ハートビル法を考慮した車椅子のための歩道勾配実験 東京電機大学大学院 理工学部研究科 建設工学専攻 近津研究室 ○市倉聡明 1. はじめに 近年、先進各国では高齢化社会の一途をたどっており、我が国の高齢化推移は顕著な伸びを示している。平成 12 年の国勢調 査によると2050年の高齢者の締める割合は32.3%と、国民の約3人に1人が高齢者となる時代を迎えようとしている。 これに伴って、各関係省庁では高齢者・身体的障害者のための住環境に関する法律の施行および改正が行われている。それら 法律の1つに1994年に施行された『高齢者・身体障害者が円滑に利用できる特定建築物の建築の促進に関する法律(通称: ハートビルディング法)』(以下ハートビル法))がある。この法律は高齢者・身体的障害者等が不自由なく建築物を利用で きる環境を整備するための基準案を示しており、高齢者や身体的障害者がより安全に歩行するための廊下・階段における手摺 の設置、屋外通路の照明の設置などがある。また、高齢者の車椅子利用者数が増加傾向にあることから、ハートビル法には車 椅子利用者を配慮した施設設備・駐車場・出入り口・勾配路などの設計基準にも細かい規定が含まれている。例えば、スロー プの勾配角度が屋内8%以下、屋外5%以下と定められているが、この規定は主にアンケート調査といった主観的データによ って定められたものである。 そこで本研究では、車椅子利用者にとって身体的・精神的に負担の多い勾配路に注目し、Hybrid Video Theodolite システ ム(以下 HVT システム)を用いて取得した走行中の車椅子に対するステレオ画像から被験者の特徴点の三次元座標を算出し、各 特徴点の速度・移動量より高齢者・若年者における勾配路の登坂の相違点に着目し、これら客観的データからこの規定の適正 性を検討した。なお、特徴点とは人体7点・車椅子5点の計12点とした。加えて、勾配路の中間地点での踊り場の設置の必 要性についての検討も行った。 2. HVT システム 本研究において、車椅子による歩道勾配の評価実験を行うために図1に 示す HVT システムを用いた。この HVT システムは水平および鉛直方向 への回転を可能とし、中央カメラで移動被写体の自動追尾を行い、左右の カメラでは同期の取れたステレオ撮影が行われる。また、取得される各画 像には角度情報および時間情報が付加されるシステムとなっている。 3. 車椅子走行実験 本研究では、高齢者・若年者の基本的な車椅子の動作およびハートビル 図1Hybrid Video Theodolite 法の検討を行うため、全長8mの可変勾配型実験歩道を用い平坦路および5%、8%勾配の勾配路、さらに各勾配に踊り場を 設けた5項目計10種類の実験を行った。5%勾配路では踊り場なしで登坂距離を5m(昇降高度0.25m)、踊り場(1 m)ありでは勾配路の設置の関係上4m(昇降高度0.2m)とし、8%勾配路では踊り場なし・あり共に3m(昇降高度0. 24m)としている。5%勾配路では、加速可能距離を1mとし、8%勾配路は実験時の安全性を考慮し加速可能距離を2m とした。なお、勾配路を登坂する際には、介助なしでの車椅子での走行とした。また、本研究における高齢者とは高齢者体験 キットを使用して高齢者の動作を再現した被験者であり、使用車椅子は標準型車椅子(株式会社幸和製作所、B−10)を使 用した。 4. 高齢者および若年者の車椅子による走行比較 本研究において、ハートビル法の検討を行うために高齢者および若年者の基本的な走行能力の比較を行った。比較検討項目 は、平坦路、5%・8%勾配路(踊り場なし・あり)である。 4.1 平坦路における高齢者および若年者の比較 を示したものである。若年者および高齢者共に開始点より0.7 5m付近まで急速に加速し、若年者はこの時点で最大速度となる。 若年者は速度を維持し、高齢者はこの地点より2m付近まで徐々 に加速をすると判断される。高齢者、若年者共に2m以降は平均 速度(m/s) 図2は高齢者および若年者が平坦路を走行した際の移動量変化 速度に大きな差は無いと判断される。以上より、平坦路において 高齢者は若年者と比較して加速時において若干低い値ではあるが、 0.8 0.7 0.6 0.5 0.4 0.3 0.2 0.1 0 若年者平坦路 高齢者平坦路 0 全体的には両者間の速度に大きな差は見られないと判断される。 1 2 3 4 5 走行距離(m) 6 7 図2:平坦路での高齢者と若年者の比較 4.2 勾配路における高齢者および若年者の比較 4.2.1 5%勾配路 高齢者および若年者の双方において、勾配路を登坂する際に図3上の両直線の傾きに大きな乱れを確認することは出来ない。 したがって、両者共に一定の速度を保ちつつ勾配路を登坂しているものと判断される。また、高齢者の登坂速度は若年者と比 較して低くなることも理解される。この要因は、高齢者の登坂開始時の初速が若年者に対して低い値によるためである。した がって、登坂能力は登坂開始時の初速と比例するものと判断される。以上のことから、高齢者および若年者共に5%勾配路に は十分に適応できると考えられる。 4.2.2 8%勾配路 7 5%勾配路と比較して大きな値となっていることが分かるが、こ 6 の要因としては加速可能距離を延伸した結果によるものである。 また、この結果からも分かるように登坂能力は登坂開始時の初速 に依存すると判断される。さらに、若年者の登坂能力は5%勾配 路と同様に一定値を保つことが確認された。したがって、若年者 走行距離(m) 図3中の8%勾配路における高齢者および若年者の速度は共に 5 4 3 2 は8%勾配路においても十分適応するものと判断される。しかし 1 ながら、高齢者において初速は若年者と同様の値を示しているが、 0 登坂距離が約0.5mとなる時点で速度の減少が開始され、徐々 に速度が低下していき登坂距離約2.5mで停止状態に限りなく 若年者5% 若年者8% 高齢者5% 高齢者8% 0 5 10 時間(1秒) 15 20 図3:勾配における高齢者と若年者の比較 近くなることが確認された。 上記項目より、高齢者の乗る車椅子は速度を徐々に落としていると判断される。また、登坂速度を近似曲線によりシミュレ ーションした結果、本実験における全登坂距離3m以降も勾配路が続いた場合、登坂開始地点から3.25m地点で車椅子が 停止する可能性があることがわかった。上記より高齢者は8%勾配では、十分に対応できないと推測される。なお、ここにお ける近似曲線は高齢者における登坂速度のデータより算出したものである。 5. ハートビル法の規定値の検証 本研究では、ハートビル法で規定されているスロープの勾配および踊り場の設置についての検証を行った。なお、勾配角度 は屋内8%以下・屋外5%以下と規定され、踊り場は高さ 75cm以上の昇降を行う場合に踏幅150cm以上の踊り場を高さ 75cm以内ごとに設置すると規定されている。そこで、これらの規定を速度・移動量の観点から検証した。 5.1 屋外規定5%勾配の検証 5.1.1 速度による検証 屋外の規定である5%勾配の動作を、速度の面から 表1.5%勾配においての平均速度比較 (×10 −2 m/s) 適正性を検証した。表1は5%勾配において0.1秒 区間 ① ② ③ 毎に計測した速度を勾配の上りはじめ1m(区間 若年者 4.1 4.3 4.4 高齢者 4.2 4.5 4.3 ①)・中間区間2m(区間②)・最終区間1m(区間③)の 三区間に分けて車椅子の平均速度をとったものであ る。高齢者・若年者共に勾配を昇り終わるまで著しい速度変化もなく一定速度で昇り終えていることが分かる。また、高齢者・ 若年者間に速度差は無いと考えられる。以上の結果より5%勾配は速度の観点からは適正であると思われる。 5.1.2 移動量による検証 5%勾配の動作を、移動量の面から適正性を検証し た。表2は5%勾配において0.1秒毎に計測した移 動量を上記の三区間に分けて車椅子の平均移動量を 示したものである。若年者に対する平均移動量は進行 するにつれて増加傾向を示している。一方、高齢者も 表2.5%勾配においての平均移動量 (×10 −2 m) 区間 ① ② ③ 若年者 4.0 4.3 4.7 高齢者 4.3 4.0 4.5 中間の2m区間で若干の低下はあるものの、区間③では区間①の速度にまで回復を見せている。また、高齢者・若年者の平均 移動量間に大きな開きは見られていない。以上の結果より、移動量の観点からも5%勾配は適正であると思われる。 5.2 屋内規定8%勾配の検証 5.2.1 速度による検証 表3は8%勾配において0.1秒毎に計測した速度 表3. 8%勾配においての平均速度 (×10 −2 m/s) を三区間に分けて車椅子の平均速度をとったもので 区間 ① ② ③ ある。なお、ここでの各区間は全勾配距離3mを三等 若年者 2.4 1.9 1.8 分したものである。また、区間①は上りはじめ、区間 高齢者 2.0 1.5 1.4 ②は中間区間、区間③は最終区間である。 若年者は、区間①と②の比較では30%の低下が見られ、勾配の各区間において減速傾向を確認できる。一方、高齢者は若 年者ほどの減速は見られていないが、区間①と②の比較では17%下回っており、若年者と同様に各区間においての減速傾向 を確認できる。ここで注目すべき点は、高齢者・若年者共に5%勾配と比較して速度が低く、停止・後退の危険性が高まると 考えられる。以上の結果より、8%勾配は速度の観点からは妥当な規定値であるとは判断できない。 5.2.2 移動量による検証 8%勾配の動作を、移動量の面から適正性を検証し た。表3は、表4と同様に勾配を三区間に分けて車椅 子の平均移動量を示したものである。高齢者・若年者 ともに勾配の各区間で移動量の減少が見られる。若年 表4. 8%勾配においての平均移動量 区間 ① ② (×10 −2 m) ③ 若年者 5.0 4.2 4.0 高齢者 4.3 3.3 3.1 者の区間①と②の比較では、16%の低下が見られて おり、勾配の各区間において移動量の低下を確認できる。同様に、高齢者は区間①と②の比較では23%の低下が見られてお り、勾配の各区間において移動量の低下を確認できる。以上の結果より8%勾配の移動量検証は、高齢者・若年者ともに勾配 を上りきるまで安定した移動量を持続できないと考えられ、8%勾配は移動量の観点からも妥当な規定値であるとは判断でき ない。 以上の結果より5%勾配においては速度・移動量の観点からも高齢者・若年者ともに円滑に勾配路を昇っていることが確認 され、屋外規定の5%という勾配の規定は適正であると判断される。また、8%勾配においては速度・移動量の観点から高齢 者・若年者ともに円滑に勾配路を昇っていないことが確認され、屋内規定の8%という勾配の規定は不適正であると判断され る。 5.3 踊り場の必要性の検討 5%勾配路においては、上記検討項目より安全であると判断さ 高齢者8%踊り場なし れ、踊り場の設置の必要性は薄いと推測できる。したがって、本 1 無における走行の結果を示す。なお、3から4mに踊り場を設置 している。 速度(m/s) 研究では8%勾配路における踊り場の必要性について重点的に検 討を行った。図4は高齢者による8%勾配路に対する踊り場の有 0.8 0.6 0.4 8%勾配路踊り場なしの場合では、登坂開始地点(1.5m) 0.2 より登坂終了地点(4.0m)付近まで車椅子の速度低下が確認 0 でき、長く勾配が続く場合には車椅子は停止および後退してしま う危険性があると推測される。しかしながら、踊り場あり(1m) 高齢者8%踊り場あり 0 1 2 3 4 走行距離(m) 5 図4:踊り場の有無における影響 の場合においては、車椅子の速度が登坂開始時の初速(図4中の点 線)と同程度の速度に回復可能であると判断される。したがって、高齢者が8%勾配路を利用する場合、踊り場の設置は必要で あると判断される。 ハートビル法の規定では、高さ75cm以上昇降する場合に150cm以上の踊り場を高さ75cm以内ごとに設置すると 規定されているが、これは勾配距離9.4m以内ごとに踊り場を設けることとなる。しかしながら、図3の高齢者の走行結果 データより近似曲線を算出したところ、登板開始3.3mで車椅子は停止する可能性があると推測された。したがって、ハー トビル法の規定に基づいて勾配路に踊り場を設けた場合、高齢者にとって介護者無しの8%勾配路は登坂困難である場合と推 測される。よって、昇降高度0.26m以上である場合、3m以内ごとに踊り場の設置が最適であると判断される。 6. 結論と今後の課題 本研究では、高齢者キットおよび可変勾配型実験歩道を使用し車椅子によるハートビル法を考慮した走行実験を行った。本 研究では、8%勾配路においては勾配が急斜であり、踊り場の設置基準においても適正ではない可能性があると推測され、屋 内規定をより緩斜面とするか、あるいは8%勾配においては3m以内ごとに踊り場の設置が必要であると判断される。 今後の課題として6%、7%勾配の検討を行い屋外規定・屋内規定における適正値を検討し、各勾配における踊り場の必要 性を検討するものとする。 参考文献 n しずおかユニバーサルデザイン専門委員:ユニバーサルデザイン入門、(株)ぎょうせい、2001.1 n Bengt Engstrorm:からだにやさしい車椅子のすすめ、(株)三輪書店、1994.12 n 蝶燿商事株式会社 ホームページ:ハートビル法、http://www.utopia-towan.com/jyoho/126.html n 安藤一級建築事務所・タカノ一級建築事務所 :スロープの勾配、http://www.mmjp.or.jp/honki/bbb/baria-3a.htm
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