構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 タンパク質構造の総合的理解と機能解析へのアプローチ 茨城大学理学部 高妻孝光・柳澤幸子・新関智丈 Precise Functional Analysis of Biological Macromolecules Promoted by the Encounter of Crystallographic and Spectroscopic Molecular Structure Analyses Takamitsu Kohzuma*, Sachiko Yanagisawa, and Tomotake Niizeki Faculty of Science, Ibaraki University The three dimensional structure of protein molecule is an essential for the comprehension of numerous life phenomena and the industrial utilization of biological systems. It is important to determine the three dimensional structure of biological macromolecule components by a certain techniques, X-ray crystallographic structure analysis, neutron crystallographic structure analysis or NMR. Although these structure analyses are very sophisticated methods for the determination of the biological macromolecule, the spectroscopic techniques are very important for the complete understanding of the time-dependent biological phenomena accompanying with the structural alternation of the relevant functional components, such as proteins and nucleic acids. The UV resonance Raman spectroscopy is introduced as an example for the precise local structure analysis with the X-ray crystallographic structure of protein molecules. 序 ヒトの遺伝子配列の解析が終わった現在、ポストゲノム科学としてタンパク質の構造と機能 との相関が注目されている。タンパク質は、酵素や生体組織の構造因子として機能している のみならず、DNA に保存されている遺伝情報の発現調節にも関与している。生体内で起こ る反応機構を分子レベルで理解するためには、タンパク質の構造と機能を知ることが大変重 要であり、何らかの手法によってタンパク質の構造決定を行うことが必要不可欠である。タン パク質の立体構造の決定法には、単結晶を用いる X 線結晶構造解析や中性子結晶構造解 析、並びに溶液中での立体構造決定に有用な NMR 法がある。近年、軌道放射光による X 線源の進歩、イメージングプレートに代表される検出手段の著しい改良、極低温下での回 折データの収集など X 線結晶構造解析の技術が進歩し、良質の結晶さえ得ることができれ ば以前と比較して簡単に立体構造を決定できるようになってきており、まず X 線構造解析に 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 よる分子構造を得ることが生命現象を分子レベルで考察する上で極めて重要な要素となっ ている。中性子による構造解析は水素原子の位置を精密に決定する上で極めて重要な方 法の一つであり、特にプロトン H+に関する構造情報は酵素の反応機構を考える上でも重要 である。本方法によって得られる新たな生体分子の構造情報については、本誌 Vol. 7 (No. 2), 2001年号に新村先生が詳しく述べられている1。 一方、タンパク質構造の時々刻々と移り変わる姿を調べるために溶液中での構造を調べ その構造変化を議論することが重要である。溶液中では結晶格子による安定化を受けない ため、構造的制約が低くなる。タンパク質分子内での構造変化のみならず、タンパク質分子 間あるいはタンパク質−基質間の構造変化の時間的推移を調べることは正確なドラッグデザ インや臨床検査において重要である。溶液中での構造の決定及び構造の変化を観察する 手段としてはNMR法が優れているが、分子量や溶液の状態に制約があるのが現状である。 赤外スペクトルも情報の多い分光法であるが、タンパク質の構造を調べる手段として確立さ れるためには技術的課題が多い。その点、同じく振動分光法の一種であるラマン分光法は 分子量の制約もなく、サンプルとしては固体、液体、気体いずれも可能であり、サンプル性 状の制約を受けず、ピコ秒領域での構造変化の追随から秒、分、時間、日にわたるタンパク 質の局所的構造変化を詳細に検討することが可能である。サンプルの性状に制約がないと いうことは、生体分子の挙動を調べる上で相当のアドバンテージである。つまり、細胞中の生 体分子の構造を生きたまま調べることをも可能であることを意味している。しかし、全体の分 子構造を一度に調べることは出来ないのが難点である。また、タンパク質が常磁性の活性中 心を有する場合は電子スピン共鳴を代表とする常磁性種の分光学が極めて重要な役割を 担う。一部のタンパク質を除いて、常磁性中心を持つタンパク質の多くは NMR 法で調べるこ とは通常困難であり、X線結晶構造解析から議論される反応中間体の妥当性などを電子ス ピン共鳴スペクトルで検証することが重要となる。しかも、電子スピン共鳴スペクトルおよびラ マンスペクトルはタンパク質の単結晶を使って研究が行えるため、結晶中にあるタンパク質と 溶液中にあるタンパク質の構造と機能の理解をつなぐ上でも重要である。 タンパク質の結晶構造を精密に解析することは極めて重要であるが、それらの方法から得 られる分子構造情報を見ながら、分光学的方法によって機能と構造との相関を解明すること が重要である。以下にはラマン分光法によるタンパク質の構造と機能に関する研究および特 異的構造による機能制御の例として、シダ植物由来のプラストシアニンの構造と反応性につ いて紹介する。 ラマン分光法とは 物質に光を照射して励起すると、励起光と同じ振動数のレイリー散乱光だけでなく、物質 中の分子振動の振動数分だけ、励起光とは異なる振動数をもつ光(ラマン光)も散乱されて 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 くる。レイリー散乱とラマン散乱は、散乱光においてエネルギー分布をみるとほとんどレイリー 散乱であり、ラマン散乱は 1000 万個の入射光子に対して1個程度でしかおこらない。しかし、 レーザーと感度の高い光検出器を使うことが可能となりラマン散乱光の効率良い検出が可 能になってきている。また、試料中の分子の吸収帯で励起することによって得られる共鳴ラ マン効果を利用すると、分子特有のラマン散乱強度は1万倍以上にも増大する。この効果を 利用すると生体分子中の特定分子種や原子団の局所構造解析を詳細に行うことが可能で ある2。 共鳴ラマンスペクトルによるクロモフォア構造の研究 共鳴ラマン分光法は、可視光領域に吸収帯を持つタンパク質、とくにヘムタンパク質やレ チノイドタンパク質、銅タンパク質などの活性部位の構造と機能の相関の解明に重要な貢献 をしてきた。 動物の血液中にあって O2 を運搬するヘモグロビンの可視領域の共鳴ラマンスペクトルで は、その鉄−ヒスチジン伸縮振動のラマン線の帰属以来、そのラマン線を中心にさまざまな 研究が行われてきた。O2 の結合する前の O2 親和性の低い状態を T、高い状態のものを R と すると、T 状態と R 状態のラマンスペクトルにおいて見出される鉄−ヒスチジン伸縮振動に由 来する振動モードは T 状態では 215cm-1、R 状態では 221cm-1 であり、T 状態のほうが R 状 態より振動数が低いことがわかった。これは T 状態のほうが R 状態よりも鉄−ヒスチジンの結 合が弱い、つまり結合距離が長くなっていることを意味している。 Kitagawa らは T 状態では タンパク質がヒスチジンを引っ張り、その結果、鉄−ヒスチジン結合に張力がかかって鉄がポ ルフィリン面からずれるために、O2 が結合しにくくなると報告した3。 バクテリオロドプシンはレチナールを含むレチノイドタンパク質である。バクテリオロドプシン は生体膜にあり、光によって H+を膜の片側から反対側に輸送する機能を有するタンパク質 である。バクテリオロドプシンは全トランス型のレチナールを含み、光照射によりピコ秒オーダ ーで C13=C14 結合がシス形の K 中間体に変わり、L→M→N→O などの中間体を経て始状態 に戻る。低温で中間体を安定させ、時間分解測定法を用いてバクテリオロドプシンの共鳴ラ マンを測定したところ、中間体の変化とレチナールのシッフ塩基部位のプロトン化 / 脱プロト ン化が同時におきていることがわかった4。 銅イオンを活性中心にもち、チオラートS—から Cu(II)への電荷移動吸収帯に由来する強 い青色を呈するブルー銅タンパク質は植物の光化学系や微生物の硝酸呼吸において電子 移動タンパク質として機能する。共鳴ラマンスペクトルによって多くのブルー銅タンパク質の 活性中心の構造が議論されてきている。Dave らはアズリンのミュータントと、システインの S 原子を同位体ラベルしたアズリンを用いて Cu(II)-S- の振動モードの帰属をおこなった 5 。 Cu-S-の結合距離とラマンシフトの相関、活性中心の構造とラマンシフトの相関について、銅 タンパク質全般にわたって議論されている。Kohzuma らは、中性付近とアルカリ性領域での 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 シュウドアズリンの共鳴ラマンスペクトルを測定し、EPR や吸収スペクトルの結果とあわせて、 アルカリ性領域において軸配位子であるメチオニンの S 原子と銅イオンの結合が弱くなり、 活性中心の構造が変化するというアルカリ構造転移を報告し、電子移動機能との相関につ いて議論を行っている6。 紫外共鳴ラマン分光法 タンパク質や核酸などの多くは可視部に吸収帯を有さないため、ラマンスペクトルによる構 造や反応の研究は困難であった。また、銅イオンを有するタンパク質のうちブルー銅蛋白質 と呼ばれる一連のタンパク質は酸化型においてのみ強い青色を呈するが、還元型になると この青色は消失するため、還元型における活性中心近傍の構造を得ることは困難であった。 しかし、近年、安定した紫外域のレーザーの開発と感度の高いCCD検出器の開発によって 紫外域での共鳴ラマンスペクトルが得られるようになってきた。タンパク質の紫外共鳴ラマン スペクトルにおけるターゲットはペプチド結合のような骨格構造、フェニルアラニン、チロシン、 トリプトファンなどの芳香族アミノ酸の側鎖、そしてヒスチジンのイミダゾール基である。また、 核酸ではそれぞれの塩基が紫外共鳴ラマンスペクトルの測定対象となる。これらの発色団か ら得られる振動スペクトルには発色団のおかれている環境やコンフォメーションを鋭敏に反 映するマーカーバンドとよばれるラマンバンドが少なからずあり、反応の前後や基質の結合、 タンパク質分子間の相互作用などを詳細に調べる重要な手がかりとなる。タンパク質中にお いて骨格構造をなすペプチド結合は 195 nm 付近に、フェニルアラニンは 210 nm に吸収帯 を有するので、206.5 nm の紫外レーザー(Kr+413.1 nm の倍波)によって構造変化を調べる ことが出来る。チロシンとトリプトファンは 280 nm 付近に吸収極大を有するが、この吸収帯を 励起すると蛍光が出るために紫外共鳴ラマンスペクトルの測定には向かない。しかし、235 nm(クマリン色素レーザー470 nm の倍波)を励起光とすると、紫外共鳴ラマンスペクトルを測 定することが出来る。パルスレーザーの利用は短寿命種の構造変化を調べる上でとても重 要である。また、244 nm の紫外レーザー(Ar+488 nm の倍波)によって励起すると相対的に チロシンの寄与が減り、ヒスチジンイミダゾールの寄与が大きくなるため、タンパク質中にお いて活性中心となっていることの多いヒスチジン残基の構造を研究する上で重要である。ま た、酵素反応のターンオーバー中や基質との特異的相互作用によってチロシンが解離しチ ロシネートとなるとチロシン残基の吸収帯は長波長側へとシフトし、特異的にチロシネートの 存在を検出できるようになる。図1のアミノ酸の吸収スペクトルをみてもわかるように、260 nm 付近はトリプトファンを除いて吸収強度が小さい。核酸塩基は 260 nm に吸収極大を示すた め、257 nm のレーザーで励起することによってタンパク質と結合した核酸の様子を調べるこ とも可能である。また、短波長側の波長を選択すると核酸との結合によるタンパク質構造の 変化を調べることも可能である7,8。 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 (a) pH 4.0 (b) pH 6.9 (c) pH 11.0 図1 酸性、中性、塩基性におけるアミノ酸の紫外域での吸収スペクトル 図2(b) 各pHにおけるチロシンの紫外共鳴 図2(a) 中性域における種々のアミノ酸の紫 ラマンスペクトル(244 nm 励起) 外共鳴ラマンスペクトル(244 nm 励起) いくつかのアミノ酸の 244 nm 励起で得られる紫外共鳴ラマンスペクトルを図2に示す。図2 (a)はチロシン、トリプトファン、フェニルアラニン、ヒスチジンの中性pH域での紫外共鳴ラマン スペクトルである。これらのアミノ酸由来のラマンバンドはタンパク質の中で特殊な環境にお 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 かれたりすることによって、ラマンバンドがシフトしたり、強度比が変化する。これらの構造マ ーカーバンドを手がかりにしてタンパク質の局所構造解析は行われる。 チロシンの pHを変化させて測定した紫外共鳴ラマンスペクトルを図2(b)に示す。フェノール 性水酸基が解離しチロシネートになると、図1(c)に示したように吸収帯が長波長側へとシフト し、244 nm 励起で強いラマンバンドを与えるようになる。チロシンの 1616 cm-1 に現れるラマン バンド(Y8a)は、チロシネートになると 1604 cm-1 にシフトする。このため、チロシネートに由来 し、1600 cm-1 付近に現れるラマンバンドはチロシン側鎖の pKa を求めたり、タンパク質中のチ ロシネートの検出に使うことができる9。 トリプトファンは強いラマン散乱を与えるアミノ酸である。880 cm-1 付近の振動 W17 はインド ール環 NH 基の水素結合の強さを反映し、水素結合が強いほど低波数側にラマンバンドを 与えるため水素結合マーカーバンドとして有用である。1360 / 1340 cm-1 のラマンバンドの強 度比は、トリプトファンインドール環の環境を反映する。強度比 I (1360) / I (1340)が 1 よりも大 きい場合疎水的環境にあり、1 よりも小さい場合は親水的環境にあると考えられる。ペプチド 主鎖とインドール間をつなぐ CαCβ-C3C2 結合周りの 2 面角χ2,1 もラマンシフトに影響を与える ことが知られており、主鎖に対するインドール環の配向状態を調べるのに有効である 10。 ヒスチジンイミダゾールの紫外共鳴ラマンスペクトルはタンパク質中におけるヒスチジンの状 態を知る上で重要である。ヒスチジンイミダゾールの紫外共鳴ラマンスペクトル(図3)では、 重水中酸性条件下でヒスチジンイミダゾリウムになることによって強度が極めて大きくなり複 雑に分裂していた振動モードが一つのバンドへと収束する 11。このラマンバンドは NCN 対称 伸縮振動と ND 対称変角振動の混成モードであると帰属されている 12 。このラマンバンドは 重水中でイミダゾール環の N が重水素化されたときに現れることから、重水中で pH*をかえ てこのバンドをモニターすれば、ヒスチジン側鎖の pKa を求めることができる。1602 cm-1 付近 の鋭いラマンバンドはイミダゾール環の C4C5 伸縮振動に由来するものであると帰属されてお り、そのラマンバンドは CαCβ-C4C5 がなす二面角χ2,1と一次の相関があることが知られている ため、ラマンバンドの位置からヒスチジンに関する立体構造情報を得ることができる 13。また、 重水中において金属イオンと結合することによっても同様の現象が起こることが見出されて おり、ヒスチジンイミダゾールの構造情報を得る重要な手がかりである。金属イオンが結合し ているときはヒスチジンイミダゾリウムよりも低波数側にラマンバンドは見出される。ヒスチジン イミダゾールの2つの窒素のうちπ位の窒素で金属イオンに配位したときは1385 cm-1 付近に、 τ位の窒素で金属イオンに配位した場合は 1350 cm-1 付近に現れる。1602 cm-1 にあった C4C5 伸縮振動に由来するラマンバンドはヒスチジンの金属イオンへの配位に伴い低波数側 へシフトし、1580∼1560 cm-1 付近に与えられることが知られている 14。 タンパク質の紫外共鳴ラマンスペクトル ヘモグロビンにはα鎖に 10 個、β鎖に 8 個のアミノ酸残基を含み、それらはヘム近傍およ 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 び、サブユニット界面で機能発現に深くかかわっている。酸素が解離した T 状態と結合した R 状態では、活性中心および4次構造が大きく変化する。Spiro らは pH を変化させて測定し た 229nm 励起による紫外共鳴ラマンスペクトルから、ヒスチジン残基に由来するラマンバンド を帰属し、Bohr 効果に関与するヒスチジンの機能を詳細に議論できる可能性について指摘 した 15。また、Nagai らはヘム鉄の配位子である近位ヒスチジン Hisα87 がチロシンに変異し た天然変異体について紫外共鳴ラマンスペクトルおよび可視共鳴ラマンスペクトルの測定を 行い、活性中心における酸素分子の結合状態についての議論を行った 16。 西洋わさびペルオキシダーゼ(HRP)は鉄プロトポルフィリン IX を補欠分子族として含むヘ ムタンパク質であり、過酸化水素による有機化合物の酸化を触媒する。ヘムの第 6 配位座側 には His42(遠位 His)、Arg38、Asn70 などのアミノ酸側鎖が存在しており、機能発現におい て重要な役割を有することが知られている。遠位ヒスチジンを他のアミノ酸に置換すると活性 が著しく低下することから、遠位ヒスチジンが過酸化水素分解の際の一般酸塩基触媒として、 重要な役割を担っていると考えられている。西洋わさびペルオキシダーゼの立体構造は 2.0 Å分解能で X 線結晶構造解析により明らかにされているが、遠位ヒスチジンの構造につい ては不明な点が多かった。この遠位ヒスチジンについて紫外共鳴ラマン分光法を適用するこ とにより、反応中間体における遠位ヒスチジンの構造が Hashimoto らによって明らかにされた 17 。 SOD は細胞質からスーパーオキサイド O2-・を O2 と H2O2 に不均化する反応を触媒する酵 素であり、医学的あるいは化粧品などの観点から興味深い酵素である。真核生物の SOD は 銅と亜鉛を活性中心に含み、銅イオンには3つ、亜鉛イオンには2つのヒスチジンがそれぞ れ配位し、ひとつのヒスチジンが銅イオンと亜鉛イオンに配位した架橋構造をとっている。酵 素反応中においてこの架橋ヒスチジンの構造がどのようになるのかが、反応機構を理解する 上での重要なポイントの一つである。紫外共鳴ラマンスペクトルによる研究の結果、還元体 のSODでは、架橋イミダゾレートがπ位の窒素原子で金属イオンに結合していることを見出 し、SOD の反応機構を考える上で重要な知見を与えた 18。 ブルー銅タンパク質シュウドアズリンの金属イオン特異性が 235 nm 励起による紫外共鳴ラ マンスペクトルによって調べられた 19 。脱窒菌由来のシュウドアズリンは、亜硝酸還元酵素へ の電子供与体として機能している。分子量は 14000、124 アミノ酸残基からなり、活性中心に はひとつの銅イオンを含むブルー銅タンパク質である。ブルー銅タンパク質とは、可視部 600 nm 付近に通常の銅錯体では見ることの出来ない吸収帯を有しているため、非常に印象 的な青い色をもつタンパク質である。シュウドアズリン全体の分子構造は基本的にβバレル 構造であり、活性中心はループ部位に存在するシステイン Cys78、メチオニン Met86、2つの ヒスチジン His40 と His81 が銅イオンに配位した歪んだ四面体構造をとっている(図4)20。活 性中心である銅イオンは簡単に除去することが可能であり、他の金属イオンに容易に置換 可能である。 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 図3 244 nm 励起によるヒスチジンの紫外共鳴ラマンスペクトル。下2つのスペクトルはいず れも軽水 H2O 中で得られたスペクトルであり、上2つのスペクトルは重水 D2O 中での 測定結果である。 H81 Cu H40 M86 C78 図4(a) シュウドアズリンの分子構造。 図4(b) シュウドアズリンの活性中心 図5に種々のpHにおける酸化型シュウドアズリン(Cu(II)PAz)の 235 nm 励起による紫外共 鳴ラマンスペクトルを示した。Cu(II)PAz の紫外共鳴ラマンスペクトルは、1612 cm-1 、1206 cm-1、および 1176 cm-1 にチロシン残基に由来するラマンバンドを、1469 cm-1 と 1448 cm-1 に プロリンイミドのC−N伸縮振動に由来するラマンバンドを、銅イオンにπ位の窒素で配位し 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 たヒスチジン由来のラマンバンドを 1384 cm-1 に与え、酸性条件下で配位に関与していない His6 由来のラマンバンドを 1404 cm-1 に与えた。1283 cm-1 のラマンバンドは金属イオンに配 位したヒスチジンイミダゾール環の呼吸振動モードに対応するものであり、ヒスチジンイミダゾ ールが金属イオンに配位しているかどうかを調べることができる。 銅イオンが1価の銅イオンに還元されたシュウドアズリン(Cu(I)PAz)では中性pHにおいて 1384 cm-1 のラマンバンドは消失し、酸性pHにすると 1408 cm-1 のラマンバンドの強度が増大 することがわかり、酸性条件下で His81 が銅イオンから解離していることを明らかにした(図 6)。244 nm 励起での詳細な紫外共鳴ラマンスペクトルの測定によってシュウドアズリン中の すべてのヒスチジン残基の帰属が行われ、Cu(II)PAz で見出された 1384 cm-1 のラマンバンド は Cu(I)PAz では 15 cm-1 ほど低波数側へとシフトしていることが明らかとなった。これは、 Cu(I)PAz において1価の銅イオンからヒスチジンイミダゾールへのπバックドネーションによ るためであると解釈された 21。 図7は金属イオンを除去したアポ体の紫外共鳴ラマンスペクトルである。金属イオンを除去 したアポ体では、プロリン由来のラマンバンドが特異的に変化することが紫外共鳴ラマンス ペクトルからわかり、タンパク質骨格部分の構造変化が起こっていることが明瞭にわかる。 シュウドアズリンの活性中心の銅イオンを亜鉛(II)やカドミウム(II)およびニッケル(II)イオン で置換した金属置換体の紫外共鳴ラマンスペクトルのpH依存性を検討した結果、プロリン 由来のラマンバンドが酸性条件下で変化し、金属イオンを除去したアポタンパク質と同じラ マンバンドを与えることが見出された(図8)。このような変化は Cu(II)PAz や Cu(I)PAz では見 出されず、シュウドアズリンの金属イオン特異性がはじめて示された。このことは機能を発現 するために必要なターゲット金属イオンを何らかの形でタンパク質が認識していることを示唆 するものである。 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 図5 種々のpHにおける酸化型シュウドア 図6 種々のpHにおける還元型シュウドア ズリンの紫外共鳴ラマンスペクトル(235 nm ズリンの紫外共鳴ラマンスペクトル(235 nm 励起) 励起) 図7 活性中心から銅イオンを取り除いたア 図8 亜鉛イオン置換シュウドアズリンの紫 ポシュウドアズリンの紫外共鳴ラマンスペク 外共鳴ラマンスペクトル(235 nm 励起)のp トル(235 nm 励起)のpH依存性 H依存性 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 シダ植物由来のプラストシアニンの特異的構造と機能制御 シアノバクテリアおよび高等植物の光合成は2つの光化学システム、Photosystem I および Photosystem II がリンクして行われている。この2つの光化学システムをつなぐ役割をするタ ンパク質がプラストシアニンであり、1960年に東京大学の加藤らによってクロレラから発見さ れ、クロロプラストから得られる青色のタンパク質であることからプラストシアニンと名付けられ た 22。プラストシアニンはチトクロームb6f複合体からの電子を Photosystem I へと運搬する役 割を担っている電子伝達タンパク質である(図9)。また、前出のシュウドアズリンと同様ブル ー銅タンパク質ファミリーに属する。 図9 植物の光合成の模式図:チトクロームb6f複合体からの電子はプラストシアニンを経て 光化学系Ⅰへと伝達される。 Freeman らによって、ポプラ由来のプラストシアニンについて最初のX線結晶構造解析が 行われ 23 、Freeman らは詳細な研究から、酸性条件下において還元型のプラストシアニンで は、4つの配位アミノ酸のうち溶媒側に露出しているヒスチジン残基が銅イオンから解離する 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 ことを報告した 24。同時に、Sykes らは、プラストシアニンの電子移動反応が酸性条件下で抑 制されることを見出し、チラコイド膜における電子伝達のスイッチングに関するアイデアを提 唱した 25 。高等植物由来のプラストシアニンは活性中心近傍に酸性アミノ酸残基が集中して いる acidic patch とよばれる領域があり、この acidic patch を通してチトクロームb6f複合体中の チトクロームfと相互作用することが Ubbink によってNMRにより明らかとなった 26。また、チト クロームfとの相互作用によって活性中心構造が変化し、酸化還元電位が変化することが Hirota らによって報告されている 27。 東邦大学の吉崎はプラストシアニンのアミノ酸配列からの分子進化系統樹を作製し、植物 の進化についての考察を行っていたが、1997年にシダ植物であるオシダから得られたプラ ストシアニンのアミノ酸配列が他の高等植物由来のプラストシアニンとは極めて異なることを 見出し、シダ植物は現在の高等植物の直接の祖先ではないことに気づいていた。高妻らは このオシダ由来のプラストシアニンを大量に精製し、吸収スペクトルを測定したところ、高等 植物のプラストシアニンが 597 nm に吸収極大を示すのに対し、オシダから得られたプラスト シアニンは 590 nm に吸収極大を有し、共鳴ラマンスペクトルも高等植物由来のものとは異な るタイプのブルー銅活性中心であることを示唆した。更に、酸化還元電位も 387 mV と高等 植物由来のプラストシアニンよりは約 20 mV ほど高い酸化還元電位を有することが明らかと なった。電子移動反応のプローブとして有効なフェリシアン錯体やトリスフェナントロリンコバ ルト錯体を用いて、電子伝達活性のpH依存性を調べたところ、従来、知られていた高等植 物のプラストシアニンでは酸性になると阻害されていた電子伝達活性が、むしろ高くなるとい う結果が得られた(図10)28。 大阪大学の井上・甲斐らによって行われたX線結晶構造解析の結果、オシダ由来のプラ ストシアニンは高等植物とは異なる分子構造(図11)および活性中心構造を有することが明 らかとなり、高等植物や緑藻では保存されている活性中心近傍のロイシン残基がフェニルア ラニン残基へと置換されていることが見出された 28,29。このフェニルアラニン残基への置換に よって、側鎖のベンゼン環と配位ヒスチジンイミダゾールとの間にスタッキング相互作用が生 じており(図12)、電子伝達活性が高等植物とは異なると結論された。シダ植物以外のプラ ストシアニンは酸性条件下でヒスチジンが銅イオンから解離するが、オシダ由来のプラストシ アニンのヒスチジンは酸性条件下でも解離しないことがX線結晶構造解析からも示された。 奇しくもこの新しく見つけられた相互作用は、Yamauchi らによって低分子モデル化合物に より予言されており 30、その化学的予測に従ってオシダ由来のプラストシアニンの構造と機能 との相関が説明されるに至ったが、このような相互作用が天然でのタンパク質中ではじめて 見出された例でもあり、新しいタンパク質機能のインテグレーションに大きな意味を持つもの と考えられる。また、シダ植物ではじめて構造の明らかにされたタンパク質でもあることから、 立体構造を加味した分子進化の解釈に意味を持つ。更に、興味あることにオシダ由来のプ ラストシアニンはプラストシアニン特有の acidic patch が高等植物とはまったく異なる場所にあ 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 ることがわかり、その相互作用の様式が高等植物とは異なることが Kostic らによって示され 31、 今後ますますシダ植物の光合成の仕組みについて興味が持たれるところである。 図10 プラストシアニンの電子伝達活性: 赤がオシダ由来のプラストシアニンであり、青が 高等植物タイプのプラストシアニンの電子伝達活性を示す。電子移動のプローブとしてはフ ェリシアン錯体を使用した。 図11 プラストシアニンの分子構造:左がオシダ由来のプラストシアニンであり、 右が高等植物タイプのプラストシアニンである。 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 図12 オシダ由来のプラストシアニンの活性中心。フェニルアラニンのベンゼン環とヒスチジ ンイミダゾールがスタッキングしている。 まとめ ここでは卑近な例として、タンパク質の金属イオンとの相互作用に関する紫外共鳴ラマンス ペクトルの例を、そして、X線結晶構造解析と分光学、反応化学の連携によって調べたプラ ストシアニンの例を紹介した。分子レベルでの生命現象の理解は、生命現象の構成要素で あるタンパク質や核酸などの生体分子の構造理解が極めて重要であり、その上で得られた 分子構造をみつめながら、その構造の移り変わりや基質や薬物との相互作用を分光学的に 調べることが重要であると思われる。生体分子の構造を結晶構造と分光学の立場から精緻 に調べることによって新しい機能性材料・薬物を創出するヒントも得られることかと思う。また、 生体分子の化学的な構造や反応のプローブを用いることが重要であるが、これは遺伝子工 学によるアミノ酸の置換によるところが大きく、そのためには高効率の発現系の作製や、ハイ スループットの遺伝子解析システムが重要な役割を担う。 構造生物 Vol.8 No.1 2002 年 5 月発行 謝辞 本稿を執筆させていただきます機会を与えてくださいました坂部知平先生に感謝いたしま す。 本稿で紹介させていただきました研究は多くの方々との共同研究による賜です。銅タンパ ク質の研究を始める機会をいただきました大阪大学理学研究科の鈴木晋一郎先生、プラス トシアニンの研究を始めるきっかけを与えてくださり、たえず有意義な御助言をしてくださる 東邦大学吉崎文則先生、X線結晶構造解析を行っていただき、結晶構造から見るタンパク 質の構造に重要なアドバイスをいただきました大阪大学大学院工学研究科の甲斐 泰先 生・井上 豪先生、紫外共鳴ラマンスペクトルを測定するために機器のご便宜をはかってい ただき、多くのアドバイスをいただきました分子科学研究所の北川禎三先生・長友重紀先生 にこの場を借りて厚く御礼申し上げます。 有意義な御助言を賜りましたシドニー大学(オーストラリア)の Freeman 先生、共同研究者と して恒に御支援をいただいておりますアイオワ州立大学(アメリカ合衆国)の Kostic 先生、ラ イデン大学(オランダ)の Ubbink 博士、ニューカッスル大学(英国)の Dennison 博士、ロサリ オ大学(アルゼンチン)の Vila 博士に感謝いたします。また、膨大な実験データを得るため に尽力してくれた学生諸氏に感謝しいたします。 そして、生命現象を化学構造から出発して考察することの重要さを御教示いただきました 名古屋大学名誉教授の山内 脩先生とニューカッスル大学名誉教授の Sykes 先生に感謝 いたします。 References 1. 新村信雄、構造生物、7, 1-17 (2001). 2. 北川禎三、A. 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