1998 - OPUS 4

Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
政治的フロム
一一省E
動的コミュニケーション理論へのパラダイム転換一一
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国際基督教大学大学院
行政学研究科提出博士論文
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rtheDegreeofDoctorofPhilosophy
岡崎晴輝
Okazaki,
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1998年 12月 14日
December14,
1998
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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教師でも子どもでも、実践することによってだけ自分を変えていくことができる。
授業は、そういう意味での実践の場である。
一一斎藤喜博
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Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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審査委員会メンバー
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教授否認I~~ムム c!1J; ý
安積仰也
教授
承認署名
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副査
松揮弘陽
教授
承認署名
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副査
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紀勝
教 授 問
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千葉県
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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目次
第1
章序論
第 1節
先行研究史一一フロムと批判理論
第 2節
問題設定一一政治的フロムのアクチュアリテイ
第 2章初期フロムの分析的社会心理学
第 l節
[1]
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
[26]
問題設定一一分析的社会心理学の政治理論的含意
第 2節分析的社会心理学の方法と課題
第 3節
分析的社会心理学における「政治jの概念
第 3章 本 能 理 論 の 放 棄
第 1節
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[55
]
問題設定一一本能理論の放棄、
そのコミュニケーション理論的特質
第 2節 本 能 理 論 の 放 棄
第 3節
第 4章
能動的コミュニケーション理論
民主主義の自己批判
・・・・・・・・・・・・・・・・・
[85]
第 l節
問題設定一一 f
自由からの逃走jの民主主義理論的有意性
第 2節
自由からの逃走
第 3節
民主主義の自己批判と能動的コミュニケーション理論
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第 5章 参 加 民 主 主 義
第 l節
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[
1 18]
問題設定一一致治的フロムと倫理的フロム
第 2節参加民主主義の構想、
第 3節 参 加 民 主 主 義 の 倫 理 的 基 礎
第 6章 結 論
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[148
]
第 l節 総 括
第 2節
現代批判理論におけるフロムのアクチュアリテイ
「原理的論文Jについて
補論
第 1節
・・・・・・・・・・・・・・
[
160]
問題設定一一「原理的論文Jの位置づけ
第 2節 二 つ の 「 非 連 続 性j
引用文献
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
[
174]
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第 1章 序 論
第 1節
先行研究史一一フロムと批判理論
1960年代後半以降、フランクフルト学派の批判理論への関心が高まった (
1
) 。そ
年代後半の学生叛乱なしには考えられない。ラデイカルな学生・
のことは、 1960
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) を舞台に
知識人たちは、フランクフルト社会研究所(I
活躍した一群の思想家のなかに、批判の根拠を求めていったのである。なかでも、
新左翼の「教祖jヘルベルト・マルクーゼ (
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) の影響は絶大だった。
たしかに、批判理論への関心は、多分に気分的なものだ、ったといえるかもしれな
い。しかし、学生叛乱の挫折後、批判理論に関する学問的研究が続々と登場した
のである。このことは、第一次世界大戦後のドイツ革命の挫折の後に、アカデミッ
クなマルクス主義研究が起こったことと軌をーにする事態であったといえるかも
1973年)が、その先駆的
しれない。マーテイン・ジ‘ェイの『弁証法的想像力 J (
な研究であることはいうまでもない (2)
0
1980年代以降は、こうした事情に加えて、
フランスの「ポストモダン Jの影響のもとに、批判理論への関心が高まっている。
ここでの中心は、
『啓蒙の弁証剥
(
1947年)を著したマックス・ホルクハイマー
(MaxH
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) とテオドール・アドルノ (
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rAdorno) であり、
「ポスト
モダン jの論敵としてのユルゲン・ハーパーマス UurgenHabermas) である。
一般には、批判理論の金字塔は、ホルクハイマーとアドルノの『啓蒙の弁証法』
であると考えられているようである。たしかに、批判理論史において果たした
「座標軸 j としての役割を考えるならば、そうした位置づけに根拠がないわけで
はない。しかし、しばしば指摘されているように、 1930
年代の「初期批判理論」
年代の
と1940
f
啓蒙の弁証法j とのあいだには「断絶」があり、 I
啓蒙の弁証法』
には、多くの批判が寄せられている。
たとえば、ハーパーマスは『近代の哲学的ディスクルス J (
1985
年)において、
f
啓蒙の弁証法j が「第二次世界大戦の最も暗い歳月 j を背景に「歯止めのない
[
1
1
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理性不信Jに陥っていることを指摘している印 。 批判は、批判自身の妥当性の
基礎である理性に向けられることによって、全面的になる」刷 。こうした「全面
的批判」のため、理性は理性の基盤そのものを掘り崩しかねない。ハーパーマス
は
、
「ホルクハイマーの仕事の展開について J (1986年)では、このことを「理
性の自己関係的批判のアボリア J仰と呼んでいる 。ただしハーパーマスは、ホル
クハイマーが依然として「理性Jにたいする両義的な態度をもっており、そのこ
とが『啓蒙の弁証法jのホルクハイマーの章とアドルノの章とのニュアンスの相
違になっていることも指摘している。
現代批判理論の旗手アクセル ・ホネット (
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) は「アドルノからハー
パーマスヘ一一批判的社会理論の変容について J (1979年)において、こうした
『啓蒙の弁証法』の理性批判に二つの帰結が伴っていたことを指摘している向。
一つは「アドルノの難解な文体」である。
r
道具的理性j を批判したアドルノに
は、エッセイという文体しか残されていなかったというのである。ホネットは、
それを「アドルノの文体上の保守主義」と名づけている。ホネットは、もう一つ
の帰結として、政治的実践の諦めを指摘している 。
マルクス主義は常に、プロレタリアートの経験を通して、政治的実
践を志向しているが、そうした政治的実践は、アドルノの批判理論
には考えられなかった。支配に関して本当に批判的な洞察をするた
めの条件を創造するのは、現実を模倣的に (
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) 把握するこ
とだけであるが、しかしこれらは、個人的な芸術的努力によってし
か対象化されえない。例
ハーパーマスやホネットの現代批判理論は、美学・哲学から政治=社会理論
(
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) へと転回し、
しかし、
『啓蒙の弁証法j と鋭い対照をなしている。
『啓蒙の弁証法j と鋭い対照をなしているのは、なにもハーパーマスや
ホネットの批判理論だけではない。すでに、批判理論家の一人エーリッヒ・フロ
ム (
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hFromm) が
、
『啓蒙の弁証法j とは別の
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もう一つの J批判理論J(
8
)
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2
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を築いていたのである。そしてそれは、戦後アメリカの政治的ラデイカリズムの
960年代半ば
一つの原動力になっていったのである。 しかし、興味深いことに、 1
を境に、 フロムの名前は急速に忘れられていくのである。
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) は、博士論文『正統派からの逃走一一
ニール・マクラフリン (
エーリッヒ・フロムの盛衰の知識社会学的分析』
(
1996年)において、 アメリカ
におけるフロムの「盛衰Jを、知識社会学的に分析している問。マクラフリンは、
引用分析の手法を用いつつ、 しかもフロムに近い知識人と比較しつつ、 フロムの
「思想」が精神分析、 マルクス主義、社会学、社会批評の「正統派」の議論のな
かに吸収されていったこと、にもかかわらず、特に精神分析とマルクス主義にお
いてフロムの「評価jが衰退していったことを、説得的に論じている。そして、
そうした衰退の要因を、 フロムが「制度的基盤」
(
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) を持たなかっ
、
たことに求めている。マクラフリンによれば、 フロムの「マージナリティ Jは
生産的な「正統派からの逃走」を可能にすると同時に、
f
正統派Jがフロムをセ
クト的に排除することをも可能にしたというのである。
しかし近年では、 フロムを批判理論のなかに位置づける研究も現れている。 ア
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) やスティーヴン・エリック・
メリカでは、 ダグラス・ケルナー (DouglasK
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) が、批判理論家の一人としてフロムを論じてい
プロンナー (
1
9
8
9年)におい
る{川。ケルナーは『批判理論、 マルクス主義、 モダニティ j (
て
、
「批判理論の発達の初期段階におけるフロムの重要な役割は、ほとんどの解
釈者によって過小評価されてきた。彼の貢献は、 これまでよりもかなり詳細に研
究されるに値する J(11) と述べている。 プロンナーも「アメリカにおけるフロム j
(
1
9
9
4年)において、
「ホルクハイマーは別にして、 フロムは、 フランクフ lレト
学派の初期における最も重要な理論家であった J問 と述べている。
990年代に入札 フロムと批判理論(フランクフルト学派) とい
ドイツでは、 1
う主題を扱った二つの研究論文集が公刊されている問。その他にも、主として教
育学の分野で様々なモノグラフが現れているカ~-(14) 、なかでもプルクハルト・ピア
B
I
ホフ (
の教授資格試験論文 f
エーリッヒ・フロム j (
1993年)
) 。 ピアホフは、 フロムの教育
は
、 ドイツにおけるフロム研究の金字塔であろう(15
[
3
]
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社会学的合意(第 3章)について議論する前に、初期フロムと社会研究所(第 1
章)、フロム・マルクーゼ論争(第 2章)について、詳細に論じているのである。
アクセル・ホネットも「批判理論J (
1987年)において、初期批判理論の構想を
実現したのは、ホルクハイマー、アドルノといった「インナー・サークルjでは
なく、ノイマン、キルヒハイマー、ベンヤミン、後期フロムといった「アウター・
サークル Jであると論じ、ハーパーマスの「コミュニケーション的行為の理論 j
をそうした「アウター・サークルJの伝統に繋げている(1針。
日本でも、たしかに、フロムの著作、特に『自由からの逃走 jゃ f
愛するとい
うこと jは、数多くの読者に読み継がれている(17) 。しかし、徳永'陶が指摘してい
るように (18) 、フロムとフランクフルト学派とでは、日本への「紹介jの経緯が異
なったために、フロムをフランクフルト学派の文脈において捉えること自体が
「奇異の感を与えるほどj になってしまった。そうしたなか、フロムをフランク
フルト学派の文脈において採りあげた先駆者は、アドルノのもとに留学した徳永
怖である (19) 。しかし、徳永が f
現代批判の哲学 J (
1974年)の「あとがき j に
おいて「最後のフロム論は、いわば全体の補論とも言うべきもので、フロム自身
か清三者[ルカーチ、ホルクハイマ一、アドルメ]に並ぶものと考えられてはい
ないJ聞と留保を付していたことも、見落とすことはできない。しかし、その徳
永も
f
初期批判理論と精神分析一一1930
年前後の社会研究所における思想的絵模
様J (
1994年)においては、ヴイガースハウスの研究に触発されて、フロムが初
期批判理論において大きな役割を果たしていたことを論じている刷。そこにおい
て徳永は、マルクーゼやアドルノを「傍流Jとさえ呼んでいるのである。しかし、
後期フロムに関しては、依然として「フロムの側、アメリカの現実に適応した形
での、フロイト修正 J(22) と述べており、俗流フロム像から自由であるとはいいが
たい。他方、出口剛司は、
「希望Jゃ「倫理 Jといった個別研究にとどまるとは
いえ、後期フロムをフランクフルト学派との関連において論じる論文を発表し始
めている {Z310
しかし、こうしたフロムの復権は緒に就いたばかりであり、
「フロムと批判理
論Jにとどまらない「フロムの批判理論j について十分に論じられているとはい
[
4
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いがたい。そのことは、ジ、エイ・パーンスタイン UayB
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n
) 編集の論文集
f
フランクフルト学派一一批判的評価 J (
19
94年)に反映している例。そこに
は、フロムに捧げられた独立したセクションはなく、
「マルクーゼ(フロム) J
という、フロムの徴妙な位置をよく表している表題のセクションがあるにすぎな
い。たしかに、フロムが社会研究所に在籍した期間が短かったことを考えるなら
ば、こうした位置づけは、あるいはやむをえないことなのかもしれない。しかし
我々は、フロムが 1
930年代の「初期批判理論」ないし「学際的唯物論j において
「長い間、理論的に最も重要な共同研究者J(25) であったことを無視することはで
きない。そして、更に重要なことであるが、フロムが社会研究所を離れた後も、
その生涯を批判理論の発達に捧げたことを無視することはできない。
疑いなく、こうしたフロム軽視の背景には、フランクフルト社会研究所の同僚
のフロム批判がある。フロムを激しく批判したのは、アドルノである。意外に聴
こえるかもしれないが、アドルノは、 1
930年代中旬までは社会研究所の所員には
なってはいない倒。徳永悔は、アドルノは初期批判理論の「傍流Jであったとさ
え言い切っている (27) 。しかし、このアドルノが参加したことは「フランクフルト
学派の仕事の色調が決定的に転換した J附ことを意味している。フロムが社会研
究所を離れたのは、アドルノとの対立のためであったとさえ言われている。ここ
で、ヴイガースハウスも紹介している、 1
936年 3月2
1日付けのアドルノのホルク
ハイマー宛の手紙は、フロムとアドルノの関係を知るのに最も適した、第一級の
史料であるといえるであろう。
[フロムは私を]フロイトを擁護するという逆説的な状況に追い
込みました。・・・・・・我々のように、フロイトを左から批判しよう
とする時には、そういう「やさしさの欠如」といったパカな議論
を口にすべきではないのです。それはまるで、ブルジョア個人主
義者たちがマルクスにたいしておこなうようなやり方です。私は
この論文のなかに、この紀要の路線に対する重大な脅威を感じる
ことを、あなたに言わずにはいられません。そして、あなたにふ
[
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1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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さわしいと思うようなかたちで、私の非難をフロムに伝えていた
だければ、ありがたいです。附
こうしたフロム批判を、アドルノは 1946年の講演において、公然と口にしてい
る(30) 。ただしフロムは、この講演をもとにしたアドルノの論文を読んでいなかっ
たようである。フロムは、ジ‘ェイ宛の手紙において「アドルノの論文を読むこと
に非常に興味がありますが、これまで読んだことはありません J (
1971b.S
.
254-255) と証言している。フロムがアドルノに応答することはなかった。
これにたいして、フロムとフランクフルト学派との対立を誰の眼にも明らかに
したのは、なんといっても、マルクーゼのフロム批判であろう。マルクーゼは、
雑誌 f
デイセント J (
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) を舞台としたいわゆる「フロム・マルクーゼ論争」
において、
「新フロイト派修正主義J (
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) に批判を加えた
のである (31) 。マルクーゼの批判には、幾つかの論点があるが、最も重要なのは、
フロムが本能理論を放棄したために、社会の外から批判する基準がなくなり「コ
ンフォーミスト j になったというものである。マルクーゼの批判にたいして、す
ぐにフロムは『デイセント j に「本能主義的「ラデイカリズム jの人間的合意」
を寄せ、マルクーゼがフロイトを誤読していること、フロムがいわゆる「修正主
義Jではないことを論じた問。その後、マルクーゼの「エーリッヒ・フロムへの
応答」と、それにたいするフロムの「再反論 Jが
f
デイセント j に載せられてい
る(33) 。この論争は、これで終わったけれども、フロムは折りに触れて、マルクー
ゼに批判を加えている。たとえば、最晩年の著書 f
生きるということ J (1976年)
では、フロムは、マルクーゼが「成熟への発達ではなく子供への復帰が、社会主
義と革命の最終目標であるとする便利なイデオロギーを生みだした J (
1
9
7
6
a
.p
.
75.110頁)と批判している。
しかし、フロムの反論にもかかわらず、マルクーゼのフロム批判は、大きな影
響力を持ってきたのである。たとえば、ポール・ロビンソン (
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)は
f
フロイト左派 J (1969年)において、フロムが「政治的にはフロイトよりも左
に立っている Jことを認めつつも、フロムは「頑迷な性的保守派Jであるとして
[
6
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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「フロイト左派」に加えることに難色を示した(制。ラッセル・ジヤコビ (
R
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J
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y
) も『社会的記憶喪失J (
1975年)において、マルクーゼと同様のフロム
l
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h
)は
、
像を提示している附。ドイツのベルナルト・ゲルリッヒ (BernardGりr
マルクーゼに与しているわけではないが、マルクーゼ的フロム像を描いている代
表的研究者である (36) 。
こうしたなか、ユルゲン・ハーパーマスは、フロムをそれなりに評価している
ようにみえる o たとえば、ハーパーマスは、マルクーゼとのインタビューにおい
て、フロムが初期批判理論において大きな役割を果たしていたのではないのか、
とマルクーゼを問いただしている (37) 。しかし、リッカートが指摘しているように
側、ハーパーマスは、フロムの後期の著作にたいするマルクーゼの読解に挑戦し
ているわけではなく、そうした読解が初期の仕事の評価に影響を与えていること
を示唆しているにすぎない。
こうしたフロム像に異議を唱えたのが、ジョン・リッカート UohnR
i
c
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t
)の
19
86年)である問。この論文は、テキ
論文「フロム・マルクーゼ論争再考J (
986年
サス大学のダグラス・ケルナー教授の指導の下に執筆されたものである。 1
理論と社会j に掲載されている o 不幸にも、リッカートは亡
には、修正を加え f
フロムと批判理論』
くなり、その後、国際エーリッヒ・フロム協会の年報 f
(
1
9
9
1年)に、ドイツ語訳が掲載されている。パーンスタイン編集の『フランク
1
9
9
4年)にも、
フルト学派一一批判的評価 J (
『理論と社会j版が収められてい
る
。
この論文でリッカートは「マルクーゼが、フロムの後期の思想の非常に歪んだ
解釈を提示している」州ことを批判している。まず、リッカートが批判するのは、
マルクーゼが「新フロイト主義者j を一体として扱い、マルクス主義者であるフ
ロムと、マルクス主義者ではないサリヴァンやホーナイとあいだの相違を無視し
ていることである例。そのうえで、フロムが本能理論(リピド一理論)を放棄し
たにもかかわらず、生涯にわたって批判的で、ありつづけたことを、フロムのテク
ストに基づきつつ、丹念に論証しているのである。リッカートは、論文の冒頭に
おいて、自らのテーゼを提示している。
[
7
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
特に、私が言いたいのは、マルクーゼたちとは反対に、リピドー
理論の放棄はフロムの思想において重要な移行ではあるが、その
ことは、フロムがラデイカルな理論家からコンフォーミストの理
論家になったことをしめすものではない、ということである。反
対に、フロムは、 1
930
年代初頭からその死にいたるまで、一貫し
て批判的な社会心理学を発展させたのであり、その中心的な目標
は、リピドー理論が断念された後でさえも変わらなかった。
第 2節
(
4
2
)
問題設定一一政治的フロムのアクチュアリティ
リッカート論文は、マルクーゼのフロム像を覆し、批判理論においてフロムを
復権させた画期的論文であった。しかしこのことは、リッカート論文の根幹に問
M
i
c
h
a
e
lWeber)
題がないことを意味しない。たとえば、ミヒヤエル・ウェーパー (
は「フロム・マルクーゼ論争の社会的レレヴァンス J (
1
9
9
1年)において、リッ
カートが「多大の貢献j をなしたことを認めつつも、リッカートが「フロムとマ
ルクーゼがその理論の合意・帰結において両立しえないことを見落としている J
附と批判を加えている。ウェーパーは、リッカートがフロムを批判理論へと近づ
けたがっているという印象を受ける、ということを指摘することも忘れない(州。
私は、ウェーパー論文は、リッカート論文を踏まえつつ、フロム研究を押し進め
ようとする好論文であると考えるが、しかし本稿では、フロムとマルクーゼの異
同という難問に立ち入ろうとは恩わない。
本稿で私は、初期フロムと後期フロムという視座から、リッカート論文の難点
を乗り越えることを試みることにしたい。私の理解では、リッカート論文は、マ
"
1きすられ
ルクーゼの問題設定にヲ:
tいるため、本能車論の放棄はす白ム止街をも
たらしたのか、という聞いに答えることができない。マルクーゼの批判は、要す
るに、フロムは本能理論を放棄したためにコンフォーミストになった、というも
のである。これにたいして、リッカートは、フロムは本能理論を放棄したにもか
[
8
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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かbらす「ラデイカル」ないし「批判的」でありつづけた、と反論したのである。
両看は、鋭く苅立するよう止みえて、実は、同一の問題設定を共有している。リッ
カートのように、マルクーゼのフロム批判に受動的に応答しただけでは、第一に、
フロムは本能理論の放棄によっていかなる地平を切り開いたのか、明らかにする
ことはできない。しかしそれでは、第二に、フロムをマルクーゼの地平にまで後
退させることによって、現代批判理論におけるフロムのアクチユアリティをみえ
なくさせてしまうであろう。なによりも、なぜあえてフロムなのか、という根本
的な疑念を引き起こすことになるであろう。
たしかに、リッカートも後期フロムへの変化を無視しているわけではない。リッ
カートは「このプロジェクトはリピド一理論の放棄によって断念されたわけでは
なく、著しく高められたのだと、フロムは論ずるであろう」州と述べている。し
かし、マルクーゼに反論するという論文の性質上、この一文だけの示唆にとどまっ
ている。それゆえ、リッカート論文は、後期フロムを特徴づける「政治的フロム J
(ライナー・フンク)を説明するにはいたっていない。
この「政治的フロム j については、フランクフルト学派の研究者のあいだでは、
ほとんど採りあげられない。おそらくそのことは、フロムが政治化したのが、フ
ロムが社会研究所を離れた後であったことに起因しているのであろう。しかし、
フロム研究者のあいだでは、詳しく論じられることはないとはいえ、周知の事実
H
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tJ
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h
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)が
である附。ドイツ語圏では、すでにヘルムート・ヨハッハ (
f
分析的社会心理学と社会批判的人間主義一一エーリッヒ・フロムのアクチュアリ
ティー J (1982年)において、
『愛するということ jや『生きるということ』に
よるフロム受容にたいして、フロムの政治心理学、平和運動、人間主義的社会主
義論、参加民主主義理論などに注意を促している問。ヨハッハは、この論文を
f
分析的社会心理学と社会批判的人間主義一一エーリッヒ・フロムの思想入門 j
(
1986年)へと膨らませている州。ライナー・フンク (
R
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e
rFunk) も『エー
リッヒ・フロム{人と思想 1J (1983年)において「政治的フロム J (
p
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Fromm) について語っている州。フンクは「倫理と政治一一エーリッヒ・フロム
の政治的ラデイカリズム J (1990年)という講演もおこなっている側。英語圏
[
9
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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でも、ゲルハルト・ナップ (
G
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dP
.Knapp) が『評伝エーリッヒ・フロム』
(
1989年)において「政治思想家としてのエーリッヒ・フロム J (
E
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hFromm
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sap
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lt
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k
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r
) について語っている刷。すでに言及したスティーヴン・エ
リック・ブロンナーの「アメリカにおけるフロム J (
1994年)は、短い論文であ
るとはいえ、フロムが「合衆国の戦後の知的・政治的生活に及ぼした重要性と重
大な影響J(52) を論じた好論文である。
実は、リッカートも「政治的フロム Jを見落としているわけではない。しかし
リッカートは、フロムが生涯にわたって政治的であったかのような書き方をして
いる。
f
フロムは最後までラデイカルな政治にコミットしつづけた J(53) 。しかし、
フロムの「発達を最も大きく規定した事件」が第一次世界大戦であったにもかか
わらず (1962a,p
p
.5
9,10・
14頁)、フロムは、生涯にわたって政治的であったわ
けではなく、長い間、政治と距離を置きつづけていたのである刷。フロムは、
1962年)において、以下のように述べて
仁思想的自伝Jである『疑惑と行動 J (
いる。
(父の庖で働いていた社会主義者と政治の話をしていた )11歳な
いし 12歳のころから現在にいたるまで、私は、政治に強い関心を
もちつづけてきたが、同時に、政治活動には気質的にむいていな
いことも自覚してきた。
(1962a,p
.1
0,16頁)
しかし、 1950年代中旬以降、フロムは政治化する。
f1955年の『正気の社会 j
の公刊とともに、フロムは、アメリカの政治の舞台でますます能動的な役目を果
たすようになった J(向。その象徴的事件は、フロムが「アメリカ社会党・社会民
主連合J
(SP-SDF) に入党し、綱領「人間を取り戻すために J
(1960年)
を執筆したことである。まもなくフロムは、党の官僚主義に失望し、党から離れ
ることになったが、しかし、フロムの政治参加はこれで終わったわけではない。
フロムは「コレスポンデンス・コミッティ」ゃ「正気の核政策のため国民会議 J
(SANE) をはじめとする平和運動に関わっていったのである刷。
1957年に
[
1
0
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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設立された SANEは、フロムの『正気の社会 J (
T
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o
c
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e
t
y
) にちなんで
いることからも分かるように、フロムの影響は絶大だった問。アメリカの外交政
策について論じた『人間の勝利を求めて J (
1961年)では、ソビエト連邦も「保
守的な官僚制国家 Jであるとし、
「管理による全面軍縮」を提言している。フロ
ムはまた、アメリカのニュー・レフトである「民主的社会を求める学生同盟」
(SD S) に大きな影響を与えたといわれている側。ベトナム戦争に反対し、
1968年には、民主党のユージン・マッカーシ一大統領候補の応援に奔走したので
ある。
すでに指摘したように、リッカート・テーゼでは、なぜ後期フロムが政治的に
なったのか、説明することができない。それでは、我々は、いかに説明すること
ができるのであろうか。ここで、 ドイツ語版
f
フロム全集jや f
フロム遺稿集 j
の編集者であるライナー・フンクの解釈に耳を傾けてみよう。フンクは、フロム
の標準的伝記である『エーリッヒ・フロム[人と思想] Jにおいて、
「政治的フ
ロム Jの要因として、フロムのメキシコ移住ということを指摘している。
1949年のフロムのメキシコ移住とともに始まったのは、精神分析
研究所を設立するという、先例のない実験だけではなかった。
1950年代初頭にフロムは、社会的・政治的問題にたいする関心を
高め、ついには、新しい社会のビジョンを必要とするにいたった。
疑いもなく、これには、メキシコの新しい生活空間が一役買って
いた。ここでフロムは、アメリカ社会と産業文化一般とにたいし
て、必要な距離を保った。メキシコからは、資本主義経済・社会
秩序と「アメリカ的生活様式j との関係を、より精密に見通すこ
とができたのである。
(
5
9
)
私は、こうしたフンクの解釈を無視することはできないように思う。というの
は、フンク解釈は、フロムの核心の一つであるマージナリティの問題に触れてい
るからである。しかし、フンクの解釈には、一つの難点があるといわざるをえな
[
l
1J
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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い。すなわち、フンクの解釈では、ユダヤ人、マルクス主義者、亡命知識人とし
てそもそもマージナルマンであったフロムが、なぜ晩年になって政治化したのか、
説明することができない。我々には、別の解釈が必要であろう。ここで私は、そ
の手がかりとして、フロム自身が『疑惑と行動j に書いている回想を引用してお
くことにしたい。
アメリカ社会党に入党し、平和運動に能動的 (
a
c
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v
e
) になる近年
まで、私は、いかなる政治活動にも参加しなかった。私が政治活
動に参加したのは、私の能力についての意見が変わったためでは
p
a
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e
)な
ない。自ら破局にむかつている世界のなかで受動的 (
ままではいけないことを、私の義務であると感じたためである。
ここで私は、義務感以上のものもあったことを急いで付け加えて
おきたい。我々の世界がますます狂気に満ち、非人間的なものに
なればなるほど、人間的関心を共有しあう男女とともにあり、と
もに働きたいという欲求を感じるかもしれない。私は実際に、そ
うした欲求を感じたのである。幸運にも協力することになった人々
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i
o
n
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i
p
) を得たことに
と刺激しあい、励ましあう交わり(c
感謝している。
(1962a,p
.10,16
頁)
この回想のなかに、我々は、二つの契機を読みとることができるであろう。一
つは「義務感Jの契機であり、もう一つは「人間的関心を共有しあう男女ととも
にあり、ともに働きたいという欲求 j の契機である。ここで、後者の契機が、い
わゆる本能理論の放棄と関連していることを見落とすわけにはいかない。ここで、
再びマルクーゼとリッカートの問題設定に還ってこざるをえない。フロムは、本
能理論を放棄 I
I
とため止政治的止まる 1
どの壱はまいのだろうか。私は、この暫定
的テーゼを本稿の「導きの糸j として設定したいと思う。
フロムは、徳永拘が指摘しているように側、マルクーゼの
f
政治的ラデイカリ
ズム Jにたいして「倫理的ヒューマニズム j としてイメージされてきたように思
[
1
2
J
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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われる。本稿で私は「政治的フロム j像を提示し、このイメージに異議を唱える
ことにしたい。しかしここで私は、フロムを倫理的ヒューマニズムではなく政治
的ラデイカリズムの思想家として解釈したいのではない。むしろ私は、こうした
二者択一の問題設定を疑問に付し、フロムの倫理的ヒューマニズムにおける政治
的多タ Jカ1
)文ム、フロムの政治的ラデイカリズムにおける倫理的ヒューマニズ
ムということを明らかにしたいと思う。フロムの以下の言葉は、こうした我々の
問題設定が間違いではないことを示唆しているであろう。
r
真の人間的ラデイカ
リズムのない政治的ラディカリズムは、災難しかもたらさないであろう j
(1992a,p
.1
2
7
)。
ただし材高では、第一に、フロムの政治活動それ自体ではなく、政治理論に対
象を限定したい。しかも、その中心は民主主義理論であり、エコロジーやフェミ
ニズムといった諸問題を直接に論じることはしないであろう (61) 。第二に、時期的
にも『正気の社会 j までに限定することにしたい。というのも、いわゆる「フロ
ム・マルクーゼ論争」において、マルクーゼが批判を加えることができたのは
f
正気の社会j までだからである。マルクーゼは、第一論文においては f
正気の
社会j に言及しておらず、第二論文においてはじめて『正気の社会』に言及して
いる。本稿において私は、リッカートのマルクーゼ批判を発展させようとしてい
るのであるから、こうした限定は、ルールに則ったものであろう。しかし、
『
正
気の社会 j 以降の著作でも、理解を助けるかぎり、それと断ったうえで言及して
いくことにしたい。
こうした二つの限定をすることは、具体的には、フロムの反核運動・思想を扱
わないことを意味する。このことは、学問的厳密性を考えてのことだけではない。
フロムの反核運動・思想を扱わないのには、対象に即した理由がある。フロム自
身が f
人間の勝利を求めて jの「日本版への序文Jで認めているように (1961a,
i頁)、核戦争の問題は「それにその他すべてがかかっている唯一の課題jであ
る。したがって、その他の諸問題と同列に論じることはできない。それを一緒に
してしまうことは、フロムの反核運動・思想、を、フロムの政治理論一般のなかに
僻商してしまいかねない。本稿で私が、フロムの反核運動・思想、を扱わないのは、
(
1
3
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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その重要性を否定しているからではなく、逆に、その重要性を認識しているから
にほかならない。フロムの反核運動・思想は、本稿とは独立して、別に考察され
るべきものであろう。
ここで、方法について一言しておくことにしたい。本稿で私は、コンテクスト
に深入りせずに、フロム自身のテクストを内在的に理解することを心がけること
にしたい。私も、コンテクストを調べることがテクストを理解するうえで有益で
あることを認めないわけではない。しかし、そうした方法は、ともすれば「情報J
に集中し、テクストとの対話を蔑ろにする危険がないとはいえない。そしてその
ことは、フロム自身が戒めたことでもある。
多くの事実を知れば知るほど現実の知識に到達するという、哀れ
な迷信が広まっている。数百のバラバラの無関係な事実が、学生
の頭のなかに詰め込まれる。彼らの時間と労力は、より多くの事
実を学ぶことに費やされるので、考える暇はない。たしかに、事
実についての知識のない思考は、空虚で架空のままである。しか
し「情報」だけでは、それがないのと同様に、思考の障害になり
うる。(I941a,p
.2
47,273頁)
コンテクストへの深入りを自戒するのは、フロム研究に起こりやすい危険を避
けるためでもある。フロムの生涯をたどる時、我々は、様々な思想家に出会うこ
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z
) との対
とになる。フロムは、ハンス・ユルゲン・シュルツ (HansJ
談では、インスピレーションを受けた書物として、預言書、マルクス、バッハオー
フェン、仏教、そしてフロイトの名前を挙げている(I983a,S
.125-132,166・
177
頁)。フロムはまた、 20
世紀を代表する鋒々たる思想家たちとも接触している。
たとえば、フロイト・マルクス主義者のヴイルヘルム・ライヒ。フランクフルト
学派のマックス・ホルクハイマー、テオドー jレ・アドルノ、ヘルベルト・マルクー
ゼ。新フロイト派のカレン・ホーナイ、ハリー・スタック・サリヴァン。禅仏教
を世界に広めた鈴木大拙。
r
脱学校の社会j で知られるイヴァン・イリイチ。こ
[
1
4
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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れ以上、名前を連ねる必要はあるまい。フロムを中心に、一つの 20世紀思想史が
描けるといっても過言ではない。
こうした事情は、思想史を専門とする研究者の眼には、極めて魅力的に映るで
あろう。その魅力は、しかし同時に、フロム研究に行き渡っている一つの危険と
裏腹ではないのだろうか。それは、ライナー・フンク (62) やヘルムート・ヴ、エーア
(
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tWe
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) (63) に典型的なのだが、フロムという思想家を様々な「源泉J
(
Q
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n
) に解消しかねないことである。もちろん私は、フンクやヴェーアがそ
うした解釈をしているなどと言っているわけではない。伝記という事情も考慮す
べきであろう。私が言いたいのは、コンテクスト重視の方法には、こうした危険
が伴っている、ということにすぎない。本稿で私は、こつしたフロム研究の現状
を考え、あえてテクスト重視の方法をとっているのであり、コンテクスト重視の
方法それ自体を否定しているわけではない。
このようにコンテクストへの拘泥を戒めたからといって、テクストに内在する
ことができるとはかぎらない。これまでのフロム研究には、フロムのテクストを
粗雑に整理し、恋意的な批判を加えているものも少なくない。私は、
「教育」
(
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) とは「ヲ│きだす J (
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e
) ことである、というフロムの規範的
「教育jの概念に注目することにしたい (
c
.
f1955a,p
.3
46,516頁)。私は、フロ
ム的意味での「教育者Jとして読むことを心がけ、フロム自身を聞いただし、フ
ロム自身でさえ気づいていない「可能性」を「引きだすJことを試みることにし
たい。もちろんそのためには、具体的な「方法Jが必要であろうが、しかしここ
で私は、そうした「方法Jを一般的に提示することは、意図的に避けることにし
たい。
次に、本稿の構成を概観しておくことにしよう。第 2章では、
『自由からの逃
r
走』以前のフロム= 初期フロム Jにおける「分析的社会心理学jの政治理論的
含意を考察し、そこに「政治」の概念がないわけではないが、必ずしも民主主義
的であったわけではないことを明らかにすることにしたい。第 3章では、フロム
の民主主義理論を考察する前提として、
f
自由からの逃走jをテクストに、彼の
民主主義理論の基礎にある、いわゆる「本能理論の放棄Jについて考察すること
[
1
5
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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にしたい。第 4章では、そうした人間理論の基礎のうえに、フロムが「民主主義J
の病理をエリート主義によってではなく、民主主義自身によって乗り越えるよう
になったことを明らかにすることにしたい。そして第 5章では、
f自由からの逃
走jの「続編Jである『正気の社会 j における民主主義理論を、政治と倫理とい
う観点から考察することにしたい。そして最後に、第 6章では、こうした論証を
踏まえ、本稿の最終テーゼを提示すると同時に、フロムの批判理論のアクチユア
リティを、現代批判理論の旗手であるアクセル・ホネットの批判理論と比較しつ
つ、批判的に考察したいと思う。
周知のように、ホネットは、現代批判理論の旗手として、精力的に活動を繰り
広げているが、彼は、ハーパーマスが開拓した政治理論の地平を継承しつつも、
ハーパーマスの言語理論的コミュニケーション理論を批判し、独自の承認理論的
コミュニケーション理論を提唱している。ホネットは、論文集『社会的なるもの
の断片的世界』の「著者序論Jにおいて、ハーパーマス以降の批判理論の方向性
を示している酬。第一に、ハーパーマスの言語理論を越えて、承認理論へと転回
すること。第二に、
「労働」の
f
道徳的次元」を捉えること。第三に、
「合理性j
の問題に収まりきらない「近代社会の病理」を解明すること。たとえば、デユル
ケムが捉えたような「個人析出 j に伴う病理を解明すること。そして第四に、闘
争の「動機」の理論として
f
精神分析j を導入することである。この四点を一瞥
しただけでも、ホネットの批判理論がいかにフロムの批判理論へと接近している
のか、分かるであろう。しかし、本稿で私は、フロムがホネットの単なる先駆者
であるにとどまらず、ホネットの承認理論的コミュニケーション理論とその「承
認をめぐる闘争J理論の難点を乗り越える可能性を秘めていることを明らかにす
ることを試みることにしたい。
ここで改めて、本稿の課題を定式化するならば、本稿の課題は、第一に、リッ
カート論文の問題設定をずらし、本能理論の放棄によってフロムはいかなる地平
を切り聞いたのか、明らかにすること。第二に、それだけではなく、というより
もそのことを通して、ホネットの批判理論の難点を克服することを模索すること
である。本稿で私は、最終的には、能動的云
ii二うト二シヨシ重論^'の六うタイ
[
1
6
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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ム転換を提唱することになるであろう。しかし、この第二の課題を説得的に遂行
するためにも、しばらくは、
「本能理論の放棄によってフロムはいかなる地平を
切り開いたのかJという第一の-→貨末にみえるかもしれない一一問題設定に沈潜
することにしたい。
[
1
7
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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(
1
)
フランクフルト学派の全体像については様々な文献があるが、特にジ‘ェイとヴイ
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ガースハウスの文献は、必読文献である。 M
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h 1923-1950
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荒川幾男訳(みすず書房、 1975年) 0 R
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近代の哲学的ディスクルス J1、三島憲一/轡回収/木前利秋/大貫敦子
230頁
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訳(岩波書底、 1990年)、 185・
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
r自由からの逃走』の日本語訳は、 1996年の時点で約 44万部が売れていると
(
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I隆吉「フロム一一「社会的性格J概念の現実的・理論的有効性J、北 J
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20世紀社会学理論の検証j所収、有信堂、 1996年
、 81頁)。ち
なみに、文芸評論家の小林秀雄は
fE.フロムをもてはやすのは学部学生までで、
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専門研究者がもしそうすれば、笑止の沙汰である」と話したという(北 J
「フロム j、82頁)。
年前後の社会研究所における思想的
州徳永拘「初期批判理論と精神分析一一1930
絵模様J (r 【樹皮講座】
現仇思想 8 批判理論j所収、岩波書店、 1994年)、
4頁
。
(
19
)
徳永'陶『ユートピアの論理一一フランクフルト学派研究序説J (河出書房、
1974年)。徳永a陶『現代批判の哲学J (東京大学出版会、 1979年)。
{初)徳永拘『現代批判の哲学J (東京大学出版会、 1979
年)、 294
頁
。
(
2
1
)
徳永拘「初期批判理論と精神分析一一1930
年前後の社会研究所における思想的
絵模様J (r 【岩波講座]
現仇思想 8 批判理論j所収、岩波書店、 1994年)、
341頁
。
・
(幻}徳永拘「初期批判理論と精神分析J、 39頁
。
(
2
3
)
出口剛司「守られない約束・希望へのまなざし一一フロム疎外論と<希望 >
J
(rソシオロゴス j第 21号
、 1997
年)、 183・
199頁。出口剛司「自然の光・理性
の社会心理学一一エーリッヒ・フロムにおける「批判 j と f
倫理JJ (r
社会学評
巻2
号
、 1997
年9月)、 49・
63頁。出口剛司「安息日・選ばれし民の提
論j第48
一一初期フロムとユダヤ的アイデンテイティ J (r
社会学史研究』第 20
号
、 1998
年)、 1
17-130
頁。出口剛司「大いなる拒絶か、未知なる一人称か一一マルクーゼ・
フロム論争再考J (rソシオロゴス』第 22号
、 1998
年)、 3
2-46頁
。
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
(
2
6
)
アドルノは亡命経験の回想を書いているが、そのなかで社会研究所に参加した
経緯も書いている。テオドール 'W'アドルノ「アメリカにおけるヨーロツパ系
r
学者の学問的経験」山口節郎訳( 亡命の現代史 4 知識人の大移動 2 社会科
学者・心理学者』所収、荒川幾男ほか訳、みすず書房、 1973年)、 25-76頁を参
照せよ。
(
2
7
)
徳永'拘「初期批判理論と精神分析j、26頁
。
(
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81・8
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1
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
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夫訳(未来社、 1986年)、 34-35頁
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
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Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
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佐野五郎訳(紀伊国屋書底、 1984年)、 190頁
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リッヒ・フロム j滝沢正樹/木下一哉訳(新評論、 1994年)、 194頁
。
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参照せよ。
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(
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.119,189頁
。
(
6
0
)
徳永拘
f
初期批判理論と精神分析」、 3頁
。
[
2
4
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
(
6
1
)
エコロジーに関しては
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生きるということ J (1976年)を参照せよ。本書は、
旧西ドイツの「緑の党」に大きな影響を与えたといわれている。フェミニズムに
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関しては、ライナー・フンクが編集した論文集が有益である。 E
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海南子/渡辺憲正訳(新評論、 1997年)。本書には、幾つかの草稿も含まれてい
る。なお、フロムとフェミニズムという主題を論じた論文としては、ケルナーの
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
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Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
第 2章
初期フロムの分析的社会心理学
フロムは、 1933年にアメリカに亡命した後、ほとんどの著作を英語で執筆して
社会研究誌j の
いる。たしかに、フロムも亡命後も暫くは、社会研究所の紀要 f
編集方針に従い、ドイツ語を使い続けている。しかし、 1930年代後半には、英語
に切り換えている。その転換点にあたるのが、フロムと社会研究所との対立を決
定的なものにした、いわゆる「原理的論文J (1937年)である。我々は、この
「論文」については、本稿の補論で考察していくことにしたい。英語への転換は、
たしかに、フロムが社会研究所から「破門 J (ジェイ)されたことと切り離せな
い。そのフロムにとって、発表の場を得るためにも、英語への転換は必要なこと
であったに違いない。ホルクハイマーは、後には
f
社会研究誌』の編集方針を転
換し、英語へと切り換えることになるが、ドイツ語を手放す亡命者には手厳しい。
「ドイツの知識人は、自分の言葉が広範な読者層を得ることの妨げになるやいな
や、外国語に切り換えるのに大した時間を要しないが、このことは、彼らにとっ
て言葉がすでに真理の表現としてよりも、生きるための闘いに役立つものとなっ
ているという事実に由来している J(1) 。
しかし、フロムの場合、思想を表現するのに英語、しかも平易な英語を用いた
のは、少なくとも「生きるためj だけではなかったであろう。この言葉の問題は、
フロムとはそもそもいかなる思想家であるのか、という根本問題に関わるもので
ある。論争的に言えば、私は、フロムはアメリカ民主主義の思想家である、と考
えている。第 4章で明らかにしたいが、フロムは『自由からの逃走j において、
アメリカ民主主義にコミットし、それゆえにアメリカ民主主義を自己批判するこ
とを試みている。そして、そのメッセージを、平易な英語によって、市民一人一
人に向けて発しているのである。こうしたフロムの実践的=教育的姿勢は、後に
触れることになる「預言者フロム j ということの他に、フロムがアメリカ民主主
義の思想家であったことと切り離せない。
周知のように、ハーパーマスは「そもそもフランクフルト学派なるものがあっ
(
2
6
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
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Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
たとすれば、それは、ナチ時代以前やナチ時代以後のフランクフルトにではなく、
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3年代のニューヨークにあった J
(
2
)
と述べている。このテーゼには、おそらくハー
パーマスが意図している以上の聞いが秘められているのではないのだろうか。そ
れは、アメリカにとってフランクフルト学派とは何か、フランクフルト学派にとっ
てアメリカとは何か、という問いである。私には、この難問に包括的に答える用
意はない。しかし、フロムに限って言えば、一切の答えがないわけではない。比
職的に言えば、アメリカは、フロムという「種子Jに養分を与え、その可能性を
開花させた「大地 jである、と。私は、本稿の論述の過程で、その意味内容を明
らかにすることになるであろう。
しかし同時に、フロムの思想がワイマール・ドイツを「母胎 Jとしていたこと
も軽視すべきではない。その母胎とは、ワイマール共和国の「理性の共同体J(3)
としての、ベルリン精神分析研究所とフランクフルト社会研究所とである。
フロムは 20歳代後半に、ベルリン精神分析研究所で精神分析家としての基礎訓
練を受けている{針。そこでの最大の収穫は、なんといっても「フロイト・マルク
ス主義者Jヴイルヘルム・ライヒ (
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) との出会いであろう (5) 。フロ
ム自身は、ライヒとの関係については、多くを語りたがらない。しかし、フロム
がライヒの圧倒的影響下にあったことは疑いない。フェレンツ・エロェシュ
(
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) が指摘しているように刷、両者のあいだに本質的な相違はほとん
どない。ユージン・ヴィクター・ウォルフェンシュテイン (
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) は、ライヒとフロムは「フロイト・マルクス主義のロムルスとレムス
[双生児] J(7) であるとしている。ペトラ・タオシャー (
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) は「ベ
ルリンでの精神分析家としてのエーリッヒ・フロム J (1987年)において、フロ
ムがフランクフルト学派において「ベルリンの端緒」を代表していたこと、フラ
ンクフルト学派は「フランクフルト j という自己理解とは対照的に「ベルリンの
遺産を継承していた J(8) ことを論じている。
フロムの、もう一つの母胎となったのは、ホルクハイマーを所長とするフラン
クフルト社会研究所である。フロムは 1929年に、社会研究所の
f
客員研究所J
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t)仰と呼ばれていた、フランクフルト精神分析研究所の所員になる
[
2
7
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
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Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
(
1
0
)
。そして、翌30年には、正式に社会研究所の所員になる。社会心理学に多大の
期待を寄せていたホルクハイマーにとって、社会学者アルフレート・ウェーパー
のもとで学位を取得し、精神分析の訓練も受けていたフロムは、魅力的に映った
に違いない。と同時に、フロムの側でも、マルクス主義的な社会研究所に参加す
ることは、分析的社会心理学を創るうえで魅力的なことであったに違いない。フ
ロムの分析的社会心理学は「批判理論の理論的・経験的な核心的契機J(11) になる
のである。
ここで私は、フロムとこうした研究所との関係について深入りしようとは思わ
ない。ただ、フロムがこの二つの研究所に関わったことが、フロムの思想を象徴
していることだけは指摘しておくことにしたい。それは、フロムの思想的契機が
マルクスとフロイトであったことである。フロムは、マルクスの史的唯物論とフ
ロイトの精神分析を統合し、それを独自の「分析的社会心理学 J (
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) へと創りあげていくのである(12) 。この第 2章では、社会研究
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所時代のフロム= 初期フロム」の分析的社会心理学の政治理論的合意を考察す
ることにしたい。
第 1節
問題霞定一一分析的社会心理学の政治理論的含意
1 初期フロムの評価
1939年の「破門 Jの後、社会研究所の元同僚は、フロムを黙殺してきたといっ
ても過言ではない。ピアホフは、このことを「意図的忘却j と呼んでいる問。し
かし、フランクフルト学派研究者の手によって、フロムは[復権j を果たしてい
るといってよい。たとえば、マーテイン・ジェイの『弁証法的想像力 J (1973年)
年)は、フロムが
や、ヘルムート・ドゥビールの『学術機関と政治経験J (1978
初期批判理論において大きな役割を演じていたことを論じている。しかし、フロ
ムがホルクハイマーと並ぶほどの役割を果たしていたことを明らかにしたのは、
なんといっても、ロルフ・ヴイガースハウスの大著『フランクフルト学派 j
(
1986年)であろう。ヴイガースハウスは、フロムを「長い間、理論的に最も重
[
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Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
要な共同研究者J(14) と位置づけているのである。日本でも、徳永拘が「初期批判
理論と精神分析J (1994年)において、
r30年代中葉までの研究所の仕事の中心
は、ホルクハイマーとフロムの連携だったとさえ言えるのではなかろうかJ(15) と
述べている。
社会研究所の元同僚のなかにも、このことを証言する者もいる。たとえば、レ
オ・レーベンタール (LeoLりwenthal)は、フランクフルト時代のフロムが「最も
重要な影響を持った一人」だ‘ったことを証言している。
r
フロムは当初、研究所
の正式な所員ではなかったし、たいていはフランクフルトにいなかったけれども、
フロムとの結びつきは、フランクフルト時代には、極めて刺激的だった J附 。 ヘ
ルベルト・マルクーゼも、ハーパーマス等とのインタビューにおいて、初期フロ
ムを高く評価する発言をしている。少し長くなるが、貴重な発言なので、引用し
ておくことにしたい。
ハーパーマス
過去を振り返ってマルクーゼさんは、フロムが
批判理論の形成に果たした貢献を正当に評価してはいないのでは
ないのですか。このことを特に知りたいのですが。
マルクーゼ
「初期」フロムに関しては、ひょっとすると君の
ほうが正しいのかもしれない。
ハーパーマス
マルクス主義的社会心理学のプログラムは、そ
もそもフロムによって、すでに 20年代の終わりに社会研究所に持
ち込まれたのではないのですか。マルクーゼさんは当時、フラン
クフルトにはいませんでしたので、私は、初期のニューヨーク時
代に生じた印象について質問しているにすぎません。たしかにホ
ルクハイマーによって呼び起こされたわけですが、批判理論にとっ
て決定的な独自の変種というかたちでマルクスとフロイトの媒介
を試みたのは、やはりフロムだったのではありませんか。すなわ
ち、主観的要因は、若干のありきたりの心理学的仮説によって規
定されうるものではなく、どういえばいいのか、精神分析とマル
[
2
9
J
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
クス主義の根本概念の統合を必要とすることを明らかにしたのは、
フロムだったのではありませんか。フロム像は、修正主義者フロ
ムと後の論争によって強く刻印されているのではありませんか。
そして彼が批判理論の形成期に果たした貢献は割をくっているの
ではありませんか。
マルクーゼ
そうだ。跨踏なくそのことを認める。私の記述は、
君がいみじくも言ったように、後期フロムの立場によって色づけ
されていた。したがって
f
自由からの逃走jが現れるまでの、我々
のいう初期フロム一一『自由からの逃走jが現れたのは何時だっ
たかな。
ルパッツ
1
9
4
0年です。
マルクーゼ
何時だって? いや、その本を我々はすでに極め
て厳しく批判していた。しかしフロムの初期の仕事、特にキリス
ト教の教義に関する仕事、そして『社会研究誌 j に掲載された最
初の論文、これらはラデイカルなマルクス主義的社会心理学とし
て迎えられた。事実、その通りなんだ。
(
1
7
)
このように、マルクーゼでさえ、フロムが初期批判理論において大きな役割を
果たしていたことを認めている。私の知るかぎり、フロムの果たした役割を無視
する者はいても、それを積極的に否認する者はいない。しかし、こうした歴史的
評価とは別に、分析的社会心理学の理論的評価ということになると、見解は真っ
向から対立する。たとえばマルクーゼは、ハーパーマスとのインタピューからも
分かるように、フロムの果たした歴史的役割だけでなく、彼の分析的社会心理学
の理論的内容についても高い評価を与えている。意外に聴こえるかもしれないが、
マルクーゼは f
デイセント j論文でも、初期フロムの諸論文には好意的に言及し
ている (1針。しかし、後期フロムへの厳しい批判が初期フロムへの高い評価の裏返
しであると理解するならば、このことは、決して意外なことではない。
ハーパーマスは、マルクーゼとは対照的に、初期フロムの分析的社会心理学に
[
3
0
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
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Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
は、必ずしも好意的ではない。ピアホフも指摘しているように (19) 、ハーパーマス
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) にすぎない。そのため、ハーパー
のフロム受容は「ことのついで J (
マスのフロム評価を厳密に理解するのは難しい。しかし、ハーパーマスは「アレ
クサンダー・ミッチャーリッヒの分析的社会心理学への注釈J (
1983年)におい
て、ベルンフェルト、ライヒ、フロムが精神分析を「心理内過程の自然科学j と
して理解していること、彼らの「マルクス主義的機能主義では、分析的社会心理
学には、社会の再生産過程一一別の方法で説明される-ー¥の内的自然の統合を明
らかにする、という課題が与えられているにすぎない j側ことを指摘している。
ノ、ーパーマスが「精神科学」としての精神分析を擁護していること (21) 、 「社会の
再生産過程Jそれ自体に関心を寄せていることを考えるならば、ハーパーマスが
フロムの分析的社会心理学に不満を抱いていることは疑いない。
アクセル・ホネットのフロム評価は、こうしたハーパーマスのラインに沿った
ものである。たしかにホネットは、批判理論の「アウター・サーク jレJの伝統に
注目した「批判理論 J (
1987年)においては、フロムを高く評価している問。
しかしホネットが評価するのは、あくまでも後期フロムだけである。ホネットは、
すでに f
権力の胡如U
J (
1986年)において、初期フロムにおける「社会学的欠落j
に批判を加えているのである o ホネットは、その第 l章において、初期批判理論
のプログラムを分析しているが、フロムの分析的社会心理学にたいしては、以下
のように批判している。
フロムは、精神分析的な人格理論の基本概念と経済的な社会理論
の基本概念とを直結させて捉えた。その結果、二つの概念構造の
あいだで、社会的行為の次元一一イ固人の衝動の潜在力はこの社会
的行為の次元の具体的なリアリティに即して漸次的に形成されて
いくのであるがー→ムいわばカテゴリー的に磨耗せしめられる
ことになった。・・・・・・こうした推論から帰着する閉鎖的機能主義
は、フロムの社会心理学の隠れた核心である。それは、ヘルムー
ト・ダーマーが言っているように、
「全面的社会化の理論Jに近
(
3
1
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
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Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
Veröffentlichungen – auch von Teilen – bedürfen der schriftlichen Erlaubnis des Rechteinhabers.
似したものに陥らざるをえない。なぜならば、それは、個人的欲
求にリピドーの過剰を認めているわけでも、社会的行為に経済シ
ステムの強制に対抗する社会化上の独自性を認めているわけでも
ないからである。
(
2
3
)
ここでホネットは、かなり重要な指摘をしているのではないかと思う。しかし、
フロムをメインに扱っている論文ではないため、やむをえないのかもしれないが、
それ以上の追求はしてはいない。しかも、主要概念が暖昧であるため、ホネット
の言っていることを厳密に理解するのは難しい。しかしホネットは、分析的社会
心理学が、システムに対抗する社会的行為の役割を認めていないことを批判して
いるようである。しかし、分析的社会心理学をそのように解釈してよいのであろ
うか。たしかに、分析的社会心理学には、ホネットの想定するような「社会的行
為Jの概念は存在しないかもしれない。しかし、分析的社会心理学には、システ
ムに対抗する「政治Jという契機が含まれているのではないのだろうか。以下で
は、こうした視座から、初期フロムの分析的社会心理学を考察していくことにし
たい。
2 テクストの問題
しかしその前に、テクストを限定しておくことにしたい。初期フロムの分析的
社会心理学を考察した研究には、たとえば、ゲラルト・マッケントゥーンの『フ
ロムの「分析的社会心理学Jの成立史
19281938
年一一入門 J (
1991年)があ
・
る(24) 。私は、初期フロムの諸論文を一つ一つ考察していくことはマッケントゥー
ンに任せることにしたい。諸論文を年代願に考察していく方法は、ともすれば、
初期フロムの著作の整理に終わりかねない。大切なのは、初期フロムの分析的社
会心理学の核心を「理解Jすることであろう。私は、初期フロムを代表するテク
ストに集中し、それを深く追求する方法をとることにしたい。
フロムは、社会研究所時代に、幾つかの論文・書評を f
社会研究誌j に載せて
権威と家族J (
1936年)の「社会心理学篇 j を執筆
いるだけでなく、共同研究 f
[
3
2
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
Division of Public Administration, Graduate School of International Christian University, Dept. of Philosophy, Tokyo 1998.
Propriety of the Erich Fromm Document Center. For personal use only. Citation or publication of
material prohibited without express written permission of the copyright holder.
Eigentum des Erich Fromm Dokumentationszentrums. Nutzung nur für persönliche Zwecke.
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している。その他に、永らく未公刊であったドイツ労働者・ホワイトカラーの経
験的調査にも携わっている{向。この『ワイマールからヒトラーへ』は、ドイツ労
働者・ホワイトカラーの性格構造と、政治イデオロギーとの対応関係を調査した
政治心理学であり側、その意味において、我々の課題に応えてくれるようにみえ
るかもしれない。しかしこの研究は、応用研究であり、初期フロムを代表させる
には物足りない。このことは、フロムが『権威と家族jに寄せた「社会心理学篇 J
についても変わらない。この論文も、個別研究の域を越えず、初期フロムの全貌
をしめすものではない。
これにたいして、フランクフルト社会研究所紀要『社会研究誌j創刊号に掲載
された「分析的社会心理学の方法と課題について一一精神分析と史的唯物論への注
釈j (
1932年)は、分析的社会心理学について綱領的に述べたものである。私は、
このテクストに依拠して、フロムの分析的社会心理学を考察していくことにした
い。フンクは、この論文を「フロムが生涯に書いた、おそらくは最も重要な論文」
(
2
7
)
とさえ評価している。この表現は、少しオーバーかもしれない。しかし、それ
が初期フロムを代表する作品であることに異論は起こらないであろう。事実、多
くの研究者は、この「分析的社会心理学の方法と課題について」をテクストに、
初期フロムの分析的社会心理学を整理している。以下、フロムがいかにマルクス
とフロイトを統合し、独自の分析的社会心理学を創始していったのか、丁寧に整
理することから始めることにしたい。
第 2節
分析的社会心理学の方法と課題
「分析的社会心理学の方法と課題について jは、決して短い論文ではない。し
かし、この論文には区切りがない。
r
分かること Jが「分けること jから始まる
とするならば、テクスト読解の第一歩は、論文を[分けること jであろう。ここ
で我々は、フロム自身の要約に従って、分析的社会心理学の「方法Jと「課題 J
とに分けて整理していくことにしたい。論文最後の要約に従えば、分析的社会心
理学の「方法Jは「社会現象へと適用された、フロイトの古典的精神分析の方法J
[
3
3
]
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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である。そして、その[課題j は「社会のリピドー構造Jを叙述することであり、
「そうしたリピドー構造の成立と、社会過程における機能Jを説明することであ
る (
1932a,S
.5
7
)。
1 方法
フロムは、精神分析の基本概念を手際よく整理した後、精神分析が社会心理学
であることを論じている。たしかにフロムも、フロイトが主として個人心理学に
.3
9
) 。しかしフロムは、精神分析の対
従事していたことを認めている(1932a,S
象は「個人jであり「社会 Jではない、という考えを退けている。しかしここで
フロムは、テオドール・ライクのように、実体としての「社会 Jを措定し、社会
c
f
.1930a) 。フ
心理を個人心理とのアナロジーによって説明することもしない (
ロムにおいて唯一の実在は「個人j 以外にはない。このことは、フロムがエミー
ル・デュルケムの伝統にではなく、マックス・ウェーパーの伝統に与しているこ
とを意味している。フロムは「社会 Jを一つの実体としてではなく、個人の集合
体として捉えているのである。
というのは、
「社会Jもまた、生きた諸個人から成っており、そう
した諸個人は、精神分析が個人のなかに発見したのと異なった心理
法則に服しているわけではないからである。・・・・・・心理学は個人
d
I
eG出 e
l
l
s
c
h
a
立)だけと関
だけと関係があり、社会学は「社会 J (
係があるというテーゼは間違いである。というのは、心理学が常に
社会化された個人と関係があるように、社会学は、その心的構造・
メカニズムを考慮しなければなければならないような、様々な個人
.4
0
)
と関係があるからである。(1932a,S
しかし、ここでの
f
個人j は、単なる個人というわけでもない。
r
フロイトが、
社会的関係から切り離された孤立した人聞を心理学の対象にしたことは一度もな
かった J (
1932a,S
.4
1
) 。それゆえ、社会心理学の対象も「個人jの心理それ自
[
3
4
)
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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体ではない。その対象は「集団の成員に共通する心的特性J (
I932a,S
.4
2
) であ
り、個々人に特有な心的特性なのではない。
このことは、すでに「分析的社会心理学の方法と課題について j のなかに「社
会的性格J (
s
o
c
i
a
lc
h
a
r
a
c
t
e
r
) の観念があることを意味している。たしかに、そこ
r
社会的性格」の概念が現れるに
には「社会的性格 j という概念は存在しない。
は
、
I941年)をまたなければならない問。しかし「分析
『自由からの逃走J (
的社会心理学の方法と課題について j にふこうした[社会的性格Jの概念に実
質的に相当する概念が存在する。フロムは「分析的社会心理学の方法と課題につ
いて Jの英語版 (1970年)の脚注において、
「ここでフロイトの用語法を用いつ
つ、社会の「リピドー構造 Jと呼んでいるものを、後の著作では「社会的性格j
と呼んでいる。リピドー理論の変化にもかかわらず、概念は同じものである J
(1970a,p
.1
60,215頁)と述べているのである。
フロムは、そうした集団に共通する心的態度を、その集団に「共通の生活経験J
から説明しようとする。
それ[精神分析]は、集団の成員に共通する心的態度を問題にす
る。そして、そうした共通の心的態度を、共通の生活経験
(
g
e
m
e
i
n
s
a
m
eL
e
b
e
n
s
s
c
h
i
c
k
s
a
l
e
n
) から説明しようとする。こうし
た生活経験は、偶然的なものでも個人的なものでもない(集団が
大きければ大きいほど、そうではない)。それは、その集団の社
会=経済状況に一致したものである。このようにして分析的社会
心連制上集由の欲動構造、モの j
l立や二的セ大部分は無意識的
な態度を、その集団の社会=経済構造から理解しようとする。
(1932a,S
.4
2
)
しかし、ここでフロムは、一つの反論を予想する。
r
精神分析は、欲動の発達
を幼児期の生活経験から、人聞が「社会Jとほとんど関わりをもたず、もっぱら
I932a,S
.4
2
) のではないのか、
家族のなかで生活している時期から説明する J (
[
3
5
1
Okazaki, S., 1998: Political Fromm: Paradigm Swift toward the Active Communication Theory, Dissertation presented to the
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