「ヨーロッパ 較政治研究における歴史の位置価

2010年度⽇本政治学会研究⼤会(中京⼤学)
分科会A8「政治学研究とヨーロッパ政治史研究」(2010年10⽉9⽇)
「ヨーロッパ⽐較政治研究における歴史の位置価――変数指向と⽅法指向の先に」
網⾕龍介(明治学院⼤学)
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Ⅰ.本報告の射程と分析⽅法
本報告は,主としてヨーロッパを分析対象とする⽐較政治研究において,「歴史」がど
のような位置を占めてきたか,ということについて検討を試み,若⼲の展望を提⽰するも
のである[1].
とはいうものの,本報告は,研究動向論⽂で⾏われるような,研究動向の総括と将来の
研究のための指針を,個別の研究(者)に対して提⽰するようなタイプのものではない.
以下に述べるように,「ヨーロッパ政治史研究」全体としての将来を語りうるような状況
にはないと,報告者は考えているからである.別の⾔い⽅をすれば,各研究者は⾃⼒で打
開の道をはかるべきである,ということになる.これにかえて本報告が⾏うのは,「ヨー
ロッパ政治史研究」がおかれている「場」を分析することである.したがって報告内容に
は,個々の業績の評価や検討もさることながら,研究の制度的基盤等も含まれることにな
る.
本報告の作業仮説は,分析対象,ないしデータ・ストックとしての「歴史」が意味を失
うことはないが,⽐較政治学の関⼼が変数の影響⼒や,特定の⽅法論・枠組みの妥当性の
検討へと移動した結果,かつて考えられていたような意味での「歴史」の意味は失われつ
つある,というものである.その上でなお「歴史」の導⼊にどのような意味があるか,と
いう問題に答えることが,本⾃由企画の企図であるかもしれないが,報告者の能⼒上の限
界から,この点についてはごく簡単で個⼈的な展望を述べるにとどまるであろう.
本報告の,第⼀の軸は,歴史学と政治学の関係の検討である.その際,政治学の動向を
グローバルに主導するものとして,主としてアメリカにおける研究動向を,「輸⼊学問」
としての政治学の発展の例としてドイツにおける研究動向を追うという⼆つの流れを設け
ている.その上で,本パネルのテーマに即して,⾃国研究と外国研究をもう⼀つの軸とし
て検討する.結論を先取りして述べるならば,教育上の必要性や⽇本語での事情紹介・情
報提供といった要請は別として,純粋に研究上の観点からは「ヨーロッパ政治史」はその
⼆つの軸のいずれにおいても困難を抱えているといわざるを得ない.
以下では第2節において,主として1960年代後半〜1980年代前半の時期を対象に,⽐較政
治研究と歴史研究の相対的接近が⾒られた背景を略述する.アメリカ政治学においては,
⽅法論的な反省(いわゆるポスト⾏動論)に基づいて,歴史的な発展過程を重視する⽅向
が,重要な地位をしめた.ドイツにおいては,新しい分野としての政治学の構築という条
件と,主として歴史学側の関⼼の所在のため,両者の交流は可能であった.
しかし,第3節で⽰すように,1990年代以降,そのような動向が全体としては意味を失っ
た.アメリカ政治学においては,合理主義アプローチの隆盛と共に,⽅法論的な省察が進
んだ結果,歴史を対象とした研究⾃体は減らないものの,そこには静学化,実体的な問い
の拡散といった傾向が⾒られる.ドイツ政治学においては,アメリカ政治学の影響の浸透,
-1-
政治学界のヨーロッパ化などの要因から,歴史を対象とする科目は次第に姿を消し,歴史
学との距離は開くことになった.しかしこれは同時に歴史学側の要因でもあり,歴史学の
⼈類学化,ミクロ社会プロセスへの注目が,接点を失わせることになったのである.
これらを踏まえて第4節では,「ヨーロッパ政治史」研究の⽅向性として三つの選択肢を
提⽰し,その可能性を簡単に展望する.その上で,第5節では,⽇本におけるヨーロッパ政
治研究固有の要因について検討し,第6節で,若⼲のコメントを付すこととする.
なお,本来は「歴史学にとって政治学(社会科学)がどのような意味を持つか」,とい
う問いが本報告と表裏をなすはずであるが,この点については他の報告にゆだねたい.ま
た,検討の対象は国内政治に関するものに絞り,国際政治・外交政策分析と国際関係史・
外交史の関係については対象の外とする.状況がかなりの程度異なるように思われるから
である.
Ⅱ.⽐較政治学と歴史研究の接近
1.アメリカ政治学における⽐較政治と歴史[2]
アメリカ政治学における⽐較政治学研究が,⾏動論アプローチと多元主義理論を基礎に,
政治システム概念と構造機能主義の下に,壮⼤な企図を持って開始されたこと,そして
1960年代の様々な政治的変動の中でその夢が破れ,⽅向転換を余儀なくされたことはよく
知られている.その結果,⼀⽅ではシステムの安定的進化のイメージに代わって政治変動
が注目されるようになり,他⽅では全ての地域を同じ枠組みであつかうよりも地域内の⽐
較が優先されるようになった.
その中で「発⾒」されてきたのが,「多極共存型デモクラシー(consociational
democracy)」や「コーポラティズム」という概念であり,社会的⻲裂(social cleavage)と
その凍結に関する議論であった.これらの議論は,⺠主主義や資本主義モデルの複数性と
いう認識を⽐較政治学に迫った点に最も⼤きな意義がある.その際に⼤きな役割を果たし
たのが,レイプハルト(Arend Lijphardt),ロッカン(Stein Rokkan),レームブルッフ
(Gerhard Lehmbruch)といったヨーロッパ出⾝の研究者たちである,アメリカで⽣まれた⽐
較政治学は,いったん戦後ヨーロッパに輸⼊されることで,そこでの現実との突合せを通
じて,より豊かな認識を得るにいたったのである.
モデルの複数性の認識は,その起源の探求を促す.すでにバリントン・ムーアの業績は,
デモクラシーの成否を歴史的に説明する接近⽅法の可能性を⽰していたが,多極共存型デ
モクラシーやコーポラティズムの議論は,政治⼯学的なモデルの移植可能性を論ずるとと
もに,その限界としての歴史的規定性を発⾒することにもなった.つまり,現にある多様
性が,その社会に深く根ざした要因に規定されていると考えるならば,それは移植可能な
「ツール」というよりも,歴史的に形成された「構造」と考えることが適切であり,そこ
から,多様な構造の分岐点を過去に探る,というアプローチが導き出されるのである.
ロッカンらが各国の政党配置に即して⽰した,「危機→分岐」の逐次分化モデルは,この
ような思考⽅法の典型的な例である.
もう⼀つの契機は,アメリカ政治学における「国家(state)」概念の再導⼊であり,これ
が⼤きなインパクトを持ったことについては,⽇本においても1980年代から1990年代まで
の間,盛んに紹介・検討がなされた.本稿との関連では,国家という変数の導⼊よりも,
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その主唱者であったスコチポル(Theda Skocpol)が,明⽰的に「⽐較歴史法」なる⽅法を導
⼊したことが重要である(cf. 野⽥ 1999).これにより,「制度」と「歴史」の組み合わせ
という⼿法が明確に意識されるようになるのである.
これ以降,1970〜80年代には,アメリカ⽐較政治学において,マクロな制度ないし構造
の多様性のパフォーマンスへの影響を⽰した上で,その形成を歴史的に説明するという研
究が,主として政治経済論の分野を中⼼に花開いた.その代表例は,Zysman
(1983),Katzenstein (1984; 1985),Hall (1986)である.さらに政治体制に関する
Luebbert (1987; 1991)があり,スコチポル,カッツェンスタイン,ウェイアといった執筆
者が並ぶEvans, Rueschemeyer and Skocpol (1985)などである.
上に述べたような状況についてホール(Peter A. Hall)は,1960年代までに,歴史学,政
治学,社会学,経済学の間の対話のための基盤が,近代化論の上に成⽴したとする.そこ
では,歴史と政治は「下から」,すなわち,社会経済プロセスが社会階級の形成を条件付
け,社会が直⾯するジレンマを形作ることによって,推し進められていく,という理解が
共有されていたという.社会経済的な発展に対する反応には共通性が存在するという感覚
が,地域個別の特異性にもかかわらず,⼀般化を可能にすると考えられていた.「事件」
ではなく「発展」という概念それ⾃体が,これらの業績の要⽯だったのである(Hall 2007)
[3]
2.⻄ドイツにおける政治学と歴史学
アメリカとは異なる⽂脈においてであるが,⻄ドイツにおいても政治学と歴史学の間に
は,ある時期まで⼀定の共通領域があった.以下ではこれを,政治学の構築に関する⼈的
制度的条件と,歴史学側の転回に分けて概観する
(1)⻄ドイツ政治学の構築と歴史研究
ドイツの⼤学における政治学は,戦後の新しい学問分野である.第⼆次⼤戦までのドイ
ツにおいて政治に関する知的検討のうち,⼤学における通常の学科として認められていた
のは,公法学およびその⼀部としての国家学であった[4].戦後,ドイツ社会の⺠主化とい
う課題を果たす学問として,政治学はまずいくつかの州での新規イニシアティヴとして新
たに設⽴され,1960年代になってようやく,全国的な通常の学科目として認知されるよう
になった.
このような事情から,ドイツ政治学設⽴期においては,「政治学」を学んで政治学の教
授を⾏うものは存在しなかった.そこで,戦後第⼀世代の「政治学者」たちは隣接分野で
のトレーニングを受けたものや実務家から構成されることとなった.エッシェンブルク
(Theodor Eschenburg)は官僚,ウェーバー(Alfred Weber)は経済・社会学者,哲学者,
アーベントロート(Wolfgang Abendroth),フレンケル(Ernst Fraenkel),フェーゲリン
(Eric Voegelin),フレヒトハイム(Ossip K. Flechtheim)が法学,オーベルンデルファー
(Dieter Oberndörfer)やシュテルンベルガー(Dolf Sternberger)が哲学,といった具合で
ある.
また,彼らを引き継ぐ第⼆世代,すなわち戦後期に学⽣・助⼿として学問的⾃⼰形成を
-3-
⾏った世代においても,完結した学問体系としての政治学出⾝者は少ない.『ワイマール
共和国の崩壊(Die Auflösung der Weimarer Republik, 1955)』で知られる1922年⽣まれの
ブラッハー(Karl Dietrich Bracher)はローマ史で博⼠号を取得した後に,ボン⼤学で「政
治学と現代史」講座の教授となった.また1928年⽣まれのレームブルッフは神学を学び第
⼀次国家試験を通過した後,エッシェンブルクの助⼿に誘われ政治学に転じた(Lehmbruch
1997).このような点で歴史学的アプローチと「政治学」の間に⼀定の親和性があったので
ある.
これを反映して,当初は政治学科の中に現代史に関する講座が存在することは珍しくな
かった.例えばマンハイム⼤学では,ワイマール期の社会⺠主党研究で知られるマティア
ス(Erich Matthias)が現代史第1講座,東ドイツ研究のウェーバー(Hermann Weber)が第2講
座を占めていた.ボン⼤学においても,ブラッハー招聘に際して,担当講座名が「政治学
と現代史(Wissenschaft von der Politik und Zeitgeschichte)」に改められている.
また,このような課題との関係で,政治学を実践と結びついた学であると考える潮流が
強かったことも指摘しておくべきだろう.公法学者スメントの下で学んだ1922年⽣まれの
ヘンニス(Wilhelm Hennnis)は,『ツァイト』誌に頻繁に時評を執筆するなど,よく知られ
た政治学者であったが,彼の主著の⼀つが『政治学としての実践哲学――政治学の再構築
のための研究』(1963)であることは,当時の雰囲気を伝えるものといえよう.
(2)⻄ドイツ歴史学の政治性
⼀⽅,歴史学のうち,特に現代史については,政治学と同様に戦後ドイツの再建という
課題を密接に結びついた形で学問の展開が⾏われた.ナチスの興隆と体制構築,第⼆次世
界⼤戦というきわめて政治的な主題が,中⼼となったのである.
そのため政治学との結びつきは当初から強かった.,『現代史四季報』は,1953年の創
刊時に歴史学者ロートフェルス(Hans Rothfels)と政治学者エッシェンブルクを編集委員と
して出発し,ブラッハー,シュヴァルツ(Hans-Peter Schwarz)と,政治学と現代史を架橋
するような⼈物を編集委員として擁してきた.また労働運動史の専門誌であった『ドイツ
労働運動史通信』は1965年に創刊され,1996年以降はベルリン⾃由⼤学の政治学部門であ
るオットー・ズーア研究所が発⾏者であったが,最後の時期の編集委員にいたるまで,
ゲッティンゲンのレッシェ(Peter Lösche),マンハイムのウェーバーら政治学科に籍を置
く教員も含まれていた.
これらは伝統的な歴史学の中の状況であったが,これを批判する形で1960年代以降に⽣
まれたのが,いわゆる「社会史(Gesellschaftsgeschichte)」の潮流である.ただしドイツ
社会史の特徴は,伝統的政治史を「外交の優位(Primat der Aussenpolitik)」というパー
スペクティブの下での歴史叙述と捉え.これに「内政の優位(Primat der Innenpolitik)」
を掲げた点にある.したがって,当初のドイツ社会史は,⽇常史やミクロな世界への沈潜
といった,隣国フランスで早くから進んだ潮流とは⽅向をことにし,むしろ広い意味での
社会経済的権⼒現象を経済利益・階級の観点から解釈するという⾊彩を強く帯びていた.
例えば,この潮流の代表格であるヴェーラーの博⼠論⽂は「ビスマルクと帝国主義」であ
るし,コッカの初期の代表作は『戦時の階級社会:ドイツ社会史1914-1918』である.
このような分析⼿法が,「⺠主化の挫折」「戦争」と⾔った問題設定においても,社会
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経済利益に焦点を当てる分析視角においても,アメリカにおける歴史社会学や⽐較政治学
的歴史研究と共通点を持つことは明らかだろう.さらに,先のホールの指摘を裏付けるよ
うに,初期の社会史の理論的基礎としてヴェーラーは,『近代化理論と歴史学』を著し,
⼀定の留保をつけながらも,近代化理論を積極的に評価する姿勢を⽰している(ヴェー
ラー 1977;野⽥ 1999).
Ⅲ.政治学の静学化,歴史学の非政治化?
1.アメリカ⽐較政治学における制度論と「歴史」
(1)複数⽅法論の採⽤によるコンセンサス?
前節で述べた,⽐較政治学と歴史との関係は,1990年代以降,再び変化していく.先に
あげたホールは,その後,歴史学と⼈類学の⽂化研究への接近,政治学の経済学への接近
という⼆分化が起きたとする(Hall 2007).
前者においては⾔説への注目が鍵となった.歴史学における⽂化論的展開,⽂科研究に
おける新歴史主義,そして政治思想史研究におけるスキナーらのケンブリッジ学派をホー
ルは⼀つのトポスを共有するものとして描いている.これはジェンダー研究によってさら
に推進される⽅向だった.その中では「カテゴリー」の構築性の暴露に重点が置かれるこ
とになる.
⼀⽅,政治学側の展開としてホールが指摘しているのは,合理的選択アプローチの浸透
である.1990年代を通じて,同アプローチはアメリカ政治研究と国際関係研究にとどまら
ず,⽐較政治研究にも広がり,今では,少なくともアメリカの⼤学で教育を受けた若い世
代の研究者に関する限り,ごく標準的な研究のツールとなりつつある.
合理的選択アプローチは,薄い合理性を前提とし,いわば無時間的な分析⼿法をとるた
め,⼀⾒すると歴史研究とは無縁であるように⾒える.しかし,政治学の合理的選択アプ
ローチにとっての直接のインスピレーションの⼀つは,経済史家ノース(Douglas North)の
所有権に関する研究である.つまり,合理的選択アプローチをとることは,その研究対象
として過去の事象を選択することと⽭盾しないのである.実際に,10数年前に「分析的叙
述」という旗を掲げ,ゲーム論による分析と歴史的事例研究を組み合わせようとしたのが,
Bates et al. (1998)である.
これに対し,合理的選択アプローチとは異なる仮定の下に,制度と歴史的視座を組み合
わせる研究を推し進めたのが,いわゆる歴史的制度論である.画期となったのは,いうま
でもなく,歴史的制度論のマニフェストとでもいうべきセーレン(Kathleen Thelen)らの
『政治を構造化する』(Steinmo, Thelen and Longstreth 1992)である.この後,歴史的制
度論の潮流は,いわゆる合理的制度論との論争・協働を経ながら,⾃⼰の⽴場を確⽴・展
開していくことになる.現在,「政治学と歴史」という問題を設定した場合に多くの研究
者が想定するのは,この潮流であろう.この過程で歴史的制度論は,概念構成や⽅法論の
精密化を遂げていくことになる.ただしその詳細を検討するのは報告者の⼿には余る課題
であり,ここではより⼤きな特徴のみを,建林 (1995; 1999)などを参考にしつつ,挙げる
こととしたい.
まず第⼀に,同じ制度に注目しながら,しかし合理的選択を基礎に分析を⾏う合理的選
択制度論との対話の中で,歴史的制度論における⽅法論的省察は進んだ.また,いわゆる
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KKVなどの影響を受けて,計量による実証に⽐肩すべき「質的研究による実証」の⽅法的基
礎を確⽴しようという試みと,これは同時に進⾏していた.その結果,当初想定されてい
た,ある意味で素朴な断続平衡モデル(punctuated equilibrium)は放棄され,制度の多層
性,⽂脈の中での制度の機能変化,部分制度の非同時的変容といった,よりニュアンスに
富む理論的な視座を歴史的制度論は獲得した.
第⼆に,その結果として,歴史制度論分析はより⻑期の変容に目を向けることになった.
すなわち,断続平衡モデルの場合,「断続」のポイントである決定的分岐点(critical
juncture)という,相対的に短期の時期を詳細に研究すれば(cf. Capoccia and Keleman
2007),それ以外の時期は「安定期」として⼀括できるのに対し,より多層的でスピードの
異なる複雑な変化の仮定を視野にいれようとするならば,当然分析の時間枠は広がること
になる.
第三に,歴史的制度論は,建林 (1999)が指摘するような1980年代までの議論の弱点,す
なわち「国家の強さ」などのごくマクロで観察しがたい変数を⽤いる点,制度と結果を結
びつけるメカニズムが明らかではない点,への対応でもあった.それゆえ,より観察可能
な変数を⽤い,メカニズムを明らかにするために,研究の具体的な焦点は,メソないしミ
クロレヴェルの現象に向かう傾向を持つように思われる.
合理的選択アプローチが歴史を研究対象とするようになり,歴史的制度論が⽅法論的に
より精密さを増すことで,両者の根本的な相違はなくならないとはいえ,その距離は,例
えば10年前に⽐べ,縮⼩しているように思われる.
例えばBoix (2010)は以下のように述べ,コンセンサスの成⽴を主張している.
⽅法論的に⾒た場合,この数年間に,政治研究は――暫定的かもしれないが――コ
ンセンサスが成⽴しつつあるのを目の当たりにしている.⼀⽅で,殆どの研究者はい
まや,標準的な多事例(large-N)の統計的⼿法が,定型性の存在を実証的に明らかにす
るために必要であることを受け⼊れている.他⽅で,⼀つないし複数の事例の歴史的
研究が,量的研究に対していくつかの利点を持っていることが,認められている.…
その結果,質的証拠の利⽤は,かつて歴史的制度論を定義する⼀つの要素だったもの
が,その枠を越えて他の分野にも広まった…(Boix 2010: 404).
実際,近年の⽐較政治学において,少なくとも⾼評価を得る業績に関しては,合理主義
的なモデル,計量政治学的な検証,歴史的な過程分析を組み合わせる⽅向が主流になりつ
つある.例えばこの点で模範的といえるのは,2003年にアメリカ政治学会⽐較政治セク
ションのリュッバート記念賞を,単⾏書および論⽂の両部門で同時受賞したマーレスの業
績である(Mares 2004).ここで特筆すべきは,彼⼥が過程分析を⾏う中では,単に既存の
研究業績を組み合わせることで,叙述を組み合わせているだけではなく,⼀定の⽂書館資
料を⽤いることで,⾃らの主張――社会保険制度の成⽴における雇⽤者側の役割――を浮
かび上がらせようとしている点である.
このように,近年の⽐較政治学の業績においても,歴史を対象とする研究が減少したわ
けではない.これは政治史の再⽣を意味するのだろうか?.
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(2)制度論の静学化と実体的問いの拡散
経済史の分野で,⻘⽊昌彦らの⽐較制度分析(Comparative Institutional Analysis)を
受容し,分析的かつ実証的な業績を発表している中林真幸は以下のように述べている.
「ある歴史的な時間を切り取り,その瞬間の経済制度の静⽌画像をナッシュ均衡として分
析しつつ,そして,⻑期的には様々なナッシュ均衡としての経済制度がより効率的な資源
配分を実現する制度へと変化してゆく過程を総合的に分析する⽅法の確⽴には,経済学の
さらなる発展に待たねばならないのである」(中林 2006,208)
ここで指摘されているのは,ゲーム理論に基づく分析の静学性である.ゲーム理論には
⼿番の概念があり,初期状態からプレイヤーが順次⼿を打つ形をとっているため,歴史的
な時間の推移と⼀⾒すると相性が良いように⾒える.しかし,結果は初期状態の中に含ま
れているのであり,その意味で静学的である.政治学においても,合理的選択アプローチ
における制度が均衡として把握されていることを考えれば,同様のことが当てはまるだろ
う.
例えば,最近の『アメリカ政治学レビュー(American Political Science Review)』誌に
おける,クルーザー(Marcus Kreuzer)とキューサック(Thomas Cusack)の論争は,⽐例代表
制導⼊の原因という実体的な論点を脇においても,この点で興味深い(Kreuzer 2010;
Cusack, Iversen and Soskice 2010; Boix 2010).クルーザーは,キューサックらの歴史
的事実認定に誤りがあるとして具体的な例を列挙し,そこを修正した場合に,彼らの議論
が成⽴しないと指摘する.これに加えて,クルーザーは,単に歴史的データを操作するだ
けではなく,歴史家の業績を利⽤すべきであると主張する.これに対してキューサックら
は,事実認定の誤りという主張⾃体が誤っているとして,いくつかの先⾏業績を上げて反
論しているほか,彼らの論⽂の以下のような問題設定の特質を誤解しないよう求めている.
彼らの論⽂においては,⽐例代表制の採⽤と⺠主化の過程が分離して捉えられるべきもの
とされていること,分析の対象となっているのは,(法改正の過程の中ではなく)最終的
な各アクターの選好であることがその主なものである.
実際には絡み合った⼆つの過程を分離し,なおかつ最終的な⽀持不⽀持を選好の判断時
とするこの作業⼿続きからは,⽐例代表制という制度的均衡状態の成⽴条件を析出しよう
とする意図,すなわち「初期条件→均衡状態」の対応関係を明確化しようとする問題設定
が明らかになる⼀⽅,その過程やその中でのダイナミクスに関⼼が寄せられていないこと
がよくあらわれれているいる.
もう⼀つの傾向は,「⽅法論化」とでも⾔うべき傾向である.すでに述べたように
Capoccia and Kelemen (2007),Falleti and Lynch (2009),Mahoney, Kimbarll and
Koivu (2009)など,歴史的制度論の⽅法的語彙は近年著しい深化を⾒た.しかしその反⾯,
分析を通じて主張する内容が,「歴史的制度論の有効性」「制度の重層化」といった,分
析の「⽅法」そのものの正当性に傾く嫌いがあるようにも思われる.例えば,歴史的制度
論の代表者であるセーレンの2冊目の単⾏書は,ドイツ,⽇本,アメリカの熟練形成の制度
を扱った『制度はいかにして進化したか』である(Thelen 2004).同書の本体部分は対象国
の熟練形成制度の「進化」の記述に当てられているが,序章の1/3および結論2/3,制度の
進化をめぐる分析枠組みについての検討である.これは彼⼥の第1作が,ドイツの労働組合
の⼆重構造の機能という実体的問いに答えるものだったのは,対照的である.
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Clemens (2007)はアメリカ歴史社会学の展開について,類似の理解を⽰している.すな
わち,研究主題としては,マルクスとウェーバーの問題系にヒントを得て,資本主義の勃
興や⾰命,⺠主主義の崩壊といったマクロな歴史的事象,⽅法論的には⽐較の⼿法,そし
て理論的枠組みとしては経済利益と合理化,という三つの側⾯を,研究者が共有していた
とする.しかし,その後,それぞれの点において,状況は変化した.まず⽅法論的には,
変数の組み合わせに重点のある⽐較の⼿法から,より歴史のプロセスを重視する⽅向への
変化が⾒られた.また問題設定に関しては,⽅法論の深化と共に何が重要であるかという
ことについての認識も変化し,「社会的囲い込み(social caging)」「集団の出現」といっ
た主題へと関⼼は移⾏した.そして理論的にも,「システムの安定と危機」というイメー
ジから,社会の多層性や非同時性,「事件(event)」の重視といった⽅向への変化が⾒られ
る.この理解においても,実体的な問題から⽅法論への関⼼の以降,「メカニズム」を中
⼼にしたトピックの選択といった傾向を⾒ることができるだろう.
その結果はどのようなものだろうか.クレメンスは,「何が問うに値する問題か」とい
うことについてのコンセンサスの喪失が⾒られると指摘する.本報告の視角からは,これ
は⽅法論化や部分制度化といった他の傾向と⼀体となった,学問潮流の変化ではないかと
考えられる.すなわち,マクロで測定しにくい事象を避け,より具体的に論証しやすいメ
ソ,ミクロの事象を対象とすることは,そのケース・問題設定の重要性についての疑問を
⽣じさせる.これを回避するためには,何らかの⼀般性を主張する必要がある.ケースそ
のものの重要性が低いとするならば,そのメカニズムや分析アプローチこそが,⼀般命題
の個別化として,強く主張すべき内容にならざるを得ない.しかも,政治学における実証
⽅法についての議論が深まった結果,⼀般化可能性はより厳しい基準で判断されるように
なった.「個別事例の検討でも(⼀般化可能性がなくとも)⾯⽩ければよい」と開き直ら
ない限り,問題の設定は制約されるであろう.
(3)⼩括
本節の議論を簡単にまとめておこう.⽐較政治学の分野においては,合理的選択アプ
ローチの浸透にもかかわらず,歴史的事象を対象とした研究が少なくなったわけではない.
しかし,そこでの「歴史」の扱い⽅には⼀定の傾向があるように思われる.静学化,⽅法
論化,部分制度化などの傾向である.これらの傾向は,ある種の「政治史」とは合致しな
いものであるが,その点を検討する前に,ドイツの状況を次の⼆つの項で検討しよう.
2.ドイツにおける政治学の⾃⽴化と非歴史化
(1)政治学の⾃⽴化
ドイツにおいては,政治学の歴史離れは進⾏している.これが,政治学という学問分野
の⾃律化によって促進されている点が,アメリカとの違いである.政治学が⾃らの内部で
学問的後継者を再⽣産できるようになるにつれて,歴史離れが進んだのである.
すなわち,政治学が学科として各⼤学に設置された後,教授ポストにつくものは,当然
政治学博⼠号の保持者が中⼼となった.代表例はドイツの政治学者で最も早く国際舞台で
活躍した,1934年⽣まれのベイメ(Klaus von Beyme)である.1937年⽣まれのクリンゲマン
(Hans-Dieter Klingemann),1940年⽣まれのオッフェ(Claus Offe)などもこの世代に属す
-8-
る[5].
もっとも,なおベビーブーム世代辺りまでは,「政治学」とはいっても現代史との境界
領域で学位を取得した者の数は少なくない.ベイメと同年⽣まれのシュヴァルツはアデナ
ウアーの伝記や外交時評で知られるが,フライブルクのベルクシュトレッサーの下で教授
資格論⽂を書き,ボン⼤学のブラッハーの講座を引き継いだ.マンハイム⼤学で,政治
学・現代史講座を引き継いだ1942年⽣まれのシェーンホーヴェン(Klaus Schönhoven)は,
ヴュルツブルクで学んだ後,ゲッティンゲンの近代史講座の私講師をつとめ,その後にマ
ンハイム⼤学に着任した.彼の専門領域は労働運動史であり,「20世紀ドイツ労働運動史
資料集(Quellen zur Geschichte der deutschen Gewerkschaftsbewegung im 20.
Jahrhundert)」シリーズの編纂者として知られている.
しかし,その後の世代においてはこのような領域での研究者も姿を消す.この間にドイ
ツ政治学会は⼆つの,重複する対⽴の中にあった.第⼀は,若⼿研究を中⼼とする左派の
「批判的」政治学者との間での政治的対⽴である.そして第⼆は,規範的・存在論的潮流,
歴史的・批判的潮流そして実証的・分析的潮流の間での,政治学の⽅法的基礎をめぐる対
⽴である.この中で保守的・伝統指向の政治学者の⼀部は,ドイツ政治学会DVPWから脱退
し,ドイツ政治学協会DGfPを1983年に設⽴した.左派研究者の⾔動が⼤きく取り上げられ
ることで,政府からの援助が疑問に付され,またかれらの隣接分野の「保守的」教員への
攻撃が⼤学内での不審を買ったこともあり,残された政治学者は学問的な地位の確保に努
めなければならなかった.その中で「現代的社会科学」化が指向されていくことになった
のである.,その過程では,アメリカ現代政治学が⼀つのモデルとして機能した.また,
1970年に設⽴されたヨーロッパ政治研究コンソーシアム(ECPR)も,交流の場として機能し
ていた,
その結果,歴史学との距離は開いた.例えばマンハイムで2007年にシェーンホーヴェン
の後を襲ったリットバーガー(Berthold Rttberger)は,コンスタンツで政治学を学び,
オックスフォードで博⼠号を取得したという経歴を持つヨーロッパ統合研究者である.彼
の業績は,ヨーロッパレヴェルの「議会」(ECSC総会やヨーロッパ議会)の形成を扱った
博⼠論⽂など,EU研究者の中で相対的には歴史的次元を重視するものであり,ドイツ外務
省、フランス外務省、EU関係の⽂書館資料を⼀部で利⽤しているが,近い時代については
議会討論を実証の根拠とするなど,いわゆる歴史研究に数えられるものとはいえないであ
ろう.また史料の利⽤は基本的に選好の確定のためであり,政治過程を追跡する目的では
ない.オルデンブルク⼤学では歴史と政治学(Politologie)講座が廃⽌された,またボン⼤
学ではブラッハー,シュヴァルツ,そして1943年⽣まれのハッケ(Christian Hacke)の後,
歴史家をかねる⼈物の採⽤は⾏われていない
2006年にドイツ政治学会が実施したアンケートによれば(Falter and Knodt 2007),「現
在依拠しているアプローチ」の中で,歴史的アプローチは依然として第2位に位置している.
しかし1996年調査に⽐べ,第1位の新制度主義が10%増(54→64)なのに⽐べ,52%から45%
へと⽐率は低下しており,15%増加した第3位の合理的選択(26→41)に迫られている.し
かも以下のような,政治学のカリキュラム編成を考えれば,若い世代においてこの傾向が
逆転することは考えにくい.
いわゆるボローニャ・プロセスによる,⾼等教育の三段階化(学⼠・修⼠・博⼠)の中
-9-
で,ヨーロッパ各国の政治学会は合同でカリキュラムについての勧告(European
Conference of National Political Science Associations 2003)を発した.その中で政治
学⼠ないし政治専攻社会学⼠の称号を得るためには,最低限政治学の単位を90ECTU以上と
ることが必要であるとされ,以下のようなコアとなる主題領域を含むものとされている.
コア領域とは,政治理論・政治思想史(History of Political Ideas),統計を含む⽅法論,
⾃国及びEUの政治システム,⽐較政治,国際関係,⾏政と政策分析,政治経済学・政治社
会学の7つである.実際に各領域の中に歴史的側⾯を扱うものが含まれるか否かは別問題だ
が,ここでは,「政治史」は少なくとも固有のサブディシプリンとしてみなされてはいな
いことが,明らかだろう.
これにほぼ対応する形で,ドイツ政治学会は「コアカリキュラム勧告」を⾏った
(Gestufte Studiengange in der Politikwissenschaft. Empfehlungen zu einem
Kerncurriculum von Vorstand und Beirat der DVPW).その中では,政治理論,⽅法,ド
イツの内政と政治システム,⽐較政治システム,対外政策と国際関係が5つのコア領域とさ
れており,さらにその中で各3〜4点のトピックが挙げられている.その中では,「政治理
論」において「政治の基礎概念」と並んで,「政治理論の古典」「近代の政治理論」があ
げられているものの,ドイツの内政については「制度上の基礎」「政治的意思形成と利益
媒介」「政策分析」「多層システムの政治・ヨーロッパの中のドイツ」,⽐較政治につい
ては「制度上の基礎」「政治過程」「政策分析」「ヨーロッパ内政」となっており,「歴
史」の要素を強くうかがわせるものは存在しない.
もちろん,政治学と歴史学の併習といったことは依然として可能であるが,ここからは
少なくとも,「政治学」の中で歴史を積極的に位置づける動きは⾒られない.
(2)歴史的政治学研究と国際的評価:ゲッティンゲンの事例
歴史的政治学研究の困難を如実にあらわすのは,ゲッティンゲン⼤学の政治学科の歴史
的政党研究をめぐる論争である[6].ゲッティンゲンでは,レッシェの下,「ミリュー」と
いうキータームを軸に,社会と政党の関係や,党内構造を歴史的に研究する論⽂を,様々
なプロジェクトや学位論⽂を通じて推進してきていた(例えばLösche 1990).これに対し,
ブラッハー門下のアレマン(Ulrich von Alemann)との間に,ドイツ政治学会の会誌『政治
学四季報』上での論争が⾏われた.これは後者が,前者の論説が研究⽔準を踏まえておら
ず,メディア向けに過度の単純化を⾏っていると批判したものでる.これに対しレッシェ
らは,⾃らが政党研究者として,歴史的・実証的な業績を発表し続けており,教科書以外
に政党研究の論⽂のないアレマンに批判される理由はないこと,また『シュピーゲル』や
『ツァイト』といったメディアは,独⾃の研究に基づいたほかで得られない⾒解を研究者
に求めており,メディアの意図に沿った内容の記事ならば内部で⽣産できることを指摘し
て反論した上で,ドイツの政治学者がメディアでのプレゼンスそれ⾃体に消極的であるこ
とを,アメリカとの対⽐で問題視した.ヴァルターはそれまで1991,93,95年と政治学会
の機関誌『政治学四季報』に論⽂を掲載していたが,この論争以降は発表していない.⼀
⽅アレマンは,政治学の学⼠・修⼠課程認証評価者として政治学会から推薦されるなど,
その後も政治学会で活動している(Politikwissenschaft, 126, 2002).
さらに,ニーダーザクセン州の⼤学改⾰の中,各⼤学の研究の外部評価が⾏われた際
-10-
(Forschungsevaluation an niedersächsischen Hochshulen und
Forschungsreinrichtungen. Politikwissenschaft und Soziologie. Ergebnisse und
Empfehlungen, 2004),ゲッティンゲンの政党研究は「全国的に認知されている⽔準」と
評価されたものの,「研究の視座はドイツの政党システムの構造と展開に限定されており,
⽐較の視座を体系的に取り⼊れることで得るものがあるであろう」と⽰唆された(47).ま
た,レッシェらが参画していた同⼤の「ヨーロッパ・アメリカ研究センター」に対しても,
「地域研究」アプローチをやめ,⽐較研究を中⼼とすべきであるとの勧告が⽰された.さ
らにゲッティンゲンを名指ししてはいないものの,「国際的なプレゼンスは⼩さい…,模
範的に堅実で,部分的にはオリジナルな業績が挙げられているものの,格別の理論的・実
証的イノベーションの兆しは⾒られない(48)」とされているのは,評価者たちのスタンス
を良く⽰している.要するに,「国内向けの学問」という部分が低く評価されているので
ある.評価を⾏ったのは,ヨーロッパ政治研究コンソーシアムで様々な役職を務めたクリ
ンゲマン(Hans-Dieter Klingemann)委員⻑らであった.
この評価を利⽤して,ゲッティンゲン⼤学の学⻑である⽣物化学者フィグラ(Kurt von
Figura)は政治学科のポスト削減を提⽰した.これに対し,ヴァルターは強く反発し,メ
ディアを通じて州政府との対⽴が報道されることになった.ヴァルターは,政党の歴史的
研究を継続・発展させるだけではなく,『シュピーゲル』誌に定期的にコラムを執筆し,
それを基礎に政治時論集を次々と公刊するなど,メディアにも頻繁に登場する有名教員で
あった.レッシェとヴァルターはともに社会⺠主党員であり,対⽴の背景には,キリスト
教⺠主同盟の州政府の意向もあったといわれる.結果としては,ヴァルターはゲッティン
ゲンへの残留交渉の中で,研究資⾦の増額にも成功し,2010年春からは政治学セミナーか
らは独⽴した「デモクラシー研究所(Institut für Demokratieforschung)」を率いること
となった.
ここに⽰されているのは,歴史的⽅法固有の問題ではないが,「国内向け」政治学の困
難である.ヨーロッパ,そしてグローバルなレヴェルでの評価がなければ,たとえ国内的
に活発な研究活動が⼀定の質を保って⾏われていても,分野として縮⼩を余儀なくされる
可能性があるのである.
3.ドイツにおける歴史学の非政治史化
初期においては,⼀定の範囲で政治史分析との接点を持っていたドイツの社会史も,次
第にその重点を,より⻑期的な,社会変容へと移す.例えば1970年代後半からコッカは,
まず職員層,ついで労働者,そして市⺠層という形で,集団形成の問題を,⻑期的な視野
の下に扱うようになった.また,1980年代以降,周囲のヨーロッパ諸国の動向を追う形で,
「普通の⼈々の⽇常や経験」に焦点を当てる⽇常史や⽂化史の潮流が,ドイツにおいても
⼒を得るようになった.『歴史と社会』は,すでに1984年には「社会史と⽂化⼈類学」と
題する特集を組んでいるが,1996年には「⽂化史の現在」と題する特別号を発⾏し,1997
年にも「⽂化史への道」という特集を組んでいることにもあらわれている.この中で,狭
義の政治史的トピックは後継に退いていくことになった.
現在のドイツの歴史学雑誌を概観する限り,政治家,政党,社会組織といったいわゆる
典型的な政治アクターの相互作⽤を中⼼とする「政治史」が,少なくとも前⾯にないこと
-11-
は明らかである.例えば,かつて「歴史的社会科学」を掲げていた『歴史と社会』誌にお
いて,近年政治史に関係するテーマが特集されたことはない.また,中⾼教員をも対象と
する『歴史の研究と教育』においても同様である.
しかし,政治学にとっても重要な意味を持つ問題がまったく扱われていないということ
ではない.むしろ,広義の社会史的研究の浸透や⾔語論的展開を受け,政治の概念を広く
取ると共に,伝統的なアプローチとは異なる接近⽅法をとる「新しい政治史」「政治(な
いしは政治的なるもの)の⽂化史」(Bosch and Domeier 2008)が広がったのである.その
中⼼となるのは,現在ビーレフェルト学派の中⼼をなすフレーヴェルト(Ute Frevert)や,
ラファエル(Lutz Raphael)などである.現在の『歴史と社会』誌は彼⼥らを中⼼に編集が
⾏われている.
このような動向の背景をなすのは,⽂化学的転回でありそこでは歴史的な「経験
(Erfahrung)」が主導的概念となる(Leonhard 2006).レオンハルト[7]によれば,ここで
「経験」とは体験(Erlebnis)が知覚・解釈枠組みの中に位置づけられたものである.そし
て「解釈知(Deutungswissen)の変化は…⻑期的な過程としてのみ理解できる.まさにそこ
から,歴史分析にとっては,解釈過程を⻑期にわたって視野に修める必然性が⽣じる
(157)」とされる.ここでの⽂化史は,ドイツ型の「社会史」に対する批判である.特にそ
の近代に対する目的論的解釈と「現実」概念の相違において際⽴っている.
このような「新しい政治史」がその⽅向性において,むしろアナール学派と共通性を持
つことは,レオンハルトの以下のような記述にも⾒て取れる.「20世紀の経験史は,まず
第⼀に,⻑期持続の視野を重視する.これは,20世紀を1933年から1945年の間の年に還元
しないことを意味する.その限りにおいて,他の時代の構造的プロセスについての議論が
とも接続可能となり,それにより従来の時期区分のモデルを問い直し新たな区分を構想す
ることが可能になる」(162).ここでは,ナチス⽀配⼀極史観からの解放と,短期から⻑期
への視座の以降がほぼ等置されており,別の(短期的な)時期に焦点を当てた歴史記述の
可能性はそもそも想定されていないように⾒える.
あるいは,近年発刊された雑誌の中で「⽐較」を表題に掲げる『⽐較(comparativ)』誌
をみてみよう.同誌の中⼼をなすキー表現は「越える・横断する(trans-)」「移転
(transfer)」であり,⾷糧,帝国,⼈⼝移動などそのテーマに沿いやすいトピックが選択
されている[8].
以上を要約するならば,国⺠史批判と社会史的研究視角が浸透し,広まった.その結果
として,「国⺠国家」の枠の中の政治現象を主として扱う,いわゆる「政治史」の場所は
きわめて縮⼩したといえる.ただし同じ「政治」であっても,国際関係については,現象
そのものが国境を越える性格を持つばかりではなく,EUという統治体をどう解釈するかと
いうアクチュアルな問題と関連しているため,研究は⽂字通り国境横断的に,なおかつ活
発に⾏われているといってよい.
このような傾向は,『歴史と社会』誌を中⼼とする,政治的に中道左派よりの歴史家に
限られるものではない[9].例えば,同誌の編集委員であり,ビーレフェルト出⾝ではある
が,政治的には保守主義の⾰新を主張するノルテ(Paul Nolte)の教授資格論⽂である『ド
イツ社会の秩序』は,⾔説秩序分析と共通する側⾯を持っている.また,テュービンゲン
⼤学の現代史講座を担当するデーリング=マントイフェル(Anselm Doering-Manteuffel)は,
-12-
⾃らはノルテ(Ernst Nolte)の下で博⼠論⽂を,シュテュルマー(Michael Stürmer)の下で
教授資格論⽂を書くなど,どちらかといえば伝統的な歴史家であるが,彼が現講座から輩
出したした博⼠論⽂を中⼼とする叢書「秩序のシステム」(オルデンブルク社)は,「近
代の理念史の研究」を副題とし,『ドイツプロテスタンティスムの⻄側指向?』『⻄洋
(Abendland)とアメリカの間で』といった研究を⽪切りに,年3巻程度のペースで着実に出
版を続けている.なおその共同編集者にはラファエルも名を連ねている.
伝統的歴史学の中⼼の⼀つである『史学雑誌(Historische Zeitschtift)』についても類
似の傾向は⾒られる.Fahrmeir (2010)の19・20世紀史の論⽂についての概観によれば,伝
統指向,政治・外交史中⼼であった同誌においても,1980年代以降は社会史の論⽂が増え,
1990年代以降はジェンダーなど新しいテーマもとりあげられていると指摘している.
⼀⽅で『現代史四季報』には,名誉教授となったシュヴァルツを最後に,政治学科に所
属する現職の教員は存在しない.また『ドイツ労働運動史通信』は2007年を最後に廃刊さ
れた.このようなコントラストは,現在の政治史の⽴場を良く⽰していると⾔えるだろう.
ただしこの点は,アメリカ政治学・アメリカ歴史学においては異なるようである.
Zelizer (2010)によれば,ベビーブーム世代によって伝統的な政治史研究は批判され,周
縁に追いやられた.しかし,新たなトピックや⽅法の発⾒により活性化され,1990年代末
以降,再び中⼼的な位置を占めつつあるという.その理由の⼀つとして,アメリカ政治学
におけるアメリカ政治発展論(American Political Development)との交流があげられてい
る.したがって,世界的に政治史が退潮にあるというわけではない.
しかしイギリスについて,ペダーセンは以下のように述べている.
⽐較史は,1960年代と1970年代の政治的楽観主義や,歴史家の社会科学的⽅法への
関与から⽣まれた――そして,その楽観主義的な時期も歴史と社会科学の連繋も確実
に終わりを遂げた.相対的な⽂化的悲観主義の時代に,歴史家たちは因果関係よりも
意味に関⼼をもつようになり,政治学者よりも⽂芸批評家や⼈類学者の⽅を気の合う
仲間と⾒なしている(ペダーセン 2005,81).
このことから考えれば,ドイツの状況が少なくとも「例外」であるとは考えにくい.政
治史の空間の縮減は,少なくとも現実的な脅威であるとまでは⾔うことが許されよう.
Ⅳ.⽐較政治学と歴史研究:三つの選択枝
以上のように,⽐較政治学においては,歴史的事象を対象とする研究は続くもののその
性格は変化し,変動や過程への関⼼が失なわれた.歴史学も,静学化したという点では同
様だが,それだけではなくいゆわる「政治」現象への関⼼を喪失した点が異なっている.
この⼆つのプロセスの進⾏によって,政治学と歴史学の関係は1960〜70年とは異なってお
り,「政治史」という分野も変容を迫られている,というのが本稿の解釈である.
では政治史には,どのような可能性が残されているだろうか.すでに⾒たように,ヨー
ロッパを対象とする「政治史」という分野が,⾃⽴的なサブディシプリンとして存在して
いるとしては⾔いがたい,という状況を前提として,ここでは三つの選択肢を提⽰してみ
たい.
-13-
第⼀の可能性は,政治学と歴史学が静学化したという共通点,そして政治学においては
やや弱いながら,同じく⾔語論的展開の影響をうけているという状況の上に成り⽴つ選択
肢である.すなわち,歴史学におけるいわゆる「新しい政治史」と接続する形での,構築
主義的政治史研究である.具体的な研究内容としては,⾔説分析やジェンダー研究,マイ
クロポリティクスの研究などがあげられるであろう.場合によっては,これは,古くから
の研究スタイルである理念史的・精神史的研究と接点を持ち,さらに(政治理論ではな
く)政治思想史研究とも連携することが可能となるであろう.また,少なくとも国際政治
学の分野で,構築主義が少数派集団としての地位を固めていることは,隣接分野である⽐
較政治学における同様の研究の地位の安定に寄与するだろう.
研究の実質に関しては.このような⽅向性が,分析の基盤となるカテゴリーそれ⾃体の
歴史性や権⼒性を明らかにすることに貢献することはいうまでもない.また現在⾃明なも
のを,非⾃明化することによって,新しい知⾒が⽣み出されることもあるだろう.
他⽅で,⾔説分析それ⾃体によって(利益や計算を導⼊せずに)政治的な変化を分析で
きるかどうかについては疑問無しとはしない.また,現実にアイディア,⾔説に焦点を当
てた分析として引⽤される業績について,質に問題があることも指摘しておかなければな
らない.
例えばBerman (1998)は,アイディアを重視した1930 年代研究としてしばしば引⽤され
る.しかし実際には,労働運動研究の超古典的分野である綱領史の域を出ておらず,解釈
にもなんら新しさはない.そればかりか,歴史学上の研究動向を全く踏まえずに,ドイツ
歴史学上の「常識」を政治学上のオリジナリティとしているのは,受け⼊れられるもので
はない.すなわち,⾔説分析を⾏うのであれば,伝統的にそこに重点を置いてきた歴史学
や法学の議論を参照しておく必要があるといえるだろう.また,ヨーロッパ統合に関する
ヴィヴィアン・シュミットの⼀連の業績は(Schmidt 2002; 2005),アイディアの作⽤の仕
⽅やそれを分析する枠組みについては,洗練を⽰してきているが,実証的な基盤は不確か
である.すなわち,証拠として挙げられているものは孫引きの連続であり,⾔説レヴェル
と実態レヴェルが必ずしも整理されていない.そして,各国の特徴づけはステロタイプの
再⽣産になってしまっている.先にあげたように,数理モデルを含むマレスのような研究
者が,事例研究の実証作業に⽂書館史料や同時代の公刊史料を⽤いていることを考えれば,
「⾔説制度主義(discursive institutionalism)」は,その実証作業においてより綿密でな
ければならないだろう.
つまり,この⽅向性において新たな成果を上げるためには,第⼀に隣接領域の研究動向
に敏感であること,第⼆に実証的な基礎についてより繊細な注意を払うこと,そして第三
に,政治⽂化のステロタイプに陥らないよう,⾔説間の対抗・緊張関係により注意を払う
ことが必要であると思われる.
第⼆の可能性は,歴史学ではなく,歴史を対象とする他の社会科学,とりわけ歴史社会
学との連携である.アメリカにおいては,通常「社会学者」であるとされるスコチポルが
政治学会の会⻑をつとめたことにみられるように,元来歴史的政治学研究と歴史社会学の
垣根は限りなく低いように⾒える.その点で,そもそもこの選択肢の可能性は⾼いといえ
るであろう.また,いわゆる歴史的制度論が,政治経済学的トピックをあつかっているこ
とも,狭い意味の政治的アクター(政党,政治家,官僚…)にとどまらない諸主体を扱う
-14-
という点で,交流の可能性を強めている.
その際,現在の研究の⽅向性から⾒る限り,このようなアプロ-チはおそらく,どちら
かというと中・⻑期の問いを⽴てるというものになるのではないだろうか(cf. Mahoney
and Rueschemeyer 2003).その意味で,変動というよりは変容を,決断というよりは構造
変化が対象となっていくだろう.もちろん,ムーア(1986,原著1966)から,Spruyt
(1994)やErtman (1997),そしてスコチポル(2007)にいたるまで,このようなアプローチは
歴史社会学の伝統的なお家芸ではあった.そして,政治学における歴史的制度論グループ
が,「重層化(layering)」「転⽤(conversion)」などの新しいキーワードを導⼊して,あ
る特定の局⾯に注目するよりも,よりスパンの⻑い制度変容を捉える⽅向へシフトしてい
るのも,これと同調する⽅向性と考えてよい(Thelen 2004).この分野では,変容のメカニ
クスや,そのコンテクストとの関係などが⽅法論のレヴェルで盛んに議論されており,そ
れらを利⽤することで,より広い範囲に理論的貢献をアピールする可能性があるだろう.
また,実証の密度を上げ,特定のテーマに関する⻑期的視座を取るという点からは,政
策史的研究が,有⼒な⽅向として考えられる.いわゆるアメリカ政治発展論において,近
年活発に研究が進んでいるのはこの分野であるという[10].
この⼆つの⽅向性は,そもそもアメリカ政治学が歴史的次元に着目するにいたった契機,
すなわち短期間の歴史的変動・事件を重視しない点で共通している.しかし,政治史は,
より正確には⽇本における政治史とは,相対的には短い期間における,政治諸主体の選好
と戦略,そしてその相互作⽤の分析を中⼼的な課題としてきたのではなかっただろうか.
篠原 (1959)が,マルクス主義的⽴場から書かれた構造論的な遠⼭・藤原・今井『⽇本史』
を批判する際に強調したのが,政治過程の独⾃の⼒学であった.また酒井 (1988)が,⽇本
政治史研究の研究状況を展望する中で指摘したのは,分権的な明治憲法体制と,政治過程
論的接近⽅法の親和性であった.
この⽅向性,すなわち第三の選択肢としての,「政治過程分析としての政治史」につい
てはどうだろうか.本稿の⾒通しからするならば,⼀般論としてはこのような選択肢の将
来性は明るくないといわざるを得ないだろう.というのも,そのような研究は,歴史学の
側でも政治学の側でも特に必要とされていないようにみえるからである.むろん,「政治
史」というアプローチが,(マイノリティではあれ)確固たる地位を占めていれば別であ
る.しかし,ドイツに⾒るように,(過程論的分析という意味での)政治史が制度的にも
存⽴基盤を失う例もある.であるならば,政治史研究は,さしあたり政治学全般に向けて
より明確なアピールを⾏わない限り,絶滅危惧種として死を待つ存在になるだろう.
ではどのような可能性があるだろうか.⼀つの⽅向は,政治変動のメカニズム分析とし
てより徹底化を⾏うことだろう,上述の通り,因果関係を表現する語彙は豊富になりつつ
ある.その様々な因果のメカニズムが具体的にどのように作⽤するかを検討することで,
より⼤きな理論的課題に貢献できるかもしれない.
Ⅴ.外国研究と⾃国研究
これまでに論じた,政治学と歴史学の関係という論点に加え,本パネルのテーマである,
⽇本におけるヨーロッパ政治史研究に関しては,⾃国研究と外国研究という問題が加わる
ことになる.
-15-
すなわち,以上のような傾向がアメリカやドイツに⾒られるからといって,それが必然
であると考える必要はない.トピックや⽅法の選択がたぶんに各国・各時代の社会状況や
時代精神を反映し,しかも⼤学制度のそのほかの様々な制度的条件にも制約されている以
上,⽇本においては,政治史研究の果たす意味は⼤きい,ないしは今後さらに重視される
べきであるという主張を⾏うことは⼗分に可能である.社会科学が今目の前にある社会に
対する問題意識を出発点とするものであるならば,その⽅向性までもがグローバル化・均
⼀化される必要はない.例えば,全体としては,⽐較政治学における⼀定の多様性の擁護
という⽂脈の中で,河野勝は「アメリカのマーケットに⾃分を売り込みたいと最先端の政
治学を目指す⼈もいれば,⽇本で⼟着的な研究をやるような⼈もいて,そのあいだにいろ
んなグラデーションがあっていいと思うんです(⼤嶽・河野 2008, 57)」と述べている.
しかし外国研究において事情は異なるように思われる.もちろん,上に述べたことと
まったく同じ論理構成で,「⽇本固有の問題設定に基づく,⽇本の研究者向けのヨーロッ
パ研究」を位置づけることは可能である.したがってこの相違とは,論理的なものという
より,事実上のものである.
ここで事実上の相違,とするのは,読み⼿=書き⼿の量の多寡ないし研究者共同体の密
度の⾼低である.学問をそれとして存⽴させるために研究者共同体が果たす機能の⼀つは,
「意味のある」業績とそうでないものを弁別すること,すなわち質的に新しい業績かどう
か,オリジナリティのあるものかどうかを判断することにある.しかし,読み⼿=書き⼿
のそれほど多くない領域では,「オリジナルな=⽇本語で書かれていない」主張を⾏うこ
とがきわめて容易である.すなわち,本国での研究者数と⽇本での研究者数に差があれば,
本国では研究されているが⽇本では研究されていない論点,が多数存在するからである.
その場合,極端に⾔えば,「これまでに⼗分論じられてこなかった点を明らかにしたドイ
ツ語の論⽂を翻訳する」だけでも,それが⽇本国内の研究者共同体の問題設定と課題に照
応する限りにおいて,「貢献」にはなってしまう,
また,業績判断も機能しない可能性が⾼い.論点そのものの重要性など,オリジナリ
ティ以外の点を含め,業績の質を判断する際には,本来多数の研究者の判断の積み上げに
よって,研究者共同体の共通理解が成⽴していくはずのものである.しかし,研究者の量
が少なければ,サンプル数の少ない標本調査と同様,きわめて偏った評価となる危険があ
る.場合によっては,そもそもその時代のその国のその争点を研究している⼈間が⼀⼈し
か存在しない場合すらあるだろう.もちろん,その場合でも⼤まかな意味での評価は,隣
接する時期・隣接する国の専門家であっても⼀定程度は可能だろう.しかし厳密な意味で
の学問的評価は,その特定の領域の専門家でない限り不可能である.
したがって,仮に⽇本におけるヨーロッパ研究の研究者共同体が⼗分に⼤きいものでは
ないとすれば,学問としての質を担保し,基準に満たないもののスクリーニングを⾏うた
めに必要な条件を満たしていないといわなければならない.ここでは,現に⽣み出されて
いる業績の質を議論しているのではなく,その質を判断するための基礎的条件を議論して
いる.そうであるならば,より⼤きな読み⼿=書き⼿を対象とするのでない限り,学問と
しての⾃⼰規定を維持することは容易ではないだろう.
では,より⼤きな研究者共同体に向けて書くということはどういうことか.それは,端
的に⾔って,本国の,ないし英語の研究者共同体に向けて書くということである.それは
-16-
単に,本国の⾔語ないし英語で書くことを意味するのではない.同時に,本国,ないし英
語における研究共同体に問題設定や⽅法論をあわせていく必要がある,ということでもあ
る.
ここに,ヨーロッパ「政治史」研究のさらなる困難はあるように思われる.すなわち,
仮に⽇本国内で,政治学の⼀部としての政治史アプローチに対する需要や認知があるとし
ても,⽇本語のみで書いている限りにおいて,学問としての質的⽔準が担保されている保
証がない.しかし質的⽔準担保のために,本国ないし英語での研究者共同体向けに研究を
⾏おうとしたとき,相⼿先において政治史アプローチの空間が存在しないのであれば,そ
もそも読み⼿⾃体が存在しないのである.そして3節までに述べたように,アメリカ政治学
における⽐較政治研究や,ドイツ政治学の動向を概観する限りにおいて,この「政治史ア
プローチのための空間の消滅」の危険性は⼩さくはない.
もちろん,個別にはこのような状況を乗り越える業績が存在する.例えば中⼭洋平は,
戦後フランスに関して,精緻な⽐較政治学的分析枠組みと,綿密な⼀次史料調査を,⾼度
な――管⾒の限りでは,世界的に⾒ても類例のない――⽔準で統合したきわめて優れた業
績を積み重ねているが(例えば中⼭(2002)),同時に英語(の政治学雑誌),フランス語
(の歴史学雑誌等)にも業績を発表し,イギリス政治学会(Political Studies
Association)のフランス研究部会の賞(Vincent Wright Memorial Prize)を受賞するなどし
ている.すなわち,上述のような状況は「困難」ではあっても,乗り越え不可能ではない.
ただしそこで要求される⽔準は,これまで実践されてきたよりも⾼い⽔準にあると考える
べきであろう.
もし,この危険を重視するのであれば,より「普遍的」な研究⼿法に乗り換えるべきで
ある.すなわち,⽇本であろうがヨーロッパであろうが(そしてアメリカであろうが)研
究⼿法の共通した分野で研究を⾏うのである.その際のトピックは様々にありえるだろう
が,モデル+計量+事例で⽐較研究,というのが⽅法上の⼀つの型であろう.もちろん,
このような⽅向で成果を収めることが容易であるというわけではない.より⼤きな枠の中
での競争に晒されるわけであるから,むしろ業績を出し続けることは困難であるといえる
かもしれない.「不必要な」骨折りをする必要は減るだろうという趣旨である.
他⽅で,「ヨーロッパ政治」研究者へのニーズはそれなりに存在すると⾒るべきだろう.
第⼀に,⽇本語による⽇本政治研究を⾏う際に,特に共同研究の場において,⽐較対象と
してヨーロッパの事例が参照されることは少なくない.必要な情報が,例えば英語で存在
していれば,相対的には必要性が減じるとはいえ,各国固有の⽂脈があることを考えれば,
「仲介業者」としてヨーロッパ政治研究者が必要とされる局⾯は少なくないだろう.また
この逆に,外国においては⽇本政治の紹介者として振舞うことも,⼀定の範囲で需要があ
ると⾒てよい.これは⽇本固有の状況ではない.例えば,ある年代までのイギリスのドイ
ツ政治研究者(例えばWillam E. PatersonやGordon Smith)は,英語ではドイツ政治につ
いて,ドイツ語ではイギリス政治について業績を発表していた.
第⼆に,⼤学での教育上,あるいは研究者共同体外への情報発信という観点では,依然
として外国研究者の意義は存在する.「⽐較」という⼿法の持つ意味が,政治学において
は依然として⼩さくないからである.これは,経済学との対⽐では,「市場」に類⽐しう
るようなベンチマークを政治学が持たないからであると考えられる.もちろん,様々な先
-17-
端的主張が,アメリカの⾃国政治研究を主舞台に⽣み出されていることは事実だが,アメ
リカ政治⾃体が⼩選挙区制,⼆⼤政党制,政党規律の弱い議会,といった制度的な諸特徴
に条件付けられていることは,⽐例代表制,多党制,規律の強い政党といった特徴を持つ
ヨーロッパ政治と⽐べれば明らかであり,そのままでベースラインの理論とすることには
困難があろう.つまり,政治現象には,複数均衡としての性格が濃いことが,⽐較という
⼿法の意味を⾼めている.その基礎的条件として,外国の状況に関する情報が⼀定量存在
することが必要なのである.
では,これはヨーロッパ政治史研究者にとっての救いになるだろうか.報告者には必ず
しもそうは思われない.なぜならば,このいずれについても,求められているのは,ある
種の情報提供作業であり,それ⾃体としてオリジナリティを持つものではない.極端な場
合,必要な情報が存在するならば,単なる翻訳でも構わないということになる.また,こ
こであえて政治「史」を強調することの意義は⼩さいだろう.現代⽇本政治分析の研究者
が,⽐較政治学上の知⾒・貢献を求めて外国研究を含む共同研究を企画することは頻繁に
⾒られるが,⽇本政治史の研究者が⽐較分析を目ざして参照対象を外国に求めている例は,
管⾒の限りそう多いとは思われないからである.
Ⅵ.結びにかえて:個⼈的な補論
これまでの5つの節を通じて報告者が試みたのは,「政治史」という学問領域がよって⽴
つ「場」に働く⼒を,政治学と歴史学各々のごく⼤まかな研究動向の中に位置づけ,素描
することである.これは研究マニフェストを華々しく打ち上げたり,単なる個⼈的な決意
表明に堕することを回避するためであった.しかし本パネルの課題に答えるには,最終的
には,「政治史とは何か」という,答えのないであろう定義問題に触れざるを得ない.そ
の問いへの解答は,かなりの程度個⼈的な趣味の⾊彩を帯びざるを得ないだろう.その意
味で,本節はこれまでの分析と質的に異なることを了解されたい.
⽇本政治史の名作の⼀つ,坂野潤治『⼤正政変』(ミネルヴァ書房,1982年)の⽂庫化
に際しての解説で,空井護は,同書の叙述の特⻑について,以下のように述べている(空井
2010).
[本書の]叙述の⽴体性は,これらのアクターに注がれる視線の複数性のみならず,
その平等性にも起因している…情報不完備な状況でのプレイが続くから,結局のとこ
ろ,すべてを⾒通す特権的な主体は,本書にひとりとして登場しないということにな
る…かくして,ただひとり著者の坂野が特権的な⾼みに陣取ることになる.その彼が,
各⾏為主体にとってはおよそ混沌とした不確実な世界を,⾒事な⼿さばきで透明な世
界へと作り直してゆく.…話が⾯⽩くないはずがないのである(250-251).
そして坂野の学問的作業の総体についても,以下のように述べる.
微視的アプローチと巨視的アプローチを併⽤することで,「歴史のなかのおおきな
もの」…を可能な限り「適切に記述」しようと試みる.坂野潤治の学問的挑戦の意義
は,どれほど⾼く評価してもし過ぎることはない…(257).
-18-
本報告者にとって,政治学の⼀部としての「政治史」とは,単に政治的事件を記述する
歴史学でもなければ,過去の事象を扱う政治学でもなかった.ミクロな政治過程の動態的
分析を通じて,ある事象が⽣起した理由をできるだけ政治学的に分析し,その上で,選ば
れなかった選択肢を含めて,そこに成⽴した何らかの政治構造をマクロに意味づける,と
いうのがあるべき政治史の姿であった.ここに,1980年代半ばまでの⽐較政治学の影を⾒
て取ることはきわめて容易であり,そこで前提とされているのは,現在の歴史的制度論が
乗り越えようとしている,断続平衡的歴史モデルである.そしてそれは,今となっては極
めて古臭い歴史イメージなのであろう.
その古臭さを認めるにやぶさかではないものの,他⽅で本報告者は,上に取り上げたよ
うな,歴史を対象とする近年の⽐較政治学上の業績に対し,それが「歴史研究」ないし
「政治史分析」であるという感覚を持てずにいる.その⼀つの理由は,空井が坂野につい
て指摘したような,動態的分析が⽋如している点である.ただし,現在の歴史学が必ずし
もそのような⽅向を志向していないことからしても,⽂字通り趣味の問題でしかないのだ
ろう.
もう⼀つの理由は,それらの諸研究が,基本的には⾃らの理論的主張・分析枠組の正し
さを「実証」「反証」するための「材料」として歴史事例を使っている点である.もちろ
ん,事例に反証される理論的主張や分析枠組を提⽰しても意味がないのは当然である.し
かし,歴史学的な過去との距離のとり⽅の⼀つの特徴は,⾃らの位置を問い直す他者とし
て,過去に向き合うことであるように,報告者には思われる.
空井 (2010)は坂野の叙述の特徴としてこうも述べる.
本書の歴史叙述をその最も深いところにおいて規定しているのは,登場⼈物を⾼み
から眺めて冷たく楽しむのではなく,その置かれた状況と思考と⾏動とをあくまでも
内在的に近いすることを目指す,⼀種のヒューマニズムなのであり,そこに⽣じる共
感こそが,彼ら…に対する冷笑や嘲笑を坂野に許さないのである(251).
その場合,過去の事象は,論⽂執筆者が主張に基づき再構成を⾏う「対象」であるだけ
ではなく,その主張の限界や説明できない残余部分をも,新たな問いとしてわれわれに⽰
す「相⼿」となるのではないだろうか.そのような距離感の違いが,報告者にそれらを歴
史研究と呼ぶことをためらわせる.
このような⽴場からすれば,第4節で掲げた三番目の選択枝の⾒通しが明るくないことは,
極めて残念な事態であり,本報告の分析が反証されることが期待される.
しかし,繰り返しになるが,これらはあくまでも定義に依存する主張であり,それ⾃体
を単独で論じることに⼤きな意味はない.政治学が歴史との関係をどのように取り結ぶこ
とがもっとも⽣産的か,という観点から議論されるべき問題であり,それは「政治学とは
どのような学問か」という問いに対する学問共同体内の集合的な理解にかかわる問題であ
る.政治学全体の動向を与件として分析を⾏った本報告は,ここで筆をおくべきであろう.
-19-
註
[1]本報告は,報告者がこれまでに⾏った以下の報告を,部分的に基礎としている.報告の
機会を与えてくださった企画者の⽅々および参加者の⽅々に御礼申し上げる.
「⽐較政治と政治史の間に?――歴史政治学の⽅法について――」,歴史政治学研究会,
東京(東京⼤学),2002年12⽉.
<http://homepage1.nifty.com/amiya/paper/method.doc>
「ヨーロッパ政治研究とアイディアの次元――個⼈的観察――」,「構成主義的政治理
論による先進諸国の政治変容分析」科研研究会,名古屋(名古屋⼤学),2007年8⽉.
<http://homepage1.nifty.com/amiya/paper/idea.pdf>
"Varieties of Political Studies: Parallels, Differences and Convergence?",北
海道⼤学グローバル COE プログラム「多元分散型統御を目指す新世代法政策学」国
際ワークショップ「⽇欧戦後政治学の⽐較発展史」,札幌(北海道⼤学),2009年2
⽉.<http://homepage1.nifty.com/amiya/paper/09hokudai.pdf>
「集団主義的秩序と個⼈的権利――EU社会政策の⼆つの顔とその相克――」東北⼤学
政治学研究会,仙台(東北⼤学),2010年9⽉.
<http://homepage1.nifty.com/amiya/paper/10tohoku.pdf>
また,報告者が企画に関与した以下のセッションでの報告・討論からも学ぶところは多
かった.報告者・討論者の⽅々に改めて御礼申し上げたい.
⽇本⽐較政治学会国家社会関係コーカス研究会「⽐較政治学と歴史的分析」(報告者:
⽔島治郎,稲森広朋,藤嶋亮,内⼭融の各⽒)⽴教⼤学,2003年7⽉.
⽇本⽐較政治学会国家社会関係コーカス研究会「「危機と変化」の政治学再訪」(報告
者:平⽥武,吉⽥徹の各⽒)東京⼤学,2004年4⽉.
⽇本⽐較政治学会⼤会⾃由企画「『危機と変化』の政治学再考―Crisis, Choice, and
Changeの今⽇的意義」(報告者:野⽥昌吾,岡⼭裕,五百籏頭薫,討論者:津⽥由美
⼦の各⽒)法政⼤学,2004年6⽉.
[2]以下の経緯については野⽥ (1999)が詳細かつ明晰である.
[3]われわれはここで,いわゆるアナール学派との類似と相違をここに⾒ることができるか
もしれない,⼀般に彼らは,政治史が扱う事件(événement)を表層的なのもであるとして,
⻑期持続を重視したとされる.しかし,すでに述べたことから明らかなように,⽐較政治
学における歴史への関⼼は,事件というよりも,より継続的な政治構造から来るものであ
る.それを「持続(durée)」の相の下に,数百年のスパンから把握していくか,相対的には
より短い視野の下に「発展(development)」とみるか,という関⼼の差が,ほぼそのまま政
治学との距離を意味するだろう.
[4]⽇本における政治学の位置を論ずる場合にしばしば,「ドイツ国家学の影響で法学部に
ある」ことが特徴として挙げられる.
しかしこの⾔明には⼆つの意味で注釈が必要である.第⼀に,ドイツにおける政治学部
門は法学部には存在しない.第⼆次⼤戦前は,確かに国家学は法学の⼀部であったが,制
度化された学問としての「政治学」は存在せず,政治についての知は⼤学の正規課程の外
にあった(Hochschule für Politik).これに対し⽇本では,すでに戦前から「政治学」
の講座が存在していたことが,ドイツとは⼤きく異なる.無論,これは内容的にドイツ国
-20-
家学の影響があったことを否定するものではないが,このような組織構成がどのような事
情によるものかは,詳細な検討を待たねばならないだろう.
第⼆に,ドイツでは第⼆次⼤戦後,⺠主主義構築のために新たに「政治学」が作られた
が,これは哲学部を⾜場としていた.そして現在では多くの場合社会学または⼼理学など
と共に社会学部を構成するのが通例である.これは法学,⽂学などの古い学問から,19世
紀以降に成⽴した経済学,社会学,そして戦後⽣まれの政治学が⾃⽴する動きであり,
1960年代以降,⼤学・学部が新設されていく中で,⼀つの鍵となる展開である.この点で
は,政治学の位置のみならず,⽇本の多くの⼤学において社会学や⼼理学が「⽂学部」に
位置づけられていることが注目されるべきであり,さらに⾔うならば,1960年代の⼤学拡
充の過程において,伝統的な学部構成に⼿がつけられなかったことを反映している.いわ
ゆる「新構想⼤学」であった筑波⼤学において学部教育課程としての「社会学類」の中に,
法学・政治学・社会学・経済学が共棲していることは,裏側からこの経緯を⽰すものとい
える.
[5]彼らは,2006年のドイツ政治学会の調査による最も重要な政治学者のランキングにおい
て,各々6,8,9位である(Falter and Knodt 2007).
[6]この紛争については,以下の記事を参照.
Der Präsident, der Forscher und der Wulff. taz (on-line), 23.11.2005.
<www.taz.de/1/archiv/archiv/?dig=2005/11/23/a0202>.
Die Professoren-Fehde von Göttingen. Hamburger Abendblatt (on-line),
01.12.2005. <www.abendblatt.de/politik/deutschland/article775510/DieProfessoren-Fehde-von-Goettingen.html>.
Uni Göttingen: Krieg der Wissenschaftler. Spiegel-Online, 09.12.2005.
<www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,389304,00.html>.
Professoren-Fehde in Göttingen: "So viel Argwohn und Intrigen habe ich noch
nie erlebt", Spiegel-Online, 13.01.2006.
<www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,394978,00.html>.
Uni Göttingen stutzt ihr Politik-Profil. Hamburger Abendblatt (on-line),
19.1.2006. <www.abendblatt.de/politik/deutschland/article375966/UniGoettingen-stutzt-ihr-Politik-Profil.html>.
Attackieren, aussitzen, abwickeln. Spiegel-Online, 01.03.2006.
<www.spiegel.de/unispiegel/studium/0,1518,403756,00.html>.
Friede der Politikwissenschaft, Zeit-Online, 29.5.2007.
<www.zeit.de/campus/online/2007/20/goettingen-politologie>
[7]レオンハルトは,現在イェナ⼤学で教鞭をとり.フライブルク⼤学⾼等研究所の所⻑で
もある近現代史家であり,博⼠論⽂がロンドン・ドイツ歴史研究所賞およびヴォルフ・
エーリヒ・ケルナー賞,教授資格論⽂がヴェルナー・ハールヴェーグ賞(⼀等)および
「H-Soz-Kult2008年の歴史書(近代部門)」賞を受賞するなどの活躍を⾒せる,⽐較⾔
説・概念史分析を特徴とする気鋭の歴史学者である.
[8]Cole and Ther (2010)はヨーロッパ史が,国⺠史と同じような新たな目的論に陥らない
ために,より広い資格の視座とともに,「循環」「交流」「移転」「コミュニケーショ
-21-
ン」への注目が必要であるとする.
[9]ただしBosch and Domeier (2008)は,「新しい政治史」の推進者と批判者の間には,世
代の相違や政治的⽴場の違いはないように⾒えるが,実際にはリベラルな北部の⼤学(推
進者)と保守的な南部の⼤学(批判者)の差異があると指摘する.
[10]この点については,この動向の拠点となる雑誌Journal of Policy Hisotryの存在と共
に,岡⼭裕⽒にご教⽰いただいた.記して謝意を表したい.Zelizer (2010)にもその旨の
記述がある.
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