第 5 章 豊かな社会の格差と不平等

20XX 年度
第5章
社会学基礎ゼミナール A 期末小論文
豊かな社会の格差と不平等
―社会階層を考える―
○学部
○回生
XXXX-XX-XXXX
○○○○
1.内容要約
A) 「勝ち組」
「負け組」と社会階層
資本主義の経済体制のもとでの自由競争には長所と短所がある。その長所とは、み
んなが競い合うことにより、一人ひとりの努力が促され、社会全体が活発に進展して
いくということであり、短所とは、行き過ぎた競争が勝者と敗者の間に大きな格差を
生じさせるということである。
現代社会において、1990 年代後半に「勝ち組」
「負け組」という言葉がよく用いられ
るようになった。当初この言葉は企業の業績を説明するために用いられていたが、現
在では一人ひとりの生活や人生の状態を表現するときにも用いられている。このこと
は、社会が自己責任に基づく成果の競争がなされる方向へと変化しつつあることを示
唆している。
B) 成長期から豊かな安定期へ
「万国博覧会(エキスポ‘70)」
(1970)と「愛・地球博」(2005)を比較すると、豊か
さの水準の関しては、それほど大きな隔絶間はない。このことは、過去 35 年の日本人
の生活水準が、一定の豊かさを維持しつつ安定的に推移してきたことを裏づけている。
同時にそれは、絶対的貧困からの急成長という「エキスポ‘70」以前の経験が、歴史
の彼方へと追いやられつつあることを示している。
日本は、右肩上がりの急成長期の後、微増あるいは横ばいの高原期(安定期)を経て現
在に至っている。実は、このような成長の後に続く長い豊かさの安定状態が、現代社
会で生じている諸現象の重要な背後事情となっているのである。
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C) 総中流から格差・不平等社会へ
高度経済成長期の終焉である 1970 年頃、豊かさ・格差・不平等について日本人が抱い
ていたイメージは、「一億総中流」という言葉に集約できる。これは、自分の階層帰属
を尋ねられたときに、90%以上の人たちが「中」と回答するのうになったことを指して
いる。ただし、これは主観的判断によるもので、客観的事実を表すものではない。
ところがこの認識は、近年になって一転し、私たちは、日本社会を、
「勝ち組」と「負
け組」に二極化した社会、あるいは下層に重心の移った「下流社会」であるとみるよ
うになり始めている。
格差・不平等は、現代日本社会が克服すべき大きな構造的な課題となっている。
D) 子どもが親を越えられない時代
1980 年代後半ごろから、2 世○○への注目が高まるなど、親の職業と本人の職業の
関係への社会的関心が高まりつつある。高度経済成長期には、親と異なる産業、職種
に就くことができ、誰もがそのことを親よりも「良い」職に就いたと考えていた。し
かし、安定期を経た今日の親と子の関係では、もはや構造的な上昇が確保されること
はなく、職業的地位が親より低くなければ上々と考えなければならなくなっている。
また、近年、未婚化・晩婚化ということが盛んに言われているが、この傾向を助長す
る要素である「パラサイト・シングル」が増加したのも右肩上がりの成長の終焉に起因
すると言われている。
このように、豊かな安定期の継続により誰もが親世代の豊かさを上回る成長の時代
が終わり、子どもが親を越えることが難しい、膠着的な時代が静かに進行しつつある。
E) 経済的実態の背後にある本質
社会学の見方で捉える格差・不平等は、金銭的な豊かさに限らない。むしろ、経済的
な格差・不平等は、その背後にある職業や学歴、あるいは親世代からの地位継承のアウ
トプットであると考えられている。このように、社会学的な立場で格差・不平等問題を
みる研究を社会階層論という。これは、格差・不平等問題を是正する上で重要である。
F) 豊かさ・格差・不平等
豊かさとは、その社会の平均値(標準値)によって捉えられる実態を指している。格差
とは、階層指標の分布のばらつきの大きさを指しており、特に分布の状態が社会的な問
題性をはらむ大きさであることを含意している。不平等とは、理念としての平等の状態
がうまく満たされていないという社会の仕組みを意味している。その視野には原因と結
果というような因果関係が入る。
“格差”が事実判断であるのに対し、
“不平等”は価値
判断であり、格差の大きさそれ自体ではなく、格差を発生させる原因、すなわち世代間
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関係や地位達成過程を論じる概念なのである。
G) 日本の高学歴化を振り返る
この半世紀の高学歴化の歴史を振り返ると、義務教育が延長し、高校進学率 90%以
上に達し、人口の約半数以上が大学に進学するという状況に至っている。この変動は、
生年ごとの平均教育年数の伸びをもたらし、日本社会はこうして公教育に関する豊かさ
の安定継続状態に至ったのである。
しかし、教育水準の向上(豊かさ)と学歴の平準化(格差)と教育機会(不平等)の間には
「豊かになってもなお、格差も不平等も持続する」という関係がみられる。社会が豊か
になっていくことと、格差・不平等問題の解消には、明確な関係性は見出されていない。
H) 豊かさのなかの不平等
高度経済成長期は、豊かな生活水準の実現をもたらし、構造移動によって、世代間関
係における地位上昇が確保されている時代であった。これに対し、その後の長い豊かな
安定期には、構造的な変動の総量が減り、世代間継承の不平等な構造を見極めやすい状
況がもたらされた。この変化が、“一億総中流の熱狂から新しい格差・不平等社会の覚
醒へ”という階層問題の論点の転換をもたらしたのである。また、これは未婚化、晩婚
化、雇用の流動化という新しい社会現象の背後事情にもなっている。
豊かさの実現が達成され、成熟したポスト工業化期を進みつつある現代日本社会にお
いて、変化の契機を失ったまま取り残されている格差・不平等問題にいかに対処してい
くかが私たちの目下の課題である。
2.
コメンテータのコメント
A) 成熟学歴社会
格差社会が成熟し、親の学歴を越えられずにいる状況が生じている。また、階層帰属
意識[現在の日本社会において、自分がどういう階層にいるのかという意識]と学歴の
関連性は増大している。
日本社会において、大卒/非大卒の境界線は、社会のちょうど中央に敷設されている。
こうした二極化の間に隔たるものが、インセンティブ・ディバイド(意欲格差)
[学校現
場(背後にある家庭学習を含む)における、子供たちの意欲の階層差]である。努力す
れば何とかなると考える者もいれば、努力しても仕方がない、努力する気になれないと
いう者もいる。この背景に、母親の学歴ごとに差が拡大しているという事実がある。高
卒の親には高卒の子、大卒の親には大卒の子、といった傾向がある。
B) 大卒/非大卒の経歴
かつて、大学は一部の学問をしたい人が行く場所であり、エリートとしての希少価値
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があった。一方で現在は、大学はある集団の人が行け、ある集団の人は行けない場所と
なっている。その境界線は社会の中央で層を分断しており、明瞭で決定的である。
また、同一教育システムの長期継続により、最終学歴の意味の普遍性が増してきてい
る。[戦後 60 年以上同じ教育システムが継続した結果、指標そのものがあらゆる世代で
共有されているため。]それに加え、年齢、職業階層という要素が影響力を弱めた結果、
学歴の他に人々に共通する階層評価基準がなくなる可能性が生じている。
3.
参考文献を読んで
①原順輔・盛山和夫 『社会階層―豊かさの中の不平等』 東京大学出版会 1999
【5 章

ジェンダーと階層】より
主婦イデオロギーの時代
日本社会には、M字型就労という日本に顕著な形が見られる。このM字型就労が可能
であるためには、まず第一に一定の豊かさがなくてはならない。少なくとも育児・子育
て期の間は主婦が稼得労働に従事しなくとも家計が成り立っていくということが必要条
件である。第二には、家業がないほうがいい。家業は、家族全員が協力・協働してひと
つの経済活動を遂行することが期待されているからである。非M字型就労が貧しさとか
家業意識に支えられていたということは、逆に、専業主婦として労働市場から撤退する
ことが、豊かさや家族あるいは生活様式の近代性と結びついて意識されたこと意味する。
大企業や官庁のホワイトカラー層の夫を持つ都市中間層家族において、女性の専業主婦
化が早くから確立したのは、そのような生活様式が階層的な上位性を表現するものだっ
たからである。
「専業主婦は中産階級であることのシンボル」だったということにもなる。
戦後の復興期を経て、1955 年に二十代であった人々を中心として、結婚すると退職し
て家事に専念するというタイプの女性がそれ以前よりも増えていった。これを「主婦化」
と呼ぶ。戦後日本に起こった女性のキャリアパターンにおける変化は、まず第一に、こ
うした主婦化であった。
1960 年から 1975 年にかけて若年層の女性労働力率は一貫して低下を続けていたが、こ
の直後から、二十五~二十九歳の労働力率は急速に上昇し始める。この時期は合計特殊
出生率が次第に低下し始めた時期と一致しており、つまり、1951 年生まれ以降の世代か
ら、女性の「脱主婦化」と「晩婚化」とが同時に進み始めたということである。

ライフコースの変化
1975 年以降、さまざまな面で女性の就業機会が拡大してきたといっても、欧米ではす
でにフラットになっている労働力率カーブが日本ではまだ明確に存在していることから
うかがえるように、育児期の女性が就業を継続するには多くの困難が残っている。この
問題を考えるにあたって、「女性のキャリアに関する選考意識」と「それぞれの生き方の
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外的条件」を区別することが重要である。実際にはこの二つは互いに絡み合っている。
例えば、戦後から高度経済成長期にかけて進行した「主婦化」および「主婦イデオロギ
ー」は、基本的には女性自身の選考であるが、他方でその選考は専業主婦という生き方
を容易にし、かつ他の選考選択肢よりも好ましいものにする諸条件によって支えられて
いたのである。
②吉川徹
『学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会』
【5 章
東京大学出版会
2006
親の学歴からこの学歴へ】より
苅谷剛彦およびその共同研究者たちは、九十年代中盤以降の、ゆとり教育および新し
い学力観を推し進める教育改革は、子どもたちの学校教育に対する構えに、階層による
分断線が投影されやすい状態をもたらしたとしている。
八十年代までの学校教育は、児童・生徒はほぼ全員を学力向上に向かわせる強い働き
かけの力を持っていた。ところが、今日の学校では、学欲意欲のある子はどんどんその
長所を伸ばすが、意欲のない子には無理に詰め込むことはしないという、従来とは異な
る教育方針が採られている。そのために、従来は修正されていた階層間格差が、むしろ
増幅されるようになり、同時に、親の教育戦略の階層差も発揮されやすくなっている。
「ゆ
とり教育が格差拡大をもたらした」と言えるのではないか。
4.
自身の視点からの考察
ゼミ全体を振り返ってみて、一番議論が熱くなったのはジェンダーに関する問題であ
ったように思う。第 7 章「『ジェンダー・フリー』のゆくえ」の回では特に、女性は社会
進出すべきか、専業主婦となるのがよいのか、ということについて議論が繰り広げられ
た。そこで、私は社会の格差・不平等をジェンダーの観点から見る“ジェンダーと階層”
に注目し、上記の①の参考文献を読んでみた。私はM字型就労にも豊かさが関係してい
ることが興味深いと思った。議論でも話が持ち上がったように、女性がどういった職業
選択をするかということも、やはり社会階層が背後に潜んでいるのだとわかった。
次に、②の参考文献を読んで気になったのは、ゆとり教育と階層間格差の関係である。
私たちはゆとり教育の世代と言われているが、ここにも階層との関連性があるとは思っ
ていなかった。ゆとり教育の問題点はいろいろと指摘されているが、ゆとり教育の弊害
がこうした側面にも存在することが新たにわかった。
また、今回のゼミで用いた教科書では、社会階層の世代間関係を述べたうえで、それ
を少し異なる側面からも触れており、筆者はその一つとして未婚化・晩婚化に着目し、
この傾向を助長するパラサイト・シングルの増加も高度経済成長期の右肩上がりの成長
の終焉に起因するものだと述べている。①の参考文献にも、高度経済成長期以降、脱主
婦化・晩婚化が進んだと書かれている。これらから、高度経済成長期とその後の安定期
にわたる社会の構造の変化は、新しい社会現象にもつながっていることがわかる。
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今回取り上げた社会の格差・不平等の問題は、職業選択やゆとり教育など様々な問題
と関連していることがわかった。現代社会で起きている問題は、どこかでリンクしてい
ることが多いのであろう。このような社会に生きる私たちは、進路や職業選択にしても、
社会階層や地位などの外的条件に左右されることなく、自身で自分の道を選んでいくこ
とが大切だと感じた。そのためにはそれを可能にする、あるいは支えてくれるような格
差・不平等のない社会の形成が必要ではあるが、行動を起こすのはあくまで自分の意志
を持った、私たち一人ひとりの個人であると思う。一人ひとりが、今の社会でどのよう
に歩んでいきたいのかを考え、強い意志を持つことが何より重要なのではないか。
5.

参考文献
教科書 : 友枝敏雄・山田真茂留[編]『Do!ソシオロジー-現代日本を社会学で診る』
有斐閣 2007
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原順輔・盛山和夫 『社会階層―豊かさの中の不平等』 東京大学出版会 1999
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吉川徹 『学歴と格差・不平等―成熟する日本型学歴社会』 東京大学出版会 2006
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