永野茂門追悼 - 日本戦略研究フォーラム(JFSS

会 長 挨 拶
「趣味は国家なり」の永野さんを偲んで
会長 中條高德
常に古武士のような雰囲気を漂わせておられた永野茂門さんが、正月 4 日、ご家族に見守ら
れながらあの世に旅立たれました。
職業軍人であっただけに、波乱に富んだ87年のご生涯でした。
永野さんは大正11年大分県の弥生町に生まれ、幼い頃から英俊の誉れたかく、旧制大分中学
から広島幼年学校に進まれ、大東亜戦争開戦の昭和16年陸軍士官学校55期生として卒業されま
した。その際、成績特に優れ、恩賜の銀時計を賜る栄に浴しました。
戦前、陸軍士官学校といえば「坂の上の雲」でも判るように若者たちの憧れの的でした。 5
期も後輩の吾々60期生からみれば、永野さんをはじめとする先輩たちは、明治天皇から賜った
軍人勅諭の訓の権化のように偉大に見えたものでした。陸士卒業後直ちに通信将校として中支に
出征されましたが、武運つたなく敗戦により、陸軍大尉として無念の復員、占領軍による追放指
定の期間は、永野さんの最も辛い日々であったに違いありません。
昭和25年朝鮮動乱発生により、翌年、警察予備隊が発足。永野さんは直ちに入隊され、その
后は累進され、11師団長、東部方面総監、陸上幕僚長の要職を務められて、55年に退官される
という栄光の道を歩まれました。直ちに富士通システム統合研究所社長に就任されました。
その頃、日本戦略研究センター設立に瀬島龍三氏と参画され、その理事長に就任し、軍事外交
専門家を集め、国家戦略を時の政府に提言する研究機関として内外の注目を集めました。
昭和61年推されて自民党より参院選に出馬し、当選。 2 期12年にわたり国政に参加され、平
成 5 年には新生党結党に参画、羽田内閣の法務大臣に就任されました。この時、先生の持論で
ある「南京事件はデッチ上げであると思う」と就任の記者会見で堂々開陳、その混乱の責任をお
とりになり、たった11日で辞任。あの日の記憶は今も鮮明に蘇って参ります。この課題は、こ
の事件が月日を重ねても未だ解決を見ないという現実を先生のご霊前にご報告せざるを得ないの
は無念の極みでございます。
平成11年、瀬島龍三氏を会長に「日本戦略研究フォーラム」を設立、初代理事長に就任され、
軍事、外交、科学技術を研究し、適時適切に政府へ政策提言を行って来られました。
これらの活動を通して、国防のあるべき姿を説き、日本の国際貢献の道を開き、日米安全保障
体制の確立や、自衛官の地位向上にご尽力、早くより宇宙時代の到来を予測し、先端通信技術の
軍事への導入提唱などは、正に特筆に値すると申さねばなりません。
「趣味は国家なり」と言って憚らなかった永野さんの在りし日を偲び、感謝を捧げ在天の御霊
の永久に安かれと、そして又この国護り給えとひたすら祈りを捧げております。
─1─
《巻頭言》
再び「坂の上の雲」を目指すとき
理事長 愛知和男
この年末年始に、私は、今NHKなどで話題になっている司馬遼太郎の作品の「竜馬がゆく」と「坂
の上の雲」を改めて通読しました。そして、しみじみ感じたことは、歴史上のちょっとした出来事が
ほんの少しでも別の方向になっていたら、その後の国の歴史の展開は大きく変わり、全く別の姿の国
になっていたかもしれない、ということです。
明治維新をめぐる数々の出来事、例えば西南戦争がなく西郷隆盛が死ぬということがなかったらと
か、或いはもっと以前、坂本竜馬が暗殺されるようなことがなかったらとか、また日露戦争の日本海
海戦で日本が勝ったとしても、ロシアの艦船の何隻かがウラジオストックに逃げ込んで生き延びてい
たらとか、いずれにせよ、ことと次第によっては、今日の我が国とは全く違った国の姿になっていた
かも知れません。例えば、どこかの国の植民地になっていたとか、いろいろな国々に食い荒らされて
いたとか……。それによっては今の日本のように、先進諸国の一員として世界で大きな存在ではなかっ
た可能性も充分あったということです。
折に触れ、多くの先人の決死の努力なり信念に基づく決断なりがあって国造りの方向が決められ、
結果としてそれが正しいものであったことが証明されたのが、今日の日本の姿だといってよいでしょ
う。
なぜ今更こんなことを言うのかといえば、今の日本が置かれた状況は、明治時代のそれと同じでは
ないかと感じるからです。
国の指導者が判断を間違えたり、決断の時期を誤ったりしたら、日本の将来は予想をすることも恐
ろしい状況になってしまう可能性があると考えます。政治家をはじめとする国家の指導者は、明治時
代に活躍した人々と同じように、わが身の命をかけて日本国家の将来に献身すべき時であり、今こそ
しっかりした国のビジョンを打ち出し、国際社会での影響力を発揮する大切な時期にあるということ
です。
党利党略のみならず、政治家が個人の利益に奔走し、正義を振りかざしても通用するはずはありま
せん。モラルなき社会は、国家衰亡の道に棹差すことに繋がります。選挙に勝つことを最優先に物事
を決めたり、万事政局がらみで判断したり行動するなどということも、もっての外と言わざるを得ま
せん。
私自身、この大切な時に政界の外に身を置いていることを正直いって歯がゆく思えてなりません。
しかし、当フォーラムの理事長という大役を仰せつかっていることもあり、今の立場で、精一杯役割
を果たしてゆく決意を新たにしているところです。
各位のご指導のほどよろしくお願いいたします。
─2─
【特集】
故 永野茂門 追悼
去る 3 月 1 日、明治記念館に於いて「故 永野茂門 お別れの会」を行いました。
発起人代表 中條高德
発 起 人 愛知和男 相原宏徳 ジェームス・E・アワー 石破 茂 岡崎久彦 小田村四郎 瓦 力 櫻井よしこ 笹川陽平 佐藤正久 志方俊之 田久保忠衛 竹田五郎 田中
健介 寺島泰三 鳥羽博道 中井 洽 浜田靖一 平沼赳夫 舛添要一 宮脇磊介 森本 敏 山谷えり子 山田英雄 山本卓眞 屋山太郎 依田智治(敬称略)
永野茂門 87年 6 ヵ月の系譜
─大正11年(1922年 6 月28日)大分県にて誕生─
昭和11年 広島陸軍幼年学校入学
昭和13年 陸軍士官学校予科入校
昭和16年 陸軍士官学校本科卒業(55期:恩賜)
昭和16年 電信第 2 連隊(支那派遣軍)に配属
昭和17年 陸軍通信学校入校
昭和19年 第11軍通信隊無線第 5 中隊長
昭和20年 終戦
昭和21年 復員
昭和22年 大和土建(株)入社
昭和26年 警察予備隊入隊
昭和27年 通信学校入校
昭和29年 米国ニュージャージー州ボトマンモス陸
軍通信学校留学
昭和35年 大阪大学大学院入学
昭和40年 防衛研修所所員
昭和43年 陸上自衛隊西部方面通信群長
昭和44年 陸上幕僚監部第 4 部副部長
昭和46年 陸上幕僚監部第 4 部部長
昭和49年 陸上自衛隊第11師団長
昭和52年 陸上自衛隊東部方面総監
昭和53年 陸上幕僚長
昭和55年 退官
昭和61年 参議院議員
平成 2 年 科学技術政務次官
平成 4 年 参議院議員再選
平成 5 年 新生党結党に参画。党参議院幹事長に就任
平成 6 年 規制緩和に関する特別委員長
平成 6 年 法務大臣就任(羽田孜内閣)
平成 6 年 新進党結党に参画。党参議院副代表に就任
平成 7 年 懲罰委員長
平成 8 年 新進党参議院幹事長
平成10年 自由党結党に参画
平成10年 参議院議員任期満了
平成11年 日本戦略研究フォーラム理事長
平成18年 日本戦略研究フォーラム相談役
̶平成22年 1 月 4 日 逝去-̶
─3─
お別れの辞
第32代陸上幕僚長 陸将 火箱芳文
「お別れの辞」を述べる火箱陸上幕僚長
第15代陸上幕僚長 故 永野茂門陸将に対し 謹んで哀悼の意を申し述べます
閣下は、創設期の陸上自衛隊を一から築き上げられた先駆者であり、また、冷戦下にあった我が国
において北海道から九州までの第一線の指揮官を務められ部隊を鍛錬し、災害派遣等に出動しつつ、
そしてまた、陸上自衛隊の最高責任者として、陸上防衛体制の礎を確立する等、自衛官としての崇高
なる使命を存分に果たされました
閣下は、昭和16年 7 月、陸軍士官学校第55期生として御卒業の後、陸軍士官として先の大戦に従
事され、この間、陸軍大尉まで累進されました
昭和26年12月、我が国の防衛力再建への熱い思いをもって警察予備隊に入隊され、保安隊勤務を
経て、通信科職種として陸上自衛隊に入隊されて以来、約30年の永きにわたり陸上自衛官としての
任務を完遂されました
当時は、まさに冷戦最盛期であり、閣下は常に、「有事に備え、国民の負託に応える」という目標
を念頭において勤務されました
陸上幕僚監部の幕僚勤務時代におかれては、陸上自衛隊の近代化のために科学技術の進歩に即応し
た新型武器の研究開発に積極的に携わられました
陸上幕僚監部第 4 部長に就かれてからは沖縄返還に伴う所要の部隊配置についてご尽力され、今
日の国土防衛体制の礎を築かれる偉大な業績を残されました
私は、幹部候補生学校卒業後の初級幹部時代を、その部隊創設間もない沖縄の第 1 混成群におい
て汗を流しました
─4─
その時、先の大戦に対するさまざまな思いと戦跡の残るその沖縄の地に、部隊を配置するに際して
の諸先輩方のご労苦を肌で学ぶことができました
そして今、沖縄の部隊は、南西諸島の防衛・警備のため、さらに高い能力を保持する第15旅団と
して、沖縄の県民から更に信頼される部隊に生まれ変わろうとしています
部隊長としては、九州全域の通信を担う西部方面通信群長、北海道の第一線師団である第11師団
長を歴任され、特に、師団長時代には、旺盛な探究心をもって積雪寒冷地の部隊運用研究演習を 1
年間かけて実施され、積雪寒冷地における編成・装備・機動及び戦闘要領の改善案を案出されました
東部方面総監としては、陸幕指命演習 いわゆる「あかしや演習」において、第 1 師団隷下の
一個連隊戦闘団基幹を北海道矢臼別演習場に機動させ、訓練練度の向上を図られる等、多大なる成果
を収められました
そして、第一線指揮官で勤務された間には厳しい訓練で練度を高めた部隊は、閣下の適切な指揮に
より大雨水害や、地震における災害派遣に迅速に対応し、派遣任務を見事に完遂しました
このように、閣下の厳格な訓練指導や統率により、指揮官を務められたそれぞれの部隊の中に「国
民の負託に応えるための任務必遂の信念と絶ゆまぬ武の練磨の必要性」がしっかりとしみわたり、閣
下の防衛に対する熱い想いは隊員個々に親愛の情となって伝わり、隊員からも熱い信望と敬愛の念を
集められました
昭和53年、陸上自衛隊の最高責任者である陸上幕僚長に御就任されてからは、当時の陸上自衛隊
を取り巻く厳しい環境の中において、常に陣頭に立ち、私共には、「部隊は訓練に専念することが国
民の信頼を得る道である」とご指導されるとともに国家防衛体制の整備に精力的にご尽力されました
特に、対馬警備隊の新編を一年前倒しされるとともに、第 7 師団の機甲師団化や四国における混
成団の新編にご尽力される等、陸上防衛体制の強化を図られました
閣下は、英語もご堪能で、国内外の幅広い人脈を得て、退官後は政界に進まれ、防衛庁、自衛隊の
発展に多大なるご尽力を頂いたことは、私が申し述べるまでもなく、ここにおられる皆様がご承知の
とおりであります
永野茂門陸将
閣下の成された功績は、枚挙にいとまのないところであり、我が国の安全と平和が保たれているの
も、災害等の発生に際し、部隊が即応して救援活動等を行うことができるのも、閣下が陸上幕僚長と
して私共の先陣にたたれて、陸上防衛体制の整備を図られたからであり、閣下が常に口にされていた
「常に、有事に備え、国民の負託に応える」という精神は、私共のさまざまな隊務運営の中で今後も
守り続けられ連綿と受け継がれて行くことでしょう
私共は、閣下の高いご意志をしっかりと受け継ぎ、また、後世に伝承し、自衛隊の発展のため一層
の努力を傾注し、もって生前に賜った数々の御恩に対するお返しとしたいと存じます
今ここに陸上自衛隊を代表して衷心より御冥福をお祈り申し上げ、御家族皆様の前途に限りない御
加護を垂れ賜りますようお願いしてお別れの言葉といたします
平成22年 3 月 1 日 故永野茂門お別れの会 於 明治記念館
(原文通り)
─5─
秘書たちの 追 悼 譜
3 月 1 日 お別れの会での 中央音楽隊
儀仗隊
「二度叱られた」
日本戦略研究フォーラム事務局長 (株)パシフィック総研代表取締役会長 長野俊郎
12年間、永野参議院議員秘書として、国際交流でアジアを担当していた私は、中国、台湾、シンガ
ポールを始めとする 8 カ国に、計30回ほど随行した。その間、永田町での議員活動はもとより、折々
に多くの薫陶を受けた。最も記憶に残るのは「足元を固めて遠くを見よ」というコトバだ。
顔色を変えて叱られた記憶も二つある。
一つは、参院選前の東京プリンスホテル大ホールでの「励ます会」でのこと。挨拶と名刺交換に忙
殺されていた候補者の永野から、突然呼びつけられ「俊郎、俺はいつ飯を食えばいいんだ!」と段取
りの悪さを指摘されたのだ。それ以降は健啖家の永野のために、開演前に必ず軽い食事を準備するこ
とにした。
もう一つは、日本戦略研究フォーラムの相談役に退いた数年前から、週 2 回、我社に来て昼食を共
にしていた時のことである。氏は、よく旧軍時代のことや政治の話をしながら、「ところで俊郎、最
「そうか」と。
近外国はどこに行ったか」というのが口癖だった。「最近はどこにも行っておりません」
多少ボケが始まっていたのか、また数分すると同じことを聞くのです。そこである日、つい私は茶目っ
気を出して「どこにも行っていませんが、なんの痛痒もありません」と答えた。すると穏やかな氏の
顔が一変し、「何を言っているか。外国には行くものだ。外から日本を見よ!いいか俊郎!」と語気
鋭く叱られた。
『足元を固めて遠くを見よ』に『外からも日本を見よ』を添えて、これが氏からの私にたいする遺
言だったのだなと、今は有難く、懐かしく思っている。
─6─
「永野茂門先生の思い出」
佐々木俊夫
私が初めて永野先生にお目にかかったのは、昭和56年、先生が顧問に就任された「国防問題研究会」
の結成大会でした。
その後、先生が理事を務めておられた「世界戦略フォーラム」でも私は事務局長として、10年間に
わたるご指導を頂いてまいりました。
そうしたご縁から私は先生の秘書とさせていただくこととなったのでした。
先生は、国会の質問などでも、答弁者の立場まで配慮して質疑をするなど心優しい側面をお持ちで
した。ところが国際会議の場面などでは得意の英語を駆使して舌鋒鋭く、緻密な論理で議論をリード
される。明晰な頭脳から迸る安全保障論や国際関係への洞察には、ただただ感銘を覚えるばかりでし
た。
日常の先生は、常に泰然としておられ大人の風格を醸しておられました。法務大臣辞任の際も、己
のことよりも内閣のこと、国家のことを考えた行動を貫きました。すぐそばに仕えていた私には、そ
れが痛いほどよくわかったのです。
今日、先生のように「公」を第一とする議員がどれほどいるでしょうか。
日本社会が解けてなくなりそうな今日、先生のご指導に接することができなくなったのが残念でな
りません。
先生のご冥福を心からお祈りいたします。
「永野将軍追悼の言葉」
参議院議員 佐藤正久政策担当秘書 佐藤政博
永野茂門・元陸上幕僚長が昭和61年の参議院議員選挙に出馬するとの知らせを聞いた当時、私は学
生・青年を中心とする国防問題研究会代表幹事を務めていた。
その頃の国防問題における最大の関心事といえば、極東ソ連軍の動向であり、毎月のように勉強会
を開催して、わが国に迫り来る危機に警鐘を鳴らすとともに、国防体制の充実、有事法制の確立など
を訴えていた。そのような私たちの活動を温かく見守り、そして厳しく指導してくれたのが、永野将
軍をはじめとする陸海空将官OBからなる国防問題研究会の顧問団であった。
その永野将軍の国政進出は、政治に対して語ることを許されない自衛官たちの意見を代弁する場を
獲得するものであり、また私たちの活動の拡充につながるものとして、それ以来、秘書として微力な
がら、政治活動のお手伝いをすることとなった。
永野将軍の議員在職中、ソ連は解体され、冷戦構造は終結したが、自衛隊は、湾岸戦争後の掃海部
隊のペルシャ湾派遣、カンボジアPKOという国際貢献活動や阪神淡路大震災などを経て、「存在する
自衛隊」から「行動する自衛隊」へと変貌を遂げることとなった。
しかしながら、21年連続で軍事費を2桁伸ばす中国、ロシアの軍事的復調、北朝鮮の核開発など、
わが国を取り巻く安全保障環境は厳しくなる一方、自衛隊の予算と要員が削減され続ける現状を、ど
うご覧になっておられるのか、どのように打開すべきか、まだまだご指導いただきたいことがたくさ
んあった。私にとって、この度のご逝去は誠に残念である。心よりご冥福をお祈りするとともに、若
輩の私にとって「任重くして道遠し」ではあるが、永野将軍の目指した道を目標に、少しずつでも歩
を進めて参ることを、お誓い申し上げる所存である。
─7─
「志高の人、そして信念の武人」
桑原亀男
私は民営化前の日本国有鉄道に約40年勤め、退職後の第二の人生を大分市の佐伯建設にお世話にな
り、そこも定年で退職したころ、佐伯建設の川崎安太社長(陸士59期)から、大分県出身で参議院議
員をなさっている永野茂門先生の地元のお手伝いをして貰えないかとのお話がありました。
お世話になった社長さんからのお話でしたので、私がお役に立てるのならばと、お引き受け致しま
した。
早速、選挙に向けての準備を始めたものの、先生の母体となるべき自衛隊のことについて全く知識
も知り合いもなく、不安な気持ちだったことを思い出します。そんな折、選挙事務所で知り合った自
衛隊OBの中村重雄さん(別府)がOB会の事務局長に就任されたのを機に、その後は中村さんと二人
三脚で先生のお手伝いを致しました。
東京事務所の長野俊郎さんからも色々とご指導を頂き、先生が参議院を去るまでお手伝いができま
した。
先生はお世辞を言ったり陰口をたたいたりする方ではありませんでしたが、時折面白いことを仰い
まして周囲を笑わせていました。 2 期12年、地元大分では先生に対する支援と人気は高く、確実な国
家運営に尽力されていることを誇りに思ったものです。
法務大臣をお辞めになった事も前言を翻さない信念に基づいた言動であり、志高の武人であったこ
とに尊敬の念を禁じ得ません。今は只静かにご冥福をお祈りするばかりです。
発起人代表挨拶をする中條高德会長
─8─
「永野先生との思い出」
元横浜市長特別職秘書 樋口庸一
平成 4 年、当時20歳だった私は、法学部に学ぶ学生だった。社会に対して広く興味を持つ年頃でも
あり、いつも新しいコトを探していた。政治への関心も旺盛だった。ちょうど参院選の年であり、先
輩秘書のお世話により、永野議員の選挙を手伝う機会を得た。以来、政治の一端を勉強することとなっ
た。
初めて永野議員と話をしたときのことを私は今でもよく覚えている。議員は「法学部では法解釈を
勉強するようだが、法律をつくることを勉強するのはもっと重要だと思わないかね」と私に尋ねた。
その言葉は、単に法治国家の理念に留まらず民主主義の本質をついていた。以来私はグッと立法府の
仕事に引き込まれていった。18年前のことである。今の政界を見ると、未だに立法府の役割をクリア
に認識していない政治家が多いと感ずる。
大学卒業後は三菱重工業(名航)でSH─60Jの契約業務に携わったが、立法府への関心が失せず 2
年で退職。永野議員をはじめ先輩方から叱られながらも、永野事務所で仕事をさせていただいた。そ
の後、県知事秘書、代議士秘書、市長特別職秘書などを務めたが、いずれも「永野先生に薫陶を受け
たのであれば信頼できる」と、私自身への評価とは違うところで事が進んでいた。男子のプライドと
しては悔しい限りであるが、思えば私のこれまでの仕事は永野議員の教えがあったからこそと、深く
感謝している。
「私も一人前になりましたよ」と、永野議員に挨拶できないまま歳を重ねてしまった。このような
かたちでお別れの挨拶をすることを本当に悲しく思っている。合掌
司会 拓大助教 丹羽文生氏
献花する 台北駐日代表 馮寄台氏
─9─
「リクジョーバクリョーチョー?」
昭和化学工業(株)経営企画室長 田子 薫
身構えた私の前に現れたのは、戦車や大砲のイメージとはかけ離れた、優しい目をしたちっちゃな
オジサンだった。彼の握手の温もりは、私の自衛官に対する固定観念をじんわりと溶かすに十分であっ
たのだ。
自衛隊とは全く無縁の私が、その最高幹部であった方と親しく言葉を交わすことになったのも思え
ば運命だったのだろう。参議院選挙を控え、当時の勤務先の社長が同郷の陸士の先輩である議員の後
援会長に就任したとかで、秘書になりたての私に議員との連絡役を務めろということになったのだ。
かくして選挙という白兵戦の戦場に、私も初年兵として加わることとなる。そしてこのオジサンが
優しい目の奥で真摯に国の行く末を憂い、信念を持って行動していることを目の当たりにし、スーダ
ラ節的サラリーマンを自認していた私もいつしか感化されて行くのだった。またそこに集う戦友達が
議論を尽くし、潔く決心し真直ぐに進む姿に、国の安全を掌る者の誇りと信念を見、私自身の仕事の
取組姿勢を反省させられる日々となった。
あれからはや二十年。国に身を捧げる覚悟で信念を持って行動している政治家が、今もきっと国会
の中に息づいているはずだと淡い期待を抱きつつ、遠くに旅立ってしまった永野茂門さんのはにかん
だ笑顔を思い出す。
「永野先生との思い出」
マツダ株式会社元社員 大崎善雄
永野先生は我が母社の顧問を10年務めて頂いていた関係で、参議院選挙に出馬されるのに伴い、そ
の支援の為、私が秘書を務めることとなった。 2 回目を含め 5 年間お世話になり民間企業では経験出
来ない日本の仕組みの一端を学ばせて頂いた。
私の業務は、全国の支援団体や企業を先生と一緒に巡回し、陣営の方針をご理解頂き、支援の輪を
拡大することであった。日曜、祭日もないハードな行程であったが、年齢にも拘らずお元気に完遂さ
れた体力、精神力に感動したことを記憶している。
私の秘書生活の一番の思い出は、先生の 2 回目の出馬のときのことである。後援会の体制が脆弱で
あることから、自衛隊からの推薦、支援がなかなか決まらず困惑していた時、病床にあった永野先生
から私に「防衛庁に赴き、説明説得をせよ」との指示があった。私は早速後援会を代表し統幕をはじ
め、陸幕・海幕・空幕の三幕を廻り、第 1 回目の選挙と同様、村松氏に後援会事務総長を受諾いただ
いた。これで、全防衛組織あげて「永野茂門支援」が決定、勇躍 2 選に向けて名実ともにスタートを
切ることができたのである。
無事大役を果たし先生に報告した時の、先生の安堵したお顔と、そのとき頂いた労いの言葉は今も
はっきりと脳裏に焼き付いている。
87歳での黄泉路入りは大往生ともいえるが、先生には、今暫し存命され、混沌とした今日の政界、
世界に提言頂きたいと思うのは私一人では無いはずだ。ご冥福をお祈りします。
─ 10 ─
「忘れられないエピソード」
富士通特機システム(株)元社長 山下美也
ある日、永野氏から「ちょっとつきあって」と富士通丸の内本社(当時丸の内センタービル)から
の退社時に言われ、パレスホテルのレストランにご一緒しました。会議の後で、既に21時を過ぎてお
り、レストランは閉店間際でした。何か仕事の話でも……と思いましたが、当時、大型プロジェクト
が始まる直前だったとはいえ、ご一緒したのが営業課長の私だけですから、それほど重要な話ではな
いだろうと思いつつレストランへ向かいました。
しかし、席に着くといつもの重い口調で、「今度選挙に出ることになった。明日の新聞に出てしま
うが、家族の了解が取れていない。帰り辛いから、酒の勢いを借りて帰るんだ。付き合ってくれ」と
いうのです。流石に思い悩んでいるようでした。そうこうしていると、レストランのウェイターが、
ラストオーダーを取りに来ました。夕飯は会議中に摂ったので、チーズやサラダといった軽いものを
「オムレツ!」とオーダーしました。ビールのつまみにオムレツ?
選んでいたら、口の重い先生が突然、
……。これには正直驚きました。
先生の子供時代、卵焼きはご馳走でした。勢いをつけて家族の説得に当たるにはエネルギーが必要
だったのでしょうか。失礼ながら、思わず笑ってしまったのを鮮明に覚えています。しかし、翌日か
ら、選挙活動・当選・議員就任迄、正に波乱万丈でした。今にして思えば、「オムレツ!」の一言が、
以後の予測される困難への前進の為の号令の様に思えてなりません。
ご冥福をお祈りいたします。
献花する泉信也議員 長島昭久防衛政務官 山谷えり子議員 羽田孜元首相 佐藤正久議員
─ 11 ─
永野茂門 思 い
軍人の時代
上 陸軍士官学校卒業時 陛下より銀時計を賜る
左 六本木の旧防衛庁
屋上で陸幕長訓示
上 若き日の氏 幼年学校当時
上 陸幕長として演習を統裁 貴重な一コマ
右 マンスフィールド
駐日大使より感謝
状を受ける
下 日米交流野球大会 名サードだった
下 昭和29年米陸軍通信学校留学
─ 12 ─
出 の 写 真
政治家の時代
左 パウエル統合参謀
本部議長と
上 米ブッシュ大統領と会見
右 氏の訪緬は20
回を超える キン・ニュン第
一書記と
下 堀江正夫議員とアミテージ国防次官補と
上 ダライ・ラマ14世と
下 平成 6 年羽田内閣法務大臣就任 「南京」発言で11日で辞任
─ 13 ─
下 日台交流に貢献 李登輝総統と
国際問題 民主党革命政権の「国防政策」
産経新聞 政治部編集委員 野口裕之
沖縄県 人口分布図
1,000
10,000
100,000
◆北朝鮮に“評価”される政権◆
た。昨年12月16日にも内閣機関紙・民主朝鮮が、
北朝鮮にこれほど“評価”された政権が日本
基地移設問題に関する民主党政権の対応が「日
外交史上、あっただろうか。
本社会の全面的支持を得ている」と高く評価。
北朝鮮の朝鮮労働党機関紙・労働新聞は 1 月
8 日には、日米同盟強化を主唱した在日米軍高
22日、米軍普天間基地移設を巡る日米摩擦につ
官発言を「反平和行為」と非難している。
いて「自民党政権とは異なり、鳩山政権は米国
日米同盟の混乱は、北朝鮮の最も歓迎する「構
から離れる動きを見せている」と論評。日米核
図」である。太平洋からアジア、インド洋にか
密約調査とともに「米国の対日不信感を募らせ
けての安定に多大な貢献をしてきた日米安全保
ており、日米間にひびが入り始めた」と分析し
障条約の改定署名50周年をはさみ、結果的に民
─ 14 ─
主党政権が最も力を入れた“外交・安全保障政
首相の信念を代弁した。だが「友愛」では日米
策”が、この「構図」作りであった。これ以外、
関係を語れない。「リスクも、苦しみも、分け
具体的に大きな「結果」を出した外交・安全保
合うというのが同盟の精神」だからだ。この辺
障政策はない。
りについてウォレス・グレグソン米国防次官補
「結果」はたちどころに現れた。在日米軍再
は、民主党政権の正体を看破。昨年末、訪米し
編協議の米側担当者だったリチャード・ローレ
た日本の議会関係者に、こう伝えている。
ス前国防副次官は退官後、米シンクタンクによ
「日米『同盟』は軍事同盟であって、日米『協
る日米同盟研究に参画。自衛隊の海外派遣など
力』とは違う。軍事同盟の中核は『トップ同士
で日本に過大な期待を抱かず、日本の防衛責任
の信頼関係』だが、それが無くなっているのが
は自衛隊による─とする提言を昨年11月にまと
問題だ」
めている。米国家安全保障会議(NSC)のビク
この懸念は年明けすぐに的中した。日米両国
ター・チャ元アジア部長も 1 月、米紙への寄稿
が署名50周年にあたり出した共同声明には、自
で「米日関係における信頼と政治的善意を失う
然災害や人道支援など、対立しない課題への「協
以上の代償をもたらす恐れ」を警告した。トド
力」も盛り込まれた。民主党左派や連立相手・
メは、バラク・オバマ大統領の一般教書演説。
社民党におもねって、肝心要の安保に関しては
日米民主党政権が力を込める核問題でも、期待
「米軍と自衛隊の『協力』」と記すにとどめた、
したのはロシアとの軍備管理交渉だけ。演説で
ことと同列に。
幾つもの国名が挙げられる中、日本の名はつい
首相は、日米の「同盟」と「協力」の違いを
に言及されなかった。
理解できているのだろうか。英国首相だった
もっとも、こうした米側発言は、必ずしも正
ウィンストン・チャーチルは言った。
「永遠の同盟などあり得ず、永遠にあるのは
確ではない。チャ氏は民主党政権の行動は「戦
国益だけだ」
略的明確性を欠く」と批評したが、それは買い
かぶり、というものだ。民主党の外交・安全保
「常時駐留なき日米安保」論者で、しかも移
障政策には「戦略」などハナからない。あるの
設問題で迷走を重ね、まして「トップ同士の信
は①大向こうウケする衆愚向けバラマキ政策②
頼関係」もないにもかかわらず、その迅速な解
日本の文化を葬り去り、外国勢力を国内に招き
決について、オバマ大統領に「私を信じて」と、
入れる反日政策③自民党が立案・推進して来た
臆面もなくすがる首相には理解し難い冷徹な理
政策の破壊─である。米紙ウォールストリー
念であろう。しかも、首脳会談翌日には「日米
ト・ジャーナル(WSJ)は社説で「鳩山首相は
合意が前提ではない」と、首相は平然と大統領
防衛問題で(大向こうウケを狙って)歌舞伎を
をコケにしている。
演じている」とバッサリ斬っている。これにも
◆中国より厄介な国◆
「歌舞伎は、民主党政権の安全保障政策よりも
格段に奥深い」と注文を付けておきたい。
米紙ワシントン・ポスト(WP)も昨年10月、
ところで、最もジュエリーが似合う有名人に
米政府がパキスタンやアフガン、イラン、北朝
贈られる賞の表彰式で、特別賞に鳩山由紀夫首
鮮への対処に苦しんでいるときに同盟を見直
相の幸夫人が選ばれた。「今日いただいたジュ
し、アジアに軸足を置こうとしている─と、米
エリーは全部ユニセフに寄付して、ハイチなど
政府の懸念を指摘した。米政府も絶えず、中国
困っている地域で役立ててもらえたら」と挨拶
との誼をうかがっているから「米国抜き?の東
した幸夫人。「うれしいことも、悲しいことも、
アジア共同体」構想を批判できる立場にない。
分け合うというのが鳩山の精神・友愛です」と、
イランにはともかく「北朝鮮への対処に苦しん
─ 15 ─
でいる」か否かも、意見の分かれるところだ。
「チャイナ・ギャップ」を認識すべきだと強調
それでも、WPの取材に米国務省高官は「今最
するため、 2 つのキーワードを用いていた。い
も厄介なのは中国ではなく日本だ」とまでいら
わく─
だっている。北朝鮮には“評価”され、あまつ
《米国は、増強する中国軍事力に日本をはじ
さえ「中国より厄介な国」が、この地球上に存
め同盟国を通じ、東アジアでの軍事プレゼンス
在したのは驚きであった。
を維持することで「ヘッジ」しながら、中国が
米国の民主党政権は「日本より厄介でない」
「責任ある利害共有国」として振る舞う限り、
中国に接近している。が、米中関係は「近付い
中国の影響力増大を歓迎する。米国は、グロー
たり、離れたり」の繰り返しであった。案の定
バルと地域の問題を解決する上で中国の協力を
▶グーグル▶ダライ・ラマ14世とオバマ大統領
より必要としている》
との会談▶人民元▶イラン核開発▶台湾向け武
《日本にとり、中国艦の領域侵害や資源獲得
器輸出など、多くの問題が浮上し「短期的」に
強硬策は死活的国益。日本の国連安全保障理事
は接近に歯止めが掛かった。基地移設問題を巡
会・常任理事国入り阻止など、日中で摩擦が生
る米国の“剣幕”に驚いた日本の民主党政権も
じる場合も少なくない》
衆議院選挙前や選挙中、政権発足当時の昨年に
こう指摘したうえで「チャイナ・ギャップ」
比べ、米国に対するけんか腰を引っ込めざるを
が、一層複雑化する可能性に警鐘を鳴らしてい
得なくなった。しかし、日本の民主党政権の「非
る。
米」外交という本質が、米国側に認識されてし
本題に戻る。 2 つのキーワードが消えて尚、
まった現在では「近付いたり、離れたり」の米
その不安は漠とした段階であったが、昨年 7 月
国の振り子の滞空時間が、中国に「近付く」側
には米国・民主党の正体が見え始めた。米中両
の方に、より長くなり始めているのではないか
政府による初の包括的戦略対話の際、オバマ大
と、心配になる。
統領が「米中関係が世界のどの 2 国関係より重
その不安は大統領予備選挙中からあったが、
要」と、突出した対中重視姿勢を公然と示した
2009年版「中国の軍事力に関する年次報告」
(年
のである。大統領は「東アジアでの核軍拡競争
次報告)を読んだとき、より強くなった。米国
は米中の『国益』にならない」と発言。北朝鮮
防総省が毎年、公表している報告であるが、不
を実質的核保有国だと容認すれば、日本などの
思議な変化が認められたからだ。05年に当時、
核武装化を招く危険を中国側に示し、核保有国
ブッシュ政権 2 期目の国務副長官であったロ
としての「共通利益」を軸に、北の核開発阻止
バート・ゼーリック世界銀行総裁が、中国に「責
を呼びかけた。中国の軍拡に対し懸念すら示し
任あるステークホルダー(利害共有国)たれ」
ていない。
と呼びかけて以来、毎年織り込まれてきたこの
ブッシュ政権 1 期目の「戦略的競争相手」を
言葉が今年は見当たらなかった。毎年巻頭に刷
劇的に転換させた対中戦略が「責任ある利害共
り込まれていた「ヘッジする(万一に備える)」
有国」であった。それを、
さらに昇華させた「米
もまた、消えていたのだ。
中 2 極(G 2 )化」に舵を切りつつあるがゆえ
2 つのキーワードが持つ意味は今年、改定か
に「年次報告」には、もはや「責任ある利害共
ら50周年を迎えた日米同盟の将来に大きく影響
有国」という表現さえ必要ないのか…。もはや、
する。財団法人・世界平和研究所理事長の佐藤
これまでレベルの対中「ヘッジ」も必要ないの
謙・元防衛事務次官を中心に昨年まとめられた
か…。
提言「日米同盟の新段階」
(新段階)においても、
前述したが「近付いたり、離れたり」の振り
日 米 の 中 国 に 対 す る 立 ち 位 置・ 利 害 の 相 違
子の滞空時間が、中国に「近付く」側の方に、
─ 16 ─
より長くなり始めている。日本の頭ごしに、米
さらに助長しようとしている。
中が「G 2 化カード」を意識し始めた、と言い
中国の高笑いが聞こえる。
換えても良い。それは「新段階」で触れられて
◆日米核運用協議を開始せよ◆
いる、日米間の対中認識差「チャイナ・ギャッ
「公約違反」といえば、岡田克也外相の「核
プ」が存在している証左でもある。
「チャイナ・ギャップ拡大を防ぐため、日米
の傘を半分踏み出す」「核兵器の先制不使用」
は不断に中国について緊密・率直に協議してお
といった勇ましいフレーズも、いまだにまとも
くことが重要。そのことが日米同盟をより盤石
な説明もなく意味・意図共に不明なまま、こち
とする」(新段階)のだが、同盟自体もまた、
らもすっかり鳴りを潜めた。岡田氏が、外相と
日米それぞれに求める「像」が違う。ここにも
して勉強なすった成果だと評価したい。欲を言
「ギャップ」が立ちはだかっているのだ。「新段
えば、勉強なすってから外相に就任していただ
階」では「日米で対処すべき脅威発生源たる地
きたかった、が。
域的空間の優先順位認識の相違」を指摘してい
何しろお隣の韓国では、韓国軍が米軍との間
る。いわく─
で、 北 朝 鮮 の 緊 急 事 態 に 備 え た「 作 戦 計 画
《米国にとり、対テロ作戦や大量破壊兵器拡
5029」を完成したのである。作戦計画は「大量
散防止など、特定地域的焦点を持たない地球規
破壊兵器の外部流出」「クーデターによる内戦」
模の課題対応は高優先順位》
といった緊急事態を 5 ∼ 6 類型に分類、あらか
《日本の優先課題は冷戦後も残る東アジアの
じめ具体的即時運用態勢を構築するものだ。米
不安定、近隣諸国からの脅威対処にある。対応
韓両軍間にはこれまでも具体策を伴わない「概
策として非軍事に重点を置き、アフガニスタン
念計画」はあったが、いよいよ実戦段階までバー
に代表されるが、地理的に隔たるほど傾向はよ
ジョンアップが図られた格好だ。NATO(北大
り強くなる》
西洋条約機構)もまた、米欧間の協議機能・核
翻って、日本・民主党政権はどうか。「対等
計画グループ(NPG)を有している。これに
な日米関係」を外交・安保政策として掲げる鳩
比し、日米間には有事を前提とした、米国の「核
山首相だが、昨年 9 月にニューヨークで行われ
の傘」をいかに運用するかについての協議態勢
た日米首脳会談で、その勇ましい旗印を引っ込
が整っていない。そうした現実を岡田外相は、
めた戦術を「公約違反」と非難するつもりはな
知らなかったのだろう。
い。むしろ、「東アジアに10万の米軍が存在す
核に関して、鳩山首相は米オバマ政権と「志」
ることが、アジアの安定や日中関係を考える上
を一にしていると信じているようだが、それは
でいいことなのか」などと度々公言してもおり、
米戦略を読み誤っている。象徴的だったのは「核
東アジア安保地図もわきまえぬ「蛮勇ぶり」を、
兵器のない世界」の条件づくりを目指す決議が
国内で強化する愚の方を恐れる。
採択された、核軍縮・不拡散を議題とする初の
日本・民主党政権の「壮語」は、半世紀にわ
国連安保理首脳会合での鳩山演説(昨年 9 月)。
たり築き上げてきた日米同盟の「貯金」に甘え
「核廃絶」や「非核三原則堅持」の理想を強調、
ているだけのこと。しかし、米国にとり、日本
いつもの自己陶酔に陥っていた。岡田持論もそ
の努力にかかわらず同盟が必要不可欠である時
うだが、冷戦を乗り切るなど、現実に恩恵を受
代は去った。もはや日本の、軍事を含む具体的
けてきた「核の傘」の意義には触れていない。
努力の積み重ねだけが、同盟堅持の礎となる。
この点、会合を主催した米政府は格段にさめ
ところが、米国・民主党政権の同盟への乾いた
ていた。例えば「核兵器のない世界」という理
感覚を、日本・民主党政権の「蛮勇・壮語」が
想像よりも「核拡散防止条約(NPT)強化」な
─ 17 ─
ど、不拡散の取り組みの明記を初めから狙って
◆正体は革命政権◆
いたし、結果もその通りになった。イランの核
実のところ、民主党とその政権に「安全保障
保有阻止に向けた国際包囲網構築が念頭にあ
観」はない。これまで度々「集団的自衛権行使
り、その先にはイスラエルによるイラン核関連
の見直しの停滞など安全保障に関して、自民党
施設への「予防攻撃」回避の狙いも潜む。ヒラ
は思考停止をしてきた」と批判してきた。ただ、
リー・クリントン国務長官も「核兵器が在る限
自民党とその政権内では、何度か見直しの機運
り、米国は安全・効果的抑止力を維持する」と
が存在したことを振り返れば、民主党とその政
明言している。
権には「停止」するだけの「思考」もない。繰
米政府は自国の安全を担保した上で「核廃絶」
り返す。あるのは①大向こうウケする衆愚向け
という、あくまで「超長期的理想」を示したに
バラマキ政策②日本の文化を葬り去り、外国勢
過ぎない。次期米政権が、それをそっくりその
力を国内に招き入れる反日政策③自民党が立
まま踏襲する保証もない。
案・推進して来た政策の破壊─である。
前に触れた「新段階」では「米露間で(核)
米軍普天間基地移設問題はいずれにも関連す
軍縮が進展する一方で、中国が核を増強し続け
るが、特に③による失敗が顕著に現れている。
た場合、米国の中国に対する日本への拡大抑止
外交・安全保障政策は、政権が変わっても主軸
(核の傘)が弱体化する」と警告している。米
がぶれないことが要諦である。そうであるにも
露が約した、昨年12月に失効した第一次戦略兵
かかわらず、民主党政権は③を意識する余り、
器削減条約(STARTⅠ)に代わる条約締結に
外交・安全保障政策の“大転換”を目論んだ。
向けた、核弾頭の一層の削減などを踏まえた提
いや“大転換”という言葉は正確ではない。転
言である。
換後の「着地点」が用意されていないから、や
実際、決議採択に際し、中国の胡錦濤・国家
はり「破壊」が正しい。
主席が呼びかけたのは「核兵器の先制不使用」
鳩山首相はこの問題などで、閣僚間や連立政
で、核軍縮どころか今後も核保有を続ける姿勢
党との間で意見の食い違いが起きた際、見解を
を明確にしている。
聞かれると度々、こう答えている。
そこで「新段階」では①NATO(北大西洋条
「最後は私が決める」
約機構)同様、米国の核兵器運用を協議する体
その割には、ほとんどの案件が「決め」られ
制を作る②核兵器を▶持たず▶造らず▶持ち込
ないまま。今ではこの常套句が発せられるや、
ませず─と定めた「非核三原則」の内、 3 つ目
官僚は「何も考えていない」
「解決策がない」と、
を廃止し、米核兵器を日本に持ち込むことを認
首相の胸の内を観測するのだそうだ。
める「非核二原則」政策を明確化する③一部
ただし、例外もある。社民党の福島みずほ・
NATO諸国にならい、日本が運搬手段を保有し、
党首が米軍普天間基地移設問題に関し「(現行
有事に米国が日本に核兵器を供与する制度をこ
計画の)辺野古沖に海上基地を造らせないのは
しらえる④英国にならい、米国が日本に核兵
極めて重要だ。もし、辺野古沿岸部に基地を造
器・運搬手段技術を供与、日本による限定的核
ると、この内閣が決定した場合、党としても、
戦力保有に道を開く─などを提言している。
私としても、重大な決意をしなければならない」
せめて「核の傘を半分踏み出す」という意味
と明言した際のこと。この、現行案で決着した
不明のフレーズに潜む真意が「核兵器運用に関
場合の連立政権離脱宣言に対し、鳩山首相は「重
する初の日米協議開始」を示すのであれば、と
く受け止める」と応えている。
思う。民主党の“安全保障観”から論ずれば夢
同盟相手の米国よりも、衆参両院の国会議員
のまた夢ではある…。
が12人しかいない社民党の方が「重い」という
─ 18 ─
感覚は、どこから沸いて出るのだろうか。こう
ていることは論じてきた。しかも対米観などは
なると、社民党には「参議院での過半数」を前
「自民党的」にさえ、揺り戻っている。「革命思
提に譲歩していただけでなく、もっと積極的に
想」の本性がなかなか表に出ないのはこのため
でもある。
「革命の先兵」として役割を期待しているよう
に思えてしまう。「日本列島は日本人だけのも
最近の鳩山首相もそうであった。自ら主催す
のではない」という、鳩山首相の国家観をはじ
る「新たな時代の安全保障と防衛力に関する懇
め、民主党全体を包み込み始めた外国人参政権
談会」(安保防衛懇)の初会合で、中国軍事力
や夫婦別姓、ジェンダフリーといった、②に区
増強にどう対抗するかという視点での議論を求
分される諸政策実現に向けた「思想」とも合致
めると共に「日米同盟の深化が大きな命題」と
する。
の認識を明示。「タブーのない議論」を求めた。
さらに、鳩山首相は幹事長時代、当時の前原
その通り。
「中国への備え」や「集団的自衛
誠司・代表が中国の軍事力を「現実的脅威」と
権の行使容認に向けた憲法解釈の変更」に関す
講演で発言するや「先制攻撃はしないというの
る議論などで「タブー」があっては、断じてな
が中国の方針だ。その意図も考えれば、党の方
らない。そう、ではあるが、鳩山首相のこれま
針ではそのような(現実的脅威という)考えは
での言動から察するに、こうした正しいが、民
採っていない」と言明している。中国は、軍事
主党には勇まし過ぎる認識が、どの辺りで萎え、
上の“正当防衛”として国際法上も認められて
変節するのか、覚悟を決めておく必要もありそ
いる「先制攻撃」どころか、ベトナム侵略(1979
うだ。安保防衛懇初会合で披露した認識も、政
年)まで行っているのに、だ。
権誕生前後の持説とは、既に変容している。か
鳩山首相は「対等な日米関係」を繰り返した
つて盛んに主張した「同盟の再検討」が「同盟
が、中国には「隷属」しても良いらしい。
の深化」に、いつの間にか化けたのだ。
ここまでくると、民主党政権の最終目標はも
今度は、いつ、どのように化けるのか…。
はや「革命」であり、現政権の正体は「革命政
もっとも「同盟の再検討」などとわざわざ放
権」ではないか。政府が党に隷属する民主主義
言せずとも、米国側が日本より先に提案する「そ
下における奇異な政体や左翼・保守が政策・選
の時」を「鳩山首相のスタンドプレー」(WSJ)
挙連合を平然と実行できる政治感覚を持ち出す
は徐々に引き寄せ始めている。
までもなく、天皇陛下と中国の習近平・国家副
WSJは社説でも「鳩山首相は防衛問題で(大
主席の会談をめぐる、小沢氏による「陛下の政
向こうウケを狙って)歌舞伎を演じている」と
治利用」などはまさにその橋頭堡なのかもしれ
酷評したことは紹介したが、歌舞伎に例えるの
ない。
は、やはり畏れ多い。「スタンドプレー」を田
舎芝居風に例えるなら、こんな演目となろう。
◆鳩山七変化◆
「鳩山七変化」
民主党政権の要人たちの言動が、絶えずブレ
野口裕之(のぐちひろゆき) 1958(昭和33)年、東京都港区生れ。慶應義塾大学卒業・米エルマイラ大学卒業。
外信部で国際軍事問題を担当した後、政治部に移り防衛庁、外務省の各キャップ、防衛・外務統合キャップ、次
長兼首相官邸キャップなどを務めた。その間、北朝鮮の弾道ミサイル「テポドン 1 号」が日本列島を越える10日
前に「発射準備」をスクープ、新聞協会賞を受賞した。ロンドン支局長を経て現在、政治部編集委員(安全保障
担当)。日本安全保障・危機管理学会会員。産経新聞(政治面)では毎月上旬に「野口裕之の安全保障読本」九州・
山口版では毎週火曜日に「野口裕之の安全保障塾」SANKEI EXPRESS紙では毎週日曜日に「軍事情勢」など、い
ずれも大型軍事コラムを連載中。主な著書に「イラク自衛隊の真実」「武士道の国から来た自衛隊」「戦後史開封」
(扶桑社から発売)など。
─ 19 ─
国際問題 「 4 年ごとの米国防戦略見直し(QDR)」寸評
政策提言委員 福山 隆
QDR(Quadrennial Defense Review) は
1991年、米ソ冷戦終結以降、同盟国を軸
に米国防総省が戦略目標や、潜在的な軍事
的脅威に対する、米国の国防方針を 4 年
毎に表すものである。今年で 4 回目。
─ 20 ─
パクス・ロマーナ時代の国防戦略
憲法( 9 条)を与えられた日本は、サンフラン
塩野七生氏は「ローマ人の物語Ⅸ 賢帝の世
シスコ講和条約締結と同時に、 9 条の担保とし
紀」の中で次のように述べている。
て、日米安保条約を締結し、吉田ドクトリンに
基づき、軽武装に徹し、経済分野に注力し、驚
「しつこく思われようとも、私は何度で
異的な発展を遂げた。(但し、吉田ドクトリン
もくり返す。人間にとって最重要事は安全
の歴史的評価は、今後厳しく問われることにな
と食の保証だが、『食』の保証は『安全』
ろう)
が保証されてこそ実現するものであるとい
2010年版QDRの公表─その要点
うことを。ゆえに『平和(パクス)』が最
2 月 2 日、「 4 年 ご と の 国 防 戦 略 見 直 し
上の価値であることを」
(QDR)」が公表された。 2 月 2 日付の読売新
塩野七生氏の指摘通り、ローマの歴代皇帝の
聞は一面で、その要点を次のように紹介してい
最大の努めは、この「平和(パクス)」を維持
る。
するために尽力することであった。例えば、ア
Ⅰ 二つの地域紛争に対処する「二正面戦略」
から「多様な脅威」への対応に転換
ントニウス・ピウス皇帝(在位紀元138年から
Ⅱ アフガニスタンとイラクでの勝利、紛争抑
161年 ) の 時 代 に は、28個 も の 軍 団( 正 規 兵
止などが優先目標
16.8万人、補助兵14万人、計30.8万人)を維持し、
これをライン河防衛線( 7 個軍団)、ドナウ河
Ⅲ 中国軍近代化に多くの疑問
防衛線(10個軍団)、ユーフラテス河防衛線、
Ⅳ 同盟強化は米安保政策の中核
エジプト、ヌミディア、ヒスパニア(各 1 個軍
Ⅴ 在日米軍再編のロードマップ(行程表)実
施を継続
団)に配備・展開しゲルマンや、パルティアな
どの脅威に備えていた。
歴代皇帝は、これらの軍団を維持・運用する
米国が直面している戦略環境の特質
ために帝国内から広く徴税し、その財源に充て
QDRで直接触れているわけではないが、ア
ていた。
ゲルマンや、パルティアの脅威からロー
メリカが直面している戦略環境の最大の特質を
マ帝国を防衛するためには、軍団数は多ければ
二項目列挙すれば、
多いに越したことはないが、軍団数の上限は、
1 イラク・アフガン戦費(累積額で約90兆円
徴募できる兵員数もさることなら、財政税収額
余)の濫費とリーマンブラザーズ破綻を契
により決定された。
機とした大不況により、国力・財政力が脆
弱になったこと
財政こそが軍事力の源泉
2 中国の著しい台頭
今日においても、各国の軍事力を左右する最
以下、これらの戦略環境に米国がいかに対応
大のファクターは財政である。財政と軍事の関
しようとしているのか、QDRを引用しつつ説
係を物語る事例を紹介しよう。ソビエト崩壊の
明したい。
原因は様々の要素があると言われるが、その一
つとして、「本来民生目的に投入されるべき、
国力・財政力が脆弱になったことへの対
労力、資源、資金を全部軍用に回し、その事が
応
経済の停滞に繋がる中で、アメリカとの軍拡競
上記 1 の国力・財政力が脆弱になったことへ
争に突き進んだ」ことを上げる向きもある。
の対応策としては、一般論として次のようなも
日本の場合はこの逆だ。戦後、アメリカから
のが考えられる。
─ 21 ─
「米国を取り巻く戦略環境の特質」から読
① 軍事関連予算の凍結・削減を行い、脅威や
み解く2010年版QDRの要点
安全保障目標の優先順位などに応じ再編成
今次、QDRで打ち出された要点(Ⅰ∼Ⅴ)を、
(REBALANCING THE FORCE:兵力の量
的削減、陸・海・空軍、海兵隊のバランス
米国が現在直面している各戦略環境の特質( 1
見直し、新たな結合オペレーションの開発、
∼ 2 )から読み解いてみたい。
質〔軍事技術〕的集中・特化、配置変更・
統合、編成・指揮の見直し、新たな脅威に
1 .「国力・財政力が脆弱になったこと」に対
応ずる新任務部隊の創設など)を実施する。
する対応(国の財政力が脆弱になった場合の対
その結果として世界に展開した戦線・配備
応策〔一般論〕として列挙した①〜③に関する
の縮小・後退に繋がる
説明)
② 同盟国の負担(分担)増要求
●「再編成(REBALANCING THE FORCE)と
③ ソフトパワー(外交、文化、政策の魅力な
戦線・配備の縮小・後退」に関して(①につい
ど物理的な破壊力〔軍事力〕と対極の概念)
ての説明)
の活用(グーグル、中国留学生の受入れ、
QDRでは「二つの地域紛争に対処する『二
CIAの工作までも包含するものと理解)
正面戦略』から『多様な脅威』への対応に転換」
を打ち出しているが、これはありていに言えば、
経済・財政上のダメージが米国の世界戦
今後の軍縮を念頭に、「戦線の縮小・後退」を
略に及ぼした影響の実例─ベトナム戦争
示唆しているのではないかとの疑念が湧く。
「二
ベトナム戦争においても、米国は約70兆円(時
正面戦略」とは、そもそも欧州、中東、朝鮮半
価換算)の戦費を濫費した。その結果、経済分
島などで、同時に二正面において戦い得る戦力
野ではアメリカはブレトンウッズ体制というア
─陸軍の師団、空母、戦闘機などの量的規模─
メリカ主導の経済体制(金本位制と固定相場)
を整備・維持する事を念頭に置いたものであっ
を失なった。また、安全保障分野においても、
た。それが、
「多様な脅威」への対応に変われば、
ニクソン・ドクトリンの名の下に、「条約上の
「二正面戦略」で目標としていた兵力の量的規
義務を守る立場は変わらない」としながらも、
模の意義付けが曖昧になり、これが量的削減に
「米国が諸外国の防衛責任を第一義的に負うべ
繋がり、ひいては世界規模の戦線・配備の縮
きではない」との立場を表明し、「各国自らが
小・後退に繋がるのではないかとの疑念が生ず
第一義的にその防衛責任を負うべきだ」と強調
る。
した。このことは、米国の対外防衛コミットメ
また、「アフガニスタンとイラクでの勝利、
ントを後退させ、形を変えた「戦線・配備の縮
紛争抑止などが優先目標」としているが、詰ま
小・後退」策であると解釈される。
るところ、今年 8 月までにイラクから撤退完了
因みに、米国は当時日本に対しては、「我々
し、来年 7 月からのアフガニスタンからの撤退
のアジアの友好諸国、特に日本は、この地域の
を開始するためのロードマップの前提条件その
平和的進歩により大きな責任を負うべき立場に
ものである。これ即ち「戦線・配備の縮小・後
ある」との期待を表明した。これは、国力・財
退」を目指すことに他ならない。因みに、撤退
政力が脆弱になったことへの対応策の②として
作戦においては、敵に一撃を加え、怯んだ隙に
あげた「同盟国の負担(分担)増要求」に他な
間合いを取るのが常道であり、アフガン作戦の
らない。
本質もそれに他ならない。
この文脈で、日本は特に、台湾や朝鮮半島な
どわが国の安全保障に直接影響を及ぼす戦域に
─ 22 ─
おいて、米国がどのような形で戦線・配備を変
の攻撃型潜水艦を開発・配備。長距離型の
更するのか注意する必要があろう。
防空システム、電子戦、サイバー攻撃、宇
宙での戦闘も可能にしている。中国は軍近
●「同盟国の負担(分担)増要求」に関して(②
代化の最終計画の目的について限られた情
についての説明)
報しか(国外に)知らしめず、その長期に
QDRでは「同盟強化は米安保政策の中核」
わたり堅持する意図・目的については、多
であることを強調するとともに、「在日米軍の
くの疑義が生じつつある」
ロードマップ通りの実施を継続」と述べている。
将来、米中の「角逐」がエスカレートする中で、
メディアで喧伝されるほど中国の脅威を強調
日本の戦略的価値はまさに「天王山」にあたる。
しているわけではない。国防総省としては、中
したがって、普天間問題などで少々両国関係が
国の脅威を強調したいのは当然だろう。しかし、
揺らごうとも、米国としてはなんとしても同盟
大統領や国務省サイドはそれを望まなかったの
国日本を手中から離さず、アメリカの国益に沿
だろう。QDRの公表時期が、台湾への武器売却、
う形で「最大活用」する方針であることは間違
ダライラマとオバマ大統領との会見、グーグル
いない。同盟の深化交渉を通じ、米国は日本に
問題などで米中関係が注目された時期だった。
対し従来以上に真の同盟国としての負担(分担)
それゆえ、一面トップに「中国軍拡深刻な懸念」
増を要求してくることは確実だと思われる。
─のような見出しが出たのだろう。米国は中国
に配慮し、相当抑制しているように見える。
●「ソフトパワーの活用」に関して(③につい
QDRにおいてはもう一箇所、中国について
ての説明)
言及していると見られる部分がある。31ページ
これについて、QDRでは直接触れていない。
に、「対接近環境における侵略の抑止と撃破」
思うに、「ソフトパワーの活用」は国務省の所
との小見出しの記述がそれだ。これは、極めて
管事項だろう。世界史上最強・最大の軍事力を
婉曲的な表現ながら、中国の台湾侵攻を阻止す
有する米国防省がQDRで「ソフトパワー」な
ることの重要性を示唆しているものと見られ興
どと言い始めたら中国から馬鹿にされるだろ
味深い。以下仮訳を紹介する。
う。世界中でオバマの核廃絶宣言をまともに受
け取るのは日本人ぐらいで、被爆という悲惨な
「米国は、仮想敵国(筆者注:中国軍の
トラウマの中でその救済・解決に「藁をもすが
ことと思われる)の侵略(筆者注:中国に
る思い」は理解できるが、「世界基準」の冷徹
よる台湾侵略のことと思われる)を防衛し、
なマキヤヴェッリの国際条理では所詮リップ
撃破できなければならない。重要地域(筆
サービスの域を出ない話なのではないだろう
者注:台湾地域を指すと思われる)におい
か。
て、国益を守り当該地域における安全を保
障する能力は、米国にとって必須のもので
2 .「中国の著しい台頭」に対する対応
ある。対接近戦略(筆者注:台湾有事、中
今次、QDRでは直接中国軍について言及し
国が米軍の接近を拒否する戦略のことと見
ている部分は、31ページに 7 行程度しかない。
られる)とは、諸外国(筆者注:米国を指
すものと思われる)がある地域に戦力を投
「中国は長期的、包括的な軍近代化の一
入することを拒むことを追及するものであ
環として、多数の中距離弾道ミサイルや巡
り、これにより、対接近戦力(筆者注:中
航ミサイル、進化した武器を搭載した新型
国軍のことと思われる)は(台湾に対する)
─ 23 ─
侵攻あるいは揺さぶり活動が可能となる。
米同盟の深化」を論ずる際もかかる視点が必要
米国の圧倒的優位な戦力投射能力なしに
だと思う。
は、米国との同盟の信頼性や安全保障上の
協力関係は疑念を呼び起こし、米国の安全
むすび
と影響力は低下し、紛争の可能性は高まる」
今次QDRは、米国がイラクとアフガニスタ
ンの二つの戦争で疲弊し、10パーセントに迫る
台湾有事において、中国は米国の空母打撃群
失業率という大不況に喘ぐ一方、著しい経済発
(通常、 1 隻の航空母艦とその艦載機、護衛艦、
展のもと軍拡を続ける中国─という構図の中
で出されたものだ。
補給艦によって構成される)などによる救援作
戦に対し、地対艦弾道ミサイル、巡航ミサイル、
冷戦時代、日本は「サブ」の戦略正面(「メ
長距離爆撃機、潜水艦などにより阻止する能力
イン」は大西洋・欧州正面)だったが、米中対
を強化しつつある。したがって、上記の記述ど
決時代の今日では日本はまさに両国の争点・天
おり、米国は、この中国の対接近戦略に対抗す
王山にあたる。日本で地震が多発するそのメカ
る武器や戦法の開発に努力することを明言した
ニズムは、太平洋プレートが日本列島周辺で
ものと解釈される。米国は、今次QDRにおいて、
ユーラシアプレートの下に潜り込むためと言わ
婉曲的ながら「中国の台湾侵攻を許さない」と
れている。それゆえ、日本では古来、多くの地
の、メッセージを世界に宣言したことは注目に
震災害の歴史を有する。米中対決が深刻化すれ
値する。
ば、日本は似たようなメカニズムで両超大国の
中国の軍拡の焦点は、当面台湾にあると思わ
間で翻弄される恐れがある。
れるが、米国としては、中国の台湾侵攻対処に
冒頭述べたが、国力や軍力の源泉は経済・財
力点を置き防衛力整備を行おうとしているもの
政である。我々は、米中両国の軍事力の盛衰を、
と見られる。
経済発展の予測により、推計できるはずだ。米
余談だが、「財政が軍事力の源泉」という視
国においても、著名な軍略家のアンドリュー・
点から見れば中国の「軍拡」が止むのは、一人っ
マーシャル国防総省相対評価局長が、地道に同
子政策で今日の日本同様「高齢者大国」に移行
様の作業(ネットアセスメント)を実施し、中
し、高度経済発展ができなくなる時、或いは、
長期的な米国の戦略策定の基を提示していると
一党独裁が崩壊する時……などが考えられる。
聞いた。日本が置かれている中長期的な戦略環
それまで(約20∼30年間)は、チャルメラ・ラッ
境のあり方まで見据え、当面予想される米中角
パが鳴り響き、極東……否世界に緊張が高まり、
逐の時代に生き残るための長期戦略を確立する
米中の角逐が繰り広げられるだろう。中国が将
ことが急務だと思う。
来老齢化問題などで、経済が停滞し軍拡・覇権
いずれにせよ、今次QDRは、日米同盟深化
追求がスローダウンする時期、その様相と、ア
の行方、ならびに今後本格化する防衛大綱の議
メリカの盛衰の行方を正確に分析することが、
論にとって重要な考慮要件となることは間違い
わが国の将来戦略策定のスタートだと思う。日
ない。私の、このささやかな分析が、いささか
米安全保障条約改定50周年を迎える今年、「日
のご参考になれば幸甚である。
福山 隆(ふくやまたかし) 1947(昭和22)年、長崎県上五島宇久島生れ。1970年防衛大学校(14期)卒。外務
省安全保障課出向、韓国防衛駐在官、第32普通科連隊長(地下鉄サリン事件時、除染隊派遣の指揮を執る)、陸幕
調査第 2 課長(国外情報)、情報本部初代画像部長(衛星情報)、第11師団副師団長、富士教導団長、九州補給処
長などを歴任。2005年、西部方面総監部幕僚長・陸将で退官。同年 6 月から 2 年間ハーバード大アジアセンター
上級客員研究員。現在ダイコー(株)取締役専務。
─ 24 ─
講 座
憲法 9 条を変えられない国の末裔としての民主党政権
〜日本にある二つの祖国〜
特定非営利活動法人 公共政策総合研究所 代表理事 福冨健一
日本には二つの祖国がある
が誕生。細川護熙が座長を務め、旧民主党、民
偶然にも筆者は、政界再編の中で自民党、民
政党、新党友愛などと基本政策を作成する。
主党、民社党などの政務調査会に携わり、幸運
細川は何を思ったか、新民主党が誕生するや
にも各党の政策や関係する方々の考えを、個々
細川ガラシャの、「散りぬべき時知りてこそ世
人の顔を思い浮かべながら理解できるように
の中の 花も花なれ人も人なれ」の句を我々に
なった。その間、「日本には二つの祖国がある」
云い残し、政界を引退してしまう。
ことを確信した。筆者は日本の国体は万世一系
いずれにしても、細川は基本政策の合意に相
の皇統にあり、『古事記』、『日本書紀』、『神皇
当苦労した。アーミテージ元国務副長官が、
「民
正統記』にあるように万古不易のものと呑気に
主党は言語が異なる」と述べているように、民
確信していた。ところが、現実には、皇統を否
主党の言語空間は異質である。たとえば、安保
定し「新たな国体」を真剣に考えている人々が、
体制についてなかなか合意が得られず、苛立っ
日本国の中枢にもいることに驚かされた。
た細川は、「この際、常時駐留なき安保体制で
表の国は、年明けに家族そろって神社仏閣へ
どうだろうか」と、鼻に抜けるような独特の声
お参りし、折々に靖国神社や地元の護国神社に
で提案する。
参拝する古来より続く日本である。
いうまでもなく「駐留なき安保」とは、かつ
もう一つの国に住む人々は、日本は「家庭の
ての社会党の非武装中立論や反米思想を「常時
抑圧、社会の抑圧、国家の抑圧」のある醜い国
駐留なき安保」へと言葉巧みに言い換えただけ
だと言う。筆者も耳を疑ったが、家庭は安らぎ
である。
でなく「抑圧」であるという。家族、社会、国
ところが有識者やマスコミは、「常時駐留な
家への想いが我々と異なる。
き安保論」を非現実的であると非難し満足して
ピアノの詩人フレデリック・ショパンの生き
いる。そうではない。彼らは信念を持って日本
た時代、ポーランドはロシアの支配下にあった。
解体の政策、反日の政策を実現しようとしてい
ショパンのピアノ曲「革命」の調べは「ポーラ
るのである。政策を理解するには、理論のみで
ンドの慟哭」といわれる。ポーランドは約120
なく皮膚感覚が必要なのである。
年間、地図上から国名が消えるが、ポーランド
つまり、日本の戦後史は、
「経済優先の戦後史」
人にとっての祖国はショパンの愛した祖国である。
とその影に隠れた「反日の戦後史」がコインの
民主党が政権を獲り、不思議なことに日本は
表裏のように同居してきたのである。
侵略されていないにもかかわらず、「ポーラン
国旗国歌法に反対した議員が大臣になる
ドの慟哭」のような異質な祖国に変貌しつつある。
国の異様さ
民主党とは「反日」の政党である
平成10年(1998年) 4 月27日、現在の民主党
旧民主党が誕生した時、中曽根康弘元総理は
「(民主党は)中身がなくソフトクリームのよう
─ 25 ─
にすぐ溶ける」と述べたが、予想に反し政権を
民主党の政治主導はファシズムへの道
獲る。
第一次大戦後、ドイツがファシズムに陥った
彼らの強さの源泉はどこにあるのだろうか。
理由をイギリスから眺めていたハイエクは、
それは、昭和16年、日米開戦の直前にリヒァル
「ファシズムやナチズムは、社会主義的傾向
ト・ゾルゲとともに逮捕された尾崎秀実の信念
の必然の結果である」と『隷従への道』で述べ
に似ている。尾崎は裁判に臨み、「私は共産主
ている。まさに今の日本は、ハイエクの予言通
義者として、立派に死に臨みたい」と言って、
りである。菅は、「私の憲法解釈は、松下圭一
妻英子の「転向」の願いを断り死刑を選択する。
先生の『市民自治の憲法理論』である」という。
尾崎は、日米開戦を工作し共産主義の未来を信
松下理論とは何か。それは、各省の意思決定
じスパイ活動を行った。敗戦後まもなくリー
を大臣、副大臣、政務官で行い、官僚主導から
ダーズ・ダイジェスト日本支社長の鈴木文史朗
政治主導の内閣、松下の言葉でいえば「国会内
は、「現在の日本には、第二、第三の尾崎がう
閣」に変えるという。官僚の国会答弁を禁止し、
ようよしている。第二、第三の尾崎に駆使され
官僚人事を政治家が行う。憲法解釈は、国旗国
た学者や新聞記者も少なくない」と述べている。
歌法に反対した枝野が行うという。
今の日本も鈴木の証言の通りといえよう。
イギリスでは官僚のステイタスは高く、事務
「アジト(agitating point)」という言葉があ
次官経験者は上院議員になれるし、官僚人事に
るように、戦後、全学連、民青、社青同などの
政治家は関与しない。菅は議会政治を英国に倣
社会主義もしくは共産主義革命を目指す様々な
うと述べるが、官僚を貶めるための方便である。
セクトが現れた。彼らは60年安保闘争や成田闘
他方、小沢は陳情を幹事長室に一元化し、検
争、ベトナム反戦活動などを体験し、やがてマ
察を批判する。中国の習近平国家副主席と天皇
スコミや学者、労働組合、弁護士、官僚、政治
陛下との特例会見を強行し、宮内庁長官を批判
家など日本の様々な分野のエスタブリッシュメ
する。更に、「天皇陛下の行動は、国民が選ん
ントへと成長する。
だ内閣が責任を負うということなんだ」と、陛
民主党が誕生し、このような体験を持つ方々
下への敬意すら伺えない。
と何度か酒を酌み交わした。ある人が、グラス
菅や小沢の描く国家とは、ルイ14世が「朕は
を傾け、「その時、俺はサツに捕まったが黙秘
国家なり」と述べたような独裁政治なのである。
を通した」と得意げに言う。周りの者が相槌を
菅や小沢の目指す政治主導は、行政を政党が支
打ち、学生運動の話題に花が咲く。彼らにとっ
配するソビエト共産党やヒットラーのナチスと
て活動家としての経験は、誇りなのである。こ
同 じ で あ る。 独 裁 と は 政 治 家 の パ ー ソ ナ リ
のような体験を持つ人々が様々なジャンルで活
ティーが大きく作用する。菅は、民主党政権は
躍している。そのため、日本人の国家意識は、
「明治以来の革命だ」と述べているが、その通
りである。
あまりにも鈍感・希薄である。NHKニュース
とBBCニュースを比較しただけで自明であろ
う。
自治労・日教組と連携した民主党の政策
そのため日本では、国旗・国歌法に反対した
民主党の政策は、自治労や日教組の政策と連
菅直人や千葉景子など 8 名(福島みずほ、枝野
携し、国家観から個別政策に至るまで体系的に
幸男、原口一博、赤松広隆、前原誠司、小沢鋭
作られていることに本質がある。
仁)もの議員が大臣に就任しても誰も批判しな
具体的に見てみよう。たとえば、永住外国人
い。国旗に対し不敬罪のある欧米ではあり得な
への地方参政権について民主党は、「定住外国
いことである。
人の地方参政権を早期に実現する」という。自
─ 26 ─
治労は「外国籍市民が地方参政権を行使できる
家を育てるのか。例えば、ハリー・ポッターの
ようにもとめる」、日教組は「欧州各国やアジ
モデルになったブレア首相の出身校であるフェ
アでも定住外国人の地方参政権が広がってい
テス・コレッジには、中世の城のような建物に
る」と述べる。
「Carry On(続け)」と刻んだレリーフがある。
日米安保条約については、民主党は「日米地
その周りに、先輩たちの戦死者名簿が刻まれて
位協定を改定」、自治労は「日米安保条約を平
いる。彼らは毎朝、教会に礼拝し、「国家に奉
和友好条約へ転換」、日教組は「日米地位協定
仕 す る 名 誉 と 義 務 」 を 無 意 識 に 学 び、CCF
(Combined Cadet Force 連合将校養成隊)とい
の抜本的見直し」と述べている。
このように民主党の政策と自治労、日教組の
う軍事訓練を受ける。
政策はカーボンコピーのように瓜二つである。
同様にアメリカでも、有名私立の中高一貫校
歴史観は、従軍慰安婦問題への取り組みや国
は全寮制で教会と一体であり、軍事訓練を実施
際機関への個人通報制度を導入し、自虐史観を
している。有名州立、私立大学には、ROTC
世界に広めるという。国家観は、靖国神社に代
(Reserve Officers Training Corps 予備役将校訓
わる国立追悼施設を設置し、総理は靖国参拝し
練課程)が設置されている。コリン・パウエル
てはいけないと言う。
など米軍士官の約70%がROTC出身である。
家族観は、子供手当ての創設、夫婦別姓、再
英米の将来を担う若者たちは、教養・宗教・
婚禁止期間の短縮などの政策を掲げている。こ
軍事を学びながら「国家に奉仕する名誉と義務」
れは、左翼のバイブルと言われるエンゲルスの
を当然と思い、やがて将校や官僚、政治家、
『家族・私有財産・国家の起源』の思想である。
ジャーナリストなどに進む。軍事や宗教への知
エンゲルスによれば、革命の一歩は家族の解体
識や経験のない日本の政治家やマスコミとは
であるという。福島みずほは、「子供が18才に
まったく異なる。国民の義務が「教育、勤労、
なったら家族解散式をやる」とさえ述べている。
納税」の三つでは国家は守れない。国防の義務
つまり、子供手当てとは、共産革命の発想なの
が欠落しているのである。
である。
現在の日本衰亡の危機は、結局のところ戦後
65年もの間、自主憲法制定を掲げる自民党政権
憲法 9 条改正が日本再生の唯一の道
が憲法 9 条を変えられなかったことに起因す
一般に「ディプロマティック・センスのない
る。これは何を意味するか。「保守」が「ノン
国は必ず滅びる」と言われる。不世出の外交官
ポリ」へと堕落し、憲法 9 条を変えられなかっ
タレイランは、「トロ・ド・ゼール(ムキにな
た国家の末裔として、民主党政権が誕生したの
るな)」という名言を残した。ケネディ大統領は、
である。
「姿勢は政策より重要」
と言う。英国の外交官チェ
現在の日本の危機を救う道は、憲法 9 条を変
スターフィールドは、
「一にグレイス、二にもグ
えNATO諸国のような軍隊や法体系を整備する
レイス」と「グレイス(優雅)であれ」と説く。
ことが唯一の道である。ただし、軍隊は憲法を
イギリスやアメリカでは、どのようにディプ
変えただけではできない。その国の歴史とイン
ロマティック・センスのある将校や官僚、政治
テリジェンスの総体なのである。
福冨健一(ふくとみけんいち) 1954年栃木県生れ。NPO公共政策総合研究所代表理事、1977年東京理科大学卒業後、ハイデルベ
ルク大学留学、ニューポート大学大学院中退。民社党政策審議会部長、民主党政策調査会部長、保守新党事務局次長などを歴任
の後、自由民主党政務調査会副部長。一貫して有事法制を研究。ガイドライン法案、憲法調査会設置法案など、数多くの重要法
案の政策形成に参画。「ドイツの有事法制」(『POLICY BRIEF』JAN.15.2004)、「平和に対する罪、人道に対する罪はいかにつくら
れたか」
(『POLICY BRIEF』DEC.15.2009)など多くの論文を発表。著書:『南十字星に抱かれて 凛として死んだBC級戦犯の「遺
言」』(講談社、2005年)、『東条英機 天皇を守り通した男』(講談社、2008年)など。
─ 27 ─
講 座
虚偽の歴史観信奉が日本を滅ぼす
政策提言委員 大正大学教授 福地 惇
Ⅰ 日本民族を衰亡させる手段としての
虚偽の歴史観
の駒であり、その駒を使嗾して日本を破壊した
周知のように極東国際軍事裁判(東京裁判)
義勢力が存在したのである、今も益々強力に
は、「満洲事変から大東亜戦争に至る所謂十五
なって存在している。この勢力は、日本を満洲・
年戦争」は世界の平和と安定を攪乱したと決め
朝鮮、シナ大陸から追い出して、狭い日本列島
つけた。それは、東アジアの諸国に甚大な被害
に追込む戦略を展開したのである。それは、日
を与えた「邪悪な侵略戦争」、従って日本帝国
本民族は能力・資質が高く、国際主義勢力の橋
は戦争犯罪国家だと断言した。
頭保米英を窮迫する成長力をもつ民族だと察知
だが、日本民族が昭和前期に戦ったシナや米
したためである。
英等「連合国」との戦争を冷静に回顧するとき、
東アジアの同胞と信じようとしたシナ民族
上の見解は歴史の明らかな偽造であり「虚偽の
は、蔣介石が米英の駆役者となり、毛沢東がソ
勢力、世界の平和と民主主義を標榜する国際主
歴史観」だと私は断言せざるを得ない。通説と
連=コミンテルンの駆役者となり、所謂「抗日
は逆の「自衛戦争」だったと、言わざるを得な
戦争」の大義名分を立てて、日本追い落とし戦
いのである。
争の尖兵を担当させられたのである。我が国は
例えば、GHQが推進した「ウォー・ギルト・
これに対して必死の自存自衛の努力をしたのだ
インフォーメーション・プログラム」を検証す
が、衆寡敵せず、悲劇的に国家を破壊させられ
れば、大東亜戦争の真実を彼らが如何に必死に
たのである。
なって隠蔽し、自分たちを正義の勢力だと詐称、
昭和時代の戦争の本質を解明するには、幾つ
偽装、捏造する政治あるいは宣伝工作を展開し
ものポイントがあるが、①「影の世界政府司令
たのは明らかだ。白を黒と、黒を白と「順逆反
部」の世界戦略、②モスクワ(ソ連政府とコミ
転された歴史像」で日本人を洗脳しようと工作
ンテルン)の世界共産革命戦略、③米英主導の
したのである。その目的は、深い「贖罪意識」
「自
ワシントン体制という日本封じ込め戦略、④日
己嫌悪感」を植え付けて、毅然とした民族・国
本潰しの駒として使嗾された蔣介石国民党とシ
家として立ち直れないよう、自尊心が持てない
ナ共産党が推進した「抗日戦争」、これらの本
腰ぬけの日本人を創り出すことであった。
質を大局的に国際政治・軍事情勢の推移の中に
解明しなくてはならないのである。
Ⅱ 昭和の戦争の本質
④については、盧溝橋事件の前年1936(昭和
では、あの戦争の本質は何であったのか。端
11)年12月の「西安事件」が重要だ。「西安事件」
的に言えば、わが国は米英とソ連という表面上
以後、蒋介石は、シナ共産党と提携して「抗日
は国家体制もイデオロギーも異質の勢力の挟み
戦争」を戦い抜かざるを得ぬ歯目に陥り、モス
撃ちに遭ったのである。日本挟み撃ちの囮がシ
クワとロンドンとワシントンを経由して伝えら
ナの蔣介石軍閥だ。米英もソ連も蔣介石も将棋
れる彼の勢力の指令に唯々諾々と服従したので
─ 28 ─
ある。しかるに、日本が米国に打ちのめされた
「進歩の模範は欧米文明」だと信じることが、
途端に、蔣介石は毛沢東の共産党軍にシナ大陸
日本知識人の資格だったのだから、当然のよう
を奪われた。それは、米ソの、実はその背後の
にこうなった訳である。更に悲しいことは、祖
「世界政府司令部」の東アジア戦略のシナリオ
国の悲劇を理解できずに、敵が日本民族を抑え
に沿って推進されたと見なくてはならない。
つける手段として創造した「虚偽の歴史観」を
「世界政府司令部」は、ソ連のスターリン、
信奉してしまった。そうさせる役割を担った者
コミンテルン、米国のルーズベルト、英国の
たちが、進歩的大学人・言論人(進歩的文化人)、
チャーチルを巧みに使って、結局はどの様な大
「日教組」の革命運動教師たちだ。戦後世代は
戦後の世界を構想していたか。国際連合による
洗脳教育されて惨い姿に変質してしまった。祖
国際社会の制御が先ず第一。第二にソ連、東欧、
国の歴史と伝統と文化に嫌悪感を持たされた多
共産シナ、北朝鮮のような共産党一党独裁の奴
くの善良な日本人により、日本人自身が自己嫌
隷国家が別の標本である。これを我々は冷徹に
悪、自己劣化の再生産に尽力して今日に至って
認識しなくてはならない。
いるのである。
「影の世界政府」勢力のエイジェントと覚し
Ⅲ 愛国心を嫌悪する国際主義工作員
き北京政府要人李鵬が、95(平成 7 )年に「日
ところで、1932(昭和 7 )年の満洲事変前後
本はあと20年で消滅」すると平然と言い放って
から我が国の各界上層部にモスクワやワシント
我々をビックリさせたが、それは彼の思い付き
ンやロンドン筋から「日本を敗戦に導く工作員」
的な預言ではない。豊かな歴史と文化と皇室を
が明らかに入っていたという事実の解明も絶対
柱にして団結力ある日本民族をこの地球上から
に必要だ。敗北の衝撃が余りにも甚大だったた
消滅させようと企む彼の勢力の世界改造計画の
めに、マトモな日本人は自分たちが歩んだ苛酷
一端を図らずも公然と吐露してしまった事件で
な道程の本質を明察する知的能力も精神的余裕
はなかったか。現今、米中の世界戦略論争を見
も無いまま、軍隊解散、戦争放棄の平和主義と
るに、そのようなタイム・スケジュールが組ま
民主主義の国家という新たな世界に入らせて頂
れていると察知せざるを得ないのである。
いたのだと思い込まされた。GHQが敷いた日
この愚劣、迂闊をこれ以上続ければ、栄えあ
本改造路線を日本人側から推進したのが、戦前
る歴史、伝統、文化を有するわが日本民族は、
の「日本を敗戦に導く工作員」たちだ。公職追
国籍不明の単なる「衆愚の群れ」に堕落し、21
放を免れたこの工作員たちは大きな面をして戦
世紀中葉には本当に滅亡するだろう。彼の勢力
後指導層、各界上層部に入っていた。それ故に、
はそれを目指して日々種々様々の日本覆滅工作
敗戦後半世紀、特に昭和の末年以降の歴代政府
の展開に余念が無い。
は、東京裁判の判決を、心底容認して今日に至っ
民主党政権の登場で日本民族滅亡の危機は深
ている。「戦争犯罪国家」という虚偽の歴史観
まった感が強い。この甚大な危機を深刻に受け
が民族を衰亡させることに思い至らない迂闊な
止めて一刻も早く自存自衛の対策を講ぜずして
政治家が多過ぎるのも教育の成果だ。余りにも
は、世界文化遺産に算定される運命は恐らく避
愚劣なことだが、政府見解として「戦争犯罪国
けられないであろう。
家」観を盤石に定着させてしまった。
覚醒せよ、祖国日本を愛するわが同胞たち
明治維新以降現在に至るまで「欧米は文明」
よ! (了)
福地 惇(ふくちあつし) 1945(昭和20)年、茨城県生れ。政策提言委員。1969年東京大学卒。1976年、東京大
学大学院人文社会科学研究科博士課程国史学専攻修了。高知大学教授。文部省初等中等教育局視学官を経て、統
合幕僚学校講師。2003年より大正大学文学部教授。著書に『明治新政権の権力構造』『木戸孝允における思想と現
実』『明治政府と西郷隆盛』
『敗戦国体制護持の迷夢』『明治維新と近代日本の実相』など多数。
─ 29 ─
国内問題 外国人地方参政権付与に反対する
本誌編集長 佐藤勝巳
永住外国人の地方参政権付与
か。韓国籍保持者が「日本国民」であるはずが
韓国を支持する在日韓国人の組織「在日本大
ないからだ。
韓民国民団」(以下民団と呼ぶ)が、参政権問
民団幹部はこの事実を承知の上で、地方参政
題を云々し出したのは、1989年末頃からである。
権を要求している。これは明白な憲法否定の考
「権利擁護」の一貫として要求してきたもので
えである。出入国管理及び難民認定法は「法務
歴史は長い。日本人の側で、地方参政権を付与
大臣が日本国の利益又は公安を害する行為を
すべきだと推進してきたのは公明党であった。
行ったと認定する(同法24条ヨ)」場合いつで
しかし、自民党のなかに根強い反対があり、実
も当該外国人を強制的に国外に退去させること
現を見ないで今日に至っている。
ができると規定している。民団は、団体として
ところが05年の最高裁判決で、永住外国人へ
日本国の憲法を否定する活動を公然と行ってい
の地方参政権付与について、判例として拘束力
「公
るのであるから、これは重大な「国益の侵害」
がない「傍論」部分で「憲法上禁止されていな
安を害する」事案であることを、この際、広く
い」と記されたことが引き金となって、再び永
知ってもらいたい。
住外国人の地方参政権問題が活発化したという
国を滅ぼす贖罪意識
経緯があった。
今民団がやっている運動は憲法違反であるか
最高裁判決、本論で全否定
ら、大問題である。ところが実際はそうはなら
問題の最高裁判決であるが、選挙権は「〈権
ないのが日本社会である。先に触れた最高裁判
利の性質上日本国民のみ〉を対象として、〈外
決で「傍論」を書いた園部逸夫元最高裁判事は
国人には及ばない〉こととし憲法93条 2 項の〈住
産経新聞( 2 月19日)に、在日韓国・朝鮮人を
民〉とは〈日本国民を〉を意味し、〈右規定は、
「なだめる意味があった。政治的配慮があった」
我が国に在留する外国人に対して……選挙の権
と明言している。これを読んだとき「冗談では
利を保障したものということはできない〉」(日
ない。最高裁の判事が政治的配慮はないだろう」
本大学、百地章教授著『新版 外国人の参政権問題
という言葉がつい口をついて出た。この国を駄
Q&A』─地方参政権付与も憲法違反─15頁)と
目にしているのはかくのごとく、韓国・朝鮮問
いうものである。これを見れば分るように憲法
題で贖罪意識が支配し、真実が見失われている
上からも、最高裁判決からも、永住外国人に地
ことである。
方参政権付与などあり得ないということだ。
贖罪意識とは「朝鮮を35年間植民地支配して
それなのに民団は、「永住外国人に地方参政
すみませんでした」ということであるが、この
権を付与することは日本の憲法の精神にかなう
意識の決定的な欠陥は、過去の歴史的事実を当
もの」だと主張している(民団のインターネッ
時の状況と価値観で評価するのではなく、現代
ト)。憲法のどこにそんなことが書いてあるの
の価値観で、過去の歴史を評価するという、こ
─ 30 ─
れほど非科学的で馬鹿馬鹿しい認識はない。こ
取引先の殆どは日本企業であることから、その
れでは歴史学は成立しない。
票を獲得できると考えるのは当然のことといえ
1955年までわが国には公娼制度が存在してい
る。
た。女衒(ぜげん)が若い女性をカネで買って、
在日韓国人は概して日本人より行動力があ
遊郭の経営者に売り、売春行為をさせ、酷い搾
る。その気になれば、集票能力は侮りがたいも
取をしたことは公知の事実だ。今の価値観で評
のがある。伝え聞くところによれば小沢氏は「30
価すれば、人権蹂躙、犯罪としか言いようがな
万票民主党に来るなら(地方参政権を)認めて
い。
やれよ」(全国紙デスク)と言ったという話を
前述の元最高裁判事の考えは、過去の公娼制
聞いた。
度の犠牲者に心を痛め判決を書いたという信じ
事実かどうか確認のしようがないが、票の欲
がたいことを言っているのである。
しくない政治家はいない。大いにありそうな話
こんなことを言っているのがこの判事だけな
である。また、政治家で鳩山由紀夫氏は別とし
ら無視してもよいが、1989年 3 月、伊藤成彦、
て、カネの欲しくない政治家もいない。政治資
宇都宮徳馬、鯨岡兵輔、隅谷三喜男、田英夫、
金規正法では外国人からのカンパは禁止されて
土井たか子、長洲一二、伏見康治、安井良介、
いる。もし分ったら「全く知りませんでした」
和田春樹氏ら10人が、「提言・日本の朝鮮政策」
で秘書は起訴されるが、小沢幹事長は辞任する
を発表した。その中で事務局長の和田氏は「植
必要がない。
民地支配を植民地支配と認め、それによっても
在日韓国人と付き合いのあった10数年前、何
たらした苦痛に対して謝罪し、必要な保障を行
人かの在日韓国人オーナーから「政治家にモノ
い、反省を未来に生かすことが必要です」(岩
を頼んで御礼をするのは当たり前だ。外国人か
波ブックレットNO129b号19ページ)と述べている。
らのカンパを禁じている政治資金規正法は怪し
日韓条約が妥結したのが1965年である。それ
からん」と、「抗議」を受けたことがある。こ
から20数年経過して、今も尚こんなことを言っ
の感覚は、民団、総聯ともに同じ。いや、朝鮮
ている日本人が少なからずいるから、永住外国
半島の政治文化といってよく、日本とは違う。
人の地方参政権付与などという、とんでもない
要求が出てくるのである。日本側にも責任がな
民団の組織維持のためか
いとは言えないのである。
民団と一口に言っても、一家に例えるなら、
民主党小沢幹事長に贖罪意識が有るのかどう
おじいさん、お父さん、孫と 3 代同居している
かは不明であるが、昨年、民主党政権が実現、
と仮定すると、日本の家庭も同じであるが、時
小沢幹事長が民団や韓国大統領からの陳情を受
代の変化を反映し、考え方がかなり違ってくる。
け、通常国会に、永住外国人に地方参政権を付
自分の国籍がある韓国に対する考え方、住んで
与する法案を提案する旨発言し、にわかに注目
いる日本に対する考え方にも相当な差があるの
を集めることになった。
は当然。民団内部も同じで、民団幹部は、韓国
生まれの 1 世、日本生まれの 2 世、 2 ・ 5 世な
小沢幹事長が法案に熱心な理由
どではないかと思われる。青年会幹部は 3 世で
参政権問題で小沢幹事長に直接取材した人は
あろう。この構成で、日本の地方参政権獲得で、
いないようだ。耳に入るのは推測や、側近を通
意見が一致するなど考えにくい。
じての間接的な話ばかりで、断定的なことは言
現在、在日韓国人100組が結婚すると、韓国
えないが、ずばり「票」であろう。民団の人た
人同士の結婚はそのうち 5 組あるかなし。後の
ちが経営する会社・企業の日本人従業員、また
95組の結婚相手は男女のどちらかが日本人であ
─ 31 ─
る。生まれてくる子どもの多くは日本国籍を取
ればよいだけの話である。本当に在日韓国人の
得していると推定される。
ことを考えているのなら、「誰のためにもなら
在日韓国人永住者の人口が毎年約 1 万人近く
ない地方参政権運動はやめるべきだ」と直言す
減少しているのは、高齢者の死亡もあるが、日
るのが友情である。民主党や公明党が、彼らの
本国籍取得者が増加していることも大きな要因
運動に呼応しているのは、何か意図があるとし
のひとつである。この事実は、戦前から日本に
か思われない。
居住していた在日韓国人の子孫が、日本社会の
構成員になっていく過程を示している。在日韓
民団は誰の味方か。
国人の参政権問題は、中央、地方を問わず、こ
韓国はいつも金正日政権の攻撃に晒され、厳
のように自然に解消しつつあるのだ。
しい緊張下にある。李明博政権は、核を放棄し
民団に限ったことではないが、運動で生活し
たら北に対して経済援助をする、非核化が先だ
ている専従役員と、そうでない人たち(民団員)
と、日本やアメリカと一緒になって核廃棄を求
の間にも認識の違いがある。しかし、専従役員
めている。今、東アジアの最大の関心は金正日
達は組織維持のために、日本社会に地方参政権
政権の核保有だ。世界規模でいうなら核の拡散
を要求し、活動しているということを内外にア
問題である。これに対して民団が、態度表明を
ピールする必要があるのである。
したという話は耳にしたことがない。こんな喫
緊の問題があるにもかかわらず、地方参政権獲
日韓双方に参政権
得だという。私の目には、民団が地方参政権問
昨年(09年) 2 月、在日韓国人に、韓国の大
題を口にしだしたときから、民団は韓国内の左
統領選挙と国会議員選挙比例議員に対して選挙
翼と近い存在と映り、間違った大衆迎合路線に
権が認められた。これは、民団が韓国国会に働
陥ったと理解している。
きかけたと思われる。韓国の青年は国家に対す
る義務として誰もが20歳になると 2 年間兵役に
地方参政権法案通過は世論次第
服す。在日韓国人は兵役が免除されている。国
まず地方参政権法案が国会に提案できるかど
民としての義務を果していないのに参政権が与
うかだ。今、国会の焦点となっている小沢幹事
えられた。知人の韓国人は鳩山政権と同じ李明
長・鳩山首相の「政治とカネ」の問題がどうな
博大統領のポピュリズムではないか、と苦笑し
るかである。小沢・鳩山両氏のカネ問題論議を
ていた。
回避し、審議を強行する民主党に世論が傾くの
他方、民団は日本に対して、地方参政権を要
か。小沢氏らを国会に証人喚問して、カネの問
求している。信じがたいことであるが、彼らは、
題を糾すことを要求している自民党に、軍配が
韓国人にも日本人にもない特権的地位を要求し
上がるのか。その行方にかかっている、と思う。
ているのである。非常識極まりない言動といわ
国民新党亀井静香代表の言明どおり、地方参
ざるを得ない。
政権法案に大臣として署名しなければ、政府提
要求は自由であるとしても、彼らに地方参政
案とはならないが、議員立法という方法がある
権を与えるかどうかは、日本の自由だ。拒否す
ので、行方はまったく楽観できない。
佐藤勝巳(さとうかつみ) 1929(昭和 4 )年新潟県生れ。戦後、在日朝鮮人の北朝鮮への永住帰国運動に関与。
1965年、日本朝鮮研究所事務局長となり、北朝鮮統一政策の研究、在日韓国・朝鮮人の法的地位と処遇について
の運動と研究に関わる。1984年、現代コリア研究所所長。1998年、
「救う会」会長を経て、2010年より本誌編集長。
主な著書に『北朝鮮「恨」の核戦略』
『崩壊する北朝鮮』
『なぜ急ぐのか日朝交渉』
『在日韓国・朝鮮人に問う』
『北
朝鮮の「今」がわかる本』『わが体験的朝鮮問題』など多数。
─ 32 ─
地域研究 中央アジア
近年の中国の影響力拡大がもたらすもの
拓殖大学海外事情研究所 助教 中島隆晴
ロシア
カザフスタン
ウズベキスタン
トルクメニスタン
キルギス
タジキスタン
中 国
インド
近年中国は中央アジアにおける影響力を急速
プラインを通じ年間およそ400億㎥の天然ガス
に拡大している。まず近年の経済的影響力の拡
をトルクメニスタンから購入する予定である。
大であるが、2009年12月14日、中国はトルクメ
また中国はトルクメニスタンに存在する世界有
ニスタンからウズベキスタン・カザフスタンを
数のヨロタンガス田に30億ドルを追加投資する
経由して東トルキスタンに至る新規天然ガス輸
ことも決定した。このように中国は中央アジア
出パイプラインを完成させた。中国はこのパイ
からの資源獲得競争に一歩リードしたことを世
─ 33 ─
したウイグル人弾圧事件への中央アジア各国の
界に見せ付けている。
反応である。この事件は同じトルコ系民族であ
中国の経済的影響力
るウイグル人が多数虐殺されたことで隣接する
中国の中央アジアにおける経済的影響力の拡
中央アジア各国にも大きな衝撃を与えた。しか
大は多方面にわたっている。特にキルギスでは、
し中央アジア各国はあえて経済的利益の観点か
2007年にはキルギスの総輸入に占める中国製品
ら中国への批判を行わなかった。
の割合が62%に達した。すでに中国なくしてキ
むろん国民の中国に対する抗議デモは中央ア
ルギス経済は成り立たない状況である。また特
ジア各地で発生したが、中央アジア各国政府は
に注目すべきはタジキスタンにおけるログン水
これを厳しく弾圧した。2005年に大規模な反政
力発電所の建設計画であろう。この計画は元々
府運動が発生したウズベキスタンに至っては今
ロシアがタジキスタンとの間で進めていた計画
回のウイグルにおける事件への徹底した報道管
であったが、ロシアは財政難を理由に2007年、
制を行ったほどである。
計画から撤退、中国が引き継ぐ形となった。ロ
グン水力発電所は中央アジアの二大河川の一つ
多民族国家を刺激する「上海協力機構」
アムダリヤの給水に重要な影響を与えると予想
中国・ロシアが主導する地域機構「上海協力
されており、特に下流域のウズベキスタン、ト
機構」の加盟国でもある中央アジア各国は政治
ルクメニスタンに対する「水」を背景にした中
的な観点からも中国への批判を控えなければな
国の影響力が強化されることが予想されてい
らない事情があった。上海協力機構は地域にお
る。水資源を重視する中国はさらに 3 億ドルを
ける「民族主義」、「分離主義」、「テロリズム」
タジキスタンのバダフシャン水力発電所の建設
に対処するために設立された組織である。
計画にも投資している。
中央アジア各国は独立以来これらの脅威に悩
中国はカザフスタンとの間でもさらに石油輸
まされ続けてきたが、「分離主義」は中央アジ
入を拡大すると共に、2007年以降原子力面にお
ア各国にとって特に大きな脅威の一つである。
ける協力関係を拡大している。カザフスタンは
中央アジア各国は単一民族国家ではなく、国内
世界第二のウラニウム埋蔵国家であるが、すで
に多様な民族を内包する多民族国家である。中
に2007年から核燃料を中国の原子炉に供給して
央アジア各国では依然国内の少数民族による分
いる。さらにクズル・オルダ州にあるイルコル
離主義運動への警戒感が強い。こうした中、ウ
鉱床で中国と共同でウラニウム鉱床の探査、採
イグルにおける民族主義運動と意識の高まりは
掘を行う他、中国に原子力発電所を建設するな
国境を隣接する中央アジア各国内の分離主義運
ど経済面における中国の重要性は、ますます強
動を刺激するものとなりかねなかった。このよ
まっている。
うな経済的・政治的要因から中央アジア各国政
府は中国への批判や抗議を行わなかった。むし
ウイグル人弾圧にみる中国の政治的影響
ろ一部の中央アジア各国では市内の主要な場所
力
に中国と共同で情報員を配置し、親ウイグル派
このように中央アジアにおける中国の経済的
の摘発を行ったほどである。
な影響力が強まる中、中国の中央アジアにおけ
る政治的影響力も拡大しつつある。その例が
国際テロ組織の活動活発化
2009年 7 月 5 日、中国の東トルキスタンで発生
しかしこうした中央アジア各国政府の露骨な
─ 34 ─
「中国支持」の動きは想像以上に国民の不満を
ウイグル人への弾圧事件を機に中央アジアでは
高めている。トルコ世界において国民一般の間
新たな火種が生まれつつあるのである。
で中国への批判は依然強い。中国製品ボイコッ
ト運動を主導したトルコをはじめ、全世界のト
中国台頭を懸念するロシア
ルコ系住民は 1 億7000万人を超えており、中国
また上海協力機構のもう一つの主導的大国ロ
にとって少なからぬ影響を与えることが予想さ
シアも中央アジアにおける中国の急速な影響力
れる。
拡大政策を懸念している。ロシアは依然中央ア
さらに深刻なのは中央アジアのイスラーム勢
ジアにおいて強力な支配力を維持しているが、
力による新たな反政府テロを引き起こしかねな
ここ数年で中国が確固たる独自の市場と足場を
い点である。昨年 7 月の虐殺事件の後、国際テ
築きつつあるのは上述の通りである。こうした
ロ組織アル・カーイダの分派とみられる組織は
状況はロシアにとって極めて重要な脅威と映り
「ウイグルのムスリム同胞を弾圧した中国人へ
つつある。
の報復を行う」と発表し、実際に中国人の被害
者が発生した。中国にはイスラーム過激派組織
米露関係の今後は…
ETIM(東トルキスタン・イスラーム運動)が
ロシアは中央アジア地域を自らの影響圏とみ
存在している。昨年 8 月 9 日には中国南方航空
なしており、いかなる外国も一定以上の影響力
の旅客機がハイジャックされる事件が発生して
を有することを看過しない。ロシア政府内では
おり、実行犯は国内外のイスラーム過激派によ
近年「これ以上の中国の影響力拡大を防ぐべき
る犯行の可能性が高いとみられている。今後も
である」とする意見が強まりつつあり、メドベー
アル・カーイダがETIMらと共同で中国国内へ
ジェフ政権も次第に中国と一定の距離を保ちつ
のテロを行う可能性は極めて高い。
つある。とはいえロシアに中国の中央アジアへ
仮に中国でイスラーム過激派組織の活動が活
の影響力拡大を防ぐ有効な手段は少ない。近年
発化すれば、それは確実に中央アジア各国にも
の経済危機の影響でロシアは多額の外貨準備高
波及する。中央アジアではIMU(ウズベキスタ
を失い、中国との中央アジア各国への経済支援
ン・イスラーム運動)が「イスラームの抑圧者
競争には明らかに不利になりつつある。
に対する聖戦」を掲げ活動を活発化させつつあ
今後の焦点はロシア・中国の主導権争いの推
る。当然イスラーム過激派組織にとって「ムス
移と、ロシア・米国間に新たな協調路線が復活
リムを抑圧する中国政府に協力する中央アジア
するか否かである。かつてロシアは中国と共同
各国はイスラームの敵」と見なされるだろう。
で中央アジアにおける米国の影響力拡大に対抗
すでに昨年 6 月にはウズベキスタンのアンディ
したが、今や、より強大な敵を相手にしなけれ
ジャンで再び大規模なイスラーム過激派による
ばならないためだ。このように中国の中央アジ
とみられるテロが発生している。中央アジア各
アにおける急速な台頭は大国間のパワーゲーム
国がさらに中国への接近を強めれば今後も同様
にも大きな影響を与えている。
な事態が発生する可能性は極めて高い。中国の
中島隆晴(なかじまたかはる) 1973年東京生れ。拓殖大学政経学部政治学科卒、トルクメン・トルコ国際大学中
央アジア研究科修了。拓殖大学海外事情研究所客員研究員・東京財団リサーチ・フェロー等を経て現在拓殖大学
海外事情研究所助教。主な著作「中央アジアと米国の反テロ連携」、「キルギスの米軍基地閉鎖問題」、「トルクメ
ニスタンで変革は起こりうるか?」(いずれも「海外事情」)など多数。
─ 35 ─
地域研究 台湾
日台関係の強化と発展に向けて
─民間レベルでの交流促進を─
政策提言委員(拓殖大学海外事情研究所助教) 丹羽文生
( 1 )台湾との出会い
して台湾へ飛んだ。台北中正国際空港(当時)
筆者と台湾との出会いは、1999年 9 月21日に
からバスで 4 時間、震源地の集集から北東25キ
発生したマグニチュード7.3の台湾中部大地震
ロにある南投県埔里に向かい、全壊、半壊家屋
の時であった。死者2,415人、負傷者11,306人、
の瓦礫の中に入って、貴重品や家電製品、家具
行方不明者29人という台湾史上稀に見る天災地
の運び出し作業などを行い、仲間と共に10日間
妖となり、台湾全土が壊滅的な打撃を受けた。
の野宿生活を経験した。
発生から 1 週間後、当時、大学 2 年生だった
日本は私たちの兄貴だ。兄貴が弟を助けに来
筆者は、63名の仲間と災害救援ボランティアと
てくれた─。作業中、元日本兵という本省人
─ 36 ─
の男性が、涙を流しながら筆者に声を掛けてき
に学び、戦後、玩具、日用雑貨の製造を始め、
た。そして筆者の手を強く握り「愛国行進曲」
やがて、ABS樹脂メーカーとして世界一の生産
を歌ってくれたことを昨日のことのように思い
能力とシェアを誇る奇美実業を一代で築き上
出す。
げ、李登輝総統時代には国策顧問として活躍。
それ以来、すっかり「哈台族」
(ハータイズー:
日本で燻ぶり続ける慰安婦の強制連行なるもの
台湾が大好きな人)となった筆者は、最低年 1
に疑問を持ち、自ら戦時中に慰安婦だった女性
回は台湾を訪問するようになった。 3 年前には
を集めて聞き取り調査まで行い、その結果、日
高雄市台日経貿文化交流協会台日研究センター
本軍による強制連行はなかったとする結論を出
の栄誉研究員を拝命し、セミナーやシンポジウ
した人物でもある。
ムでの研究発表、日本に精通した若手の専門家、
奇美実業本社を訪れた筆者たちは、まず、併
実務家との交流を重ねている。
設してある「許文龍創奇美博物館」を見学。許
2008年 5 月に反日、親中派の権化と見られて
氏が私財を投じて設立したもので、世界中から
いた国民党の馬英九政権が発足。その直後、尖
集められた絵画や彫刻、楽器が無料で一般公開
閣諸島での日本の巡視船と台湾の遊漁船による
されていた。これは、企業も社会の一員であり、
衝突、沈没事故が起き、日台関係に亀裂が走っ
その収益は社会に還元すべきという許氏の経営
た。昨年 5 月には、交流協会台北事務所代表の
方針に基づくものである。
斎藤正樹氏の、いわゆる「地位未定論」発言に
許氏は、大の愛日家で、筆者たちと会うや否
馬総統が強く反発し、今でも冷却した状態が続
やコレクションの 1 つであるバイオリンを手に
いている。しかし、台湾人の日本人に対する温
取り、「浜辺のうた」を披露。日本文化が台湾
かさ、優しさは、これまでと何ら変わっていな
に浸透していることを学生たちに語りかけ、心
い。
に染み入るメロディーを奏でてくれた。許氏は、
『台湾の歴史』という自ら著した小冊子の中で、
(2)
「日本精神」を持った台湾人
「台湾と台湾の人民にとって一番貢献してくれ
過日、筆者が奉職する拓殖大学の学生 9 名と
たのは、私は日本だと思っています」とした上
一緒に、 4 ヵ月ぶりに台湾を訪問する機会を得
で、「今日の台湾の基礎は日本植民地時代に造
た。拓殖大学は、日清戦争の勝利に伴い、清朝
られ、それが衛生、治安の悪い状態から、現在、
が日本に割譲した台湾の地を開発し、国際社会
アジアでは日本に次いで立派な台湾を建設した
の発展に貢献し得る人材を育成するため、第 2
のです」と語っている。さらに今の「日本精神」
代台湾総督で後に首相となる桂太郎の手によっ
なき日本人の姿を見て、「今のままでいったら
て設立された台湾協会学校を前身としている。
滅びることはないにしても、日本は三流国家に
さらに桂内閣の下で逓信大臣兼鉄道院総裁も務
なってしまいますよ。われわれはかつて日本人
めた台湾総督府初代民政長官の後藤新平は、第
だったという誇りを持っているのに、とても残
3 代学長でもある。
念でなりません」と警鐘を鳴らしている。
今回の訪台で取り分け学生たちの感動を呼ん
さらに許氏は、これまで、「台湾紅茶の父」
だのは、台湾の有力財界人で「台湾の松下幸之
として台湾における紅茶産業の発展に取り組ん
助」として知られる許文龍氏との懇談であった。
だ新井耕吉郎、台湾の水利事業に尽力し烏山頭
日本統治時代の台南高等工業学校付属工業学校
ダムを建設した八田與一、台湾文化を守った日
─ 37 ─
本統治時代の最後の台南市長の羽鳥又男といっ
2 項で「日本国政府は、中華人民共和国政府が
た人々の胸像を、それぞれの生まれ故郷に寄贈。
中国の唯一の合法政府である」ことを承認。続
顕彰事業を通じ、「日本精神」の復興を呼び掛
く第 3 項では「中華人民共和国政府は、台湾が
けると同時に日台関係の強化、発展に努めてい
中華人民共和国の領土の不可分の一部である」
る。
という中国の言い分を「十分理解し、尊重」す
戦前、台湾にいた日本人は、日本を代表して
るとした。しかしながら、日本の台湾への態度
台湾に来ているという強い使命感と、燃えるよ
は極めて冷たいものがある。つまり、「十分理
うな正義感、そして崇高な「日本精神」を持っ
解し、尊重」はするが、「承認」はしていない
ていた。君たち日本人は「日本精神」を持って
のである。
いるのか。私は「日本精神」を持った台湾人だ
今、台湾と国交を結んでいる国は僅か23ヵ国
─。この清々しくも厳しい言葉に学生たちは胸
であるが、台湾と国交がなくとも政府高官同士
を打たれた様子だった。
の交流がある国も少なからず存在する。世界の
主要国の中で日本は唯一、政府高官の訪台を禁
( 3 )日本政府の愚劣外交
じている国であり、中国の顔色を窺い、台湾と
では、こうした台湾人の心に、私たち日本人
の交流を軽視する状態が続いている。
は戦後、どれだけ応えてきたのであろうか。台
欧米各国では、日本が台湾と国交を断絶した
湾は、他国に類を見ないほどの親日的な国であ
後も、巧妙に中台バランス外交を展開している。
り、引っ越しのできない隣人である。世界には、
日本のように中国一辺倒で、台湾を見捨てるよ
トルコ、フィンランド、ポーランドといった親
うなことはしていない。実務レベルでの交流だ
日国が複数あるが、中でも地理的に日本と近く、
けではなく、政治交流も盛んである。
しかも日本人を深く理解している親日国は台湾
取り分け中国の圧力に簡単に屈する外務省に
を除いて存在しない。
は、入省後、中国において中国語の語学研修を
加えて、自由、民主、人権、法治という普遍
受けた官僚たちの「チャイナ・スクール」と呼
的価値観を共有し、昨今の中国による傍若無人
ばれるグループが存在していることは周知の通
な軍事力拡大、緊迫する北東アジア情勢を考え
りである。彼らは、自らの出世を考え、できる
れば、日本にとって台湾は、安全保障上、譲る
だけ摩擦が生じぬように、台湾を無視し、中国
ことのできない生命線である。さらに日本の貿
共産党の機嫌を取ることに、やたら必死になる。
易相手先としては、アメリカ、中国、韓国に次
李登輝氏の訪日でも、中国に遠慮して、なか
いで台湾は第 4 位で、2008年の日台間の人的往
なかビザの発給に踏み切れず混乱を招いたこと
来も、日本からの訪台者数は約109万人、台湾
もあった。台湾総統府の組織名や役職名を、わ
からの訪日者数は約139万人となっている。日
ざわざ鍵括弧で括り、台湾は「地域」であると
本と台湾は、まさに唇歯輔車(一方が滅びれば
強調する外務省の文書が今でも存在する。これ
他方も滅びるという密接不離の間柄)の関係に
は日本政府による台湾人の尊厳を踏みにじる侮
あると言える。
辱である。
言うまでもなく、1972年 9 月の日中国交正常
しかしながら、外務省だけを責めるわけには
化の時、首相の田中角栄と中国国務院総理の周
いかない。そのバックには「親中派」と言うべ
恩来との間で日中共同声明が交わされ、その第
き政治家が存在する。彼らが中国に取り込まれ
─ 38 ─
ている現実は無視できない。
統治時代の「功」の部分が語られたため、反日
例えば、昨年12月、一般参加者を含む総勢
分子は育たなかったが、日台断交により日台関
600名超の異例の規模となった民主党幹事長小
係が疎遠になったこともあって、日本への理解
沢一郎氏を名誉団長とする「小沢訪中団」は「朝
や関心は低く、親日的な感情も薄らいでいる。
貢外交」と揶揄されるほど、極めて異様であっ
逆に、近頃では日本のエンターテイメント、
た。国家主席の胡錦濤氏が、参加した民主党議
ファッションといった現代大衆文化を愛好する
員全員と握手し写真撮影に応じるという厚遇ぶ
「哈日族」(ハーリーズー:日本が大好きな人)
りは何とも不気味で、さらに歓待された見返り
と呼ばれる若者が台湾の都市部で増えている。
に小沢氏が首相の鳩山由紀夫氏を通じて強引に
「台北の原宿」と呼ばれる繁華街・西門町には日
セットさせた副主席の習近平氏の天皇陛下謁見
本の若者を真似たファッションを身に纏う若者
は、「天皇陛下の政治利用」に当たるとして問
が見受けられる。さらに、台湾には日本のテレ
題視された。
ビ番組が365日24時間楽しめる日本語専門チャ
民主党は2007年 1 月の党大会に、中国共産党
ンネルもあり、そこでは1990年代に日本でヒッ
訪日団を招聘。かつての社会党や日本共産党と
トしたドラマが放映されている。
同じく「友党」の関係にあるとされる。今後、
「小
以前、台湾のビジネス誌「遠見(グローバル
沢訪中団」のように、民主党が中国共産党によ
ビュー)」が台湾全土で台湾人の世界観に関す
る工作や干渉を受け、振り回される恐れもある。
るアンケートを実施した。その結果、 4 つの質
日本が今後も大国(中国)に媚び、小国(台
問のうち「移民したい国」、「立派だと思う国」、
湾)を挫くという愚劣外交を続けるのであれば、
「旅行したい国」の 3 つで日本が 1 位となり、
「留
台湾の日本に対する不信感は徐々に強まってい
学したい国」だけがアメリカに次いで 2 位だっ
くであろう。これからも台湾が親日国であり続
た。日本に憧れを持つ若者が増えていることは
けるかどうかは日本次第であると言える。
喜ばしい。
だが、それらは一時のブームであり、決して、
( 4 )日本語世代の退場
その根っこは深くはない。したがって、日本に
一方、これからの日台関係を考える上で、日
おいても、国民一般の台湾への理解と関心を高
本統治時代に日本語を学んだ世代が表舞台から
めるための情報の普及、啓発を図り、これまで
退場していく状況も深刻である。彼らは70歳以
以上に日台間の連携を強めて、真の「哈日族」、
「哈台族」を育てていかなければならない。
上の高齢者であり、台湾社会への影響力も徐々
に低下している。
もはや政府に頼る必要はない。JFSSを初め
今の台湾社会を支える戦後世代の台湾人は、
としたシンクタンクによる学術交流はもちろ
日本及び日本語には縁がない。蒋介石時代は日
ん、若い世代を中心とする「しがらみ」のない
本語の使用が禁止され、日本統治時代に残した
民間レベルでの文化交流や教育交流を、さらに
遺産は国民党に奪われ、学校教育は反日色に染
推進していくことが求められる。
まったためである。もちろん、家庭では、日本
丹羽文生(にわふみお) 1979年、石川県生れ。東海大学大学院政治学研究科博士課程後期単位取得満期退学。衆
議院議員秘書、作新学院大学総合政策研究所研究員等を経て、拓殖大学海外事情研究所助教。この間、東北福祉
大学非常勤講師等を歴任。著書に『保守合同の政治学』(共著、青山社)等多数。
─ 39 ─
地域研究 北朝鮮
北朝鮮で「革命的大事変」が進行している。
本誌編集長 佐藤勝巳
市場勢力撲滅
(韓国に亡命してきた朝鮮労働党書記黄長燁氏
今、北朝鮮では「革命的大事変」が進行して
などの証言)。それまで北朝鮮では人民支配の
いる。「市場勢力」が独裁者金正日の指示に従
物質的裏づけとなっていたコメなどの生活必需
わないだけではなく、後述のように金正日政権
品の配給制度がこの時点で崩壊してしまった。
を追い詰める戦いを展開していることが分って
北朝鮮人民は、政府が食糧を配給しないから、
きた。
闇市にそれを求めざるを得なくなった。北朝鮮
日本では大きく報道されなかったが09年11月
の「市場」は金父子独裁政権の失政による300
30日、突然金正日政権は通貨を100分の 1 に呼
万人余の屍の上に作り出された悲惨な歴史と、
称を変更する旨発表、新旧紙幣の交換期日を12
そのツケが今、金正日に突きつけられているの
月 6 日までとした。新旧紙幣の最高交換額は一
だ。
世帯当たり50万ウオン。国内での中国元やドル
北朝鮮ではあらゆるものを金正日が決めてい
など外貨の使用も禁止した。給料は旧貨幣と同
た。ところが「市場」は需要と供給によってモ
じ額を新紙幣で支払ったので、給料は一挙に
ノの価格が決定される。独裁者金正日の関与で
100倍アップした。そのためインフレが進行、
きない世界が急速に確立されていった。北朝鮮
2 月中旬には「あらゆる物価が過去の水準に
は軍事優先政策で、軽工業が破綻。「市場」で
戻った」( 2 月20日朝鮮日報)という。北朝鮮
販売される生活必需品の90%を中国に依存する
当局はこれらの措置をデノミではなく「通貨改
ことになった。北朝鮮「市場」経済は中国経済
革」と呼んでいる。
に従属するという深刻な事態となり徐々に広
なぜ「通貨改革」が執られたのか。北朝鮮の
まっていった。
責任ある部署は公式に何もコメントを出してい
金正日政権がこれに気がついたのは2002年。
ないが、モノを売買する「市場」に金正日の支
「市場」を規制しようとしたが失敗してしまっ
配が及ばなくなり、独裁体制の危機と判断、市
た。失敗の理由は金正日政権が、人間として生
場勢力の弾圧が目的であったと推定される。
きていける最小限度の食糧や生活必需品を配給
しないで、
「市場」を規制することは、また「餓
餓死者300万人以上、市場で生き延びる
死をせよ」と同じである。国民は誰も従わず簡
北朝鮮国内に「闇市」が拡大したのは1995∼
単に失敗した。
「市場」は非合法なものだが公然と存在し続
98年ごろまで続いた食糧危機が直接の契機で
あった。
けた。そのカラクリは地方党幹部や警察(保安
前年の1994年に金日成が死亡し、積年の矛盾
部)当局の上から下まで「市場勢力」に買収さ
が食糧不足となって爆発、人口2000万人のうち
れ、取り締まる者にも、取り締まられる者にとっ
15パーセントに当たる300万人以上が餓死した
ても相互に利益を生むところであったから、存
─ 40 ─
続してきたのだ。
起きている(朝鮮日報 3 月 4 日)と言う。
また、北朝鮮側の韓国との窓口である「朝鮮
中国への従属
アジア太平洋委員会」は、北朝鮮内にある金剛
さらに金正日を脅かしたことは、「市場資本」
山と開城の観光を早く再開しろ、韓国当局が「観
が形成されたことである。北朝鮮には中国華僑
光再開の道を妨げ続ける場合……観光事業に関
が約 3 万人居住している。その多くは中国国籍
連したすべての合意と契約を破棄」すると、い
を持つ朝鮮族と推定されるが、彼らはピョンヤ
つもの「脅して取る」ヤクザまがいの常套手段
ンの中国大使館の支配下にあり、金正日政権が
にでてきている。これは外貨欠乏の反映に他な
直接支配できない外国人である。この華僑が、
らない。
中国でモノを仕入れ、朝鮮人ブローカーを使っ
今、北朝鮮で起きていることは、
「自由」か「独
て、「市場」に物資を流通させ、無視できない
裁」をめぐる、食うか食われるかの戦いである。
利益を蓄積した。そしてピョンヤンの一等地に
金正日は軍を掌握していれば、恐いものなしと
豪邸を構え、若い朝鮮人女性をはべらせ、北朝
判断し、この20年間「先軍政治」政策を執って
鮮国民の反中国感情を醸成しているという話
きた。ところがここに来て、「市場勢力」が
が、10年ほど前から私の耳に入っている。
70%の国民の支持を背景に、金正日の命令を覆
北朝鮮の有名な茂山の鉄鉱石の採掘権を50年
し、市場の復活を実現した。金正日は予想もし
間、中国人が手にしたのをはじめ、多くの地下
なかった大変な危機に直面したことにようやく
資源の開発権やピョンヤンにあるデパートまで
気がついたようだ。
もが中国人の手に渡り、経済全体が中国に従属
金正日訪中の噂が後を絶たないのは、今回の
するという深刻な事態が発生していた。
「貨幣改革」騒動の背後に中国の陰を消すこと
昨年末の「通貨改革」は、具体的には「中国
が出来ないからだと、私はみている。
華僑征伐」であったはずだ。しかし、現在北朝
鮮国民の70%が「市場」に依存して生活してい
金正日との取引は裏切り
る。北朝鮮の「市場勢力」はこの15年間、金正
金正日政権が、中国に援助を要請、アメリカ、
日に依存せず、自分達自身の判断で、賄賂を駆
韓国に対話を呼びかけているのは、関係国を騙
使し「自由」に生きてきた。だから、「市場」
しカネや食糧を取り上げ、延命を図ろうとして
弾圧に対して、彼らは僅か 1 ヵ月半で「市場」
いるアガキである。金正日政権の取るべき方法
を復活、幹部を次々と失脚に追いやっている。
はこれ以外にない。戦略物資のすべてを外国に
後ろに中国共産党の影はないのか、注目したい。
依存している政権が、戦争など出来るはずがな
2 月16日金正日の誕生日に、朝中国境に近い
いことは、実は彼らが一番良く知っているので
咸鏡北道の古茂山駅で食糧を運搬している列車
ある。
が周辺住民に襲われ、警備員との間で激しい乱
ここに来て対北政策で最も不安なのが小沢一
闘となり、住民の 1 人が射殺された。この列車
郎・鳩山由紀夫民主党政権である。小沢氏なら
は中国からの輸入米を積んでいたのだが、僅か
7 月の参院選で勝つために、金正日政権と取引
数キロのコメのために警備員が住民を射殺した
をする恐れがある。それは東アジアの諸悪の根
ため、騒動が大きくなり軍まで動員された。「食
源金正日を助けることであり、アジアを裏切る
糧をめぐる暴力事件や衝突が、各地で相次いで
ことになる。このことを知るべきだ。
─ 41 ─
〈連載〉
総合安全保障の核としての環境戦略
第 1 回 「環境戦略と戦略的思考」
経済学者 海上知明
地球の危機
戦術的対応の限界
地球が壊れ始めている。これは、ずいぶんと
日本の場合、この「戦術的」対応の問題は、
前から指摘されていたことだが、ここ数十年で
環境問題に限らない。例えば、諸政策中、
「戦略」
拍車がかかっているように見える。地球規模で
の名を冠して語られることが多い防衛政策で
両生類が激減しているからである。なんだカエ
も、「戦術的」対応としか考えられないことが
ル程度で杞憂してと思う方もいるかもしれない
多々見られる。代表的なのが、防衛力そのもの
が、環境問題における両生類は、地下にたまっ
の規模である。記憶にある限り、日本の防衛費
た有毒ガスに対する「坑道のカナリア」と同じ
の少なさと対外脅威が語られなかったことはな
である。これは、生命の歴史に関係がある。生
いように思える。特に、ソ連のアフガニスタン
命の発生は海中である。やがて両生類が登場す
侵攻後の「ソ連脅威論」はすさまじいものがあっ
るが、初めて地上に出た種族であるから、陸上
た。しかし、防衛費は目立って増えていない。
生活種としては、皮膚が弱く外界の影響を受け
それはなぜか?予算に限りがあるからである。
やすい。両生類の激減が、限定された地域での
もし防衛以外の他の要素を無視すれば、他の分
開発がもたらした絶滅によるものであれば恐怖
野の予算が削られていく。防衛費が増えるほど、
心も和らぐだろうが、人間がめったに訪れない
他部門が圧縮されるならば、全体の理解を得る
地域での、明白な理由のないままの絶滅となっ
ことは困難である。この場合、国家の存続あっ
てくると「次に何が来るのか」想像もつかない。
ての話だから、防衛ほど大切なものはないとい
わかっているのは皮膚の弱さだけである。原因
う理屈は通らない。どの分野も、皆その分野こ
がわからないことほど恐怖を駆り立てることは
そが重要だと考えているからである。つまり、
ない。対策のたてようがないからである。地球
防衛問題を全体の中での一分野としてとらえ
に何かが起こり、世界的な種の絶滅が進んでい
ず、それがすべてと考えているから「べき」論
ることだけは間違いない。
に終始するだけで終わっているのである。これ
このように、生命全体を揺るがす規模であり
は総合的安全保障の観点からみれば、ある局面
ながら、発生初期においては、原因が不明確、
のみにとらわれている「戦術的」対応と言える。
それでいて確実に進むのが環境問題である。核
日本のような多重危機に陥っている国にとって
兵器のように瞬時に破壊するのではなく、蝕む
みれば、なおのこと予算のパイの食い合いとい
ように地球を浸食する。もちろん程度の差は
うゼロ・サム・ゲームは避けたいところである。
あっても、環境問題が人類の生存を危うくして
防衛政策が「戦術的」であったのと同様に、
いることは世界全体の共通認識である。しかし、
従来の環境政策も「戦術的」であった。あるい
環境問題がなくならないのには理由がある。一
は環境思想の用語でいえば「テクノセントリズ
つは、政策が「戦術的」対応を中心としている
ム」的対応であった。必要なのは、戦術よりも
ことである。
戦略である。環境問題という未曾有の危機と
戦って、いかに勝利するのか。勝利の法則を追
─ 42 ─
求し、普遍的な法則を歴史から導き出した「戦
二酸化炭素が有罪なら、温暖化に無関係と仮定
略」が応用できるはすだ。戦略を、近代におい
して何もしないでいて、気がついた時には取り
て定義したクラウゼヴィッツは、「戦略は戦争
返しのつかないことになっている可能性もあ
計画を立案し、所定の目的に到着するための行
る。今より 1 ∼ 2 度気温が高かった縄文時代の
動の系列をこの目標に結びつけるのである、則
海面は、3 ∼ 5 m高く、三内丸山遺跡でのシンポ
ち戦略は個々の戦役の計画を立て、またこれに
ジウムでは10m高かったという説さえ出ている。
戦役において若干の戦闘を按排するのである」
と述べている。
確実なことがわからないまま、二酸化炭素が
「有罪」か「無罪」かの二者択一をするとそれ
によって行うことも当然変わってくる。従って
温暖化議論を超えて
どんな結果になるかわからない。これが「二酸
過去の政策が、
「戦術的」対応であったことは、
化炭素の25%削減」という戦術的目標がもたら
虚偽の環境問題に振り回されることにもなっ
す現象なのだ。しかし、地下資源利用の発電に
た。環境問題には嘘も多い。環境ホルモンやダ
問題があるとするならば、誰もが同意するだろ
イオキシンのように、どこかに消えてなくなっ
う。化石燃料・ウランの利用を減らし、自然エ
てしまったものもある。そして昨今、温暖化を
ネルギーを増やしていく中で、その効果の一つ
巡る議論が盛んになっている。
として二酸化炭素の排出量が減ったとしたら
「地球が暑くなっている」、これに対して様々
ば、二酸化炭素が「有罪」であろうと「無罪」
な側面で、諸子百家ならではの議論が繰り広げ
であろうと無関係なのである。
られているのだ。悲観的にみて300年後に気温
いずれにしても、多額の費用が注ぎ込まれ研
100度となり全生物死滅というのもあれば、温
究が続く「環境問題」であるが、今の段階では
暖化などしていないというものさえある。その
その解明は確立されておらず、よってその解決
中で確実に言えそうなことは、①気温が上昇傾
策もあらゆる分野で模索中であることも特記し
向にあること②理論的には、二酸化炭素に温室
ておく。
効果がある③英国産業革命以降、二酸化炭素の
量が増大していること④縄文海進がおこる可能
二大課題への取組み
性があること。以上である。
環境戦略とは、このように個別現象と個別目
理論的に温室効果があるとされながらも、二
標に注視するのではなく、大きくシステムを変
酸化炭素が実際に温暖化に関与しているかどう
えること、歴史の流れの中に見出される傾向線
かは議論がわかれている。現在進んでいるのも、
を変えることを目的とするものである。そして、
温暖化ではなく温暖期であるとか、太陽の活動
環境問題を根本からなくそうとする環境戦略
によるものであるとか諸説が入り乱れていて結
が、総合的安全保障の核となりうるのは、環境
論が出ないから、二酸化炭素が有罪か無罪かも
問題の根幹に、エネルギーと食料という二大課
わからない。すると鳩山政権の25%削減が実施
題があるからだ。この解決を目指すことが人類
されたとき、膨大な費用を費やし、経済その他
史へのアプローチとなり、社会全体の多くの分
を圧迫しながら、無実の罪の二酸化炭素を圧縮
野に波及効果をもたらし、更なる期待につなが
するという徒労に終始する可能性がある。逆に
るといえよう。
海上知明(うなかみともあき) 1960(昭和35)年茨城県生れ。中央大学経済学部卒。2002年 3 月、博士(経済学)。
東京海洋大学海洋科学部海洋政策文化学科・芝浦工科大学人文学部・国士舘大学政経学部非常勤講師、戦略研究
学会古戦史研究部会代表・孫子経営塾理事。首都大学東京のオープンユニバシティで「環境史と文明」などを担当。
著書に『環境思想 歴史と体系』
『環境戦略のすすめ』
『信玄の戦争 戦略論「孫子」の功罪』
『新・環境思想論』
『危
機管理の経済史─環境問題としてのエネルギー』共著に『地球環境史からの問い─ヒトと自然の共生とは何か』
など多数。
─ 43 ─
「Key Note Chat 坂町」
事務局 長野禮子
昨年 6 月に始まったこの会は、当フォーラムの役員・会員を対象に、関心度の高い様々な政治
的事象をテーマに専門家を招き、講演していただいた後、同じテーブルで参加者との忌憚のない
意見交換や質疑応答、それもおしゃべり(chat)感覚で気楽に、しかし「中身は濃く」というの
が立ち上げの趣旨です。毎回活発な質疑が行われ、時間延長もシバシバ。会場は当フォーラム会
議室(MAXで30名程度)。既に14回を数えました。
今号から季報も一新し、この会も定着したことから、これを機会にページを担当することにな
りました。ご参考までに、これまで取り上げてきたテーマ並びに講師の方々をご紹介します。
第 1 回 「防衛大綱の見直し『自民党案』のポイント」
(6/19) 講師:田村重信氏(自民党政務調査会調査役・慶大大学院講師)
* 4 月のミサイル発射、 5 月の核実験など国際社会の強い反発を無視し実行した北朝鮮
に対し、日本政府は 6 月16日対北全面禁輸を閣議決定した。台頭する中国の軍拡とロ
シア海軍の動向も楽観できない。「憲法改正」の声高まる。
第 2 回 「法輪功修練者への臓器狩りの実態」
(7/7) 講師:デービット・マタス氏(カナダ人権弁護士)
* 1 億人といわれる法輪功修練者は中国政府の弾圧に苦しみ、臓器移植で得た莫大なカ
ネは軍の資金となっている。マタス氏は①臓器移植ツアー完全禁止の法整備の急務②
中国人医師の医療研究目的での各国の入国審査の強化③経済中心の対中関係を見直
し、国際社会との連携を強化し「中国の人権問題」を裁くべきだと提案した。
第 3 回 「中国・北朝鮮のサイバーインテリジェンスの脅威」
(7/28) 講師:宮脇磊介氏(当フォーラム副理事長・元内閣広報官)
*戦争という概念が著しく様相を変え、机上での遠隔操作で国家機密をも盗み取り、破
壊する。敵の姿なき戦争である。中国は‘97年サイバー戦士官養成所を創設。毎年
1000人のハッカー部隊が輩出される。ISMSの認証だけでは万全ではない。日本政府
の取組みと指導者層の「危機管理意識」に期待したい。
第 4 回 「金正日政権の本質」
(8/7) 講師:佐藤勝巳氏(当フォーラム政策提言委員・元現代コリア研究所所長)
*北朝鮮の暴走で非核化を目指す 6 者協議は破綻した。 8 月 4 ・ 5 日、米元大統領クリ
ントンが訪朝し、北に拘束されていた米国人女性記者 2 人を奪還、共に帰国した。日
米のこの差は何か。軍事力なき外交の弱さを氏は強く指摘した。
─ 44 ─
第 5 回 「平成21年版防衛白書」について
(9/1) 講師:鈴木良之氏(防衛大臣官房審議官・情報本部副本部長)
*北朝鮮は核保有で「見返りを求める恫喝外交」を展開。中国は空母を保有するなど軍
拡が進んでいる。迫りくる周辺諸国の軍事費が増加する中で、我が国は平成11年度か
ら削減の一途。益々複雑化する国際社会に向け、国防への不安高まる。 8 月30日の衆
院選の結果、民主党308議席。自民党119議席。政権交代となる。
第 6 回 「中国少数民族人権弾圧の実態」〜ウイグル抗議行動の真相〜
(9/11) 講師:イリハム・マハムティ氏(世界ウイグル会議日本代表)
ハティジャ・マハマティ氏(在日ウイグル人)
解説:中島隆晴氏(拓大助教・中央アジア専門家)
* 6 月26日、中国広東省事件に端を発した漢族とウイグル族との衝突は 7 月 5 日、ウル
ムチで大暴動となり多くの犠牲者を出したが、その真相は不明。この混乱の中 8 月、
ウルムチに里帰りをした在日ウイグル人から、厳戒態勢下のウルムチの様子が報告さ
れた。ウイグル族の多く住む中央アジア 5 カ国は対中貿易をベースとした国家運営で
あることから、中国の民族弾圧に声を上げることは難しいと、中島氏は解説する。
第 7 回 「鳩山政権に 4 島返還は期待できるか」〜島の現実〜
(10/9) 講師:三遊亭金八氏(落語家・千島連盟関東支部監事・元島民 2 世)
解説:丹羽文生氏(当フォーラム政策提言委員・拓大助教)
* 9 月24日(日本時間)、鳩山首相はNYでメドベージェフ露大統領と会談し、北方 4 島
の早期解決の意気込みを見せた。父上が志発島出身の金八師匠は、ビザなし交流で訪
ねた島の現況報告と、島で拾った数々の日常雑器を紹介。参加者の興味を惹いた。参
加者から紹介された北海道の有力経済人の「資源がない上、開発にカネがかかり過ぎ
る。北方四島などいらない!」発言。日本固有の領土を放棄するのか。議論白熱。
第 8 回 「新たな領土問題」〜対馬の現実〜
(10/26) 講師:山谷えり子氏(参議院議員・元首相補佐官・日本領土議連会長)
*海上自衛隊対馬防備隊本部に隣接するリゾートホテルをはじめ、対馬の歴史上の重要
拠点も次々と韓国資本による買収が進んでいる。鳩山政権が実現しようとしている永
住外国人地方参政権・戸籍廃絶議連発足の動き・自虐的教育を正しいと教える日教
組。氏は我が国の抱える外交内政に多くの警鐘を鳴らした。
第 9 回 鳩山内閣の「東アジア共同体」構想の検証
(12/8) 講師:吉野文雄氏(拓大海外事情研究所教授)
*民族・宗教・政治・経済・文化・環境の異なるアジアが共同体となるのは困難。高成
長・高金利の中国と東南アジアとの共通通貨や同一金利は日本経済を破綻させる。幻
想ともいえる「友愛」を唱える鳩山首相の資質を問う会となる。
─ 45 ─
第10回 「混迷続く鳩山政権の行方」
講 師:花岡信昭氏(拓大大学院教授・元産経新聞論説副委員長)
日 時:平成22年 1 月28日 14:00∼16:00
参加者:中條高徳・愛知和男・長野俊郎・渡邉巖・山下美也・丹羽文生他10名(敬称略)
要 旨:A、「 3 K」基地・景気・献金
① 小沢幹事長の土地購入事件の行方
小沢は立件されるか? 石川元秘書らの起訴後は?
② 鳩山首相の「月1500万円 子供手当て」問題
③ 内閣支持率急落 40%∼30%台割り込みも?
④ 普天間移設問題・政治とカネ 「 5 月政局」鳩山・小沢退陣か?
B、自民党支持率は上がらない
① 小泉政治の総括ができていない ② 党内に主役・脇役不在
C、参院選の行方
① 「第 3 極」はできるか ② 大連立、中連立の動き
D、主要政策課題
① 予算・消費税・デフレ対策
② 普天間基地移設問題 5 月末決着は? 日米同盟亀裂か?
③ インド洋給油活動からの自衛隊撤退
④ 永住外国人地方参政権を巡っての公明党対策は?
⑤ 日米中正三角形論と東アジア共同体構想
雑 感: 今年のお正月は啄木の「今年はよいことある如し 元日の朝 晴れて風なし」の句が
自然に口をついて出るほど穏やかな天気だった。しかし、昨秋の政権交代以降、新聞・
TVニュースを見るにつけ、何かいつも胸に痞えるものを感じながら過ごしている。日
本人の正義や誠実さ、また、優しさや恥の文化といったものが次々と壊され、権力者の
都合で問題をすりかえ、ひとりよがりな価値感を押しつけられている。その割り切れな
い気持ちは、今も晴れることはない。
15日に小沢幹事長の元秘書石川氏ら 3 人が、小沢氏の資金管理団体「陸山会」の土地
購入をめぐる政治資金規正法違反で逮捕された。鳩山首相の母親からの「子供手当て」
も追徴金を支払ったとはいえ、多くの国民はまだ問題解決したとは思っていない。トッ
プ 2 人の、心からの反省の弁、国民への説明責任は未だ果たされていない。
「脱官僚」「国民目線」「生活が第一」を連呼して政権交代したが、安全保障の意識も
政治とカネの問題も、どうも平均的日本人の常識とかけ離れているようでならない。
花岡氏は既にポスト鳩山も視野に入れお話下さったが、自民党の再生も見えない今、
私たちはどの政党、どの政治家に期待したらよいのだろう。
─ 46 ─
(1/31 禮)
第11回 「日米同盟の行方」〜今、アメリカからのメッセージ〜
講 師:ジェームス・E・アワー氏
(米ヴァンダービルト大学教授・元国防総省安全保障局日本部長)
日 時:平成22年 2 月12日14:00∼16:00
参加者:中條高德・小田村四郎・愛知和男・長野俊郎・小松三邦・土肥研一・佐藤勝巳他13名
(敬称略)
要 旨:A、普天間基地移設問題について
① 日米の合意事項を履行すべきである
② 日米同盟についての具体的ビジョンなき鳩山政権への不信感
B、QDR(2010年 2 月 2 日公表)の解説
① リーバランスの説明
・財政事情から二正面作戦は困難となった
・新たにサイバーテロ対策を盛り込む
(ここに日本は集団的自衛権行使を検討してはどうかとの提案あり)
② 更なる日米同盟強化
雑 感: 所謂、普天間問題は、日本側からの米国への要請事項であり、13年をかけ、日米で合
意したもの。在沖縄海兵隊のグアム移転にかかわる協定締結の国会承認は、昨年 5 月13
日になされたことも愛知理事長から改めて報告があった。この経緯を認識した上で、現
政権の 5 月末までの結論によって、今後の日米同盟に負の歴史を残すことのないよう祈
りたい。
また、小田村副会長は、現政権の中国認識を改め、きれいごとでは済まされない沖縄
駐留米軍の存在意義を正確に理解しなければ、東アジアの安全保障政策を間違えると指
摘した。
我が国の自衛隊はその技術・能力において国際社会からも高く評価されている。私た
ちは「米国の核の傘の下」に甘んじるだけでなく、先ずは、独立国としての役割を果た
し、国際協定を履行することが、成熟した国家の姿といえよう。
’91年、米ソ冷戦終結後、同盟国を軸とした世界戦略を打ち出すことを目的に、今年
で 4 回目となったQDR。そこにみる航空機・艦艇の減少(リーバランス)は、その戦
力においては遜色ないと氏は言い切るが、これは、全ての紛争に対するカバーが不可能
なことを意味する。確かにこれまでの莫大な戦費のツケとリーマンショック以降の経済
停滞が大きな要因となっていることは否めない。留意すべきは、サイバーテロに対する
予算が新たに計上されたことである。
サイバーテロ対策で、我が国が集団的自衛権を行使することによって、本来の集団的
自衛権の問題を解決してはどうかとの示唆があり、益々複雑化する国際社会にどう対応
していくのか、今後の日米同盟強化に期待するアワー氏の言葉が強く印象付けられた会
であった。
(2/14 禮)
─ 47 ─
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新版 外国人の参政権問題Q&A
─地方参政権付与も憲法違反─
民主党政権になって、またぞろ「外国人参政権」問
題が息を吹き返してきた。
民主党が、あれほど拘った「マニフェスト」に記載
しなかったこの問題を、何の説明もなく法制化しよう
とする意図は分からないが、著者は憲法学者らしく法
律論から参政権問題の危険性を指摘している。
本書の初版は平成12年に「永住外国人の参政権問題
─地方参政権付与は憲法違反─」と題して世に問うた。
「憲法違反」と明確に主張した同書は当時大きな反響
を呼んだ。時あたかも自自連立政権で自民党までもが
参政権付与に熱心に議論していた時期である。
世論の反発にあって参政権付与は沙汰止みとなった
が、それでも現在与党幹事長を務める大物政治家など
は持論を曲げることはなく、先年訪韓の折も李大統領
百地 章 著
明成社 524円
に「参政権付与」を明言してきたほどだ。
本書は、外国人地方参政権付与の間違いを、誰にで
もわかるように簡易な表現で、しかし本質をズバリ突
いた内容で抉り出している。
しかも、多くの国民がついつい肯いてしまうような設問に対して明確な答えを用意してくれている。
例えば「外国人でも税金を払っているのだから参政権を認めるべきでは?」に対しては「納税は公共
サービスを受けるための対価であって参政権とは無関係」と切り捨てる。「国政でなく地方参政権な
らいいのでは?」に対しては米軍基地や原発問題を例に出して、地方自治といえども国政に密接な関
わりを持つ現実を指摘して危険性を明らかにする。
あるいは独仏などはEU諸国民へ参政権を認める際には憲法を改正してそれを許容したことなど、
目からうろこが落ちるように外国人地方参政権問題がわかる。
法律に詳しくない大人も、素朴な疑問を持つ子供も「なるほど、そういうことだったのか」と思え
る著作である。
皆さん、以下の質問に答えられますか?
国政レベルは無理としても地方自治体の政治に参加するための選挙権も認められないのですか?
外国人に参政権を認めている国は多いのではありませんか?
在日韓国・朝鮮人は日本人と同様の生活をしています。地方参政権ぐらい認めてあげてもいいので
はないでしょうか?
韓国では永住外国人の地方参政権を認めています。日本も認めるべきでは?
答えられなかった人は是非本書を手にとってみてください。
─ 48 ─
§ おすすめ図書館 §
「国境の島が危ない」
わが国の海岸線の長さが世界で第 6 位だということ
を、どれだけの人が知っているだろうか。ちなみに 1
位から 5 位はカナダ、ノルウェー、インドネシア、ロ
シア、フィリピンである。わが国の事情はインドネシ
ア、フィリピンと同様、島国であり、多くの島嶼を有
していることにある。
そして島の周辺に広がる排他的経済水域もまた世界
第 6 位の広大さを誇っているのだ。同水域は、漁業、
資源などの経済価値をも有している。
かつてわが国の宰相は、地雷は国境を守る最後の有
力な手段であるにもかかわらず、地雷禁止条約に加盟
したのである。反対する議員に対して「海岸には海水
浴を楽しむ国民がたくさんいるんですよ。そんなとこ
ろに地雷など不要じゃないですか」と迷言を吐いた。
地雷を敷くような戦時にいったい誰が海水浴を楽しむ
山本皓一 著
飛鳥新社 800円
のだろうか。
古くは江戸時代中期、海岸から外国勢力がわが国を
侵攻してくると記した「海国兵談」を著した林子平は
幕府から「徒に世間を惑わす」として蟄居処分を受けた。
その後、ロシア、アメリカの艦船が日本近海に現れ、遂にはペリーが来航したことは歴史の事実で
ある。
翻って今日、今もなおわが国民は国境観念が希薄であると断ぜざるを得ない。
しかしわが国境の島々は今現在、着々と周辺諸国によって壟断されようとしているのである。
本書はそれを事実に基づいて明らかにしてくれている。そして著者の本業が報道写真家であること
から、国境の島の現実をビジュアルに紹介してくれてもいる。
わが国民が国境の島に関心を寄せなくなったことを著者は「日本が敗戦の憂き目にあい、そのコン
プレックスを引きずったまま、近隣諸国との国家間外交で弱腰に終始した結果ともいえます」と指摘
する。
まさにわが国の防衛問題が抱える矛盾と同じ原因を提示しているのである。
本書が紹介する国境の島々の中で特筆すべきは、新たな国境の島の問題として「対馬」と「与那国
島」の現実を紹介していることだ。
えっ?対馬も与那国も、住民が多く住んでいる日本の島じゃないの?と訝る方もいるだろう。
だが現実は違う。
対馬に押し寄せる韓国人観光客とそれにおもねるかのようなハングル文字の氾濫。「対馬は韓国領
土」の落書き。
たった二人の警察官しかいない与那国島。
脅かされる国境の島を知る格好の書である。
─ 49 ─
日本戦略研究フォーラム役員等(平成22年 4 月 1 日現在:敬称略)
会長
中條高德(アサヒビール(株)名誉顧問)
太田 博(元駐タイ大使)
佐藤正久(参議院議員/初代イラク復興業務支
援隊長)
嶋口武彦(駐留軍等労働者労務管理機構理事長
/元防衛施設庁長官)
内藤正久((財)日本エネルギー経済研究所理事
長)
中田 宏(元衆議院議員/前横浜市長)
西 修(駒澤大教授)
二宮隆弘(元空自将補/前JFSS事務局長)
松井 隆(有人宇宙システム(株)取締役会長/
元宇宙開発事業団理事長)
森野安弘(森野軍事研究所所長/元陸自東北方
面総監)
山谷えり子(参議院議員/元首相補佐官)
山元孝二((財)日本科学技術振興財団常務理事)
山本兵蔵(大成建設(株)取締役相談役)
屋山太郎(政治評論家)
吉原恒雄(拓大教授)
渡邉昭夫((財)平和・安全保障研究所副会長)
副会長
小田村四郎(前拓大総長)
理事長
愛知和男(前衆議院議員/元防衛庁長官)
顧問
小林公平(阪急電鉄(株)名誉顧問)
笹川陽平(日本財団会長)
竹田五郎(元統合幕僚会議議長)
田中健介((株)ケン・コーポレーション代表取
締役社長)
鳥羽博道((株)ドトールコーヒー名誉会長)
中野 博((株)グランイーグル代表取締役)
中山太郎(前衆議院議員/元外務大臣)
平沼赳夫(衆議院議員/元経済産業大臣)
山田英雄((財)ジェイ・ピー・ファミリー生きが
い振興財団理事長/元警察庁長官)
山本卓眞(富士通(株)名誉会長)
副理事長
相原宏徳(TTI・エルビュー(株)取締役会長)
石破 茂(衆議院議員/前農林水産大臣/元防
衛大臣)
岡崎久彦(NPO岡崎研究所所長/元駐タイ大
使)
坂本正弘(中大政策文化総研客員研究員)
志方俊之(帝京大教授/元陸自北部方面総監)
田久保忠衛(杏林大客員教授)
浜田靖一(衆議院議員/前防衛大臣)
舛添要一(参議院議員/前厚生労働大臣)
宮脇磊介(宮脇磊介事務所代表/元内閣広報官)
理事
愛知治郎(参議院議員)
秋山昌廣(海洋政策研究財団会長/元防衛事務
次官)
浅尾慶一郎(衆議院議員)
新井弘一((財)国策研究会理事長/元駐東独・
比大使)
─ 50 ─
事務局長(常務理事)
長野俊郎((株)パシフィック総研代表取締役会
長)
常務理事
林 吉永(事務局総務部長/元防研戦史部長)
監事
川村純彦(川村純彦研究所代表/元統幕学校副
校長)
仲摩徹彌(第一ホテルサービス(株)顧問/元海
自呉地方総監)
評議員
石田栄一(高砂熱学工業(株)代表取締役社長)
磯邊律男((株)博報堂相談役)
伊藤憲一((財)日本国際フォーラム理事長)
衛藤征士郎(衆議院議員/元防衛庁長官)
加瀬英明((社)日本文化協会長)
川島廣守((財)本田財団理事長)
国安正昭((株)ウッドワン住建産業顧問/元駐
スリランカ大使)
佐瀬昌盛(拓大教授)
清水信次((株)ライフコーポレーション代表取
締役会長兼CEO)
清水 濶((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
白川浩司((株)白川建築設計事務所代表取締役)
田代更生((株)田代総合研究所相談役)
冨澤 暉(東洋学園大理事兼客員教授/元陸幕
長)
西原 正((財)平和・安全保障研究所理事長/
前防大校長)
野地二見(同台経済懇話会常任幹事)
長谷川幹雄((株)グランイーグル顧問)
花岡信昭(政治評論家/拓大大学院教授)
原野和夫((株)時事通信社顧問)
福地建夫((株)エヌ・エス・アール取締役会長
/元海幕長)
村井 仁(長野県知事/元衆議院議員)
村木鴻二(つばさ会会長/元空幕長)
村瀬光正((株)山下設計名誉顧問)
山口信夫(旭化成(株)代表取締役会長)
*西川徹矢(元防衛省大臣官房官房長)は内閣官
房副長官補就任の間離任
政策提言委員
秋元一峰(秋元海洋研究所代表)
浅川公紀(武蔵野大教授)
渥美堅持(東京国際大教授)
天本俊正((株)天本俊正・地域計画21事務所代
表取締役/元建設省大臣官房審議
官)
洗 堯(元NEC顧問/元陸自東北方面総監)
石川裕一((株)ぷらう代表取締役社長)
石津健光(常総開発工業(株)代表取締役社長)
今井久夫((社)日本評論家協会理事長)
今道昌信(NPO国際健康栄養医学機構監事/
元海自幹校第 1 研究室長)
岩城征昭(前陸自化学学校長)
岩屋 毅(衆議院議員)
上田愛彦((財)
DRC専務理事/元防衛庁技術
研究本部開発官)
潮 匡人(ジャーナリスト)
江崎洋一郎(前衆議院議員)
大串康夫(元航空総隊司令官)
大橋武郎(AFCO(株)新規事業開発担当部長/
元空自第 5 航空団司令)
岡本智博(ユーラシア研究所客員研究員/元統
─ 51 ─
合幕僚会議事務局長)
奥村文男(大阪国際大教授/憲法学会常務理事)
越智通隆(三井物産エアロスペース(株)顧問/
元空自中警団司令)
勝股秀通(読売新聞編集委員)
加藤 朗(桜美林大教授)
金田秀昭((株)三菱総研主席専門研究員/元護
衛艦隊司令官)
茅原郁生(拓大名誉教授/元防研第 2 研究部長)
工藤秀憲(GISコンサルテイング(株)代表取締
役社長)
倉田英世(国連特別委員会委員/元陸幹校戦略
教官室長)
小林宏晨(日大教授)
小松三邦((株)トリニティーコーポレーション
代表取締役)
五味睦佳(元自衛艦隊司令官)
佐伯浩明(フジサンケイビジネスアイ関東総局
長)
坂上芳洋(ダイキン工業(株)顧問/元海自阪神
基地隊司令)
坂本祐信(元空自44警戒群司令)
笹川徳光(前防長新聞社代表取締役社長)
佐藤勝巳(評論家/元現代コリア研究所所長)
佐藤茂樹(衆議院議員)
佐藤丙午(拓大教授)
佐藤政博(佐藤正久参議院議員秘書)
篠田憲明(政治ジャーナリスト)
嶋野隆夫(元陸自調査学校長)
菅沼光弘(アジア社会経済開発協力会会長/元
公安調査庁調査第二部長)
杉原 修((株)AWS技術顧問)
高市早苗(衆議院議員/元内閣府特命担当大臣)
高橋史朗(明星大教授)
高橋 央(感染対策コンサルタント/元米国
CDC疫学調査員)
田中伸昌(元空自第 4 補給処長)
田村重信(慶大大学院講師)
堤 淳一(弁護士)
土肥研一((株)善衛商事代表取締役)
徳田八郎衛(元防大教授)
所谷尚武((株)防衛ホーム新聞社代表取締役)
殿岡昭郎(政治学者)
中静敬一郎(産経新聞東京本社論説副委員長)
中島毅一郎((株)朝雲新聞社代表取締役社長)
中谷 元(衆議院議員/元防衛庁長官)
奈須田敬((株)並木書房会長)
西村眞悟(前衆議院議員)
丹羽春喜(元大阪学院大教授)
丹羽文生(拓大助教)
長谷川重孝(元陸自東北方面総監)
浜田和幸(国際政治学者)
樋口譲次((株)日本製鋼所顧問/元陸自幹部学
校長)
日髙久萬男(三井造船(株)技術顧問/元空幹校
教育部長)
兵藤長雄(東京経済大教授/元駐ベルギー大使)
平野浤治((財)平和・安全保障研究所研究委員
/元陸自調査学校長)
福地 惇(大正大教授/統幕学校講師)
福山 隆(ダイコー(株)専務/元陸自西方幕僚
長)
藤岡信勝(拓大教授)
舟橋 信((株)NTTデータ公共ビジネス事業本
部顧問/元警察庁技術審議官)
前川 清(武蔵野学院大教授/元防衛研究所副
所長)
松島悠佐(ダイキン工業(株)顧問/元陸自中部
方面総監)
水島 総((株)日本文化チャンネル桜代表取締
役社長)
宮崎正弘(評論家)
宮本信生((株)オフィス愛アート代表取締役/
元駐チェコ大使)
室本弘道(武蔵野学院大教授/元陸上担当技術
研究本部技術開発官)
恵隆之介(評論家/拓大日本文化研究所客員教
授)
森兼勝志((株)フロムページ代表取締役社長)
森本 敏(拓大大学院教授)
八木秀次(高崎経済大教授)
山口洋一(NPOアジア母子福祉協会理事長/
元駐ミャンマー大使)
山崎 眞((株)日立製作所ディフェンスシステ
ム社顧問/元自衛艦隊司令官)
山下輝男(第一生命保険(株)顧問/元陸自 5 師
団長)
山下美也(元富士通特機システム(株)代表取締
役社長)
山本幸三(衆議院議員)
山本 誠(元自衛艦隊司令官)
若林保男(湘南工科大学非常勤講師/元防研教
育部長)
*前原誠司(衆議院議員)は国土交通大臣、渡辺
周(衆議院議員)は総務副大臣、長島昭久(衆
議院議員)は防衛政務官就任の間離任
研究員
安生正明(埼玉県防衛協会事務局長/元技術研
究本部主任設計官)
江口紀英((株)太洋無線元取締役社長)
木島 武((株)SCC元代表取締役専務執行役員)
高 永喆(拓大客員研究員)
事務局
長野禮子((株)日本文化チャンネル桜キャス
ティングコーディネーター/「Key
Note Chat 坂町」担当)
田中芳美(総務)
編 集 後 記
新年度から模様替えをすることになった「季報」の編集長に指名された。長く朝鮮半島問題を
専門としていた関係上、安全保障には昔から強い関心を持っていた。出版物は、編集部の問題意
識を執筆者と共有し、協力いただけるかどうかで中身が決まる。その意味では今号の執筆者に心
からのお礼を申し上げたい。「普天間」に見る日米同盟の行方や近隣諸国の対日政策から目が離
せない昨今、役員・会員各位の忌憚のないご意見を期待し、内容充実に努める所存である。(佐藤)
当フォーラム瀬島会長に続き、永野理事長も逝った。先の戦争を語れる『歴史の番人』がまた
ひとりまたひとりと消えてゆく。頃合いを見計らったかのように、瀕死のサヨクの目を覚まし、
息を吹き返させる政権が誕生したのは歴史の皮肉か。多くの国民の後悔は始まったがこの混乱は
しばらく続く。では、保守はどこに戻ってどう行動すればよいのか。そのための小さくても灯と
なる論を掲載してゆきたい。継続は力だと先人は言う。(長野)
─ 52 ─