第一章 クーデタの発生から米州機構(OAS)復帰まで

第 一 章 ク ー デ タ の 発 生か ら 米 州 機 構( OAS) 復 帰 ま で
まず 、 本 章 で は 、 2009 年 6 月 の ホ ン ジ ュ ラ ス に おけ る ク ー デ タ の 発
生 か ら 、 米 州 機 構 ( OAS) へ の 資 格 停 止 に 始 ま る 同 国 の 国 際 的 な 孤 立 、
様 々 な 国 際的 な 仲 介 の試 み 、 国内 で の 大 統領 選 挙 実 施 ・ 新 大 統領 就 任 な
ど を 経 て 、よ う や く 2011 年 6 月に 同 国が 米 州 機 構 ( OAS)へ 復 帰 す る
ま で の 動 きを 簡 潔 に 確認 し て おく こ と と する 。 1
1 . ク ー デタ の 発 生
2009 年 6 月 28 日 、中 米の 国 ホ ン ジ ュ ラ ス に お い て クー デ タ が 発 生 し 、
大 統 領 ホ セ・マ ヌ エ ル・セ ラ ヤ・ロ サ レ ス( José Manuel Zelaya Rosales)
が 国 軍 に よっ て 国 外 へ追 放 さ れた 。
セ ラ ヤ 大統 領は 2006 年 1 月 に 大 統 領 に就 任 し て 政 権 運 営 に当 た っ て
い た 。 大 農園 主 で あ る同 大 統 領は 、 当 初 はホ ン ジ ュ ラ ス の 伝 統的 な 保守
勢 力 の 利 益に 沿 う 内 外政 策 を 展開 す る も のと 見 ら れ て い た が 、2007 年頃
か ら の 石 油価 格 の 上 昇に 直 面 して 路 線 を 転換 し た 。 す な わ ち 、セ ラ ヤ大
事 態 の 経 過 に つい て 、浦 部 浩 之「 2009 年ホ ン ジ ュ ラ ス 政 変 の衝 撃 と 進
ま ぬ 米 州 関係 の 修 復 」、 拓 殖大 学 海 外 事 情 研 究 所 『海 外 事 情 』( 特 集= 中
南 米 情 勢)、Vol.59、 2011.5、 pp.38-56;小 倉 英 敬 「 ホ ン ジュ ラ ス ・ ク
ー デ タ ー と国 際 社 会 の変 化 」、青 木 書 店『 歴史 学 研 究』、No. 863、2010.2、
pp.47-55;林 和 宏「 ホ ン ジ ュ ラス・
「 ク ーデ タ ー」 ―そ の 背景 と 事 態 推
移 に 関 す る一 考 察 ― 」、ア ジ ア 経 済 研究 所『 ラ テ ン ア メリ カ・レ ポ ー ト 』、
Vol.26、 2009、 pp.33-38; 同 上 「 ホ ン ジ ュラ ス 2009 年 総 選 挙 ― 暫 定
政 権 下 で の実 施 と そ の後 の 動 向― 」、 ア ジ ア 経 済 研究 所 『 ラ テ ン ア メ リ
カ ・ レ ポ ー ト 』、 Vol.27、2010、pp.36-45; 同 上 「「 サ ンホ セ 合 意 」か ら
「 グ ア イ ムラ ス 協 議 」へ ― ホ ン ジ ュ ラ ス政 治 危 機 を 巡 る 国 際関 係 ― 」、
ラ テ ン ア メリ カ 協 会『 ラ メン ア メ リ カ 時 報 』、No.1389、 2009/10 冬号 、
pp.23-28; Booth, John A.et al., Honduras in Understanding Central
America , fifth edition, Boulder: Westview Press, 2010, pp.173-177.な
ど。
1
第一章-6
統 領 は 、 近年 中 南 米 にお い て 石油 輸 出 に よる 莫 大 な 収 益 を 背 景に 反 米的
な 外 交 政 策を 展 開 す るベ ネ ズ エラ の 大 統 領チ ャ ベ ス ( Hugo Chávez)へ
接 近 し 、 同大 統 領 が 主導 す る ペト ロ カ リ ブ協 定 、 米 州 ボ リ バ ル主 義 代替
構 想 ( ALBA:Alternativa Bolivariana para los Pueblos de Nuestra
América) へ の ホン ジュ ラ ス 加 盟 ( そ れ ぞ れ 2008 年 1 月 及 び 8 月 ) に
持 ち 込 ん だ。
ペト ロ カ リ ブ 協 定 と は、 ベ ネ ズ エ ラ が 2005 年 か ら 始 め た カ リ ブ 海 な
ど 周 辺 諸 国と の エ ネ ルギ ー 協 定の 枠 組 み で、こ れ に 基 づ き特 恵 的 な 価 格、
条 件 ( 支 払い の 猶 予 期間 設 定 など ) で ベ ネズ エ ラ の 石 油 が 供 給さ れ る。
ま た 米 州 ボ リ バ ル 主 義 代 替 構 想 ( ALBA) と は 、 チ ャ ベ ス 大 統 領 が 進 め
る「 ボ リバ ル 革命 」、すな わ ち、旧 来の 支 配層 を 批 判 し 従 来 か ら の 体 制 で
疎 外 さ れ てき た 大 衆 層の 利 益 拡大 を 目 指 す制 度 改 革 の 運 動 を 中南 米 に 広
げ よ う と いう 地 域 統 合の 構 想 であ る 。 そ の名 称 は 中 南 米 の 独 立の 英 雄 シ
モ ン・ ボ リ バ ル( Simón Bolivar)か ら と っ た も ので 、2009 年 6 月 に 米
州 ボ リ バ ル主 義 同 盟 ( ALBA:Alianza Bolivariana para los Pueblos de
Nuestra América) と改 称 し た 。 2011 年 12 月 時点 で 加盟 国は ベ ネ ズ エ
ラ 、 キ ュ ーバ 、 ボ リ ビア 、 ニ カラ グ ア 、 エク ア ド ル 、 そ し て カリ ブ 海の
小 国 で あ るア ン テ ィ ーグ ア ・ バー ブ ー ダ 、ド ミ ニ カ 、 セ ン ト ・ビ ン セン
ト ・ グ レ ナデ ィ ー ン であ る 。
一方 、 ホ ン ジ ュ ラ ス の国 内 で は 、 セ ラ ヤ 大 統 領 は 同国 が 寡 頭 支 配 層 に
よ り 牛 耳 られ て い る と糾 弾 し 、自 由 党 ・ 国民 党 の 二 大 政 党 制 、そ し て そ
の 基 礎 を なす 代 議 制 民主 主 義 にお い て 貧 困層 の 利 益 が な い が しろ に され
て き た と する 趣 旨 の 発言 を 繰 り返 し た 。 その 上 で 、 民 主 主 義 は代 議 制で
は な く 国 民の 直 接 の 意思 表 明 に基 づ き 実 現さ れ る べ き で あ る とし て 、 国
民 投 票 の 実施 を 主 張 する に 至 った 。
第一章-7
ホン ジ ュ ラ ス で は 2009 年 11 月 に 大 統 領 選 挙 、国 会 議 員 選 挙 、市 長 ・
市 議 会 議 員選 挙 が 予 定さ れ て いた 。 セ ラ ヤ大 統 領 は 、 2008 年 11 月 、 そ
れ ら に 加 えて 、憲 法 制定 議 会 の召 集 に つ いて 賛 否 を 問 う「 4 番 目 の 投 票」
と し て 国 民投 票 を 実 施す る と 表明 し た 。 そし て 、 2009 年 3 月に は その
国 民 投 票 実施 の 是 非 を問 う 「 世 論 調 査 」 を 6 月 28 日 に 行 な う旨 の 大統
領 令 を 発 出し た 。
こうした流れの中でセラヤ大統領派とこれに反対する勢力の対立は
先 鋭 化 し てい っ た 。 憲法 制 定 議会 は そ も そも 憲 法 に 想 定 さ れ てお ら ず、
国 会 は こ れに 強 く 反 対し 、 総 選挙 の 前 の 半年 間 は い か な る 世 論調 査 を も
禁 止 す る 法律 を 可 決 した 。ま た 裁 判 所 も 、6 月 28 日 に 設 定 され た「 世 論
調 査 」 の 実施 は 無 効 であ る と して そ の 停 止を 命 じ た 。
しか る に セ ラ ヤ 大 統 領は こ れ ら を 無 視 し て 「 世 論 調査 」 実 施 へ と 突 き
進 ん だ 。同 大 統 領 は「 世 論 調 査 」へ の 協 力を 拒 ん だ国 軍 参 謀 総長 を 解 任 、
自 ら 支 持 者を 伴 い 「 世論 調 査 」の 投 票 箱 など が 格 納 さ れ て い た空 軍 基 地
に 押 し 入 り、 そ れ を 持ち 出 す 挙に 出 た 。 これ に 対 し て 、 司 法 省は 同 大統
領 を 職 権 濫用 と 国 家 反逆 の か どで 告 発 、 最高 裁 判 所 は 全 員 一 致で 訴 え を
認 め て 同 大統 領 の 逮 捕を 命 じ た。
以 上 の 出来 事 を 受 けて 、 6 月 28 日 未 明 、 国 軍 の部 隊 は 行 動 を 起 こ し、
セ ラ ヤ 大 統領 を 自 宅 に急 襲 し 身 柄 を 拘 束 、寝 巻 姿 の ま ま 、 コ スタ リ カ へ
追 放 し た ので あ っ た 。
2 . 国 際 的な 仲 介 の 動き
セ ラ ヤ 大統 領 の 国 外追 放 後 の ホ ン ジ ュ ラス に お い て は 、 国 会議 長 の ロ
ベ ル ト ・ ミ チ ェ レ テ ィ ( Roberto Micheletti) が 暫 定 大 統 領 と な っ て 暫
定 政 権 を 発足 さ せ た 。こ の 政 権に 対 し て は強 い 国 際 的 な 非 難 が浴 び せら
第一章-8
れた。
米 州 機 構( OAS)はク ー デ タ発 生 の そ の日 に 非 難 声 明 を 発 出し 、事 務
総 長 ホ セ・ミ ゲル・イ ン ス ル サ( José Miguel Insulza)を 現 地に 派 遣 し
て 事 態 の 打開 に 当 た らせ た 。 しか し そ れ が何 ら の 成 果 を あ げ るこ と な く
終 わ る と 、 7 月 4 日 の特 別 総 会で 、 米 州 民主 主 義 憲 章 に 基 づ き米 州 機構
( OAS)に おけ る ホ ン ジ ュ ラ スの 参 加 資 格を 停 止 した 。ま た 、国 連総 会
は ク ー デ タ非 難 の 決 議を 採 択 し、 米 国 を 初め と し て 米 州 諸 国 や国 際 金 融
機 関 も ク ーデ タ を 非 難す る と 共 に ホ ン ジ ュラ ス に 対 す る 援 助 の停 止 な ど
の 制 裁 措 置を 発 動 し た。
し か し 、暫 定 政 権 はそ う し た 国 際 的 な 孤立 に 動 ぜ ず 、 セ ラ ヤ大 統 領 の
復 帰 を 認 めよ う と は しな か っ た 。こ れ に 対し て 、米 国 、米 州 機構( OAS)
は 、コ ス タ リ カの 大 統領 オ ス カ ル・ア リ ア ス( Óscar Arias)に仲 介 を 要
請 し た 。 同大 統 領 は 1992 年 発 足 の 中 米地 域 統 合の 組 織 で ある 中 米 統 合
機 構 ( SICA: Sistema de la Integración Centroamericana) の議 長 で あ
り 、 ま た ノー ベ ル 平 和賞 受 賞 者と し て 高 い威 信 を 有 し て い た 。同 大 統領
は 7 月 中 に 二 度 に 亘 り セ ラ ヤ 大統 領 派 、暫定 政 権 側 と 協 議 し た 。そ の 結
果 、 セ ラ ヤ大 統 領 の 復帰 、 統 一国 家 和 解 政府 樹 立 、 恩 赦 、 セ ラヤ の 「第
四 の 投 票」断 念な ど を含 む 、
「 サン ホ セ 合 意 案 」と 称 され る 合意 事 項 案 が
ま と め ら れた 2 。し か し、この「 サ ン ホ セ 合意 案」中、セ ラ ヤ 大統 領 の 復
帰 は 、 暫 定政 権 側 に とっ て あ く ま で 受 け 入れ ら れ な か っ た 。
手 詰 ま りを 打 開 す べく 、米州 機 構( OAS)は 8 月 に 外相 ミッ シ ョ ン を
現 地 へ 派 遣し た 。 米 国も 西 半 球担 当 国 務 次官 補 を 派 遣 す る な どの 外 交工
“Siete puntos tiene prpouestas para solución a la crisis de
Honduras”, El Univesro 紙 電 子 版、 2009/07/18、
http://www.eluniverso.com/2009/07/18/1/1361/D94A6895987749F38F
88BD2BE85E5F3E.html (2011 年 2 月 15 日 閲 覧 。)
2
第一章-9
作 を 重 ね た。そ の 成 果 と し て 、10 月 に 国 内対 話 テ ー ブ ル( ま たは グ ア イ
ム ラ ス 協 議) と 称 す る協 議 が セラ ヤ 大 統 領派 と 暫 定 政 権 側 と の間 で 実 施
さ れ 、 紆 余曲 折 を 経 た末 に 、 10 月 30 日 に合 意 が 成 立 し た 。 統合 と 和 解
の た め の 政府 設 置 、 クー デ タ や人 権 侵 害 にか か る 真 相 究 明 委 員会 設 置な
ど を 内 容 とす る「 テ グ シ ガ ル パ・サン ホ セ合 意」で あ る 3 。し かし 、同 合
意 成 立 に よる 興 奮 と 安堵 は 長 く続 か な か った 。 そ の 合 意 事 項 の具 体 化を
巡 っ て 見 解の 相 違 が 表面 化 し 、た ち ま ち 同合 意 は 瓦 解 し て し まっ た 。
そ の 後 、暫 定 政 権 は 、当 初 予 定通 り に 総選 挙 に 向 け て 準 備 を 進 め 、 11
月 29 日 、総 選 挙は 平穏 裡 に 実施 さ れ た 。そ の 結 果と し て、大統 領 に は 、
ポ ル フ ィ リオ・ロ ボ・ソ ー サ( Porfirio Lobo Sosa)が 選 出 さ れ た 。ロ ボ
は 、 セ ラ ヤや ミ チ ェ レテ ィ の 属す る 自 由 党と は ラ イ バ ル の 野 党国 民 党か
ら の 立 候 補者 で 、 自 由党 内 の 内 紛 に 嫌 気 した 国 民 が 選 択 し た 結果 で あっ
た 。 新 大 統領 は 国 内 的に は 真 相究 明 委 員 会を 設 置 し ク ー デ タ 及び そ の 後
の 人 権 侵 害の 状 況 を めぐ る 調 査を 開 始 す るこ と を 公 約 す る と 共に 、 対外
的 に は 国 際的 な 孤 立 を脱 す る べく 、 諸 外 国か ら の 承 認 を 求 め て活 発 な 外
交 活 動 を 展開 し 始 め た。
そ し て 、こ の 総 選 挙の 実 施 を契 機 に 、 国際 社 会 の ホ ン ジ ュ ラス に 対す
る 対 応 は 二分 さ れ る よう に な った 。 す な わち 、 米 国 、 コ ロ ン ビア 、 ペ ル
ー 、 中 米 諸国 ( 除 く ニカ ラ グ ア) な ど は 総選 挙 の 実 施 後 に ホ ンジ ュ ラ ス
の 新 政 権 を承 認 す る 方向 へ 動 き、 関 係 を 正常 化 し て い っ た 。 他方 、 ブラ
3「 政 治 ・ 経 済 情 報
ホ ン ジ ュ ラ ス 内 政 ・ 外 交 月 報 ( 2009 年 9~12 月 )、
3 . 国 内 対話 テ ー ブ ル」、 在ホ ン ジ ュ ラ ス 日 本 国 大使 館 ホ ー ム ペ ー ジ 、
http://www.hn.emb-japan.go.jp/info-policy&economy/naigai_monthly
_sep-dec09.html( 2011 年 2 月 17 日 閲 覧。)
第一章-10
ジ ル 、 ア ルゼ ン チ ン 、ベ ネ ズ エ ラ 、 エ ク アド ル と い っ た 国 々 はあ く ま で
セ ラ ヤ 大 統領 の 復 帰 を求 め て 、ロ ボ 政 権 との 関 係 樹 立 を 拒 否 し続 け た。
3 . 米 州 機構 (OAS) 復 帰 へ
2010 年 1 月 に 正 式 に発 足 し た ロ ボ 政 権 は 、 ク ー デタ 後 に 資 格 停 止 を
受 け た 米 州機 構( OAS)へ の復 帰 を 目 指 し て 、同 政 権に 比 較的 に 好 意 的
な 米 国 、 中米 の 国 々 (除 く ニ カラ グ ア ) など を 初 め と し て 外 交的 な 働き
か け を 活 発化 し た 。 他方 、 2009 年 9 月 以来 ホ ン ジ ュ ラ ス 国 内に 戻 り ブ
ラ ジ ル 大 使館 内 に 庇 護さ れ て いた セ ラ ヤ は、 い ま や 大 統 領 と して 任 期切
れ と も な り、 ド ミ ニ カ共 和 国 へ「 賓 客 」 とし て 迎 え ら れ る べ く、 再 び国
外 へ 去 っ た。
2010 年 6 月、 ペ ル ー の リ マに お い て 、 米 州 機 構( OAS) の 年 次 総 会
が 開 催 さ れた 。 そ の 機会 に 、 ホン ジ ュ ラ スの 復 帰 に つ い て 検 討す る ため
に 現 地 情 勢を 分 析 す るハ イ レ ベル 委 員 会 の発 足 が 決 定 さ れ た 。同 委 員会
は 現 地 調 査を 実 施 し 、セ ラ ヤ 一 派 の 訴 追 終了 な ど を 適 当 と す る内 容 の 成
果 報 告 書 4 を ま と め た 。こ れ を 受 け て 、メ キシ コ 、チ リ と い っ た 国 々 も ロ
ボ 政 権 と の関 係 を 正 常化 し た 。し か し 、 ブラ ジ ル な ど の 立 場 は依 然 強硬
で 、ホ ン ジ ュ ラス の 米州 機 構( OAS)復 帰に は そ れ 以 上 の 進 捗は 見 ら れ
なかった。
ロ ボ 政 権が 国 際 的 な孤 立 を 脱 却 す る た めに 求 め ら れ た の は 、セ ラ ヤ 前
大 統 領 の 身の 安 全 が 保障 さ れ た上 で の 帰 国で あ っ た 。 同 人 は 国内 で 汚職
の 罪 で 訴 追さ れ て い た。 ホ ン ジュ ラ ス に 戻れ ば 裁 判 に か け ら れ実 刑 に処
4
OAS, Informe de la Comisión de Alto Nivel de la OEA sobre la
Situación de Honduras, Asamblea General/doc.1/10, 2010/07/29.
第一章-11
さ れ か ね なか っ た 。 これ は 、 セラ ヤ 前 大 統領 自 身 は も と よ り 、同 人 を 支
持 し て き たブ ラ ジ ル 、ア ル ゼ ンチ ン 、 ベ ネズ エ ラ 、 エ ク ア ド ルな ど にと
っ て も 受 け入 れ が た いこ と で あ っ た 。
事 態 が 動き 始 め た のは 2011 年 に な っ てか ら で あ っ た 。 ホ ンジ ュ ラス
の 最 高 裁 判所 は 3 月 にセ ラ ヤ 前大 統 領 に 対す る 逮 捕 状 を 無 効 とす る 決 定
を 下 し 、次 い で 5 月 には 裁 判 自体 を 無 効 とす る 判 決 を 下 し た 。こ れ に よ
り セ ラ ヤ が帰 国 後 に 司直 の 手 にか か る お それ が な く な っ た 。
こ う し た事 態 打 開 の機 運 の 高 ま り を 捉 えて 、 コ ロ ン ビ ア と ベネ ズ エ ラ
が 仲 介 の 労を と り 、5 月 22 日 に コ ロン ビア の カ ル タ ヘ ナ・デ・イ ン デ ィ
ア ス に お いて 、 ロ ボ 大統 領 と セラ ヤ 前 大 統領 は 、 コ ロ ン ビ ア とベ ネ ズエ
ラ の 両 国 政府 代 表 の 立ち 会 い の下 、国 内 和 解 と 民 主主 義 強 化 の た め の「 カ
ル タ ヘ ナ 合意 」 5 に 署 名 を 行 な った 。
そ の 主 な内 容 は 次 の通 り で あ る :
(1) ホンジュラス政府はホンジュラス憲法と法律を厳格に遵 守する、
( 2 ) 憲 法 及 び 法律 に 基 づ きセ ラ ヤ 前大 統 領 が 諸権 利 ( 政 治 活 動 を 含
む 。) を認 め ら れ て 帰国 す る こ と が 保 証 さ れ る 、
( 3 ) セ ラ ヤ 政 権の 閣 僚 及 びそ の 他 の国 外 亡 命 者の 帰 国 に つ い て 、憲 法
と 法 律 に 基づ き 諸 権 利を 保 証 す る 、
( 4 ) 最 高 裁 判 所に よ り 下 され た セ ラヤ 前 大 統 領の 刑 事 裁 判 の 無 効 判
決 は 最 終 的な も の で ある 、
( 5 ) 憲 法 に 基 づき 、 人 権 尊重 ・ 保 護に 特 に 配 慮す る 、 な ど 。
この 合 意 成 立 を 受 け て、5 月 28 日 、セ ラ ヤ 前 大 統 領は ホ ン ジ ュ ラ ス に
帰 国 し た 。そ し て 以 上の 事 態 の展 開 を 踏 まえ て 、 米 州 機 構 ( OAS) は 6
月 1 日 に ワ シ ン ト ン D.C.で 特 別総 会 を開 催 し 、ホン ジ ュ ラ ス の 米 州機 構
“Texto del Acuerdo de Cartagena de Indias”, El Nuevo Herald 紙 電
子 版 、 2011/05/22、 http://www.elnuevoherald.com/2011/05/22/945833
/texto-del-acuerdo-de-cartagena. ( 2011 年 6 月 2 日 閲 覧。)
5
第一章-12
( OAS)復 帰 を 賛 成 32、 反対 1( エ ク アド ル ) に て 決 定 し た 。
こ れ を以 て 、 2009 年 6 月の ク ーデ タ の発 生 に 始 ま っ た ホ ンジ ュ ラ ス
を め ぐ る 問題 が 収 拾 され た の であ っ た 。
第一章-13