第2日 6 月 13 日(日) E会場 セッション「コミュニティとジェンダー」 専業主婦と「豊かさ」の評価 小宮山 康朗 むかしむかしあるところにブラッドリーという名前の男の子がいました。8 歳になったころブラッドリ ーはなんでもお金で価値を決めるようになっていました。…そして値段の安いものはまったく価値 がないように思えるのでした。…ある朝、食卓についたブラッドリーは、きちんとたたんだ小さな紙 切れをお母さんのお皿の上に置きました。… ブラッドリーからお母さんへの請求書 おつかいの代金 3 ドル ゴミ捨ての代金 2 ドル 床そうじの代金 2 ドル その他 1 ドル・・・・・・合計 8 ドル お母さんは読み終わるとにっこり笑いましたが何も言いませんでした。お昼になると、 お母さんはブラッドリーのお皿の上にあの請求書と 8 ドルをのせました。・・・ ブラッドリーは…お皿のわきに紙切れがもう一枚おいてあるのに気づきました。・・・ それはお母さんからの請求書でした。それには、こう書いてありました。 お母さんからブラッドリーへの請求書 やさしくしてあげた代金 水ぼうそうのとき看病した代金 シャツ、靴、おもちゃの代金 食事のしたく、部屋のそうじの代金 無料 無料 無料 無料・・・合計 無料 ブラッドリーはなんにも言わずにお母さんからの請求書を見つめて座っていました。 そしてしばらくして立ち上がると、ポケットの中から 8 ドルを取り出し、お母さんの手のひらに置いた のです。… …お金で買えないものがほんとうにたくさんあります。そして、そのなかにはこの世でもっとも尊 いものも含まれているのです。… (ヒュー・H・カー「ブラッドリーの請求書」) 「男女共同参画社会」という時代の流れの中で、「専業主婦」という存在が社会的に評価されなく なってきている。マスメディア等で「働く女性」と呼ばれるのは「金銭的な稼ぎがある女性」であり、主 婦という女性は「働いていない女性」と扱われる。また、「これからの女性は家庭の外で働いて社会 に貢献すべきもの」といった認識も一般化していると言えよう。 しかし、女性は「稼ぎ」がなければ「働いている」「社会に貢献している」と認められないのか。「生 活者」の視点からすれば、「所得」や「市場的価値」の大小をもって「豊かさ」を評価するのはむしろ 一面的ということにならないか。さらに市場社会へ男女とも組み込まれてゆく時代の流れこそ批判 的に捉えられるべきではないか、として、身近なコミュニティの「非市場的価値」がもつ豊かさに注目 し、これまでの「豊かさ」の評価を再検討しようとする動きもある。無論、本報告は「女性は主婦をせ よ」といった言説に与するものではない。「主婦という女性」を見下すことなく、主婦が現に行なって いる身近なコミュニティの豊かさを高める「働き」「貢献」がどう評価されるべきなのかについて、近年 の議論や報告を整理し、経済社会の「豊かさ評価」に関する考察を深めたいのである。
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