山谷の在宅ホスピスにおける 関係性の中の Spiritual

早稲田大学大学院 人間科学研究科 修士論文 2004.2.
山谷の在宅ホスピスにおける
関係性の中の Spiritual growth
The spiritual growth in relational situations
at a hospice home in Sanya
Yumi KAWAKAMI
社会科学研究領域 3802A003-1 川
上 祐 美 Rihito KIMURA バイオエシックス研究指導 指導教授 木
1
村 利 人
目次
<序章> Spirituality 幸福の追求
・・・ 3
<第1章> 在宅ホスピス・ケア施設『きぼうのいえ』
・「山谷」のホスピス
・・・ 6
・「きぼうのいえ」の目的
・・・ 8
・入居者の特徴と在宅ホスピスの意義
・・・ 9
・施設とその設備
・・・10
・創設資金、運営資金
・・・13
・看取りに関わるスタッフと社会資源の導入
・・・14
・「きぼうのいえ」のホスピス・ボランティアの特色
・・・15
・看取りの場としての宗教的スピリット
・・・17
・QOLを高めるためのプログラム
・・・21
・終末期の新たな選択肢の先駆的モデルとして
・・・24
<第2章> 関係性の中のSpiritual growth
・・・25
【事例1】- 金銭的価値観と死生観をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・・・26
【事例2】- 主観的幸福感をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・・・32
【事例3】- 公費分配の公平性と男女間をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・・・35
【事例4】- 存在意義をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・・・40
【事例5】- 宗教的行動をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・・・43
<第3章> 看取りの5事例の紹介
・・・47
<第4章> リヴィング・ウィルの作成と実践
・・・51
<終章> 身体性を超えた「きぼう」
・・・59
【参考文献一覧】
・・・61
【資料】
・・・62
2
<序章> Spirituality 幸福の追求
私たちは、どこから来てどこへ行くのだろうか。これは、単に受胎した瞬間から生体機能の停止までを一
生とした遺伝子のバトンリレーのみを意味することに留まらない。人間は「死」の概念をもったとき、有限
の生の中に自らの存在価値を見出そうとしてきた。限定的な生の中で「いのちの意味」つまり「存在」を問
うていくこと、それが「ヒト」を「人」たらしめる事由ではないだろうか。ここではその問いを、
Spirituality に焦点を当てて考察していこうと思う。
Spirituarlity については、1999年、WHO(世界保健機構)の執行理事会により、憲章前文における新た
な健康の定義を提案するという議題が検討されたが、その中では、
『 Health is a dynamic state of complete physical, mental, spiritual and social well-being
and not merely the absence of disease or infirmity. 』
「完全な肉体的、精神的、spiritual 及び社会的福祉のdynamicな状態であり、
単に疾病又は病弱の存在しないことではない。注1 」
という位置付けになっている。それまでのものと比較すると、1946年に初めて定義されたものは、
『 Health is a state of complete physical, mental and social well-being
and not merely the absence of disease or infirmity. 』
「完全な肉体的、精神的及び社会的福祉の状態であり、
単に疾病又は病弱の存在しないことではない。注2 」
という記述であり、従来の「physical(身体的), mental(精神的)and social(社会的)」に加えて、新案
では新しく「spiritual」が追加されている。これによれば、健康であるかどうかの観点として、疾患や身体
障害および精神障害の有無など並んで、「spiritual」な要素が大きく関わってくるこということになる。さ
らにWHOの定義より、spiritual , spirituality とは、
『 A phenamenon that is not material in nature but belongs to the realm of ideas
that have arisen in minds of humanbeing, particularly ennobling ideas. 』
「自然界に物質的に存在するものではなく、人間の心に湧きおこってきた観念の
---とりわけ気高い観念の---領域に属するものである。注3 」
となっている。
この Spirituality について考えるとき、「幸福の追求」ということが非常に大きなポイントとなってく
注1
訳:厚生省大臣官房国際課(津田)、厚生科学課(岡本)
注2
訳:昭和26年官報掲載
注3
訳:山口昌哉
3
る。私たちは長い人生の間で、生まれた瞬間から多くの獲得と喪失を繰り返しながら生きており、病気やケ
ガ、失職、家族離散、死別などの出来事は、本当にいつ誰にでも起こりうることである。また、様々な挫折
や離別、快楽や幸福の波の中で、日常の些細な出来事にも傷つき、「死にたい!」と主張する人は子どもも
大人も増えているようで、生きることに希望を見出すのにも骨の折れる時代と言えるだろう。
何が「幸福である」と感じるかは、人それぞれ千差万別であることは言うまでもないが、私は幸福感には
「段階」があると考える。それが、各人の Spirituality の違いに大きく関わっているのではないかと思う。
たとえば、今日の食糧の確保にも困っている人に、「すべての人の幸せを願いましょう」と言っても、それ
が本当に心から実行されるのは、ほとんどの場合困難である。あるいは、たった今交通事故で足を骨折して
激しい痛みに悶えている時に、「自己の存在とは」「善と悪とは」「幸福とは」といった思考をすることも
また非常に起こりにくい。したがって、上記のWHOの定義を参考にすると、Spirituality の充実には、
physical(身体的), mental(精神的) そして social(社会的)な要因が、ある程度満たされていることが必
要になるという面がある。
しかしもう一方で、それら3つの要素が限りなく低い状態でも、Spirituality が重要になってくる時があ
る。その一つの例として臨死期があげられる。闘病生活が続いたような時、死を目前にして、当然身体の具
合は悪化し、機能的にも限られ苦痛を伴う状態になったとする。家族や親しい人との別れも迫り、自分の大
切にしてきた持ち物や財産もすべて、この世に置いていかねばならない。この時、誰しもが多かれ少なか
れ、消えゆく自分のいのち、つまり存在に対して、人それぞれ直面する問いが出てくるだろう。むしろ、身
体性、社会性や財を失う時こそ、Spirituality が浮き彫りになることがある。
私はある日、新宿駅の地下道を歩いていて、いつものように道の端に横たわっているホームレスの人に目
が止まった。その時、自分を否定したり自殺したりする人が多い中、何もかも失ったかにも見えるその姿に
なってもなお、生きることを捨てない彼らをあらしめているものは一体何なのだろうか、という問いが沸き
起こった。彼らはもしかしたら死を選択する余力すら残されていないだけであるかもしれないが、それでも
それは「生きる」ことを物語っている姿のように思えた。
人間の「幸福」について追求していく上で、そのような「家も家族も職も財産も失った」ある種の極限状
態におかれた人間の根源的欲求の現れや、社会性の再構築の過程など、人間のありのままの姿を見ていくこ
とで、それが自分を含めすべての人々の根底にあるということを前提に、「絶望」の中にどのように「希
望」や「幸福」を見出していくことができるのか、ということを在宅ホスピスケア施設における事例を用い
て分析しようと試みた。
実際に、そのように社会的または霊的に行き場を失った人たちのための在宅ホスピス・ケア施設が、
2002年10月東京都台東区清川に設立された。「山谷・すみだリバーサイド支援機構『きぼうのいえ』」
4
は、癌や脳梗塞、糖尿病などの身体疾患から、精神障害、痴呆など、様々な症状を抱えた男女21名が生活
している。入居者のほとんどは、路上生活者(ホームレス)であったり、様々な事情で家族と離散し、身元
を引き受けてくれる身寄りがいない。「きぼうのいえ」では、どのような理由であれ、彼らが人生の終末期
において自分の人生を振り返り、残された時間の中でその「Spiritual Pain」を「Spiritual Growth」に変え
ていく手助けをしながら、終末期の新たな選択肢の先駆的モデルとしての「在宅ホスピスケア」を社会に提
言していくことを試みている。筆者は、設立初期からボランティア・スタッフとして関わってきており、こ
の「きぼうのいえ」の理念や試みに深く賛同するものがあるのでここに紹介するとともに、ホスピスケアに
現れている Spirituality について考察していきたい。
5
<第1章> 在宅ホスピス・ケア施設『きぼうのいえ』
【「山谷」のホスピス】
2002年10月、東京都台東区清川の「日雇い労働者の街」、通称「山谷」地域に、在宅ホスピスケアを
目的とする「きぼうのいえ」が創設された。いうなれば、マザーテレサがインドのカルカッタで開設した
「死を待つ人の家」の日本版を試みるものである。
「きぼうのいえ」は、社会福祉法の定義では、東京都届出第2種社会福祉事業施設の「宿泊所」となって
おり、その中で在宅ホスピスケアを行うというのは、日本で初めての試みである。
近代ホスピスの始まりは、18世紀末のアイルランドで、イギリスの植民地にあってプロテスタントによ
る弾圧の時代の中、最期を迎えるための場所すら見出せない人々のために、その場所を提供した人々がい
た。マザー・メアリ・エイケンヘッド注4 というカトリックの修道女がその志を立て、彼女の死後19世紀
の終わりにダブリンに立てられた「ホーム」が源流であるという。それから80年後、ロンドンのハック
ニー(アイルランド人の多い地域)にあるセント・ジョセフ・ホスピスに学んだ女医のシシリー・ソンダー
ス注5が1967年にセント・クリストファー・ホスピスを建て、痛みのコントロールを基本とした、現代ホス
ピスの基礎を作り上げた。したがってホスピスの本来の形は「在宅」が基本であり、それが不可能な場合に
次善の策として施設ホスピスが登場する。現在日本では一般に、病院に付属する緩和ケア病棟であることが
ほとんどであるが、それまでの人生に馴染みのない立派な非日常的空間で余生を満喫することがホスピスケ
アではなく、たとえ貧しく狭い家であっても、自宅で家族と悲しみや楽しみを共有しながら最後のときを過
ごすことこそが、ホスピスケアを意味あるものにするのである。
日本では、民間により既に「社会福祉法人ありのまま舎」注6 が難病ホスピスを開設し、がんに限定した
ホスピスという考え方に異議を唱えているが、「きぼうのいえ」も疾患を特定せずに、最期の時を過ごす場
を提供している。古くからも、聖武天皇妃であった光明皇后が「悲田院」「施薬院」「療病院」において、
ハンセン氏病患者をはじめ貧しい病人の世話をしたりと、行政や各宗教の開祖などによっても多くの試みが
行われてきていた。しかし、「きぼうのいえ」のもっとも大きな特色は、現代の自由競争社会の中では「敗
者」とされてしまうのホームレスのような、一見社会的に同情を寄せにくい立場の人々に、終のすみかを提
供しているということにある。
「きぼうのいえ」の位置する「山谷」とは、明治通りにある泪橋交差点を中心とした台東区と荒川区の両
注4
アイルランドの「シスターズ・オブ・チャリティ」(慈善修道女会・カトリック)の創立者。
(参考/岡村昭彦:1999, 『定本・ホスピスへの遠い道』, 春秋社)
注5
Shirley du Boulay:"CICELY SAUNDERS", 1984, Hodder and Stoughton
注6
社会福祉法人ありのまま舎(http://www.members.aol.com/arinomamasya/)
6
区にまたがっている地域一帯のことで、行政機関によって若干の差は生じるが、そのおおよその範囲は台東
区清川1,2丁目、日本堤1,2丁目、東浅草2丁目、橋場2丁目、荒川区南千住1,2,3,5,7丁目
である。この一帯にいわゆる「ドヤ」と呼ばれる簡易宿泊所が密集している。
(出典/http://www.asahi-net.or.jp/~sm2k-tmr/furusato/sanya.gif)
この「山谷」で生活する「ホームレス」と呼ばれる人々には、幾通りかある。路上生活者と呼ばれる、文
字通り路上に段ボールを敷いて寝ている人々、公園や川岸にビニールシートや木材で簡単な小屋を建てて住
んでいる人々、そして簡易宿泊所に比較的長期にわたって宿泊している人々である。一般に、簡易宿泊所の
1泊の料金は2,100 2,300円であり、これは生活保護による住宅扶助が2,300円を上限としていること
からきている。生活保護を受けている人々は、通常簡易宿泊所を住所にして住民登録をしており、行政の福
祉部門と連絡がある。生活保護の支給額には幅があるが、単身者一人当たり14,5000円程度が目安であ
り、これから試算すると1日の生活費は5,000円弱である。これに対し、住民登録をしていない人々は、
行政との連絡がなく生活保護にはつながらない。生活保護を受けていない人々の中には、貧困であっても制
度を知らなかったり、自らの意思で受けていなかったりする人もいる。
7
【「きぼうのいえ」の目的】
「きぼうのいえ」は、そのように社会的に行き場がなく身寄りのない人が人生の終末期を迎えたときに、
どんな人生にも希望があるというメッセージを込めながら、身体ケア、スピリチュアル・ケアを通して、看
取りを行うことを目的とする「在宅ホスピスケア施設」である。つまり、家や家族を失っている入居者に
とっては、「きぼうのいえ」は「施設」ではなく「家」として存在する。ここでは、失職、家族離散や死別
など人生の様々な挫折や喪失体験にみまわれ、病気や障害、精神疾患などで自立できる力を失っても、その
人の存在そのものを肯定し、与えられた生を精一杯通っていくことに価値がある、という信念を基盤とし
て、スタッフは、入居者の人生に寄り添って関わり合おうとしている。
「なぜ、ホームレスなんて助けるのか?」という疑問の声に、施設長の山本雅基氏は、こう答える。
「ホームレスになるのは自業自得、と言われればそうかもしれない。しかし、人は不幸や不運が重なった
時、気持ちが弱くなってしまうものです。たった一度のやけっぱちで、這い上がれないような泥沼にのみこ
まれてしまうこともあるのです。彼らはそんな修羅場を経験して苦しんできたのかもしれない。でも、暖か
く安らげる環境でなら、もう一度人生をゆっくり考えることができるのではないかと思うのです。人を裁く
のは裁判官の仕事。僕たちがやっているのは赦していく仕事ともいえるでしょう。僕は過去は問いません。
どんな人も今生きているだけでいとおしい存在なのです。その大切な命に、どこまでも寄り添って全うでき
るように手伝うのがこの仕事です。」
8
【入居者の特徴と在宅ホスピスの意義】
入居の対象は、疾病や障害のために一人で生活することが困難な人で、ほとんどの場合生活保護を受け、
福祉事務所を通して紹介される。入居者の多くが、路上生活経験者、つまりホームレスだったことがあり、
このことは「きぼうのいえ」の一番の特徴である。
ターミナル・ケアを行うにあたり、これまでは、ターミナルといえば3ヶ月
半年位の短期の余命宣告を
受ける状態であるが、「きぼうのいえ」では、それにとどまらず、広義に中長期的な余命の診断を受けた
「ナチュラル・ターミナル」の人も入居の対象としている。現在、入居者のうち約3割が臨死的な狭義の終
末期を迎える人で、他の約7割は、この「ナチュラル・ターミナル」の人である。主に、がん、HIVの他、
進行した心臓病、頻回の脳梗塞、重い腎疾患、コントロール困難な糖尿病、パーキンソン病、希少難病など
で、退院後の療養生活において独居が困難な状態である。男女比は、入居者全21名のうち、女性が約3割
である。
地域的な範囲は、台東区、墨田区を中心として東京都全域から集まってきている。急性期の医療が終わっ
たものの退院後の行き場がなく入居してくるケースが多数を占めるが、簡易宿泊所などから転居してくる場
合もある。特に入居者受け入れを提携し、入居後も通院先としている病院は、賛育会病院、浅草寺病院、野
中医院、三井記念病院などである。これらのすべてのケースが病院のMSWおよび福祉事務所を経て入居の
可否についての相談があり、「きぼうのいえ」での選定会議を経て入居へと至る。
入居者の年齢層は、多くが50 90歳代だが、時には小学校前の子どもや20代の若者が、親とともに一
時的に入居してくることもある。それは、近所に「山友会」というNPOのホームレス支援団体があり、そち
らに「きぼうのいえ」の1室を緊急保護用として常時提供しているためである。
「きぼうのいえ」のような、在宅ホスピス対応型の集合住宅施設の意義として、
①既存の高齢者向け施設に定員待ちのために入れない人、
②生活保護や限られた年金による低所得者層など、経済的理由でケア付きマンション、有料老人ホームに入
れない人、
③入院加療後、自宅療養の段階にあるが、自力での生活が困難で、かつ年齢および疾病名により介護保険が
適用されない人、
④疾病名により施設ホスピス(いわゆる緩和ケア病棟)に入れない人、
の状況にある単身者への看取りの場として機能する、ということが言える。
9
【施設とその設備】
建物は、鉄筋4階建てで屋上に礼拝堂がある。入居用の21室すべてが個室で、それぞれにベッド、エア
コン、テレビ、ビデオ、冷蔵庫、洗面台、クローゼット、棚が完備している。
その他の設備としては、談話室、食堂、厨房、事務室、エレベータ、診察室、夜勤のボランティア向け居
室があり、各階にトイレ、浴室、洗濯機、乾燥機、汚物処理槽が備え付けられている。談話室や浴室は、入
居者がいつでも自由に使うことができる。20時から翌9時まではボランティアが宿直を行い、夜間のナー
スコールに対応する。施設長及び看護主任(施設長の配偶者)は施設に隣接した住居に居住し、24時間緊
急対応が可能である。
また、祈りと黙想のための場として礼拝堂があることはこの施設の大きな特徴でもある。施設長の山本雅
基氏はカトリック信徒であり、個人の借金とキリスト教界注7 からの寄付のみによって「きぼうのいえ」を
立ち上げた。
「きぼうのいえ」の施設概要
定義
東京都届出第2種社会福祉事業施設
社会福祉法の定義では「宿泊所」
所在地
東京都台東区清川
創立
2002年10月1日
敷地面積
延床面積
110.32 m2
433.36 m2
建物は鉄筋4階建て
居室設備
ベッド、エアコン、テレビ、ビデオ
冷蔵庫、洗面台、クローゼット、棚
全21室
一室:4.7畳、7.8㎡
診察室 、談話室、食堂
24時間自由に使用可能
共用設備
エレベータ、トイレ、倉庫
浴室、洗濯機、乾燥機、汚物処理槽
礼拝堂
スタッフ用 事務室
設備
ボランティア室
注7
夜間はボランティアが宿直を行う。
24時間体制で施設長および看護主任
厨房、リネン室
が緊急対応可能。
キリスト教会、関係団体だけでなく、個人のキリスト教徒も含む。
10
「きぼうのいえ」外観 「聖家族礼拝堂」
浴室
11
居室
食堂
厨房
12
【創設資金、運営資金】
「きぼうのいえ」の創設費用は、土地4,500万円と建物12,000万円(うち、礼拝堂1,000万円、内部
備品等500万円)合わせて約1億6,500万円で、そこに銀行からの借入11,500万円と、教会からの寄付
6,000万円を充て、残りの1,000万円創業運転資金としている。
また、毎月の運用資金は、入居者ひとりにつき生活保護費の中から14万3,500円を入居費として納めて
もらっているが、毎月赤字が80万円あまり出ている。それを月に平均10万円の寄付金と、食料品の現物寄
付などによって賄っている。「きぼうのいえ」は膨大な数の寄付支援者によって支えられているところが非
常に大きい。
「きぼうのいえ」の創業資金
支出
土地 4,500万円 建物 12,000万円 (うち礼拝堂 1,000万円 内部備品等 500万円)
計 16,500万円 銀行からの借入 教会からの寄付 11,500万円 6,000万円 →創業運転資金へ +1,000万円 入居費(月額/一人あたり)
・居室費
・食費
・光熱費
・共益費
収入
計
69,000円
45,000円
14,500円
15,500円
143,500円
13
【看取りに関わるスタッフと社会資源の導入】
「きぼうのいえ」のスタッフは、施設長、看護主任、ソーシャルワーカー、財務主事、調理師、管理栄養
士の他、介護や清掃などのパートタイムの職員、総勢30名程のボランティアがいる。性別は、男性が施設
長、財務主事の他、3名のボランティアで、その他はすべて女性である。
外部の社会資源としては、行政の福祉事務所、訪問診療を行う医師2人、在宅ホスピス医1人、2つの訪
問看護ステーションからの看護師、介護保険を適用してサービスを提供する11社の民間企業のから派遣さ
れるホームヘルパー、「きぼうのいえ」専属のチャプレンで、チャプレンは看取りを行うスタッフのサポー
トにも特に力を入れている。
少ない財源で「きぼうのいえ」でのケアを実現した要因は、社会資源やボランティアをうまく導入できた
ことにある。開設当初、深刻な問題であったのは、行政側が「きぼうのいえ」が第2種社会福祉事業の「施
設」であることを理由として、入居者への介護保険の適用に難色を示したことであった。施設側の「一居室
をそれぞれの居宅とみなして、介護保険の適用を認めてほしい」との要望はなかなか受入れられなかった。
しかし粘り強い交渉の結果、ようやく介護サービスを利用できるようになり、施設内にスタッフを多数揃え
なくてもケアが可能になった。ケアの方針、内容については、入居者一人ひとりに対して、施設長・看護主
任・ソーシャルワーカーが、ホスピス医・訪問看護師と相談してコーディネートしている。
看取りに関わるスタッフ・社会資源
施設長
SW
福祉事務所
生活保護
ケア
スタッフ
チャプレン
入居者
(終末期)
ボラン
ティア
調理・清掃
スタッフ
看護
主任
主治医
(在宅ホスピス医)
財務
主事
訪問看護師
ホーム
ヘルパー
介護保険
14
訪問診療
平均的な日課
8:00
入居者朝食(呼び出し、介助)
9:00
スタッフ・ミーティング
9:30
デイケアの出発準備、送り出し
10:00
入居者の個室の掃除、シーツ交換、洗濯など
11:00
個別に入居者の訪問(話し相手、散歩、買い物など)
12:00
入居者昼食(呼び出し、介助)
13:00
スタッフ昼食
午後
(曜日によって)各プログラム
往診医の診察
個別の活動など
18:00
入居者夕食(呼び出し、介助)
22: 00 見回り、消灯
施設長 山本雅基 看護主任 山本美恵 【「きぼうのいえ」のホスピス・ボランティアの特色】
上智大学のコミュニティー・カレッジ(社会人講座)において、2001年の4月から半年間「ホスピス・
ボランティア」という科目の講座が開かれた。「きぼうのいえ」を立ち上げるにあたって、山本施設長はボ
ランティアを募るため参加したが、意外だったのは、具体的にホスピス・ボランティアをめざして来ている
受講者は多くはなく、むしろ過去に身近な人の死を経験し、それに深く傷つき、その「喪の作業」をしてい
る人が多いことであった。「きぼうのいえ」のボランティアも同様で、各々の人生において、さまざまな苦
難を経験している人が多い。「なぜ山谷のホスピスに来るのか?」と互いに問うまでもなく、ボランティア
15
に来る人には共通して自分の人生の課題を入居者のもつ課題と重ね合わせ、共感・共鳴しながら、人生の意
味を探究したいという願望があると思われる。入居者をケアするということは、与えるだけの存在では決し
てないのである。このことは極めて貴重なスタンスであり、この姿勢があるからこそ、「きぼうのいえ」の
ボランティアは、入居者を人生の苦難を歩んだ同志として看取るのである。
ボランティアの募集は、主にキリスト教会等で行っているが、宗教・宗派を問わず「きぼうのいえ」の理
念に賛同している人が集まっている。30
50代の主婦、シスター、大学生、神学生、僧侶、大学教員、
など様々である。日本の著名なホスピスでは、ボランティアは一定期間の研修を受けたり、共通の理念のも
とに働くような教育を受けてから、実際にケアに携わることが多いが、「きぼうのいえ」では、初めの施設
長の面接通過後、きぼうのいえの理念を理解した上で、施設長、看護主任、ソーシャルワーカーの助言を受
けながら、すぐにでも入居者の部屋を訪問することができる。ここでは、入居者と接していてどうしても納
得できない意見に出会ったり、憤りを感じたならば、それを素直に相手に表現してもよい、という指導がな
されている。それは、入居者を論破することが当然目的ではなく、また終末期にある入居者の独特な精神状
態を勘案しないわけでもない。互いの立場を超えて入居者と真正面から向かい合うことが肝要だとしている
からである。
「きぼうのいえ」のスタッフは、「理想的なケア提供者」とは、単に身体介護(食事、排泄、入浴介助な
ど)に技能として優れているだけでなく、真に同じ人間対人間として、単身の入居者と家族的な役割で関わ
り合える人であると認識している。つまり、入居者は「ホテルの客」でも「何でも許される病人」でもな
く、「きぼうのいえ」という新しい家庭または社会でともに生活し、互いに成長しながら最期の時まで精一
杯生きていくことを目的とするからである。「きぼうのいえ」において、入居者をナチュラル・ターミナル
の時点から看取りまで引き受ける以上、年単位の付き合いになることを前提にボランティアと入居者の間
に、真に人間的な親しさを培っていくことは非常に重要である。このように、ボランティアがそれぞれのス
タンスで活動していても、互いを容認しあい、個人の活動が散漫にならずに在宅ホスピスケアを進めていく
ことができるのは、施設長が寛容な視野で施設の理念を先導しているためであることが大きい。
【看取りの場としての宗教的スピリット】
「きぼうのいえ」の礼拝堂には、正面に十字架に架けられたイエスの磔刑像が掲げられており、左脇祭壇
には、エルグレコの聖画が祭壇画として掲げられている。その脇には、ボランティアに来ている浄土宗の僧
侶が写経した、禅宗の白隠禅師の「延命十句観音経」がさりげなく置かれている。山本施設長は「きぼうの
いえ」の宗教的背景についてこう語る。「きぼうのいえの設立のバックボーンには、明確にキリスト教が存
在しています。しかし、この礼拝堂に仏教の教典があるのは、キリスト教がそのアイデンティティーを信仰
16
告白しながら、他宗教の信仰との霊性の交流を共有したいとする思いの表現なのです。現代は、宗教につい
て語ることを避け、あるいは具体的な信仰・信条を語らぬことによってアイデンティティーを隠し、それに
より対決を避けてしまいがちですが、むしろそれを伝えながら理解しあうことが重要ではないでしょう
か。」
また、「きぼうのいえ」のホスピスケアの精神として掲げられているもののひとつに、アシジの聖フラン
シスコ注8 による「平和を求める祈り」があるので下記に紹介しておく。山本氏はカトリック信徒である
が、同時に、他の宗教や教派を排斥するような考えはもっていない。実際スタッフの中には、施設長の他に
も様々な宗教的背景をもった人が集まっている。まず、日本聖公会の司祭が、施設専属のチャプレンとして
看取りのケア及び葬祭を行っており、月1回の聖餐式を執り行っている。また、不定期ではあるが、イタリ
アのテゼ共同体(キリスト教超教派の信徒の集まり)の流れを汲むグループによる祈りの集いも開かれてい
る。ボランティアには、カトリックのシスターや日本聖公会の信徒が多く訪れ、仏教やヒンドゥ教に興味を
もつ人もいる。また浄土宗僧侶が、昨夏には礼拝堂で施餓鬼供養をし、盆踊りの由来を語るなど、折に触れ
読経や法話が行われている。そして「無宗教」のスタッフも、ひとりの人間としてケアを通して生と死を見
つめようとしている。
「きぼうのいえ」のスピリチュアリティーは、いわゆる正統的なキリスト教教義では異端的との指摘を受
けるかもしれない。しかしことにキリスト教のカトリックでは、独自の神学論が展開されている。「信徒の
神学」が強調され、また日本の宗教的文化的風土に根ざしたキリスト教が求められている(日本文化に受肉
したキリスト教)。そのような背景もあり、ここでは特定の宗派、宗団を越えた大きなスピリットに向けた
共同体験を目指しているのである。終末期において、スピリチュアル・ケアのめざすものは、自己存在の肯
定による魂の安らぎであり、宗教・宗派の違いは、人間の多様性に対応するための表現の違いに過ぎず、真
理には宗教さえない、と考える。これは「きぼうのいえ」が看取りの場として存在し、入居者へのスピリ
チュアル・ケアを進めていく上で非常に重要な理念となっている。このように、様々な宗教観が共存する
「きぼうのいえ」では、山本施設長をはじめスタッフの多くが、「どんな宗教も、いのちを前にして目指す
ところはひとつである」という独自のスピリットを持っている。
ある日、「きぼうのいえ」に見学に来た西日本のキリスト教系のホスピスの医師(カトリック信者)が、
山本施設長(カトリック系大学で神学を修め、宗教科の教員資格を持っている)にこう話し始めた。「うち
のホスピスでは毎朝ミーティングとお祈りがあるのですが、そこではキリスト教を信じなければ救われない
という雰囲気があって、私はそれに拒絶反応が出てしまうのです。私は同僚のプロテスタントの医師と酒を
イタリアのフランシスコ(1181-1226)カトリックでは聖人とされる。裕福な商人の長男として生まれたが、戦争
とハンセン病の患者との出会いをきっかけに、キリストと貧しい人たちへの愛に目覚めた。(参考/
http://home.att.ne.jp/wood/aztak/saints/francisco.html)
注8
17
飲みながらこんな話をしているのですが、どうなんでしょう、許されるのでしょうか。」と話し始めた。
「カトリック信者である私が、この世のいのちを終えて天国へ行ったとき、神が出てきて私にこう言うとし
ます。『なあ、おまえが信じていたイエスはな、あれは冗談やねん。許してな。お釈迦様が本当の救い主
やってん。許してな。でもイエスもそんなに悪ろうないで。堪忍してやってな。』こんなことを言うと真面
目な信者さんからは総攻撃を喰らいそうで、なんだか言うのが怖くって。今までずっと心の奥にしまい込ん
でたんです。でも、今日「きぼうのいえ」を見学して、山本さんとお話して『あぁ、これを言っても受け入
れられるかなと思って言ってしまいました。』」この医師の話は、人間の懐疑心、罪悪感、良心との葛藤の
動きを表出したものであろう。しかし、このひたむきな信仰心と他の信仰をも許容していこうとする態度は
矛盾しないのであって、多層的な構造をもつ人間の当然の反応であるといえる。彼は、「それでもよいので
すよ」という施設長の言葉に安堵の思いを抱いて帰郷したという。
宗教的介入についても、非常に示唆に豊んだ逸話がある。あるキリスト教系の病院で、シスターでもある
病棟婦長は、ある末期がんの患者を担当していた。ある日、彼女は急にその患者に腕をつかまれ、激しく問
い詰められたという。「あなたはシスターでしょ。毎日お祈りもしてるんでしょ。なぜ私に死んだらどうな
るのか、神様はいるのかいないのか教えてくれないの!」それを聞いてシスターは、非常に動揺した。医療
に携わるものとして、宗教について患者に積極的に語ることは、この病院においては厳しく戒められていた
からである。その日からシスターと患者との「生と死」についての語り合いが始まった・・・。
「きぼうのいえ」においても、全く信仰を求めることなしに死を迎える人もいれば、自らの心の奥底でゆ
らめき始める宗教性を察する人もいる。山本施設長はこう語る。「綺麗な言葉で死後の世界の話をしたり、
神について説くことだけがスピリチュアル・ケアではありません。宗教の名の付くことを全く知らずに看取
られてもいいんです。たとえ何も言葉を交わさなくとも、『私はここで受け入れられている』という空気だ
けで、その人の魂は安らぐのですから。そのような目に見えないスピリットが看取りの場に存在しているか
どうかの方が、むしろ大切なことだと思います。」
さらに、実際に終末期における宗教的介入を行う場合は、その是非、タイミング、方法、相手のニーズの
内容等々を十分に吟味し慎重に実施しなければなず、画一的に介入を否定したり、逆に無理強いするような
ことは決してあってはならない。さらにこれに関しては、後に事例検討を通して詳しく述べることとする。
18
平和を求める祈り
神よ、私をあなたの平和の使いにして下さい。
私が、惜しみのあるところに、愛をもたらすことができますように。
いさかいのあることろに、ゆるしを
分裂のあるところに、一致を
迷いのあるところに、信仰を
誤りのあるところに、真理を
絶望のあるところに、希望を
悲しみのあるところに、喜びを
闇のあるところに、光をもたらすことができますように助け、導いてください。
神よ、私に、慰められるよりは、慰めることを
理解されるよりは、理解することを
愛されるよりは、愛することを望ませてください。
自分を捨てて始めて自分を見出し、ゆるしてこそゆるされ、
死ぬことによってのみ、永遠に生命によみがえることを深く悟らせてください。
19
【QOLを高めるためのプログラム】
「きぼうのいえ」では、入居者のQOLを高めるために様々なプログラムを組み、入居者がスピリチュアル
なレベルでの充足感をもつ経験ができるように試みている。元来、人間はホリスティックな存在であり、序
章で述べたように、physical(身体的)、mental(精神的)、social(社会的)、そして spiritual な統合体
であることから、殊に身体的衰えを感じている入居者については、人と人がふれあうことによる連帯感、共
感や安心感をもつことが、スピリチュアルな癒しにつながると考えている。
ひとつには、週1回スタッフが、入居者とボランティア、また孤立しがちな入居者同士の交流を図ること
を目的として、お茶等のサービスをしている。入居者が持参するCDを流すなどリラックスできるムードを
つくる工夫をしている。「きぼうのいえ」開設当初は、お互い疑心暗鬼だった入居者も、このティーサービ
スでスタッフを挟んで会話をすることから、次第に気の合う入居者同士が接点をもち、半年経過したあたり
から小さな助け合いが見られるようになってきた。
また、リフレクソロジー(足裏マッサージ)や「気」を用いたマッサージは、週1
2回、専門家がボラ
ンティアで提供している。施術者に身を任せ、楽しく会話をしながら肌でぬくもりを感じることで、入居者
も「ありがとう」という言葉が自然に出るようになった。
ミュージックサナトロジーは、終末期の人のための音楽を用いた看取りであり、入居者の枕元で一対一で
ハープの生演奏を行う。こちらも週1回、専門家によりボランティアで提供される。この手法の源流は、
11世紀のフランス、クルーニーのベネディクト会の修道士たちが、死に臨んだ仲間の修道士をグレゴリオ
聖歌を歌って看取っていたことにある。ミュージック・サナトロジーはその復活の形で、奏者は患者の出す
微細な欲求の波長を感じ取り、それに沿った音色で音楽を奏でる。見方によれば、薬物を用いないまったく
自然の素材による、音によるセデーションと呼べるかもしれないが、注目に値する試みである。
入居者の洗髪、ヘアカットは、主にスタッフまたは介護用訪問美容師が行う。
その他、鍼灸師による施術や整体も、専門家によってボランティアで提供されている。
今までに行った主な年間行事としては、クリスマス会、お花見、七夕、花火大会、浅草ほおずき市見学、
獅子舞の呼び込みなどがあった。
また、高齢者でナチュラル・ターミナルにあり、かつ社会的な交わりがより求められる入居者について
は、できるだけ長く日常性と社会との関係性を維持するために、近隣の老人保健施設でのデイサービスにも
積極的に参加するように勧めている。
20
専門家による
リフレクソロジー
(談話室にて)
スタッフによる散髪
(居室にて)
ボランティアによる
生け花教室
(ボランティア室にて)
21
専門家による
ミュージック・サナトロジー
(居室にて)
花火大会
(きぼうのいえ前にて)
隅田川花火大会を鑑賞
(きぼうのいえ屋上にて)
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【終末期の新たな選択肢の先駆的モデルとして】
「きぼうのいえ」の試みは、山谷地域の支援活動のみにとどまらず、終末期の新たな選択肢の先駆的モデ
ルとして展開していくにあたり、次のような意義があげられる。
まず、在宅ホスピス対応型集合住宅は、ホスピスの理念とケアを推進させつつ、医療費の削減および病床
数を減らす医療制度改革に適合すると考えられる。
次に、社会的入院しか受け皿のなかった人々のプライバシーが守られ、訪問診療と訪問看護により、在宅
での医療を受けることができるようになる。それにより、自分の生きてきた街で終末期を過ごし、知人に看
取られながら、自分の人生の主人公として生を完遂することができる。
そして、現代社会において最も大切な意義として、地域に定着したホスピスケアは、それぞれの地域社会
に死の実相を示すものとなる。死を避けるのではなく、ともに死を見つめることを通して豊かな生のあり方
を体感する場となる、ということである。これこそ、地域で始まり地域で完結するコミュニティケアの真髄
であろう。
*第1章のすべての写真:提供/小林武仁 氏
無償にて使用を快諾して頂いたことに、心より御礼申し上げます。
23
<第2章> 関係性の中のSpiritual growth
私たちは、この社会の基準のもとに生命活動を営む限り、自己というものが、他者との相対的な位置づけ
によって自覚される。通常、その帰属する環境として家庭や職場など社会性をもっているが、「きぼうのい
え」の入居者のほとんどは、身寄りがなく生活保護を受けており、社会的に孤立した状態で入居してくる。
そのようなある種の極限状態におかれた状況から新しい環境に適応していく過程で、人間の根源的欲求がど
のように現れ、自己と他者の関係性をどのように築いていくのかということを見て取ろうとすることは、私
たちのありのままの姿を発見し、自己の洞察に還元することができる。そして幸福の追求という人類共通の
目標に向かって、「きぼうのいえ」においても、入居者・スタッフの差なく、日々スピリチュアルな成長が
なされている。終末期におかれた入居者はもちろんのこと、そのケアの担い手としてのスタッフは、より精
錬された探求を行っている。
ここでは5事例をあげて、入居者同士、または入居者とスタッフ(施設長、ボランティア、ヘルパー、医
師、看護師など)の日常会話から読みとれる、それぞれの Spirituality の相違について分析し、その関係性
の中で変容していく Spiritual growth について考察していく。なお、これらの事例は、優劣や善悪などの価
値的判断を示唆するものではなく、互いの関わり合いの中から、それぞれの気づきを記録したものである。
【事例1】- 金銭的価値観と死生観をめぐる、Spirituality の相違と変容
【事例2】- 主観的幸福感をめぐる、Spirituality の相違と変容
【事例3】- 公費分配の公平性と男女間をめぐる、Spirituality の相違と変容
【事例4】- 存在意義をめぐる、Spirituality の相違と変容
【事例5】- 宗教的行動をめぐる、Spirituality の相違と変容
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【事例1】- 金銭的価値観と死生観をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・入居者Aさん(男性60歳代)
・施設長(男性40歳代)
Aさん
■既往症・病名・・・脊椎癌(原発はすい臓)、下半身麻痺
■入居までの経緯
生後間もなく養子に出され、父親の仕事の関係で炭鉱を転々として育つ。有名私立大学卒業後、時計店、
電気会社、宝飾店などに勤務する間、結婚し子どもを1人もうけるが6年目に離婚。
5年ほど前から土木作業などの日雇い労働をするようになり、お金ができるとサウナに泊まり、ない時は
路上生活をする。2002年、野宿中に警察に尋問された際、警察病院にて脊椎癌が発見される。手術ができ
ないが痛みがなく、自立した生活を送ることができる。
■入居後の様子
2002年10月入居。意識や思考も明晰で社交的な性格から、入居者の間で中心的な存在となる。車椅子
での生活で、介助が必要なのは排泄と入浴。訪問看護師が週3回入り、週1回在宅ホスピス医が往診に来
る。ボランティアと一緒に買い物やレンタルビデオ屋へ出かけたり、時には外食をしたりするほど活動的
で、当初担当医が推測した余命よりも1年程過ぎるが、身体の状態は良好である。入居者で唯一新聞を購読
し、文芸春秋をはじめ多くの雑誌や書籍を読むなど、情報や知識も豊富な方である。
金銭的にも、疾患の重さから比較的多くの生活保護費が入り、貧しい状態ではなかったが、65歳未満で
あるため介護保険が適用されず、今後より身体が動かなくなった時に必要だろうと、少しでも手元にお金を
残そうとしている。
Aさんは自分自身が死ぬということを初め信じていなかったが、担当医の指導により少しずつ死の受容を
していかねばならず、次第にその憤りや不安が、施設長をはじめスタッフに対する苛立ちへと向けられて
いった。まず、出される食事に対する不満を食堂で他の入居者の前で主張するようになった。食費を浮かす
ために、食堂での食事の注文を断り、ボランティアに頼んだり自分で買いに出たりして調達を試みた。ま
た、完全な介護や援助を受けることを当然の権利と捉えていて、自分の待遇や介護の仕方について細かく不
平を言うことが多く、時には物にあたることもある。Aさんは、もとから自分の身の回りや周囲の人のこと
を細かく把握しておきたい性格で、入浴の順番や食事の献立など、自分の考えていた通りにならないことが
あると、強い憤りを表現することもしばしばである。「きぼうのいえ」に対する猜疑心も手伝って、諸経費
の内訳(食費のコスト、人件費など)を知りたがり、明細書を要求したりすることもあった。
そして何よりも、死に対して非常に敏感であり、他の入居者が亡くなるとその度に興奮状態になって、い
ち早く正確な情報を得ようとすることで不安感を拭おうとしていた。しかし一方で、自分の病名や容態につ
いて他人に知られることを非常に嫌がっており、自分の臨死期や死後の措置のことに関して自ら遺書を書い
たが、「きぼうのいえ」での看取りを享受するようなものではなかった。
Aさんのそれらの反発の最も根底にあるのは、施設長の山本氏と「きぼうのいえ」そのものに対する不信
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感であるようだ。
<会話1−1(居室にて)>
Aさん:「ボランティアっていうのは、わからないんですよね。
ここ(きぼうのいえ)も儲けでやっているんでしょうからねぇ。
僕たちを利用して金を巻き上げようとしているんですよ。」
担当医:「あなたは、今まで散々他人を騙してお金を手にしてきたんでしょう?
人を騙すことを悪いと思わず、騙される方が馬鹿だという、あなたの
歩んできた価値観で山本さん(施設長)のやっていることが理解でき
なくて当然だ。」
医師は A さんと山本施設長の関係を取り持つように、 A さんに言葉を投げかける。
またある日、担当の訪問看護師から次のような報告があった。
<会話1−2(事務室にて)>
看護師:「Aさんが『山本さんは、私を必要としてはいない、自分はどうせ
死ぬ人間だと思われているんだ』と言って泣くんですよ。」
施設長:「たしかに僕はAさんを非難しようとしたことはないけれど、
無関心だったかもしれないね。「愛」の反対は「憎しみ」ではなく
「無関心」だから、お互いの存在を認めあうことが一番大切だね。
相手に対して善悪の判断をして評価するのではなく、あるがままに
向かい合って理解することが、信頼関係を気づくことだよね。
受け入れられていないと思うから、悪口や不平を言うのであって、
尊重しあう関係性ができたら変わってくるかもしれない。
よし、Aさんと腹を割って話してこよう。」
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<会話1−3(居室にて)>
Aさん:「僕は、自分の能力がどんどん消えていくことが情けない。」
施設長:「Aさん、人間の身体能力は、たしかに青年期をピークにして死に
近づいていくほど、だんだんなくなりますね。でもそれは悲しいこと
ではない。あなたの身体はするべき仕事を少しずつ卒業していく、
と僕は考えます。昔は汗水流して働いたかもしれないけど、
今のあなたの仕事は、ご飯を食べてトイレに行って、好きな本を読む。
そういう今のあなたができることを最大限に丁寧にやっていけばいいんです。
もしどこも身体が動かなくなったら、たとえば祈ることだって立派な
仕事になります。」
Aさん:「そうですよね、そう思うしかないですね。」
ここで施設長は、まずAさんに身体の状態に応じて、できる限りのことを最大限に行うことを勧める。そ
の行い方は、「心をこめて丁寧に」、である。この考えは、マザーテレサの言葉、「どれだけたくさんのこ
とをしたかではなく、どれだけ心をこめてしたかである。」という価値観を意識しての発言である。また、
Aさんに入居者の自治会長のような役割を与え、施設運営についての進言や提案を聞き、それに対して改善
の策をとって還元するという関係性を作り出すことで、Aさんの人生へのひとつの意味づけを試みた。
<会話1−4(事務室にて)>
施設長:「Aさん、また何か気がかりなことがありますか?私が直接お聞きしましょう。」
Aさん:「えぇ、この前ここの入居者で亡くなった人がいましたよね。僕、その人が亡くなったって
知らなかったんですよ。どんな病気でどこの誰だかも知らない人だけど、誰も教えて
くれなかったんだよね。僕には関係ないことですけどね。」
施設長:「そうですか。きぼうのいえでは死というものを忌まわしいものだとは捉えていないので、
亡くなった人がいても隠したりはしません。でもそうかといって、特に皆にお知らせする
こともありません。変に後から噂で回ってくるよりは、そういうことをきちんと知りたい
ですか?」
Aさん:「いや、僕にはどこの誰が亡くなろうと関係のないことだけれどもね。今回は誰も教えて
くれなかったんで驚いたんですよね。やっぱり情報がほしいですね。でも僕自身は
僕の病気や死ぬとかいうことを絶対に人には知られたくないですね。こういうところは
ほら、守秘義務とかってあるでしょう。そういうことは法律に触れるようなことですか
ら、ちゃんとしてもらわなくては困ると思うんですよね。」
施設長:「というと、他人のことは知っておきたいけど、自分のことは知られたくない、という
ことですか?」
Aさん:「いやー、まぁ矛盾してしまいますけど、気になるんですよね。まぁ僕には関係のない
ことですけどね。」
Aさんは自分自身の死に直面し、Aんなりに死を受容しようと闘っている。しかしそれでも、
「もう一度やり直せるなら」という言葉の後に続くのは、
Aさん:「もし歩くことができたら、また前のように遊び、酒を飲み、ギャンブルをしたいなあ。」
ということであった。それでも山本氏は、いつもこう語っている。
27
施設長:「もちろん僕たちは、最期の瞬間にでも何か光を見出してくれたら、
と願いながらやっているけれど、もしAさんがね、最期の最期まで
納得できずに死んだとしても、それはそれでいいと思っているんだよ。
天国へ行くにしても、来世に行くにしても、あなたの課題は『次ぎの地平』において
引き続き取り組んでいけばよいことであって、そういう魂の存在を私たちは
信じているんだからね。」
Aさんはその後しばらく、落ち着いた日々を過ごしていたが、次第に再び不平不満の声が聞こえるようにな
り、朝のスタッフミーティングで議題にされた。そこで、施設長、看護主任、ソーシャルワーカーの三者
が、Aさんの居室を訪問し、話し合いに行った。
<会話1−5(居室にて)>
施設長:「Aさん、今日はちょっと厳しい話をしに来ました。あなたがお食事についてまた色々と
不満をおっしゃっていると、入居者やスタッフの方から耳に入ってくるのですが、
この前、これからそういうことは私に直接言って下さいと、お約束しましたよね?」
Aさん:「いやー、そんなこと言ってないですよ。何か悪口言った覚えもないですよ。
ただこうしたらいいんじゃないかな、くらいの事は言ったかもしれませんがね。
山本さんに直接言わなかったのは、それほどのことでもないかな、と思ったんでね。」
施設長:「Aさんの要望としていろいろあると思いますが、もっと温かいものを食べたいという
ことについては、お食事をお部屋で食べてもらうのが、順番を待たずにすむ一番早い
方法なのですが、どうでしょう?」
Aさん:「いや、部屋出しは困ります。だってみんなの顔も見たいしね。誰々さんがんばっている なぁ、というのを見ると、僕も励みになりますからね。」
施設長:「Aさん、実はね、今回、一緒に食事をとっている方々の多くから、『Aさんとは一緒に
食事をしたくない、彼はいつも食事について不平を言ってばかりで、聞いていて食事が
まずくなる』、という声が寄せられているんです。あなたが食事に対して言う不満は、
みんなの食べる意欲を失わせる。調理師さんたちからも、『Aさんの食堂での話は、もう
聞くに耐えません。周りで食べている入居者さんもすごく嫌がっているので、Aさんの
食事をお部屋出しにすることはできないでしょうか?』との訴えがありました。」
Aさん:「いやー、全然知りませんでしたねぇ。僕はそんなつもりは全くないんですがねぇ。
誰がそんなことを言っているのか聞きたいですね。」
施設長:「Aさんね、人が放つ言葉ってすごく力があるんですよ。あなたが何気なく言っている
つもりでも、人を深く傷つけたり、場合によっては死に追いやる力もあるんですよ。
今回も、入居者の皆それぞれが色々な条件でつらいことを克服しようとしている中で、
数少ない楽しみの中の一つともいえる食事の時間に、あなたの不平不満を耳にしてたら、
生きる意欲さえ削がれるんです。」
Aさん:「はいはい、わかりましたよ。私はもう食堂では何も言わないことにすればいいですね。」
施設長:「いいえ、ただ表面的な言う、言わないの問題ではないんです。それでは問題は解決しない
でしょう。あえて私は言いますけどね、あなたがこれまでの人生で、これをしたら苦しむ
だろうなと思いながらも、その結果を無視して巧みな言葉で人を騙してきたでしょう? でも同時にその言葉のもたらす結果によって、結局自分の居場所を失い孤立することを
繰り返してしまっている。今回の食事の件も、まさにあなたの人生の人間関係のあり方の
縮図であるように見えますよ。」
28
Aさん:「いやー、あなたに私の人生についてまで口出ししてもらう筋合いはないね。」
施設長:「僕はね、お節介なようだけど、あなたみたいな人のためにこんな建物を作ったんですよ。
社会ではあなたの非を誰も指摘してくれたりはしないでしょう。実際冷たいところです
よ。だからあなたも誰にも相手にされなくなって、この「きぼうのいえ」に行き着いた
のでしょう?僕はあなたの人生を批判するつもりはありません。ただ、あなたが自分の
繰り返す失敗のパターンのようなものに気づいて、人と人との関係というものをもう一度
見つめ直し、あなたのこれからの時間を安らかな気持ちで送ってほしいから、僕はお伝え
したんです。」
Aさん:「あぁ、そういうことを言われるとは思いもしなかったです。そんな影響力が自分にある
とは思いもしなかった。今もちょっとまだ理解しきれません。しばらく考えさせて
下さい。」
【考察】
このAさんの食事や身の回りの事柄に対する執着は、Aさん自身の性格やこれまでの人生経験による傾向
性からくるところもあるが、終末期であるが故の情動でもある。ここにひとつの逸話がある。ある修道院
で、農作業をしようと友人の鍬を断らずに借りて使っていたら、それを見つけた本人が「それは俺の鍬
だ!」と怒って飛んできたという。修道士として私有物を放棄しているが、その所有欲が、逆に残されたわ
ずかな所有物に対して、非常に凝縮された強さをもって向けられてしまうというのは、あり得ることであ
る。このAさんのケースでも、終末期において身体機能が低下し、残された時間も刻々と減っていくという
状況に加えて、財産もほとんどなく、周囲の人と深い信頼関係を築くことも難しいという中で、Aさんの介
入の届き得る様々な日課に対して、生への執着心が強く向けられているということが言える。しかし、そう
いった一見小さなことに思えるような事柄を軽視せずに真摯に対応していくことは、Aさんのスピリチュア
リティーに関わることになる。
一方の山本施設長は、当初入居者に対して個別の事象に対応することはしないという姿勢であった。それ
は入居者が山本氏の試みを理解しようとしまいと関係なく無条件に温かく見守り、「終のすみか」を提供す
ることが自身の役目であると認識しているためであり、これは現在も変わっていないが、この事例で、山本
氏はAさんの要求の段階まで歩み寄っていくということをした。それによって山本氏は自分とAさんとのス
ピリチュアリティーの違いによって悩むことになったが、自分のやるべきことは、相手の価値観を批判する
ことでも変えることでもなく、先が短いからと妥協して黙認することでもない。ただ自分の信念に基づい
て、最後まで相手の幸福を願って積極的に関わり続けることである、という見解を深めた。
ところで、この幸福追求には「段階」があるということを第1章で述べたが、実際に「きぼうのいえ」で
入居者と関わり合うことによって、入居者のスピリチュアリティーとスタッフのスピリチュアリティーの違
29
いに傾向性があることが感じられる。端的に言うならば、利己的かどうかの度合いの違いともいえるが、厳
密には「自己概念」の範囲の違いと捉えるべきであろう。この事例1は、それが最も顕著に表れた例として
取り上げたが、かなり多くの入居者においてこのような自己中心的な傾向性が見られる。
山本施設長は、この「きぼうのいえ」を立ち上げるにあたって多額の借金をし、開設後これまでの間、
日々の労働に対する施設長自身の金銭的報酬は、毎月0円である。そこにはこの活動の動機として、やはり
宗教心という背景がある。つまり山本氏は、身体、精神、社会、霊性のすべての要素において、いのちに対
する救済を、山本氏自身のみならず他者のとりわけ最も困窮している人々にまで及ばせている。そのために
は自身の金銭的利益は度外視することさえできる。
一方Aさんは、自分のエゴの正当化や存在の主張のために、他人を引きずり降ろすことができる。そして
情報なども独占し、自分に権力を集中させておくことで身の安定を図ろうとする。
しかしこの差異は人間性の優劣ではなく、幸福追求の段階が異なるためである。Aさん自身が、食事や金
銭などの要求が満たされていなければ、他人に分け与えることは難しく、少しでも自分の方に囲おうとする
ことは自然な行動である。しかし、その執着は新たな不安を生み、死に対する捉え方も物質的になり、絶望
感から抜け出せないでいる。 それを互いの価値観の交歓によって救いのきっかけを見出そうとしている施
設長であるが、今のところは平行線のままの状態である。
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【事例2】- 主観的幸福感をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・入居者Bさん(女性80歳代)
・入居者Cさん(女性80歳代)
Bさん
■既往症・病名・・・老年性痴呆、胃の不快感、頻尿
■入居までの経緯
後妻に入り、身体の虚弱であった実妹の息子を養子に迎え、長男として育てる。長年芸者をした経験があ
り、華美な物事を好み、気丈であり自尊心が人並み以上に高い。その性格上、実弟やその嫁などとの同居が
困難になり、老人介護施設を転々とした。
■入居後の様子
2002年10月入居。ボランティアとともに散歩や買い物に出かけたり墓参りをしたりと、当初は比較的
活動的であったが、個室での生活で、特に冬場は居室に閉じこもることが多く痴呆が進んでしまったため、
2003年4月より近所の老人保健施設のデイケア(遊戯、食事、入浴など)に週2回通うようになった。し
かし、昔の芸者の仕事の名残りで、本人は「働かされに行っている」と理解しており、「うち(きぼうのい
え)の看板背負って行くんだから」「女の目がたくさんあるからね」という具合に、自分自身を追い込む捉
え方をしてしまう。また、Bさんの居室に介護用ベッドを導入した際には「宣伝のため」と受け取り、「き
ぼうのいえ」の運営に関しても「ご商売だから」という見方をしていて、スタッフや周囲の入居者に対する
会話や振る舞いも非常に「取り引き的」で自己顕示が強い傾向がある。
Cさん
■既往症・病名・・・老年性痴呆、左下肢静脈血栓症、骨粗鬆症による腰痛
■入居までの経緯
平成14年2月、ゴミに埋もれた部屋から、栄養失調のため救急車で病院へ運ばれた。それまで単身で住
んでおり、2
3年の間入浴しておらず、衣服も同じものを着ている状態だった。幼い頃から末の弟妹の世
話に徹したため、子どもはもう十分だと未婚。
■入居後の様子
2002年10月入居。痴呆の程度は軽度で、物品の収集癖はあるが、性格はたいへん穏やかである。やは
りBさんとともに近所のデイケアに通う。
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<会話2−1(デイケア出発時)>
スタッフ:「Bさん、Cさん、デイケアのお迎えのバスが来ますよー!
下に降りて待っていましょう。」
Bさん:「(スタッフに対して、Cさんを指さしながら)まぁこのおばあちゃん、
私とたいして年が違わないのにこんなに腰が曲がっちゃって!
(後ろからCさんの歩く真似をして見せる)
私なんかチャッチャカ、チャッチャカ動けるよ(と小躍りする)。」
Cさん:「・・・(あきらかに聞こえているが、にこにこと笑顔を浮かべて
歩いている)。」
Bさん:「それにあんなに真っ赤な口紅つけて・・・ふふ。」
スタッフ:「Cさん、今日も口紅きれいにつけて、いつもかわいいねぇ。」
Cさん:「そおかぁ?(と微笑む。)」
Bさん:「私だったら、いい年してそんなに赤やピンクのものばかり身に付けるの
恥ずかしいと思うけどねぇ!」
<会話2−2(食事中)>
Bさん:「(側にいるスタッフに対して、Cさんを指さしながら)このおばあ
ちゃん、いつも食べるののろいねぇ。2時間だよ2時間!
(と言いながらスタッフに2本の指を立てて見せる。)それに何考えて
るんだか考えてないんだか知らないけど、いつもだま ってろくに
話もしないけど、これじゃつまらないよねぇ。私みたいに賑やかな方が
張り合いがあっていいわね!」
Cさん:「・・・(聞こえているが表情を変えずに、黙って食べている)。」
スタッフ:「あら、Bさんはおしゃべりするのが好きだけど、Cさんは周りの人が
お話してるのを聞いているだけでも楽しいのよね?」
Cさん:「・・・(にこにこしてうなずく)。」
<会話2−3(玄関にて)>
Bさん:「昔はいい時もあった。でも今は服一枚自由に買えないなんて、
私は情けないよ。」
スタッフ:「でもBさん、天国には何も持っていけないんですから・・・。」
Cさん:「いつも笑っていたらいいじゃない、笑っていたら幸せでしょう。」
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【考察】
現在「きぼうのいえ」では入居者21名中、80歳代以上の女性は3人で、BさんとCさんはその中の2人
である。Bさんは、愛らしい雰囲気で人気のあるCさんをいつも気にしており、一方のCさんは、Bさんに
何を言われても意に介さずマイペースである。
Bさんは、他人の事を気にすることで、自分自身への評価も、他人や過去の自分と比較した相対的なもの
であるため、絶えず満足することがない。また、Cさんに対する言動や、スタッフとの会話が、スタッフに
対する自己アピールや駆け引き的な要素を強くもっているため、実際Bさんに対して嫌悪感を感じるスタッ
フは多い。つまりBさんはスタッフに対して感謝の表現などを頻繁にするけれども、さらにその「感謝に対
する評価」を期待しているのでスタッフも快くなく、Bさん本人も自分の存在意義を周りとの取り引きの中
に追い込んでしまっているため、心が安まらないで悪循環を繰り返す。
一方Cさんは、会話からもわかる通り、これといって特に何かについて話をすることは少ないが、いつで
もその場の状況を素直に受け入れ、周りに流されることなく心の平安を保っている。話しかければいつもに
こにことして答えてくれるCさんは、誰からも好かれている。
この2人の生活の様子から、我々スタッフは「幸せでいる」とはどういうことであるのか、考えさせられ
る。
33
【事例3】- 公費分配の公平性と男女間をめぐる、Spiritualityの相違と変容
・入居者Dさん(男性50歳代)
・スタッフEさん(女性20歳代)
Dさん
■既往症・病名・・・陳旧性脳梗塞による半身麻痺、糖尿病、慢性腎不全
■入居までの経緯
薬屋に生まれるが、中学生の時に家が火事で全焼し、卒業後、自動車修理工、映画技師、パチンコ店など
で働いた。20歳過ぎに上京し、芸能関係(キャバレーに出演する歌手やダンサーのエージェント、ショー
の司会など)の仕事や金具店などを転々とした。平成6年、麻雀の代打屋をしていた時に、脳梗塞のため急
に目が見えなくなって店を首になり、入院先で結核が発見され生活保護を受けるに至った。
兄弟姉妹、親戚とは20年以上音信不通で、現在緊急連絡先である妹も交流を拒否し、身柄の引き取りは
不可である。その原因には虐待があった疑いもある。
■入居後の様子
入居は2002年10月。元来女性好きな性格で、女性のボランティアと一緒に近くの喫茶店までコーヒー
を飲みに行くことが一番の楽しみ。持ち前の大らかさと人なつっこさで、話しやすいためか、Dさんを訪れ
るスタッフは多い方である。金銭で女性を使うというこれまでの仕事の性質上、ボランティアの女性にコー
ヒーをご馳走したり、花などをプレゼントをしたりすることに純粋に満足感を持っているが、お金の出所が
生活保護費であることや、その行動が取り引き的になることを懸念して、施設としては悩みの種となった。
実際Dさんには、自分の好きな物を買って、他人にも奢って十分な程の金額が手元に残ったが、他の入居者
との格差ができ、対抗心を持ってしまう人が出てくるため、できる限り地味に行動してもらうように気を
配っていた。しかし、Dさん本人にそのように話をしてもなかなか理解してもらえず、気に入ったボラン
ティアがいると、必要以上に呼び付けたり、携帯電話の番号を聞きたがったり、予定を独占しようとしたり
することが頻繁にあり困っていた。ただし「きぼうのいえ」の理念として、「模範的な援助者と被援助者」
ではなく、「家族的な関係でその人に寄り添う」ということを大切にしているため、「ボランティアだか
ら」「仕事だから」と割り切って線を引くことができず、どこまで距離をおいてまたは縮めてつきあったら
いいかということは、難しい問題であった。
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<会話3−1(通院先の病院にて)>
Eさん:「ねぇ、この前うなぎ食べに行ったこと、食堂でみんなの前であまり大っぴらに言っちゃ
ダメじゃない。」
Dさん:「どうして?」
Eさん:「Dさんはね、お金に余裕があるからたまには外食もできるけど、他にはしたくても
できない人がたくさんいるのよ。それに誰かが何処そこに行ったって言うと、みんな
真似して行きたがるんだから。ほとぼりが冷めるまではしばらくやめておこうね。」
Dさん:「うん、じゃあ今度コーヒー飲みに行こうよ。」
Eさん:「そうだね、でもそのこともね、私悩んでるんだけど、Dさんいつもごちそうしてくれる
でしょ?でもそれは一応税金から出されてる生活保護費じゃない?そんなことあまり
言いたくないけど、いくらDさんが自由に使えるお金とはいえ、私たち(スタッフ)が
ごちそうになったりするのは、どうしても気が進まないんだ。」
Dさん:「だって俺、女の子にごちそうしてあげて、喜ぶ顔見るのが嬉しいんだもん。
あとは別にそうお金使うこともないしさ。」
Eさん:「う ん、たしかにDさんは女の子におごってあげるのが楽しみなんだもんね。
だけどねDさん、きぼうのいえのスタッフやボランティアに来てる女性は、
おごってもらわなくたって、嬉しいと思うんだよ。大事なのは物やお金ではないと
思っているからね。」
Dさん:「それはわかるよ。じゃあ俺はどうしたらいいの?」
Eさん:「今度から割り勘にしようよ。」
Dさん:「う
ん、でも女の子に払わせるわけにはいかないよ。」
Eさん:「じゃあ行けません!」
Dさん:「わかった、じゃあそうしましょ。」
Eさん:「それからね、小言みたいなのばっかりで悪いんだけど、実はね、今日はどうしても
Dさんに言いたいことがあって、病院まで追っかけて来たんだ。あのね、いつも気に
なってたんだけど、食堂でみんなが食べてるのに、まずいとか食事に文句つけたりする
のは、周りで一緒に食べてる人も私も聞いていて本当に気分が悪いの。それにDさん、
自分が目が見えない足が悪いからっていって、威張って調理師さんたちに対して使用人
みたいな口の効き方するのは、おかしいと思うよ。他の入居者の人だって、調理師さん
たちだって、それぞれ色々な事情を抱えている中で一緒に生活してるんだから。何でも
Dさんのしたいようにだけ合わせることはできないんだよ。」
Dさん:「はいはい、わかりました、もう何も言わなきゃいいんでしょ!」
Eさん:「ちょっと、そういう問題じゃないでしょ?ちゃんと理解してくれたの?
そんなDさんとは私、話したくありません。周りのこと考えられないんだったら
私、Dさんのとこに遊びに行けなくなるよ。」
Dさん:「 いいよ、Eちゃんが来なくなったら『きぼうのいえ』に火つけるよ!」
Eさん:「・・・Dさん、言っていいことと悪いことがあるでしょ?施設長の山本さん夫婦が
どんな思いでここをやっているか考えたことある?」
Dさん:「わかった、言い過ぎたよ、俺が悪かった。」
Eさん:「今日はもう帰るね。」
Dさん:「そう、わかった。気をつけてね。じゃあ俺のタクシー券(身体障害者用に区から給付
されたもの)使って帰ったらいいよ。」
Eさん:「Dさん・・・、さっきの私の話聞いてた?」
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<会話3−2(居室にて)>
Dさん:「ねぇ、携帯電話って持ってるの?」
Eさん:「えぇ、持ってますよ。どうかしたの?」
Dさん:「番号教えてくれないかな?そしたらいつでもEちゃんの声聞けるでしょ?」
Eさん:「う
ん、番号かぁ・・・。かけてもらっても出られないことが多いと思うから・・・」
Dさん:「出られなかったらその時はその時でいいよ。」
Eさん:「ん
・・・。」
Dさん:「嫌ならいいけどさ、別に迷惑かけたりしないよ。ただ知ってたら安心だからと思って。」
Eさん:「今日じゃなくてもいい?ちょっと考えさせてもらえます?」
<会話3−3(事務室にて)>
Eさん:「今、Dさんから携帯電話の番号教えてくれって言われたんですけど、困っちゃった。
嫌な訳ではないけれど、Dさん最近私の予定をすごく知りたがるし、私が顔を出すのが
当然だという感じで考えているみたいで・・・。楽しみに待っててくれるのは嬉しい
ことなんですけど。」
施設長:「それは、教える必要は全くないよ。Eさんのプライベートまで踏み込む権利は、Dさん
にはないからね。」
Eさん:「はい・・。ただ私がこの『きぼうのいえ』に来ているのは、仕事でもなく奉仕活動でも
なく、入居者の人と家族や友達みたいに人間的な関わりを求めて来ているはずなのに、
いざプライベートに深く介入されそうになると、気が引けてしまうのはおかしいのか
なぁって、矛盾を感じるんです。」
施設長:「いや、それは矛盾ではないと思うよ。あなたはプライベートで友達とつき合う時でも
誰にだって電話番号を教えないでしょう?今回だって、それと同じようにしただけの
ことです。入居者の人の言うことを意に添わないのに何でも叶えようとする必要は全く
ないのだからね。あなた自身もDさんに、『私はあなたをと仲良くしたいけれど、
男性としての好意をもって接することはできません』と言えるようにしたらいいね。」
<会話3−4(居室にて)>
Eさん:「Dさん、この前ボランティアの人の息子さんのS君と遊園地に行ったんだって?
楽しかった?」
Dさん:「楽しかったよ。ウサギも膝の上に乗っけて触ったんだ。俺、動物大好きだから。
かわいかったよー。」
Eさん:「S君もすっかりDさんになついてくれたんじゃない?」
Dさん:「うん、あいつはかわいいよ。俺がコレクションしてる世界のお金、俺が死んだら
全部あいつにあげるんだ。かなり増えたからアルバム見てごらんよ。」
Eさん:「やだ、Dさん、毎日見せてもらってるよ。でもDさん、なんだか生きがいができた
みたいでよかったね。コインのことを話す時は目が輝いてるよ。」
Dさん:「そうだ、俺宝くじ買いに行きたいんだけど。3億円当たったら全部きぼうのいえに
寄付するんだ。俺は鳥取の砂丘に行けたらそれでいいの。」
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Eさん:「砂丘?そうか、その時はみんなで一緒に行こうね。本当にに宝くじが当たったら、
Dさんもみんなも私たちもずっとここで生活が続けられるよね。
じゃあ、私も買おうかな。一緒に買いに行こう!」
【考察】
この事例には2つの問題点がある。まず一つは、生活保護費の使い方とQOLについてである。入居者Dさ
んは、月額20万円程の生活保護費が支給されており、これは「きぼうのいえ」の入居者の中でも最も多い
うちの一人に入るが、143,500円の入居費を差し引いても、毎月6万円程の金額がDさんの手元に残る。
そのお小遣いは、お菓子やジュースなどの嗜好品、週1回ずつの生花の注文、CD、喫茶店でのコーヒー代
などに費やしているが、それだけでは十分余る。もちろんDさんは半身麻痺で通常の仕事に就くことができ
ない状態であって、当然お金の使い道も限られているのであるが、嗜好品の質を比べてみると、たとえば外
の喫茶店でコーヒーを1杯飲む場合、Dさんは、近所の行きつけの喫茶店で週2 3回程、1杯500円位
のコーヒーを飲んでいるのだが、月給20万円程のサラリーマンが、同じように週2 3回コーヒーに500
円を費やせるかというと、厳しいといえるだろう。
ここで、生活保護受給者は最低限度の慎ましやかな生活をするべきだ、と述べるつもりもないし、実際
QOLのより高い生活をすることは推奨すべきである。しかし、公的資源の公正な分配という観点から見た場
合、この生活保護費の使い方の差異は、妥当であるといえるかというと、非常に難しい。もちろんコーヒー
の例は一面であって生活全体の自由度を考えたらその限りではないが、汗水流して1ヶ月あくせくと働いた
人より、同じだけの間寝て暮らした人の方が嗜好品によりお金をかけられる場合があるという現状がある。
もう一点は、入居者と異性のスタッフの距離の取り方である。福祉施設や病院において、被援助者がス
タッフに対し個人的に好意をもつことはよくあることだが、「きぼうのいえ」においても例にもれずそのよ
うな問題が起こってくる。しかしそのような場合、精神科のクリニックのクライアントとは違って、「きぼ
うのいえ」では悩んだり苦しんだりしながらも、入居者はスタッフとも対等な人間同士として関係性を築い
ていくことが要求されるし、またスタッフもそのように関わろうとしている。つまり、第1章でも述べたよ
うに、入居者は「ホテルの客」でも「何でも許される病人」でもなく、スタッフは、単に身体介護の技能を
磨くだけでなく、真に同じ人間対人間として、単身の入居者と家族的な役割で関わり合うように心がけてい
るのである。
この事例でも、EさんはDさんとの距離の取り方で悩んでいたが、二人の人間的な関係が次第に築かれて
いくにしたがって、Dさんの心理的変化もみられるようになった。当初はお金の取り引きによって、無意識
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に自分の優遇を得ようとする傾向があったが、子どもや動物に愛情を注ぐ楽しさや与える喜びを思い出すこ
とで、女性から目が離れ、きぼうのいえ全体の利益を考えられるようになり、入居1年を過ぎたあたりか
ら、Dさんの手元に残ったお小遣いの中から、きぼうのいえの活動資金として、しばしば数万円の寄付をし
てくれることがあった。この頃になると、食事中などの入居者同士のつき合いについても、皆の心の平安を
願うような発言も多くなった。
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【事例4】- 存在意義をめぐる、スピリチュアリティーの相違と変容
・入居者Fさん(男性80歳代)
・看護主任(女性40歳代)
Fさん
■既往症・病名・・・全盲、痛風
■入居までの経緯
シベリア抑留12年、その間岡田嘉子の劇団にいたという(抑留中でも参加できたのかどうかは疑問)。
昭和32年に帰国。共産党員であるが、靖国神社で割腹自殺を図るも未遂。手配師、大工、その他職業を
転々とし、不況のため失職、ホームレス生活となる。その後、隅田川に飛び込み自殺を図るが、これも未遂
に終わる。数年前、突然全盲になり、自立生活が不可能になる。
■入居後の様子
2002年10月「きぼうのいえ」に入居。血気盛んな性格のため、施設側ではいろいろとケアについて考
えたが苦慮する。部屋に閉じこもりきりではよくないからと、ラジオ、浪曲、散歩などに誘ってみるが、デ
イサービス的なケアでは満足しない。近い年代のスタッフと近所の喫茶店にコーヒーを飲みに行くのが小さ
な楽しみ。民間企業から派遣される若いヘルパーに対しては、目が見えないことからくる苛立ちや、若い者
に世話になりたくないというプライドからの怒りをぶつける。担当が数人いて日によって入れ替わるシステ
ムでは、目が見えないため余計に気を遣い、不安になるようだ。また、訪問診療の順番を待たされたり、お
風呂の温度や薬の渡し方が気に入らなかったりするとすぐに激怒し、スタッフ側は対応に困り果てている。
そして、なだめたり優先的に扱ったりして、結局は手のつけられない子どもへの対応のようになってしま
い、スピリチュアル・ケアの本質的なものに繋がっていかない。「生きてたってしょうがねぇ、死んでや
る!」と言って、タオルを結びつなげて首つり用の縄を作ることもしばしばである。
<会話4−1(医務室にて)>
看護師:「Fさん、薬飲んでないみたいですね。どうして?」
Fさん:「何の薬か、先生が説明してくれなかったからだよ。」
看護師:「この前も先生が、きちんと説明したはずだけど
もらいましょうね。」
。じゃあもう一度ゆっくり説明して
Fさん:「いや、いいんだよ、俺は自分の身体のことは自分が一番わかってるんだ。
薬なんか飲まなくたっていいんだよ!」
看護師:「でも薬飲まなかったから、また痛みが出てきちゃったでしょう?」
Fさん:「そんなこと知らねえよ! もうこんなところにいてもしょうがねぇ、
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出て行ってやるよ!」
看護師:「目も見えなくてどうやって出ていくの? これだけちゃんとFさんのこと考えている
じゃない?」
Fさん:「生きてたってしょうがねぇから、死んでやるよ!(医師につかみかかろうとするのを
看護師がその手を掴んで制する。)」
訪問医:「いい加減にして下さい、あなたは人への感謝というものがないんですか?」
看護師:「わかりました、そんなに死にたいのなら、今私が玄関まで連れていってあげます!」
Fさん:「俺をこの寒空に放り出す気か! 区の担当者呼んでくれ!」
看護師:「死ぬのに担当者はいりません。私が責任負いますから、どうぞ出ていって下さい。」
Fさん:「・・・わがままを言った俺が悪かったよ。」
<会話4−2(居室にて)>
Fさん:「ここにいりゃあ飯が食えてよ、暖かい所で眠れてよ、コーヒーも飲めるよ、確かにさぁ。
だけどこれは生きてるってんじゃないんだ。ただ生存してるっていうんだよ。」
看護師:「そうだね、Fさんは波瀾万丈な人生をくぐり抜けて来たんだもんね。
こういう生活ではたしかに生きがいを感じられないかもしれないね。」
Fさん:「あぁ、デイサービスとか何とかって言われっけどよー、そんな子どもの遊びみてーな
こと、この年になってできねーよ、馬鹿馬鹿しくて。」
看護師:「うん・・・。ねぇ、Fさんの今まで体験してきたこと、みんなにも話してあげたら
どうかなあ? どんな時代を生きて、どんな思いをしたのか、ね。」
Fさん:「んー・・、そりゃ、かまわねぇよ。」
【考察】
Fさんの人生は、日本の戦前、戦中、戦後史そのものであり、シベリアでの長期にわたる強制抑留など、
非常に厳しいものだった。その体験は、歴史の目撃者として次代に語り継ぐべき価値を持っている。その場
しのぎの楽しみや、痴呆を遅らせ体力を維持させるためだけの高齢者用のプログラムでは満足しない。Fさ
んの存在意義を感じ合えるにはどのようにしたらよいか。
看護主任は、Fさんに点字を学んでもらおうと思い、Fさんも一時はその気になったが、予想以上に習得
が困難で失敗に終わる。そこで、自分の人生の経験や様々なエピソードを語ってもらい、テープに録音して
いくことを思いつく。語りを傾聴されることで、自分自身の生涯について次第に納得してもらうことができ
るかもしれない。これを継続して行うことにより、落ち着きを見せ始めることを期待している。最近様々な
場所で導入されている「回想療法」の実践であり、いわば、人生の収支決算書を作成するようなものであ
る。生涯を深く顧みる作業によって、つらかった経験にカタルシスを起こさせたり、自分が受けた恩恵に気
づくことを期待したい。
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【事例5】- 宗教的行動をめぐる、スピリチュアリティーの相違と変容
・入居者Hさん(男性70歳代)
・スタッフIさん(女性40歳代)
Hさん
■既往症・病名・・・間質性肺炎、皮膚筋炎、中咽頭がん
■入居までの経緯
1999年10月、66歳の時に原因不明の肺炎と診断を受け、家族に染してはいけないと、妻と子ども2人
を残して家出し山谷に来た。間質性肺炎のため入院となり、台東区から生活保護の受給が開始された。
2003年中咽頭がんの手術を行い、3月に簡易旅館に退院してきたが、そこでの生活が困難になり、4月
「きぼうのいえ」に入居した。
■入居後の様子
間質性肺炎の他に皮膚筋炎を合わせ持ち、中咽頭がん術後創から排膿が止まらない状況であった。ソー
シャルワーカーが家族に連絡を取ったが面会はなかった。生活保護により入居費、食費、訪問診療・訪問看
護は充当され、ホームヘルパーは介護保険でまかなわれた。「きぼうのいえ」で提供されているミュージッ
ク・サナトロジーを受けたり、ティーサービスに参加したりと、他の入居者やボランティアとも関わり合う
ようになった。 戦時中のことや、昔のペンキ職人時代の武勇伝なども披露してくれた。
<会話5−1(居室にて)>
Hさん:「俺は昔っから、喧嘩っ早かったよね。ドヤ(簡易旅館)にいた時も、
近くの奴が留守の人んとこに盗みに入ってるのを目撃してさ、
その場で追いかけてって張り倒してやったよ。とにかく俺は曲がった
ことが大嫌いだからさ。」
Iさん:「へぇ、Hさんは正義感が強いんだね。きぼうのいえは安心でしょ?
ここの生活は好き?」
Hさん:「あぁ、ここはいいよ、快適だね。何も言うことないよ。」
Iさん:「ずっとここにいたいと思う?」
Hさん:「んー、別に何も望むことはないけどさ、最期まで自然にいきたいね。
波瀾万丈だったけど、楽しい人生だったと思うよ。」
入居から4週間後、Hさんの容態が急変し、呼吸困難で酸素吸入を開始した。危篤状態が3日ほど続いた
日のこと、施設長から聖職候補生として神学校に通っていたスタッフのIさんに話があった。
<会話5−2(事務室にて)>
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施設長:「Hさんがそろそろ旅立つようだね。彼は特に信仰は持っていないけど、彼に安心を
与えられる可能性があるものとして、彼の意識がはっきりしているときに『洗礼を
受けてみますか?』という感じで、旅立ちの準備として洗礼はどうかなと思うんだ
けど・・・。本人がいいということなら今回あなたがその役をやってくれるかい?」
Iさん:「洗礼をすることはHさんの肉体が死んだ後も長い長い魂の時間にとって、とても大きな
影響のある、責任の重いことだから、少し考える時間が欲しいと思うけど、Hさんに
残された時間はほとんどなさそうですね」
施設長:「そうだね、あなたは普段からこの『きぼうのいえ』での自分の働き方について色々
悩んでいるけれども、これから聖職者を目指す身として、この機会にHさんの魂の
歩みに関わってもいいんじゃないかな?」
Iさん:「はい、ではやらせて下さい(涙を流す)。」
すぐに、施設長と看護師、筆者が立ち合う中、IさんがHさんに洗礼を授ける。Iさんは意識朦朧として
いる状態でベッドに寝ている。
<会話5−3(居室にて)>
Iさん:「Hさん、私の信じるところでは、今生のいのちを終えようとするあなたにとって、
洗礼はあなたがこれから歩む道筋を行きやすくするよい助けになると思います。
その旅のお手伝いとして、洗礼をさせて頂きたいのですが、どうしましょうか?」
Hさん:「・・・よろしくお願いします。」
−洗礼終了後−
Iさん:「Hさん、これであなたは安らかに、神様のもとへ行かれますよ。」
Hさん:「ありがとうございます・・。」
その夜、宿直のスタッフに看取られて、Hさんは静かに息を引き取った。享年70歳であった。「きぼう
のいえ」による葬儀は行わず、法的には離婚していなかった妻が遺体に面会して、ソーシャルワーカーとと
もに荼毘に付し、遺骨を引き取った。
<会話5−4(事務室にて)>
筆 者:「Hさんの奥さん、親戚にも何も知らせず、お葬式もするつもりはないそうですね。
Fさんはどうしてほしかったんだろうと思うとすごく心残りだけど、どんなに縁が
切れていても、本当の家族がいたら、やっぱり私たちには何もできないですね。」
Iさん:「Hさんにはきぼうのいえでお葬式をすることはできなかったけど、家族にはそれぞれの
思いがあるから、家族が納得いく形で弔えれば私たちもそれでよかったと思えるよね。」
筆 者:「Hさんに洗礼を授けてよかったと思いますか?」
Iさん:「うん、Hさんが本当に望んでいるかどうかが心配だったし、すごく頑固なHさんだから
洗礼を受け入れてくれるかなぁと思ったけど、実際してみて何かが伝わったという感じ
があったよ。終わってからの『ありがとう』という言葉に、私は『ああこれでよかった
んだ』と思った。」
筆 者:「それを聞けて安心しました。Fさんの担当医の先生は、今回の洗礼には納得していな
かったみたいでしたから・・・。」
Iさん:「一方的な押し付けではなく、私は洗礼を『キリスト教の神』だけでなくて、何か大きな
力への信頼や、私たちにできるIさんのこれからの魂への配慮という意味で捉えているの。
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だから、特定の宗教に縛ることにはならないと思う。それに、洗礼は私個人の力では
なく、神様の恵みがたまたま私を通してFさんに降りていったようなものだから、Hさん
の魂を神様に身をあずけたという安心感で、私としては気持ちが楽になったかな。」
【考察】
今回の入居者Hさんへの洗礼について、その評価の是非は非常に困難なところである。まず、洗礼を授け
た当日の状況として懸念する点は、
①洗礼を受けたいかどうかの施設長による初めの意思確認から、実際に洗礼を受けるまでに数時間足らずで
あり、Hさん自身が検討する十分な時間があったと言えるかどうか。
②Hさんは、モルヒネによる疼痛マネージメントを受けていたが、危篤状態で、洗礼を受けることの意味を
十分に理解し考慮する気力と体力が残っていたかどうか。
③Hさんは、寝返りをうつ程度のこと以外は、まったく自力では一切の動作を行うことができず、スタッフ
側に全面的に身を預けなければならない状態において、いわば「勧められた洗礼」を断る選択をした場合
に、Hさん自身への今後の待遇の心配が生じて、純粋な形での選択が可能であったかどうか。
ということがあげられる。また、
④日ごろ比較的Hさんと交流のあったスタッフIさんや施設長から、それまでに宗教的な話題やFさんのス
ピリチュアリティーに深くかかわるようなアプローチは特になされておらず、結果的に亡くなる半日前に初
めて、洗礼という形で宗教的介入があったということで、洗礼がHさんの人生や人間性に十分に寄り添った
上での提案であったかどうか。
ということが疑問にあがる。実際Hさんの担当医は、この一連の行動に強い憤りを表し、施設長、チャプレ
ン、看護主任、担当の訪問看護師、看取った宿直者(筆者)とともに、Hさんの死後すぐに話し合いが行わ
れた。
しかし、今回のケースの場合、上記の会話記録からも読みとれるように、短い間での出来事ではあった
が、洗礼を授けたスタッフのIさんが、精一杯真摯にHさんの看取りについて考え、心を通わせようとした
こと、またHさんもそれに対し、受容と感謝の意思をはっきりと言葉で述べ、態度からも伝わっていたとい
うことで、この洗礼に関しては、肯定的な評価をすることができるといえる。
「きぼうのいえ」のスピリチュアリティーには、独自のものがあることを先に述べたが、ここではそれが
如実に表れているといってよい。すはわち、「洗礼」は必ずしもキリスト教入信のためだけの儀式的なもの
ではなく、むしろ、この世のしがらみや苦悩の桎梏からの解放、また人類全体を司っているスピリットへ向
けての参入と捉えており、本人の同意があったことで、その判断までの時間の長短にかかわらず、Iさんの
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Hさんへの善意のシンボルとして「洗礼」を見た場合、大きな瑕疵があったとは言いにくい。
ただし、「きぼうのいえ」が在宅ホスピスケア施設という特性上、今回のような入居者の容態急変が起こ
る場合も非常に多く、宗教的介入を行うにあたっては、入居者本人とのより深い関係性を作りながら、入居
者の求めに応じた対応をする必要がある。
さらに、Hさんの死後、絶縁状態であったFさんの妻が、遺骨を引き取っていったが、火葬や葬儀埋葬な
どについて、Hさん自身がどのように希望していたのかは、不明なままであった。
したがって、このケースをきっかけに、終末期における様々な選択にあたって、入居者が十分な意思決定
と意思表示ができるような、またそれを促すような、施設としての最低限の基準を作成しなければならない
という課題が生じたため、直ちに筆者自らリヴィング・ウィル(終末期宣言書)を作成した。これについて
は第4章で詳しく述べる。
44
<第3章> 看取りの5事例の紹介
2002年10月の開設から2004年2月までに、「きぼうのいえ」で亡くなった入居者は5名である。各事
例の看取りを追いながら、在宅ホスピスケア対応型集合住宅という新しい形の施設の可能性を検討したい。
これまでに看取った5事例
A氏
67歳 男性
肝臓がん
入居57日
生活保護(医療扶助による訪問
診療、訪問看護)S区
B氏
71歳 男性
肝臓がん
入居2日
生活保護(医療扶助による訪問
看護)T区
C氏
70歳 女性
肝硬変
入居89日
生活保護・介護保険 S区
D氏
70歳 男性
中咽頭がん
入居41日
生活保護(医療扶助による訪問
間質性肺炎
E氏
75歳 男性
肝臓がん
診療、訪問看護)T区
入居227日
生活保護(医療扶助による訪問
診療、訪問看護)T区
A氏の看取り (67歳 男性、肝臓がん)
■入居の経過と在宅ホスピスケア
昭和9年、京都に生まれる。20代で京都から上京、その後どのような仕事に就いていたかは不明。内縁の
妻がおり、その間に女子ももうけられたが、その子も養子に出して、妻子ともに所在は不明である。
数年前より山谷の簡易旅館に滞在。やがて身体の不調を覚え浅草寺病院を受診する。C型肝炎とアルコール
による肝硬変から肝癌を併発、腹水が貯留し、3ヶ月に1回の割合で入院し、腹水穿刺により腹水を抜いて
いた。また椎間板ヘルニアで2002年9月に手術を受けた。墨田区の生活保護を受けており、区の紹介で
「きぼうのいえ」開設当初の2002年10月に入居した。入居後すぐに入院、4,000mlの腹水を抜き、退
院してきた。10月末に再度入院、退院後、「きぼうのいえ」でのホスピスケアを希望した。
主治医を訪問診療を行う在宅ホスピス医に変更して、訪問看護も導入、「きぼうのいえ」で在宅のままケア
を受けることになった。腹水の他、下肢の浮腫、陰嚢水腫も出現、麻薬で痛みをコントロールし、腹水を抜
きながら在宅で経過した。11月にベッド、マットレス等の福祉用具の貸与を受けた。当初介護保険を受け
ることができなかったが、墨田区と交渉の末、介護保険を得ることができた。
Aさんのケアについては、施設長夫妻が主治医や訪問看護師と相談し決定、実施していった。特定のボラン
ティアが定期的にはいり、家族的な役割を果たしていた。
■臨死期から死後のケア
自分で近くの店に出かけ、豆腐を買ってきて食べ、明日は銭湯に行きたいといっていた翌日、通常の起床時
間に様子を見に行くと、ゼーゼーとした呼吸音で、血圧が低下。吸引をし、医師の診察を受けたが、入居
52日目の明け方に亡くなった。享年67歳であった。葬儀は「きぼうのいえ」の理事が牧師を務めているキ
リスト教会で執り行い、遺骨は現在も「きぼうのいえ」に安置されている。
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B氏の看取り (71歳 男性、肝臓がん)
■入居の経過と在宅ホスピスケア
親族は姉が埼玉県に在住であるが関係は断絶している。生計は浅草のバー等の飲食店のマスターをしていた
という話もある。就労稼動時の主たる職業も確かな証言はない。やがて稼動年齢を過ぎ、台東区から生活保
護を受け、簡易旅館で生活を送っていたが、C型肝炎を長く患い、肝臓がんを併発、腹水が貯留するように
なり、入院が決まった。入院前の2日間、山谷地区内の他のNPO団体(山友会)を経由して、「きぼうの
いえ」に臨時に入居した。しかし、病院入院後すぐに中心静脈栄養が始まり、ベッドから動けなくなってし
まった。Bさんは治療を中止し、退院して「きぼうのいえ」へ入居することを希望した。Bさんと施設長は
「きぼうのいえ」設立以前に山友会で出会い、関係性ができていた。
このことについて病院の医師、看護師は了解したが、区の福祉課、病院の事務長は、最高の医療を受けるた
めには入院が必要であり、退院は認められないとBさんとの意見の不一致がみられた。「きぼうのいえ」施
設長はじめ病院関係者、区の担当者がそろっているところでBさんの意思を確認したところ、準備していた
リビング・ウィルの用紙に指紋を押し、明確に意思表示をした。中心静脈栄養のチューブを抜去した上で退
院し、「きぼうのいえ」に入居した。
■臨死期から死後のケア
入居後は直ちにホスピス医の往診を受け、酸素吸入を開始し、訪問看護を導入したが、入居してちょうど
24時間後に亡くなった。入居2日目、享年71歳であった。葬儀は理事が牧師を務めるキリスト教会で執り
行い、遺骨は「きぼうのいえ」に安置されている。
C氏の看取り (70歳 女性、肝硬変)
■入居の経過と在宅ホスピスケア
若いとき結核で手術をうけた時に輸血の経験があり、C型肝炎、B型肝炎から肝硬変となり、2000年末か
ら入退院を繰り返していた。次第に仕事が困難になって墨田区から生活保護を受け、独居在宅で仕事仲間が
世話をしていたが継続できなくなり、2003年1月から入院し、2月退院と同時に「きぼうのいえ」に入居
した。
「きぼうのいえ」では、在宅ホスピス医を主治医として新たに選定、依頼し、同時に訪問看護が開始され
た。また朝・晩の2回、身の回りの世話のために、ホームヘルパーの派遣を依頼した。介護度は当初要介護
2であったが、4月からは要介護4になった。生活保護により入居費、食費、主治医の訪問診療、訪問看護
は充当され、ホームヘルパーは介護保険でまかなわれた。
またボランティアによるミュージック・サナトロジーが定期的に試みられ、Cさんの魂に添うようなハー
プの生演奏によるケアを受けていた。
■臨死期から死後のケア
46
病状は増悪、安定を繰り返し、そばに人がいることは好まなかったが、スタッフや特定のボランティアのケ
アを受け入れ、入居89日目に安らかに亡くなった。享年70歳であった。葬儀は理事が牧師を務めるキリス
ト教会で執り行い、荼毘に付した後、遺骨は知人により郷里のお寺に届けられた。
D氏の看取り (70歳 男性、中咽頭がん、間質性肺炎)
■入居の経過と在宅ホスピスケア
1999年10月、66歳の時、原因不明の肺炎と診断を受け、家族に染してはいけないと思い、妻、子供2人
を残して家出、山谷に来た。間質性肺炎のため入院、台東区からの生活保護の受給が開始された。2003年
に中咽頭がんの手術を行い、3月に簡易旅館に退院してきたが、そこでの生活が困難になり、4月「きぼう
のいえ」に入居した。間質性肺炎の他、皮膚筋炎を併せ持ち、中咽頭がん術後創から排膿が止まらない状況
であった。ホスピス医を依頼、訪問看護を開始し、5月に要介護1の認定を受け、ヘルパーの派遣を受ける
ようになった。生活保護により入居費、食費、主治医の訪問診療、訪問看護は充当され、ホームヘルパーは
介護保険でまかなわれた。特定のファミリーボランティアが関わり、Dさんもミュージック・サナトロジー
のサービスを定期的に受けていた。また、談話室で音楽をかけてスタッフ・入居者が自由に集うお茶の時間
(ティーサービス)を設定したところ、Dさんも参加し、四方山話を交わすようになっていった。生活は単
身であったが、法的には離婚しておらず、「きぼうのいえ」のソーシャルワーカーが家族と連絡を取った
が、面会はなかった。
■臨死期から死後のケア
呼吸困難のため酸素吸入を開始したが、翌日に亡くなった。入居41日目、享年70歳であった。「苦労も多
かったが、いい人生だった」と話していた。葬儀は行わず、妻が遺体に面会して、ソーシャルワーカーと共
に荼毘に付し、遺骨を引き取った。
47
E氏の看取り (75歳 男性、肝臓がん)
■入居の経過と在宅ホスピスケア
2003年4月、葛飾区の総合病院を退院し入居。原発性肝がんと慢性C型肝炎で、痴呆を伴っていた。発症
より5年を経過していた。尿・便失禁があり、衣服を脱ぎ、そのまま布団の上や室内で排泄するなど、痴呆
の症状は重く、身体介護が大変必要な状態であった。ある日他県まで失踪し、警察に保護されるなど、活動
的な状態と寝たきりの状態、また食欲にも波があるなど、日々身体状況・精神状況が不安定であった。
■臨死期から死後のケア
Eさんは、死亡の1週間ほど前から意識が朦朧とした状態に陥った。「きぼうのいえ」としてはめずらし
く、本人の口渇感に対応するため、点滴を行った。モルヒネ、在宅酸素の使用はなく、臨死期を迎える。3
日間、深い昏睡状態を経過した後、安らかに呼吸停止した。
死亡診断書が出た時点で、Eさんの故郷である信州の妹に連絡を取り、遺骨の引き取りを打診したものの
拒否。遺骨は現在も「きぼうのいえ」に安置されている。
【看取りのケアについて】
この5事例は、いずれも病院での積極的なケアを施す術がなく、末期の状況で入居した。定期的な訪問診
療・訪問看護により、疼痛マネージメントを受け、安らかな臨死期を経て、施設長、看護主任、スタッフ、
ボランティアと多くの時間を共有しながら息を引き取った。そして葬儀と遺骨の管理については、各人の状
況に応じ個別に対応した。
5事例のケア提供に関し共通していたのは、入居者と「きぼうのいえ」のスタッフとの関係性が築かれて
いたこと、ホスピス医の存在、訪問看護によるケア、介護サービスの導入、ボランティアの関わりであり、
さらにこれら複数のケア提供者の関わりを、「きぼうのいえ」のスタッフがコーディネートしていた。
ホスピス医は5事例とも在宅ホスピスを推進して取り組んでいる同一の開業医で、片道車で15分弱で往
診が可能であり、緊急時の対応ができた。訪問看護は2カ所の訪問看護ステーションを活用したが、1カ所
はホスピス医と共同しているステーションで在宅ホスピスケアの経験があり、もう1カ所は山谷地区内にあ
り、訪問看護と在宅介護サービスを提供しているステーションで、ヘルパーの派遣も同一のところから受け
ることができた。
48
<第4章> リヴィング・ウィルの作成と実践
第2章の「事例4」と第3章の「Dさんの看取り」(同一人物)に基づく経緯によって、リヴィング・
ウィル(終末期宣言書)の必要性を感じ、筆者自らそれを作成することになったが、この意思表明は、入居
者の終末期における選択の責任の所在を明確にするという目的以上に、この書類を作成することによって入
居者自身がこれからの自分のいのちについての意識を高められることを期待した。特徴としては、「きぼう
のいえ」の特性上、基本的に家族がいない、在宅であり他に移住する選択肢がほぼない、ということを考慮
して、それらに関係する項目は除外してあるということである。行き場を失い、家庭や社会との関係性が一
度は破壊された状態から、「きぼうのいえ」という新しい環境で、関係性が再構築されていくことをふまえ
た上で、入居者が自分のいのちについて意思表明をしていくことにスタッフはどのように関わっていくかが
重要である。
項目としては、以下の点についてふれている。
・病名告知について(1・2)
・延命治療、ペインコントロール、経管栄養、脳死などについて(3)
・看取りについて(4)
・宗教について(5)
・葬儀について(6)
・埋葬について(7)
このリヴィング・ウィルを入居者へ適用するにあたっては、重ねて検討が必要であり、まだ実際に適用に
は至っていない。今後、施設長やソーシャルワーカーと連携して、慎重に進めていく予定である。作成にあ
たっては筆者が原盤を作り、施設長や顧問のホスピス医の指導を経て実現した。現段階では、試行として
10名のスタッフにそれぞれ記述してもらい、幾度か改訂を行った物が以下の資料である。工夫した点は、
・高齢者や軽度痴呆の人、学歴がない人などにも理解し得る可能性の高い、極力易しい表現にした。
・「宣言書」という形ではなく、自然に内容に入っていけるようにアンケート風にし、「
してほしい」な
どの受動的表現は極力避けるようにした。
ことなどである。
このリヴィング・ウィルは、入居時の必要書類として、入居者全員に作成を義務づけるものとなる予定で
ある。よって、実践する上で残る課題としては、痴呆や精神疾患をもつ入居者へのリビング・ウィルをどう
考え、対応するかということであるが、それについては成年後見制度
注9
注9
法務省民事局(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji17.html)
49
を導入することで対応したいと考
えている。また臓器提供については本編では触れず、必要がある場合に限って別途ドナーカード注10 等を紹
介するという形が適当ではないかと考える。
そして、リヴィング・ウィルの入居者への施行が実現した後、それを分析し、入居者の①自己決定への意
識、②死生観、③宗教観がどのようであるか、そしてそれがスタッフのものと相違点があるかどうか、とい
うことを調査し、現代の日本のような一般的に宗教性の薄い文化圏の中における、スピリチュアル・ケアの
可能性についても研究していく予定である。
注10
(社)日本臓器移植ネットワーク(http://www.pref.iwate.jp/magazin/zouki/)
50
きぼうのいえ /なかよしハウス
なかよしハウス 入居にあたっての
「いのちへの意思表明」
(事前宣言書)
あなたの身体やいのちに対するお考えとその希望について、7つお尋ねしま
す。
この質問に答えて頂くことは、あなたのこれからの人生への重要な意思表示に
なります。たいへんつっこんだ内容になりますが、あなたのいのちについて、あ
なた自身が選び決めていくことは、とても大切なことですので、今現在のお考え
で結構ですから、じっくりと考えてみて下さい。
あなたは、あなたの人生をどのように生き、どのように終えていくかについ
て、考えて選んでいく権利があります。それは、誰かによって強制されるもので
も与えられるものでもなく、あなたがそうしたいと思えばいつでもどこでも尊重
される意思なのです。
なお、この質問紙はきぼうのいえの事務局で大切に保管します。あなたの許可
なしにむやみに人の目に触れることはありません。また、答えて頂いた内容はい
つでもすぐに変更することができます。
きぼうのいえ/なかよしハウスでは、このご意思をもとにあなたのこれからの
人生について一緒に考えていくことができることを願っています。
1/6
51
1、あなたの身体の具合が悪くなり、人生のゴールに近づいている状態に
なったとき、あなたは身体の状態について知りたいと思いますか?
□ありのままの真実を知りたい。
□あからさまにではなく、それとなくわかるように配慮して
ほしい。
□知りたくない、または知る必要はない。
□もう自分の病状は知っている。
□その他[ ]
2、病名告知を希望する場合、誰から話を受けたいと思いますか?
何人でも印をつけて下さい。
□施設長 山本雅基
□山本美恵
□担当の医師
□担当の看護師
□きぼうのいえの福祉担当者
□日頃親しくしているボランティアまたはヘルパー
(すでに特定の人が思い当たれば、その名前[ ])
□誰でもいい。
□まだわからない。
□その他[ ]
2/6
52
3、もしあなたが、人工呼吸器や強い副作用のある薬を用いなければ、生き
長らえることが難しくなった場合、そのときあなたが希望すると思われ
るものを(あ)
(お)についてそれぞれ一つずつ選んで下さい。印は
いくつでもかまいません。
(あ)□治療の苦痛や薬の副作用に耐えてでも、できる限りの 手段を尽くして、少しでも長く生きていたい。
□いのちを引き延ばすためだけの治療はしたくない。
□何もしないで、自然にまかせるのがいい。
□その他[ ]
(い)□人工呼吸器を取り付けて、少しでも長く生きていたい。
□呼吸困難で苦しまないようにしてくれればいい。
□自分で呼吸ができなくなったらそれまでだ。
□その他[ ]
(う)□痛み止めの薬によって意識や思考力が薄れても、
身体の痛みはできるだけ和らげてほしい。
□身体の痛みは我慢してでも、意識や思考力はしっかりと
持っていたい。
□その他[ ]
(え)□口から食事を取れなくなったら、薬や点滴で栄養補給を したい。
□口から食事を取れなくなったら、それで衰弱したとしても無
理して栄養を取る必要はない。
□その他[ ]
(お)□もし意識が二度と戻らない状態(脳死)になっても、
できるだけいのちを引き延ばしてほしい。
□もし意識が二度と戻らない状態(脳死)になったら、
そのまま自然にまかせて寿命の尽きるままにしたい。
□その他[ ]
3/6
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4、もしあなたが、今まさに息を引き取る瞬間だとしたら、その最期の時を
共に過ごす人について、あなたの気持ちにもっとも近いと思われるもの
に印をつけて下さい。
□できるだけたくさんの人に見送られて旅立って行きたい。
□気心の知れた人だけに、側にいてほしい。
□一人で逝くよりは、誰かに看取ってほしい。
□誰にも見られずに、一人で静かに息を引き取りたい。
□その時のなりゆきに任せる。
□その他[ ]
5、宗教について、あなたの考えにあてはまるものに印をつけて下さい。
□宗教のことはあまり考えたことがないし、特に興味はない。
□宗教のことはよくわからないが、胸につかえている苦しみや悲
しみから救われたいと思うことがある。
□特定の宗教や宗派にはこだわらないが、自分なりの信仰心を
もっている。
□私はキリスト教に興味があり、話を聞いてみたいと思うことが
ある。
□私はキリスト教徒である。
□私は仏教に興味があり、話を聞いてみたいと思うことがある。
□私は仏教徒である。
□私は[ ]教に興味があり、話を聞いてみ
たいと思うことがある。
□私は[ ]教徒である。
□宗教についての質問には答えたくない。
□宗教は嫌いだ。
□その他[ ]
4/6
54
6、あなたが死を迎えた時には、どのような葬儀をしてほしいと考えていま
すか?
□キリスト教式で葬儀を行ってほしい。
□仏式で葬儀を行ってほしい。
□それ以外の宗教[ ]で葬儀を行ってほしい。
□キリスト教式の葬儀がどんなものか知りたいと思う。
□葬儀の宗教には特にこだわらない。
□葬儀などは一切行ってほしくない。
□残された人の意思に任せる。
□自分の葬儀のことなど考えたくない。
□特に何も考えていない。
□その他[ ]
7、あなたが死を迎えたとき、どのように葬ってほしいと思いますか?
□きぼうのいえの専用の共同墓地に埋葬してほしい。
□無縁仏として公的な墓地に埋葬してほしい。
□キリスト教会の墓地に埋葬してほしい。
□仏教の寺院に埋葬してほしい。
□墓に埋葬せずに、きぼうのいえに安置してほしい。
□その他[ ]
5/6
55
お尋ねすることは以上です。どうもありがとうございました。
最後に、この意思が確かにあなたのものであることを確認するために、
下に署名をお願いします。
署名 印 記入日: 年 月 日
施設長署名 印 担当者署名 印 証人署名 印 6/6
<終章> 身体性を超えた「きぼう」
56
私たちは、生を受けた限り誰もが病にかかり、老い、そして必ず死が訪れる。どんなに裕福でたくさんの
家族に囲まれ幸せに暮らしている人も、駅の地下道の隅に横たわっているホームレスの人も、全く同じよう
に何一つ持たずにこの世を去っていく。しかし、ここに示した事例からも読みとれるように、食や財や性へ
の執着であったり、「死にたい」という表現の裏返しであったり、どんなに身体や生活が苦難の状況にあっ
ても、生への要求は現れてくる。人生の最後には、現象として同じ「死」という結果であるのに、人は努力
して獲得し、諦めて手放しながらも、幸せであろうとするのはなぜなのだろうか。そこには、身体性という
限定をもつ生物的システムとしての人間を超えた、あるスピリットの存在が捉えられるということを、ホス
ピスでの体験に基づくスピリチュアリティーについての考察から確認することができる。
「死」について、「きぼうのいえ」施設長の山本雅基氏はこう語る。「身体としての終わりに囚われず、
霊的な意味での次のいのちへの移行として、私は死というものを捉えています。私だけでなく、ホスピスで
の仕事に携わる人に唯物論者はいないでしょう。どのような形であれ身体性を越えたスピリットの存在を前
提としているのであり、『きぼうのいえ』の『きぼう』という言葉も、死をも越えた霊的な成長への希望が
あるという意味が込められています。私は、過日徳島県で行われた『死の臨床研究会』にて発言された、柳
田邦男氏の言葉が印象的でした。それを要約すると『身体性の成長と老化の放物線は、時間軸に対して山の
形をとるのであるが、精神的・霊的なベクトルは、同じ時間軸に対し、常に右肩上がりである』ということ
です。
身体性の成長
精神性・霊性の成長
ここに私は多層的な存在である人間にとって、人生の歩みは、本質的に後者を中核に見るべきだと思うの
です。終末期という言葉は、身体性の放物線のイメージに印象づけられ、あるいは引きずられて出てきた言
葉ではないでしょうか。エリザベス・キューブラー・ロスが言うように、さなぎが蝶になり、卵からひよこ
が孵るようなものとして、いのちを捉えたいと思います。だから、死にゆく人々の状態を「終末期」という
よりも、次のステップへの旅立ちという意味で『飛翔期』などという言葉で呼んでいきたいと思うので
す。」
57
いのちの結末が一見「身体的な死」において完全な終焉に映るとしても、スピリットの存在を前提とする
ホスピスでは、「天国での永遠の命」であれ「輪廻から解放された解脱」であれ、最終的には一つのところ
に行き着く。このことは、結果の如何に価値を置く帰結主義は意味をなさないということになり、手段や過
程そのものに価値がある、つまり、ただ生きて人生を精一杯通っていくことに意味あるということが言え
る。また、人間は意識の最も深いレベルで時間や空間の概念を超えた「無限定のスピリット」を察知してお
り、その信頼が自ずと人生の全うを招来させるものであるというのが、「きぼうのいえ」のスピリチュアリ
ティーである。さらに、宗教・宗派の違いは人間の多様性に対応するための表現の違いに過ぎず、宗教を超
え、宗教さえないところにひとつの真理があるとしている。
そして、スピリチュアリティーの充実は、終末期だけでなく、生のできるだけ早いうちから重要視し、物
事の獲得や達成という相対的な幸福だけでなく、いのちの存在そのものとしての尊さと強さを、自己存在の
信頼という意味において、深く探求していく必要があるということを提言したい。
最後に、「きぼう」という言葉のもう一つの希望として、死の迫ったいのちの一つひとつを照らし出すこ
とそのものの他に、どんな生き方や事情をもった人に対してもその存在を肯定し、見捨てずに向き合い、関
わり合おうとする人間がいる、ということが、すべての人にとって生きる勇気と希望の光となっているので
ある、と思う。
58
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法務省民事局(http://www.moj.go.jp/MINJI/minji17.html)
(社)日本臓器移植ネットワーク(http://www.pref.iwate.jp/magazin/zouki/)
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