こってんさんこと小寺氏追想

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こってんさんこと小寺氏追想
特に、リタイヤされてから︵彼は五年早くリ
タイヤ︶
、新たな山へチャレンジする一方で、M
私が彼を初めて知ったのは、同じラジオの商
Cの歴史ダイジェスト﹂二十八冊子と、そのあ
MRCニュースを主体に探ってまとめた﹁MR
梨木 祐宜
品技術部内で、山の三羽烏として名を馳せてい
との﹁五十年の歩み﹂
、
﹁五十五年の歩み﹂には、
RCの源泉を掘り起こすことに着手、かっての
た頃で、この人がそうなのかと、やや遠目に見
ただただ頭が下がるばかりで、今もって感謝の
のスタート時で、ラジオ分会の中で共に運営に
十五︶の新組織三分会︵無線・ラジオ・部品︶
識的なずれがなくなったのが例の六十年︵S三
にそのなりわいがあったのであるが・・その意
運営に携わっているという立場、こんなところ
り、一方、私は当時、今村御大の下で山岳部の
たことがある。その時の話題はいろいろでよく
彼と直接メールでの交歓をするようになってい
似てそれをやっているうちに、いつの間にやら
山行報告について所感を送っていた頃、私も真
コン上での交流の場︶で、よく小寺氏が誰かの
ホームページの交歓板︵MRC会員同士のパソ
もう一つ、彼とのことで忘れられないのは、
念が禁じ得ない。
ていた記憶がある。
それというのも、当方は山の素人、あちらは
関わるようになり、親しくなっていったという
は覚えてはいないが、﹁これが男のおしゃべりな
玄人、同じ山岳部員でも格の違いは明らかであ
経緯が思い出される。
動き、次第に、松友会の中での山岳部活動に没
活動もまた好きということで、実に面倒見よく
そんな中で、彼は、山も好きだが山仲間との
この時、初めて彼と何かが通じ合えたようで、
による意思や意識の交流がまたいいのである。
直接言葉でやり取りするのとは違って、
﹁文字﹂
具なんだ。
﹂ということに気がつく。電話などで
んだ。パソコンというのは男のおしゃべりの道
入して行くのである。そして、六十三年︵S三
そのことがいまだに思い出される。
合掌!
﹁男のおしゃべり﹂がしたかった!
・・ああ、もっと こってんさんと
十八︶にラジオからステレオ分会が分かれてか
らも、その牽引役の一翼を担って活躍、MRC
伝統の集中登山の継続実施など、常に現役の中
核として努力されたその足跡は記憶に新しい。
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