』
私にとっては、見るたびに何かしら新しい発見がある映
は空へ帰っていく、という粗筋である。
る。私も注目しているソ連時代初期のウズベキスタンを撮
ない、映画をはじめとする芸術全般の状況も関係している
独立によって必ずしも完全に自由になったというわけでは
だろう。ウズベキスタンの映画が東アジア、東南アジア、
。 同 時 に、
ど行われていないそうだ (井上 二〇〇七:五)
まさにソヴィエト的社会主義的な上からの近代化の現実
南アジア、西アジアなどの映画と同じ「アジア映画」の土
影し続けた写真家M.ペンソンの写真がイメージとして多
の一端を掘り下げた映画だと言える。ラストシーンで車椅
俵に立つにはまだ時間がかかるのかもしれない。
数挿入されている。
子に腰かけたまま力尽きた老イスカンダル。その手から落
劇場公開、テレビ放映、DVD販売。
『E. T.』…… ① E. T. The Extra-Terrestrial
、②スティーヴ
ン・スピルバーグ、③一九八二年、④アメリカ、⑤英語、⑥
映画リスト
ケントはパンの町』(十代の本セレクション)理論社。
ネ ヴ ェ ー ロ フ、 A.(一 九 八 五) 大 橋 千 明・ 大 橋 篤 子 訳『タ シ
六六―三七〇頁。
講座――大地と人間の物語 五 中央アジア』朝倉書店、三
映像文化」帯谷知可・北川誠一・相馬秀廣編『朝倉世界地理
井上徹(二〇一二)
「映画――中央アジアとコーカサスの映画・
ズレター』第七五号、二―五頁。
井上徹(二〇〇七)「ウズベキスタン映画小史」『NFCニュー
明石書店、一三五―一四〇頁。
と製作現場」宇山智彦編『中央アジアを知るための六〇章』
井 上 徹(二 〇 〇 三)「中 央 ア ジ ア 映 画 の 活 力 ―― 新 し い 名 作 群
◉参考文献
ちたのはソ連知識人必携のロシア語雑誌『新世界』、そし
てそのページの間からこぼれ出たのはパランジをまとった
三人の妻に囲まれた若き日のイスカンダルの写真だった。
一九九九年キノショック映画祭 (黒海沿岸のアナパで開
催される旧ソ連諸国による映画祭。当初はショッキングムー
ビー=体制批判映画が中心だった)でグランプリを受賞し
ている。
ウズベキスタン映画のゆくすえ
独立から二二年目を迎えようとするウズベキスタンの最
近の映画事情はといえば、あまり芳しいとはいえないのが
実情である。ここで私が強調したようなかつてのソ連の影
響は今後ますます小さくなっていくのだろうが、一般大衆
はいわゆるボリウッド映画のようなメロドラマ的娯楽映像
作品のほうに大きな関心があり、本格的な芸術映画にはほ
とんど国内市場もなく、資金調達も困難なようである。著
名監督ももっぱら海外との協力のもとに映画制作を続けて
384
385 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
〔ア ブ ド ラ ジ ャ ン
посвящаетсяСтивенуСпилберг
у
―― あ る い は ス テ ィ ー ヴ ン・ ス ピ ル バ ー グ に 捧 ぐ〕
、②ズリ
ター助教授のち准教授(四二歳)。
二歳)、同助教授(三六歳)、京都大学地域研究統合情報セン
二年)、国立民族学博物館地域研究企画交流センター助手(三
ズベキスタン共和国日本国大使館専門調査員(三〇歳、任期
⑥ 職 歴 …… 東 京 大 学 教 養 学 部 助 手(二 七 歳、 任 期 三 年)、 在 ウ
フィカール・ムサコフ、③一九九二年、④ウズベキスタン、
『U F O 少 年 ア ブ ド ラ ジ ャ ン』…… ① Абдулладжан, или
⑤ロシア語(映画タイトルおよびナレーション)
、ウズベク語
使 館 専 門 調 査 員)、 ウ ズ ベ キ ス タ ン(三 五 歳、 八 か 月、 文 部
⑦現地滞在経験……ウズベキスタン(三〇歳、二年、日本国大
ディードの肖像』(東京大学出版会、一九九六年)。
⑪ 推 薦 図 書 …… 小 松 久 男『革 命 の 中 央 ア ジ ア ―― あ る ジ ャ
人的には歴史研究を現在研究につなげるきっかけでもあった。
フ ィ ー ル ド 調 査 を 含 む 本 格 的 な 地 域 研 究 が 可 能 に な っ た。 個
な る と 同 時 に、 現 地 へ の ア ク セ ス が 飛 躍 的 に 容 易 と な り、
治・経済・社会的大変動が生じ、その変動自体が研究対象と
⑩研究上の画期……一九九一年のソ連解体。研究対象地域に政
ア史研究会、日本中東学会、アジア歴史地理情報学会。
⑨所属学会……日本中央アジア学会、内陸アジア史学会、ロシ
代の記憶に関するインタビュー調査も行っている。
知ることが間接的に研究に生きてくる。最近は、社会主義時
常に重要だからということもあるが、現地の社会的雰囲気を
をするように心がけている。現地では何事によらず人脈が非
な限り幅広くさまざまな人々の話を聞き、諸々のお付き合い
が最も重要であるが、自分の研究に直接関係がなくても可能
⑧研究手法……現地にしか存在しないアーカイヴ資料等の利用
科学省派遣在外研究員、調査)。
ズベキスタン映画祭(二〇〇七)、劇場公開、DVD販売。
、②ユスプ・ラジコフ、③一九九九年、④ウ
Voiz
(映画中の主たる会話)
、⑥中央アジア映画祭(一九九四)
、ウ
『演説者』
…… ①
ズベキスタン、⑤ウズベク語、ロシア語、⑥ウズベキスタン映
画祭二〇〇二(二〇〇二)
、ウズベキスタン映画祭(二〇〇七)
。
『タシケントはパンの町』……① Ташкент—городхлебны、
й
②シュフラト・アバーソフ、③一九六八年、④ソ連、⑤ロシ
ア 語、 ⑥ ソ ビ エ ト・ シ ネ マ・ フ ェ ス テ ィ バ ル(一 九 八 三)、
ウズベキスタン映画祭(二〇〇七)。
『パランジ』……① Парандж、
а②マリク・カユモフ、③一九七
七年、④ソ連(ウズベキスタン)、⑤ロシア語、⑥未公開。
著者紹介
①氏名……帯谷知可(おびや・ちか)。
②所属・職名……京都大学地域研究統合情報センター・准教授。
③生年・出身地……一九六三年、神奈川県。
④専門分野・地域……中央アジア(特にウズベキスタン)近現
代史・地域研究。
フィカール・ムサコフ監督、一九九二年、ウズベキスタン)
。
⑫ 推 薦 す る 映 画 作 品 ……『U F O 少 年 ア ブ ド ラ ジ ャ ン』(ズ リ
六 〇 一 万 人)で あ る。 民 族 構 成 は、 カ ザ フ 人 が 六 三・ 一
パ ー セ ン ト、 ロ シ ア 人 が 二 三・ 七 パ ー セ ン ト を 占 め る
( Agenstvo 2010: )
。カザフ人はテュルク系のカザフ語を
10
主に話すが、ロシア語の方が流暢な人も多い。カザフ人の
多くはスンナ派のイスラーム教徒である。政治的には、一
九九一年のソ連崩壊に伴う独立を経て、大統領の権威主義
体制が続いている。主要な産業としては、牧畜と穀物生産
のほか、天然資源開発が重要な位置を占め、日本企業も関
わって石油やレアアースの資源開発が進む。首都はアスタ
ナ、最大の都市はアルマトゥである。これらの基礎知識を
ふ ま え、 独 立 か ら 二 〇 年 を 経 て 揺 れ 動 く カ ザ フ ス タ ン の
*
人々の暮らしをより深く知るため、映画の世界へと入って
いこう。
に遊牧民が行き交った地域である。基礎的な知識を前もっ
は、国土の大半を見渡す限りの草原や沙漠が覆い、歴史的
び込んでくる……。この映画の舞台となったカザフスタン
夫がすばやく群れを統御する生き生きとした情景が目に飛
上げて走るヒツジの群れがこちらに迫り、ウマに乗った牧
音で幕を開ける。画面がほの明るくなっていくと、砂煙を
向き合うなかで撮影された。その筋書きを追いつつ、現代
と俳優が実際に村落部に暮らし、ステップの厳しい自然と
を、ユーモアをこめて描き出す。カザフスタン出身の監督
どったのちに牧畜経営に苦心しながら暮らす人々の生活
ら カ ザ フ ス タ ン が 市 場 経 済 に 移 行 し、 民 営 化 の 過 程 を た
前述の『トルパン』は、ソビエト時代の社会主義体制か
兵役を終えた若者アスハットは、水兵の恰好のまま姉夫
のカザフ社会に注がれる視線を見ていきたい。
ロ)と広大なのに対し、人口は日本の約一〇分の一 (約一
386
387 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
⑤学歴……東京外国語大学外国語学部ロシヤ語学科、東京大学
藤本透子
大学院総合文化研究科(地域文化研究専攻)修士課程、同博
――カザフ社会の内外から伝統と
現代を問う
て述べておくと、面積は日本の約七倍 (約二七三万平方キ
広大なステップに生きる家族と家畜たち
1
士課程(中退)。
交錯する視点
映画『トルパン』は、家畜の鳴き声とどどーっと響く足
【カザフスタン】
婦の暮らすステップの村へとやって来る。村といっても、
失敗を繰り返しつつ牧夫を夢見るアスハットの傍らで、
を見つめる映画の透徹した眼ざしから何を読みとるかは観
めるが、生活は厳しいことが映像から伝わってくる。現実
甥っ子が唯一のメディアであるラジオにかじりつき、大統
一人前の牧夫になりたいアスハットは、お嫁さんをもら
客にゆだねられるが、政治の現状への静かな批判をここに
かつての遊牧生活に似て、見渡す限りの平原に天幕がぽつ
おうと思い立つ。牧畜は、男女が手分けして働くことでは
感 じ る。 さ ら に、 批 判 に と ど ま ら ず、 映 画 は ひ た む き な
領の国民へのメッセージ「二〇三〇年のカザフスタン」の
じめて成り立つからだ。彼は姉婿とともに、荒れた草原の
人々の多様な姿を映し出す。貧しい暮らしの中で、姪っ子
んとあるに過ぎない。毎日ヒツジを放牧する暮らしが始ま
先にある一軒の定住家屋へと出かけて行く。カザフスタン
は暇さえあれば声を張り上げてカザフ語の歌を歌い続け
一句一句を父親に暗記して聞かせる。多方面にわたる政策
の草原には春になると野生のチューリップが花開くが、ア
る。一番末の幼い男の子は、木の棒をウマに見立ててまた
を語り、二〇三〇年にはカザフスタンは豊かな国になって
スハットが憧れる少女の名はトルパン (チューリップ)と
がり、ドゥクドゥクッ、ドゥクドゥクッ、とウマの蹄の音
る。よく働けばヒツジの群を分けてやる、と姉婿は言う。
いう。しかし、この可憐な名の少女は、恥ずかしそうに隣
を口真似しながら遊び、天幕の破れ目から出入りする。こ
家畜の世話に慣れない若者は失敗ばかり。ステップの大自
の部屋のドアの陰にいるばかりで、姿を現してくれない。
いることを謳う内容である。父親はその暗唱ぶりに頬を緩
アスハットは、海軍での兵役の手柄話をする。巨大なタコ
の伝統的遊びに夢中になりながら、男の子は叔父にあたる
然は過酷で、強風が吹きすさび竜巻が立つ。
に船が襲われていかに戦ったか。……草原で聞くタコの怪
アスハットに、「アルマトゥに行くの
」とことあるごと
談はいかにも奇妙だ。努力にもかかわらず、大きな耳が嫌
やがて季節は冬から春へと向かう。ヒツジの出産シーズ
に熱心に尋ねる。都会への漠然とした憧れ。村落部で職が
る。
「入ってもいいかい?」、体当たりしてドアをこじあけ
は生まれて初めてヒツジの出産に立ち会う。生まれおちた
得られないため都市へと移住する若者は多い。
倒れこむと、そこにいたのは一頭のヤギ! 呆然とするう
ち少女の母親に見つかり、ドアを壊したと怒鳴られて出入
仔ヒツジは、なかなか息をしてくれない。思わず口をつけ
われてお見合いは断られる。あきらめきれずに再び家を訪
り禁止になってしまう……。
いサムライ」という日米合作映画のロシア語・カザフ語吹
ね、小屋の中に物音を察して少女だと思って話しかけ続け
て 人 工 呼 吸 す る と、 仔 ヒ ツ ジ は よ う や く か 弱 い 声 を 上 げ
替え版など、多くの外国映画が放送された。
しが自分のまわりで今まさに展開しているかのような感覚
受賞した本作品は、リアリズムに満ち、草原の家族の暮ら
視点部門グランプリ、東京国際映画祭で最高賞と監督賞を
きたいというメッセージが伝わる。カンヌ国際映画祭ある
し、ウマやラクダに乗っての季節移動など、やや美しく修
の美しい娘をめぐる二人の若者の争いを描く。天幕の暮ら
一七世紀頃の叙事詩をモチーフに、ジベク (絹)という名
が懐かしく見入っていた。例えば、『クズ・ジベク』は、
タン映画もしばしばテレビ放送され、中年から年配の人々
それらに混じって、ソビエト時代に制作されたカザフス
ンが到来したのに、死産が続く。そのなかで、アスハット
る。仔ヒツジを抱き上げるアスハットのほっとした笑顔。
におそわれる。カザフスタンの圧倒的な自然と、そこに生
飾され過ぎているとはいえ、近代化以前の裕福なカザフ遊
都会に憧れるのではなく、困難でもここにある暮らしを生
きる人々にとっての伝統と現代のありようを静かに鋭く描
牧民の暮らしを生き生きと伝えている。
また、調査地であったパヴロダル州バヤナウル地区は、
いた作品である。
祭では、代表的な映画として『タキヤの天使』などが上映
著 名 な カ ザ フ 人 映 画 監 督 で 俳 優 の シ ャ ケ ン・ ア イ マ ノ フ
された。タキヤは円柱形をしたカザフの民族帽で、主人公
カザフスタンの村人が観る映画
い牧畜にたずさわる厳しい暮らしは変わらない。そのよう
もう若くはないこの男性の嫁探しをめぐって、その母親、
〇〇四年七月に行われたシャケン・アイマノフ生誕九〇年
な 村 で、 カ ザ フ 人 た ち は ど の よ う な 映 画 を 見 る の だ ろ う
そして若い女性の三人によるコメディーが繰り広げられ
(一 九 一 四 ― 一 九 七 〇)を 輩 出 し た 地 域 で あ っ た た め、 二
か? ソビエト時代には村まで映画フィルムが持ち込まれ
て上映されたというが、現在では都市の映画館に行かなけ
る。『クズ・ジベク』も『タキヤの天使』もソビエト時代
私が二年を過ごしたカザフ村落は、『トルパン』の舞台
ればフィルムを見る機会は少ない。村で映画に触れるの
に制作されたものの、カザフの伝統を感じさせる映画であ
より交通の便がよく、学校や商店もあるが、自然と向き合
は、主にテレビを通してである。二〇〇〇年代前半、村に
はいつもスーツにタキヤをかぶって街を歩く。映画では、
まだ残っていた白黒テレビは急速にカラーへ移行し、裕福
り、そのことがカザフスタン独立後にも上映される結果に
*
な世帯では衛星放送を受信できるアンテナも取り付けられ
結びついていると言えよう。
388
389 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
⁈
ていった。歌と踊りがにぎやかなインド映画や、「心優し
2
られていない。街の映画館でも、アメリカ映画などの外国
ン』はじめ、新しいカザフスタン映画は村人たちによく知
べ、 現 代 の カ ザ フ 社 会 を 鋭 く も 温 か く 見 つ め た『ト ル パ
ともらしく中央アジア諸国の地図が示され、カザフスタン
カザフ語には似ても似つかない造語である。しかし、もっ
事実ではない。カザフスタンの言語として話されるのは、
「売春婦」に関するナンセンス・ストーリーも、もちろん
部分はなく、「ユダヤ人を追う祭り」が行われることや、
映画が氾濫し、残念ながらカザフスタン映画が上映される
の 国 旗 が 幾 度 も 画 面 に 現 れ る。 ま た、「カ ザ フ ス タ ン 国
し か し、 人 気 が 高 い こ れ ら の ソ ビ エ ト 時 代 の 映 画 に 比
機会はあまりないのである。
アメリカ映画『ボラット――栄光ナル国家カザフスタンの
まったく異なる角度から国際的に有名になってしまった。
そうした状況下にあって、映画を通してカザフスタンは
表象されるカザフスタン
でか、カザフスタンを表象する権利は誰にあるのかなど、
笑いとともに許されるべきなのか、表現の自由とはどこま
が見合わされた。コメディーであればいかなる他者表象も
で上映されDVDも発売されたが、カザフスタンでは上映
風刺をこめて歌われる。この映画は、日本も含め世界各国
歌」と称する歌が、アメリカ国歌のメロディーに合わせて
た め の ア メ リ カ 文 化 学 習』(二 〇 〇 六)で あ る。 イ ギ リ ス
問われるべき課題は多い。
風刺するこの映画は、ゴールデングローブ賞主演男優賞を
義、女性解放運動、対テロ戦争など、アメリカ社会を鋭く
アメリカを横断する。その珍道中を描きつつ、反ユダヤ主
行動を確信犯的に繰り返しながら、憧れの女優に会おうと
ニューヨークを訪れ、行く先々で突撃インタビューや問題
という名前のカザフスタン国営放送リポーターに扮して
人々の暮らしの調和やカザフの伝統と現代を問う作品が発
域社会を切りとる。『トルパン』のように、厳しい自然と
長い歳月をかけて制作される映画は、内側からの視点で地
ることに期待したい。その土地出身の監督や俳優によって
が上映される機会はまだごく限られる。上映が徐々に増え
レビ番組が作成されるようになったが、カザフスタン映画
日本では、カザフスタンでの取材に基づきさまざまなテ
*
人コメディアンのサシャ・バロン・コーエンは、ボラット
受賞した一方で、アメリカで数々の訴訟問題を引き起こし
ред. А. А. Смаил
о
ва. Астан
а: Аген
ствоРе
спублики Каз
а
直面し、未来へ向けて問い続けていることだからである。
表されているのは、それらがまさにカザフスタンの人々が
カザフスタンに関して言えば、本作品に描かれるカザフ
た。
スタンはほとんど架空である。カザフスタンで撮影された
◉注
хстанпостатистике.
映画リスト
*1 本
論は、平成二二〜二三年度科学研究費補助金研究活動
スタート支援「中央アジアの越境空間における宗教復興の新
たな展開」
(代表:藤本透子)による調査と民博共同研究「映
『アククズ』……①
、②シャケン・アイマ
Takiyalï pershite
ノフ、③一九六八年、④カザフスタン、⑤カザフ語、ロシア
『タキヤの天使』……①
、②サビット・クルマンベコフ、③二〇
Seker
〇九年、④カザフスタン、⑤カザフ語、⑥未公開。
『セケル』……①
ア語、⑥未公開。
、 ② ス ル タ ン・ ア フ メ ト・ ホ
Qïz Jíbek
ジコフ、③一九七〇年、④カザフスタン、⑤カザフ語、ロシ
『ク ズ・ ジ ベ ク』…… ①
、②ジャナベク・ジェティル、③二〇
Aqqïz
一一年、④カザフスタン、⑤カザフ語、⑥未公開。
像資料を活用したイスラームの多様性に関する地域間比較研
究」(代表:吉本康子)の成果の一部である。
*2 中
央アジアの映画史は井上(二〇〇三)参照。特にカザフ
スタンでは、ソビエト時代末から「カザフ・ニューウェイブ」
と呼ばれる新たな作品群が登場した(井上 二〇〇三:一三六)
。
*3 ア
メリカでは、カザフスタン映画の上映も地道に行われ
ている。二〇一二年一一月には「ステップの花々:カザフス
タン映画フェスティバル」がボストンとワシントンで開催さ
語、⑥未公開。
れ、民間治療者の助言で男の子として育てられた少女の物語
『セ ケ ル』、 遊 牧 社 会 の 歴 史 を 背 景 と し た『花 嫁』、 ス テ ッ プ
『ダッシュ』……①
、②カナガット・ムスタフィン、③二
Ryvok
〇一〇年、④カザフスタン、⑤ロシア語、⑥未公開。
に 暮 ら す 少 女 を 描 く『ア ク ク ズ』、 都 市 に 暮 ら す 女 性 を 描 い
た『天使への手紙』、バスケットボール選手が主人公の『ダッ
、 ② エ ル メ ク・ シ ナ ル
Pisma k Angelu
バエフ、③二〇〇九年、④カザフスタン、⑤ロシア語、⑥未
『天 使 へ の 手 紙』…… ①
『トルパン』……① Tulpan
、②セルゲイ・ドヴォルツェヴォイ、
③二〇〇八年、④カザフスタン、ドイツ、スイス、ロシア、
公開。
ポーランド、⑤カザフ語、ロシア語、⑥東京国際映画祭(二
シュ』などが上映されたと聞く( http://www.mfa.org/programs/
)。
series/flowers-steppe-festival-kazakh-cinema
井 上 徹(二 〇 〇 三)「中 央 ア ジ ア 映 画 の 活 力 ―― 新 し い 名 作 群
〇〇八)、みんぱくワールドシネマ(二〇一〇)。
◉参考文献
と 制 作 現 場」 宇 山 智 彦 編 著『中 央 ア ジ ア を 知 る た め の 六 〇
『ボラット――栄光ナル国家カザフスタンのためのアメリカ文化
、 ② エ ル メ ク・ ト ゥ ル ス ノ フ、 ③ 二 〇 〇 九
Kelín
年、④カザフスタン、⑤なし、⑥未公開。
『花 嫁』…… ①
章』平凡社、一三五―一三九頁。
Agenstvo Respubliki Kazakhstan po statistike(Аген
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сп
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ахстан 2009 год
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390
391 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
3
立と、二〇〇一年のアメリカ同時多発テロ。前者によって、外
国人によるカザフスタンでの人類学調査が可能となった。ま
イスラームについて、日常生活に根差した視点からより深く知
学習』……① Borat
、②ラリー・チャールズ、③二〇〇六年、
④アメリカ、⑤英語、⑥DVD販売。
り説明できるようにならなければと考えるようになった。
た、後者をきっかけとして、カザフスタンを含め中央アジアの
著者紹介
』、 セ ル ゲ
Tulpan
イ・ドヴォルツェヴォイ監督、二〇〇八年、カザフスタン)。
⑫ 推 薦 す る 映 画 作 品 ……『ト ル パ ン』(原 題『
アジア論』(日本評論社、二〇〇四年)。
⑪推薦図書……岩崎一郎・宇山智彦・小松久男編著『現代中央
①氏名……藤本透子(ふじもと・とうこ)。
②所属・職名……国立民族学博物館民族文化研究部・助教。
③生年・出身地……一九七五年、宮城県生まれ、秋田県育ち。
④専門分野・地域……文化人類学、中央アジア地域研究。
院 人 間・ 環 境 学 研 究 科 修 士 課 程(文 化・ 地 域 環 境 学 専 攻)、
⑤学歴……京都大学文学部史学科東洋史学専攻、京都大学大学
京都大学大学院人間・環境学研究科博士課程(環境相関研究
専攻)、人間・環境学博士(二〇一〇年)。
⑥職歴……日本学術振興会特別研究員、京都大学大学院人間・
環 境 学 研 究 科 研 修 員、 国 立 民 族 学 博 物 館 先 端 人 類 科 学 研 究
部・機関研究員を経て現職。
一九九九年~二〇〇〇年、二〇〇三年~二〇〇五年にカザフ
⑦現地滞在経験……カザフスタン(一九九八年に初めて訪れ、
スタン教育科学省管轄R.B.スレイメノフ東洋学研究所に
外国人研究生・研究員として留学。滞在年数は延べ約四年)。
人の世帯に、カザフスタン北部の村落ではカザフ語話者の世
⑧研究手法……多民族都市アルマトゥではロシア語話者カザフ
帯にお世話になり、日々の暮らしを学びながら社会・文化に
ついて考えてきた。
中東学会、アメリカ人類学会、中央ユーラシア学会。
⑨所属学会……日本文化人類学会、日本中央アジア学会、日本
⑩ 研 究 上 の 画 期 …… 一九九一年のソ連崩壊・中央アジア諸国独
は、日本の映画ファンにも強い印象を与えた。
ソ連崩壊と内戦
タジキスタン共和国 (以下、「タジキスタン」)は、一九
九一年九月に共和国独立を宣言、一二月のソ連崩壊に伴っ
て独立国として国際社会に認められた若い国である。先に
挙げた『少年、機関車に乗る』は一九九一年の制作で、実
質的にはソ連の体制下で作られた映画だ。ソ連は国策とし
て映画制作にも力を入れており、人材も資金も (そしてノ
しかし、旧ソ連諸国の中で最貧国のタジキスタンには、
ルマも)備わっていた。
*
初 め て 紹 介 さ れ た の は、 そ ん な 映 画 だ っ た。 バ フ テ ィ ヤ
「ソ連映画」ではなく「タジキスタン映画」として日本に
奇妙なクセを持つ愛らしい少年と、その少年を見守る兄。
悠然と追い抜いてゆく野生の馬の群れ。土を食べるという
ノクロの景色の中、たてがみを風に躍らせながら機関車を
中央アジアの平原を疾走する機関車。車窓から見えるモ
中だった映画の多くが仕上げられず、また、映画監督や俳
報道された。このような状況下で、一九九一年当時制作途
究者の一人、秋野豊氏が凶弾に倒れたことは日本で大きく
KOの政務官として現地に赴いた中央アジアの若手有力研
た。一九九七年に停戦合意に至ったが、その翌年、国連P
年五月にはそれが武力衝突、そして内戦へと発展していっ
権の掌握をめぐって国内に大きな対立が起こり、一九九二
392
393 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
ソ連時代に行われていた文化政策を引き継ぐような資金は
当然ながらなく、しかもタジキスタンは間もなく内戦に突
ル・フドイナザーロフ監督の『少年、機関車に乗る』であ
優たちがタジキスタン国内で引き続き活躍することは困難
入する。独立後ほどなくして国家建設の方向性と政権・利
2
る。マンハイム映画祭やトリノ映画祭でのグランプリ獲得
岡田晃枝
となってしまった。たとえばジャムシェド・ウスモノフ監
*
ロシアへの複雑な思い
1
のほか、有名な国際映画祭で数々の賞を受賞したこの映画
【タジキスタン】
一部隊」への謝辞が明記されている。夜間の砲撃など、い
『コシュ・バ・コシュ』のクレジットには、「ロシア二〇
ロシアとロシア人――屈折する思い
画を学んだ韓国のミン・ビョンフン監督とともに一九九八
くつかのシーンは実際の戦闘を撮ったものではなく、展開
督の短編映画『井戸』がそうだ。彼がモスクワでともに映
年に制作した『蜂の飛行』が世界で認められ、それによっ
中の軍に協力して再現してもらったものだという。内戦勃
*
て得られた資金で二〇〇〇年にようやく完成した。ウスモ
*
、『天国へ
ノフ監督は、その後、
『右肩の天使』(二〇〇二)
発時にドゥシャンベに展開していた同師団は、内戦におい
背景にしながらも、この映画の中心人物たちは戦闘には参
ら「非常事態」を印象づける。しだいに激しくなる内戦を
た銃声や、川を流れてくる迷彩服を着た死体は、のっけか
シャンベで博打に興じる男たち。バックにこだまする乾い
ロ ー プ ウ ェ イ に 乗 っ て』 を 制 作 し た。 荒 廃 し た 首 都 ド ゥ
ロフ監督は、内戦のさなかに『コシュ・バ・コシュ:恋は
数々を生み出す。
『少年、機関車に乗る』のフドイナザー
ロシアとの関係はプラスの意味でもマイナスの意味でも非
力を得ざるをえない。小さな中央アジアの国々にとって、
キスタンは、首都の警備も含め、ロシアからの軍事的な協
自前の軍だけでその国境を守るのは不可能であった。タジ
には、「ソ連軍」を引き継いだ「ロシア軍」を撤退させて
く経済的にも困窮し、さらに内戦で疲弊したタジキスタン
りにくい険しい山地がその大半を占めており、人口も少な
はその国境を「ソ連軍」が守っていた。軍事的に非常に守
アフガニスタンと非常に長い国境を接しており、ソ連時代
*
行 く に は ま ず 死 す べ し』(二 〇 〇 六)と 秀 作 を 快 調 に 世 に
て平和創設、平和維持の役割を果たした。タジキスタンは
加していない市民であり、主題はロープウェイの操縦士と
常に重要である。
ガナ盆地に幻想的なセットを組みあげて壮大なスケールで
ドイナザーロフ監督は、内戦終結後の一九九九年にフェル
央アジアに関心を示す中国、米国、トルコ、イラン等の大
ン大統領の「近い外国」政策、そしてロシアに代わって中
ソ連崩壊直後は、そのような状況と、ロシアのエリツィ
7
ともあり、欧米もロシアもタジキスタンを見捨てることは
にアフガニスタンからの麻薬流出の最大のルートであるこ
交の主体性にも注目した見方が一般的になってきた。とく
まく援助を引きだしている、つまり中央アジアの国々の外
現在では、小国の側が複数の大国の関心を天秤にかけてう
公的サービスやインフラを共有し、頻繁に行き来してきた
ウズベキスタンとの国境の村が舞台で、病院や学校などの
ら監督を務める初めての長編映画となる。ソ連崩壊前後の
に関わるなどしてきたノシール・サイードフで、これが自
は、フドイナザーロフ監督のもとで助監督として映画作り
る。『トゥルー・ヌーン』である。この映画を監督したの
嫁 ぐ 日 を 目 前 に し て い た。 し か し 国 境 に は 鉄 条 網 が 施 さ
二つの村、「上」サフェド村と「下」サフェド村の間に、
れ、 そ れ を 破 っ て 行 き 来 し よ う と す る 村 人 を 止 め る た め
想定できない。今後のアフガニスタン情勢の変化、とくに
ここでまた映画にもどろう。『コシュ・バ・コシュ』の
に、軍は地雷まで持ち出した。ここでニルファを支え、彼
米軍の撤退による地域全体の治安の悪化の可能性をタジキ
主人公ミラは、母の住むモスクワから父の住むドゥシャン
女が無事に嫁げるように手助けしたのは、彼女が働く気象
村人たちが状況を把握できないままに国境が設けられてし
ベに久しぶりに帰ってきた女性である。この先進的な教育
観測所に駐在しているロシア人キリルであった。
スタンがどのように外交カードとして利用してゆくかが注
を 受 け て フ ァ ッ シ ョ ン も 髪 型 も 洗 練 さ れ た「モ ス ク ワ 帰
まう。「上」村に住むニルファは、「下」村に住むアジズに
り」の娘が父親が博打で作った借金のかたに取られそうに
『コシュ・バ・コシュ』のミラに対するドゥシャンベの
もいる。しかしもう一方で、たとえばニルファの父親は、
なるところからドラマははじまる。当然、娘を自分のモノ
ロバや馬が主な交通手段である村の中でバイクを持ってい
人々と同じく、『トゥルー・ヌーン』の中にはキリルのも
キスタン社会で生まれ育ってきたため、愛しているにもか
ることが自慢でありながら、ごく初歩的な修理もできず、
として扱うような非道な仕打ちにミラは激怒し、父親に強
かわらず、彼女の気持ちを受け止めて理解することができ
とで働くニルファを「ロシアかぶれ」などと評して奇人扱
な い。 憧 れ、 惹 か れ、 手 を 伸 ば す け れ ど 別 世 界。 そ れ が
調子が悪くなったらキリルに頼んで直してもらうなど、村
いする人もいる。キリルをあからさまによそ者扱いする人
ドゥシャンベから見たモスクワだと言ってよいであろう。
人 た ち は 技 術 的 な (鉄 条 網 を 切 る と い っ た も の も 含 め て)
一方の主人公)は、非常に強い家父長制と男尊女卑のタジ
もう一つロシア人が非常に重要な役割を果たす映画があ
く反発する。彼女に強く惹かれる地元の青年ダレル (もう
目される。
して勢力圏争いを繰り広げているイメージである。しかし
表現が頻繁に使われた。つまり、大国が中央アジアを場と
*
制作した『ルナ・パパ』で世界的に有名になった。ロシア
国の思惑を指すのに、「新しいグレートゲーム」のような
*
モスクワ帰りの洗練された女性のラブロマンスである。フ
しかし、少数の映画人たちは努力を続け、珠玉の映画の
送り出している。
4
やヨーロッパを拠点として、その後も活躍している。
6
394
395 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
5
3
げて行った人々の中には、もとの家に戻って家族と幸せな
重国籍条項を備えた条約を結ぼうとした。ロシアに引き揚
あった。ロシア人に対する村人たちの屈折した気持ちがそ
余生を過ごした人もいれば、ロシアの中に居場所を見つけ
困りごとはすべてキリルに解決してもらっている状況で
こに表れている。なお、この映画の中のキリルは、地雷探
られず、Uターンせざるをえない人々もいた。
入って来ない外から閉ざされた村。ロシアから来たたった
の 斜 面 に 貼 り つ く よ う に 存 在 し、 ラ ジ オ の 電 波 も 満 足 に
ミュニティの人々の関係に思いをはせるのも面白いのでは
と し て、 ロ シ ア と の 関 係、 残 留 ロ シ ア 人 と ロ ー カ ル な コ
まって右往左往する人々のドラマであるが、キリルをキー
『ト ゥ ル ー・ ヌ ー ン』 は、 あ る 日 突 然 国 境 が で き て し
知機を手近にある材料だけで一晩で作ってしまうような
一人の技術者に頼らなければ文明的な機械を使いこなせな
ないだろうか。
スーパーマンとして描かれているのが興味深い。急こう配
い、そんな村。もしキリルがいなくなったらこの村はどう
なってしまうのだろう。
た。ソ連が崩壊したあと、派遣されていた技術者等の専門
駐在が長くなり、そのまま家族を呼んで定住する者もあっ
国に駐在していたロシア人は非常にたくさんいた。中には
師といった専門的知識を持った者として派遣され、各共和
本人にとってなじみのない国の映画に触れる機会ができる
担っており、そこでタジキスタンをはじめとする一般の日
メックスなどがアジアの映画を掘り起こす役割を積極的に
く 評 価 さ れ た も の が い く つ も あ る。 日 本 で も 東 京 フ ィ ル
タジキスタンの映画は少ないながらも、国際的な場で高
独立の光と影
家の多くはロシアに引き揚げて行ったが、中にはさまざま
ことは、作った側にとっても、そして我々日本にとっても
ソ連時代、キリルのようにロシアから技術者や医者、教
な事情で帰国できないロシア人やロシア人家族も多かっ
よいことであろう。
いた人には希望すればロシアの国籍を与えるという政策を
そのような人道的危機に、ロシアは、ソ連の国籍を持って
条件を満たせず、無国籍者が大量に出る可能性が生じた。
一%を失ってようやく内戦が終結し、もう一度新しい国づ
時 代 を 期 待 し た 市 民 は 裏 切 ら れ る こ と に な っ た。 人 口 の
て新しい国を作ろうとしたところで内戦が勃発し、新しい
い国として国際社会に放り出されたタジキスタン。独立し
ソ連崩壊で他の豊かな地域から切り離され、非常に貧し
た。バルト三国に代表されるように、独立した新しい共和
取って対処し、また、可能なかぎり多くの旧ソ連諸国と二
国の政策によっては、彼らは居住国の国籍をもらうための
くりを始めて一五年が経った。いったんは反体制派を含め
*6 二
〇一二年一〇月にロシアのプーチン大統領がタジキス
タンを訪れ、両国は、ロシア軍の駐留を二〇四二年まで延長
面も指摘されている。
*5 一
方 で、 同 師 団 は じ め、 タ ジ キ ス タ ン 国 内 に 駐 留 中 で
あったロシア軍からの武器の流出が内戦を激化させたという
フレットより。
*4『コシュ・バ・コシュ:恋はロープウェイに乗って』パン
陸軍の軍事基地となっている。
に対し、九三五ドルである( The World Bank 2012
)。
*3 正
式名称は第二〇一自動車化狙撃師団。現在は第二〇一
軍事基地(師団級)として、タジキスタンに駐留するロシア
た民主的な政府・議会を作ったにもかかわらず、近年目に
見えてラフモン大統領の出身地域の人々による地位の独占
が増えてきている。内戦後しばらくの「民主的」傾向は政
府によるカモフラージュだったという人たちもいる。今年
の終戦記念日の新聞のうちいくつかは、「あの停戦合意は
いったい何だったのか」という観点からの特集を組んでい
る。 独 裁 者 を 強 烈 に 風 刺 し た ア メ リ カ の コ メ デ ィ、 サ
シ ャ・ コ ー エ ン の『デ ィ ク テ ー タ ー: 身 元 不 明 で ニ ュ ー
す る こ と で 合 意 し た( Eremenko 2012
)。 ま た、 経 済 的 な 面
では、新しいところではタジキスタンの軍装備・技術の近代
ヨーク』がタジキスタンでも上映禁止となった。映画に描
かれているような純朴で不器用なタジキスタンの人々が、
化のために二億ドルがロシアから援助されるという報道も
あった (Карабековит.д 2012)
。
◉参考文献
るからロシアはそこでの国益を積極的に擁護するとした。
*7 ロ
シア以外の旧ソ連の国々を「近い外国」と呼んで他の
「外 国」 と 区 別 し、 ロ シ ア に と っ て 死 活 的 に 重 要 な 地 域 で あ
その後のタジキスタンでどのような生活を送ることになる
のかが気にかかる。
◉注
*1「中央アジア」の定義は一様でなく、ロシアの南部からモ
ンゴル全土、中国の新疆ウイグル自治区、インド北部までの
広大な地域を指すこともある。本稿では代表的な定義である
旧ソ連の中の五か国、つまり、ウズベキスタン、カザフスタ
ン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンを指す言葉
Карабеков, Кабай, Елена Черненко, ИванСафронов, и
( 2012
) Russia Keeps Tajik Base, Risking
Eremenko, Alexey
. RIA Novosti
( October)5 . http://en.rian.ru/
Taliban Face-Off
(二〇一二年一二月一三日)
。
world/20121005/176424262.html
вооружатро
с
сийскимиден
ьгами. Коммерс
антъ
(6 ноября)
.
として用いる。
*2 タ
ジキスタンは、旧ソ連の中で最貧国である。世界銀行
の二〇一一年のデータによれば、一人当たりGDPは、同じ
Сергей Строкань
(2012)
Киргизию и Таджикистан
く旧ソ連最貧国グループのキルギスが一〇七五ドルであるの
396
397 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
(二 〇 一 二 年 一 二
http://www.kommersant.ru/doc/2060903
月一三日)。
( 2012
) World Development Indicators. http://
The World Bank
(二〇一二年一二月一三日)。
data.worldbank.org/indicator/
映画リスト
『井 戸』…… ① The Well
、 ② ジ ャ ム シ ェ ド・ ウ ス モ ノ フ、 ③ 二
〇〇〇年、④タジキスタン、⑤タジク語、⑥東京フィルメッ
クス(二〇〇〇)。
『コ シ ュ・ バ・ コ シ ュ: 恋 は ロ ー プ ウ ェ イ に 乗 っ て』…… ①
、 ② バ フ テ ィ ヤ ル・ フ ド イ ナ
Кошба Ко/
ш Kosh ba Kosh
ザ ー ロ フ、 ③ 一 九 九 三 年、 ④ タ ジ キ ス タ ン、 ロ シ ア、 ス イ
ス、ドイツ、日本、⑤タジク語、ロシア語、⑥劇場公開(一
九九四)、ビデオ販売。
The
『少年、機関車に乗る』
……① Брата
〔
н弟〕、②バフティヤル・
フドイナザーロフ、③一九九一年、④タジキスタン(ソ連)、
⑤ロシア語、⑥劇場公開(一九九三)、ビデオ販売。
『デ ィ ク テ ー タ ー 身 元 不 明 で ニ ュ ー ヨ ー ク』…… ①
、 ② ラ リ ー・ チ ャ ー ル ズ、 ③ 二 〇 一 二 年、 ④ ア メ リ
Dictator
カ、⑤英語、⑥劇場公開(二〇一二)。
ル・サイードフ、③二〇〇九年、④タジキスタン、⑤タジク
語、 ⑥ N H K ア ジ ア・ フ ィ ル ム・ フ ェ ス テ ィ バ ル(二 〇 〇
九)、アジアフォーカス・福岡国際映画祭(二〇一〇)。
/ The Flight of the Bee
、
Parvozi zanbur
②ジャムシェド・ウスモノフ、ミン・ビョンフン、③一九九
『蜂 の 飛 行』…… ①
Angel on the
八 年、 ④ タ ジ キ ス タ ン、 韓 国、 ⑤ タ ジ ク 語、 ⑥ 東 京 フ ィ ル
メックス(二〇〇〇)。
『右肩の天使』……① Фариштаикитфирос
/
т
、 ② ジ ャ ム シ ェ ド・ ウ ス モ ノ フ、 ③ 二 〇 〇 二 年、 ④ タ
Right
ジ キ ス タ ン、 ⑤ タ ジ ク 語、 ⑥ 東 京 フ ィ ル メ ッ ク ス(二 〇 〇
二)。
『ルナ・パパ』……① Лунный Пап
/
、②バフティ
а Luna Papa
ヤル・フドイナザーロフ、③一九九九年、④ドイツ、オース
トリア、日本、ロシア、フランス、スウェーデン、タジキス
タン、ウズベキスタン、⑤ロシア語、⑥東京国際映画祭(一
九九九)、劇場公開(二〇〇〇)、DVD販売。
著者紹介
①氏名……岡田晃枝(おかだ・てるえ)。
②所属・職名……東京大学教養学部・特任准教授。
③生年・出身地……広島県。
④専門分野・地域……国際政治、旧ソ連地域。
⑤学歴……東京外国語大学ロシヤ・東欧語学科、東京大学大学
『天 国 へ 行 く に は ま ず 死 す べ し』…… ① Биҳиштфақатбарои
/
、②
мурдаго
н To Get to Heaven, First You Have to Die
ジ ャ ム シ ェ ド・ ウ ス モ ノ フ、 ③ 二 〇 〇 六 年、 ④ タ ジ キ ス タ
院総合文化研究科・修士課程(国際社会科学専攻国際関係論
社会科学専攻国際関係論コース)。
コ ー ス)、 東 京 大 学 大 学 院 総 合 文 化 研 究 科・ 博 士 課 程(国 際
、②ノシー
True Noon
ン、フランス、⑤ロシア語、タジク語、⑥東京フィルメック
/
Qiyami roz
ス(二〇〇六)。
『トゥルー・ヌーン』……①
プログラム・助手、東京大学教養学部・特任講師、東京大学
⑥職歴……東京大学大学院総合文化研究科「人間の安全保障」
教養学部・特任准教授。
⑦現地滞在経験……ウズベキスタン(現地調査、三か月)。
で出版されている研究書や資料の購入が現地滞在時の主な活
⑧研究手法……政策決定者や外務官僚へのインタビューと現地
動である。
会。
⑨所属学会……日本国際政治学会、国際法学会、ロシア東欧学
選 挙 監 視 団(ウ ズ ベ キ ス タ ン 政 府 招 聘) の 一 員 と し て 参 加
すべきところであったろう。高野さんは以前、本誌の刊行
ん (現 代 ア ラ ブ 文 学 研 究 者、 二 〇 〇 四 年 六 月 没)に お 願 い
か、あるいは、もし存命であったなら畏友、故高野晶弘さ
稿の執筆も筆者ではなく、こうした新進気鋭の若手研究者
論文を書こうという大学院生も出てきている。本来なら本
版も目立って増えている。日本でもアラブ映画研究の博士
し、また現地でも俳優や作品の一覧など映画名鑑の類の出
世 界 研 究 所 な ど に は 立 派 な フ ィ ル ム・ ア ー カ イ ヴ が あ る
最近のアラブ映画研究の進展は目覚しい。パリのアラブ
長沢栄治
⑩研究上の画期……二〇〇七年のウズベキスタン大統領選挙。
し、この国で選挙制度がどのように運用されているか、市民
が(ソ連時代と違う)選挙制度をどのように理解しているか
をめぐって
――エジプト映画
『678』
革命とセクハラ
398
399 映画に見るアジアのナショナリティの揺らぎ
を目の当たりにした。移行国の民主化の測り方について考察
を深めるきっかけとなった。
⑪推薦図書……塩川伸明『民族と言語――多民族国家ソ連の興
亡Ⅰ』『国家の構築と解体――多民族国家ソ連の興亡Ⅱ』『ロ
シ ア の 連 邦 制 と 民 族 問 題 ―― 多 民 族 国 家 ソ 連 の 興 亡 Ⅲ』、 い
ず れ も 岩 波 書 店、 Ⅰ は 二 〇 〇 四 年、 Ⅱ お よ び Ⅲ は 二 〇 〇 七
年。三巻をセットで読んでほしい。
⑫推薦する映画作品……『コーカサスの虜』(原題『 Кавказский
』
、セルゲイ・ボドロフ監督、一九九六年、ロシア)。
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【エジプト】