シシャパンマ中央峰.登頂記(8008m)(PDF形式)

2004年9月1日~10月7日
(66歳)
東三河山ぽ会会員
㈱マサキクリーニング社長
㈱マサキクリーニング社長
政木通弘
0
シシャパンマ中央峰
シシャパンマ中央峰(8008m)
8008m)
66歳での登頂記録
66歳での登頂記録
(㈱)マサキクリーニング社長
(㈱)マサキクリーニング社長 政木通弘
夢のまた夢の8000m峰に2004年9月27
夢のまた夢の8000m峰に 2004年9月27
日登頂出来、未だに夢心地でおります。
登頂出来、未だに夢心地でおります。
登頂した年齢・
登頂した年齢・66歳
年齢・66歳7ヶ月23日は
66歳7ヶ月23日は日本ヒマラヤ協
7ヶ月23日は日本ヒマラヤ協
会のヒマラヤNo.399号・『八千メートル峰高齢
実登頂者リスト』に著名な登山家と並びベスト8でラ
ンクされ全く驚きやら感激です。
私は生まれながらに自家中毒がひどく春秋7~1
私は生まれながらに自家中毒がひどく春秋7~1
0日位はゲロして、
0日位はゲロして、にがく黄色い胃液まで嘔
にがく黄色い胃液まで嘔いていま
いていま
した。成長するにつれ期間が短く、症状も軽くはなり
ましたが常に胃の入口に塊がある感じで体を後ろに
ましたが常に胃の入口に塊がある感じで体を 後ろに
そらす事がはばかれました。
健康になりたくて早稲田
健康になりたくて 早稲田大学に入学し
早稲田 大学に入学した
大学に入学し た 18歳から
登山を始めました。その頃
登山を始めました。その頃、
ました。その頃、先輩からマッターホルン
の写真を見せられ更に
の写真を見せられ更にのめり込むようになりました。
更にのめり込むようになりました。
(㈱)リコーのサラリーマン生活も
(㈱)リコーのサラリーマン生活も暇を惜しんで山に
サラリーマン生活も暇を惜しんで山に
登る日々を過しましたが、父が癌になり豊橋に帰って
からは寝る時間を惜しんで
からは寝る時間を惜しんで仕事漬けになりました。
寝る時間を惜しんで仕事漬けになりました。
50歳を過ぎ昔の山を登るうち段々と若い頃身に付
50歳を過ぎ昔の山を登るうち段々と若い頃 身に付
け体力やら
け体力やら自信が
自信が戻ってきました。
登山のサークル《東三河山ぽ会》に入会
登山のサークル《東三河山ぽ会》に入会し仲間と
のサークル《東三河山ぽ会》に入会し仲間と楽し
し仲間と楽し
く過せるレベルまでになりました。
く過せるレベルまでになりました。
18歳からの初恋の山マッターホルンに58歳で登
18歳からの 初恋の山マッターホルンに58歳で登
頂し思いをとげ『40年来の夢 孤峰の頂 己の足音
のみ』と全紙に現代詩文で書き雲龍会の社中展に出品
のみ』と全紙に現代詩文で書き雲龍会の社中展に出品
できました。
ヨーロッパアルプスには2度、
ヨーロッパアルプスには2度、1996年と1998
年に家内と一緒に
家内と一緒に出掛け7峰登頂しました。
一緒に出掛け7峰登頂しました。(家内も
3峰登頂)
2002年にはシルバータートル会(田部井淳子・渡
2002年にはシルバータートル会(田部井淳子・渡
辺玉枝・石川富康等がメンバー)
辺玉枝・石川富康等がメンバー)3次隊
等がメンバー)3次隊で
3次隊で未踏のチベ
未踏のチベ
ット最大の氷河・来古氷河(ライグ)最奥の
最奥の探査(5600
m)を成し遂げました。
m)を成し遂げました。
2004年3月エベレスト・ビュウポイントのひとつ
カラパタール(5545
カラパタール(5545m)へ仲間と家内とで登頂した時
5545m)へ仲間と家内とで登頂した時
シシャパンマ(8008
シシャパンマ(8008m)の計画
8008m)の計画を知りました。
m)の計画を知りました。
6000m、7000mの経験がないので躊躇があり
6000m、7000mの経験がないので躊躇があり
ましたが山登りする者として8000m峰登頂は夢
ましたが山登りする者として 8000m峰登頂は夢
のまた夢のことです。別世界のことと思いつつも胸の
何処かで求めていたことです。家内と息子が応援して
何処かで求めていたことです。家内と息子が応援して
くれ実現しました。感謝・感謝です。
東京都飯田橋のアドベンチャーガイズ(以下AG
東京都飯田橋のアドベンチャーガイズ (以下AG
社)の公募隊に参加しました。
社)の公募隊に参加しました。9月
の公募隊に参加しました。9月 1 日~10且 7 日
の37
の37日間です
日間です。
です。
隊長の大蔵喜福は冬期エベレスト北壁
隊長の大蔵喜福は冬期エベレスト 北壁最高高度保持
北壁 最高高度保持
者で二十数年間破られずに保持しており、登頂率の大
変高い方でひげの大蔵
のニックネーム で知られてい
変高い方で ひげの大蔵のニックネーム
ひげの大蔵 のニックネームで知られてい
ます。
参加申込書や規定の健康診断書、パスポートを郵送
参加申込書や規定の健康診断書、パスポートを郵送
することから始まり、高所用の装備を買い足しました。
高所用羽毛ヤッケ、
高所用羽毛ヤッケ、羽毛ズボン下、羽毛オーバー手袋、
高所用プラブーツ、アイゼン
高所用プラブーツ、アイゼン等を東京・新大久保の石
用プラブーツ、アイゼン等を東京・新大久保の石
井スポーツで購入
井スポーツで購入しました。
購入しました。
8月10日までに別送品として、入山したあと
8月10日までに別送品として、入山したあとABC
別送品として、入山したあとABC
(アタックベースキャンプ 5700m
5700m)まで梱包を
)まで梱包を開け
梱包を開けられ
開けられ
ない高所
ない高所用
用
登攀装備を事前に箱詰めしてAG社に送
登攀装備を事前に
箱詰めしてAG社に送
高所
くりました。
くりました。
春のクリーニングの繁忙期が過ぎると9月1日の
春の クリーニングの繁忙期が過ぎると9月1日の
出発までに時間がありません。
ザイルパートナーの内橋和義と3回富士山山頂で宿
ザイルパートナーの内橋和義と3回富士山山頂 で宿
泊し高所順応をして出発前の仕上げにしました。
シシャパンマ(8008
シシャパンマ(8008m)はチベット語で“厳しい天
8008m)はチベット語で“厳しい天
候の山、生き物も植物も育たない地”の意味です
候の山、生き物も植物も育たない地”の意味です。
この山はインド、ネパール側ではゴザインタン(聖者
の居所)と呼ばれていたが、現在では国際的にシシャ
パンマと呼ばれている。
山頂、登攀ルートはチベット自治区ニューラム県にあ
りチョモランマ西北120kmに位置する。地
りチョモランマ西北120kmに位置する。地球上第
西北120kmに位置する。地球上第
14番目の高峰である。
ヒマラヤン・ジャイアンツ14座の中で登頂されたの
は一番遅く、1964年5月、
は一番遅く、1964年5月、中国隊によって初登頂
された。その後、足場が余りにも悪いためか2003
年までに201人しか登頂されてない。(2004年
度の春秋の登頂者は未だ発表されてない)
度の春秋の登頂者は未だ発表されてない)
主峰は8027mあるが中央峰からのトラバースで
主峰は8027mあるが中央峰からのトラバース で
雪崩事故が非常に多いため、現在では中央峰登頂をも
って国際的に登頂と見なされている。
って国際的に登頂と見なされている。
⒈ アプローチ
【9月⒈日】成田空港
【9月⒈日】成田空港――
成田空港――バンコク泊
――バンコク泊
応募者6名と隊長・大蔵喜福、副隊長・近藤明が
応募者6名と隊長・大蔵喜福、副隊長・近藤明が全
藤明が全
メンバーである。大蔵は昨日すでに出発しており、7
名が成田
名が成田空港ロビーで初顔合わせ
成田空港ロビーで初顔合わせを
空港ロビーで初顔合わせをする。
する。
隊員・6名
隊員・6名の
6名の平均年齢は
平均年齢は61歳の年寄パーティーだが
61歳の年寄パーティーだが、
歳の年寄パーティーだが、
内4名がリタイヤー組みだ。リタイヤー組のうち2名
はチョー・オユー(8201
はチョー・オユー(8201m)のサミッターであとの2
8201m)のサミッターであとの2
名が6000m~7000mの経験者、それぞれ
名が6000m~7000mの経験者、それぞれの
それぞれの山
暦もさることながら登山では
暦もさることながら 登山では現役バリバリの猛者ば
登山では 現役バリバリの猛者ば
かりのよう
かりのようだ。
のようだ。
6000m以上の未経験者は私と45歳公務員の二
人だけだ。彼は
人だけだ。彼はヨーロッパ・アルプスの4000m台
だけの経験しかないが現役真っ盛りのタフガイだ。
だけの経験しかないが現役真っ盛りのタフガイだ。
家族に見送られ成田を
家族に見送られ成田を出発
成田を出発する
出発する。
する。
ンズより豊かである。
1時間半ほどでヒマラヤン・
1時間半ほどでヒマラヤン・ホテルに着く。2年前に
宿泊しており、チベット登山協会が経営するレストラ
ンに隣接している。
余り熱くならない薄茶色のお湯の
余り熱くならない 薄茶色のお湯のバスにつかり心身
薄茶色のお湯の バスにつかり心身
をほぐす。
【9月5日】ラサ泊
【9月5日】ラサ泊
ラサはチベット最大の
ラサは チベット最大の都会で中心地
チベット最大の 都会で中心地にはビルが林
都会で中心地 にはビルが林
立し、新しい物と古い物とが混合した活気に満ちた都
市です。標高が3650mあり街の散策が高所順応に
なっている
なっている。
朝、1409年建立の甘丹寺(ガンデンジ
朝、 1409年建立の甘丹寺(ガンデンジ)
1409年建立の甘丹寺(ガンデンジ )4300
4300
mに出掛け観光後、更に200m程高い裏山で高所順
応をする。
午後、五体投地の大昭寺、チベット仏教の本山ポタラ
宮殿を観光する。
高所撮影用に持ってきた写真機・コンタックスのフ
ィルム枚数の目盛りが壊れているのか写真機自体が
【9月2日】バンコク
ィルム枚数の目盛りが壊れて いるのか写真機自体が
【9月2日】バンコク――
バンコク――カトマンズ泊
――カトマンズ泊
カトマンズでは昨日、囚われていたネパール人
不調なのか調べるべく、
カトマンズでは昨日、囚われていたネパール人12
昨日、囚われていたネパール人12
不調なのか調べるべく、フィルム1本を
フィルム1本を撮影し
撮影しDPE
名がイラクで殺害された。
に出す。日本同様数時間後に出上がるので夕食後引取
イラクで殺害された。報復にモスクやイスラム系
企業のビル、カタール空港ビル等を焼く暴動が起きる。 りに行く。しっかり写っており安心する。
りに行く。しっかり写っており安心する。
街角に銃を持った兵隊が数人ず
街角に銃を持った兵隊が数人 ず つ立っているだけで
街並みに人影が無い。終日戒厳令が出され、
【9月6日】ラサ
街並みに人影が無い。終日戒厳令が出され、『ツーリ
【9月6日】ラサ――
ラサ――シガツェ
――シガツェ(
シガツェ(3860m
3860m)泊
スト・オンリー』の張り紙のワゴン車だけが通行可能
トヨタのランドクルーザー2台に分乗し
トヨタのランドクルーザー2台に分乗し、ガタガタ
2台に分乗し、ガタガタ
とみえ、空港からシンギ・ホテルに向かう。
とみえ、空港からシンギ・ホテルに向かう。
道を360km走りチベット第二の都市シガツェに
向う。
【9月3日】カトマンズ泊
出発発してすぐ、
【9月3日】カトマンズ泊
出発発してすぐ、地熱発電所があるヤンパーチンの
戒厳令が出ているのでシンギ・ホテルの裏のレーガ
村が現れる。土壁の
戒厳令が出ているので シンギ・ホテルの裏のレーガ
が現れる。土壁の家々
。土壁の家々を通過してしばらくすると広
家々を通過してしばらくすると広
ル・トラベルの庭ま
大に広がるチベット高原からニャンチェンタンラ山
トラベルの庭まで走りこみ、サーダー(シェルパ
走りこみ、サーダー(シェルパ
大に広がるチベット高原から ニャンチェンタンラ山
頭)やシェルパ、コックと顔合わせをする。
頭)やシェルパ、コックと顔合わせをする。テント、
やシェルパ、コックと顔合わせをする。テント、 脈のマーチャンチョモ
脈のマーチャンチョモ(
マーチャンチョモ(7001m
7001m)を見ることが出来
)を見ることが出来撮
見ることが出来撮
装備の点検、梱包、出発準備を見守る。
影する。
朝、夕の通勤時間は戒厳令が解かれるのはのんびり
途中 シャクラ峠(5285
朝、夕の通勤時間は戒厳令が解かれるのはのんびり
シャクラ峠(5285m
5285m)、 ドングラ峠(
ドングラ峠(4845
峠(4845m
4845m)
ムードのネパールらしい。
を越える。ダードカー
を越える。 ダードカーでヤルツァンポー河の
ダードカー でヤルツァンポー河の渡し跡
でヤルツァンポー河の 渡し跡
(3810m)を渡る。
3810m)を渡る。大蔵が
)を渡る。大蔵が春
大蔵が春、チョモランマ遠征
チョモランマ遠征
【9月4日】カトマンズ
で通過した時まで
【9月4日】カトマンズ――
カトマンズ――ラサ
――ラサ泊
ラサ泊
で通過した時 までは
まで は 渡し船だったが数ヶ月で
渡し船だったが 数ヶ月で立派な
数ヶ月で 立派な
シェルパ達は数日後、
橋に架け変わっている。
シェルパ達は数日後、カトマンズから山道を辿り
カトマンズから山道を辿りコ
辿りコ
橋に架け変わっている。河に沿って西進しチベット第
河に沿って西進しチベット第
ダリを通過し、
二の街・シガツェに着く。
ダリを通過し、国境の街ザンムーからチベット
通過し、国境の街ザンムーからチベット入り
国境の街ザンムーからチベット入りし
入りし
二の街・シガツェに着く。 HOTEL MANAS
て、二日間で
AROVAR(神湖酒店)泊
て、二日間でTBC
二日間でTBC(
TBC(5000m)に到着するルートをと
5000m)に到着するルートをと
る。
私たち日本隊はカトマンズから空路でチベット最
大の街・ラサ
大の街・ラサに飛ぶ。
ラサに飛ぶ。
トヨタのランドクルーザーで
トヨタのラ ンドクルーザーで高所
ンドクルーザーで 高所順応をしながら峠
高所 順応をしながら峠
を幾つも越え、広大なチベット高原を走り西方へ10
00km余
00km 余 り 先のTBCに向かいシェルパ達と合流
先のTBCに 向かいシェルパ達と合流
するルートをとる。
するルートをとる。
カトマンズを飛び立つとすぐ左にエベレスト、右にカ
ンチェンジュンガ、ジャヌーが見られ雲間からの姿は
圧巻である。
圧巻である。
ラサ空港は制服に身を固めた職員がやたらと目に
入り硬い雰囲気だ。空港、道路、
入り硬い雰囲気だ。空港、道路、街並み
道路、街並み全てがカトマ
街並み全てがカトマ
2
ユー、チョーアオイ、ナンパラ、チョーラプサンと並
び、私達を素晴らしいパノラマが出迎えてくれる。
朝日に輝いているヒマラヤの7000m~8000
朝日に輝いているヒマラヤの 7000m~8000
mの巨峰
mの巨峰群
巨峰群を眺め贅沢な山行を楽しむ。
山頂でやはり高所順応に来たセルビア隊と一緒に記
念撮影する
念撮影する。
する。(隊長ミーチョ・53歳)
帰途、 道端に高さ1m程の石に 赤字で 5192k
mとある。首都
mとある。首都・
。首都・北京からの距離だ。広大な国を統一
北京からの距離だ。広大な国を統一
する一つの手だて
する一つの手だてなのか。
の手だてなのか。
昼食後、車で20分程西に最近開発されたタムダ温泉
昼食後、車で20分程西に最近開発されたタムダ温泉
に出掛ける。室内(
。鉄分を含ん
に出掛ける。室内(40
室内(40 元)室外(12
元)室外(12 元)
。鉄分を含ん
だ自噴の温泉は湯量豊富で、私達だけでゆっくり寛ぐ
だ自噴の温泉は湯量豊富で、私達だけでゆっくり寛ぐ
ことが出来た。
今日を最後に入浴、ベッドでの就寝
今日を最後に入浴、ベッドでの就寝が24
での就寝が24日間お預
が24日間お預
けとなる。
【9月7日】シガツェ泊
【9月7日】シガツェ泊
手違えがあったのか電信會館
手違えがあったのか電信會館(リケゼ・テレコム・
電信會館(リケゼ・テレコム・
ホテル)へ移動
ホテル)へ移動する。向かい側のカラオケ・バーの嬌
へ移動する。向かい側のカラオケ・バーの嬌
声と車の騒音で全員寝不足。
タシルンポ寺参拝するが
タシルンポ寺参拝するが予定の裏山登らず。
するが予定の裏山登らず。
夕食後、隊長・大蔵の衛星携帯電話から
夕食後、隊長・大蔵の衛星携帯電話から家内に電話
隊長・大蔵の衛星携帯電話から家内に電話
する。1分20秒:6ドル。
する。1分20秒:6ドル。
【9月8日】シガツェ
【9月8日】シガツェ――
シガツェ――ティンリ(
――ティンリ(4415
ティンリ(4415m)
4415m)泊
m)泊
今日もガタガタ道を土煙をあげて走りツォーラ峠
(4475m
(5220
4475m)を越す、
)を越す、加措拉山(
加措拉山(Gyatsola Pass)
Pass)
m)での『ここよりチョモランマ国立公園』の横断幕
が目を引く。
広い高原のド真ん中の
広い高原のド真ん中の検査所(
原のド真ん中の検査所(4300
検査所(4300m
4300m)の役人が書類
に目を通し遮断機を上げる。
ティンリ手前で『左 チョモランマBC』の道標を
見る。
ティンリはチョモランマ、チョー・オ
ティンリはチョモランマ、チョー・オユー
・オユー、シシャパ
ユー、シシャパ
ンマへの最後の村になる。
ンマへの最後の村になる。
宿舎のエベレスト
宿舎のエベレスト・
エベレスト・ビューホテルと
ビューホテルとは名ばかり。土壁
名ばかり。土壁
の長屋造り
の長屋 造りで
造りで ,小さな裸電球
小さな裸電球が
裸電球がぶら下がっているだけ
の室内は暗いが
の室内は暗いが、
暗いが、木のベットの脇に転がっていた蝋燭
木のベットの脇に転がっていた蝋燭
に救われる。
外のトイレは板を二本渡しただけで、隣り合わせの便
座には間仕切りがないチベット式を見て、いよいよ登
座には間仕切りがないチベット式を見て、いよいよ登
山間近かを感じる。
シェルパ達
シェルパ達、サーダーと合流する。
チョー・オユーにチャレンジする仙台の高齢者7人の
チョー・オユーにチャレンジする仙台の高齢者7人の
パーティと同宿。他に外国隊2隊
パーティと同宿。他に外国隊2隊が居る
。他に外国隊2隊が居る。
が居る。
食堂を6年生位の女の子が大声で仕切っている。
食堂を6年生位の女の子が大声で仕切っている。将来
の肝っ玉母さん間違いなしだ。食事は野菜が多く大変
の肝っ玉母さん間違いなしだ。食事は野菜が多く大変
旨くおかわりを繰り返す。本日の
旨くおかわりを繰り返す。本日の走行距離310km
本日の走行距離310km
【9月10日】ティンリ
【9月10日】ティンリ――
ティンリ――TBC(
――TBC(5000
TBC(5000m)
5000m)
早朝出発し
早朝出発し、広大なチベット
広大なチベット高
チベット高原をひたすら走る。
原をひたすら走る。
我々の車と並行して
我々の車と並行し て 野生の小鹿や野生のロバが全力
で走る姿が印象的だ。
ガタガタ道の右に大きな湖を見る辺りから南に進む
と、雪をまとった山々が見られるようになりTBC
と、雪を まとった山々が見られるようになりTBC
(5000m)に到着
5000m)に到着する
m)に到着する。車両は此処まで、これからは
する。車両は此処まで、これからは
歩きと荷物はヤクで運ぶことになる。
TBCからの光景は、東の高台の下がテント場、南
に氷河が溶けて流れるナゴラド川越しに広大な高原
が広がり、その先に
が広がり、その先にモラメンチン、シシャパンマ、リ
、その先にモラメンチン、シシャパンマ、リ
スム、カンテンポチェ
スム、カンテンポチェが横たわる。西に異様な姿のラ
、カンテンポチェが横たわる。西に異様な姿のラ
ンタンリが低い山々を従えて構えている。北は我々が
入山して来たチベット高原でその先にドデカイ湖が
青く光っている。
TBCのテント場
TBCのテント場はナゴラド川沿いに
のテント場はナゴラド川沿いに、
はナゴラド川沿いに、チベット登山
協会の大テントが建ち、4人の中国役人が
協会の大テントが建ち、4人の中国役人が常駐し入山
許可、装備等の査察をしている。並ぶように
許可、装備等の査察をしている。並ぶように売店のテ
並ぶように売店のテ
ントと先着の東欧隊の数張のテントが張られている。
ントと先着の東欧隊の数張のテントが張られている。
東の山裾には白いコンクリート造りのトイレとゴミ
捨て場がある。
我々日本隊のテントは1人1張の割りで8張設営さ
我々日本隊のテントは 1人1張の割りで8張設営さ
れる。食堂用、炊事用、シェルパのテントと
れる。食堂用、炊事用、シェルパのテントと並び
炊事用、シェルパのテントと並び大所
並び大所
【9月9日】ティンリ泊
【9月9日】ティンリ泊
朝食後、少し離れた4710
朝食後、少し離れた4710mの山頂に高所順
4710mの山頂に高所順応に
mの山頂に高所順応に
出掛ける。
宿を出るとすぐ、チベット高原の南に左からチョモラ
ンマ、ギャチェンカン、ゴジュンパカン、チョー・オ
ンマ、ギャチェンカン、ゴジュンパカン、チョー・オ
3
帯だ
時計を北京時間から2時間15分遅らせた
時計を北京時間から 2時間15分遅らせたネパー
2時間15分遅らせた ネパー
ル時間に変更する。
シシャパンマ山頂も登攀ルートもチベットなのだが、
中国全土が統一時間なの
中国全土が統一時間なので
なので、離れ過ぎたこの地では実
情に合わないのだ
情に合わないのだ。
。
(
例:日本12時
例:日本12時:
のだ
日本12時:中国・チベッ
ト13時:
ト13時:ネパール15時15分)
午後、5150mの裏山へ高所順応に出掛け
午後、5150mの裏山へ高所順応に出掛け、セル
に出掛け、セル
ビア隊のミーチョ達と再会し
ビア隊のミーチョ達と再会し談笑する。
チョ達と再会し談笑する。
モンスーンが明けてないので晴れたり、曇ったり、小
雪が降ったり目まぐるしく天候が変わる
雪が降ったり目まぐるしく天候が変わる。
変わる。
き時代の貴族達が自国の日常生活に近い形で登山を
したい望み
したい望みから現在
から現在の形として
現在の形として残されたようだ。
の形として残されたようだ。
贅沢に思えるが、幾世代にも及び4000mの高地に
生まれ育ったシェルパのDNA
生まれ育ったシェルパのDNAと違い、海抜0m
のDNAと違い、海抜0m育ち
と違い、海抜0m育ち
の 人達が登頂率を良くする方法として定着したのだ
人達 が登頂率を良くする方法として定着したのだ
ろう。
テントは1人1張で厚いテントマット、上等なシュラ
フまで用意されている。
6時15分
隊長に同行している近藤 が各テントを
6時15 分 隊長に同行している近藤が各テントを
廻り、パルス・オキシメーターを人差し指に挟み全員
廻り、パルス・オキシメーターを人差し指に挟み全員
の血中酸素飽和度と脈拍数を記録してゆく。
血中酸素飽和度と脈拍数を記録してゆく。
6時30分 キッチン・ボーイがテントを廻り『グッ
ドモーニング。ティー・プリーズ。シュガー?』と紅
ドモーニング。ティー・プリーズ。シュガー?』と紅
茶を差し入れてくれる。
6時45分頃 洗顔用の暖かいお湯を洗面器にいれ
洗顔用の 暖かいお湯を洗面器にいれ
テント前に配っていく。
7時過ぎ 『ブレックファースト』と呼びに来る。
『ブレックファースト』と呼びに来る。
テントの入口には
テントの入口には吊るした
吊るした手洗いが
した手洗いがある。
手洗いがある。
立ちの高いテントが2張続きで建てられている。
立ちの高いテントが2張続きで建てられている。食料
で建てられている。食料
置き場と食堂になっており、テーブルと椅子で食事
置き場と食堂になっており、テーブルと椅子で食事が
テーブルと椅子で食事が
出来る。日本食主体の献立が続き驚きだったが、
出来る。日本食主体の献立が続き驚きだったが、更に
本食主体の献立が続き驚きだったが、更に
疲労した時には気遣いして
疲労した時には 気遣いして粥や麺が出され大変有難
気遣いして 粥や麺が出され大変有難
かった。
昼食 高所順応のウオーキングから帰ると暖かいも
のが出される。帰れない時は弁当の用意をしてくれる。
1例:黒
1例:黒と青のりが散りばめ
青のりが散りばめたおにぎり2個、銀紙包
装で甘い卵焼き4切、きゅうり・人参・大根の一夜漬
装で甘い卵焼き4切、きゅうり・人参・大根の一夜漬
け、小ソーセージが入っておる。別の包みに皮をむい
け、小ソーセージが入っておる。別の包みに皮をむい
たリンゴ半分。
3時頃 ホット・ジュース
夕食 メニュー1例:『ネパール産ジャポニカ米のご
飯、鰹節のだしの汁、ほうれん草のオシタシ、大根お
ろし、キュウリ
ろし、キュウリ酢の
キュウリ酢のあえ物、醤油漬け粒の
酢のあえ物、醤油漬け粒のにんにく、
あえ物、醤油漬け粒のにんにく、
とんかつ5切にキャベツのみじん切りと花模様の人
とんかつ5切にキャベツの みじん切りと花模様の人
参が添えられる。缶詰パイナップル3切。
参が添えられる。缶詰パイナップル3切。』
暗くなってからの食事だが、隊長・大蔵がラサでソー
ラーを購入してきたので蛍光灯の明りの下
ラーを購入してきたので蛍光灯の明り の下で
の下 で 美味し
く食べられたし、
く食べられたし、時にはラサで購入のビディオの試写
会もあり楽しい
会もあり楽しい団らんが出来た。
あり楽しい団らんが出来た。
夕方一時、高原越しの全山
夕方一時、高原越しの全山が姿を見せる。
全山が姿を見せる。登攀ルート
が姿を見せる。登攀ルート
のシシャパンマ中央峰へ突き上げる北東稜は雪と岩
のシシャパンマ 中央峰へ突き上げる北東稜は雪と岩
の急傾斜のナイフリッジで
急傾斜のナイフリッジでかなりの鋭峰である。取り
ナイフリッジでかなりの鋭峰である。取り
付くと手応えありそうだ。
大きなテントの売店でコーラ5元(65
(65 円)を買った
時、夜長のテント内で使用するサブのヘッドライトを
、夜長のテント内で使用するサブのヘッドライトを
売店の親父に注文すると2時間程で持って来る。何処
で調達したのだろう?1万円札を渡し、
で調達したのだろう?1万円札を渡し、釣銭200元
し、釣銭200元
受け取る。7600円
受け取る。7600円程
。7600円程の買い物で大変高価だが命と
の買い物で大変高価だが命と
引き換えと思えば致し方ないと自分に言い聞かせ就
寝。
夜半から雪
【9月11日】TBC泊
【9月11日】TBC泊
朝、銀世界だ
朝、銀世界だが昼ころまでには雪も消える。
午前中、デポキャンプへのルート途中まで2時間半
ほどブラブラ歩きして
ほどブラブラ歩きして大岩で引き返す。
して大岩で引き返す。帰りは行きと
大岩で引き返す。帰りは行きと
違う所を渡渉するようになり皆が難儀する。川へ石を
なげ込み飛石作りをしたりしているが、私は面倒くさ
なげ込み飛石作りをしたりしているが、私は面倒くさ
くなり靴のまま膝ほどの水深を渡る。氷河の溶けた水
くなり靴のまま膝ほどの水深を渡る。氷河の溶けた水
は冷たく頭の先までしびれる。その後、トイレットペ
は冷たく頭の先までしびれる。その後、トイレットペ
ーパーを靴の中に2度入れ替えて
ーパーを靴の中に2度入れ替えて乾かす。
今日から朝食、夕食後、
今日から朝食、夕食後、高所順応に利く利尿促進の
、夕食後、高所順応に利く利尿促進の
ためのダイアモックス半錠を服用する。
明日のデポキャンプへの出発は荷運搬のヤクの到着
明日のデポキャンプへの出発は荷運搬のヤク の到着
が遅れ1日延期となる。
ヒマラヤ登山隊の一日を紹介すると
ヒマラヤ登山隊の一日を紹介すると、
を紹介すると、イギリスの良
4
ヒマラヤ登山では一次隊、二次隊と人選して小刻み
にアタックする方法が取られてきたが
にアタックする方法が取られてきたが、
取られてきたが、そうすると登
れる人と登れない人とが出る。
大蔵氏は『
大蔵氏は『日本人気質として、縁あって組んだパーテ
日本人気質として、縁あって組んだパーテ
ィは楽しく登り、
楽しく登り、全員が一緒に頂上
全員が一緒に頂上に立つ』
頂上に立つ』こ
に立つ』ことを持
論にしており、『登らせる喜びが登山の最高の面白さ
だ』とも著している。
大蔵氏とサーダー(シェルパ頭)
大蔵氏とサーダー(シェルパ頭)、カトマンズのエイ
ジェントとの付き合いは二
ジェントとの付き合いは二十数年になり、彼の理想の
十数年になり、彼の理想の
登山形態を共同で
登山形態を共同で構築してきた
共同で構築してきたのだ
構築してきたのだ。
のだ。
この度のAG社の案内書
この度のAG社の案内書には『参加者自身の技量だけ
には『参加者自身の技量だけ
では登頂が難しい登山愛好家に、山岳ガイドが登頂に
必要な技術、経験の足りない部分をサポートしながら
登頂を目指す公募隊です。
』と記されていた。
今回参加した高齢者の我々全員が、
今回参加した高齢者の我々全員が、登頂率の高いひげ
登頂率の高いひげ
の大蔵隊に参加
の大蔵隊に参加出来た
出来たことに感謝しています。
ことに感謝しています。
に参加出来た
【9月14
【9月14日】
月14日】中間デポ
日】中間デポ――
中間デポ――ABC(
――ABC(5700
ABC(5700m)
5700m)
昨夜は8人の雑魚寝だったので
昨夜は8人の 雑魚寝だったので寒さも気にならず
雑魚寝だったので 寒さも気にならず
熟睡できた。
朝食:お粥 ドンブリ1杯
パンケーキ
1枚
玉子
1個
お陰で快便、モレーンを下り石ころだらけの川原です
る。近藤が終わってズボンを上げている。
る。近藤が終わってズボンを上げている。20mほど
藤が終わってズボンを上げている。20mほど
先で南井が構える。山梨が何故か真ん中を通り抜け前
の方で横向きに座る。
の方で横向きに座る。
皆、チベット、ネパール流の仕切りのないトイレに慣
れているので他の人が気にならなく
れているので他の人が気にならなくなっている
ので他の人が気にならなくなっている。
なっている。
終わると石をかぶせ退散。
今日の予定は3時間ほどなのでビスタリ・ビスタリ
今日の予定は3時間ほどなのでビスタリ・ビスタリ
(ゆっくり・ゆっくり)でモレーンを進む。
5545m地点で氷河末端の
5545m地点で氷河末端の氷塔群を見る。ヤポカ
氷塔群を見る。ヤポカ
ンチャロ氷河は数Km続き、大きい氷塔は50m
ンチャロ氷河は数Km続き、大きい氷塔は50mほど
50mほど
の高さの三角錐になっており、横縞の年輪を数えると
の高さの三角錐になっており、横縞の年輪を数えると
数百年にも及んでいる。
重なり合い林立している氷塔群は、
重なり合い林立している氷塔群は、下流域は
塔群は、下流域は高
下流域は高く上部
にいくに従い低
にいくに従い低くなるが氷河の幅が1Km
くなるが氷河の幅が1Kmにもなる。
氷河の幅が1Kmにもなる。
モレーンの踏み跡を進み5700m地点の左岸の
窪地にABCテン場
窪地にABCテン場を見る
テン場を見る。
を見る。
先着のヨーロッパ系登山隊6隊に我々
先着のヨーロッパ系登山隊 6隊に我々日本隊
6隊に我々 日本隊と他1
日本隊 と他1
隊(トイレテント数で分かる)が加わる。ヤク36頭
隊(トイレテント数で分かる)が加わる。ヤク36頭
から荷物を下ろし設営する。
から荷物を下ろし設営する。ヤク一頭が60kg背負
する。ヤク一頭が60kg背負
うので2160kgの荷上げをしたことになる。
テント2張をつなぎ合わせた食事用テントを中心に、
テント2張をつなぎ合わせた食事用テントを中心に、
西の山側に日本隊分8張、東側にシェルパのテント、
離れて炊事用テントが設営される。
離れて炊事用テントが設営される。
AG社持参の衛星アンテナ
AG社持参の 衛星アンテナが
衛星アンテナ が 立てられると
立てられ るとABC最
ると ABC最
大の規模となる。
8月8日AG社に別送品として
8月8日AG社に 別送品として送った冬物の荷物
別送品として 送った冬物の荷物
を受け取り、早速、冬用フリース・ズボンとズボン下
に着替える。
サーダーがテントマットの頭を西向きにするよう
に全テントを見回っている。ブッダの惠があるそうだ。
全テントを見回っている。ブッダの惠があるそうだ。
北枕は娘の方向でダメと真剣になっている。意味不明。
北枕は娘の方向でダメと真剣になっている。意味不明。
『9月12日』TBC泊
『9月12日』TBC泊
昨日の新雪で山麓まで真っ白になっているシシャ
パンマやそれに連なる山々に抱かれるように、明日
パンマやそれに連なる山々に抱かれるように、明日、
、明日、
目指すデポキャンプまで往復
目指すデポキャンプまで往復を
デポキャンプまで往復を試みるが、
試みるが、5410m
地点でテント
地点でテントを見ないまま
でテントを見ないまま引き返す
を見ないまま引き返す。
引き返す。不毛と思える
不毛と思える高
と思える高
原を延々と歩く途中に、幻の花
原を延々と歩く途中に、幻の花ブルーポピー
幻の花ブルーポピーを数個見
ブルーポピーを数個見
付け撮影
付け撮影する。
撮影する。 8時間20分を要した。
明日の道のり
明日の道のりは大変長くなりそう
道のりは大変長くなりそうだ。
は大変長くなりそうだ。
『9月13日』TBC
『9月13日』TBC――
TBC――中間デポ(
――中間デポ(5450
中間デポ(5450m)
5450m)
出発し昨日
出発し 昨日の
昨日 の 左岸に
左岸 に かすかに残された踏み跡を辿
かすかに残された踏み跡を 辿
る。広い
る。広い高原歩きからモレーン(氷河が運んだ石ころ
広い高原歩きからモレーン(氷河が運んだ石ころ
の巨大な堤防)の淵を登るようになり、
の巨大な堤防)の淵を登るようになり、6時間余り
ようになり、6時間余り進
6時間余り進
むと予定のデポ地点に着く。
むと予定のデポ地点に着く。
連日の行動
連日の行動で全員バテ気味。
の行動で全員バテ気味。胃腸の
で全員バテ気味。胃腸の調子よくなく
胃腸の調子よくなく食欲
調子よくなく食欲
なし。
ヤクで運搬中の梱包を開けたくないので
ヤクで運搬中の 梱包を開けたくないので食堂用テン
梱包を開けたくないので 食堂用テン
トに8人雑魚寝する。
トに8人雑魚寝する。
夕食後、シシャパンマとリスムの間の奥で連続して閃
夕食後、シシャパンマとリスムの間の奥で連続して閃
光を見る。モンスーン明けであってほしい。
5
【9月15日】ABC泊
【9月15日】ABC泊 休養日
我々の目覚めに合わすように、雷鳥を一回り太らせ
我々の目覚めに合わすように、雷鳥を一回り太らせ
たヒマラヤン
たヒマラヤン・ピーコックが10羽程テントのそばで
・ピーコックが10羽程テントのそばで
群れているのを見掛ける。これから毎朝、プヨプヨと
群れているのを見掛ける。これから毎朝、プヨプヨと
鳴き声をあげながらABC周辺のわずかに見られる
鳴き声をあげながらABC周辺のわずかに見 られる
枯れ草の地に飛来してきた。
鳥は他にカラスや
鳥は他にカラスや雀を見るが
カラスや雀を見るが、
雀を見るが、シェルパ達は鳥を神聖
視しているのでいじめたり、ぼったりすることはなく
視しているのでいじめたり、ぼったりすることはなく、
るのでいじめたり、ぼったりすることはなく、
捕獲などは絶対にし
捕獲などは絶対にしない。
午前中、
午前中、食料品の整理をする。食堂テントの
食料品の整理をする。食堂テントの壁際に
をする。食堂テントの壁際に
ダンボール箱
ダンボール箱を重ね、ABC食事用、調理してもらう
物、アタック持参用とに分ける。
午後、
午後、大蔵、斉藤がソーラーとパソコンの接続作業
をして
をしてアンテナを立てる。パソコン
アンテナを立てる。パソコン専用テント
パソコン専用テントを
専用テントを設置
して用意するが、残念ながら衛星から気象情報を収集
用意するが、残念ながら衛星から気象情報を収集
する接続が出来ず大蔵、斉藤氏の努力が報われなかっ
た。それに持参した衛星電話も機能しな
た。それに持参した衛星電話も機能しなかった事でダ
それに持参した衛星電話も機能しなかった事でダ
ブル・パンチだ。
残された通信手段の無線は、朝夕、高所のシェルパと
残された通信手段の無線は、朝夕、高所のシェルパと
の交信をサーダーが時間通りおこなっている。
交信をサーダーが時間通りおこなっている。
隣のイタリア隊にお
隣のイタリア隊にお願いして、家内
願いして、家内に衛星電話
して、家内に衛星電話する。
に衛星電話する。
1分55秒:6ドル。
1分55秒:6ドル。互いにバラ銭なく10ドル払う。
呼吸促進剤のダイヤモックス0.5錠を飲み続けて
呼吸促進剤のダイヤモックス0.5錠を飲み続けて
おり、小便の回数が増えるのでアメリカ製のナルゲン
おり、小便の回数が増えるのでアメリカ製のナルゲン
(広口の1Lビン)をテント内の小便用に使用して重
宝する。リミット
宝する。リミット3回まで。
リミット3回まで。
シュラフに入ると鼻づまりになり息苦しい。
シュラフに入ると鼻づまりになり息苦しい。大蔵か
まりになり息苦しい。大蔵か
ら鼻の穴に噴霧する薬もらうが、
ら鼻の穴に噴霧する薬もらうが、ハンカチに血がにじ
が、ハンカチに血がにじ
むようになる。寒さ厳しく
むようになる。 寒さ厳しくフリース1枚着込み、手
寒さ厳しく フリース1枚着込み、手
袋・マスクして就寝する
袋・マスクして就寝する。
する。
→C1→C2への
1→C2へのルートを遠目に
へのルートを遠目に確認
ルートを遠目に確認する。
確認する。
全員疲労気味なの
全員疲労気味なのと距離が長過ぎることで、
味なのと距離が長過ぎることで、ABCと
と距離が長過ぎることで、ABCと
C1の間にデポキャンプを設置してくれることにな
C1の間にデポキャンプを設置してくれ ることにな
る。大蔵とサーダーの気配りが
る。大蔵とサーダーの気配りが大変
大蔵とサーダーの気配りが大変有難い。
大変有難い。
テントに戻り腹を手のひらでで触ると異常に冷た
い。私の弱みの一つ、娘に特注で作ってもらった金太
郎の腹巻きをする。用心に胃薬2包み飲む。
郎の腹巻きをする。用心に胃薬2包み飲む。
終日、頂上見られず。
【9月17日】ABC泊
【9月17日】ABC泊
朝、シェルパ達はC1まで荷上げに出掛け、10時
間かけ夕方帰ってきた。我々なら倍の時間掛けても不
可能だろう。
酸素マスクと酸素ボンベ装着訓練を大蔵の指導で
酸素マスクと酸素ボンベ装着訓練を大蔵の指導で
行う。マスクの位置が仲々難しい。サングラス、目出
帽をして、
帽をして、マスクのバンドを頭越しに回し固定するの
マスクのバンドを頭越しに回し固定するの
だが息もれ
だが息もれがし
もれがして相性が合わず苦労する
がして相性が合わず苦労する
午後、アタック用に豊富な食材の中から、6
午後、アタック用に豊富な食材の中から、6日間の
豊富な食材の中から、6日間の
行動食として各自の嗜好にあったアメ、チョコレート、
行動食として各自の嗜好にあったアメ、チョコレート、
ビスケット等を
ビスケット等を選択する。上部では食べられないだろ
うと思いつつ多めになってしまう。
うと思いつつ多めになってしまう。
ヨーロッパ隊8人が
ヨーロッパ隊8人がヤク15頭と
ヤク15頭と到着。
到着。
隣のイタリア隊男2人、
隣のイタリア隊男2人、女1人
女1人がC1から帰還。
モンスーン明けを待ちかね、各隊に動きが出てきたよ
うだ。
酸素マスクに慣れるために、酸素
酸素マスクに慣れるために、酸素ボンベにはつなが
酸素ボンベにはつなが
ず酸素マスクしたまま
酸素マスクしたまま就寝
クしたまま就寝する
就寝する。
する。
【9月18日】ABC泊
頂上見られず
【9月18日】ABC泊
ABCは時々は晴れ間もあるが、頂上稜線はガスが
ABCは時々は晴れ間もあるが、頂上稜線はガスが
掛かったまま。
夜中雪、朝の
夜中雪、朝の銀世界を6時前から写真撮影
朝の銀世界を6時前から写真撮影する
銀世界を6時前から写真撮影する。
する。
頂上が出ないので気長に待つが顔を出さない。朝焼け
頂上が出ないので気長に待つが顔を出さない。朝焼け
も期待出来ない。一瞬の雲間にシャッターを押す。
も期待出来ない。一瞬の雲間にシャッターを押す。
高所順応に裏山を登る。
高所順応に裏山を登る。130mUP。
130mUP。南井、山梨、
斉藤、荒山、政木
斉藤、荒山、政木と出掛ける
、政木と出掛けるが
と出掛けるが、南井は
南井は咳き込みがひ
どく途中
どく途中から下山する
途中から下山する。
から下山する。
隣のイタリア隊のホンダ製発電機が一昨日より不
隣のイタリア隊のホンダ製発電機が 一昨日より不
調のため近藤、斉藤が調整に出掛けるもダメだった
調のため近藤、斉藤が調整に出掛けるもダメだった。
った。
頂上見られず
【9月16日】A
【9月16日】ABC泊
朝、アンダワを除いたシェルパ6人
、アンダワを除いたシェルパ6人がデポキャンプま
シェルパ6人がデポキャンプま
で荷上げに出掛ける。
荷上げに出掛ける。酸素ボンベ
に出掛ける。酸素ボンベ18本・スノーバー
酸素ボンベ18本・スノーバー
30本・フィッツクスロープ・16段のアブミ他。
1人30kg程の重量か
人30kg程の重量か?
の重量か?
我々も高所順応に出掛け、
我々も高所順応に出掛け、3時間程歩いた
高所順応に出掛け、3時間程歩いたデポキャ
3時間程歩いたデポキャ
ンプ手前の5785m地点で
ンプ手前の5785m地点で引き返す。デポキャンプ
引き返す。デポキャンプ
6
不自由してい
不自由しているはずだが、彼等は終日陽気だ。
はずだが、彼等は終日陽気だ。
夕食の時、上部の天気が良くないのと、それぞれの
夕食の時、上部の天気が良くないのと、それぞれの
テント間が長いことで荷上げが相当遅れている
テント間が長いことで荷上げが相当遅れているが、シ
ているが、シ
ェルパ達の疲労が激しいので休養させたい旨の話し
がある。アタック出発も遅らせたいと隊長・大蔵より
申し出がある。
夜食後、南井、荒山、近藤の誕生ケーキが
夜食後、南井、荒山、近藤の誕生ケーキが出された
と全員思っていたら、次の日に行われたプジャー『安
と全員思っていたら、次の日に行われたプジャー『安
全祈願祭』の前祝いらしい。
全祈願祭』の前祝いらしい。
就寝中の鼻づまり治らないので大蔵より風邪薬
就寝中の鼻づまり治らないので 大蔵より風邪薬を
大蔵より風邪薬 を
数日分もらう。
【9月20日】ABC泊
【9月20日】ABC泊
シェルパ7人が荷上げに
シェルパ7人が荷上げに出発
が荷上げに出発する
出発する、彼等は
する、彼等は今日は帰
、彼等は今日は帰
還せずC1に
還せずC1に泊り、明日はC2を
泊り、明日はC2を設営すると聞く。
他の隊は数人のグループで出発して行く。
キッチンボーイ2人
キッチンボーイ 2人も大きい荷物を担いでデポキャ
2人 も大きい荷物を担いでデポキャ
ンプまで荷上げに出発する。 午後、
午後、2人が帰還しデ
2人が帰還しデ
ポキャンプまで6時間掛かったと話す。我々なら10
ポキャンプまで6時間掛かったと話す。我々なら10
時間以上
時間以上掛かるだろう
以上掛かるだろうか
掛かるだろうか。
我々8人裏山トレッキングに出掛け6000m地
点で引き返す。
点で引き返す。小雪が舞う天候の合間に登攀ルートの
全容を見る。(ABC-デポキャンプはゆるい傾斜の
モレーンが
モレーンが延々と続く
延々と続く。氷塔群を渡り
続く。氷塔群を渡りリスモの鞍部を
。氷塔群を渡りリスモの鞍部を
目指してC1への登りにな
【9月19日】ABC泊
目指してC1への登りになる。C2へはそのまま直登
C1への登りになる。C2へはそのまま直登
【9月19日】ABC泊 3日間ピーク見られず。
8時20分、サーダーの読経でプジャー(安全祈願
となりシシャパンマの西稜端の棚上辺りがテントサ
8時20分、サーダーの読経でプジャー(安全祈願
祭)が
イトらしい。C3へは
祭)が開始される。西側の斜面に石を背丈程積上
開始される。西側の斜面に石を背丈程積上げた
される。西側の斜面に石を背丈程積上げた
イトらしい。C3へはシシャパンマと前山タポカンジ
C3へはシシャパンマと前山タポカンジ
祭壇にウイスキー・スプライト・バター・ビスケット
ャロの間の雪原を東の端まで
祭壇にウイスキー・スプライト・バター・ビスケット
ャロの間の雪原を東の端まで進み、北東稜に取り付き
の端まで進み、北東稜に取り付き
等の供え物が盛り上げられる。
稜線上の針峰の窪みがテントサイトとなる。頂上への
等の供え物が盛り上げられる。その脇に全員のピッケ
盛り上げられる。その脇に全員のピッケ
ルを置き、香草を炊いた煙をあてて登山の無事を祈る。 北東稜は両側が切れ落ちたナイフリッジの急斜面だ。
石を積上げたチョルテンから経典や仏像
陽があたりキラキラ輝く雪上に細いトレースが上に
石を積上げたチョルテンから 経典や仏像が
経典や仏像 が 描かれた
青・白・
上にと伸びている。
青・白・赤・緑
白・赤・緑・黄の五色
赤・緑・黄の五色の旗をびっしりつけたタル
・黄の五色の旗をびっしりつけたタル
上にと伸びている。)
チョ(旗)
6000m地点からモレーンは更に続いており、モレ
チョ(旗)のロープが四方に張られ、風になびい
(旗)のロープが四方に張られ、風になびいて賑
のロープが四方に張られ、風になびいて賑
6000m地点からモレーンは更に続いており、モレ
わっている。
ーンが四段になっているのを上から見る。古代の氷河
わっている。
日本の清めの塩に当たる米が配られ、祭りの最後に掛
から300m以上の高さが退化していることになる。
け声と一緒に投げ上げる。別の器に盛り上げられた粉
今日中に、登頂時の
け声と一緒に投げ上げる。別の器に盛り上げられた粉
今日中に、登頂時のアタック
、登頂時のアタックに
アタックに使用する装備をまと
使用する装備をまと
を互いの頬に塗りあい登頂と安全を
め通信室に置くよう指示があった。
を互いの頬に塗りあい登頂と安全を祈願する。
と安全を祈願する。
め通信室に置くよう指示があった。C1までシェルパ
C1までシェルパ
隣のイタリア隊5人も参加し和やかに進行する。
に背負って行ってもらうために、自分の持参したシュ
隣のイタリア隊5人も参加し和やかに進行する。
今日はシェルパ7人休養日。C1のテントが建てら
ラフ、エアーマット、高所用羽毛ヤッ
ラフ、エアーマット、高所用羽毛ヤッケ、羽毛ズボン
れくらいで充分な
れくらいで充分な荷上げはされてないと思われるが
充分な荷上げはされてないと思われるが、
荷上げはされてないと思われるが、 下、羽毛のオーバー手袋・
下、羽毛のオーバー手袋・予備の手袋・靴下・
羽毛のオーバー手袋・予備の手袋・靴下・下着・
予備の手袋・靴下・下着・
モンスーン明けを予想
電池、フィルム・
モンスーン明 けを予想して23日出発とサ
けを予想 して23日出発とサー
して23日出発とサ ー ダーか
電池、フィルム・若干の嗜好品をまとめる。
フィルム・若干の嗜好品をまとめる。
ら告げられる。予備日を使い果したのでABC-
23日出発の発表があったのでアタックの話題に盛
ら告げられる。予備日を使い果したのでABC-デポ
のでABC-デポ
キャンプーC1-C2-C3-頂上
り上がる。
キャンプー C1-C2-C3-頂上-C2-ABC
C1-C2-C3-頂上 -C2-ABC
の6日間
の6日間は
は
無休で
無休
で
連続行動の可能性が出てきた。大丈
連続行動の可能性が出てきた。
大丈
南井はABCからプラブーツを履いて行くと言って
日間
夫だろうか。
いる。デポキャンプまで、
いる。デポキャンプまで、石ころだらけのモレーン上
デポキャンプまで、石ころだらけのモレーン上
他人に出来ることなら自分もやり遂げるだけだ
をプラブーツで歩くのは大変難儀ではばかれる。かさ
他人に出来ることなら自分も やり遂げるだけだと自
やり遂げるだけだ と自
をプラブーツで歩くのは大変難儀ではばかれる。かさ
分を励ます!!
ばるし、重いが他の人達
分を励ます!!
ばるし、重いが他の人達は自分で背負い、ここ
は自分で背負い、ここまで
、ここまで履
まで履
いてきたトレッキングシューズでデポキャンプまで
いてきた トレッキングシューズでデポキャンプまで
歩くことにする。
7
夕食後、南井69歳の誕生ケーキに
夕食後、南井69歳の誕生ケーキにローソクが
ケーキにローソクが立てら
ローソクが立てら
れて出てきた
れて出 てきた。直径
てきた 。直径30cmをこえ、ケーキ
。直径 30cmをこえ、ケーキ上には
30cmをこえ、ケーキ 上には
『Happy Birthday H・
H・Minamii
inamii ’04・
04・9. 20』と書
20』と書
いてある。コック長が白いカタ(幸運を祈願する長く
薄いショール)を南井の首に掛け、皆でハッピーバー
スデイを合唱し古希を祝う。登頂と幸運を祈ろう。
スデイを合唱し古希を祝う。登頂と幸運を祈ろう。
ケーキの1/3を隊員がご馳走になり、1/3をサー
ダーとコックに、1/3を隣のイタリア隊にお裾分け
する。
夕食後食堂テントを出ると辺りが白くなっている。
夕食後食堂テントを出ると辺りが白くなっている。
朝までの積雪5cm程になり、テントが雪に覆われ
朝までの積雪5cm程になり、テントが雪に覆われた
テントが雪に覆われた
分暖かく寝られた。C1への荷
暖かく寝られた。C1への荷物としてエアーマット
C1への荷物としてエアーマット
入れた分マット薄くなり石が体にあたるが
入れた分マット薄くなり石が体にあたるが辛抱
なり石が体にあたるが辛抱、
辛抱、辛抱。
メールランナーとしてキッチンボーイのクリシュ
メールランナーとして キッチンボーイのクリシュ
ナが、下山時のヤクの手配のためにTBCまで駆け下
ナが、下山時のヤクの手配のためにTBCまで駆け下
り、夕方には帰って来た。11
り、夕方には帰って来た。11時間
11時間強
時間強で往復したこと
になる。ビックリギョーテン!!
一番下のフランス隊6人が
一番下のフランス隊6人が出発、シェルパ3人も遅れ
て出発して行く。
副隊長の近藤が東京に衛星電話したところ、エベレ
スト周辺はこの一週間は晴、但し週の後半は湿気が少
し高くなるとの天気予報を得る。
17時近くピークが見られ、頂上周辺の雲が
17時近くピークが見られ、頂上周辺の雲が絹雲
頂上周辺の雲が絹雲にな
絹雲にな
ってきたので、
ってきたので、秋の
ので、秋のモン
秋のモンスーン明けは間違
モンスーン明けは間違い
スーン明けは間違いないだろ
う。だがサーダーの話だと
。だがサーダーの話だと、昨日の
サーダーの話だと、昨日のC2工作は強風の
、昨日のC2工作は強風の
ため出来なかったとのこと
ため出来なかったとのこと。
とのこと。上部の設営が遅れすぎて
明後日23日
明後日23日の出発は
出発は可能なのか、
可能なのか、ダメを出されるの
が怖くて誰も話題にしない。
怖くて誰も話題にしない。
夜食は近藤明の誕生日祝いと我々の門出を祝して
夜食は近藤明の誕生日祝いと我々の門出を祝して
うな丼が出る。三越特製を大蔵が持参したのだが硬く、
うな丼が出る。三越特製を大蔵が持参したのだが硬く、
タレもなく期待はず
タレもなく期待はずれだが
もなく期待はずれだが、
れだが、日本の香りとカロリー
日本の香りとカロリーだ
カロリーだ
けは摂取出来よう。
食後、近藤の49歳を祝うケーキが出される。三日連
続でケーキにありつく。どうなってるんだ!!
強風吹き止まないが、三日月に照らされたシシャパ
強風吹き止まないが、三日月に照らされたシシャパ
ンマが
ンマが姿を見せる。強風
姿を見せる。強風と
強風と放射冷却とで今夜は寒そう
だが明日以降のモンスーン明けに期待してお湯を入
れた水筒を湯たんぽ代わりに抱いて就寝。
【9月22日】
【9月22日】ABC泊
日】ABC泊
夜半、テントを揺さぶ
夜半、テントを揺さぶって
、テントを揺さぶっていた風はおさまったが
っていた風はおさまったが主
いた風はおさまったが主
峰は姿を隠している。
峰は姿を隠している。
サーダーと上部シェルパとの
サーダーと上部シェルパとの朝の定期
と上部シェルパとの朝の定期交信
朝の定期交信で、
交信で、C1
で、C1
のテントが昨夜のドカ雪と強風で破損したり
のテントが昨夜のドカ雪と強風で破損したり、
と強風で破損したり、C2設
営が未だ出来てない事を知る。
未だ出来てない事を知る。
大蔵と近藤が修理していた衛星電話
大蔵と近藤が修理 していた衛星電話が
していた衛星電話 が 接続不能のま
接続不能 のま
ま、パソコンでの天気予報接続も諦めた様子のなか大
ま、パソコンでの天気予報接続も諦めた様子のなか大
蔵より明日の出発はC1までではなく途中のデポキ
ャンプまでとする
ャンプまでとする最終
する最終発表があった。大変な心配を抱
最終発表があった。大変な心配を抱
いての出発となる。16時強風、雪降り始める。
いての出発となる。16時強風、雪降り始める。
17時 イギリス人4人とオーストラリア人他の
合同隊がヤク30頭ほどの大部隊で到着し
合同隊がヤク30頭ほどの大部隊で到着し、
隊で到着し、ABCの
テン場はオーバーフロー気味。
何日も前からサーダーが23日から5日間は晴れ
何日も前からサーダ ーが23日から5日間は晴れ
て、登頂は27日と言ってた通り
て、登頂は27日と言ってた通りになるのか??
と言ってた通りになるのか??
星空と三日月を見る。
星空と三日月を見る。明日からの6日間は何が何で
明日からの6日間は何が何で
も登り続けることを誓い就寝
も登り続けることを誓い就寝。
続けることを誓い就寝。
【9月21日】ABC泊
【9月21日】ABC泊
あられ混じりの雪と強風が吹きまくり、雲多く陽ざ
しなく主峰
しなく主峰は隠れっぱなし
主峰は隠れっぱなし。
は隠れっぱなし。
昨夜の雪で一面銀世界
昨夜の雪で一面銀世界の中、ABCにはチョルテンが
一面銀世界の中、ABCにはチョルテンが
6個数えられる。日本・フランス・イタリア2隊・ス
ペイン・ユーゴスラビア隊だ。
ペイン・ユーゴスラビア隊だ。その他に
だ。その他に小人数の隊や
その他に小人数の隊や
個人参加のパーティが居る。
個人参加のパーティが居る。
一段と白くなった雪景色を背景にチョルテンからタ
ルチョ(旗)が一段高い天空に
ルチョ(旗)が一段高い天空に飾られるのでテン場が
飾られるのでテン場が
大変に華やいで見える。
大変に華やいで見える。
8
頃出発していく。
頃出発していく。
先程のイタリア隊の一人がバテタのか調子が悪いの
先程のイタリア隊の一人がバテタのか 調子が悪いの
か戻ってきて、空いたテントを探して
戻ってきて、空いたテントを探して潜り込んだよう
な感じを受け
な感じを受けた
受けた。
全登山隊の中で日本隊だけがダントツの高齢隊で、あ
全登山隊の中で日本隊だけがダントツの高齢隊で、あ
との隊は20代~30代前半の若者ばかり。セルビア
隊のミーチョが54歳と言っていたが隊のリーダー
隊のミーチョが54歳と言っていたが 隊のリーダー
であってABCから上には入らない。私は何人もの若
者に66歳かと尋ねられたし、本当に66歳かと念押
しまでされた。
日本では、高齢にならなければこんな長期の遠征には
出掛けられない。だが
出掛けられない。だが高齢でも長期の遠征に出掛けら
。だが高齢でも長期の遠征に出掛けら
れるのはやはり幸せなのでしょうね。
今日の工程がC1ダイレクトでなく途中のデポ地
今日の工程が C1ダイレクトでなく途中のデポ地
点までとなったので到着時間が早過ぎて
点までとなっ たので到着時間が早過ぎて窮屈だが
たので到着時間が早過ぎて 窮屈だがこ
窮屈だが こ
れも登頂率の高い大蔵流の心配りなのだろう。
れも登頂率の高い大蔵流の心配りなのだろう。
16:30、今日からはコックが居ないのでシェルパ
16:30、今日からはコックが居ないのでシェルパ
がお湯を沸かしてくれるだけになる。
日蔭る頃、
日蔭る頃、雑炊の夕食。餅
雑炊の夕食。餅がもどらなく固くて食べら
もどらなく固くて食べら
れなかった。
大蔵から貰った鼻づまりの薬の効果に期待して就寝。
大蔵から貰った鼻づまりの薬の効果に期待して就寝。
テント3張 ①荒山・斉藤・政木 ②南井・山梨・森
安 ③大蔵・近藤
荷上げの装備一覧
荷上げの装備一覧 2,160kg
2,160kg
(悪天候のため割愛される可能性がある)
フィックスロープ
2000m
酸素ボンベ
40 本
スノーバーL
40 本
S
60 本
カラビナ
60 個
ガモーバック
1個
ガス・カートリッジ
80 個
スクリュー
40 個
上部テント
12 張
ロック・ハーケン
20 個
ストーブ(大、小)
12 台
食料
隊員、シェルパ分
個人装備
19名分
2 アタック
モンスーン明けが遅れたため、予定より4日遅れての
モンスーン明けが遅れたため、予定より4日遅れての
アタック開始となり予備日を使い果たす。
【9月23日】ABC
【9月23日】ABC9
ABC9:00―デポキャンプ
00―デポキャンプ(
―デポキャンプ(5900m)
5900m)
13:
13:00
サーダーの予想通り快晴になる。長
サーダーの予想通り快晴になる。長年の感なのか?
通り快晴になる。長年の感なのか?
神がかりとしかおもえない。
全員でチョルテンに安全祈願し出発。
傾斜のないモレーンのガラ場をひたすら進む途中
傾斜のないモレーンのガラ場をひたすら進む途中、C
モレーンのガラ場をひたすら進む途中、C
2へ登るシェルパの一隊がリスモとのコル目指して
2へ登るシェルパの一隊がリスモとのコル目指して
登って行くのを見るが、新雪で難儀しているのだろう
遅遅として進まない。
途中我々を追い抜いていった第二イタリア隊4人
途中我々を追い抜いていった第二イタリア隊 4人
が我々の今日の宿営地・デポキャンプの大岩の所でい
よいよ本番を前にアイゼン・冬装束に着替えて14時
【9月24日】デポ
【9月24日】デポ地
デポ地 9:30-C1(
30-C1(6300
-C1(6300m)
6300m)15
m)15:
15:00
絹雲たなびき快晴。
C1からシェルパ達が迎えに来る。8時、具のない
C1からシェルパ達が迎えに来る。8時、具のない
ラーメン一杯だけ。
ガラ場のデポキャンプでプラブーツを履き100m
ガラ場のデポキャンプでプラブーツを履き1 00m
ほど先の氷塔の渕でアイゼンを着ける。
ほど先の氷塔の渕でアイゼンを着ける。
ヤポカンチャロ氷河に華麗に林立する氷塔群の下流
の大きなセラック帯と上部の比較的小型のセラック
帯との境目辺りを横断する。
アップダウンが激しく
アップダウンが 激しく迷路
激しく 迷路のようで
迷路 のようでルートファンテ
のようで ルートファンテ
ィングが難しい氷塔
ィングが難しい 氷塔群の中
氷塔 群の中を1時間半程かけ抜けた
群の中 を1時間半程かけ抜けた
所で昨日のイタリア人と出会う。やはり昨夜は
所で昨日のイタリア人と出会う。やはり昨夜は何処か
昨夜は何処か
9
のテントに潜り込んだのだろう。
いよいよC1への登りが始まる。
細いトレースが広い氷壁の斜面を上へ上へと
細いトレースが広い氷壁の 斜面を上へ上へと延びて
斜面を上へ上へと 延びて
いる。右
いる。右上方から
上方から出ているデブリの末端部を直登する。
から出ているデブリの末端部を直登する。
青氷の斜面に
青氷の斜面に数箇所横断クレパスが走っているが、先
数箇所横断クレパスが走っているが、先
行したシェルパが取り付けたフィックスロープを目
行したシェルパが取り付けたフィックスロープを目
印に自力で飛び越すことが出来た。先に行くシェルパ
自力で飛び越すことが出来た。先に行くシェルパ
達が段々豆粒程に小さくなって行く。
6000m辺りに
6000m 辺りに前山ヤポカンジャロ北側斜面端の
辺りに 前山ヤポカンジャロ北側斜面端の
氷壁がドでかく崩壊した
氷壁がドでかく崩壊した窪みが見える。
崩壊した窪みが見える。更に登り続け
窪みが見える。更に登り続け
6300mの巨大なアイスホールの棚
6300mの 巨大なアイスホールの棚上に回り込む
巨大なアイスホールの棚 上に回り込む
とC1に辿り着く。
C1のテントサイト左
C1のテントサイト 左 上 に 見えるシシャパンマの
見える シシャパンマの
頂上が早く来いと呼んでいる。
昨日と同様、
昨日と同様、テント一張に同じメンバーで
テント一張に同じメンバーで三人。
メンバーで三人。テン
三人。テン
トの外には寒さと強風で
トの外には寒さと強風で荷物を置けないので
荷物を置けないので自分の
寒さと強風で 荷物を置けないので 自分の
荷物は全部テントマットの下に敷きつめ
荷物は全部テントマットの下に敷き つめ寝
つめ 寝 るが狭す
ぎる。登頂を優先して我慢、我慢。
ぎる。登頂を優先して我慢、我慢。
夕食はお湯を注ぎ足しただけの五目ごはんとテル
夕食はお湯を注ぎ足した だけの五目ごはんとテル
モスのお湯を注いだ生みそ汁。
【9月25日】C1
【9月25日】C1 9:30-C2(
30-C2(6700
-C2(6700m)
6700m)13
m)13:
13:30
快晴
朝食:さんさいおこわ・わかめスープ
朝食:さんさいおこわ・わかめスープ。お湯が少な
すぎたのか、時間が短か過ぎたのか飯に芯がある。
食器持参しなくてもよいとの事前の説明だったの
で全員が
で全員がABCからドンブリ・箸・
ABCからドンブリ・箸・スプーンを拝借し
からドンブリ・箸・スプーンを拝借し
てきているが、
てきているが、器はドンブリだけなので飯を食べなが
ら汁を飲むことさえ出来ない。食欲ないので飯を口に
い れ噛み砕いたところでテルモスのお湯で流し込む
のがや
のがやっと、4~5口までしか咽を通らない。
っと、4~5口までしか咽を通らない。
今朝から酸素
今朝から酸素が
配られ1分1Lを吸う。酸素ボンベ
酸素が配られ1分1Lを吸う。酸素ボンベ
はチタンの旧ソ連製軽量ボンベで、満タンにすると5
はチタンの旧ソ連製軽量ボンベで、満タンにすると5
kg弱、調整器が1kgで合計6kg程になる。縦長
のボンベが片荷にならないように羽毛服、食料、テル
のボンベが片荷にならないように羽毛服、食料、テル
モス等で囲み10kg程を背負う。
酸素マスクがどうしても合わず6650mまで無酸
素で歩くが、大蔵より後で無理がくるからと注意され
素で歩くが、大蔵より後で無理がくるからと注意され
る。 出発時サングラスを
出発時サングラスを壊し近藤に借りる。予備の
壊し近藤に借りる。予備の
サングラスはシェルパが背負う荷物の中に入れてし
まってある。
まってある。
C1には10張ほどのテントがあったので、前後を
C1には10張ほどのテントがあったので、前後を
登るパーティーが昨日より多いようだ。今日は
登るパーティーが昨日より多いようだ。今日はリスモ
今日はリスモ
とのコルを目指しひたすら、ひたすら登るだけ。
とのコルを目指しひたすら、ひたすら登るだけ。四つ
ひたすら、ひたすら登るだけ。四つ
目の氷壁を過ぎ6500mを越した辺りで左の前峰
目の氷壁を過ぎ6500mを越した 辺りで左の前峰
ヤポカンチャロを横に見る感じの
ヤポカンチャロ を横に見る感じの位置で
を横に見る感じの 位置で急斜面を登
位置で 急斜面を登
り切るとC2
り切るとC2の
とC2のテントが遥か先に見える。
テントが遥か先に見える。
C2のテントサイトは前峰ヤポカンチャロとシシャ
パンマ北面の間に挟まれた渓谷ウエスタン・クームの
入り口に位置しており、これから登る北東稜の稜線
入り口に位置しており、これから登る北東稜の稜線を
おり、これから登る北東稜の稜線を
見上げることが出来る。
TBC、ABCの北から眺めた時、
TBC、ABCの北から眺めた時、中央峰からの稜線
の北から眺めた時、中央峰からの稜線
が弓形に弧を描き、
が弓形に弧を描き、両側が切れ落ちたナイフリッジの
北東稜は、西から見ても急傾斜の上に氷雪と岩峰が頂
上まで続く大変険しい
上まで続く大変険しいルートであることが分かる
大変険しいルートであることが分かる。
ルートであることが分かる。
今夜は6人
今夜は6人で
6人で1テント。
1テント。
夕食:五目ごはんとカツ丼、数口やっと流し込む。
今夜から1分間酸素0.5L使用して就寝
今夜から1分間酸素0.5L使用して就寝する。
就寝する。
酸素の吸入で、手足
酸素の吸入で、手足の先まで
手足の先まで温まると聞かされていた
の先まで温まると聞かされていた
効果より、マスクが大変気がかりで寝辛かった。
効果より、マスクが大変気がかりで寝辛かった。
【9月26日】C2
【9月26日】C2 9:25-
25-C3(7300
C3(7300m
7300m)16:
16:30
晴れ。
C2から上には荷上げがされてないのでシェルパ
C2から上には荷上げがされてないので シェルパ
達は相当の
は相当の荷物を背負って我々
荷物を背負って我々と一緒に
我々と一緒に出発する。彼
と一緒に出発する。彼
等の負担を少なくす
等の負担を少なくするため、全員がアタック用の服装
負担を少なくするため、全員がアタック用の服装
や装備を付けて
装備を付けて出発
を付けて出発する
出発する。
する。
酸素毎分1.5Lを吸い
酸素毎分1.5Lを吸い、少しだけ登りの平坦な雪面
1.5Lを吸い、少しだけ登りの平坦な雪面
をシシャパンマ西の稜線下から東の北東
をシシャパンマ西の稜線下から東の北東稜の先端
西の稜線下から東の北東 稜の先端ま
稜の先端 ま
で、ウエスターン・クームの最奥を目指して延々と歩
ウエスターン・クームの最奥を目指して延々と歩
く。体がやたらと重い。下部では元気いっぱいだった
く。体がやたらと重い。下部では元気いっぱいだった
南井が遅れ気味になってきた。有難い!
我々隊員は
我々隊員は7060m
隊員は7060mの取り付き地点で小休止する。
7060mの取り付き地点で小休止する。
シェルパ達は此処で右に折れ
シェルパ達は此処で右に折れ、北東稜に取り付く。
右に折れ、北東稜に取り付く。
10
ここからは今秋誰も登っておらず日本隊が一番乗
ここからは今秋 誰も登っておらず日本隊が一番乗
りだ。稜線上の
りだ。稜線上の針峰を目指して急傾斜
稜線上の針峰を目指して急傾斜の氷雪壁
針峰を目指して急傾斜の氷雪壁を直登
の氷雪壁を直登
しているシェルパ達のボッカとルート工作を見上げ
ていると大変難儀している。(初登頂した中国隊の報
告によればこの直登ルートは平均斜度30度、最大4
2.5度と記されている。)時々小雪で視界がなくな
時々小雪で視界がなくな
る。シェルパからの交信で荷物が重くて進まないと怒
鳴っている。12:30彼等が全然進まないので
鳴っている。12:30彼等が全然進まないので時間
12:30彼等が全然進まないので時間
が気掛かりになり、
が気掛かりになり、シビレをきらしてシェルパ達を追
いかける。シェルパ達のルート工作と競走のように登
いかける。シェルパ達のルート工作と競走のように登
る急斜面は酸素を吸っていても苦しい。
る急斜面は酸素を吸っていても苦しい。
サーダーの息子・アンダワが通り過ぎる我々の酸素を
サーダーの息子・アンダワが通り過ぎる我々の酸素を
1.5Lから1L
1.5Lから1Lに絞
Lから1Lに絞っている。明日のアタック
に絞っている。明日のアタックの酸
っている。明日のアタックの酸
素不足が心配なの
不足が心配なのだろうが
が心配なのだろうが、
だろうが、南井のペースが更に落ち
る。モラメンチンの尖った頭が見え、数張のテントが
見えると
見えるとC3に辿りつく。
るとC3に辿りつく。
先に着いたシェルパ達が忙しく働いているが日没が
迫っているので隊員も
迫っているので隊員もテント設営
隊員もテント設営を
テント設営を手伝う。
合間をみて振り返ると東にはチョモランマ、チョー・
オユー、ローツェ、マカルー
オユー、ローツェ、マカルーの山々
、ローツェ、マカルーの山々。北はTBC、A
の山々。北はTBC、A
BCの先に広大なチベット高原が広がる。西はマナス
BCの先に広大なチベット高原が広がる。西はマナス
ル三山の連山が続いている。南は目指すシシャパンマ
ル三山の連山が続いている。南は目指すシシャパンマ
の頂上付近の氷雪に
の頂上付近の氷雪に岩と針峰が突っ立
氷雪に岩と針峰が突っ立っ
岩と針峰が突っ立っている。
今夜も6人でテント1張。やっと20:00就寝。
今夜も6人でテント1張。やっと20:00就寝。
夜半、漆黒の
夜半、漆黒の空を
漆黒の空を見上げると天の川が流れ、満天に
空を見上げると天の川が流れ、満天に星
見上げると天の川が流れ、満天に星
が散らばり、頂上近くで満月
が散らばり、頂上近くで満月が微笑んで居てくれる。
満月が微笑んで居てくれる。
一杯をすすり込む。
一杯をすすり込む。
カラビナ、ユマール、ATC等の確保器を付けたハー
ネスを腰に廻す。
ネスを腰に廻す。高所帽のうえに愛用の赤色の
廻す。高所帽のうえに愛用の赤色の毛糸の
高所帽のうえに愛用の赤色の毛糸の
目出帽を重ねて
目出帽を重ねてかぶり、酸素マスクを首にぶら下げや
重ねてかぶり、酸素マスクを首にぶら下げや
っとテントの
っとテントの外に出る。
テントの外に出る。アイゼンを装着し、酸素ボン
外に出る。アイゼンを装着し、酸素ボン
ベにつなぎ、毎分2Lで
ベにつなぎ、毎分2Lでセットして
セットして出発準備を
出発準備をやっと
準備をやっと
完了する。
完了する。
満月なのに山向こうに廻ってしまい全く明るくない
テントサイト
テントサイトを後に、
サイトを後に、シェルパ7人と
を後に、シェルパ7人と日本隊全員が
シェルパ7人と日本隊全員が一
日本隊全員が一
緒に出発する
緒に出発する。
する。
ヘッドライトに照らし出される前の
ヘッドライトに照らし出される前の人の足跡を辿り、
に照らし出される前の人の足跡を辿り、
リッジ左をただただ直登する。日本隊がモンスーン明
リッジ左をただただ直登する。日本隊がモンスーン明
けの今秋初登攀
けの今秋初登攀なので
登攀なので膝ほどのラッセルが続くが
なので膝ほどのラッセルが続くが、
膝ほどのラッセルが続くが、シ
ェルパのスピードが速く付いて行くのが楽ではない。
ェルパのスピードが速く付いて行くのが楽ではない。
やがて東の空が白んでくる。
やがて東の空が白んでくる。登っている左
登っている左側から真っ
赤に燃える太陽が
赤に燃える 太陽が黒く
太陽が 黒く波打
黒く 波打つ
波打 つ 雲海を突き破り
雲海を 突き破りモラメ
突き破り モラメ
ンチンの右に出る。東側の大きな山塊の中からエベレ
ンチンの右に出る。東側の大きな山塊の中からエベレ
スト、チョー・オユーを探すが登りながらでは無理だ。
7700mを越す辺りから斜度が更にきつくなり、シ
7700mを越す辺りから斜度が更にきつくなり、シ
ェルパ達は腰まで没する新雪のラッセルに苦戦して
いる。
【9月27日】C3 3:45-中央峰頂上
45-中央峰頂上 11:
11:20~
20~11:
11:
35---C3
35
--C3 13:
13:40~
40~14:
14:40-
40-C218
C218:
18:30 泊
吹いていた強風も起床の1時には収まっていた。1
吹いていた強風も起床の1時には収まっていた。1
テント6人での出発準備は大変だ。
テント6人での出発準備は大変だ。テントの隅の隊員
変だ。テントの隅の隊員
が寝具類を片付けるのを待ちながら、私は着た切り雀
が寝具類を片付けるのを待ちながら、私は着た切り雀
の服装にフリースをはおり、オーバーズボンを履き、
高所用の羽毛ヤッケを着る。つま先が冷え性なので
高所用の羽毛ヤッケを着る。つま先が冷え性なので靴
つま先が冷え性なので靴
下だけは新しい物を履く。大変
下だけは新しい物を履く。大変なおもい
大変なおもいをして
なおもいをしてプラブ
をしてプラブ
ーツ(靴)を履き、スッパツを付ける。
ーツ(靴)を履き、スッパツを付ける。
皆の様子を測りながら、水分たっぷりで塩味のおかゆ
皆の様子を測りながら、水分たっぷりで塩味のおかゆ
11
周囲が明るくなると
周囲が明るくなると、日本隊がつけたトレースを使い
明るくなると、日本隊がつけたトレースを使い
数人が間隔を空けてついて来
数人が間隔を空けてついて来ている。
ついて来ている。
斜度60度位か、2ッ目の大きな針峰を右に見る辺り
斜度60度位か、2ッ目の大きな針峰を右に見る辺り
で最強のシェルパ・
最強のシェルパ・チュワンニマが大岩を乗り越すの
に時間が掛かっている。全く
に時間が掛かっている。 全く進まなくなる。バテた
全く 進まなくなる。バテた
か? 我々と一緒にいる2人のシェルパに上
我々と一緒にいる2人のシェルパに 上 方 から
ラッセルに加わるように呼んでいる。
7800mを過ぎ、
7800mを過ぎ、時間切れかと思える頃
時間切れかと思える頃、
かと思える頃、チェワン
ニマが岩場を乗り越し最後の
ニマが岩場を乗り越し 最後の5m程の
最後の 5m程の青氷の壁と大
5m程の 青氷の壁と大
岩のチムニーに挑んでいる。
岩のチムニーに挑んでいる。
日本から持ってきた頂上用の
日本から持ってきた 頂上用のバカチョンカメラを
頂上用の バカチョンカメラを探
バカチョンカメラを 探
がせど無い。山梨のカメラを借りぺンバギャルツェン
に更に2枚撮ってもらい下山準備をする
更に2枚撮ってもらい下山準備をする。
2枚撮ってもらい下山準備をする。
C3での出発準備の時から高山病になってい
C3での出発準備の時から高山病になって い たのだ
ろう。
シェルパから受け取った新しい酸素ボンベに交換し
シェルパから受け取った新しい酸素ボンベに交換し、
新しい酸素ボンベに交換し、
引き続き酸素
引き続き酸素2Lで下山する。
酸素2Lで下山する。
大きく遅れて登ってきた南井とすれ違う。
登りは写真を
登りは写真 を 撮りたいので後部を登って来たが下り
は3番目で降りる
は3番目で降りる。下山のパートナーのシェルパはペ
で降りる。下山のパートナーのシェルパはペ
ンバギャルツェンだ。ATC使用しての下降と思った
ら前をゆく斉藤、森安がフィックスロープに安全確保
前をゆく斉藤、森安がフィックスロープに安全確保
用のカラビナ
用のカラビナを
カラビナを掛けただけで
掛けただけで下山を
ただけで下山をしている。
下山をしている。5mの
している。5mの
チムニーで森安がフィックスロープを頼り過ぎて裏
チムニーで森安がフィックスロープを 頼り過ぎて裏
返しに宙ずりになってあえいでい
返しに宙ずりになってあえいでいる。パ
る。パートナーのシ
ェルパが自分の体を森安にすり
ェルパが自分の体を森安にすり寄せ降ろしている。
寄せ降ろしている。
すり
間隔を空けてついてきた数人のスペイン隊
間隔を空けてついてきた 数人のスペイン隊と
数人のスペイン隊 と 単独
でスキーを担いだヨーロッパ系の男とすれ違う。
通行税を支払うべきだよな!!
バラバラにC3に着く。大蔵が依頼された竹トンボを
頂上で飛ばし忘れたと言って最初の1ッ
頂上で飛ばし忘れたと言って最初の1ッ目
最初の1ッ目を飛ばす。
近藤が上手にカメラに収められず2ッ目を飛ばす。
ソレナリニ飛びました。
私の番で取り付くと、乾いた雪でピッケルを差しても
私の番で取り付くと、乾いた雪でピッケルを差しても
すでに10時間行動しているので身体は疲れきって
支点にならないし、岩場では
すでに10時間行動しているので 身体は疲れきって
支点にならないし、岩場ではオーバー手
岩場ではオーバー手をしているの
オーバー手をしているの
いる。テルモスの暖かいお茶の最後の一口を飲み干し、
で指が掛からな
いる。テルモスの暖かいお茶の最後の一口を飲み干し、
で指が掛からない。
掛からない。セットされたフィックスロープを
い。セットされたフィックスロープを
C3の撤収を手伝い、
C3の撤収を手伝い、全員が
全員がそろったところで予定通
そろったところで予定通
頼りにしたり、ピッケルをバイル代わりにしたり、ピ
頼りにしたり、ピッケルをバイル代わりにしたり、ピ
りC2へ向け下山する。出来るだけ多く背負い急斜面
ックを岩に引っ掛けたりして攀じ登る。アイゼンの爪
りC2へ向け下山する。出来るだけ多く背負い急斜面
ックを岩に引っ掛けたりして攀じ登る。アイゼンの爪
を自分のペースで下り、ウエスタン・クーム
が良く効き氷と
を自分のペースで下り、ウエスタン・クームの取り付
、ウエスタン・クームの取り付
が良く効き氷と大
氷と大岩を乗り越すと、
岩を乗り越すと、先に登った
乗り越すと、先に登ったシェル
先に登ったシェル
き地点に集合する。行きには無かったテントが5張ほ
パ達が笑顔で
地点に集合する。行きには無かったテントが5張ほ
パ達が笑顔で早く来いと
笑顔で早く来いと手招きしてくれる。
早く来いと手招きしてくれる。彼等は
手招きしてくれる。彼等は中
彼等は中
ど張られている。
央峰手前で狭い頂上に立つ順番待ちをしている。あと
日本隊が登頂したルート
20mで8008mに立つことが出来るのだ。
日本隊が登頂したルートの追っかけ
が登頂したルートの追っかけに違いない。
の追っかけに違いない。(自
力で登頂出来るのは日本隊だけでした。)
あとはC2までトレースを辿り歩くだけだが踏ん
あとはC2までトレース を辿り歩くだけだが踏ん
張りがきかず雪道のデコボコに足を取られて
張りがきかず雪道のデコボコに足を取られ て ふらつ
き、ふうらつきただただ歩く。遠目にC2が見えてい
ながら仲々着かない。
ながら仲々着かない。
C2の手前で、
C2の手前で、夕日の残照が全ての物を赤く染める。
夕日の残照が全ての物を赤く染める。
今歩いて来たウェスターン・クームの谷間の全体から
今歩いて来たウェスターン・クームの谷間の全体から
北東稜、シシャパンマ全部を真っ赤に染め上げる。
北東稜、シシャパンマ全部を真っ赤に染め上げる。
陽が蔭り寒い中に隊員全員が
陽が蔭り寒い中に隊員全員が立ち尽くし、
隊員全員が立ち尽くし、真っ赤に燃
立ち尽くし、真っ赤に燃
え上がる主峰がピンクに変わり、
え上がる主峰がピンクに変わり、残照が
変わり、残照が消
残照が消えゆくまで
余韻を楽しみ、感激にしたっていた光景は一生忘れら
れない。
皆さん有難う御座いました。やったぞ!!
ヘッドランプをつけ更に歩く。18:30暗くなった
ヘッドランプをつけ更に歩く。18:30暗くなった
C2に倒れこむ。15時間の行動だ。
C3から下ろしたのでテントが増え、大蔵と近藤、私
万歳をした姿を ペンバギャルツェンにシャッターを
と荒山、残りの4人で各1張に分かれる。
押してもらう。ジージ
押してもらう。ジージーと音がして
ーと音がしてフィ
音がしてフィルムを巻
フィルムを巻き戻
ルムを巻き戻
夜食はやはり五目めし、4口だけ白湯で流し込む。
している。昨夜新しいフィルムに入れ替えておいたの
る。昨夜新しいフィルムに入れ替えておいたの
疲れと栄養不足で寒かろうと思い、
だが、
疲れと栄養不足で寒かろうと思い、初めてホカホカを
だが、途中写しながら来たので最後の一枚だったよう
途中写しながら来たので最後の一枚だったよう
だ。スペアーに持ってきたフィルムは使用済みだ
った。
。 腰と足にはり就寝
腰と足にはり就寝する
就寝する。
する。
だ。スペアーに持ってきたフィルムは使用済みだった
ルムは使用済みだった
12
我々8人とシェルパ頭のサーダー、ルート工作・荷上
げで頑張ってくれた7人のシェルパ、毎食美味しい食
頑張ってくれた7人のシェルパ、毎食美味しい食
事を作ってくれたコックとキッチンボーイの
事を作ってくれたコックとキッチンボーイ の 3人の
日本隊19人全員が勢ぞろいする。
日本隊19人全員が勢ぞろいする。
ザックを降ろす間もなく
ザックを降ろす間もなく早速コーラ、ビールで乾杯し
降ろす間もなく早速コーラ、ビールで乾杯し
た後、雑煮が出る、ソバが出るなか、
た後、雑煮が出る、ソバが出るなか、互いに健闘をた
、雑煮が出る、ソバが出るなか、互いに健闘をた
たえ合い、お礼を述べ合って全員の登頂を祝福する。
たえ合い、お礼を述べ合って全員の登頂を祝福する。
食堂テントに移り、大型の登頂祝いの
食堂テントに移り、大型の登頂祝いのケーキ
祝いのケーキをご馳走
ケーキをご馳走
になる。
日焼けした隊員の顔が、全員登頂に
日焼けした隊員の顔が、全員登頂に成功した満足と安
堵で一層明るく輝いている。
堵で一層明るく輝いている。
8000mサミッターの幸せを抱き、自分のテントで
一人のびのびと寝る。
トク、保高、
トク、保高、皆さん本当に有難う御座いました。
保高、皆さん本当に有難う御座いました。
【9月28日】C2
【9月28日】C2 9:30--C1
30--C1 11:
11:30――氷
30――氷
塔入り口 12:
12:30~
30~13:
13:00--氷塔出口
00--氷塔出口 14:
14:30--デ
30--デ
ポキャンプ 14:
晴
14:50~
50~15:
15:45--ABC
45--ABC19
--ABC19:
19:40
朝食:
朝食:赤飯4口。バテてきたのだろう、
バテてきたのだろう、口の両端がは
れて来た、胃腸薬を
て来た、胃腸薬を飲む。
昨日の余った酸素を吸い、荷下げも兼ねながら下山す
る。
登れたし、晴れてい
登れたし、晴れているし、下りだしスピードが出てい
るし、下りだしスピードが出てい
いはずだ
いはずだが疲れが激しいのだろう。登りの時
が疲れが激しいのだろう。登りの時こんなに
登りの時こんなに
長く歩いたのかと思いながら、
長く歩いたのかと思いながら、ABCでのコーラの一
ABCでのコーラの一
気飲みを
気飲みを楽しみに歩き続ける。
楽しみに歩き続ける。数箇所あったクレパス
歩き続ける。数箇所あったクレパス
も大して広がらず、
も大して広がらず、心配なく通過する。
C1を撤収しながら、フリースを1枚脱いだが氷塔の
C1を撤収しながら、フリースを1枚脱いだが氷塔の
淵まで来て更に1枚脱ぐ。
迷路のような氷塔の中をかすかに残るアイゼンの跡
を探して
を探して、往路と同様1時間30分かけ抜けきる。
往路と同様1時間30分かけ抜けきる。
モレーンのガラ場ま
モレーンのガラ場まで着き、アイゼンを
着き、アイゼンをはずしデポキ
アイゼンをはずしデポキ
ャンプに着く。
コックのダワチリとリシュナがわざわざ太巻き寿司
とジュースを届けてくれる。高度が下がったせいだろ
う、美味しく食べる
美味しく食べることが出来た。
食べることが出来た。
今夜要る物だけを背負い、
今夜要る物だけを背負い、あとに残した物
あとに残した物は明日シェ
に残した物は明日シェ
ルパが運んでくれるのでデポキャンプに
ルパが運んでくれるのでデポキャンプに残してゆく。
デポキャンプに残してゆく。
南井1人が往路同様
南井1人が 往路同様プラブーツを履いてガラ場を歩
往路同様 プラブーツを履いてガラ場を歩
いているのでペースが落ちる。すっかり
いているのでペースが落ちる。すっかり暗くなったモ
すっかり暗くなったモ
レーンの相当奥までサー
レーンの相当奥までサーダーが出迎えに来てくれる。
ダーが出迎えに来てくれる。
ティンリでの高所順応で知り合ったセルビアのミ
ーチョが関連の隊員を待ち暗い中で
ーチョが関連の隊員 を待ち暗い中で待機していたが
を待ち暗い中で 待機していたが
途中出会えたとみえ追い越
途中出会えたとみえ追い越しざま私のザックを
とみえ追い越しざま私のザックを『
しざま私のザックを『背負
っていってやる』
っていってやる』と担いでいってく
と担いでいってくれる。
いってくれる。
サーダーの交信でシェルパ7人全員が迎えにきてく
サーダーの交信でシェルパ7人全員が 迎えにきてく
れた。キッチンボーイのアンチリが温かいジュースを
れた。キッチンボーイのアンチリが温かいジュースを
持って激励に来てくれる。
持って激励に来てくれる。
すっかり暗くなったモレーンをヘッドライトを付け
すっかり暗くなったモレーンを ヘッドライトを付け
てシェルパ達と一緒に歩き
シェルパ達と一緒に歩きABC
歩きABC19時40分到着。
ABC19時40分到着。
月明かりに照らされたAB
月明かりに照らされた ABCに6日ぶりに帰ること
AB Cに6日ぶりに帰ること
が出来た。
13
晴、曇、小雪
【9月 29 日】ABC泊
日】ABC泊 休養日
成田を出発して29日間が過ぎ振り返ってみると、
この6日間の
この6日間 の アタックのために総ての事が進
アタック のために総ての事が進行し
のために総ての事が進 行して
行し て
来たのだ。
たのだ。
日本のアドベンチャーガイズと隊長・
日本のアドベンチャーガイズと隊長・大蔵、カトマン
隊長・大蔵、カトマン
ズのレーガル・トラベル
ズのレーガル・トラベル、中国登山協会、チベット山
レーガル・トラベル、中国登山協会、チベット山
岳協会との関わりが二
岳協会との関わりが二十数年かけて作り上げられ、シ
ステム化
ステム化が構築
ム化が構築され
が構築されて来
されて来た
て来たのです。
のです。
身近で見ていると、全てのことが
身近で見ていると、全てのことが大蔵とサ
、全てのことが大蔵とサー
大蔵とサーダーの二
ダーの二
十数年来の信頼関係で進められているようだ。大蔵は
我々6人全員を登頂させることをサーダーに託し、サ
我々6人全員を登頂させることをサーダーに託し、サ
ーダーはスケジュールから食料、装備、シェルパの手
ーダーはスケジュールから食料、装備、シェルパの手
配等々を黙々とやっている。サーダーからの提案を総
て大蔵が了解しているようだ。短い打ち合わせで互い
て大蔵が了解しているようだ。短い打ち合わせで互い
に分かり合えている様
分かり合えている様子だ。
大蔵のパーティが登頂率の
大蔵のパーティが登頂率の良いゆえん
が登頂率の良いゆえんだろう。
良いゆえんだろう。
私は6000m、7000m峰の登頂の経験がなか
った他に、60歳の誕生日に前立腺肥大の手術で 1 ヶ
月間入院し、64歳で右鼠径
月間入院し、64歳で右鼠径ヘルニア
鼠径ヘルニア(脱腸)の手術
ヘルニア(脱腸)の手術
をしており、老化を自覚しての参加でした。
それだけに今回の登頂は40年かけて初恋の山・マッ
ターホルンを登頂した時と
ターホルンを登頂した時と同じ位
時と同じ位うれしい事です。
同じ位うれしい事です。
今朝、皆、元気そうだがトイレにゆく回数がバカに
今朝、皆、元気そうだがトイレにゆく回数がバカに
多いように見受けられる
ように見受けられる。
多い
ように見受けられる。
潤った気持ちで
潤った気持ちで時をなんとなく過す。
気持ちで時をなんとなく過す。
朝食後、『全員登頂と無事下山のお礼』の儀式が石を
積上げたチョルテン(祭壇)の前で、サーダーの読経
のもと開催される。
昼間は航空便で別送する個人装備(アタックで使用
したシュラフ、羽毛ヤッケ、プラブーツ、ユマール、
したシュラフ、羽毛ヤッケ、プラブーツ、ユマール、
カラビナ、ハーネス等など)の荷造りをする。
カラビナ、ハーネス等など)の荷造りをする。
夕方、
夕方、スペイン隊主催のビアー・パーティーに
スペイン隊主催のビアー・パーティーに招待
パーティーに招待
を受ける。日本隊へ
を受ける。日本隊へ感謝の意を表わしたいと
。日本隊へ感謝の意を表わしたいと、日本人
感謝の意を表わしたいと、日本人
とサーダー、シェルパ、キッチンボーイまで
サーダー、シェルパ、キッチンボーイまで日本隊全
シェルパ、キッチンボーイまで日本隊全
員で参加するよう要請される。
ABCの各国
ABCの各国山男
各国山男50人程と
山男50人程と二人の山女とで
50人程と二人の山女とでワイン、
二人の山女とでワイン、
シャンペン、生ハム、ビスケット等で一時間ほど交流
シャンペン、生ハム、ビスケット等で一時間ほど交流
し楽しく過すことが出来、素晴らしい
し楽しく過すことが出来、素晴らしい思い出となる
ことが出来、素晴らしい思い出となる。
思い出となる。
19時30
19時30分
30分(日本時間:22時
(日本時間:22時45
:22時45分
45分)隣のイタ
リア隊から
リア隊から衛星電話
から衛星電話を
衛星電話を借りて家内に
借りて家内に報告する。
家内に報告する。
昨日アドベンチャーガイズから連絡があって登頂し
昨日アドベンチャーガイズから連絡があって登頂し
た事を知っており大変喜んでくれた。
た事を知っており大変喜んでくれた。豊橋を台風通中
大変喜んでくれた。豊橋を台風通中
とのことなど、家内は一方的に
とのことなど、家内は一方的に話しっぱなしだ
一方的に話しっぱなしだ。
話しっぱなしだ。
晴、曇、小雪
【9 月 30 日】ABC泊
日】ABC泊 休養日
今日の方が、
今日の方が、疲れが出たのか身体がダルイ。
テント内で氷点下7度、相変わらず寒い朝となる。
テント内で氷点下7度、相変わらず寒い朝となる。
入山時に積もった雪の一部がテントの日陰部分に溶
けずにそのまま残っている。
撤収の準備が始まりテントサイトの片付け、清掃を
撤収の準備が始まりテントサイトの片付け、清掃を
し、ゴミは持ち帰るべく回収をしている。
自分の荷物を日本まで開かず空輸便で送る別送品と
カトマンズのホテルで受け取る物、自身で背負う物の
カトマンズのホテルで受け取る物、自身で背負う物の
3種類に分け明朝の出発準備をする。終日かけ荷造り
3種類に分け明朝の出発準備をする。終日かけ荷造り
をゆっくり楽しむ。
アタック前に描きかけのスケッチを仕上げたく、テ
アタック前に描きかけのスケッチを仕上げたく、テ
ン場の一番下
ン場の 一番下に設営している
一番下 に設営しているフランス隊の
に設営している フランス隊の大きなド
フランス隊の 大きなド
ーム型テントまで出掛ける。写真撮影しながのスケッ
チは大変だったが5
チは大変だったが5枚目を仕上げられた。
だったが5枚目を仕上げられた。
写真撮影、スケッチ、読書も高所順応に有効とのこと。
14
夕方、明日の下山用のヤク30頭ほどが到着する。
夕方、明日の下山用のヤク30頭ほどが到着する。
同行して来たチベッタンが我々の炊事用テントでお
茶やビスケットの接待をコックから受けている。陽が
蔭っているのに極端に薄着だ。
数人のチベッタンが懐から原色の数珠や小物を買え
とテントを廻るが誰も手を出さない。
【10 且1日】ABC
且1日】ABC7
ABC7:50--T
50--TBC
--TBC13
BC13:
13:10 泊
晴後曇
出発に先立ちミーチョに別れを告げに行き、彼等と
記念写真を一緒に撮る。
ABCを出発す
ABCを出発する時
出発する時、シシャパンマは朝日に輝き一点
る時、シシャパンマは朝日に輝き一点
の曇もなく凛々しい姿で我々に別れを告げてくれる。
出発準備しているヤクやシェルパ達より先に出発
出発準備しているヤクやシェルパ達より先に 出発
する。
全員が嬉しい気持ちそのままに、とてつもなく速く
歩き通す。7
歩き通す。7 時間位の見通しを5時間20分でTBC
に到着し、シェルパやヤクを3時間余り
に到着し、シェルパやヤクを3時間余り待つ
3時間余り待つことにな
待つことにな
る。
TBCにはチベット登山協会の駐屯員用の大テン
トと売店の大テントの2張があるのみだった。
トと売店の大テントの2張があるのみだった。
売店テントの真ん中にはヤクの乾燥糞を燃料にした
ストーブが焚かれ、外で冷えた身体を温めてくれる。
売店でスプライト4本を買い、廻し
売店でスプライト4本を買い、廻し飲みする。此処ま
、廻し飲みする。此処ま
でで歩きが終わった安堵と高度が下がったことで実
に美味しい。1本10ルピーX4本=40ルピー。
に美味しい。1本10ルピーX4本=40ルピー。
ルピーを持って無いので100元で支払う
ルピーを持って無いので100元で支払うと
00元で支払うと、売店中
の札をかき集め色々の金種で沢山の札を釣銭として
渡してくれる。ガイド役で
渡してくれる。ガイド役で同行して
ガイド役で同行している
同行しているラクパテンジ
いるラクパテンジ
ン(21歳)が数え直して渡してくれたので間違いは
ないだろう。
ないだろう。
ヤクを待ちかねていると、チベット登山協会の役人が
ウエルカムドリンクを差し上げ度いとテントに招
ウエルカムドリンクを差し上げ度いと テントに招き
テントに招 き
入れていてくれ、全員にラサ産のリンゴを一個づつく
入れていてくれ、全員にラサ産のリンゴを一個づつく
れる。
仲なか到着しないので売店に戻ると、
仲なか到着しないので売店に戻ると、食欲が戻りイン
食欲が戻りイン
スタントラーメンを注文。激カラ今麦郎ラーメン4個
スタントラーメンを注文。激カラ今麦郎ラーメン4個
X8元=32元、肉入りラーメン1個5元、バター茶
X8元=32元、肉入りラーメン1個5元、バター茶
飲みほうだい8人分10元、合計47元を先程受け取
飲みほうだい8人分10元、合計47元を先程受け取
った沢山の釣銭で支払う。
った沢山の釣銭で支払う。
辛いものに強い山梨と斉藤、森安
辛いものに強い山梨と斉藤、森安が武者ぶりついてい
、森安が武者ぶりついてい
る。ひび割れた唇にしみるのを我慢して南井も食べて
ひび割れた唇にしみるのを我慢して南井も食べて
いる。私は辛さに弱いので肉入りラーメンを食べる。
売店の奥さんは1mほどの筒にバターとお茶の葉と
お湯を入れ
お湯を入れ、
を入れ、棒で突くように掻き混ぜて作る
棒で突くように掻き混ぜて作るバター茶
て作るバター茶
を何杯でもおかわりする我々に出し続けてくれた。
15:00過ぎてシェルパとヤクがやっと到着する。
入山時にサーダーが自然環境保護のためチベット登
山協会駐在員に預けた
山協会駐在員に預けた全額のうち、ゴミを持ち帰った
駐在員に預けた全額のうち、ゴミを持ち帰った
分500ドル、20
分500ドル、2000mのロープや装備類をTBC
2000mのロープや装備類をTBC
まで持ち帰ったことを確認して
まで持ち帰 ったことを確認して2000ドルを
ったことを確認して 2000ドルを返還
2000ドルを 返還
してもらう。
明朝まで1泊なのでテント1張に2人
明朝まで1泊なのでテント1張に2人が入る
1泊なのでテント1張に2人が入る。
が入る。
今夜で 24 日間のテント
日間のテント生活
テント生活が
生活が最後になるはずだ。
最後になるはずだ。
【10 且 2 日】TBC
日】TBC 8:00ーートンラ峠(
00ーートンラ峠(5230
ーートンラ峠(5230m)
5230m)
10:
10:30ーー修行洞
30ーー修行洞 11:
11:30~
30~12:
12:00ーーニャラム(昼
00ーーニャラム(昼
食)12
食)12:
12:20~
20~13:
13:45--ザンムー(
45--ザンムー(2530
--ザンムー(2530m)
2530m)13
m)13:
13:20
泊
TBCには我々日本隊しか下山してきてない。 朝
早くからシェルパ達が出発準備をしている。チベット
登山協会の名前入りの中型バスとトラックにて出発
する。
広大なチベット高原を木の葉のように揺れる車中で
広大なチ ベット高原を木の葉のように揺れる車中で
満ち足りた気持ちで身をゆだねる。遠く山すその部落
や放牧のヤギの群れが懐かしく望まれる。
サーダー、シェルパ、コックの主だった連中が一緒
サーダー、シェルパ、コックの主だった連中が一緒
のバスに乗る。
今回はシェルパ 7 人全員が登頂出来たので若いシェル
パが特に喜んでいる。
それと今春、
それと今春、チョモランマを登頂直後8500m辺り
チョモランマを登頂直後8500m辺り
で、広島の女医・大田祥子(
広島の女医・大田祥子(63
・大田祥子(63 歳)さん
歳)さんが
さんが突然死する
突然死する
アクシデントに大蔵はじめ今回の主だったシェルパ
アクシデントに 大蔵はじめ今回の主だったシェルパ
が関わっておった。その直後の秋
が関わっておった。その直後の秋の山行で日本隊全員
その直後の秋の山行で日本隊全員
を登頂させられたので
を登頂させられたので安堵出来たのだろう、笑い声が
たので安堵出来たのだろう、笑い声が
絶えず賑やかい。
絶えず賑やかい。
期待していたトンラ峠からのシシャパンマ最後の
遠望は雲に隠れ姿を見ることが出来なかった。
遠望は雲に隠れ姿を見ることが出来なかった。
トンラ峠を越すと山々に
トンラ峠を越すと山々に緑が増えてきた。
山々に緑が増えてきた。
信心深いサーダーが修行洞に寄る。50年程前日本
でも見られた米の収穫を一家総出でしている街道筋
を少し下ると小さな寺院がある。寺男を探しやっと寺
を少し下ると小さな寺院がある。寺男を探しやっと寺
院に入ると、高僧が修行したとされる大石を支えた部
院に入ると、高僧が修行したとされる大石を支えた部
屋があり、
屋があり、数人のシェルパが熱心に
数人のシェルパが熱心にお経を唱えている。
熱心にお経を唱えている。
バスで少し下ると急に山の斜面にビルが建ち並ぶ
バスで 少し下ると急に山の斜面にビルが建ち並ぶ
ニャラムに出る。山梨が昨年秋チョーユーに登った帰
途に通過した時とは比較にならない程の発展ぶりと
15
のこと。
街道筋二階の中華飯店で
街道筋二階の 中華飯店で野菜たっぷりで肉類も旨い
中華飯店で 野菜たっぷりで肉類も旨い
昼食を久しぶりにたっぷり食べる。
昼食を久しぶりにたっぷり食べる。
大蔵隊長曰く
大蔵隊長曰く『10 年前のチベットでは食べられる物が
なく貧しかったが、今では食材も多く日本の料理人顔
負けの美味しさになった。
』と
バスは深い谷沿いに下るとすっかり緑が多くなり
バスは深い谷沿いに下るとすっかり緑が多くなり、
緑が多くなり、
白糸の滝が幾く筋も雲の中から生じ落ちる様は水墨
画の光景である。対岸ばかりでなくバスが落水の直撃
画の光景である。対岸ばかりでなくバスが落水の直撃
ですっかり砂埃を落とすことが数回あった。
バスは相変わらずゆれに揺れて下ると
バスは 相変わらずゆれに揺れて下ると 国境の町ザ
ンムーに着く。10月
ンムーに着く。10月 1 日中国建国記念日の横断幕を
町のあちこちで見る。ホテルのフロントで大蔵が中国
町のあちこちで見る。ホテルのフロントで大蔵が中国
の添乗員と長いこと 1 人 1 部屋だと交渉しているが部
屋が無いことを理由に 2 人1部屋になる。森安と同室。
森安と同室。
シャワーの順番が待ち遠しい
シャワーの順番が待ち遠しい。裸になり
。裸になり勝手が分から
勝手が分から
の順番が待ち遠しい。裸になり
ず狭い部屋でコックを探していると、突然
ず狭い部屋でコックを探していると、突然、
コックを探していると、突然、のぞき窓
から手が伸びて来て小さなコックをひねってくれる。
から手が伸びて来て小さなコックをひねってくれる。
水量少なく、
水量少なく、ぬるま湯だが髪も体も
ぬるま湯だが髪も体もサッパリ
が髪も体もサッパリする。
サッパリする。
夕食後、暗くなった街を皆でぶらつく。アメでピー
夕食後、暗くなった街を皆でぶらつく。アメでピー
ナツを固めた菓子のつもりで1袋買う、2元。角の果
物屋でリンゴ8個、1.3kg、13元。
やっと人里なり!!
シャワーもベットも手袋なしの就寝も24
シャワーもベットも手袋なしの就寝も24日ぶり
24日ぶりだ
日ぶりだ。
しっとりとした空気と鼻ずまりがないので
しっとりとした空気と 鼻ずまりがないので呼吸
鼻ずまりがないので 呼吸が
呼吸 が 大
変らくになった。
変らくになった。
掛け布団大分重いが手足暖かく寝られて幸せ、幸せ!
【10 且 3 日】ザンムー
日】ザンムー7
ザンムー7:45--税
45--税關
--税關 8:20ーー国境
20ーー国境
9:00--コダリ
00--コダリ 10:
10:00--カリンチョク(
00--カリンチョク(1120
--カリンチョク(1120m)
1120m)
昼食 12:
12:20~
20~13:
13:10--カトマンズ(シンギホテル)
10--カトマンズ(シンギホテル)
15:
15:40
ザンムーは国境を挟んで中国側の街。山深い谷間
ザンムーは国境を挟んで中国側の街。山深い谷間の
国境を挟んで中国側の街。山深い谷間の
中に氷河を抱いた峻峰
中に氷河を抱いた峻峰が突っ立ち、その急斜面にホテ
氷河を抱いた峻峰が突っ立ち、その急斜面にホテ
ルや色とりどりの家々がへばり着くように建てられ
ルや 色とりどりの家々がへばり着くように建てられ
ている。
昨日と同じくシェルパ達と一緒のバスで少し走る
昨日と同じくシェルパ達 と一緒のバスで少し走る
と立派な建物の税関に着く。国境を挟んでの交易が盛
んなのだろう人で埋まっている。登山、トレッキング、
旅行者のほかにチベット、ネパール人
旅行者のほかにチベット、ネパール人も沢山いる。
現地人と思われる人達はフリーパス
現地人 と思われる人達はフリーパスで
と思われる人達はフリーパス で 気軽に中国の
軍服を着た役人の前を通り抜けてゆく。
軍服を着た役人の前を通り抜けてゆく。
役人達
役人達は何もしてないようだが、
は何もしてないようだが、バスから降りて手荷
物を持ったまま2~30分
物を持ったまま2~30分待たされる
2~30分待たされる。
待たされる。荷物検査の機
械が設置されている
械が設置されているが作動させてない様子
設置されているが作動させてない様子、
が作動させてない様子、パスポー
トを見せただけでアッサリパスする
トを見せただけでアッサリパスする。
アッサリパスする。
建物の外で待っている
建物の外で 待っている中国政府指定の
待っている 中国政府指定の窓ガラスが
中国政府指定の 窓ガラスが
2ヶ所閉まらない
2ヶ所閉まらない車に分乗する。
閉まらない車に分乗する。国境の
車に分乗する。国境のためわざと整
国境のためわざと整
備してなのかと思える程
備してなのかと思える 程 ひど過ぎる石ころだらけの
ひど過ぎる 石ころだらけの
ガタガタ道を下り、国境手前の橋の袂まで送ってもら
ガタガタ道を下り、国境手前の橋の袂まで送ってもら
う。
コダリに掛かる橋の真ん中に描かれた太く赤い線
が中国:ネパールの国境だ。チベット側の建物は立派
中国:ネパールの国境だ。チベット側の建物は立派
だがネパール側には税関と思われる小さな建物しか
ない。役人らしき人が居るがフリーでネパールの入口
の村コダリ(ネパール側の
の村コダリ(ネパール側の町)
(ネパール側の町)に入国してしまった。
町)に入国してしまった。
建物、服装、風貌などからチベットとネパール
建物、服装、風貌などからチベットとネパールの貧富
ネパールの貧富
の差がはっきりしている。
ネパールのバスに乗り換え更にひどくなった石こ
ろだらけの道を下る。
昨日の朝から1日半で高度が
昨日の朝から1日半で高度がさがり
高度がさがり、
さがり、厳寒から夏
厳寒から夏の
から夏の
気温になり
気温になり身
になり身体が悲鳴を上げている。
体が悲鳴を上げている。
川のほとりのカリンチョクの食堂で昼食。現地の人
と同じアルミの皿に盛り付けたカレーライスを食べ
る。川魚の焼いた丸干しが添えられ美味しい。
道もなだらかになり山も低く丸みをおびて来
道もなだらかになり山も低く丸 みをおびて来てカ
みをおびて来 てカ
トマンズの郊外に着く。出発の時、戒厳令下で人を見
トマンズの郊外に着く。出発の時、戒厳令下で人を見
ず不気味なほど静かったが中心
ず不気味なほど静かったが中心地
に近付くに従い車
ったが中心 地 に近付くに従い車
が渋滞し、人ごみで賑わう本来の姿に
が渋滞し、人ごみで賑わう本来の姿に戻っている。
、人ごみで賑わう本来の姿に戻っている。
R OYAL SHINGI HOTELに1ヶ月ぶ
りに戻る。
薄茶色のぬるま湯だが体がふやける程長く風呂に
薄茶色のぬるま湯 だが体がふやける程長く風呂につ
だが体がふやける程長く風呂に つ
かり2度も3度も洗い流す。
かり2度も3度も洗い流す。
16
【10且4日】カトマンズ泊
【10且4日】カトマンズ泊
TBCから2日でカトマンズに
TBCから2日でカトマンズに下山
カトマンズに下山した。
下山した。行きには
した。行きには
カトマンズからラサに飛び、更にトヨタのランドクル
ーザーで幾つもの峠を越えてTBCまで1000k
m余を遠回りして、6日間かけ
m余を遠回りして、6日間かけTBC入りしたのは、
して、6日間かけTBC入りしたのは、
高所順応をしながらのことでし
高所順応をしながらのことでした。
でした。
昼は我々全員、
昼は我々全員、サーダーの自宅に招待され、シェル
我々全員、サーダーの自宅に招待され、シェル
パ全員と共々ご馳走になる。
自宅は5階建ての立派なビルで全員驚かされる。
自宅は5階建ての立派なビルで全員驚かされる。
シェルパは年2回、春、秋の遠征で生活している
シェルパは年2回、春、秋の遠征で生活しているが、
は年2回、春、秋の遠征で生活しているが、
年2回の遠征に採用されれば高給の
年2回の遠征に採用されれば高給の大学教授、高級官
高給の大学教授、高級官
僚より稼ぎがあるようだ。後で分かったことだが、裏
に、もうひとつ一段と
、もうひとつ一段と立派なビル建設中の現場を見て
一段と立派なビル建設中の現場を見て
度肝を抜かれました。
同行したアンダワはサーダーの次男で壁に
同行したアンダワはサーダーの次男で 壁にエベレス
壁に エベレス
トへ3回登頂した写真が飾られている。人柄もよく次
期サーダー候補者のようだが、長男は高所で遭難死
期サーダー候補者のようだが、長男は高所で遭難死し
ておるので、
ておるので、父・
るので、父・サーダーは
父・サーダーは次男・
サーダーは次男・アンダワを高所
次男・アンダワを高所シ
アンダワを高所シ
ェルパではなくトレッキング・
ェルパではなくトレッキング・シェルパ
ではなくトレッキング・シェルパにさせ度い
シェルパにさせ度いの
にさせ度いの
だと大蔵から聞く。
大蔵から聞く。
夕食はチベット料理店で
夕食は チベット料理店でシシャパンマ登頂祝賀会
チベット料理店で シシャパンマ登頂祝賀会
になった。
日本隊19名全員とサーダー婦人、レーガルトラベル
日本隊19名全員とサーダー婦人、レーガルトラベル
社長と幹部、運
社長と幹部、運転手などが
と幹部、運転手などが一堂
転手などが一堂に会し
一堂に会し、乾杯、乾杯を
に会し、乾杯、乾杯を
繰り返し、彼等の大活躍に敬意と感謝を表す
繰り返し、彼等の大活躍に敬意と感謝を表す。
し、彼等の大活躍に敬意と感謝を表す。
レーガル・トラベルの社長はネパール人だが流暢な日
本語と冗談まで
本語と冗談 まで交えて座を和ませながら司会を進行
まで 交えて座を和ませながら司会を進行
してゆく。日大卒と聞き納得する。
此処に出席するに当たり¥
此処に出席するに当たり¥25,
25,000円会費を支払
000円会費を支払
う。
アドベンチャーガイズの予算に我々の2万円がシェ
アドベンチャーガイズの予算に我々の2万円がシェ
ルパ達へのボーナス、5千円が会食分に加算されると
説明を受ける。
陰で論議を呼んだが、悪条件下で登頂出来たのだから
陰で論議を呼んだが、悪条件下で登頂出来たのだから
仕方ないだろうと落ち着く。
我々6名はやっ
我々6名はやっぱり純潔の日本人ですね。
【10且5日】カトマンズ泊
休養日
【10且5日】カトマンズ泊
夏のスタイルに着替えたので、沢山の衣類が余って
きた。明日の出発の準備にかかり、背負って帰る物と
きた。明日の出発の準備にかかり、背負って帰る物と
日本に帰ってから一ヶ月程しないと受け取れない
日本に帰ってから 一ヶ月程しないと受け取れない別
一ヶ月程しないと受け取れない 別
送品とに分ける。
送品とに分ける。
成田空港を出発してから伸ばしっ放しだった髭を手
入れして日本に帰ろうとシンギ・
入れして日本に帰ろうとシンギ・ホテルを
シンギ・ホテルを出る。この
ホテルを出る。この
春カトマンズに来た時知った王宮近くのアンナプル
ナ・ホテルの理髪店に寄る。
ナ・ホテルの理髪店に寄る。エイズの心配もあり
に寄る。エイズの心配もありカト
エイズの心配もありカト
マンズでは一流の店を選ぶ。
マンズでは一流の店を選ぶ。日本に帰れば剃り落とす
の店を選ぶ。日本に帰れば剃り落とす
ことになるので数日間楽しむだけだが、満足して63
0ルピー(約1,000円)支払う。
昼食は個人負担なので一番の繁華街のタメール街に
昼食は個人負担なので一 番の繁華街のタメール街に
ある日本料理店『ふる里』に4人で出向く。さばの味
噌煮定食
噌煮定食:30ルピー
定食:30ルピー(480円)
:30ルピー(480円)。懐かしい味に郷
。懐かしい味に郷
愁をそそられる。
夕食も『ふる里』に出掛ける。昼に居なかった2人を
誘い6人全員で最後の夜を過す。今日までの36日間
で山男同士の絆がしっかりと結ばれ、一生の付き合い
になるだろう。
6 人でたっぷり飲み食いして10ドルで釣銭がもら
えた。
いくらなんでも計算間違いではないのかな??
いくらなんでも計算間違いではないのかな??
ホテルのテレビで豊橋が集中豪雨にあい2000
人に避難命令が出されことをNHKで知る。心配!!
ターミナルの一番端
ター ミナルの一番端の一番ゲートからバスに乗り搭
ミナルの一番端 の一番ゲートからバスに乗り搭
乗する。
朝の名古屋空港に家内、娘夫婦が向かえてくれる。
お陰さまで、66 歳の青春を成し遂げることが出来まし
た。
応援して下さった皆様大変有難う御座いました。
応援して下さった皆様大変有難う御座いました。
感謝申し上げます。
完
3 参加者
隊長:大蔵喜福
サブ:近藤 明
隊員:
隊員:南井英弘
荒山孝郎
政木通弘
山梨柾巳
山梨柾巳
斉藤祐一
森安東光
1951年2月8日
1951年2月8日生
2月8日生
1955年9月21日
1955年9月21日生
9月21日生
1935年9月20日
1935年9月20日生
9月20日生
1935年10且4日
1935年10且4日生
10且4日生
1938年2月4日
1938年2月4日生
2月4日生
1941年7月28日生
1947年1月28日生
1947年1月28日生
1959年4月5日生
Sardar:
AngPhurpa Sherpa
Exp. Sherpa: ※ Chhewang Nima
Ngima Nuru
Pasang Kidar
Dawa Chiri
Pemba Geljen
Lhakpa Tshering
Pemba Geljen
Cook : Dawa Tshery Sherpa
Krishna Bahadur Tamang
Kitchen Boy: Ang Chhiri Sherpa
【10 且 6 日】カ
日】カトマンズ 13:
13:00――
00――バンコク
――バンコク 17:
17:50
スーツ姿のサーダーとオートバイで見送りに来て
くれたアンダワと握手を交わしシンギ・ホテルを後に
空港に向かう。
人と車でごった返
人と車でごった返している街中を通り抜け、入口で兵
している街中を通り抜け、入口で兵
隊の検問を受け空港に着く。
手続きの時、私だけ名古屋へ向かうのをカウンターの
手続きの時、私だけ名古屋へ向かうのをカウンターの
係りに言い忘れ
係りに言い忘れ、手荷物が成田行きと一緒になってし
忘れ、手荷物が成田行きと一緒になってし
まう。
今までだと、搭乗するとき飛行機の間近かで全員の荷
物が広げられおり、
物が広げられおり、再度確認出来たのだが今回は積み
再度確認出来たのだが今回は積み
込まれてしまっていた。
大蔵に成田から宅急便にて着払いで送ってもらうよ
大蔵に成田から宅急便にて 着払いで送ってもらうよ
う依頼する。
木製長椅子の待合室では皆無口で過す。
バンコク空港の乗り換えで私は 7 時間程過さなけれ
ばならないが勝手知った空港なので不安はない。
ばならないが勝手知った空港なので不安はない。
23時過ぎ、成田に向かう
23時過ぎ、成田に向かう 7 人を25番ゲートに見送
り、来年 2 月、副隊長・近藤が経営する米沢・天元台
月、副隊長・近藤が経営する米沢・天元台
のロッジで再会を誓う。
53歳
49歳
69歳
68歳
66歳
63歳
58歳
45歳
1947年生
1967年
1967 年 生
1981年生
1979年生
1966年生
1969年生
1983年生
1983年生
1972年生
1975年生
1970年生
1978年生
※ Chhewang Nima は多くの8000m峰に登って
おり、エベレストだけでも11回登頂しているクライ
ミング・シェルパである。
ミング・シェルパである。
今回、頂上直下の急雪面でのラッセル、氷壁と岩璧の
今回、頂上直下の急雪面でのラッセル、氷壁と岩璧の
登攀を目の当たりにして最強のシェルパの称号に値
すると納得した。
【10 且 7 日】バンコク 0:50――名古屋
50――名古屋 8:30
家内がフクロウの置物を集めているので、今までと
家内がフクロウの置物を集めているので、今までと
違う水牛の角のつがいのフクロウを土産に10ドル
で買う。
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