BRM と法的責任

第134回講演会(2016年5月19日,5月20日) 日本航海学会講演予稿集 4巻1号 2016年4月20日
BRM と法的責任
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水先人の重過失海難を手掛かりとして -
正会員
要
逸見
真(東京海洋大学)
旨
民事責任にいう重過失とは、伝統的に「故意に近似」する重大な注意義務違反とされてきた。要するに、
誰もしないような不注意に対する責任と捉える法的な解釈であるが、近年の人間行動に関する科学の発達は、
誤りを犯さない人間は皆無であるとの常識を確立させている。周知の通り、航海業務における過失の回避に
人間行動に基づくヒューマン・ファクターの考え方を取り入れたシステムが BRM(Bridge Resource
Management)であり、その実践と励行が海難防止のための重要な手法として認識されている。この BRM の
構成員の行為に過失が問われ、他の構成員の行為が当該過失の一因となる可能性について法的な責任問題に
関する検討はこれまで見られなかった。
そもそも BRM 自体は法的な責任追及のためのシステムではないが、
従前の民事責任の考え方に従って BRM に準ずるべき航海者の責任が追及された場合、チーム・ワークとい
う BRM の必要原理よりすれば、責任発生の一因と看做され得る他の構成員の責任も問われる必要性が看取
できる。本稿では民法の一般原則の観点より、水先人による重過失海難の判例を素材に検討する。
キーワード:水先人、重過失、BRM、委任契約、信義誠実の原則(信義則)
1. 水先人による海難と重過失の判断
が、水先人の過失が重大であった場合には同条第 3
(1) 海難の概要と重過失の判断
項が適用される。同項には「水先人の故意または重
平成 21 年 7 月、わが国において水先人嚮導の外
大な過失に基づく責任については、適用しないもの
国籍貨物船が座礁事故を起こし、船主は事故が水先
とする。
」とある。
人の重過失に起因したものとして水先人及び所属の
重過失の概念について、民法学では伝統的に「故
水先人会等に損害賠償を請求、平成 27 年 9 月、本件
意に近似する過失」として捉えられてきた。この概
を所管した神戸地裁は水先契約違反(民法第 415 条)
念は家屋の失火責任を扱った事案において、
「わずか
及び本船所有権侵害(同法第 709 条)を理由に船主の
の注意さえすれば、たやすく違法有害な結果を予見
請求をほぼ認め、水先人に対する高額な賠償金を認
することができた場合であるのに、漫然とこれを見
定した
過ごしたような、ほとんど故意に近い著しい注意欠
(1)
(以下、本件判例という)。
上記海難の直接的な原因は、水先人による灯浮標
如の状態」(2)とした最高裁判例より示された定義で
識の誤認にありとされた。即ち嚮導本船の進路側方
ある。「故意」を行為のもたらす「結果の発生を認識
に位置していた浅瀬の存在を示す灯浮標を、浅瀬の
しながらそれを容認しつつ行為するという心理状
切れ目にある水路の標識と誤認した水先人が誤った
態」(3)とすれば、重過失とは「故意に近似」する程
方向へ転舵号令を発し、本船を導いて座礁せしめる
に重大な、責め咎められるべき義務違反と表現でき
に至った事案である。本件判例ではこの水先人の所
よう。また民法第 709 条にいう不法行為の要件とし
作が重大な過失、いわゆる重過失に因るものか否か
ての「故意又は過失」を、
「故意があればもちろん過
が争点となった。
失でも」不法行為が成立する(4)との表現と捉えれば、
重過失を「故意に近似」させて不法行為の成立を容
わが国において水先人が惹起した海難事故に関
易にする学説的な意義も見出せる。
わる民事過失については、水先人が利用する標準水
本件判例では、水先約款第 21 条 3 項にいう「重
先約款第 21 条の免責条項に準じて責任を免れ得る
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を回避し、または望ましくない行動を見越して有害
過失」を「注意義務違反の程度が故意と同視し得る
ほど顕著」なものとして上記の「故意に近似する過
な出来事の連鎖を断ち切る。」ものと説明されている
失」と解釈し、
「水先人が通常要求される程度の注意
(8)
を払うまでもなく、それ以下の僅かな注意を払うこ
避にある。
。BRM 実践の最終的な目的は無論、海難事故の回
とを怠らなければ、容易く違法かつ有害な結果を予
人間の行動パターンはヒューマン・ファクターと
見し、これを回避できたにもかかわらず、その僅か
表現され、ストレス、自己満足や注意散漫等の精神
な注意を払わなかったため、上記違法、有害な結果
的特性、疲労という身体的特性、水先人との融和等
を予見し、回避することができなかった場合をいう
の行動特性と具体化できる。人を望ましくない行動
ものと解するのが相当」とされた 。一方で、水先
へと導く上記の諸要素は近年の脳科学、遺伝学とい
人の「注意義務違反の程度は、他に「特段の事情」
う総合的な人間科学の研究により、人にとり不可避
が認められない限り、故意と同視し得るほど重大で
なものと理解されている。
人の注意力を削ぐという、
あるといわざるを得ない」とされ、
「特段の事情」が
これら間接的な海難の諸因子を考慮した過失回避の
あれば重過失認定の猶予もあり得ることが示唆され
ための有効な手法が、BRM において重視されるブリ
ている。
ッジ・チームの中のコミュニケーションであり、チ
(2) 本件判例における「特段の事情」と BRM
ーム・ワークの励行である。チームには船長、乗組
(5)
その「特段の事情」の主たる一つとして、本件判
員をはじめ水先人等、船橋で職務に就く者の全てが
例では水先人と「本船の船長ら乗組員との間で適切
含まれる(9)。この BRM 実践の重要性は本件判例でも
な BRM が励行されず、本件座礁事故の防止に向け
認識されている通りである。
同様にチーム・ワークが求められる専門職による
通常であれば行われるであろう情報交換等が行われ
なかった点」が検討されている(6)。
実践にチーム医療がある。医師や看護師の他、医療
本船に乗船した水先人はその業務の開始前に本
に必要な複数の関係者がチーム医療に携わるにあた
船側に対して「BRM の一環として、本船側に対し、
り必要不可欠なものが、相互の情報交換とその理解
見張り及び適当な間隔での船位測定、海図への記入、
であり、これを包括したコミュニケーションである
航行監視等を行うよう要請し」ていた。しかし座礁
旨(10)、BRM と同様の指摘がある。
発生時、船長は降橋し、在橋の当直航海士は水先人
チーム・ワークとてこれを構成する人の行為如何
による座礁の原因となった転舵号令の前に本船の位
による基本的な性質を考慮すれば、上記のヒューマ
置を海図に記入して「認識」し、水先人の転舵号令
ン・ファクターが入り込み BRM の機能不全に繋が
に対して「少し不安を感じていたにもかかわらず」、
って事故を惹起するおそれは否定できない。海難の
水先人に「報告したり、あるいは問い質すこと」を
回避という BRM 実践の目的よりすれば、ヒューマ
しなかった。この事実について判決は、
「仮に適切に
ン・ファクターによる影響を断ち切るチーム員個々
これらの情報交換等が行われていたならば」、
水先人
の対応こそが BRM の鍵であり、例えばチーム員は
の「行為が行われることなく、本件座礁事故も未然
船長等のリーダーが誤りを犯していると思われる場
に防止できた可能性は少なくない」と述べている。
合、それを告げる義務を持つ(11)との理解がある。チ
しかしまた水先人も、当直航海士に対して本船の位
ームの構成員それぞれの役割は、個々の自発性に依
置や同航船に取るべき航法の説明をせず、またこれ
存する性質のものではないと考えて良い。
に対する乗組員の意見を求めなかったことより、水
事故の原因が法の認める注意義務に対する違反
先人と「本船の船長ら乗組員との間で適切な BRM
と認定されれば法的な責任が生ずるが、BRM は法の
が励行されず」、「情報交換等が行われなかったこと
定める制度ではない。そのため原則、BRM の構成員
は」、
「「特段の事情」を基礎づける具体的な事実関
の間に法の求める権利義務の関係は生ぜず、従って
係には当たらず」、
「重過失に関する判断を左右しな
事故の要因となったチーム員の職務不履行、不徹底
い。
」と、本件判例は結論付けている 。
に対しても、法に基づいた責任の追及は予定されて
(7)
はいない。しかしチームの一員が事故と因果関係の
2. 海難の回避における BRM の重要性
ある自己の行為に対し法的な責任が追及されて違法
BRM の基本理論は、
「人間の行動パターンとそれ
性を問われ、他のチーム員の行為がその違法行為発
ぞれの行動パターンを認識して、望ましくない行動
生の一因となる可能性ありとされた場合、これをど
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のように解釈するかが問題となる。本件判例でいえ
のである。
ば、水先人の転舵号令に「少し不安を感じていたに
(2) 水先契約の性質と信義則
もかかわらず」異を唱えなかった当直航海士の不作
水先業務は水先人と船長(船舶所有者)との間の契
為について、検討する必要があるように思われる。
約に基づく行為であり、民法にいう典型契約中の委
任契約(民法第 634 条)に該当する。委任契約は契約
3. BRM に求められる法的責任
の当事者それぞれが委任と受任の関係に置かれ、委
(1) 当直航海士の不作為の法的評価
任者による受任者への信頼が契約の基礎を形成する。
当直航海士の不作為についての検討として、第一
水先契約では船長が委任者(債権者)、水先人が受任
に水先契約への抵触の問題が挙げられる。
者(債務者)の構図となる。
標準水先約款第 12 条は「船長は、見張りを厳重
この信頼関係に基づく受任者の義務が善良なる
に行い港内又は特殊な水域航行中は適当な場所に見
管理者の注意義務、いわゆる善管注意義務(民法第
張り員を配置し(中略)異常を認めたときは速やかに
644 条)といわれるものであり、その注意義務の内容
水先人に通知するものとする。」とし、水先人への情
は当事者間の知識・才能・手腕の格差、委任者の受
報通知の協力義務を規定している。本条項は船長を
任者に対する信頼の程度に応じて判断されることと
名宛人とするが、船長不在の船橋において当直に立
なる(14)。ただ信頼に基づく義務を負うのは受任者の
つ航海士にも適用される。
みではない。そもそも委任に限らず契約という法律
同条にいう「異常を認めたとき」に水先人に通知
行為そのものに当事者相互の信頼が確知できる上、
するという条件が、本件当直航海士による「少し不
その信頼関係が特に要求される委任契約では委任者
安を感じていた」とき、即ち業務上の不安の感知が
の行為にも信頼が求められると解釈されている(15)。
異常の認知に含まれるについては条文上、明らかで
水先契約を具現化した前掲の標準水先約款第 12 条
はないが、運輸安全委員会による本件座礁事故に関
は、水先人が水先契約の本旨を履行するに不可欠な
する事故調査報告書記載の事故原因として、水先人
船長の協力義務を定めたものであるが、例えば水先
の船位未確認と共に「乗組員による進言がなされな
契約と同様に委任の契約形態を取る医師と患者との
ことより、当直航
医療契約では、医師に対する患者の義務として医師
海士の不安の感知は客観的にも水先人に対し報告さ
への自己病歴、診療中の変化の通知、医療の安全や
れるべき情報であったと認めることができる。
効率的な実施のための診療行為への積極的な参加、
かったこと」が挙げられている
(12)
医療の限界の認識等が挙げられている(16)。実際にも、
一般に本船側には、水先人は所属する水先区に生
起する全ての事象の把握を前提に嚮導に就いている
医師の問診に適切に情報提供しなかった患者の過失
との先入観があるが、水先人の能力をもってしても
相殺が認められた事案がある(17)。
自然現象の急変や他船の動静は予期できない。その
委任契約における委任者の義務の一般的な準則
上、人である水先人はヒューマン・ファクターから
として用い得るのが、信義誠実の原則(信義則、民法
完全に逃れることもできず、約款に規定されるまで
第 1 条 2 項)である。信義則とは、一般に社会生活上
もなく、安全航行のための本船側乗組員による水先
の一定の状況下、一方の行為者が相手方が抱くと予
行為への積極的な協力は不可欠といえるだろう。
想される正当な期待に沿うよう行動することを意味
第二に、当直航海士の不作為による情報の未提供
する。その信義則の機能とは契約上の権利義務の調
の重大性が挙げられる。重要情報の未報告の問題で
整であり、具体的な義務として表されるが、事案に
ある。当該不作為について本件判例では「仮に当直
従い契約当事者に別なく適用される。例えば信義則
航海士に上記のような過失行為が介在していたとし
の示す保護義務とは、契約一般における債権者・債
ても」水先人の行為について「本件座礁事故との相
務者の間において、相互に相手方の生命・身体・所
として結論付けてい
有権他の財産権の侵害を戒める義務とされる(18)。ま
る一方で、本情報の提供により本件事故が回避でき
た契約の事例の一つとしての取引(契約)における信
た可能性が示されている点を注視すれば、当該不作
義則は、債務者による債務の履行とその提供を受け
当因果関係は否定されない」
(13)
為は軽視できる程度には留まらないように思われる。 る債権者が相互に協力する義務として、協力・通知・
換言すれば、本件事故に基づく損害は、被害者であ
報知・説明の各義務を具体化している。
る本船側の対応により回避または縮減可能であった
これらの義務に対し一方当事者が違反、即ち信義
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第134回講演会(2016年5月19日,5月20日) 日本航海学会講演予稿集 4巻1号 2016年4月20日
則に反すれば、当該信義則違反に起因した他方当事
(5) 本件判決録 29 頁.
者の債務不履行、履行遅滞の責任追及は妥当と看做
(6) 前掲: 30~31 頁。運輸安全委員会による本座礁
。この信義則の類型の一つ
事故に関する船舶事故調査報告書(平成 22 年 8
として、契約関係にある相手方の損害の発生・拡大
月 27 日付(MA2010-8))14 頁にも同様の記載があ
を防止するために一定の作為義務を課す機能が挙げ
る。
されなくなるのである
られる
(20)
(19)
。本件事故について考えれば、本船側当直
(7) 前掲注(5): 31~32 頁.
航海士の不作為が該当する可能性がある。
(8) Michael R. Adams, 廣澤明訳: ブリッジ・リソー
ス・マネージメント, 2 頁, 2011 年.
4. 結びに代えて
(9) 水先人が BRM におけるブリッジ・チームの一
BRM が海難回避の手段として定着している今日、
因であることについて前掲: 134 頁.
ブリッジ・チームの一員が犯した過失が個人的な注
(10) 水本清久・岡本牧人・石井邦雄・土本寛二編: イ
意義務違反として処理される本件判例には、BRM が
ンタープロフェッショナル・ヘルスケア 実践
順当に機能せず且つ当該過失の重大性を否定し得な
チーム医療(実際と教育プログラム), 14~63 頁,
いとしても、BRM 実践の目的や精神より見て不可解
61~70 頁, 2011 年.
を覚えざるを得ない。BRM が航海者という専門家集
(11) 前掲注(8): 153 頁.
団の下でのシステムであると観念した上でチームの
(12) 前掲注(6)報告書: 15 頁.
構成員に法的な責任を問うのであれば、過失との因
(13) 前掲注(5): 49 頁.
果関係、直接的、間接的影響に拘わらず、構成員の
(14) 前掲注(3): 291 頁.
行為は BRM 実践の状況に準じて一律に評価される
(15) 平野裕之: 民法総合 5 契約法, 636 頁, 20.
必要があるように思われる。従前の債務不履行や不
(16) 総合病院聖隷三方原病院「
『患者の権利と義務』
法行為の理論のみでの責任の追及は、BRM 実践の目
に関する宣言」。同様の義務は他に多くの病院が
的と意義を没却しかねない。
定めている。
近時の重過失は「故意」という表現の持つ行為の
(17) 東京高裁平成 11 年 6 月 10 日判決(判例時報 1706
重大性より離れ、故意と軽過失の中間形態としての
「著しい注意義務違反」と看做される傾向にある
(21)
号 41 頁).
。
この「著しい注意義務違反」には「適切な行動パタ
則(1)改定版, 112 頁, 2002 年.
ーンからの逸脱の程度が著しいもの」及び「行為義
(19) 加藤亮太郎: 取引における信義誠実の原則, 112
務(注意義務)それ自体の水準が高められている場合
における、その違反」の二通りの類型がある
(22)
(18) 谷口知平・石田喜久夫編: 新版 注釈民法(1)総
~113 頁, 神戸学院法学第 36 巻第 3・4 号所収.
。
「故
(20) 前掲注(18): 91 頁.
意に近似」した責め咎められるべき重過失の意義が
(21) 奥田昌道編: 新版 注釈民法(10)債権(1)債権の
失われる方向性は、人の行為におけるヒューマン・
目的・効力(2), 223 頁, 2011 年.
ファクターの考慮からも説明できよう。更に BRM
(22) 前掲: 224 頁.
の実践と励行はチーム医療同様、過失の行為者の特
定と責任追及の必要性を希釈するのと共に、航海業
務における過失に軽重を問う法的な評価を無意味な
ものへと変質させるのではなかろうか。そして水先
人の在り方もまた、ブリッジ・チームの一員として
船長の助言者たる地位を喪失するように思われる。
引用・参考文献
(1) 平成 24 年(ワ)第 2525 号 損害賠償請求事件.
(2) 最高裁昭和 32 年 7 月 9 日判決(裁判所判例検索).
(3) 内田貴: 民法Ⅱ第 3 版 債権各論, 355 頁, 2011 年.
(4) 大村敦志: 基本民法Ⅱ債権各論(第 2 版), 188 頁,
2010 年.
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