外山喜雄&セインツと行くニューオリンズ・ニューヨーク『サッチモの旅』 ──ジャズと愛、そして感動に包まれたあの日… 新型インフルエンザの世界的流行(パンデミック=フェーズ6)で一時は実施が危ぶまれていた「外山喜雄&セインツと 行くニューオリンズ・ニューヨーク『サッチモの旅』」は、デキシーファンの熱意に後押しされて予定通りに実現! 7月29日、 セインツと仲間たち計18人(九州から現地直行が2人)が、ニューオリンズのルイ・アームストロング国際空港へ向かった。 都内の家を出てから現地ニューオリンズのホテルの部屋に落ち着くまで丸一日、ほぼ24時間という長旅にもかかわらず、 全員無事到着。そこはジャズの熱気に包まれた別天地。そして、旅の後半はサッチモおじさんが待つニューヨーク「サッチ モ・ハウス・ミュージアム」やら、終焉の地「フラッシング墓地」でのお墓参り…。さっそくそのハイライト場面をご紹介しましょ う。 (文と写真、小泉良夫) <第1幕>「オー・ペリー・ウォーカー高校」での楽器贈呈 7月30日(木)、デンゼル・ワシントン主演の米 SF 映画 16人編成のジャズバンドがローリンズ先生の指揮で歓 「デジャヴ」でもおなじみのミシシッピー川にかかるグレー 迎演奏(写真下) 。外山喜雄さん(tp)も飛び込んで演奏に加 ター・ニューオリンズ大橋をバスで渡って対岸のアルジェ わり、指揮までやってしまう。「いやあ、フルバンドの指揮 にある「オー・ペリー・ウォーカー高校」(O. Perry Walker は気持ちいいなあ」とか。ジミー・スミス(Jimmie Smith)さ High ん(ds)、鈴木孝二さん(cl)、藤崎羊一さん(b)も飛び入り。 School)へ。 取 材 に 来 て く れ た 地 元 「 タ イ ム ズ ・ ピ カ ユ ー ン ( The この地区に Times-Picayune)」紙のシーラ・ストロープ(Sheila Stroup) は、ジョー 記者の言うように「音楽はまさに“世界の共通語”」です ジ・ルイス ね。 (cl) の お 墓 テレビ局(6ch)まで駆けつけた。「テレビ局なんて殺人事 や住まいも 件でも起こらないと来ないんですけどねえ」と学校関係者 あり、かつて のみなさんもびっくり。こうした中で贈呈式が行われ、挨拶 は彼やレッ に立った外山夫妻は「私たちは、あなた方(ジャズバンドの ド・アレン 生 徒さん 達 )と同 じ (tp)も住んでいたところ。 年の頃、ルイ・アー 今回はこの高校にトランペットや ムストロングの音楽 トロンボーン、サックス、クラリネット に出会って、非常 など計23点が日本通運ペリカン に 感銘を受 けたん 便(Nippon Express)のご厚意で送 です」と、その思い られてきている(写真上) 。ツアー一 出を生徒たちに語り 行の到着を待って、それら楽器の かける。そ してニュ 贈呈式が行われた。ジャズバンド ーオリンズで暮らし の指導者はウィルバート・ローリン た日々、パレードで ズ(Wilbert Rawlins)先生。以前、 見た子供たちの楽 日本から楽器を寄贈していた G.W.カーバー高校(ハリケ 器がボロボロだったこと、“銃に代えて楽器を!”と日本の ーンで壊滅的な被害を被り、現在は仮校舎)で教えてい ファンに呼び掛けて10年間で730本を超える楽器を贈呈 たが、被災後にこちらの学校へ移ってきている。 してきたこと、日本通運が、これらの楽器を無償でニュー 「彼、昨年お会いした時は、勤め先もなかったようで涙ま オリンズへ送り届けてくれていることなどを伝える。 で浮かべ、すっかり落ち込んでいたんです。でも、いまは つい最近、最愛の奥様が急逝されたという北九州市から こちらで教えることになって、とっても元気な様子、ほんと のツアーの参加者、深町興光さんが奥様との思いを込め 良かったわー!」と外山恵子さん(p,bj)。 て描いた「写仏画」と1000ドルを同校に寄贈。「写仏画」 は深町さんの同好の士の皆さまからも贈られたといい、立 派な額に入った10点、それに仏画の入った団扇も贈られ た。 ぱいで、また涙…。 ローリンズ先生は、ドラマーだった父を5年前に亡くして いて、ジミーさんに父親の面影を追い求めているようだっ お礼を述べるためマイクを持ったローリンズ先生の口か た。 ら「この学校に設立された“ジャズの殿堂”(A Jazz Wall of 『マホガニー・ホール・ストンプ』で始まったセインツの演 Fame)に私たちは、まず第一番に外山夫妻をお迎えする 奏は、『この素晴らしき世界』、『ハロー・ドーリー』、ジミーさ ことにしました」と、殿堂の壁に掲げ んのドラムソロをフィーチァ る銘板を手渡す (写真右上) 。さらに ーした『A 列車で行こう』な 長年、外山夫妻を支え、アメリカと どと、たっぷり聴かせる。最 の橋渡しまで手を貸してくれている 後の『聖者の行進』では、 ジミーさんについても、先生は、カ セインツを先頭にセカンド ウント・ベーシー楽団やエラ・フィッ ラインが続いて広いホール ツジェラルドとも共演した彼のドラマ を一巡り。なんとも感動的 ーとしての輝かしい活躍ぶりを生徒 な贈呈式を締めくくった。 たちに語った後、「ジミー・スミスさ シーラ記者は、この日の記 んのご活躍の記録をも私たちの“ジ 事を「バンド・ルームは音楽 ャズの殿堂”に掲げて、これを顕彰 と愛で満たされていた」と結 したいと思います。スミスさん、どう んでいた。 ぞこちらへ」。 「少年院に入ったサッチ 銘板を贈られ、マイクの前に立っ モも、きっとあのローリング たジミーさん、「オー…」なんと涙を 先生のよ うな優しく、情熱 いっぱいためて声が出ない。マイク 的な先生に巡り合ったので に向かっては何度も引き下がって しょうねえ」と、帰り間際、外 涙を拭った後、やっと「私は、沢山の有名なミュージシャン 山さんは去りがたく、学校を振り返りながらつぶやいた。 と共演してきましたが、このような素晴らしい賞をいただい たことは…初めてです…」。短く、それだけ言うのが精いっ <第2幕>ひ孫にも会って…ジョージ・ルイスのお墓参り 同校では、昼食に父兄の手作りのニューオリンズ料理 までごちそうになってしまった。 ってドアをノックする(写真下) 。と、裏から若者が2人、表に 回ってきた。外山さんが来意を告げる。と、背の高い長髪 ツアー一行はこのあとバスで近くの故ジョージ・ルイス の 黒 人 青 年 が 「 私 は ド ミ ニ ク ・ ワ ト キ ン ス ( Dominique (George Lewis)宅へ。その佇まいは、ささやかで、まさに Watkins)。ジョージのひ孫です」と自己紹介。前触れもな ニューオリンズらしい庶民的なマイホーム。この家も日本 く突然やってきた訪問者にもかかわらず、笑顔で迎えてく 公演の賜物で建てたのかもしれない。 れた。ワトキンス家は、ジョージ・ル ジョージ・ルイスは1963年から65年ま イスの娘さんの嫁ぎ先の家系だ。 で毎年、公演旅行で日本へやってき ツアー一行もドミニクを囲む。彼、 ている。それも各3ヵ月の長期演奏旅 嬉しそうにいったん家に入り、数枚 行。公演回数は延べ250回にも及ん の破れかけた大きな写真を持って だという。病に倒れるまで日本中にニ きて見せてくれた。ジョージ・ルイ ューオリンズジャズを降り注ぎ、ジャズ スの公演写真。なかにはローレン ブームを巻き起こしたのだ。 ス・マレロ(Lawrence Marrero)(bj) 外山さんがルイス宅入口の階段を登 との演奏風景もある。それを見た 恵子さん、「あ、これです! いま私が持っている、このバ ていた。 GEORGE LEWIS ンジョーがこれなんですよ」と叫ぶ。ドミニクが驚いて目を JULY 13, 1900-DES.31, 1968 見張る(写真下)。 この物語は、もう語り尽くされているが、ご紹介しよう。恵 THE SWEET, SOULFUL, BEAUTIFUL SOUND FROM HIS CLARINET WILL BE FOREVER MORE 子さんがニューオリンズに滞在していた当時、すでに亡く なっていたローレンス・マレロ宅で偶然、このバンジョーに 出会う。バン 外山さんが日本からわざわざ買ってきたお線香の束に ジョーはす 火をつけ、2束をお墓の土に差し込む。煙が立ち込め、芳 でにボロボロ 香が周囲に満ちてくる。なにやらお彼岸か、お盆のお墓 になりかけて 参りの気分。そんな中、セインツの『Lead Me Savior』『Just いたが、恵 A Closer Walk With Thee』『The Old Rugged Cross』が静 子さんが修 かに流れていく(写真下、中央) 。何度来ても、心が穏やかに 理して使わ なってくる。ここはやはり聖地なんですねえ。 せてほしいと バスでホテルに戻って、この日の夕刻は、ツアー一行も 申し出ると、マレロ夫人は「夫も、このバンジョーとともに一 招かれた歓迎レセプション。「サッチモ・サマーフェスト」の 緒にジョージ・ルイスの日本公演に行きたがっていました。 会場になるルイジアナ州立博物館(ジャズ博物館などがあ でも、病気がちでとてもついていけるような状態ではありま る通称「旧 US ミント=造 せんでした。あなたがそれほどおっ 幣局」)のホールでの しゃるなら、このバンジョーはお譲り 出演者、関係者らによ しましょう。このバンジョーもきっと日 る簡単なパーティーを 本へ行きたかったのだと思います。 楽しむ。 どうか夫の代わりに日本へ連れて行 サッチモはもとより、 ってあげてください」と快諾、破格の マイルス・デイヴィス、 値段で譲ってくれたという。 デイヴ・ブルーベックら 「ちょっと細身で、女の私の手にも そうそうたるメンバーの ぴったりなんです」と恵子さん。この レコードをプロデュー マレロの魂がこもった貴重な遺品を スしてきた元コロ ンビ 宝物以上にいまも大切に公演で使い続けている。 アレコードの大プロデューサー、ジョージ・アヴァキアン ひ孫さん、ドミニクさんとの再会を約して、今度はジョー (George Avakian)さん(90歳!)もお孫さんに付き添われ ジ・ルイスのお墓がある「マクドナヴィル墓地」 て姿を見せ、外山夫妻らおなじみの面々と再会を喜び合 (McDonoghville Cemetery)へ。墓地の右手の奥まった一 っていた。 角に、四角い箱型にコンコリートで縁取られ、ただ土が被 せられただけの質素なお墓には、こんな碑文が彫りこまれ <第 3 幕>誕生祝いのケーキカットでジャズ祭は開幕! 7月31日(金)、例年のようにサマーフェストの幕開けを チモ研究者の手で教会の洗礼記録から、サッチモの誕生 告げる、ちょっぴり早いサッチモの「バースデイ・パーティ 日は正式には「1901年8月4日」と判明したのだ。が、まあ、 ー」が、例年通りルイ・アームストロング公園で開催され そんなお固いことはともかく、…それなら、その間の1ヵ月 た。 間は、ずっとサッチモの誕生祝いをしようじゃないか…とい サッチモは生前、自らの誕生日を1900年7月4日とし うのが、まさにニューオリンズ流なのでしょう。 ていた。この日はアメリカの独立記念日でもあり、まさに Mr. 炎天下…といっても、今年は昨年よりもずっと穏やか アメリカにはふさわしい誕生日だったが、彼の死後、サッ な!?30度 C をちょっと超えた程度。それでも湿度は高く、 汗ぐっしょりで、この日の音楽担当を受け持ったセインツ ンも今や53歳ですって! それにしても外山夫妻は…。 が「ハッピー・バースデイ」やら、デキシーやらをたっぷりと その彼が、夕刻からのジャズストリート「サッチモ・クラブ 披露。拍手喝さいを浴びる。13歳のクラリネット奏者、ジョ ストラット」では、セインツの出演会場となった養老院「クリ ーゼフ・カーチャム君も加わる(写真下) 。聞くところによると ストファー・イン」で、外山さんと『Rockin’ Chair』の掛け合 この少年、前夜はプリザベーション・ホールでも吹きまくっ い。ご存知の方も多いでしょうが、映画にもなったあの『真 ていたそうだ。 夏の夜のジャズ』(1958年の第5回ニューポート・ジャズフ 外 山さん に ェスティバルの実写記録映画)で、サッチモとジャック・テ 言わせると“サ ィーガーデン(tb)がヴォーカル・デュオを聴かせている。 マーフェストの 南部の隠居した老人がロッキング・チェアに揺られながら ご神体”、アヴ 息子と交わすユーモラスな会話の掛け合い。バーバリン ァキアンさん の絶妙の演技が大受けする(写真下)。 やニューヨー 「あんな小さな子供だったルシアンが、喜雄さん(ご主 クから駆けつ 人の外山さん)と『ロッキン・チェア』を掛け合いでやるな けたサッチモ・ んて…。私、ピアノを弾いていて昔を思い出してしまいま ハウス・ミュー した。それでもう、涙が出てきて、鼻水まで出てしまい、ほ ジアム館長兼 んと困りました」と恵子さんは嬉し泣き。 クイーンズ大 外山さん自身も「リハーサルも何もなしで、彼と初めて 学サッチモ資 やったんですよ。いやあ良かったですねえ。そうだ、あさ 料館長マイケ っても(サマーフェスト本番のメインステージでも)やりまし ル・コグスウェ ょう」と、会場のみなさんにも大好評につき、外山さんは、 この『ロ ル(Michael Cogswell)さん、ジャズ誌「ダウンビート」の元 ッキン・ 編集長ダン・モーガンシュタイン(Dan Morgenstern)さん、 チェア』 元ジャズ博物館長ドン・マーキス(Donald M. Marquis)さ 再演を んら“大物”もそろい踏みです。 即決! 日本の写真家、故佐藤有三氏撮影のサッチモの顔を そ う 石山さつきさ いえば、 んがデザイン あの19 したサマーフ 58年の ェストの公式 第5回 ポスターが今 ニューポート・ジャズフェスティバルには、日本からは数人 年 も その ま ま だけしか出かけて行っていないとか。そのうちの一人が、 色違いで採 ご夫婦で毎年このツアーに皆勤!参加されている中村宏 用され、また さん(ジャズ評論家、医学博士)。みなさんそれぞれが不 また大きなバースデイ・ケーキにもなって2つも出てきた(写 思議なご縁で結ばれているんですねえ。そう、元はと言え 真上) 。ケーキカット式があって、来場者らに配られる。これ がもう甘いの!なんの! ひとかけらで「ごちそうさま!」で した。 セインツの演奏が続いています。今回のセインツのトロ ば、みんなサッチモおじさんなのだ! ジャズストリートのセインツの出演会場が養老院だった だけに、一般のファンに交じって“入居者”のお年寄りも、 会場に姿を見せ、セインツの演奏に合わせて踊りだす。フ ンボーン奏者は、レギュラーの粉川忠範さんに代わって地 ィナーレではセカンドラインとなって会場を回る。いやはや、 元のルシアン・バーバリン(Lucien Barbarin)さん。この方、 お元気なことで!! 外山夫妻がニューオリンズ滞在中の40年ほど前は、まだ ほんの子供でスネアドラムを叩いていたという。そのルシア <第4幕>昼はセミナー、夜は中庭でのハウス・パーティー 8月1日は、フェスト会場室内での「サッチモ・セミナー」。 ャノンも外山夫妻がニューオリンズでジャズ修行中は、こち コグスウェルさんらサッチモ研究家の報告に加えて、外山 らもまだ13歳の子供。外山夫妻を両親のように慕ってい 夫妻によるWJF(ワンダフルワールド・ジャズファウンデー て、夫妻の写真 ション=日本ルイ・アームストロング協会)15年の活動報告 集にも載ってい (何と英語!)。題して『Making the World More Wo る可愛らしい少 nderful』。司会は、前述の元ジャズ博物館長、ドン・マー 年だった。そ れ キスさん (写真下) 。アヴァキアンさんも最前列で耳を傾け がいまでは一流 る。 のドラマーに成 その会場内に設けられた液晶の大画面には、外山夫 長、引っ張りだ 妻の移民船「ブラジル丸」での渡米出発風景から始まって、 この人気者にな WJFでの日ごろの活動やニューオリンズでの楽器の贈呈 っていて、残念 写真、DVDに収められた日本とアメリカでの TV ニュース ながらこの日は 映像などが次々映し出される。アヴァキアンさんプロデュ ツアー中とのこ ースのLP とで留守。代わって一行を迎えてくれたのはラクネチア 『AMBAS (Lucnitia Powell)夫人と長女シーナさん、次女アシュリー SADOR ちゃんの2人のお嬢さん(写真上)。 SATCH』 ジャンバライアや若鶏の唐揚げなど、バイキング風に盛 のサイン入 り込まれたニューオリンズ料理とサラダ。飲み物もふんだ り LP ジャケ んに用意されていた。うん、レストランの料理よりも、こちら ットも映し のほうがお世辞抜きでも美味しい。われわれ日本人の舌 出された。 にもぴったりの味つけ。みんな何度もお代りに立ってしまう ちょうどい ほどだった。ホントごちそうさま。 い機会とばかり外山さんが最前列のアヴァキアンさんにた ドラマー宅らしく中庭にはドラムセットも用意されていた ずねる。「サインと一緒に何やら日本語のような文字(笑い) が、外山夫妻、鈴 も書かれているのですが、これは何語なんですか?」。ア 木孝二さん、藤崎 ヴァキアンさん、にっこり笑って「それは私の母国のアルメ さんの演奏が始ま ニア語ですよ」と。うーん、これでまた外山夫妻のお宝の っても、主のドラマ 価値が上がりましたね。 ーがいない。それ 一方、会場では、日本から持ち込んできたWJF会報「ワ でラクネチア夫人 ンダフルワールド通信」のカラー版56号も配布。「日本語 がスティックを2本 ばかりで申し訳ありませんが、昨年の私たちの活動記録 持 って きて く れ て が掲載されています。写真も沢山載っていますので、お 「どなたか、いか 楽しみいただければ…」と夫妻の話に耳を傾けていたみ が?」と差し出す。 なさんに手渡す。なかには「私にも…」と手を差し伸べる人 …と言われてもねえ…と思っていたら、なんと広島から成 まで。これに気を良くしてサマーフェスタの、あちこちの会 田に飛んできてツアーに参加していた宇野ゆりかさんが、 場でも、計300部ほど配ってしまいました。コグスウェルさ 浴衣姿もなんのその、ドラムを演奏し始めたのです (写真 んにも、お渡ししたら、「いや、もう私はニューヨークに沢山 上)。 送っていただいています」とにっこり。 この日の夜は人気ドラマー、シャノン・パウエル (Shannon Powell)さん宅の中庭でハウス・パーティー。シ 宵闇が迫った中庭の各テーブルには、ろうそくが灯され て、ムーディーな演出効果も満点。 娘さんと九州から別便でニューオリンズへやってきて合 流 し た ご披露におよぶ。松本さんはWJFクリスマス・パーティー NAOMI さん でも、飛び入りでセインツをバックに歌を聴かせるほどの が『ルート6 ど自慢のお方。とところが、後になって「あのパーティーに 6』などヴォ いらしていた方々は、そんなに有名なトランペッターだっ ーカルの飛 たんですか!? いやあ、そんなことはちっとも知らずに び入り ( 写 真 私の歌など聴かせてしまい…」と恐縮するやら、照れるや 上 ) 。時がた ら…。まあ、よ ろ つにつれてジミーさんも到着してドラムにつく。やがて当フ しいではありませ ェスティバル人気No.1のトランペッター、カーミット・ラフィ んか、何でもあり ンス(Kermit Ruffins)さん(写真右) 、同じくトランペッターの の、ここはニュー グレッグ・スタフォード(Gregg Stafford)さんも加わって、自 オリンズです。 慢ののどを聴かせる。 「こうなったらワシも…」と、ツアー一行の最年長参加者、 松本隆一さん(75)が、胸を張って『マック・ザ・ナイフ』の <第5幕>ジャズ・ミサを終え、いよいよ本番ステージ 8月2日(日)は、朝から生前シドニー・ベッシェ(Sidney の言葉。ミサの終わりには、はみんなで手をつなぎ、周囲 Bechet)(ss)も通ったというパウエル宅にも近いカトリックの の人たちとも握手を、ハグを繰り返す。言葉が分からなくて セント・オーガスチン教会(St. Augustine Church)でサッ も、キリスト教徒ではなくても結構、全身に感動を受け止め チモを偲ぶ荘厳 た瞬間でした。 かつリズミカルな ミサが終われば、長老の“グランドマーシャル”を先頭に、 ゴスペルも交え 宗教団 た「ジャズ・ミサ 体?ズ (Jazz Mass)」。聖 ールー 歌隊に加わって ( Zulu ) 地 元 トレメ ・ブラ やブラ スバンドも スバン 熱演。外 ド、セカ 山さんも ンドライ 終始共演 ンを連ねた炎天下のパレードがサマーフェスタ会場を目 した。「い 指す。…が、途中で突然のニューオリンズ名物、土砂降り やあ、お の大雨がパレードに襲いかかる。私はホテルに逃げ戻りま 隣のトラ したが、翌日の新聞には、大雨の中のパレードが大きな写 ンペッタ 真とともに報じられていた。はい、脱帽です! ーが吹きまくるので、ついバトル風になってしまいました 大雨の中の各ステージの演奏はどうなったのか? そ が(写真上) 、いや、場所柄、抑え目には吹きましたよ」と外 れでもセインツの出演時間、午後3時には、またカンカン 山さん。 照りの熱さが舞い戻る。メインステージはサッチモがこよな よく聞き取れなかった(英語がよくわからないのです)け く愛したニューオリンズ料理「レッドビーンズ&ライス」にな れども神父さんの口から何度も「サッチモ」「ワンダフルワ ぞらえた『Red Beans & Ricely Yours Stage』。ちなみに、こ ールド」といった単語が飛び出していた、中でも印象に残 の言葉は、サッチモが手紙の末尾に書き添える(日本では ったのは、「音楽は人生そのものです。そして、すべての 敬具に当たる)Yours Sincerelly に代えてよく使ったという。 人々はみんなミュージシャンなのです」といった神父さん 大観衆が見つめるなかセインツの演奏が始まり、『バー ベキュー料理で踊ろうよ』『セ・シ・ボン』『ウエスト・エンド・ 合では、集まった6人が、次々とそれこそ高音で吹きまくり、 ブルース』など、大歓声に包まれて続く(写真下) 。あの『ロッ トランペッター同士の熾烈な大バトルが繰り広げられる。 キン・チェア』 会場は火がついたような超過熱状態。外山さんも若者 もやはり大受 に負けじと吹きまくる(写真下) 。あまり無理しないでよォ! けだった。ス と、見ている方はハラハラ、ドキドキ…つい手に汗を握 テージ下で ってしまうほど。会場周囲からパパーンと一斉に紙吹雪 は押しあい合 が打ち い、へし合い 上げら ながらダンス れ の輪が広がる。 「はい、 お年寄りも、小さな子どもたちも押しつぶされそうになって これで 踊る。セインツのステージを写真に収めようとする人たちが 終わり 入り乱れる。灼熱の太陽が惜しみなく降り注ぐ。さっきのす ですよ ごい土砂降りの時、この人たちはどこにいたんだ。 ー」の 、 セインツに続いて件のカーミット・ラフィンスがステージ 合図がなければ、いったいいつまでバトルが続くことやら。 に上ると、ボルテージも上り続ける。そして、午後6時半か いやはや大変な人たちです、トランペッターも、地元のフ らのサッチモに捧げるフィナーレ、トランペッター全員大集 ァンのみなさんも! ご苦労さまでした。 <第6幕>サッチモの終焉の地、ニューヨークへ サマーフェストの興奮を乗せたまま、翌3日(月)は NY への ここだけは超破格。サッチモのテレ笑いが浮かんでくる。 移動。4日(火)朝からいよいよ行動開始。まずはバスでコ 大きな庭もあり、リスが遊ぶうっそうとした樹木と灌木、き グスウェル館長の待つルイ・アームストロング・ハウス・ミュ れいに手入れされた芝生、小さな池にはコイが数匹泳い ージアム(博物館)へ。所在地は、NY メッツの本拠地、シェ でいた。館長自らが何やらスプレーを手に庭を見回って イ・スタジアムなどがあるクイーンズ地区の閑静な住宅地コ いる。 ロナ。 この日はたまたま NY ブロンクス地区のセント・アン教 サッチモ 会のみなさんが小中学生約60人を引率してやってきた はここにル (写真下) 。さっそく庭で“緑陰サッチモ教室”が始まる。「ル シール夫人 イ・アームストロングのレコードを聴いたことがある人!」 とともに194 「はい、はーい」とかやっている。「今日はこのサッチモの 3年から移り お誕生日です。ちょうど日本からサッチモ・ミュージックを 住んできて 演奏し いた。3階 ている 建てで、現在は1階に売店と展示室、2~3階に居間、寝 バンド 室、キッチン、書斎などが当時のままに保存されている。 が来て オープンリールのテープレコーダーやレコード・プレーヤ いて、 ー、アンプ、スピーカー…当時としては最高の音響装置に みなさ 囲まれた書斎。サッチモがここでジャズを聴きながらハサミ んにも とノリでプログラムや写真を切り張りしたコラージュにいそし デキシ んでいたに違いない。 ーを聴かせてくれるそうです」などと伝えると、子供たちは 訪問者を一番驚かせるのがバスルーム。総鏡張りで金 みんな大喜び。さっそくセインツの演奏で『南部の夕暮 属類はすべて金! もうピッカピカなのだ(写真上) 。全体的 れ』などが始まり、最後はみんなで声を合わせて「♪パッピ には、日本にもありそうな、こじんまりした質素な住宅だが、 ー・バースデイ、サッチモ!」。 道路を隔て 後、お次はクイーンズ大学キャンパス内の「サッ た向かい側の チモ・アーカイブ(資料館)」へ。テープ、コラージ 家では、ベラン ュ、写真、プログラム、楽譜…何から何まですべ ダからセインツ て大切に保管されている。サッチモ・ハウスの向 の演奏に耳を かいに建設予定の「ビジターズ・センター」が完成 傾ける人たちも。 した際には、すべてこちらへ移され、さらに整理 そうそうお隣の 整頓される。 “名物おばさ ここでのハイライトは、サッチモの名器トランペ ん”セルマ・ヘ ット。トランクに3本が収められていて、白い手袋 歳)も外山さん をはめた女性スタッフが、そっと取り出す。 のペットの呼び 「ウイントン・マルサリスさんとか、著名なトラン かけにこたえて ペッターの方々がお見えになった時は、吹いても 今年もお出まし、 らってもいたのですが、もうそれはやめにしました。 再会を喜び合う。 今回、外山さんに吹いていただいて、それで最 セルマさんはサ 後です」 ッチモ夫妻が 外山さんも、白い手袋をはめて、神妙に吹き始 引っ越してくる め(写真下)、またすぐにお返しする。「さっきの昼食 前からの隣人。サッチモとは意気投合して、3年間もツア でちょっとカクテルなんか飲んでしまったので、どうもちょっ ーに同行したことがあるという。そのときは小さな洗濯機を と…」。ま、それはともかく、ニューオリンズのジャズ博物館 持っていき、毎日150枚もの白いハンカチを洗ってあげて の展示さ いたとか。サッチモは何をするのにもハンカチが欠かせな れている かったようだ。 サッチモ セルマさんも付き添ってバスで隣接の、サッチモとルシ のコルネ ール夫人が眠る「フラッシング墓地」へ。お墓には小さな ットを日 星条旗が4本。碑文の上には白いトランペット。恵子さんと 本 人 で 中村夫人がお花を添え、外山さんが、ここでもお線香をた 最 初 に く。かわるがわる記念写真。そして、サッチモに捧げる演 吹 い た 奏。毎年のツアー恒例の行事で、これも、もうサッチモもお のが外山さん。そして NY の資料館でサッチモのトランペッ 待ちかねだったに違いない。「オー、イエー!」の声が地 トを最後に吹いたのが外山さん。やっぱサッチモおじさん 下から聞こえてきそう。 はよーく分かっているんですよ。 町内のレストラン「グリーン・フィールド」で昼食をとった <第7幕>「バードランド」のホットな夜、そして生ガキ 5日(水)の夜は、ライブハウス「バードランド(Birdland)」 でのライブ鑑賞。7番街33丁目の宿泊ホテル「ペンシルベ まさに外山夫妻のために用意されたようなバンド。リーダ ーのデイヴィドはハンサムで大柄なチューバ奏者。それに、 ーニア」から徒歩で West44丁目のバ ピアノ、サックス兼クラ ードランドへ。歩きながら『バードランド リネット、トロンボーン、 の子守唄』など、自然に鼻歌が出てき ドラムス、外山さんの てしまいます。 ペットが入って(レギュ この日の出演は「David Ostwald’s ラーのペットはお休 Louis Armstrong Centennial Band」… み?)、セインツと同じよ つまりは“サッチモ100年記念バンド”。 うな編成ですね。外山 さんは最初から最後まで休憩をはさんで約1時間半、出ず 今度も徒歩でホテルからパークアベニュー42丁目のグ っ ぱ り 。 恵 子 さ ん (bj) と 鈴 木 孝 二 さ ん (cl) も 加 わ る 。 ランド・セントラル・ターミナルへの散歩を楽しむ。それにし 『Squeeze Me』『Otchi-Tchor-Ni-Ya』『West End Blues』 ても私、今回は歩きに歩きました。セントラルパークを歩き、 『 Chinatown, My ニュージャージーのユニオンシテ ィーからホボケン Chinatown』…。 (Hoboken)までハドソン川沿いを歩き、対岸のマンハッタ 一献傾けながら ン摩天楼群をしっかりとカメラに収めたのです。約4時間の 聴くジャズは、とっ ウォーキングでへとへと。でも、息をのむような素晴らしい ても幸せな気分に 眺めを満喫できました。これが今回のツアーの“目的”の してくれる。で、ニ 一つでしたが、次はもっと効率的な歩き方を考えないとい ュ ーヨ ーク に来 た けません。どなたか教えてください! ら飲み物はまずカ さて、オイスター・バーに到着。紙1枚の大きなメニュー クテル「マンハッタ が来ましたが、なんと生ガキといっても、全米各地から取り ン」と決めている。これを飲むといつも『Night in Manhattan 寄せた産地別の“生ガキ一覧”(当然、英語ばかり)があっ with Lee Wiley』が頭の中で鳴りだ て、さっぱりわかりません。隣の すんです。 席で大皿に生ガキをいっぱい並 外 山 さ ん 、 今 度 は 『 On The べて食事を楽しんでいるお客さ Sunny Side Of The Street』を軽快 んに、外山さんが「それなんてい に、気持ちよさそうに歌っている。 うんですか」と声をかける。「はは 恵子さんのバンジョーがリズムを刻 あ、アラカルトというか、いろいろ み、孝二さ な産地のものを並べたみたいで んのクラ リ すねえ」ということで、ほとんどの ネ ット も 軽 みなさん「では、それにしましょ やかに歌 う」。外山さんは30センチもあり う。さわや そうな大きなロブスターを注文し かな拍手 に包まれ る。 この日、 てご満悦。 それにパンとクラッカーは食べ放題みたい。ニューオリ ンズでも毎日、生ガキ食べまくったが、生ガキには白ワイ ンがよく合うと私は思う。それにしても真夏の生ガキずく “ニューヨークのため息”(あなた方、まだそんなこと言って め! さあ来ました。よく見ると生ガキに交じってハマグリ いるの!?なあんて叱られそうですから、この表現は引っ やらアサリみたいなものもある。みーんな生でシェルつき。 込めまして…) 歌手、ヘレン・メリルさんも中村夫妻の招き 「大丈夫かな でやってくるはずでしたが、何かの手違いで次のディナー あ」なあんて考 店へ回ってしまったみたい。私もお招きを受けていて、こ えないこと。で の後、ヘレンさんともテーブルを囲む。もう80に近いと思う は、いただきま のですが、美貌は昔のまま(写真上) 。それになんともソフト ーす。 な人柄が魅力的です。 「サッチモの ツアー一行の NY での予定はフリータイムの自由行動が 旅」も、こ れで 多かったのですが、最後の夜の6日(木)、鈴木孝二さん夫 無事、打ち上 妻とかねてから楽しみにしていた、グランド・セントラル・タ げという ところ ーミナルの地階にある「オイスター・バ―」へご一緒するこ とに。と、外山さん夫妻も「私たちも行きます」。そうなると みなさん私も、私も…と計11人に膨れ上がる。 でしょう。 それでは、あすの帰国に備えて、このあたりで失礼しま す。
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