政治報道-共産主義崩壊から14年のルーマニア

花田ゼミ冬学期エッセイ
2003 年12月
フロリン・グランチャ
人文社会研究科研究生
H18.03.30
Florin Grancea
政治報道-共産主義崩壊から14年のルーマニア
はじめに
ルーマニア政治の封建的体質
I.
II. 二人の王、一人の皇帝:支配者と被支配者の相互作用
II.I. 封建主義的政治の報道
III. 移行期の問題なのか?
IV. ルーマニア政治報道の現状と言論の自由への挑戦
V.
ラウラ・アンドレシャンとブランドュシャ・アルマンカ
結論
書誌学
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2
2
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4
6
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9
昨今、「ベルルスコーニ化」とも呼べるような状況がルーマニアの報道界で起きてい
る。ルーマニアの多くの町では、地域の企業家や政治家(ほとんどの場合この両者は同
一人物であるのだが)が、地方紙やラジオ局、テレビ局を左右している。中には堂々と、
メディアが彼らに票をもたらすと断言する者もいる。
・・・このようなメディア企業は、
実益により動かされているのではなく、権力の影響力を執行する手段として、その所有
者のビジネスを保護しながら、経済的そして政治的ライバルを攻撃している。
(MMAリポート 2003年, 別添 1)
はじめに
H18.03.30
Florin Grancea
最初に強調しておきたいことは、ルーマニアのジャーナリズムが民主主義国家の既存
のジャーナリズムモデルと比較、あるいは同一化できるという推論は過ちであるという
ことである。もちろんこれらの間には類似点はあるが、ルーマニアの歴史的発展が政治
報道を市民社会にはそぐわないものにしてしまったのである。そこで、ルーマニアの政
治ジャーナリズムの危機について解説するためには、ルーマニアのジャーナリズムが関
係している社会内部の変化を分析するとともに、ルーマニアの体制が変化を遂げた「革
命」以降の14年間に我々がたどってきた劇的な変化を紹介する必要があるのである。
この小論文の読者に最初に知っておいていただきたいのは、ルーマニアでは、権力の分
権は効力を発揮しておらず、したがって政治の執行権は行政権、司法権にも侵入してい
ることである。そして司法権はジャーナリズムと同様、政治の道具として利用されてい
る。ちょうど昨年ロシアで選挙が行われたとき、ヨーロッパの人々が「the elections can
be free but incorect.」と言ったように、同じような状況がルーマニアでも起きている。
ルーマニア革命から14年を経た今、ルーマニアの政治報道は、ジャーナリストにと
っては例えて言うなら地雷地帯をいくようなものだ。いつも、タブーを犯さないように
最新の注意を払いながら、自分の弱みや他の関係者のそれや、安全地帯などにそれぞれ
気を使いながら、幾たびも地雷地帯を横切らなくてはいけない。ここでは、初心者はそ
の環境に適応しなければジャーナリスト生命を断たれてしまうし、上級者はこれまで通
ってきた安全な道以外を試そうとはせずに彼が良く知っている同じ道にしがみつくこ
とになる。恵まれた者はすべての真実とすべての危険を知るかもしれないが、例えそう
だとしても、政治システム自体がプレスに負けることはないので、結局そのジャーナリ
ストはひとつの戦いを勝つことができても、戦争に勝つことはないのだ。
I.
ルーマニア政治の封建的体質
ルーマニアの政治報道について分析するには、政治報道と深い関わり合いを持つルー
マニアの政治の質を分析することが非常に重要である。
ハーバーマスは、封建主義のもとでは公の人としての地主は、彼自信の権限、彼自身
の封建的権力を代表するとしている。それゆえ、彼が姿を現すときに彼が煌びやかであ
るとすればそれは貧民が彼を見て彼が何者かを判断するするためなのだ。つまり彼は自
分以外の誰も代表していない。彼は高貴な者として生まれ、神のように人民の上に君臨
する。
ルーマニアの共産主義の王朝的あるいは氏族的な資質(Tismaneanu)を見ると、また
ルーマニアの現代の生活世界を至近距離から見ると、貴族の公共性と政権政党のルーマ
ニア政治家の間に私は相似形を見いだす。
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私のこの判断は、例えば以下のことに基づいている。
1.ルーマニアは44の地域「男爵」の領土に分けられる。男爵という呼び方は、
プレスが法の効力の及ばない、地方の政治家たちを表現するのに使う言葉である。彼ら
は公の金を自由に使い、警察の保護があることをいいことに、この新たな形式の貴族の
立場を楽しんでいるのである。金をコントロールすることは全てをコントロールするこ
とである。(ゴルジュ県知事という「男爵」であるミスキエ氏はペンを振りかざしなが
ら有権者に言った、「このペンで私はこの町の予算を作る。大きな数字を書いて欲しけ
れば、我々の候補者に投票して欲しい」。彼はこのような失言にもかかわらず現役の知
事である。)
(「男爵」についてはwww.adevarulonline.ro, Link:BaroniiPSD, the dossier)
2.政治的、そしてときには経済的に政権に依存している新聞が首相について記事にす
る様は、14年前のチャウシェスクについての報道そのままである。何が起きたかは問
題ではなく、
「彼」がそこにいたことが重要なのである。
(ブカレストのヴァンゲリエ区
長は、自分が自分であるがゆえに、自分について批判する記事を書くことは絶対に許さ
ない、と述べ、批判する記事を書いていた記者を脅迫した。
)
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3.憲法のもとの所有権は2003年11月になってようやく認められた。
Florin Grancea
4.ルーマニアは現在その指導者のモデルを中世に求めている。2004年は「シュテ
ファン大王年」として、500年前のモルドバの王を記念する年として位置づけられて
いる。公式な説明としては、現代のルーマニアにはモデルが無いので、ルーマニアは過
去にモデルを求めなくてはいけないということなのである(テオドレスク文化大臣)。
現大統領イリエスクが言うところの「ルーマニアのオリジナルデモクラシー」はこの
ように封建的な香りがするものであるが、これをさらに観察できる他の要因がある。公
の人としての男爵あるいは貴族は、グラムスキー理論のヘゲモニー政治家たちのように
再選されるために力を押しつける必要はない。なぜなら彼らは人々を代表しているわけ
ではないからである。彼らは権力を買い、それを人々の意思に関係ないところで維持す
ることができる。そのかわり彼らは権力と神のご加護がどこに存在するかを人々に見せ
るために報告する必要があるのである。
II.
二人の王、一人の皇帝:支配者と被支配者の相互作用
共産主義社会の崩壊とルーマニアの将来に関する議論の欠如は、新しく出現した社会
構造を思いもよらぬような形で発展させた。誰もが他の民主主義国家、あるいは民主主
義国家を熱望するチェコ共和国、ハンガリー、スロベニア、ポーランドにおけるように
中産階級が形成されると考えたが、ルーマニアの現実はそうではなかった。ルーマニア
においては、いわゆる中産階級は社会学者によれば10~15%に過ぎず、豊かな上層
階級が西欧的な価値をなんの苦労もせずに手に入れた。
今後 200 年間ルーマニアで領主となるものとそれに仕える農奴はすでに決まってい
ると言われるが、実際そのように発言しているのは政権をにぎる政治家である。ルーマ
ニアのジプシー(ロマ)の代表3人がそれぞれ、自分が王あるいは皇帝であると宣言し
ており、ジャーナリストを招待して彼らの財産、つまり封建的権力を見せる。あるいは、
ルーマニアでもっとも人気のある民謡の一つは、自らの富を人々に見せつけることを歌
ったものであり、これにより人が社会における自分の地位を認識するための歌である。
封建的権力の重要性が社会的に有効であることをこれらのことは物語っている。通常の
民主主義的な社会には存在しない領主と農奴の関係がルーマニアには存在する。新聞を
抑圧する圧倒的な政治力、経済力を持つ「領主」によって支配された社会で政治報道を
するとはどういうことか?そのような社会における政治報道の役割とは何か?
3
II.I.
封建主義的政治の報道
以下に、2つの座標軸で政治報道を表現したい。一本の座標軸に「accurate」と「inaccurate」、
他方の座標軸に「for the people」と「before the people」と記す。このような方法
で、私はルーマニアの政治報道の状況のみならず、そこで起きているジャーナリズムの
危機について指摘したい。
図1
ACCURATE
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Reporting for the people
Reporting before the people
INACCURATE
私の調査:2004 年 1 月 7 日~17 日まで、インターネットのエディションから
全国紙
Accurate
Inaccurate
For
Before
the
the
People People)
183
63
216
30
地方紙
63
32
71
24
全国紙:Adevarul, Evenimentul Zilei, Ziua, Libertatea
政治報道記事の数:246
地方紙:Desteptarea (Bacau 県) Argesul (Arges 県)
Hunedoreanul (Hunedoara 県)Editia Speciala de Oltenia (Dolj 県)
政治報道記事の数:95
「for the people」とはどういうことか。「公共圏の労働者(花田)
」としてのジャーナ
リストは、一般的には人々の関心のために仕事をする。パブリックサービスモデルジャ
ーナリズム及びウォッチドッグジャーナリズムは、人々のために報道するものである。
市民が朝新聞を買うとき、彼/彼女は真実を知りたいのであり真実だけを求めているの
である。なぜなら彼/彼女は選挙の時に政治家に自分の意思を委任することができるか
らである。不正確な情報だと選挙の時に誤った選択をするかもしれない。
また政治報道が「before the people」になるとはどういうことか。これは、真実や
受け手のニーズや経済的利益や信用性を無視して、政治家/経済エリートのために報道
をし、これにより社会に悪影響を及ぼすことである。この「before the people」状態
の政治報道を生み出すいくつかの環境はつぎのとおりである。a)教育や職業意識の欠
4
如と関連づけられた金銭の授受、b)上司の意向や職を失い路頭に迷うかもしれないと
いう恐怖、これも職業意識や倫理観念と関係があるもの、c)文化的ステレオタイプ、
あるいは先述の a)b)の状況に遭遇した先輩から機械的に方法論を受けついでいる。
図1のもう一本の垂直な座標軸に、私は「ACCURATE」と「INACCURATE」という
要素をおいた。ルーマニアの政治報道で最も深刻な危機は、ゆがめられた事実の報告、
嘘の報告、片側しか見ていない報告等であるからである。政治ニュースの正確さについ
ては、5W1Hの質問より重要なことは、たいていジャーナリストは彼/彼女が報道を
する出来事や人々が述べることの証人であるということである。私はこのことを報道の
正確さにとっては賛成できかねることだと思う。なぜなら、
1.ジャーナリストは自分が目撃したまたは聞いた事実を自分の観点から翻訳してしま
うので、同じ事実について側の人間がどのように見たかを聞く必要が無い、
2.ジャーナリストの独立性というものは様々な影響力を受けやすいので、彼/彼女は
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故意に重要な詳細を報告の中で省略することがあり得る、
Florin Grancea
3.他人に何かを説明するという立場が自らの虚栄心と相まって、自分がすべての問題
に対しての解決策を持っているという誤解を抱くことがあり得る、
からである。このような観点から考えると、ジャーナリストがいかなる影響力(それが
ポジティブなものであろうとネガティブなものであろうと)をも受けていないとき、そ
して彼/彼女が自分の見聞したことを本当に報告しているとき、そして自分の感覚を確
認するためにほかの人間に事件の感想について聞いているとき、その報道が正確である
と言えるのである。逆に不正確な報道は、ジャーナリストの考え方にバイアスがかかっ
ていたり外部の影響力を受けたステレオタイプだったり、他からのチェックを受けてい
ないときに起きる。
インターネット上のフォーラムでのアンケートが証拠付けていることであるが、ルー
マニア人は個人の自由を理解するのはとても早く、何かをする自由、特に個人的なレベ
ルにおいて時に社会のルールに反してまで何かをする自由はすぐに理解したが、平等と
いう概念、特に国民全員が法のもとに平等であるという概念を理解することはできなか
った。このような民主主義への不理解や誤解は二つの方向で稼動している。政治家は権
力を保持するために、プレスを抑圧することを辞さない。一方でジャーナリストは
a) a) そのような政治家のコントロールを受け入れる
b)b)b)そのような抑圧に抵抗する
c) c) c)そのようなコントロールを無視する。
a)の状況では、政治報道を図1の右半分に位置付けることになる。この場合は、ジャ
ーナリストは公に奉仕するのではなく、「男爵」とその虚栄心に奉仕する。またb)の
状況では、政治報道を図の左半分に位置付ける。しかしこの場合でも、その報道は「人々
のために」なっても不正確でありえる。なぜならジャーナリストの民主主義に対する考
え方が間違っていなくても完全ではないからだ。例を挙げるとすると、2004 年の一月
に、サッカーチームのオーナーであるベカリ氏が政治活動をはじめることを決めて政党
を買ったとき(これはルーマニア社会のもう一つの危機であるが、ここでは論じない)
、
ジャーナリストの95%が彼が母国語であるルーマニア語を話す能力に欠如があると
して、彼にそうする権利があるかどうかを問うた。タブロイド紙だけが、コメントなし
に正確にこのニュースを報道したのだ。
政治家に必要とされている公共性が、権力と金をもたらすのか?その答えは次の図に表
れている。
5
お金
Rulers
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公共性
Ruled
政治力
Reporting
Before the
市民達
People
図2.ルーマニアの「オリジナル」民主主義で、切断された公共圏における支配者と被
オリジナル
支配者
民主主義
このような状態は、1989 年のルーマニア「革命」から始まっている。
「革命」がテレビ
で放映されたとき、テレビ映像に映った人々が、そののち政治家、銀行家等として成功
を収めた。このことは、テレビに映るという公共性が権力と金をもたらす、という考え
方をルーマニアの人々に植え付けた。
III. 移行期の問題なのか?
ジャーナリストのクリスチャン・ギネアは、近年ルーマニアは二つの相反する社会組織
モデルの狭間にあると観察している。一つは「古いヨーロッパ(ルーマニアが「西欧」
と呼ぶもの)
」モデルで、もう一つは、2003 年の議会選挙が「自由選挙だが不正選挙」
と批判された「新しいロシア」モデルである。「古いヨーロッパ」モデルは、ナショナ
リスト的な議論の失敗、プロEUの感情とプラグマティズム、そしてブリュッセルの監
視の元でのロードマップという内外の様々なプレッシャーのもとで進行する。一方で
「新しいロシア」モデルは移行期社会の発展とともに自然に進行する。1989 年までル
ーマニアは二つのモラルに支配されていた。一つは共産主義的モラルで、国家レベルで
機能し大都市の社会内部に浸透していたもので、もう一つは地方や農村に見られた宗教
的伝統的モラルである。トップダウンの行動による共産主義の突然の崩壊(ティスマヌ、
ブルカン)は、民主主義に関する公の場における議論がなされることなく、共産主義モ
ラルを民主主義モラルと交換することにつながった。
IV.
ルーマニア政治報道の現状と言論の自由への挑戦
2003 年には、有名なプロのジャーナリスト組織である「国境無きリポーター」が次
のような宣言をしている。
「2004 年 5 月 1 日にEUに加盟する 10 ヶ国では報道の自由
が尊重されている。状況が不安定なのは、ゾラン・ジンジッチ首相が暗殺されたあとに
検閲が厳しくなったセルビア・モンテネグロと、腐敗を追求したり与党を批判するジャ
ー ナ リ ス ト に 対 す る 風 当 た り が ま す ま す 強 く な っ て い る ル ー マ ニ ア で あ る 。」
6
(www.rsf.fr の English 2003 Round up)
。この警告は 2003 年のアムネステ
ィ・インターナショナルの報告書の最初の段落でも強調されている。「刑法の改正にも
かかわらず、表現の自由に対する行き過ぎた制限はいまだに残っている。」。より詳細に
紹介すると、「刑法の改正は表現の自由に対する行き過ぎた制限をしいている二つの条
項を修正することができなかった。具体的には、第 168 条「誤ったニュースの報道につ
いて」と第 236 条「国家に対する中傷」の条項である。改正刑法は、行政官に対する誹
謗、名誉毀損、中傷に対して第 205 条、第 206 条、第 239 条において拘置の刑を規定し
ている。非政府系のメディア監視機関である「アカデミア・カツァヴェンク」によれば、
行政官や地方当局を批判する記事を書いたジャーナリストに対する裁判中の件数は4
00件にのぼるという。そのほとんどが、誹謗及び名誉毀損の罪である。ハラスメント
や脅しの罪を着せられたジャーナリストもいる。あるケースでは、与党の社会民主党に
支援されたビジネスマンの違法な行いについて追求する記事を書いた記者が脅しを受
け、その後ブカレストのテレビ局においてこのジャーナリストを辱めるようなビデオが
流された。また、表現の自由の抑制は地方では経済的な抑圧としても現れる。そこでは、
政治家が地方紙と深い関係にあり、政治家に地方紙がコントロールされている。」
(www.amnesty.org の Annual reports, Report 2003)
。
V.
ラウラ・アンドレシャンとブランドュシャ・アルマンカ
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Florin Grancea
図1を念頭におきながら、次にルーマニアの政治報道に関する二つの代表的な事件に
ついて述べてみたい。それがラウラ・アンドレシャンとブランドュシャ・アルマンカで
ある。
この二つのケースは、ルーマニアの政治報道における制度的慣習と活動についての考
察に役立つ。クルージュの地方紙のジャーナリストであるラウラ・アンドレシャンは中
央紙であるクレント紙で働くためにブカレストに上京した。クレント紙は社会民主党が
選挙に勝ったあと 2001 年にブカレストで発刊された大手紙の一つである。社会民主党
の総書記であるコズミン・グシャは彼も昔クルージュでジャーナリストであったのだが、
ラウラを援助し、ラウラも彼のために働いた。(ルーマニアで職を得るのは、いあまだ
にコネと運の問題であり、個人の資質の問題ではない。このことが労働の自由市場を妨
げている)。彼女の仕事とは?政治家の夜のお供をすることがその主な仕事だった。不
必要な詳細を書くことは避けるが、彼女は野党民主党の幹部の一人からセクシャルハラ
スメントを受けたとして、この幹部をテレビ番組で追求した。しかし彼女が証拠として
提出した録音テープには、驚いたことに彼女自身がこの幹部を誘惑する映像が映し出さ
れていたのだ。このスキャンダルはルーマニアらしい結末を迎えた。彼女はペントハウ
スのモデルやポルノ映画女優、パソコンゲームのキャラクターとして活躍している。そ
してジャーナリストとしても。
ブランドュシャ/アルマンカは 49 歳、最初はラジオ自由ヨーロッパで働いていたが、
90 年以降はエクスプレスの調査リポーター、97 年からは国営テレビのティミショアラ
支局で働いた。しかし彼女の民主主義的なプロフェッショナルな視点は 2001 年以降政
権に煙たがられるようになり、彼女は大学の職を失い、テレビ局の局長の職も失った。
2004 年の 1 月 13 日に彼女はインターネット上での自分の署名入りの意見が引き金とな
って組織から回顧された。彼女はルーマニアでこれ以上働きつづけることを困難と考え
ており、西欧諸国に移民したいと思っている。
これらのケースが極端だとしても、この他に何千というケースがある。ルーマニアの
メディアが若い女性をジャーナリストとして雇用することは制度として習慣にさえな
っている。政治家は男性記者に話さないようなことも若い女性記者には話すからだ。こ
7
れがルーマニアのメディアの制度的習慣の危機としてよべるかどうか分からないが、報
道の質はますます下がっていき、ニュースの独立性はますます稀になってきていること
は事実である。
H18.03.30
結論
Florin Grancea
ルーマニアの政治報道の危機は、ルーマニア国内の社会と政治文化が将来どう発展する
かにその展開がかかっている。ルーマニアがEUに加盟することで、ルーマニアの政治
報道はフランスやドイツに代表されるヨーロッパ基準の政治報道に結果的にはより近
いものとなるだろう。このプロセスに成功しなければ、ルーマニアは最後の自由の小道
を消し、ロシア、ベラルーシ、その他の旧ソビエト諸国の権威主義モデルの受容をする
ことになるだろう。しかし、このようなシナリオが国家スケールで現実のものとはなり
にくいだろう、なぜなら中央プレスは多く外国資本の投資を受け入れているからである。
しかし地方紙は、いまだに地方の男爵たちの専制にあえいでおり、それはこの国で完全
に三権分立が成立し、すべての市民が法のもとに平等になるまでは続く。この小論の中
でルーマニアの政治報道の最大の危機は、プロフェッショニズムの欠如と民主主義の誤
解、そしてオーナーシップの問題であると認識した。
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書誌学
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Press, Cambridge, 1989
Tismaneanu Vladimir, Stalinism for all Seasons, A Political History of Romanian
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Brucan Silviu, ルーマニア二つ革命、サイマル出版会、東京、1993年2月
Slavko Slipchal, media beyond Socialism: Theory and Practice in East-Central Europe,
Westwiew Press, Oxford, 1994
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Edwin Diamond, Behind the Times, Inside the New York Times, The University of
Chicago Press, Chicago, 1995
Lawson Linda, Truth in Publishing, Southern Illinois University Press, 1993,
9