No. 66 May 1, 2014 触媒懇談会ニュース 触媒学会シニア懇談会 わが国におけるクロスカップリング触媒研究の歴史 学習院大学理学部 首都大学東京大学院理工学研究科 東京農工大学(名誉教授) 小宮三四郎 はじめに 均一系の遷移金属触媒を用いたクロスカ について述べる.この反応は主に炭素-炭 素結合形成反応を中心に研究されてきたが、 ップリング反応が 2010 年のノーベル化学 今では炭素―ヘテロ原子とのカップリング 賞の対象研究となり、鈴木章、根岸英一、 反応にも展開されるようになっている.ま Richard Heck の三名がその栄誉に輝いた た、この反応がノーベル賞の受賞対象とな のは周知のとおりである.そのうち二人が った後に、機構は異なるため、それまでは別 日本人であるだけでなく、この分野への日 の反応として分類されていたアルケンと芳 本人の貢献度が非常に高かったことは、そ 香族ハロゲン化物のカップリングによるア の歴史を見ても明らかである.それは 1960 リ ー ル ア ル ケ ン の 生 成 反 応 ( Mizoroki- 年代にさかのぼる.本稿では、遷移金属触媒 Heck 反応)も、クロスカップリング反応と によるクロスカップリング反応を中心にそ して取り扱われることも多い(後述).はじ の歴史と日本人の貢献や研究成果について めに、その発見の歴史を概観する. 述べる. クロスカップリング反応とは、二つの異 なる有機基を化学的に結合させる化学反応 であり、有機合成法の最も根幹となる重要 ArX + RM Ni, Pd 錯体触媒 Ar-R + MX (1) M = Li, MgX, ZnX, SnR’3, SiFR’2, B(OH)2 etc. な反応である.この反応には遷移金属錯体 がその触媒として有効であり、広義には非 1.クロスカップリング反応の発見の歴史 常に広範囲の反応を意味することになるが、 ―日本人研究者の貢献からノーベル賞まで ここでは一般的に認知されている有機ハロ クロスカップリング反応の発見の基礎と ゲン化物と有機典型元素化合物による新た なる反応は、有機合成化学でも触媒化学で な結合生成を伴うクロスカップリング反応 もなく、有機金属錯体化学の基礎研究の中 に限定して、主に国内における研究の歴史 から生まれた.東京工業大学の山本明夫(当 4)、そのためこの反 時助教授)は、Ziegler/Natta 重合触媒やオ っても発表されており レフィンのオリゴメリ化反応の機構を解明 応は Kumada―Corriu カップリングと呼 するべく、不活性ガス化で活性中間体とし ばれる. ての有機ニッケル化合物に関する合成研究 を行っていた.彼らは 1967 年に 2,2’- + RMgX ビピリジンを配位子とすることにより、空 気中で不安定なジアルキルニッケル化合物 NiR2(bpy)を単離することに成功した 1). Ar N N Ar N Ni Ni X N R 山本明夫は、この錯体の物理的化学的性 質を明らかにしていく中で、ハロゲン化ア リール ArX との反応ではニッケル上の二つ + ArX Ar-R のアルキル基が還元的脱離しカップリング 生 成 物 R-R を 生 成 す る と と も に Ni(II)(Ar)(X)錯体が得られることを発表し スキーム1 た 2). ロスカップリング反応 N N R Ar N R Ni + ArX R-R + Ni N (2) X ニッケル錯体を触媒とするク その後、我が国および米国では、触媒とし てはニッケルだけでなく、より空気中で安 定かつ毒性の低いパラジウムも有効な触媒 この基礎的反応を基にして京都大学の熊田 となることが明らかとされ、アルキル化剤 研究室の玉尾皓平(現理化学研究所所長、当 としては有機亜鉛(根岸英一、パデュー大 時助手)は、初めてニッケル触媒によるクロ 学)5)、有機スズ(右田俊彦、小杉正紀、群 スカップリング反応を開発したのである. 馬大学、故 John K. Stille、Colorado State 玉尾は、アニオン性のハロゲノ基はグリニ University)6)、有機ケイ素化合物(桧山為 ヤール試薬でアルキル化できるはずである 次郎、京都大学)7)などにも展開された.さ から、生成する(アルキル) (アリール)ニ らには水にも安定で合成しやすい有機ボロ ッケル(Ⅱ)錯体は還元的脱離によりカップ ン酸も用いることが北海道大学の鈴木章研 リング生成物を与えるであろうし、この系 究室の宮浦憲夫(当時助手)によって開発さ にはハロゲン化アリールが多量に存在する れた 8). のだから原料錯体は再生し、反応は触媒的 ホウ素や亜鉛を用いた系は、使いやすさ に進むはずであるとの仮説をたてた.結果 や汎用性の高さから、医薬品や材料合成な として、1972 年従来困難であったグリニヤ ど多くの異分野で応用された.有機ボロン ール試薬とハロゲン化アリールのカップリ 酸を用いた反応は、当初その新規性が認め ング反応を触媒的かつ効率的に行うことの られずあまり注目されなかった事実は興味 3).同 深い.その発見の歴史がネット上で URL に できる触媒反応を発見したのである じ反応が同時期にフランスの Corriu によ まとめられている 8).さらにこのクロスカ ップリング反応は、林民生(京都大学)によ 方がサインした記念の色紙である. り不斉配位子を用いることで不斉カップリ ング反応にも展開された 9).即ち、ラセミ体 のフェネチルグリニヤール試薬や亜鉛化合 物から高エナンチオ選択的にキラル生成物 が得られる. Me Me + Br R [(R)-tert-leuphos]Ni(or Pd)Cl2 Ph MCl Me * R (3) 93%ee(Ni) 94%ee(Pd) M = MgX, ZnX, SnR3, SiR3 また、山本隆一(東京工業大学)はジハロ ゲン化アレーンやチエニレンを用いること により、一連の電導性ポリアレーンやポリ チオフェンの合成に展開した 10). 図1.クロスカップリングに貢献した方々 のサイン色紙(玉尾教授提供) X + Mg X X S X + Mg Ni cat. n Ni cat. S n (4) (5) クロスカップリング反応に関するレビュー と重要な原著論文が J. Organomet. Chem. の特集号としてまとめられている 11). この中には、収率は高くなかったものの、 鉄触媒を用いた最初のクロスカップリング 1970 年代は、日本で世界に先駆けて数多 触媒反応を報告した J. K. Kochi(Indiana くのクロスカップリング反応の発表が続出 大学)や Pd 触媒を用いたリチウム試薬と した時代である.このように、触媒的クロス のクロスカップリング反応を見い出した村 カップリング反応に関して、有機金属錯体 橋俊一(阪大基礎工)をはじめとするクロス の基礎的素反応研究、それを基にした新触 カップリングにかかわった多くの研究者、 媒反応の開発、汎用性の高い反応への展開 そして炭素ー炭素結合生成反応におけるパ が多くの日本人研究者によるものであった ラジウム触媒の重要性を示した辻二郎(東 ことは、特筆すべき化学の歴史である.そし レ基礎研、東京工業大学)など多くの偉大な て広範な置換芳香族化合物や電導性ポリア 先駆者の名前を見ることができる. レーンなど機能性物質の精密合成につなが った.その 30 年の歴史をまとめるシンポジ 2.クロスカップリング反応の機構 ウムが、ノーベル賞受賞決定の 10 年前の 触媒的クロスカップリングの機構は、す 2001 年に京都で行われており、関係する研 でに発見の歴史を見ても分かるように、有 究者が一同に会した.図1は、この研究の先 機遷移金属化学の基本的反応の組み合わせ 駆者であり当時30-40代であった先生 で説明される(スキーム2)12).触媒として 用いられるニッケルやパラジウム化合物は、 LnPd(0) 三級ホスフィンを配位子としてもつ二価錯 体か、金属塩と配位子の混合物が用いられ +L -L ArX Ar-Nu る.これらの錯体は反応条件下で主にゼロ Ln-1Pd(0) 価に還元される.そこにハロゲン化アリー Ar ルが酸化的付加し(アリール) (ハロゲノ) 金属(Ⅱ)種を与える.続いて有機典型金属 化合物との反応により(アルキル) (アリー Ar Ln-1Pd(II) Nu Ln-1Pd(II) X ル)金属錯体が生成する.そして還元的脱離 によりアルキルアレーンが生成する.この 際、系中に存在するためハロゲン化アリー ルが金属に再び酸化的付加し、触媒サイク Nu-H or Nu-M HX or MX Pd 錯体を用いた触媒的クロ ルは回ることになる.この反応における金 スキーム2 属触媒上の配位子の数は重要であり、長ら スカップリング反応機構 くクロロアレーンは反応性が低く出発物質 して用いることができないとされていたが、 3.クロスカップリング反応の展開 Hartwig により嵩高いリン配位子を用いる 一酸化炭素の存在下で、クロスカップリ ことにより超高活性なモノホスフィン種が ング触媒反応を行うと、直接の C-C 結合生 生成し、塩化物誘導体も用いることができ 成ではなくカルボニル化されたケトンの合 ることが明らかにされ、その有用性は一段 成が可能になる 14).この場合、生成するア dppf のよう リールパラジウム種への CO 挿入反応が速 な嵩高い二座ホスフィンを用いると、β水 いためアシルパラジウム種が優先的に生成 素脱離が抑えられるとともに、4配位化合 し、その後メタセシス(トランスメタル化) 物からの還元的脱離が促進されるため、β が起こるためであると考えられる. と高まった 13).配位子として 水素を持つアルキル化剤を用いても選択性 よくカップリングさせることが可能である. また、反応の律速段階を考慮して、用いるホ R-X + CO + R'-M O C Pd Cat R + MX R' (6) スフィン配位子の立体および電子的性質を 変化させることにより、反応の選択性や速 度を調整可能である 12). また、クロスカップリング反応は C-N, CO, C-S 結合生成にも展開され BuchwaldHartwig カ ッ プリン グと 呼ばれ る 15) . Pd(OAc)2/2L を触媒として用い、ハロゲン 化アリールとアミンのクロスカップリング 反応も可能である.この反応では、生成する 酸を塩として取り除くため塩基を必要とす る.チオールや第二級ホスフィンも基質に 用いることが可能であるが、アルコールへ ている 17). の応用は未だ難しい. X HNRR' + R N R' Pd(OAc)2/2L Base TMS (7) R-X + Y Y X = Cl, Br, I, OTf OTs L=嵩 高 い 単 座 配 位 子 O R' Ar FeCl2 + B Li ( TMS )2P P( )2 TMS TMS MgBr2 O R-Ar 一方、銅を用いたハロゲン化アリールの 化学量論的カップリング反応は Ullmann 反応機構は炭素求核剤を用いた C-C 結 反応として古くから知られている.この反 合生成の場合と似ており、ハロゲン化アリ 応は、銅触媒を用いた C-ヘテロ原子(N, ールの酸化的付加の後、塩基による脱 HX O, S)結合生成に広く応用されている 18). を伴うアミンとの反応により(アリール) 例えば、銅触媒を用いてアリールアミンや (アミド)錯体の生成、還元的脱離によりア アルコールとハロゲン化アリールからジア リールアミドが生成する. リールアミンやエーテルを合成することが また最近では、Pd, Fe, Ru, Cu 錯体を触 できる. 媒として用いることにより無置換アレーン とハロゲン化アリールまたは有機典型金属 化合物との間のクロスカップリング反応に RNH2 + ArX Cu catalyst K2CO3 Ar-NHR (9) よるビアリールの合成も可能になっている 16).この反応は直接アリール化と呼ばれ、 また、パラジウム/銅触媒を用いるとハ 様々な機構が提案されている.最初の段階 ロゲン化アリールと末端アルキンのカップ はハロゲン化アリールの酸化的付加であり、 リングによるアルキニルアレーンの合成を 生成するアリール遷移金属種と無置換アレ 効率的に行うことができ、Sonogashira 反 ーンとの反応で生成するジアリール種から 応と呼ばれている 21).この反応ではアルキ ビアリールが生成すると考えられる.後半 ニル銅の生成が反応を促進するためと考え の無置換アレーンの反応は CH 結合の酸化 られている. 的付加、芳香族求電子置換反応、σボンドメ タセシス、Heck 型反応などいくつかの反応 機構が提案されている. X R1 + H or R Pd Catalyst CuI NH3, HNH2 etc R (10) or R1 R2 R1 R2 Transition Metal Complex H + X Base X = Cl, Br, I, OTf R1 R1 R2 (8) 4.溝呂木―ヘック反応 さらに最近では Green Chemistry の観点 さて、パラジウム触媒を用いた芳香族ハ からも重要であると考えられる安価で安全 ライドとオレフィンの反応によるビニルア な鉄触媒を用いた触媒反応への展開もされ レーンの生成 19)も、クロスカップリングと して取り扱われることもあることを最初に この反応の発展の歴史を見ても明らかなよ 記述した. うに、日本人研究者の貢献度は非常に高い. そしてこの反応がノーベル賞の受賞対象と X + Pd Catalyst/Base R R (11) なった事実は、日本の均一系触媒化学、有機 合成化学、有機金属化学に関する研究が世 界のトップレベルにあったことを物語って この反応ではハロゲン化アリールの酸化的 いる.今後の日本の均一系錯体触媒に関す 付加の後、オレフィンの配位挿入によるア る研究がさらに発展し、引き続き世界をリ ルキル錯体の生成、βヒドリド脱離によっ ードしてゆくことを期待する.なお、本稿で て反応が進行する.ハロゲン化アリールと は著名な先生方の敬称を略させていただい 有機典型金属化合物のクロスカップリング たが、ご容赦いただきたい. 反応とは機構が異なるものの、結果的には オレフィンのC-H結合と芳香環の間で C- 文献 C 結合が生成する.このカップリング反応 1) A. Yamamoto, K. Morifuji, S. Ikeda, T. の発見により R. Heck は鈴木章、根岸英一 Saito, Y. Uchida, A. Misono, J. Am. と一緒にノーベル賞を受賞しているが、実 Chem. Soc., 90, 1878 (1968). はこの反応は溝呂木勉(当時東工大助教授) 2) M. Uchino, A. Yamamoto, S. Ikeda, J. が Heck の一年前の 1971 年に報告してい Organomet. Chem., 24, C63 (1970); A. ることを忘れてはならない 20).残念ながら、 Yamamoto, J. Organomet. Chem., 653, 溝呂木は病に倒れ若くして故人となってい 5 (2002). るが、この反応は Mizoroki-Heck 反応と呼 ばれるべきである.この反応でも日本人の 貢献は大きかったと言える. 3) K. Tamao, K. Sumitani, M. Kumada, J. Am. Chem. Soc., 94, 4374 (1972). 4) R. J. P. Corriu, J. P. Masse, Chem. Soc., Chem. Commun., 144 (1972). 5) E. Negishi, A. O. King, N. Okukado, J. 5.応用とまとめ これまで述べてきたクロスカップリング Org. Chem., 42, 1821 (1977).; E. 反応は、多くの医薬品の合成や天然物合成 Negishi, F. Liu, In Metal-Catalyzed に用いられた.特に有機ボロン酸は水にも Cross-Coupling 安定であるだけでなく入手しやすく、クロ Diederich, P. J. Stang, Eds.; Wiley- スカップリング反応を空気中で行うことが VCH: Weinheim,; p1 (1998). Reactions; F. できることから、医薬品や機能材料合成を 6) M. Kosugi, Y. Shimizu,T. Migita, J. 含む多分野で利用された.ここでは紙面の Organomet. Chem., 129, C36 (1977).; 関係でその詳細は割愛するが、多くの総説 J. K. Stille, Pure Appl. Chem., 57, があるので参照されたい 22). 1771 (1985). 以上、遷移金属錯体を用いた触媒的クロ 7) Y. Hatanaka, T. Hiyama, J. Org. スカップリング反応を歴史的に概観した. Chem., 53, 918 (1988); T. Hiyama, In Cross-Coupling M. Buhl, J. F. Hartwig, J. Am. Chem. Reactions, F. Diederich, P. J. Stang Soc., 126, 1184 (2004).; J. P. Stambuli, Eds., Wiley-VCH: Weinheim, Chapter M. Bühl, J. F. Hartwig, J. Am Chem. 10 (1998). Soc., 124, 9346 (2002).; J. F. Hartwig, Metal-Catalyzed 8) N. Miyaura, K. Yamada, A. Suzuki, Organotransition Metal Chemistry, Tetrahedron Lett., 36, 3437 (1979).; A. From Suzuki, In Metal-Catalyzed Cross- University Science Books, Sausalito Coupling Reactions, F. Diederich, P. J. (2009) p901. Stang Eds. Wiley-VCH, New York, Chapter 2 (1998).; http://costep.hucc.hokudai.ac.jp/coste Bonding to Catalysis, 14) N. A. Bumagin, I. G. Bumagina, A. N. Nashin, I. P. Beletskaya, Dokl. Akad. Nauk, 261, 532 (1981). 15) J. F. Hartwig, Angew. Chem. Int. Ed., p/nobel/article/24/. 9) T. Hayashi, M. Tajika, K. Tamao, M. 37, 2046 (1998).; J. F. Hartwig, Acc. Kumada, J. Am. Chem. Soc., 98, 3718 Chem. Res., 31, 852 (1998).; J. P. Wolfe, (1976).; T. Hayashi, M. Fukushima, M. S. Wagaw, J. F. Marcoux, S. L. Konishi, M. 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