謎は 2 枚の写真背景から

“モニュメント”は、神戸病院・医学専門学校時代のもの!
謎は 2 枚の写真背景から
ニュースレター第 7 巻第 2 号 34 頁に紹介した
左の写真は、小川瑳五郎兵庫県立医学専門学校
初代校長(昭和 19―21 年)また、県立神戸病院
長(昭和 3-21 年)です。これがいつ撮影され
たのか、撮影場所はどこなのか、ご次男の小川
晶三先生(昭和 32 卒・神緑会会員)を通じて
ご親族の方にも照会していただきましたが、明
らかな回答はありませんでした。
下の写真は、神戸医科大学・昭和 28 年卒業の
アルバムからで、同じモニュメントを見つけま
した。
写真に掲載の卒業生の方(6 名中 3 名は故人)
に確認しましたが確かな情報は得られませんで
した。
『昔は女学校の校舎を譲り受けて授業をし
ていた。その付近だと思う』とのご意見はあり
ましたが、
『はっきり覚えていない』
、とのこと
でした(神戸市立第一・第二女子商業学校校舎
を転用。現在の基礎学舎の敷地内の一角でしょ
うか)
。
昭和 35 年から勤務されていた、元・大学職員に
伺い、関係の写真を総合すると、
『現在の大学敷
地内東側に県立がんセンターができる前の敷地
付近ではないか』
、をヒントに、伊藤博文公銅像
と東の寮、運動会風景の写真の奥に、このモニ
ュメントを見つけました。
ただし、上記 2 枚の写真は、モニ
ュメントは同じだが、卒業アルバ
ムでは背景と構造物や手前側の配
置が異なり、モニュメントの前か
ら小川元校長の立つ位置は卒業ア
ルバムのものと異なっている。
3 枚目の写真(昭和 19-20 年)
は、同運動会の写真の一部を拡
大・切り抜きましたが、綱引きの
右端にこのモニュメントが見えま
す(左上は、大倉山公園の伊藤博
文公銅像、その下の 2 階建ての建物は、職員クラブかと思われます)
。
更に、昭和 19 年の兵庫県立医学専門学校発足時や、昭和 20 年の空襲時の写真ではグ
ランド(患者遊歩道)が残っているが*1、昭和 37 年には財団法人兵庫県がんセンターが
建設され、向南寮、手術棟に加え児童相談所が建設されており*2、元のモニュメントは移
設などで、小川元校長のゆったりとした撮影時の状況ではなくなった、と考えられます。
(以
上)
不明な点
1.
モニュメント設置の意図は何か?
2.
モニュメント移設も含め撤去に至った時期や理由は何か?
3.
児童相談所とモニュメントの関係や基礎学舎への移転の可能性等、お気づきのこと
がございましたらどうかご教示ください。
*1 昭和 26 年 10 月の「建築概要―兵庫縣立医科大学・附属病院」では「職員クラブ」と
明記され、これら西側一帯の患者遊歩道(庭園)が、
「病室新築計画中」とした図面があり
ます。
*2 昭和 32 年 11 月の「神戸医科大学大学院設置認可申請書」校地校舎等建物附図(兵庫
縣)には、児童相談所の北側に放射線同位元素治療室、そのまた北側に職員クラブが認め
られます。