市倉茂雄氏

(東京学芸大学 教育学部/
教育学部/都立南多摩中等教育学校 教諭)
教諭)
根底にある「自主自律」
1995年3月
市倉
卒業
茂雄(高47)
1.現在の仕事
東京都の教員として働き始め、もうじき20年になります。墨田区の中学校に初任者として赴任し、
現在は縁あって、中高一貫校である学校に勤務しています。
誰もが学校教育を経験していますので、教員という仕事の様子は分かっていると思いますし、私も似
たようなものでした。しかし、生徒の目から見えない部分の仕事が多いことにも驚かされました。授業
の準備だけではなく、行事の準備、生徒の生活指導、保護者への対応、部活動等々。大袈裟な話かもし
れませんが、仕事の8割以上は辛いことが多いような印象をもっています。しかし、その残りの2割が
とても魅力的です。様々な人との出会い、たまにある会心の授業、生徒や保護者の笑顔、同僚との語ら
い等々。人との関わりに興味があったり、教えることに喜びを感じる方にはおすすめの職業だと思いま
す。
2.私の高校時代
立高での3年間は、私の人間形成に大きな影響を与えたと思います。中学校まではそれなりの優等生
に分類されていたのであろう私にとって、同級生のレベルの高さに圧倒されました。また、自由な服装
(金髪もいました)や奔放な行動(「自ブラ」と称し授業に出なかったり)を許容する先生方や生徒の雰
囲気は衝撃的でした。
「色々な人がいる。とりあえず、それはそれでいいじゃないの?」というスタンス
が自分の中で出来上がり、現在の仕事でも多様な人間関係にそれほど驚くことなく対応できるようにな
ったと思っています(そのためか、私の生活指導は甘いと言われることが多いのです…)。
剣道部に所属していました。当時を思い出してもよく続いたものだと思うほどの実力の無さでした。
周囲はすごい人たちばかり、レギュラーなどは遠い話でした。また、2年生の冬にアキレス腱を切り、
そのまま引退となりました。それでも継続をして続けていたおかげで、職場での部活動指導もそれなり
にできる素地ができたのだと思います。また、卒業後も先輩・後輩とのつながりが現在もあり、当時を
思い出し、活力を得ています。
文化祭実行委員会にも所属していました。剣道部の先輩に誘われ、考えなしに入ったのですが、こち
らも驚くことばかり。企画・運営など、かなりの部分を生徒主体で行っていました。現在の立場から考
えると、我々の目に見えなかった部分で、先生方がかなりの根回しをしてくださったのだろうと思って
います。
辛いこともあったはずなのですが、過去に戻れるのならば、と聞かれれば、立高での生活と言えるほ
ど、充実の3年間だったと思います。
3.教員として「今」考えていること
教員としての使命は何だろうかと考えたとき、1つの答えとして、社会に役立つ人材を育成すること
があります。その達成のためには、授業の充実であったり、学校行事(集団生活)の充実が必要だと考
えています。
授業などでよく、
「何のために勉強をするのですか?」と生徒に聞かれることがあります。情けないこと
に、私は未だに明確な答えが出せないでいます。目標(手段)としての勉強は、いい学校に入るため、
お金を稼ぐためだと思います。また、目的(追求)としての勉強は、自己実現ため、知的探求のためだ
と思います。それでも(私も生徒も)納得できないでいますので、
「とりあえずやってみて、それぞれが
納得する答えを、これからの人生で見つければいいんじゃないの?」と先送りのような答え方をしてい
ます。
上記のように答えはじめてから、教員の仕事は、生徒がそれぞれの人生を歩んでいくための手助け、
きっかけ作りをしているだけなのだろうなと思うようになりました。では、それぞれの人生を歩んでい
く上で必要な心構えは何だろうかと考えるようにもなりました。
加えて、教員を始めてから、最初は生徒にのみ意識が向いていましたが、年齢と共に若手教員に対し
ても意識を向けざるを得ない中堅になりました。私自身、人生の先輩にまだまだと言われているのです
が、それを脇に置いて行動をしなくてはなりません。
そんなこともあり、何かの際に自分の行動を振り返る、今後の指針を確認する意味で、ここ数年、職
場で標語を掲示するようにしています。教室の廊下に掲示しているので、生徒だけではなく、同僚の目
にも触れます。直接でないまでも、生徒や若手教員に少しは私の思いを伝えられているようです。
以下、掲示している標語の一部を紹介します。これらは私自身が思っていることであったり、先輩教
員の言葉であったり、書籍や著名な方の言葉であったりします。一つでも心に響くものがあればと思い
ます。
「人に優しく、自分に厳しく」
「さらば ワガママ!」
ワガママ!」
「やります(意欲) やれます(能力) やってみせます(根性)
」
「時を守り 場を清め 礼を正す」
「Aあたりまえのことを Bばかにしないで Cちゃんとやろう」
「個人として『自立』しよう 集団に『貢献』しよう」
「上を見れば間違いない と言われる学年になろう」
「言われたこと以上のことができる人になろう」
「提出物 期日に出すのが 当たり前」
「切り替えと集中」
「一事が万事 1つ1つを疎かにしない」
「一所懸命はカッコイイ!」
「お互い様」
「継続は力なり」
「継続は力なり」
「当事者意識 自分ならどうする」
「やるときは、やる やれば、できる やるからには、克つ」
「服装が決まれば心が決まる」
「不機嫌なときの判断は、だいたい間違っている」
「目は大きく(よく物事を観察する) 耳も大きく(人の話をしっかり聞く) 口は小さく(余計なこ
とは言わない)」
「安全性(Safety)
) 礼儀正しさ(Courtesy)
) ショー(Show)
) 効率(Efficiency)
)」
「安全性(
礼儀正しさ(
ショー(
効率(
「ならぬ堪忍 するが堪忍」
「能力の差は五倍、意識の差は百倍」
「謙虚にして奢らず さらに努力を」
ここまで紹介をした標語の根底にあるものは、具体的なものや抽象的なものがありますが、
「個人とし
てどのような心構えが必要か・行動ができるか」に集約されると思います。これらを総括する言葉を考
えると、立高の伝統である「自主自律」に行き着くのだろうと考えます。
「自主自律」とは何を指すのか
考え、行動することが、自らの人生を実りのあるものにしていくのではないかと思います。
今回、ご縁があってこのような原稿を書かせていただき、私の生活を振り返ってみました。「自主自律」
の精神は、当時の私には明確に分からなかったのですが、心の中に刻まれており、教員・社会人になっ
ても根底をなしていることを認識することができました。改めて立高の伝統に感謝します。
立高の「今」を生きる現役生の皆さん、形は変われども「自主自律」の精神を受け継ぎ、社会に貢献で
きる人材に育っていただくことを願っています。