2013 年度 「先進研究奨励」費 氏 名:内島 美奈子 学 年:博士前期課程研究生 研究報告書 研究課題名:サンセポルクロの都市のアイデンティティとイメージの変遷 研究目的と意義 都市と美術との結び付きにかんして、これまでフィレンツェなどの大きな都市を例に論 じられてきたが、近年では小さな地方都市にも考察の目が向けられている。そのなかで、 本研究ではイタリアのトスカーナ州にある都市サンセポルクロを取り上げたい。なぜなら、 サンセポルクロは都市と美術に密接な関わりがみられるからである。 15 世紀に政治的な混乱に陥ったサンセポルクロでは、公に町の創建伝説が語られるよう になった。それは、混乱した状況のなかで町の統一を回復するためにアイデンティティを 形成しようとした動きであったとされる。そして、創建伝説は内外に喧伝され、その喧伝 のひとつとして《キリストの復活》の図像が町に描かれるようになった。 創建伝説によればサンセポルクロという町の名が聖墳墓に由来するという。この関連性 から、聖墳墓が描き込まれる《キリストの復活》という主題は町において重要視されるよ うになったとされる。現在はこの図像が町のシンボルとしてなっており、町にさまざまな 《キリストの復活》が見られる。そのなかで、ピエロ・デッラ・フランチェスカが政治的 な中心地である市庁舎に描いた作品は重要である。ピエロは、15 世紀に活躍したこの町出 身の画家である。 ピエロが描いた《キリストの復活》は、先行研究において創建伝説の喧伝という当時の 時代背景との指摘は少なからずなされてきた。だが、創建伝説との関連が指摘される具体 的なモチーフなどにおいては研究者によって違いがあり、より創建伝説との関連について 詳細な考察が必要だと思われる。また、近年は、サンセポルクロにおけるピエロの新資料 が発見されたこともあり、サンセポルクロとピエロの関係性は見直されつつある。 そこで、本研究では当時の状況と、政治の中心である市庁舎に描かれたことを考慮しな がら、創建伝説との関連をどのような点に認められるのか、またピエロ、もしくはサンセ ポルクロ市民がこの図像にどのような意味をこめたのかについて考えたい。 本研究の目的は、ピエロ作≪キリストの復活≫をとりあげることにより、サンセポルク ロにおける、都市のアイデンティティの形成が美術とどのような関連をもつのかについて 考察を試みるものである。 1 研究の経緯 2013 年 8 月 26 日 資料収集 於:ヴェネツィア宮殿国立博物館にて文献収集(イタリア:ローマ) 2013 年 8 月 28 日 資料収集 於:アレッツォ市立図書館、サン・フランチェスコ教会にてサンセポルクロの歴史、 ピエロ・デッラ・フランチェスカ周辺の画家にかんする文献の収集 (イタリア: アレッツォ) 2013 年 8 月 29 日~9 月 3 日 資料収集 於:サンセポルクロ市立図書館、大聖堂、市立美術館、ピエロ研究センター(ピエ ロの家) 、その他教会にてサンセポルクロの歴史や大聖堂にかんする文献の収集、作 品の撮影(イタリア:サンセポルクロ) 2013 年 9 月 4 日~9 月 6 日 資料収集 於:大聖堂、大聖堂美術館、市立絵画館、その他教会にてチッタ・ディ・カステッ ロの歴史にかんする文献の収集と作品の撮影(イタリア:チッタ・ディ・カステッ ロ) 2013 年 9 月 7 日~9 月 10 日 資料収集 於:ピサ大学美術史専攻図書館、フィレンツェ国立中央図書館にて文献収集(イタ リア:ピサ、フィレンツェ) 2014 年 3 月 22 日 研究報告 発表題目:サンセポルクロとキリストの復活図像 第 2 回西南学院大学国際文化学会 於:西南学院大学 2014 年 3 月 研究論文 題目: 「ピエロ・デッラ・フランチェスカ作≪キリストの洗礼≫の一解釈――15 世紀 のサンセポルクロにおける「再生」の表象」安高啓明編『西南学院大学博物館研究 紀要』第 2 号 研究成果 2 本研究の成果は、2014 年 3 月 22 日に行われた第 2 回西南学院大学国際文化学会で発表 した。また、成果の一部は『西南学院大学博物館研究紀要』にて発表した論文にも反映さ れている。その要旨は次のとおりである。 研究内容の要旨 ・問題提起 都市と美術との関わりという視点から、町のアイデンティティの形成において美術が果 たした役割を知る例として、サンセポルクロの≪キリストの復活≫に注目する。サンセポ ルクロが 15 世紀前半に始まる政治的な混乱から、町のアイデンティティを形成する動きが あった。それは創建伝説の喧伝というかたちであらわれている。そして、キリストの復活 図像はその創建伝説との関連から、伝説の喧伝を担ったものとして指摘されている。 ピエロが描いた《キリストの復活》は、先行研究において創建伝説の喧伝という当時の 時代背景との指摘は研究者によって違いがある。また、他の画家の手になる作品と比較し た場合に浮彫となる特異性についても、その理由について十分に考察されていない。 そこで、本研究では 15 世紀のサンセポルクロの状況とピエロのキリストの復活像との関 係に注目し、当時の状況と政治の中心である市庁舎に描かれたことを考慮しながら、創建 伝説との関連をどのような点に認められるのか、またピエロ、もしくはサンセポルクロ市 民がこの図像にどのような意味をこめたのか改めて考えてみたい。 ・分析 15 世紀のサンセポルクロにおける政治的混乱のなかで、創建伝説が語られるようになっ た経緯を見ていく。そして、ピエロが《キリストの復活》を描いた市庁舎は政治的な場で あることから、通常宗教的な場で描かれる図像とは、異なる意味を持つことが推測される。 よって、市庁舎に描かれた美術作品について考察する。次に、ピエロの《キリストの復活》 を先行作品や同時代作品と比較し、その特異性を浮彫にする。その点が、創建伝説と関連 性を持つことを指摘したい。 ・結論 市庁舎に描かれたイメージには、当時のイタリアの諸都市でなされていたように、政治 を司るものたちを監視するような役割があった。それは近隣の都市シエナの例に代表され る。近隣の町はその影響を受けているとおり、サンセポルクロの本作品も同じような役割 が課されていた可能性が指摘される。それは復活したキリストの容貌に与えられた特異性 からもうかがうことができる。また、他の画家の作品と比較した場合、キリストの墓の前 で眠るローマ兵たちに特異性があることがわかった。彼らについての解釈は先行研究によ って異なるが、サンセポルクロ市民が表現されているという指摘に注目したい。このこと 3 から、創建伝説で語られた一場面として表現されている点を指摘したい。 ・研究調査の成果については、以下の 3 つの点が挙げられる。 ①14~16 世紀にサンセポルクロの歴史について 文献を複数得ることができたことにより、ピエロ研究のなかで語られていたサンセポ ルクロの歴史以外の視点から、サンセポルクロの歴史を知ることができた。とりわけ、 支配国フィレンツェとの複雑な関係を知ることができた。そこで、サンセポルクロがア イデンティティを形成する必要があることをいくつか歴史家の視点により知ることがで きた。 ②サンセポルクロの創建伝説 創建伝説が記された原文を載せた参考文献をえることができた。伝説とそのもととな った大修道院との関係にかんする文献を得ることができた。また、大修道院(現大聖堂) 内部の写真を撮影し、2013 年出版の新しい大聖堂のカタログを入手することができた。 ③サンセポルクロの《キリストの復活》作品について ピエロ作《キリストの復活》を実見した。もともと市庁舎であった場所は、市立美術 館となっており、その内部を見学することができた。また、サンセポルクロを訪れ調査 することにより、文献には載っていない《キリストの復活》図像を発見することができ た。サン・ロッコ教会のラファエリーノ・デル・コッレ作品、サンタ・マリア・デッレ・ グラーツィエ教会の天井装飾など。 ・課題 当初、サンセポルクロにおけるさまざまな画家の≪キリストの復活≫図像作品や、創建 伝説に関連する作品を考察する予定であった。だが、今回入手した 2013 年の研究では、創 建伝説との関連が疑問視されている作品(バルトロメオ・デッラ・ガッタ作《キリストの 磔刑》)があることが明らかとなった。その作品自体のさらなる研究が必要となり、現在蒐 集した文献のみではその検証が難しいため、一部変更することとなった。そこで、ピエロ が描いたキリストの復活を中心に考察し、その時代背景から分析するという方法をとった。 課題としては、サンセポルクロのアイデンティティとイメージの変遷というテーマを深め るためには、そのほかの主題の作品についてもっと資料を手に入れる必要がある。 4
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