天国からのメッセージ

天国からのメッセージ
昭和38年卒 B-2 神野 清彦
早いもので、OB合唱団の創設メンバーのひとり、今富晋吾君が逝ってから一年半になります。第8回定演で彼が振
った「Zum Sanctus」のppの美しい響きは今でも心に残っています。先日の北大OBとのジョイントコンサートで彼の
奥さんにお会いしました。その折に、一通の原稿を頂きました。彼が生前に口述をしたものをお嬢さんのゆかりさん
が起こしたもので、最近、彼の使っていたパソコンから発見されたそうです。
常々、OB合唱団を「ハマの文化にしよう」との思いで、全ての情熱を合唱につぎ込んでいた彼のメッセージが綴ら
れています。未完とも思われますが、原文を皆さんにご披露して改めて彼の業績を偲びたいと思います。
アマチュア合唱団員への贈り物 –合唱上達の極意–
昭和38年卒 今富 晋吾
1、良い演奏をする為の条件
良い演奏をする為には、3つの条件が必要です。その3つとは才能と努力と集中力です。その
3つは掛け算の関係にあってどれか一つでも1より小さいと良い演奏が出来ません。
まず、才能についてみてみると音楽家になる為には絶対音感が必要であるとか、それが無いと
出来ないという様な話もあるけれど、決してそんなことはありません。音楽の為に必要な才能は
音の高さ、リズム、表現力等があり、これらは全て良い訓練をすれば伸ばすことが出来ます。
でも、本当に優れた演奏家の演奏を聴いてみると、とても人間技とは思えないほどのテクニッ
クや記憶力があり、とても訓練しても到達出来ないと思われるような素晴らしい才能も確かにあ
ります。
そこで、私達アマチュア合唱団が注意しなければならないのは、その様な天賦の才が無いだろ
うと最初から諦めて努力をしなかったり、或いはある程度努力しても上達の可能性が見えないま
まに諦めてしまったりすることです。
良い演奏をする為の3つの条件というのは、スポーツにも共通しています。オリンピックのソ
フトボールで金メダルを取った上野投手が「私達全体の集中力、気力、向上心が相手を上回つた
から金メダルを取れたのだと思います」と言っていました。試合が終わってみれば普通のお嬢さ
んですが試合の中には彼女たちの努力と才能と集中力が結集されていたのだと思います。これか
ら、これらの3つの条件をどのように伝えていったらいいか、お話したいと思います。
2、合唱団員に望まれる資質
昔から音楽家には悪い人はいないと言われます。コーラスが好きな人には悪人はいきせん。コ
ーラスが好きな人には協調力、集中力、忍耐力が見られます。これらは、最近の若い人に欠けて
いる点だと言われています。コーラスをするには相手の歌に自分の音を合わせるという努力が必
要で、絶えず正しい音を他のパートと協調しながら探しだしていく作業が協調力を育むのでしょ
う。そして他のパートが難しい個所を練習しているときに、じっと静かに待っていなければなら
ないため、忍耐力が養われます。そして指揮者の僅かな動作に求められている音楽を感じ取り、
指揮者の思い通りに表現するという大変な集中力も要求されます。しかし、合唱団員には残念な
ことに共通してみられる欠点があります。ひとつは素直に人の言葉を受け入れないこと。ある注
意をされたときに「ああ、おれはそれを知っているよ」とか、「それは努力したけど俺には出来
ないんだ」とか、注意されたことの本質をしっかり聴きとろうとする注意力が欠けています。で
すからいつも同じような注意を繰り返されてしまうのでしょう。
これから皆様にお話ししようと考えていることは、私自身が工夫して考え出したこともいくつ
か含まれていますが、大部分は昔から合唱団の練習の時に先生方から繰り返し言われている基本
的な事柄です。従って、長く合唱団で歌ってこられた方には今迄に繰り返し言われてきているこ
とと思います。
3、合唱団で磨かれる資質
合唱の素材は音です。当然良い声を磨かなければなりません。しかしその前にもっと大切なこ
とは良い耳を磨くことです。良く発声練習を行い、ある程度良い声、大きな声
が出せるような団員を数多く抱えている合唱団でもその合唱を聴いてみると意外にハーモニー
が揃っていなかったり、力強さが欠けていたりするものです。それは歌をうたっているときに相
手の歌を聴くという訓練が出来ていないためです。声だけが育ってしまい耳が育っていないので
す。
まず、ピアノで440サイクル、Aの音を弾いてその音を歌わせてみると正確に440サイク
ルの音を出している人は少ないものです。440の音の隣り、半音上の音は約480サイクルで
40サイクルの差があります。この半音の差を普通の人は耳で正確に聴き分けることが出来ます。
しかし、耳の鋭い人は1/8音や1/16音の差を聴き分けることカ出来るのです。この1/16
音の差は2∼3サイクルであり、耳の鋭い人はこの差も聴き分けてしまうのでしよう。普通の耳
の人が440サイクルの音を出せと言われたときに正確な音を出すことは難しいのですが、練習
方法として二人一組になり、相手の音を聴き、同じ音を出し、相手の声と自分の声が一致するよ
うに努力をすれば驚くほどきれいな音が作れるようになります。これを三人一組、4人、5人と
増やして行き、一つの音を作る作業をすることが最初の一歩です。それがピアノであってもフォ
ルテであっても、低い音であっても高い音であっても常に一つの音になるように心掛けなければ
いけません。
純正調と平均律。17世紀のバッハが1オクターブを平均した12の音に分けた平均律という音
階を工夫しました。この平均律のお陰でピアノ(クラビーバ)の発達の基礎を作りました。しかし、
本当に美しいハーモニーは平均律では作られません。その昔、合唱が主流だった頃、人々は完全
5度の美しい響きに心を奪われたのです。その完全5度の音階がどのようなものかを中世の人は
研究しました。その中でピタゴラスという有名な数学者が完全5度は1:2/3であるというこ
とに気付きました。そこからピタゴラス音階をいうものを作り出しましたが、この音階は理論的
に微妙な誤差が生じるため、その後いろいろは人が研究し、ピエトロ・アーロンと言う人が作っ
た音が中全音律と言われています。
合唱音楽を作る時、もっとも基本となる音は完全5度の関係です。ベースがドの音を出すと音
はひとつの規則だった倍音列を作ります。その最初のもっとも大きな倍音が5度の関係になるか
らです。ベースが440サイクルで響いた時、バリトンは660サイクルの響きを出すときに生
じる美しい倍音をまず聴きとらねばいけません。ベースがひとつのパートの音を作る時と同様に
バリトンも一人ずつ音を良く聴きながら660サイクルでパートの音を作り上げるように練習
しましょう。
音楽の基本和音としてカデンツァがあります。セカンドテノールはベースの1オクターブ上の
880サイクル。これも完全に響く美しい音ですのでベース、バリトンの音の上に響いている倍
音列のドの音に合わせてセカンドの音を作ってください。この三つの音が鳴ったときには私達の
耳には、この完全な和音の他に新たにミという倍音が鳴っているのに気付きます。トップテノー
ルはこのミという音に注意しながらこの音を作ってください。これらの4つの音が正確に響いた
時に初めて美しい響きが鳴り響きます。合唱の和音には主和音、属和音、下属和音が基本3和音
としてあります。主和音と同じように属和音、下属和音も美しい倍音率の上に重なるように練習
し、美しいカデンツァを作りましょう。これらの過程は全てお互いの音を聴きあうことによって
初めて達成できるものです。
お互いの音を聴き合うことによって、注意しなければならないことは音の高さであるとこれま
で話してきました。しかし、音楽を作る上で皆様に注意していただきたいことに音の高さだけで
はなく、音の大きさや音楽の速さ、リズム等があります。これらのことは殆どの場合、楽譜に記
されています。初めての曲を歌う際には難しいこともあるでしようが、音の高さばかりに集中し
てしまい、音の大きさや速さについては案外注意が向かないものです。音の大きさについてはピ
ァノやフォルテ、クレッシェンド等の作曲者の意図が楽譜に明確に記載されています。合唱を始
めるときに、まずこれらの事柄に注意し、心構えを持って欲しいと思います。
4、音の大きさについて
初めての曲を練習する時には、音の大きさは全てメゾピアノ程度で行うのが望ましい
と思います。自分は音がとれるから大きな声で歌うのではなく、自分の音が他の人の音と同じ大
きさで揃うように歌うことが大切です。そしてある程度音が正確に出せるようになったら楽譜に
記されている強弱をきちんとつけるといいと思います。他人の音(パートの音)と自分の声の大き
さとのバランスに注意しましょう。メゾピアノ程度の時には、きちんと聞こえていた他人の音が
フォルテ、さらにフォルテッシモになると聞こえなくなっていることはありませんか?昔からフ
ォルテッシモは他人の音より大きく出してはいけない。ピアニッシモは自分の声が聞こえてはい
けない。といわれています。
これはまさしく他人の音を常に聴くための大切な注意だと思います。音楽は基本的には作曲者の
思いを聴く人に伝えるためにあるものです。したがつて聴く人にどのように自分の思いを伝えた
らいいのか考える必要があります。このことは対話や演劇と同じです。相手に強く訴えたいから
と言つて怒鳴りつければ自分の思いが伝わる前に相手は不快な感じを持つでしょう。ですからフ
ォルテだからと言つてやたらと大きな声を出しては作曲者の意図は伝わりません。ピアノやピア
ニッシモでも同じです。自分の声はこれが
一番小さいという声で唄つてもそれが相手に聞こえなければ相手には何も伝わらないでしょう。
ピアニッシモの時の作曲者の思いというのは非常に大きな悲しみとか祈りなどを伝えようとし
ているので通常の歌の音よりももっと強いものを持っています。例えば内緒話をすることを考え
てみてください。「これはとっても大切は事よ」という時には他の人には聞こえないよう小さく
しますが、相手には伝わるようにきちんと話します。
このことが音楽の表現の中では最も重要なことです。しかも、最も訓練が必要とされることです。
どのようにピアノを出したらよいかについては、後でまた説明いたしますが、フォルテやピアノ
の意味を伝えようとすることは音の強弱だけではなく、作曲者の意図をその様かたちで聴き手に
伝えるとしているのだということを心に留めておいてください。
クレッシェンド、デクレッシェンドについても同じことが言えます。クレッシェンドでは相手
に伝えようとする作曲者の意図が聴く人に強い感銘を与えるようにすることが大切です。そのた
めにはクレッシェンドと書かれている所から大きくし始めて、すぐに自分の音の限界に達してし
まうのでは力強い音楽は作れません。聴く人が力強さを感じてからも更にぐいぐいと大きくなる
クレッシェンドは時に聴く人を強く圧倒し、音楽の印象を決定的にすることがあります。このよ
うなクレシェンドをする為に注意するこ
とはクレッシェンドが始まってから終わりまでの音の大きさが後になるほど大きくなるように
すると良いでしょう。デクレッシェンドでも同じです。音が小さくなったな、と感じ始めてから
聴く人は音にひきつけられ、それからしっかりしたデクレッシェンドが終わると強い感銘を与え
ることが出来ます。このようなことに注意して作り出すピアノ、フォルテ、クレッシェンド、デ
クレッシェンドは無造作に歌われている場合と比べてその音量の差の違いは実に僅かです。しか
しながら音楽として与える効果はとても大きいのです。このことは100M競争のスタートダッ
シュとも似ているかもしれません。
ほんの僅かの差でありながら最後に決定的な違いを作り出すからです。従ってこの音の強弱につ
いても他の人との音を良く聞きながら皆と一緒になって作り出すことが望まれます。皆がデクレ
ッシェンドをしているときに何人かがフォルテのままで歌われるとその音楽は注意力のない何
人かの音楽のレベルに下がってしまいます。
5、音の速さ
音の速さを表す時に速度記号と拍子記号と音符の長さが使われます。速度記号には4分音符が
1分間に76という様な細かい規定から、アンダンテ、アレグロ等のような表情記号と同時に書
かれているものがあります。拍子記号には3/4とか4/4という形で表示されています。その他
に音符の長さによる付点4分音符とか3連符という表記があります。速度記号について1分間に
76と記されている場合にどのくらいの速さか分かるでしようか?これは昔の音楽家が考え出
したことですので、自然に分かる人はなかなかいないでしょう。しかし、訓練をすればこの速度
感はある程度身につけることが出来ます。私が皆様にお勧めしたいのは、例えばメトロノームで
1分間に76の音を何回か聴かせて、メトロノームを止めて反復させるという練習を合唱団同士
で練習の際に行うといいでしょう。
指揮者の指揮に集中して速度を覚えようとすれば、ある程度は覚えることが出来ますが、合唱団
員は指揮者が速度を決めているからといって任せきりになって自ら速度を考えることを止めて
いませんか?例えば、オーケストラと比較すると、オーケストラのティンパニー等は26小節休
んだ後に突然フォルテッシモで鳴らすことがあります。その間、ティンパニーの人は与えられた
速度で26小節をしっかり数えているものなのです。
その上、オーケストラではそれぞれがパート譜を持っており、その26小節の間、他の楽器がど
のような音楽を作っているか全く見ることが出来ません。従って彼らは大変な集中力を持って自
分の入る瞬間を待ちかまえているのです。
そこへ行くと合唱の場合には、他のパートの譜も全て記入された楽譜で、自分のパートが他の
パートとどのようにかかわってぃるかを観ることが出来ます。歌を歌う時に指揮者が合図をして
音を出すのですが、良く見ていると人によって違いがあります。指揮者が自信を持って音を出す
べき瞬間に音を出す人もいますが、中には誰かの音を聴いてから音を出す人がいます。あるいは
指揮者よりも早く音を出す人もいます。このことが音楽の乱れを生みます。
(2008年9月3日口述)
今富君の原稿はここで途切れています。まだまだ言いたかったことがあったに違いありません。
しかし、「いい演奏は、始まった瞬間にきれいな音だな、と感じるかどうかだよ」と言っていた
彼の音楽づくりの基本が十分伝わってきます。
それにしても惜しい人を失いました。