曲 目 解 説

曲 目 解 説
パレストリーナ 「ミサ・ブレヴィス」
パレストリーナ(1525~1594)は、生地ローマの近郊パレストリ-ナという町の名をとった通
称で、本名はジョヴァンニ・ピエルルイジといいます。パレストリ-ナはルネッサンス後期を代表す
る教会音楽作曲家としてよく知られておりその作品は日本でもよく演奏されています。
10代ですでにローマのサンタマリア・マジョーレ教会の少年聖歌隊員として教育を受け、後年
同教会の楽長となり、そこで多数のミサ曲を出版しました。パレストリーナは105曲のミサを残し
ていますが、ほとんど4~5声の無伴奏合唱形態をとり、その作風は、通模倣やパロディなど、ル
ネッサンスの書法を駆使しながら、よく計算された展開と安定感のある和声によって常に美しい響
きを聞かせ、まさにルネッサンス後期の花ともいうべき端正なものといえましょう。
ミサ・ブレヴィスのブレヴィスとは「短い」という意味で、ミサの典礼の時間内に収まるようやや短
縮したものですが、ミサ曲の様式は全て備えたもので、1570年初刊とされています。各声部がメ
ロデイを模倣しながら絡み合い、絶妙のハーモニーを織り成すポリフォニーの美しさを十分味わえ
る名曲です。今日はその中から、Kyrie、Gloria、Agnus Dei Ⅱを演奏します。
ブラームス ワルツ「愛の歌」、「新・愛の歌」
ヨハネス・ブラームス(1833~1897)の声楽曲は全作品の半分近くを占め、そのうち重唱曲
は80曲を数えますが、そのなかで最も有名なのが、ワルツ「愛の歌」作品52、18曲と、その続編
である、「新・愛の歌」作品65、15曲です。
「愛の歌」は4手のピアノと、4声部の声のためにかかれています。テキストは、ゲオルグ・フリー
ドリッヒ・ダウマー(1800~1875)が、東欧の舞踊歌をドイツ語に翻訳した訳詩集、「ポリドーラ」
からとられています。作曲は1868~9年にかけてなされ、初演は1869年10月6日に、クララ・シ
ューマンとヘルマン・レヴィのピアノ、および4人の歌い手によって先ずこの中の10曲が取り上げ
られ、全曲の初演は、1870年、1月5日にブラームス自身とクララ・シューマンのピアノ他、によっ
ておこなわれました。それから4年後の1874年に、ブラームスは同じダウマーの詩によって、
「新・愛の歌」を作曲します。ただしこの中の第15曲だけはゲーテの「アレクシスとドーラ」からの詩
によっています。
この作品でブラームスはシューベルトをモデルとして、ウイーンの舞曲を表現しており、もちろん
それは陽気なウインナーワルツとは違うものの、明るい優雅さと、やさしい温和さが溶け合った、
愛すべき作品となっています。今日は、「愛の歌」から8曲、「新・愛の歌」から7曲の合唱曲、そし
て、ヴォイストレーナーをお願いしている横尾先生にソロ曲を2曲歌っていただきます。
ミ
サ
ブ
レ
ヴ
ィ
KYRIE(キリエ)
ス
パレストリーナ
あわれみの賛歌
主よ、あわれみたまえ。
キリストよ、あわれみたまえ。
主よ、あわれみたまえ。
GLORIA(グロリア)
栄光の賛歌
天のいと高きところには神に栄光、地には善意の人々に平和あれ。
われら主をほめ、主をたたえ、主を拝み、主をあがめ、主の大いなる栄光のゆえに、主
に感謝したてまつる。
神なる主、天の王、全能の父なる神よ。主なる御一人子、イエスキリストよ。
神なる主、神の子羊、父の御子よ。
世の罪を除きたもう主よ、われらをあわれみたまえ。
世の罪を除きたもう主よ、われらの願いをききいれたまえ。
父の右に座したもう主よ、われらをあわれみたまえ。
主のみ聖なり。主のみ王なり。主のみいと高し。イエスキリストよ。
精霊とともに、父なる神の栄光のうちに。 アーメン。
AGNUS DEI Ⅱ(アニュスデイ 後半)
平和の賛歌
神の子羊、世の罪を除きたもう主よ、われらに平和を与えたまえ。
ワルツ「愛の歌」
1
ヨハネス・ブラームス
答えよ、あまりにも可愛い乙女よ
答えよ、わが冷静な胸中に汝のまなざしをもって。
この烈しい熱情を投げ込んだところのあまりにも可愛い乙女よ、汝は汝の心を和らげたくはないのか。
非常に敬虔なる汝は心からの歓びなくして止まろうとするのか、あるいは私がやって来るのを欲するの
か。
心からのよろこび無しにすますなんて、そんなにひどい罪は受けたくない。
さあ黒き瞳なる汝よおいでよおいで、星が輝く頃に。
2
岸辺には大波がざわめく
岸辺には大波がはげしくざわめく。
ここで嘆息することを知らない人は、それを恋愛によって学ぶのだ。
5
緑のホップのつる
緑のホップのつる、それは地面をはって進み。
若き美しい乙女よ、なんと悲しそうな風をしているのだ!
お前、緑のつるよ!聞け!どうしてお前は天に向かって高まらないのか?
お前、美しき乙女よ、聞け、どうしてそんなに心が重いのか?
つるよ、起きよ、誰も支えの力を与えてくれないのか?
どうしてその少女は楽しかろう、最愛の人が彼女から離れているのに。
6
小さな、可愛らしい鳥が果樹園に向かってとんでいった
小さな、可愛らしい鳥が果樹園の方へとんでいった。そこには果物がたくさんあった。
かりに私がその可愛らしい小さい鳥であれば、私はその鳥のようにするだろう。
そこにはわなが待ち伏せている。その可哀相な鳥は最早前方に進めなかった。
わながそこに待ち伏せている。その可哀相な鳥はそれ以上前方に進めなかった。
私がかりにかわいい、小さな鳥であったとしても、私はためらい、その小鳥のようにはしないであろう。
その小鳥は美しい手に入った。
その手の中で幸福者のその小鳥は悪い気持ちがしなかった。
7
以前、私の生活は非常にすばらしかった
以前には私の生活、私の恋は非常にすばらしかった。
一つの壁を通して、否それどころか 10 の壁を通してでも恋人の眼は私を認めたのであったが、悲しいこ
とには今では私がその冷たい眼のどんなに近くにいようとも、彼の眼、彼の心は私に気づかないのだ。
9
ドナウ河岸辺に、一棟の家があり
ドナウ河岸辺に一棟の家があり、そこにはバラのような乙女が外を眺めている。
その乙女は非常によく保護されている。十の鉄製の閂を戸口にかけている。
十の鉄製閂とは冗談ですぞ。
私はそれをあたかもそれらが、ただガラスで出来ているかのように破り開くのだ。
11
いやだ、世人と親しむことはできない
いやだ、世人と親しむことはできない。
彼らは全ての事柄を非常に悪く解釈することを心得ている。
世人は私が快活であれば、私が不正な欲望を抱いているという。私が静かであれば、私が恋のために惑
えるという。
13
小鳥は空中をざわめき通り
小鳥は空中をざわめき通り、枝を探し求める。そして、心は、それが幸福に休んじ得るような心を熱望
する。
14
見よ!なんと波が澄んでいることよ!
見よ!なんと波が澄んでいることよ!月が下にきらめいている。我が愛しき人、汝よ、今一度私を愛し
ておくれ。
ワルツ「新・愛の歌」
1
おお、心よ救われるとは思うまい
おお、心よ、救われるとは思うまい、愛の海原にあえて船出せし汝なのだ。
だって無数の小舟が打ち砕かれ、あちこちの岸辺に漂流しているではないか!
2
おお、なんと真暗な夜だろう
おお、なんと真暗な夜だろう、なんと危険な波浪、旋風だろう!
そこの陸地に平穏に休んじる人々は、汝等を十分に理解することができようか。
いや岸辺より幾マイルも離れて嵐の吹きすさぶ荒涼たる海を渡る人だけが汝等をよく理解することがで
きるのだ。
5
隣人よ、汝の息子を悲哀から守りなさい
隣人よ、汝の息子を悲哀から守りなさい。私がこの黒い瞳で彼をまさに魅惑せんとしていますから。
おお、なんと私の瞳は灼熱し燃えんばかりです。彼の心が燃えなければ、汝の茅屋が炎燃するでしょう。
7
山から山へと大雨がやって来る
山から山へと大雨がやって来る。そして私は汝に心からよろこんで口吻を与えるのに。
8
山林の柔らかい草地、ここはなんと美しく静かな場所だろう
山林の柔らかい草地、ここはなんと美しく静かな場所だろう。
愛しい人と共にいると、ここはなんとやすらかに心が休まることであろう。
12
黒き森よ、汝の樹蔭はなんと陰うつなことよ!
黒き森よ、汝の樹蔭はなんと陰うつなことよ!かわいそうな愛しき人よ、汝の悩みはなんと重苦しいの
だろう。
明らかに汝にとって、大切な唯一のものである愛の結びつきは、永久に禁ぜられているのだ。
14
輝く瞳、真夏の髪をし、よろこびに満ちた無鉄砲な子よ
輝く瞳、真夏の髪をし、よろこびに満ちた無鉄砲な子よ。
汝によって、悲哀感は私のかわいそうな心に滲み込むのだ。
太陽の熱が氷に、昼が夜に変わることがあるだろうか。熱烈な心情の持ち主が、熱情的な欲求を感じな
いで、呼吸することがあるだろうか。
花がその光輝を失う程、田畑が光に満ち溢れているだろうか。心が苦しみに朽ち果てる程、世間がよろ
こびに満ちているであろうか。
15
結び
ミューズの神よ、もう結構だ。
貴方等は徒に恋する人の心に、悲嘆と幸福が入れ代わる様を、描こうとするだけではないか。
貴方等には、恋愛の神の負わせた傷を、いやすことができないではないか。
ただ貴方達にはその傷を軽くすることしかできないのだ。