地図読み人 - 愛知県土地家屋調査士会

2012
愛知県土地家屋調査士会
No.
216
地図読み人
特 集
◦愛知県中部地籍研究会
「あいちの地籍」
(明治前期)について
◦平成 23 年度名城大学寄附講座開講報告
目 次
1 愛知県土地家屋調査士会会長滝口孝挨拶
2 名古屋法務局局長堀部哲夫様ご挨拶
3 愛知県中部地籍研究会
「あいちの地籍」
(明治前期)について
4 平成 23 年度名城大学寄附講座開講報告
5 編集後記
「地図読み人」の発行にあたって
表示登記の充実を目指して
愛知県土地家屋調査士会 会長
名古屋法務局長
滝 口 孝
堀 部 哲 夫
皆様、
「地図読み人」をご愛読いただきありがとうございます。
愛知県土地家屋調査士会の広報誌の発行に当たり、御挨拶を申し上げます。
地図読み人は、皆様に土地家屋調査士を知っていただくために、20 年近く発行しております。
貴土地家屋調査士会の皆様には、日頃から登記行政、取り分け表示に関する登記について御協力をい
ただいており、厚くお礼を申し上げます。
さて、我が国における不動産登記制度は、国民の権利を保全するための制度であり、我が国の経済社
土地家屋調査士について、簡単にご説明いたしますと、土地、建物の情報を法務局に登録(登記)す
ることを主な仕事としております。土地家屋調査士は国民生活になくてはならない国家資格者であります。
会的なインフラの一つとして重要な役割を果たしておりますが、その前提として、不動産である土地や
建物について、その表示に関する情報が正確でなければならないことは言うまでもありません。
そこで、近時法務局では、表示登記における現地調査の方法について見直しを行い、土地家屋調査士
の皆様にも、従前以上に詳細な情報の提供をお願いして、不動産の表示に関する情報をより正確に公示
仕事以外にも、愛知県土地家屋調査士会は、いろいろな活動を続けております。
「社会に貢献したい。
」
との思いから、今回の「地図読み人」のテーマの一つでもある寄附講座が始まりました。災害時には市
町村に協力して復興の手助けができればとも考えております。また、常時、土地と建物の表示登記につ
いての無料相談を行っておりますので、会へお電話をいただけたらと思います。
することに努めております。
特に、我が国の不動産登記制度で用いられている地図は、土地表示の基礎となる資料であるにもかか
わらず、法務局に現地復元性のある高精度の地図が備え付けられている割合が極めて少ない状況にある
ことから、土地家屋調査士の皆様の御協力も得ながら、全国的に現地復元性のある地図を整備する事業
に取り組んでいるところです。
また、昨年の東日本大震災の被災地においては、地図の筆界点座標値を震災後の値に変換する作業や
倒壊・流失建物に係る滅失登記の職権登記を鋭意進め、被災地の早期の復興の一助たるべく努めている
さて、
「地図読み人」一つ目のテーマ、中部地籍研究会による「あいちの地籍」
(明治前期)について
ですが、間もなく一冊の本になります。学術的な意味合いがある本です。今回はその簡単な説明ですが、
土地の過去の経歴を知るうえで、重要なものとなることでしょう。
ところです。
現地復元性のある地図整備の実現は、将来我が国社会の幅広い分野にわたって地図の利用範囲を拡大
させることを可能にし、必ずや、国民生活の向上に貢献するものと考えております。
法務局備付けの地図が、このように我が国の地図行政の基幹的役割を果たしていくためにも、土地家
屋調査士の皆様には引き続き御協力をお願い申し上げます。
二つ目のテーマ、寄附講座は平成 22 年度より取組み、平成 23 年度に名城大学において、始まりました。
寄附講座とは、
「民間企業や行政組織など、大学や研究機関の外部組織から教育・研究振興のために寄附
された資金や人材を活用し、研究教育を行う活動を指す。
」とウィキペディアにあります。土地家屋調査
このほか、土地家屋調査士の皆様に御協力いただいて進めている事業として、平成 18 年に始まった
筆界特定制度がありますが、この制度によって筆界が特定された件数は現在までに全国で約1万3千件
に及ぶなど、着実にその成果を積み上げてまいりました。筆界に関する争いを行政レベルで早期に解決
する制度として社会に定着したといえ、これもひとえに土地家屋調査士の皆様のお陰と感謝いたします。
ところで、貴土地家屋調査士会におかれては、大学生を対象とする寄附講座を開催され、多くの学生
士が、講師となることによって、自己研鑽しながら、多くの若者に、土地家屋調査士制度のことを伝え、
が受講されていると聞いております。このような活動は、国家資格である専門資格者団体の社会貢献の
私たちのことを知っていただくという相乗効果を生み出すものとなっています。
一環として極めて有意義な取組であります。受講された学生が土地家屋調査士制度の社会的役割の重要
性を理解するとともに、これを契機に一人でも多くの学生が土地家屋調査士の資格取得を目指されるこ
とを期待しております。
終わりに、土地家屋調査士の皆様におかれましては、今後とも適正な業務処理に努めていただき、国
是非、最後までお読みください。
民から信頼される土地家屋調査士として、ますます御活躍されることを祈念して結びの言葉とさせてい
ただきます。
2
3 「あいちの地籍」
(明治前期)について
3 過去に作成された資料の必要性
「あいちの地籍」
(明治前期)について
世界測地系座標を用いて GPS(※3)、TS(※4)による測量が行われる現代において、なぜ明治時
代初期からの事を調査しなければならないのでしょうか。この大前提を頭に置いていただかないと、こ
の研究会の意義が失われてしまいますので以下に記述させていただきます。
愛知県中部地籍研究会 研究員
福 永 正 光
測量機器の進歩はめざましいものがあります。技術、理論の研修を受講する機会も与えられており、
昭和後半と比較しても、現場作業はかなり簡便になり、かつ測量の精度は飛躍的に向上していることに
ついて改めて言及する余地はありません。しかし、調査士の測量はその精度の良し悪しのみを問題とす
るのではなく、むしろ筆界を導き出した経緯が重要となってきます。土地家屋調査士倫理綱領には、
「不
動産に係る権利の明確化を期し」そして「公正な立場で」と謳われています。
不動産の表示に関する登記を申請するにしても、筆界を見誤ることがあっては、国民の信頼に応えて
1 はじめに
いるとは言えません。言い換えるならば、筆界(公法上の境界)(※5)を明らかにすることは、調査
平成 23 年 11 月 15 日、愛知県土地家屋調査士会の研修会として、愛知県中部地籍研究会から研究発
士の本分として非常に重要な意味を持っております。また、ADR(※6)では所有権の範囲(所有権
表をさせていただきました。当日は時間の都合上、内容を簡略化したり、急いでお話したため、十分に
界)(※7)まで触れることもあります。これも先ず筆界ありきとなり、やはり筆界を導き出すために
はご理解いただけなかった部分もあるかと思います。今回本誌に寄稿の依頼がありましたので、研修会
労力を注ぐことは、調査士業務として重要な意味を持っております。更に、筆界特定制度において調査
の席上で配布させていただいたにもかかわらず、説明不足であった部分を含めて執筆させていただきま
士が代理人として事件を受託した際、不動産登記法第 139 条第1項に規定する意見書を提出することが
す。なお、本年3月末に資料集「あいちの地籍(仮称)」を出版する予定です。研修会では、これに掲
できますが、筆界の専門家として何をどのように調査・測量し、なぜ筆界が申請人の主張線になるのか
載する資料及び解説文に基づいてお話をさせていただきましたので、本誌の内容とも重複する旨をご容
について記述することになります。筆界特定では所有権界については予定していませんので、なぜ筆界
赦願います。
がそこになるのかという根拠を突き詰めていかないといけません。
一方、筆界特定制度において法務局側に立つ筆界調査委員については、その大半は調査士が任命され
ており、「筆界調査委員は、私には関係ない。」というのではなく、調査士の誰もが筆界調査委員に任命
2 中部地籍研究会について
されても、筆界に関する専門的知識を有する者として客観的に筆界を論じることができなければなりま
中部地籍研究会は、平成 20 年 12 月5日に開催された日本土地家屋調査士会連合会中部ブロック協議
会(以下、
「中部ブロック協議会」という。)会長会議の席上で、岐阜県土地家屋調査士会の小野伸秋会
員(現日本土地家屋調査士会連合会常任理事)から同研究会立ち上げの趣旨説明がなされ、賛成多数に
より可決され、平成 21 年度に中部ブロック協議会で発足しました。
不動産登記法には筆界特定(※1)について定められており、同法第 143 条には、
「筆界特定登記官は、
筆界調査委員の意見が提出されたときは、その意見を踏まえ」云々とあります。現在、任命されている
筆界調査委員の大半が土地家屋調査士(以下、「調査士」という。)です。しかしながら、筆界の専門家
として調査士には、総合的な判断を求められているにも拘らず、それを判断するためのまとめられた資
料がないのが実情です。筆界の専門家であるならば、筆界を判断するための(地域の筆界、地図、面積
等に関する)資料を持たなければならないのに、それがないのです。
中部地籍研究会は、このような実情を踏まえ、資料の調査・研究を行うために発足しました。筆界に
関して調査士が専門家であることをはっきり確立するために、先ず中部ブロック協議会からこれを事業
として確立しようという意図が込められており、この研究を単位会で推し進めるために、愛知県におい
ても愛知県中部地籍研究会を立ち上げました。
土地家屋調査士法第 25 条第2項には、「調査士は、その業務を行う地域における土地の筆界を明らか
にするための方法に関する慣習その他の調査士の業務についての知識を深めるよう努めなければならな
い。
」と謳われております。それは、法務局に備え付けられた地図(所謂更正図)(※2)の作成された
経緯が県によって相違しているからです。そのため、全国的なものばかりでなく、各県においての地図
に関する考察が必要となってくるのです。
せん。
どのようにして筆界を見出すのか、測量を行うことは当然のこととして、問題はその結果をどのよう
に分析するかではないでしょうか。事件を受託すると、おそらく調査士であれば、現地を確認し、筆界
の判断材料となる資料を収集します。公簿類、地図類、測量図等々資料を調査、収集し、測量結果と照
らし合わせて分析した上で、筆界と推定される位置を見出します。その際、多大な労力を費やして多く
の資料を収集しても、その資料がどのような類でどのような経緯のものかが分からないと、誤った判断
を下してしまう可能性が高くなります。
例えば、土地区画整理等がなされていない土地の測量及び分筆を依頼された場合を考えてみます。資
料作成のため隣地も含めて測量した結果、現地と旧土地台帳附属地図(地図に準ずる図面)の大きさ、
形状はほぼ一致しているのに、依頼のあった土地の面積が登記簿の地積より大きく(または小さく)、
隣地の面積が登記簿の地積より小さかった(または大きかった)。このような場合、単純に比率により
面積を按分して筆界として良いのでしょうか。答えは、充分な調査・測量にもとづき専門家としての総
合的な判断でしょう。
これを解決するためには、地図や登記簿・台帳等の作成に隠された部分をまさに「読み解く」ことを
しなければなりません。知識だけでは現場は出来ませんし、経験だけでは筆界について客観的な説明が
出来ません。専門家としての知識と経験のなせるものなのです。経験は年数を重ねなければ積むことが
出来ませんが、知識は経験の浅い方でも努力で得ることが出来るのです。
中部地籍研究会で言っていることは、過去の土地法制度等について資料を収集・分析することによっ
て、調査士が筆界に関する専門家として知っておかなければいけない知識を伝達していくことなのです。
なぜ 140 年も前の明治前期の資料まで調査しなければならないのかは、明治6年に公布された地租改正
法令に基づいて行われた結果が、未だに生きている地域が多数存在するからなのです。
4
5 「あいちの地籍」
(明治前期)について
4 明治前期の行政区画について
⑴ 全国の行政区画の成り立ち
明治時代前期の土地法制度(地図の作成を含む。)を述べる前に、その客体たる土地を包含する行政
区画がどのように形成されたか、ということに触れておきます。
江戸時代、地方((じかた)すなわち郡村地)は、耕作する農民と、その農民を支配し年貢を徴収し
た領主(幕府、大名等)が存在する重畳的な所有構造をなしており、農民は土地を所持して耕作はする
ものの、その土地を自由に処分したりする権利はありませんでした。明治維新により徳川幕府、大名等
による統治体制は崩壊し、明治政府による統治が始まりました(慶応3年 12 月9日王政復古)。
明治政府は、それまでの領主制から中央集権国家への変貌を目指しましたが、領主として支配してき
た諸大名を今後どうするのかという大問題がありました。その解決策として慶応4年(明治元年)、府
藩県三治体制といわれる制度を敷きました。皇室領及び旧幕府領の内、所司代、城代、奉行の支配地を
府とし、郡代、代官の支配地を県、大名の支配地を藩、藩主たちを知藩事としました。この知藩事は政
府が任命した地方官という立場であったため、以前の領主としての権限はありませんでした。この時出
来た府、藩、県は 10 府 277 藩 23 県にのぼり、明治3年には藩制が執られ、藩は政府の行政区画に位置
付けられました。
明治4年7月 14 日には廃藩置県が行われ、藩を県に改めました。この時点で、全国に存在した府県
は3府 302 県もあり、その上飛地も多く存在していたため、同年 11 月に統合され、旧来の国と郡を単
図1 愛知県における大区小区制
位にした3府 72 県に編製し直されました。その結果、知藩事として任官していた元藩主たちは失職し、
強制的に東京に居住させられ、替わりに府には府知事、県には県令が政府から派遣されました。
明治5年 11 月 27 日額田県の合併後、愛知県には 15 の大区、154 の小区が存在していました。全国
的には、まだまだ大区小区制が継続していた明治9年8月 21 日に、愛知県では大区小区制が廃止され、
⑵ 愛知県の行政区画の成り立ち
替わりに県内を 18 の区に分けた十八区制(図2)という制度が執られました。一つの区はそれまでの
愛知県においては明治初期にどのような経緯で行政区画が出来たのでしょうか。
大区とほぼ同じ区画でしたが、知多郡、加茂郡、設楽郡をそれぞれふたつに分け、明治 11 年の郡区町
尾張には名古屋藩と明治元年1月 24 日に名古屋藩から立藩した犬山藩がありました。その後、明治
村編製法施行まで続きました。
4年7月 14 日の廃藩置県により名古屋県、犬山県に改められました。尾張に2藩しかなかったのは、
尾張徳川家があったため、統制がとれていたためです。
その反面、三河では尾張と事情がかなり異なり、様々な藩領、幕府領、社寺用地が錯綜しており、主
な藩として、重原藩、半原藩、豊橋藩、岡崎藩、西大平藩、刈谷藩、西端藩、西尾藩、挙母藩、田原藩
の 10 藩がありました。また、その他として、明治元年6月9日に三河県が置かれましたが、明治2年
6月 24 日に廃止となり、伊那県に合併されました。三河の 10 藩は尾張と同じく、明治4年7月 14 日
廃藩置県により藩を県に改められ、明治4年 11 月 15 日、これら三河の 10 県と伊那県の三河地域、及
び尾張地方の知多郡を合併して額田県としました。
名古屋県においては、明治4年 11 月 22 日に犬山県を再合併し、翌明治5年4月2日に愛知県が誕生
しました。同年 11 月 27 日に額田県が愛知県に合併され、ほぼ現在の愛知県の行政区画となりました。
⑶ 愛知県内の行政区画の成り立ち
次に県内の行政区画についてですが、全国的に明治5年に行政区画の単位として、大区小区制(図1)
という制度が執られました。区というのは明治4年の戸籍法に伴って作られた戸籍区制というものが始
まりで、これが明治5年に行政区も兼ねるようになったものです。
大区は郡の範囲とほぼ一致するもので、額田県には、9つの大区が、額田県合併前の愛知県には、6
つの大区が設けられ、また、大区には、区長が置かれました。大区の中には小区が設けられ、小区は数
村をまとめたもので戸長が置かれました。
図2 十八区制
6
7 「あいちの地籍」
(明治前期)について
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明治 11 年7月 22 日に郡区町村編製法(図3)が公布され、愛知県でもこれを受けて名古屋区、及び
行政区として郡を復活させました。この際、加茂郡を東西に、設楽郡を南北に分割しました。
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表1 主だった事業が行われた年
各事業の主たる実施機関は、壬申地券の発行、地租改正事業、土地台帳制を見据えた地押調査と地図更正、
及び地租条例については大蔵省。地籍編纂事業は内務省でした。別の視点で見ると、壬申地券の発行、地租改
図3 郡区町村編製法施行による愛知県
更に明治 22 年4月1日に市制・町村制が施行され、これに伴い愛知県では名古屋区が名古屋市になり、
新しい町も誕生しました。
郡区町村編製法、市制・町村制が施行された際、町村合併、飛地の整理も行われ、明治初年には
3000 程あったとされる村は、この時点で1市 647 町村にまでまとめられました。
正事業、土地台帳制を見据えた地押調査と地図更正、及び地籍編纂事業では地図が作成されており、地租条例
については、土地の物理的状況が変化した場合に行う手続きと地租の取扱いについて規定したもので、この条
例に基づく新たな地図は作成されておりませんが、現在の不動産登記法でいう表示に関する登記の前身になる
ものといってよいでしょう。
⑵ 壬申地券の発行
① 市街地券
江戸時代の幕府や藩の財政基盤となっていたのが年貢であったことは、皆さんご存じのとおりです。
この現物貢租制度は、天候による収穫量の変動があり、国を支える財政基盤としては不安定なもので、明治
5 明治前期の土地法制度
政府は、安定した収入を期待できる金納への転換を計画しました。
⑴ 明治前期における土地法制度の概要
明治初年から明治半ばまでに、いくつかの土地にまつわる制度が施行されました。その土地法制度及びそれ
に基づき行われた事業として、次のものが挙げられます。
じんしん ち け ん
(明治5年から6年頃)
① 壬申地券の発行 ち
そ
かいせい
② 地租改正事業 (明治6年から明治 14 年まで)
じ お し ちょうさ
③ 土地台帳制を見据えた地押調査と地図更正 (明治 18 年から明治 23 年頃)
④ 地租条例 (明治 17 年から昭和6年の地租法施行まで)
⑤ 地籍編纂事業 (明治7年から明治 23 年まで)
以上のことを時系列的に表にしたものが表1です。
江戸時代、武家地については無税であり、町地については町屋敷地に課される地子(じし)という税金があっ
たのですが、これを免除されていた地域が多くありました。明治政府は、先ずこの不公平感をなくすため、地
子免除を廃止しました。さらに武家地、町地という呼び名も廃し、市街地とし、地価の 100 分の1を地租とし
て賦課しました。
明治5年1月に東京府下で始められた市街地への課税は、その後全国の城下町にも波及していきます。この
時、地券が発行され、これを市街地券といいます。
市街地券については、私が教えを請うた名古屋大学名誉教授の故近藤哲生先生も「見たことがない。」とおっ
しゃっておられましたので、残念ながら私も見ていません。もし、ご覧になったことがある方がおみえでしたら、
ぜひ、ご一報ください。
8
9 「あいちの地籍」
(明治前期)について
② 群村地券
⑶ 地租改正事業
郡村地においては、
明治4年9月に「田畑勝手作り」により、耕作に関する自由が許され、明治5年2月には「地
所永代売買の禁解除」により、郡村地においても土地の売買が出来るようになりました。明治5年2月 24 日、
① 明治政府の施策、安定財源の確保のために
明治政府にとって安定した財源の確保は喫緊の最重要課題でした。そのため、無税地であった市街地にも地
土地を売買譲渡した際には、地券が発行されることになり、更に同年7月4日には、売買譲渡がなされていな
租を課しました。また、郡村地については、農民の所有権を認めつつ、一方で地租を賦課する準備のため郡村
い土地についても地券が発行されることになりました。この地券を郡村地券といい、土地の持主名、所在地番、
地券の発行がなされました。
地目、面積、石高、地価が記されております。愛知における郡村地券は、実際には明治6年から明治7年頃に
掛けて発行されたようで、明治6年のものが愛知県公文書館にも保管されております(個人からの寄贈)。
法令が公布され、明治 14 年6月 30 日に地租改正事務局が廃止されるまで、地租改正事業は行われました。この
郡村地券を発行した意味は二つあると考えられ、一つ目は所有者を確定することです。江戸時代、領主支配の
もと農民は土地を所持していても決められた作物を耕作することしか認められていませんでした。明治になり農
民にも所有権が認められ、自由に耕作もできるようになりました。この所有権の証として地券が発行されました。
ら く ち
じょうゆ
「地租改正条例」
「地租改正施行規則」
「地方官心得書」といういわゆる地租改正
明治6年7月 28 日、
「上諭」
かくしだ
二つ目は政府が、落地、隠田等がないかを点検し、地価の総額を把握することです。地券を発行する際、所
有者や面積については検地帳、名寄帳と照合し、地価については、村毎に地主からの自己申告によったそうです。
事業により、それ迄現物貢租であった郡村地も、地価に対する地租を金員で納める金納制へと移行しました。
地租改正の順序は、土地の反別丈量をし、地位の算定を行いました。地位が定まると土地の地租が定まると
いうことになります。
地租改正の許可が下りたところには地券が発行され、壬申地券と区別するために改正地券と呼びます。改正
地券には、所在、地番、所有者、地種、反別、地価、そして地租の額が記載されています。郡村地券と比較すると、
この地券には、地価は書かれていますが、地租は書かれておりません。この時点では、地主に対しては、あ
地券の様式が全国統一されたこと、地租が記載されていることが大きく相違するところです。また、郡村地券
くまで土地の所有者を証する書面であり、国にとっては後に地租を課すための土地が、およそどのくらいある
では何筆もの土地を、1枚の地券に記載することも許されておりましたが、これをやめて1筆につき1枚の地
かを把握するためのものでした。
券を発行しました。
じんしん
郡村地券が発行された際、面積の測量は行われておりませんが、地図は作成されており、この地図が、壬申
ち け ん ぢ び き
え
ず
地券地引絵図(図4)と呼ばれているもので、村図と字図が作成されたようです。現在の地図が持つ、土地の
形状等を正確に記したものとは意味合いが違い、村の中のどこにどの土地が存在し、その地目は何かといった
ことが判明すればよいというもので、江戸時代の剣地地引絵図と大差ないものでした。
地租は地価の 100 分の3(明治 10 年から 100 分の 2.5)でした。
地券は、その土地の所有者、納税義務者を公証する証券でした。明治9年以降には、売買等をする際には、
地券に裏書きをして新所有者に譲渡されました。
愛知県における地租改正事業については、明治7年3月に「地租改正之儀」が達せられ、同年 11 月には「地
じょうりょう
租改正ニ付心得書」
が達せられております。これにより明治8年初頭から丈量(面積の測量)が始められましたが、
事業はなかなか進捗しなかったそうです。
そのような状況であったところ、政府の方針が転換されました。
地租改正が始まった当初、丈量がなされ、収量と地位が定められ、地価が決定し、地租が決まる、という順
き て い
序でしたが、明治8年7月8日地租改正事務局議定「地租改正条例細目」では、地価決定の順序は、中央にお
いて決められた収穫高、地価を各県に割り当て、それに基づき県が村の等位を定め、村毎の収穫高、地価を決
めるという、当初とは逆の方法になっています。この方法は、国にとって必要な税収が決められ、それに見合
うように収穫高、地価の決定がされたのでした。
この強引な進め方には、各地で農民の反発があり、愛知県においても春日井郡 43 ヶ村による地租改正反対
運動などが繰り広げられました。この結末は、区長が上京して、東京の尾張徳川家から5万円を借り受け、村々
を承服させたことで終結を迎えることが出来ました。何年か前に、この反対運動があった地域を測量した折、
立会の席で面積の大小のことを口にした際に地権者から大変な怒りを買ったということを聞いたことがありま
す。私見ですが、現在でもこの運動があった地域では、測量、土地の面積については神経質なところがあるの
かも知れません。
じょうのうやま
愛知県ではその他、飛地整理、定納山問題(※8)など多くの困難がありましたが、明治 13 年 11 月 20 日に
尾張東西春日井郡の林野について改租許可が下り、これで愛知県における地租改正事業は終了しました。
図4 壬申地券地引絵図(海西郡秋竹村)
② 三斜法と十字法
地租改正事業で重要なことは、土地の丈量(面積の測量)が行われたということです。現在の測量では、器
③ 壬申地券の呼び名
械で測って計算処理すれば、測った区画の形状ばかりでなく、辺長、面積も知ることが出来ます。しかし、地
市街地券と郡村地券を合わせて、発行の達しが出された明治5年の干支から、壬申地券と呼びます。この呼
租改正事業においては、江戸時代に行われていた方法が受け継がれていました。丈量の方法は各村に任せられ
び方は、この後に述べる地租改正事業の際に発行された地券と区別するためのものです。また、壬申地券は、
たようですが、郡村地では、十字法、三斜法と呼ばれる方法が用いられ、土地の形状を測るものではなく、専
全ての土地に対して発行された訳ではなく、発行されずに終わった地域もあったようです。
ら面積を算出するための方法でした。
10
11 「あいちの地籍」
(明治前期)について
三斜法とは、図上求積によるものではなく、現地に縄を張って一筆の土地をいくつもの三角形に分け、現地
余談ですが、郡村地の辺長の表示の仕方である合、勺は、その後に制定された地租条例で、分、厘という表
で各辺長を実測して面積を測る方法です。また、十字法とは、丈量する土地を矩形になるように縄で囲い、そ
示の仕方に変更されています。更に、合、勺は面積の単位にも用いられ、分は寸の 10 分の1の単位、厘は分の
の矩形の真ん中に十字木を据え、そこに宛てがって縄を張って十字形を作り、その十字に張られた縄の縦の辺
10 分の1といった単位でも使われているため、混乱を生じるところです。
長と横の辺長を掛け合わせて面積を算出する方法です。この方法は入歩(矩形に張られた縄に入り込んでいる
部分の面積)と出歩(矩形に張られた縄から出ている部分の面積)が同じになる矩形になるように縄で囲わな
ければならないため、熟練を要しました。また労力が掛かる割に、得られる面積はあまり精度の良いものでは
⑤ 丈量終了後の役人の検査
せ ぐ い
田畑では、丈量が済むと畝杭が立てられました。畝杭には地番、字名、地種、反別、所有者名、1筆内に田畑
が数枚ある場合はその枚数が書かれました。役人はこれと帳簿を見比べ、また丈量検査(地押し)も行いました。
ありませんでした。
地租改正紀要によれば、9割が三斜法により丈量され、1割が十字法によったとの記載があります。
地租改正事業における丈量は畦畔の際から打詰(※9)とされました。ただし、畦畔であっても簡単に動か
明治8年の地租改正条例細目によると、1反につき 10 歩内外程度の誤差であれば検査は合格となっています。
地租改正紀要によると、郡村地においては多い村で 70 筆余、少ない村でも 10 筆以上を検査し、市街地につ
いては、名古屋、熱田については 12、3筆毎に1筆、岡崎、西尾、豊橋では毎町 500 筆内外の区域であって、
せるものについては、面積から除くことは許されませんでした。
多い町で 30 筆、少ない町でも 10 筆以上を検査したとなっています。
けんざお
③ 間竿と寸法
地租改正当時、地図を作成する場合は、面積算出の測量とは別の方法で行われました。地租改正にまつわり、
寸法を測るのに基本となるものが間竿というものでした。地租改正事業では、1間竿は6尺1分とされまし
明治8年に愛知県から達せられた「量地心得書」には地図の事として、次のことが定められています。「一村の
た。これは6尺の竿の両端に厚さ5厘(1厘は約 0.3 ミリメートル)の金属板を付けた竿を指します。この金
字寄せ略図及び字限り精図を製すべき事。一村字寄略図、字限精図とも美濃紙に製す事。一村字寄略図は朱字
けんなわ
属板は、間竿の摩耗を防ぐために装着されたそうです。また、長い距離を測る際には間縄が用いられました。
のとりちょう
で字番を記入し、墨字で字名を記入する事。字図は朱字で一筆限りの番号を記入し、墨字で地種を記入する事」。
また、距離については傾斜地においては、斜距離で測られました。測った寸法は野取帳に記入し、面積を算出
しかし残念ながら、布達類をみても、地図作成のための測量について詳細な説明はされておりません。
するのですが、そこに書かれている辺長は、郡村地では1間未満については、3寸未満の端数が切り捨てられ
地租改正事業での地図(字図、村図)の主たる役割は、役人が土地を検査する際に、その位置を確認するこ
ております。
とでした。したがって現在の地図のような正確性は必要なかったのだと思われます。
例えば郡村地において、実測したら辺長5間5尺9寸であったとした場合に、面積の計算がしやすいように
間未満の5尺9寸の部分について3寸未満を切り捨てて、間の単位に換算しました。5尺9寸を3寸で割ると、
商は 19 で余りが2寸となります。この2寸は切り捨てられ、5尺7寸として計算されます。1間は6尺なので、
5尺7寸を間数で表すと 0.95 間となります。これを単位で表すと9合5勺となります。この場合の合、勺は割
合を示しています。したがって、実測したら5間5尺9寸という土地の辺長は、野取帳では5間9合5勺(5.95
⑥ 旧土地台帳附属地図について
地租改正紀要によると、地租改正事業での地図(いわゆる改租図)は一筆図、字限図、一村図の3種類が作
成されたと記されています。
このうち、一筆図については野取図を指しているようです。一筆図を接合して字限図を作成したということ
間)と記載されています。また、面積については、歩(1歩=1坪)未満は切り捨てられました。以上のことは、
を聞いたことがありますが、私が見た地租改正時の野取図は、境界線はフリーハンドの墨書きでそれを接合し
郡村地についての丈量ですが、地価が高い市街地ではもっと緻密な丈量が行われました。
て字限図を作成できるとは思えないものでした。
愛知県における当時の市街地とは、名古屋、熱田、岡崎、西尾、豊橋を指します。市街地では、先ず道路に
囲まれた街区を丈量して、その総面積を算出した後、街区内の1筆毎に丈量をして、その面積の合計を算出し、
最初に測った街区の面積と大きく相違しないようにしました。
詳細なことは今後の調査に委ねないとわかりませんが、字限図は基本的には江戸時代に行われていた分間法
(※ 12)によって作成されたのではないかと思料します。
愛知県において現在法務局に保管されている公図の内、耕地整理などの整理事業により作成されたものでな
土地の辺長については、
1厘未満(この場合の1厘は6尺すなわち1間の 100 分の1(約 1.8㎝)を表します。
)
を切り捨てとしました。また、面積については1勺未満(この場合の1勺は面積の単位で1歩の 100 分の1を
表します。
)を切り捨てとしました。
い旧土地台帳附属地図は、その多くが明治 21 年5月から 22 年に掛けて作成されております。すなわち地租改
正時に作成された改租図ではなくて、全く新しく一字図を作成して旧土地台帳の附属地図として備付けました
(更正図と呼ばれています。
)
。これに対し、福井県など北陸に行きますと、改租図を手直しした図面が公図とし
現在の登記記録の地積の表し方も宅地、鉱泉地といった地価の高い土地については、100 分の1の単位まで
表示されていますが、このような取り扱いのルーツは、ここにあるようです。
て法務局に備え付けられております。
これは、愛知県が「町村地図調製式及更正手続」によって地図が作り直されたのに対して、北陸では「町村
地図訂正手続」という異なった法令に則って地図が作成された事に起因します。更正図については後ほど詳し
④ 地租改正時の地積と現在の登記簿の地積
じびきちょう
以前、ある地域に保存されている史料を調査した折に地租改正時に作成された野取帳、地引帳(※ 10)を見
つけました。調査の結果その野取帳に記載された面積と登記簿の地積が同じである土地が存在することが判明
しました。後ほど述べますように、全ての土地についてではありませんが、愛知県で地租改正が行われた明治
そとけいはん
9年頃に測られた面積(外畦畔(※ 11)がある場合はそれを足した面積(後述))が登記簿に生きている土地が多々
あることは事実です。しかもその土地を丈量した際には、先ほど説明したように3寸未満は切り捨てられてい
ますので、3寸弱(約9センチメートル)の数字が隠されている可能性があり、もし2筆の土地の辺長が3寸
弱ずつ切り捨てられていたなら、その筆界点は理論上6寸弱の幅の中に存在することになる訳です。
12
く述べますが、法務局に備え付けられている公図の成り立ちが、県によって異なっていることを知っておくと
よいでしょう。因みに土地台帳規則が制定されたのは、明治 22 年3月です。
⑷ 土地台帳制を見据えた地押調査と地図更正
愛知県における地租改正事業は、明治 10 年に三河の耕地が完了したのを皮切りに、明治 13 年に尾張東西春
日井郡の林野が完了することによって終了しました。全国的には明治 14 年に地租改正事務局が閉鎖されました。
しかし、地租改正がなされた後に、開墾、荒地、地目変換(※ 13)等が行われ、帳簿、図面とそごする箇所が
多々見受けられるようになりました。そこで明治 18 年2月 18 日、大蔵卿より各府県知事に対し、「地押調査ノ
13 「あいちの地籍」
(明治前期)について
件」を発し、実地調査をなし実態と帳簿、図面が合致するよう指示が出されました。
この背景には、土地の物理的状況の管理も所有権の管理も全て網羅されていた地券制度の限界がありました。地
押調査は地券制から土地台帳制、
登記制へ移行するために、
土地の物理的状況をもう一度整理しようとしたものです。
地押調査が実施された年ははっきりしませんが、明治 18 年から現在法務局に所蔵されている明治 22 年様式
の土地台帳が作成された頃にかけて行われたと推定されます。
図7 地目変換届添付野取図帳1(愛知郡上名古屋村)
図5 地目変換届1(愛知郡上名古屋村)
図8 地目変換届添付野取図帳2(愛知郡上名古屋村)
図6 地目変換届2(愛知郡上名古屋村)
14
15 「あいちの地籍」
(明治前期)について
更に明治 20 年6月 20 日、大蔵大臣の内訓「地図更正ノ件」が発せられました。
これは、地租改正時に作成された地図が、各地方のやり方に任せられ、未熟者の手により作成されたものも
多く、実地の状況と一致しなかったり、脱漏、重複等しているものが多々見受けられたため、地図を「更正」
するために発せられました。これに付随し、政府から出された仕様書が「町村地図調製式及更正手続」「町村製
図略法」です。これは、地図作成のための測量の方法を説明したものです。
これらによると地図は字図(6百分の1)と村図(3千分の1)の2種類を作成することとなっており、そ
の方法としてアリダードを用いた平板測量が可とされています。また使用する器具と測量方法(図 11 ~ 14)
が図解されており、完成した地図の雛形(村図、字図、市街地図の3種類(図 15 ~ 17))が綴られています。
愛知県では、
これらが県から村々に配られたようで、
印刷されたものや手書きで書き写されたものが各所で確認できます。
図9 地目変換届添付野取図帳3(愛知郡上名古屋村)
図 11 町村製図略法1
図 10 地目変換届添付図面(愛知郡上名古屋村)
図 12 町村製図略法2
16
17 「あいちの地籍」
(明治前期)について
図 13 町村製図略法3
図 15 町村製図略法(全国版の村図雛形)
図 14 町村製図略法4
図 16 町村製図略法(全国版の字図雛型)
18
19 「あいちの地籍」
(明治前期)について
が法務局に備え付けられている公図であると考えられます。以上のことから、愛知県における土地台帳附属地
図は、
「地図更正ノ件」によって作成されたことが分かります。参考までに図 19 ないし図 21 は、法務局に備え
付けられている公図と筆界線が一致します。
図 17 町村製図略法(全国版の市街地図雛形)
愛知県独自の仕様書として、
「町村地図調製順序」「地図調製及量地心得書」「土地調所規程」というものが
出されております。その内容については、本年度発刊予定の「あいちの地籍(仮称)」に詳細な記述がされてお
りますので、ここでは割愛させていただきますが、この仕様書に基づき作成された地図が土地台帳附属地図(更
正図)であり、戸長役場と県に納められたものです。
先ほど地図は字図、村図の2種類を作成するよう国から指示があったと記述しましたが、愛知県においては、
「この事業では」村図は作成されませんでした。「町村地図調製順序」(図 18)によると、字図を1通作成し戸
図 19 鉛筆書の更正図下図(八名郡三輪村)
長役場に備置くことになっています。
図 20 更正図下図に入っている方3寸の子午線(八名郡三輪村)
図 18 町村地図調製順序(愛知県における更正図の雛形)
更に、明治 22 年の愛知県令により、字図をもう1通作成し、郡役所に提出するよう命じられました。これら
の字図の内、戸長役場に納められたものが、市町村に備え付けられている地籍図で、郡役所に納められたもの
20
21 「あいちの地籍」
(明治前期)について
第一類に定められる地目:田、畑、郡村宅地、市街宅地、塩田、鉱泉地。
第二類に定められる地目:池沼、山林、原野、雑種地(明治 22 年法律第 30 号により、牧場が追加されました。)
第一類地又は第二類地中の各地目を変換するものを地目変換。第二類地に労費を加えて第一類地にしたもの
を開墾。第一類地または第二類地が天災により地形を変じたものを荒地と規定しました。
くわした ね ん き
あけ
あ れ ち
め ん そ
ね ん き
あけ
開墾、鍬下年期(※ 14)明、荒地免租年期(※ 15)明などにより地価を定めるとき、また地目変換などによ
り地価を修正するときには、地主には土地の丈量が課せられました。丈量の方法は、三斜法を用いて、反別(段
別)と野取絵図(寸法の入った図面)を提出させました。その上で官吏を派遣して当否の検査をしました。地
租改正事業の項でも述べましたが、この条例が制定された頃も、三斜法は現地に縄を張り直接距離を測る現地
三斜法による求積がなされていました。
丈量した距離の丸め方は、地租改正の際に行われた方法と同じですが、単位の表記の仕方が相違しています。
地租改正時には、6尺(1間)未満の寸法について、3寸で割ってあまった数値を切り捨て、更にこれを6で割っ
た数値を野取図に記載しました。地租改正事業の項で述べましたが、例えば間未満の数値が、実測したら5尺9寸
であった場合、5尺7寸として計算され、これは9合5勺という表記の仕方でした。地租条例ではこの合勺が分厘
という単位名で表されています。すなわち、5尺9寸というのは、野取図では9分5厘という表され方になります。
前述のとおり、この地租条例は地租に関する手続きを規定するもので、この条例によって新たな地図の作成
図 21 更正図下図は幾枚も継ぎ合わされている(八名郡三輪村)
というのは行われておりません。また、地租条例は、その後地租法、土地台帳法を経て、不動産登記法の表示
に関する登記につながっている法令なのです。
しかし、
他県に行くと、
他の法令によって作成されている地図が土地台帳附属地図になっている場合も見受けられます。
余談ですが、政府は何故、地租改正法令を廃止し、地租条例を公布しなければならなかったのでしょうか。
北陸では、
「町村地図訂正手続」に基づいて、土地台帳附属地図が作成されているようです。これは、改租図
地租改正条例第六章には、
「地租は最終的に地価の 100 分の1にまで引き下げる。
」という内容が定められて
を手直しして作成された地図で、不具合がある箇所を訂正したものです。
岐阜県では、
「地籍編纂事業」の結果に基づいた地図であるため、道水路等の幅員が記載されたものが法務局
に備え付けられています。
います。明治6年の地租改正条例施行時には地租は地価の 100 分の3。明治 10 年には、100 分の 2.5 に引き下
げられました。このことはより多くの税収を必要としている政府にとって、足かせとなっていました。そこで、
一連の地租改正法令を廃止して、新たに地租に関して規定した条例を公布したものが地租条例でした。
三重県では、地図の雛形に描かれている畦畔が2本の線で挟まれた形状になっており、それに基づいて作成
地租条例はその後改正されながら、昭和6年に公布された地租法が施行されるまで適用されました。
された地図には畦畔が2線引きで表現されています。
ところで、先ほど地押調査について触れましたが、異動地、誤謬地等の調査訂正について、当初愛知県では
あまり進捗状況は良くなかったようです。前掲「町村地図調製順序」に綴られている請書の書式を見ると、「今
般地押踏査御延期ノ義相願既ニ御允可ヲ得…」と記載されていることからも推認できます。そこで、愛知県で
は「町村地図調製順序」
「地図調製式及量地心得書」の中で、地図の調整に際し誤謬地、異動地を発見した時は、
地主に反別丈量して申告の手続きをさせることにしたようです。もし、この申告をせずに誤謬地、異動地が役
人に見つかった時には相当の処罰がある、という一文も加えられております。
この事業の際、誤謬地、異動地等の訂正をしていない土地の地積は、地租改正の際に丈量された面積がその
まま土地台帳に書き写されました。その後、整理、地目変換、分裂、合併等がなされていない土地については、
そのまま登記簿に地積が移記されて現在に至るということなのです。
⑹ 地籍編纂事業
地租改正事業については、当初大蔵省租税寮に設置された改正局により行われ、明治8年3月からは地租改
正事務局により進められました。その一方、地籍編纂という事業が内務省地理寮によって行われました。地租
改正事業と時期が重なる明治7年 12 月に内務省より、地籍調査のための官員派遣の達が発せられております。
地租改正と地籍編纂との相違点は、地租改正事業の目的が、地租を賦課するためであったのに対し、地籍編
纂事業は地籍を備えることが目的でした。地籍とは、国土交通省のホームページによると「土地に関する戸籍」
と記載されておりますが、課税される土地であるか否かを問わず、土地の字、地番、地目、反別等を調査し、
帳簿に記載しました。
全国的にみると、地租改正事業と同時に行った県も見られますが、どの県がどの程度この事業を行ったかは
はっきりしないそうです。ただ、明治 23 年に主体となっていた内務省地籍課が廃止されることによって、立ち
⑸ 地租条例について
消えになったといわれています。
明治 17 年3月 15 日の太政官布告により地租条例が制定され、それまで適用されていた地租改正条例等一連
愛知県の村々においては、地租改正が完了した後の明治 17 年1月調で地籍帳、地籍字分全図の提出を県から
の地租改正法令が廃止されました。同年4月5日には大蔵省より地租条例取扱心得書が達せられ、これを受け
求められています。一部明治 18 年調の地域もありますが、明治 17 年1月調による愛知県全域の地籍帳、地籍
て愛知県では同年6月 30 日に地租条例細則が達せられました。これらは、地租に関する取り決め、手続につい
字分全図が県に納められています。
て記述されています。
愛知県における地籍編纂事業では、地租改正事業においては丈量されていない畦畔の面積や、官有道路、河川、
内容の一部を紹介しますと、地租が課せられる地目(有租地)、地租を免除される地目。また有租地は第一類
溝渠の幅員、長さを測量しました。
と第二類に分けられました。
22
23 「あいちの地籍」
(明治前期)について
この時測量された畦畔の面積は、地籍帳の反別欄に外書きで書かれています。その後の地押調査の際に変更、
更正がなされていなければ、
明治 22 年作成の土地台帳の外畦畔欄に、
そのまま移記されることとなります。また、
地籍字分全図は通称地籍図と呼ばれ、基本的には1つの村毎に1枚の用紙に描かれています。縮尺は1間5厘
(1200 分の1)で、村の広さによりますが、その大きさは畳何畳もある大振りな図面で、その特色は、道路、河川、
溝渠といった官有地の幅員、長さが記載されていることが挙げられます。それまでの村図は、ある字がその村
のどこに位置しているかを示している程度のものであったのですが、愛知県における地籍字分全図は、一筆毎
の境界線、地番、地目等が記入されています。
長久手町史によると、地籍字分全図は村で2通作成され、その内1通は県へ納められましたが、道路など官
有地は測量され、1筆ごとの土地の形状は絵図であるということが記述されております。
岐阜県の法務局に備え付けられている公図は、地籍編纂事業の結果をもとに作成されているものがあるそうで
すが、中方儀と呼ばれる器械を用いて道路等を測った「筋骨図」と呼ばれる図面がベースとなっているそうです。
愛知県における地籍字分全図も、この方法に依った可能性があると私は考えております。愛知県における地
籍編纂の詳細については、
「あいちの地籍(仮称)
」を見ていただくようお願いします。
6 おわりに
本稿は、資料集「あいちの地籍(仮称)
」を発刊するに際し、その概要をお伝えするために執筆しました。明
治前期の土地法制の流れについて、なるべく初めて触れる人にも理解していただけるような文章にしたつもりで
図 22 畦畔野取図帳1(八名郡三輪村)
すが、私自身、執筆というものに不慣れであり、稚拙な文章になってしまったことをご容赦ください。
なお執筆にあたり、連合会発行の土地境界基本実務Ⅱ掲載資料、愛知県中部地籍研究会で収集した資料、そ
の他私が個人的に調査した文献等を参考にさせていただきました。
(※1)筆界特定(制度) 筆界特定制度は、筆界特定登記官が土地の所有権の登記名義人等の申請により、
申請人等に意見及び資料を提出する機会を与えた上で外部専門家である筆界調査委員の意見を踏ま
えて筆界の現地における位置を特定する制度。
(※2)更正図 本文 17 ページ以下参照。
(※3)GPS Global Positioning System(グローバル・ポジショニング・システム)の略で、全地球測
位システムと訳される。米国国務省が開発した軍事衛星の電波を受信して、地球上のどこでも、緯
度経度を測定し、位置等の測量を行う技術。具体的には、カーナビゲーションや携帯電話の位置情
報システムなど、身近にも広く使われてる。この GPS を測量に使うことで、高速かつ高精度な測
量が可能となっている。
(※4)TS Total Station(トータルステーション)の略で、光波測距儀(2点間の距離を正確に測る機器)
とセオドライト(水平角と鉛直角を精密に測る機器)を組み合わせてた測量機器で、水平角、鉛直
角、距離を同時に測れ、高精度測量に幅広く使用されている。
図 23 畦畔野取図帳2(八名郡三輪村)
(※5)筆界(公法上の境界) ある土地が登記された時に、その土地の範囲を区画するものとして定めら
れた線。所有者同士の合意によって変更することはできず、分筆・合筆といった不動産登記法上の
手続きをとらない限り変動することはない。これに対して所有権界は、所有権の及ぶ範囲を画する線
24
25 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
という意味で用いられ、筆界とは異なる概念であることに注意。一筆の土地の一部についての所有
権も認められるところから、時効取得や譲渡によって筆界と所有権界が一致しなくなることもある。
平成 23 年度、愛知県土地家屋調査士会(以下「愛
本教授に面談をお願いしました。安本教授は、さす
一般に裁判外紛争解決制度と訳される。様々な類型の紛争解決制度の総称で、第三者が当事者間の
知会」という。
)の事業計画の中に初めて「大学にお
がに連合会顧問だけあって、土地家屋調査士制度に
会話を促進し合意を目指す調停や、第三者が判断を示す仲裁などがある。愛知県土地家屋調査士会
ける寄附講座の開催」が盛り込まれ、平成 23 年9月
ついて理解が深く、
「協力は惜しまない。」とのお返
では、土地の境界に関する問題で当事者同士の話し合いがうまく行かない場合に、土地家屋調査士
22 日㈭から平成 24 年1月5日㈭までの全 14 回、名
事を頂戴したばかりか、民法学が専門の柳澤秀吉教
城大学天白キャンパスにおいて講義が行われました。
授を紹介して下さったのです。
(※6)ADR Alternative Dispute Resolution(オルタナティブ・ ディスピュート・リゾリューション)の略で、
と弁護士が仲介役として紛争解決の調停をする民間型 ADR である「あいち境界問題相談センター」
を開設している。
そこに至る思いや願い、講師団の経験に学び、次
(※7)所有権界 (※5)を参照。
(※8)定納山問題 定納山とは、村持ちなどの入り合い地のことで、そこで肥料や飼料にするために草
や薪などを採って村の人が使用していた。いわゆる郷山の多くが定納山であったようである。地租
改正では、官民区分がなされたが、その際に所有者である証拠がなければ官有地(国有地)になり、
今まで村の誰もが薪を採ることができた山が、突然、官有地の指定を受けると、勝手に立ち入るこ
ご紹介いただいた柳澤教授はとても温和なお人柄
回以降愛知会にとっても、一人ひとりの調査士会員
であり、法学者としてとても魅力ある教授でした。
にとっても、もちろん先方の大学や学生にとっても、
この寄附講座と連動し、調査士業務でのインターン
さらに良いものとしていただくための一助とするべ
シップについて、当会として学生を受け入れる態勢
く、以下のとおり報告いたします。
がある旨を説明したところ、とても興味を示してく
ださいました。また、土地家屋調査士制度について
ともできなくなる。明治初期の村人にとって、大変な問題であったようである。地租改正当時、村
もご理解くださいました。
持ちの山であるか、国のものであるかで揉めた地域が多くあった。これを定納山問題という。
(※9)打詰 畦畔の際から際まで、畦畔自体を除いて丈量すること。
(※10)地引帳 江戸時代、検地に先だって作成された帳簿で、所在地・用途・持ち主などを1筆ごとに
書き上げ、検地奉行に提出した。
(※11)外畦畔 畦(あぜ)を耕作地の地積に含まないで丈量したもの、その反対に、耕作地の地積に含
んで丈量したものを内畦畔という。
学法学部長室において、名城大学からは法学部長、
早 川 正 敏 副 会 長 また、当会からは滝口会長が出席して、名城大学と
愛知県土地家屋調査士会との『寄附講座に関する覚
滝口会長が会長に就任され、私が総務部長の命を
書』の調印が行われました。このときの、何か一つ、
受けた平成 21 年度。その定時総会の際、1人の会
(※12)分間法 今でいう平板測量に近い方法。
員から「総務部の事業計画の中に『寄附講座等の検
(※13)開墾・荒地・地目変換 本文 23 ページ3行目から4行目を参照。
討』とあるが、具体的に何をやるのか」との質問が
(※14)鍬下年期 開墾中や竣成後に一定の期間、地租を免除すること。
あり、総会後会長より、早急に『寄附講座』開講に
(※15)荒地免租年期 有租地(課税される土地。反対に、無祖地は課税されない土地のこと。)が荒地
向け検討するよう指示がありました。
になった時に一定の期間、地租を免除すること。
こうして話が進み、平成 23 年3月 10 日㈭名城大
1 はじめに(寄附講座開講に向けて)
肩の荷が下りた安堵感は、今でも忘れることができ
ません。
その後、神谷文彦委員(岡崎支部)、小島篤実委
員(熱田支部)
、武下文之祐委員(名古屋北支部)
の3名を増員し、当初からの3名の委員と合わせて
総務部長とはいえ、就任して日の浅い私には荷の
6名体制で本格的に寄附講座運営委員会としての取
重い話でしたし、何より『寄附講座』の意味すら理
り組みが始まりました。
解しておりませんでした。そこで、茶谷和裕常任理
そして今、第1回目の『寄附講座』全 14 講の講義
事(現常任理事)と総務部小嶋眞介理事(現総務部長)
が無事に終わりました。土地家屋調査士の知名度と
に相談、協力要請をしたところ快く引き受けてくだ
社会的信用の向上に向け、将来の社会の担い手たる
さり、私を含めこの3名で寄附講座準備委員会を立
学生に、土地家屋調査士が行う登記業務の内容につ
ち上げ検討に入った次第です。
いての基本的理解を求めて、この『寄附講座』が永
折良く大阪土地家屋調査士会において『寄附講座
遠に継続されていくことを希望するものであります。
講師養成講座』が実施されるということを知り、茶
最後になりますが、業務の合間に講義のため時間
谷常任理事、小嶋理事は、この講座を受講するため、
を費やして下さった講師の皆さん、そして影に日向
大阪まで出向いていきました。また、連合会(日本
に働いて下さった委員の皆さん、何よりも、『寄附
土地家屋調査士会連合会)会報記載の全国の調査士
講座』開講をお許しくださった名城大学の関係者の
会が取り組んでいる寄附講座紹介の記事を読み、ほ
皆さまには、心よりの感謝を申し上げます。
んの少し、先が見えてまいりました。
また、会員の皆さんにも今後とも『寄附講座』へ
次の壁は、どこの大学で開講するかという点でし
のご理解とご協力をお願いし、挨拶とさせていただ
た。あるとき、愛知会のある副会長との雑談におい
きます。
て、名城大学法学部の安本典夫教授は連合会の顧問
であることを聞き及び、
「寄附講座を開講したい。
」
という思い一心で、直接名城大学に連絡を取り、安
26
27 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
2 講義の概要
3 講師経験者の感想
第7講:土地に関する表示の登記Ⅱ
担当講師:本多美喜男
期間:平成 23 年9月 22 日㈭ ~
土地表題部の登記事項/
平成 24 年1月5日㈭(全 14 回)
第1講担当 専務理事 登記の目的とその内容 等
場所:名城大学天白キャンパス
行っている者である。表示の登記の分野においては、
プロ中のプロである。
」ということを、受講生に印
象づけたいと思いました。
富士田 義 博
そして、PR というと語弊がありますので、味付け
として、土地家屋調査士は、
「内業(デスクワーク)
第8講:測量に関する理論と実務Ⅰ
対象:法学部2年~4年
内容および担当講師
第1講:ガイダンス/表示の登記(総論)
担当講師:小島一晃
と外業というメリハリのある変化に富んだ魅力的な職
測量とは/
業」であることを付言し、卒業後の選択肢の一つとし
測量に関する法律と測量の種類 等
て考慮するよう伝えました。その効果かどうか、第2
講以降の感想等の欄を読むと、土地家屋調査士試験
第9講:測量に関する理論と実務Ⅱ
担当講師:富士田義博
担当講師:小島一晃・赤川美咲
講座の概要/
土地家屋調査士の行う測量/
表示の登記と市民との関わり 等
測量器械に触れてみよう 等
や業務に関する質問・意見が多数記載されていました。
大学側が、来年度、前期日程での開講を認めてく
れたということは、本年度の当会の寄附講座の内容
を評価してくれたということだと思いますので、講
第10講:土地制度の歴史的沿革
第2講:表示の登記に関する調査
師全員の労が報われたのではないかと喜んでいます。
担当講師:神谷文彦
担当講師:野澤秀元
不動産登記に関する調査の必要性/
土地所有における国家の関わり/
資料調査/現地調査 等
明治期・現代の土地制度 等
担当講師:榧下幹生
登記の対象となる普通建物/
境界の種類/
建物認定基準 等
所有権確認訴訟と境界確定訴訟 等
担当講師:高津行弘
建物表題部の登記事項/
時効取得について/
建物の個数と同一性 等
境界に関する紛争解決 等
当会の会員は、多士済々です。ですから、できる
ていただかなければならないということでした。
だけ多くの会員に担当していただき、愛知県土地家
そこで、ガイダンスでは、
「本講座は、土地家屋
屋調査士会のフルカラーが出せると、大学側により
インパクトを与えることができると思います。
おいて、民法その他の法律の定めが、実社会(実務)
では具体的にどのような形で現れてくるのかを理解
してもらうことを主眼としている。
」ということを
第2講・第3講担当 岡崎支部 強調しました。法律は、机上の学問ではなく、日常
担当講師:川澄佳洋
担当講師:夏目善之
区分建物の概要/区分建物の敷地および
筆界特定制度の概要と土地家屋調査士の役
敷地利用権 等
割/境界 ADR の概要 等
神 谷 文 彦
生活に生かすということを意識して学ばなければい
けないということを伝えるのが、学者とは異なる、
学者では話すことができない、実務家の特色を出す
第14講:表示登記制度と土地家屋調査士
第6講:土地に関する表示の登記Ⅰ
と考えます。
調査士が業務として行っている表示の登記の分野に
第13講:筆界特定制度と境界 ADR
第5講:建物に関する表示の登記Ⅲ
する分野を自分のカラーを出して講義するのがよい
学にとっても独自色の出せるものである。
」と評価し
第12講:土地家屋調査士の司法参加
担当講師:川澄佳洋
ありません。それぞれの講師が、自分の最も得意と
学関係者に、
「学生にとって有意義な講義である。大
担当講師:神谷文彦
第4講:建物に関する表示の登記Ⅱ
内容について、前任講師の内容に拘束される必要は
論)でした。
一番意識したことは、法学部長をはじめとする大
第11講:境界に関する理論と実務
第3講:建物に関する表示の登記Ⅰ
受講する学生は、毎年変わるわけですから、講義
私が担当した科目は、
ガイダンスと表示の登記(総
ことにつながると考えました。
担当講師:本多美喜男
担当講師:平川文洋
土地の定義/土地の発生/土地の滅失 等
講義のまとめ/
記法、特に表示登記関係法令については、ほとんど
表示登記制度と土地家屋調査士の関わり 等
勉強していないわけですから、常に民法と対比して
受講する学生は、民法は学んでいても、不動産登
説明することで、受講生の興味を引き出すことが必
要です。例えば、土地の境界に関する民法と不動産
登記法の規定がどのように異なるのか、事例を板書
してわかりやすく説明することに意を用いました。
今回、第1回目の寄附講座の講師をさせていただ
このことは、表示の登記(総論)においても同様
きました。正直、このお話を頂いた時は期待と不安
に、不動産の定義に関する民法と不動産登記法の規
でいっぱいでした。初めて経験する大学での講義で
定を対比して説明しました。
あるため、自分の講義でうまく学生に伝わるのか。
講義全体を通じて、
「土地家屋調査士は、法律専
(全講師の紹介)
28
一方、自分が業務として行っている土地家屋調査士
門職である。法的思考に基づいて判断する業務を
29 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
を法学部の学生に知ってもらえるという「うれしさ」
えた資料の準備(読み込めなかった場合の資料作成)
内容のものにすれば良かったのではないかと、今更
もに、私たちが行っている仕事の重要さを伝える事
もありました。それぞれの思いが錯綜する中で、せっ
が、たいへん重要だと感じた出来事でした。
ながら考えさせられます。
が出来るというのは素晴らしいことだと思いました。
かくのチャンスを頂きましたので、私の精一杯の知
以上の反省点を踏まえ、次週の第3講の講義につ
また、学生たちの質問も、
「儲かりますか?」
「ど
私は、測量の基礎知識についての講義を担当させ
識と技術を集約した、より分かりやすい講義を目指
いては、事前準備も万端で講義に集中でき、前回よ
の資格と相性が良いですか?」などと、調査士とい
ていただきました。測量については、過去に専門学校
そうと考えました。
り質のよい講義ができたと自負しております。
う未知の資格について興味津々といった様子でもあ
の講師を 10 年程経験しておりましたが、測量の勉強
りました。
をしようという学生ではなく、授業の一環で、測量自
準備期間は約半年程度であり、長いようでありま
今後は受講生も増加することが予想されますの
したが最終の講義資料が出来上がったのは、担当講
で、学生とのコミュニケーション等も取り入れ、学
まだ始まったばかりの寄附講座ですが、継続する
体にそれほど興味があるわけではない学生に講義をす
義の約2週間前というギリギリの状態でした。
生が退屈しない講義内容を目指し、より多くの学生
ことにより、徐々に学生たちの関心を惹くことが出
るという事は全く経験がなかったので、どのように私
に土地家屋調査士を知ってもらえるように努力して
来るような、愛知会独自の特色を持った講義が出来
の講義が聞いてもらえるのかと不安もありました。
いきたいと思います。
れば、受講生も増え、調査士の認知度も上がるので
最初の2ヶ月間は資料収集に徹しました。担当
する講義内容は既に決まっておりましたので、講義
実際、講義をしてみての感想は“結構聞いてもら
えている”というものでした。私の体験談や脱線し
を構成するための資料を思いつくままに収集しまし
今回、このような貴重な体験をさせていただいた
た。収集後、その中から講義で使用できる資料(写
愛知会の役員の皆様、関係者の皆様に感謝申し上げ
た話などは、とても興味を持って聞いてくれたよう
真等)をピックアップし、講義資料を作成していき
て、講師の感想とさせていただきます。
に感じます。私の講義では測量機器を使った実習が
ました。講義資料を作成するに当たり念頭に置いた
はないかと思います。
第6講・第7講担当 岡崎支部 本 多 美喜男
メインだったので、その時は楽しそうでした。この
講義が生徒たちの頭の片隅にでも残ってくれている
ことは、受験のための講義ではないため、難しい専
門用語を並べ立てるのではなく、学生や子供にも分
第4講・第5講担当 豊田支部 川 澄 佳 洋
講義の準備段階ではどのように不動産登記法を伝
と嬉しいです。
かってもらえるような資料を作成することでした。
えるかを考えながら原稿を作成して講義に入りまし
次に講師をやられる方に一言、90 分のタイムス
そのためには学生に興味のあることを盛り込む必
たが、学生たちからのあまりの反応の無さに撃沈さ
ケジュールを組んでおいた方が無難です。講義の中
れた思いがいたしました。
でメリハリをつけると生徒の目が輝いてくる。体験
要があると思い、名城大学の講義棟やその土地の登
記事項証明書及び建物図面等を多く使用することで
講義を終え考えてみると、学生は、今回の講義で
学生の興味を引ければと考えていました。実際に講
調査士試験に挑もうなどとは思っておらず、
「どの
最後に、こんなにやりがいのある役はなかなかあ
義がスタートし、学生の反応を見ると登記事項証明
ような資格なのだろうか」という程度の関心であっ
りませんので、是非、寄附講座の講師を経験してい
書、建物図面という資料にとても興味を持つ様子に、
たと感じ、それを考えると自分の講義は全くつまら
ただきたいと思います。
少し手ごたえを感じました。
ないものに感じたでありましょう。
談は興味を持ってくれる、といった感じです。
おそらく求められるものは、不動産登記法をベース
一方、反省すべき点も見えてきました。まず、学
に調査士業務を伝えていくことであろうと思います。
生に配布するレジュメについてです。レジュメは、
講義の流れを記入した簡単な資料(挿絵や図面入り)
私が講義の担当をさせていただいたのは、「建物
を準備していました。しかし、そのレジュメの図面
の表示に関する登記」で出席者は 25 名程でした。
や登記事項証明書が小さく、少し見づらいものに
なってしまいました。次回の講義では、それらの資
内容としては、既に寄附講座が行われている大阪
料をなるべく大きく出力し、学生に提示できればと
会や千葉会の講義資料を参考にして、建物表題登記
考えています。
から区分建物の滅失登記まで、様々な登記の種類を
第8講・第9講担当 名古屋西支部 小 島 一 晃
図や写真、登記事項証明書等を用いて説明しました。
また、事前の会場確認(大きさ、壇上の位置、説
明するポジション、スクリーン等の位置など)及び
学生達と話をしてみると、既に調査士試験を受験
PC の動作確認(名城大学の PC で自分の USB デー
した学生もいれば、調査士の存在を知らない学生ま
タが読み込めるかの確認)を念入りにしておくことが
で幅広い受講生がおりました。また、当然のことな
とても重要だと感じました。私の講義では、持参した
がら全員が調査士を目指しているわけではありませ
USB データが大学PCで読み込めず、配布資料とし
ん。講義内容をどのレベルの学生を対象にすれば良
て作成した白黒でとても見づらい資料での説明となっ
いのか。本当に調査士試験に出てくるような内容の
てしまいました。真剣に受講しようとしている学生に
講義で良かったのだろうか。もっと分かり易く「あ
対して失礼な講義をしてしまい、大変申し訳なく思っ
る調査士の一日」のように、実際に建物登記の依頼
ております。事前準備と動作確認、そして万が一に備
が来た時にどう業務を遂行していくのか、といった
30
この度、名城大学の寄附講座に講師として参加す
ることができ、誠に光栄だと思っております。次世
代の若者に土地家屋調査士という名前を広めるとと
31 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
第9講担当 豊田支部 赤 川 美 咲
的には費用対効果の面で全く理に適っていないかも
し、そのためのサポートもできるだけしていきたい
しれません。ですが、長期的に考えるとこの寄附講
と思いました。
愛知会が始めた寄附講座の試みにより、土地家
屋調査士資格の社会的認知向上と資格を目指す人達
実は、私が最初に寄附講座で担当した講座は「測量
座の威力はどれほど発揮されるのか、簡単には予想
の理論と実務」ではなく、寄附講座を担当する講師
できないと思いました。学生達に限らず一般の人た
の方達に向けた「話し方、伝え方」に関する講座で
ちにとって、残念ながら土地家屋調査士は未知の世
した。土地家屋調査士になる前にしていた仕事はナ
界です。自分の両親、ご近所、友人達、どれだけの
平成 23 年6月 17 日㈮午後1時、大阪土地家屋調
寄附講座等各種試みによって私達自身も社会に土地
レーターでしたので、日本語をどのような音に変え
人が土地家屋調査士を知っているでしょうか?土地
査士会が関西大学法学部の学生に対して実施されて
家屋調査士の存在意義を訴えかけていく事が重要で
ると、聞く人が聞き取りやすいか、大事な言葉「キー
家屋調査士を知る機会は日常生活の中ではとても限
いる寄附講座の講義実施状況の視察に伺いました。
あると改めて思った次第です。
ワード」を印象付けられるか、記憶に残せるのかと
られています。
の増加に多少なりとも寄与出来たならば、今回の名
第 10 講担当 新城支部 野 澤 秀 元
あったことと言えると思います。今後も引き続き、
講義内容は「土地制度の歴史的沿革」で受講生は
いった「技術」を、講師をされる方達に伝え、少し
土地や建物の表題に関する登記を申請することは
約 300 名程でした。私は当初、現役の土地家屋調査
でもお役に立てればと思い引き受けました。その流
人生の中でそう何回もあることではありません。委
士が学生達に行う講義内容と学生達の受講中の様子
れで測量科目のサポートをすることになり、1時限
任状に印鑑をもらう際に「土地家屋調査士の○○で
に関心がありました。
だけ学生の前で講義をすることとなりました。
す」と名乗ったところで、記憶に留めてくれる人も
この「測量」という科目は、正直私には負担でし
そう多くはないと思うのです。
城大学法学部に対する寄附講座の提供は大いに意義
第 11 講担当 新城支部 榧 下 幹 生
今回の寄附講座のお話を頂いて、調査士制度の広
講師の土地家屋調査士の方は、パワーポイントを
利用されて学生達の興味を誘うように「土地制度の
報活動にもなるし自己啓発の一助ともなると感じ、
講師を受ける事にしました。
た。測量について学校できちんと勉強した経験もな
寄附講座では学生達が 14 時限に渡ってどっぷり
歴史的沿革」について組み立てられていました。一
く、現場で先輩達のやり方を見て真似て覚えてきた
と土地家屋調査士の世界に浸ってくれます。せっか
方、学生達の受講態度は 10 分ほど経過した頃から
受諾した段階では、余り実感もなく軽い気持ちで
ものですから、やり方について教科書どおりの正確
くの時間ですから、目いっぱい楽しんで欲しいと思
人によって態度が異なり、真剣に聞き入る者、ノー
いましたが、それに対する勉強会、講義が本格的に
な情報を持っている自信はありませんでした。
います。そして、遠い将来に「境界で困っている」
トを取っている者、隣と話をしている者、机に伏し
始動しはじめて、緊張感と学生に間違いを伝えては
そこで測量の理論、実務に関してはもう一人の測
という人に「ああ、それなら土地家屋調査士に頼め
て寝ている者など様々でしたが大方良好な受講態度
いけないとの思いを強く感じ始めました。
量科目担当の方にお願いし、私は測量に興味を持っ
ばいいよ」と、当たり前のように言ってくれたらい
であったと記憶しています。講師の方は平静に、感
私の講義内容は、
「境界に関する理論と実務」が
たきっかけを話すことにしました。それは、地球の
いなと思うのです。
情を変えることなく終始真剣に話されていました。
受け持ちでした。普段から実践については行ってい
大きさを知りたいと思い、実際に測ってしまった二
これから寄附講座を担当される方達に伝えたいこ
るものの、講義となると少し勝手が違います。改め
私が今回、寄附講座の講師をさせて頂くにあたり、
人の男の話です。一人は紀元前のエジプトで夏至の
とは、講義は「ショータイム」だということです。
当初、気に掛けていた事は講義内容の組み立てとそ
て理論的な組み立てによる必要がありましたので、
太陽を使い、手製の分度器とラクダを使って地球の
講師自身がつまらないと思っていることは、そのま
の進行でした。また、これに対する学生達の反応も
受験生気分に戻って勉強し整理する事にしました。
大きさを測った人、そしてもう一人はいわずと知れ
ま学生達につまらないものとして伝わります。講師
気掛かりでした。
た伊能忠敬です。話す内容は、測量というよりは、
が「調査士って楽しいこともあってね…」と笑顔で
愛知会が、私達講師に対する講義を行ってくれた
地球を測ってみたいという情熱に突き動かされ、本
話すと学生達の興味を引くことができ、話を聞いて
ことにより、講師の重要な事を多く学び、講義の実
当に事を成し遂げた二人のかっこ良過ぎるおじさん
もらえる確率は高くなります。
務面の事は関西大学における寄附講座の視察により
への愛情を吐露したにすぎない話でした。この話が
たかが 90 分の時間かもしれません。ですが、学
学生達にどのように響いたのかはわかりませんが、
生達は高い学費を払って、時間を使って土地家屋調
しいて望みを言えば、測量というものを今までより
査士の講義を聞きに来てくれています。
講義内容を漠然と列記し、持ち時間の 90 分内に
話が出来るよう構成し、パワーポイントを利用して
学生に講義を行いました。
過去に、別の事で講義や講演は行ったことがあり
ましたので、ある程度の話し方や間の取り方は出来
学ばせてもらいました。
今回、この寄附講座講師を受諾させて頂くにあた
たと思いますが、やはり学生相手となると退屈しな
り、自分の中では一つの思いがありました。それは
いようにとか、興味を持たせる等、話すことの難し
も少し身近に感じてくれたらいいなと思いました。
楽しんでいって欲しいという気持ちがあれば、おの
自分も苦労してこの資格を取り、好きで始めた土地
さを多く感じながらも時間を終える事ができました。
その後、業者の方の好意で教室に用意された測量
ずと講義内容もそれに見合ったものになるのではない
家屋調査士業、現在、私達士業の資格試験受験者数
そして、他の講義の感想等を見ていると、少しず
機(TS)を学生達に触ってもらいました。現場で作
でしょうか。そのためには、まず、講師自身が寄附講
が年々減少傾向にあることを聞き及び、自分でも調
つではありますが、学生が土地家屋調査士を知り、
業していると、小学生達が機械を覗く私を興味深そ
座を存分に楽しむと同時に、学生達に楽しんでもらう
べました。普段関連の多い司法書士資格の試験受験
興味と関心を抱きつつある事を感じる事ができ大変
うに見ながら通り過ぎることがあります。中には触
ため自己犠牲的に奉仕する面も必要だと思いました。
者数と比較して、その差を目の当たりにし驚愕する
よい経験となりました。また、広報としても直接的
ろうとする元気な子供達もいますが、当然触らせま
講師が気持ちよく講義をしても、それが学生達を無視
と同時に、万一、今後、この傾向が常態化するよう
な方法によるので、今後も続けていけるとよいと思
せん。学生達もそんな経験をしてきたのではないで
したものならば学生たちは引いてしまいます。
なことにでもなれば資格存続にも影響しかねない問
います。
しょうか。普段は反応の少ない彼らですが、あこが
土地家屋調査士のための寄附講座ではなく、学生
れの?測量機を触り、レンズの向こうに見えたミラー
達のための寄附講座。
に焦点を合わせる姿はなんとなく楽しそうでした。
難しいバランス感覚が必要なのかもしれません
この寄附講座を広報活動の一環と考えると、短期
が、講師の方達にはぜひ挑戦して欲しいと思います
32
最後に、これから多くの方が講師として経験される
題であると思いました。より多くの人達に土地家屋
調査士の資格存在意義を理解してもらい、そして、
事と思いますが、是非、ある程度の経験を得た調査士
少しでも多くの人達に資格取得を目指してもらいた
の方々はなれ合いになりつつある業務を見直す意味で
いと願っての事でした。
も、積極的に講師をされることをお薦めします。
33 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
髙 津 行 弘
師が作成した第 10 講までのレジュメと資料が送ら
とにかく、寄附講座の講師には、自分の持てる力
れてきました。それらのレジュメを見て、各講師の
を目一杯、出し切る熱意が必要であると思います。
私もその講義を受講させていただき、講師の方の努
熱意と、知識の深さ、能力の高さに、さすが調査士
今回の寄附講座では、各講師が学生に対して、土
力に御礼申し上げたいと思うとともに、愛知でも「大学
と思いました。私は、講師の皆さんに、頑張れとお
地家屋調査士の日常業務と社会的役割を講義したの
で講義する調査士」が現れたのだと嬉しく思いました。
尻を叩かれているような気持ちでした。
ですが、受講した殆どの学生から、土地家屋調査士
そこで、第 14 講では、これまで歩んできた調査
が土地及び建物の調査測量・登記手続を主たる業務
士の歴史とこれから進むべき調査士の姿を示すのが
に参考にしたのは、寳金敏明著「境界の理論と実務」
としていること、それにとどまらず司法にも係わっ
私の講義の役目と思いました。調査士の姿をもう少
私にとって、講師をするという体験は、自分自身
です。その他、内田貴著「民法Ⅰ」等にて取得時効
て活躍していることが理解できた。受講して良かっ
し深く伝えなければ、今日、司法制度の専門委員と
の土地家屋調査士としての能力を見直すきっかけと
の復習。民事訴訟法の原則である、処分権主義、弁
た。との感想が寄せられています。
して関わっていく立場が理解されないこととなり、
もなり、本当に有り難い良い体験となりました。
論主義等の復習等々。また、タイミング良く、登記
この度、寄附講座の講師という、貴重な体験の機
研究 761 号と 762 号に藤原勇喜先生の「土地の筆界
会を頂いた愛知会並びに寄附講座運営委員会の委員
れた「寄附講座講師説明会」が出発点となりました。
と地図(公図)をめぐる不動産登記上の諸問題」と
の皆さんに心より、感謝申し上げます。
当日参集した講師予定者陣をみると、私よりはるか
題する論文が掲載されました。この論文を読むこと
今後、愛知会の寄附講座が、より多くの学生に受
に若く、元気そうな人材が揃っており、講師予定者
により筆界について理解が深まり、寄附講座の講義
講され、寄附講座の目的達成のため成長発展するこ
習得した知識を反芻し「何故だろう?」と考えさせ
を引き受けたことに少々戸惑いを覚えました。それ
をするに当たって、かなり勇気付けられました。
とを願うと共に、出来得れば、今回の反省点を生か
ることが重要だと思いました。
第 12 講担当 一宮支部 私は、
「土地家屋調査士の司法参加」というテー
マの講義を行いました。
このテーマのみでは、学生にとって少々難解であ
ると思い「境界に関する紛争と土地家屋調査士のか
私がレジュメを作成し講義をするに当たって、主
かわり」を、サブテーマとしました。
講師予定者らは、平成 23 年2月8日㈫に開催さ
でも、まず体力づくりから始めれば、なんとかなる
いよいよ、平成 23 年9月 22 日㈭には、第1講「ガ
のではないかと、気を取り直したのを覚えています。
生達に伝わっていた感がありました。
学生達も残念(不知)になると思います。
初めての寄附講座(初級)なので、高度なことを
教えるのではなく、調査士の前身を含め、現実に行
なわれてきた事を伝えるだけでありますが、学生に、
した講義を今一度したいものと思っています。
まず、法律で常に品位を保持すること(調査士法
イダンス/表示の登記」の題目で、富士田専務理事
2条)と定められた私たちの業務を含む振る舞いと
愛知会では、既に寄附講座準備委員会が立ち上
が担当の講義が始まりました。第1講の日には、講
は何か?次に、日本の経済発展を基礎から支えてき
がっており、講座名称を「不動産登記と土地家屋調
師全員の紹介があり、紹介に引き続いて、富士田専
査士」とする、テキスト案も出来上がっておりまし
務理事の講義を聴講しました。富士田専務理事は、
た。このテキスト案は、寄附講座準備委員会の委員
手慣れたもので、どの学生も真剣に、講義に引き込
の皆さんの努力の賜物であると思っております。
大学では、このテキスト案を 14 講に分けて、そ
れぞれの担当講師が講義をするのですが、私には、
た「権利の明確化」に力を尽くしきれたか?そして
戦後、昭和 25 年に立法化された調査士資格であり
ますが、実は、明治時代から専門職としては存在(土
まれているようでした。また、ほとんどの学生が、
話しをする機会をいただき、貴重な学びを頂きまし
地調査員)していた経緯、そして、学生からの「地
模範六法等の六法を机上に置いていたので、さすが
た。有難うございました。
租改正時の測量技術は、稚拙だったか」との問いに
寄附講座の第1講から第9講までは、主に土地家屋
られたのです。しかし、その頃には、どのようなレ
夏 目 善 之
今回、自分が今一度資料を読み込み、整理してお
に法学部の学生だと感心させられました。
第 12 講「土地家屋調査士の司法参加」が割り当て
第 13 講担当 新城支部 調査士の土地及び建物の調査測量・登記手続に関する
講義中に、学生の皆さんからの反応を引き出せず、
は「伊能忠敬の測量に見る功績」のレジュメを示し、
講師として未熟であり、ユーモア、興味の組み立て
その志の高さ(品格)を述べました。
等を磨いて行きたいと思います。
学生達には、測量日誌の原本を見せて先人達の足
実務的な内容。第 10 講から第 13 講までは、主に土地
どんな知識をお持ちなのか、どんな考えを巡らせて
か、資料はどうするのか、はっきりした形でのイメー
の境界(筆界)と紛争解決に関する内容。そして、第
いるのか、学生の皆様と共有しながら講義を進めるこ
る安心・安全で住み易い社会への貢献を学生自身の
ジが出来ていない状態でした。
14 講で総まとめの講義をする事になっております。
とができたら、もっと良いのではないかと思います。
姿と照らして考えて欲しかったのであります。
ジュメを作成してどのような講義をしたら良いの
音が聞こえる様に示し、調査士の大きな目的でもあ
その後、大阪会が関西大学千里山キャンパスにて
私は、担当の第 12 講の講義をするには、第 10 講
座学が一般的ですが、ロールプレイ等、体験と意
また、
「土地の地番が何故つけられたのか」から
行っている寄附講座の聴講、愛知会における寄附講
からの流れを掴む必要があると考え、第 10 講、第
識共有の時間を取りながらの講義が良いのではない
始まり、現在の調査士は、不動産の物理的状況を明
座の講師養成講座等を受講するうちに、私は、講義
11 講の講義を聴講しました。
かと感じました。
確にする職責がきわめて大きいこと。平成 16 年度
の方法や内容について、徐々に考えがまとまってい
第1講の時には、学生が六法を机上に置いていま
きました。
の不動産登記法大改正は、次の 100 年を睨んだ改正
したが、第 10 講の講義の時には、学生の机の上に、
そして、私は、講義に臨む目標を次のように決め
六法は殆ど置かれていませんでした。講義の流れか
ました。1つ目は、大学法学部での講義であること
であり、12 桁番号(登記識別情報)が権利証となっ
第 14 講担当 知多支部 平 川 文 洋
た現状を説明し、未来的には、ADR(裁判外紛争解
らすれば、当然の事なのかも知れません。そこで、
を十分に考慮すること。2つ目は、講義時間の 90
私の講義の際には、六法を引かせる事によって、講
分をフル活用すること。3つ目は、学生に居眠りさ
義に集中させる事を考えたのです。
せない工夫をすること。4つ目は、講義までに体力
私の講義では、パワーポイントを使用しなかった
づくりをすることです。
そろそろ、レジュメを作成しようと準備をしてい
た頃、寄附講座運営委員会から、それぞれの担当講
34
決制度)や筆界特定制度に力を尽くし、司法制度の
私の担当した講義は、最終の第 14 講「表示登記
一翼を担う職能が求められていることも調査士の姿
制度と土地家屋調査士」と言うテーマでありまして、
である事を説明いたしました。
第 13 講までに不動産登記法の基本そして測量理論、
以上の内容は、本職なら基本の事でありますが、学
為、取得時効と登記手続の説明の際の筆界と塀の関
土地歴史的沿革、筆界論、筆界特定等と各講師の先
生達に分かり易く教えるのは難題でありました。条文
係の理解が、学生には難しかったのではないかと反
生方がエネルギッシュにご講義いただいて、土地家
の解説だけを述べようものなら、いきなり睡眠中とな
省しています。
屋調査士と不動産登記法の関係が日常業務も含み学
るのを避けるために、判例説明(田原湾訴訟)には絵
35 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
4 受講学生の反応
解きにて当時の新聞も付け、出来るだけ生活に密接し
た判例事件(時効取得と境界変動)を図面入りで説明
各回の講義においては、毎講義後に、担当講師よ
しました。資料作りに労を惜しまず、力を尽くせば学
り出席票を兼ねた小テストを出題し、その末尾欄に
生は見入ってくれますのでやり甲斐があります。
は、受講学生が講義に対する意見や質問、感想を記
講義の最後には、出席票を兼ねた小テストを行
載する欄を設けました。また、全 14 講が終了した
い、質問・感想欄を見ましたところ、学生達から、
際には、印象に残る講義をテーマとしてレポートの
「調査士は、必要不可欠だ」
、
「古い歴史があるんだ」、
提出を課しました。
「人の役に立つ素晴らしい職業だ」
、
「根気のいる仕
それらの機会において、受講学生から寄せられた
事だ」
、
「民法だけでは学べない授業だ」と感想を自
意見を下記に掲載いたします。
主的に寄稿しており、少し持ち上げられているとし
ても、講師としては嬉しく疑うものではありません。
[土地家屋調査士試験について]
そして多くの学生が、今後の人生に役に立つ授業
・毎 年何パーセントくらいの方が合格されるので
だった「ありがとう」と記載されており、その5文
しょうか?
字に今回愛知会が取り組んだ寄附講座のすべてが凝
・土地家屋調査士試験合格までに、平均してどれく
縮評価されていると思います。
らいの年月を要しますか?
今回の寄附講座を受講された学生達が、これから
・調査士試験受験のために、どのように、毎日何時
社会人となって自己の事案として表題登記事件に遭
間くらい勉強していましたか?
遇されても、迷わずに土地家屋調査士に相談される
・先生は家業を継がれて仕事をされているそうです
姿が目に浮かび、何十年後かの私は、それを知って
が、何のコネもない状態で資格を取って、なんと
どれ程に感慨深く思うでしょう。また彼らは、制度
かなるものか気になります。
の良き理解者となってくれることと推測されます。
・測量の仕事をしながら、調査士試験を取ることは
故に、これからも大学側に深い理解をお願いし、で
可能ですか?
きれば愛知県土地家屋調査士会として継続の寄附講
・土地家屋調査士資格取得のために、費用はいくら
座をお願いして、我々が背負っている公的使命を1
くらいかかりますか?
人でも多くの学生に教え伝え、次の 100 年を担える
・土地家屋調査士試験の試験科目は何ですか?
土地家屋調査士であり続けたいと願います。
・土地家屋調査士の資格を取ると、就職に有利なこ
最後に、名城大学の学長様はじめ法学部の先生と
とはありますか?
学務センター職員の皆様のご協力とご理解に感謝申
し上げます。
[土地家屋調査士開業前後について]
・試験合格後に研修などはありますか?
・事務所の開業は大変ですか?
・開業する際には、何か調べたこと、必要なことは
ありますか?
・土地家屋調査士には、自分で事務所を開く、どこ
かの事務所に就職する、それ以外の働き方はあり
ますか?
・開業後、依頼を受けるまでにどのように活動され
ましたか?
・土地家屋調査士になるために、どの方も苦労され
ていると思いました。
・人 口3万人ほどの田舎での開業を考えています。
仕事の量的にはどのように考えればよいですか?
36
・父が司法書士をしていますが、私が土地家屋調査
[調査士の日常業務について]
士をとって兼業しようとする場合、どのように仕
・土地家屋調査士は、1日でだいたい何件程度依頼
事をやっていけばよいでしょうか。また、そのよ
がありますか?
うに業務を行っている方はいらっしゃいますか。
・測量、登記を依頼されて、納品までどれくらいの
・開業をする場合、自宅を事務所にする人がいると聞
期間がかかるのでしょうか?
きましたが、メリットとデメリットは何ですか?
・調査士の仕事には CAD は必須ですか?
・ CAD とはどのようなものですか?
[土地家屋調査士の使命・やりがいについて]
また、CAD の勉強はどのようにされましたか?
・この職業に就いてよかったことはありますか?
・東日本大震災による土地家屋調査士への影響はあ
・土地家屋調査士として仕事をする上で心がけてい
りますか?また他の士業はどうですか?
ることは何ですか?
・土地家屋調査士には需要や将来性はありますか?
・土地家屋調査士は、
「走る裁判官」のようなイメージ
・建物合体登記のようなことは、現在でも日常的に
を持った。
行われているのですか?
・土地家屋調査士は、人の幸せに立ち会うことので
・境界標の取り扱いに不注意があれば刑法が適用さ
きる仕事であると感じた。
れるということですが、その他土地家屋調査士の
・土地家屋調査士は、登記を行って、相手を安心さ
仕事上、気をつけるべきことはありますか?
せるという役割を担っていると思う。
・土 地の境界の定め方はその地域の古くからの慣
習、慣例があり、地域の土地制度を把握しておか
[土地家屋調査士の報酬・事務所経営について]
なければならず、土地家屋調査士に仕事を依頼す
・土地家屋調査士は月1つか2つの数少ない業務で
る場合には、地元の事情を知った土地家屋調査士
も稼ぐことができる仕事であり、それほど1つの
に依頼した方が良いことがわかりました。
仕事が大きく重要であるのだと思いました。
・女性でも勤まりますか? 出産後も働けますか?
・士業を仕事にする上で、経営的な考え方が必要だ
と聞いたことがありますが、どのようなことが必
[講師の印象について]
要ですか?
・どの先生も、仕事のやりがいや、やり終えた後の
・土地の登記と建物の登記の価格は違うのですか?
達成感において熱く語っておられるのが印象的で
・先生は儲かっていますか?
あった。
・バブルの時代と違って仕事が少なくなり、何百件
・受講者が深く突っ込んだ質問をしても、それに対
も飛び込み営業するような積極性を持つべきと思
して丁寧に答えて下さった。
いますが、そのように業務をされている方はみえ
・先生方の経歴や、資格取得までの話も、後学の参
ますか?
考になった。
[他士業との関連・相違について]
[講師の工夫について]
・他士業との兼業によって、メリット・デメリット
・不動産登記法のことがわかりやすくレジュメにし
はありますか。
てあり、解説も分かりやすかった。
・土 地家屋調査士に加えて、他士業の資格を取り、
・身近な講義棟などを参考題材にしていて、分かり
兼業される方が多いと聞きますが、兼業するなら
やすかった。
どの資格がよいですか。
・文字だけでは分かり辛いが、実際に測量するとこ
・土 地家屋調査士と司法書士を兼業されている方
ろが見えてよくわかった。
と、土地家屋調査士と行政書士を兼業されている
・数学が苦手であるため、測量理論は難しいと思い
人の仕事上の違いはありますか?
ましたが、実際に測量器械を使うことによって、
・測量士と調査士は、
具体的にどのように異なりますか?
どのように測量が行われているのか理解しやすく
37 平成23年度 名城大学寄附講座開講報告
なった。
柔軟な紛争解決方法が普及すべきだと思いました。
・迅速に安い費用で行う制度も必要であると感じま
[今後の改善点・要望について]
5 寄附講座開講を終えて
家屋調査士がどのような業務を行っているか」では
なく、
「報酬額や年収、そしてこの士業が一生の職
すが、時間をかけなければ解決できない案件につ
・レ ジュメ内の図が小さく、わかり辛かったので、
いては、無理に迅速さを追求することなく、きち
もう少し濃く、見やすくしてほしい。
業として業務を行っていけるのか。」ということに
神 谷 文 彦
興味を持っており、最近の不景気を露呈しているか
『 土地家屋調査士という士業を学生にわかりやす
る安定した資格業を取得したい(人気のない資格業
寄附講座運営委員会副委員長 んと手順を踏んで処理されるべきと思いました。
・普段土地について知ることがないので、なかなか
・筆 界特定制度・ADR など新しい制度が次々と設
イメージし辛かった。
けられても、土地所有者は高齢者が多いためなか
・地目変更について、畑から宅地に変更することだ
なか伝わらず、高齢者の方こそ大学で学ぶべきだ
けでなく、宅地を畑に戻すときのことも講義で
と思いました。
やってほしい。
・境界は争いもおこる重要な問題なので、今のうち
に解決方法を学んでおくことは有意義であると感
[次 回以降、更なる説明が必要と思われる事項につ
じました。
いて]
・登記事項証明書を法務局に請求するときに、その
[講義前後の学生自身の考え方の変化について]
のような内容でした。つまり、学生の価値観=稼げ
く紹介する! 』
は、仕事内容すら知らない。それが隣接士業であっ
これが寄附講座開講の主な目的であると考え、今
たとしても…)ということです。
年度の寄附講座を運営してきました。
「この目的が
一方、寄附講座講師の価値観=土地家屋調査士の
達成できたのか」という前に、今年度の講座内容を
仕事内容を学生に知ってもらいたい。ここに学生と
少し紹介します。
の価値観の違いが生まれます。つまり、いくら土地
この事業は、愛知会、名城大学ともに初めてのこ
家屋調査士の仕事を分かりやすく紹介しても、学生
とであり、右も左も分からず、開講前6ヶ月間は開
が興味を抱くような内容でなければ、見向きもされ
講に向けての情報収集に徹しました。
ないということです。ただ、「土地家屋調査士の業
まず、この寄附講座を先駆けて行っている大阪会
土地の所有者本人が行かなくてはいけないので
・自分自身もいずれ家を建てることを思うと、建物の
しょうか?第三者でも身分証明書等あれば請求で
登記についての知識が必要であると感じました。
(関西大学)の寄附講座を聴講することにしました。
目的は、達成できていると思いました。しかし、こ
・履修前は、土地家屋調査士の仕事を読んで字のご
大阪会は7~8年の実績があり、講義内容もほぼ完
の価値観の違いから、学生に伝えることはできても
・ある不動産に担保権が設定してある場合、全部事
とくしか想像することができなかったけれど、意
成していました。愛知会の寄附講座としては、大阪
職業の一つとして選択してもらうことは難しいと感
項証明書を一般の方が見てもわかるような記載が
外に身近なところで活躍されていることがわかり
会の寄附講座を参考にし、最終的には愛知会オリジ
じました。
されているのでしょうか?
ました。
ナルの寄附講座カリキュラムを作成するべきだと感
きるのでしょうか?
・仮登記では第三者に対抗することはできないので
・この授業を履修していない学生より、いろいろな
すか?
ことがわかったと思います。
・文化財なども登記されているのですか?
・講義を受けて、まちの建物を見る目が変わりました。
務内容を分かりやすく学生に伝える」という当初の
そこで、今後の寄附講座は、以上のような分析結果
じました。
から「学生の興味を引くような講義内容」にするため、
その後、開講する寄附講座の目的を全講師に伝え、
以下のような方針で進めていきたいと思います。
その目的に基づき講義資料を作成してもらうことに
まず、講師団は、学生と同世代の若手や女性の土
しました。
・2棟の間の渡り廊下などは、どちらの建物として
登記するのか、条文上規定などあるのですか?
[学生の興味喚起について]
・共通講義棟北には、食堂、コンビニのようなもの
・自分自身でも図面を取れると聞いて、一度自宅の
が入っていますが、店舗と登記されないのはなぜ
図面を見てみようと思いました。
ですか?
・ GPS により国土の変化がわかると聞き、日本の
・マンションの一室を購入した場合、登記はどのよ
変化について知りたくなりました。
うになりますか?
・東日本大震災では、土地が伸縮したり、土地全体
[その他]
地家屋調査士を起用する。そのような若手調査士の活
そして、平成 23 年9月 22 日㈭、第1講の講義が
躍を見ることで、土地家屋調査士という職業に魅力を
スタートしました。開講は順調に進んでおりました
感じてもらう。また、講師をする若手土地家屋調査士
が、講師団が最も不安に思っていることは学生の反
にもこの寄附講座を通して、自己研鑽していただきた
応でした。受講学生は 25 名前後であり、法学部2
いと考えております。そして、講義内容も土地家屋調
~4年次を対象としていました。学生の中には父親
査士試験を受験するためのものではなく、学生に興味
が土地家屋調査士である、今年の土地家屋調査士試
を持ってもらえるような内容にすることです。
験を受験した、測量士補を受験したい、など興味を
今後の展開として、この寄附講座をインターンシッ
がずれたりしたと聞きますが、地積や筆界の位置
・外国でも同じように測量しているのですか?
持ってくれている学生もいました。ほとんどの学生
プと連携させ、制度広報として法学部の学生に広報
について、どのように登記が変更されるのですか?
・土地家屋調査士は、どのような性格の人が向いて
は真剣に聞いており、講義する環境は非常によかっ
できるように進化させていきたいと思います。将来、
たと思っております。
官庁その他の法曹社会に就職すると思われる法学部
いますか?
[紛争予防への意識]
ただ、講義中の学生の反応は、目に見えるもので
の学生に広報することで、
『土地家屋調査士』という
はないため、講師の中には自信をなくした方もいる
資格業を理解してくれる若者が増える。そんな若い
・自分は4年生であるが、3年生のときに受講して
ようです。しかし、講義後の出席票(質問票)を見
担い手が増えることで、一般社会にも浸透し、土地
いたら、きっと土地家屋調査士資格の勉強を行っ
る限り、講義内容をしっかり理解し、中には核心を
家屋調査士の知名度が向上することを願います。
ていたと思います。
ついた内容の質問もあり、こちら(講師)側が驚い
・法律に詳しい先生個人として、マンション購入の
・争いを予防するためには、人々の正確な境界線に
メリットは何だと考えますか?
対する意識づけが必要だと感じました。
・境界の大切さを法律よりも実務的な面で多く感じ
ました。
最後に、寄附講座に御協力いただきました講師団
ているくらいです。
・隣人トラブルの解決の根底にあるのは、法による
勝敗ではなく、当事者同士の平穏な生活であると
また、その質問票から学生が興味を持っている事
考えたとき、ADR のような裁判より迅速、安価で
柄も見えてきます(受講生の分析)
。学生は、
「土地
38
の皆様、愛知会役員の皆様及び運営委員会委員の皆
様に感謝申し上げます。
39 編集後記
この業界に入ってまだ経験が少なかった頃の私には、本冊子のタイトルにも
なっている「地図読み人」について、正直その意味がよく分かりませんでした。
あれから十数年の月日が経過し、1つひとつの実務を経験するにつれ、その意味
も少しずつではありますが分かってきたように感じます。過去に作成された公的
資料の中には、その時代背景や使用目的などに違いがあり、時にはつくり手の都
合に合わせて、加工されていることもあるかもしれません。それを、今の時代の
価値観という1つのフレームから眺めても、その違いはなかなか見えてこないで
しょう。過去の歴史を学び、複数のフレームを持つことで、同じものを見ても、
その見え方や意味付けが変わってきます。複数のフレームとは、時代背景やその
目的、先人達の教えなどが混ざり合ったものかもしれません。わたしたち土地家
屋調査士が求める“真の筆界”は不変ですが、さまざまな資料からその意味付け
を見つけ出すことが、今では“地図を読む”ことだと感じています。
昨年の3月 11 日に東日本大震災が発生しました。それは、今まで当然のよう
に感じていた常識の一部が、大きく覆る瞬間でもありました。被災地と被災者の
心に大きな爪跡を残した、あの出来事から、早1年が経過しようとしています。
そして、大震災が起きたという“事実”を変えることはできませんが、その“意
味付け”を決めているのも私たちの心に他なりません。震災後、土地家屋調査士
にできる復興支援という言葉をよく耳にしますが、私たちの専門分野である“境
界測量”や“不動産登記”というフレームを通して観ている限り、被災者たちが
本当に必要としている支援から、ピントがずれてしまうことがあります。ここで
も1つではなく、複数のフレームを使い始めると、今まで意識すらしなかったも
のが見えてくるかもしれません。本当に大切なこと(真実)は、目に見えるもの
ではなく、目に見えない部分に存在しています。そこに、視点を合わせて自分で
見ようとしなければ、決して“真実”を見ることはできないのかもしれません。
最後になりますが、今回の「地図読み人」を何かの折りにでも再読して頂き、
皆さんの仕事のヒントにして頂ければ幸いです。
平成 24 年3月 15 日 会務通信運営委員 小
松 洋一郎
愛知県土地家屋調査士会
〒451-0043 名古屋市西区新道一丁目2番 25 号
TEL. 052-586-1200 FAX. 052-586-1222
URL h t t p : / / w w w . c h o s a s h i - a i c h i . o r. j p