ISSN 1348-3080 Number 第7号 2009年3月 藤井 祐介 1 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― 岩永 省三 11 Bulletin of the Kyushu University Museum 目 次 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 松隈 明彦/武田 悟史 35 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録 ―農林水産省植物防疫所植物検疫統計― 輸入植物検査病菌・害虫発見記録 (1997∼2007) の軟体動物 宮崎 克則 Number 7 シーボルト 『NIPPON』 の捕鯨図 85 理学研究院所蔵カブトガニ類の足跡化石 (佐賀県武雄市;古第三紀) 2009 March 2009 7 March 2009 Number 7 Yusuke FUJII 1 A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion Shozo IWANAGA 11 Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 35 Katsunori MIYAZAKI 85 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles An invasive snail (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' 九州大学総合研究博物館研究報告第7号 平成21年3月発行 九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 7, 001-010, 2009 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― 藤井祐介 A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion Yusuke FUJII 九州大学比較社会文化学府:〒 810-8560 福岡市中央区六本松 4 丁目 2-1 Graduate School of Social and Cultural Studies, Kyushu University:4-2-1, Ropponmatsu, Chuo-ku, Fukuoka City, Fukuoka, 810-8560 JAPAN はじめに こん ち いんすうでん 江戸時代初期において、 金地院崇伝と言えば「黒衣の宰相」 と呼ばれた家康のブレーンとして有名である。 では、 金地 げんりょう さいがく 院元良という人物についてはどうか。 あまり知られてはいないだろう。元良は最岳元良といい、 274代南禅寺住持である。 そして、 2代金地院住職であり、 崇伝の後継であった。入寺は元和9(1623)年5月28日、 金地院住職に任じられたのが、 寛 そうろく 永10 (1633) 年6月17日。 その後、 寛永12 (1635) 年4月9日に僧録に任じられ、 明暦3 (1657) 年4月15日に没している (1) 。 元良 の顕著な業績としては、 次のものが挙げられる。 一、 寛永十九年壬午三月十二日、 御老中より御奉書被下、 如此、 今度被仰付候武家系図之事、道春相談有之而吟味候様ニと上意候、被存其旨、御奉行太田備中守可 被申談候、 恐々謹言、 阿部対馬守 三月十日 松平伊豆守 金地院 侍者御中 重次判 信綱判 尚以、 五山出家之内をも被遂穿鑿、 被召下尤候、 以上(2) 、 この老中奉書中に見える 「武家系図之事」 とは、何を指しているのだろうか。次に掲げる史料を併せて読むと、答えが 出る。 ( 家 光 ) (前略)寛永十八年二月七日、将 軍家あらたに台命をくたしたまひて、諸家の系図をあつめあましむ。資宗これを奉 行す。民部卿法印道春これにそふて、 そのあむへきおもむきをしめす。 (中略)其事繁多なるゆへに、 〔寛永=著者註〕 (最岳) (堀) (人見壹) (辻達) 十九年三月十日、 かさねて台命くたりて、 僧録金地院元良長老、 尾州の法眼正意、 水戸の書生卜 幽・了的おなしく其事 にあつかる。 (後略) (3) 2009 The Kyushu University Museum 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion これは、太田備中守資宗による寛永諸家系図伝の序の一部である。 「資宗これを奉行す。民部卿法印道春これにそ ふて」編むという記述や、 「十九年三月十日」に「台命」が「僧録金地院元良長老」に下ったとあることからも、 前に引用し た老中奉書の「武家系図之事」 というのが、 寛永諸家系図伝編纂を指していることが分かる。 元良は寛永諸家系図伝の編纂に関与したのである。 そして、 その元良が、 とある一通の書状を認めた。 それが後世に こ ひつりょうちゅう 遺され、 およそ200年程が経過した幕末の元治元(1864)年に、 鑑定家・古筆了仲という人物によって、 元良の書状本物で きわめふだ あると鑑定された。 そのことを示す史料、 すなわち、 元良書状と鑑定書である 「極札」が、 九州大学の旧文学部図書掛貴 重書室にある未整理史料群のなかから発見された。 どのような経緯でこの書状と極札が九州大学に入ったのか、元良 の書状を誰が所蔵していて、 何の目的で鑑定させたのかなどについては不明であり、 今後の検討課題であるが、 本稿で は、 内容豊富な元良の書状と古筆了仲の極札を紹介し、 書状の年次比定を試みたい。 1.十一月廿六日付堀作州様宛金地院元良書状 まずは、金地院元良書状と古筆了仲極札の写真版及び 釈文を付す。元良の書状と古筆了仲の極札は、1つの包紙 ( 上書あり) にて一括されていた。 さらに、極札においても包 紙(上書あり) が存在している。釈文については、文字の配列 は原文書通りとし、 便宜上丸数字にて解読順を付した。 (包紙) 「南禅寺元良和尚書簡 一通 昨日者貴札 古筆了仲吟味札添」 (端裏書) 「 金地院 〆 堀作州様 元良 貴答」 書状端裏書部分 書状・極札を一括する包紙 2009 The Kyushu University Museum 藤 井 祐 介 金地院元良書状(法量:縦31.4㎝×横45.8㎝) Yusuke FUJII 2009 The Kyushu University Museum 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion (本文) ⑬寄候与思召候旨、 過当之至御座候、 必以参可得 ⑭貴意候、 任御意与首座可召連候、 先可申入處ニ ①昨日者貴札忝奉存候、 上野毘沙門堂 ⑮事之外之寒気ニ御座候へ共、 御気分能 ②御門跡へ御茶会ニ参節、 答不申上候、 ⑯御養生之旨、 大慶不過之候、 明後日於 ③仍絵賛遂披覧候、 了菴之可為 ⑰御登 城者、 以拝顔可得貴意候、 一軸 ④筆跡候、 御書院ニ御掛候而少も不苦物ニ而 ⑱返進仕候、 御請取可被成候、 恐惶謹言、 ⑤御座候、 東福寺大慈院桂悟与申僧ニ而 ⑲ 十一月廿六日 (花押) ⑥御座候、 入唐其以後南禅寺へ入院、 九十 ⑦余迄被保年齢候、 此墨蹟所持之 ⑧宅へ者雷落不申由、 諺ニ申習候、 宋朝之 ⑨山谷再来人之由、 是又申伝候、 何篇名 ⑩僧無其隠候、 価直容易ニ候者、 可被召 ⑪置候、 絵者周文之由、 探幽申候段珎重ニ ⑫存候、 将又来月十三日晩之義、 弥可被召 古筆了仲極札 (法量:縦18.2㎝×横5.4㎝) (極札) 「昨日者貴札 南禅寺元良和尚之筆」 (極札包紙) 「昨日者貴札 南禅寺元良和尚筆 元治元甲子年五月、 古筆了仲江吟味 金地院元良花押 被 仰付、 同人より小札差上之」 2009 The Kyushu University Museum 極札包紙 Yusuke FUJII 藤 井 祐 介 次に、 書状の解釈を付す。 昨日は、 あなた様〔堀美作守〕 から書状をいただき、 ありがたく存じます。 (私=元良が)毘沙門堂御門跡〔公海〕 の御 りょうあん けい ご 茶会に参上したときに、 お答え申し上げませんでしたが、 画賛を見るに、 了菴〔了庵桂悟〕 の筆跡でしょう。御書院にお 掛けになられても、 少しも障りない物です。 (画賛を書いたのは) 東福寺大慈院の桂悟という僧です。 (遣明正使として) 入唐 し、 (帰朝)以後は南禅寺へ入院、 90余歳まで生きました。 この墨蹟を持っている家には、 雷が落ちないとのこと、 諺に聞 さんこく いております。 (桂悟は)宋代の (詩人) 山谷の再来であるとも言い伝えられております。 どうあるにせよ、 名僧に間違いご しゅうぶん たんゆう ざいません。 その値段が安ければ、 買い置くべきです。絵は、 (室町中期の画僧)周文によるものであると 〔狩野〕探幽が 申しておりまして、 目出度く存じます。 さて、 来月13日晩のことですが、 ついに (私を)召し寄せていただけるとの思召し、 あ よ しゅ そ りがたく存じます。必ず参上し、 あなた様の意をお伺いいたします。御意に任せて与首座を召し連れましょう。 最初に申し上げるべきところでしたが、 (この頃の)思いのほかの寒さではございますが、御気分よく、御養生されて いるとのこと、 お慶び申し上げます。明後日の (あなた様の)御登城の際に、 お会いして、 あなた様の意をお伺いいたしま す。一軸をお返しいたします。 お請け取り下さい。恐惶謹言。 十一月廿六日 (元良花押) 2. 書状の内容 では、書状の内容について検討していきたい。 この書状は主に、①堀美作守(書状宛所・詳細は後述) から依頼されてい た軸の品評、 ②「来月十三日晩」の招待に対する謝意、 という2点の内容を含んでいる。最初に①について見ていく。元良 が軸の品評をしているのは、 「絵賛遂披覧候」 という文言からも明らかであるが、 次のような点を指摘している。 ⅰ. 賛は「了菴」の筆跡であり、 「御書院ニ御掛候而少も不苦物」である。 ⅱ. 絵は「周文」によるものだと 「探幽」が申した。 ⅲ. 「価直」が「容易」であれば買い置くべき品物である。 ⅰについて、 さらに詳しく元良が述べているが、 「了菴」 とは「東福寺大慈院桂悟」 という僧であり、 「入唐」以後南禅寺 に入院、 「九十余」 まで齢を保ったとのことだ。 この了庵桂悟(1425―1514) という人物は、 室町時代の臨済僧である。文明 10(1478)年に東福寺住持となり、長享元(1487)年に南禅寺住持となる。 そして、永正2(1505)年には遣明正使に任命さ れ、 永正8年9月に入明している。帰朝は永正10年のことであり、 時に89歳であった。翌永正11年9月15日、 90歳で没した。 多くの五山文学僧と交友関係があり、 文芸の才が評価されている (4)。 堀美作守が品評を依頼した軸には、 この了庵桂悟の賛が入っているが、桂悟の墨蹟には「此墨蹟所持之宅へ者雷 落不申」 という逸話がある、 と元良が記しているのは一興である。 また、 了庵桂悟が「宋朝之山谷再来人」 と評されてい こうていけん る、 とも記している。 「山谷」 とは、 北宋後期の文人・黄庭堅(1045―1105) の号であり、 安徽省の山谷寺に因むという。 日本で も詩文・書道の両方面で多大な影響を与えたようである (5)。 つまり、 五山僧として明に渡り、 一方で「山谷」の再来と言わ れる程、 書・詩ともに見事な腕前をもつ「名僧」了庵桂悟の賛が、 この軸には入っているため、 「御書院ニ御掛候而少も不 苦物」 と元良は評価した。 ⅱについては、 軸に描かれている絵についての元良の所見である。 「周文」 とは、 十五世紀前半に活躍した室町時代 てんしょうしゅうぶん ひょうねん ず じょせつ 前期の臨済僧(代表的画僧) である天章周文のことを指している。周文は相国寺において、 「瓢鮎図」で有名な如拙から せっしゅう 画法を伝授されたと伝えられ、 弟子には雪舟がいる。足利将軍家の御用絵師として活躍する中、 応永30(1423)年の将軍 家朝鮮派遣使節一行に加わり渡海した際、周文の描いた山水図を朝鮮官人が称賛したことが伝えられている (6)。絵 2009 The Kyushu University Museum 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion が周文の筆であると判断した背景には、 江戸幕府御用絵師である狩野探幽の助言があったようだ。 「絵者周文之由、 探 幽申候」 という一節が、 端的に物語っている。元良と探幽との交流を窺わせる興味深い記述と言えよう。探幽の「お墨付」 もあり、 軸の絵は周文によると判断、 「珍重」の旨を元良は述べている。 以上の所見を踏まえた結果として、 ⅲの見解に至るのであるが、 軸は、 品評の結果、 賛が了庵桂悟、 絵が天章周文、 と いう 「珍重」なものであった。 そして元良は「価直容易ニ候者、 可被召置候」 と記している。 「値段が安ければ、 買い置くべ き逸品」 といったニュアンスであろう。 このことからは、 堀美作守が、 この軸を購入するか否か思案して、 元良に品評を依頼 したであろうことが想起される。 この書状が認められた意図の一つは、品評結果を美作守に伝え、軸購入のお墨付を与 えるものであった。 次に、 書状内容②について検討したい。 元良は「来月十三日晩」 に招待してもらえることへの感謝を述べ、 「御意」 に任せ て「与首座」 (7) を同伴する旨を伝えている。 果たして、 「来月十三日晩」 に何があるのだろうか。 この疑問を解明するために は、 書状の年次比定が必要となってくる。 そのため、 次章において年次比定を行った上で、 再び考えてみることにしたい。 3. 書状の年次比定 この元良の書状は、 日付が「十一月廿六日」 とだけあり、 無年号である。 そこで、 書状から読みとれる様々な情報により、 年次比定を試みたい。 まず、 元良が金地院住職に任じられたのは、 冒頭でも触れたが、 寛永10年6月17日である。 そして、 明暦3年4月15日に没しているため、 包紙にみえる 「金地院元良」 との署名及び書状の日付「十一月廿六日」からは、 寛永 10年~明暦2年の間に絞られる。 また、 書状本文における軸の品評のくだりで、 「絵者周文之由、 探幽申候」 とある。 この「探幽」 とは、 言わずと知れた狩 野探幽であり、 この号は、 宇治の興聖寺に蔵される 「探幽斎之記」によれば、 寛永12年(12月) 、 34歳のとき大徳寺の高僧 江月宗玩(1574―1643) から与えられたものであるという (8)。 よって、 「探幽」 という号を手がかりに、 先に絞り込んだ寛永10 年~明暦2年という期間に当てはめ、 書状の日付「十一月廿六日」 を併せて考えると、 寛永13年~明暦2年と比定される。 次に、 この書状の宛所である 「堀美作守」 という人物について考察してみたい。寛永13年~明暦2年において、堀と ちかよし ちか いう名字(あるいは片名字) で「美作守」の官途をもつ人物を 『寛政重修諸家譜』 で探すと、譜代大名である堀親良・堀親 まさ 昌の2名が該当する。堀親良(天正8〔1580〕―寛永14〔1637〕5月13日) は、 近江国安土生まれ。豊臣秀吉に仕え、 天正18年に 父・秀政が没して後、 越前国のうちにおいて2万石を領した。同19年正月24日に、 従五位下美作守に叙任される。徳川時 代になると、家康・秀忠の両将軍に仕え、寛永4年3月16日、下野国烏山城を賜い2万5千石を領した (9)。堀親昌 (慶長11 〔1606〕―延宝元〔1673〕) は、山城国伏見生まれ。寛永14年9月8日、父・親良再勤後の遺領を継いで2万石を領した。同17 年12月29日に、 従五位下美作守に叙任される。寛文12(1672)年には、 烏山城から信濃国飯田城に転封された (10)。 「堀美作守」が親良と仮定すれば、 親良の没年・寛永14年5月13日を先に絞り込んだ寛永13年~明暦2年という期間に 当てはめ、 さらに書状の日付「十一月廿六日」 を併せて考えると、 自ずと寛永13年に比定される。 また、 親昌と仮定すれば、 「美作守」叙任日・寛永17年12月29日を、先に絞り込んだ寛永13年~明暦2年という期間に当てはめ、書状の日付「十一 月廿六日」及び没年=延宝元年を併せて考えると、 寛永18年~明暦2年という期間に比定される。 これら①寛永13年、②寛永18年~明暦2年、 という2つの可能性について、他の事象から検討してみたい。 その際、年 次比定に示唆的な書状中のキーワードは「来月十三日晩之義」 ・ 「明後日於御登 城」の2点であろう。 まずは、 「明後日 於御登 城」について考える。 「御登 城」については、 欠字になっていることから、 江戸城への登城であると推測され、 堀美作守が「明後日」 =11月28日に江戸城へ登城する、 ということになる。28日は、 月次御礼の日であり、諸侯が江戸城に 登城して将軍に拝謁するというのが年中行事になっていた (11)。 そこで、 『 徳川実紀』 の記述から、 年次候補①及び② 2009 The Kyushu University Museum Yusuke FUJII の期間における、11月28日の諸侯登城記事を確認す 【表】11月28日江戸城登城記事一覧 年 寛永13年 寛永18年 寛永19年 寛永20年 正保元年 正保 2年 正保 3年 正保 4年 慶安元年 慶安 2年 慶安 3年 慶安 4年 承応元年 承応 2年 承応 3年 明暦元年 明暦 2年 11/28登城 ○ × ○ × ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ ○ × ○ ○ 月次なり。 藤 井 祐 介 『徳川実紀』記述 ると、 【 表】 のようになる。登城の有無から、年次を絞り 込むと、①寛永13年、②寛永19年・正保元年~承応2 烈風により出御なし。 出仕の輩老臣へ謁し退く。 年・明暦元年~2年、 というようになる。 また、美作守が 月次拝賀の輩老臣に謁して退く。 月次の賀例のごとし。 月次朝会例のごとし。 月次例のごとし。 猿楽あり。 月次例のごとし。 月次登営の輩老臣に謁し退く。 月次なり。 月次なり。 月次例の如し。 いさゝか御なやみありて。表にのぞませ給はず。 月次なり。 月次拝賀例のごとし。 登城した際に、 元良は「以拝顔可得貴意候」 と記すよ うに、面会を予定している。つまり、元良が江戸にいる ことが前提となる。②の期間において、元良の居所に ついて確認すると、 「 京都江御暇被下」 ということで、 慶安2( 1649 )年は3月27日に江戸を出発し、4月7日京 着、 12月23日に江戸へ参着している (12)。 また、 承応3 ( 1654)年は8月16日に江戸を出発、上京し、翌4年6月 20日に江戸へ参着している (13)。故に、 この2ヶ年は 年次の候補として除外されることになる。先の江戸城 への登城記事を併せて考えると、 年次は、 ①寛永13年、 ②寛永19年・正保元年~慶安元年・慶安3年~承応2年・明暦元 年~2年、 というように絞られる。 また、 ②の期間における 「堀美作守」の居所についても明らかにすることが、 更なる年次の絞込みを可能にする。 ⅰ. 寛永19(1642)年について。5月14日 「御譜代之面々交替被 仰出、 今日於白書院老中出座有之而、 鬮取之上御暇 被下之面々」 として「堀美作守」の名前があり (14) 、 今年就封すべき旨が命じられている (15) 。 また、 閏9月15日には 「堀美作守、去比駿河御番被 仰付之、今日御暇被下之」 (16) ている。 よって、11月28日には江戸不在ということ が考えられるため、 年次候補から除外される。 ⅱ. 正保元年~慶安元年について。正保元(1644)年(17) は6月28日に「御暇」 を下され (18) 、 翌正保2年6月7日に「参 勤」 している (19) ため、年次候補から除外される。正保2年は6月7日から参勤しており、 さらに12月15日に江戸「防 火」のことを命じられている (20) ため、11月28日は在江戸、 すなわち年次候補である。正保3年は6月25日に「堀美 作守・森川半弥、 大坂加番依被差遣之、 御前江被召出、 御暇」 (21) を下されており、 翌4年9月6日に「帰参」 し「御 目見」 している (22) ため、年次候補として除外される。大坂加番は、老中支配で1年交替。4加番あり7月15日から 18日までに江戸を発し、 8月3日から6日までの間に旧番の者と交替した (23)。正保4年は9月6日の帰参御目見、 翌慶 安元 (1648) 年 (24) 1月27日に、 将軍家光の日光社参に備えての「日光火消之役」 を仰せ付けられていること (25) を 鑑みれば、 正保4年11月28日の在江戸が考えられ、 年次候補である。慶安元年は1月29日に「日光火消之役」に伴う 「御暇」が下され (26) 、 6月3日に再度「日光山火番」 を仰せ付けられている (27)。 しかし、 7月11日には「日光火消之 役為堀美作守代、 松平将監被遣之旨、 老中被伝之」 (28) というように、 堀美作守の代役が立てられている。 このよ うな状況から、 慶安元年11月28日は在江戸ということが考えられ、 一応年次候補である (29)。 ⅲ. 慶安3年~承応2年について。慶安3年は6月25日に「御暇」 を下されている (30) ため、11月28日は江戸不在が考 えられ、年次候補から除外される。慶安4年は7月12日に大坂加番の暇を給い (31)、翌承応元( 1652)年(32)8月 25日に「帰謁」 している (33) ため、 年次候補から除外される。承応元年は10月25日の「臨時朝会」において就封の 「暇」が下されている (34) ので、11月28日の江戸不在が考えられ、年次候補から除外される。承応2年について は、 承応3年1月13日、 増上寺御法会により、 「橋」の勤番を仰せ付けられている (35) ため、 承応2年11月28日におけ る在江戸の可能性があり、 一応年次候補である (36)。 ⅳ. 明暦元年~2年について。明暦元(1655)年(37) は7月10日に大坂加番の暇を下され (38) 、 翌2年8月26日に「大坂 加番はてゝ、 かへり謁し」 (39) ているため、年次候補から除外される。明暦2年は8月26日の帰府拝謁を鑑みれば、 11月28日の在江戸が考えられ、 年次候補である。 2009 The Kyushu University Museum 江戸初期の一通の書状 ―金地院元良書状と古筆了仲極札― A letter written by KONCHIIN-GENRYO in the early Edo period and a written statement of KOHITSU-RYOCHU opinion 「堀美作守」の居所、 すなわち在江戸か否かという検討から、書状の年次は①寛永13年、②正保2年・正保4年・慶安 元年・承応2年・明暦2年、 という6つにまで絞り込まれた。 まとめると、 次のようになる。 ①「堀美作守」が親良の場合…寛永13(1636)年 ②「堀美作守」が親昌の場合…正保2(1645)年・正保4(1647)年・慶安元(1648)年・承応2(1653)年・明暦2(1656)年 最後に、 「来月十三日晩之義」 というキーワードについて考察したい。堀美作守が元良を 「弥可被召寄」 として来月13日 の晩に招待する、 ということで、 元良は「過当之至」 と喜んでいる。 「弥」 という接頭語及び「過当之至」 という表現からは、 「ついに招待してくれるということで、 とてもありがたい」 という、待ちに待った喜びのニュアンスを感じる。11月28日におけ る江戸城での面会を考慮すると、 おそらくは美作守の江戸屋敷への招き、 ということであろうか。本稿では詳らかにするこ とができないが、 「来月十三日」 =12月13日に起きた出来事のなかで、 興味深い事実を指摘しておきたい。実は、 寛永13年 の12月13日は、江戸城において「朝鮮信使御礼」が行われた日である。時の朝鮮通信使は、 「柳川一件」後初めての使 節であり、 「泰平の賀」 を名目とするものであった。家光による日光東照宮への参詣要求や、 将軍の称号が「日本国大君」 とされたことなどが特色として挙げられる (40)。12月6日に江戸へ参着し、13日午の刻、大広間に将軍・家光が出御し、 三使(正使、副使、従使) を謁見している。 「従朝鮮国王之進物」が披露され、 「従朝鮮之書翰」 (朝鮮国王書翰)奉呈の後、 「七五三之饗応」がなされた (41)。金地院の由緒書である 「御由緒之儀申上覚」 (42) における元良の項を参照する と、 「同月 〔12月=著者註〕十三日、 朝鮮信使御礼、 諸大名出仕、 僧録出仕」 (43) とある。 「僧録」 とは元良のことであり、 江 戸城へ登城していることが確認される。 また、 書状の最後に「御気分能御養生之旨、 大慶不過之候」 と、 美作守の体調を気にかけ、 「御気分能御養生」 してい ることを喜ぶ表現がある。 もし、 「美作守」が親良であったならば、 寛永14年5月13日、 すなわち、 この書状が出された翌年 の5月に没しているため、 書状が出された頃は体調があまり優れなかった可能性もある (44)。 つまり、 「朝鮮信使御礼」や「美作守」の「御養生」 といった要素も鑑みると、 絞り込んだ6つの年次候補の中では、 寛永 13年に比定するのが妥当ではなかろうか。 おわりに これまで、金地院元良の書状を紹介し、年次比定を試みた。最後に、古筆了仲の極札について触れ、本稿の結びとし し ちゅうぎわめ たい。極札とは、古筆鑑定の結論を書いた小札の呼称である。他に、折紙・紙中極・奥書・箱書など鑑定の書付を総称し きわめがき りょう さ て極書という (45)。鑑定者について、古筆家は、江戸時代における古筆鑑定の代表的な家であった。古筆了佐を始祖 とし、宗家と別家が存在した。宗家は了佐の四男・了栄が家を継いで京都に住し、別家は了佐の三男・一村( 勘兵衛)が 分家して、 子の了任は江戸に住した。 その養子・了仲(今回の極札を書いた人物とは別、同名) は宗家の了珉とともに江戸幕府 に仕えて寺社奉行の支配に属したが、 了仲ののち一旦中絶、 宗家の了伴の子・了観が別家を再興した (46)。今回見つ かった極札を書いた古筆了仲(文政3〔1820〕―明治24〔1891〕) は、 了観が廃されてのち別家を継いだ人物である (47)。 極札の包紙からは、 元治元(1864)年5月に、 古筆了仲によって鑑定がなされ、 この書状が元良の筆によるものだと判断 されたことが分かる。 「吟味被 仰付」 という言い回しから、 鑑定の指図は貴人によるものと推察されるだろうか。 いずれにしても、 江戸時代初期に認められた一通の書状が、 およそ200年後の幕末に、 1つの「古筆」 として鑑定され、 更におよそ140年の時を超えて、 書状と鑑定書が揃ったかたちで伝存した。 この書状及び極札についての残された課題 は多いが、 ひとまず擱筆し、 御批正を乞うばかりである。 2009 The Kyushu University Museum Yusuke FUJII 藤 井 祐 介 註 (1)桜井景雄『続南禅寺史』 (大本山南禅寺、1954年)。南禅寺は京都市左京区南禅寺福地町にある寺で、臨済宗南禅寺派の本山。金地院はその南禅寺塔頭の一院で 「南禅寺」桜井景雄) ある (『国史大辞典』 。また、僧録とは僧尼の登録、住持の任免など僧事を総轄する役職。江戸時代には、家康により南禅寺金地院の以心崇伝が僧 「僧録」今枝愛真) 録に任じられ、以後江戸末期まで金地院の歴代塔主が僧録をつとめた (『国史大辞典』 。 (2) 「御由緒之儀申上覚」 (上田純一校訂『京都金地院公文帳』、八木書店、2007年)寛永十九年三月十二日条。 (3) 『 寛永諸家系図伝』第一。 (4) 『 国史大辞典』 「了庵桂悟」竹貫元勝。 (5) 『 国史大辞典』 「黄庭堅」太田昌二郎。 (6) 『 国史大辞典』 「天章周文」赤沢英二。 (7)本稿では人物比定ができなかった。今後の課題としたい。 (8)鬼原俊枝『幽微の探究 狩野探幽論』 (大阪大学出版会、1998年) (9) 『 寛政重修諸家譜』第十二巻。 (10) 『 寛政重修諸家譜』第十二巻。 (11)深井雅海『江戸城―本丸御殿と幕府政治』 (中央公論新社、2008年) (12) 「御由緒之儀申上覚」慶安二年三月二十七日条・四月七日条・十二月二十三日条。 (13) 「御由緒之儀申上覚」承応三年八月十六日条・承応四年六月廿日条。 (14) 「江戸幕府日記」 (姫路藩酒井家文書)寛永十九年五月十四日条。 (15) 『 徳川実紀』第三篇(国史大系)寛永十九年五月十四日条。 (16) 「江戸幕府日記」寛永十九年閏九月十五日条。 (17)正保元年は、寛永21年12月16日に改元。 (18) 「江戸幕府日記」寛永二十一(正保元)年六月二十八日条。 (19) 「江戸幕府日記」正保二年六月七日条。 (20) 『 徳川実紀』第三篇 正保二年十二月十五日条。 (21) 「江戸幕府日記」正保三年六月二十五日条。 (22) 「江戸幕府日記」正保四年九月六日条。 (23) 『 国史大辞典』 「大坂在番」岡本良一。 (24)慶安元年は、正保5年2月15日に改元。 (25) 『 徳川実紀』第三篇 慶安元年一月二十七日条。 (26) 「江戸幕府日記」正保五(慶安元)年一月二十九日条。 (27) 『 徳川実紀』第三篇 慶安元年六月三日条。 (28) 「江戸幕府日記」慶安元年七月十一日条。 (29)慶安元年における堀親昌の参勤交代の状況をつかむことができなかった。そこで、 日光火消役の任命及び代役派遣、 という事象から在江戸を判断している。 (30) 「江戸幕府日記」慶安三年六月二十五日条。 (31) 『 徳川実紀』第四篇(国史大系)慶安四年七月十二日条。 (32)承応元年は、慶安5年9月18日に改元。 (33) 『 徳川実紀』第四篇 承応元年八月二十五日条。 (34) 『 徳川実紀』第四篇 承応元年十月二十五日条。 (35) 『 徳川実紀』第四篇 承応三年正月十三日条。 (36) 承応2年における堀親昌の参勤交代の状況をつかむことができなかった。そこで、増上寺御法会に際しての勤番任命、 という事象から在江戸を判断している。 (37)明暦元年は、承応4年4月13日に改元。 (38) 『 徳川実紀』第四篇 明暦元年七月十日条。 (39) 『 徳川実紀』第四篇 明暦二年八月二十六日条。 (40)藤井讓治『徳川家光』 (吉川弘文館、1997年) (41) 「江戸幕府日記」寛永十三年十二月十三日条。 (42)上田純一校訂『京都金地院公文帳』、註(2)参照。 (43) 「御由緒之儀申上覚」寛永十三年十二月十三日条。 (44)ちなみに、 「美作守」が堀親昌の場合、各年次における年齢は、正保2年=39歳・正保4年=41歳・慶安元年=42歳・承応2年=47歳・明暦2年=50歳、 であ る。享年は68歳。 (45) 『 国史大辞典』 「鑑識」谷信一。 (46) 『 国史大辞典』 「古筆家」山本信吉。 (47)春名好重『古筆大辞典』 (淡交社、1979年) 2009 The Kyushu University Museum 九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 7, 011-034, 2009 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 岩永省三 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles Shozo IWANAGA 九州大学総合研究博物館:〒 812-8581 福岡市東区箱崎 6-10-1 The Kyushu University Museum, Hakozaki 6-10-1, Higashi-ku, Fukuoka 812-8581, Japan Ⅰ はじめに 日本における古代国家建設は7世紀後葉に本格化し、 中央においては、大化前代以来の由来を持つ内廷諸官司に 加えて、 公的行政に関わる外廷諸官司の創設を果たした。 それとともに、 地方支配システムの構築が目指され、 在地首長 の支配領域を基礎とする評をいくつか纏めて広域行政単位としての国を創設し、 そこに中央から国宰を派遣して中央集 権的支配を貫徹しようとした。 その際に一時期、 国よりも広域の支配を行う大宰ないし総領が筑紫・周防・吉備・伊予に置 かれ、 持統3 (689)年の飛鳥浄御原令の施行に伴って筑紫大宰の広域行政体制が実現した。続いて大宝元(701)年の 大宝律令制定によって、 筑紫大宰のみが存続し、 唯一の「大宰府」 として対外交渉・国防および西海道諸国島の内政総 監を任務とした。 この間、 筑紫大宰の施設が現在地に整備されていくが、 大宝令施行後、 都城の朝堂院を範とする設計 で政庁Ⅱ期(横田2002) の殿舎が建設され、政務・儀式・饗宴の場として機能した。他方で観世音寺は、天智天皇の発願 以後、 造営に長期を要し、 官による援助が繰り返され、 天平18(746)年にようやく落慶供養を迎えた。観世音寺の実際的 造営開始期は藤原京の造営期・整備期と併行し、大宰府政庁はまだⅠ期で外観の荘厳化の前ではあるが、広域を総監 する行政機能を整備しつつあり、 西海道の統治を聖俗両面から担う機関が並行して具体化されていった。 これは、 陸奥 国における郡山遺跡+郡山廃寺、 それを継承する多賀城+多賀城廃寺の建設と並行し (今泉2005) 、 律令国家がその統 治領域の南北両端で模索した広域統治機構建設の具現化であった。 老司式軒瓦・鴻臚館式軒瓦(図1) は、観世音寺・大宰府政庁Ⅱ期の造営を期に、西海道在来の軒瓦諸型式とは瓦当 文様の系統上は無関係に導入され、 以後、 老司式は筑前・筑後・肥前・肥後・豊前・豊後・薩摩、 鴻臚館式は筑前・筑後・肥 前・肥後・豊前・豊後などの寺院や官衙でその系譜が多用された、 古代の西海道を代表する軒瓦である。両者ともに、 本 薬師寺・藤原宮・興福寺など天皇家やそれと直結する藤原氏が建立した寺院・宮殿所用軒瓦の系譜を引き、 その出現に 特殊な事情・歴史的背景があったことが伺われる。小稿では、小田富士雄氏によって設定された老司式・鴻臚館式のう ち、 最古式の老司Ⅰ式・鴻臚館Ⅰ式(小田1957・58) を中心に、 その祖型と成立年代を検討し、 その出現の歴史的背景を考察 する。 2009 The Kyushu 11 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles Ⅱ 老司Ⅰ式軒瓦 観世音寺創建瓦である老司Ⅰ式が、 藤原宮式ないし本薬師寺式の系譜を引くことは諸先学が指摘してきた (後述)。 し かし、 祖型がどちらであるにせよ、 山田寺式・川原寺式・法隆寺式などに比して、 地方への波及が少なく、 畿内より西では、 紀伊・淡路・阿波・讃岐・丹波・備前から西海道まで飛んでしまう。 本薬師寺式は、 近江(三大寺廃寺・法泉寺遺跡) 、 山背(出雲寺跡) 、 紀伊(名古曽廃寺・佐野廃寺・神野々廃寺・古佐田廃寺・西国 分廃寺) 、 丹波(池尻廃寺・与野廃寺) 、 備前(尾張廃寺) に分布し、 山崎信二氏は川原寺式・法隆寺式の分布と同様に、 庄倉・ 寺領田・山野と大勢において一致することに注目し、官大寺への封戸施入と寺領水田を指定された諸郡の建郡過程が 重なり合うと推定した (山崎1983)。 藤原宮式は、尾張、近江、 山背、和泉、淡路、阿波、讃岐に分布するが、 そのうち近江・和泉・淡路・讃岐の同笵品の分 布は、 藤原宮の造営時に各地で製作した結果であり、 尾張、 近江・淡路・阿波・讃岐における同笵でない藤原宮式の波及 は、 二次的派生と評価されている (山崎1995)。 したがって筑紫での老司Ⅰ式の出現は、 特殊な事情の存在を伺わせるにもかかわらず、 観世音寺の創建に際して、 こと さらに藤原宮式ないし本薬師寺式を祖型とした理由が十分に明らかにされてはいない。 あらためて老司式の祖型と成 立年代を検討した後、 出現の歴史的背景を検討する。 A.老司Ⅰ式の祖型と成立年代―諸説概観 既往の諸説を古く見る順に概観する。付随的に各氏の老司Ⅱ式年代観にも触れておく。 高倉洋彰氏は、老司Ⅰ式が、大宰府第Ⅱ期政庁に鴻臚館式と併用された老司Ⅱ式より先行することから、藤原宮に併 行する7世紀末~8世紀初頭に遡る可能性を考え、 さらに、朱鳥元(686)年頃に主要伽藍の完成を考える立場から、小 子房推定地出土の川原寺同笵瓦が老司Ⅰ式の祖型であれば、 藤原宮式と先後関係ではなく兄弟関係となり、 年代がさ らに遡る可能性を示唆した (高倉1983)。 山崎信二氏は、一般的に軒丸瓦外縁の凸鋸歯文は線鋸歯文より古く、軒平瓦外区に鋸歯文と珠文を配すものの方 が珠文だけのものより古いことから、 老司式が藤原宮の軒瓦のうち古い様相をもつものと共通点が多いとみなし、 老司式 の最初期のものが「藤原宮軒瓦の最も初期のものと同時期か、 それよりも若干遡る可能性」 を考えた (山崎1995)。 そして、 観世音寺の造立が朱鳥元(686)年には開始されていたので、 観世音寺出土の老司式の製作年代は680年代後半に遡 ると考え、 「九州の老司式軒平瓦と藤原宮軒平瓦の文様の使い分け」は、 前者がすでに存在していたので、 それを避け て後者の文様を選択した結果と考えた。 さらに観世音寺造瓦にたずさわった工人の一部が、 藤原宮の造瓦開始に伴っ て大和へ移動したと想定した。 梶原義実氏は、 粘土紐桶巻作りと瓦当文の類似を藤原宮からの工人の移動の証拠と見る (梶原2002)。 杉原敏之氏は、 122次SE3680の所見から老司Ⅰ式使用年代の下限を8世紀第2四半期の早い時期、 85次SD2340最 下層の所見から老司Ⅱ式の使用を 「8世紀第2四半期中で理解」 した。81次SB2300柱穴の所見から、 老司Ⅱ式が第Ⅱ期 政庁所用の鴻臚館式より先行し、 掘形出土須恵器から老司Ⅱ式の下限が8世紀第1四半期以前となるので、 老司Ⅰ式の 成立は「8世紀以前、 7世紀末頃」 とした (杉原2007)。 小田富士雄氏は、 7世紀末から観世音寺の完成した天平18(746)年までの幅を見込んだ (小田1957・58・2006)。高倉説 出現後はそれに対して、川原寺式祖型説が証明抜きの前提とされており、瓦当文を無視して瓦当裏面下半の凸帯を 川原寺式の系譜とはできないと厳しく批判し、 肥後陣内廃寺所用の老司Ⅰ亜式・鴻臚館式が道君首名の国守在任期間 (713~718) から710年代となるので、 老司Ⅰ式は造営Ⅰ期(686~704) になると示唆したが (小田2006) 、 その中での絞り込みは していない。老司Ⅱ式については、 かつて奈良時代中頃としていたが (小田1957・58) 、老司Ⅰ亜式を710年代とする関係か ら720年代とした (小田1998)。 2009 The Kyushu 12 University Museum Shozo IWANAGA 275A 岩 永 省 三 223a 560Aa 635A 図1 老司Ⅰ式(左) ・鴻臚館Ⅰ式(右)軒瓦(1/6) 石松好雄氏は、老司Ⅰ式については、小田説を受けて7世紀末から8世紀初頭(石松1982) ないし「700年前後」 (石松 1987) としたが、 Ⅱ式について、小田氏が8世紀中頃としていた (小田1957・58) のに対し、81次調査SB2300柱穴の所見か ら、 第Ⅱ期政庁所用の鴻臚館式より先行しⅠ式と大差ないとした (石松1982)。 高橋章氏は、 鴻臚館Ⅰ式が養老年間後半頃と推定でき、 SB2300での所見から老司Ⅱ式が鴻臚館Ⅰ式より先行すること から養老年間前半以前と位置付け、 「老司式瓦は694年~720年の間に製作された可能性が高」 く、 老司Ⅰ式は造営督促 (709) の詔が発せられるに至った頃には成立していた可能性が強いとした (高橋2007b)。老司Ⅱ式については、SB2300 での所見から鴻臚館Ⅰ式に先行し「養老年間前半以前」に位置付けられ、 大宰府政庁Ⅱ期建築に伴って、 興福寺・平城 宮等の技術・工人の影響を多分に受けて製作されたとみる (高橋2007b)。 森郁夫氏は、老司式軒平瓦は、偏行唐草文の特徴から本薬師寺式ではなく藤原宮式の系統に属すから、老司式の 制作年代が本薬師寺に先行ないし並行することはありえず、 本薬師-藤原宮の系譜からみれば、 藤原宮造営時に偏行 唐草文が採用された後に老司式が製作されたとし、 藤原宮造営開始(692)以降、 さらに絞って和銅2 (709)年の督促令と の深い関連を示唆した (森1983)。 栗原和彦氏は森氏に賛意を表し、 観世音寺の本格的造営は和銅2年の督促令以後であり、 老司Ⅰ式を8世紀初頭以 後とみた (栗原1993)。老司Ⅱ式については、 大宰府政庁Ⅱ期整備段階(8世紀第1四半期末頃) には補助的にしか使われ ておらず、 すでにその役目を終えていたとみなし、政庁第Ⅰ期終末とする石松氏( 石松1982) に賛意を表し、鴻臚館Ⅰ式より 先行し、 「大宝令下のある時期(8世紀初頭)」 とした (栗原2002)。 こうしてみると、 問題の所在は老司Ⅰ式と本薬師寺式・藤原宮式と系統的・年代的関係であり、 特に近年進展してきた藤 原宮式の編年研究成果に照らして、 藤原宮式の細分段階との関係を細かく詰めることであろう。 そこでまず藤原宮式の 型式変化を確認し、 あらためて老司Ⅰ式との関係を検討する。 B.本薬師寺式・藤原宮式軒瓦の型式変化(図2) 老司式の祖型を考えるために、 本薬師寺式・藤原宮式の特徴、 および藤原宮式の型式変化を確認しておく。以下、 瓦 の型式番号は奈文研設定のものを用いる (奈文研・奈良市1996) ①.本薬師寺式 本薬師寺では、金堂本屋根用に6121A-6647G、6121B-6647Cb・Cc、裳階用に6276E-6647I、東塔・中門・南回廊 は、 本屋根用に6276Aa-6641H、 東塔裳階用に6276E-6641Kが用いられた (花谷1995・96)。裳階用小型品を省略して 他の特徴を記す。軒丸瓦6121Aは単弁蓮華文、 6276Aは複弁蓮華文という差異があるが他の特徴は共通し、 大きな中 房に1+5+9の蓮子を配し、 蓮子の周囲に円圏、 間弁A系統、 蓮弁は肉彫り風で照りむくりを持つ。外区に珠文、 外縁に線 鋸歯文を密に配す。外区・外縁の境に2重圏線をもつ。6121Bは蓮子が1+4+8で周圏をもたず、外区・外縁間に圏線が ない点が6121Aと異なる。軒平瓦6647C・G・Iは上外区珠文、 下外区線鋸歯文の変形忍冬唐草文である。6641H・Iは、 内 区に右偏行唐草文、上外区に珠文、下外区・脇区に線鋸歯文をもつ。茎の振幅は大きく、支葉形状は2葉の大支葉とそ 2009 The Kyushu 13 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles れに逆行する1葉の小支葉からなる。大支葉は1個を除いて、 他はすべて茎から遊離する。長く尾を引く支葉は波打ち抑 揚がある。大支葉と逆方向に反転する小支葉を持ち全体として躍動感に富むことが、 藤原宮式の偏行唐草文軒平瓦と の明瞭な相違である。 ②.藤原宮式 藤原宮の存続期間は短いが、 藤原宮式軒瓦にも型式変化があることが指摘されてきた。既往の説を確認しておく。 花谷浩氏は、大脇潔氏が藤原宮の軒瓦を製作技法と胎土・焼成によって8グループに分けた研究(大脇1978) を継承 し、15グループに分け、数グループの生産地を新たに明らかにした。 そのうえで、藤原宮の瓦の生産地は大和盆地内と 大和盆地外に2大別でき、 両者は製作技法と瓦当文様を異にし、 大和盆地外の方が先行し、 後に大和盆地内に主力が 移ったと考えた (花谷1993・1998)。 近江俊秀氏は文様の推移から大まかに編年した上で、 大和盆地内の瓦窯の操業開始時期について、 高台・峰寺、 日 高山→安養寺、 西田中・内山とした (近江2000)。 石田由紀子氏は、 大脇潔氏(大脇1978) ・花谷氏・山崎氏の研究を受けて藤原宮造営過程を3段階に分けた。宮大垣、 特に東面大垣から着手(1段階) 、 ある程度大垣の整備ができた後、 大極殿および朝堂院東第一堂・東第二堂を造営(2 段階) 、 その後朝堂院東第三堂以下を造営(3段階)。操業した瓦窯の推移としては、大和外の諸窯が先行し主として大 垣用の瓦を作り、 その後は日高山瓦窯→高台・峰寺瓦窯→安養寺、 西田中・内山瓦窯の順で操業を開始し、 大極殿院や 朝堂院など宮中枢部を造営する段階では日高山が停止し、 高台・峰寺、 安養寺、 西田中・内山瓦窯に集約されたと考えた (石田2008)。 宮中枢部より大垣の造営が先行するという説については、 大垣周辺でも宮中枢部で使用される偏行唐草文軒平瓦が 一定量含まれることから、 大垣の整備が宮中枢部の造営開始と同時かやや遅れるとする批判(林部2001) 、 あるいは東面 北門の調査で6279Bが多く出土したことに基づく批判もあるが (近江2000)、門・大垣調査区での出土比率は、周辺地域 での建物変遷史が不明な場合は参考値に留まるし、 葺き替えの可能性も考慮されていないので花谷・石田説に従ってお く。 ◎以上の諸説を踏まえて、 藤原宮式の型式変化を確認しておく。大和盆地外産の諸型式が先行するとみる説が妥当 であるとすれば、 軒丸瓦は6274Aa・B、 6276C・F、 6278A・B・C・D・E・F、 軒平瓦は6646A・Ba・Bb ・E・F、 6647A・B・C・D・Eの 諸型式が含まれる。牧台瓦窯製の6276C・F、 6647Cは本薬師寺所用瓦の系統であるので除き、 他の諸種を便宜的に藤 原宮式古段階と呼び、 その特徴を纏める。 いずれも粘土板巻き付け技法で製作される。軒丸瓦では中房の蓮子が二重、 蓮弁が長め、 間弁A系統、 外区の珠文と外縁の鋸歯文が密という共通性がある。蓮弁の表現は、 6274・6276が肉彫り風 で照りむくりを持つのに対し、6278が平板・線的で照りむくりに乏しく、瓦当文様の一般的型式変化に照らせば一見後出 的に見えるが、 弁が大きく長い点は古い要素である。6274Aa(和泉産) ・6274B(淡路産) 、 6278C・E(讃岐東部産) は蓮子に 周環をもつ (山崎1995)。軒平瓦は上外区珠文、 下外区線鋸歯文の変形忍冬唐草文である。 以上の諸型式に遅れて大和盆地内で製作された諸型式には、 軒丸瓦6233A・B、 6271A・B・C(久米瓦窯) 、 6273A・B・ D、 6274A(和泉からの笵持込) 、 6275A・B・D・E・H・I・J、 6279A・B、 6281A・B、 軒平瓦6641A・C・E・F・N、 6642A、 6643A・B・C・ D、 6646C、 がある。製作技法は粘土紐巻き付け技法が主体となる。 このうち久米瓦窯の6271A・B・Cは外縁に面違鋸歯 文をもち、 これらは文様としては古い要素をもつ。 それらを除いた残りについては、 古段階の要素を継承するもの (中段階) と、 平城宮式の先駆的要素を持つもの (新段階) とがある。 ◎中段階の6273A・Bは、 中房の蓮子が二重 (1+5+9) 、 蓮弁が長めだが照りむくりが弱くなり、 間弁A系統、 外区の珠文 (40) と外縁の凸鋸歯文(64・65) が密。藤原宮で主体をなすA・B・Cは蓮子周囲に円圏がない。6273A・Bと大極殿院で組 み合う6641Eは、 上外区珠文、 下外区線鋸歯文の偏行唐草文である。波状の茎の振幅は大きいが、 各単位の支葉の形 状が不揃いで、 2個が茎に接し、 尾も抑揚を欠くものが多く、 全体として乱れた印象を与える。 2009 The Kyushu 14 University Museum Shozo IWANAGA 本薬師寺 6121A 岩 永 省 三 6276Aa 6641H 6647G 藤原宮古段階 6274Aa 6278E 6647B 6647E 275A 藤原宮中段階 6273A 560Aa 老司 Ⅰ 式 6643Aa 6641E 藤原宮新段階 6275D 6279Aa 6281Ba 6643B 6641C 6642A 6643C 6642C 6641F 6643D 図2 藤原宮式の変遷と老司Ⅰ式の位置付け (1/6) 2009 The Kyushu 15 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles ◎新段階の6275は中房の蓮子が二重、 間弁A系統、 外区の珠文が密な点は古い要素であるが、 蓮弁が短く矮小とな り、 外縁の鋸歯文が粗く大きくなる。6275A・Dと朝堂院回廊などで組み合う6642A・C、 6643Cは外区珠文の偏行唐草文 である。波状の茎の振幅がやや小さく、 6642A・Cは各単位の支葉の形状は揃うが、 半数が茎に接し、 支葉の尾や巻きの 表現は抑揚を欠く。6643Cは支葉の4個が茎に接し、 支葉の尾や巻きの表現に抑揚を欠くものがある。 6279A・Bは中房が小さく蓮子が一重(1+6or8) となる。蓮弁が短く矮小となり、 外縁の鋸歯文が粗く大きくなる。6279A と朝堂院回廊で組み合う6642A・C、6643B・Dは、外区珠文の偏行唐草文である。波状の茎の振幅がやや小さく、各単 位の支葉の形状は揃うが、 半数が茎に接し、 支葉の尾や巻きの表現は抑揚を欠く。 なお6279Bは藤原宮東面北門の調査 (藤原宮第27次) で多く出土し、6646Cと組むと指摘されている (山崎1995)。6646は古段階の文様であるが、6646Cは山背 大宅廃寺Ⅰ類軒平瓦の笵型を大和の某所に移して製作されたことが明らかにされており (山崎1995) 、 中段階以降の製作 年代でも問題ないが、 新段階まで下らせて良いかは検討を要する。 6281A・Bは中房が大きく蓮子が2重な点は古い要素であるが、 藤原宮式で唯一間弁の先端が延びて蓮弁を囲むB系 統であり、平城宮第Ⅰ期の6284A・C・D・E・F、6304C・Dに継承される。6281A・Bと朝堂院で組み合う6641C・Fは、上外区 珠文、 下外区・脇区線鋸歯文の偏行唐草文である。波状の茎の振幅が6641Eに比して小さくなり、 各単位の支葉の形状 が不揃いで、 4~6個が茎に接し、 支葉の尾も抑揚を欠くものが多く、 全体として乱れた印象を与える。 以上の藤原宮式の型式変化をまとめておく。軒丸瓦については、老司Ⅰ式は間弁A系統であるので、B系統の6281を 除外して他の型式について扱う。 粘土板巻き付け技法(古段階) →粘土紐巻き付け技法(中・新段階) 軒丸瓦では、 中房大で蓮子2重(古・中段階、新段階の一部) →中房小で蓮子一重(新段階の一部) 蓮弁長め (古・中段階) →短め (新段階) 外縁の鋸歯文密(古・中段階) →粗(新段階) 蓮子に周環(古段階の一部) →無し (古段階の一部、中・新段階) 軒平瓦では、 上外区珠文・下外区鋸歯文(古・中段階、新段階の一部) →外区珠文(新段階の一部) 変形忍冬唐草文(古段階) →偏行唐草文(中・新段階) 茎振幅大(古・中段階) →振幅小(新段階) 支葉のほとんどが茎から離れる (古段階) →茎に接する支葉が増加(中・新段階) 各段階の実年代については、天武末年(680年代前半) の藤原宮下層運河から淡路産の軒平瓦6646が出土しており (花谷1998)、大和盆地外での藤原宮瓦生産開始が天武末年まで上る (花谷1996a)。史料上の大極殿の初見は文武2 (698)年であるから、 大極殿所用の6273B―6641E (中段階) の製作は698年以前となる。朝堂院も完成していれば、 6275 A・D、6279A、6281A・B―6642A・C、6643B・C・D (新段階) の製作も698年以前となる。藤原宮のすぐ南の日高山瓦窯の 操業停止が持統10(696)年の「南門」における大射以前とすれば、 日高山で製作された6233Aa・Ab・Ac、 6274Ab・Ac、 ・ 6275E・I、6279Aa、6643Aaは696年以前に存在しており、 すでに新段階が出現していたことになる。天武末年から遷都 直後までの時間幅に3段階が収まる。 当然ながら、笵が使えれば製作は続くので、製作年代は作笵年代よりもかなり下り 得る。藤原宮内の官衙地区は大宝令施行(701) に伴う官制改革で大改造されており (花谷1996a)、 このとき相当量の瓦 が必要とされれば、 すでに存在する笵の再利用で製作されたであろう。 2009 The Kyushu 16 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 C.老司式軒瓦の祖型と年代(図2) 続いて、 ここで検討した藤原宮式の型式変化を念頭に、 あらためて老司Ⅰ式の祖型と年代を検討する。 ①.祖型の検討 老司Ⅰ式軒丸瓦275Aは、 大きな中房に1+5+10の蓮子、 蓮子の周囲に円圏、 中房の周囲に円圏、 間弁A系統の複弁 蓮華文、 蓮弁は肉彫り風で照りむくりを持つ。外区に珠文、 外縁に凸鋸歯文をもつ。 老司Ⅰ式軒平瓦560Aは、内区に左偏行唐草文、上外区に珠文、下外区・脇区に凸鋸歯文をもつ。茎の振幅は大きく、 支葉形状は2葉とも遊離し長く尾を引く単一種である。大支葉と逆方向に反転する小支葉を持たない。粘土紐桶巻き作 りで、 古手のものは削り出し段顎である。 本薬師寺式との作笵の時間的関係について、 軒丸瓦では決めがたいが、 軒平瓦では大支葉と逆方向に反転する小 支葉を持たない点で、 老司Ⅰ式の方が後出する (森1983)。 したがって、 本薬師寺式より新しいことは確かである。 老司Ⅰ式は、 藤原宮式軒瓦の変化に照らせば、 軒丸瓦が、 大きな中房、 二重の蓮子、 蓮子周囲の円圏、 長めで照りむく りの強い蓮弁を持つ点で古段階相当となる。茎の振幅が大きく、 支葉がすべて茎から離れ、 表現に抑揚と躍動感に富む 点で、 藤原宮式中・新段階より古い様相を持つが、 藤原宮古段階には扁行唐草文が見られず粘土板技法である点を勘 案すれば、 中段階相当とするのが妥当であろう注1。軒丸瓦・軒平瓦全体として、 中段階並行ではあるが、 中段階・新段階 から直接に老司Ⅰ式が出てくるとは考えにくく、 老司Ⅰ式と中・新段階は兄弟の関係にあるとみなせる。 ②.年代の検討 ※作笵年代 老司Ⅰ式の系譜をこのように考えると、 当然ながら出現年代―作笵年代も再検討を要す。 屋根瓦の場合、土器などと異なり、古い時代の瓦が屋根に乗り続けているから、古い要素を模倣した瓦が模倣元より 下った時期に造られる可能性が潜在するので、 老司Ⅰ式の文様が藤原宮中段階並行まで遡っても、 製作年代も上がると は限らないという批判がありえよう。 しかし、 山田寺式や法隆寺式(奈文研型式番号37・216・217) の数十年間の型式変化を 見れば(佐川2002・花谷1992・毛利光1992)、製作年代が下るものはモデルとは何らかの差異が生じており識別できる。 また、 平城宮遷都当初に製作された平城宮軒瓦編年第Ⅰ期の諸型式は、 型式上藤原宮式の系譜を引くものであっても、 藤原 宮式とは明瞭に区別できる差異を持つ。 したがって上述したように藤原宮中段階並行の特徴を持つ老司Ⅰ式が、 新段階 以降に製作される蓋然性は少ないであろう。 ※製作年代※ 以上のように老司Ⅰ式の作笵年代を藤原宮式中段階並行期まで上げる場合、 実際の制作年代をどこまで上げるかが 問題となる。 そこでまず、 軒丸瓦の製作技法に注目する。老司Ⅰ式軒丸瓦に特徴的な裏面下半部の凸帯は本薬師寺式・藤原宮式 にはまったく見られないから、軒丸瓦の瓦当文様デザインは中央で決定されたものの、製作に当たっては西海道在来の 瓦工に委ねられたとみられる。 その瓦当裏面下半部の凸帯の由来について、 かつて森郁夫氏は肥後地方の「技法Ⅱ」か らの系譜を考えたが (森1983) 、 高橋氏・杉原氏が指摘するように (高橋2007b・杉原2007) 、 興善寺廃寺の軒丸瓦は8世紀中 頃のものであり森説には無理があり、 近年では新羅系軒丸瓦の製作技術からの影響を考える説が有力になっているとい う (杉原2007)。 影響を考えるにしても、瓦当文様それ自体は藤原宮式系統であるから、瓦当裏面の作り方に対する新羅系軒丸瓦の 影響関係を確証するのは難しいが、 かりに新羅系軒丸瓦からの製作技術の系譜を認める場合、製作年代観について は、 どう考えられるか詰めておこう (図3)。 新羅系軒瓦のうち天台寺・虚空蔵寺の軒丸瓦の内区文様が妙心寺鐘・観世音寺鐘の撞座に似ており、両寺の軒平 瓦の唐草文が妙心寺鐘上帯の唐草文に似ていることはつとに指摘されてきた (小田1961)。森貞次郎氏は天台寺例が 妙心寺鐘より先行するとし (森1983) 、 真野一夫氏も、 初唐・統一新羅・日本の類似した唐草文を比較して同じ結論に達した 2009 The Kyushu 17 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles (真野1996)。妙心寺鐘は「戊戌年」すなわち文武天皇2 (698)年の製作であり、観世音寺鐘の方が先行するとみる点で 諸説一致する (森1983、西村1984、)。森氏は天武11(682)年に筑紫大宰多治比真人嶋が作らせた大鐘を観世音寺鐘に 当て、 新羅系瓦を出す寺院の創建を682~698年の間に考えた。栗原和彦氏は、 観世音寺鐘の偏行忍冬唐草を、 観世音 寺出土の偏行忍冬唐草文軒平瓦541A(老司Ⅰ式並行と考えられている) の系統に置き、藤原宮の時期以降とし、691~698 年とした (栗原1991)。 したがって観世音寺鐘の上限年代観については説が割れているが、 いずれにせよ天台寺の軒瓦を 690年代前半まで上げることは可能であり、 藤原宮式中段階と併行して存在しえる。 新羅系軒瓦の中でも垂水廃寺の軒丸瓦は中房周囲の蕋が圏線と化し外縁の唐草文が単純な渦文と化し、 軒平瓦の 偏行唐草文の振幅が浅くなっており年代の下降が伺える (小田1961) とともに、 軒丸瓦裏面下半部の凸帯がなくなってい るから、新羅系瓦の瓦工が老司Ⅰ式の製作に関わったとすれば、天台寺・虚空蔵寺例など初期の時期に限られよう。 こう 考えれば、 老司Ⅰ式の製作年代は作笵年代と同じ頃に上限を置けるだろう。 もちろんこれは製作開始年代であって、 軒丸 瓦では三宅廃寺、軒平瓦では三宅廃寺・筑前国分寺・般若寺の出土品は、老司瓦窯・観世音寺出土品とは異なった技 法で製作されており、 笵傷進行や彫り直しから見て製作時期が下降すると判明している (斎部2008)。 ※使用年代 続いて遺跡における共伴遺物の検討を行なう。軒瓦の場合、 作笵年代と製作年代、 使用年代(屋根への葺き上げ) は互 いに近接する場合もあるが、 笵が使える限り何度も使うため製作年代は幅を持ち、 製品のストックがありえるので使用年代 も製作年代と一致しないことがある。 それを了解した上で、 老司Ⅰ ・ Ⅱ式の使用年代を確認しておく。 老司Ⅰ式・ Ⅱ式が土器や木簡を伴って出土した事例は、 きわめて少なく諸氏が用いる事例は、観世音寺SE3680、政庁 前面SD2340、 政庁正面広場SB2300柱穴の3件である。 大宰府政庁前面SD2340の最下層から木簡を伴って瓦類が出土した (九歴1984・85)。木簡の紀年銘は天平6 (734)年・ 天平8 (736)年があるが、 郡名表記では和銅年間前後のものがあり、 土器類と合わせると溝の機能期間は和銅年間前か ら天平末頃までである (石松1987)。下層から、 老司Ⅱ式のセット (275B・560Ba) 、 鴻臚館Ⅰ式のセット (223a・635A) 、 外区・外縁 が同一平面となり内区より一段高い軒丸瓦285A、 老司式系統の軒丸瓦290B、 偏行唐草文軒平瓦582が出土した。 高橋 氏は瓦類の下限年代を天平6年以前とし (高橋2007a) 、 杉原氏は瓦類の使用が「8世紀第2四半期の中で理解される」 と した (杉原2007)。溝の最下層の形成年代が天平8 (736)年以降であり、 その年代には共伴軒瓦がすでに存在したことは 言える。 また出土土器の様相から、 溝の埋没は開削から短期間後であり 「天平年間」 とされているから (九歴1984) 、 瓦類 の出現年代が「736年~740年代」以前ということ以上は意味しない。 観世音寺SE3680は、 7世紀末の構築で8世紀第2四半期の早い時期に廃絶した (九歴1991)。老司Ⅰ式のセット (275A・ 560Aa) 、外区・外縁が同一平面となり内区より一段高い軒丸瓦286・315、偏行忍冬唐草文軒平瓦541Aが、廃絶寺に一 括投棄された状態で出土した (九歴1991)。杉原氏は使用年代の下限を示す資料と位置づけた ( 杉原2007)。 8世紀第 2四半期の早い時期には共伴軒瓦がすでに存在したということ、 つまり出現年代が8世紀第2四半期の早い時期以前と いうこと以上は意味しない。 政庁正面広場SB2300柱穴では柱掘形から老司Ⅱ式、 「柱痕跡」から鴻臚館Ⅰ式が出土し、 老司Ⅱ式と鴻臚館Ⅰ式の前 後関係では老司Ⅱ式のほうが古く、 その出土須恵器から杉原氏は老司Ⅱ式の下限が8世紀第1四半期以前とした (杉原 2007) 。 これも老司Ⅱ式の出現年代が8世紀第1四半期以前ということ以上は意味しない。 残念ながら、 以上の遺跡での所見によって軒瓦諸型式の出現年代を決めることはできない。 ※観世音寺金堂の創建年代 老司Ⅰ式の使用年代の一環として、老司Ⅰ式そのものでなく、老司Ⅰ式を用いた建物として、観世音寺金堂の創建年代 に触れておく。金堂瓦積基壇中の平瓦に偏行忍冬唐草文軒平瓦541A(図3) ・Bと同じ格子文平瓦があるが、小田富士 雄氏は、122次SE3680で541Aと共伴した老司式をⅠ亜式(710年代) と評価することによって、SE3680出土瓦(275A・286・ 315・560Aa ・541A) を観世音寺造営Ⅱ期(709~711) に比定し、 金堂の造営を 「和銅年間の督促に伴う造営」 と考えた (小田 2009 The Kyushu 18 University Museum Shozo IWANAGA 大分廃寺 観世音寺鐘上帯 岩 永 省 三 315 天台寺軒平瓦 妙心寺鐘上帯 天台寺 541A 図3 軒瓦の唐草文・梵鐘の唐草文(1/6) 2006) 。高橋章氏は541Aが老司Ⅱ式とほぼ同時期ないし若干遡る頃とし、 老司Ⅱ式を和銅末~養老初期(714~720) に置 くので、金堂基壇着工を養老2 (718)年を少し遡る頃からとみた (高橋2007a)。総じて710年代と見るのが主流の説のよう である。 しかし別の考え方もできる。 礎石式・基壇建物の建設に際して、版築で大き目の土壇を築き、建物本体を完成させた後に、基壇外装を仕上げとし て完成させた手順は飛鳥の寺院跡で知られる。文武朝大官大寺の塔は瓦を葺き隅木先飾金具や風鐸を取り付けてい たが、基壇化粧を施す前に消失した。回廊も瓦葺きの途中で消失したが、基壇外装は施されていない。 こうした手順が 一般的であったとすれば、 基壇外装の施行は当該建物建設の最終段階であるから、 観世音寺金堂の外装施行年代を ただちに金堂の造営開始年代と同一視はできないし、 屋根に葺いた瓦の製作年代と見なすこともできない。基壇の瓦積 に541A・Bと同時期の平瓦が用いられた事情として、 老司Ⅰ式に伴う平瓦がすでに余っていなかった可能性すら考えられ る。 以上の検討によって、 老司Ⅰ式の作笵年代を藤原宮式中段階並行期まで引き上げることに対して大きな障害はないと 言えよう。 D.老司Ⅰ式成立の背景(表1) ①.老司Ⅰ式文様出現の背景 花谷浩氏は、 藤原宮式軒瓦の場合、 文様が大和盆地内・盆地外の複数の生産地でそれぞれ共通することから、 文様 の決定に当たって、 中央の強い意志が背景にあったと推測している (花谷1993)。 このような文様決定における 「意志」は 藤原宮式のみならず中央が関与した他の事業にも及ぼされたとみられる。 山崎信二氏は、 老司式と藤原宮式の軒平瓦の文様を比較して、 老司式が「左偏行唐草文+珠文+鋸歯文」であるの に対し、藤原宮では「6641:右偏行唐草文+珠文+鋸歯文」 「6642:右偏行唐草文+珠文+珠文」 「6643:左偏行唐 草文+珠文+珠文」であり、 重複が避けられ明瞭に使い分けられていることから、 「藤原宮では使用しない九州の老司式 用の独特の文様をあらかじめ用意した」 と推定した (山崎1995)。 この説のように、藤原宮式とは差異を持つように意識的に文様が選択・決定されたとする説には説得力がある。 もっと も、山崎氏が、老司式の最初期のものが藤原宮軒瓦の最初期のものよりも若干遡る可能性があり、老司式軒平瓦と藤 原宮軒平瓦の文様の使い分けは、 前者がすでに存在していたので、 それを避けて後者の文様を選択した結果だと考え たのは、 朱鳥元(686)年が観世音寺の実質的造営開始なのに対し、 藤原宮の造営開始は持統6 (692)年の地鎮祭以降 と考えたことによる。 しかし、天武末年(680年代前半) の藤原宮下層運河から淡路産の軒平瓦6646が出土しており (花谷 1998) 、大和盆地外での藤原宮瓦生産開始が天武末年まで上るのであれば、 やはり藤原宮式の出現自体は老司式より 遡ると考えた方が良い。 山崎氏が注目した老司式と藤原宮との軒平瓦の造り分けは、 藤原宮式中段階に、 上外区珠文、 2009 The Kyushu 19 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles 表1 老司Ⅰ式軒瓦関連年表 西暦 年号 天皇 670 天智9 天智 藤原宮・京ほか 薬師寺 大官大寺・大安寺 観世音寺関連 西暦 670 671 10 〃 天智死去 672 天武1 天武 壬申の乱。飛鳥浄御原宮に遷都。 673 2 〃 大海人皇子、飛鳥浄御原宮で即位。 674 3 〃 675 4 〃 676 5 〃 677 6 〃 高市大寺を大官大寺と改称 677 678 7 〃 (天武朝大官大寺) 678 679 8 〃 680 9 〃 681 10 〃 飛鳥浄御原令編纂開始 682 11 〃 新城に幸す。 683 12 〃 諸国境界を定め始める。 684 13 〃 天皇、宮室の地を定める。 685 14 〃 天皇不予 686 朱鳥 天武→持統 687 持統1 持統 688 2 〃 689 3 〃 草壁皇子死去、浄御原令施行 689 690 4 〃 高市皇子・天皇、藤原の宮地を視察。この頃、藤原不比等官途につく。 690 691 5 〃 新益京地鎮祭。右大臣以下に新益京宅地を配分。 692 6 〃 藤原宮地鎮祭 693 7 〃 694 8 〃 695 9 〃 696 10 〃 公卿百寮、南門に射す。 697 文武1 持統→文武 軽皇子立太子 仏像開眼会 698 2 文武 大極殿で受朝。「大極殿」初見。 構作ほぼ終る 699 3 〃 700 4 〃 刑部親王・藤原不比等に律令を撰定させる。 701 大宝1 〃 大宝律令完成 702 2 〃 遣唐使出発。持統太上天皇死去 703 3 〃 704 慶雲1 〃 705 2 〃 706 3 〃 707 4 文武→元明 諸王臣五位以上に遷都を論議させる。 708 和銅1 元明 平城遷都の詔。平城宮鎮祭 709 2 〃 710 3 〃 平城京遷都 711 4 〃 藤原宮焼亡 712 5 〃 713 6 〃 713 714 7 〃 714 715 霊亀1 元明→元正 716 2 元正 717 養老1 〃 718 2 〃 719 3 〃 720 4 〃 721 5 〃 722 6 〃 723 7 〃 724 神亀1 元正→聖武 724 725 2 聖武 725 726 3 〃 726 727 4 〃 727 728 5 〃 729 天平1 〃 730 2 〃 731 3 〃 731 732 4 〃 732 733 5 〃 733 734 6 〃 735 7 〃 736 8 〃 737 9 〃 738 10 〃 739 11 〃 739 740 12 〃 740 741 13 〃 741 742 14 〃 742 743 15 〃 743 744 16 〃 745 17 〃 僧玄昉造営のために派遣される。 745 746 18 〃 造寺完成供養、玄昉怪死 746 747 19 〃 747 748 20 〃 748 749 天智、この頃発願 671 672 造高市大寺司任命 673 674 675 新城に都造ろうとし果たさず。 676 679 建立発願 680 681 着工 多治比真人嶋大鐘を貢す 682 683 684 三寺で読経 本尊薬師像鍍金未了 五寺で無遮大会 685 封 200 戸施入。川原寺の伎楽を筑紫に運ぶ。 686 687 無遮大会 688 691 講堂阿弥陀仏繍帳造る 692 693 藤原宮に遷居 694 (文武朝大官大寺) 695 ……………………………………… 696 697 糟屋評造舂米広国鐘を鋳造(妙心寺鐘) 九重塔造営 ( 扶桑略記 ) 698 699 700 四寺で設斎 5年後に封戸を停止する太政官処分。 701 文武朝 上座郡薗地 49 町施入 702 九重塔・金堂造営(縁起) 薗地・焼塩山等施入 703 縁起作られる 704 大宝遣唐使第一次帰国 705 中断期① 706 707 708 造営督励詔発布。鉄釜・墾田 16 町施入。 709 710 大官大寺焼亡 水田 12 町余施入 ……………………………………… 711 712 715 大安寺平城京移建 716 中断期② 薬師寺平城京移建 ( 続紀 ) 717 718 719 寺領田園山林図作られる 720 721 僧綱を止住させる。 722 僧満誓、勅により造寺別当として派遣される。 723 728 道慈に大安寺を改造させる。 東塔建立 729 衣服・伎楽面施入の太政官符 730 734 大般若経転読。 大般若経転読。 疫瘡流行。「府大寺」で読経。 735 736 737 5年を限り封 100 戸施入 738 744 天平感宝 聖武→孝謙 天平勝宝1 749 750 2 孝謙 750 751 3 〃 751 752 4 〃 752 2009 The Kyushu 20 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 表2 鴻臚館Ⅰ式軒瓦関連年表 西暦 年号 天皇 670 天智9 天智 平城宮・京ほか 土器編年 瓦編年 興福寺 筑紫大宰・大宰府 西暦 670 671 10 〃 672 天武1 天武 673 2 〃 674 3 〃 ↓ 675 4 〃 ………………… 676 5 〃 ↑ 677 6 〃 678 7 〃 679 8 〃 679 680 9 〃 680 681 10 〃 682 11 〃 683 12 〃 684 13 〃 飛鳥Ⅳ 684 685 14 〃 SD1901A 685 686 朱鳥 天武→持統 686 687 持統1 〃 687 688 2 〃 689 3 〃 浄御原令施行。筑紫大宰粟田真人。筑紫大宰帥(任)河内王 689 690 4 〃 筑紫大宰河内王 690 691 5 〃 692 6 〃 693 7 〃 ↓ 694 8 〃 ………………… 695 9 〃 ↑ 696 10 〃 697 文武1 持統→文武 698 2 文武 699 3 700 飛鳥Ⅲ 山階寺を飛鳥厩坂に移す。 筑紫率(任)栗隈王 671 壬申の乱。筑紫大宰栗隈王、近江方の出兵要請を拒否。 672 673 674 675 筑紫大宰屋垣王 676 677 筑紫大地震 678 681 筑紫大宰丹比嶋 682 683 688 691 筑紫大宰率河内王。大隅・阿多に僧侶を派遣し仏教を伝える。 692 693 筑紫大宰率河内王。筑紫大宰率(任)三野王 694 695 696 697 多禰嶋・南島に覓国使派遣。大野・基肄・鞠智城修治。 698 〃 三野・稲積城修治 699 4 〃 薩摩・大隅の豪族、覓国使を剽却。筑紫惣領(任)石上麻呂 700 701 大宝1 〃 大宝律令制定。大宰府正式に成立。 701 702 2 〃 薩摩・多禰征服。薩摩国成立。 大宰帥(兼)石上麻呂。 702 703 3 〃 704 慶雲1 〃 705 2 〃 706 3 〃 707 4 文武→元明 諸王臣五位以上 , 遷都を論議。 708 和銅1 元明 遷都詔。造平城京司任命。 709 2 〃 710 3 〃 711 4 〃 712 5 〃 713 6 〃 714 7 〃 715 霊亀1 元明→元正 716 2 元正 ↑ 717 養老1 〃 SD4750 718 2 〃 719 3 〃 720 4 〃 721 5 〃 722 6 〃 723 7 〃 724 神亀1 元正→聖武 725 2 聖武 726 3 〃 727 4 〃 SK2102 728 5 〃 SD485 729 天平1 〃 730 2 〃 731 3 〃 732 4 〃 733 5 〃 734 6 〃 西金堂建立 735 7 〃 大般若経転読。 736 8 〃 737 9 〃 738 10 〃 739 11 〃 740 12 〃 藤原広嗣の乱。恭仁遷都。 741 13 〃 国分寺・国文尼寺建立の詔 742 14 〃 743 15 〃 墾田永代私有令 744 16 〃 難波遷都 ↓ 745 17 〃 平城環都 …………… 746 18 〃 ↑ 747 19 〃 Ⅲ-1期 747 748 20 〃 ↓ 748 …………… 749 749 SE1105 遣唐使出発。持統太上天皇死去 703 大宝遣唐使第一次帰国 飛鳥Ⅴ 2 孝謙 751 3 〃 752 4 〃 大宰帥(兼)大伴安麻呂 705 慶雲三年格 大宰帥(兼?)粟田真人 708 ↑ 平城遷都 709 厩坂寺を移し興福寺とする(興福寺縁起) 710 Ⅰ-1期 大隅国設置。 ↓ 「大極殿」初出 706 707 …………… SD 1900A ↓ 金堂供養か? 維摩会を興福寺に移修。 ………………… …………… 養老律令撰定。元興寺平城京移建。 6BYSSE047 筑 711 紫 712 役 713 714 大宰帥(任)多治比池守 ↑ 715 716 多治比池守受賞 Ⅰ-2期 717 718 719 藤原武智麻呂、宮内を改作。 平城Ⅱ ↓ 不比等死去。造興福寺仏殿司設置。 筑紫大宰帥(任)阿部比羅夫。隼人反乱。 720 …………… 北円堂建立 城門災 721 ↑ 722 723 SD12695 724 Ⅱ-1期 725 東金堂建立 長屋王変。藤原光明子立后 ↓ ↑ 726 727 ↓ ………………… …………… 五重塔建立 大宰帥大友旅人 728 大宰府 729 大宰帥大友旅人、梅花の宴 730 ↑ 731 732 733 734 疫瘡大流行。「府大寺」に読経させる。 SD5300 疫瘡大流行。藤原四卿死す。 SD5310 疫瘡大流行。 737 新羅使を大宰府で饗応し、入京させず放還。 738 739 大宰少弐藤原広嗣の乱 740 741 平城Ⅲ ………………… 大宰府廃止、筑前国司が機能代行 742 筑紫鎮西府を置く 743 744 大宰府を復置。管内諸司に印十二を給す。 講堂本尊造立 平城Ⅳ ↑ 750 Ⅲ-2期 2009 The Kyushu 745 746 墾田限度 500 町と定めらる 東大寺大仏開眼 735 736 Ⅱ-2期 SD5100 天平感宝 聖武→孝謙 天平勝宝1 750 704 平城Ⅰ 751 752 21 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles 下外区線鋸歯文で右偏行唐草文の6641のデザインを念頭にそれと差異化できるように、 上外区珠文、 下外区凸鋸歯文 で左偏行唐草文の老司Ⅰ式をデザインした結果と考えればよかろう。 なお山崎氏は、 藤原宮の紐作りと、 老司Ⅰ式における 紐作りとの有機的な関連を唱え、 観世音寺造瓦にたずさわった工人の一部が藤原宮の造瓦開始に伴って大和へ移動 したことを想定しているから、藤原宮の紐作りも老司Ⅰ式の紐作りの導入と考えている節がある。 しかしこれも、藤原宮式 の紐作りが老司Ⅰ式に導入されたと考えて不都合がない。 森郁夫氏は、 観世音寺に本薬師寺や大官大寺で用いられた瓦当文様が伝えられずに、 「宮の瓦当文様(藤原宮式系) がもたらされたところに観世音寺造営時における中央政府の意志の一端が反映されて」おり、和銅2年の督促令は、平 城遷都をひかえて律令体制整備の一環として、 九州の中枢部においても、 大宰府の整備とともに官寺の確立を急がねば ならなかったからであるとした (森1983) 。 栗原和彦氏は、 森氏が平城宮において造宮組織と造寺官司との関わりが深いこ とを考察した (森1976) のを受けて、 老司Ⅰ ・ Ⅱ式の笵型が中央政府から観世音寺用・大宰府官衙用として与えられたとみた (栗原1993)。 これは老司Ⅰ式とⅡ式をほぼ同時期とし、和銅2年の督促令に引き付けての立論である。森氏は8世紀前半 において宮内と京内官寺で大造営が重なった時に、官寺が宮の瓦と同系の文様を持つ事象に注目したのであるが、栗 原氏が取り上げた老司Ⅱ式の場合、 逆に官衙が寺系の瓦を持ったのであり事情が異なる。森氏・栗原氏はともに老司Ⅰ式 の成立を和銅2年の督促令に引き付けて上記の見解を出しているのだが、 小稿では老司Ⅰ式の成立を藤原宮造営期に 引き上げているから、 森氏が扱ったと事象と比較するには、 観世音寺が藤原宮系の瓦を持った事情を考察しなければな らない。 なぜ老司Ⅰ式の祖型が藤原宮式とされたのか。官が関わった造寺組織による観世音寺創建瓦の瓦当文様決定=作 笵の時点は、 本薬師寺が竣工し、 大官大寺の造営が始まる前の、 国家的最重要事業が藤原宮造営に集中した時期で あり、 格式上そのスタイルを導入する必然性があった。平城宮造営が開始され所用瓦が製作され始めた時期であれば、 藤原宮式を祖型としつつも最新式の文様が創出されており、 あえて古い文様とする必要に乏しい。 観世音寺は天皇家の私寺ではなく、 官寺としての格で造られる必要があったが、 そのような場合、 かつての川原寺・本 薬師寺のようにその時々の最新スタイルの採用が志向された。 ②.政府による観世音寺造営督促の事情 では、 天皇家および中央政権にとっての観世音寺造営の意義はどこにあったのか。文武天皇の早世による母・元明天 皇の即位宣命に初めて現われる 「不改常典」の意義から伺われるように注2、持統―草壁系天皇にとって、他の天武系 皇親勢力を牽制し、 即位を正当化するためには、 持統を介して天智の血を引くことを強調する必要があった。 そのため、 持統以降の天皇は代替わりの度に、 天智の子孫として父祖・天智の事績を顕彰する必要があり、 天智が母・斉明の菩提 を弔うべく発願した観世音寺造営への梃入れを繰り返すこととなった。具体的には、文武の代には、大宝2 (702)年の薗 地49町の施入、 同3年の薗地・焼塩山の施入、 元明の代には和銅2 (709)年の造営促進詔発布・鉄釜施入・墾田16町施 入、 和銅4 (711)年の水田12町施入、 元正の代には養老7 (723)年の僧満誓の派遣が行なわれた。天皇家が遠国の一寺 院の建設に関わるのは異例中の異例であるが、天智が発願したものの未完成のままの観世音寺の完成に向けての梃 入れの理由はそこにある。 しかも、 天智の母・皇極=斉明はその後の皇統の始祖であり、 その斉明の菩提を弔うための寺 院は、 天智の子孫にとって特別の意味を持った。 山崎信二氏は、 藤原宮造瓦に山城と大和の藤原氏の氏寺が大きな役割を果たしたとし (山崎1995) 、 藤原宮の瓦製作 地が拡散している背後に、 藤原氏の関与を考えた (山崎1983)。 もっとも、 藤原不比等が官途に就いたのは、 持統5 (690)年 の新益京鎮祭の直前くらいであり、 すでに新城の造営は軌道に乗っているから、 造営初期段階での藤原氏の関与の実 態は慎重な検討を要する。 これに対して観世音寺は、 持統以後の皇統にとって特別な意味を持つ大規模造営であるとと もに、 娘・宮子を文武の夫人に送り込んで天皇家の外戚となりつつ、 大宝年間以降、 議政官の実権を握り、 政府の中核と して新国家建設に邁進するようになった不比等を中心とする藤原氏にとっても重い意味を持つようになったであろう。 ただし、 天皇の代替わりの度に、 観世音寺造営への梃入れ・督促が繰り返されはしたものの、 造営事業そのものは中央 2009 The Kyushu 22 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 の直接関与ではなく、 大宰府の造営組織に任されたために、 遅延が度重なり、 督促によって眼に見えて進捗したわけでも なかった。 これには深い事情があった。①朱鳥元(686)年の封戸施入から大宝元(701)年の太政官通告(5年後封戸停止) までの間は、徐々に造営を進めていたのであろうが、筑紫大宰にとっては、浄御原令の施行を受けて広域行政機関とし ての体制を創出する時期であったし、 政府の命で文武2 ・ 3 (698~699)年には大野・基肄・鞠智・三野(日向?) ・稲積(大隈?) の諸城を修理するなど、反乱に備える軍事拠点の維持にも腐心せねばならなかった。 中央政府にとっては、新城および 藤原宮・京(新益京) の造営期に当たる。②慶雲元(704)年から和銅2 (709)年の造営促進詔までの中断期(小田2006) は、 大宰府にとっては、 Ⅱ期政庁の建設を始めた時期であり (後述) 、 中央政府にとっては、 大宝の遣唐使の第一次帰国(慶雲 元(704)年) による遷都計画の勃興から平城遷都詔(和銅元(708)年2月) ・造平城京司設立(同年9月) に至る激動、 慶雲3 ・ 4 (706・707)年の疾病流行、慶雲4 (707)年の文武の死去と元明の即位に伴う政情不安があった。③和銅4年(711) の水 田施入から養老7 (723)年の僧満誓派遣に至る長い中断期(小田2006) は、 大宰府にとっては、 Ⅱ期政庁の建設が続いて いるとともに、 和銅6 (713)年の大隅国設置前に隼人を征討したものの、 養老4 (720)年に起こった大規模な反乱を鎮圧す るまで情勢が安定しなかった。 中央政府にとっては、 平城宮の大極殿院造営およびそれに続く京内大寺院(大安寺(霊亀2 年) 、 元興寺(養老2年) 、 薬師寺(養老2年以前)) の本格的造営開始期に当たる。 したがって中央政権にとっても、 遠隔地―筑前に おける観世音寺造営に割ける余力に乏しかった、 という切実な事情があったからである。 Ⅲ 鴻臚館Ⅰ式軒瓦 大宰府政庁創建瓦である鴻臚館Ⅰ式(223a・635A~C) の祖型を、 興福寺創建瓦(6301A・6667A) とみる説が学史上有力 である。興福寺式は藤原氏の氏寺である興福寺の創建瓦であるが、 山田寺式・川原寺式・法隆寺式などに比して、 地方 寺院への影響が少ない型式である。 他方で、興福寺の造瓦組織と平城宮のそれとが交流を持った結果、平城宮でも興福寺式の系譜を引く6301B・C、 6671B・Cが成立する。 鴻臚館Ⅰ式の祖型が興福寺式であるならば、 大宰府政庁の創建に際してことさらに興福寺式を祖型とした理由が明ら かにされねばならない。 A.鴻臚館Ⅰ式の成立年代―諸説概観 ①.年代の検討 渡辺正気氏以外の論者は鴻臚館Ⅰ式の祖型を興福寺創建瓦(6301A・6667A) とみている。既往の諸説を古く見る順 に概観する。 渡辺正気氏は、 鴻臚館Ⅰ式635の唐草文の祖型を観世音寺鐘上帯の唐草文に求め、 興福寺創建瓦6671Aより古くし、 大宝元(701)年時点で635が製作の段階に入っていたと主張する (渡辺1988)。渡辺説については後にあらためて検討 する。 梶原義実氏は、 鴻臚館式より老司式がやや先行するものの、 「時期差というよりはむしろ工人集団の違い」 とみた (梶原 2002) 。老司式を藤原宮からの工人移動による製作と見ているが、 鴻臚館式がどこまで上るか明言はしていない。 横田賢次郎氏は、 興福寺の創建和銅3年説に拠りつつ「これとほぼ同時期か、 この時期をさほど下らない時期」 とみた (横田2002)。 山村信榮氏は、 鴻臚館式が「平城京もしくは興福寺のものが範形として大宰府にもたらされた」 もので「平城遷都以降 の早い時期」 とみた (山村1994)。 2009 The Kyushu 23 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles 高橋章氏は、 かつては大宰府の官制・職制が8世紀初頭に完備し、大宰府が造営に最も関与していた時期、 すなわ ち「和銅年間(708~715)頃を若干下る時期」 とみていた (高橋1983)。最近は「政庁前面南北溝SD2340(天平六年木簡共 伴) 出土瓦類と正殿跡180次調査瓦等から」、 養老年間後半頃(720~723か-岩永) に推定している (高橋2007b)。 栗原和彦氏は、 かつては興福寺創建瓦より後出させ8世紀第1四半期としていた ( 栗原1995)。鴻臚館式の笵が興福 寺創建瓦の笵とともに中央官司で製作されてから大宰府の造瓦組織に与えられたために、 両者の間に大きな時間差が 生じないとし、興福寺創建を養老4 (720)年とする薮内五百樹氏説(薮内1990) に依りつつ、 8世紀第1四半期終末とした (栗原2202)。 ②.大宰府政庁Ⅱ期の創建年代 鴻臚館Ⅰ式そのものでなく、 鴻臚館Ⅰ式を用いた施設である、 大宰府政庁Ⅱ期の創建年代に関する発掘調査での事実 関係および諸説を概観しておく。 調査では、 正殿SB010Aの基壇積土中、 同基壇下層から土器、 政庁南門SB001A基壇に伴う鎮壇遺構SX008から短 頚壷、 中門SB005A基壇に伴う鎮壇遺構SX020から短頚壷、 SB005A付近の地鎮遺構SX015から長頚壷、 Ⅱ期造営時 の整地土などから土器が出土している。 小田和利氏はSX008・ SX020出土の短頚壷がSD2340出土土器より古いことから、 政庁Ⅰ期の下限(=Ⅱ期造営開始) を8 世紀第1四半期としたが、 それ以上の絞込みはしていない (小田2002)。 横田賢次郎氏は、政庁Ⅰ期遺構(SB120・SB121・SD125) の廃絶時期を示す土器を8世紀第1四半期、 Ⅱ期政庁の造営 年代を示す資料であるSX008・ SX020出土の短頚壷を 「8世紀前半代をくだらない」、 SX015出土の長頚壷を 「8世紀第 1四半期」 とし、 それらを 「8世紀第1四半期の後半、 さらに推定を許されるならば10年代の後半頃」 と、記述が進展する に連れて絞り込んだ。 また後面築地SA505下層出土木簡から築地の構築を和銅年中 (708~714) の前半以降間もない頃 とした (横田2002)。 山村信榮氏は、 須恵器編年の検討結果に基づき、 第2カテゴリー (第Ⅱ期政庁整地層と建物基壇出土遺物) に属す遺物(第 1次整地層 (41次) ・北面築地基壇積土) をD期 (8世紀第1四半世紀前半) 、 第3カテゴリー (第Ⅱ期政庁の建物基壇を切る遺構出土遺物) ・中門西側回廊根石中 (6次)) に属すSX008・ SX020・ SX015など (北西脇殿基壇積土(30次) をE期(8世紀第1四半世紀後半) に置 いた。結論として第Ⅱ期政庁の造営時期が「藤原京期でなく平城京期」であり (山村1995) 、 その実施設計は和銅年間前 半期(708~710か-岩永) まで=平城遷都立案時期もしくは遷都施工中、 着工は「上記にごく近い時期」 = 「8世紀第1四半 期中頃」、 竣工は「715~720年頃」であり、 第Ⅱ期の成立時期は「8世紀第1四半期の後半の元明朝(元正朝の誤りか-岩 永) 」 とした (山村1994)。実年代の根拠は、 「竺紫前」の木簡を伴った資料が「8世紀第1四半期前半以降」に置け、 E期 のハセムシ12地点9号窯出土資料に和銅6 (713)年銘ヘラ描き甕が含まれ、 F期の不丁地区SD2340出土資料に天平6 (734)年木簡が伴ったことなどである。 吉村靖徳氏は、 須恵器編年の検討結果に基づき、 政庁Ⅰ期の廃絶~Ⅱ期造営に伴う整地層出土土器を土器Ⅱ期、 政 庁Ⅱ期建物の鎮壇具を土器Ⅲ期とし、 宮都の土器との併行関係で、 土器Ⅱ期を 「飛鳥Ⅳ式併行」~「SD1901Aの一部と SD1900A」 (飛鳥Ⅳ~平城Ⅰ期) 、 土器Ⅲ期を 「SD1900Aに後続する時期」 (平城Ⅱ期か) に対比した (吉村2003)。 Ⅱ期政庁の 竣工年代は、 狭川氏説(716) 、 山村氏説(715~720) と矛盾しないとする。 吉村氏と山村氏とでは、 7世紀後半~8世紀初頭の土器編年の実年代比定に大差があり、SX2480を山村氏はD期 (700~710) 、 吉村氏は飛鳥Ⅲ期(7世紀第3四半期)併行の土器Ⅰ期に当て35~50年も食い違うが、 山村氏がE期(8世紀第 1四半期後半) とした後田45-2号窯などを標識に吉村氏は飛鳥Ⅳ~平城Ⅰ期相当の土器Ⅱ期を設定した結果、 政庁Ⅱ期の 鎮壇具について、 山村氏はE期(8世紀第1四半期後半) 、 吉村氏は土器Ⅲ期(平城Ⅱ期か) に位置づけ大差がなくなった。 狭川真一氏は、 政庁の完成が考古資料から 「8世紀第Ⅰ四半期の後半頃」、 他資料から 「和銅3年(710)頃以降養老 5年(721)以前あたりに絞られてくる」 とした上で、 専任の大宰帥多治比真人池守が任命され (715) 、 現地に赴任し、 褒章 を受けた (717)間の霊亀2 (716)年が完成の年と絞り込んだ (狭川1993)。 2009 The Kyushu 24 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 以上の諸氏の見解は、 政庁第Ⅰ期の廃絶および第Ⅱ期の造営時期を示す土器の時期を8世紀第1四半期と見る点で 一致し、 その根拠は天平6 (734)年・天平8 (736)年の紀年銘木簡を伴ったSD2340の土器より古い要素を持つ点である。 ただし、 第Ⅱ期の造営時期を示す土器(山村氏E期・吉村氏土器Ⅲ期) が第1四半期のどこまで上るか絞るには、 土器編年の 実年代比定の定点が少なく、 横田氏・山村氏は鴻臚館Ⅰ式が興福寺創建瓦を祖型とし平城宮期に下る事を念頭に置い ているようなので、 瓦の年代の根拠を土器に求めれば、 土器と瓦の間で根拠が循環してしまうこととなる。 B.興福寺式系軒瓦の型式変化と年代 ①.型式変化(図4) 興福寺創建瓦の6301A-6671A、 その系譜を引き平城宮・京で用いられた6301B・C―6671B~D・I・Kがある ( 花谷 1991) 。 6301Aは大きな中房に1+5+10の蓮子を置く。蓮子は大きいが低い。間弁A系統の複弁蓮華文で、 蓮弁は肉彫り風で 照りむくりはあるが大きくはない。弁区は平坦で、 中房の弁区からの突出が弱いため、 内区全体が平面的である。外区に 珠文20、 外縁は傾斜縁で線鋸歯文25を置き、 上面に凹線を巡らす。直径は約17.5cmである。6671Aの中心飾りは、 左右 に分離した下向きC字形の中心葉のなかに紡錘形の小葉をおき、 中心葉の巻き込みと組み合って、 下から派生する三葉 文を表現する。 中心飾りの左右に第2支葉を欠いた2葉構成の唐草文単位を3回反転させる。第1単位が上から派生す るので、 平城宮で一般的な均整唐草文とは上下逆転した唐草の流れになる。唐草各単位の第1支葉の巻きが弱く主葉 先端に近接するので、 先端が二股に分岐した単位唐草が連続するように見える。外区は一段高く、 上外区・脇区に杏仁 形珠文、 下外区に線鋸歯文を置く。 6301B・CはAより小型化する。 Bは直径が約16cm強、 蓮子が1+5+9の点がAと異なる。 Aと比して内区が中高に緩く 盛り上がり、 中房が弁区より一段高い。蓮子が小さいが高い。弁の照りむくりはAより強い。外区の珠文は大きく20個。線鋸 歯数は不明(推定30)。 Cは直径が約16cm弱、 蓮子は1+5+10。弁の照り向くりが強く、 中房が弁区より一段高く、 蓮弁縁・ 間弁の表現がA・Bより鋭い。線鋸歯数が33、 外縁上に凹線がない点がA・Bと異なる。6671B~D・I・Kは、 6671Aと異なり、 唐草文各単位が3葉構成である。6671Aより内区が狭くなり唐草各単位が小振りで華奢となる。顎形態はBの一部が長 い段顎だが、 他は短い段顎や直線顎などである。 したがって、 6301-6671の型式変化は、 6301AからB・Cへの変化に際しての瓦当径の小型化(17.5→16cm) 、 6301C における外縁凹線の消滅、 6671AからB以下への変化に際しての、 第2支葉を欠いた2葉構成から3葉構成への変化、 内区幅の減少に伴う唐草各単位の小型化・繊細化とまとめられよう。 ②.年代の検討(表2) まず、 鴻臚館式の祖型となった興福寺式6301・6671の編年的位置付けについて、 毛利光俊彦氏・花谷浩氏の研究成 果を確認しておく。 興福寺所用の6301A-6671Aについて。6301Aの弁が肉彫り風で強く盛り上がる点は藤原宮式の6274A、 外縁に凹 線を巡らす点は6279Aと共通し古い要素である (毛利光1991a)。6671Aの外区文様は大官大寺所用の6661に類似し古 い要素である。顎には長い段顎、 短い段顎、 直線顎があり笵の使用年代は長いが、 顎の形態変化から見ると初期のもの は粘土板桶巻き作りにより、 貼り付け段顎で顎が長い点で平城宮・京軒瓦編年第Ⅰ期前半(和銅元年~霊亀元年) の特徴を もつ (花谷1991)。 平城宮所用の6301B-6671Bは、養老4 (720)年の造興福寺仏殿司の設置によって興福寺の造瓦組織と宮のそれと が交流を持った結果として出現したとみる。長い段顎と直線顎があり、前者は6671Aの古手と共通し第Ⅱ期初頭( 養老 5年頃) における。6301C-6671Cは6671Cの直線顎から第Ⅱ期後半( 天平初頭頃~天平17年) に下る可能性がある (花谷 1991) 。6671Dの短い段顎はⅡ期前半(養老5年頃~天平初頭頃) 、 Kには段顎がなくⅡ期後半である。 2009 The Kyushu 25 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles つづいて興福寺の創建年代について。 養老4 (720)年の造興福寺仏殿司の設置を、 興福寺主体部の着工と見るか (藪中1990) 、 興福寺の造営に官が直接関 わるようになった年であって造営自体はそれ以前に始まっていたとみるか (大岡1965、福山1968、太田1969) で説が分かれる。 花谷浩氏・毛利光俊彦氏は、 興福寺の造営が養老4 (720)年の藤原不比等の死去以前に始まっていたとした (花谷1991・ 毛利光1991) 。薮中五百樹氏は養老4年10月に金堂造営のための造興福寺仏殿司が設置されたのが興福寺造営の開 始とみたが (藪中1990) 、 わずか10ヵ月後の養老5 (721)年8月に中金堂に弥勒浄土変群像が安置されていることから、 興 福寺全体の着工が養老4年10月では無理がある。花谷氏の軒平瓦編年でも、6671Aの製作技法は軒瓦編年第Ⅰ期前 半に遡り、B・Cと同じⅡ期までは下げ難いことが明らかにされているから、興福寺の造営開始は和銅年間に遡ると考えら れる。薮中氏は、 不比等が他の官寺に先駆けて自分の氏寺を造るほど無神経ではなく、 新都造営が一段落し、 他官寺移 建が始まってから後にしたとみたが、 自分の血を引く首皇子のための東宮を平城宮を東に張り出させて造営し、 その隣に 広大な自邸を設けた不比等にしてみれば、 氏寺の寺地のみ選定し造営に手を付けない方が不自然と言えよう。 したがっ て6671Aの出現は710年代前半に遡ると見てよい。 C.鴻臚館Ⅰ式の祖型と年代 続いて、 上で検討した興福寺式系軒瓦の型式変化を念頭に、 あらためて鴻臚館Ⅰ式の祖型と作笵年代を検討する。 ①.祖型・作笵年代の検討(図4) 鴻臚館1式の軒丸瓦223aは、 大きな中房に1+4+8の蓮子、 間弁A系統の複弁蓮華文、 蓮弁は肉彫り風で照りむくりを 持つ。内区が中高に盛り上がり、 中房が弁区より一段高い。外区に珠文24、外縁は傾斜縁で無文。上面に凹線は無い。 直径は約17cm弱である。 これと6301の細分種との類似点・相違点は以下の通り。瓦当径17cm弱はAとB・Cとの中間で ある。内区が中高に盛り上がる点でBに近いが、Bよりさらに盛り上がる。 中房が弁区より一段高い点はB・Cと似る。弁の 子葉が長い点はいずれとも異なる。外区珠文が大きく低い点はA・Bと似る。223aと6301細分種との前後関係を決めるの は難しいが、6301Aから6301B・Cへの変化の流れを見れば、223aは6301Aより後出し、6301Bと近い位置に置けるが、 6301Bと兄弟の関係か6301Bからの派生種かは決め難い。 鴻臚館Ⅰ式の軒平瓦635A~C(以下A~Cは略す) の中心飾りは、 「小」字形の三葉文の垂飾りを上向きC字形の中心葉 が囲む。 中心飾りの左右に唐草文単位を4回反転させる。各単位は、 第1支葉が「ハ」字形の2葉、 第2支葉が1葉の4葉 構成である。 これらの主葉の巻き込みと第1支葉を一体として見ると、主葉先端が三股に分岐したように見え、三葉半パ ルメットであることがわかる。第1単位が下から派生するので平城宮で一般的な均整唐草文と同じ唐草の流れになる点 が、 興福寺式6671と異なる。外区は一段高く、 上外区に杏仁形珠文、 下外区に凸鋸歯文を置く。635が一段高い外区をも ち、 上外区杏仁形珠文、 下外区鋸歯文となる点で、 祖形は6671しかありえず、 内区が狭く唐草文が小振りとなり、 第二支 葉を持つ点で、 6671AよりかはB・Cに近い。 ただし、 中心飾りの垂飾りの形態、 中心葉の向き、 唐草文の反転数、 第一支葉 の数と形態での差異も大きい。 この相違点は、 6671本体のAからB ・ Cへの変化の中途からの分岐だけでは生じがたい。 そこで、 この時期に瓦当文様創出をリードした平城宮・京や大和の寺院における、 7世紀末~8世紀初頭の軒平瓦中 で、635と類似した垂飾り形態、 中心葉の向き、唐草文の反転数、第一支葉の数と形態を有する種を探し、635出現の系 統的背景を考えよう。 6675Aは、 4回反転の均整唐草文で、 上外区に珠文、 下外区に線鋸歯文を置く。 中心飾は、 逆V字形の中に珠点を置 いた下向きの三葉文の垂飾りを、 上向きのC字形の中心葉が囲む。唐草文は主葉+第1 ・第2支葉が4ヶ所、 主葉+第1支 葉が4ヶ所と変則的である。細部で違いはあるものの、 下向き三葉文を上向きC字形で囲む中心飾りの形状、 4回反転の 均整唐草文、 上外区に珠文、 下外区に鋸歯文という基本レイアウトは635と等しい。 6654Aは、 中央の唐草文を中心に左右に4回反転する変則的な均整唐草文で、 上外区に珠文、 下外区に線鋸歯文を 置く。 中心飾りを欠くが、 4回反転の均整唐草、 上外区に珠文、 下外区に鋸歯文という基本レイアウトは635と等しい。 2009 The Kyushu 26 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 6301A 法隆寺229B 6654A 6671A 223a 鴻臚館Ⅰ式 6301B 635A 6301C 6671B 6675A 法隆寺240A 6671C 図3 軒瓦の唐草文・梵鐘の唐草文(1/6) 法隆寺229Bは、 中央の唐草文を中心に左右に4回反転する変則的な均整唐草文であるが、 4回反転であり、 唐草の 1単位をみると、 強く巻き込みながら蕚状に左右に分かれる2葉(渦巻き型蕚) の間に、 あまり巻き込まずに「ハ」字形に開く2 葉を置く。葉数が偶数で中心の1葉を欠くが四葉全パルメットとみなせる。 この「ハ」字形の2葉が635の唐草第1支葉と類 似しており、 635の唐草文にはパルメットの要素が入っていることが判る。 法隆寺240Aは、 対葉花文風の中心飾りをもつ左右4回反転の均整忍冬唐草文で、 上外区に珠文、 下外区に線鋸歯 文を置く。唐草の第2 ・ 4単位は半パルメットであり、 各単位は強く巻き込む1葉と緩く反転する4葉からなり、 そのうち外側の 2葉は635の唐草第1支葉と似ており、 635の唐草文にはパルメットの要素が入っていることが判る。 こうして見ると、下向き三葉文を上向きC字形で囲む中心飾りの形状は6675A、 4回反転の均整唐草文、上外区に珠 文、 下外区に鋸歯文という基本レイアウトは6675A・6654A、 法隆寺240A、 主葉の巻き込みと第1支葉が半パルメット状を 呈する点は法隆寺229B・240Aが近いことが判る。以上の4種は、 行基建立の小寺院や法隆寺所用であって、 これらをた だちに鴻臚館Ⅰ式635の文様の直接の祖型とみなして良いかは疑問であるが、 類似した文様が流行した時期を絞り込む 手がかりとなる。 以上4種の年代を確認しておく。6675A・6654Aは、 軒丸瓦6348Aと組んで、 奈良市追分廃寺で使用された。 この寺は 養老2 (718) 年に行基が建立した隆福院と推定されており、 平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期 (715~721) に当たる。 法隆寺229B は、 白鳳後期(690頃~710) の法隆寺西院伽藍創建時に中門・回廊に用いられた (花谷1992)。 さらに絞って700年代とする 説もある (林2007)。法隆寺240Aは、 奈良前期Ⅰ (710~727) に西院伽藍創建用に用いられた (毛利光1992)。 2009 The Kyushu 27 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles 念のため、 平城宮・京軒瓦でこれらの要素が見られる時期が他にありえるか確認しておこう。 三葉文の垂飾りを中心葉が囲む中心飾りは、第Ⅰ-2期の6675A以外に、第Ⅱ-2期( 天平初頭頃~天平17年) に6719・ 6721が出現して以降、奈良時代を通じて盛行する。 ただしこれらでは中心葉が左右に分離して対向する形であるし、 6719A・6721Gを除いて垂飾りは左右の小葉がほぼ水平か上向きの逆「小」字形であって、 635のような「小」字形の垂飾 りを上向きC字形の中心葉が囲む形態の祖型にはなりえない。第Ⅰ-1期・ Ⅱ―1期にその種の中心飾りは無いから、 第Ⅰ― 2期の6675Aがもっとも近い。 4回反転の均整唐草文は、第Ⅰ-2期の6675A・6654A以外に、 Ⅱ-1期の6667A以降、6669・6691・6695・6704・6729・ 6767・6768など奈良時代後半まで少数存続するが、 6669・6691・6695・6768は第1支葉・第2支葉が1個ずつの平城宮・京 で一般的な唐草文、 6704・6729・6767は変則的な唐草文であって、 鴻臚館Ⅰ式635のような主葉と第一支葉が半パルメット 状となる唐草文の祖型にはなりえない。 主葉と第一支葉が半パルメット状となる唐草文は、 法隆寺229B・240A以外に、 6763A・B・Cがあるが第Ⅳ-2期に編年 されており、 鴻臚館Ⅰ式635の祖型にはなりえない 上外区珠文、 下外区鋸歯文の均整唐草文は、 興福寺式6671系統を除けば、 第Ⅰ-2期の6654A・6675Aしかない。 以上の検討によって、鴻臚館Ⅰ式635の文様を生み出しえる蓋然性が強いのは、平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期( 715~ 721) となる。すなわち、興福寺式6301A-6671Aの出現の後、養老4 (720)年の造興福寺仏殿司の設置を継起に6301B -6671Bが出現する前となる。6671AからB・Cへの変化はスムースであり、 主葉の両脇に支葉を1個ずつ配す平城宮・京 で一般的な唐草文単位の成立である。 これは、 平城宮の造瓦組織が興福寺のそれと交流を持ち、 6671の文様が取り入 れられるに際し、 唐草を平城宮に通有な形に変えた結果である。6671B・Cの唐草単位が鴻臚館Ⅰ式635の半パルメットか ら生じるとは考えにくいから、 鴻臚館Ⅰ式635と6671B・Cはともに6671Aから分岐して生じた兄弟の関係にあり、 鴻臚館Ⅰ式 635の成立に当たっては、 6675A・6654A、 法隆寺229B・240Aなど平城宮・京第Ⅰ-2期に流布した文様要素を取り込んだ と結論付けられる。 なお渡辺正気氏は、 鴻臚館Ⅰ式635の唐草文の祖型を観世音寺鐘上帯の唐草文(図3) に求め、 興福寺創建瓦6671A より古くし、 大宝元(701)年時点で635が製作の段階に入っていたと主張しているが (渡辺1988) 、 すでに栗原氏による唐草 の反転数に基づく反論(栗原2002) がある。観世音寺鐘上帯の唐草文は、 一見635の唐草文に似ているが、 唐草の1単位 は強く巻き込みながら蕚状に左右に分かれる2葉(渦巻形蕚) の間に栓形花(山本1996) を置くもので、 これから半パルメット が成立するとは考えにくい。 したがって、 635の唐草文を観世音寺鐘に引き付けて6671Aより古く見るのは無理があろう。 223a―635を興福寺式6301A-6671Aと無関係に、 それに先立って成立させようとすれば、 223aの蓮子1+4+8、 無文の 外縁を藤原宮式6233の系譜、635の外区(上外区杏仁形珠文・下外区鋸歯文) を大官大寺式6661、外区が内区より一段高 い点を天台寺の新羅系軒平瓦の系譜などと考えられないこともないが、 635の内区文様の系譜について、 上記のようにし か考えられない点から見て無理がある。 ②.年代の点検 鴻臚館Ⅰ式が土器や木簡を伴って出土した事例は、 きわめて少なく諸氏が用いる事例は、 大宰府政庁前面SD2340の 1件である。 大宰府政庁前面SD2340の最下層から木簡を伴って瓦類が出土した (九歴1984・85)。木簡の紀年銘は天平6 (734)年・ 天平8 (736)年があるが、 郡名表記では和銅年間前後のものがあり、 土器類と合わせると溝の機能期間は和銅年間前か ら天平末頃までである (石松1987)。下層から鴻臚館Ⅰ式のセット (223a・635A)、老司Ⅱ式のセット (275B・560Ba)、外区・外縁 が同一平面となり内区より一段高い軒丸瓦285A、老司式系統の軒丸瓦290B、偏行唐草文軒平瓦582が出土した。報 告では鴻臚館式を8世紀「第1四半期終末頃」 と推定した (九歴1985)。高橋章氏は瓦類の下限年代を天平6年以前とし (高橋2007a)、杉原氏は瓦類の使用が「8世紀第2四半期の中で理解される」 とした (杉原2007)。溝の最下層の形成年 代が天平8 (736)年以降であり、 その年代には共伴軒瓦がすでに存在したことは言える。 また出土土器の様相から、 溝の 2009 The Kyushu 28 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 埋没が開削から短期間後であり 「天平年間」 とされているから (九歴1984) 、 瓦類の出現年代が「736年~740年代」以前 ということ以上は意味しない。 鴻臚館Ⅰ式を用いた大宰府Ⅱ期政庁の創建年代を示す資料には以下のものがある。 政庁Ⅰ期段階の土層からの出土遺物として、 正殿後面築地SA505基壇積土の下層で「竺志前」 という国名表記を持 つ木簡が出土した。倉住靖彦・松川博一氏によれば、 「竺志前」は筑紫国が筑前・筑後に分割される持統3 (689)年前後 から国名表記の一斉公定が行なわれた大宝4 (704)年に用いられたが、表記は公定後も用いられ、 「軍布」 「古」などの 用字が藤原宮跡出土木簡に多いことから、 使用の下限は和銅年間前半とみられる (倉住1974・松川2002) 。 したがって、 第Ⅱ 期政庁の後面築地の築造が7世紀末~8世紀初頭以降とはいえるが、 それ以上の絞り込みは難しい。 Ⅱ期政庁造営時の整地土あるいはⅡ期の基壇建物の基壇土中からの出土土器のうち最新の物が整地や基壇造営 の年代を示すが、 直接的な実年代の手がかりがないため、 平城宮土器編年との併行関係を見る場合、 器種にもよるが平 城Ⅰ期(700~715) か平城Ⅱ期(715~730) かの判定は微妙なものとなる。 政庁南門SB001A基壇に伴う鎮壇遺構SX008の短頚壷、中門SB005A基壇に伴う鎮壇遺構SX020の短頚壷、 SB005A付近の地鎮遺構SX015の長頚壷については、 Ⅱ期政庁造営時の整地土あるいはⅡ期の基壇建物の基壇土中 からの出土土器より1段階新しく見るのが通説である。 その実年代については、 山村氏が同時期(E期;710~725) に置くハ セムシ12地点9号窯出土資料に和銅6 (713)年銘ヘラ描き甕が含まれるが、 平城宮土器編年との併行関係を見る場合、 やはり平城Ⅰ期(700~715)併行か平城Ⅱ期(715~730)併行かの判定は微妙である。 D.鴻臚館式成立の背景(表2) Cでの結論は、鴻臚館Ⅰ式223a―635は、興福寺式6301A-6671Aの文様をベースに、6675A・6654A、法隆寺229B・ 240Aなど平城宮・京第Ⅰ-2期に流布した文様要素を取り込んだ成立したもので、 作笵時期は、 造興福寺仏殿司の成立 に伴う6301B―6671Bの成立に先立つ平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期と結論付けた。 平城宮所用瓦中に6301B・C―6671B・Cが出現したことに対しては、養老4 (720)年の藤原不比等の死去後、造興福 寺仏殿司の設置によって、興福寺の造瓦組織と宮のそれとが交流を持った結果、平城宮所用瓦中に興福寺式系統が 出現したと理解されてきた。 それと同様に造興福寺仏殿司の設置によって、 宮の造瓦組織に興福寺系の文様が取り込ま れてから、 国の機関である大宰府に寺系の瓦が使われたと考えればスムースなように見えるが、 鴻臚館Ⅰ式223a―635の 成立時期を上記のように考えると、造興福寺仏殿司のような官司の成立なしに、平城宮の瓦の要素を持たず寺院系の 文様要素ばかりからなる軒瓦が成立して大宰府という官衙に供給されたことになる。 この事情をいかに考えるべきであろ うか。 ①.新デザインの採用 鴻臚館Ⅰ式223a―635の作笵時期を平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期(霊亀元年~養老5年頃) としたので、 この時期における 平城宮・京の造営事情を考えよう。 平城宮中央区について。和銅元(708)年2月の平城遷都詔の後、 9月に造平城京司が設置され造営が始まるが、藤 原宮の大極殿を移築して平城宮の大極殿として完成したのは、和銅8年( 霊亀元年=715) の元日朝賀時であった (渡邉 2003) 。 この時に大極殿院が完成したとして、 霊亀・養老年間は、 朝堂院の建設が本格化する神亀年間までの中休み期 間に当たる。 平城宮東区について。養老5年12月の元明太上天皇の死去直前の9月に中納言従三位藤原武智麻呂が造宮卿を 兼任して宮内の改作に着手した。 この時の改作が内裏Ⅰ期からⅡ期への造替に当たると考えられる (岩永2008)。東区朝 堂院においては平城環都まで大規模な造営はない。 したがって、 東区についても、 霊亀元年~養老5年は造営の中休み 期間である。 中央区・東区以外の宮内各所において、造営は不断に続いていたであろうが、平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期(霊亀元年 2009 The Kyushu 29 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles ~養老5年頃) には、 大規模造営はなく、 この時期に平城宮で使用された軒瓦は数が少なく、 細かな組み合わせも明らかで はない (毛利光1991b)。 むしろこの時期は、 大安寺(霊亀2年) 、 元興寺(養老2年) 、 薬師寺(養老2年以前) 、 など京内の大寺 院の移建が着手ないし本格化した時期である (福山1936・太田1977)。宮内の造営が一段落したのを受けて可能になった のであろう。大安寺は、 和銅4 (711)年に焼失した大官大寺の瓦を再利用し、 不足分を6304D―6664Aで補い (森1976・中 井1997) 、 元興寺は飛鳥寺所用の「飛鳥寺ⅩⅣ」 ・6661Bと類似した6201A・6661Dを新造し (中井1997) 、 薬師寺では軒丸 瓦は6276A・ Eの笵を再利用したが、 軒平瓦は本薬師寺所用の6641Hと類似した6641G ・ Iを新造し (花谷1995) 、 不足分を 6304E―6664Oで補う形で創建瓦とした (森1976・山崎1987) ことが判明している。 ただし、 大安寺の6304D―6664A、 薬師寺の6304E―6664Oは平城宮所用の6304C・ L ・N、 6664H・K・G・ Iとほとんど同 じ、 元興寺の6201A・6661Dは「飛鳥寺ⅩⅣ」 ・6661Bの模倣、 薬師寺の6641G ・ Iは6641Hの模倣でいずれも新味に欠ける。 これに対し興福寺は、 すでに述べたように、 6301A-6671Aの年代観から見て和銅年間にある程度造営が進み、 金堂 供養が和銅7 (714)年か養老5 (721)年までか説が分かれるものの (太田1969) 、養老5 (721)年の北円堂建立にいたるま で南大門・中門・回廊などは順調に造営が進んでいたのであろう。 つまり6301A-6671Aは官寺化する前の藤原氏の私 寺の瓦とはいえ、 平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期を代表する新式デザインの瓦であった。 そこでこの時期に大宰府政庁の瓦 の文様を決定するに当たって、 6301A-6671Aをベースに、 当期に流布していた他寺の軒瓦の文様要素をも加味して新 作されたのが、 鴻臚館Ⅰ式223a―635のデザインであったと考えられる。 ②.派生する問題 鴻臚館Ⅰ式223a―635の作笵年代を平城宮・京瓦編年第Ⅰ-2期(霊亀元年~養老5年頃)並行期とすると、 大宰府政庁Ⅱ 期が屋根に瓦を葺きあげて完成した年代を霊亀元 (715) 年以降と見なすことになるが、 このことから派生する問題に触れ ておこう。 大宰府政庁Ⅱ期の造営年代について、鎌田元一氏は、 「慶雲三年格」 を検討し、慶雲3 (706)年~養老2 (718)年の 間、 西海道諸国において庸の全免と抱き合わせで「筑紫之役」 という力役徴発がなされ、 これが大宰府政庁Ⅱ期と関連 施設の造営に当たると論じた (鎌田1989)。 この説は政庁Ⅱ期の造営年代を特定する決定的立論と評価されているが (八 木2002) 、八木充氏が指摘したように、 「筑紫之役」期間と実際の造営工事期間が開始・終了の時点について多少のず れが生じることはありえるであろう。屋根が組み上がり瓦を葺くのは工事の最終段階に近く、養老2年における主要な力 役徴発の終了後でもありえよう。 とすれば、 小稿で推定した作笵年代幅が「筑紫之役」期間を超えても支障はない。 もちろ んⅡ期政庁のための造瓦が養老2年までに終了した可能性も否定はしない。 大宰府政庁Ⅱ期の四堂構成が、 平城宮中央区朝堂院の四堂構成を念頭に設計されたとみる説がある (山村1994)。奈 良時代前半の平城宮において、 中央区大極殿院は儀式、 中央区朝堂院は饗宴、東区朝堂院は日常的政務の場として 機能分化されていた (今泉1989・渡邉2006)。 これに対し、 大宰府政庁Ⅱ期建物は、 政務・儀式・饗宴のための空間を兼ねた と推定されているから (八木2002)、四堂という点から中央区朝堂院の模倣と見るのはやや問題があり、十二堂が省略さ れて四堂となった側面も考えなければならない。 中央区朝堂院の模倣と見る場合の難点はもう一つある。 中央区朝堂院 の方が大宰府政庁Ⅱ期より完成が遅れる可能性がある点である。平城宮中央区朝堂院は大極殿院の造営より一段階 遅れる。 その造営は、 まず朝堂院四周の区画とその東側の南北大溝SD3715を造り、 続いて、 区画の中に整地を行ってか ら朝堂建物を建設したことが判明している。 SD3715が霊亀元(715)年の木簡を出す土坑SK5535を切ることから区画の 造営開始は霊亀を遡らない (奈文研1982)。朝堂東第二堂SB8550の地業造営時の排水溝からⅠ-2期の軒丸瓦6303Bが 出土しているから (第140次調査) 、 朝堂建物の建設も霊亀~養老5年以降である。 この地域の正式報告書が未刊であり、 朝堂建物所用の瓦が絞り込めないが、 概報で示された出土瓦の全体的様相から見ると、 Ⅱ期(養老5年~) に下る瓦が多 そうであり、 造営の本格化はⅡ期と推定しておく。実際の工事期間はともかくとして、 中央区朝堂院を四堂構成とする基本 設計がいつ頃できていたかが問題だが、 大宰府政庁Ⅱ期の四堂構成の設計のほうが早かった可能性も大いにあるので ある。 2009 The Kyushu 30 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 Ⅳ おわりに 観世音寺も大宰府政庁でも、造営当初には建物配置の基本設計に中央からの関与があった。大宰府政庁Ⅱ期の殿 舎配置が、 当地における政務・儀式・饗宴の実際に合わせるための改変はあるものの、 藤原宮ないし平城宮の朝堂院を モデルとする点、 政庁Ⅱ期の建物が、 遷都直後の政務・儀式に間に合わせるために掘立柱とせざるを得なかった平城宮 東朝堂院に倣わず、 本来あるべき姿である礎石式基壇建物として実現されたこと、 観世音寺の伽藍配置(塔が東、金堂が 西にあって東面する) が川原寺式の系譜を引き (中金堂の位置に講堂を置くなど違いはあるが)、陸奥の郡山廃寺やそれを継承 した多賀城廃寺と基本的に同じである点、 などにもそれが現われている。 それに加えて所用軒瓦たる老司式・鴻臚館式 のデザインにも中央の関与があった。 それは郡山遺跡・多賀城・多賀城廃寺所用瓦の文様が特に畿内の宮殿や寺院と 新たな関わりを持って成立したのでないのと好対照をなし、 出現に当たっては小稿で述べたような歴史的背景があった。 ただし、 西海道と畿内との造瓦上の関わりは、 7世紀末~8世紀初頭に単発的に生じたもので、 ひとたび技術移転が果た され在地の造営組織が創設され稼動し始めると、観世音寺においても大宰府政庁においても中央からの関与はなくな る。西海道全体で見ても、平城宮との関わりは、壱岐嶋分寺の前身寺院である壱岐直の氏寺所用の6284A、豊前椿市 廃寺所用の6284Fという笵の移動の例があるが、 いずれも平城宮Ⅰ―1期に属し、 おそらくは大宰府政庁Ⅱ期の造営期に 一時的・特殊的に出現した平城宮―西海道間の製品・道具・技術の交流環境のなかで持ち込まれたものであり後続が絶 える。 このことから、 西海道諸国島の行政機構が機能する場としての政庁や官衙のモデルとすべく、 それらを総監する大 宰府およびそれを精神的に支える支援機関としての官寺・観世音寺の初期設定には国家が深く関与したものの、 国家が 目指したものは最大の出先機関としての早期の離陸であったことがわかる。 ただし、 外交に際して決して決定権は与えず 接応儀礼・外交文書発給しかさせなかったように、 自律は許さず、国家のコントロールを逸脱する危険な状況を生み出し た広嗣の乱の後に大宰府が一時的に廃止されたのは、 当然のことであった。 付 記 私が瓦について駄文を書くことに奇異の念をもたれる方もあるであろう。 しかし当人には何ら不思議はない。私は奈良 国立文化財研究所(現、独立行政法人国立文化財機構奈良文化財研究所) に約20年在職したが、 そのうち約10年間、 平城宮 跡発掘調査部考古第三調査室に在籍し、瓦の調査研究に携わった。 その間、森郁夫・山本忠尚・金子裕之・毛利光俊 彦・山崎信二・千田剛道・中村友博・上原真人・深沢芳樹・井上和人・小澤毅・岸本直文・清野孝之の諸氏に瓦について 教えて頂いた。藤原宮跡発掘調査部に在籍中は、 残念ながら瓦調査室に配属にはならなかったが、 大脇潔・佐川正敏・ 花谷浩氏に教えて頂いた。以上の皆様に今さらながら御礼申し上げたい。 また古代寺院として、 坂田寺・奥山廃寺・山田 寺・本薬師寺・若草伽藍・法隆寺西院・法隆寺東院・西大寺・頭塔・結城廃寺(茨城県結城市) の発掘調査に参加する機会 を与えて頂くとともに、 上記諸寺のほか薬師寺・興福寺・東大寺・法華寺・西隆寺の瓦に触れる機会も与えられた。誠に恵 まれた瓦漬けの環境であった。 しかし愚鈍が災いし、 発掘調査報告書の考察・事実記載以外で瓦について書くことがな かった。27年前に中村友博氏から 「お前は型にはまった奴やから、 型にはめて作る青銅器や瓦が性に合うんや」 とからか われたが、 毛利光俊彦氏と没頭した新型式認定作業で、 新種を120ほど増やしたり、 頭塔の6235M・6732Fと格闘したり、 瓦の顔を見る生活は充実していた。 このたび糟屋屯倉に来て8年目でようやく、 筑前の瓦について拙い文を書くことになっ た。諸先輩の失笑を買うのは必定であろうが、 ご批判・ご叱正頂ければ幸いである。 (2008年11月30日) 2009 The Kyushu 31 University Museum 老司式・鴻臚館式軒瓦出現の背景 The historical background of the emergence of the Rōji-style and Kōrokan-style eaves tiles 【注】 注1 大和盆地内の藤原宮瓦窯で最も早く操業を停止した日高山瓦窯で生産された6643Aaは、 粘土紐技法で、 茎の振幅が大きく、 支葉がすべ て茎から離れ、 表現に硬さがない。文様だけ見ると、 6641E・C・Fや6642A・B・C、 6643B・C・Dより古い様相を持つが、 藤原宮古段階には扁行唐 草文が見られず粘土板技法である点を勘案すれば、 中段階相当となろう。 ただし中段階の中では古手であり、 老司Ⅰ式軒平瓦と並行する様相 を持つ。) 注2 「不改常典」の意義については諸説あり論争の的である。田中卓氏は (A)皇位継承法説、 (B)近江令説、 (C) その他説に整理した (田中 1984) 。 (A) はさらに天智制定説・天智仮託説に分かれ、 内容上は直系皇位継承説・嫡系皇位継承説に分かれる。 (C) には、 天智天皇と藤原氏 の共同執政を実現・維持するための天皇家内部の口伝口授説(田村圓澄) 、 隋・唐皇帝をモデルとした天皇のあり方の規定(水野柳太郎) 、 皇位 継承者決定を天皇大権とする規定(倉住靖彦) 、 譲位を内容とする皇位継承法(佐藤宗諄) 、 皇統君臨の大原則(田中卓) がある。篠川賢氏は、 田 中氏の整理以後の研究をまとめた (篠川1995)。 それによると、 皇位継承に関わるが内容は曖昧(長山泰孝) 、 草壁嫡系を正等とする皇位継承イ デオロギー (荒木敏夫) 、 草壁嫡系の皇位継承の主張 (大和岩雄) 、 元明詔・聖武詔の「法」は直系皇位継承法、 桓武以後の「法」は「近江令」 とそ れを継承した律令法(早川庄八) 、 父子相承皇位継承法(亀井輝一郎) 、 皇位継承上の禅譲・受禅の契約関係(寺西貞弘) 、 年少の皇子の即位を 根拠付ける王権継受法(村井康彦) 、 元明詔・聖武詔の「法」は譲位に関わり、 元明詔の「食国法」 と桓武以後の「法」は律令法(池上みゆき) 、 専 制君主としての天皇のあり方(大山誠一) 、 皇太子設置と天皇の権能の定め (森田悌) 、 などである。 私は一般的皇位継承規則や律令法などではなく、 「不改常典」が登場した時点での政治的事情に深く規定された意味が付与されていたと みる。 すなわち、 元明の即位に際して文武の即位を正当化するものとして登場することが重要である。文武即位時には天武の皇子の存在や政 治経験の欠如や若さなどから反対論があったが、 藤原不比等の奔走もあり、 祖母の持統が押し切った。元明の即位は、 文武の子・首皇子の即 位までの中継ぎとしてであったが、 その際にも情勢は緊迫し平穏ではなかった (岸1966)。持統はすでになく、 他の有力候補を推す勢力に対して、 自己の即位の正当性を強く主張する何らかの理屈を作り出す必要があった。 そのために、 まず草壁直系たる文武即位の正当性を、天武の血 を引くことではなく、持統(天智の娘) を介して天智の血を引くことに求めるべく、天智が定めた「不改常典」なるものを持ち出して主張し、 その上 で、 その文武の遺志に基づくものとして自己の即位を正当化せざるをえなかったのである。 元正の即位時には「不改常典」は持ち出されず、 元明 の譲位を正当性の根拠とする。文武の息子首皇子を差し置いての元正の即位の事情は、首の即位時に母が皇族でないという抵抗を予防す べく、 首の実の母宮子になり代わって、 元正が首の養母として皇位に就いておき、 その母から首に譲位し正当化するための切り札であったという (渡邊2001)。 天武―草壁系皇統が称徳で絶え、 光仁が即位したが、 本来皇位に就けるはずがない立場であった彼の場合、 いくら正真正銘の天智系とは いえ、 「不改常典」 を持ち出す訳にはいかないから、正当性は称徳の遺詔(藤原永手・良継・百川らが偽作したものとされている) に求めるほかなかっ た。 しかし光仁を継いだ桓武にとっては、 事情は別で、 天武系から天智系への皇統の移動を新王朝の樹立と意識していただけに、 天智が定め たとされる 「法」は好都合であった。対立皇統がなくなったことで、 かえって一般的皇位継承規則と純粋化して意義付けることが可能になったの であろう。 【参考文献】 石田由紀子2008「藤原宮出土の瓦」 『 飛鳥白鳳の瓦づくりⅩⅠ―藤原宮式軒瓦の展開―』 石松好雄 1982「老司式軒先瓦について」 『 九州歴史資料館研究論集』 8 石松好雄 1987「大宰府出土の軒瓦―8世紀前半を中心に―」 『 東アジアの考古と歴史』下 同朋社 今泉隆雄 1989「再び平城宮の大極殿・朝堂について」 『 律令国家の構造』吉川弘文館 今泉隆雄 2005「古代国家と郡山遺跡」 『 郡山遺跡発掘調査報告書―総括編(1)―』 岩永省三 2008「内裏改作論」 『 九州大学総合研究博物館研究報告』 6 大岡 実 1965「奈良の寺」 『日本の美術』 7 平凡社 太田博太郎1969「興福寺の歴史」 『 奈良六大寺大観』 7 岩波書店 太田博太郎1977「大安寺の歴史」 『 大和古寺大観』 3 岩波書店 近江俊英 2000「藤原宮の造瓦(上) (下)」 『 古代文化』52-7・9 大脇 潔 1978「屋瓦の製作地」 『 飛鳥・藤原宮発掘調査報告Ⅱ』 小田和利 2002「考察(2)土器」 『 大宰府政庁跡』 小田富士雄1957・58「九州に於ける大宰府系古瓦の展開」 『 九州考古学』 1~6 ・13 小田富士雄1961「豊前における新羅系古瓦とその意義」 『 史淵』85 小田富士雄1998「古瓦からみた井上廃寺建立諸問題」 『 井上廃寺Ⅰ』 小田富士雄2006「筑紫・観世音寺創建年代考」 『 古文化談叢』55 梶原義実 2002「国分寺造営期の瓦供給体制」 『 考古学雑誌』86-1 鎌田元一 1989「平城遷都と慶雲三年格」 『日本の前近代と北陸社会』思文閣出版 岸 俊男 1966「元明太上天皇の崩御―八世紀における皇権の所在―」 『日本古代政治史研究』塙書房 九州歴史資料館1984『 大宰府史跡昭和58年度発掘調査概報』 九州歴史資料館1985『 大宰府史跡昭和59年度発掘調査概報』 九州歴史資料館1991『 大宰府史跡平成2年度発掘調査概報』 九州歴史資料館2000『 大宰府史跡出土軒瓦・叩打痕文字瓦型式一覧』 倉住靖彦 1973「大宰府出土の木簡」 『 西日本文化』103 栗原和彦 1991「観世音寺出土の偏行忍冬唐草文軒平瓦」 『 九州歴史資料館研究論集』16 栗原和彦 1993「筑紫観世音寺出土の軒瓦」 『 論苑考古学』天山舎 2009 The Kyushu 32 University Museum Shozo IWANAGA 岩 永 省 三 栗原和彦 1995「大宰府式鬼瓦・老司式軒瓦・鴻臚館式軒瓦」 『 王朝の考古学』雄山閣出版 栗原和彦 1997「偏行忍冬唐草紋と宝相華紋―筑前大分廃寺出土新羅系軒瓦の検討―」 『 九州歴史資料館研究論集』22 栗原和彦 2002「瓦塼類」 『 大宰府政庁跡』 斎部麻矢 2008「九州における老司式軒瓦の展開」 『 第11回古代瓦シンポジウム 飛鳥博法の瓦づくりⅩⅠ―藤原宮式軒瓦の展開―』 狭川真一 1993「大宰府の造営」 『 古文化談叢』31 佐川正敏 2002「軒丸瓦」 『 山田寺発掘調査報告 本文編』 篠川 賢 1995「皇統の原理と 「不改常典」」 『日本古代の社会と政治』吉川弘文館 杉原敏之 2007「老司Ⅰ式軒瓦」 『 観世音寺―考察編―』 高倉洋彰 1983「筑紫観世音寺史考」 『 大宰府古文化論叢』下 吉川弘文館 高橋 章 1983「鴻臚館系瓦の様相」 『 大宰府古文化論叢』下 吉川弘文館 高橋 章 2007a「観世音寺金堂の創建年代について (第1~3節)」 『 観世音寺―考察編―』 高橋 章 2007b「筑紫観世音寺軒先瓦の編年と課題」西日本古瓦研究会発表資料 田中 卓 1984「天智天皇の不改常典」 『 神道史論叢』国書刊行会 奈 文 研 1982『 平城宮発掘調査報告』 ⅩⅠ 奈 文 研 1983『 南都七大寺出土軒瓦型式一覧(1)法隆寺』 奈 文 研 1987『 薬師寺発掘調査報告』 奈文研・奈良市1996『 平城京・藤原京出土軒瓦型式一覧』 西村強三 1984「観世音寺鐘・妙心寺鐘と椅寺鐘」 『 九州歴史資料館 開館十周年記念展 国宝観世音寺鐘とその時代―九州の飛鳥・白鳳・天 平―』 花谷 浩 1991「軒平瓦の変遷」 『 平城宮発掘調査報告ⅩⅢ』奈良国立文化財研究所 花谷 浩 1992「白鳳時代の瓦」 『 法隆寺の至宝――昭和資材帳』15 小学館 花谷 浩 1993「寺の瓦作りと宮の瓦作り」 『 考古学研究』40-2 花谷 浩 1995「出土古瓦よりみた本薬師寺堂塔の造営と平城移建について」 『 展望考古学』考古学研究会 花谷 浩 1996a「藤原宮」 『 古代都城の儀礼空間と構造』奈良国立文化財研究所 花谷 浩 1996b「本薬師寺の発掘調査」 『 仏教芸術』235 花谷 浩 1998「藤原宮」 『 古代都市の構造と展開』 林 正憲 2007「若草伽藍から西院伽藍へ―年代論の再整理―」 『 法隆寺若草伽藍跡発掘調査報告』奈良文化財研究所 林部 均 2001「瓦からみた藤原宮の造営」 『 古代宮都形成過程の研究』青木書店 福山敏男 1936「大安寺及び元興寺の平城京への移建の年代」 『 史蹟名勝天然記念物(十一の三)』 (1968『日本建築史研究』再録) 福山敏男 1968「興福寺の建立」 『日本建築史研究』墨水書房 松川博一 2002「考察(3)木簡」 『 大宰府政庁跡』九州歴史資料館 真野和夫 1996「田川市天台寺跡出土軒瓦の唐草文の系譜について」 『 大分県立宇佐風土記の丘歴史民俗資料館研究紀要』 9 森 郁夫 1976「平城京における宮の瓦と寺の瓦」 『 古代研究』 8 森 郁夫 1983「老司式軒瓦の系譜」 『 大宰府古文化論叢』下巻 吉川弘文館 森貞次郎 1983「筑前観世音寺鐘考」 『 大宰府古文化論叢』下巻 吉川弘文館 毛利光俊彦1991a「軒丸瓦の変遷」 『 平城宮発掘調査報告ⅩⅢ』奈良国立文化財研究所 毛利光俊彦1991b「平城宮・京出土軒平瓦の再編年」 『 平城宮発掘調査報告ⅩⅢ』 毛利光俊彦1992「奈良時代の瓦」 『 法隆寺の至宝――昭和資材帳』15 小学館 八木 充 2002「筑紫における大宰府の成立」 『 大宰府政庁跡』九州歴史資料館 薮中五百樹1990「奈良時代に於ける興福寺の造営と瓦」 『 南都仏教』64 山崎信二 1983「後期古墳と飛鳥白鳳寺院」 『 文化財論叢』同朋舎 山崎信二 1987「考察 屋瓦」 『 薬師寺発掘調査報告』奈良国立文化財研究所 山崎信二 1995「藤原宮造瓦と藤原宮の時期の各地の造瓦」 『 文化財論叢Ⅱ』同朋舎出版 山村信榮 1994「大宰府成立論―政庁第Ⅱ期における大宰府の成立―」 『 牟田裕二君追悼論集』 山村信榮 1995「八世紀初頭の諸問題―筑紫における須恵器の年代観―」 『 大宰府陶磁器研究―森田勉氏追悼論文集―』 山本忠尚 1996『日本の美術第358号 唐草紋』至文堂 横田賢次郎2002「考察(1)遺構」 『 大宰府政庁跡』九州歴史資料館 横田賢次郎・石丸洋 1995「国宝 観世音字鐘と妙心寺鐘」 『 九州歴史資料館研究論集』20 吉村靖徳 2003「成立期の大宰府政庁に関する試論」 『 九州考古学』78 渡辺正気 1988「鴻臚館式軒平瓦の成立と大宰府の造営」 『 昭和63年度九州史学会発表資料』 渡邊晃宏 2001 『平城京と木簡の世紀』講談社 渡邉晃宏 2003「平城宮大極殿の成立」 『 奈良文化財研究所紀要2003』 渡邉晃宏 2006「平城宮中枢部の構造―その変遷と史的意義―」 『 古代中世の政治と権力』吉川弘文館 【図面出典】 図1:九歴 2000。図2:奈文研・奈良市 1996、九歴 2000。図3:栗原 1991、横田・石丸 1995、栗原 1997、九歴 2000。 図4:奈文研 1983、奈文研・奈良市 1996、九歴 2000。 2009 The Kyushu 33 University Museum 九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 7, 035-084, 2009 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の 日本での分布状況と移動方法 付録 −農林水産省植物防疫所植物検疫統計− 輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 松隈明彦 (九州大学総合研究博物館) 武田悟史 (九州大学理学府地球惑星科学専攻) An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Akihiko MATSUKUMA Satoshi TAKEDA 九州大学総合研究博物館:〒 812-8581 福岡市東区箱崎 6-10-1 The Kyushu University Museum, Hakozaki 6-10-1, Higashi-ku, Fukuoka 812-8581, Japan Ⅰ はじめに 近年、 世界的な交通手段の発達と物流の増大に伴い、 世界各地の動植物が容易に他地域へ移動するようになり、 在 来の生態系のかく乱のほか、農作物の食害や人の健康被害(寄生虫、不快害虫) などが懸念されている。例えば、福岡県 では、 世界の侵略的外来種ワースト100に含まれる南米原産のスクミリンゴガイPomacea canaliculata(Lamarck, 1819) が県下全域に広がり、 田植え直後の稲苗への食害が発生するとともに、在来種であるマルタニシの減少との関連がとり ざたされている (松隈, 2005b)。2007年には、 これまで沖縄や奄美諸島、 小笠原諸島でしか生息が確認されていなかった アフリカマイマイAchatina fulica(Férussac, 1821) が鹿児島県指宿市及び出水市で発見されて、 農作物や健康への被害 が問題となった。 オオクビキレガイRumina decollata(L., 1758) は、 地中海沿岸地域を原産国として世界中の地中海性気候や温暖湿潤 気候の地域へ広がった陸生の腹足類である (図1)。我国では1988年に初めて福岡県北九州市戸畑区で生息が確認さ れた。西日本では福岡県を中心に佐賀県、 大分県、 熊本県、 山口県に分布し、 その後、 近畿地方(和歌山県) や関東地方 (千葉県) でも定着が確認されており、 徐々に生息地を拡大している (図2)。 2009 The Kyushu 35 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 (Matsukuma, A., 2006 MS) 図1.世界のオオクビキレガイの分布。○:一時的移入。 Fig. 1. Worldwide distribution of Rumina decollata. Circle(○)shows a temporary introduction, not settled. 図2.日本のオオクビキレガイの分布。 Fig. 2. Distribution of Rumina decollata in Japan. 2009 The Kyushu 36 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 オオクビキレガイは、 南欧や北米の半乾燥地域では “栽培植物のあまり深刻ではない害虫a minor pest of cultivated plants(Barker & Efford, 2004: 306)” と考えられている。福岡県ではこれまで、 オオクビキレガイは直接健康や農作物の被 害にはつながらないが、 生活感覚に不快感を与える害虫 (不快害虫) と考える人が多かった。 しかしながら、 2005年ころか ら、 北九州市や宗像市、 古賀市などでは生息密度が急速に高まり、 花壇の花や農作物、 特に発芽直後の芽生えや野菜 苗、 サツマイモなど根菜類の食害が問題となってきている。和歌山県では、 田辺市下三栖前代周辺の畑で、 野菜苗の被 害のほか、 収穫用ネットに落ちた特産の梅の実の食害が発生している。 オオクビキレガイは、 結球性レタスへの嗜好性が 強いことから、 今後、 香川県などのレタス産地へ入った場合、 他の野菜とは比較にならない深刻な農業被害の発生が懸 念される。 移入種の移動経路や移動方法を知ることは、 在来の生態系の保全、 人の健康や生活へ悪影響を及ぼす恐れのある 生物の侵入・蔓延を防ぐ上で極めて重要なことである。 しかしながら、 わが国に広く分布する比較的近年侵入した陸・淡 水生貝類でさえ、 それらの侵入経路・方法が分かっているものは少ない。特定外来生物法の未判定種リストに掲載され たオカクチキレガイ科中でリストから除外されているオオクビキレガイについては、 発見以来様々な推測がされながら、 未だ に侵入経路・方法が分かっていない。 オオクビキレガイの食害が発生し始めた現在、野外での分布状況を正確に掴むと 共に、 公開されている検疫統計や論文に基づき、 移動経路・方法に関する研究を緊急に行い、 今後の推移に注意を払う 必要がある。 図3.西日本のオオクビキレガイの分布。 Fig. 3. Rumina decollata of southwestern Japan. ◎:活動観察地(二丈町,1)、観察地近くのアメダス観測地点(前原市,2)、 福岡管区気象台(3)。 2009 The Kyushu 37 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Ⅱ 陸生貝類の拡散 生物の分布域の拡大には、生物自身の運動による自力拡散と、主として風、流水、人を含む他の動物の運動を利用し た他力拡散(表1) がある(Elton, 1958; Rees, 1965)。他力拡散には、 生物による拡散(人が関与する人為的拡散や人以外の動 物による拡散) 、 及び自然の営力による拡散(非生物的拡散) がある。人為的拡散は、 更に意図的人為的拡散と非意図的人 為的拡散に分けられる。 表1.非海産貝類の人為的拡散と非人為的拡散. Table 1. Anthropochorous and non-anthropochorous dispersal of non-marine mollusks. 方法・目的 移入種 ・ウスカワマイマイ Acusta despecta (Sowerby) 植物に付着・混入 With plants ・マジョルカコマイマイ Theba pisana (Mueller) 非意図的拡散 Unintensional 備考 国際 国際 豪州―神戸(鈴木, 1979) 国際 イタリア―英国 国際 Robinson, MS 国内、国際 Fig. 5 国際 台湾―日本 国際 台湾 ・ Helix asperta Born 国際 イタリア―クレタ島 ・ヒメリンゴマイマイ Helix aspersa Mueller 国際 イタリア―クレタ島 国内、国際? カリフォルニア州 国際 バーミューダ島 国内 古川・増野(2004) 国内 北九州ー那覇 国際 東南アジア、中国-関東、関西 国内 33m/year(Tupen & Roth, 2001) 80m/year(Fisher et al., 1980) 国内 数百メートル程度 (地形による制約) ・ ドブシジミ類、シジミ類 Sphaerium sp., Corbicula sp. 国内 園原(2005)など Velesunio ambiguus (Philippi) 国内 Cotton(1961) ・オオクビキレガイ Rumina decollata (L.) 瓦などに付着 With tiles 移動の規模 ・オオクビキレガイ Rumina decollata (L.) コンテナその他 Conntainer 愛玩用(ペット) Pet ・アフリカマイマイ Achatina fulica (Férussac) ・スクミリンゴガイ Pomacea canaliculata (Lamarck) 食用・薬用 Food and medicinal 人為的拡散 Anthropochorous 意図的拡散 Intensional ・アフリカマイマイ Achatina fulica (Férussac) ・オオクビキレガイ 生物農薬 Biocontrol agent Rumina decollata (L.) ・ヤマヒタチオビガイ Euglandina rosea (Férussac) 信仰・習俗 Religion, manners and customs ・シーボルトコギセル Phaedusa sieboldtii (Kuester) ・オオクビキレガイ 研究・趣味 Research and hobby Rumina decollata (L.) ・各種陸貝 various land snails 郵便その他 Letter ・オオクビキレガイ 自力拡散 非人為的拡散 Non-anthropochorous Rumina decollata (L.) ・オオクビキレガイ 雨水、坂 非人為的他力拡散 Rumina decollata (L.) 動物(鳥、イノシシ) Birds, mammals etc. 1. 自力拡散 国内のオオクビキレガイの分布地を微視的に見れば、 規模は様々であるが、 どこでも複数の個体が面的な広がりを持っ て分布している。雌雄同体のオオクビキレガイは、 他の陸貝と異なり、 自家受精が普通に起る(Selander & Kaufman, 1973; Selander et al., 1974) 。 このことから、 初め点として侵入したオオクビキレガイが、 時間の経過と共に個体数を増加させ、 分 布域を広げたことが分かる。 オオクビキレガイが、 均質な場をランダムに動き回ると仮定すれば、 存在の確率分布は、 スター ト地点を中心とした正規分布となる。個体数が時間の経過と共に指数関数的に増大し、一定面積に生息できる個体数 が有限であると仮定し、 単位面積当たり一定の個体数に達した時、 我々はオオクビキレガイが分布すると認識できるとす れば、 分布範囲は時間と共に拡大する。 2009 The Kyushu 38 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 春から秋へかけての夜間や雨の後には、 オオクビキレガイは活発に動き回り、 室内での短時間の観察よれば、 オオクビ キレガイの歩行速度は10cm/min.以上ある。 オオクビキレガイが半年間、 1日当たり12時間夜だけ活動し、 上記のスピード で同一方向へ動いたとすると1年後の到達距離は約13kmになるが、 実際には同一方向へ歩み続ける確率は劇的に減 少し、 途中に生息に適しない山地や市街地、 水田などが存在することを考えれば、 自力による拡散速度はこれよりもはるか に小さいことが予想される。実際に、 合衆国での研究によれば、 オオクビキレガイの自力による拡散速度は極めて小さく、 カ リフォルニア州の本土の研究例で80m/year(Fisher et al., 1980) 、 サンニコラス島で33.3 m/year(Tupen & Roth, 2001: 403) と報告されている。 2. 他力拡散―人為的拡散 (1)非意図的人為的拡散 陸産貝類には畑や人家周辺に分布するが、 人手の入らない山中には分布しない種類がある。 ウスカワマイマイやオナ ジマイマイは栽培植物によって分布地を広げ、 コハクガイ類やオカチョウジガイ類もまた人の生活と密接に関係する種類 だといわれている (鈴木, 1979)。 合衆国のオオクビキレガイは、1800年代初頭に地中海沿岸地域から入ったといわれ(Fisher, 1966: 16)、1813年には 東部の北カロライナ州(Bequaert & Miller, 1973: 143) 、 又は南カロライナ州(Batts, 1957: 74; Cowie, 2001: 27) に分布してい た。恐らく、 南ヨーロッパからの移民が故郷の動植物を持って移住する際に偶然紛れ込んだものと思われる(Karl-Heinz Beckmann and Michael Hoeller, pers. comm., 2006) 。 その後、 オオクビキレガイはコットン・ベルトを経由して徐々に南部から西 部へ広がり、 1950年代半ばにはカリフォルニア州に達した (Fisher & Roth, 1985; Tupen & Roth, 2001: 401)。 カリフォルニア 州で行われたオオクビキレガイ移入初期の調査によれば、 敷地内にオオクビキレガイが生息する一軒の家では、 アリゾナ 州の既にオオクビキレガイが分布していた地域から鉢植えの羊歯を持ち込んだことがわかった。 このように、既分布地か ら鉢物などと共にカリフォルニア州に持ち込まれ、 熱心な園芸家同士の植物の交換を通して非意図的、 偶発的に分布域 が拡大していった(Fisher, 1966: 16)。 合衆国の検疫では、 オオクビキレガイはこれまでに15回発見されており、 スペインなど南ヨーロッパから輸入される屋根 瓦等に付いて偶発的に入ってきている (David Robinson, pers. comm., 2006, 2008)。 中国では、 オオクビキレガイは上海市徐匯地区岳陽路科技図書館構内(陳・高, 1987) ・五官病院(三島・平井, 2008.12.3採 集) ・同区桃江路上海科学器材公司( 三島・平 井, 2008.12.3採集) 、黄浦地区北京東路上海友 誼商店付近(Beckmann, 1989, 2001) 、 静安地区 烏魯木斎北路上海賓館裏(三島・平井, 2008.12.2 採集) で採集されている。黄浦地区、 静安地区、 徐匯地区、廬湾地区の公園などには現在でも 普通にいると思われる。岳陽路・桃江路はかつ てのフランス租界、北京東路・烏魯木斎北路は 英米共同租界に含まれ、 1840年代から欧米人 が居留した。 これ等の地域のオオクビキレガイ は、欧米人が南ヨーロッパ或いは合衆国から 土付きの植物を持ち込んだ際に偶然紛れ込 んできたものと思われる (Karl-Heinz Beckmann 図4.中華人民共和国上海のオオクビキレガイ。 Fig. 4. Rumina decollata in Shanghai, People’s Republic of China. and Michael Hoeller, pers. comm., 2006) 。 2009 The Kyushu 39 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 イギリスでは、 2005年3月、 サウスウエールズ州ケルフィリの園芸店で購入したイタリアから輸入されたラベンダーからオ オクビキレガイの幼貝が見つかった (Seddon & Pickard, 2005: 714)。 ラベンダーの根元の土にいたオオクビキレガイが、 植物 と一緒に偶発的にイギリスへ運ばれてきたものと思われる。発見されたときオオクビキレガイは既に死んでおり、気温の低 いイギリスに定着することは無かったが、土付きの植物を輸入する園芸店は、移入種が入ってくる重要なルートの一つと なることを示している。 (2)意図的人為的拡散 意図的人為的拡散とは、 人が様々な目的のために、 非分布地域へ意識的に生物を持ち込むものである。例えば、 シイ ボルトコギセルの日本海沿いの分布には、 北前船の運航の際に航海の安全を祈る民間信仰が関係していると考えられて いる (古見・増野, 2004)。 カリフォルニア州では現在、南部の12郡でオオクビキレガイの持ち込み、持ち出し、 および所有、移動が認められてい る。 このため、 多くの業者が蜜柑園の害貝ヒメリンゴマイマイ Cantareus aspersus(Mueller) の駆除のためにオオクビキレ ガイを生物農薬として販売しており、 オオクビキレガイの合衆国内での拡散の第1の原因となっている( David Robinson, pers. comm., 2008) 。 インターネットを利用した通信販売はカリフォルニア州外からも利用されており、 合衆国内は元より世界 中にオオクビキレガイを拡散させる可能性がある。 陸貝による農作物の食害を防ぐため、 捕食性の陸貝を生物防除の行為者として人為的に導入する例は、 オオクビキレ Euglandina rosea(Férussac) ガイ以外にも多い (Barker & Efford, 2004)。 しかしながら、 は、 アフリカマイマイの防除に効 果が見られず、 その地域固有の陸貝に深刻な影響を与えるなど弊害が問題となっており、陸貝の導入は慎重な取り扱 いが必要である (Cowie, 2001)。 オオクビキレガイによるヒメリンゴマイマイの駆除に関しても効果を疑問視する意見がある (Cowie, 2001; David Robinson, pers. comm., 2006)。 南アフリカケープタウンで発見された一時的なオオクビキレガイの個体群は、 その侵入方法は明らかにされていない が、 何らかの違法な持込みがあったと考えられている (Herbert & Kilburn, 2004; Herbert, pers. comm., 2006)。 アフリカマイマイでは食用や薬用、愛玩物 ( ペット) としての持ち込み( 図5)が知られてい る。 わが国へのスクミリンゴガイ持ち込みの目的 は、食用のための養殖を行うことであった。 この ほか、貝類愛好家や研究者が標本作成や研 究のために持ち込む場合があるが、 「植物防 疫法」、 「絶滅のおそれのある野生動植物の 種の国際取引に関する条約」 (いわゆるワシントン 条約) 、 「外来生物法」の規定を厳密に守り、国 外からの生きた貝類の持込みは無闇に行うべ きではない。持ち込んだ貝類が逃げ出して、農 業や人の健康、在来の生態系等への被害を 引き起こすことなど無いようにしなければならな 図5.バルセロナの路上でペットとして売られているアフリカマイマイ。 Fig. 5. Achatina fulica (Férussac) sold as a pet by Euro 15.00, at a temporal shop of Las Ramblas near Placa de Catalunya, Barcelona on 30 July 2006. い。 オオクビキレガイについては、 北九州市小倉南区から生貝200頭、 死殻200個が、 2006年9月に研究用として識名公園 東方の那覇市真地(まあじ)在住の研究者へ送られた。年間を通じて活動が可能な沖縄県では、 逃げ出して農作物に被 害を与えないように分布域に関する注意深い観察が必要である。 2009 The Kyushu 40 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 3. 他力拡散−人為的拡散以外 (1) 自然の営力による拡散 Rees(1965) によれば、 台風やハリケーン、 竜巻などによって淡水産二枚貝や昆虫などが中・長距離運ばれる現象は、 ヨーロッパやアジア、 オーストラリア、 南米などで古くから記録がある。 しかしながら、 オオクビキレガイが気象学的な要因に よって運搬された例は知られていない。 宗像市や古賀市での観察に拠れば、 低い丘陵地を開発して作られた住宅地では、 道路や排水溝を雨水が流れ、 雨の ときに道路や排水溝へ這い出したオオクビキレガイが斜面を流されている状況が確認された。雨水による拡散の速度は、 自力による拡散の速度より遥かに大きく、 1日で数10mから数100m動くこともあると思われるが、 地形による制約が働き、 せ いぜい数100m規模の拡散しか起こらないと思われる。 (2)人以外の動物による拡散 陸・淡水産貝類については、鳥や蛙、哺乳類、昆虫など動物による拡散の例が報告されている (e.g. Kew, 1893; Rees, 1965) 。例えば、 Cotton(1961: 89, fig. 76) は、 水鳥の足に付いて移動していたVelesunio ambiguus(Philippi, 1847) の成貝 を図示している。園原(2005) は、 外国産のシジミの稚貝が水鳥の足に付いて運ばれる可能性を論じた。庭の手水鉢にい つの間にか発生して驚かせるドブシジミSphaerium sp.は、 水浴びに来る小鳥の足についてきたと考えられる。 ぬた場で泥 を体に塗りつけるイノシシは、 大量のドブシジミを一つの泥場から他の泥場へ運ぶことが容易に想像される。 Rees(1965) は、 ナミオカタマキビPomatias elegans(Mueller, 1774) やRenea moutoni Dupuy, 1849の蓋に肢を挟ま れたマルハナバチ類が、陸産貝類を短距離運搬する例を記録し、 コスタリカのAdelopoma costaricensis Bartsch & Hendersonがノース・カロライナで昆虫採集用のライトトラップで捕獲された (Haas, 1947) ことに触れている。 オオクビキレガイが、 昆虫や鳥など人以外の動物によって運搬された例はこれまで観察されていない。 4. 拡散速度 福岡県内のオオクビキレガイの分布に基づいて計算された拡散速度は3-4km/yearであり (松隈ほか, 2005) 、 飼育槽の 壁を這うオオクビキレガイの歩行速度から考えて、 荒唐無稽な数字ではない。 しかしながら、 この数字は、 アメリカで見積も られた自力拡散速度33.3~80m/year(Fisher et al., 1980; Tupen & Roth, 2001) の50~100倍大きい。福岡県内のオオク ビキレガイの拡散は、 (1)分布のパターンが北九州市に近いところでは連続的であるのに対して、周縁部では局所的で あること、 (2)宗像市でも3号線から離れると、 地形的制約が特にない場合でも局所的分布を示すこと、 (3)聞き取り調査 の結果、非意図的に人が関与していることが明らかになったことから、主として他力拡散であると考えられる。従って、福 岡での拡散速度は人為的拡散の速度を表していることになる。 2009 The Kyushu 41 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Ⅲ 日本国内でのオオクビキレガイの分布状況 日本での2008年現在のオオクビキレガイの分布状況は以下の通りである。 ◎福岡県 北九州市(門司区、小倉南区、小倉北区、戸畑区、八幡東区、八幡西区、若松区) ;中間市(扇ヶ浦、土手ノ内、長津、中尾、中間) ;鞍 手郡(鞍手町) ;遠賀郡(遠賀町、水巻町、岡垣町) ;宗像市(青葉台、大井台、河東、自由が丘、城西が丘、須恵、葉山、ひかりが丘、三 倉、 神湊) ;京都郡(苅田町) ;行橋市(北泉、下稗田、中央、南泉、南大橋) ;築上郡(椎田町、築城町、吉富町);豊前市(赤熊、野田、 八屋) ;直方市 (上境、感田、下境) ;田川郡 (大任町、川崎町、香春町、添田町) ;田川市 (夏吉、弓削田) ;若宮市 (旧宮田町) ;飯塚市 日吉、舞の里) (勢田、桂川町) ;福津市(勝浦、高平、中央、津屋崎、西福間、東福間、星が丘、若木台) ;古賀市(今の庄、千鳥、 ;糟屋 郡(志免町、新宮町) ;福岡市(東区、博多区、中央区、南区、早良区、西区) ;春日市(須玖北) ;太宰府市(三条、長浦台、向佐野) ;筑 紫郡(那珂川町) ;筑紫野市(二日市中央) ;三潴郡(大木町)。 オオクビキレガイは、 1988年に北九州市戸畑区で初めて確認されて以来、 分布域を徐々に拡大しており、 県北部で は水田地帯、 山地を除くほぼ全域に分布するようになった (湊・魚住, 1991;奥村・三宅, 1993;魚住, 1996, 1998;山崎, 2003a, b;松 隈, 2005, 2007, 2008;松隈ほか, 2005;松隈・武田, 2007) 。1989年に小倉北区篠崎2丁目で多数生息しているのを見かけたと いう情報があり、 戸畑区以外にも生息していた可能性があるが、 標本や写真等での確認はされていない。 現在、 オオク ビキレガイは、 北九州市から国道3号線に沿って約50km離れた福岡市東区和白付近まで、 10号線沿いには北九州 市から豊前市まで、県道22号線沿いには北九州市から田川市付近までほぼ連続的に分布している。他方、北九州 市から離れた福岡市、 春日市、 太宰府市、 筑紫郡、 筑紫野市、 三潴郡では局所的に不連続に分布している (図3)。特 に筑紫郡では1戸の家庭菜園、 筑紫野市では1戸の庭、 三潴郡では約50m四方の民家の庭や畑と、 オオクビキレガイ 分布地は極めて局所的、 限定的である。 ◎佐賀県 小城市芦刈町。家庭菜園、 畑。分布は東西約100m、 南北50m程度と極めて局所的である。 ◎熊本県 荒尾市宮内。旧外構工事会社敷地および周辺民家の菜園。東西約80m、南北180mの範囲に分布(松隈・武田, 2007)。 玉名郡長洲町、岱明町付近で見かけたという情報があり現地調査を行ったが、分布を確認することはできなかっ た。 ◎大分県 中津市(相原、湯屋) 、 宇佐市(金屋)。花壇、 家庭菜園。各地域の分布は局所的である。 ◎山口県 下関市(一ノ宮本町、豊北町、山の田南町);山陽小野田市(西高泊) ;宇部市(上宇部、北迫新町、際波、琴芝、小羽山、妻崎開 作、 常盤、 床波、 開、 丸尾、 南小羽山) ;山口市(赤妻町、大内御堀、佐山、松美町;嘉川、名田島) ;周南市(泉原町)。 宇部市では北九州市に次いで古く、 1992年から生息が確認されており (増野, 1992;保坂, 1996) 、 現在同市では連続 的・面的に広く分布している。 その後、 下関市山の田、 豊北町(増野, 2008) 、 山口市、 周南市でも見つかったが、 これら の地域の分布は局所的である。下関市一ノ宮本町、 山の田南町は隣接する北九州市からの移入の可能性が高く、 同市北部の豊北町への拡散の経緯は不明である。山口市から宇部市にかけては数箇所でオオクビキレガイの分布 が確認されており、 宇部市から何らかの方法で入ってきたと思われる。周南市の分布は極めて局所的ある。 ◎和歌山県 田辺市下三栖(江川・玉田, 2004) ・三反田・植田、 秋津町、 文里に定着。西牟婁郡白浜町京都大学瀬戸臨海実験所 北側の海岸で死殻が3回採集された (湊ほか, 2002、湊ほか, 2005、久保田信氏談, 2008)。 2009 The Kyushu 42 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 下三栖・三反田・植田では東西830m、南北330m程度の範囲の梅畑、果樹園、菜園にほぼ全面に分布。秋津町で は東西約100m、 南北90mの範囲の果樹園、 貸し農園、 庭に分布。文里では東西110m、 南北280mの範囲の梅畑、 菜 園に分布。 ◎千葉県 君津市(松隈, 2008b)。庭、 家庭菜園に定着。東西約140m、 南北140mの範囲に局在。 富津岬北側の海岸、又は富津漁港で2006年6月に死殻を拾ったという情報(福田宏氏談) がある。標本は未確認で あるが、 君津市に隣接する地域であり、 近くに生息するか、 或いは死殻が流れ着いた可能性は高いと思われる。 ◎その他 広島県江田島市がんねの海水浴場で死殻を拾ったという情報(大須賀健氏談) があるが、 標本は未確認である。同 海水浴場、 および江田島一帯で現地調査を試みたが、 死殻、 生貝とも採集できなかった。 Ⅳ オオクビキレガイの日本への侵入経路・方法 湊・魚住(1991) は、 北九州市へのオオクビキレガイの侵入の経路・方法として、 輸入される工業原料に混入していた可 能性、及び戸畑区が遠洋漁業の基地であることから、漁船によって西アフリカ付近からもたらされた可能性を指摘した。 山崎(2003a,b) は、 北九州市のオオクビキレガイの生態に関する詳細な報告を行い、 北米からの侵入を考えた。 山口県宇部市でのオオクビキレガイの生息を報じた増野(1992) は、 宇部市が北九州市と同様に海外からの工業原料 の輸入地であることに触れている。 その後、 山口県内での分布域の拡大を報じた論文 (増野 2001) では、 花壇や菜園用の レンガなどの隙間に入ってヨーロッパから侵入した可能性を指摘した。 保坂(1996) は宇部市内のオオクビキレガイについて、 国外から工業原料に付いて人為的に侵入したと考えた。 和歌山県田辺市下三栖のオオクビキレガイについては、 梅畑に北米からの木材の輸入港である文里港に近い田辺市 たきない (旧・新庄町滝内) からの客土があったため、 客土と一緒に運び込まれた可能性が考えられたが、 客土元及びその 周辺からはオオクビキレガイは確認されなかった (江川・玉田, 2004)。 その後、 松隈・池辺・湊らの調査で文里港西側でオオ クビキレガイの生息が確認された (松隈・武田, 2007) が、 どこから、 どのような方法で入ったかは不明である。 これまで、 わが国へのオオクビキレガイの侵入経路・方法としてさまざまな可能性が指摘されたが、 具体的な資料を伴う ものは無い。現在、 日本各地のオオクビキレガイ及び地中海沿岸各国のオオクビキレガイの遺伝学的特徴の検討が進行 中である。 2009 The Kyushu 43 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Ⅴ 国内でのオオクビキレガイの拡散方法 魚住( 1996) は、福岡県のオオクビキレガイの分布が戸畑、鐘崎、福間など海岸沿いに広がっていることを指摘した。 Welter-Schultes(1998) は、 クレタ島の移入貝類が海岸沿いに分布域を拡大する現象について、 砂浜に引き上げられた 小船に陸貝が侵入し、 他の海岸へ移ることを述べている。 しかしながら、 論じられているクレタ島の人為的移入貝類が数 千年の時間を経過しているのに対して、 福岡県のオオクビキレガイは侵入からたかだか20年余りのことである。西日本で のオオクビキレガイの分布域が沿岸部に多いという現象(図3) は、 対馬暖流に洗われる沿岸部が内陸部より温暖で生息 に適すること、 海岸沿いに主要な道路が走っており物資の運搬量が多くて拡散の機会に恵まれていることなど気候や物 流に関係する要因が影響している可能性が高い。 山口県内でのオオクビキレガイの分布域の拡大について、 増野(2001) は野菜・花苗に付いて北九州市から移動した可 能性、 及び生息が確認された場所に1995年頃あった青果市場に入荷する全国の野菜類のどれかに混入していた可能 性を指摘した。 保坂(1996) は、 宇部市内のオオクビキレガイについて、 苗や刈り取った雑草の搬送が分布域拡大の要因と考えた。 田辺市下三栖地区では、梅畑の林床に雑草が生えるのを防ぐために杉皮が一面に敷かれている。古い杉皮は畑の 隅に積み上げられており、 バーク堆肥として他の畑にも撒かれる。 杉皮バーク堆肥の間にはオオクビキレガイが生息してお り、 これを別の畑に撒くことにより非意図的人為的に徐々に分布域が拡大している (図6)。 図6.和歌山県田辺市下三栖の梅林に撒かれた堆肥。 Fig. 6. Bark-compost in an ume-plum orchard in Shimomisu, Tanabe, Wakayama Prefecture. 福岡県で行ったオオクビキレガイに関する約300件の聞き取り調査によれば、 非意図的にオオクビキレガイの卵、 稚貝、 成貝を移動させたと考えられる例が多数あった (表2)。特に、 オオクビキレガイの分布が不連続で局所的である分布地 周縁地域での聞き取り調査では、 既分布地域に住む親族や友人から花や野菜苗、 植木を貰った例が数件あり、 苗や植 木の根の周りの土に混入して既分布地から未分布地へ移動したことが予想される。 また、苅田町に新しくできた旭ヶ丘 ニュータウンでオオクビキレガイの生息が確認されているが、 このニュータウンでは北九州市から引越ししてきた人が多く、 庭木、 植木鉢、 プランター等に入って住民と共に移動してきたことが考えられる。 同様に、 北九州市内および同市から比較 的近い宗像市、 福津市で新たに丘陵地を切り開いて作られた新興住宅地で発見されたオオクビキレガイについても、 既 存のオオクビキレガイ分布地から引越し荷物と共に移動してきたことが考えられる。 君津市には大規模な工場が多数あり、 北部九州からの転勤者と共に入ってきた可能性がある。 2009 The Kyushu 44 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 表2.国内でのオオクビキレガイの人為的移動 Table 2. Anthropochorous dispersal of Rumina decollata in Japan. 方 法 地 域 備 考 行橋市 小倉南区から苗と一緒に運んだか 京都郡苅田町から花苗を移動 福岡市東区 行橋市から苗を移動 津屋崎町からブロッコリー苗を移動 花 ・ 野菜苗、鉢物、植木の交換 福岡市南区 遠賀郡水巻町から花苗を移動 福岡市早良区 福津市からマリーゴールド苗を移動 三潴郡 北九州市小倉南区の親類宅から庭木を移植 小城市 筑紫郡那珂川町と苗物のやり取り 下関市一ノ宮本町 周南市 市民農園 下関市山の田南町から鉢物をもらう 貸家の庭木は直方の家主が植えた 遠賀郡水巻町 貸し農園で大量発生 福岡市南区 貸し農園で大量発生 福岡市西区 既分布地の旧市民農園が宅地となり、未分布の新市民農園へ利用者が 苗等を持って移動 同時に2つの市民農園を利用する人が苗を移動 和歌山県田辺市秋津 京都郡苅田町 転勤 ・ 引越 新興住宅地、北九州市からの入居者がある 行橋市南泉 北九州市門司区から引越し、旧住宅にもいたので鉢の土や底に付いて きたか 若松区畠田 戸畑区仙水町から引越 八幡西区 新興住宅地、北九州市内からの入居者が多い 遠賀郡岡垣町旭台 廃土など 貸し農園で大量発生 北九州市から引越 宗像市 新興住宅地、北九州市方面からの入居者もある 福津市 新興住宅地、北九州市方面からの入居者もある 君津市 西日本からの転勤に伴うものか 豊前市赤隈 新築の庭に飯塚の建築業者が砂を入れた 福岡市東区 鉢 ・ プランターの残土を道路脇花壇に廃棄 糟屋郡志免町 斜面を埋め立てたとき侵入か 糟屋郡志免町 鉢 ・ プランターの残土を道路脇に廃棄 荒尾市 宇佐市金屋 堆肥 田辺市下三栖 販売 那覇市 北九州市方面の外構工事の残土を搬入か 外構工事後、出現、近所にはいない 梅林では、雑草防除に木の皮を敷き、使用後は積み上げて堆肥として 利用。既分布地の堆肥を未分布地へ撒くとき移動 北九州市小倉南区から、生貝を研究用に販売 2009 The Kyushu 45 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Ⅵ 検疫 外来種の侵入経路や侵入方法を知るためには、 検疫の統計は極めて重要な基本的資料である(Cowie & Robinson, 2003) 。Robinson(1999) は合衆国の検疫統計に基づき、 1993年から1998年の6年間に検疫によって発見された陸・淡水 産貝類71科197属369種、 4,900例の合衆国への侵入方法を分析した。 それによれば、 植物に伴う場合が全体の40% (観葉植物17%、切花 12%、果物・野菜7%、水生植物4%) を占めるが、瓦23%、 コンテナ16%、個人用手荷物4%等その他の侵 入手段も合計60%に及ぶことが判った。合衆国では、 ヨーロッパ・地中海地域原産の種の発見回数が全発見例の40%を 占めている。 それらの侵入手段では、輸入瓦に伴う場合やコンテナの外壁に付着して移動するというのが主要なもので ある。 波部(1980) は、 オーストラリアから輸入された大根種子に小形の陸貝Cochlicella ventrosa(Férussac)が混入してお り、 植物防疫で水際で発見されたことを報告した。 黒住 (2000) は、 我国の植物防疫で確認され、 1974年から1998年までに 正式に報告された陸・淡水産貝類8科13種(石坂, 1975;近藤, 1978;我謝, 1981;後藤, 1992;馬原, 1995など) について原産地国 (積み出し地) 、 随伴していた植物の名称、 発見地、 出典を示しているが、 オオクビキレガイは含まれていない。 農林水産省植物防疫所は、植物検疫統計平成9年( 1997年) ~平成19年(2007年) をホームページで公開している。 植物防疫所のホームページ中の「統計・情報データベース」の「植物検疫統計」から、 「年次ごとの目次」(http://www. pps.go.jp/TokeiWWW/year.jsp) へ進み、 「輸入植物検査病菌・害虫発見記録 (1)品目別・国別発見記録」で必要な 情報を得る。同統計輸入植物検査病菌・害虫発見記録によれば、 わが国では平成9年(1997年) ~平成18年(2007年) の 11年間で、17科68種(種まで同定されなかったものを含む) の陸・淡水産貝類(腹足綱) が、延べ2,859回発見されている (表3、 Appendix) 。 オオクビキレガイが属するオカクチキレガイ科では、2003年にオカクチキレガイSubulina octona(Bruguière, 1792) と Subulina sp.の2種が記録されている。今のところ、 病菌・害虫発見記録(1997~2007) にオオクビキレガイの記録は無いが、 オオクビキレガイの幼貝が同定不能として処理されている可能性は残されている (北川憲一氏、私信)。北川氏によれば、 我 が国の植物防疫所の検疫対象は、 植物(生植物、切花、野菜、果物、水生植物、木材) と植物生産物(高度に加工された産品は除 く) であり、 瓦、 植木鉢、 コンテナ、 手荷物等は含まれていない。 ただし、 植木鉢の梱包材料として枯れ草などが使われてい る場合は、 その枯れ草は検査の対象となる。 また、 植物が運ばれてきたコンテナなどの外壁は検疫官が検査の際にチェッ クすることはあるが、 植物がない場合は検査されないとのことである。 わが国の11年間の検疫統計に見られる外国産腹足綱は、 1年あたりの発見種数が6.18種/年、 発見回数は259.9回 /年である。合衆国の6年間の統計(61.5種/年、816.7回/年) に比べて1年あたりの種数で約1/10、 発見回数で約1/3で ある。両国の輸入量の違いなどを考慮せずに単純に比較することはできないが、 世界的に物や人の交流が盛んな現在、 人間生活や在来の自然環境に害をもたらす恐れのある外来生物の侵入を監視するために、 検疫体制の一層の充実が 望まれる。特に、 わが国で現在行われている植物検疫のほか、 合衆国での検疫で陸・淡水産貝類発見の60%を占め、 重 要な移動手段であることが分かった瓦や植木鉢、 庭の置物、 コンテナ、 個人用手荷物等を対象とした外来生物の検査が 是非とも必要である。同時にまた、能率よく検疫作業が進むよう、陸・淡水産軟体動物分類学の専門家を検疫の現場に 配置するか、 検疫所で発見された標本が同定のために速やかに博物館等研究機関へ回されるシステムの整備が必要 である。 2009 The Kyushu 46 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 表3.植物検疫により我が国では発見された外国産腹足類(1997年〜2007年) Table 3. Gastropod families intercepted by the Plant Protection Station, Japan during 1997-2007. 目 Order 科 Family 種数 発見回数 植物の原産地国別発見回数 (% ) Number of species Number of Interceptions(% ) 中腹足目 Mesogastropoda Ampullariidae リンゴガイ科 1 2 (0.07) Asia 2 (100.00) 足襞目 Soleolifera Veronicellidae アシヒダナメクジ科 2 12 (0.42) Asia 12 (100.00) Lymnaeidae モノアラガイ科 3 10 (0.35) Asia 10 (100.00) Physidae サカマキガイ科 2 571 (19.97) Asia 571 (100.00) Planorbidae ヒラマキガイ科 3 14 (0.49) Asia 14 (100.00) Succineidae オカモノアラガイ科 5 625 (21.86) Asia 379 (60.64) Europe 77 (12.32) C America 1 (0.16) Unknown 168 (26.88) Subulinidae オカクチキレガイ科 2 3 (0.10) Asia 2 (66.67) Australasia 1 (33.33) Achatinidae アフリカマイマイ科 2 7 (0.24) 基眼目 Basommatophora 柄眼目 Stylommatophora 4 1 1 1 (57.14) (14.29) (14.29) (14.29) Zonitidae コハクガイ科 4 113 (3.95) Asia 37 (32.74) Australasia 1 (0.88) Europe 12 (10.62) C & N America 4 (3.54) S America 1 (0.88) Unknown 58 (51.33) Ariophantidae マラッカベッコウマイマイ科 4 42 (1.47) Asia 40 (95.24) Europe 1 (2.38) N America 1 (2.38) 567 (19.83) Asia 30 (5.29) Australasia 38 (6.70) Europe 127 (22.40) N America 3 (0.53) C America 3 (0.53) Unknown 366 (64.55) 15 (0.52) Asia 14 (93.33) Australasia 1 (6.67) 77 (2.69) Asia 2 (2.60) Hawaii 2 (2.60) Australasia 61 (79.22) Europe 2 (2.60) Unknown 10 (12.99) 165 (5.77) Asia 10 (6.06) Australasia 40 (24.24) Europe 81 (49.09) N. America 1 (0.61) Unknown 33 (20.00) 340 (11.89) Asia 2 (0.59) Hawaii 1 (0.29) Australasia 78 (22.94) Africa 9 (2.65) Europe 71 (20.88) N America 21 (6.18) Unknown 158 (46.47) Limacidae コウラナメクジ科 10 Philomycidae ナメクジ科 2 Cochlicellidae トウガタコマイマイ科 8 Hygromiidae カドバリコマイマイ科 Helicidae リンゴマイマイ科 合計 Total Asia Hawaii Africa C America 2 11 Bradybaenidae オナジマイマイ科 5 226 (7.90) Asia 165 (73.01) Australasia 1 (0.44) Africa 1 (0.44) Europe 3 (1.33) Unknown 56 (24.78) Arionidae クロコウラナメクジ科 3 70 (2.45) Europe 60 (85.71) N America 2 (2.86) C America 1 (1.43) Unknown 7 (10.00) 2,859 (99.97) Asia 1294 (45.26) Hawaii 4 (0.14) Australasia 221 (7.73) Africa 11 (0.38) Europe 434 (15.18) N America 28 (0.98) C America 6 (0.21) N & C America 4 (0.14) S. America 1 (0.03) Unknown 856 (29.94) (Total 99.99) 17 科 68 2009 The Kyushu 47 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Ⅶ わが国のオオクビキレガイの今後 1. 地球温暖化 オオクビキレガイは、 通常、 気温10℃~25℃、 湿度75%以上で活動し (山崎, 2003b) 、 10℃以下では冬眠に入り、 夏季で も75%以下の乾燥が続く場合には夏眠する。 福岡市では過去117年で年平均気温がおよそ2.5℃上昇した (図7)。温暖化によって冬の日平均気温も上昇している。 2006年9 月から2007年2月にかけて福岡市近郊の糸島郡二丈町で戸外に設置した飼育槽中のオオクビキレガイの活動 を観察した。二丈町に隣接する前原市に設置されたアメダスの記録によれば、 この間の前原市の日平均気温は平年に 比べてやや高く、 この冬はオオクビキレガイが活動しない日が極めて少なかった (図8)。昼間の気温が10℃を超えた日は、 日平均気温が10℃以下でも夕方に活動して、 明瞭な冬眠は見られなかった (図9)。 図7.福岡市の年平均気温の経年変化。 Fig. 7. Change of mean annual temperature of Fukuoka City between 1890 and 2006. 図8.福岡県前原市の日平均 気温。 菱形:平年(1979~2000年の平均)。 四角: 2006年7月から2007年2月に かけての日平均気温、 (白) :オオクビキ レガイの活動不明、 ( 橙) :オオクビキレ ガイ活動、 (黒) :オオクビキレガイ活動な し。 Fig. 8. Mean daily temperature of Maebaru City in 2006 and 2007. Rhombus(◇): Normal mean daily temperature between 1979 and 2000. Square(□): Mean daily temperature between July 1, 2006 and February 3, 2007; (white) activity of Rumina was unknown, (orange) active, and (black) not active. 2009 The Kyushu 48 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 図9.1日の気温変化とオオクビキレガイの活動。12月28,29日:活動なし。12月30,31日:活動。 Fig. 9. Daily change of temperature in December of 2006 and activity of Rumina decollata. December 28 and 29: not active. December 30 and 31: active. オオクビキレガイの原産地である地中海沿岸地域や北アメリカの半乾燥地域では、 オオクビキレガイは「農作物の深刻 でない害虫」 と呼ばれている。例えば、 バルセロナの平均気温は福岡市と大差はない (図10)が、夏に最も降水量が少な く、 著しく乾燥するために夏眠を行う (図11)。他方、 温暖湿潤気候の西日本では、 夏に大量の雨が降る。気温の高い夏に 十分な湿度があり夏眠が起こらず、 温暖化で冬の温度が高く、 冬眠が起こりにくくなると、 オオクビキレガイの活動期間は 地中海沿岸地域や北アメリカの半乾燥地域よりも長くなり、 わが国では「農作物の深刻な害虫」 となる可能性がある。 図10.福岡市とバルセロナの月平均気温。 Fig. 10. Mean monthly temperature of Fukuoka City (1890-2005) and Barcelona (1835-1987). 2009 The Kyushu 49 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 図11.福岡市とバルセロナの月別降水量。 Fig. 11. Mean monthly precipitation of Fukuoka City (1890-2005) and Barcelona (1861-1897). 2. 繁殖戦略 オオクビキレガイは雌雄同体で、 自家受精が普通に行なわれることが知られている。 自家受精は一般に、隔離して飼 育された個体の繁殖の観察やアロザイム分析で確認される (Heller, 2001)。卵のときから単独で飼育されたオオクビキレ ガイの産卵数や孵化率は、対で飼育されたオオクビキレガイと差はなく、以前から知られていたオオクビキレガイでは貯 精嚢が特殊化していることと共に、 オオクビキレガイの繁殖では他家受精が無くても繁殖が可能であることを示している (Selander et al., 1974)。 テキサス州オースティンの14個体群から得られた456個体、及びテキサス、 カリフォルニア、 アリゾ ナ及び南カリフォルニアの19産地298個体を調べたSelander & Kaufman(1973) によれば、 オオクビキレガイの遺伝的な 多様性は極めて低く、 その理由は自家受精にあると考えられている。一般に、 遺伝的な多様性が低い生物では環境に適 合したときは一挙に個体数を増大するが、 適合しない場合には急激に個体数を減らすことが予想される。急激な個体数 の増加は、 農作物や在来の生態系に対して深刻な影響を与えることが懸念される。 雌雄同体で自家受精を行う外来生物は、 他家受精を行う生物に比べて、 新しい地域に侵入した後、 同種の他の個体 と出会うことなく繁殖が可能である。 このことは、 オオクビキレガイの未分布地域に、 ただ1匹のオオクビキレガイが侵入した だけでも、 繁殖し、 増えていく可能性を示しており、 注意深い取り扱いが必要である。 2009 The Kyushu 50 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Ⅷ まとめ わが国では2008年現在、 オオクビキレガイは福岡県、 佐賀県、 熊本県、 大分県、 山口県、 和歌山県、 千葉県に生息して おり、 その分布域は1988年の北九州市での確認以来、 徐々に拡大してきている。福岡県では全国有数の植木の産地で ある久留米市田主丸町近くまで分布が広がっており、 オオクビキレガイが植木と共に全国へ運び出されることが無いよう に対策を採る必要がある。 これまでオオクビキレガイは、 たいした農業害虫ではないと考えられてきたが、 近年、 個体密度 が高い地域では発芽直後の植物や若い苗で明らかな食害が発生している。 オオクビキレガイはレタスへの嗜好性が極 めて高く、 レタス産地へ侵入した場合、 若い苗のみならず、 全生育期間を通じて食害の危険性がある。 わが国への侵入経路・方法については、 検疫での発見、 分子生物学的検討等が無く、 不明である。合衆国ではスペイ ンから輸入された屋根瓦に混入して発見され、 イギリスではイタリアから輸入された植物苗で見つかったことから、 わが国 でも南欧から輸入される瓦や植木鉢、 庭の置物、 南欧や合衆国の植物苗や野菜類に混入して非意図的人為的に侵入 したことが考えられる。植物検疫の対象とならない洋瓦や、 植木鉢、 庭の置物及びこれ等を運んでくるコンテナは、 陸貝の 重要な移動手段であり、 これ等に対する検疫が必要である。 国内でのオオクビキレガイの移動は、 福岡県内での聞き取り調査によれば、 知人との植物苗、 鉢物の交換、 引越しに伴 う植木や植物の運搬、 工事等による土砂の搬入等が主要なものであった。和歌山県では、 畑に置いたバーク堆肥にオオ クビキレガイが混入し、 堆肥の散布によって他の畑へ広がっていく様子が観察された。 オオクビキレガイの非意図的人為 的拡散のスピードは、 自力による拡散のスピードの50~100倍である。知らないうちにオオクビキレガイの拡散を助けること を防ぐため、 オオクビキレガイに関する知識の普及に努めることが必要である。 近年の温暖化傾向は、 オオクビキレガイの活動期間を伸ばし、 深刻な害虫となる危険性をはらんでいる。 オオクビキレガ イは自家受精で繁殖が可能であり、未分布地への侵入が他家受精を行なう種類より容易であること、及び遺伝的構造 が単純となり、 爆発的な増殖がおこる可能性があることから、 今後とも注意深い観察が必要である。 2009 The Kyushu 51 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 謝 辞 本研究をまとめるに当たり、 以下の方々並びに関係諸機関に、 分布情報の収集や標本採集、 文献調査でご協力を賜 わり、 ご助言を頂いた:David G. Robinson博士(US Department of Agriculture) 、 北川憲一氏(横浜植物防疫所) 、 池辺進 一氏(和歌山市) 、 嶺井久勝氏(古賀市) 、 大原健司氏(西宮市貝類館) 、 増田修氏(姫路市立水族館) 、 岡本正豊氏(柏市) 、 増 野和幸氏(山口市) 、 Paul Valentich-Scott博士(Santa Barbara Museum of Natural History)、 Karl-Heinz Beckmann 博士(Germany)、Michael Hoelling博士(Germany)、Dai G. Herbert博士(Natal Museum)、Jochen Gerber博士 ( Field Museum of Natural History )、Francisco Welter-Schultes博士( Zoologisches Institut, Gettingen )、Anna Holmes博士(National Museum of Wales) 、 Fabio Moretzsohn博士(Texas A&M University) 、 大須賀健氏 (京都市) 、 三 島美佐子氏(九州大学総合研究博物館) 、 福岡県農政部(山田修嗣氏) 、 福岡県病害虫防除所(筑紫野市、筑後市、行橋市) 、 北 九州市総合農事センター、 朝日新聞九州本社(福岡市) 、 読売新聞西部本社(福岡市) 、 西日本新聞(福岡市) 、 NHK九州 支局 (福岡市) 、 TNC九州朝日放送(福岡市) 、 紀伊民報(田辺市) 、 フジテレビ (東京都)。 以下の方々からオオクビキレガイの分布に関する情報をご提供頂き、 現地調査の際お世話になった。記して深謝する。 福岡県−相田賢一氏、 青柳英樹氏、 秋月定良氏・シズカ氏、 秋廣栄之丞氏、 浅本俊男氏、 阿野里絵氏、 安邊千鶴子氏、 安部信子氏、 王生令子氏、 池田彰子氏、 池田隆春氏、 池田美智子氏、 池田裕子氏、 池松忠生氏、 稲永照夫氏、 稲村 繁文氏、稲吉郁雄氏、井上きよみ氏、井上繁治氏、井上忠夫氏、井上千恵氏、猪股俊明氏、今村りょう氏・和彦氏、岩 城昭夫氏、岩隈清志氏、岩熊邦男氏、岩淵悦雄氏、上野精一氏、故魚住賢司氏、牛尾けい子氏・昌義氏、梅原幸恵 氏、 浦野友康氏、 大石雅元氏、 大上康幸氏、 太田五郎氏、 大鶴史子氏、 大西氏、 大場憲子氏、 大原亨氏、 大渕深氏、 緒方千代志氏、緒方英清氏、 岡村紀郎氏、小串寿次氏、 尾崎剛氏、 小野隆志氏、 甲斐田久夫氏、許斐友太郎氏、片 山寛氏、 金嶋聡氏、 亀山哲氏、 川辺敏一氏、 北原信夫氏、 吉柳晃二氏、 清原智恵子氏、 具島一裕氏、 工藤亨氏、 栗田 昌明氏、 黒河順子氏、 桑原愛子氏、 古池しんじ氏、 高良英臣氏、 古賀公泰氏、 古賀英也氏、 斉藤孝弘氏、 堺行弘氏、 坂田春海智氏、佐川敏彦氏、佐々木公敏氏、幸珠代氏、重田操樹氏、柴垣稔氏、柴田康幸氏、下川常雄氏、志和修 治氏、新郷玲子氏、末永真澄氏、末松学氏、須川敏弘氏、鈴鹿繁氏、園田富士子氏、大好昌弘氏、高木健康氏、高 曾由子氏、 田川千代枝氏、 瀧内徹氏、 武田晋一氏、 田代美和氏、 田中強氏、 谷井清香氏、 谷川佳奈氏、 丹久俊氏、 千 綾光男氏、筒井和典氏、都築健二氏、堤一成氏、堤一光氏、徳永隆俊氏、徳安大子氏、刀根正之氏、仲秀朗氏、永 家美和氏、 永島敏章氏、 中島宏氏、 中西敏子氏、 中西保司氏、 長野博氏、 中野勇三氏、 長濱伸也氏・妙子氏、 中村悦 子氏、 中村紀美枝氏、 中村琢身氏、 中村春樹氏、 西岡学氏、 西野憲和氏、 二ノ宮京子氏、 野副裕子氏、 箱田桂子氏、 濱田悟氏、濱野貴志氏、林昌弘氏、原正行氏、原田昭雄氏、晴気七菜氏、半田拓己氏、樋口史彦氏、 日向登氏、平 内十美井氏、 平田義三氏、 平野照美氏、 広松和子氏、 福田孝子氏、 福田美智子氏、 福田義晴氏、 福原恵美子氏、 藤 田政夫氏、 藤田友子氏、 藤田さゆり氏、 藤田力哉氏、 藤村敏明氏、 藤原正氏、 藤原安房氏、 古川けん一氏、 本多庚午 氏、真崎章太郎氏、松本綾氏、松本誓子氏、松本保氏、松本保美氏、的野喜久氏・敏代氏、丸谷良明氏、三崎麻里 子氏、 水城広利氏、 水元芳則氏、 溝口和人氏、 光岡恵子氏、 宮浦寛氏、 宮崎利幸氏、 宮原康雄氏、 村上和徳氏、 村瀬 茂世氏、持丸重則氏、森口正一氏、森下照清氏、森田紘一氏、森田静象氏、森野武敏氏、森山千賀子氏、矢ヶ部五 郎氏、 安河内悦子氏、 安河内良光氏、 安川里恵氏、 柳井君子氏、 柳田正美氏・康雄氏、 山口嗣雄氏、 山口米生氏、 故 山下昇二氏、 山田幸子氏、 山村裕一郎氏、吉岡忠俊氏、吉田剛氏、吉田ますみ氏、吉武昭氏、吉村恵美子氏、渡辺 公一郎氏、渡辺重美氏。朝日氏、安部氏、有水氏、池上氏、市原氏、今井氏、今村氏、岩城氏、江口氏、遠藤氏、仰木 氏、Ogata氏、梶谷氏、春日氏、片山氏、金田氏、 川上氏、河原氏、北野氏、木村氏、久保田氏、五里裸氏、迫田氏、品 川氏、 下村氏、 白木原氏、 須藤氏、 園田氏、 田川氏、 田代氏、 築地氏、 中井氏、 長野氏、 成山氏、 西村氏、 畑尾氏、 花田 氏、早川氏、 日高氏、広渡氏、藤島氏、保坂氏、本田氏、松浦氏、溝上氏、宮下氏、柳井氏、 山形氏、 山崎氏、 山下氏、 山田氏、 山本氏、 yua-manekineko氏、 湯口氏、 油布氏、 吉田氏、 吉武氏、 渡辺氏、 綿貫氏。 大分県−小幡展弘氏、 濱田保氏。 2009 The Kyushu 52 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 佐賀県−南里たみ代氏。 熊本県−西野宏氏、 中嶋秀利氏、 松本達也氏。 山口県−柴田節子氏、 城田和彦氏、 増野和幸氏、 盛山いつえ氏、 山口秀昭氏・淳子氏、 山下知子氏。 和歌山県−池辺進一氏、 玉田一晃氏、 久保田信准教授、 湊宏博士。 千葉県−姫野英子氏、 福田宏氏、 S.K.氏、 山崎恵氏。 東京都−小泉清子氏、 小泉亨詳氏。 参考文献 Barker, Gray M. and Efford, Murray G., 2004. Predatory gastropods as natural enemies of terrestrial gastropods and other invertebrates. Chapter 6: 279-403. In Barker, G. M., ed.: Natural enemies of terrestrial molluscs. CABI Publishing, Wallingford, 644 pp. Batts, J. H., 1957. Anatomy and life cycle of the snail Rumina decollata (Pulmonata: Achatinidae). Southwestern Naturalist, 2(2-3): 74-82. Beckmann, Karl-Heinz, 1989. Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in China (Gastropda Pulmonata: Subulinidae). Schriften zur Malakozoologie, 2: 62. Beckmann, Karl-Heinz, 2001. Additional notes on Rumina decollata in Shanghai, China (Gastropoda: Stylommatophora: Subulinidae). Schriften zur Malakozoologie, 17: 43. Bequaert, Joseph C. and Miller, Walter B., 1973. The mollusks of the arid Southwest with an Arizona check list. The University of Arizona Press, Tuscon, Arizona, 271 pp. 陳徳牛・高家詳, 1987. 中国陸生貝類一新種. 動物分類学報, 12(1): 20-22. [Chen, De-Niu and Gao, Jia-Xiang, 1987. On a new species of land snail from China (Stylommatophora: Subulinidae). Acta Zootaxonomica Sinica, 12(1): 20-22. Cotton, Bernard C., 1961. South Australian Mollusca. Pelecypoda. W. L. Hawes, Adelaide, 363 pp. Cowie, Robert H., 2001. Can snails ever be effective and safe biocontrol agents? International Journal of Pest Management, 47(1): 23-40. Cowie, R. H. & Robinson, D. G., 2003. Pathways of introduction of nonindigenous land and freshwater snails and slugs. Chapter 5: 92-122. In Ruiz, Gregory M. & James T. Carlton (eds.): Invasive species, vectors and management strategies. Island Press, Washington, D.C. etc., 518 pp. 江川和文・玉田一晃, 2004. 和歌山県におけるオオクビキレガイの生息記録. 南紀生物, 46(2): 106-108. [Ekawa, Kazufumi and Tamada, Kazuaki, 2004. A new distributional record of Rumina decollata (Linnaeus, 1758) from Wakayama Prefecture, Japan. Nanki-Seibutsu, 46(2): 106-108.] Elton, C. S., 1958. The ecology of invasions by animals and plants. University of Chicago Press Edition 2000. University of Chicago Press, Chicago. Fisher, T. W., 1966. Rumina decollata (Linnaeus, 1758) (Achatinidae) discovered in southern California. The Veliger, 9: 16. Fisher, T. W. and Orth, R. E., 1985. Biological control of snails. Occasional Papers, Department of Entomology, Univeersity of California, Riverside, 1: viii+111 pp. (fide Barker & Efford, 2004) Fisher, T. W., Orth, R. E. and Swanson, S. C., 1980. Snail against snail. California Agriculture, 34: 18-20. (fide Barker & Efford, 2004) 2009 The Kyushu 53 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 古見浩・増野和幸, 2004. シイボルトコギセルの飛地的分布についての一考察. しぶきつぼ, (25): 17-22. [Furumi, Yutaka and Mashino, Kazuyuki, 2004. A study of intermittent distribution of Phaedusa sieboldtii. Shibukitsubo, (25): 17-22.] 我謝徳光, 1981. 台湾産ブドウ、 ウスカワマイマイで返送. 那覇植物防疫情報, (43): 4. [Gasha, Tokumitsu, 1981. Taiwanese grapes affected by Acusta despecta sending back to Taiwan. Naha-Shokubutsu-Boeki-Joho, (43): 4. (fide Kurozumi, 2000)] 後藤陸郎, 1992. オーストラリア産大麦からマイマイ発見される. 神戸植物防疫情報, (888): 15-16. [Goto, Mutsuo, 1992. Land snails found from Australia Hordeum vulgare. Kobe-Shokubutsu-Boeki-Joho, (888): 15-16. (fide Kurozumi, 2000)] 波部忠重, 1980. 新闖入貝Cochlicella ventrosa (Férussac). ちりぼたん, 11(4): 71. [Habe, Tadeashige, 1980. Cochlicella ventrosa (Férussac), a new intruder to Japan. Chiribotan, 11(4): 71.] Haas, F., 1947. Adelopoma costaricensis found in Charleston, S. C. Nautilus, 61: 33-34. Heller, J., 2001. Life history strategy. Chapter 12: 413-445. In Gray M. Barker (ed.): The biology of terrestrial molluscs, CABI publishing, Wallingford, 558 pp. Herbert, David Guy and Kilburn, Richard Neil, 2004. Field guide to the land snails and slugs of eastern South Africa. Natal Museum, Pietermaritzburg, 336 pp. 保坂健市, 1996. 山口県宇部市で1996年に採集された移入非海産腹足類3種. ユリヤガイ, 4(1-2): 191-194. [Hosaka, Ken-ichi, 1996. Notes on the intrusion of three non-marine gastropods into Ube City, Yamaguchi Prefecture, western Japan, found in 1996. Yuriyagai, 4(1-2): 191-194.] 石坂秀幸, 1975. オーストラリア産大麦にマイマイまたも多数混入. 名古屋植物防疫月報, (159): 3. [Ishizaka, Hideyuki, 1975. A number of land snails found with Hordeum vulgare from Australia. Nagoya-ShokubutsuBoeki-Geppo, (159): 3. (fide Kurozumi, 2000)] 角野康郎, 1994. 日本水草図鑑. 文一総合出版, 東京, 179 pp. [Kadono, Yasuro, 1994. Aquatic plants of Japan. Bun-ichi Sogo Shuppan, Tokyo, 179 pp.] Kew, H. W., 1893. The dispersal of shells. An inquiry into the means of dispersal possessed by fresh-water and land Mollusca. Kengan Paul, Trench, Truebner & Co., London, 291 pp. 近藤明範, 1978. オーストラリア産大麦からオカチョウジガイ. 名古屋植物防疫月報, (203): 3. [Kondo, Akinori, 1978. Subulina octona with Hordeum vulgare from Australia. Nagoya-Shokubutsu-Boeki-Geppo, (203): 3. (fide Kurozumi, 2000)] 黒住耐二, 2000. 日本における貝類の保全生物学―貝塚の時代から将来へ―. 海洋, 号外, (20): 42-56. [Kurozumi, Taiji, 2000. Japanese studies on mollusk conservation. Kaiyo, (20): 42-56.] 馬原雄一郎, 1995. スクミリンゴガイ輸入禁止品目で廃棄処分. 九州植物防疫, (528): 7. [Mahara, Yuichiro, 1995. An importation prohibited freshwater snail Pomacea canaliculata was intercepted and disposed. KyushuShokubutsu-Boeki, (528): 7. (fide Kurozumi, 2000)] 増野和幸, 1992. オオクビキレガイ山口県に産す. ちりぼたん, 23(2): 55-56. [Mashino, Kazuyuki, 1992. Rumina decollata (Linnaeus) occurred in Ube City, Yamaguchi Prefecture. Chiribotan, 23(2): 55-56.] 増野和幸, 2001. オオクビキレガイ山口県に産す. ちりぼたん, 32 (1-2): 32-34. [Mashino, Kazuyuki, 2001. Dispersion of Rumina decollata in Ube, Yamaguchi Prefecture. Chiribotan, 32 (1-2): 32-34.] 増野和幸, 2008. 移入種オオクビキレガイの山口県での生息状況. 山口県の自然, (68): 24-27. [Mashino, Kazuyuki, 2008. Invasive land snail Rumina decollata in Yamaguchi Prefecture. Yamaguchi-no-Shizen, (68): 24-27.] 2009 The Kyushu 54 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 松隈明彦, 2005a. オオクビキレガイ福岡市に出現. 九州大学総合研究博物館ニュース, (5): 2. [Matsukuma, Akihiko, 2005a. Invasion of Rumina decollata in Fukuoka City. The Kyushu University Museum News, (5): 2.] 松隈明彦, 2005b. 第三 軟体動物.松吉俊実(編) :二丈町誌平成版、 第一章 自然、 第五節 動植物, pp. 58-83. [Matsukuma, Akihiko, 2005b. No. 3. Mollusca. Chapter 1(5): 58-83. In Matsuyoshi, Toshimi (ed.): History and nature of Nijo-cho, Fukuoka Prefecture, Heisei-version. Nijo-cho, 881 pp.] 松隈明彦, 2007. オオクビキレガイの拡散. 九州大学総合研究博物館ニュース, (9): 5-6. [Matsukuma, Akihiko, 2007. Dispersal of Rumina decollata in Japan. The Kyushu University Museum News, (9): 5-6.] 松隈明彦, 2008a. 植物検疫統計(1997-2006)の外来性貝類. 貝類学雑誌, 67(1-2): 94-95. [Matsukuma, Akihiko, 2008a. Alien mollusk species intercepted by the Plant Protection Station, Japan during 1997-2006. Venus, 67(1-2): 94-95.] 松隈明彦, 2008b. オオクビキレガイ関東に侵入. 九州大学総合研究博物館ニュース, (11): 5. [Matsukuma, Akihiko, 2008b. Invasion of Rumina decollata in Kanto region. The Kyushu University Museum News, (11): 5.] 松隈明彦・秋月定良・秋月シズカ・嶺井久勝, 2005. 偶発的移入種オオクビキレガイ (腹足綱:オカクチキレガイ科) の福岡県での生息状況と拡散速度. ちりぼたん, 37(1): 7-12. [Matsukuma, Akihiko, Akizuki, Sadayoshi, Akizuki, Shizuka and Minei, Hisakatsu, 2005. The accidentally introduced land snail Rumina decollata (Gastropoda: Subulinidae) in Fukuoka Prefecture, western Japan. Chiribotan, 37(1): 7-12.] 松隈明彦・武田悟史, 2007. オオクビキレガイの日本への侵入と拡散. 貝類学雑誌, 66(1-2): 124. [Matsukuma, Akihiko and Takeda, Satoshi, 2007. Invasion and dispersal of Rumina decollata in Japan. Venus, 66(1-2): 124.] vol. 44(1): 64-65. [Minato, 湊宏・久保田信・土生紳吾, 2002. 白浜町沿岸に漂着したオオクビキレガイ. 南紀生物, Hiroshi, Kubota, Shin and Habu, Shingo, 2002. Rumina decollata (Gastropoda, Pulmonata) drifted ashore to Shirahama-cho, Wakayama Prefecture. Nanki-Seibutsu, 44(1): 64-65.] (24): 5-6. [Minato, Hiroshi, 湊宏・久保田信・土生紳吾, 2005. 再び白浜町沿岸にオオクビキレガイが漂着. 黒潮, Kubota, Shin and Habu, Shingo, 2005. The second report on Rumina decollata (Gastropoda, Pulmonata) drifted ashore to Shirahamacho, Wakayama Prefecture. Kuroshio, (24): 5-6.] 湊宏・魚住賢司, 1991. 北九州で見つかったオオクビキレガイ. ちりぼたん, 22(3): 72-74. [Minato, Hiroshi and Uozumi, Kenji, 1991. Rumina decollata (Linnaeus), a new intruder to Japan. Chiribotan, 22(3): 72-74.] 奥村正美・三宅郁子, 1993. 北九州市で発生が確認されたオオクビキレガイ. わたしたちの自然史, (43): 1-4. [Okumura, Masami and Miyake, Ikuko, 1993. Rumina decollata found in Kitakyushu City. Watashitachi-noShizenshi, (43): 1-4.] Rees, W. J., 1965. The aerial dispersal of Mollusca. Proceedings of the Malacological Society of London, 36: 269-282. Robinson, David G., 1999. Alien invasions: the effects of the global economy on non-marine gastropod introductions into the United States. Malacologia, 41(2): 413-438. Seddon, Mary and Pickard, Matthew, 2005. Another Mediterranean land-snail found in UK. Journal of Conchology, 38(6): 714. Selander, R. K. and Kaufman, D. W., 1973. Self-fertilization and genetic population structure in a colonizing land snail. The Proceedings of the National Academy of Sciences of the United States of America, 70(4): 2009 The Kyushu 55 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 1186-1190. Selander, R. K., Kaufman, D. W. and Ralin, R. S., 1974. Self-fertilization in the terrestrial snail Rumina decollata. The Veliger, 16(3): 265-270. 園原哲司, 2005. シジミの稚貝は空を飛ぶか? サギ等の水鳥による分散拡大の可能性. ちりぼたん, 36(1): 31-32. [Sonohara, Tetsuji, 2005. An assumption of possible dispersal of Corbicula fluminea (Bivalvia: Corbiculidae) by waterfowl immigration. Chiribotan, 36(1): 31-32.] 鈴木章司, 1979. 神戸のかたつむり (神戸の自然2). 神戸市立教育研究所, 神戸. 63 pp., [Suzuki, Shoji, 1979. Land snails of Kobe. Natures of Kobe (2). Kobe City Education Research Institute, Kobe, 63 pp.] Tupen, Jeff and Roth, Barry, 2001. Further spread of the introduced decollate snail, Rumina decollata (Gastropoda: Pulmonata: Subulinidae), in California, USA. The Veliger, 44(4): 400-404. 魚住賢司, 1996. オオクビキレガイの新分布地. 九州の貝, (47): 30. [Uozumi, Kenji, 1996. New localities of Rumina decollata in Japan. Kyushu-no-Kai, (47): 30.] 魚住賢司, 1998. 福間町の貝類. 福間町史自然編II、福間町, 180 pp. [Uozumi, Kenji, 1998. Mollusks of Fukuma-cho, Fukuoka Prefecture. Nature, Part II, History and Nature of Fukuma-cho, 180 pp.] Welter-Schultes, F. W., 1998. Human-dispersed land snails in Crete, with special reference to Albinaria (Gastropoda: Clausiliidae). Biologia Gallo-hellenica, vol. 24(2): 83-106. 山崎春香, 2003a. オオクビキレガイの研究. オオクビキレガイのシッポはなぜ切れる~実は切れないオオクビキレガ イ (1) . わたしたちの自然史, (84): 5-11. [Yamasaki, Haruka, 2003a. Studies of Rumina decollata. Why is the shell decollated? – The truth is that it is not decollated (1). Watashitachi-no-Shizenshi, (84): 5-11.] 山崎春香, 2003b. オオクビキレガイの研究. オオクビキレガイのシッポはなぜ切れる~実は切れないオオクビキレガイ (2) . わたしたちの自然史, (85): 3-9. [Yamasaki, Haruka, 2003b. Studies of Rumina decollata. Why is the shell decollated? – The truth is that it is not decollated (2). Watashitachi-no-Shizenshi, (85): 3-9.] 山田晴美, 1975. 園芸植物学名辞典. 農業図書, 東京, 360 pp. [Yamada, Harumi, 1995. Etymological dictionary of generic names of garden plants. Nogyo Tosho, Tokyo, 360 pp.] Abstract: The alien terrestrial snail species Rumina decollata (Linnaeus, 1758) was first found in Kitakyushu City in southwestern Japan in 1988 (Minato & Uozumi, 1990), and subsequently dispersed into the central part of Fukuoka Prefecture along the national road nos. 3 and 10 and the prefecture road no. 22 since its introduction some 20 (or more) years ago. Although R. decollata is said to be a minor pest of cultivated plants in the USA and the circum-Mediterranean countries (Barker & Efford, 2004), it is becoming a serious pest of horticultural and agricultural plants, especially of various stages of lettuce, and seedlings of vegetables and flowers in Fukuoka and Wakayama, Japan. In its native circum-Mediterranean and semi-arid North American distribution, the snail typically hibernates during cold winters and aestivates in hot dry summers (Batts, 1957). The snail is active in temperatures between c.a. 10 and 25 degrees Celsius and more than 75 % in humidity (Yamasaki, 2003b). However, in Japan, it is usually active from the middle of March through the middle of December; ordinarily it does not in aestivate in the summer months as it is sufficiently humid in southwestern Japan. Although R. decollata has not yet invaded Kurume City in southern Fukuoka Prefecture, one of the biggest horticultural districts in Japan, it needs to be monitored carefully in order not to further disperse the snail with garden plants. If R. decollata were to invade the city, the snail may be then spread along with garden plants and associated soil to various towns and cities in Japan, including lettuce-producing districts. It is still unknown from where R. decollata invaded Japan and by which pathway, because R. decollata has not yet 2009 The Kyushu 56 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 been intercepted by the Plant Protection Station in Japan, nor has a phylogeographical study been conducted. According to findings in the United States and the United Kingdom (Seddon & Matthews, 2005), R. decollata may have been introduced to Japan with tiles or potted plants from the circum-Mediterranean countries, such as Spain and Italy, or the USA. 2,349 molluscan interceptions, representing 61 molluscan taxa belonging to 14 families in the Gastropoda, were documented by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan, between 1997 and 2007. There is no record of Rumina sp. among these interceptions. All alien terrestrial snails collected in Japan were found attached to live plants, cut flowers, vegetables, cereals, and some plant products. According to Robinson (1999), non-plant pathways, including tiles, flowerpots, containers, and others, accounted for about 60% of 4,900 snail interceptions in the USA from abroad between 1993 and 1998. Therefore, continued quarantine inspection is hoped to protect Japanese agriculture from the infiltration of quarantine snail pests from abroad. Two different patterns of geographical distribution of R. decollata were recognized in Fukuoka Prefecture. The snail is apparently continuously distributed in Kitakyushu City and areas within about 50 km from the city. Populations of the snail in areas beyond 50 km from Kitakyushu City were spottily or discontinuously distributed. In the continuously distributed area R. decollata was apparently anthropochorously introduced some 10 or more years ago and invaded into surrounding gardens and vegetable fields gradually. In the discontinuous areas R. decollata was introduced more recently and may not have had enough time to invade into surrounding areas and to connect one population with another. According to interviews of people in the discontinuous distribution area whose gardens and vegetable fields are now infested by R. decollata, the snail may have been unintentionally introduced to their properties with flowers, vegetables, and garden plants with soil given by their friends or relatives who lived in already infested areas; some families moved from the infected area to uninfested area with flowers and garden plants. It has also been unintentionally dispersed with bark compost in ume-plum orchard of Wakayama Prefecture. The 200 live animals and 200 empty shells of R. decollata were sold to a laboratory in Naha City, Okinawa Prefecture in 2006. It is necessary to trace them in Naha City carefully to avoid an intentional dispersal of the snail. The dispersal rate of R. decollata in Fukuoka was estimated as approximately 3-5 km/year, faster than the velocity calculated at California (Fisher et al., 1980; Tupen & Roth, 2001). The rate in Fukuoka may represent unintended humanassociated dispersal and the Californian one may be the natural dispersal velocity of R. decollata itself. It is important to further study the means of dispersal of R. decollata to avoid unintentional human-associated dispersal into important horticultural and agricultural areas. Recent global-warming and a highly monogenic structure caused by the self-fertilization may lead R. decollata to be a serious pest of cultivated plants and native ecosystems in japan. We must carefully keep watch on its population dynamics. 2009 The Kyushu 57 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 付随資料−1997-2007年に植物検疫で発見された陸・淡水産貝類一覧 本資料は、 オオクビキレガイの日本への侵入経路、 方法を考察するために、 植物防疫所植物検疫統計に基づき、 1997 年から2006年の間に植物検疫で発見された軟体動物の種類、 付着、 或いは混入していた植物の大別、 植物名、 原産地 国、 検疫での発見年、 発見検疫所、 発見回数をまとめたものである。図鑑等(山田, 1975;角野 1994) に基づき軟体動物、 植 物とも可能な限り学名を併記したが、 公開されている植物検疫統計に見られるチリメンカンラン、 ヒロハサギゴケソウ属の Xerosecta arigonis (A. 学名は不明である。 また、 同統計で、 1977年にHelicella arigonaと同定された腹足類については、 Schmidt, 1853)に当たるものかどうか不明である。 リストの正確性を期すため、 識者のご叱正をお願いする。 凡例: Laevicaulis alte (Férussac, 1821) アシヒダナメクジ [外来貝類の種類] Live plants 生植物 [貝類が付着、 或いは混入していた植物の大別] Chlorophytum sp.: Sri Lanka - Komaki (2001), 1. [オリヅルラン属:スリランカ−小牧、 2001年、 1回] [植物名:原 産地国−発見防疫所、 発見年、 発見回数] Appendix: List of invasive mollusks intercepted by the Japanese Plant Protection Stations during 1997 and 2007 This is a list of land and freshwater gastropods associated with plants and plant products and were intercepted by the Plant Protection Stations, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan, during 1997-2007. Each mollusk enumerated in the list has the following information: (1) associated plants and plant products, (2) country of origin, and (3) year, place and number of times of interceptions. Legend: Laevicaulis alte (Férussac, 1821) [mollusk intercepted] Live plants [kind of plant associated with the invasive mollusk] Chlorophytum sp.: Sri Lanka - Komaki (2001), 1. [Laevicaulis alte found on Chlorophytum sp. imported from Sri Lanka was intercepted at Komaki Plant Protection Station in 2001 one time.] Phylum Mollusca軟体動物門 Class Gastropoda腹足綱 A. Subclass Prosobranchia 前鰓亜綱 I. Order Mesogastropoda中腹足目 1. Ampullariidae リンゴガイ科 (1) Pomacea canaliculata (Lamarck, 1819) スクミリンゴガイ (ジャンボタニシ) Woods 木材 Meliaceae (gen. et sp. indet..): Taiwan – Osaka (2007), 1. [センダン科:台湾−大阪、 2007年、 1回] Woods (scientific name uncertain): Taiwan – Osaka (2007), 1. [その他:台湾−大阪、 2007年、 1回] B. Subclass Pulmonata有肺亜綱 I. Order Systellommatophora 足襞目 1. Veronicellidae アシヒダナメクジ科 (1) Laevicaulis alte (Férussac, 1821) アシヒダナメクジ Live plants 生植物 2009 The Kyushu 58 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Chlorophytum sp.: Sri Lanka - Komaki (2001), 1. [オリヅルラン属:スリランカ−小牧、 2001年、 発見回数1] Pachira sp.: Taiwan, Naha (2004), 1. [パキラ属:台湾−那覇、 2004年、 1回] Vegetables 野菜 Eryngium foetidum L.: Vietnam - Narita (2004), 1. [オオバコエンドロ:ベトナム−成田、 2004年、 1回] Pandanus amaryllifolius Roxb.: Thailand - Chubu International Airport (2005), 1. [ニオイタコノキ: タイ−中 部空港、 2005年、 1回] Piper betle L.: Thailand – Chubu International Airport (2007), 1. [キンマ: タイ−中部空港、 2007年、 1回] (2) Laevicaulis sp. Live plants 生植物 Ficus sp.: Taiwan – Komaki (2001), 1. [イチジク属:台湾−小牧、 2001年、 1回] Vegetables 野菜 Piper betle L.: Thailand – Narita (2002), 2. [キンマ: タイ−成田、 2002年、 2回] Pandanus amaryllifolius Roxb.: Thailand – Narita (2001), 1. [ニオイタコノキ: タイ−成田2001年、 1回] Cut flowers 切花 Dracaena sp.: Malaysia - Narita (2002), 1. [ドラセナ属:マレーシア−成田、 2002年、 1回] Other plants and plant products その他 2 items: Thailand – Narita and Nagoya Airport (2002), 2. [2品目 : タイ−成田、 名古屋空港、 2002年、 2回] II. Order Basommatophora 基眼目 1. Lymnaeidae モノアラガイ科 (1) Radix auricularia japonica (Jay, 1857) モノアラガイ Live plants 生植物 Hydrocotyle sp.: Singapore - Itazuke (1997), 1. [チドメグサ属:シンガポール、 1997年−板付、 1997年、 1回] Bacopa sp.: Singapore – Itazuke (1997), 1. [バコパ (=ウキアゼナ)属:シンガポール−板付、 1997年、 1回] Microsorium sp.: Singapore – Itazuke (1998), 1. [ヌカボシクリハラン属:シンガポール−板付、 1998年、 1回] Vegetables 野菜 Brassica rapa L. var. chinensis Kitam.: China - Kansai International Airport (2001), 1. [タイサイ :中国−関 西空港、 2001年、 1回] Other plants and plant products その他 2 items: Singapore - Itazuke (1997), 2. [2品目 :シンガポール−板付、 1997年、 2回] (2) Radix sp. Live plants 生植物 Elodea sp.: Singapore – Narita (2003), 1. [カナダモ属:シンガポール−成田、 2003年、 1回] (3) Austropeplea olluta (Gould, 1859) ヒメモノアラガイ Live plants 生植物 Limnophila sessiliflora Blume: Malaysia - Fukuoka Airport (2002), 2. [キクモ:マレーシア−福岡空港、 2002 年、 2回] Egeria densa Planch.: Malaysia - Fukuoka Airport (2002), 1. [オオカナダモ:マレーシア年−福岡空港、 2002 年、 1回] 2009 The Kyushu 59 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 2. Physidae サカマキガイ科 (1) Physa acuta Draparnaud, 1805 サカマキガイ Live plants 生植物 Bacopa sp.: Singapore – Narita and Kansai International Airport ( 2006), 2; Singapore – Kansai International Airport (2007), 1. [バコパ属:シンガポール−成田、 関西空港、 2006年、 2回;シンガポール−関西 空港、 2007年、 1回] Egeria densa Planch: Singapore – Itazuke (2000), 1; Singapore - Kansai International Airport (2005), 94. [オオカナダモ:シンガポール−板付、 2000年、 1回;シンガポール−関西空港、 2005年、 94回] Egeria sp.: Malaysia and Singapore – Kansai International Airport (2006), 3. [エゲリア属:マレーシア、 シン ガポール−関西空港、 2006年、 3回] Elodea sp.: Singapore – Kansai International Airport (2007), 3. [カナダモ属:シンガポールー関西空港、 2007 年、 3回] Hygrophila sp.: Singapore, Thailand and Indonesia - Kansai International Airport and Narita (2003), 22; Singapore and Thailand - Kansai International Airport, Narita, Chubu International Airport (2005), 24. [オギノツメ属:シンガポール、 タイ、 インドネシア−関西空港、 成田、 2003年、 22回;シンガポール、 タイ−関 西空港、 成田、 中部空港、 2005年、 24回] Limnophila sessiliflora (Vahl) Blume: Singapore - Itazuke (2000), 1. [キクモ:シンガポール−板付、 2000年、 1 回] Vallisneria sp.: Singapore - Itazuke and Komaki (1997), 3. [セキショウモ属:シンガポール−板付、 小牧、 1997 年、 3回] Cabomba caroliniana A. Gray: Singapore and Malaysia - Kansai International Airport and Mizushima (2003), 19; Singapore and Malaysia - Kansai International Airport (2004), 21. [ハゴロモモ: シンガポール、 マ レーシア−関西空港、 水島、 2003年、 19回;シンガポール、 マレーシア−関西空港、 2004年、 21回] Cabomba sp.: Singapore - Itazuke (1997), 3; Malaysia - Fukuoka Airport (2002), 1. [ハゴロモモ属:シンガ ポール−板付、 1997年、 3回;マレーシア−福岡空港、 2002年、 1回] Myriophyllum sp.: Singapore – Itazuke (1998), 1; Singapore - Narita (2002), 1. [フサモ属:シンガポール−板 付、 1998年、 1回;シンガポール−成田、 2002年、 1回] Eichhornia crassipes (Mart.) Solms-Laub.: Singapore - Kansai International Airport (2004), 17. [ホテイアオ イ :シンガポール−関西空港、 2004年、 17回] Flowering plants: Singapore - Kansai International Airport (1998), 4; Singapore - Kansai International Airport (1999), 1; Thailand - Kansai International Airport (2001), 2. [草花:シンガポール−関西空港, 1998 年、 4回;シンガポール−関西空港、 1999年、 1回; タイ−関西空港、 2001年、 2回] Other plants and plant products その他 7 items: Singapore and Thailand – Itazuke, Komaki and Kansai International Airport (1997), 10. [7品目 : シンガポール、 タイ−板付、 小牧、 関西空港、 1997年、 10回] 3 items: Malaysia and Singapore - Itazuke (1998), 3. [3品目 :マレーシア、 シンガポール−板付、 1998年、 3回] 3 items: Singapore - Fukuoka Airport、 Nagoya, Nagoya Airport, and Narita (2002), 4. [3品目 :シンガポー ル−福岡空港、 名古屋、 名古屋空港、 成田、 2002年、 4回] 19 items: Singapore, Malaysia and two other countries - Kansai International Airport, Narita and Fukuoka Airport (2003), 131. [29品目 :シンガポール、 マレーシア、 その他2カ国−関西空港、 成田、 福岡空港、 2009 The Kyushu 60 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 2003年、 131回] 22 items: Singapore, Thailand and Malaysia - Kansai International Airport, Narita and Fukuoka Airport (2004), 51. [22品目 :シンガポール、 タイ、 マレーシア−関西空港、 成田、 福岡空港、 2004年、 51回] 21 items: Singapore, Malaysia and Indonesia - Kansai International Airport and Narita (2005), 129. [21 品目 :シンガポール、 マレーシア、 インドネシア−関西空港、 成田、 2005年、 129回] 11 items: Singapore, Malaysia and Thailand – Narita and Kansai International Airport (2006), 12. [11 品目 :シンガポール、 マレーシア、 タイ−成田、 関西空港、 2006年、 12回] 4 items: Singapore – Chubu International Airport, Narita and Kansai International Airport (2007), 4. [4 品目 :シンガポール−中部空港、 成田、 関西空港、 2007年、 4回] (2) Physa sp. Live plants 生植物 Blyxa sp.: Malaysia - Narita (2004), 1. [スブタ属:マレーシア−成田、 2004年、 1回] Cabomba sp.: Malaysia - Narita (2002), 1. [ハゴロモモ属:マレーシア−成田、 2002年、 1回] Flowering plants: Singapore - Mizushima (2004), 1. [草花:シンガポール−水島, 2004年、 1回] 3. Planorbidae ヒラマキガイ科 (1) Amerianna carinata (H. Adams, 1861) オリイレサカマキガイ Living plants 生植物 Cabomba sp.: Indonesia – Narita (2006), 1. [ハゴロモモ属: インドネシア−成田、 2006年、 1回] Vallisneria sp.: Indonesia – Fukuoka Airport (2006), 1. [セキショウモ属: インドネシア−福岡空港、 2006年、 1 回] (2) Gyraulus chinensis (Dunker, 1860) ヒラマキミズマイマイ Live plants 生植物 Anubias sp.: Singapore - Itazuke (2000), 1. [アヌビアス属:シンガポール−板付、 2000年、 1回] Egeria densa Planch: Singapore - Itazuke (2001), 1; Malaysia - Fukuoka Airport (2003), 1. [オオカナダモ:シ ンガポール−板付、 2001年、 1回;マレーシア−福岡空港、 2003年、 1回] Egeria sp.: Singapore – Itazuke (1997), 1. [オオカナダモ属:シンガポール−板付、 1997年、 1回] Elodea sp.: Singapore – Itazuke (2000), 1. [カナダモ属:シンガポール−板付、 2000年、 1回] Limnophila sessiliflora Blume: Singapore - Itazuke (1999), 1. [キクモ:シンガポール−板付、 1999年、 1回] Cabomba caroliniana A. Gray: Malaysia - Fukuoka Airport (2004), 1. [ハゴロモモ:マレーシア−福岡空港、 2004年、 1回] Cabombasp.: Malaysia - Itazuke (1997), 1. [ハゴロモモ属:マレーシア−板付、 1997年、 1回] (3) Gyraulus sp. Live plants 生植物 Elodea sp.: Singapore - Itazuke (2001), 2. [カナダモ属:シンガポール−板付、 2001年、 2回] Mayaca sp.: Singapore - Komaki (1997), 1. [マヤカ属:シンガポール−小牧、 1997年、 1回] Ludwigia sp.: Singapore - Komaki (1997), 1. [ミズユキノシタ (?=チョウジタデ)属:シンガポール−小牧、 1997年、 1 回] 2009 The Kyushu 61 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 III. Order Stylommatophora 柄眼目 1. Subulinidae オカクチキレガイ科 (1) Subulina octona (Bruguière, 1792) オカクチキレガイ Cut flowers 切花 Cordyline sp.: Malaysia - Narita (2003), 1. [センネンボク属:マレーシア−成田、 2003年、 1回] (2) Subulina sp. Live plants 生植物 Hygrophila sp.: Singapore - Narita (2003), 1. [オギノツメ属:シンガポール−成田、 2003年、 1回] Cut flowers 切花 Astartea sp.: New Zealand - Narita (2003), 1. [アスタルテア属:ニュージーランド−成田、 2003年、 1回] 2. Achatinidae アフリカマイマイ科 (1) Achatina fulica (Férussac, 1821) アフリカマイマイ Woods 木材 Dalbergia sp.: Laos and Mozambique - Osaka (2000), 2. [ツルサイカチ属: ラオス、 モザンビーク−大阪、 2000年、 2回] Cut flowers 切花 Dracaena sp.: Malaysia – Narita (2006), 1. [ドラセナ属:マレーシア−成田、 2006年、 1回] Live plants 生植物 ?Dahlia imperialis Roezl: Hawaii – Naha Airport (2006), 1. [インペリアーリス:ハワイ−那覇空港、 2006年、 1回] Sansevieria trifasciata Prain: Malaysia - Yokohama (2002), 1. [アツバチトセラン :マレーシア−横浜、 2002年、 1 回] Zamia pumila L.: Taiwan - Moji (2005), 1. [ヒロバザミア:台湾−門司、 2005年、 1回] (2) Achatina sp. Live plants 生植物 Tillandsia sp.: Guatemala - Narita (2004), 1. [ティランジア属: グァテマラ−成田、 2004年、 1回] 3. Succineidae オカモノアラガイ科 (1) Succinea erythrophana Ancey, 1883 タイワンオカモノアラガイ Cut flowers 切花 Cattleya sp.: Taiwan – Naha Airport (2007), 1. [カトレア属:台湾−那覇空港、 2007年、 1回] Chrysanthemum sp.: Taiwan - Nagoya (2006), 1. [キク属:台湾−名古屋、 2006年、 1回] Lilium sp.: Taiwan – Kansai International Airport (2006), 1. [ユリ属:台湾−関西空港、 2006年、 1回] (2) Succinea lauta Gould, 1859 オカモノアラガイ Cut flowers 切花 Aranda sp.: Thailand - Itazuke (1998), 1. [アランダ属: タイ−板付、 1998年、 1回] Oncidium sp.: Taiwan - Narita (2000), 1. [オンシジウム属:台湾−成田、 2000年、 1回] Chrysanthemum sp.: Taiwan - Kobe (1998), 1; Taiwan - Nagoya (2002), 1. [キク属:台湾、 1998年−神戸、 1回; 台湾−名古屋、 2002年、 1回] Dendrobium sp.: Thailand - Itazuke (1997), 6; Thailand - Itazuke (1998), 4; Thailand - Narita (2002), 1; Thailand - Narita (2003), 1; Thailand – Narita (2004), 1; Thailand - Kansai International Airport (2005), 2009 The Kyushu 62 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 1; Thailand – Fukuoka Airport (2006), 1. [デンドロビウム属: タイ−板付、 1997年、 6回; タイ−板付、 1998年、 4回; タイ−成田、 2002年、 1回; タイ−成田、 2003年、 1回; タイ−成田、 2004年、 1回; タイ−関西空港、 2005年、 1 回; タイ−福岡空港、 2006年, 1回]] Live plants 生植物 Ascocenda sp.: Thailand - Itazuke (1999), 1. [アスコセンダ属: タイ−板付, 1999年、 1回] Astilbe japonica (Morr. et Decne.) A. Gray: Netherlands - Tokyo (2001), 2. [アワモリショウマ:オランダ−東京、 2001年、 2回] Ficus sp.: Costa Rica - Itazuke (1997), 1. [イチジク属:コスタリカ−板付、 1997年、 1回] Clematis sp.: Netherlands –Tokyo (2001), 4. [センニチソウ属:オランダ−東京、 2001年、 4回] Rhododendron sp.: Belgium - Tokyo (2000), 5. [ツツジ属:ベルギー−東京、 2000年、 5回] Dendrobium sp.: Thailand - Kansai International Airport (2005), 1. [デンドロビウム属: タイ−関西空港、 2005 年、 1回] Arabis sp.: Denmark - Nagoya (2004), 2. [ハタザオ属:デンマーク−名古屋、 2004年、 2回] Vegetables 野菜 Lactuca sativa L. var.: Taiwan - Narita (2003), 1. [タチチシャ :台湾−成田、 2003年、 1回] Other plants and plant products その他 3 items: Indonesia and Malaysia - Itazuke (1997), 3. [3品目 : インドネシア、 マレーシア−板付、 1997年、 3回] 9 items: Thailand, Denmark and 4 other countries – Narita, Tokyo and 3 other plant protection stations (2001), 9. [9品目 : タイ、 デンマーク、 その他4カ国−成田、 東京、 その他3検疫所、 2001年、 9回] 3 items: Taiwan, Thailand and Netherlands - Narita and Tokyo (2002), 3. [3品目 :台湾、 タイ、 オランダ−成 田、 東京、 2002年、 3回] 2 items: Denmark - Nagoya (2004), 2. [2品目 :デンマーク−名古屋、 2004年、 2回] (3) Succinea putris (L., 1758) ホンオカモノアラガイ Live plants 生植物 Sophora sp.: Netherlands - Chubu International Airport (2005), 1. [クララ属:オランダ−中部空港、 2005年、 1回] Dendrobium sp.: Thailand - Itazuke (1998), 1. [デンドロビウム属: タイ−板付、 1998年、 1回] Vegetables 野菜 Brassica campestris L.: Korea - Fukuoka (1998), 1. [ハクサイ :韓国−福岡、 1998年、 1回] (4) Succinea sp. Vegetables 野菜 Sesbania grandiflora Pers.: Thailand - Narita (1998), 1. [シロゴチョウ : タイ−成田、 1998年、 1回] Apium graveolens L.: Thailand - Narita (1998), 2. [セロリ : タイ−成田、 1998年、 2回] Brassica rapa L. var. chinensis Kitam.: China - Narita (2001), 3. [タイサイ :中国−成田、 2001年、 3回] Cut flowers 切花 Dendrobium sp.: Thailand - Narita (2001), 14; Thailand and Singapore - Narita (2002), 43; Thailand Narita (2003), 67; Thailand - Narita (2004), 38; Thailand - Narita, Kansai International Airport and Chubu International Airport (2005), 51; Thailand – Narita and Kansai International Airport (2006), 36; Thailand - Narita, Kansai International Airport and Chubu International Airport (2007), 21. [デン ドロビウム属: タイ−成田、 2001年、 14回; タイ、 シンガポール−成田、 2002年、 43回; タイ−成田、 2003年、 67回; タ 2009 The Kyushu 63 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 イ−成田、 2004年、 38回; タイ−成田、 関西空港、 中部空港、 2005年、 51回; タイ−成田, 関西空港、 2006年、 36 回; タイ−成田、 関西空港、 中部空港、 2007年、 21回] Mokara sp.: Thailand and Singapore - Narita (2002), 9; Thailand - Narita (2003), 12; Thailand and Singapore - Narita (2004), 7; Thailand – Narita (2006), 11; Thailand – Narita (2007), 8. [モカラ属: タイ、 シン ガポール−成田、 2002年、 9回; タイ−成田、 2003年、 12回; タイ、 シンガポール−成田、 2004年、 7回; タイ−成田、 2006年、 11回; タイ−成田、 2007年、 8回] Live plants 生植物 Clematis sp.: Netherlands - Nagoya (2005), 60. [センニチソウ属:オランダ−名古屋、 2005年、 60回] Other plants and plant products その他 11 items: Taiwan, Thailand and 4 other countries – Narita (2001), 12. [11品目 :台湾、 タイ、 その他4カ国− 成田、 2001年、 12回] 18 items: Taiwan, Thailand and 5 other countries - Narita, Tokyo and Nagoya (2002), 30. [18品目 :台湾、 タイ、 その他5カ国−成田、 東京、 名古屋、 2002年、 30回] 24 items: Taiwan, Thailand and 5 other countries - Narita (2003), 39. [24品目 :台湾、 タイ、 その他5カ国− 成田、 2003年、 39回] 29 items: Taiwan, Thailand and 9 other countries - Narita, Kobe and Nagoya (2004), 36. [29品目 :台湾、 タイ、 その他9カ国−成田、 神戸、 名古屋、 2004年、 36回] 14 items: Thailand, Singapore and 4 other countries - Narita, Kansai International Airport and Nagoya (2005), 28. [14品目 : タイ、 シンガポール、 その他4カ国−成田、 関西空港、 名古屋、 2005年、 28回] 13 items: Thailand, Taiwan and Malaysia – Narita, Kansai International Airport and Chubu International Airport (2006), 23. [13品目 : タイ、 台湾、 マレーシア−成田、 関西空港、 中部空港、 2006年、 23回] 7 items: Thailand, Taiwan and Mexico – Narita and Chubu International Airport (2007), 14. [7品目 : タ イ、 台湾、 メキシコ−成田、 中部空港、 2007年、 14回] (5) Neosuccinea sp. Live plants 生植物 Dendrobium sp.: Thailand - Itazuke (1999), 1. [デンドロビウム属: タイ−板付、 1999年、 1回] 4. Zonitidae コハクガイ科 (1) Oxychilus sp. Live plants 生植物 Oncidium sp.: Taiwan - Narita (2004), 1. [オンシジウム属:台湾−成田、 2004年、 1回] Kalanchoe sp.: Netherlands - Narita (2003), 3. [リュウキュウベンケイ属:オランダ−成田、 2003年、 3回] Cut flowers 切花 Dracaena sp.: Indonesia, Sri Lanka and Malaysia, - Narita (2003), 3. [ドラセナ属: インドネシア、 スリランカ、 マ レーシア−成田、 2003年、 3回] Polyscias sp.: Malaysia - Narita (2004) 1. [ポリスキアス属:マレーシア−成田、 2004年、 1回] Other plants and plant products その他 7 items: Hawaii, Malaysia and 2 other countries - Narita (2003), 8. [7品目 :ハワイ、 マレーシア、 その他2カ国 −成田、 2003年、 8回] (2) Zonitoides arboreus (Say, 1816) コハクガイ 2009 The Kyushu 64 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Cut flowers 切花 Rosa sp.: Korea – Shimonoseki (2006), 1. [バラ属:韓国−下関、 2006年、 1回] Chrysalidocarpus lutescens Wendl.: Taiwan – Tokyo (2006), 1. [コガネタケヤシ:台湾−東京、 2006年、 1回] Live plants 生植物 Cattleya sp.: Taiwan - Narita (2003), 1. [カトレア属:台湾−成田、 2003年、 1回] Dianthus caryophyllus L.: Italy - Kansai International Airport (2005), 1. [カーネーション : イタリア−関西空港、 2005年、 1回] Hoya sp.: Thailand - Chubu International Airport (2005), 1. [サクララン属: タイ−中部空港、 2005年、 1回] Dendrobium sp.: Taiwan - Narita (2003), 3; Taiwan – Naha Airport (2006), 2; Thailand – Fukuoka Airport (2007), 1. [デンドロビウム属:台湾−成田、 2003年、 3回;台湾−那覇空港、 2006年、 2回; タイー福岡空 港、 2007年、 1回] Geranium sp.: Netherlands - Narita (2004), 1. [フウロソウ属:オランダ−成田、 2004年、 1回] Oncidium sp.: Thailand – Naha Airport (2007), 7. [オンシジウム属: タイ−那覇空港、 2007年、 7回] Rubiaceae (gen. et sp. indet.): Netherlands – Chubu International Airport (2007), 1. [アカネ科:オランダー中 部空港、 2007年、 1回] Vegetables 野菜 Brassica oleracea var. capitata L.: Vietnam - Yokohama (2004), 1. [キャベツ :ベトナム−横浜、 2004年、 1回] Brassica campestris L.: China - Onomichi (2004), 1. [ハクサイ :中国−尾道、 2004年、 1回] Other plants and plant products その他 4 items: Taiwan - Narita (2003), 4. [4品目 :台湾−成田、 2003年、 4回] 4 items: Netherlands and Thailand - Chubu International Airport (2005), 4. [4品目 :オランダ、 タイ−中部空 港、 2005年、 4回] (3) Zonitoides nitidus (Mueller, 1774) Live plants 生植物 Selaginella sp.: Netherlands - Narita (2003), 1. [イワヒバ属:オランダ−成田、 2003年、 1回] Murraya sp.: Netherlands - Narita (2003), 1. [ムルレーヤ属:オランダ−成田、 2003年、 1回] (4) Zonitoides sp. Cut flowers 切花 Anthrium sp.: Taiwan – Kansai International Airport (2006), 1. [アンスリウム属:台湾−関西空港、 2006年、 1 回] Dendrobium sp.: Thailand – Narita (2002), 1; Thailand - Narita (2003), 2. [デンドロビウム属: タイ−成田、 2002 年、 1回; タイ−成田、 2003年、 2回] Rumohra sp.: Costa Rica and USA - Narita (2004), 3; Costa Rica, - Tokyo (2005), 1. [ルモーラ属:コスタリカ、 合衆国−成田、 2004年、 3回;コスタリカ−東京、 2005年、 1回] Leucospermum sp.: New Zealand - Narita (2001), 1. [レウコスペルムム (ピンクッション) :ニュージーランド−成田、 2001年、 1回] Lomatia sp.: Chile - Narita (2001), 1. [ロマーティア属:チリ−成田、 2001年、 1回] Live plants 生植物 Rhododendron sp.: Belgium - Narita (2002), 2; Belgium - Narita (2003), 2. [ツツジ属:ベルギー−成田、 2002年、 2回;ベルギー−成田、 2003年、 2回] 2009 The Kyushu 65 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Phalaenopsis sp.: Taiwan - Narita (2004), 3; Thailand – Kansai International Airport (2006), 1. [ファレノプ シス属:台湾−成田、 2004年、 3回; タイ−関西空港、 2006年、 1回]] Paphiopedilum sp.: Taiwan – Narita (2007), 1. [パフィオペディルム属:台湾ー成田、 2007年、 1回] Other plants and plant products その他 4 items: Netherlands, Taiwan and 2 other countries - Narita (2002), 4. [4品目 :オランダ、 台湾、 その他2カ国 −成田、 2002年、 4回] 18 items: Taiwan, Costa Rica and 7 other countries - Narita (2003), 20. [18品目 :台湾、 コスタリカ、 その他7 カ国−成田、 2003年、 20回] 17 items: Taiwan, Sri Lanka and 4 other countries - Narita and Kansai International Airport (2004), 22. [17品目 :台湾、 スリランカ、 その他4カ国−成田、 関西空港、 2004年、 22回] 5. Ariophantidae マラッカベッコウマイマイ科 (1) Liardetia sp. Cut flowers 切花 Cordyline sp.: Malaysia - Narita (2006), 1. [センネンボク属:マレーシア−成田、 2006年、 1回] Heliconia sp.: Singapore – Narita (2007), 1. [ヘリコニア属:シンガポール−成田、 2007年、 1回] Livistona sp.: Malaysia – Narita (2007), 2. [ビロウ属:マレーシアー成田、 2007年、 2回] Zamia sp.: Malaysia – Narita (2007), 1. [ザミア属:マレーシアー成田、 2007年、 1回] (2) Macrochlamys sp. Cut flowers 切花 Cordyline sp.: Malaysia - Narita (2007), 1. [センネンボク属:マレーシア−成田、 2007年、 1回] Heliconia sp.: Singapore – Narita (2006), 1. [ヘリコニア属:シンガポール−成田、 2006年、 1回] Licuala sp.: Malaysia - Narita (2005), 1. [ウチワヤシ属:マレーシア−成田、 2005年、 1回] Vegetables 野菜 Pandanus amaryllifolius Roxb.: Thailand - Narita (2005), 1. [ニオイタコノキ: タイ−成田、 2005年、 1回] (3) Parmarion martensi (Simroth, 1893) ヒラコウラベッコウガイ Cut flowers 切花 Musa sp.: Singapore – Narita (2006), 5. [バショウ属:シンガポール−成田、 2006年、 5回] Dracaena sp.: Singapore - Narita (2007), 1. [ドラセナ属:シンガポール−成田、 2007年、 1回] Heliconia sp.: Singapore – Narita (2006), 2; Singapore – Narita (2007), 5. [ヘリコニア属:シンガポール−成田、 2006年、 2回;シンガポール−成田、 2007年、 5回] Other plants and plant products その他 2 items: Sri Lanka, Malaysia and Taiwan – Narita (2006), 3. [2品目 :スリランカ、 マレーシア、 台湾−成田、 2006年、 3回] 2 items: Malaysia – Narita (2007), 2. [2品目 :マレーシア−成田、 2007年、 2回] (4) Parmarion sp. Cut flowers 切花 Gaultheria sp.: USA - Narita (2003), 1. [シラタマノキ属:合衆国−成田、 2003年、 1回] Cordyline sp.: Malaysia - Narita (2003), 2; Malaysia - Narita (2005), 1. [センネンボク属:マレーシア−成田、 2003年、 2回;マレーシア−成田、 2005年、 1回] 2009 The Kyushu 66 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Dracaena sp.: Singapore - Narita (2005), 1. [ドラセナ属:シンガポール−成田、 2005年、 1回] Heliconia sp.: Singapore - Narita (2005), 1; Singapore - Narita (2007), 1. [ヘリコニア属:シンガポール−成田、 2005年、 1回;シンガポール−成田、 2007年、 1回] Live plants 生植物 Oncidium sp.: Taiwan - Narita (2007), 3. [オンシジウム属:台湾−成田、 2007年、 3回] Other plants and plant products その他 3 items: Malaysia, Sri Lanka and Italy - Narita (2003), 3. [3品目 :マレーシア、 スリランカ、 イタリア−成田、 2003 年、 3回] 2 items: Malaysia and Singapore – Kansai International Airport and Narita (2007), 2. [2品目 :マレーシア、 シンガポール−成田、 2007年、 2回] 6. Limacidae コウラナメクジ科 (1) Limax flavus L., 1758 コウラナメクジ(キイロナメクジ) Cut flowers 切花 Ruscus aculeatus L.: Israel - Kansai International Airport (1997), 1; Israel - Kansai International Airport (2003), 1. [ナギイカダ: イスラエル−関西空港、 1997年、 1回; イスラエル−関西空港、 2003年、 1回] Eurya japonica Thunb.: China - Nagasaki (1997), 1. [ヒサカキ:中国−長崎、 1997年、 1回] Lilium sp.: Korea - Shiogama (1997), 3. [ユリ属:韓国−塩釜、 1997年、 3回] Passiflora racemosa Brot.: Italy - Kansai International Airport (1999), 1. [ラケモサ (ホザキノトケイソウ) : イタリア −関西空港、 1999年、 1回] Rumohra sp.: Guatemala - Yokohama (2005), 1. [ルモーラ属: グァテマラ−横浜、 2005年、 1回] Live plants 生植物 Ananas sp.: Taiwan – Naha (2006), 1. [パイナップル:台湾−那覇、 2006年、 1回] Astilbe japonica (Morr. et Decne.) A. Gray: Netherlands - Tokyo (2001), 2. [アワモリショウマ:オランダ−東京、 2001年、 2回] Calluna sp.: UK - Narita (2002), 7. [ギョリュウモドキ属: イギリス−成田、 2002年、 7回] Cocos nucifera L.: Taiwan - Naha (1999), 1. [ココヤシ:台湾−那覇、 1999年、 1回] Clematis sp.: Netherlands - Tokyo (2003), 17. [センニチソウ属:オランダ−東京、 2003年、 17回] “Hiroha-sagigokeso” : Singapore - Kansai International Airport (2005), 1. [ヒロハサギゴケソウ属:シンガポー ル−関西空港、 2005年、 1回] Ilex: Netherlands - Narita (2002), 2. [モチノキ属:オランダ−成田、 2002年、 2回] Vegetables 野菜 Brassica campestris L.: China - Onomichi (2001), 3. [ハクサイ :中国−尾道、 2001年、 3回] Brassica oleracea var. capitata L.: China - Osaka (2005), 1. [キャベツ :中国−大阪、 2005年、 1回] Foeniculum vulgare Mueller: Italy – Narita (2006), 1. [ウイキョウ : イタリア−成田、 2006年、 1回] Other plants and plant products その他 4 items: Netherlands and Korea – Tokyo and Kobe (2001), 4. [4品目 :オランダ、 韓国−東京、 神戸、 2001年、 4回] 6 items: Netherlands, Korea and 4 other countries - Narita, Tokyo and Fukuoka (2002), 6. [6品目 :オラン ダ、 韓国、 その他4カ国−成田、 東京、 福岡、 2002年、 6回] 2009 The Kyushu 67 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 8 items: Netherlands, Taiwan and 2 other countries - Tokyo, Fukuoka and 2 other plant protection stations (2003), 8. [8品目 :オランダ、 台湾、 その他2カ国−東京、 福岡、 その他2検疫所、 2003年、 8回] (2) Limax marginatus Mueller, 1774 チャコウラナメクジ Vegetables 野菜 Brassica oleracea var. capitata L.: Korea - Tokyo (2001), 1. [キャベツ :韓国−東京、 2001年、 1回] Live plants 生植物 Peperomia sp.: Netherlands - Kansai International Airport (2002), 1. [ペペロミア属:オランダ−関西空港、 2002年、 1回] Cut flowers 切花 Lilium sp.: Korea - Narit (2004), 1. [ユリ属:韓国−成田、 2004年、 1回] (3) Limax maximus L., 1758 マダラコウラナメクジ Live plants 生植物 Rhododendron sp.: Belgium - Narita (2002), 1. [ツツジ属:ベルギー−成田、 2002年、 1回] Cut flowers 切花 Xerophyllum sp.: USA - Narita (2002), 1. [クセロフィルム属:合衆国−成田、 2002年、 1回] Vegetables 野菜 Rheum rhaponticum L.: Netherlands - Narita (2003), 1. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オランダ−成田、 2003年、 1回] (4) Limax sp. Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2001), 2. [ダナエ属: イタリア−成田、 2001年、 2回] Protea sp.: Australia - Itazuke (2000), 1. [プロテア属:オーストラリア−板付、 2000年、 1回] Hydrangia sp.: New Zealand – Kansai International Airport (2007), 1. [アジサイ属:ニュージーランドー関西 空港、 2007年、 1回] Lilium sp.: Korea - Itazuke (1998), 1; Korea - Narita (2002), 3; Korea - Narita (2003), 1. [ユリ属:韓国−板付、 1998年、 1回;韓国−成田、 2002年、 3回;韓国−成田、 2003年、 1回] Vegetables 野菜 Rheum rhaponticum L.: Australia - Narita (2001), 2; Australia - Narita (2003), 1. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) : オーストラリア−成田、 2001年、 2回;オーストラリア−成田、 2003年、 1回] Live plants 生植物 Betula sp.: USA - Narita (2002), 2. [シラカンバ属:合衆国−成田、 2002年、 2回] Other plants and plant products その他 5 items: Netherlands, Australia and 3 other countries - Narita (2001), 6. [5品目 :オランダ、 オーストラリア、 そ の他3カ国−成田、 2001年、 6回] 13 items: Italy, Costa Rica and 5 other countries - Narita (2002), 16. [13品目 : イタリア、 コスタリカ、 その他5 カ国−成田、 2002年、 16回] 2 items: Costa Rica and Italy - Narita (2003), 2. [2品目 :コスタリカ、 イタリア−成田、 2003年、 2回] (5) Deroceras laeve (Mueller, 1774) ノハラナメクジ Cut flowers 切花 Iris sp.: Korea - Narita (2002), 2. [アイリス属:韓国−成田、 2002年、 2回] 2009 The Kyushu 68 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Vegetables 野菜 Perilla frutescens (L.) Britt.: Korea - Narita (2002), 2. [エゴマ:韓国−成田、 2002年、 2] Rheum rhaponticum L.: Netherlands and USA - Narita (2004), 4. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オランダ、 合衆 国−成田、 2004年、 4回] Live plants 生植物 Dianthus caryophyllus L.: Spain - Narita (2004), 2. [カーネーション :スペイン−成田, 2004年、 2回] Heuchera sp.: Netherlands - Narita (2003), 3. [ツボサンゴ属:オランダ−成田、 2003年、 3回] Yucca sp.: Israel - Narita (2003), 2. [ユッカ属: イスラエル−成田、 2003年、 2回] Other plants and plant products その他 2 items: Korea and Costa Rica - Narita (2002), 2. [2品目 :韓国、 コスタリカ−成田、 2002年、 2回] 12 items: USA, Korea and 7 other countries - Narita (2003), 12. [12品目 :合衆国、 韓国、 その他7カ国−成田、 2003年、 12回] 2 items: Ecuador and Zimbabwe - Narita (2004), 3. [2品目 :エクアドル、 ジンバブエ−成田、 2004年、 3回] (6) Deroceras reticulatum (Mueller, 1774) ノハラナメクジ Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy – Narita (2006), 3. [ダナエ属: イタリア−成田、 2006年、 3回] Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: France - Narita (2005), 5. [アーティチョーク : フランス−成田、 2005年、 5回] Rheum rhaponticum L.: Australia, Netherlands and 2 other countries - Narita (2003), 5. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オーストラリア、 オランダ、 その他2カ国−成田、 2003年、 5回] Brassica oleracea var. acephala DC.: Italy – Narita (2007), 1. [ハボタン : イタリアー成田、 2007年、 1回] Brassica sp.: Netherlands - Narita (2001), 2; France - Narita (2002), 2; Netherlands, France and Australia - Narita (2003), 9; Netherlands, France and Australia - Narita (2004), 9; Netherlands and Australia Narita (2005), 8; Australia, France and Belgium – Narita (2006), 4. [チリメンカンラン :オランダ−成田、 2001 年、 2回; フランス−成田、 2002年、 2回;オランダ、 フランス、 オーストラリア−成田、 2003年、 9回;オランダ、 フランス、 オーストラリア−成田、 2004年、 9回;オランダ、 オーストラリア−成田、 2005年、 8回;オーストラリア、 フランス、 ベル ギー−成田、 2006年、 4回] Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2001), 1. [リーキ:オーストラリア−成田、 2001年、 1回] Apium graveolens L.: New Zealand - Narita (2007), 1. [セロリ :ニュージーランド−成田、 2007年、 1回] Live plants 生植物 Carex sp.: New Zealand - Narita (2004), 2. [スゲ属:ニュージーランド−成田、 2004年、 2回] Other plants and plant products その他 18 items: Belgium, Ecuador and 9 other countries - Narita (2003), 30. [18品目 :ベルギー、 エクアドル、 その 他9カ国−成田、 2003年、 30回] 9 items: Italy, Netherlands and 3 other countries - Narita (2004), 10. [9品目 : イタリア、 オランダ、 その他3カ国 −成田、 2004年、 10回] 8 items: Italy, Belgium and 5 other countries - Narita and Chubu International Airport (2005), 13. [8 品目 : イタリア、 ベルギー、 その他5カ国−成田、 中部空港、 2005年、 13回] 5 items: Netherlands, Australia and 2 other countries – Narita (2006), 6. [5品目 :オランダ、 オーストラリア、 そ の他2カ国−成田、 2006年、 6回] 2009 The Kyushu 69 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 (7) Deroceras sp. Live plants 生植物 Rhododendron sp.: Belgium - Narita and Yokohama (2001), 10; Belgium - Narita (2003), 10. [ツツジ属:ベル ギー−成田、 横浜、 2001年、 10回;ベルギー−成田、 2003年、 10回] Erica sp.: UK – Narita (2006), 6. [エーリカ属: イギリス−成田、 2006年、 6回] Vegetables 野菜 Allium ampeloprasum L.: Australia and Belgium - Narita (2006), 6. [リーキ:オーストラリア, ベルギー−成田、 2006年、 6回] Brassica sp.: Netherlands, France and Australia - Narita (2001), 9; Netherlands, France and 2 other countries - Narita (2002), 11; France - Narita (2004), 2. [チリメンカンラン :オランダ、 フランス、 オーストラリア−成 田、 2001年、 9回;オランダ、 フランス、 その他2カ国−成田、 2002年、 11回; フランス−成田、 2004年、 2回] Cynara scolymus L.: France - Narita (2007), 1. [アーティチョーク : フランス−成田、 2007年、 1回] Rheum rhaponticum L.: Australia, Netherlands and USA - Narita (2005), 5. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オー ストラリア、 オランダ、 合衆国−成田、 2005年、 5回] Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2002), 12; Italy - Narita (2003), 7; Italy - Narita (2004), 5; Italy - Narita (2005), 11; Italy - Narita (2007), 2. [ダナエ属: イタリア−成田、 2002年、 12回; イタリア−成田、 2003年、 7回; イタリア−成田、 2004年、 5回; イタリア−成田、 2005年、 11回; イタリア−成田、 2007年、 2回] Other plants and plant products その他 10 items: USA, Australia and 3 other countries - Narita (2001), 11. [10品目 :合衆国、 オーストラリア、 その他 3カ国−成田、 2001年、 11回] 40 items: USA, Netherlands and 16 other countries - Narita and Yokohama (2002), 62. [40品目 :合衆国、 オランダ、 その他16カ国−成田、 横浜、 2002年、 62回] 23 items: France, Australia and 10 other countries - Narita (2003), 27. [23品目 : フランス、 オーストラリア、 そ の他10カ国−成田、 2003年、 27回] 8 items: Spain, Germany and 3 other countries - Narita (2004), 9. [8品目 :スペイン、 ドイツ、 その他3カ国−成 田、 2004年、 9回] 16 items: Italy, Netherlands and 9 other countries - Narita (2005), 25. [16品目 : イタリア、 オランダ、 その他9 カ国−成田、 2005年、 25回] 18 items: Italy, Netherlands and 9 other countries – Narita (2006), 23. [18品目 : イタリア、 オランダ、 ほか9カ 国−成田、 2006年、 23回] 4 items: Kenya, Italy and Taiwan – Narita (2007), 4. [4品目 :ケニア、 イタリア、 台湾−成田、 2007年、 4回] (8) Lehmannia sp. Cut flowers 切花 Leucadendron sp.: New Zealand – Narita (2006), 1. [ギンヨウジュ属:ニュージーランド−成田、 、 2006年1回] Leucospermum sp.: Australia - Narita (2007), 2. [レウコスペルムム属:オーストラリア−成田、 2007年、 2回] Protea sp.: Australia and Hawaii - Narita (2005), 7; Australia – Narita (2006), 19; Australia – Narita (2007), 3. [プロテア属:オーストラリア、 ハワイ−成田、 2005年、 7回;オーストラリア−成田、 2006年、 19回;オーストラリア− 成田、 2007年、 3回] Live plants 生植物 2009 The Kyushu 70 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Alstroemeria sp.: Netherlands - Narita (2005), 1. [アルストロメリア属:オランダ−成田、 2005年、 1回] Other plants and plant products その他 8 items: Netherlands, Australia and 4 other countries - Narita (2005), 8. [8品目 :オランダ、 オーストラリア、 そ の他4カ国−成田、 2005年、 8回] 2 items: Korea and Taiwan – Narita (2006), 2. [2品目 :韓国、 台湾−成田、 2006年、 2回] 4 items: Australia and Equador – Narita (2007), 4. [4品目 :オーストラリア、 エクアドル−成田、 2007年、 4回] (9) Milax gagates (Draparnaud, 1801) Vegetables 野菜 Cichorium intybus L.: Italy - Narita (2003), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2003年、 1回] Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2004), 1. [リーキ:オーストラリア−成田、 2004年、 1回] Live plants 生植物 Liriope sp.: New Zealand - Narita (2005), 1. [ヤブラン属:ニュージーランド−成田、 2005年、 1回] (10) Milax sp. Vegetables 野菜 Asparagus officinalis L.: New Zealand - Narita (2003), 1. [アスパラガス:ニュージーランド−成田、 2003年、 1回] Cichorium intybus L.: Italy - Narita (2001), 1; Italy - Narita (2004), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2001年、 1回; イタ リア−成田、 2004年、 1回] Brassica oleracea L. var. italica Plenck: Australia - Narita (2003), 1. [ブロッコリ :オーストラリア−成田、 2003年、 1回] Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2002), 1; Italy - Narita (2004), 1; Italy - Narita (2005), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2002年、 1回; イタリア−成田、 2004年、 1回; イタリア−成田、 2005年、 1回] Heliconia sp.: Sri Lanka - Narita (2002), 1. [ヘリコニア属:スリランカ−成田、 2002年、 1回] Other plants and plant products その他 2 items: Italy and Australia - Narita (2002), 2. [2品目 : イタリア、 オーストラリア−成田、 2002年、 2回] 7. Philomycidae ナメクジ科 (1) Incilaria bilineata Benson, 1842 ナメクジ Vegetables 野菜 Brassica oleracea var. capitata L.: China - Kobe (1998), 1. [キャベツ :中国−神戸、 1998年、 1回] Lactuca sativa L. var.: Australia - Narita (1998), 1. [タチチシャ :オーストラリア−成田、 1998年、 1回] Solanum melongena L.: Korea - Fukuoka (1999), 1. [ナス:韓国−福岡、 1999年、 1回] Brassica campestris L.: Korea – Fukuoka (1999), 1. [ハクサイ :韓国−福岡、 1999年、 1回] (2) Incilaria sp. Live plants 生植物 Sedirea sp.: Taiwan - Naha Airport (1998), 1. [ナゴラン属:台湾−那覇空港、 1998年、 1回] Phalaenopsis sp.: Taiwan - Naha Airport (1998), 2. [ファレノプシス属:台湾−那覇空港、 1998年、 2回] Other plants and plant products その他 18 items: Taiwan - Naha Airport (1998), 8. [18品目、 台湾−那覇空港、 1998年、 8回] 2009 The Kyushu 71 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 8. Cochlicellidae トウガタコマイマイ科 (1) Cochlicella acuta (Mueller, 1774) トウガタコマイマイ Vegetables 野菜 Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2006), 1. [リーキ:オーストラリア−成田、 2006年、 1回] (2) Cochlicella barbara (L., 1758) フトミ トウガタコマイマイ Seeds 種子 Raphanus sativus L.: Australia - Kobe (1998), 1. [ダイコン :オーストラリア−神戸、 1998年、 1回] Vegetables 野菜 Brassica rapa L.: France - Narita (2005), 1. [カブ: フランス−成田、 2005年、 1回] Rheum rhaponticum L.: Australia - Narita (2002), 2. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オーストラリア−成田、 2002 年、 2回] Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2004), 1. [リーキ:オーストラリア−成田、 2004年、 1回] Cut flowers 切花 Asparagus sp.: Israel - Narita (2002), 2. [アスパラガス属: イスラエル−成田、 2002年、 2回] Leucadendron sp.: Australia - Narita (2003), 4; Australia – Narita (2007), 2. [ギンヨウジュ属:オーストラリア− 成田、 2003年、 4回;オーストラリア−成田、 2007年、 2回] Leucospermum sp.: Australia - Narita (2003), 6; Australia – Narita (2006), 6. [レウコスペルムム属:オーストラリ ア−成田、 2003年、 6回;オーストラリア−成田、 2006年、 6回] Protea sp.: Australia – Narita (2006), 4; Australia – Narita (2007), 3. [プロテア属:オーストラリア−成田、 2006 年、 4回;オーストラリア−成田、 2007年、 3回] Other plants and plant products その他 6 items: Australia and New Zealand - Narita (2002), 7. [6品目 :オーストラリア、 ニュージーランド−成田、 2002 年、 7回] 6 items: Italy, Australia and 2 other countries - Narita (2003), 7. [6品目 : イタリア、 オーストラリア、 その他2カ 国−成田、 2003年、 7回] 7 items: Australia and New Zealand - Narita (2006), 9. [7品目 :オーストラリア、 ニュージーランド−成田、 2006 年、 9回] 4 items: Australia - Narita (2007), 5. [7品目 :オーストラリア、 ニュージーランド−成田、 2006年、 9回;オーストラリア −成田、 2007年、 5回] (3) Cochlicella sp. Cut flowers 切花 Hydrangia sp.: Australia - Narita (2001), 1. [アジサイ属:オーストラリア−成田、 2001年、 1回] Astelia sp.: New Zealand - Narita (2003), 2. [アステーリア属:ニュージーランド−成田、 2003年、 2回] Anthurium sp.: Hawaii - Narita (2003), 2. [アンスリウム属:ハワイ−成田、 2003年、 2回] Cerruria sp.: Australia – Kansai International Airport (2006), 1. [セルリア属:オーストラリア−関西空港、 2006年、 1回] Viburnum sp.: Italy - Narita (2001), 1. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2001年、 1回] Chamelaucium sp.: Australia - Narita (2002), 1; Australia - Narita (2006), 1. [カメラウシウム属:オーストラリア− 成田、 2002年、 1回;オーストラリア−成田、 2006年、 1回] Protea sp.: Australia - Narita (2002), 1. [プロテア属:オーストラリア−成田、 2002年、 1回] 2009 The Kyushu 72 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Leucospermum sp.: Australia - Narita (2001), 1. [レウコスペルムム属:オーストラリア−成田、 2001年、 1回] Vegetables 野菜 Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2002), 2. [リーキ:オーストラリア−成田、 2002年、 2回] Other plants and plant products その他 3 items: Australia, New Zealand and France - Narita (2003), 3. [3品目 :オーストラリア、 ニュージーランド、 フラ ンス−成田、 2003年、 3回] 9. Hygromiidae カドバリコマイマイ科 (1) Hygromia cinctella (Draparnaud, 1801) Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2006), 1; Italy - Narita (2007), 2. [ダナエ属: イタリア−成田、 2006年、 1回; イタリア−成 田、 2007年、 2回] Pittosporum sp.: Italy - Narita (2006), 1. ト [ ベラ属: イタリア−成田、 2006年、 1回] (2) Hygromia sp. Cut flowers 切花 Hypericum sp.: Israel - Narita (2003), 3. [オトギリソウ属: イスラエル−成田、 2003年、 3回] Danae sp.: Italy - Narita (2003), 4. [ダナエ属: イタリア−成田、 2003年、 4回] Other plants and plant products その他 5 items: France, Italy and 2 other countries - Narita (2003), 7. [5品目 : フランス、 イタリア、 その他2カ国−成田、 2003年、 7回] (3) Cernuella virgata (Da Costa, 1778) ハイオビマイマイ Cereal 穀類 Hordeum virgale L.: Australia – Kobe (2006), 4; Australia – Osaka (2007), 14. [オオムギ:オーストラリア−神戸、 2006年、 4回;オーストラリアー大阪、 2007年、 14回] Hordeum sp.: Australia – Kashima (2006), 8; Australia – Shibushi (2007), 7. [オオムギ属:オーストラリア−鹿島、 2006年、 8回;オーストラリアー志布志、 2007年、 7回] Cut flowers 切花 Pittosporum sp.: Italy - Narita (2002), 2. ト [ ベラ属: イタリア−成田、 2002年、 2回] Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: Italy - Narita (2002), 1; France - Narita (2003), 1. [アーティチョーク : イタリア−成田、 2002 年、 1回; フランス−成田、 2003年、 1回] Other plants and plant products その他 2 items: Italy - Naha (2006), 2. [2品目、 イタリア−成田、 2006年、 2回] 3 items: France, Spain and Italy – Narita and Fukuoka (2007), 3. [2品目 : フランス, スペイン、 イタリア−成田、 福岡、 2007年、 3回] (4) Cernuella sp. Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: France and Italy - Narita (2003), 5; Spain – Narita (2006), 1. [アーティチョーク : フランス、 イタリア−成田、 2003年、 5回;スペインー成田、 2006年、 1回] Eruca vesicaria sativa (Mill.): Italy - Narita (2003), 1; Italy - Narita (2004), 1. [キバナスズシロ: イタリア−成田、 2009 The Kyushu 73 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 2003年、 1回; イタリア−成田、 2004年、 1回] Cut flowers 切花 Dodonaea sp.: Italy – Narita (2006), 1. [ハウチワノキ属: イタリアー成田、 2006年、 1回] Viburnum sp.: Italy - Narita (2004), 1. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2004年、 1回] Other plants and plant products その他 6 items: Italy, Israel and Australia - Narita (2003), 6. [6品目 : イタリア、 イスラエル、 オーストラリア−成田、 2003 年、 6回] 3 items: Israel, Netherlands and France - Narita ( 2004), 3. [3品目 : イスラエル、 オランダ、 フランス−成田、 2004年、 3回] (6)“Helicella arigonia” Cereal 穀類 Hordeum vulgare L.: Australia - Kagoshima (1997), 1. [オオムギ:オーストラリア−鹿児島、 1997年、 1回] (7) Helicella sp. Cereal 穀類 Hordeum vulgare L.: Australia – Minabe and Sakaide (1997), 3; USA and Australia - Sakaide and Shimonoseki (1998), 2. [オオムギ:オーストラリア−南部、 坂出、 1997年、 3回;合衆国、 オーストラリア−坂出、 下関、 1998年、 2回] Hordeum sp.: Australia - Yokohama (1998), 2. [オオムギ属:オーストラリア−横浜、 1998年、 2回] Cut flowers 切花 Viburnum sp.: Italy - Narita (2005), 1. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2005年、 1回] Danae sp.: Italy - Narita (2002), 7; Italy - Narita (2004), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2002年、 7回; イタリア−成 田、 2004年、 1回] Pittosporum sp.: Israel and Italy - Narita (2003), 2. ト [ ベラ属: イスラエル、 イタリア−成田、 2003年、 2回] Dracaena sp.: Malaysia - Narita (2001), 1. [ドラセナ属:マレーシア−成田、 2001年、 1回] Echinops sp.: Israel – Narita (2006), 2; Israel – Narita (2007), 2. [ヒゴタイ属: イスラエル−成田、 2006年、 2回; イ スラエル−成田、 2007年、 2回] Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: France and Italy - Narita (2003), 3; France and Italy - Narita (2004), 4. [アーティチョー ク : フランス、 イタリア−成田、 2003年、 3回; フランス、 イタリア−成田、 2004年、 4回] Brassica rapa L.: Italy - Narita (2005), 1. [カブ: イタリア−成田、 2005年、 1回] Brassica sp.: Netherlands - Narita (2001), 1. [チリメンカンラン :オランダ−成田、 2001年、 1回] Daucus carota L.: Italy - Narita (2005), 1. [ニンジン : イタリア−成田、 2005年、 1回] Live plants 生植物 Erica sp.: UK - Narita (2002), 29. [エリカ属: イギリス−成田、 2002年、 29回] Other plants and plant products その他 10 items: Israel, Italy and 3 other countries - Narita (2002), 12. [10品目 : イスラエル、 イタリア、 その他3カ国− 成田、 2002年、 12回] 8 items: Italy, Israel and 2 other countries - Narita (2003), 8. [8品目 : イタリア、 イスラエル、 その他2カ国−成 田、 2003年、 8回] 2 items: Italy and Belgium - Narita (2004), 2. [2品目 : イタリア、 ベルギー−成田、 2004年、 2回] 2009 The Kyushu 74 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 (8) Monacha sp. Vegetables 野菜 Brassica sp.: Italy – Narita (2006), 1. [アブラナ属: イタリア−成田、 2006年、 1回] 10. Helicidae リンゴマイマイ科(エスカルゴ科) (1) Arianta arbustorum (L., 1758) サヤガタドイツマイマイ Live plants 生植物 Rosa sp.: Netherlands - Narita (2000), 1. [バラ属:オランダ−成田、 2000年、 1回] (2) Cepaea nemoralis (L., 1758) モリノオウシュウマイマイ Woods 木材 Fagus sp.: Germany – Akita (2006), 1. [ブナ属: ドイツ−秋田、 2006年、 1回] Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2003), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2003年、 1回] (3) Cepaea sp. Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: Italy and Spain – Narita (2002), 2; France - Narita (2004), 1. [アーティチョーク : イタリア、 スペイン−成田、 2002年、 2回; フランス−成田、 2004年、 1回] Ornithogalum sp.: France - Narita (2003), 1. [オルニソガルム属: フランス−成田、 2003年、 1回] Cut flowers 切花 Viburnum sp.: Italy - Narita (2004), 1. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2004年、 1回] Cordyline terminalis (L.): Hawaii - Narita (2002), 1. [センネンボク :ハワイ−成田、 2002年、 1回] Danae sp.: Italy - Narita (2005), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2005年、 1回] Pittosporum sp.: Italy - Narita (2005), 1. ト [ ベラ属: イタリア−成田、 2005年、 1回] Live plants 生植物 Dasylirion sp.: Netherlands - Narita (2005), 1. [ダシリリオン属:オランダ−成田、 2005年、 1回] (4) Eobania vermiculata (Mueller, 1774) Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: Italy - Narita (2003), 1. [アーティチョーク : イタリア−成田、 2003年、 1回] Cichorium intybus L.: Italy- Narita (2003), 1; Italy - Narita (2004), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2003年、 1回; イタリ ア−成田、 2004年、 1回] Beta vulgaris L.: Italy - Narita (2003), 1. [ビート : イタリア−成田、 2003年、 1回] Cut flowers 切花 Pittosporum sp.: Italy - Narita (2007), 1. ト [ ベラ属: イタリア−成田、 2007年、 1回] Smilax sp.: Italy - Narita (2004), 1. [シオデ属: イタリア−成田、 2004年、 1回] (5) Eobania sp. Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: France - Narita (2003), 1. [アーティチョーク : フランス−成田、 2003年、 1回] Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2003), 1. [リーキ:オーストラリア−成田、 2003年、 1回] (6) Helix aperta Born, 1778 Cut flowers 切花 2009 The Kyushu 75 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Cymbidium sp.: New Zealand - Kansai International Airport (1999), 1. [シンビジウム属:ニュージーランド−関 西空港、 1999年、 1回] Danae sp.: Italy - Narita (2007), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2007年、 1回] Leucadendron sp.: Australia - Narita (2004), 1. [ギンヨウジュ属:オーストラリア年−成田、 2004、 1回] Protea sp.: Australia - Narita (2005), 1. [プロテア属:オーストラリア−成田、 2005年、 1回] Live plants 生植物 Astilbe sp.: Netherlands - Narita (2001), 1. [アスティルべ属:オランダ−成田、 2001年、 1回] Sempervivum sp.: Denmark - Narita (2003), 2. [クモノスバンダイソウ属:デンマーク−成田、 2003年、 2回] Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: Italy - Narita (2004), 2; Italy - Narita (2005), 1. [アーティチョーク : イタリア−成田、 2004年、 2回; イタリア、 2005年−成田、 1回] Brassica sp.: Australia - Narita (2002), 1. [チリメンカンラン :オーストラリア−成田、 2002年、 1回] Fresh fruits 生果実 Rubus idaeus L.: USA - Narita (2003), 2. [ラズベリー:合衆国−成田、 2003年、 2回] Other plants and plant products その他 3 items: Italy and USA - Narita (2003), 3. [3品目 : イタリア、 合衆国−成田、 2003年、 3回] 2 items: Italy - Narita (2005), 2. [2品目 : イタリア−成田、 2005年、 2回] (7) Helix aspersa Mueller, 1774 ヒメリンゴマイマイ Live plants 生植物 Cactaceae: USA - Kobe (1997), 2. [サボテン科:合衆国−神戸、 1997年、 2回] Callistemon sp.: Australia - Kansai International Airport (1997), 1. [マキバブラッシノキ (?=ブラッシノキ) 属:オー ストラリア−関西空港、 1997年、 1回] Cut flowers 切花 Hydrangia sp.: New Zealand - Narita (2005), 1. [アジサイ属:ニュージーランド−成田、 2005年、 1回] Zantedeschia sp.: New Zealand - Kansai International Airport (1999), 1. [オランダカイウ属:ニュージーランド −関西空港、 1999年、 1回] Viburnum sp.: Italy and New Zealand - Narita (2003), 3. [ガマズミ属: イタリア、 ニュージーランド−成田、 2003 年、 3回] Leucadendron sp.: New Zealand and Australia - Kansai International Airport and Narita (2000), 3. [ギン ヨウジュ属:ニュージーランド、 オーストラリア−関西空港、 2000年、 成田、 3回] Cymbidium sp.: New Zealand - Narita (1999), 1. [シンビジウム属:ニュージーランド−成田、 1999年、 1回] Danae sp.: Italy - Narita (1998), 1; Italy - Narita (2003), 2; Italy - Narita (2004), 2. [ダナエ属: イタリア−成田、 1998年、 1回; イタリア−成田、 2003年、 2回; イタリア−成田、 2004年、 2回] Hydrangia sp.: New Zealand – Kansai International Airport (2007), 2. [アジサイ属:ニュージーランドー関西 空港、 2007年、 2回] Pittosporum sp.: Italy - Narita (2001), 1; Italy - Narita (2002), 2; New Zealand – Kansai International Airport (2007), 2. ト [ ベラ属: イタリア−成田、 2001年、 1回; イタリア−成田、 2002年、 2回;ニュージーランドー関西 空港、 2007年、 2回] Alchemilla sp.: Netherlands - Kansai International Airport (1998), 1. [ハゴロモグサ属:オランダ−関西空港、 1998年、 1回] 2009 The Kyushu 76 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Protea sp.: Australia - Kansai International Airport ( 2001 ), 1; Australia – Narita and Kansai International Airport (2006), 4. [プロテア属:オーストラリア−関西空港、 2001年、 1回;オーストラリア−成田、 関 西空港、 2006年、 4回] Leucospermum sp.: South Africa and Australia - Narita (2000), 3. [レウコスペルムム属:南アフリカ、 オーストラリ ア−成田、 2000年、 3回] Fresh fruits 生果実 Rubus idaeus L.: USA - Narita (2002), 3; USA - Narita (2006), 2. [ラズベリー:合衆国−成田、 2002年、 3回;合 衆国−成田、 2006年、 2回] Vegetables 野菜 Foeniculum vulgare Miller: USA - Kobe (2005), 1. [ウイキョウ :合衆国−神戸、 2005年、 1回] Rheum rhaponticum L.: Australia - Narita (2004), 2. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オーストラリア−成田、 2004年、 2回] Other plants and plant products その他 5 items: France, New Zealand and 3 other countries - Kansai International Airport, Narita and 2 other protection stations (1997), 5. [5品目 : フランス、 ニュージーランド、 その他3カ国−関西空港、 成田、 その他 2検疫所、 1997年、 5回] 5 items: New Zealand and USA - Kansai International Airport, Narita and 2 other protection stations (1998), 5. [5品目 :ニュージーランド、 合衆国−関西空港、 成田、 その他2検疫所、 1998年、 5回] 3 items: New Zealand, South Africa and Italy - Kansai International Airport (1999), 3. [3品目 :ニュージー ランド、 南アフリカ、 イタリア−関西空港、 1999年、 3回] 8 items: Italy, Australia and 3 other countries - Narita, Kansai International Airport and Tokyo (2000), 8. [8品目 : イタリア、 オーストラリア、 その他3カ国−成田、 関西空港、 東京、 2000年、 8回] 2 items: Italy and USA - Narita and Nagoya (2001), 2. [2品目 : イタリア、 合衆国−成田、 名古屋、 2001年、 2回] 7 items: South Africa, Netherlands and 2 other countries - Narita and Kansai International Airport (2002), 7. [7品目 :南アフリカ、 オランダ、 その他2カ国−成田、 関西空港、 2002年、 7回] 9 items: USA, Italy and New Zealand - Narita, Tokyo and Yokohama (2003), 10. [9品目、 合衆国、 イタリア、 ニュージーランド−成田、 東京、 横浜、 2003年、 10回] 7 items: New Zealand, France and Australia - Narita, Fukuoka and Kansai International Airport (2004), 7. [7品目、 ニュージーランド、 フランス、 オーストラリア−成田、 福岡、 関西空港、 2004年、 7回] 6 items: New Zealand, Australia and 2 other countries - Narita and Chubu International Airport (2006), 7. [6品目、 ニュージーランド、 オーストラリア、 その他2カ国−成田、 中部空港、 2006年、 7回] 6 items: New Zealand, Netherlands and 3 other countries – Narita, Chubu International Airport and Kansai International Airport (2007), 7. [6品目 :ニュージーランド、 オーストラリア、 その他2カ国−成田、 中部空 港、 2006年、 7回;ニュージーランド、 オランダ、 その他3カ国−成田、 関西空港、 中部空港、 2007年、 7回] (8) Helix sp. Cut flowers 切花 Viburnum sp.: Italy and New Zealand - Narita (2002), 4; Italy - Narita (2005), 3. [ガマズミ属: イタリア、 ニュー ジーランド−成田、 2002年、 4回; イタリア−成田、 2005年、 3回 Leucadendron sp.: Australia - Narita (2004), 1; Australia and South Africa – Narita (2007), 3. [ギンヨウジュ 属:オーストラリア−成田、 2004年、 1回;オーストラリア、 南アフリカ−成田、 2007年、 3回] 2009 The Kyushu 77 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Pittosporum sp.: Italy - Narita (2002), 4; Italy - Narita (2005), 3; Italy - Narita (2006), 5. ト [ ベラ属: イタリア−成 田、 2002年、 4回; イタリア−成田、 2005年、 3回; イタリア−成田、 2006年、 5回] Protea sp.: Australia - Narita (2001), 2. [プロテア属:オーストラリア−成田、 2001年、 2回] Leucospermum sp.: South Africa and Australia - Narita and Kansai International Airport (2000), 2; Australia and South Africa – Narita (2007), 3. [レウコスペルムム属:南アフリカ、 オーストラリア−成田、 関西空 港、 2000年、 2回;オーストラリア、 南アフリカ−成田、 2007年、 3回] Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: France - Narita (2003), 1. [アーティチョーク : フランス−成田、 2003年、 1回] Rheum rhaponticum L.: Australia - Narita (2004), 1. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オーストラリア−成田、 2004年、 1回] Allium ampeloprasum L.: Australia - Narita (2001), 2. [リーキ:オーストラリア−成田、 2001年、 2回] Fresh fruits 生果実 Rubus idaeus L.: USA - Narita (2004), 1 ; USA – Narita (2006), 6. [ラズベリー:合衆国−成田、 2004年、 1回;合 衆国−成田、 2006年、 6回] Other plants and plant products その他 3 items: Australia, Italy and France - Narita (2001), 3. [3品目 :オーストラリア、 イタリア、 フランス−成田、 2001 年、 3回] 17 items: Australia, South Africa and 5 other countries - Narita and Tokyo (2002), 21. [17品目 :オースト ラリア、 南アフリカ、 その他5カ国−成田、 東京、 2002年、 21回] 10 items: Australia, Italy and 2 other countries - Narita and Kansai International Airport (2005), 13. [10品目 :オーストラリア、 イタリア、 その他2カ国−成田、 関西空港、 2005年、 13回] 11 items: Australia, Italy and 4 other countries - Narita (2006), 14. [11品目 :オーストラリア、 イタリア、 その他 4カ国−成田、 2006年、 14回] 9 items: Australia, Italy and 2 other countries - Narita (2007), 15. [9品目 :オーストラリア、 イタリア、 その他2カ 国−成田、 2007年、 15回] (9) Otala sp. Vegetables 野菜 Cynara scolymus L.: Spain - Narita (2005), 1; Spain – Narita (2006), 1. [アーティチョーク :スペイン−成田、 2005 年、 1回;スペイン−成田、 2006年、 1回] Beta sp.: Italy - Narita (2006), 1. [フダンソウ属: イタリア−成田、 2006年、 1回] Brassica oleracea var. botrytis L.: Netherlands – Narita (2006), 1. [カリフラワー:オランダ−成田、 2006年、 1回] Cut flowers 切花 Viburnum sp.: Italy - Narita (2005), 1. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2005年、 1回] (10) Theba pisana (Mueller, 1774) マジョルカコマイマイ Cut flowers 切花 Echinops sp.: Israel - Narita (2003), 1. [ヒゴタイ属: イスラエル−成田、 2003年、 1回] Leucospermum sp.: South Africa - Narita (2004), 2; Australia – Narita (2006), 2. [レウコスペルムム属:南アフリ カ−成田、 2004年、 2回;オーストラリア−成田、 2006年、 2回] Viburnum sp.: Italy - Narita (2007), 2. [ガマズミ属: イタリア−成田、 2007年、 2回] Cereal 穀類 2009 The Kyushu 78 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Hordeum vulgare L.: Australia - Minabe (1997), 1; Australia - Kobe (1998), 2; Australia - Yatsushiro (2001), 1; Australia - Sakaide and Kagoshima (2002), 2; Australia - Kagoshima and Yatsushiro (2005), 3. [オオ ムギ:オーストラリア−南部、 1997年、 1回;オーストラリア−神戸、 1998年、 2回;オーストラリア−八代、 2001年、 1 回;オーストラリア−坂出、 鹿児島、 2002年、 2回;オーストラリア−鹿児島、 八代、 2005年、 3回] Hordeum sp.: Australia - Fukuoka (1997), 1; Australia - Fukuoka (1998), 1; Australia - Yokohama (1999), 3; Australia - Himeji and Kashima (2000), 2; Australia - Fukuoka (2001), 1; Australia - Fukuoka (2002), 1; Australia - Fukuoka (2005), 1. [オオムギ属:オーストラリア−福岡、 1997年、 1回;オーストラリア−福岡、 1998年、 1回;オーストラリア−横浜、 1999年、 3回;オーストラリア−姫路、 鹿島、 2000年、 2回;オーストラリア−福岡、 2001 年、 1回;オーストラリア−福岡、 2002年、 1回;オーストラリア−福岡、 2005年、 1回] Vegetables 野菜 Cichorium intybus L.: Italy - Narita (2007), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2007年、 1回] Cynara scolymus L.: Italy - Narita (2003), 1. [アーティチョーク : イタリア−成田、 2003年、 1回] Miscellaneous 雑品 Brassica napus L.: Australia - Uno, Kobe and 2 other protection stations (1999), 5; Australia - Shimizu, Kashima and Yokkaichi (2000), 8. [セイヨウアブラナ:オーストラリア−宇野、 神戸、 その他2検疫所、 1999年、 5 回;オーストラリア−清水、 鹿島、 四日市、 2000年、 8回] Sesamum sp.: Tanzania – Kobe (2006), 4. [ゴマ属: タンザニア−神戸、 2006年、 4回] Other plants and plant products その他 2 items: Australia - Kobe, Chiba and Kashima (1999), 5. [2品目 :オーストラリア−神戸、 千葉、 鹿島、 1999年、 5回] 3 items: Italy, New Zealand and Australia - Narita (2001), 3. [3品目 : イタリア、 ニュージーランド、 オーストラリア −成田、 2001年、 3回] 2 items: Spain and France - Narita (2002), 2. [2品目 :スペイン、 フランス−成田、 2002年、 2回] 4 items: Israel, Italy and Netherlands - Narita (2003), 4. [4品目 : イスラエル、 イタリア、 オランダ−成田、 2003年、 4回] 3 items: South Africa, Italy and Australia - Narita and Yokohama (2005), 3. [3品目 :南アフリカ、 イタリア、 オーストラリア−成田、 横浜、 2005年、 3回] 2 items: Italy and Australia - Narita and Kushiro (2006), 3. [2品目 : イタリア、 オーストラリア−成田、 釧路、 2006年、 3回] (11) Theba sp. Vegetables 野菜 Cichorium intybus L.: Italy - Narita (2004), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2004年、 1回] Beta sp.: France - Narita (2004), 1. [フダンソウ属: フランス−成田、 2004年、 1回] Cut flowers 切花 Leucospermum sp.: Israel - Narita (2005), 1. [レウコスペルムム属: イスラエル−成田、 2005年、 1回] Cereal 穀類 Hordeum vulgare L.: Australia - Osaka (2000), 1. [オオムギ:オーストラリア−大阪、 2000年、 1回] Hordeum sp.: Australia - Narita (2001), 1; Australia - Kashima and Yokkaichi (2002), 2. [オオムギ属:オース トラリア−成田、 2001年、 1回;オーストラリア−鹿島、 四日市、 2002年、 2回] Miscellaneous 雑品 2009 The Kyushu 79 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Brassica napus L.: France and Australia - Yokkaichi and Kobe (2001), 3; France and Australia Yokkaichi, Kashima and 2 other plant protection stations (2002), 10. [セイヨウアブラナ: フランス、 オーストラ リア−四日市、 神戸、 2001年、 3回; フランス、 オーストラリア年−四日市、 鹿島、 その他2検疫所、 2002、 10回] Other plants and plant products その他 3 items: Italy and Australia - Narita (2001), 3. [3品目 : イタリア、 オーストラリア−成田、 2001年、 3回] 11. Bradybaenidae(オナジマイマイ科) (1) Acusta despecta (Sowerby, 1839) ウスカワマイマイ Fresh fruits 生果実 Musa acuminata Colla: China and Taiwan - Yokohama and Moji (1997), 2; China - Kobe (1997), 1; Philippines - Oi (1999), 1; Philippines - Kobe (2000), 1; Taiwan - Muroran-Tomakomai and Yokohama (2003), 2; Taiwan - Fukuoka (2004), 2; Taiwan - Muroran-Tomakomai and Yokohama (2005), 5; Taiwan – Fukuoka (2006), 1; Taiwan – Moji (2007), 1. [バナナ:中国、 台湾−横浜、 門司、 1997年、 2回;中国−神戸、 1997年、 1回;フィリピン−大井、 1999年、 1回;フィリピン−神戸、 2000年、 1回;台湾−室蘭苫小牧、 横浜、 2003 年、 2回;台湾−福岡、 2004年、 2回;台湾−室蘭苫小牧、 横浜、 2005年、 5回;台湾−福岡、 2006年、 1回;台湾− 門司、 2007年、 1回] Musa sp.: Taiwan – Yokohama and Kobe (2006), 2. [バショウ属:台湾−横浜、 神戸、 2006年、 2回] Cut flowers 切花 Lilium sp.: Korea– Narita (2007), 1. [ユリ属:韓国−成田、 2007年、 1回] Oncidium sp.: Malaysia - Itazuke (1997), 1. [オンシジウム属:マレーシア−板付、 1997年、 1回] Live plants 生植物 Phyllodendron (?):Taiwan - Fukuoka (2003), 1. [フィロデンドロン :台湾−福岡、 2003年、 1回] ?Agapanthus orientalis Leighton: Netherlands – Nagoya (2007), 1. [オリエンターリス:オランダー名古屋、 2007 年, 1回] Vegetables 野菜 Apium graveolens L.: China - Yokohama (2002), 2. [セロリ :中国−横浜、 2002年、 2回] Brassica campestris L.: Korea - Shimonoseki and Moji ( 1998 ), 12; ChinaKorea - Onomichi and Shimonoseki (2004), 2. [ハクサイ :韓国−下関、 門司、 1998年、 12回;中国、 韓国−尾道、 下関、 2004年、 2回] Brassica oleracea var. capitata L.: China and Korea - Oi, Tokyo and Shimonoseki (1998), 4; China - Oi and Moji (1999), 3; China - Fukuoka and Moji (2001), 3. [キャベツ :中国、 韓国−大井、 東京、 下関、 1998年、 4回;中国−大井、 門司、 1999年、 3回;中国−福岡、 門司、 2001年、 3回] Brassica oleracea L. var. italica Plenck: China - Osaka and Fukuoka (2000), 2; China - Fukuoka (2001), 1. [ブロッコリー:中国−大阪、 福岡、 2000年、 2回;中国−福岡、 2001年、 1回] Miscellaneous 雑品 herb medicine: China - Osaka (2002), 6. [漢方薬:中国−大阪、 2002年、 6回] Other plants and plant products その他 4 items: Taiwan, USA and Korea - Oi, Tokyo and 2 other protection stations (1998), 6. [4品目 :台湾、 合 衆国、 韓国−大井、 東京、 その他2検疫所、 1998年、 6回] 3 items: China and Thailand - Fukuoka, Narita and Moji (1999), 3. [3品目 :中国、 タイ−福岡、 成田、 門司、 1999年、 3回] 2009 The Kyushu 80 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 2 items: Laos and Mozambique - Osaka (2000), 2. [2品目 : ラオス、 モザンビーク−大阪、 2000年、 2回] 9 items: China, Singapore and 4 other countries - Tokyo, Narita and 4 other protection stations (2001), 9. [9品目 :中国、 シンガポール、 その他4カ国−東京、 成田、 その他4検疫所、 2001年、 9回] 6 items: China, Thailand and Korea - Tokyo, Narita and 2 other protection stations (2002), 6. [6品目 :中 国、 タイ、 韓国−東京、 成田、 その他2検疫所、 2002年、 6回] 3 items: Taiwan and China - Yokohama, Moji and Naha (2004), 3. [3品目 :台湾、 中国−横浜、 門司、 那覇、 2004年、 3回] 8 items: Korea, Taiwan and China - Moji, Kobe and 2 other protection stations (2005), 8. [8品目 :韓国、 台湾、 中国−門司、 神戸、 その他2検疫所、 2005年、 8回] 2 items: Taiwan – Naha and Tokyo (2006), 2. [2品目 :台湾−那覇、 東京、 2006年、 2回] (2) Acusta sp. Vegetables 野菜 Daucus carota L.: Italy - Narita (1999), 1. [ニンジン : イタリア−成田、 1999年、 1回] Brassica oleracea L. var. italica Plenck: China – Muroran-Tomakomai (2004), 1. [ブロッコリー:中国−室蘭 苫小牧、 2004年、 1回] Cut flowers 切花 Anthurium sp.: Taiwan - Narita (2002), 1; Taiwan - Narita (2003), 1. [アンスリウム :台湾−成田、 2002年、 1回; 台湾−成田、 2003年、 1回] knotting plants: Sri Lanka - Narita (2002), 1. [結束植物:スリランカ−成田、 2002年、 1回] Asplenium trichomanes L.: Taiwan - Narita (2003), 1. [チャセンシダ:台湾−成田、 2003年、 1回] Dracaena sp.: Malaysia - Narita (2002), 1. [ドラセナ:マレーシア−成田、 2002年、 1回] Live plants 生植物 Brassolaeliocattleya sp.: Taiwan - Narita (2003), 1. [ブラッソレーリオカトレア:台湾−成田、 2003年、 1回] Ficus sp.: China - Nagoya (2005), 1. [イチジク属:中国−名古屋、 2005年、 1回] (3) Aegista sp. Vegetables 野菜 Asplenium sp.: Taiwan - Narita (2003), 1. [チャセンシダ属:台湾−成田、 2003年、 1回] (4) Bradybaena similaris (Férussac, 1831) オナジマイマイ Cut flowers 切花 Heliconia sp.: Malaysia - Itazuke (1997), 2. [ヘリコニア属:マレーシア−板付、 1997年、 2回] Monstera sp.: Malaysia - Narita (2002), 2; Singapore - Narita (2004), 1; Taiwan and Malaysia – Narita (2007), 2. [ホウライショウ属:マレーシア−成田、 2002年、 2回;シンガポール−成田、 2004年、 1回;台湾、 マレーシ ア、 2007年、 2回] Cordyline sp.: Malaysia – Narita and Kansai International Airport (2007), 2. [センネンボク属:マレーシア− 成田、 関西空港、 2007年、 2回] Dracaena surculosa Lindl.: Malaysia - Itazuke (1997), 1. [ホシセンネンボク :マレーシア−板付、 1997年、 1回] Dracaena sp.: Malaysia – Kansai International Airport (2006), 1. [ドラセナ属:マレーシア−関西空港、 2006 年、 1回] Polyscias sp.: Malaysia - Narita (2002), 2; Malaysia - Narita (2003), 5; Malaysia - Narita (2004), 2. [ポリスキ アス属:マレーシア、 2002年−成田、 2回;マレーシア−成田、 2003年、 5回;マレーシア−成田、 2004年、 2回] 2009 The Kyushu 81 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Live plants 生植物 Phalaenopsis sp.: Taiwan - Yokohama (1997), 1. [ファレノプシス属:台湾−横浜、 1997年、 1回] Ficus sp.: China - Nagoya and Muroran-Tomakomai (2005), 4; China – Nagoya (2006), 1. [イチジク属:中国 −名古屋、 室蘭苫小牧、 2005年、 4回;中国−名古屋、 2006年、 1回] Ficus microcarpa L.: China - Nagoya and Moji (2005), 2. [ガジュマル:中国−名古屋、 門司、 2005年、 2回] Vegetables 野菜 Beta vulgaris L.: Italy - Narita (2000), 1. [ビート : イタリア−成田、 2000年、 1回] Glycine max (L.) Merrill: China - Nagoya (2001), 1. [ダイズ:中国−名古屋、 2001年、 1回] Brassica oleracea L. var. italica Plenck: China - Kobe (2001), 1. [ブロッコリー:中国−神戸、 2001年、 1回] Fresh fruits 生果実 Musa acuminata Colla: Taiwan - Kobe (2003), 2. [バナナ:台湾−神戸、 2003年、 2回] Other plants and plant products その他 4 items: Indonesia, Malaysia and 2 other countries - Narita and Kobe (2002), 5. [4品目 : インドネシア、 マレー シア、 その他2カ国−成田、 神戸、 2002年、 5回] 11 items: Malaysia, Taiwan and 2 other countries - Narita, Tokyo and Yokohama (2003), 11. [11品目 :マ レーシア、 台湾、 その他2カ国−成田、 東京、 横浜、 2003年、 11回] 4 items: Malaysia and China - Narita, Nagoya and Osaka (2004), 4. [4品目 :マレーシア、 中国−成田、 名古屋、 大阪、 2004年、 4回] 6 items: Taiwan, Philippines and 2 other countries - Yokohama, Chubu International Airport and 2 other protection stations (2005), 6. [6品目、 台湾、 フィリピン、 その他2カ国−横浜、 中部空港、 その他2検疫所、 2005年、 6回] 4 items: Taiwan, China and Myanmar - Yokohama, Kansai International Airport and Kobe (2006), 4. [4品目、 台湾、 中国、 ミャンマー−横浜、 関西空港、 神戸、 2006年、 4回] 2 items: Taiwan and China - Moji and Kobe (2007), 2. [2品目、 台湾、 中国−門司、 神戸、 2007年、 2回] (5) Bradybaena sp. Vegetables 野菜 Brassica oleracea var. capitata L.: China - Narita (2001), 1. [キャベツ :中国−成田、 2001年、 1回] Gynura bicolor (Willd.) DC.: Taiwan - Narita (2003), 2; Taiwan - Narita (2005), 1. [スイゼンジナ:台湾−成田、 2003年、 2回;台湾−成田、 2005年、 1回] Cut flowers 切花 Anthurium sp.: Taiwan - Narita and Tokyo (2004), 3; Taiwan and Malaysia - Narita (2005), 2. [アンスリウム 属:台湾−成田、 東京、 2004年、 3回;台湾、 マレーシア−成田、 2005年、 2回] =シロガスリソウ) Dieffenbachia sp.: Sri Lanka - Narita (2003), 1. [ディーフェンバッキア (=ディーフェンバヒア、 属:スリラ ンカ−成田、 2003年、 1回] Dracaena sp.: Singapore and Malaysia - Narita (2004), 2; Malaysia – Narita (2006), 2; Malaysia – Narita (2007), 1. [ドラセナ属:シンガポール、 マレーシア−成田、 2004年、 2回;マレーシア−成田、 2006年、 2回;マレーシア −成田、 2007年、 1回] Heliconia sp.: Singapore – Narita (2007), 1. [ヘリコニア属:シンガポール−成田、 2007年、 1回] Monstera sp.: Taiwan - Narita (2005), 1. [ホウライショウ属:台湾−成田、 2005年、 1回] Polyscias sp.: Malaysia - Narita (2006) 4. [ポリスキアス属:マレーシア−成田、 2006年、 4回] 2009 The Kyushu 82 University Museum Akihiko MATSUKUMA and Satoshi TAKEDA 松 隈 明 彦・武 田 悟 史 Live plants 生植物 Acanthaceae (gen. et sp. indet.): Singapore - Narita (2002), 1. [キツネノマゴ科:シンガポール−成田、 2002年、 1 回] Microsorium buergerianum (Miq.) Ching: Singapore - Narita (2002), 1. [ヌカボシクリハラン :シンガポール−成田、 2002年、 1回] Other plants and plant products その他 3 items: Malaysia, Vietnam and China - Narita (2002), 3. [3品目 :マレーシア、 ベトナム、 中国−成田、 2002年、 3回] 7 items: Malaysia, Sri Lanka and 2 other countries - Narita (2003), 7. [7品目 :マレーシア、 スリランカ、 その他 2カ国−成田、 2003年、 7回] 8 items: Taiwan, Malaysia and Korea - Narita (2004), 10. [8品目 :台湾、 マレーシア、 韓国−成田、 2004年、 10回] 7 items: Malaysia, Singapore and 3 other countries - Narita (2006), 9. [7品目 :マレーシア、 シンガポール、 そ の他3カ国−成田、 2006年、 9回] 3 items: Malaysia, Australia and Viet Nam - Narita (2007), 3. [7品目 :マレーシア、 オーストラリア, ベトナム−成 田、 2007年、 3回] 12. Arionidae(オオコウラナメクジ科=クロコウラナメクジ科) (1) Arion ater (L., 1758) Vegetables 野菜 Ornithogalum sp.: France - Narita (2002), 1. [オルニソガルム属: フランス−成田、 2002年、 1回] (2) Arion hortensis Férussac, 1819 Vegetables 野菜 Ornithogalum sp.: France - Narita (2003), 2; France – Narita (2006), 1. [オルニソガルム属: フランス−成田、 2003年、 2回; フランス−成田、 2006年、 1回] Rheum rhaponticum L.: USA - Narita (2002), 1; Netherlands - Narita (2003), 1. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) : 合衆国−成田、 2002年、 1回;オランダ−成田、 2003年、 1回] Foeniculum vulgare Miller: Netherlands - Narita (2005), 1. [ウイキョウ :オランダ−成田、 2005年、 1回] Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2002), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2002年、 1回] (3) Arion sp. Cut flowers 切花 Danae sp.: Italy - Narita (2001), 1. [ダナエ属: イタリア−成田、 2001年、 1回] Live plants 生植物 Sciadopitys sp.: Netherlands – Narita (2006), 1. [コウヤマキ:オランダ−成田、 2006年1回] Erica sp.: UK - Narita (2002), 29; UK – Narita (2006), 1. [エリカ属: イギリス−成田、 2002年、 29回; イギリス−成 田、 2006年、 1回] Tillandsia sp.: Guatemala - Narita (2003), 1. [ティランジア属: グァテマラ−成田、 2003年、 1回] Ruscus sp.: Netherlands - Narita (2005), 1. [ナギイカダ属:オランダ−成田、 2005年、 1回] Vegetables 野菜 2009 The Kyushu 83 University Museum 外来種オオクビキレガイ (軟体動物門腹足綱) の日本での分布状況と移動方法 付録―農林水産省植物防疫所植物検疫統計―輸入植物検査病菌・害虫発見記録(1997~2007) の軟体動物 An invasive snail Rumina decollata (Linnaeus, 1758) in Japan, with records of quarantine by the Plant Protection Station, Ministry of Agriculture, Forestry and Fisheries, Japan during 1997-2007 Allium ampeloprasum L.: Belgium - Narita (2007), 1. [リーキ:ベルギー−成田、 2007年、 1回] Allium cepa L.: Italy - Narita (2004), 1. [タマネギ: イタリア−成田、 2004年、 1回] Cichorium intybus L.: Italy - Narita (2004), 1. [チコリ : イタリア−成田、 2004年、 1回] Ornithogalum sp.: France - Narita (2002), 4; France - Narita (2005), 4; France – Narita (2006), 6; France – Narita (2007), 1. [オルニソガルム属: フランス−成田、 2002年、 4回; フランス−成田、 2005年、 4回; フランス−成田、 2006年、 6回; フランス−成田、 2007年、 1回] Rheum rhaponticum L.: Netherlands - Narita (2003), 2; USA - Narita (2005), 1; Netherlands and USA – Narita (2007), 3. [ショクヨウダイオウ (ルバーブ) :オランダ、 2003年−成田、 2回;合衆国−成田、 2005年、 1回;合衆 国−成田、 2007年、 3回] Other plants and plant products その他 4 items: South Africa, USA and 2 other countries - Narita (2002), 4. [4品目 :南アフリカ、 合衆国、 その他2カ 国−成田、 2002年、 4回] 2009 The Kyushu 84 University Museum 九州大学総合研究博物館研究報告 Bull. Kyushu Univ. Museum No. 7, 085-104, 2009 シーボルト 『NIPPON』の捕鯨図 宮崎克則 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' Katsunori MIYAZAKI 九州大学総合研究博物館:〒 812-8581 福岡市東区箱崎 6-10-1 The Kyushu University Museum, Hakozaki 6-10-1, Higashi-ku, Fukuoka 812-8581, Japan はじめに けい が 1830年1月1日 (文政12年12月7日)、国外追放となった33 図版は川原慶賀の絵をもとにしたり、他の資料に基づ 歳のシーボルトは日本妻「たき」 と娘「いね」に別れを告 きオランダの画家たちによって石版に描かれ印刷された。 げ、 バタビアへ向かう。7月にオランダへ帰り着いた彼は、 石版による印刷は1798年に完成した技術であり、 銅版の 収集した博物資料を整理しつつ、 32年から 『NIPPON』、 ように原版に凹凸をつけることなく、 クレヨンなどで描けば 33年から 『日本動物誌』、35年から 『日本植物誌』 を刊行 化学反応で原版を作ることができた。高純度の石灰石に し始める。20年以上の長期にわたって分冊で出された3 脂肪性のクレヨンやインクなどで絵を描き、次に弱酸性溶 部作は、 どれも自費出版であった (1)。 液(アラビアゴムと硝酸の混合液) を塗る。化学反応によって 『NIPPON』 は結果的に本文1~7章、図版367枚とな 描かれた部分は油性物質を強く引きつける力を持ち、描 る。 ドイツ語で出された 『NIPPON』 の印刷はライデン (オラ かれていない部分は水分を保持するようになる。 こうして ンダ) のJ ・G・ラ・ラウが担当した。本文編内表紙の最下段 石版上に水分を弾く部分と保持する部分ができる。石版 に彼の名前がある。 ドイツ語版からオランダ語版(第1分冊 を水で湿らせたのち、印刷用の油性インクを乗せると、絵 のみ) が出され、 次いで部分訳のフランス語版・ロシア語版 を描いた部分にのみインクは付着し、 その他の部分では も出る。 ドイツ語版のタイトルは、 「NIPPON」が主題で、 副 インクが弾かれる。 そして紙を当て刷り機にかけるのである 題として「日本およびその近隣諸国と保護国、 すなわち南 (2)。 千島列島を含む蝦夷・樺太・朝鮮・琉球諸島に関する記 『NIPPON』図版のうちの1枚が捕鯨図である。 タイト 録集」 とある。 日本を主体に周辺地域の歴史・風俗・社会 ルはオランダ語で「WALVISCHVANGST」 ( 捕鯨 )、 ド を紹介した『NIPPON』は、 それまでにヨーロッパで出て イツ語で「WALLFISCHFANG」 ( 捕鯨 ) とあり、左上に いた日本関係の研究書に比べると、圧倒的に図版が多 「NIPPON Ⅵ」、右上に「TAB. Ⅲ」 とあり、 『 NIPPON』 く、 これを購入した人々はいまだ未知の国であった日本を 第6章3番目の図であるとことを示している。 また左下に 容易にイメージすることができた。 「A van der Gant Impr」、右下に「Juxt pict jap van 2009 The Kyushu 85 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' Straaten in lap del」 と石版画家名等が極めて細かな文 〔註〕 (1)宮崎克則「シーボルト 『NIPPON』の配本」 (『九州大学総合研究博物館研究報 告』3号、2005年) 。 (2)町田市立国際版画美術館編『版画の技法と表現』 (町田市立国際版画美術館発 行、2003年、改訂第2版) 。 字で印刷されている。意味は「日本の絵にならってファン・ ストラーテンが石版に描き、 ファン・デル・ハントが印刷した」 という内容である。今のところ印刷工・画工については不 明である。 シーボルトは何をもとに捕鯨図を描かせたの か、 彼は日本捕鯨をどのようにとらえていたのかを検討しよ う。 1. シーボルト以前の捕鯨研究 現在の日本捕鯨は、国際捕鯨委員 〔図1〕 17・18世紀 北欧捕鯨船団図 会(IWC)が1982年に商業捕鯨の全 面禁止を決定した結果、政府による規 制・管理のもとで規制対象外の小型鯨 類の捕獲が実施されている状況にあ る。 しかしかつて、和歌山県・高知県・ 九州北部等の諸県域では、捕鯨業が 地域の基幹産業として展開し、 明治期 以降も欧米の捕鯨技術を取り入れな がら存続してきた。 夏から秋、鯨はオホーツク海以北の 海に棲息し、冬には日本海・太平洋の 回遊路を通ってフィリピン海域に南下 して子育てをする。そして春になると、 逆コースをたどって北上する。 日本列 島の海域は鯨の通り道であり、 縄文・弥 「瀕死の鯨に接近」/銅板手彩色/宮崎克則蔵 生時代の遺跡からも鯨の骨が発見さ れているが、集団で組織的に捕鯨するのは戦国時代末 ドイツ人のケンペルは1690年(元禄3) に出島商館の医 から江戸時代初めに三河から紀州地域で始まった。鯨を 師として来日、91年と92年に商館長の江戸参府に随行 追いかけ銛で突いて捕る 「突取法」による捕鯨はすぐに し、 日本の歴史・社会・政治・宗教・動植物などを総合的に 九州北部へも伝わり、 捕鯨集団の「鯨組」が組織された。 観察した。得意な絵筆をとって挿絵も準備した。帰国後は 鯨組は大きな利益をもたらしたから、 藩権力はこれを保護 故郷レムゴーの領主の侍医となり、 1712年に 『廻国奇観』 し、操業許可と引き換えに運上銀を納めさせた (1)。 そう を出版し、死後の1727年に英語版『日本誌』が出た。 『日 した日本の捕鯨に興味をもつ者が出島にやってきた人々 本誌』 は各国語に翻訳され、 ヨーロッパにおける日本研究 のなかにいた。彼らは自由に捕鯨地を見聞することはでき の基本書となる。 もり くじらぐみ うん じょう なかったが、北海やグリーンランド海域での捕鯨と比較し 『日本誌』 の11章が「魚介類」であり、 フグやタイ・イワシ ながら、 日本捕鯨について調査し、 その成果をヨーロッパ などをオランダ人は何と呼んでいるのか、 日本ではどのよう で出版した。 に食しているかを記す。 この章の最初が鯨であり、 その種 類や利用方法の他に、 捕獲方法を簡潔に記す (2)。 2009 The Kyushu 86 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 流し、 「捕鯨絵巻」 を集めている。死後の1822年に刊行さ 海棲動物全体の中で、 鯨ほど庶民の空腹を満たしてく れた 『日本風俗図誌』14章に彼が収集した資料目録があ れる食料はない。鯨はほとんど全日本周辺の海で捕獲 り、 そこに (5) 、 される。 しかし一番多く捕れるのは、 日本本島の南海岸 を洗っている熊野灘である。 これに次いで対馬と五島 一 日本の漁師 付近でよく捕れ、大村湾や野母崎沖合でも捕れる。捕 9隻の舟で捕鯨に従事しており、捕鯨のために非常 鯨にはグリーンランドと同じように銛を使用し、 捕鯨に都 に大きな網を投げている。薄い紙の巻物で、長さ4 合よく出来ている特殊の船を用いる。捕鯨用の船は、 フィート4インチ、 幅10インチである。 小型で幅が狭く、 舳が尖っており、 10人乗りの快速船で 一 網を破った鯨 ある。大村の義太夫(Gijlaijo) という金持ちの網元が、 鯨は四隻の舟の甲板にいる多勢の漁師の銛から逃 1680年に新しい捕鯨法を発明した。 それは指二本位 れようとしてもがいている。前に挙げたものと同じ紙 の太さの綱の網で鯨を引く方法であり、 その後与右衛 の巻物で、 長さ2.5フィート、 幅10インチ。 門(Jwonomo) という名の五島の農夫が、幸いにもこの 捕鯨法を承け継いだ。 鯨は、 網に引っかかったと感ずる とある。約1.3メートル (4フィート4インチ) と76センチ (2.5フィー と泳げなくなり、静止する。 そこへ通常の方法で銛を打 ト) の絵がどのようなものであったか、確認はできないが、 ち込むのである。 この方法は、 普通の方法よりも仕掛け 場面で裁断された捕鯨絵巻を収集していたようである。 が大がかりだし、 費用もずっと嵩む。普通なら銀20箱以 続けてシャルルボアの解説が付されており、内容はケン 上はかからないが、 この方法だと経費はどうしても20箱 ペル 『日本誌』からの転載である。 ティツィング 『日本風俗 以下ではすまない。 しかしそのかわり、 収穫は大きく、 そ 図誌』 は、婚礼・葬式などの風俗習慣や日本史の他に田 の点は有利である。 沼政権の対外政策、浅間山噴火などについて記してい るが、捕鯨についての記述はない。 ティツィングの収集資 ケンペルは、網を利用して鯨の動きを鈍らせ銛で突く 料は彼の死後に競売され、一部はパリ国立図書館にあ 「網掛突取法」が「1680年」 (延宝8) に「大村の義太夫」 る (6)。 しかし、 その中に捕鯨絵巻などは見あたらなかっ あみ かけ つき とり ぎ だ ゆう によって考案されという。 「網掛突取法」 をいつ誰が始め た。散逸してしまったようである (2008年9月の調査)。 たのかについて、一般的には大村藩が編纂した『見聞 ケンペルを強く意識し、彼の研究を超えることを目指し 集』 『 郷村記』 の記事から、 延宝5年(1677) に紀州の熊野 ていたシーボルトは、 日本捕鯨についてどのような情報を たい ち 太地浦で太地角右衛門が創始した「網掛突取法」 を、 貞 いかに収集したのだろう。 享元年( 1684) に肥前大村の鯨組主である深沢儀太夫 い 〔註〕 (1)中園成生『くじら取りの系譜』 (長崎新聞社、2001年)。 中園成生・安永浩『鯨取り物語』 (弦書房、2009年)。 (2) 『日本誌』上巻、252頁(今井正訳、霞ヶ関出版、1973年)。 (3)中園成生「西海漁場における網掛突取捕鯨法の開始」 (『島の館だより』11 号、平戸市生月町博物館、2007年) 。 (4)片桐一男「ケンペルと今村源右衛門英生」 (ヨーゼフ・クライナー編『ケンペルのみ た日本』、 NHKブックス、1996年) 。 (5)沼田次郎訳『ティチング日本風俗図誌』 (新異国叢書、雄松堂、1970年)。 (6)小杉恵子「パリ国立図書館における18~19世紀収集和古書目録稿」 (『日蘭学会会誌』17-1号、1992年) き が太地で見聞し、壱岐勝本浦に導入したといわれるが、 延宝8年に深沢儀太夫が壱岐瀬戸浦で創設したとする 説もあり (3)、 ケンペル説と符合している。 ケンペルが何の 史料にもとづいて記しているのか不明であるが、彼の来 日10年ほど前のことであり、 同時代の記録として貴重であ る。彼が小使いとして雇い史料収集と調査・研究の助手 とした今村源右衛門の調査によるのだろうか (4)。 その後、 18世紀後半に3回にわたって出島の商館長を くつ き まさつな 勤めたティツィングは、 福知山藩主朽木昌綱・鹿児島藩主 しま づ しげひで ほ しゅう じゅんあん 島津重豪らの大名、 蘭学者の桂川甫周・中川淳庵らと交 2009 The Kyushu 87 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' 2. 『NIPPON』 のなかの産業 分冊で刊行された 『NIPPON』 の章立ては以下の通り 章は後期の作となる。 である。 シーボルトの日本派遣は、 日本―オランダ貿易を再検討 第1章 日本の数理地理と自然地理、 海上旅行 するための博物調査にあったから、 貿易についての記事 第2章 民族と国家、 陸・海の旅 が多いのは当然であろう。6章1節は、 鎖国により外国から 第3章 神話と歴史 得ていた品物の輸入が少なくなったため、 絹・木綿・砂糖・ 第4章 技術と学問 染料・薬種などの生産が次第にさかんになり、 また商業も 第5章 日本の神々 発達したことを概観する。 2節では、 1609年 (慶長14) にオラ 第6章 農業・工業・工芸および貿易 ンダ人が徳川家康から朱印状を得て以降の貿易史につ 第7章 日本の近隣諸国と保護国 いて、 ケンペルらの先行研究や「シーボルト事件」の処理 に苦慮した商館長メイランの 『日欧貿易史概観』 (2) に基 産業・貿易に関する6章の内訳は、 づきながら概観し、 日本人にオランダ人が友人として欠く 第1節 対外貿易の制限と対ヨーロッパ通商関係 べからざることを確信させてこそ、 日本政府は貿易拡大に 途絶の結果の国内産業の発展 ついて耳を傾けるであろうと提言する。3節では長崎会所 第2節 日本におけるオランダ貿易の始まりから現在 の機能や貿易実態について記し、 オランダは日本と平和 まで に通交する唯一の国として、 「他の貿易を行う海上帝国 第3節 オランダ人の航海と貿易、対外貿易の手 の名において、 自由貿易を開くことを江戸幕府に勧告す 配、 特にオランダ商人の貿易事務所 ることをその課題としなければならない」 という。4節は中 輸入品と輸出品、 日本におけるオランダ貿 国との貿易、5節は朝鮮・琉球・アイヌとの交易について記 易の現状と将来の展望に関する評価 しており、特に琉球については日本市場に適する物品の 第4節 日本と中国の貿易 集散地となり得ること、 戦艦・蒸気船・捕鯨船の碇泊地とし 第5節 日本とその保護国・近隣諸国:高麗、琉球、 ても適するから、太平洋航路が開かれればますますその 蝦夷、 南千島列島、 樺太の貿易 意義を増すだろうという。現在の貿易史研究から見ると、 第6節 国家の物質的救済手段、生産的・工業的・ シーボルトの記述内容には誤解や間違いもあるが(3)、 商業的階級、 国内産業 現在における江戸時代貿易史研究の雛形を提供してい である。1節から6節の前半までは12回配本で配られ、 6節 るようである。 後半が13回配本で追加された。1832年の第1回配本か 6節が産業であり、彼は日本国民の3分の2は農耕・漁 ら1851年第13回配本の内容を把握できるのは、初版の 業・鉱業などに従事し、多数の人口を維持するための産 九大本『NIPPON』 (九州大学附属図書館医学分館蔵) に残 物を提供するだけでなく、製造業者・商人に充分な仕事 る 「INHALT」による。 『 NIPPON』 に目次はなく、 どの章 を与えていることを、 数値をあげながら詳しく述べている。 節がいつ配本されたか不明であるが、九大本には配本 そして農産物等の生活必需品への加工、 衣服製造につ 時に添えられた配本内容をしめす「INHALT」がすべて いて記すが、残念ながら未完のままで終わっている。 この 残っており、 どの章節・図版がいつ配られたかを復元できる なかの漁業の部分に捕鯨についての記述がある (4)。 (1)。 13回配本の時期は、 「INHALT」に1851年付のシーボ 土地の耕作が一般に行きわたり、細心の注意をもって ルト報告があることから判明するが、12回配本の時期は 行われていることは、 日本の訪れるすべての外国人の 不明である。 ただし、 日本とオランダの貿易について書い 驚嘆するところである。 また海岸の住民が、 無限にある た本文中に「現在、 1844年」 とあり、 配本は40年代後半と さまざまな海産物をできるだけ取ることにかけての作業 考えられる。 『 NIPPON』 は1832年から刊行されたので、 6 や技量にも驚かされる。私は自著『NIPPON』 の中 (「長 2009 The Kyushu 88 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 崎から江戸への旅」123頁) ですでに述べたように、 捕鯨に 人を説得し、 「悪意のない物好き」だと説明して内諾を得 ついてもこの国では外国よりも収益は多く、非常に安く ていた。 「水深1尋を示した。 さらに海峡へ入っていくと、 見積もっても毎年の純益は100万グルデンとなる。 またカ 3、5、7から8尋となった」 と記す(7)。 シーボルトは海峡の ツオ漁やしばしば述べてきたイワシ漁は大規模に行わ 名前を、 オランダ領東インド総督ファン・デル・カペレン男爵 れ、 ヨーロッパのニシン漁やタラ漁と同列に置いてもよい にちなんで「ファン・デル・カペレン海峡」 と名付け、 図2・3の ものである。 Ⅱ第16図) 海峡図(「NIPPON」 には、 水深が書き込まれてい る。彼は船上から1尋、 2尋と数えながら錘をつけた紐を垂 ひろ 極めて簡単な内容であり、捕鯨については、すでに旅 らしたのである。尋は、大人が両手を一杯に広げた長さ 行記の部分で書いているという。 シーボルトが見積もる の単位であり、明治時代に1尋=6尺と定められ、1尋は約 捕鯨の純益「100万グルデン」について、彼はオランダ通 1.181メートルになったが、人によってその長さは異なり、1 貨12グルデン (ギルダー) を金1両としている (5) から、 約8万 尋を5尺(約1.515メートル) とすることもある。 シーボルトの場 3333両となる。 シーボルトは、 このような数値をどのようにし 合、同じ下関の滞在記事のなかに「20尋( 30.3メートル) の て算出したのか、 旅行記を見てみよう。 セミクジラ」 とあるから (8)、1尋=1.515メートルで計算して いる。 出 島のオランダ商 館 長の江 戸 参 府は、寛 永 1 0 年 〔図2〕 『NIPPON』Ⅱ第16図 ファン・デル・カペレン海峡の地図 (1633)から嘉永3年(1850) まで166回を数える。 その目的 は、江戸へ参府し、将軍に謁見、御礼を言上、献上物を 呈上することによって、 有利な対日貿易の継続を謝すこと にあった。寛政2年(1790)からは貿易額半減にともなって 4年に1度となり、 シーボルトは来日3年目の文政9年(1826) に商館長スチュルレルに随行する機会を得た。彼は自ら の調査・研究への協力者や門人らを一行に加えており、 総勢は107人の多さであった。通常の参府人数は59人 が規定で、 大坂雇いの者13人くらいを入れても70人前後 であった。所要日数も通常は90日ほどであったが、 シーボ ルトの場合は事あるごとに延長作戦をとり143日におよんだ 九州大学附属図書館医学分館蔵 (6)。 行路について、長崎―下関は、はじめ海路であった 〔図3〕 拡大図 が、 船旅の不安定な危険をさけて、 万治2年(1659) からそ の大部分を陸路にとり、 長崎街道を通って小倉に至った。 小倉から下関へ関門海峡を小舟で渡海し、 ここで「日吉 丸」の到着を待った。 「日吉丸」はオランダ商館長が瀬戸 内海を船旅する際に使用する指定の和船であり、 オラン むろ ダ商館がチャーターした。 その後、室(兵庫県たつの市) もし くは兵庫で上陸し、 大坂・京都を経由して江戸に至る。 シーボルト一行の場合、 文政9年1月9日 (1826年2月15日) に長崎発、 15日 (2月21日) に小倉着、 翌日に下関へ渡海す おもり る。 その船上、 シーボルトは錘を垂らし、関門海峡の水深 を測っている。 もちろんこうした行為は禁止であり、 シーボ シーボルトは、 1月16日から同24日 (西暦2月2日~3月2日) ま ルトもそのことは十分に承知していたが、彼は監視の役 での9日間、関門海峡の各地を緯度・経度を含めて測量 2009 The Kyushu 89 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' するとともに、多数の門人たちと面会し、 また門人が連れ らの論文など42点の存在が確認されたが、 そのなかに てきた患者を診察した。集まった門人の中に前年に入門 高野論文「鯨ならびに捕鯨について」は含まれていない した高野長英がおり、 彼は「鯨ならびに捕鯨について」 と (11)。すでにこの時点でなくなっていたようである。彼は 題するオランダ語論文を提出した。論文の課題はシーボ 翻訳のアルバイトをしていたから、他の高野論文は数多 ルトが与えたものであり、論文提出と引き替えに「ドクトル く、 「日本と中国の医薬に関する略記」 「日本婦人の礼儀 の免許」が与えられた (シーボルトに正式な博士号を与える権 作法・婦人の化粧・結婚風習について」などがドイツのボ 限はなく、 「卓越した知識を修得した」 ことの証明書の類である) 。 フム大学図書館にシーボルト・コレクションとして現存して 高野は仙台藩水沢留守家の家臣後藤実慶の三男とし いる。図4は 『南島誌』 を訳した高野のオランダ語文であり て生まれ、蘭方医高野玄斎の養子となった。彼は文政3 (No.1.311)、表紙のタイトルはシーボルトの直筆になる。 ボ 年に江戸に赴き、 同8年に長崎へ行く。高野は22歳、 シー フム大学を調査したが、 高野の捕鯨についての論文はや ボルトは29歳であった。入塾後に高野が父玄斎へ宛て はり見当たらなかった (2006年12月,2007年9月, 2008年9月の調 た書状には、 「長崎鳴滝と申処に和蘭シーボルト塾に寄 査) 。 ちょうえい 宿仕候、 万事都合宜敷勤学仕候」 (文政8年10月27日付) と 捕鯨に関する高野の情報源は平戸の捕鯨業者であっ ある (9)。 オランダ語能力の高かった高野に、 シーボルト た。 このことは、 シーボルトが旅行記のなかに明記してい は翻訳を依頼しており、 同じく父へ宛てた書状に「シーボ る。1月21日の記事に「そこにはたくさんの患者が待って ルト方より是又和文蘭文に書替候故、少々宛雑費之助 いた。 そのなかに平戸の捕鯨の仕事をしている者がいた 力に預り」 (文政10年1月15日付) とある (10)。高野がシーボ が、高野長英の前述の捕鯨に関する論文は、 この人に ルトのもとで翻訳のアルバイトをし、 滞在費を稼いでいるこ 負うところがすこぶる多い」 とある (12)。高野は捕鯨業者 とがわかる。 を連れてきてシーボルトに面会させたのである。 この捕鯨 いき つき ます とみ 高野をはじめシーボルト門人が提出したオランダ語論 業者は、平戸藩の生月島を本拠とする益冨組の5代目当 文は、昭和10年にベルリンの日本学会から日本側へ貸し 主―益冨又左衛門正弘(安永5~天保3年) であったと考え 出され、当時の東京科学博物館で「シーボルト資料展 られる (「益冨家略系図」、益冨哲朗氏のご教授による)。益冨 覧会」 ( 4月20日~29日)が催された。伊藤圭 介や岡研 介 家は享保10年( 1725)から 「突取法」による捕鯨を始め、 けい すけ けん かい 同18年には網を使い始め (「網掛突取法」)、 シーボルト来 〔図4〕 高野長英訳『南島志』 日頃はもっとも繁栄していた捕鯨業者であった。寛保1年 (1741)~弘化3年(1846) の最盛期(106年間)、益冨組で は「鯨凡二万千二百本」 を捕獲しているから (13) 、 年平均 で約200頭となる。 シーボルトは日本の捕鯨について、 ヨーロッパと比較し ながら、 ヨーロッパの捕鯨船は捕獲・鯨油の製造のために 必要な装備をすべて備えて各船ごとに出漁するのに対 し、 日本では集団で捕獲するという。 日本では、普通25の小舟と8艘の割合に大きい船が船 団を作って、鯨をとりにゆく。小さい方の船は鯨船とい い、5~6間(9~10メートル) の長さの覆いない舟で、8つ の櫓をもち、 11ないし13人が乗り組んでいるのは、 本来 捕鯨をするためのものである。彼らは鯨を見つけると、 この小さい舟に乗って鯨に向かって漕ぎ進み、 モリを 投げる。大きい方の船は、 われわれが47頁で堺船とい ボフム大学図書館蔵 2009 The Kyushu 90 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 う名で述べたもので、商船式に造られていて (普通イサ とある。 シーボルトは捕鯨の利益を 「100グルデン」 と見積 ワ船とも呼ばれている) 木造船を用いる。傷ついた鯨をつ もっているとあるが、 この数値は前述した『NIPPON』6 つんだり、 あるいはその退路を断つ大きい鯨網を運搬 章6節の記述「毎年の純益は100万グルデン」 と大幅に したりする役目を受けもつ。 こういう網は稲藁か、 またま 違う。九大本『NIPPON』の原本をみると、 そこには「auf れにシュロの繊維で編んだもので、10丈( 38.18メートル) eine Million Gulden schätzen」 とあり、 100万グルデンと の深さで、 300メートルの長さがあるので、 これだけで船 明記されている。誤植なのだろうか。 また、 セミクジラ1頭の の積荷となる。捕って殺された鯨をその網でつつみ、 普 価格が3600~4000両とあることについて、 仙台藩学養賢 通は漁村まで引っぱってゆき、 桟橋のうちとくにそういう 堂の学頭であった大槻清準編『鯨史稿』 (14) (文化5年) 設備のある場所で切り開く。 そして肉や脂身やその他 4巻と比較してみよう。大槻は平戸藩生月の益冨組をは 食用になるところは魚屋が買い集め、 新しいうちに日本 じめ他の捕鯨地を実地に訪れ、内外の捕鯨に関する諸 中のすべての港へ送り出す。 (2巻,340ページ) 書を引用して編纂している。彼は「平戸ノ老楽」から聞い おお つき たこととして、大きなセミクジラ1頭で「六十貫目」、小さくて シーボルトは実際に捕鯨を見聞したわけでないが、高 も 「拾貫目」になるという。仮に金1両=銀60目で換算する 野論文や捕鯨業者からの聞き取りによって、網を張って と、大セミクジラは金1000両、小は166両となる。 この数値 鯨を追い込み、銛で仕留める当時の「網掛突取法」によ は翻訳版と大きく異なる。 そこで原本をみると、 「mit 3600 る捕鯨を簡潔にまとめている。彼はこの他にも、需要が多 bis 4000 Tail」 とあり、 「両」でなく 「Tail」が単位となって いのはセミクジラとコクジラの肉であること、 生よりも塩鯨肉 いる。 の方が美味しいこと、鯨油を菜種油よりも好んで使用す 「Tail」 (テール) とは、 東インド会社(政府) の日本国内に ること、油をとった残りカスも貧乏人の食用となり、粉は肥 おける取り引き用の貨幣単位であって、実際にそのよう 料として用いられていることなど、 「ヨーロッパでは人々がま な貨幣があったわけではない。1テールは2グルデン (ギル だ考えも及ばなかった他の用途」があることを紹介してい ダー) に相当した。 グルデンは15世紀から2002年まで使わ る。 れたオランダ通貨の名前で、 フローリン (florin) の古い呼 ただし、 『 NIPPON』の翻訳版である 『シーボルト 「日 び方もあり、略号として「f」 または「fl」が用いられる。 シー 本」』 (雄松堂)2巻の捕鯨についての部分には、誤訳やミ ボルトは、 この部分の注記として、 『NIPPON』 にテールと両 スがある。翻訳版339ページでは、 捕鯨の利益について、 (小判) の換算を 〔図5〕 のように記している。 要約すると、 1テールはオランダ通貨の2グルデンに相当 1頭の大きなセミクジラは3600両から4000両―7000か し、金1両は6テール、12グルデンに当たる、 としている。つ ら8000グルデン―までもする。そして平均して年間に まり 「3600両」でなく、 「3600テール」にすべきなのであり、 250から300頭までのグシラを捕らえるので、 それから考 金に換算すると600両。4000テールは金666両となる。 シー えても日本における捕鯨という部門の重要さがわかる。 ボルトが大セミクジラ一頭の価値を600~666両とするの ごく控え目に見積っても、 クジラは100グルデンと評価さ は、 『 鯨史稿』 と比べても、納得できる数値であろう。 また れるかもしれない。 年間捕獲数を250~300頭としているのも、前述した益冨 組の年平均捕獲数と大きな開きはない。 これらの数値は、 〔図5〕 『NIPPON』 の注記 九州大学附属図書館医学分館蔵 2009 The Kyushu 91 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' 〔図6〕 川原慶賀の請求書(No.1.0-3.000) ( 中 略 ) ボフム大学図書館蔵 直接に捕鯨業者と面会することによって得られたと思わ シーボルトによる捕鯨調査は下関滞在時だけでなく、 こ れるが、 翻訳版の作成時に「Tail」 を 「両」 と訳した結果、 の後も続いている。 ドイツのボフム大学図書館に表題のな シーボルトが架空の数値を上げているようになっている。 い冊子(タイトルは「Zoologie」、No.1.215.000) (15)がある。 こ 他にも 「Tail」 を 「両」にしている所があるので、注意して れはシーボルトのメモ書きなどを1冊にまとめた雑記帳であ 翻訳版を読む必要がある。 り、 このなかに 『NIPPON』 の捕鯨記事とほぼ同じ内容の 記述がある。 図6は川原慶賀がシーボルトに送った絵の請求書であ り、 「山水極粉色茶つミの画」の値段は銀200目、肩書き 日本人は鯨を銛でとる。殺された鯨を大きい網で巻い に20テールとある。図のようなテールの略号が用いられ、 て岸に運びあげる。彼らは団体を組んでたいてい25隻 銀10目が1テールであった。銀60目=金1両の換算で、 金1 の小さい舟と8隻の大きな船で捕鯨に出かける。小さい 両=6テールとなる。 舟は鯨舟( Kusirafune) といい、5~6間の長さで櫓は8 〔図7〕 シーボルトの雑記帳(No.1.215.000) ボフム大学図書館蔵 2009 The Kyushu 92 University Museum Katsunori MIYAZAKI 丁あり、 普通11~13人が乗り込んで銛をもって鯨を突く 〔図8〕 鯨志 役をする。大きい方の船は大きな網を運び使用する。 さらに続けて高野長英による捕鯨調査が記されている。 〔図7〕 には、 門人高野長英は鯨研究のため、平戸・壱岐・対馬に派 遣された。壱岐においてはしばしば1日に7~10頭の鯨 が得られるのを見たと証言した。種類はザトウ・ナガス・ セミ。 セミはもっとも多い。 これは1828年1月のことであ る。壱岐においては勝本(Kasumoto) および壱岐瀬戸 (Iki-seto)が2つの主な捕鯨地である。漁師が使う網 は18丈すなわち38メートルの深さがあり、長さはしばし ば300メートルである。捕鯨は12月より4月まで続く。 とあり、 江戸参府の2年後、 文政11年(1828)1月、 高野を捕 鯨調査のために平戸・壱岐・対馬に派遣したことが記され ている。 このことを、高野長英側の記録からも確認してお こう。文政11年2月、高野は長崎の友人から父の死去を 報せる手紙を受け取った。叔父からも書状が到来し、彼 ライデン大学図書館蔵 は4月1日付で叔父に返書を送った。 それに (16) 、 二月十二日付之御書、四月六日平戸ニ而拝誦仕候、 先以御家内様中御機嫌克被為入候段奉賀候、小生 無変御安心可被下候、 扨小生事も去冬中、 〔図9〕 岡研介「紀州産鯨について」 平戸より書中申上候通、 平戸公御頼ニ而御 領分中採薬仕、 夫より壱岐・対馬迄渡海、 二 月中旬壱州風本( 勝本カ) に戻り候処、長崎 朋友より書状到来、 其趣国元大変之由申越 候間(後略) とあり、 文政10年冬から11年春にかけて、 高野 が平戸・壱岐・対馬方面に出かけていたことは 確かである。 このなかに「平戸公御頼」 とあり、 高野は平戸藩主松浦氏とも関係がある。 その 由来を 『高野長英伝』から要約すると、 かつて 山田大円という医師が江戸にいたとき、 神崎屋 源造に薬価代48両を未払いのまま平戸へ逃 走し、松原見朴と名乗って松浦氏に仕えてい た。 これを突きとめた神崎屋は、長崎にいた高 ボフム大学図書館蔵 2009 The Kyushu 93 University Museum 宮 崎 克 則 シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' 野長英に宛て、 平戸にいる松原見朴から貸付 〔図10〕 海鰌 金を回収し、 自らの学資に充てるようにという内 容の書を送った。高野は神崎屋の書状をもっ て平戸へ行き、松原見朴と交渉した。その結 果、平戸藩が所蔵する蘭書の整理・翻訳を高 野に任せること、長崎の平戸藩屋敷長屋に高 野を居住させることと引き替えに、貸付金を帳 消しにすることとなった。その後高野は、平戸 藩が所蔵する蘭書の翻訳に着手し、松浦氏 の援助のもとで長崎留学を続ける。つまり、高 野は文政10年冬から、松浦氏の依頼による採 薬、 シーボルトの依頼による捕鯨調査のため、 壱岐・対馬方面に出かけていたのである。 ライデン大学図書館蔵 シーボルトの捕鯨に関する知識は、 益冨から の聞き取りや高野の調査の他に、 他の門人からの提出論 〔註〕 (1)宮崎克則「シーボルト 『NIPPON』の配本」 (『九州大学総合研究博物館研究報 告』3号、2005年) 。 (2) 『 日欧貿易史概観』 (1833刊)。庄司三男訳『メイラン日本』 (雄松堂、2002 年) に原文で掲載。 (3)永積洋子「日本の貿易」 (『シーボルト「日本」の研究と解説』、講談社、1977年)、鈴 木康子「シーボルトの貿易論とその評価」 (『季刊日本思想史』55号、1999年)。 (4) 『シーボルト 「日本」』4巻、298頁(雄松堂、1978年)。 (5) 『シーボルト 「日本」』2巻、350頁にシーボルトの注記がある。 「われわれ がテールをオランダの通貨2グルデンに換算する場合、 日本では6テール に当たり、そしてここで12グルデンの値打ちがある小判1枚の金貨価値 を、 われわれは基礎としたことを述べておきたい」 と訳されている。なお、 テールはオランダ商館員とオランダ通詞の間で案出した新造の表記であ り (片桐一男小『江戸のオランダ人』、中公新書、2000年)、1テールは銀10匁、 オラ ンダ通貨の2ギルダー(グルデン) に相当した。 (6)片桐一男小『江戸のオランダ人』 (中公新書、2000年)。 (7) 『シーボルト 「日本」』2巻、316頁。 (8) 『シーボルト 「日本」』2巻、339頁。 (9)高野長運『高野長英伝』173頁(岩波書店、1943年)。 (10)高野長運『高野長英伝』191頁。 (11)昭和10年、当時の東京科学博物館において、ベルリンの日本学会が所 蔵するシーボルト関係史料(306点) を主体に、国内にある関係史料ととも に「シーボルト資料展覧会」 (4月20日~29日) が開催され、門人が提出した オランダ語論文も展示された (昭和10年『シーボルト資料展覧会出品目録』、日独文 化協会他主催) 。この時、 日本側では一部の複製を作成し、解説を付して刊行 した (シーボルト文献研究室編『施福多先生文献聚影』、荒井書店、1936年)。現在、 ドイ ツに返却された門人提出の論文などはボフム大学図書館にあるが、第2 次大戦で被災したものも少なくない。 (12) 『シーボルト 「日本」』2巻、338頁。 (13)秀村選三「近世西海捕鯨業における生月益冨組の創業」 (『久留米大学比較 文化研究所紀要』19号、1997年) 、松下志朗「西海捕鯨における運上銀につい て」 (『創立三五周年記念論文集人文編』、福岡大学、1969年)。 (14) 「祭魚洞文庫」、国文学研究資料館蔵。 (15) ボフム大学図書館シーボルト・コレクション (タイトルは「Zoologie」=動物学に 関する手記) 。小川鼎三『鯨の話』 (中央公論社、1973年)の翻訳を参考にした。 ただし、小川氏も「テール」を「両」 と訳している。 (16)高野長運『高野長英伝』196頁。 (17)小川鼎三『鯨の話』。 文によっている。 岡研介が提出した「紀州産鯨について」 は、 「南紀和歌山梶取屋次右衛門」が作った宝暦10年刊 『鯨志』の大部分を忠実に訳したものである。 『 鯨志』は もっとも古い刊行された鯨専門書であり、 肉・皮・骨の利用 方法、 14種の鯨を図示しそれなりの動物学的説明を付し た書である。 さらにシーボルトは 『日東魚譜』 または 『海鰌 図』 を参考にした石井宗謙の論文「鯨の記」 も提出させ、 参考にしている (17)。 『 鯨志』 『 海鰌』はライデン大学図 書館にシーボルト ・コレクションとして現存する。 シーボルトはこれらの資料をもとに日本捕鯨について記 しているが、旅行記の中での記述であり、 それほど詳し い内容ではない。彼は最後に「鯨そのものと捕鯨のこと は、他の箇所でもっと詳しく記すつもりである」 と結んでい る。 しかし残念ながら実現しておらず、 これ以上の記述は 『NIPPON』 にない。 旅行記は 『NIPPON』5回配本から始まり、6・8・11回配 本と続く。次の12回配本では6章の産業・貿易についての 本文が配られたが、 捕鯨の記述は前に見たように簡単な ものにすぎなかった。 『NIPPON』本文での捕鯨に関する記事は以上の内 容である。 これに関係する図版として、 11回配本で「捕鯨 図」が配られている。 2009 The Kyushu 94 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 3. 『NIPPON』 の捕鯨図 11回配本の本文は、 参府旅行記の最終部分である下 まれていなかった。初版で出たのは瀬戸内の室までの旅 関滞在と下関から室までの船旅が配られた。現在、我々 行記であり、 その後の部分が出たのは明治30年(1897) に は 『江戸参府紀行』 (斎藤信訳、東洋文庫87、1797年) によっ 刊行された第2版においてであった。2版は、 シーボルトの て、 容易にシーボルトの江戸滞在中の記録や帰路の記事 死去後、 息子であるアレキサンダーとハインリッヒが中心と を読むことができるが、 それらは初版『NIPPON』 には含 なり、 日本からも旧大名の華族などが後援してシーボルト 〔図11〕 『NIPPON』第2版 の生誕100年を記念して出版された。2版では、 初版の内 容が削除されたり、 追加された部分が多く、 内容的にも形 態的にも初版と大きく異なる。江戸参府の記事は、2人の 息子が残っていたシーボルトの原稿などをもとに修正・加 筆したものである。 11回配本に添えられた図版は、下関から江戸までの 街道筋風景を描いた図版16枚と、 『 NIPPON 』6章の 産業に関する狩猟図2枚、漁業・捕鯨図2枚の計20枚で あった。 狩猟図の2枚には「NIPPON Ⅵ」 「TAB Ⅰ」 とあっ て、 『 NIPPON』6章の1番図版とある。 そして地引き網を 描いた図版に「NIPPON Ⅵ」 「TAB Ⅱ」、 次の捕鯨図に 「NIPPON Ⅵ」 「TAB Ⅲ」 とあり、 6章2・3番の図版となっ 長崎歴史文化博物館蔵/「呉秀三寄贈」 の印あり 〔図12〕 地引網漁 ライデン国立民族学博物館蔵 2009 The Kyushu 95 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' ている。 はドイツのボフム大学にあり、27点の絵それぞれに値段 あつらえ まず2番の地引き網図からみる。 この原画は川原慶賀 を記し (合計4貫940目)、最後に「右之通御 誂 残りニ而御 (田口種美・登与助とも) によって描かれており、実物はオラ 座候、以上」 と 「登與助」の署名があり、宛名・日付はない ンダ、 ライデン国立民族学博物館にある。 さらにこの絵に (1)。 このなかで地引き網図の原画は「同海の景 魚取 ついては慶賀の請求書も残る。前掲したように、請求書 図・あミ引・舟作る」 と題され、銀200目が請求されている。 〔図13〕 『NIPPON』Ⅵ 第2図 漁獲 九州大学付属図書館蔵 〔図14〕 『人物画帳』 〔図15〕 『人物画帳』 ミュンヘン国立民族学博物館蔵 ミュンヘン国立民族学博物館蔵 2009 The Kyushu 96 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 原画は絹本彩色であり、畳屋や提灯屋などの職人を描 地引き網図に続く図版が捕鯨図である。 中央のやや左 いた紙本彩色(1枚銀40目) に比べると高価であった。原画 寄りに追いつめられた鯨がおり、 船上から銛がいくつも投 と 『NIPPON』図版を並べると、 シーボルトが慶賀の絵を げられている。銛は上向きの角度で投げあげられ、 その そのまま使用せずに、 アレンジを加えていることがわかる。 重さで鯨に突き刺さる。図版はこのことを的確に表現して 造船の部分を省略して、代わりに漁夫と婦人の魚売り図 いる。銛の射程距離は、 軽い銛で13メートル、 重い万銛で を加え、上部には網や釣り糸、 「しかけ」や銛を追加して 8~9メートルほどといわれるが(4)、捕鯨図はもう少し距 いる。追加された漁具の一部は、 現在(2008年9月) 、 ライデ 離があるように描かれている。 は ざし ンにあるシーボルト ・ハウス (2) に展示されており、 シーボル 銛を打つのが「羽指」であり、 とくに一番銛は大変な栄 トが実物を収集し、図版に挿入していることがわかる。一 誉とされ、高い報償が与えられた。羽指が乗り込み鯨を 方、漁夫と婦人の図は、 ドイツのミュンヘン国立民族学博 追い立てるのが「勢子船」であり、 快速を必要としたから、 物館にあるシーボルト・コレクションの『人物画帳』のなか 8丁の櫓があった。天保3年(1832) 、 益冨組と平戸藩の共 にあり、 それからの転載である (3)。 シーボルトは109態の 作で刊行された 『勇魚取絵詞 』 (5) は益冨組の捕鯨を図 各種職業者―川越え人足、 海女、 獅子舞、 勧進僧など― 説した書である。 これによると、勢子船(20艘) は長さ7尋、 を和紙に描かせ、 これを台紙に貼り付けてアルバムに仕 櫓8丁、羽指の他に13人が乗り込んだ。他に捕獲した鯨 立てて持っていた。 を運ぶための「持双船」 (4艘) があり、 大きさは勢子船と同 せ いさ な とり え ことば もっそう 〔図16〕 『NIPPON』Ⅵ 第3図 捕鯨 九州大学付属図書館医学分館蔵 2009 The Kyushu こ 97 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' じで8丁櫓、12~13人が乗った。 そして鯨の予 〔図17〕 『張公捕魚』納屋場 そうかい 想進路上に網を張るのが「双海船」 (6艘) であ る。 これは勢子船よりも一回り大きく、 とくに幅が 5割増しで荷船のようにがっしりしていた。2艘 が1組になって網を張り、6艘あるから3組に分 かれて三重に網をずらしながら張る。 シーボルトは、 25艘の小さな船と8艘の大きな 船が一団となって捕鯨すると述べており、 『勇 魚取絵詞』 と比べて、網船の双海船の数が少 し違うが、 それほど大きな違いはない。捕鯨図 には、鯨の回りに25艘ほどの船が描かれてい る。図の左端には張られた網が描かれており、 一回り大きな双海船もいたことになるが、船の 形は描き分けられていない。 ライデン国立民族学博物館蔵 〔図18〕 『張公捕魚』第3場面 ライデン国立民族学博物館蔵 2009 The Kyushu 98 University Museum Katsunori MIYAZAKI 宮 崎 克 則 〔図19〕 『張公捕魚』第5場面 ライデン国立民族学博物館蔵 オランダのライデン国立民族学博物館のシーボルト ・コ い。 しかも勢子船と双海船を混合して描いているようで レクションに『張公捕魚』 と題する捕鯨図( 現在は折本仕 ある。 『 NIPPON』捕鯨図では勢子船の艫に荷台のよう 立て) があり、絵の最後は、益冨家の家紋が染め抜かれ なものがあるが、それらは勢子船になく、網を運ぶ双海 た幟の立つ納屋場(解体・加工場) の景色となっている。 こ 船に特徴的な構造である。 『 勇魚取絵詞 』によると、双 れは、下関での面会時に益冨正弘が持参し、 これをもと 海船の艫に柱を支える台のようなものが設置されている。 とも に捕鯨業について解説したものか、 または高野長英を 『NIPPON』捕鯨図の船にはすべてに荷台のようなもの 介してシーボルトが入手したものと考えられるが、裏付け が描かれており、勢子船と双海船の構造を混ぜ合わせ 史料はない。 この絵巻の第3場面は、勢子船が鯨を追い た形となっている。 立て、6艘の双海船が2艘1組になって網を張り出そうと また、 シーボルトは網の長さを300メートルとしているが、 する様子となっており、勢子船と網を積んだ双海船は描 『勇魚取絵詞』では網1反は「十八尋四方なり」、 「十九 き分けられている。 さらに第5場面では張られた網の様 反継合たるを双海船一艘に積」 とある。1尋=1.515メート 子が描かれている。 この絵巻をシーボルトは所持してい ルとすると、1反は27メートル四方、双海船1艘には長さ19 たのであり、勢子船と双海船の違いは容易に理解できた 反=513メートルの網を積んでいたことになる。網の長さな と思われるが、 『 NIPPON』捕鯨図は船を区別していな どにシーボルトの誤解はあるが、 『 NIPPON』捕鯨図は、 2009 The Kyushu 99 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' で行われた。松の前には、鯨の 〔図20〕 『勇魚取絵詞』 行き先を旗で知らせる人々が描 かれており、 これは『張公捕魚』 にもある。右下段にいる2人の人 物は『人物画帳』からの転用で 双海船 あみもと あり、 1人は羽指、 1人は網元であ る。 シーボルトがここに挿入させ たのである。 捕 鯨 図には「日本の絵にな らってファン・ストラーテンが石版 に描き、 ファン・デル・ハントが印刷 双海船付船 した」 と記されているから、何ら かの日本製原図があったことに なる。西海地域だけでなく、紀州 地域の捕鯨絵巻を30点ほど確 認したが(確認した捕鯨絵巻の多く 勢子船 勢子船 は「九大デジタル・アーカイブ」で公開 している。http://record.museum. kyushu-u.ac.jp/kujira/ ) 、原図と 思われるものはなかった。 シーボ ルト所持の 『張公捕魚』 にも原図 持双船 と思われる場面はない。 長崎県壱岐郷土館蔵 日本でどのように鯨を捕っているのかを1枚の絵で的確に 表している。 これを見れば、 鯨の捕獲・鯨油作製のための 装備を備えて数年間かけて出漁するヨーロッパやアメリ カ捕鯨との違いをすぐに理解できたであろう。 『NIPPON』捕鯨図の陸側を見ると、 松には雪が積もっ ており、冬の時期を表している。 『 勇魚取絵詞』にも 「小 ばかり 寒の節の前後十日許の間」に操業を開始するとある。 「二四節気」の一つである 「小寒」は、現在の1月5日頃に あたる。捕鯨は冬場の作業であり、南下する鯨を狙う冬 組は2月頃まで、 その後北上する鯨を狙う春組が4月頃ま 2009 The Kyushu 100 〔註〕 (1) ボフム大学図書館蔵(No.1.0-3)。慶賀の請求書は、沼田次郎「川原慶賀の 画料」 (『日本歴史』344号、1977年) に紹介されている。細かいことながら、沼 田氏は「右之通御眺残り…」 とされているが、 「眺」ではなく 「誂」 と読むべ きである。 (2)1832年、 シーボルトはライデンのラーペンブルフ19番地の家を借り、 自宅兼「日本博物館」 としてコレクションを公開していた。その建物が改修 され、現在は博物館として一般公開されている。 (3)小林淳一「川原慶賀筆『人物画帳』」 (ヨーゼフ・クライナー編『黄昏のトクガワ・ジャ パン』、NHKブックス、1988年) 。 (4)中園成生『くじら取りの系譜』91頁(長崎新聞社、2001年)。 (5)長崎県壱岐郷土館蔵。 (6)小林淳一「川原慶賀筆『人物画帳』」。 University Museum Katsunori MIYAZAKI おわりに 宮 崎 克 則 ら、多くの人々の目に触れることはなかったが、新聞は違 シーボルトの子孫が居住するドイツ (シュルヒテルン市郊 う。 外エルム村 ) のブランデンシュタイン城博物館には、彼の 個人的な手紙や遺品などが所蔵されている。そのなか 〔図21〕 御嶽山 に 『NIPPON』図版の下絵あるいはデッサンと思われる 水彩画の捕鯨図がある。左上に「NIPPON Ⅲ」、右上に 「Tab Ⅲ」 とあって、図版番号は一致する。ただし、 「朝 日」や羽指などは描かれていない (〔図23〕)。 き そ おん たけ さん 同じ水彩画で、木 曽の御 嶽 山を描いた図もブランデ ぶん ちょう ンシュタイン城博物館にある (〔図21〕)。 これは谷文 晁 『 名山図譜 』 を原画とする (1)。 シーボルトは江戸参府 において、東海道を往復しており、中山道を通っていな いが、 『 NIPPON 』には彼が見た富士山も含めて20カ 所の山々が谷文晁『 名山図譜 』 をもとに紹介されてい [1] 『名山図譜』 (ライデン大学図書館蔵) る (2)。図版を見くらべてみると、 [ 1] シーボルトが持ち 帰った 『名山図譜』 では荷を背負った馬と馬子が画面の 左下に描かれていたが、 [2] のデッサンでは省かれ、 [3] 『NIPPON』図版では修行僧のような人物に変更されて いる。 その人物は『人物画帳』のなかにあり、全国を廻り ろく ぶ 書写した法華経を納経して歩いた修行僧の「六部」であ る。 シーボルトは 『人物画帳』 を多用している。 御嶽山の図は、 『 NIPPON』 〔図22〕 『人物画帳』 図版がどのように作成された [2] 「御嶽山図」 (ブランデンシュタイン城博物館蔵) のかを端的に示している。捕 鯨図も同じような行程で作成 されたと考えられるが、原図 は不明である。 さらに、 シーボ ルトがどのような意図で「朝 日」を挿入したのか、近代日 本海軍の「旭日旗」のような 図案をどのようにして考案し たのだろうか。 ミュンヘン国立民族学博物館蔵 『NIPPON』掲載の捕鯨図はすぐにアメリカの新聞に [3] 『NIPPON』Ⅰ第6図 御嶽 (九州大学付属図書館医学分館蔵) も利用され、1855年12月1日付東海岸のボストンで発行さ れた「BALLOU'S PICTORIAL DRAWING-ROOM 〔註〕 (1) ライデン大学図書館には、 シーボルトが収集した谷文晁『名山図譜』が所 蔵されている。文化1年『名山図譜』は好評を博し、文化9年には『日本名 山図会』 と改題されて刊行された。シーボルトは第2版というべき文化9 年版ではなく、初版を持ち帰っている。 (2)宮崎克則「シーボルト 『NIPPON』 と谷文晁『名山図譜』」 (『九州大学総合研 究博物館研究報告』4号、2006年) 。 COMPANION」に左右反転画像で紹介される (〔図 27〕) 。網と銛で鯨を捕獲する日本の沿岸捕鯨について解 説し、船はよりシャープで軽いという。 『 NIPPON』の発行 部数はせいぜい200部、 しかもかなり高価な本であったか 2009 The Kyushu 101 University Museum シーボルト『NIPPON』の捕鯨図 The Whale Fishery Picture of Siebold 'NIPPON' 〔図23〕 捕鯨 ブランデンシュタイン城博物館蔵 〔図24〕 『NIPPON』Ⅵ第3図 捕鯨 〔図25〕 『人物画帳』 の網元 〔図26〕 『人物画帳』 の羽指 九州大学附属図書館医学分館蔵 ミュンヘン国立民族学博物館蔵 ミュンヘン国立民族学博物館蔵 2009 The Kyushu 102 University Museum Katsunori MIYAZAKI 〔図27〕 1855年「BALLOU'S PICTORIAL DRAWING-ROOM COMPANION」 〔拡大図1〕 〔拡大図2〕 (ドイツ, ケルン市)バーセルメス (Barthelmess)氏蔵 『パウロ絵入り新聞』 (1855年12月1日付) の 「日本の沿岸捕鯨」。ペリーの日本遠征前後から、 アメリカの絵入り新聞には、 シー ボルト 『NIPPON』 をニュースソースとした例が散見される。 2009 The Kyushu 103 University Museum 宮 崎 克 則
© Copyright 2024 Paperzz