通信300号 - 横浜詩人会のホームページ

Yokohama Poets’ Association――第 48 回横浜詩人会賞決定 !! 草野早苗氏受賞
横浜詩人会通信
回横浜詩人会賞決定
第四八回横浜詩人会賞をいた
だき、ありがとうございました。
第 回横浜詩人会賞
選考委員会報告
柴田千晶選考委員長
先ず票の少ない詩集について検
討 し た。『 は ぐ れ 蛍 』 表 題 作 が よ
11
第
集『夜の聖堂』(いずれも思潮社)
の帽子』、二〇一六年五月、第二詩
二〇一二年、第一詩集『キルギス
奈川県立外語短期大学英語科卒。
一 九 五 四 年、 東 京 都 生 ま れ。 神
草野早苗
草野早苗氏『夜の聖堂』
(思潮社)
!!
」
、「交
刊行。詩誌「鰐組」
、「 Space
」等で作品
野が原」、「 Something
発表。日本現代詩人会会員。句誌
16
20
48
「街」同人。
感謝の気持ちでいっぱいです。
第一回選考委員会は、7月 日
㈯ 時から野毛地区センターで
詩を書くにあたり、ここ数年、
開 か れ、 委 員 7 名 の 互 選 に よ る
次元に興味を持っています。縦
選 考 委 員 長 の 選 出。 対 象 著 者 リ
横高さの三次元立体に時間を加
ス ト の 作 成。 選 考 規 定 の 確 認 等
えた四次元世界。それ以上の時
で終了した。
空間があると言われて久しいで
第二回選考委員会は、8月 日
すが、自分はたまたま四次元時
㈯ 時 か ら「 み つ 徳 」 で 開 か れ
た。今年度は、 冊が対象詩集。
空間で詩作しているわけで、そ
例年に比べて少ない印象を持っ
こに自分の祖先が過ごした時間
た。
とこれから自分が訪れるであろ
各自が推薦5冊以内で投票した
う時間が心のなかで重なります。 結果、草野早苗氏の『夜の聖堂』
今見ている夜空の星が、実はも
7 票。 田 中 裕 子 氏 の『 カ ナ リ ア
う消滅しているかもしれない、
屋』6票。颯木あやこ氏の『七番
どこかの星から見た地球はもう
目 の 鉱 石 』 4 票。 西 村 啓 子 氏 の
『微笑む家』3票。富田和夫氏の
宇宙に存在しないのかもしれな
『聖地サンティアゴへの道』1
い、そんな時空マジックのなか
票。 園 川 純 氏 の『 夢 の 位 置 』 1
で、この美しい星に生まれた偶
票。州史氏の『小鳥のはばたき』
然を文字に残せたら、と考えて
1票。築山多聞氏の『はぐれ蛍』
1票となった。
おります。たとえ一本の野草を
摘むような、日常の小さな情景
であっても。
1
48
15
14
300
発行人 中上哲夫(会長) 東京都町田市金森東 4-35-17 *郵便振替 00230-0-5574 ヨコハマシジンカイ
横浜詩人会事務局 横浜市西区境之谷 30-19 油本方 TEL045-516-3182
№
2016.10.10
立
1958 年創
いい詩集とは?
詩を選ぶ
七月の初め、知人が芥川賞の
話をした。取っておかないとね。
まあ大丈夫だろうと…。別世界
の話ですわと私は応じた。話に
上った人が受賞した。作家の見
取り図、作品の評価軸、どれも
私にはうかがい知れない。
詩の世界についても、私は同
じように不案内だ。橫浜詩人会
賞の選考が憂鬱になった。辞典
で「詩」「新人」を確かめたり
した。やはり、今まで信じてき
たように、自分にとって薬とな
る詩を選んだ。『夜の聖堂』が
受賞と決まり、とてもうれしい。
草野早苗さんの詩には以前か
ら惹かれていた。旅の途上、日
常の部屋、どこであっても異界
的な時空がふと生まれ、読む者
の心を波立たせる。独りを受容
した静かなプレーンな佇まいの
詩から、空の遙けさや知らない
土地の雨風、人の短い言葉や食
卓や灯火の温もりが適度な濃さ
で伝わってくる。鳥も人も傷を
抱えて渡るが、生きるのが嬉し
い羊や犬に会うこともできる。
荻悦子選考委員 まずは五冊、田中裕子『カナ
リア屋』草野早苗『夜の聖堂』
富田和夫『聖地サンチアゴへの
道』西村啓子『微笑む家』築山
多門『はぐれ螢』を挙げた。
橫浜詩人会賞は新人賞の意味
合いがあるのでベテランという
べき富田、西村、築山さんは引
かざるを得なかった。富田さん
の一緒に旅をしているような臨
場感、今日的なテーマかつ安心
度の高い西村さん、築山さんの
母を語って時代を抉り取った表
題作〝はぐれ螢〟は忘れ難い。
田中、草野さんで二人受賞、
と願ったが叶わないことだった。
田中さんは他の賞を受けている
そうで、W受賞もあり、とはい
うものの最終的には一票の差で
草野さんが受賞となった。二人
とも詩集名で得をしていると
思った。装丁も物を言う。
読者の心に届く詩が欲しい。
若い人は新しさを追うけれど、
私は詩によって感動したい。 横浜詩人会賞選考について
大石規子選考委員 二冊に絞られたが――
すぎているのではないか? とい
う意見もあった。
『夜の聖堂』は言葉の展開が巧
い。これまでの感覚と新しい感覚
とのせめぎ合いから生まれた独特
の感性。孤独で静謐な世界がいい
という意見と、ぞっとする冷たさ
も漂っていて共感できないという
意見に別れた。
この時点で、『夜の聖堂』と『カ
ナリア屋』の2詩集に絞り、更に
突っ込んだ意見交換をした後、1
名1冊の投票が行われ、『夜の聖
堂』4票。『カナリア屋』3票の
結果を得て、草野早苗詩集『夜の
聖堂』が第 回横浜詩人会賞の受
賞詩集に決定した。
最終に残った2冊は優劣をつ
け が た く、 最 後 ま で 委 員 7 名 を
悩 ま せ た 。最 終 的 に『 夜 の 聖 堂 』
が 受 賞 詩 集 に 決 ま っ た の は、 作
者でなければ書けない世界を描
い た と い う 独 自 性 に あ る。『 夜
の 聖 堂 』 は、 過 去 の ど の 詩 集 に
も 似 て い な い。 そ こ が 素 晴 ら し
い。 草 野 早 苗 さ ん、 お め で と う
ございます。
詩の栄誉
坂井信夫選考委員
「詩」に必要なものとは
日野零選考委員
一度や二度は「詩とは何か」
について考えた事があると思
う。あるいは、明確に意識しな
くとも、ずっと、そしていつも
考えているかもしれない。「詩
における芸術性」などという事
も考えているかもしれない。私
は、「詩」という表現方法で、
これだけは備えていて欲しいと
いうものがある。思惟的に自由
に連続した言葉が、新たな意味
を内包する、音楽的時間と絵画
的空間。ある情景を説明したよ
うな、ある出来事を記録したよ
うな作品は、詩と呼ぶには相応
しくない。手元に、横浜詩人会
賞の対象となった詩集が複数あ
る。その中から草野早苗著「夜
の聖堂」と颯木あやこ著「七番
目の鉱石」を、賞の候補詩集と
して選んだ。どちらも、言葉の
連続に飛躍のあるのが魅力であ
る。この一冊として選んだのは
「 夜 の 聖 堂 」。 個 の 確 立 に 惑 う
姿に共感できたからである。 選考を終えて
下川敬明選考委員
たぶん、この二冊のうち、ど
ちらかが選ばれると思っていた。
おなじように予想していた委員
も、何人かいたであろう。それ
は田中裕子の『カナリア屋』と
草野早苗の『夜の聖堂』である。
前者は日常や体験をテーマに、
ことばを削ぎおとした詩行を展
開していた。後者は逆に、想像
力をめいっぱい働かせて、〈物
語〉を編んでいた。どちらかを
選ぶのは苦渋であったが、結果
は後者となった。
あと一冊、西村啓子の『微笑
む家』も、すぐれて円熟した作
品がいくつもあった。だが五冊
めということで、わたしは〈新
人〉として扱いたくなかった。
築山多門の『はぐれ蟹』もいい
が、Ⅲ章で社会的な問題をモロ
に出していたのが残念。梅津弘
子の『山ガール』も、おなじ。
詩において、表現よりも現実や
事実が重くなることは、文学と
してどうなのか、を考えてほしい。
い。『聖地サンティアゴへの道』
一 冊 に 熱 が こ も っ て い る。『 夢
の位相』シュールレアリスム詩
集は珍しい。『小鳥のはばたき』
共 感 で き る。 な ど、 そ れ ぞ れ に
良 い 点 も あ っ た が、 こ れ ら 4 冊
は、 詩 の 言 葉 と し て 未 消 化 な 作
品が目立った。
次に1票以下の詩集を外し、1
名2冊の投票を行った結果、『夜
の聖堂』6票。『カナリア屋』6
票。『七番目の鉱石』1票。『微
笑む家』1票となり、更に一冊ず
つ検討した。 『微笑む家』は破綻が無い。身近
な問題を悲観的にならずに書いて
いるところがいい。が、東日本大
震災、年金不正受給問題など、社
会的なテーマを扱った作品は詩と
して成功していない。
『七番目の鉱石』には感覚の新鮮
さがある。また古典的な美意識も
感じられる。読後感が暗いという
意見と、そこに切実感があると支
持する声もあった。
『カナリヤ屋』は言葉が自然に
入ってくる。身近なものに目を向
け、細やかに描いている。どの作
品にも生と死への眼差しがある。
表現が巧み。だが、技術的に懲り
方喰あい子
公平公正を期すため事前に評
価項目(表現技術、個性・斬新
さ、詩的感動)と評価基準(各
五点満点)を設定し、合計点の
高い三冊を推薦することとした。
その結果、得点順に田中裕子
『カナリア屋』、草野早苗『夜
の聖堂』、颯木あやこ『七番目
の鉱石』を推すこととなった。
『カナリア屋』は、過剰な自己
顕示と正反対の、心情を控え目
に語る清冽な声に胸がふるえた。
かな
生と死、そして永遠への愛しみ
を滲ませる響きは美と格調をそ
なえ、日本語のあるべき姿を示
しているようにも思われる。
『夜の聖堂』は、外界と内面と
が緊張しつつ、しずかに軋む独
特な世界が提示されており、魅
力的だった。
『七番目の鉱石』は、詩的創造
への意欲が際立っていた。
多くの人に候補作を読んでも
らいたい。詩の栄誉は詩そのも
の。このことを記し結びとする。
48
今回、初めて横浜詩人会賞の
選考委員を務め、対象詩集十冊
を読んだが、各々に良さがあっ
た。最終選考には、各自五冊の
詩集を選んで臨むことになって
いたため、私は、田中裕子詩集
『 カ ナ リ ア 屋 』、 西 村 啓 子 詩 集
『 微 え む 家 』、 颯 木 あ や こ 詩 集
『 七 番 目 の 鉱 石 』、 草 野 早 苗 詩
集『 夜 の 聖 堂 』、 洲 史 詩 集『 小
鳥のはばたき』に絞った。
田中さんの何篇かの詩に魅か
れ、注目する詩行があり、読後
感も良かった。西村さんの詩に
は高齢社会を生き抜く力を感じ、
颯木さんの「無言歌」に魅了さ
れた。洲さんの詩は心を温める。
草野さんは上手さを感じながら、
繰り返し読んだ。静かな語り口
に寄り添いながら味読すると、
味わい深い詩篇に出会えた。
新人賞としての性格を持つ本
賞 に、
「夜の聖堂」が選ばれた
ことを祝福します。草野さん、
おめでとうございます。ご活躍を。
2
3
Yokohama Poets’ Association――選考の言葉
Yokohama Poets’ Association――選考の言葉
◎夏のさかりの
詩とジャズの 朗 読 会
26
楽・詩画展「ねこ」開催
20
第1部は川端進さんから、娘
が他家に嫁いで「お一人さま」
と な っ た 朝 食 の 詩「 年 の 初 め
に」他を朗読した。
続いて小林妙子さんは日常か
ら「一瞬の狂気」を覗かせた短
編詩「ひろげた掌」ほか。
鎮西貴信さんは「ヒロシマ・
スピーチ バラクオバマ」でオ
バマ氏の平和への思いの演説を
要約・構成した作品を読んだ。
(訳文は朝日新聞から)
方喰あい子さんは「ニツコウ
キスゲ」の株分けと花便りの詩
ほかを朗読した。
うめだけんさくさんは詩「終
わ り と 始 ま り 」 で、
「ポツダム
宣言をのんだ玉音放送」の作品
だった。
村山精二さんの詩作品「無か
ったことに」を朗読した。それ
ぞれの年齢のときに、後悔した
さまを描いていた。
司会は油本理事長、中上会長
のあいさつがあった。
2016年6月 日㈪~ 日
㈰にかけて橫浜市中区の画廊・
「楽Ⅰ」にて「ねこ」をテーマ
に詩画展が開催された。
画 家・ 詩 人( 橫 浜 詩 人 会 )共
に二十数人ずつの参加となった。
初日にオープニング・パーテ
ィが開かれ、画家と詩人たちの
親睦が深められた。
中上哲夫会長の手書きの詩を
パネルにしたものをはじめ個性
ある詩と絵の競演が展示され、
一つのフロアに親しみのある詩
とアートの空間が創られていた。
8月 ㈰午後2時から、野毛
のドルフィにて、恒例の朗読会
が催された。演奏は、新進・若
手の小室響ピアノトリオ。
会員以外の方の飛び入り参加
もあり、雰囲気のあるひととき
を過ごした。
まずは小室響ピアノトリオの
素敵な演奏から始まった。
休憩をはさみ、第2部が始ま
る。
まずは、飛び入りで葉山美玖
さんが朗読をした。作品「1と
9 が な い 」 で は、「 あ な た は 私
の愛を映画館で囓るポップコー
ン の よ う に 放 り 出 し て、
「もう
キミは要らないよ」と呟いた。
」
光冨郁埜は天国で再会する恋
人たちの詩「光の表にて」ほか
を朗読。
下川敬明さんは作品「メロン
を冷やせ」で「メロンを冷やし
てくれ!」と情感を込めた声量
で、聞き手を魅了していた。
洲史さんは「祭の後で」では
祭での軍隊の自慢話から戦争の
無残さを感じさせた。
広瀬弓さんは「わたしたちの
目をひらくように」では、「ガ
マと呼ばれる鍾乳洞」を舞台に、
人魚を見たという「おばぁ」の
話に中原中也の「海にゐるのは、
あ れ は 人 魚 で は な い の で す。」
を引用した作品だった。
関中子さんは始まりに即興歌
を 披 露 し た。 散 文 詩「 彼 方 か ら
も 」 は、「 叩 か れ な け れ ば 三 月
の扉は錆びつき」から始まる作
【参加者一覧】
〈画家〉 〈詩人〉
入沢澄子 ―― 奥津さちよ
村杉哲子 ―― いだ・むつつぎ
石田俊哉 ―― 油本達夫
浅野康則 ―― 中上哲夫
生方純一 ―― 中山直子
藤原厚子 ―― 荒船健次
真下典子 ―― 梅津弘子
久保田晃二 ―― 光冨郁埜
續橋 守 ―― 鎮西貴信
阿曽沼 明 ――(自作詩)
高根沢晋也 ―― 方喰あい子
野地暎人 ―― 村上きょうこ
品川成明
岩﨑美代子 ―― 小林妙子
壁 淑子
y.s.
―― 佐藤 裕
岡本早智子 ―― 荻 悦子
辻 富佐美 ―― 日野 零
岩渕ケイ子 ―― 山田玲子
石田晴子 ―― 佐伯多美子
亀山治代 ―― 森口祥子
阿部智恵子 ―― 黒岩 隆
原澤泰子 ―― 大石規子
(撮影・小桜ゆみこ/記録・光冨郁埜)
品だった。
最後に中上哲夫会長が詩「草
と人間」ほかを朗読した。「草
刈りしながらわたしは考える/
人間は病気で死ぬのではない/
さびしさで死ぬのだと」という
印象的な出だしで始まる作品。
ラストは小室響ピアノトリオ
の演奏で幕を閉じた。
ページに各朗読者の写真あります。
(写真・小桜ゆみこ 記録・光冨郁埜)
*
10
28
4
5
あいさつをする中上会長
Yokohama Poets’ Association――楽・詩画展
Yokohama Poets’ Association――ドルフィ朗読会
ドルフィ会場
追悼・篠原あやさん
歳 )が 7 月
日橫
篠 原 さん・あやさん・あやちゃん
植木肖太郎 還
篠原あや
声は 声を呼び
あなたを呼ぶ 声を呼ぶ
禿慶子さんとあやさんの思
い 出 を 語 っ て い た と き「 あ や さ
ん」と言えるようになったのは
相 当 後 で 十 代 の 僕 た ち は「 篠 原 何のためらいもなく
さん」
で、
「あの子」
(かむろ)
「植 その道を選んだのだろうか
木君」
が
「あやさん」
からのぼくら。
先 達 か ら は、「 あ や ち ゃ ん、
まるい
あやちゃん」と呼ばれていた。
特に近藤さんからは、いつも何 地球のはずだったが
かしら次の詩人会の相談、いや 決して交叉することのない道
仕事を言いつかっていた。
決して行き交うことのない道
「あやちゃん」それは、数少ない
戦前からの文学少女。先達たちに
ひとはそれを
してみると、貴重な一粒なのだ。
天に通じる道だという
下段の詩は『橫浜詩集第一集』か
そこには
ら。平田好輝・南邦和・植木。
いつも〝意志〟は無視されていた
この三人しかもう居ない。
「ある時代の橫浜に、ある種の
詩人たちが住み、あることを考
だが わたしたちは
え、ある詩を作ったことを記念
今も呼ぶ
するために作った。「後期抜粋」
発行人 近藤東 一九六四年一〇月一日 発行所 橫浜詩人会」
剛にして柔、篠原あやさん
いわたとしこ
およそ詩の世界とは縁が無
かった私、篠原あやさんの連作
「大岡川」に衝撃を受け、怖い
もの知らずで「象」の同人への
参加を願い出たのが一九九七年、
約 二 十 年 も 前 の 事 で す。 当 時
「象」には平野一夫さん、横田
弘さん、加瀬昭さん、三上透さ
ん等気鋭の書き手が揃っていま
した。稚拙な私の作品に目を通
した篠原さんは詩については何
もおっしゃらず「あなたお酒は
好 き?」 と、
「好きです」と答
えましたら「それは良かった」
即、同人への仲間入りが決まり
ました。後にあやさんが知るひ
とぞ知る酒豪と解り納得。以来
何回か居酒屋にもお供しました
が、
「割り勘で」の声は聞かず
皆にご馳走するのが大好きな親
分肌。呑み方の極意まで教えら
れ、漢詩・李白の心境に近づき
ました。
同人の横田さんはお体が不自
由だったので、年一回の同人会
橫浜詩人会を育てた最後の詩人
禿慶子
亡くなられた夜、お嬢さんの
喜美子さんと朝まで話をした。
篠原さんは自宅でも私のこと
を〝あの子〟と呼んでいたそう
だ。会合の席ではいつも私は、
あの子か、この子だった。
最初の出合いは東京のある雑
誌の会で、当時私は 歳の学生
だったからその印象が残ってい
たのかもしれない。
我儘な私は「象」を飛び出し
たり勝手なことをしたが、二人
の個人的な関係は少しも変らず
沢山面倒を見ていただいた。
また、料理が得意なかたで、
会場によっては催物の席に手料
理を持ち込んで並べたものだっ
た。我が家でも永い間正月の煮
ものは、篠原さんの手作りだっ
たのを覚えている。
詩人としては、早くから文芸
誌「若草」や「令女界」に詩を
投稿する傍ら、地元で詩誌を発
行したり、「海港文学の会」や
他の雑誌に参加するなど、目立
は彼の自宅兼事務所で行ってい
ましたが、篠原さんは差し入れ
のお菓子を携え、飲み物の手配
から世話好きのおばさんに徹し
ておられました。合評会はなし。
「人に言われるよりいい詩を沢
山読めば自ずから解ってくる」
が篠原さんの持論。従って褒め
られた事もなく一度だけ「あん
たの詩は想像で書いているから
生活感がないし厚みがない」と、
台所からの詩を軽視していた私
への痛烈な批判でした。篠原さ
んの詩は日常からの発想でも、
思惟から育った太い幹が自由に
枝葉を伸ばし、絡みあい選りあ
い、言葉の実が熟し、魂を吹き
込 ま れ 手 を 離 れ て い ま す。 ハ
マッ子詩人として戦後編んだ名
作は数知れずですが、盟友、故
木村雅美氏の再三の薦めにも関
わらず詩集を残さなかったのが
惜しまれます。でも篠原あやが
遺した詩人の魂は、大岡川に人
の世を映しながら永遠に流れ続
けて行くでしょう。
19
詩人会の創設メンバーである篠
原 あ や さ ん(
浜市港南区の自宅でお亡くなり
に な ら れ ま し た。 慎 ん で お 悔 や
み申し上げます。
【略歴】
1917年、橫浜中区翁町生まれ
高木高女専攻科(現・高木学園女
子高校)卒。
文芸誌「若草」「令女界」に詩を
投稿。
年 に 同 人 詩 誌「 象( か た ち )」
「 海 港 文 学 の 会 」 な ど に 所 属。
を創刊し、主宰を 務 め た 。
詩集『紫陽花』『 日 々 の 証 し 』
年に橫浜詩人会創設メンバー
『歩みの中で』。
に加わる。
58
6
7
30
年に橫浜詩誌交 流 会 を 結 成 。
55
年にヨコハマ遊 大 賞 を 受 賞 。
を感慨深く聞いた。
篠原さんを中心に 年。「橫
浜詩誌交流会」が結成され、現
在も続いている。
また 年に、橫浜のユニーク
な賞、「橫浜遊大賞」を受賞。
『日々の
詩 集 に は『 紫 陽 花 』
証 し 』『 歩 み の 中 で 』 が あ る が、
前二冊は橫浜詩人会発行のネー
プチューンシリーズ、第1次と
第4次である。
篠原さんが橫浜の詩人と言わ
れるにはいろいろあろうが、橫
浜の場所や今は無い橋、そこに
住む埋もれた人たちを題材にし
た詩が勝れているからとも言え
る。その土地に住む人たちの営
みを見る目は深く温い。だが詩
には、社会の底辺に在る人たち
への格差や、利便性を追求する
都市への批判精神が込められて
いるのを見逃してはならない。
世間的には子供だった私を拾
いあげ、勝手なことも許してく
れたひとに、あの子の気持を忘
れずにいますと告げ、お礼とと
もにお別れをしたい。
78
99
13
つひとだったらしい。
後に、亡くなられた長谷川吉
雄さんが「派手で華やかなあや
さんを若い僕は憧れていた」と、
語ってくれた。
1941年に治安維持法違反
で 日間の検事拘留を受ける。
その時のことを「和服を着てい
たので紐を全部取りあげられて
本当に困った」と話してくれた。
過激な思想も持たず詩を書い
ている女性がこのようなことに
なる時代がまた来てはならない。
詩誌「象」を 年に発行し終
生主宰者だったが晩年、編集は
加瀬昭さんからいわたとしこさ
んに引き継がれた。
年に近藤東さんを中心に
名の詩人たちで「橫浜詩人会」
を設立し、篠原さんは実務を背
負って働いた。
平林敏彦会長のとき「先達詩
人を囲む会」を企画し、その一
環として「篠原あやを囲む会」
を催したが、ここで故・筧愼二
さんが「あやさんが居なかった
ら橫浜詩人会は今、無かったか
もしれない」という話をしたの
95
55
58
95 78
39
Yokohama Poets’ Association―篠原あやさん追悼
Yokohama Poets’ Association―篠原あやさん追悼
あやさん、安らかに
保高一夫
近藤東、扇谷義男、山田今次、
川口敏男、長島三芳さん等、一
筋縄ではいかない面々の中で、
篠原あやさんは橫浜詩人会創生
期に尽力し、中心的な存在で活
躍した。一九六八年に橫浜詩人
会賞を創設し、第一回は石原武
さんが受賞したが、この時の会
には財政的面では基盤がなく、
資金は篠原あやさんが提供した。
同人誌「象」を創刊し、橫浜
文芸懇話会やザクの会などで精
力的に活動し、一九七八年四月
には、本野多喜男、保高一夫の
三人が呼びかけて、同人誌の活
動の幅を広げることを目的とし
て橫浜詩誌交流会を立ち上げた。
同会は朗読会、アンソロジーの
刊行など、今も四十年以上の活
動を続けている。
篠原あやさんは日頃から「私
は東京の会合には出ない」と口
にしていた。詩の題材も「大岡
川」など地元を意識したものが
多い。
ん、文芸誌「横浜芸術倶楽部」
で、特髙の弾圧のため解散に追
い込まれた。その苦い体験を、
山田、松永さんは話したが、浪
漫の人たちには通じなかった。
浪漫の若者たちを何故検挙?神
奈川県特髙は東京警視庁に対抗
して検挙数を上げるため、それ
とも横浜事件の予行演習か、不
可解なことばかりである。
その後、日本軍国主義の支柱
的存在、特髙はどうなったか?
実は追放されたはずの特髙が、
敗戦から一年以内に元の警察に
戻 っ て い た。 た だ 二 五 名 は 拒
否。上記は新聞記者として目の
前で見た作家の佐野洋氏、元特
髙は両足を机の上へ投げ出し、
昔はよかったなあ、笑って彼ら
は話していた。この元特髙が、
日本各地の自治体警察を次々と
骨抜きにし、国家警察を作って
行った。
弾 圧 警 察 の 復 活 か、 そ の 証
拠 と な る 島 根 県 警 文 書 が、
一九六〇年廃品業者の手に入っ
た。評論家大野達三氏「警備公
安警察の素顔」の本に具体的
酒の席が好きだったようで、
酒肴にはかなりの一言を持って
いた。「ホースネック」の常連
で馬鹿鍋の「浜幸」や割烹「梅
田」など野毛界隈の馴染みの飲
み屋は数知れない。
ワイワイした中で、いつも中
心の位置にいたのが篠原あやさ
んで輿に乗ると「黒田節」の曲
にあわせて日本舞踊を踊ってく
れもした。
そのあやさんが今はいない。
……寂しいね。
に、その方法まで出ている。驚
く な か れ、 文 書 に は 政 党、 団
体、組合、そして全てのサーク
ル、その他。上記は公安警察の
調査対象。調査は違法、警察法
にも違反する犯罪。モノを書く
人間は、ウサンクサイ人種と見
ているようだ。私は政治に無関
心、 そ ん な 調 査 は 関 係 な い と
思っていたら、それは大変な間
違いである。
警 察 の 調 査 は 四 八 項 目、 本
名、ペンネーム、出生地、生年
月日、顔写真、顔や姿の動画、
身 体 の 特 徴、 指 紋、 血 液、 経
歴、職業、財産、筆跡、収入、
趣味、両親兄弟姉妹の住所、先
妻、情婦、友人の住所、発言内
容、対象者本人の現住所と付近
の略図、その他。
元警視監の松橋忠光氏は、公
安警察幹部として米国CIAへ
留 学 し た。 橫 浜 在 住 の 松 橋 氏
に、私は何回も聞くことが出来
た。ご自身の福岡県警備部長時
代( 昭 和 三 七 年 )。 当 時、 氏 の
給料は一か月七万円、その七倍
余 の 大 金 が 全 く 自 由( 領 収 証 な
横浜の詩人たちの暗黒
いだ・むつつぎ
太平洋戦争開始一か月前、横
浜の若い詩人たちが参加した文
ろまん
芸誌・浪漫弾圧事件が神奈川県
特髙によって起きた。浪漫会員
六五名中、二五名が共産主義宣
伝のため検挙、そのうち一名が
獄死した。今年六月十二日、東
京新聞「こちら特報部」欄で浪
漫弾圧事件が紹介された。ここ
では、横浜の詩人たちの戦後の
動きも入れまとめてみた。
詩 人・ 船 方 一 の 特 集 の 年 譜
に、浪漫弾圧は共産主義宣伝の
ため検挙と出ているが、ほんと
う に そ う だ ろ う か? 浪 漫 創 刊
号、詩歌、小説のほとんどは心
象 風 景、 エ ッ セ イ は 新 文 化 運
動、そしてプロレタリヤ文学否
定も入っている。昭和十六年一
月一日発行の浪漫、会の宣言と
し て、
「皇紀二千六百年十二月
八日、我等日本青年文学者会神
奈川県支部は、青年による新し
き国民文化創造の使命を眉あげ
て 誇 か に 負 う 」。( こ の 号 は 篠
し )で 使 う こ と が 出 来 た。 尊 い
税金で違法調査、酒等に使いた
い放題の警察はダメ、松橋氏は
反 省、「 わ が 罪 は つ ね に わ が 前
にあり」オリジン出版センター
から出版、各界に大きな衝撃を
与えた。
八六年十一月、町田市の緒方
靖夫氏(当時・共産党国際部長)
宅で電話盗聴事件が発覚。マス
コミでも大問題になる。公党の
幹部を盗聴したのは、神奈川警
察公安一課と分かる。警官の指
紋等で名前も判明。盗聴警官た
ちは逃げ回り裁判にも出ない。
当人たちの言い分・例え不利に
なっても橫浜地裁の法廷に出て
行きません。国民に法を守らせ
る べ き 警 官( 公 安 )が こ れ で い
いのか。元橫浜弁護士会会長の
山内忠吉氏は、裁判所始まって
以来の出来ごとだと述べた。元
警視監の松橋氏は、公安の盗聴
を批判、法廷で市民側の証人に
立った。
神奈川県在住の文化関係者、
参百人以上が公安警察の盗聴は
自由と民主主義を破壊、表現の
原 あ や さ ん か ら い た だ い た )。
神奈川県近代文学館の資料の中
にも、浪漫が全国組織、翼賛文
化連盟に加盟と印されている。
神奈川近代文学館の資料、昭
和十三年十二月十九日、現在の
神奈川新聞が一ページをさいて
大々的に第一回戦争詩特輯、そ
の中に詩人の扇谷義男さんも詩
を発表している。この扇谷さん
が、加賀町警察署に留置された
ことは一部の詩人は知ってい
る。扇谷さんは浪漫の会員、何
故だろうか。篠原あやさんから
詩人会の集いの後、私は浪漫に
ついて聞いた。検挙された篠原
さんは治安維持法も知らず、女
学校出たばかりの私は、留置場
で泣いていたと話してくれた。
島津公夫さんは、山田今次さん
の実弟。私は山田さんから聞い
た。発行予定の浪漫に参加は危
険、やめろと注意したが弟は、
ぼくは兄さんと違って運動して
ないから大丈夫。その後、弟は
検挙されてしまった。鶴見署で
留置された山田今次さん、戸部
警察署に留置された松永浩介さ
自由を犯す。一九八八年、神奈
川県庁で警察の盗聴に反対声明
を出した。盗聴を許せば、あの
浪漫事件のような暗黒時代に向
かってしまう。これは私たちの
強い意志でもある。参加した詩
人の一部を紹介したい。伊藤信
吉、山田今次、小海永二、金井
直、長島三芳、松永浩介、筧慎
二、篠原あや、中島可一郎、今
辻和典、金子秀夫、南川周三、
羽生慎子、油本達夫、荒波剛、
佐藤冨美雄、いだ・むつつぎ。
8
9
Yokohama Poets’ Association―篠原あやさん追悼
Yokohama Poets’ Association―エッセイ・いだ・むつつぎ
理事長より
通信担当から
【横浜詩人会通信では
情報をお待ちしています】
会員消息にて詩書、詩誌、イ
ベント等活動の紹介を致しま
す。掲載希望の方は、掲載希望
と記して情報を油本理事長また
は担当・光冨までお寄せくださ
い。郵便、メール等にて承りま
す。もし掲載漏れや遅延等あれ
ば、再度ご連絡ください。
ホームページで入会申込書をダウンロードができます。
【理事会報告】
□第四十八回横浜詩人会賞選考
委 員 会( 第 一 回 ) 7 月 日 ㈯ 午
後3時~。野毛地区センター。
選考委員長を互選で、柴田千晶
さんに決定。第二回の委員会を
8月 日に開催することを申し
合わせる。
□2016年度第6回理事会
7月 日日㈯午後3時~。野毛
地区センター。
メールアドレス :[email protected]
10
第2部・左から朗読順で、関中子さん、中上哲夫会長、演奏の小室響ピアノトリオの皆さん
11
第2部・左から朗読順で、光冨郁埜、下川敬明さん、洲史さん、広瀬弓さん
http://yokohamasijinkai.web.fc2.com/
20
28
□第四十八回横浜詩人会賞選考
委員会。8月 日㈯午後2時~
野毛「みつ徳」にて。別掲の
通りに受賞者を決定。十分に論
議を尽くした充実した選考委員
会となった。
□「夏のさかりの詩とジャズ」
8 月 日 ㈰ 午 後 2 時 ~。 野
毛・ドルフィ。参加者 名(う
ち朗読者 名)若いジャズトリ
オ の 心 地 よ い 演 奏 も あ り、 愉
しい朗読会となった。終演後、
「清香楼」にて打ち上げ。演奏
者も参加して盛り上がった。
電話 045(516)3182
第1部・左から朗読順で、方喰さん、うめだけんさくさん、村山精二さん、第2部の葉山美玖さん
10
1
(十万円)の賞となり、賞の存
続について、危機感がある。
今年の四月に珍しく「幹事会」
開催の通知が届き出かけるも、
前会長のほか、誰も来ず、その
後も一切連絡が無いという事態
が 生 じ た。 続 け て 五 月 に「 総
会」を開催する旨の通知が届い
たが、詩人会としては「四月の
幹事会の状況について説明が無
いので参加しない」と通知。そ
の後も一切、説明、連絡はない。
理事会の席でこのことをお知ら
せし、詩人会としては、「退会」
ということで対応せざるを得な
い、と提起する。前掲のように
この件については総会に諮らな
ければならない。偶々、篠原あ
やさんの通夜の席上。生出会長
が 立 ち 話 と し て、「 懇 談 会 は も
う存続は無理かと思う。ついて
は、文学賞の過去の受賞者につ
いて、十分なケアをして、終わ
りにしたい」旨の話があり、詩
人会として了承した。
□次回理事会は 月 日㈯の予
定。
〒 220-0054 横浜市西区境之谷 30-19
左から、司会の油本理事長、朗読順で第1部の川端進さん、小林妙子さん、鎮西貴信さん
□文芸懇話会の問題について、
備忘録としての経過報告。生出
現会長の就任以来、定期的な幹
事会が開催されなくなった。ま
た、幹事会開催の連絡も年に一
回あるかないか、殆ど途絶えが
ちになった。会長が事務局を兼
務しているため、会の運営は恣
意的・独断的な傾向が強まって
きた。昨年度の「横浜文学賞」
はスポンサー三社のうち、横浜
銀行、神奈川新聞が賞金の提供
をストップし、有隣堂一社だけ
詳細は油本達夫理事長または方喰担当理事まで。
16
【議題】
①「夏のさかりの詩とジャズ」
準備・役割分担など。演奏は「小
室響トリオ」と交渉する。②神
奈川新聞の連載執筆者の選定。
③第四八回横浜詩人会賞の選考
日程など。④通信について。次
号の内容と執筆者の確認。⑤横
浜文芸懇話会への対応について
意見交換。退会については総会
に諮ることを確認。⑥会計より。
会費の未納。詩人会賞基金の現
状。納入者には受領書を送付す
る。⑦その他。
横浜詩人会に入会ご希望の方・ご紹介の方はご連絡を。
会員募集中!
20
30
28
14
Yokohama Poets’ Association――ドルフィ朗読会・写真
Yokohama Poets’ Association――理事長より、連絡事項ほか
会員消息 87
順不同・敬称略
石原妙子 鎮西貴信 方喰あい子
「竜骨」 号 奥津さちよ
小林妙子
「生き事」 号 坂多瑩子
「青い階段」 号 荒船健次
坂多瑩子 福井すみ代
廣野弘子 石川敦
「じゅげむ」 号 宗田とも子
「冬至」 号 森口祥子
「 hotel
第2章」 号 柴田千晶
「左庭」 号 伊藤悠子
「いのちの籠」 号 関中子
田中裕子 梅津弘子 佐川亜紀
佐相憲一 渡辺みえこ 中村純
「詩と思想」7号 森口祥子
「幻竜」 号 弓田弓子
」第3次7号(通巻 号)
「 ERA
細野豊 田村雅之 方喰あい子
今泉協子
【イベント】
◎「輝け九条!詩人の集い」
27
月2日㈰
板橋区立 ハイライフプラザホール
梅津弘子 佐川亜紀 佐相憲一
◎第 回クロコダイル朗読会 9月 日㈯ クロコダイル
関中子
◎橫浜詩誌交流会フェスティバル
講演・佐川亜紀 朗読他
【転居】
◎平林敏彦
〒424―0845
静岡市清水区船原1―177―
206号
TEL&FAX054―347
―6271
◎水野るり子
〒253―0061
茅ヶ崎市南湖7―12869 E226
【訃報】
旧会員の成見歳広氏、9月6日、
脳梗塞のため逝去。会員の禿氏、
坂井氏が葬儀に参列しました。
慎んでお悔やみ申し上げます。
【訂正】
p3
ポー・エリュアール→
ポール・エリュアール
不変的→普遍的
賞を→会賞を
小桜ゆみ→小桜ゆみこ
p5
今辻和則→今辻和典
中島可一朗→中島可一郎
*慎んでお詫び致します。
【編集後記】
今号は橫浜詩人会賞受賞決定と、
篠原あやさん追悼が主となった。
受賞者の草野さんの益々のご活
躍を期待します。
篠原あやさんには、詩人会を創
立にご尽力していただき、また長
年支えてくださり、感謝してもし
きれるものではありません。
慎んで篠原さんのご冥福をお祈
り致します。
また今回はドルフィ朗読会の様
子をビデオ撮影しました。時間の
やホーム
あ る と き に、 Youtube
ページで一部閲覧できるようにす
る予定です。詳しくはホームペー
ジをご参照ください。
「橫浜詩人会のホームページ」
http://yokohamasijinkai.web.fc2.
com/
【お願い】
*会費、横浜詩人会基金等の振込
みはこちらの口座にお願いします。
*郵便振替
00230―0―5574
ヨコハマシジンカイ
いつもご賛意・ご協力、感謝致
します。 詩人会創立 1958年 月 日
通信創刊 1961年2月 日
129名(
会員数
月
日)
10
38
第 回講演と詩の朗読のつどい
9月 日㈯ 馬車道十番館
25
10
10
10
110
33
33
101
11
50
34
24
24
24
595
10
220
55
110
33
38
81
220
22
39
86
【詩書】
水野るり子訳詩集『ヘンゼルとグ
レーテルの島』(ITTA・韓国)
中村不二夫評論『辻井喬論』(土
曜美術社出版販売)
細野豊・星野由美訳詩集『ホセ・
ワタナベ詩集』
(土曜美術社出版
販売)
荻悦子詩集『樫の火』
(思潮社)
【会員編集・発行の誌】
「構図」3号
編集発行・藤森重紀
「地下水」 号
編集発行・保高一夫
「伏流水」 号
編集発行・うめだけんさく
「青い階段」 号
編集・森口祥子 発行・浅野章子
「じゅげむ」 号 田村くみ子
「コールサック」 号、 号
編集発行人 佐相憲一
【会員参加の詩誌】
「小樽詩話会」 号 下川敬明
「構図」3号 中上哲夫
「タルタ」 号 田中裕子
「交野が原」 号 佐川亜紀
金井雄二
「地下水」 号 林柚維 関中子
Yokohama Poets’ Association――会員消息、連絡事項ほか
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