クマタカ営巣地付近での山腹工事

クマタカ営巣地付近での山腹工事
長野県中野建設事務所(砂防課)担当係長
坂口一俊
1.はじめに
夜間瀬川流域は、自然豊な観光地であるが、一
方で、過去から大きな土砂災害が発生している。
尾根
山腹工
(ブロック分割)
から、長野県希少野生動植物保護条例等で指定さ
れているクマタカの生息が確認され、継続調査を
実施していた。今回、山腹工事発注後、近傍でク
マタカの営巣が確認されたため、工事の影響を判
営巣地
谷地形
夜間 瀬川
今回の報告箇所も、山腹斜面が崩壊し、砂防河川
を埋塞させたものである。崩壊箇所流域は、以前
町道
半径200m
工事用道路
砂防河川
砂防堰堤
H=12.5m
図1 施工箇所概念図
断すべく工事を一時中止した。これまでクマタカ
営巣地近傍での工事は基本的には回避されるた
め、施工事例がほとんど報告されていない。
今回、工事の影響、施工方法、施工時期等を検
討し、また地元有識者から助言をいただき、工事
可能と判断した。工事は、モニタリングにより影
響を計りながら、手探りの状態で進め、幼鳥を無
事に成長させることができた。今回の手法がベス
トのものだったかは不明であるが、今後の参考に
なればと思い、ここに紹介する。なお、クマタカ
写真1
崩壊状況
保護のため詳細な箇所等を示すことは差し控えさ
せていただく。
2.山腹工事の概要
H13 に幅 120m、長さ 120m、2 万 m3 の土砂が
崩壊し、うち約 4 千 m3 が河道を埋塞した。崩壊
部は、杉の人工林で一部を残し、ほとんどが倒木
を巻き込んで斜面下部に滑落していた。本川の夜
間瀬川の下流直下には多数の温泉街があり、土石
流発生の懸念から、直ちに災害復旧事業で
写真2
施工状況
H=12.5m の堰堤を設置した。また、崩壊斜面も亀裂等があり上部拡大への危険性から H18
から山腹工事に着手した。対策工は、現場条件、材料搬入が厳しいことから、倒木、間伐
材を利用した木柵工、法枠工等などで、作業の中心は、チェンソーによる木の切断、バッ
クホウによる土工である。
3.クマタカの営巣
今回の崩壊とは別に砂防堰堤計画があることから H10 にモニタリング調査を開始し、こ
-1-
工事実施可能期間
8月(巣立)∼12月(降雪)
春
冬
求
愛
期
造
巣
期
開求 運巣
始愛 搬材
11∼3月
写真3 クマタカの巣
れまで6回の営巣を確認した。うち H17、
H18、H19 は今回の営巣地での営巣である。
図2
秋
夏
抱
卵
期
産
卵
3∼4月
雛巣
家外
族育
育巣
雛内
期
孵
化
独幼
巣
立鳥
立
ち7∼8月
クマタカ生活サイクルと工事実施可能期間
H17 は雛が蛇等に襲われ、H18 では雛は無事巣立っている。クマタカは、同じ巣を利用す
る傾向はあるが、毎年、繁殖するとも限らない、同じ巣を積み上げ、繰り返し利用すると
巣も不安定になるため、何回か営巣すると営巣地を変えるので、H19 での営巣は低いと判
断した。しかし、H19 年4月に H18 と同じ営巣地で繁殖を確認、工事は一時中止(H18 年
12 月発注)せざるを得ない状況となった。一般にクマタカ営巣中心域は、巣から半径 500
mと言われている(参考文献1)。工事用道路の施工を含む作業ヤードからの距離は、最
大で 200m最小で 100m以下である。当地区のクマタカは雪が多いためか、造巣期は、一般
的なものより1∼2ヶ月遅れることがある。通常は 11 月頃から求愛行動に入るが、H18
年秋頃は、全く気配を見せなかった。このことも、工事を発注する決断の一因となった。
クマタカは、元々里山でも生息し、全く人間の環境に合わないわけではない。当地区で
は駐車場付近の斜面に留まっているのを見かける。幼鳥も、成長すれば、親の縄張りから
出て行く。基本的には、巣立ち直後で飛翔力が向上しない時期までは、営巣地を中心に生
活しているが、それ以降は営巣地から離れる。ただし、この生活サイクルで注意すること
は、親鳥が自分の巣に危険を感じると子育てを放棄することで
ある。放棄の危険性は、卵のときほど高く、雛が育つに従い、
強い愛着を感じるためほとんどない。また、雛自身が無事成長
試験工事
クマタカの影響確認
作業時間:9 時∼12 時
する確率も、雛の成長に従い高くなる。このことから雛が十分
成長する巣立ち前後には十分な対策をとることにより工事再開
クマタカをならす
は可能であると判断した。
作業時間:9 時∼15 時
4.工事の対策
4.1
コンディショニング
試験工事の実施
試験工事とは、最も影響を与える作業を抽出し、本工事前に
クマタカを直接観察しながら、実際にその作業(今回はチェン
ソー)を行い、クマタカの反応、影響を評価するものである。
試験工事で問題がないことを確認してから本工事を行う。試験
工事実施時期も、影響が少ない巣立ち以降が好ましいが、巣立
後では、幼鳥が巣周辺の木々の間を飛び移るため、直接観察す
ることが難しい。よって、試験工事は巣立ち直前とした。
-2-
本工事
作業時間:8 時∼17 時
各作業で影響があっ
た場合は直ちに作業
中止し、検討する。
図2
工事フロー
4.2
コンディショニング
今回の対策については、野猿公苑の元苑長の常田英士氏から御指導をいただいた。「ク
マタカも人間と同じで、危害がないとわかれば、作業になれるものだ」との常田氏助言か
ら、すべての作業は、クマタカに対し、距離と量において徐々に負荷を上げていくことと
した。つまり、距離においては、営巣地から最も離れた箇所から作業を行い、徐々に営巣
地近くへと進む。量としては、作業時間を徐々に増やしていくということ。試験工事、コ
ンディショニング、本工事と徐々に負荷をあげていき、クマタカに音になれてもらう、そ
して、我々の作業はクマタカに危害を加えるものではないということを示した。
4.3
ゾーニング
工事箇所は、山腹工面積 120m×120mに、工事用道路 400mが取り付いている。営巣地
は、概ね工事用道路の中間にある。作業ヤードは、営巣地から最大で 200m、最小で 100
m以下となっている。また、営巣地は局部的な谷地形内にあり、谷外からの音は聞こえず
らい。また山腹工で河川に近い箇所は、音が上空に広がるため、営巣地には伝わりずらい。
これらの地形条件、営巣地からの距離により、施工エリアを影響度によりブロック分割し、
作業は影響の小さいブロックから行った。
4.4
表 1 クマタカの忌避行動
クマタカの忌避行動
・ 警戒行動、警戒鳴き声の確認
試験工事は、単刀直入にいうと、クマタ
・ 親鳥の鳴きながら旋回飛翔
カに負荷(ストレス)を徐々に加え、クマ
・ 幼鳥が鳴きながら巣をうろうろする
タカがどこまで耐えうるかを観察するもの
・ 作業終了後も親鳥が巣に戻らない
である。緊急時の体制・対応を万全とする
・ 親鳥が餌をもって飛翔しているにも
ことは当然必要であるが、問題は、クマタ
かかわらず、帰巣しない。
カが軽いストレスを受けたときに発するサ
インは何かということである。表1にまとめてはみたが、実際の経験のものでないので、
極端なものとなっている。ストレス初期の反応は観察によるとした。
クマタカに甚大な影響を与えた場合は、図2のフローで示すとおり、直ちに作業を中止
することにしていたが、この見極め、判断が重要となる。異常時は、観察者が瞬時に判断
をしなければならない。判断には、当然高度な技術力が必要であることは言うまでもない
が、幼鳥の動きを細部まで観察でき、巣全体を見渡せる観測場所があることが前提となる。
今回、この2つの条件面で常田氏の御指導があり、実施可能となった。
5.実施結果
5.1
試験工事
8 月 7 日9時から図2に示す作業時間で、
各ブロックで立木1本を伐採した。山腹工ヤ
ードでは次のとおり全く問題はなかった。
①幼鳥に目立った変化が見られない。②試験
工事中も、親鳥による巣内への餌の持ち込み
があった。③幼鳥も音を気にせず、持ち込ま
れた餌を食べ続けた。④チェンソーの音が、
-3-
写真4
幼鳥(3ヶ月)
営巣地側斜面にはあまり聞こえない。山腹工ヤードでは、予想以上に雛・親鳥への影響が
少ないものであったと判断し、後日予定していた工事用道路での作業も急きょ実施した。
ただし、工事用道路では、山腹工とは異なり、いきなり伐採するのではなく、まず、チェ
ンソーで空ぶかしを行い、エンジン音による幼鳥の反応を確認し、影響がないと判断して
から立ち木の伐採を行うこととした。この結果、最も営巣地に近い箇所でも、伐採時に幼
鳥が、一瞬作業方向を見た程度であり、特別な変化は見られなかった。なお、クマタカは
軽いストレスを受けた場合、常田氏は、まず「巣内に低く、身を屈め、隠れる」とされた
が、それすらも見られなかった。常田氏は、伐採前後の幼鳥の巣内での単位時間当たりの
動きをカウントし、伐採前後で変化がなかったことを確認された。
試験工事結果から、チェンソーによる伐採作業はほとんど影響ないと判断した。
以降の作業(コンディショニング、本工事)は、更に1ヶ月程度遅れた時期に行うため、
完全に幼鳥が巣立った後であり、より影響は小さくなることが想定された。
5.2
コンディショニング
コンディショニングは約1ヶ月間とし、8 月 27 日から開始した。山腹工、工事用道路と
も全くクマタカに変化は見られなかった。ただし、工事用道路において、9 月 3 日は親鳥
が作業休止時のお昼頃と作業終了時の夕方に幼鳥に餌渡しを行ったこと、9 月 4 日は鳴き
交わしがあり、巣外で餌引渡しがあったと思われるが直接確認はできなかったこと、9 月 5
日には鳴き交わし後に、親の飛翔が確認できなかったため、影響とは断定できないが、安
全策として、その後4日間工事を中止し、親のストレス解消に努めた。
5.3
本工事
コンディショニングは 9 月 30 日に終了し、以後本格的に工事に着手した。この時期、幼
鳥は飛翔するようになり、巣を中心に生活はしているが、行動圏は広くなっており、工事
の影響は全くみられず順調に成長していた。
6.まとめ
クマタカ営巣地に非常に近く、自然界にはない音を発するチェンソー主体の工事のため、
工事中止がクマタカ保護には最もよい選択であったが、下流住民の安全確保のためには早
急な山腹工の整備が必要であり、採用はできなかった。幼鳥が完全に独立した 10 月以降の
施工もあるが、当該地域は豪雪地帯のため、降雪により 11 月下旬までの2ヶ月間しか施工
できない。更に、現場作業は山中のため施工性が非常に悪いため、この2ヶ月程度では工
事は成り立つものではなかった。よって、いかに施工期間を多くとるかが課題となり、ク
マタカの許容範囲を検討し、クマタカへの影響と工事期間とのバランスを保ちながら、影
響を最小とする対策をとり、工事を施工した。この山腹工は完成するとクマタカにはよい
餌場となる。我々の工事は、常に自然環境と向き合いながら実施しなければならず、完成
物だけでなく、完成に至るまでの過程においても、自然とベストな状況で共存共栄しなけ
ればならない。今回、このことを深く考えさせられたものである。今後、同様な工事の参
考になれば幸いである。最後に、常田氏には打合せ、現地調査等で多大なる御尽力をいた
だいた。また、(株)長姫の菅原氏は熱心な観察にから的確な対応・提案をされた。ここで
両氏に深く感謝を申し上げる。参考文献
1)
-4-
猛禽類保護の進め方(環境庁、1996)