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平 成 22年 度 博 物 館 特 別 展 示 「 19世 紀 の 日 本 と 亜 米 利 加 」
パネル類等展示製作委託仕様書
0-1
時代の節目を考える-開催にあたって-
1860年 2月 13日 (安 政 7年 1月 22日 )~ 11月 10日 (万 延 元 年 9月 28日 )に か け て 、 近 代 日 本 の 外 交 団 と し て 、 は じ め て
ア メ リ カ 合 衆 国 の 首 都 ワ シ ン ト ン を 訪 問 し た 遣 米 使 節 が 派 遣 さ れ て 150年 に な り ま す 。 現 代 に 続 く 近 代 外 交 交 渉
の 基 本 が 開 始 さ れ た 意 義 は 大 き く 、 ま た し日ん 米
み ぶ関
ぜ ん係
の かに
み まと
さ おっ
き て も 記 念 す べ き 1 ペ ー ジ で し た 。
派遣された使節団員の内、特に首席の新見豊前守正興を中心に、どのような人物が、いかなる環境のもとで派
遣され、彼らが当時のアメリカや世界の何を見て、何を考えたかをたどってみたいと思います。そこで、新見の
事跡と遣米使節団の諸事実を、当時の人々が証言した資料を基本に据えて説明をします。
そして、この企画が日米関係だけではなく、日本と世界を考える機会になることを希望します。
この企画を実施するにあたり、下記の資料所蔵者ならびに関係各位に多大なご協力を賜りました。厚くお礼を
申し上げます。
佐々木
寛
宮井新一
森田
充
横田六之助隆興
東善寺
独立行政法人国立公文書館
神奈川県立歴史博物館
狭山市立博物館
(敬称略)
0-2
特別展示
遣 米 使 節 150周 年 を 祝 う
19世 紀 の 日 本 と 亜 米 利 加
-技術革新と近代外交の日々-
開催期間
開催場所
9月 18日 ~ 12月 12日
3階
特別展示室
0-3
特別展示
遣 米 使 節 150周 年 を 祝 う
19世 紀 の 日 本 と 亜 米 利 加 -技術革新と近代外交の日々-
Ⅰ -1
Ⅰ
旗本新見家と幕末の三代
※写真下、キャプション
新 見 豊 前 守 正 興 (1822~ 1869年 )
※解説文
過去の歴史上のことだからと言って、後世の或る評者一人の言葉を鵜呑みにしてはなりません。
評価は客観的でなけれ
ただば
まさな り ま せ ん 。
使 節 団 員 の 一 人 小 栗 忠 順 (1827~ 68年 )が そ う で し た 。
1915年 ( 大 正 4年 ) 9月 27日 、 総 理 大 臣 大 隈 重 信 が 、 横 須 賀 海 軍 工 廠 ( 横 須 賀 製 鉄 所 ) 創 立 50周 年 式 典 に 寄 せ た 祝
辞により公式に小栗の功績を認め、ようやく名誉が回復されました。
同様のことは、使節団首席新見正興にも言えます。
Ⅰ -2
旗本の家・旗本の仕事
※写真下、キャプション
新見家の家紋「一葉蘆」
Ⅰ -3
神君家康様と新見家代々
※写真右、キャプション
白旗神社
初代新見正勝が陣屋(屋敷)を置いた場所
(現横浜市戸塚区品濃町)
Ⅰ -5
所領の村々とゆかりの場所
幕末の新見家所領-各地に分散-
現在の滋賀県内
1 旧蒲生郡小中村
2 旧滋賀郡下廻村
現在の神奈川県内
1 旧鎌倉郡品濃村
2 旧前山田村
現在の埼玉県内
1 旧入間郡下奥富村
2 旧高麗郡脚折村
3 旧那珂郡猪俣村
4 旧那珂郡駒衣村
寛 文 10年 ( 1670年 ) 新 見 家 所 領 各 村 々 の 年 貢 割 合
(村
名)
(村 の 石 高 )
近 江 国 下 廻 村 村 高 161石 6斗 4升
近 江 国 小 中 村 村 高 332石 9升
相 模 国 品 濃 村 村 高 187石 5斗 7升 5合 6勺 6才
相 模 国 前 山 田 村 村 高 68石 2斗 (寛 永 知 行 高 )
(石 高 は 米 の 取 れ る 量 に 換 算 し た 生 産 力 )
(年 貢 高 )
年 貢 85石 6斗 2升 6合 6才
年 貢 153石 9斗 6升 4合 2勺 2才
年 貢 145石 8斗 2升 3合 3勺 3才
年 貢 44石 9斗 6升 3合 5勺 6才
(年 貢 率 )
約 53%
約 46.4%
約 77.7%
約 66%
Ⅰ -6
所領・相州品濃村と東海道
Ⅰ -9
旗本新見家の家格
新 見 正 登 ( 1 8 0 0 年 没 )・ 目 付 時 代
(国立公文書館架蔵『視聴草』所収)
Ⅰ -11
幕末新見家三代と江戸幕府
※写真下、キャプション
三代の和歌短冊 左より正路・正興・正典
Ⅰ -12
将軍と御側衆・御用取次
※写真下、キャプション
黒書院は将軍が公式に政務をとる部屋のひとつ
Ⅰ -14
正路・正興・正典
※写真下、キャプション
「為正使、万延元年正月開帆」正興墓碑より
Ⅰ -24
正典と最後の将軍徳川慶喜
※写真下、キャプション
新 見 正 典 ( 1834~ 1890年 )
慶応元年大坂城で撮影
Ⅱ -1
Ⅱ
近代産業の進展と幕末外交団の活躍
※写真下、キャプション
遣米使節団を乗せて太平洋を横断したポーハタン号
※解説文
幕末は、政治的な変動ばかりではなく、産業技術も大きく進歩した時代でした。
ペリーの率いた黒船は、まさしく産業革命の申し子でした。
グローバルな変化の中で、日本人は世界から多様な影響を受け、国内へそれらを持ち込みました。
江戸幕府は、万延の遣米使節に続きヨーロッパへ外交使節を送りました。
1862年 (文 久 2年 )と 1863年 (文 久 3年 )に 遣 欧 使 節 、 1865年 (慶 応 元 年 )遣 仏 使 節 、 1866年 (慶 応 2年 )遣 露 使 節 、 1867
年 (慶 応 3年 )遣 仏 使 節 が 、 相 次 い で 派 遣 さ れ ま し た 。
Ⅱ -2
幕末外交使節団の位置付け
※写真下、キャプション
大統領と謁見する遣米使節
将軍親書を持つ成瀬と通訳名村
Ⅱ -4
万延元年遣米使節の目的
※写真下、キャプション
ブキャナン大統領より遣米使節へ贈られた記念のメダル。
表面に大統領のレリーフ・裏面に記念の文言が刻印されている。
Ⅱ -7
使節団構成員
※写真下、キャプション
右上
左上
森田・成瀬・刑部・塚原
前列・新見・小栗村垣
後列・森田・成瀬
左下・立石斧次郎(トミー)
Ⅱ -12
訪問先と世界周航コース
※写真下、キャプション
上・ホワイトハウス(園遊会)
下・使節を送り届けたナイアガラ号
Ⅱ -17( 写 真 パ ネ ル )
使節団帰国
※写真下、キャプション
ナイアガラ号乗組員が登檣礼で使節団を見送る!
(東 善 寺 提 供 )
Ⅱ -18
遣米使節団と近代産業への眼差し
※写真下、キャプション
製糖工場を視察する使節団
Ⅱ -19
多様な視察先
※写真下、キャプション
ミシンの使い方を熱心に見る!
初めてフェリーに乗船!
Ⅱ -22
亜米利加製ハンドドリル
※写真下、キャプション
小栗忠順が持ち帰った・東善寺蔵
Ⅱ -23
勘定組頭森田清行の眼力
※写真下、キャプション
森田が周航途で中で採集した植物と巴納麻(パナマ)で捕らえたホタルの包み。
森 田 岡 太 郎 清 行 ( 1813~ 61年 )
Ⅱ -24
(ホタル解説パネル)
中米のホタルを再発見!
※写真下、キャプション
(未定!)
Ⅱ -26
その成果と横須賀製鉄所・造船所
※写真下、キャプション
サンフランシスコでもメーア島の造船所を見ていた!
(メーア島で咸臨丸を無償で修理)
ワシントン滞在中に、幕府は海軍を編成し、造船所を造りたいと目的を公表していた!
1865年 起 工 の 横 須 賀 製 鉄 所
現 存 す る 1号 ド ッ ク は 1871年 竣 工
Ⅱ -33
浦賀湊と幕府海軍の群像
※写真下、キャプション
海軍関係の人材を輩出し補給地となった浦賀湊
Ⅱ -34
咸臨丸乗船者
※写真下、キャプション
後列左より根津欽次郎・小永井五八郎・岡田井蔵(浦賀同心)
前 列 左 よ り 浜 口 興 右 衛 門 ( 浦 賀 与 力 )・ 肥 田 浜 五 郎 ・ 福 沢 諭 吉
(本館所蔵『万延元年遣米使節図録』所収)
Ⅱ -37
中島三郎助永胤
※写真下、キャプション
没後建立された顕彰碑(現愛宕山公園内)には多数の寄付が地元より寄せられた
Ⅱ -41
浜口興右衛門英幹
※写真下、キャプション
浜口英幹(横須賀造船所時代・佐々木家所蔵)
幕府に差し出した由緒書草稿には長崎伝習所に派遣とある
Ⅲ -1
友好のしるし
※写真下、キャプション
ペ リ ー 上 陸 記 念 碑 (1901年 米 友 協 会 建 立 )
※解説文
1860年 遣 米 使 節 団 の 渡 米 か ら 始 ま っ た 日 米 の 交 流 は 、 幕 末 に 一 時 停 滞 し た と は 言 っ て も 、 明 治 時 代 に は 民 間 人 の
往来が増加し、政財界の交流も盛んになりました。
一方では、アメリカ本土で日系移民が多数活動する時代ともなり、日米関係が緊迫したこともありました。
そ の 中 で 、 1901年 (明 治 34年 )、 米 友 協 会 (会 長 金 子 堅 太 郎 )に よ っ て 建 設 さ れ た ペ リ ー 上 陸 記 念 碑 (横 須 賀 市 久 里
浜 7丁 目 に 所 在 )は 、 日 米 の 相 互 理 解 を 深 め る た め に 、 両 国 関 係 者 が 多 大 な 努 力 を し た 結 晶 で す 。
会員の一人米山梅吉は、若い頃アメリカの大学で学び、日本で最初にペリーの伝記を書き、経済界に大きな足跡
を残した方です。
ま た 、 20世 紀 前 半 に 日 米 は 敵 対 す る こ と も あ り ま し た が 、 1953年 ペ リ ー 来 航 100周 年 の 際 に は 、 両 国 が 官 民 そ ろ
って祝賀行事をおこなったことを記憶している方も多いと思います。
そ し て 、 ペ リ ー 来 航 150周 年 に 続 き 、 遣 米 使 節 派 遣 150周 年 を 迎 え た 21世 紀 、 過 去 の 事 実 に 学 び つ つ 、 一 層 の 友 好
関係を考える段階となりました。
【以下、ラベル原稿】
※ ラ ベ ル 大 き さ 、 横 197× 縦 50~ 60ミ リ 前 後
Ⅰ -4
天 保 13年 正 月 付 で 田 付 四 郎 兵 衛 直 清 よ り
新見正興に与えた初・中目録の砲術免許状
(博物館蔵)
Ⅰ -7
天保年間著された「江戸名所図会」より
「 科 濃 坂 (品 濃 坂 )」 と 東 海 道 を 描 い た 部 分
(博物館蔵)
Ⅰ -8
慶 応 2年 11月 の 「 程 土 ヶ 谷 宿 江 還 御 供 奉 方 冥 加 人 馬 勤 割 合 帳 」
将軍家茂没後、江戸へ戻る幕臣等に提供する助郷人馬の書上
(博物館蔵)
Ⅰ -10
狩衣(かりぎぬ)装束
五位以上の身分が着用
(個人蔵)
Ⅰ -13
1857年 12月 7日 ( 安 政 4年 10月 21日 )
将軍家定とアメリカ総領事ハリスが初めて会見
その時出された料理の献立書
(博物館蔵)
Ⅰ -15
新見正路の和歌短冊
「いたヽき(頂き)は
猶あらはれて(現れて)
夕ぐれの
雲もおよはぬ(及ばぬ)
冨士の芝山」
(博物館蔵)
Ⅰ -15-A
新見正興肖像画
祖父新見正登の絵と比べると二人ともよく似ている
(博物館蔵)
Ⅰ -16
新見正路の墓碑拓本
菩提寺の願正寺に正路等が眠る
(博物館蔵)
Ⅰ -16-A
旧知行地品濃村谷宿の墓碑
左が正路、右が初代正勝
(現横浜市戸塚区品濃町谷宿公園向かい)
Ⅰ -17
新見正興の墓碑拓本
将軍家慶鷹狩りの時褒美を授けられたと見える
(博物館蔵)
Ⅰ -18
新見正典の墓碑拓本
維新後静岡へ移り遠州横須賀副奉行を務めたとある
(博物館蔵)
Ⅰ -19
新見正興の書
「万古人生無不潰」
(博物館蔵)
Ⅰ -20
新見正興の遺愛品
「 老 師 置 物 ( 真 鍮 製 )」
(博物館蔵)
Ⅰ -21
新見正興の遺愛品
「 狸 置 物 ( 石 造 )」
(博物館蔵)
Ⅰ -22
新見家の伝来品
「朱塗り盆」
(博物館蔵)
Ⅰ -23
新見家の伝来品
「黒漆盆」
(博物館蔵)
Ⅰ -25
新見正典の和歌短冊
「さしのほる
月のあたりハ
水上遠く
のこるうす霧」
(博物館蔵)
かつきえて
Ⅰ -26
新見正典の漢詩
明治5年
(博物館蔵)
Ⅱ -2-①
大統領と使節の謁見を伝える当時の新聞
FRANK LRSLIE'S ILLUSTRATED NEWS PAPER 1 8 6 0 年 6 月 2 日
(個人蔵)
Ⅱ -2-②
遣米使節団を乗せ、太平洋を渡ったポーハタン号
THE NAVAL AND MAIL STEAMERS OF THE UNITED STATES,1853,New York.
(博物館蔵)
Ⅱ -3
1854年 日 米 和 親 条 約 の 写 本
ペリー来航時取り交わされた条約の写
(博物館蔵)
Ⅱ -5
伝新見家供侍用毛槍
登城の際などに御供が持つ毛槍
(博物館蔵)
Ⅱ -6
新見家所用の笠
遠出などの際にかぶる笠
(博物館蔵)
Ⅱ -9
『万延元年遣米使節図録』
大正九年の序文を持つ公式図録
(博物館蔵)
Ⅱ -10
「安政一分判金」と「安政一分銀」
造幣局へ持ち込んで重量分析を実施
(宮 井 家 蔵 )
Ⅱ -11
玉虫左大夫航米日
やす録
しげ
新 見 家 従 者 玉 虫 誼 茂 (仙 台 伊 達 家 来 )の 日 記
(博物館蔵)
Ⅱ -13
新見正興の和歌短冊
「語るべき
たよりも
波の千里へて
う き ね ワ ひ し き (浮 き 寝 侘 び し き ) こ こ ろ つ く し を
(博物館蔵)
正興」
Ⅱ -15
新見正興の遺愛品
真鍮製煙草盆
(博物館蔵)
Ⅱ -16
新見正興の遺愛品
鍋島の火入
(博物館蔵)
Ⅱ -20
ワシントンの海軍造船所を訪問した記念写真
1860年 5月 24日 (万 延 元 年 4月 5日 )
(加 用 美 代 子 氏 所 蔵 横 田 六 之 助 隆 興 管 理 保 管 )
Ⅱ -21
蒸 気 機 関 作 動 模 型 (船 の 外 輪 は ど の よ う に 動 い た か ? )
ポーハタン号の断面図をもとに製作
(博物館蔵)
Ⅱ -21-A
ポーハタン号の船体断面図
THE NAVAL AND MAIL STEAMERS OF THE UNITED STATES,1853 より
(博物館蔵)
Ⅱ -25
森田清行が中米パナマの港で捕獲したホタル
Photinus pyralis な ど Photinus 属 の ホ タ ル 。 北 米 か ら 南 米 に か け て 生 息 。
(森 田 充 家 蔵 )
Ⅱ -27
THE FIRST JAPANESE EMBASSY TO THE UNITED STATE OF AMERICA 1860
日米協会が発行した遣米使節の解説本
(博物館蔵)
Ⅱ -28
小栗忠順胸像絵葉書
胸像は当初、諏訪公園に設置された
(博物館蔵)
Ⅱ -29
フランス海軍よりヴェルニーを派遣する正式命令
友好都市フランスのブレスト市より寄贈
(博物館蔵)
Ⅱ -30
明治維新頃の横須賀製鉄所写真
製鉄所構内に林立するレンガ造建築と逸見から見た様子
(博物館蔵)
Ⅱ -31
1871年 竣 工 の 1号 ド ッ ク 図 面
現存稼働する最古のドライドック
(博物館蔵)
Ⅱ -32
1870年 頃 の 横 須 賀 湾 海 図 (複 製 )
友好都市フランスのブレスト市より寄贈
(博物館蔵)
Ⅱ -35
太平洋を往復した咸臨丸の軌跡
(市 民 協 働 製 作 図 )
Ⅱ -36
咸 臨 丸 巡 航 図 (飯 塚 玲 二 画 ・ 原 画 彩 色 )
咸臨丸関係者と親交のあった飯塚玲二が描く
(佐 々 木 寛 家 蔵 )
Ⅱ -38
浦賀奉行所与力中島家系譜
下田奉行所以来の系譜を知る
(博物館蔵)
Ⅱ -39
中島三郎助永胤辞世の句
「あらし吹
ゆふへの花そ
めてたかる
ちるへき
世にしあらねば
うつせみの
かりのころもを
ぬきすてて
名をゆのこさむ
千代ケ岡辺に」
(博物館蔵)
Ⅱ -40
中島家家紋入りふくさ
(博物館蔵)
Ⅱ -42
浜口興右衛門英幹自筆由緒書下書
代々の系譜と公務の事績を書上る
(佐 々 木 寛 家 蔵 )
Ⅲ -2
ペリー記念碑建設を語る『米友協会会史』
明 治 44年 ま で の 活 動 を ま と め た 記 録
(博物館蔵)
Ⅲ -3
「大正七年二月十二日米大使モーリス氏、新見豊前守展墓記念」写真
願正寺で遣米使節首席新見正興の功績を追悼する日米の関係者
(博物館蔵)
Ⅲ -4
ペリー来航百周年イベント写真
上陸を再現した日米の人達と大観衆
(博物館蔵)
Ⅲ -5
日 米 交 流 百 年 祭 記 念 絵 皿 (飯 塚 玲 二 作 )
表側「日米百年祭
JAPAN - U.S. CENTENNIAL」
裏側「咸臨丸
KANRIN MARU 顕 彰 祝 典 祈 念
海洋協会・日本船長協会」
(博物館蔵)