去・ 6 る 白川次雄 子供の頃はだれでもそうであったように,私も自動車が好きでした。当時 の自動車は実用一辺倒の車ばかりで,今のようにデザインが素晴しいとか, 性能が良いとかし、った話は皆無で,ともかく土ボコリをあげながらガソリン で動けば自動車と呼んでいた時代でした。 二輸の運転免許が取れる年齢になった頃から車に対する知識も徐々に蓄え られるようになり,車の名前はもとより,型式,エンジンの種類等に対し次 第にウルサクなってきたようです。最初の頃はオートパイに興味を示し, 1 ヤ マハ」はスピードがでる,いや「ホンダ」の 4ストロークの方が良いと頭デ ッカチな話題を学生服姿の友人たちとダべりながら,小さなオートパイを乗 り回していたものです。 ふ化場へ入り自動車の免許をとると同時に,私の興味も四輪へ傾いていき ました。特にレーシングカーに対しては異常とも思える傾注ぶりで,レース のグラビアを眺めては胸を熱くしていたのを覚えています。飛行機に似せた 流線形のボディに,ヘルメットとレーススーツに身を包んだドライパーが乗 り込む F 1レースや,耐久レースは私の憧れと化し,いつしか競技のための ライセンスを取るまでになっていた。実際には自分がレースに出場する機会 も(おそらく勇気も)なかったのですが,それでも手軽にできるジムカーナ やラリーには出場することができました。特に一時期ではあったがラリーに 夢中となり,札幌で毎月聞かれていたラリーには欠かさずでていたような気 がします。 当時の私は札幌に勤務しており,慣れない会計の仕事と夜の学業で多忙を 極め,本当は遊んでいる余裕などはなかったはずなのに… 1年も過ぎる頃か -15 ら図々しきも増し,休日はラリーに明け暮れておりました。この頃,札幌で 開催されていたラリーは,ラリーとは名ばかりで,本格的なものではなく誰 れでも気軽に参加できたので,今月は JAFOOラリー,その次は MJFO 0ラリー……と財布が空になるまで出場を続けていました。ラリーは土曜の 夜. 1分間隔でスタートして行き,最初はオドメーター(距離計〕をチェッ クし,地図に示された道路を走ります。コースも農道あり林道あり,おまけ に迷い道まで設定されていますが,中でも一番つらいのは眠気を誘う退屈な 舗装路です。チェックポイントを無事に通過できればスペシャルステージ (道路を借り切った専用コースで,フリー走行できる)が待ち受けている。 私はナピゲーター(助手席で距離とスピードを計算する役〉が多く,悪路 を走りながらの計算とコマ地図の読み取りには苦労しました。 その頃のコックピット(運転席〉には,タイガ一計算機(あの手廻し式) に鉄道時計(今も駅員が持っている〉とクリップメーター(短距離用の路程 計〉が三種の神器として備えられていた。タイガ一計算機の扱いが下手な私 は,もっぱらラリー用の簡易計算盤と自分の腕時計を愛用していたのですが, それでも何度か優勝できたのは,幸運な時代だったのでしょうか。 我々がラリーに使った車は足廻りだけを固めたノーマル仕様に,どの車も レギュレーション枠ギリギリまで軽量化したものである。ホンダ N360やシ ピック SB 1 (今の青年諸氏には分からなし、〉が主力車で,たまにフ。ルバー ド510もでていました。 年をとるとともに競技からは 次第に遠ざかってきましたが, 車に対する興味だけは終りそう もありません。種々な車専門誌 を集めたり,スケールモデルに 凝ったこともあり,形を変えて 私の車に対する趣味は続いてい くのです。 ある時,ほんの気まぐれから 版画を彫ることになった。手を つけてみて気が付いたのは意外と自分の性に合っているということです。 一 1 6一 原画を描きながら当時の車達(?)が疾走する様を想像してみる。するとタ ルガ・フオーリオにアルファ・ロメオを駆るタツイオ・ヌーボラーリが石畳 のカーブを片側の二輪だけの接地で,観衆の前を笑顔で一瞬のうちに走り去 ってし、く。また,雨に濡れたニュン・フホル・リングをメルセデスを操るルド ルフ・カラッオーラが冷静沈着にコーナリングしてし、く。ルイ・シロンがフ ガッティを,パルッイが ・・。古き良き時代の彼等と車達をいかに光と影で 表現するかが問題で,頭に描いていることがすぐに絵とは成り得ないのです。 塗装の光沢,ルーパーの切り方,ホイールの精度,タイヤの切れ角とその質 感,頭では理解していてもなかなか描けないものである。あげくのはてには, 緊張に耐えられずどうでも良くなって彫ってしまい,あとで後悔することに なる O しかし,彫ること自体は楽しい作業です。時間を忘れて熱中することは, 適度の疲労とかなりの満足感が得られる。私が一つの作品に費やす労力を月 に換算すれば. 2 9日聞は原画作製に苦もんし,残りの 1日は喜々として彫り 上げる。こんな具合です。 懐古趣味と受け取られそうですが,私にとって近年の車作りはどうも満足 できません。一口にいえば主題に欠けている/ 主題とは「限られた枠の中 で,いかに人聞を,人間の心情を豊かにするかであり」エレクトロニクスや ハイテクノロジーはそのための手段として用いられるはずなのに,今や「手 段が主題にすり替えられている」そんな空しい気持ちになるのは,私だけで しょうカミ o ついでながら,私の子供は 3人とも男です。子供たちの名は龍生,桂,北 斗とユニークな名前を付けておりますが,長男と次男は タツイオ・ヌーポラーリ ルドルフ・カラツオーラ から拝借したものです。 私と車たちについて恥ずかしいことも書いてしまいましたが,本当に自分 の趣味かと問われると固まってしまいます。今では. 6年前から始めたツツ ジ(特に高山植物)の世話が日課になっておりますし,たしなみ程度の日本 酒を仲間と座になりコップで飲むのが楽しみです。 1 7 ただ興味があるから,これまで熱中もし,勉強もできた訳で,興味が無け れば,いさぎよく手を付けなし、。これが趣味に対する私の考え方です。 人類の文化も,科学技術もこれらが高じた結果,生まれてきたんだ。など と勝手な事を考えながら,車のグラビアに目をやる私です。 (北見支場庶務係長 ~ 1 8~ 版画も筆者作品)
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