「Die Brücke かけ橋」第644号 平成22年6月25日発行(毎月 1 回25日発行)財団法人日独協会 2010 6 表紙の言葉 Zum Titelblatt Die Lüneburger Heide liegt im Nordosten Niedersachsens. Dieses Naturschutzgebiet ist umgeben von Elbe, Weser und Aller und liegt in der Nähe von Bremen, Braunschweig, Hamburg und Hannover. Um die reichhaltige geographische Beschaffenheit und die über das ganze Jahr in den schönsten Farben blühende Flora zu erhalten, ist die Durchfahrt mit dem Auto nicht gestattet. Die Gegend ist besonders für ihr Heidekraut berühmt, welches wie ein Teppich die gesamte Oberfläche bedeckt. Vor allem im August und September kommen aus den umliegenden Städten viele Besucher und machen Spaziergänge oder Kutschfahrten um sich an der schönen Natur zu erfreuen. Ob Festivals, Paraden oder die Wahl zur Heidekönigin – die Lüneburger Heide bietet eine Vielzahl von Veranstaltungen, die sie zu einem beliebten Ausflugsziel machen. リ ュ ー ネ ブ ル ガ ー ハ イ デ(Lüneburger Heide) は、 ドイツのニーダーザクセン州の北東部に広がる荒地 (Heide)です。エルベ川、アラー川、ヴェーザー川 に囲まれ、ブレーメン、ブラウンシュヴァイク、ハ ンブルク、ハノーヴァーの中間に位置する自然保護 地区で、変化に富んだ地形や年間を通じて咲き乱れ る花などを保護する為に自動車の乗り入れは禁止さ れています。この地域で特に有名なのがエリカの花 (Heide)で、この赤紫色の花が絨毯のように地面を 埋め尽くす 8 月から 9 月にかけては多くの観光客 が最寄りの町から馬車や徒歩でやって来ます。ハイ デ祭りや行進、ハイデの女王などのさまざまなアト ラクションが多くの人々を楽しませるのです。 Fotograf/Bildeigner : TourismusMarketing Niedersachsen GmbH 写真提供:TourismusMarketing Niedersachsen GmbH 目 次 ページ/ Seite 講演記録 1 INHALT Vortrag 1 ∼バッハ、シューマン、それともポルシェ?…ライプツィ ヒは今年も熱い! 1 坂田 史男 特別寄稿 1 統一ドイツへの道程(4) 織田 正雄 „Bach, Schumann, oder doch lieber Porsche? Auch in diesem Jahr geht es in Leipzig heiß her! “ 2 Fumio Sakata Beitrag 1 Der Weg zur Wiedervereinigung 4 Masao Oda Beitrag 2 特別寄稿 2 桃山の丘での日独高校生ジョイントコンサート 4 京都府立桃山高等学校 郊外人タベアの日記 タベア・カウフ 協会活動 最近のドイツ政局よもやま話 出原 悠 Gemeinschaftskonzert japanischer und deutscher Schüler in Momoyama no Oka Kyoto Prefectural Momoyama Senior High School 6 Gaijin in der Vorstadt 7 JDG-Aktivitäten 8 Gedanken zur deutschen Politik Tabea Kauf Hisashi Idehara Nachruf auf Osamu Fujimoto / Über die Jahresmitglieder- 訃報/独日協会連合会年次総会報告 9 会員のひろば 10 Aus dem Mitgliederkreis Die Getränkekarte,bitte! 11 Die Getränkekarte, bitte! 催物案内 12 Veranstaltungen versammlung des Verbandes der DJGen バッハ、シューマン、それともポルシェ? …ライプツィヒは今年も熱い! 坂田 史男(ライプツィヒ観光局日本代表部代表、ラ イプツィヒ見本市整形外科リハビリテーション技術見 本市日本代表) Bach, Schumann, oder doch lieber Porsche? Auch in diesem Jahr geht es in Leipzig heiß her! Fumio Sakata(Repräsentant der Leipzig Tourismus und Marketing GmbH Büro Japan, Repräsentant der Leipziger Messe für Orthopädie + REHA Technik) パワーポイントや資料を駆使 してライプツィヒの多面的な 魅力を語る坂田氏(写真右) 伝統を大切にしながら新しい ものも柔軟に受け入れる、勢 いに満ちた町という印象を持 ちました。さすが、ニューヨー ク・ タ イ ム ズ「2010 年 に 訪 れ る べ き 世 界 の 旅 行 地 31」 で堂々 10 位、ドイツで唯一 ランキングに載った町です。 本稿は 2010 年 4 月 19 日㈪シュタムティッシュ の要旨です。 一年半前から日本からライプツィヒへの観光促進と いう仕事を受け持つこととなった。 以前日独協会で 「日 本とドイツの観光事情」 について話す機会を得たとき、 統一後の旧東ドイツへの観光促進への東京のドイツ観 光局の取り組み、とくにゲーテ街道という日本発の着 想について説明した。日独観光事情比較では同じ経済 大国でありながら、日本人の休暇旅行は収縮し、海外 旅行は未だ 2000 年の水準に回復しておらず、とくに 20 代の若者の減少が著しくドイツと相違することを 指摘。他方、ドイツ人の休暇旅行は高い水準で推移し、 年 次 休 暇 取 得 率 も ほ ぼ 100 パ ー セ ン ト( 日 本 は 47%)。ドイツ人の国外休暇旅行者数は 4370 万人、 日本人海外旅行者数は 1540 万人。9 カ国と国境を接 しているドイツだから国外旅行が多いのは当たり前の ように思えるが、統計の条件を見ると唖然とする。ド イツの場合、純然たる国外休暇旅行で、ビジネス旅行 は含まず、それも 5 日未満の旅行、14 歳未満は数え ないというもの。日本人海外旅行者数は、休暇もビジ ネス旅行も、赤ん坊も、現地宿泊のない弾丸旅行さえ も含む。政権交代でようやく叫ばれてきた休暇分散化 も春の連休を週末にくっつけて、などというケチな話 である。不合理な地方空港建設や当然の羽田空港ハブ 化の問題に着手しだしたが、空の 50%を格安航空会 社が占める欧州と比較すると日本は鎖国状態だ。 今回の講演を「バッハ、シューマン、それともポル シェ?…ライプツィヒは今年も熱い!」という刺激的な ものにしたのは、これらのキーワードが今日のライプ ツィヒを表し、またバッハやシューマン、ポルシェとい う言葉を耳にしたことがない日本の方はいないからで ある。デスティネーションを売るには、まず場所の知 名度を上げなければならないが、それには何かの関連 性、イメージできるものが必要だ。ライプツィヒという 名前は、ドイツ関係者や音楽愛好家は除けば、一般の 日本人消費者の間では知られてはいない。しかし幸い にしてバッハはすべての人が知っている。バッハの線 から町の知名度を高めることができる。この町がメン デルスゾーンやワーグナー、さらには滝廉太郎、森鴎 外のゆかりの地とであると言えばみな驚嘆する。 歴史ある交易都市、見本市都市のイメージを植え付 けるのは難しいが、幸いにしてライプツィヒには経済 の強みを象徴する理解しやすい製品、すなわちポルシェ がある。9 割の日本人はかっこよさ、速さ、高級のイメー ジをもつポルシェを知っている。しかしポルシェの生 産拠点がライプツィヒにあることは知る人はゼロだ。日 本人が日常、路上でメディアで触れるバッハとポルシェ その後の懇親会(写真左) ではライプツィヒの地 ビール「ゴーゼ」が登場。 ビールとは思えない不思 議な酸っぱさは独特で す。知らない人はびっく りするでしょうね。 をライプツィヒに結びつけられれば観光の促進になる。 音楽関連や観光名所については出席者はよく御存じな ので、説明はビジュアルで簡潔にし、本年拡張リオープ ンしたバッハ博物館、恒例のバッハ音楽祭、ロベルト・ シューマン生誕 200 年、メンデルスゾーン音楽祭、2012 年のトーマス教会合唱団創立 800 年等をとくに強調する。 ポルシェは 1999 年にライプツィヒに新たな拠点とし てカスタマーセンター、工場、テストコース、オープ ンサーキットの建設を決定し、2002 年末にカイエンの 製造を開始。2006 年までカレラ GT も生産され、2009 年にはパナメーラ製造が加わり、現在ポルシェ車の 5 割がライプツィヒから世界に送り出されている。工場 とカスタマーセンター見学、テストドライブなど様々 な組み合わせのパッケージが用意され、日本からの関 心も高い。ライプツィヒにはさらに BMW のモダンな 工場があり、1 シリーズと日本未発売の SAV の X1 を 主に製造している。ポルシェも BMW も毎日見かける 車であり、これがメイド・イン・ライプツィヒというこ とが認識されれば町の知名度は大いに上がる。 本日はライプツィヒはクラシック音楽だけではない ことを認識していただいた。またライプツィヒはロジ スティック分野に強く、ライプツィヒ・ハレ空港は DHL の欧州ハブであり、ルフトハンザのカーゴベー スセンターがある。ここにも日本とライプツィヒの関 連がみられる。空港と町の中間にモダンなライプツィ ヒ見本市がある。フランクフルトとともに見本市では 800 年の歴史を誇るが、東西統一後は他の見本市都市 と競争が激しく、自動車や書籍、防災防火の見本市が 健闘している。そのほか産学連携の先端研究所や企業 が数多くあり、今後東部地域の経済拠点としてさらに 発展することは間違いない。 鉄道で 1 2 時間の距離に知名度の高いベルリン、ド レスデン、ワイマールがあり、そのどれもが日本人が 好むユネスコ世界文化遺産を持つ競争力の高い町であ る。ライプツィヒは世界的な音楽の町として、 「楽譜の シュプール Notenspur」と名付けた 5Km の音楽名所を 歩いて巡るルートを設定し、稀有な音楽の町としてユ ネスコ世界文化遺産登録を目指しているところである。 背景写真:ライプツィヒのバッハ音楽祭 Bachfest Leipzig(Bildrechte: LTM-Mothers) 1 統一ドイツへの道程 ―ロシア救済とロシア兵― 織田 正雄(湘南日独協会会長、当協会理事) Der Weg zur Wiedervereinigung Masao Oda(Präsident der JDG in Shonan, Vorstands- mitglied der JDG) 5)ロシア救済とロシア兵 5–1 西ドイツのロシア救済 壁が取れ、東ドイツが西ドイツに統一されると東ドイツ に駐留していたソ連兵はドイツ占領を終結してロシアに帰 らねばならない。 すでにソヴィエト連邦は崩壊していて、ソ連兵を帰国さ せるだけの力は無かった。 ソ連邦崩壊でロシアとなったので、本稿も以降ソ連兵を 改めてロシア兵と呼ぶことにする。 壁のとれた時点で東ドイツには 36 万人のロシア兵が駐 留していた。それに家族 24 万人を加えた 60 万人がロシア にお帰りいただくにはただ見ているだけとは行かなかった。 当初は 1 年半位を掛けて帰国させるなどと考えていた。 36 万人を帰国させるには 50 両連結の貨物列車が 1 万 編成必要で、1 日 4 編成出して 15 ヶ月で完了などと計算 もしていた。 ところがロシアのゴルバチョフ首相は帰してもらっては 困る、兵隊の住む家が無いと。ドイツのコール首相はそれ では皆の家をドイツが建ててあげましょうと。具体的には 必要な戸数 72 千戸の半分。ゴルバチョフはそれだけでは 困る、兵隊の為の職が無いと。コール首相はそれでは兵隊 にドイツで職業訓練をしましょうと提案。訓練は兵隊には 建設技術訓練を、将官クラスには経営学等を南ドイツの Garmisch-Partenkirchen にある訓練学校で行いましょう。 訓練は 94 年までに終了させ、終了した者から順次帰国さ せましょうと。 そしてその為の予算として、職業訓練に 2 億マルク、最 終駐留までの駐留費に 30 億マルク、撤退のための輸送費 に10 億マルクを用意。 更に住宅建設に78 億マルクを用意、 合計では 120 億マルクで両首脳は合意した。 ドイツ政府は更にソ連兵が東ドイツに建てた建物も時 価で買いとる提案も行った。合意が成立したのは 1990 年 の 9 月である。 1990 年 9 月になると西ドイツ政府は兵隊のみならずロ シア救済策を提案。 嘗てベルリン封鎖の再発に備えてベルリン市内の巨大 倉庫には膨大な食料や燃料が備蓄してあった。これをロシ アに贈ろうと。石炭は全て送りきるのに 10 年、肉は 2 年 かかる由である、ロシア側の受け入れ体制が悪いので、ド イツからロシアに出かけて、配分も全部ドイツでやろうと の計画である。 壁が取れた頃迄、それまで占領軍として駐留していた部 隊は“West Gruppe”と呼ばれ、ソ連軍の中で道徳的にも 規律の面でも最も質の高い優秀な軍人の部隊と言われて いた。ドイツではロシア兵は行儀良く、ロシアに帰国して いくものと思っていた。 1990 年 7 月 1 日の東西経済統合の時点で東ドイツ地区 になお 36 万人の兵隊が居た。その年の 12 月には 40 万 2 人に増えている。東隣りのポーランド、チェコ、ハンガリー に駐留していたロシア兵がロシアに帰らず、ドイツに逃げ こんできたのである。 Berlin の北 60 キロほどの町 Neuruppin に有る大きな部 隊から夜中に轟音を響かせて何台ものトラックが出て行っ た。住民はソ連兵がロシアに帰るのだと思った。彼らはポー ランドとの国境で U ターンして他の部隊に入ったそうだ。 5–2 ロシア兵の窮状 ソ連崩壊の結果、部隊も崩壊に近い状況となり、秩序が 乱れ、兵隊たちは苦しい生活を送ることとなったのである。 当時の新聞や雑誌は部隊内部での殺人事件や武器密売 や逃亡が多いことを伝えている。1990 年 11 月のニュース ではこの年に 84 名が部隊内部で亡くなったと報じている。 弁護士によれば 2 千件もの殺人事件が未解決で、部隊内 部では弱い者は生き残れない状況などと述べている。 多くの兵隊が密かに制服を脱いでドイツに亡命した旨の 報道も有る。武器を盗んで密売したケースもある。 ソ連軍内部の秩序崩壊は様々なことで外部からも察せ られる様になって来た。 高速道路の休憩場所で車を停めると、森の中からロシア 兵がでてきて、食べ物をくれとせまり、与えるとむさぼり 食う。ズボンのベルトを外し1マルクで買ってくれと乞う。 (BerlinerMorgenpost7 月 29 日付) 24 万人もいる家族も生活が苦しく、ベルリンの Brandenburg 門の前には早朝からロシア兵の奥さん達が片手にロ シア製のチョコレートを持って、1 マルクで買ってくれと 訴えている。 奥さん達はドイツ人の家庭や工場で皿洗いをしたり、屠 殺場で骨洗いなどをやっている。 (Spiegel 誌 90 年 7 月号) 5–3 7 月 1 日後のロシア兵: ちなみに 90 年 7 月 1 日以降はロシア兵も西マルクで給 料を受け取ることになったのだが、兵隊の給料は月 25 マ ルクで、1 日辺り 80 ペーニッヒ。これではビールも煙草も 買えない。 その為に部隊内では兵隊による闇市がはやる。帽子、ベ ルト、ディーゼルオイル、トラックのバッテリーの鉛の板、 腕時計、武器、鉄砲、機関銃、カラニシコフなどは 1 千 Wünsdorf の 駅。 駅 名 が ロシア語でも表記されて いる(右)。 Wünsdorf 市での市の様 子(下)。1990 年 9 月 15 日/筆者撮影 マルクもする。 将校は月 800 から 1,200 マルク。その他に祖国でルー ブルの支給も受けている。 将校は給料でどんどん買う。モスコーへ直行する汽車の 出発駅に隣りあっている Wünsdorf 市の部隊の前にある店 では Sharp、NEC、HITACHI、Sony、Aiwa の他、生産国 の怪しげなビデオレコーダー、ポルノフィルム(これはい くつもコピーを作り、故郷で 10 倍で売る) 。チョコレート、 シャンプー、ジーンズ、皮のジャケット、缶ビール、バッ テリー、 車の修理道具、 カセットレコーダー等を売っており、 帰国に備えて買う。 Erfurt 市ではロシア移民の店が、ビデオレコーダーを高 値で売っているが、買った将校は故郷で更に高く売れるの で、両者にとって良い取引である。 あまりにもロシアの将校たちが買うので、市民が店に来 た時には商品が殆ど無くなっていることも有る。 「ロシア兵 Go Home!」と村人が公然と壁に書いている。 5–4 ロシア兵が帰ったあとは: ところで東ドイツに駐留していたロシア兵は職業訓練を 終えた者から帰国して行った。 1990 年には 337,800 人いたロシア兵は 93 年 11 月末に は 31,440 人に減っていた。 1990 年時点で 24 万人いた家族や市民は 1991 年始め 208,400 人であったが、 1993 年には 37,730 人になっていた。 基地の門前で突然動かなくなったロシア軍のトラック。筆者の 目前で兵士がギアを入れようと試みるが、とうとう入らなかっ た。1990 年 9 月 15 日/筆者撮影 大きく減ったのは Schwerin と Erfurt にあった戦車で、 91 年には 4,100 輌だったのが、 93 年 11 月末では 490 輌に減っ ていた。軍用車輌は 7,900 から 1,600 輌に。3,600 有った 大砲から 3,300 が無くなっていた。航空機とヘリコプターは 一時 623 機あったのが航空機 67、 ヘリコプター 73 機になっ ていた。677,000トン有った弾薬は 10 万トンに減っていた。 ロシア兵が占領していた土地は 24 万ヘクタールで、ほ ぼ Saarland の大きさに匹敵する。この広大な土地はことご とく環境汚染地域となっていたが、ロシア政府にはこれを 浄化する資金もその意志もなかった。 ドイツの教育・再教育アカデミーでは 1990 年夏からロ シア軍将校 200 人に環境法と危険物運搬についての週末 セミナーを行っていた。 そして 1994 年の全軍撤退までにはロシア軍が土地の浄 化を完了する契約が両国で結ばれてはいた。 若干の浄化の実績を上げれば、ベルリンの南 70 キロの Jütebog 基地では Mig23 戦闘機が墜落した為、兵隊たち で汚れた地面の油を取り除き浄化されていた。 ベルリンの北 70 キロの Wittstock の基地では撤退に先 だって 2,500 人の兵隊が鍬と重機で塵一つないまでに綺 麗にした。あとに残ったのは壊れた Trabant 車と付近住民 の捨てた古タイヤだけであった。 以下は 1992 年の Spiegel 誌から: 24 万ヘクタールの土地はすべて油、塵芥、腐った物 (Säure) 、古い弾薬、金属廃材で覆い尽くされていた。筆 舌に尽くせぬ荒れ方で、いずこも環境への時限爆弾を抱 えていると言うべき状況であった。 特にひどいのは Berlin の周りを囲む Brandenburg 州で、 Storkow 市では魚の死骸からの有害物質で汚れた湖の汚 水がやがて村に流れるだろうし、錆びたロケット発射装 置も浄水をよごしている。ディーゼルオイルで汚れた森 の土地が兵舎の浄水装置を駄目にした。Jänickendorf で は撤退直前の戦車が銃弾を全部射ちまくったので、ごみ バケツに薬きょうが一杯入っている。地雷や対戦車ロケッ ト砲、大砲の弾丸、Neuruppin では鉄砲を全て埋めていた。 水陸両用戦車も埋められていた。ケロシンで汚れた空港 の土地には許容量の 1 千倍のキシレンが見つかった。 汚染の除去に関し、1990 年に両国で話し合い、除去は ロシア軍の責任とされた。しかし、汚染地域が新しく見つ かる毎にロシア軍の負担金が増えるので、1992 年の段階 でも費用分担交渉は纏まらず、ドイツ政府はロシア軍が基 地内に建てた住宅などを時価で買い取る事を申し出て、終 息を図ろうとした。金額では 150 億マルクにもなる。交渉 の過程でロシアは第 2 次大戦でドイツがロシア領土で行っ た破壊の弁償まで持ち出して負担の帳消しを図ろうとして、 最終的にどちらが余計に支払うことになるのかわからない 状況であった。 交渉は地域の州政府とその地のロシア軍との間で行わ れ、最も被害の大きい Brandenburg 州では結局は独ロ協 力での除去作業やむなしとして、弾薬掘り返しの技術をロ シア軍専門家にゆだねた。作業の費用も結局は州が負担す ることになる。例えばロシア兵 5 万人が 1991 年にも撤退 してしまったからである。 かつて多くの住民が居たForstやDallgowの村は無人となっ ている。汚染された土地の評価額が決まらないからである。 ドイツ統一後東の元ロシア軍基地の跡地を平米 1 マル クで売ると言われていたが、買った人は汚染除去に 1 千マ ルクを投じなければ使い物にならないと。 1994 年にはかなりのロシア兵が去って行ったので、汚 染除去作業はドイツ人の仕事となっている。 東のロシア軍によって汚染された土地は現在どう なっているか。筆者の意向を受けてベルリン日独セン ターの生田文化部長はベルリン州環境庁に現況を尋ね て下さった。旧ソ連の戦車格納庫等があった東ベルリン 地区の廃油や廃棄物による土壌汚染は、ドイツ統一後、 土壌の入れ替え、清浄化などの処置により何の問題も 残っていない由。しかしながら、廻りの地域については まだ完全解決していない様である。隣のブランデンブル グ州の状況は判明次第、 次号でご紹介できると思います。 3 桃山の丘での日独高校生ジョイントコンサート Gemeinschaftskonzert japanischer und deutscher Schüler in Momoyama no Oka 京都府立桃山高等学校 Kyoto Prefectural Momoyama Senior High School 京都府立桃山高等学校(校長日野純一、全日制生徒 数 1099 名)は、京都市伏見区の「桃山の丘」に位置 する 100 年近い歴史をもつ伝統校で、文武両道・自 主自律を校是に掲げている。5 月 15 日、この地をド イツのエンゲルベルト・ケンペル高校のビッグバンド 25 名と教師 2 名が訪れ、校庭で桃山高校吹奏楽部と のジョイントコンサートが開催された。 日野校長から Bratvogel 校長へ楽譜を贈呈 このイベントのおこりは、日野校長の前任である橋 本陽生氏が、前任校に勤務していた 2006 年に、自校 の高校生を引率してドイツの高校を訪問した時に始ま る。その時の歓迎レセプションには近隣校の校長も数 名出席されており、その中におられたのが Dr.Friedrich Bratvogel 現エンゲルベルト・ケンペル高校校長だっ た。時が流れて 2009 年、Bratvogel 校長は大阪・神戸・ 徳島を巡り、京都を最後の訪問地とする日本での演奏 旅行を計画していた。そこで、当時の名刺を頼りに交 流の打診を行ったのである。連絡を受けた橋本氏は快 諾され、ご自身は今春 3 月末をもって定年退職される ものの、後任の日野校長に国際交流を託された。 エンゲルベルト・ケンペル高校は、日本と絆の深い 同名の外科医・博物学者の名を冠したギムナジウムで ある。1690 年(元禄 3 年)オランダ船船医として長 崎出島に渡来した Engelbert Kaempfer(1651 ∼ 1716) は、商館付医員として 2 年間滞在し、日本の歴史・政 治・宗教・地理を概説した「日本誌」 「廻国奇観」を 著した。時の将軍徳川綱吉にも謁見し、舞を披露した と伝えられている。 コンサート当日の様子を、吹奏楽部部長の 3 年生坂 田恵は次のように振り返る。 「ドイツのビッグバンドとのジョイントコンサート を と て も 楽 し み に し て い ま し た。 当 日 の 朝、 部 員 122 名が校門近くで出迎え、その後に食堂で歓迎セ レモニーが行われました。 間近で見る 25 名のドイツの人たちは、13 ~ 21 歳と 幅広い年代の人がいましたが、みんな大人びて見えま した。両校の校長先生のごあいさつや記念品贈呈が行 われて、ドイツの人たちの自己 紹介もしていただきました。 セレモニーの後は、各パートに分かれた合同練習で す。どのパートも、中庭や教室など、いろいろな場所 に分かれて、初めての試みだったのですが、なんとか 乗り切ることができました。 そして、待ちに待ったパーティーが食堂で行われ、 私たちから扇子やおはしなどをプレゼントし、ドイツ の人たちからは手作りのケーキをいただきました。昼 食はバイキング形式で、すでに言語や文化の壁を越え てみんなで盛り上がることができました。 昼食後は、リハーサルで本番の確認をし、いよいよ 本番がやってきました。お客さんも 200 人を超え、 私たちの演奏を楽しみ、大きな拍手を送っていただき ました。すべての曲が終了し、ドイツの人たちにも、 喜んで帰国してもらうことができました。 私たちは、音楽を通してドイツと日本の文化を交流 し、両者の良い部分を吸収できたと思います。これか らも、この貴重な経験を生かして音楽活動をし、再び このような交流ができればと願っています。」 桃山高校演奏場面 音楽は一過性のものかもしれない。しかし、当日演 奏をした両国の学生たち、その奏でる音に聞き入った 近隣地域の方々や同窓生、保護者、小中学生といった さまざまな年代の聴衆にとって、その音色は実に心に 残るものであった。なにより、それは日独両国の若者 たち自身の心に残ったに違いない。出会いがあれば、 必ず感動が生まれ、地に足のついた交流が実現する。 教育的効果を上げるための「仕掛け」の必要性が最近 とみに叫ばれているが、学校現場であればこそできる ことがふんだんにあると気づかされた 1 日であった。 一 枚 の 名 刺 を き っ か け に、 若 者 た ち が 大 き な 橋 (Brücke)を築いてくれた。 最後にドイツの生徒から届いた手紙を紹介させてい ただく。 ドイツの生徒を出迎える 桃山高校生(上・右) ジョイントコンサート場面 4 Freundschaften am anderen Ende der Welt Ein Land der Kontraste – Großstädte neben unberührter Natur, Jahrhunderte alte Tradition und Moderne, Disziplin und unglaubliche Offenheit und Freundlichkeit – das war unser erster Eindruck als wir nach Japan kamen. Wir hatten schon einige erlebnisreiche Tage hinter uns und unglaubliche Dinge gesehen, getestet und erfahren. Am letzten Tag unserer Tournee in Japan waren wir dann zu Gast in der Momoyama High School in Kyoto. Schon die ganze Woche lang hatten wir uns auf diesen Tag gefreut, denn dort erwartete uns noch einmal ein ganz neuer musikalischer und freundschaftlicher Eindruck: Ein gemeinsames Konzert mit Schülern der Schule. Zuerst wurden wir von dem herzlichen Empfang aller Schüler der Brass Band der Schule überrascht. Danach ging es weiter zu der offiziellen Begrüßung in der Mensa, bei der Schuldirektoren und Lehrer beider Schulen ihre Begrüßungen und Erwartungen für den Tag aussprachen. Anschließend wurde in den einzelnen Instrumentengruppen geprobt, um das Konzert am Nachmittag gut vorzubereiten. Trotz einiger Verständnisprobleme war diese Probe für jeden eine Bereicherung. Wir probten die beiden Stücke, die wir gemeinsam spielen würden und lernten bei Gesprächen einiges über die Schule, die Schüler und die Kultur Japans kennen. Vor dem sehr leckeren Mittagsessen wurden dann noch gegenseitig Geschenke überreicht und Fotos als Andenken gemacht. Danach begann die Probe der gesamten Big Band und der Brass Band der Schule. Somit näherten wir uns mit großen Schritten dem Konzert. Schließlich war es so weit. Die Zuschauerbänke füllten sich und nach ein paar Begrüßungsworten begannen wir mit der Big Band das Konzert. Es machte uns unheimlich viel Spaß zu spielen, einige meinten sogar, es wäre das beste Konzert unserer Tournee gewesen. Nach einem bunten Gemisch aus Rock, Jazz und Volksweisen aus den letzten Jahrzehnten kam dann der Höhepunkt für uns, bei dem wir mit einem Teil der Brass Band zusammen ein japanisches Stück „Kawano nagareno youni“ und „Rock around the clock “ spielten. Viel zu schnell waren die beiden Stücke verklungen und wir machten die Bühne frei für die Brass Band. Auch sie boten uns einige anspruchsvolle und unterhaltsame Lieder. Dieses Konzert belohnten die Zuschauer mit großem Applaus. Nach diesem schönen Erlebnis hatten wir leider nur noch wenig Zeit, um uns bei den japanischen Schülern und der Schule für die schöne Zeit zu bedanken, da wir unseren Flug zurück nach Deutschland erreichen mussten. Dieses wunderschöne Konzert und die überaus freundlichen Schüler werden wir nie vergessen. Neben viel Spaß haben wir ein besseres Verständnis für die jeweils andere Kultur erhalten und die freundschaftlichen Beziehungen zwischen Deutschland und Japan gestärkt. Karolin Bünting (Tenorsaxophon) Big Band des Engelbert-Kaempfer-Gymnasiums Lemgo Deutschland = 当日の曲目 = 第1部 エンゲルベルト・ケン ペル高校ビッグバンド 聖者が町にやってくる イエスタデイ オブ・ラ・ディ・オブ・ラ・ダ マイ・ウエイ Enjoy This Music 花 喜びの歌 ムーンライト・セレナーデ アメリカン・パトロール イン・ザ・ムード 第2部 エンゲルベルト・ケン ペル高校ビッグバンド&桃山高 校吹奏楽部 川の流れのように ロック・アラウンド・ザ・クロック 第3部 桃山高校吹奏楽部 ディズニー・メドレー 宝島 森のくまさん Remix Version 5 研修生からの挨拶 ハロー!皆さん、梅雨が続いていますが、 元気に過ごしていますか。 今回も郊外人の日記を読んで頂いて、あ りがとうございます。もし質問や書いてほ しいテーマがあれば、是非知らせてくださ い。[email protected] へメールを送るようにお 願い申し上げます。ドイツの習慣でもドイ ツの歴史でも、何でもいいです。お待ちし ておりまーす。 Hallo ihr Lieben! Wie geht’s euch so während der Regenzeit? Vielen Dank an alle treuen Leser! Wenn ihr übrigens Fragen habt oder gerne über ein bestimmtes Thema lesen möchtet, dann würde mich sehr freuen, wenn ihr mir das über unsere Mailadresse [email protected] mitteilen würdet. 郊外人タベアの日記 Gaijin in der Vorstadt 不思議な郊外での生活 旅行コーナー 5 月 8 日に群馬県に行って来ました!ぐんま日独協会の鈴木会長に誘わ れて、一日案内してもらいました。まずは、80 年前位、有名なドイツ人の 建築家 Bruno Taut 氏が住んでいた達磨少林山に行きました。そこで見た 境内の自然の美しさは言葉でとても言い表せません。こんなに素晴らしい自然 に囲まれた所で住んでいたタウト氏は何で名言の「Ich liebe die japanische Kultur」 (私は日本の文化を愛する)を書いた理由を良く分かりました。少 林山達磨寺にはブルーノ・タウト展示室があります。タウト氏への記憶を 今でも大事にしてくれるお坊さんを見て、感動しました。 文字通りに達磨少林山で、日本各地の様々な達磨も展示されていました。 鈴木会長から小さな達磨を頂きましたが、まだ願い事していません。何を 願ったらいいかな? 後で、とても新鮮で美味しいお寿司屋さんでご馳走になったから、ぐん ま日独協会のドイツサロンに参加させてもらいました。お茶やコーヒーを 飲みながら、様々な話をして、とても楽しい時間を過ごしました。本当に ありがとうございました! Am 8.5. bin ich nach Gunma gefahren und habe dort die Japanisch-Deutsche Gesellschaft Gunma besucht. Ich wurde von Herrn Suzuki, dem Vorsitzenden der JDG Gunma eingeladen und herumgeführt. Als erstes wurde ich zum Daruma Shôrinzan Tempel gefahren und konnte dort den Ort besichtigen, wo vor über 80 Jahren der berühmte Architekt Bruno Taut gelebt hat. Die Schönheit der Natur dort hat mich wirklich umgehauen! Als ich so inmitten dieser wunderschönen Landschaft stand, konnte ich gut nachvollziehen, was Bruno Taut damals dazu verleitet hat, seine bekannten Worte „Ich liebe die japanische Kultur“ niederzuschreiben. Im Bruno-Taut-Gedenkzimmer wird die Erinnerung an ihn auch heute noch in Ehren gehalten, was mich sehr bewegt hat. Außerdem gab es wie der Name es einem bereits verrät, auch jede Menge Daruma im Daruma Shôrinzan Tempel. Herr Suzuki hat mir eines dieser kleinen Steh-Auf-Männchen gekauft, aber seine Augen habe ich noch nicht angemalt. Ich muss noch überlegen, was ich mir wünsche, ich bin doch eigentlich wunschlos glücklich. Nachdem ich noch zum Sushi eingeladen wurde, ging es auf zum deutschen Salon der JDG Gunma. Dort wurde bei Tee und Kaffee über alles mögliche geredet und ich konnte mich davon überzeugen, dass die Mitglieder der JDG Gunma wirklich alle unheimlich freundliche und interessierte Leute sind. Vielen Dank! お世話になっております!という挨拶をよく使いますよ ね。でも外国人にとってこの文章は非常に翻訳しにくいです。 最近、 「お世話」について色々考えさせる経験がありました。 ある夜遅く帰ったところ、駅の通り道で寝ているホーム レスの人を見ました。私は満腹で、 お握り一個を持っていて、 もったいないと思ったので、喜んでもらおうと、寝ている 人の隣にこのお握りを置いて、笑顔で帰りました。 後でたまたま日本人とその出来事の話をしたら、「あ、そ れはやめた方がいいよ」と言われました。なぜかというと、 ホームレスだから、勝手に助けてほしいと思い込んで、大 きなお世話になるからです。ビックリしました。ホームレ スに食べ物をあげるのは必ず良い行為だと思いましたが、 本人が起きて、怒る可能性もあると初めて思い知りました。 そのところ、辞書を引いて、大きなお世話とは本人は善意 で行ったのに周囲からは迷惑がられる行為だという事が分 かりました。キリスト教の元で育てられた私にとってはと ても不思議な事でした。援助を必要としている人を助けて あげるのは当然な事だと強く信じていました。しかし、相 手が本当にその支援を欲しがっているかどうかは考えた事 がありませんでした。 やはり、他国に行ったら物を別の視点から見る事ができ ます。その日の経験を含めて、これからも柔軟に自分の意 識を広めたいと思っております。 In Japan hört man wirklich oft die Grußformel „O-sewa ni natte orimasu “, die jedoch sehr schwer ins Deutsche zu übersetzen ist. In letzter Zeit habe ich viel über „O-sewa “ (Bemühung, Sorge, Unterstützung, Fürsorge) nachgedacht. Anlass dafür war ein nächtliches Erlebnis in Hiratsuka. Ich kam mit vollem Bauch am Bahnhof an, hatte aber noch ein Reisbällchen übrig. Als ich einen schlafenden Obdachlosen sah, habe ich dieses Reisbällchen kurzentschlossen neben ihn gelegt damit er sich am nächsten Morgen darüber freuen kann. In der Gewissheit etwas Gutes getan zu haben, machte ich mich auf den Weg nach Hause. Später habe ich mit einem Japaner darüber geredet und war sehr erstaunt zu hören, dass er mir von solchen Taten abriet, denn sie wären eine „ôkina (große) o-sewa “. Ich zog mein Wörterbuch zu rate, das mir verriet, dass es sich hierbei um eine gutgemeinte, aber für den Gegenüber ungewollte oder störende Tat handelt. Man dürfe nicht einfach aus den äußeren Umständen (Obdachloser = braucht Essen) auf die Gefühle und Bedürfnisse eines anderen schließen. Einem christlich erzogenen Menschen wie mir wäre nie in den Sinn gekommen, dass solche Hilfe auch als lästig empfunden werden könnte und ein Obdachloser sich möglicherweise über mein Reisbällchen ärgert. In anderen Kulturkreisen kann man immer wieder seinen Horizont erweitern. Daher möchte ich auch weiterhin unvoreingenommen und offen an alles herangehen. ベルリン紹介コーナー 最近お土産として流行っている Ampelmännchen って知っていますか。Ampelmann とは、信号機の真ん中の男の人で す。ベルリンで生まれ育ちましたので、そのブームの理由を良く分かりませんでした。だって、こういう信号機はどこで もあるでしょう !? 様々な所に行ってから、やっぱり東ベルリンほど可愛いアンペルマンがないという事が分かりました。 ベルリンのあっちこっちにアンペルマンの様々なお土産を売る店が出来ました。中には T シャツはもちろん、イアリング やおしゃぶりのあらゆるお土産が売っています。 ↑女の子バージョンの Ampelfrau ♥ そして、アンペルマンはこんな人気になったもう一つの理由をあげます。私より年を取っている東ベルリンの人にとっ て、このアンペルマンは Ostalgie の代表的なシンボルの一つとなりました。Ostalgie とは、Osten(東)と Nostalgie(懐 古)から来た言葉ですが、いい事しか思い出さない現象です。ご存じだと思いますが、自分の民衆へのスパイ行為した東 ドイツの政府に不満を持つ人がたくさん居ました。しかし、失業率の高い今頃、失業者がほとんど居なかった 20 年前の ドイツのほうが良かったと思う人も居ます。確かに、統一したドイツに様々な未解決な問題がありますが、私は自由権を 守っている国に育てられて良かったと思います。 Sicherlich kennt ihr alle das Ampelmännchen. Es gibt zwar auf der Welt auch noch andere Ampeln, auf denen menschenähnliche Figuren zu sehen sind, doch nirgendwo sind sie so niedlich wie in Berlin. Daher sind sie bei Touristen sehr beliebt und werden auch entsprechend auf T-Shirts und anderen Produkten vermarktet. Auch unter den Deutschen erfreuen sich die Ampelmännchen unter anderem im Zuge der Ostalgie großer Beliebtheit. Ich sehe die kleinen Kerle jedoch nicht all zu gern als Symbol dieser sich nur auf die guten Seiten der DDR zurückbesinnenden Bewegung. Zwar ist das wiedervereinigte Deutschland mit Problemen wie der hohen Arbeitslosigkeit auch nicht unbedingt das gelobte Land, aber ich bin froh, dass ich in einem Land aufgewachsen bin, in dem ich ohne Angst zu haben meine Meinung sagen darf. 6 5 月の活動報告 「日独協会ドイツ語講習会」 2010 年度上半期コース 火・水・木・金曜日の昼又は夜及 び土曜日午後、協会セミナールー ムにて開講中。 Deutschkurse in der JDG April-September 2010 jeden Di., Mi., Do., Fr. und Sa. Ort: Seminarraum der JDG ドイツリート勉強会 5/1 ㈯ 15:00 ∼ 17:00 OAG 会議室 輝くばかりの新緑が目の前に広が る中で開かれた第二回目勉強会の 発表者は、新緑にふさわしい若い 二人で、望月さんは詩と音楽の関 連を文学の観点から、齊藤さんは 韻律を音楽的側面から話をした。 非常に熱のこもった中身の濃いも ので、十分に消化するためには復 習が欠かせないほどであった。若 い人たちのこうした積極的取り組 みは、本当に嬉しいことである。 参加者 14 名。 Lerngruppe„Deutsche Lieder“ Zeit: Sa., 01. 05. 10, 15:00-17:00 Ort: OAG Sitzungszimmer ドイツワイン塾 5/1 ㈯ 18:00 ∼ 20:30 銀座「シュタインハウス銀座」 参加者は総勢 18 名。ソムリエで もある冨田店長より、ドイツワイ ンと料理のマリアージュについて メニュー毎にご説明頂きました。 2 地域のリースリングを比較しな がらシュパーゲルを頂き、近くの 席の方々と意見交換をし、より理 解を深めることができたのが印象 的でした。各テーブルから絶えず 笑い声が聞こえ、楽しい 2 時間半 となりました。 急逝された藤本理事を偲ぶ会をワ イン塾メンバーで 6 月下旬に開 催。あわせて今後の活動について 話し合う予定です。次回ワイン塾 については詳細決定次第あらため てご案内します。 ワイン塾塾生一同、藤本理事のご 尽力に深い感謝をささげるととも に、お悔やみ申し上げます。 Deutsches Weinseminar Zeit: Sa., 01. 05. 10, 18:00-20:30 Ort: Steinhaus Ginza 運営委員会 5/10 ㈪ 13:00 ∼ 15:00 協会セミナールーム 今回は、5 月 21 日の理事会・評議 員会を控えて、当日の議案である ○平成 21 年度事業報告案 ○平 成 21 年度決算案 ○役員改選案 について検討。また、2011 年に おける当協会主催の行事内容をど のようなものにするか討議、5 ∼ 10 年先を見据えて、若手主体の アイデアも採用する事を検討。な お、7 月 1 日に新執行部発足を予 定し、事務局人事についても打ち 合わせた。 Ausschuss für die Geschäftsführung Zeit: Mo., 10. 05. 10, 13:00-15:00 Ort: Seminarraum der JDG シュプラッハ・カフェ 5/13 ㈭ 14:30 ∼ 15:30 協会セミナールーム 研修生タベアさんによるSprachcafé の 2 回目。今回はゴールデンウィー クにちなんで旅行がテーマでし た。参加者がそれぞれの旅行体験 を語りました。 Sprachcafé Zeit: Do., 13. 05. 10, 14:30-15:30 Ort: Seminarraum der JDG ブリュッケ編集会議 5/14 ㈮ 16:00 ∼ 18:00 協会セミナールーム “Die Brücke”4 月号のレヴュー、 5 月号の原稿の校閲、6 月以降の 具体的内容、今年扱うテーマなど について話し合われた。 Sitzung für die Mitgliederzeitschrift „Die Brücke“ Zeit: Fr., 14. 05. 10, 16:00-18:00 Ort: Seminarraum der JDG JG シュタムティッシュ 5/15 ㈯ 13:30 ∼ 16:00 代々木公園 今 回 は 緑 豊 か な 代 々 木 公 園 で、 各々食べ物や飲み物を持ち寄りピ クニック。美味しいものでお腹を いっぱいにした後はバドミントン やフリスビーで健康的に日独交流 を楽しみました。 JG Stammtisch Zeit: Sa., 15. 05. 10, 13:30-16:00 Ort: Yoyogi-Park シュタムティッシュ 「ミュンヒェンざっくばらん〜南 ドイツ通信(補遺)」 5/17 ㈪ 18:30 ∼ 20:30 協会セミナールーム 6 回にわたって本誌にミュンヘン 便りを連載していただいた光野先 生が帰国され、1 年間の滞独の土 産話をたっぷりと聞かせていただ きました。 詳細は次号以降に掲載予定です。 Stammtisch „Münchner Allerlei!“ Zeit: Mo., 17. 05. 10, 18:30-20:30 Ort: Seminarraum der JDG 独逸塾 5/24 ㈪ 18:30 ∼ 20:30 協会セミナールーム 今回は前回に引き続き n-tv.de の „Türkei in die EU? Zwischen Ehr- lichkeit und Diplomatie “を読んで話 し合いました。 次回 6 月 21 日は、Sanktionen gegen Iran: China kurz vor Kurswechsel (n-tv.de)、Der Fall Iran: Atomares Gleichgewicht in Gefahr (n-tv.de) を 取りあげる予定です。 Gesprächskreis: Neuigkeiten aus Deutschland- Doitsujuku Zeit: Mo., 24. 05. 10, 18:30-20:30 Ort: Seminarraum der JDG マタイ受難曲勉強会 5/28 ㈮ 18:00 ∼ 20:00 協会セミナールーム 2008 年 7 月当協会会員の有志に より自主的に発足した勉強会。原 則毎月第 4 金曜日の夕方協会セミ ナー室に集い、ドイツ・バイエル ン放送局(2008 年 3 月・全 4 回) の放送【バッハのマタイ受難曲 入門】 (解説= Wieland Schmid 氏) の CD 録音を聴きその放送原稿を 講読している。当 5 月例会は第 3 部の 2 回目。 「ユダがイエスを祭 司長に引渡す」場面に関するバッ ハの解釈は如何?「ユダ=裏切り 者なのか?」 、「ユダ=一人の放蕩 息子の例としてむしろ好意的な評 価ではないのか?」など議論伯仲 で あ っ た。 当 勉 強 会 = Bach と Bibel の 2 つの≪ B ≫=に関心あ る方は、事務局或いは世話人=則 満まで(03 3754 5156) 。 Lerngruppe „MATTHÄUS – PASSION“ Zeit: Fr., 28. 05. 10, 18:30-20:00 Ort: Seminarraum der JDG ドイツ語圏文化セミナー 30 「ドイツ料理教室 ―色― 」 5/29 ㈯ 13:30 ∼ 17:30 駒込地域文化創造館 先 生 に Gudrun Wilhelm さ ん を 迎 え、「色」をテーマにセレクトし たドイツ料理を教えていただきま した。初めに先生からの歓迎メ ニューとして「ブルーベリーボー ル」と「ハムのカタツムリ」が供 された後、 「冷たいきゅうりのスー プ」 「キャロットサラダ」 「サーモ ンとザワークラウトのキャセロー ル」 「ふんわりデザートミックス ベリーソース」の作り方を教えて いただきました。 30.Kulturseminar des Deutschen Sprachraums:Deutscher Kochkurs Zeit: Sa., 29. 05. 10, 13:30-17:30 Ort: Komagome Chiiki Souzoukan 7 最近のドイツ政局よもやま話 −ゆらぐ連立政権− 2010 年 5 月 30 日 ドイツの最近の政局を語るのには次の言葉が重要な 意味を持ってきます。 „Jamaika Koalition “ (ジャマイカ連合) „Ampel Koalition “ (信号連合) „Große Koalition “ (大連合) ドイツでメデイアが各政党を表現するのにもっとも よく使うのが各政党の旗の色です。与党の CDU/CSU (UNION)の旗の色は黒色、FDP は黄色、従って与党 連合は Schwarz-Gelb という表現になります。野党の SPD の旗の色は赤色、die Grünen はまさに緑色、Linke は赤色といった具合です。 冒頭に述べた「ジャマイカ連合」とはジャマイカの 国旗の色が黄色、黒そして緑ですので CDU、FDP お よび die Grünen の 3 党連合のことです。また「信号連 合」とは信号の色が赤と黄色と緑ですので SPD、FDP および die Grünen の 3 党連合です。そして「大連合」 Große Koalition はまさに第一党と第二党、すなわち与 党の Union と野党の SPD の連合であり、昨年 9 月の 連邦総選挙の前まで続いた大連合体制のことです。 昨年 9 月のドイツ連邦議会(Bundestag)の選挙結 果 は CDU/CSU は 過 去 2 番 目 に 悪 い 獲 得 票 と な り、 FDP と 1998 年以来 11 年ぶりの連立を組むことにな りました。大幅な得票減となった CDU/CSU(UNION) に 対 し、FDP は 大 幅 な 得 票 増 で し た。CDU の 党 首 Merkel は Kanzlerin(連邦首相)となり、それまで SPD との大連立のため思い切った政策が実行できず忸怩た る思いを抱いてきた Merkel 首相は、その本来の „Sozialen Marktwirtschaft “の基本概念「経済は人生の全てではな い、アングロサクソンとの比較において社会的規範は 守る」をやっと実践できると確信していました。 しかしドイツが過去に経験したことのない最悪の財 政赤字、財政の裏付けのない減税という政権公約を進 めようとする FDP の非現実主張(理想主義) 、さらに ギリシャの財政破綻に端を発した EU の金融危機等の 悪条件に次々に襲われ、FDP 党首の Westerwelle の極 端な不評および、ギリシャ金融支援でみそをつけてし まった(EU 存続のためとはいうものの、国内では例 外分野の無い緊縮財政を国民に強いながらギリシャに は 220 億ユーロの財政支援を強行決定した)ことに よる Merkel 首相の人気下降の中、2010 年 5 月 9 日の NRW 州議会(Bundesrat)選挙で与党は敗退。ただし 野党の第一党たる SPD も含めどの党も過半数を取れ なかったこともあり獲得票数第一位の SPD が他党と の連立を目指し交渉に入っています。 Bundesrat の総議席数は 69 ですがその議席数の配分 はドイツ全土 16 州に人口比に応じた議席数(1 州議 会あたり最低 3 議席、最高 6 議席、2 百万人以上 6 百万人未満の人口を持つ州は 3 議席、6 百万人以上 7 百万人未満は 5 議席、7 百万人以上は 6 議席)が振り 分けられ、各州議会の主張投票は同一意見でなければ 無効となります。たとえば NRW 州は Bundesrat に 6 議 席持っていますが、其の 6 票を、ある法案に対し 3 票 は賛成、 3 票は反対というように分割はできず、 “賛成” 、 “反対”か“無効”のいずれかの意見反映しかできま せん。すなわち各州は統一見解でしか Bundesrat の投 票には臨めません。この意味は各州の州議会で過半数 (単独または連立で)を持って其の州の統一見解を支 配できないと政策に反映できないことになります。 従って今回の NRW 州の連立の可否は極めて大きな 8 出原 悠(日独協会理事) 意味を持っています。SPD は Linke との話し合いは、 相手を信用できないという理由であきらめ、一方で FDP(Ampel Koalition) 、 他 方 CDU(Große Koalition) との話し合いを模索しており結論はまだ出ていませ ん。この連立の行方次第で Bundestag で可決された法 案が Bundesrat で否決されるというねじれ現象により、 政治が大きく停滞する危険性をはらんでいます。 − 2 人の大物政治家の相次ぐ引退―(1) 2010 年 6 月 4 日 一人は Hessen 州政府首相、CDU 副首相 Roland Koch であり、もう一人はドイツ連邦大統領 Horst Köhler で ある。 Koch 副首相は 5月25日に „Politik ist nicht mein Leben “ という言葉にて、8 月 31 日をもって政界より引退す る事を正式に表明した。52 歳の若さである。1999 年 Wiesbaden にて CDU 副首相を引き受けて以来 10 年強、 „Ja!, oder Nein!“と究極の選択を国民に選んでもらうと いうのが政治家の役割という信念を持ち、Franz Josef Strauss と同様“憎まれ役”に徹し、Merkel 首相が“容 赦のない分析は彼の長所であり欠点である”と評価し た能力で CDU をひっぱり続けた。Merkel 氏は Kohl 元首相の娘、Koch 氏は Kohl 首相の孫といわれ、Merkel 氏は勝利を望み、Koch 氏は正義を望み、Merkel 氏は Koch 氏が望んで手に出来なかったドイツ共和国連邦 首相の地位を手にするという良きライバルで、或る時 は手を携え、或る時は反目しあい、離れることなく 20 年近くを CDU で過ごして来た極めて希有なる関係 であった。 同氏の引退理由は 10 年前の“CDU の寄付金大ス キャンダル”に起因すると思われる。今回の引退声明 発表後、 『私は寄付金スキャンダルのジャングルに巻 き込まれ、何も解らないうちに何がしかを受け取って しまった。 確かにある瞬間自分で間違った対応をした。 但しその行動は党の中のまわりの人にも責任がある。 すなわち党の同胞が私にニトログリセリンをくれた が、その使用方法については何も指示がなった様なも ので或る』と党を非難した。この事件が彼の印象を悪 化させる方向に作用した。彼は当時引退も考えたが、 その引退が Hessen における CDU の政治主導的役割に とり損失であるという理由で留まらざるをえなかっ た。政治において最大公約数の人々の幸せだけを考え ることは大統領の役割であり、彼はあくまで „Ja“また は „Nein“ を国民に選んでもらう具体的な提案を提示 する事によってのみ、ドイツの政治に貢献できるので はと考えている。しかしこの考え方は多くの人の評価 をもらえなかった。これが彼の引退につながったので は。 彼の後継者は Volker Bouffier 議員。Hessen 州の CDU は Koch の後任に Bouffier 議員を推すことを 5 月 27 日に合意した。しかし Koch 議員の足跡を埋めること は簡単ではない。Bouffier 議員には Koch 議員のよう に鉄のように硬い決断力とそのカリスマ性がなく加え て“警察スキャンダル”がどのような影響をあたえる かは未知である。 (次号に続く) 今年度より当協会理事に就任した出原氏による新コー ナーです。現代ドイツの政局をわかりやすく解説して 頂く予定です。ご期待ください。 訃 報 当協会理事で全日本日独協会連合会の『日独交流 150 周年』記念行事企画実行委員会 事務局長の藤本修氏は、5 月 13 日∼ 15 日のドイツ北部ロストックにおける独日協会連 合会総会に夫人と共に出席の為、渡独していましたが、5 月 14 日午後より体調を崩され、 16 日から現地大学病院に入院。治療の甲斐なく、 現地時間 19 日 16:45 に急逝されました。 なお、同氏は 1937 年東京生まれで享年 73。2009 年に当協会理事に就任、上記事務局 長として、2011 年の記念行事の開催に向けて力を注いでおられる最中のことでした。 5 月 31 日に横浜市鶴見区の天王院に於いて行なわれた告別式には、当協会古森会長の 名代として濱本利通秘書室長、木村敬三副会長を初め約 300 名の関係者が、故人とのお 別れを惜しみました。謹んでご冥福をお祈りいたします。 遺 影 2009 年 10 月 31 日ワインプローベにて(左) 、2010 年 5 月 14 日ロストックでの独日協会連合会総会における木村副会長と同席の写真(中 央/ Baden-Württemberg 独日協会顧問 Dr.Martini 氏提供)、2010 年 4 月 12 日連合会総会後の大使公邸での集合写真(右) 2011 年『日独交流 150 周年』記念行事予定 これまでにほぼ固まりつつある予定は、下記のとお り(若干変更となる可能性あり) 1)独日協会連合会訪日旅行団一行(約 60 名)旅程 4 月 12 日㈫ 成田着、夕刻に東京で㈶日独協会に よる歓迎パーティー 4 月 13 日㈬、14 日㈭東京泊。東京、横浜、鎌倉見学 4 月 15 日㈮∼ 24 日㈰ぐんま、長野、白川郷、金澤、 東尋坊、永平寺、琵琶湖、長浜など を大型バス 2 台で観光 4 月 24 日夕刻に奈良到着 24 日は全国日独協会連合会総会、青少年交流会 議、大安寺にて日独合同懇親会を開催 2)「日独交流 150 周年」パートナー会議日程 4 月 25 日㈪午前 記念式典:古森会長、フォンド ラン会長、シュタンツェル大使挨拶 記念講演: 「日独交流―回顧と展望―」 講師:ドイツ側(回顧)法政大学教授クライナー氏 日本側(展望)元オーストリア大使 黒川剛氏 4 月 25 日午後 「天平文化にふれる」 4 月 25 日夕刻 日独合同晩餐会 4 月 26 日㈫ 日独合同バス旅行(室生寺、長谷 寺?) 4 月 27 日㈬ ドイツ側一行は関西国際空港より帰国 『日独交流 150 周年』企画実行委員会事務局長後任に は、当協会理事で湘南日独協会会長織田正雄氏が決 まりました。 独日協会連合会総会(5 月 13 日∼ 15 日)於ロストック(ドイツ北部の港町) 13 日㈭は、レストランで前夜祭、14 日㈮より総会。 来年 4 月の奈良に於ける『日独交流 150 周年』記 念のパートナー会議への参加を決めた他。 ① 2011 年のパートナー旅行が日独交流 150 周年 の公式行事として議決された。 ② 昨年独立団体となった DJJG(独日青少年協会) に対する財政・人的支援。 ③ フォンドラン会長、ライバー副会長、ゲザ・ノ イエルト副会長の連合会執行部役員留任及び、 フランク・ザルトウリウス DGGJ 理事とクリュ シェク・ザールブリュッケン独日協会会長の執 行部役員入り。 ④ 来年の連合会総会はミュンヘンで開催することを 議決、2012 年はハレでの開催が候補に上がった。 写真左から 5 月 14 日総会風景(Kahlsruhe 独日協会理事 Bernd Ernesti 氏撮影)/中央上:旧執行部(Regensburg 独日協会前会長 Herbert Eichele 氏提供)/中央下:新執行部(Kahlsruhe 独日協会理事 Bernd Ernesti 氏撮影)/ 5 月 13 日前夜祭での集合写真(Baden-Württemberg 独日協会顧問 Dr.Michael Martini 氏提供)ご協力ありがとうございます。 9 西山 忠壬さん、松下 悦子さん ご協力に深く御礼申し上げます。 ■寄贈図書等の紹介 (Der JDG gestiftete Bücher) ■春の叙勲・褒章(敬称略) (Ordensverleihung) 当協会の法人・個人会員及び関連 ■新個人会員(敬称略) ○川口マーン惠美「ベルリン物語 Als neue Einzelmitglieder begrüßen 都市の記憶をたどる」㈱平凡社、 wir: 2010(川口マーン惠美氏より寄 団体の関係者で春の叙勲・褒章を 飯田 章 A.Iida(国際テクニカル調 贈) 受けられた方々は次の通りです。 理師専門学校講師) /高橋 麻美 M. ○池本 守「ポーセンレースドール 心からお祝いを申し上げます。 Takahashi /西元 俊恵 T. Nishimoto 作品集 アルティメイト」㈱ New York Art 2010(池本 守氏より寄 (大学生) ・旭日小綬章 元デュッセルドルフ市外国人局長 *こちらは、入会申込書提出のう 贈) ベルンハルト・ホフマン え会費をご入金いただいた新会員 ○神野 信郎「今日と明日と」 (全 の方で、掲載にご同意いただいた 2 巻 )2010( 豊 橋 日 独 協 会 会 長 茨城県日独文化協会 会員 方のお名前をご紹介しております 神野 信郎氏より寄贈) 島村 宏(㈱日警 代表取締役) ■事務局から ○中村 泰三「詩集・黄昏の陽だ 和歌山日独協会 参与 ▲ボランティアへの謝意 まり」2010 土曜美術社出版販売 塩路 茂一 機関誌発送ラベル貼り (5 月 24 日) (和歌山県経営者協会 専務理事) :冨岡 達夫さん、林 良雄さん、 誉会長・当協会会員 中村 泰三氏 シーボルト協会第一理事長 高田 操さん より寄贈) ヴォルフガング・クライン・ 機関誌発送封入作業(5 月 26 日) : ・旭日双光章 ラングナー (蕨・独リンデン市民交流協会名 北村 侑三郎さん、駒田 敬一さん、 DLG(ドイツ農業協会)主催 国際ハム・ソーセージ品質競技会 Award for the Best ブロンズ賞受賞 ご存じの方も多いとは思いますが、DLG とはドイツのフランクフルトに本部を置く農業協会であり、設立は 1885 年。 1993 年からは国際大会となり、 その規模は世界最大といわれています。審査は外観、 パッケージの状態、切断面の色、 原材料などの配合、食感、香り、味など 200 近い項目について審査され、全項目において満点の商品が金賞となります。 今回ご紹介させていただいております“ブロンズ賞”とは、2009 年 DLG 主催国際ハム・ソーセージ品質競技 会で 5 年間優秀な成績を収めた企業に贈られる「Award for the Best ブロンズ賞」のこと。ちなみにこの 2009 年においては、ハム・ソーセージ品質競技会の中に 6 つある部門のうち、ドイツ以外の企業の加熱ハム部 門で 2 位という好成績も収めました。(大山ハムは 1 位じゃなくてもいいんです。2 位でもいいんです。) 大山ハムでは以前から食肉マイスターの招聘、ドイツへの社員派遣により本場の技術を学び、品質向上のため に技術の研鑽を積んできた結果、本場ドイツで認められたと少しだけ自負しています。 さらに 2010 年に受賞した金賞の中には大山ハムの代名詞ともいうべき「カントリーロースト」も含まれ、6 年連続 での金賞受賞となりました。このほかにもペッパーシンケン、辛口ポチキウインナー、ハワイアンポチキ、パセリ&レモ ンウインナー、熟成ベルクシンケンなど 14 品が金賞を受賞しております。 ハワイアンポチキの由来 ハワイアンポチキは大山ハムのオリジナルです!!その昔(?)ポルト ガルでは辛口でスパイシーなソーセージが好んで食べられていました。 アメリカ大陸への貿易航路にハワイがあり、ポチギューズの名でハワイ にこのソーセージが伝わりました。(ポチキューズ:ポルトガル風の. . . の意味です。)このポチキューズソーセージはアメリカ人に大人気!各 国へもっていきました。そして日本には沖縄から...そこから大山ハムへ。この辛口ソーセー ジをベースに試行錯誤を繰り返しながら、独自の配合を作り上げたのが、ハワイアンポチキです。 ハワイアンポチキは「唐辛子」と「にんにく」が効かせてあり、噛締めるとじんわりと辛さが口 の中に広がります。加熱すると、さらに辛さは増してきますが、辛いだけではありません。一度 食べると忘れられない...衝撃的な美味しさです。 10 大山ハムではお中元ギフトカタログを ご用意しております。 ご希望の方は下記までご連絡ください。 大山ハム株式会社 東京営業所 東京都品川区西五反田 1-13-7 マルキビル TEL 03-5436-8801 FAX 03-5436-8802 Die Getränkekarte, bitte! モーゼルブドウ収穫体験 こんにちは、久しぶりにコラムを書かせていただきます。 私は、2000 年秋から Trier の Weingut で Weinbaupraktikant として研修していました。この Weingut の 歴史は古く、2000 年前からの Weinkeller“Ältester Weinkeller Deutschlands”を持ち、病院や老人ホーム を併設する慈善協会で、モーゼル流域に 25ha の畑を所有しています。 ドイツの Weinberg はブドウが熟す前の約 2 週間は閉山し、許可なく畑に入ることは禁じられます。そして早 ければ 10 月初旬に、待ちに待った Traubelesen が始まります。 約 1 カ月半で QbA から Trockenbeerenauslese まで(Eiswein はこの後になります)の収穫を終えなけれ ばならないので、この時期だけは猫の手も借りたいほどの忙しさで、ご近所の主婦や出稼ぎにやってきたポーラン ド人達の助けを借りての作業となります。 まだ暗くひんやりと冷える朝 7:00 に Büro 前に集合し、機材を車に乗せ、Piesport へ向かいます。Trier から約 40 分で Piesporter Goldtröpfen に到着すると、霧が Weinberg 全体を覆い雲海となり、幻想的な景色が広がってい ました。Goldtröpfen は 50 度を超える急勾配の畑ですが(因みに世界一急勾配の畑は Bremer Kalmont といい、な んと 70 度!あります) 、Mosel 河を挟んで対岸の Michelsberg というフラットな畑では収穫は機械で行いますので人 員も削減でき、かなり楽な作業ですが、Goldtröpfen ではそうはいきません、これだけの勾配のキツイ畑では 20 人以 上が横並びになり手摘みで収穫を行います。中腰の蟹歩きで一房ずつ摘み取る収穫作業は想像以上に過酷な作業です。 しかし、これほどの思いで摘み取ったブドウからあの華麗なドイツワインが生まれると思うと、その苦労も報われます。 朝 8:00 から 17:00 までの作業を終えると Weingut に戻り、泥だらけの長靴や器具の掃除をし、泥水で汚れた 床をきれいにしてやっと 1 日の作業を終え、部屋に着くともうへとへとでベッドに倒れ込みます。そしてこの後、 買いこんでおいた Pilsener を 1 本開け、至福の時に浸ります。次の日は違う畑での Spätlese の収穫が待ってい ます。 “今月のこの 1 本” Weingut Jakob Hamm Rheingau / 99er Winkeler Hasensprung Riesling feinherb 先々代前の当主が日本にリースリングの苗を紹介した由緒あるハム醸造所より今では貴重 な QbA の古酒をご紹介します。 11 年の熟成を経て、飲み頃を迎えたラインガウリースリング。 “ウサギ跳び”という可 愛らしい名前の畑のワインで、feinherb とは halbtrocken と同義語です。若い頃のシャー プな酸が熟成により丸くなり、ふくよかさとまろやかさを兼ね備えた、大人の味わいへと 変化しました。今では貴重な QbA クラスの古酒をお楽しみいただけます。 藤本先生のご逝去、心よりご冥福をお祈りいたします。 フランツィスカーナーバー&グリル御茶ノ水店 (Tel.03-5283-6846 URL: http://www.zato.co.jp/) ㈶日独協会 夏期ドイツ語講座のお知らせ 初級 1 から 4 まで続けて受講できる日程になっており、通して受講すると教科書を約 1 冊半学ぶことができます。 ※詳細が変更になることがございます。詳しくは協会ホームページを参照、または協会事務局へお問い合せ下さい。 クラス名 授業日時 レベル 講師 授業内容 使用教科書(税込) 受講料 〈税込〉 ¥24,000 8/3 18:30∼21:00 Vorkurs 金子みゆき 全く初めてドイツ語を学ぶ方の為の入門クラスです。 Erste Schritte 8/4、5、17、18、19 (ゲーテインスティ 8 月 3 日のみ授業で使う基本的なドイツ語の表現のガイ mit CD ダンスを行う為 30 分延長で授業を行います。 トゥート講師) 18:30∼20:30 1,700 円 6 日間 7/29∼8/4 B: Schritte International 1 の Lektion 1∼3 を学びます。 Schritte international 1 ¥24,000 A1-1 ① Rita Briel (慶応義塾大学講師)このクラスはドイツ語の基礎を学びます。 KB + AB mit CD z. AB 初級会話 1 10:15∼13:15 5 日間 3,000 円 Lektion 1-3 を 学びます。 8/5∼8/11 C: Schritte International 1 の Lektion 4∼6 を学 びます。Schritte international 1 ¥24,000 A1-1 ② Rita Briel (慶應義塾大学講師) 初級会話 2 10:15∼13:15 (定冠詞、人称代名詞、否定形、動詞の人称変化、時を KB + AB mit CD z. AB 5 日間 表す前置詞等) 3,000 円 Lektion 4-6 を 時間や趣味についての表現等を学びます。 学びます。 8/23∼8/27 D: Schritte International 1 の Lektion 7 と Schritte Inter- Schritte international 1 ¥24,000 A1-2 ① Frank Riesner 初級会話 3 10:30∼13:30 (千葉大学講師) national 2 の Lektion 8 を学びます。 趣味、仕事や職 3,000 円 5 日間 業に関する表現を学びます。 Schritte international 2 [文法事項] 助動詞(können, wollen) 、現在完了形、3,000 円 sein, haben の過去人称変化等 (Lektion7-8) E: 8/30 A1-2 ② Elfriede Akaike Schritte International 2 の Lektion 9 と 10 を学びます。Schritte international 2 ¥28,000 初級会話 4 9/1、3、6、8、10 (明治大学講師)(助動詞(müssen, dürfen, sollen) 、命令形、所有冠 KB + AB mit CD z. AB 詞(mein, dein の人称変化等) 3,000 円 Lektion 9-10 10:30∼13:30 旅行、ホテル等で使う表現、 健康、 体調の表し方、を学びます。 6 日間 体の部位の語彙等を学びます。 F: 8/23∼8/27 このクラスでは様々な表現を集中的に学び、より洗練さ 講師が厳選したプリント ¥24,000 B1-1∼ Frank Riesner ドイツ語を話そう ! 14:30∼17:30 (千葉大学講師) れた会話力を養成します。 教材を使用いたします。 (中級会話) ストーリーの説明や、観光に必要な会話(切符の購入 教材費:500 円 5 日間 や尋ね方)を学びトレーニングします。 G: 8/2∼8/6 講師が厳選した教材を使用し、重要事項の復習と独検 講師のオリジナル教材 ¥24,000 A1-2∼ 光野正幸 ドイツ語文法エッ 14:00∼17:00 (武蔵大学教授/ 2、3 級の過去問解説を組み合わせた授業で効果的に を使 用いたします。 教 センス ドイツ語学文学振 基礎固めをします。 第 1 日:基本構文/第 2 日:形容 材費:500 円 5 日間 ∼基礎固め 興会理事長) 詞/第 3 日:完了形/第 4 日:受動態/第 5 日:接続 集中 5 日間∼ 法 H: 8/9∼8/11 B1-1∼ 新倉真矢子先生 ドイツ語のシャワーを浴びて集中的に「聞く」トレーニン 講師が厳選したプリント ¥11,000 「 会話につなげる 14:00∼16:30 (上智大学教授) グをします。授業後半では、ドイツ語のニュース Deut- 教材を配布いたします。 教材費含 リスニング」集中 3 日間 sche Welle の最新ニュースを聴解、シャドウィングし、 講座 内容を自分で表現してみます。 A: 入門会話 11 Veranstaltungen 催物案内 催物へのご参加を歓迎いたします。申込方法は次の通りです。 ① 催物の空き状況を日独協会事務局までご確認ください。 ② Fax. もしくは e-mail にて、会員の方は会員番号(ブリュッケ送付の封筒に記載されています)を、会員以外 の方は氏名と連絡先(電話・メールアドレス)を記載の上、ご送付ください。 (e-mail の場合は件名に必ず「● ●●●(催し物名)の申込」とお書きください。 ) *但し、シュタムティッシュに限り、電話でのお申込みが可能です。 ③ 会場を明記していない催物は協会セミナールームでの開催となります。 ④ 参加費を下記郵便振込口座までお振込み願います。お振込みが確認できた方から受付確定とさせて頂きます。 郵便振込口座 00150-8-55593(名義㈶日独協会) ◎ゆうちょ銀行・郵便局と他の金融機関のあいだでお振込みができるようになりました。 なお、お振込に際しては、次の口座情報をご指定頂く必要がございます。 銀行名:ゆうちょ銀行 店名:〇一九(ゼロイチキュウ)店 預金種目:当座 口座番号:0055593 受取人名:㈶日独協会 ⑤ 通信欄に催物名を忘れずご記入ください。ご都合により欠席される場合はご連絡をお願いいたします。 ⑥ 定員の記載がある催物については、お申し込みが定員に達した時点で受付終了となりますのでご注意下さい。 日独協会の概要及び催物最新情報はホームページでもご覧いただけます。 ホームページ:http://www.jdg.or.jp e-mail: [email protected] Tel: 03-3265-3411/Fax: 03-3265-3420 ◇ドイツ語圏文化セミナー 32 ベルリンの建物と歴史を巡る 〜秘められた物語〜◇ 日時:2010 年 7 月 1 日㈭ 19:00 〜 20:30 会場:Goethe-Institut Japan(ドイツ文化センター) 2 階 207 号室 スピーカー:川口マーン惠美(作家) 会費:当協会会員・当協会ドイツ語受講生 1,500 円/一般 2,000 円 昨年 10 月に当協会のセミナーで、ドイツの政治的状況や課題をわかりやすくお話いただいた川口マーン惠美さん のセミナー第二回目です。今回は川口さんの最新著書、 『ベルリン物語―都市の記憶をさぐる』の刊行を記念して の講演です。『プロイセンのダイアナ妃−ルイーゼ姫』 、 『歴史は繰り返す−ベルリン宮殿と共和国パレス−』、『フ ンボルト大学とベルリン自由大学 −火花を散らした東西ベルリンの大学』、『生き返った新美術館−古い建築と新 しい建築の融合』など街をめぐるエピソードを、たくさんの写真とともにお話いただきます。 ◇シュプラッハ・カフェ◇ 日時:2010 年 7 月 8 日㈭ 定員:15 名程度(事前申し込み制) 会費:無料 研修生タベアさんとゲーム等をしながら、楽しくドイツ語を使ってみましょう!詳細は決定次第、協会ホームページに掲載いたします。 ◇シュタムティッシュ「軽井沢でドイツ三昧 〜ドイツフェスタ物語〜」◇ 日時:2010 年 7 月 12 日㈪ 18:30 〜 20:00 会費:会員 800 円/一般 1,500 円(当日集金) テーマにちなんだ飲み物と軽食をご提供します。 定員:20 名程度(要事前申し込み) スピーカー:越中屋 学氏(ホテルグリーンプラザ) 長野県上田市から草津・軽井沢を通って栃木県宇都宮市へと繋がる広域観光ルート「日本ロマンチック街道」は、 今年 60 周年を迎えるドイツのロマンチック街道と「姉妹街道」の縁を結んで 20 年になります。これにちなんで ホテルグリーンプラザ軽井沢では昨年よりドイツフェアを開催し、コンサートでドイツ音楽を、レストランでドイ ツ料理を、展示即売会でドイツのおもちゃや食材を、写真展示でドイツの世界遺産を紹介する、という催しを行っ ています。群馬県はもともと草津温泉とベルツ博士の縁もあってドイツとの交流が活発な土地柄ですが、各方面の 協力を仰いでこういった催しの開催を実現させたホテルグリーンプラザの越中屋氏をお迎えして裏話やエピソード をお話しいただきます。 ◇ JG シュタムティッシュ(日独交流会)◇ 日時:2010 年 7 月 16 日㈮ 19:00 〜 21:00 頃 会場:麹町ギャラリー階段の途中 ※詳細は決定次第、協会ホームページに掲載いたします。 ◇ドイツ語圏文化セミナー 34 ドイツ料理教室◇ 日独協会のドイツ語講習会で大活躍の Rita Briel 先生に、日本の食材でも簡単に作れるドイツの伝統料理を教え てもらいましょう! 予定メニュー:リーベルズッペ(スープ) 、 クロイタークネップフレ(ハーブ入りシュペッツェル)、豚肉のシュニッ ツェル きのこソースがけ、アプフェルシュトロイゼルクーヘン(りんごのケーキ) 日時:2010 年 7 月 26 日㈪ 14:00 〜 17:30 会場:駒込地域文化創造館(〒170-0003 豊島区駒込 2-2-2)JR 駒込駅北口/東京メトロ駒込駅 4 番出口 講師:Rita Briel 先生 会費:当協会会員・当協会ドイツ語講座受講生・4,000 円/一般 5,000 円 定員:15 名 要事前予約、材料の準備のため会費も事前にお振込みください。キャンセルの場合は必ず(7 月 23 日金曜日)の 13 時までにご連絡ください。材料購入の関係上、それ以降のキャンセルは会費をいただく可能性がございます。 ※持ち物:エプロン、ふきん お持ちの方は三角巾(メモを取りたい方は筆記用具) ◇ドイツ語圏文化セミナー 31 20 Jahre nach der Wiedervereinigung ドイツ統一 20 周年記念セミナー(2 回シリーズ 第 2 回)◇ 昨年 DDR セミナーでお話しいただいたリースナー先生に語っていただく、ドイツ統一 20 周年記念セミナーの第 2 回目です。 ドイツ語での講演となります。 第 2 回 Thema(テーマ) :Nach der Wende 〜Veränderung im Alltag in Ostdeutschland〜 neue Chancen, neue Produkte, Preissteigerungen, Umschulungen, Währungsumstellung, Identitätsverlust 日時:2010 年 9 月 4 日㈯ 17:30 〜 19:00 スピーカー:フランク・リースナー(当協会ドイツ語講師) 会費:当協会会員・当協会ドイツ語受講生 1,800 円/一般 2,500 円(各回) 定員:30 名(要事前予約) 12 Veranstaltungen 催物案内 Wir laden Sie ganz herzlich zu unseren neuen Veranstaltungen ein und bitten Sie, sich wie folgt anzumelden. 1. Bitte erkundigen Sie sich bei der JDG nach der Verfügbarkeit freier Plätze der von Ihnen gewünschten Veranstaltung. 2. Bei einer Anmeldung per Fax oder E-Mail geben Sie bitte Ihre Mitglieder-Nummer (steht auf dem Briefumschlag der „Brücke “) an; Falls Sie kein Mitglied sind, geben Sie bitte Ihren Vor- und Nachnamen, Adresse, Telefonnummer und ggf. E-Mail-Adresse an. (Schreiben Sie bitte bei einer E-Mail in die Betreffzeile „Anmeldung von XXX“) Eine Anmeldung per Telefon ist nur bei den regelmäßigen monatlichen Veranstaltungen möglich. 3. Wenn kein Veranstaltungsort erwähnt ist, findet die Veranstaltung im Seminarraum der JDG statt. 4. Bitte überweisen Sie den jeweiligen Betrag auf folgendes Postüberweisungskonto: 00150-8-55593 („Nichidokukyoukai“) Sobald der entsprechende Betrag auf unserem Konto eingegangen ist, ist Ihre Anmeldung gültig. Sobald die festgesetzte Teilnehmerzahl erreicht ist, wird die Annahme der Anmeldungen beendet. Falls Sie nach der Anmeldung nicht an der Veranstaltung teilnehmen können, bitten wir Sie, die JDG möglichst frühzeitig darüber zu informieren, da Sie ansonsten evtl. anfallende Absagekosten (z.B.: Essenskosten) bezahlen müssen. Um uns unsere Büroarbeit etwas zu erleichtern, bitten wir Sie, den Betrag für die jeweilige Veranstaltung unter Angabe des Veranstaltungstitels auf das Postüberweisungskonto einzuzahlen. Informationen zu den aktuellen Aktivitäten der JDG können auf unserer Webseite (http://www.jdg.or.jp) nachgelesen werden. 32.Kulturseminar des Deutschen Sprachraums: Berlins Bauwerke und die Vergangenheit - Verborgene Geschichten Zeit: Donnerstag, 1. Juli 2010, 19:00 Uhr- 20:30 Uhr Ort: Goethe-Institut Japan, 2. Stock, Raum 207 Referent: Frau Emi Kawaguchi-Mahn (Schriftstellerin) Beitrag: Mitglieder und Teilnehmer an Sprachkursen der JDG 1500 Yen, Normaler Beitrag 2000 Yen Dies ist das zweite Seminar von Frau Emi Kawaguchi-Mahn, die uns letztes Jahr im Oktober die politische Lage in Deutschland leicht verständlich erklärt hat. Dieses Mal ist es ein Vortrag anlässlich des Erscheinens ihres neusten Werkes: „Berlin-Geschichten – Spurensuche nach Erinnerungen einer Stadt“. „Prinzessin Luise, die Königin Diana von Preußen“, „Die Geschichte wiederholt sich – Das Berliner Schloss und der Freistaat Palästina“, „Die Humboldt-Universität zu Berlin und die Freie Universität Berlin – Disput der Universitäten im Osten und Westen Berlins“ „Neues Museum erwacht zu neuem Leben – Fusion von Alt- und Neubau“ und andere Geschichten werden in diesem fotoreichen Seminar erzählt. Stammtisch „Alles rund um Deutschland in Karuizawa“ – Geschichten vom Deutschen Fest Zeit: Montag, 12. Juli 2010, 18:30 Uhr- 20:00 Uhr Beitrag: Mitglieder 800 Yen, Normaler Beitrag: 1300 Yen (wird am Tag des Vortrags eingesammelt) Es werden dem Deutschen Fest entsprechende Speisen und Getränke angeboten. Teilnehmerzahl: ca.20 Personen (Anmeldung im Voraus ist erforderlich) Referent: Herr Manabu Ecchuya (HOTEL GREEN PLAZA) Die „Japanische Romantische Straße“ genannte Reiseroute erstreckt sich weitläufig von Ueda in der Präfektur Nagano über Kusatsu und Karuizawa bis nach Utsunomiya in der Präfektur Ibaraki. Mit der seit über 60 Jahren bestehenden deutschen „Romantischen Straße“ besteht eine Partnerschaft, welche sich dieses Jahr zum 20. Mal jährt. Aus diesem Anlass wurde im Hotel Green Plaza in Karuizawa letztes Jahr das „Deutsche Fest“ eröffnet, in dessen Rahmen unter anderem deutsche Konzerte stattfinden, Restaurants deutsches Essen anbieten und durch Fotoausstellungen und den Verkauf von Spielzeugen deutsche Kulturgüter vorgestellt werden. Die Präfektur Gunma hat durch Dr. Bälz und die heißen Quellen eine geschichtsträchtige Verbindung zu Deutschland. Aber dass nun ein einzelnes Hotel so viele verschiedene Aspekte Deutschlands anbieten kann, ist ein Projekt, in dem sehr viel Arbeit steckt. Herr Ecchuya wird uns in diesem Vortrag über die Freuden und Leiden während der Planung des „Deutschen Festes“ erzählen. JG-Stammtisch Zeit: Freitag, 16. Juli 2010, 19:00 Uhr- 21:00 Uhr Ort: Koujimachi Gallery, Kaidan no tochuu (auf der Treppe) *Sobald die Einzelheiten feststehen, werden diese auf unserer Webseite veröffentlicht. 34.Kulturseminar des Deutschen Sprachraums: Deutscher Kochkurs Zeit: Montag, 26. Juli. 2010, 13:30 Uhr- 17:30 Uhr Ort: Komagome Chiiki Souzoukan 4F Kochraum (Tokyo,Toshima-ku,Komagome2-2-2) Kochlehrerin: Frau Rita Briel Teilnehmerzahl: 15 Personen (Anmeldung im Voraus ist erforderlich) Beitrag: Mitglieder und Teilnehmer an JDG-Sprachkursen: 4000 Yen; Nicht-Mitglieder: 5000 Yen Eine Anmeldung und Überweisung des Geldes im Voraus ist erforderlich. Stornierungen können nur bis Freitag (23.7.) 13 Uhr entgegengenommen werden. Bei später eintreffenden Stornierungen müssen wir Ihnen leider den Beitrag trotzdem berechnen, da wir bereits im Voraus die Zutaten einkaufen. Frau Rita Briel, welche sich als Sprachlehrerin der JDG großer Beliebtheit erfreut, wird uns in diesem Kochkurs einige traditionelle Gerichte vorstellen, welche man auch ohne großen Aufwand mit in Japan erhältlichen Zutaten zubereiten kann. Geplant sind: Riebelesuppe, Kräuterknöpfle (gewürzte Spätzle), geschnetzelte Filetspitzen und Apfelstreuselkuchen. 31.Kulturseminar des Deutschen Sprachraums: Seminar zum 20. Jubiläum der Wiedervereinigung (Teil 2/2) Zeit: Samstag, 4. Sep. 2010, 17:30 Uhr- 19:00 Uhr Referent: Herr Frank Riesner (Lehrer bei der Japanisch-Deutschen Gesellschaft) Beitrag: Mitglieder und Teilnehmer an Sprachkursen der JDG 1800 Yen, Normaler Beitrag 2500 Yen (Anmeldung im Voraus ist erforderlich) Thema des 2. Teils: Nach der Wende ~Veränderungen im Alltag in Ostdeutschland~ Neue Chancen, neue Produkte, Preissteigerungen, Umschulungen, Währungsumstellung, Identitätsverlust. Diese Veranstaltung ist der zweite Teil der Veranstaltung „20 Jahre nach der Wiedervereinigung“, in welcher Herr Frank Riesner über die Zeit der Wiedervereinigung sprechen wird. Der Vortrag wird auf Deutsch gehalten. 編集後記 ■ドイツで客死された藤本修氏。氏は学生時代から日独協 会の活動に加わり、いつも前向きな発言をされ、時には苦 言も呈されてきました。大柄な体躯で、弁舌さわやか、頼 りがいのある“兄貴”といった風でした。そんなエネルギッ シュな人だっただけに、突然の訃報は日独協会を震撼させ ました。と同時に、人間の死のあっけなさに唖然とさせられ ました。改めて故人のご冥福をお祈り申し上げます。 (大) ■当協会の新理事に就任した出原悠氏はドイツの新聞記事 に目を通すことを日課にしているとのこと。政治、しかも外 国の情勢を正しく把握することは難しい。が、毎日ニュー スに触れていると、その時々でキーになる言葉や人物、出 来事などが見えてくるという。 『最近のドイツ政局よもやま 話』は、そうした旬の言葉や人物を起点に「今」のドイツ の政局を語ってくれている。敬遠しがちだったドイツの政 治情勢についてここから知っていこうという気持ちを喚起 させてくれる。次回以降も楽しみな新コーナーである。 (宮) 【お詫びと訂正】5 月号 4P の写真説明で、中央白いユニフォームが Franz Beckenbauer とありますが、Beckenbauer は向かって左の選手です。中央 は Berti Vogts 選手です。お詫びして訂正いたします。 日独協会機関紙「Die Brücke かけ橋」第 644 号 2010 年 6 月 25 日発行/発行回数:毎月1回(25 日) 編集責任:金谷誠一郎 (編集長)財団法人日独協会/電話:03-3265-3411 / FAX:03-3265-3420 / http://www.jdg.or.jp 住 所:〒102-0083 東京都千代田区麹町 5-1(NK 真和ビル 9 階) /印刷・製本:三和印刷株式会社 禁 無断転載 ﹁ Die Brückeかけ橋﹂第六四四号平成 年 月 22 日発行︵毎月1回 25 6 日発行︶財団法人 日独協会 定価一部三百円 25
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