2009年度前期木曜3限 人間の言語の定義 音の分節性 音と意味の恣意的な関係 無限に増える語彙 キーワード: コケコッコ ひかり ときめき 自然のままの世界を分節し、精神のなかで 時間と空間の形式にしたがって整理、所有す るためには言語という象徴の体系が必要とな る。 「 ・・・理性は言葉の象徴がなければ働けな かった。したがって内省の最初の瞬間も、内的言 語の始まりであったにちがいない。・・・人間は 精神で感じ、考えると同時に話す。それゆえ、言 語をたえず形成し続けることは、人間にとって、 彼の本性そのものと同様に自然なことであ る。 」 ―ヘルダー『言語の起源について』(1771) 以上のような特徴ともった人間の言語は次 のように定義づけられる。 1. 音の分節性 任意に、また慣習的に分節された音声から成 り立っている。 2. 音と意味の恣意的な関係 その分節された音に任意の意味が割り当てら れている。 3. 無限に増える語彙 そうして作られた単語は無数に増加しうるも のである。 1.1.1 動物との比較 人間の言語音と比較すると、野生の動物や鳥 の自然音は次のような特徴をもっている。 意味が限定されていない。 動物や鳥は自然音を増やそうとしない。 また、動物や鳥の声は次のような場合に発 声するのみである。 エサの存在、あるいはエサを得る見込みを知 らせる声。 危険の存在、または危険がせまる見込みを警 告する声。 喜びとか苦痛の感情を表す声。 いずれの場合も、現在あるいは近い未来を 示しているにすぎない。 したがって、野生の動物や鳥の自然音は本 能に則った鳴き声あるいは叫び声であるとい うことができる。 その一方で、人間の言語音は、人間が世界 を分節して認識するのと同じように、自然音 からある音と別の音に区別して切り取ったも のであり、そしてそれをまとめて単語をつく ることができる。 分節音というのは、その音を発音記号で表 記することができる。したがって、かりに非 分節音である動物の鳴き声を再現する場合に は、もともと分節されていないものを人間が 人為的に分節するために、各国語によって、 あるいは時代によって表現の仕方が異なる。 言語音の周波数を計測すると、各音が分節 され、ほかの音と関係性を築くなかで区別さ れている様子がよくわかる。 人間の言語音はあくまでも 自然音を人為的に分節した ものなので、言語によって 音素の数が異なる (例 日本語:20、英語:44)。 『英語学辞典』(大修館)より 自然音を分節するということは、自然光を分光 して、各色彩として認識することに似ている。 750~800nm 赤紫 610~750nm 赤 595~610nm 橙 580~595nm 黄 560~580nm 黄緑 500~560nm 緑 490~500nm 青緑 480~490nm 緑青 435~480nm 青 400~435nm 紫 http://www.geocities.jp/lamprima_no1/hasyoku4.htmlより 人間の言語音は、自然音からある音を別の音に 分節して切り取って、それをまとめて単語をつく るが、この際一定の単語に一定の意味を割り当て る。 音声(時間の相) 事物(空間の相) 音声を慣習化して象徴として結びつける 単 語 このようにしてつくられた象徴は、時間を表すこ ともできるし、空間を表すこともできる。 人間の言語は自然音を人的に分節した音を用 いているため、自然音を模写したと思われる 単語(擬音語)でさえ、決して自然音がその まま再現されているわけではない。 したがって、同一の動物の鳴き声を模写した 表現でさえ、時代によって、また各国語に よって異なることが多い。 1.2.1 ニワトリの鳴き声(日本) 室町時代まで:カケロ 室町から江戸時代:トーテンコー(東天光、 東天紅)、コッカコー(この期間にはカ行よ りもタ行による模写が優勢となる) 明治時代初期:コッケイコー(滑稽稿) 明治時代中期以降:コケコッコー 人間が発する声からできたと思われる単語 唸る u-naru > 「うー」と「鳴る」 呻く u-meku >「うー」と「めく」(そのよ うになる) 1.2.2 ニワトリの鳴き声(世界) 英語:cock-a-doodle-doo, cock-a-diddle-dow (17世紀), cok cok (14世紀) ドイツ語:kikeriki デンマーク語:kykeliky スウェーデン語:knkelikin フランス語:coquerico イタリア語:chicchirichi ロシア語:kykopekỳ(クカレクー) 韓国語:kokiyo-koko 中国語:ger ger ger タイ語:ek ï ek ek 同一の自然音が言語によって、あるいは時代 によって異なった方法で模写される理由とし て、音素数の違いや、文化の違いなどが考え られる。したがって、擬音語はあくまでも人 間の言語による創作である。 1.2.3 音象徴 動物の鳴き声の再現はもともと自然音であ るものを人間の言語音へ模写したものだが、 音象徴は自然音ではなく、もともと音の伴わ ないものごとの様態を言語音へと移し替えた ものである。つまり、非聴覚的な感覚を聴覚 へと変換する作業である。 通常、光るさまには音は伴わないが、日本 語ではこの様態を表すキラキラ、ギラギラと いう擬態副詞が存在する。 1.2.3.1 音象徴による語根創造(日本語) 光 pika「ピカッ」> fika- > hika音象徴によってできた語幹hika-が日本語の文 法規則に則って語尾変化するようになると hika-ri(名詞)、hika-ru(動詞)が生まれる。 「胸がときめく」 ときめく toki-「ドキドキ」+ めく(「その ようになる」を表す接尾辞) cf. 「今をときめく」の「時めく」とは別のこ とば 1.2.3.2 音象徴による語根創造(印欧諸語) 「切る」という意味領域に属する印欧語根に は次のようなものがある。 IE *(s)kel-(> shell), IE *sek- (> scythe) IE *sked- (> scatter) IE *skei- (> shin) IE *skep- (> shape) IE *sker- (> scissors) IE *skipam (> ship) IE *skot- (> shade) IE *skreu- (> shrew) IE *skribh- (> scribe) IE *kel- (> hilt) IE *kes- (> castle) 以上のような「切る」を表す印欧語根は、日 本語の擬態副詞「スカッ」に相当すると考え られる。 When I chopped the musk melon in two with a well sharpened knife, a delicious, fragrance of ripe melon filled the room. (よく研いだナイフでマスクメロンをすかっ と二つに割ると、よく熟れた美味しそうな臭 いが漂った。) Hisao Kakehi, Ikuhiro Tamori and Lawrence Schourup, eds., Dictionary of Iconic Expressions in Japanese, 2 vols. (Berlin: Mouton de Gruyter, 1996)より 英語は日本語のように擬音副詞が発達してい ないので、「スカッと切る」様子を表現する のに、必ずしもIE *sk-にさかのぼる単語を用 いるとは限らない。その代わりに、別の副詞 を巧みに組み合わせてこの様子を表現する。 I’d rather be sent to the guillotine and have my head cut clean off, than die after months of torture. (何ヶ月も拷問されていびり殺されるぐらい なら、いっそうのことギロチンで首をすかっ と斬られた方がましだ。) S:「声や舌などでなにかを表現しようとする場合 には、声や舌などを使って模倣できたときこそ、 その対象の表現が生じたことになるのではないだ ろうか。」 H:「そういう結論にならざるを得ないと思いま す。」 S:「ということは、名前というのは、模倣される 対象を声によって模倣したもの、ということにな るね。そして、声で模倣する人は、模倣するもの に名前を与えていることになるわけだ。・・・」 S:「画家が絵を描くように、我々も文字を書物に 割り当てなければならない。その場合、ひとつの 文字を事物に割り当てることもあるだろうし、多 くの文字を合わせていわゆる音節を作り、それを ひとつの事物に割り当てることもあるだろ う。・・・」 S:「たとえばρ(r)は、この文字を発音するとき、 人間の舌はもっとも動揺して休止せず一番よ く振動するから運動を示す手段として用いら れる。ρειν(rhein流れる)、τροµοσ(tromos震 え)などがそれである。・・・母音についてい えば、αは大きさη(e)は長さを示す。µεγασ (megas大きい)やµηκοσ(mekos長さ)がそ の例である。・・・このように立法者は、万 物を文字と綴り字に収め、その中に名称と符 号を刻印し、それをもとにして、模倣により ほかのいろいろな記号を複合するである。」 ―プラトン「クラテュロス」 1940年代にアメリカのHayes夫妻によってチ ンパンジーのVickiはことばを教えられたが、三 歳児相当の知能を持つこのチンパンジーでさえ 習得できた単語はmama, papa, cup, upの4語だ けであった。Vickiはこれらの語を話せたわけで はない。 これとは対照的に各国語の語彙数はだいたい 以下のごとくである。 日本語 70万語 英 語 50万語 ドイツ語 19万語 フランス語 10万語 1.3.1 言語の存在喚起力 分節された音をある対象に名前として貼り 付けることによって、無限の単語が生まれる というよりはむしろ、無限の観念が実在化す るようになる。 たとえばHelen Keller (1880-1968)にとって は、手に触れた物質を 「水」と教えられては じめて、その物質には 意味が生じ、「水」に なったのである。 1.3.2 言語の存在喚起能力(聖書の記述) 聖書には人間の言語の特徴がいろいろな形 で暗示されている。 新約聖書『ヨハネの福音書』 「はじめに言葉(ロゴス)ありき。言葉は神と ともにあり、言葉は神なりき。」 旧約聖書『創世記』 「3そのとき、神が「光よ。あれ。」と仰せら れた。すると光ができた。」 旧約聖書『創世記』 「19神である主が、土からあらゆる野の獣と、 あらゆる空の鳥を形造られたとき、それにど んな名を彼がつけるかを見るために、人のと ころに連れて来られた。人が、生き物につけ る名は、みな、それが、その名となった。」 1.3.3 言語の存在 喚起能力(漢字の言) 白川静、『文字講話より』 「言」は、祈告の器の上に、針を加える字形。神 への盟誓をいう。その「言」の持つ霊力の発動を 感知することによって、はじめて、神は、それを 人々の衷心に生じる「ことば」として認容するの であろう。 . . 言語の存在喚起能力 (日本語の「こと」) 3 4 神 代より 言ひ傳(つ)てけらく そらみつ 大和の国は 皇神(すめ がみ)の 厳(いつく)しき國 言 霊(ことだま)の 幸(さき)はふ 國と 語り継ぎ (山上憶良) 志 貴島の日本(やまと)の国は事靈 の佑(さき)はふ國ぞ福(さき)く ありとぞ(柿本人麻呂) こ と(言、事、異、殊)=くち? こ とば=言の端、口の端? 1 1.3.5 存在喚起力と「ことだま」 名を知ることはその対象を知ることである。 エジプト神話には太陽神ラーがそれまでひた すら隠していた本名を女神イシスに知られて しまったために、イシスがその力を奪って全 能になる話がある。 オーストラリア南部に住みイン族にあっては、 父親は入団儀式の際に息子にだけ自分の名を 打ち明ける。 その名を口にすると危険な動物が出てきて害 をなすことを恐れるあまり、熊のことを「蜂 蜜」(スラブ語)とか「褐色のもの」(古高 地ドイツ語)という仮の名で呼んだ。 1.3.6 存在喚起力と「忌み言葉」 便所→お手洗い おしまい→おひらき スルメ→アタリメ、すり鉢→あたり鉢 葦の原→吉原、亀梨→亀有 事物は認識されてから命名されるのではなく、 命名とは認識にほかならない。 (哲学でいう認識論は言語学における語源学 に相当する。) 白川静、『文字逍遥』平凡社ライブラリー(平凡社、 1994年) 丸山圭三郎、『言葉と無意識』講談社現代新書(講 談社、1987年) 山口仲美、『ちんちん千鳥のなく声は』(大修館、 1983年) 渡部昇一、『言語と民族の起源について』(大修館、 1973年) 7月2日 言語相対論と母語
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