プロジェクト紹介 「各務原キムチ」で都市おこし ゼロからの「ブランドづくり」で まちおこしの各務原モデルを推進中 社団法人中部開発センター 客員研究員 坂口 香代子 「各務原」と書いて「かかみがはら」と読む、人口約15万人の都市で今、“ホット”なまちおこしが進 行している。木曽川をはさみ愛知県と接する岐阜県各務原市は、航空機、自動車関連産業などを中心に県 下№1の工業生産を誇る“ものづくり都市”。そんな各務原が、まちの未来をかけて取り組んでいるのは、 「キムチによる都市おこし」である。もともと市の特産物としてキムチという資源があったわけでもなけ れば、キムチに適した野菜が豊富にとれる産地であったわけでもない。これは、2005年に商工会議所と市 役所の「産」 「官」の連携を中心に、 「学」 「民」も巻き込んで突如始まった、 『各務原キムチ』という地域 ブランドを全くのゼロからつくることによるまちおこしプロジェクトなのである。しかし、なぜ「キムチ」 だったのか?今、どう進んでいるのか?そして、 「実は各務原キムチはまちおこしのほんの序章に過ぎな いのだ」という、各務原のまちおこしプロジェクトが目指すその先についても紹介する。 69 プロジェクト紹介 1.『各務原キムチ』とは 務原キムチ』の特徴。 現在、『各務原キムチ』は、『各務原キムチ』に 「ニンジン」と「松の実」が入った 各務原のまちおこしのシンボル よるまちおこしを行う「キムチ日本一の都市研究 会」から認定を受けた各務原市内の55の認定店 (2009年4月1日現在)で製造販売されており、 『各務原キムチ』は、岐阜県各務原市において、 認定店は、各務原キムチのイメージキャラクター まちおこしを目的に、産官学民による共同プロ 「キムぴ∼」が描かれたのぼりが配布され店に掲 ジェクトとして2005年に新たに誕生した「ご当地 げることができるほか、「各務原キムチMAP」に グルメ」であり「地域ブランド」(現在のところ て紹介されている。 は特許庁による地域ブランド認定は受けていな い)である。 その定義は、 「ニンジン」と「松の実」が入っ ているキムチであること。各務原市と韓国の春川 市の姉妹提携をきっかけに誕生(「誕生の経緯」 で紹介)したことから、各務原市の特産物である 「ニンジン」と春 川市の特産物である「松の実」 を産地は限定せずシンボルとして入れることを条 件としているのである。また、味の統一はしてお らず、白菜のみならず、大根、きゅうり、などさ まざまな野菜を使用したキムチがあることも『各 70 2009.6 2.「『各務原キムチ』プロジェクト」 誕生の経緯 グレータナゴヤの一翼を担う 「ものづくり都市」 各務原市は、岐阜県南部、濃尾平野の北部に位 置し、名古屋まで約30分という利便性を背景に、 名古屋のベッドタウンとしての機能を持つ都市。 また非常に厚い製造業集積地帯である名古屋圏の 一員として、航空機、自動車関連産業などを中心 とする企業群、産学官連携拠点テクノプラザを擁 し、第二次産業は県下トップを誇る。しかし一方 で、特産品と呼べるものはほとんどなく、地域発 の商業・サービスに関して弱く、市外の人の8割 は「かかみがはら」という市名を正確に読めない という事実もある。市では、人を呼べるまちとし ての魅力も高め、ものづくりとの双発のエンジン を持つことが、少子高齢化、人口減少時代に入っ 姉妹都市「春川市」 。ソウルに水を安定供給する水がめの 都市としても機能し、非常に美しい景観を持つ。 た各務原市のこれからのカギを握ると考えてい た。 とへと発展した。 くしくも同じ2003年にNHK衛星放送で、2004 70万人の観光客を呼び込んだ 成功体験から考えた、地域のこれから 年春にはNHK総合で日本に韓流ブームを巻き起 こした韓国ドラマ『冬のソナタ』が放送された。 主人公の2人が高校時代を過ごした場所が春川市 そんな各務原市に、2004年、突然、2カ月間で で、日本からロケ地を訪れるために韓国へ行く観 述べ70万人を数える観光客がやってくる現象が起 光客が爆発的に増えるなど、社会現象にまで発展 きたのである。2004年11 ∼ 12月に開催したイベ したそのブームを生かし、姉妹都市提携1周年を ント「 『冬のソナタ』春川物語」がその舞台だった。 記念した事業として開催されたのが「『冬のソナ 実は各務原市では、バーチャルリアリティ研究 タ』春川物語」イベントだったのである。 の指定都市としてテクノプラザを持つことから、 そのイベントの企画人の一人であり、のちに 2000年に、同じくITやアニメーションなど知識 「『各務原キムチ』による都市おこし」を市長に提 産業の育成に力を入れていた韓国の春川市と「知 案することになるのが、当時、市の観光交流課に 識・情報・技術及び人力交流協約書」を結び、産 いた古田希雄さん。「25歳の時に春川市との人材 業交流をスタートさせていた。その一環として同 交流の第一陣として韓国へ派遣され、その経験を 年4月からは市の職員を相互に派遣する人材交 もとにイベントの企画に携わり、このイベントの 流も行われ、その後、地道な活動を続ける中で、 成功体験が、『各務原キムチ』を誕生させる大き 2003年には、産業交流だけでなくスポーツや文化 なきっかけになった」と古田さんは語る。 交流なども含めた包括的な姉妹都市提携を結ぶこ 「『冬のソナタ』春川物語」は、自治体が主催す 71 プロジェクト紹介 るイベントとしては異例の成功を収めた。70万人 ベントによる「直接的経済効果」が約32億円、そ という来場者の数がそれを物語るが、日本におけ れにより誘発された「間接的経済効果」が約34億 る韓流ブームの象徴ということで韓国のマスコミ 円で、総額約66億円の経済効果があったという。 も大勢押し寄せ、その報道ぶりを今度は日本のマ こうした数字もさることながら、実際に、それ スコミが取り上げるという形で宣伝され、イベン まで見たこともない多くの人たちが各務原のまち ト情報が広く伝播したことにより、県内だけでな を歩き、イベントで用意した物販はことごとく売 く全国各地から多くの来場者が訪れた。これによ り切れるという状況を目の当たりにしたことで、 り各務原市を全国に広く知らせることができ、大 「この時はじめて、市の職員も、他地域から各務 きなPR効果が生まれたのである。のちに十六銀 原市に来てもらうことの大切さに気づいた」のだ 行がこのイベントの調査レポートをまとめている と古田さんは語る。「各務原を一つの独立国家と が、それによると当イベントがマスコミに取り上 考えた場合、二次産業に秀でており、加工して付 げられた件数は確認されたもので146件、これを 加価値をつけて外に売る輸出については順調。し 広告費に換算すると約1億1千万円にのぼる。イ かし、外から各務原にお金を落としてもらう仕組 みはそれまで全くなかったと言っても言い過ぎで はない。両方のバランスがうまく取れないと、こ れからの少子高齢化社会の中で地方は生き残れな い。イベント自体は一過性のものだが、この流れ を切ることなく続けていける仕組みをつくる仕掛 けができないだろうか」との思いが、『各務原キ ムチ』を生み出す一番の原動力になったのである。 イベント終了からわずか一月後に発足した 「キムチ日本一の都市研究会」 「『冬のソナタ』春川物語」の展示会場。ドラマの名場面 や撮影風景をパネル展示した会場は、身動きができない ほどの盛況だった。 その古田さんの思いが形になるスピードが、実 に早かった。イベントが終了したのは2004年12月 26日。それから一月たたない2005年1月22日に、 古田さんを含む7名の組織横断的に選抜された 「市政に対して提案する検討委員会」の提案によっ て、『各務原キムチ』による「まちおこし」を行 う組織「キムチ日本一の都市研究会」が立ち上がっ たのである。 しかし、なぜキムチだったのか? 古田さんた ちが目をつけた理由は大きく5つあった。 ①〝冬ソナ〟イベントの物販で大きな人気を集め たのは、地域の人が手づくりしたキムチ。イベ ント終了後も「あのキムチはもう食べられない 春川市のロケ地「南怡島」(ナミソム)のメタセコイヤ並 木道を再現したストリート。隣接する那加福祉センター の前庭には「南怡島」から寄贈された名シーンのベンチ を設置。 72 のですか」という問合せが数多く寄せられた。 ②食品需給研究センターの調べでは、日本のキム チの消費量はソウルオリンピック以降、急激に 2009.6 伸びており、日本で消費される漬物の中でトッ また、設立当初から、 『各務原キムチ』誕生の プシェアを占めるのは、実はたくわんではなく 日が明確に定められた。10カ月後の2005年11月の キムチ。キムチは乳酸菌発酵食品として身体に 産業・農業祭でお披露目をすることが決められて よく、またカプサイシンによる脂肪燃焼効果が いたのである。 あるとされておりダイエット食品としても認知 非常に高いハードルがいくつもある中で、最大 されている。 の難関となったのは、『各務原キムチ』の定義づ ③韓国では100種類以上のキムチがあり、さまざ けだった。会議の度に「どこまでこだわりをもっ まな野菜が入っている。地元のいろいろな野菜 てやるのか?」という激論が戦わされ、研究会の を活用できる可能性が高い。 設立から半年は、ほぼその議論に費やされたので ④キムチは、煮たり焼いたり炒めたり、調理法に ある。結果的には、 「ニンジン」と「松の実」が よっていろいろな料理に活用できる可能性を秘 それぞれ各務原と春川の特産物であることから、 めた食材。 前述のように「ニンジンと松の実が入ったキム ⑤市内にある日韓親善協会(現在は解散)が1999 チ」ということに落ち着いたが、それはシンボル 年から開催しているキムチ漬け教室には、毎回 「キムチ日本一都市研究会」メンバー 定員を大きく上回る応募がある。食べるだけで なく、漬けることに対しても多くの市民が興味 を持っている。 当時、今ほど「食」によるまちおこしは盛んで なかったが、箱物をつくるわけではないため少な い投資でチャレンジできることも、イベントの流 れ、勢いをそのまま継続させたいと、スピードを 重視していた古田さんたちが目をつけた大きなポ イントだった。 ゼロからのスタートを支えたのは 研究会で徹底した議論を戦わせたこと しかし、一般的に「ご当地グルメ」や「地域ブ ランド」への取組みは、もともとその地に長く親 会 長 井 上 克 彦(各務原市観光協会会長) 副会長 安 積 保(各務原商工会議所特産品作り研究会会長 各務原キムチ認定店連絡会会長) 委 員 土 屋 千鶴子(JA漬物歳時記クラブ) 吉 岡 よ里子(各務原市女性会議副会長) 羽 場 富 子(各務原市食生活改善協議会会長) 小 川 宣 子(岐阜女子大学家政学部教授) 山 澤 和 子(東海女子短期大学食物栄養学科教授 学科長) 吉 岡 俊 雄(生活協同組合コープぎふ理事) 山 田 二 郎(各務原市園芸振興会はくさい部会長) 吉 田 佳 弘(有限会社大翔代表取締役) 堀 尾 鎭 章(ヤマワショッピングセンター取締役外販部長) 赤 座 幸 子(家庭料理サークル指導者(男のクッキング)) 大 森 久仁子(家庭料理サークル指導者(ヘルシー料理指導者)) 苅 谷 拡 純(各務原商工会議所事務局長) 塚 原 照 和(各務原市商工振興課長) 桑 原 久美子(各務原市観光交流課長) 白 木 節 雄(各務原市農政課長) 監 事 磯 谷 正 光(JAぎふ営農経済支援センター次長) 杉 山 正 明 2009. 4. 1 現在 しまれてきた食べ物や資源があり、その活用の仕 方や再発見を行うことに力を注ぐケースがほとん ど。各務原のように、全くのゼロの状態から新た なブランドづくりを行うというのは、全国的にも 非常に珍しい。 そのために、研究会のメンバーは、飲食店だけ でなく、野菜の生産者、流通関係者、農協、大学 教授、そして商工会議所、市役所という、産官学 民すべてが揃い、地域総出でキムチを活用してど のようなまちおこしができるのかをトータルで考 えていけるように人選。 岐阜女子大家政学部の協力を得て、 『各務原キムチ』のお いしさと栄養価を検証。 73 プロジェクト紹介 としての意味合いが強く、 「ニンジン」も「松の実」 も現在のところ産地のしばりはない。 「各務原ではニンジンがたくさん採れるものの、 春と秋の二期作で、一年を通じて安定供給できな いこと。パウダーやペーストなどにする案も出さ れたが、加工賃が高くなった時、価格競争に敗れ てしまう。松の実についても春川産のものは非常 に高価。まずはゼロからのスタートであり、誰で も手に入ることを優先した。 」 しかしもちろん妥協点ばかりでスタートさせた わけではなく、研究会メンバーでもある栄養学の られたりするケースが相次いだ。さらに、当初、 専門家に、定義した『各務原キムチ』が栄養とお 研究会のメンバーでもあり、事務局が一大製造拠 いしさに優れた食品であることをさまざまな実験 点として成功のシナリオの根幹に据えていた市内 を通じて検証してもらうことにも力を注いだ。 『各 に漬物工場を持つ大手メーカーが撤退を表明。古 務原キムチ』と市販のキムチの栄養成分を比べる 田さんたちも一時は 「本当に気持ちが萎えかけた」 と、 『各務原キムチ』は歯や骨の構成成分である という。 マグネシウム、味覚を正常に保つ作用を持つ亜鉛 しかし、それでも動きをやめなかった古田さん などの無機質や、視覚機能を正常に保つ作用のあ たちの熱意、その意図するところに共感してくれ、 るビタミンA、抗酸化作用があり老化防止に効果 基幹商品となる『各務原キムチ』の製造を引き受 を発揮するビタミンE、腸内細菌を増殖させ、便 けてくれるメーカーが、11月の産業・農業祭のお 秘の予防効果のある食物繊維などの栄養素が多く 披露目に間に合うぎりぎりの段階で見つかったの 含まれていることがわかり、 それは「ニンジン」や「松 である。 の実」が入っているからだという裏づけが得られ 「産業・農業祭開会までにシール貼りが間にあ た。 わず、シールを貼りながらの販売(笑) 。結果的 定義に対する議論は最後まで研究会メンバーの には6万人の来場者があり、用意したキムチは1 中で分かれたが、議論を半年間徹底的につくした 日で完売しました」 。 ことで、最終的には全員の了解を得ることができ、 産業・農業祭の直前には、当時、日本で圧倒的 産地は限定せずということでスタートしたのであ シェアを占めていた中国からの輸入キムチに寄生 る。 虫が入っていたというニュースが入り、古田さん たちは、「もうこれで終わった」と思ったのだと あきらめなかった 「キムチで都市おこし」 いう。キムチの買い控えが起こるだろうと考えた のだ。しかし実際は、これが「だからこそ国産の キムチを」という追い風になり、国産『各務原キ 『各務原キムチ』の主旨を理解し、実際に製造 ムチ』は古田さんたちの予想を上回るデビューを 販売してもらう認定店探しも困難を極めた。飲食 飾ったのである。 店を集めての説明会での反応もあまりよくなく、 そして、認定店も、結果的にスタート時点で42 夏の暑い時期に、 候補になる飲食店の情報を集め、 軒を数えるまでになり、「『各務原キムチ』による 人海戦術で一軒一軒回って協力を要請しても、 「な 都市おこしプロジェクト」はスタートを切ったの ぜキムチ?」といぶかしがられたり、「うちはも である。 うおいしいキムチをやっているからいいよ」と断 74 2009.6 3.「『各務原キムチ』プロジェクト」 の今 存在が単に知られているだけでなく、各家庭の食 卓に欠かせない食品として、今やその人気は不動 の地位を築いているようだ。 販売額は1年で10倍。 今や各務原でのキムチ人気は不動 では、なぜ、これほどの短期間に、ゼロからス タートした『各務原キムチ』が市民に受け入れら れたのか。また、本来の目的である市外から人を 2005年11月の初お披露目から3年半、現在、市 呼ぶ資源として『各務原キムチ』プロジェクトは 民に『各務原キムチ』について尋ねると、 「知っ 今どのように動いているのかを紹介したい。 ている」という回答は90%を超え、 「ほぼ毎日食 卓にのる」 「市外へのお土産は『各務原キムチ』」 という声もかなりの割合で聞かれる。実は、すで お金をかけないPR先行戦略による ブランドの確立 に2007年8月の「各務原市に関するアンケート調 査」 (資料1)でも、各務原市民の関しては約7 「キムチ日本一都市研究会」が、 『各務原キムチ』 割が「買った(食べた)ことがある」と回答して を地域ブランドして浸透させるために、まず取っ いる。実際に各務原キムチ大手メーカー販売実績 た戦略は「お金をかけないPR先行戦略」である。 (資料2)を見ても、2006年の約300万円から2007 企画・デザインは研究会で、命名は市民からの 年には約4,600万円と脅威的に伸びており、その 応募で誕生させたマスコットキャラクター「キム ぴ∼」は、 『各務原キムチ』がお披露目の日を迎 える4カ月前に商標登録を終えてノボリに描か れ、PR隊長として役割を果たすべく待ち構えて いた。さらにイベントでは、手づくり感あふれる 着ぐるみの「キムぴ∼」が活躍。2007年6月に世 に出たイメージソング「キムチの気持ち」は、市 内スーパーの漬物売り場などでは終日流されてお り、思わず口ずさんでしまうノリの良さに、購買 欲をそそられる消費者も多いようだ。これらの製 【資料1】「あなたは各務原キムチをご存知ですか?」− 調査場所:河川環境楽園・川島パーキングエリア 調査日時:2007年8月18日、19日 回収数:308票 作をはじめほとんどのPR活動は、「知恵と汗を出 す労力は惜しまないが、お金は出さない」という コンセプトのもと行われている。 そもそもこのプロジェクトは、当初の3年間こ そ市役所からの負担金で事業を展開してきたが、 その予算も1年目300万円、2、3年目100万ずつ であり、4年目からは研究会の裁量で使える資金 【資料2】各務原キムチ大手メーカー販売額試算 「キムチを食べてハッピーになろう」という思いから命名 された「キムぴ∼」 。右端はもしやヨンさま? 75 プロジェクト紹介 うか。以前、この『CREC』(2007年3月号、№ 158)の中部発ブランドで紹介した「富士宮やき そば」である。実は、古田さんはあるシンポジウ ムで富士宮やきそば学会の渡辺会長の話を聞いて 共感を覚え、すぐに渡辺さんにアポを取り、会い 市民からの作詞・ 楽曲提供と認定店 からの寄付によっ て実現したイメー ジソング。 にいったのである。そこで、マスコミの活用の仕 方などを含め、さまざまなヒントを得て戻り、す ぐにできることから実現させていったのだ。例え ば、やきそばとビールの相性がいいことからビー は市役所からは全く出ていない。研究会のメン ル会社のポスターに富士宮やきそばを登場させて バーへの謝礼も一切なく、すべてボランティアで もらうアイデアを実現させた話を聞いて、キムチ の活動である。4年目からの運営費は、認定店か でも同じことがいえるとビール会社にすぐに話を らの会費で賄っており、その金額は、規模によっ 持ちかけ実現させた。 て各店5,000円以上となっており、各務原キムチ さらに、当時、まだ現在のような全国的な盛り による売上が多い企業からは高額の会費を納めて 上がりを見せていなかった〝B級ご当地グルメ〟 もらっている。この会費から、店の紹介などを行 の大会「B−1グランプリ」の存在を渡辺さんと う「各務原キムチマップ」をはじめノボリの製作 の出会いで知り、2007年の第2回から「各務原キ やホームページでの紹介などを行っているのであ ムチ鍋」で参戦。残念ながらこの時は14位に終わっ る。そのため、その他のPRにかけられるお金は たが、2008年に福岡県久留米市で開かれた第3回 基本的には研究会には存在せず、一つは、冬ソナ 大会では、出場した全24の中から見事ブロンズグ イベントの時に成功体験として実感した無料かつ ランプリ(3位)を獲得。 『各務原キムチ』の名 大きなPR効果のあるマスコミへの情報提供にPR を全国に響かせたのである。 戦略の軸を置いている。そしてもう一つは、主旨 に賛同してくれる市民ボランティアの輪を増やす 作戦を展開しているのだ。 「例えば、イメージソングも、研究会であった らいいなと話していたところ、その声が通じたの か(笑) 、たまたまプロの音楽家として活動して いる市民から提案があった」もの。しかし歌詞や 作曲の無償提供があっても、今度はCD化する予 算がなく、やはり断念するしかないという状況 下で、認定店に呼びかけだけはやってみようと FAXでお願いしたところ、次々寄付の申し出が あり、CD化が実現。1,000枚すべて完売し、PRに 大きな力を発揮している。 B−1グランプリへの参戦で全国区へ お金をかけないPR戦略と聞いて、先進事例が あったと思いつかれた方もいるのではないだろ 76 「各務原キムチ・キリンビール」コラボポスター。 2009.6 第3回B−1グランプリでの各務原キムチ鍋参戦の様子。 毎回、募集人数を応募が大幅に上回るキムチ漬け講習会 の様子。食い入るように講師の手元を見る参加者たち。 「キムチを自分で漬けて食べるまち」 日本一へ 日韓親善協会が1999年から独自で行っていた 「キムチ漬け講習会」を受け継ぎ、2005年11月か ら年間10回開催。消費するだけでなく、 「〝自分で 漬けて食べるまち〟日本一」もめざし、時間もよ り多くの人が参加しやすいように、平日の夜の講 習会も設定するなど工夫された時間帯で開催して いる。 そのため講習会の人気は全く衰えておらず、 現在も、募集人数を上回る応募が続いている。 各務原キムチ関連商品。 い連携を図っていることから、互いの組織力を 最大限生かした取り組みが進められていること 〝連携〟を最大限生かす 「各務原モデル」への挑戦 だ。例えば、まちおこしのレベルアップを図るた めには、やはりある程度の資金は必要であり、商 工会議所であれば申請できる国の補助金制度を生 『各務原キムチ』が同じB級グルメによるまち かし、商工会議所がプロジェクトを進める予算を おこしを進める富士宮やきそばと大きく違うの 確保しながら、取り組み自体は「キムチ日本一の は、もともと資源があったかどうかという点に加 都市研究会」を母体に行政や学、民と一緒に進め え、ともにさまざまな力を巻き込み連携して取り るという連携を展開している。 組みを進めているものの、最初の仕掛けを行った その一つが、平成20年度に行った、中小企業基 のが富士宮が「民」であり、 各務原が「官」であっ 盤整備機構の「地域資源活用企業化コーディネー たという点。 「キムチ日本一の都市研究会」では、 ト活動等支援事業」を活用した「各務原キムチ・ 各務原でも民主導へ持っていくことを一つの課題 各務野やさい魅力形成事業」である。事業内容と として捉えているが、しかしこの各務原の取り組 しては①ワークショップ形式による戦略策定 ② みは、「まちおこしの各務原モデル」として他地域 講演会&シンポジウムの開催 ③著名韓国料理店 が参考にできる特徴をいくつも持っている。 関係者を招聘した市民向けキムチ料理教室の開催 最も大きな特徴としては、市役所と商工会議所 などである。 が常日頃から相互派遣など人事交流も含めた交流 例えば、ワークショップでは、高校生や大学生 を積極的に行うなど、全国的にも珍しい密度の高 も含めた「各務原キムチ魅力形成ワークショップ」 77 プロジェクト紹介 高校生、大学生を交えたワークショップ風景。 第3回「各務原キムチまつり」の様子。10,560人の参加 者で賑わった。 を行い、キムチ認定店モデル店づくりやキムチの イベントについて取り組んだ。東海北陸自動車 道川島PAからも入場できる「河川環境楽園」で 2006年から年に1回開催されている「各務原キム チまつり」というイベントがある。2回目までは 満足のいく集客を得られなかったことを踏まえ、 第3回の「各務原キムチまつり」の企画・運営に ついてもワークショップの一環として取り組んだ のである。 これらの取り組みは、いかにキムチの消費者を 増やすかという視点だけでなく、いかに当事者と 韓国家庭料理のカリスマシェフと言われる『妻家房(さ いかぼう) 』のオーナーシェフ柳香姫さん(右から3人目) を講師に招いてのキムチ料理教室。 して関わる人を増やしていけるか、共鳴する人た ちが互いに刺激しあう仕組みをいかにつくりあげ 元気にするためにやっている」という思いを伝え ていくかを大きなポイントとしたものである。例 続けた結果、実現した事業である。 えば、学生に参加してもらうことにより、より幅 広いアイデアを募ることはもちろん、学校の中で も盛り上がってもらい、そこからまた輪が広がる 4.「 『各務原キムチ』プロジェクト」 のこれから ことを期待するという考えた方だ。実際に、ワー クショップに参加した高校生が自分の高校のホッ ケーの全国大会の応援に行き、キムチ鍋をつくり さらなるブランド力を。 「各務野やさいプロジェクト」始動 販売する試みを行い、各務原キムチのPRが図ら れたという事例も報告されている。 このような取組みが進む中で、浮かび上がって また、最高の講師を呼んでの料理教室を開催す きた大きな課題の一つが、「キムチの売上は驚異 ることにより、認定店によりレベルの高い取り組 的に伸びているにも関わらず、それが一次産業の みを自ら行ってもらう啓発ときっかけを与える 振興につながっていない」 ということだった。〝地 取り組みも実施されている。首都圏を中心にレス 産〟というしばりをとっていないことによる当然 トランなど32店を経営し韓国家庭料理のカリスマ の結果でもあったが、そこへの対応が迫られる時 シェフと言われる柳香姫(ユヒャンヒ)さんに、 期へときていたのである。昨年実施した認定店を 吉田さんたちが熱意を持って直談判し、「まちを 含めた飲食店へのアンケートでも、市内産農作物 78 2009.6 をもっと活用したいとする意見が多く、使いたい チョンガダイコンなどをつくることができること が「どこで買えるのかわからない」といった回答 がわかり、今年度は、さらにニンニク、ニラ、ト もあった。市内産農作物を活用する余地は大きい ウガラシなど、松の実と魚介類以外すべての材料 とみて、モデル的にオール地元産品の「各務原キ を地元で調達できるようにするチャレンジを始め ムチ」に取り組み、新鮮な地元産の野菜類を活用 ている。 することで商品付加価値を高めるほか、食への安 これは、できた野菜を活用してのキムチへの商 全志向や地産地消の流れにも対応していきたいと 品化はもちろん、試験栽培野菜の調理方法の開発 考えている。 実は各務原では、キムチに限定したプロジェク トとしてではないところで、商工会議所の星野会 頭の発案による「各務野やさいプロジェクト」が 動きはじめていた。市内にある3,000坪の遊休農 地を活用した「実験農場」をスタートさせ、 従来、 この地域では栽培されていなかった野菜の試験栽 培などを行い、この地域でつくる野菜を「各務野 やさい」としてブランド化していこうというもの である。 「にんじんや大根は安売り競争が激しく、全国 3,000坪の「実験農場」で進められる、市民ボランティア による「各務野やさい」づくりの様子。 的に見ても、つくっても儲からないという状況の 中で農家は疲弊している。そこで、もっと付加価 値の高い、ほかではつくっていない面白い野菜づ くりの取組みはできないかと考えた」のだ。 星野会頭にはもうひとつ別の思惑もあった。 「市 内には使える資源が眠っている。それは遊休農地 とシニアパワー。これまでのような、ある時期に は大根が、ある時期にはにんじんが大量にできる やり方では、現在の農業の疲弊からは脱却できな い。遊休農地とシニアパワーを活用して、トヨタ のジャストインタイムのようなやり方を野菜にも 3,000坪の「実験農場」で進められる、市民ボランティア による「各務野やさい」づくりの様子。 活用できないか」 という発想である。そこで、チャ レンジするために実験農場として3,000坪の遊休 農地を市が無償で借り、その持ち主に農業指導を 仰ぐ取り組みが始まったのである。 2008年4月から、毎週火曜日を活動日として、 職員による野菜作りをスタート。ある程度の種の 選定をして、今週はここ、次の週はここと順番に 植えていきながら、データ取りを行い、10月から は市民ボランティアによる野菜づくりへと切り替 え、一年間チャレンジが続けられた。その結果、 実験農場では、キムチに適した韓国のハクサイや 「各務原定食」 実現に向けた農家と飲食店を交えた打ち合 わせ風景。 79 プロジェクト紹介 個人の力に頼るのではなく、 元気パワーを仕組みで活用する もう一つの各務原モデルへの挑戦 実験農場では、現在は現役を退いているが農業 に携わっていたシニアの方の指導のもと、市民ボ ランティアによって野菜づくりが進められてい る。これは、市役所と商工会議所が協働で進めて いる、もう一つの「各務原モデル」への挑戦でも 産業観光ツアー「各務原キムチ物語」での収穫体験の様子。 ある。 それは、 「『高齢者』でなく『時間とお金がある も事業の一環としてあり、キムチ以外の地産地消 元気なパワー』のある人々に活躍」に活躍しても 商品の開発という可能性も大いに秘めている。そ らうステージをどうつくりあげていくかという仕 の一つが、 「各務原定食」 である。実験農場でつくっ 組みづくりへの挑戦である。商工会議所の星野会 た新しい野菜をサンプルとしてある飲食店に持っ 頭はこう話す。 ていったところ、そこが新しいメニューを考案。 「今回の実験農場は、遊休地を提供してくれる 現在、野菜を安定して供給し「各務原定食」を実 農家の方、実際に野菜づくりを行う市民ボラン 現するために、料理店と農家とのコーディネイト ティアの方、みなさん、 せっかくある資源やパワー を研究会で担う取り組みが進められている。 を放っておくのはもったいないと、きっかけは奉 仕の精神から始めてもらっている。それは大変あ 実験農場を観光資源にも活用 りがたいけれども、継続していくには、有志の個 人の力に頼るのではなく、仕組みでしっかりとま もう一つ、この実験農場を「観光資源」として わっていくモデルをつくりあげないといけない。 PRする「産業観光ツアー」への取り組みも始まっ 多くの元気パワーに『喜び』を持って継続して取 ている。昨年、名古屋コンベンションビューロー り組んでもらえるモチベーションをどうつくって が企画する名古屋発着の産業観光バスに、各務原 いくといいのか。どのようなところでどのように キムチ商品をお土産につけた「飛行機のまち か 活躍してもらうとまちが良くなるのか。その仕組 がみがはら産業観光」と「各務原キムチ物語」と みの絵を描く。そして、ここからが大事で、それ いう2つのコースがモニターツアーとして設定さ を具体化していく上でポイントになるのは、リー れ実施された。 「各務原キムチ物語」は、実験農 ダーの育成。我々は『面倒見の育成』と呼んでい 場で「各務野やさいプロジェクト」で育てたチョ るが、 〝元気パワー〟を集めて、その面倒を見て ンガ大根を自ら収穫、講習を受けながらキムチ漬 いくリーダーの養成を図っていきたい」。 けを体験(お持ち帰り)、昼食は各務原キムチ認 今年度、 それを実現していくための取り組みが、 定店でのバイキング、その後、防災センターで地 市と商工会議所の協働プロジェクトとしてスター 震体験をし、内藤記念くすり博物館にも足を運ぶ トしている。 コース。実験的な試みで安いモニター特別料金を 設定したこともあるが、 非常に大きな反響を呼び、 参加者からは「珍しい企画で非常に面白い」とい う声が多数寄せられた。現在は、これを事業ベー スに乗せていくことに取り組んでいる。 80 2009.6 【 『各務原キムチ』の主な歩み】 1999年7月 韓国春川市との交流始まる 1999年11月 各務原日韓親善協会がキムチ漬け講習会始める 2003年10月 韓国春川市との姉妹都市提携締結 市民が殺到 2004年11月 「冬のソナタ」イベント開催 ∼ 12月 手づくりキムチが大盛況 インタビュー キムチ日本一の都市研究会 会長 井上 克彦 氏 各務原商工会議所 会頭 星野 鉃夫 氏 2005年1月 「キムチ日本一都市研究会」発足 2005年7月 イメージキャラクター「キムぴ∼」商標登録として認可 2005年11月 『各務原キムチ』販売開始 2006年11月 第1回各務原キムチまつり開催 2007年3月 ご当地ポテトチップス「各務原キムチ」味発売開始 2007年4月 各務原キムチ認定店連絡会発足 2007年6月 イメージソング「キムチの気持ち」完成 CD発売 2008年1月 第2回各務原キムチまつり開催 B−1グランプリin富士宮参戦 ご当地キティ、キューピーグッズ発売開始 2008年2月 キムチ漬け講習会参加者が1,500人を超える 2008年4月 各務野やさいプロジェクト「実験農場」スタート 2008年6月 コンビニチェーン「サークルkサンクス」とタイアップ 2008年11月 第3回B−1グランプリ in久留米参戦 2008年11月 第3回各務原キムチまつり開催 2008年12月 産業観光ツアー「各務原キムチ物語」実施 2009年1月 コンビニチェーン「セブンイレブン」とタイアップ ブロンズグランプリ獲得 2009年3月 コンビニチェーン「ローソン」とタイアップ 2009年4月 コンビニチェーン「ココストア」とタイアップ 関わる人を増やすことが プロジェクト成功の大きなポイント ―『各務原キムチ』は、プロジェクトのスタート からわずか3年で、岐阜県の「じまんの原石」 に認定されました。全くのゼロからのスター トという、特産品としても、まちおこしとし ても、非常に画期的でユニークな取り組みだ と思いますが、じまんの原石となった成功の 要因についてお考えをお聞かせください。 井上 大きく5つほどの要因があると考えていま す。 1つには、各務原市としては工業が順調で、今 すぐこれをやらないとまちの存続が危ういという わけではなかったけれども、めぐってきた非常に いい流れを途絶えさせるのはもったいない、大き なチャンスにすべきだと、市が非常に早い動きを 取ってくれたことです。 2つ目は、市民が「地域愛」を持つことができ る取り組みだったこと。悲しいかな、市の名称も 満足に読んでもらえなかったまちに、市民にとっ て誇れるものができた。これまでどちらというと ビジネス色が強かったまちに、「遊ぶ・楽しむ・ 食べる」という生活を楽しみ、人を呼べるソフト 81 プロジェクト紹介 が誕生しました。 ティやご当地キューピーとして、各務原キムチの 3つ目は、 最初から産官学民で取り組んだこと。 キーホルダーをたくさん鞄などにつけてくれるこ 人数は少ないものの、「キムチ日本一の都市研究 とも、それはそれで一つのかかわり方だと思って 会」のメンバーにはさまざまな人がおり、団体の いるのです。 長をやっている人はその団体の会合で、家庭の主 また、イメージソングも単にCDを販売するだ 婦は行きつけの喫茶店で話をしてくれるなど、メ けでなく、イベントなどで地元の各務野合唱団に ンバーの一人ひとりが実にさまざまな場所で話を 歌ってもらったりもしています。さらに歌を編 してくれ、いろんなところに声掛けをしてくれた 曲し、よさこいソーランバージョンや盆踊りバー のです。 また、 「学」 のメンバーを入れることによっ ジョンなどをつくって、それを踊るチームも生ま て、非常に研究会の重みが増したと思います。栄 れ、イベントなどで披露してくれている。商売だ 養学的な話をしっかりと取り入れながら進めてこ けでなく、歌であったり踊りであったりしてもよ れましたから。 く、また商品を買うということでも、企画に関わ 4つ目は、非常に熱い思いを持ってこのプロ ることでも、もちろんキムチを自分で漬けて食べ ジェクトに取り組んでくれた人たちがおり、その るということでもいい。いろいろな関わり方があ 熱意がどんどん伝播していったことです。何の保 り、関わる人を増やすことが、まちおこしとして 証もなしに基幹商品の最初の製造を請け負ってく キムチプロジェクトを進めている大きな目的です れた人が現れたのも、 それゆえだったと思います。 から。 そして、5つ目に、役職のある誰かが、大きな 影響力を持ってつくり上げようとするプロジェク トではなく、一人ひとりに自分のできることをし てもらうことで参加してもらい、その輪を広げる ことで盛り上げる道を歩んできたことです。 星野 5つ目について言い方を変えてお話する と、例えば、キムチグッズを買って身につけてく れる人も、その一人だと我々は考えています。層 の厚さが必要であり、関わる人をいかに増やせる かがポイントなのです。高校生などがご当地キ 82 イベントなどでイメージソングを謳う各務原キッズ (合唱団) 。
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