ナシ (納西) 族の歴史と服飾

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研究ノート
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
森
は
じ
め
川
登 美 江
に
世界各地を回ってみて (と言っても筆者が訪れたのは二十数カ国に過ぎない
ので口幅ったいことは言えないのだが), ファッションが均一化されてきている
ことを強く感じる。 とりわけ男性の服飾にその傾向が著しい。 大分大学で
アジア学を担当し始めた年前から, 教材の一つとして民族衣装を集め始め
たが, 急速に失われていく民族衣装に危機感を抱き, 数年前からは全力を挙げて
収集に努め, 現在, カ国, 着の民族衣装を入手している。 それらは数十年
後に価値を持つだろうと考えているが, 少しでも早いうちに収集・研究しておか
ないと地球上から消失してしまう危険がある。 例えばニュージーランドのマオリ
族の村を訪ねて交流したときも民族衣装は入手できず, 辛うじてマオリの文様と
判別できるポシェット・バンダナ・前掛けが土産物屋に置いてあった程度で, や
むを得ずそれらと共に人形を買って帰った。 年夏, チェコではアンティーク
の店でやっと伝統衣装を入手した。 以前は祖母が孫に作ってやったものらしいが,
今では作る人がほとんどいなくなってしまい, アンティークの店を丹念に回るく
らいしか入手する方法がなくなっているそうで, 私がそれを着てパーティーに出
席したところ, チェコの人たちに珍しがられ, 大いに賞賛された。
中国においても
の少数民族の中に漢族の服飾 (漢装) が怒涛のように入り
ジアンシーショントウジア
込んでいる。 例えば, 年秋, 江西省土家族自治州の村を訪れ, 歌や踊りを
鑑賞した際にも, 土家族の売り物の衣装はなく, 出演者に頼み込んで私物を譲っ
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ナシ (納西) 族の歴史と服飾
てもらう有様であった。 本稿で取り上
げたナシ族も女性には辛うじて民族衣
装が残っているが (写真①), 男性に
はもうほとんど見受けられないようだ。
民族服飾の収集・研究は正に時間との
闘いになりつつあると言えよう1)。 筆
者には退職までに中国の民族すべて
を研究する時間的余裕はもう残されて
写真① ナシ族の盛装
出所: 中国少数民族服飾 () いないが, 実地調査の終わったものか
雲南省 位置図
出所: 初級中国語課本 ()
) 筆者の服飾関係論考には以下のようなものがある。
() 「モンゴルの服飾文化」 山田敬三先生古稀記念論集刊行会編 南腔北調
論集 中国文化の伝統と現代 東方書店, −
。
() 「チベットの歴史と服飾について」 (上) 大分大学経済論集 第巻第
5号, −。
() 「族の歴史と服飾」 大分大学経済論集 第
巻第4・5合併号, −。
() 「モンゴル族の歴史と諸部族の服飾」 大分大学経済論集 第
巻第1号,
−
。
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ら順に報告していきたいと考えている。
第一章
ナシ族の概況
ナシ族は年の第4回国勢調査では総人口
人, %は雲南省西北
リージアン
ジュンディエン
ニンラン
ウェイシー
ドーチン
部の 麗 江 ナシ族自治県に集居し, その他は 中 甸 ・寧・ 維 西・徳欽・
ユンション
グンシャン
ホーチン
イエンユアン
ムーリー
永 勝 ・貢 山 ・鶴慶及び四川省西部の 塩 源 ・木里などの県に散居している。
マンカン
イエンジン
その他チベット自治区東部の芒康県の 塩 井などにも少数居住している。 さら
ラン ツアン ジアン
ジン シャー ジアン
ウー リアン ホー
にこの三つの省区に隣接する瀾 滄 江 , 金 沙 江 およびその支流の無 量 河流
域など, 青蔵高原を背にし, 雲貴高原に面するおよそ東経
∼度, 北緯
ヌー ジアン
フー ティアオ シア
ユイ ロン シュエ シャン
メイ
∼度の間に分布している。 境内には怒 江 , 虎 跳 峡, 玉龍 雪 山 , 梅
リー
里雪山など名山大河を擁し, 山体と峡谷が並列し, 頂は海抜m以上, mを超えるものもある。 ナシ族の居住区の平均海抜はm, 年間降雨量は
∼。
ナシ族の中心地, 麗江県は東経度分から度分, 北緯度分から
度分の間にあり, 海抜m, 雲貴高原の金沙江上流に位置する。 麗江の
四方街 (旧市街) は年近い歴史を有する, 釘を使わない重厚な木造家屋が
情緒ある石畳の両側に建ち並び, 年に世界遺産に登録された。 付近には万
年雪を頂く風光明媚な玉龍雪山 (標高m) がある。 「麗江」 という地名は,
伝説ではフビライ汗の命名と伝えられる。
雲南省麗江ナシ族自治県, 維西リス族自治県, 永勝県, 四川省木里蔵族自治
オーヤー
ダージュウ
ナーシー
ユン
県の俄亜, 塩源県の達 住 などのナシ人は 納西と自称し, 雲南省寧県永
ニン
ツイイー
ルーグー
ナーリー
ナーホン
ナーハン
ルールー
寧, 翠依, 瀘沽湖畔のナシ人は 納日と称す。 その他 納恒
納罕
魯魯
などの自称もあるが, 納西がナシ族総人口の六分の五を占めていたため,
国務院の批准を経て, 年, 正式に 納西族と定めた (以下, ナシ族と表
記する)。 従来, ナは 黒, 浩大, シには 人の意味があり, ナシ
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ナシ (納西) 族の歴史と服飾
ジャオジンシュウ
は彼らの言葉で 黒い人だといわれてきたが, 趙 浄 修 (麗江県文化館館長,
作家) さんは 黒い人はナシ語の語法では シナになるという。 (
取材班, , )
モ ソ
マシャー
と読む), 摩沙などがあっ
漢文古籍ではナシ族の他称には 麼些(些は た。 些は 人の古称である。 歴史上, これらの呼称は普遍的だったので,
ナ シ
族称が正式に 納西と決まるまでは各地のナシ人は麼些または摩西と書いた。
バー
ナシ語は漢チベット語系チベット・ビルマ語族イ語支に属する。 麗江区を
代表とする西部方言と, 寧・永寧を代表とする東部方言に区分される。
トン パ
ナシ族は 東巴教(以下, トンパと表記する) によって天を祭り, 災害を
除け長寿を求めるほか, 仏教と道教を信仰している。 トンパとはナシ語で 知
者を意味し, ナシ族の原始宗教の経師または祭師である。 トンパ教は多神教
で, 資料によれば天地善悪を支配する神々の数は
尊に上るという。 なかで,
イ
ゴ
ア
ゴ
依格阿格神はじめ5尊が最高神とされる。 開祖はトンパシロ, チベット語で
知恵深き導師という意味である。 金沙江上流ナシ族集落にやってきたチベッ
ト密教の伝道僧, あるいはチベットに経文をとりに行ったナシ族のシャーマン
であったと伝説はいう。 トンパ教には寺もなく, 全体を統一する僧もいない。
宗教活動は村ごとに, 村の大トンパが行う。 このときに使うのが代々のトンパ
が伝えてきた
トンパ教経典
で, のナシ象形文字を使ったこのトンパ経
は, およそ千年以上前に始まり, その書籍数は2万冊以上に上る。 その多くは
外国に散逸してしまったが, 麗江図書館にも
冊余りが残されている。 トン
パ経の成立には, チベット密教だけでなく, チベットの民間信仰ボン教も影響
しているといわれ, 創世神話が含まれている。 そのボン教の開祖の名前はトン
バ・シェンラブ。 開祖トンバシロと極めて似ている2)。
ナシ族にはトンパが経書を書くときに使用する, 長い歴史を持つ トンパ
) 馬銀文編著, , では, この二人は同一人物と断定している。
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文と呼ばれる文字がある。 生きている象形文字といわれ, 世界の言語学
者に注目されているこのトンパ文字がいつ出来たのかは, いまだに定かではな
い。 それには2種類あり, 1種はトンパ文字という独自の象形文字で, 絶対多
ゴーバー
数の東巴経はこれで書かれている。 もう1種は 哥巴と称し, 音節文字であ
る。 これらの文字を用いて, 多くの民間故事伝説, 詩歌, 宗教経典などが記さ
れているが, 現在, これを完全に読み書きできるのは数人の老トンパだけで,
一般民衆に普遍的なものではなかったため, 年, ローマ字表記の文字を考
案した。 筆者が年に麗江の東巴博物館を見学した際, 老トンパから聞いた
話では, 現在はトンパ文字を解読する人は少なく, 日常会話は昆明語という昆
明地方の方言を使う人が多いため, 伝統を絶やさないようナシ族の優秀な青年
にトンパ文字を勉強させているとのことであった。
ソ グ ド
ナシ族の伝統音楽も, 複雑な民族交流の歴史をしのばせる。 ナシ語で蘇古都,
フーバー
漢語で胡抜は, 世紀, フビライ汗によってもたらされたモンゴル産の4弦の
ユンルオ
楽器で, 3弦は漢族のものである。 雲鑼 (音律の異なる鉦を個吊り下げ, 右
手の小槌で打ち鳴らす) を叩く老人の左手には密教法具が握られている。
麗江に伝わる器楽アンサンブル 「ナシ古楽」 は 「麗江古楽」 とも呼ばれ, も
ともと漢族の仏教, 道教の器楽演奏がナシ族に入って, 楽器や演奏法に独自の
変化が施されたもので, 古くから人々の楽しみとして行われてきたものの, 文
化大革命のため長く中断されたが, 近年は老人からレパートリーを受け継ぐ形
で多くの演奏グループが復興し, 腕を競っている。 琵琶や三弦, 胡弓, チャル
メラ系のリード付吹奏楽器の笛ソナ, 銅鑼, シンバル, 太鼓など漢族が使う楽
器がほとんどすべて使われている。
第二章
ナシ族の歴史
グー チアン
モー シー
族群の起源は, 大昔, 黄河地帯に住んでいた古 羌 人で, 唐宋の頃は 磨 西
マン
ミン ジアン
蛮と称していた。 後に南遷して岷 江 上流に至り, また西南方向に向かい,
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ナシ (納西) 族の歴史と服飾
流域に至るとさらに西遷して金沙江上流に至ったと考えられる。
紀元前年から紀元年 (秦漢から唐宋期) ナシ族の祖先は現在の四川
イ
パンジーホア
イエンビエン
省涼山族自治州西南部, 攀枝花市 塩 辺 県, 雲南省西北部などに分布してい
た。 漢晋期, 金沙江とヤルツェンポ河流域のナシ族の政治, 経済は比較的発展
ディンジャー
した。 定 窄 (今の四川省塩源県) 一帯のナシ人が盛んに塩, 鉄, 漆を生産し
たため, 東漢朝廷が官兵を派遣してここの塩や鉄を争奪しようとした。
ナンシャオ
ト バン
唐代, ナシ族の分布地区は唐, 南 詔 , 吐藩の三つの政権の間にあり, 塩,
モ
鉄の利によってこの三大力量の角逐の中心となって, 8世紀には六詔の一つ磨
ソ
モンショー
些詔を形成する。 当時, 吐蕃の勢力を防御するため, 唐朝は六詔中の蒙 舎 詔
に他の五詔を統一させ, 南詔政権を作った。 そのためナシ族の居住区は, 前後
して南詔, 吐蕃の統治を受けた。 宋代, ナシ族地区は大理国の管轄になったが,
多くの地区のナシ族の酋長はそれぞれ勢力を発展させ, 大理国は有効にナシ族
をコントロ−ルできなかった。
年, 元朝政府は 麗江路軍民総官府を設置し, 麗江の名はこれより
ど
し
始まった。 元, 明, 清朝は直接ナシ族地区で中央王朝管轄下の世襲土司制度3)
よう せい
4)
を遂行したが, 清朝雍正元年 (年), 麗江は 改土帰流
を実行した。
か
その政治変革はナシ族地区の漢文化教育を促進し, 強制的にナシ族地区に 夏
(中夏。 昔の中国の自称) を以って夷を変ずる移風易俗を実行することにな
り, ナシ族地区に重大な社会矛盾と文化の変遷, 伝統文化の衰退をもたらした。
年4月日, 麗江ナシ族自治県の成立が宣告された。
) 土司:元・明・清の時代, 西南地区の少数民族の首長で世襲の官職を与えられた
者, または官職を授けてその地の人民を支配させた一種の政治制度。 西南少数民族
地区の土司制度の源はきわめて古く, 遠く前漢の武帝時代まで遡りうる。 当時, 漢
朝は西南少数民族地区に郡県を設置したが, 任命派遣された漢族の太守, 県令は少
数民族に対して直接統治を進めることができなかった。 そこで, それぞれの地区の
少数民族の首長を利用し, 各民族独自の方式で, もともと自らのものだった土地と
民衆を管理させ, 漢王朝に隷属させたのである。
) 改土帰流:少数民族の土官 (地方の王侯) を改めて一般の州県道府を建てること。
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第三章
服飾 (麗江型・永寧型・中甸三型・その他)
中国人民共和国成立 (年) 前, ナシ族は地区により社会経済, 政治, 文
化の発展が不均衡で, 地主経済地区 (麗江地区) と領主経済地区 (寧, 塩源
など) に分かれていて, 衣食住なども地域的な差異が大きかった。 ただし一般
的にはナシ族は畜牧に従事したものが多く, 毛皮製品を好み, 昔は男女とも羊
皮を羽織ったり, フェルトの単の服を着ていたが, 清代から麗江・維西一帯の
男女の服飾に変化が生じた。
ナシ族の土地は雲南とチベットの 「茶
馬古道」 にあり, 手工紡織業が発達して
いた。 清代中期, 麗江には官営の紡織工
場があった。 千余年の歴史を有する象形
表意文字トンパ文字にはすでに 「紡織」
と 「織布」 の象形文字がある (写真②)。
写真② トンパ文字
出所: 中国少数民族服飾 () これは紡織手工業がナシ族の民間に長いこと流伝していたことを示している。
男性の頭巾や縁飾りのある大襟の上着, 長ズボン, 脚絆, 布靴, ベルトなど
の服装は, 近隣の民族とほぼ同じである。
女性は上半身にシャツを着て, その上に紺やえんじの大襟のチョッキを羽織
る。 一般にシャツは薄い色を着用し, チョッキは赤か赤褐色で広い縁をつける。
前身ごろが短く, 後ろ身ごろが長い。 下にはズボンをはき, その上にプリーツ
スカートをはき, さらにその上に長い前掛けをつける。 (但し, 筆者の麗江で
の観察によれば, ズボンだけ, またはスカートだけの若い女性もまれに見かけ
グアピー
られた)。 老女は黒い紗の頭巾か, 瓜皮小帽 (黒のビロードの小さな帽子) を
かぶる。
明代, 少年はみな髷を結い, 長衫を着用していたが, 成人後, 弁髪にし, そ
サンダートウ
の後頭頂に盤起させ, 上下に瓢箪状の二つの髷を作る。 これが即ち三搭頭であ
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
る。 成人男子は短い上着を着用し, ズボンをはき, 裸足である。 対襟 (衣服の
前ボタン式のもの) の上着を着る人も少数いる。
ブーグアン
婦女は髷を作り, 青い布で頭を包み, 角を作る。 これが布 冠 である。 短い
上着にロングスカートをはき, 彩色した腰帯を結び, 裸足が明代におけるナシ
族の典型的服飾で, 清初まで保留された。
今日のナシ族の服飾は世紀以来の民族服飾の基礎上に漢族と周囲のその他
ぺー
の民族服飾の特徴を吸収し, 次第に固定してきた。 白族の婦女の服飾と似たと
ころも多い。
ナシ族の服飾はゆったりしているため, 携行品を入れて持ち運ぶためのバッ
グとしては服飾全体の取り合わせの上でも使用上でも元来は存在しなかった。
たとえ財布や小物を入れる必要があったとしてもゆったりした服の中に入れ,
携帯して使う裁縫道具は大きな背負い籠に入れるか, 紐で縛って頭上に載せて
いた。 生産方式と生活方式が彼らのバッグに対する使用を決定したのである。
つまりバッグを用いたとしても簡単で粗末な生産労働用バッグであったが, 現
在は生産や生活方式の変化と, 旅行業の興隆にしたがってナシ族も多くのショ
ルダーバッグを開発している。
ティアオホア
ナシ族の服飾で目を引くのは 挑 花刺繍と呼ばれるクロスステッチであ
る。 挑花は種々の刺繍の中でも特殊な技法で, 応用範囲が広く, 種類も非常に
多い。 その運針には順針と逆針の2種類がある。 順針法は図案の色彩の配置に
したがって針を斜めにして一段ずつ同じ明針を並べ, 同一の色彩の部位を刺し
終わったら再び針を返して2段目の明針を刺す。 一段目の針の跡と交叉して
十字状を呈するため 十字繍ともいう。 同色の部位を刺し終わったら,
色を変えて挑補する。 逆針法は, 布面の縦横の布目に従い, 一針刺したら一針
返し, 針跡は同じく 十字状に交叉する。 両種の運針法にはそれぞれ優れた
ところがあり, 刺繍に巧みなものは両者を併用する。 つまり十字挑花の作者は
針を筆のように使って方形や円形, 曲線や直線を自在に運用するのである。 す
( )
べての図案はみな刺し方が荒かろうと密だろうと趣があり, 整っていようがい
スー
まいが豊かで, 統一されていながら変化に富む。 色彩のアンサンブルでは 素
ホア
ツアイ
花は明快ですっきりしており, 彩花は光彩目を奪う。
上述のようにナシ族は歴史的に見て共通する服飾文化を持っていた。 しかし,
ナシ族は分布地区がやや広く, 各地区の生活環境と民族間の交流状況もすべて
が一致しているわけではないため服飾も多様である。 それらは麗江型・永寧型・
中甸三型の文化三類型とその他に大別できる。
(一) 麗江型服飾
1. 男子
リン
多くは対襟の短い服の上に, 羌族の羊皮の単の服とよく似たなめし皮の領
グア
掛 (チョッキ) を羽織る。 現在も農村山区の多くはこれを保持している。 長
ズボンに, 布靴かゴム靴をはき, 頭にはフェルトか布の帽子をかぶる。
2. 女子
清初の改土帰流以後, 大きな変化が起こり, 毛糸のスカートからズボンに
変わり, 服飾すべてがさらに精巧で美しくなった。 規範も厳しく, 上着は内
ダーグア
着, 大褂 (単で丈の長い服), チョッキの三種である。 内着は衿なしの対襟
の衫で, 老人は水色, 若い人は白を着る。 袖の長さは肘下, 袖口と襟に縁取
おくみ
りがある。 外着は襟なし, 右衽の袷の大褂で, 前身ごろが短く後ろが長い。
衽には黒の錦かシルクで縁取りし, ウエストは広く袖は大きく, 布ボタンで
とめる。 袖の長さは前肘の中ごろで, 袖口は上方に
巻き上げる。 若い
女性の大褂は薄いグレーかオレンジ色が多く, 老婦人は青, グレー, 黒が多
い。 祭日の盛装のときには異なる色の大褂を2枚または3枚重ね着し, 後ろ
の裾のところで中から外にだんだんと1
ずつ短くしいって着ている服の
多さを見せる。 上にはプル (チベット産の厚い毛織物の名) かコールテンで
作った深紅または黒のチョッキを羽織る。 チョッキは3枚重ね着して, 肩は
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
中から外へ段々狭くし, 豊かさを顕示する。
下は長ズボンの上に, 手仕事できわめて精巧なプリーツを作った紺色のス
カ
ダ
カート 達をはく。 上下にそれぞれ白い幅広の縁取りをつけて飾る。 ス
カートは着ないときは折り目に沿って畳んで直し, プリーツをきれいに保存
する。 スカートには以前は刺繍や模様はなかったが, 精巧な針仕事でナシ族
の婦女の知恵と勤労を堅持していた。 現在はスカートやズボンの裾にトンパ
文字を刺繍したものも出現している。 若い女性には先がとがって細く, 側面
に刺繍した靴をはくものもいる。
労働・外出の際に着用される上述の女性用の
チーシンピーベイ
ピーシンダイユエ
七星披背「七星披肩とか, 披星戴月〈朝は早く
出て晩は遅く帰るの意〉とも称す」 (写真③) は
遊牧民族の特殊な服飾であり, ナシ族婦女の服飾
の中で最も特徴的で, 非常に凝っていて含意も深
い。 これは扁平で, 上半身は天を表し, 上部が広
くて腰のあたりが細く, 下が垂れ, 花の形をして
おり, 長さ
, 広さ
の通常1頭分の黒い
子羊の皮で作られる。 毛の面は内側に向け, 上部
ヤンピージン
三分の一には 羊皮頚と称する6センチ幅の黒
ビロードの縁取りをつける。 その上に左は太陽,
写真③ 七星披肩
出所: 雲南少数民族服飾
(
) イエン
右は月を表す二つの直径約
位の刺繍した円盤 (羊皮眼と称する)
をつけていたが, 現在は少なくなった。 ビロードの下部に7つの直径
前後の 七星「北斗七星を表す」 と称する円形の装飾が付く。 その装飾は
重ねた色布で土台を作り, その上に光芒を四周に放つ星月の模様を刺繍し,
シュウ
それぞれの星月の真ん中に 羊皮鬚と呼ばれる二本の長さ
の鹿皮の
紐をつける。 この計
本の紐は星の光芒を表し, 光明と温暖を意味している。
上部に2本の長さ
, 幅
の, 蜂や蝶を刺繍した白い紐を縫いつけ
( )
て胸の前で結べるようにする。 それは蜂が蜜を集めるように勤勉であること
を象徴する。 寒いときは毛の面を内側に向け, 暑いときは毛の面を外側に向
ける。 それは審美, 保温, 重いものを背負ったとき背部を保護するなど多く
の機能があり, ずっと麗江ナシ族婦女の不可欠の服飾品であった。
若い女性の髪形はショートカットかお下げが多く, 青い布製の帽子を被る
トゥグオマオ
ものもいる。 中高年の婦女は鍋の形に似た 土鍋帽を被る。 外側は布で,
内側に綿花を入れ, 黒の紗でおおい, 髷を結った頭に被り, さらに黒い紗の
スト−ルをまとう。 額の前に青いスカーフを垂らして日光を遮る。 婦女の頭
飾は地区によっても異なる。
3. 伝統的毛織物と製品
麗江ナシ族は昔からチベット族・イ族・ナシ族などが好む毛織物の製作に
巧みで, 次の三種が良く知られている。
(a) プル
プルはチベット語の呼称である。 麗江で生産されるプルは品質の良い羊毛
を使い, 紡織加工を施して作られる毛織物で, 真紅・紫がかった濃赤色・黒・
黄・白および多くの色と柄がある。 幅の広さは
, の2種類である。
生地はしっかりとして分厚く保温性があり, 着心地は快適で摩滅に耐え, 高
地や冷涼な地区に住む各民族が好む衣料である。 紫がかった濃赤色のプルは
主としてチューバ (チベット袍) や, 白族・ナシ族の婦女のチョッキの縫製
に使用され, 黒は主にナシ族の老婦人のチョッキやマントに縫製される。
(b) 羊毛フェルト
麗江の羊毛フェルトも長い歴史を有し, 厚く丈夫なため快適で経済的でも
あり有名である。 用途は羽織るものと敷くものの二種類に大別できる。 色は
赤・白・黒など数種類ある。 羊毛フェルトは古風で質朴な伝統的民族的特色
を持っている。 古代の習俗によれば, 羊毛の絨毯はナシ族の娘が嫁ぐとき欠
くことのできない嫁入り道具で, 娘の 「幸福と吉祥」 を象徴するものであった。
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
(c) 騎馬用座布団
雲南省西北の各民族は昔から馬を歩行に使役していた。 現在は車が多くなっ
ているが, 山区では馬は依然として重要な交通手段であり, 持ち主は馬の鞍
の美観を非常に重視する。 騎馬用座布団は馬の背中に敷くものであるが, 客
間の床に置いたり, 現代のソファに置いてもマッチする。 この種の座布団は
優良な綿羊の毛を使い, 凝った加工が施されている。 それは圧力に強く, 弾
性に優れ, 手触りが柔らかく, 表面が平らで, 丈夫で長持ちするなどの特長
がある。 図案は各民族の伝統的芸術風格を継承・発展させ, 四蝠 (福) 閙寿・
如意白蓮花・蔵八宝・十字花・亀背・棋盤格・七星・孔雀など多くの優美な
ものがある。
ガン シュウ
チン ハイ
これらの製品はナシ族地区以外の四川・チベット・甘 粛 省・青海省など
のチベット族地区で販売され, 多くの外国人観光客も購入する。
ニュウローバー
(d) 牛 肋巴 (前掛け)
牛肋巴にはさまざまな色のプリーツがあり, 牛の肋骨のように見えるた
めこう呼ばれる。 チベット族が最も好む前掛けの素材である。 それは伝統的
な民族製品で, 7∼色の華やかな色糸を織って出来上がったスペクトル状
の色帯で, 雨上りの虹のようである。 これは生地が厚くて手触りが良く, 出
来上がりが凝っており, 色彩が鮮やかで, チベット族やプミ族にも好まれて
おり, 遠方から来た客の縁起の良いみやげ物でもあり, 旅行の記念品にもなっ
ている。
(二) 永寧型服飾
永寧は雲南省寧イ族自治県の北部にある一地域で, ここにはナシ族支系モ
ソ人が居住している。 しかし, ナシ族とは異なる宗教や食生活で, むしろチベッ
ト族に近い。 人口2万人。 モソ族でなくモソ人と呼ぶのは, 中国政府が認定し
たの少数民族の中に含まれていないためである。
( )
「辺境の少数民族社会の発展は緩慢で, 永寧ナシ族は, 元代まで原始母系氏
族共同社会のままで生活していた。 その後, ・・・社会の内部に変化が起こり,
解放前夜 (
年
月1日, 中華人民共和国成立直前を指す・・筆者註) には,
すでに封建的な領主制社会の初期の段階を迎えていたが, 母系制時代の婚姻形
態や家族形態は依然として残されていた。
スーベイ
年の民主改革以前は, 永寧の土地はすべて土司の所有で, 社会は 司沛
ズオチャー
(土司を頭とする貴族階級, 総戸数の5%)・
責 (人民, 総戸数の
%。
オー
土司から受け取る分与地を耕作し, 生産物で納税し, 労役に服した)・俄 (奴隷, 総戸数の
%) の三つの階級に分かれていた。 どの階級にも母系・双
系・父系の三種の家族形態が見られたが, 母系家族が最も多かった。」 (馬寅主
編, , 大要)
特に瀘沽湖周辺の人のモソ人社会は, 昔からの母系家族で知られる。 母
親が中心で子どもは母親に育てられ, 夫妻での結婚生活は存在しない。 モソ人
の男女は恋人同士で, 女性は恋人を何人持っても良い。 女性が歳になると母
親から成人用の衣装であるスカートと帯をもらい身につける。 同時に部屋も与
えられ, 自由に恋愛が出来る。 男性が毎夜女性のもとへ泊まりに行く 「妻問婚」
である。 女性は家系と家庭を守るために休む暇なく働く。 反面男はのんびり遊
んで暮らす。 最近 「妻問婚」 は減り, 同じ家で暮らす夫妻が多くなった。 モソ
人はチベット仏教を信仰し, 文化や衣装までチベット色が強い。 祭りの日は若
い男女の恋人探しが旺盛だ。 美人の女性には多くの男が訪れ, 美男子はあちこ
ちの女性の家を渡り歩く傾向があった。
永寧型服飾は雲南の永寧および四川の塩源・木里などのナシ族モソ人の中で
流行しており, 麗江型との差がやや大きい。
この地区の男女は歳まではみな長衫 (単の長い服) を着ているが, 歳に
チュアン クー リー
チュアン チュン リー
なると盛大な 穿 礼「ズボン着用式・男子」 と 穿 裙 礼「スカート
着用式・女子」 を行い, 成人になったことを示す。 少女の 穿裙礼は母親が
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
儀式を主催し, 男子の 穿礼は母方のおじが主催する。 儀式はまず占い師
が祈りの言葉を述べ, 該当の少年少女が豚肉と穀物の上に立つ。 少年は部屋の
左の柱の傍, 少女は右側の柱の傍に立ち, 別々に儀式が行われる。 彼らは子ど
も用の着物を脱ぎ, 成人の衣装を着用する。 その後, 少年少女は成人と認めら
れ, 異性の友人と交際したり, 社会活動に参加できるようになるとともに成年
としての労働を担う。
1. 男子
永寧ナシ族モソの男子の服飾は付近のチベット族と似ており, 頭にはつば
広の礼帽 (礼装用の帽子) を被る。 上はコールテンまたは毛織物で作られた
黒か, 暗紅か, 茶褐色のハイカラーで右衽, 布ボタンの短いシャツを着る。
下はゆったりした濃い色の長ズボンで, チベット風のブーツをはき, ズボン
の裾はブーツの中に入れる。 腰には広さ約
の黒や赤などの毛織りの腰
帯を締める。
2. 女子
モソの若い女性はお下げを梳いて髷を結う。 髪を梳くとき頭髪に本人の頭
髪の3倍もある牛の尻尾の毛を混ぜ, 一緒に編み込んで上に料珠 (毛織物)
の飾りをつける。 根元には1m余の紺色の絹のリボンを編みこみ, お下げを
頭部でぐるぐる巻きにして円形の髷を作り, 左耳の傍に
の絹のフリン
ジを垂らしたり, イヤリングをつけたりする。
昔, 彼女らは自分で織った白い麻布のスカートを履いていたが, 今はビロー
ドか綿の上前右衽ハイカラーの長袖の短い上着が多く, 色は赤, 深緑, 青な
ど多様で, 襟と衽の縁には薄い色の縁取りをつける。 内着は淡色のハイカラー
の長袖で, その袖は常に外衣の袖口の上に捲り上げられ, 色彩の対比を作る。
衽のボタンには銀鎖などのアクセサリーを垂らす。 下にはmもの布を使っ
た非常に広い白か薄い色の, 中ほどに赤の細い横線が1本入ったプリーツス
カートを着用する。 裾の周囲は9m以上にも達する。 腰には赤と緑の毛織物
( )
か, または彩りの美しいプルで作られたベルトを締め, 銀か銅のブレスレッ
トやイヤリングをつけることを好む。
永寧の婦女はターバンを巻く。 彼女らはターバンが大きいほど美しいとみ
なし, 重さが数斤に達するものもある。 富裕な家の子女も紐でターバンを作
るが, 珊瑚や琥珀の付いたひとつなぎの珠を飾りにし, 金銀の大きなイヤリ
ングをつけ, 絹の衣装の上に銀飾りのついたチョッキを着用し, きわめて華
麗である。
老婦人は頭を黒の大きなスカーフで包み, 黒い服を着ることが多い。
(三) 中甸三型服飾
中甸三のナシ族の衣食住は麗江・寧などのナシ族とはやや異なっており,
多くの古い要素を残している。 解放前には主として自分で火草を交えて織った
麻の衣服を着用していたが, 解放後は普通木綿を着るようになった。
1. 男子
男子は大襟の麻布の長衫か, 衽の広い短い服を着, 麻のゆったりした長ズ
ボンに脚絆を巻き, 裸足。 濃い色のベルトを締め, 腰に火打ち鎌か革のバッ
グを提げ, 帽子をかぶるか, 頭に長いストールを巻く。
老年の男子は上前衽の短い掛子か長衫を着用する。 襟がなく, 胸に赤と緑
の横縞を織り込む。 腰には毛織りの帯を結び, 膝を超える幅広のズボンをは
き, 脚絆を巻く。 草鞋か靴を履くが, 裸足のときもある。 1本のお下げを頭
の上に巻くか, フェルト帽をかぶる。 腰刀と火打ち鎌を持つことを好む。 現
在は基本的には漢装だが, チベット装を着用するものもいる。
2. 女子
婦女は襟元に数本の赤・緑・黄・黒などの横縞を織り込んだ対襟の長衫と,
白いプリーツの麻のロングスカートをはくのを好み, ズボンは履かない。 毛
織りの色帯を締め, 対襟の長衫に七星の装飾のない羊皮を羽織る。 1頭分の
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
羊皮はあまり加工されておらず, 頭部を除いて羊の四肢はみな残っていて古
風な伝統を保持している。 雲形を刺繍した黒い靴か草鞋をはくものが多いが,
裸足のものもいる。 ロングヘアーで, 額の真ん中に一つまみ残してきれいに
両側に梳き, お下げには個から個の円形の銀飾りをつける。 銀飾りには
太陽の図案が彫刻されていて, 頭の周りを回し, お下げに沿って背中に垂ら
す。 結婚後は髷を結い, 銀の垂れ飾りのあるイヤリングおよび太い銀のブレ
スレットをつける。
現在は漢装が多く, プリーツの入った前掛けに羊皮か毛織のマントを羽織
り, 解放帽をかぶる。 少女はショートカットか二本のお下げ, 既婚女性
は頭髪を編んで帽子の下に隠す。 普通はゴム靴か布靴をはく。
娘は開襟の刺繍のある麻の対襟の長衫を着, 黒か赤のチョッキを重ね, 麻
製の細かいプリーツスカートをはき, 腰に毛織りの美しいベルトを締め, 毛
のない白い山羊皮の背当てを羽織る。 これには七星は付いていない。 雲形模
様の黒いブーツをはき, お下げを梳いて頭には銀の円形の飾りをつける。 祭
りや集会のときは普段着の麻を白い上着とスカートに替える。
(四) その他の地区の服飾
バー タン
四川省巴塘南部白松郷にはナシ族人 (年) が居住している。 彼らは
明代後期 (
∼年) の麗江木氏土司統治時代の移民の子孫である。 彼ら
は金沙江沿岸で, 県城まで続く大きな棚田を作り, 紅米を植えていたが, その
後, 木氏土司とともに衰微した。 多数のナシ族が現地のチベット族に融合し,
巴塘一帯のチベット族の半分以上に当たる約2万人余がチベット族に同化させ
ガンズー
られたナシ族であると推測する人もいる。 年, 民族を識別したとき, 甘孜
州上報のナシ族は少なくとも
戸以上であった。
白松郷のナシ族は比較的自己の文化的特徴を保留している。 婦女はピンクの
ブラウスを好み, その上に普通は緑色やコーヒー色の長襟のチョッキを着る。
( )
赤・緑・黄・黒の横縞の前掛けを締め, 真珠貝や銀のネックレスと, 銀かメノ
ウのブレスレットをつける。 お下げにするときは緑の紐を用い, お下げの先に
赤いリボンを結び, その後で銀鎖を巻きつけ, お下げを頭の上に巻く。 その形
は銀の皿を載せているようで, ゆったりとして華やかである。 男子は右開きの
短い上着の外に黒布で縁取りしたプルの長袍を着用し, 腰にはベルトを締める。
髪型は清代の男子の弁髪に似ている。
その他の山区では, 昔は麻の上着とズボンに羊皮のチョッキかマントを着用
するものが多かったが, 数十年来, ナシ族の男女の服飾は生活の改善・向上に
よって伝統的な麻のズボンやスカートは次第に消失し, 平原区・山区を問わず,
各種の生地・毛織物が農家に広く入り込み, 青年男女の多くも内地の都会で流
行しているファッションを身につけるようになった。
第四章
トンパ教の舞踏服と化粧
ナシ族の独自の原始信仰である 「トンパ教」 の 「トンパの踊り」 もその踊り
だけを取り出して観光客向けにショー化しつつある。
トンパの服飾の特徴は頭に 五仏冠をかぶることで, 描かれているのは大
黒天神・大鵬金翅鳥・祖師・七覇王菩薩・大将軍の五神である。 ナシ族のトン
パが仏事を行うときには必ずかぶる法器
である (写真④)。 五仏冠は 五福冠
または 五幅冠とも称され, 布やボー
ル紙・銀片・竹などで作られ, どれも蓮
の花の形を呈し, リボンでつないでかぶ
る。 描かれる 五仏は地域により異な
る。 配列や順序にも相違があり, 蓮の花
だけが描かれているものもある。 赤紫か
金色に塗られる。 五個の冠片の1と2の
写真④ 五仏冠をかぶったトンパ
出所: 雲南少数民族服飾 () ( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
間, 4と5の間にはそれぞれ半円形の小片一枚がはさまれ, 散光と太陽, 蓮紋,
法輪紋または火炎紋が描かれ, 2羽の銀鶴を飾りに加え, 揺れ動くに任せてい
るものもある。 トンパの言うところによれば, 「五仏冠をかぶってこそ神仙の
像が得られる」 のである。 それは 法力を身につけ神仙の威霊を発揚しよう
という潜在意識と結びついていることを意味する。 仏教に源流があり, トンパ
がそれを吸収したものである。 明朝にはすでに存在し, 清代に広範に使用され
るようになったと伝えられ, 現在までトンパ冠の基本的な形を保存している。
常に剣・鼓・杖などの法器とともに使用される。 それに黄, 赤または青などの
右衽の大襟の長衫を着用し, 下には黒か青の長ズボンをはき, 胸に仏珠をかけ
かみおろし
る。 トンパの読経と神卸は装束が一致する。
若干の舞踊には固定した服制があり, 象形文字・経典の挿絵およびトンパの
絵画の情景に見える多くの類型がある。
(一) 早期の服型
1. フェルトのマント
雲南でフェルトが産出されることは, 漢代, 晋代すでによく知られていた
が, 唐宋に入ると人々はみなフェルトのマントを羽織るようになった。
2. 羽冠紋裳
経典
跳神舞踏規定
の巻首には板鈴を持って踊るトンパの姿が描かれて
いる。 頭には鷹の羽と雉の尾をつけたフェルト帽をかぶり, 長い衣装を着用
し, 腰帯を締め, フェルトの靴を履いている。 形は民間の日常着に似ている
が, 紋を有し, 頭には冠飾をつけており, すでにトンパ特有の舞踏服が形成
され始めていたことがわかる。 頭部の羽飾りは遊猟時期に流行していた原始
ランジュウジンジュウ
的で美しい風采を保持している。 同書の戦争の神様 朗 九 敬 九 像は魚皮
龍衣を羽織っている以外は前者と同一の類型に属し, 当時のトンパの跳神装
の一種だった可能性がある。
( )
3. 虎皮装
たが
「裸で裸足, 腰には短い虎皮を巻き, 尻尾を垂らし, 腕と足に丸い箍をつ
け, 髪は三つに束ねる」 のがナシ族原始社会期の特徴であった。 これは古い
占い師すなわち早期のトンパの扮装であったと思われる。 唐から五代に至り,
南詔の民族には虎および虎の衣装を着用することを尊ぶ気風が盛んになり,
その習俗は以後のトンパの冠服に深い影響を与えた。 トンパ文字にはそのた
め虎の皮を着た象形文字ができた。 トンパには内側に郷土の衣装を着, 外側
に虎皮の長掛 (ひとえの長い着物) を羽織り, 虎皮帽をかぶる 虎皮装が
ある。 虎皮帽は前述の羽飾りの変形である。 虎の威を借りて宗教の法力を顕
示しようとするのは, ナシ族およびイ族やその支系ほとんどに見られる普遍
的な現象で, 近世に至っても同様である。 トンパが虎皮装で踊る形象はトン
パの古い絵画に多く保存されている。
(二) 元明服型
1. モンゴル族式冠の影響
モンゴルは元の憲宗3年 () から雲南の大理国を攻め始め, 元兵とと
もに雲南にモンゴル文化が入ってきて, 次第に若干の痕跡を残すようになっ
た。 トンパのつばの広い皮帽子 (あるいはフェルト帽) はモンゴル族式冠に
属し, この時代に出現したと伝えられている。
2. 武士の甲冑
トンパは戦争舞を舞うとき全身に甲冑をつける。 近世には神おろしが多く
見られ, 古画に残された形象も多い。 兜と鎧は元明時期の形に近く, 次の二
つに分類される。
a. 藤兜と皮
薩利伍徳神図
の神座の周囲の神おろしするトンパには藤甲冑と, 牛皮の
ボタンつき甲冑を着用した者がいる。 この二種類の鎧兜は解放前まで使用し
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
ていた地方があった。
b. 鉄片甲冑
中原 (中国の中央地域。 古時, 中国の中心地とされていた黄河中流から下流
にかけての地) の鎧兜の技術を採り入れて鉄片をつなぎ合わせて作る。 古画
には身体の前後に藤か皮, 肩・肘・足に鉄を使った鎧を着けた者が描かれて
いる。 近世にはまだこの実物が存在していた。
(三) 清代までの近代服型
1. 広つばフェルト帽
式帽に似ている。 黒いフェルトで, 中甸一帯で用いられる。 中甸三・寧
・永寧ではこの他につば広のチベット式礼帽が使用される。
2. 法衣と装飾品
トンパが法儀専用に着用する衣服を法衣といい, 主要なデザインには次の
4種がある。
チャンシャンマーグア
a. 長 裳 馬掛
マーグア
長裳とは漢族式の直襟・布ボタン・右衽の布の衣装である。 馬掛 (旧時の漢
族式の短い上着。 長衣の上に着て礼装として用いた) は漢族と同様である。 ま
たナシ型の羊皮の長衫を着用するものもいる。 この種の着方は道教に源流があ
り, ナシ地区に流行した洞経同楽会の服飾と基本的に一致する。
b. 麻か火草布, 綿布 (絹で縫製するものもある) の禅襟の長衫に鮮やかな
ベルトを結ぶ。 ナシ固有の特徴がやや強い。
c. 普段着。 多くは経済的に貧しく東巴服を縫えないため着用する。 しかし,
普段着中の麻や羊皮のマント, 禅襟または真ん中が開いていて襟のない麻布の
衣服は
神路図
のトンパの古装と似通っていて, ナシ族の古い普段着もトン
パの古装の延長であることを証明している。 中甸一帯のトンパの普段着はチベッ
ト式に近い。
( )
d. 鎧兜, 魚皮龍衣, 面具舞の袍など神おろし舞踊の特殊な服飾は前述のデ
ザインと同様である。 ただ鎧兜と龍衣は近世では絵や刺繍で代替し, 皮や鉄の
実物で製作することは少なくなった。
世紀
年代末には上述のそれぞれが並存していた。 靴はフェルトのブーツ,
チベット風のつま先の上がった靴, 布靴, 草鞋などをはいていたが, 裸足の者
も多かった。 アクセサリーは主として首に木・骨・牙・角・石・ガラスなどの
数珠をかけ, 骨や牙, 玉で彫刻した虎や蝙蝠型のアクセサリーをつけ, フリン
ジを垂らす。 トンパ舞踊の服飾については経典の中でも言及が多い。 上述の状
況から見ると, 早期の服飾には古い祈祷師の風格が充満しており, 後の装束は
漢族やその他の民族の影響を受け, 演劇調が含まれる。 それぞれのデザイン,
色調は, 普通, 舞踊の内容と形式が要求するものと一致し, 濃厚な郷土の雰囲
気と芸術的表現力を有し, 舞踊造型の美感を増すことができる。
3. 特殊な化粧−−画顔
雲南の古代民族には 赤と白の土を顔に塗る習俗があり, 近世でも散見
できる民族地区がある。 トンパは舞踊の芸術的効果を高め, 演じる役柄を超
然として神の如く見せ, 鬼を恐れさせ邪を抑えるため色をつけた小麦粉を顔
に塗った。 顔に塗るのは今でも四川省木里俄亜のトンパの跳喪の中に見るこ
とができる。 (楊徳他, , −)
む
す
び
ナシ族は黒と白を尊ぶ民族である。
華陽国志
にはナシ族の祖先を 白モ
ソ夷すなわち 白いヤクをあがめる人と称している。 黒を尊崇するため麗
江のナシ族の服飾には黒が多い。 永寧, 寧のナシ族モソ人は黒と白を兼用す
るが, これはナシ族の祖先が黒虎と白いヤクを尊崇したトーテム崇拝と関連が
ある。 トンパの絵では神廟の門口の右側には黒い虎が, 左側には白いヤクが描
かれている。 民間の門神も同様である。
( )
ナシ (納西) 族の歴史と服飾
上述のように 七星羊皮披背は麗江ナシ族婦女の服飾中では重要な地位を
占めている。 それは伝説によれば青蛙の形を模しているという。 いつ, どのよ
うな理由でこのスタイルが生み出されたのかいまだ定説はないが, これはナシ
族の羊トーテム, 蛙トーテム5) の服飾上における表現であり, ナシ族の祖先・
古羌族の遊牧時期のマント式服飾の痕跡の一種である。 古羌人にはマントに1
頭分の羊皮を使う習俗があり, 七星羊皮披背はその習俗の延長で, ナシ族の神
話伝説には次のように言う。
はるかな昔, ナシ族の始祖・崇仁利恩と天女の紅葆白が結婚し, 天女
は天上からこの世にやってきた。 天女が羽織っていた羊皮の背当ての日月
星の光が下界に行く道を照らした。 それ以来ナシ族の女性は始祖・紅葆
白が天上から持ってきた羊皮の肩当てを 七星羊皮披背として代々伝え
ているのである。 (鐘茂蘭・范朴編著, , )
現在, ナシ族の家具にもこの 披星戴月の装飾がつけられており, ナシ族
特有の符号および象徴となっている。
上述のナシ族の服飾について白庚勝氏は次のように言う。
その特徴を総括すれば, ナシ族の服飾は材質・様式・色彩などの面では
変化を経験し, 髪飾りやイヤリングも絶えず変化しているが, しかし固定
性も明瞭である。
一, 色彩は黒, 紺, 青を重んずる。
二, 材質は毛皮が多い。
三, 形式には上着, スカート, ズボン, 毛織りの内着と外着がある。
四, 髪型は男女および婚前・婚後, 成人前後で分かれている。
) 青蛙トーテム:東巴経中には青蛙を知恵の神とし, 人類の危難の際に人類を救っ
たとある。 そのためナシ人は代々青蛙を尊崇し, 羊皮を蛙型に切って羽織るのであ
る。 七星披肩についている二つの丸は青蛙の目である。 今日までナシ人は青蛙を傷
つけず, 蛙の肉を食べることを許さない。 青蛙を傷つけると災いを招くとみなす。
羊皮の蛙型披肩は青蛙トーテム崇拝の標識なのである。
( )
五, 佩刀をアクセサリーにする。 (白庚勝, , )
他の少数民族と同様, とりわけ青年男子には漢装が増加し, 民族固有の服飾
が廃れつつあるのは残念である。
主要参考文献
(1) 《納西族簡史》編写組 ()
(2) 取材班 ()
納西族簡史
中国の秘境を行く
雲南人民出版社
雲南・少数民族の天地
日本放送出版
協会
(3) 雲南省編輯組編 ()
(4) 馬寅主編
納西族社会歴史調査
君島久子監訳 ()
(二) 雲南民族出版社
概説中国の少数民族
三省堂
(5) 和鐘華調査整理 () 「中甸県三区白地郷納西族阮可人生活習俗和民間文学
状況調査」 雲南省編輯組編
納西族社会歴史調査
(6) 許以僖撰文・挿絵 ()
(7) 楊徳・和発源・和雲彩 ()
(8) 郭大烈編 ()
納西族史
四川民族出版社
軍 ()
() 郭
浄・段玉明・楊福泉主編 ()
() 李国文 ()
東巴文化辞典
() 郭大烈 ()
納西族風情録
中央民族大学出版社
() 華梅著
納西族風俗志
施潔民訳 ()
力 ()
五千年の歴史を検証する
雲南の少数民族
里文出版
雲南人民出版社
() 宋兆麟・高可主編 ()
中国民族民俗文物辞典
() 鐘茂蘭・範朴編著 ()
中国少数民族服飾
() 馬銀文編著 ()
白水社
中央民族大学出版社
中国服装史
雲南民族包
雲南人民出版社
四川民族出版社
中国の少数民族を訪ねて
() 萩野矢慶記写真集 ()
() 陳
雲南少数民族概覧
雲南教育出版社
() 市川捷護・市橋雄二 ()
() 白庚勝 ()
文化芸術出版社
民族出版社
() 劉
少数民族服飾
中国電影出版社
納西族古代舞踏和舞譜
納西族研究論文集
(9) 郭大烈・和志武 ()
(三) 雲南民族出版社
中国少数民族婦女頭飾
中華民族芸術大全
中国紡織出版社
中国三峡出版社
白帝社