病気のプロフィル No. 28 肺 気 腫 ― 進歩した画像解析― 肺気腫 pulmonary emphysema の病名が初めて医学のモノグラフに現れたのは 今からおよそ180年前というから[1]、この「病気のプロフィル」で今まで取り上げ てきた30年∼50年の歴史の病気に比べれば、肺気腫は古い歴史の病気である。 なぜこのシリーズでさほど新しくもない病気を取り上げたか。理由は三つある。 第一は、このところ関連の病院に次々とこの病気の定型例が入院してきたことで ある。 第二は、この10年でこの病気の画像解析が格段に進歩したことである。 第三は、久々に日本内科学会総会の宿題報告に肺気腫が取り上げられたことであ る。4月1日に予定されている北大第一内科・川上義和教授の宿題講演「肺気腫― 成因から治療まで」がそれである。内科学会の特別企画に肺気腫が取り上げられる のは何十年ぶりのことであろうか。もちろん慢性閉塞性肺疾患(COPD)の一部とし てこの病気が話題になることは珍しくはないが、肺気腫一つにしぼった宿題報告は、 1960年以来、筆者の記憶にはない。どのような内容の講演がなされるか、楽しみで ある。 本稿でまとめるのは、もちろん肺気腫の全容についてではない。診断、なかでも 一般の医療機関でルチンにおこなわれている胸部X線写真とCTの画像解析で、近ご ろとくに「画像所見の記載のしかた」が気になるから、その点に重点をおいて、ま とめてみることにした。 肺気腫とはどのような病気か これは臨床雑誌の座談会での話であるが、ある患者が主治医に「肺気腫とは肺の どのようなできもの (腫瘍) ですか」と質問したそうである。なるほどこれは医師の 盲点で、気腫の「腫」が新生物の印象を与える可能性には気づかなかった。もう一 つは筆者自身の経験であるが、ある肺気腫の患者が「胸の専門家に私の病気が肺気 腫という不治の病 (やまい) であると言われたときにはどん底に突き落とされた思い がしましたが、しかし、もうあれから10年も生きています」と言った。 これらのエピソードは病気の告知と説明にはいかに細心の注意とデリカシーを要 1 するかを示している。さて、以上のことをふまえて、はじめに肺気腫の定義をして おかねばならない。 肺気腫は、1958年に開催された Ciba Guest Symposium において、次のように 定義された[2]。 「肺気腫とは、終末細気管支から末梢の肺胞が異常に拡張するか、あるいは肺胞 壁が破れて隣り合う肺胞が融合し、容積を増した状態である」。 以上、肺胞という気道単位に限定したが、肺胞性陰影の基本は細葉の陰影 shadow である。組織学的には細葉 acinus acinar は一本の終末細気管支から末梢の呼吸 細気管支、肺胞道、肺胞管、肺胞嚢、肺胞をふくむ肺の末梢の部分で、肺の重要な 機能単位である[3]。 より具体的にいえば、肺気腫とは、終末細気管支から末梢の含気領域―気腔 space air が不可逆的に拡張した病理形態学的な変化で、大抵の場合、呼吸細気管支、 肺胞道、肺胞のいずれかの部分に破壊・断裂がみられ、含気領域が融合して拡大し ている。しかし病変部の肺組織に線維化は認められない[4]。 Ciba Guest Symposium から約4年後の1962年にアメリカの胸部疾患学会が再 び肺気腫を定義し直そうとしたが、結果は大綱において以前とほとんど変らず、上 述のように、「線維化は認められない」という一項目を加えるにとどまった[5]。 肺気腫の臨床病理学的分類 表1と図1に示すように、肺気腫は従来から三つの型に分けられている[6, 表1 . 肺気腫の分類 ⑴ 小葉中心性の肺気腫 centrilobular ⑵ 汎細葉性の肺気腫 emphysema panacinar emphysema ⑶ 遠位細葉性の肺気腫 paraseptal emphysema ⑷ 肺気腫の疑い 小葉中心性の肺気腫 7]。 pulmonary centrilobular emphysema emphysema (CLE) suspected は、病気の初期に呼吸細 気管支壁に破壊・断裂と拡張が起こり、それぞれの気腔が融合して小葉の中心の部 分に拡張した空間が生ずるもので、一般に肺の上部に多く見られるという 上段)。この型の肺気腫は喫煙や慢性気管支炎と関連があるらしい。 2 (図1の 汎細葉性肺気腫 panacinar emphysema (PAE) は肺胞嚢が拡大し、小葉全体が広 い範囲にわたって変化しているもので、肺胞道と肺胞嚢が区別しにくくなっている (図1の中段)。この型の肺気腫はα1 -アンチトリプシン欠損症と関連が深いとされ ているが、欧米に比べてこの先天代謝異常の頻度が低いといわれるわが国でも、こ の型の肺気腫はさほど少なくはないらしい。症例1もおそらくこの型に相当するで あろう。 A S+AS R B3 se pt um R B3 小葉中心性の R B3 R B2 肺気腫 TB R B1 R B2 R B3 R B3 i nflam ed 汎細葉性の TB 肺気腫 R B1 R B3 R B2 AD AS A se pt um AS AD 遠位細葉性の TB 肺気腫 図1. R B1 R B2 R B3 肺気腫の型 TB:終末細気管支、RB:呼吸細気管支、 AD:肺胞道、AS:肺胞嚢、A:肺胞 (永井 遠位細葉性肺気腫 paraseptal 1997 による。一部改変). emphysema 嚢が拡張しているもので、ふつうそれ単独では ていなければ) (PSE) は主に肺胞道か、末梢の肺胞 (他の閉塞性肺疾患が一緒に存在し 呼吸機能はほとんど障害されることはない (図1の下段)。 以上の型のほかに、軽症な肺気腫は胸部X線写真だけでは肺気腫と診断しがたく、 それかといって肺気腫の診断は捨てられない一群のものがある。このようなものは、 表1に示すように、「肺気腫疑い」として第4のカテゴリーに入れ、次の段階の検 3 査、すなわち胸部CT、呼吸機能、および動脈血のガス分析をして肺気腫であるかど うかを判断する。このカテゴリーのものは高分解能CTの普及によって上の三つの型 のどれかに入るものが増えつつあるという。上述の川上教授の講演で聴きたいこと の一つは、このことである。 そ のほかに 肺結核、 無気肺 、肺線維 症などに 随伴し て生ずる 代償性肺 気腫 compensating emphysema があるが、これは上述の肺気腫とは別に取り扱われる [6]。 胸部X線写真の解析 約20年前までは、胸部X線写真ではある程度以上進行した肺気腫しか診断できな かった。当時、肺気腫の重症度と比較的よく相関するX線写真上のマーカーは肺野 の高さ、横隔膜の低位、傍胸骨腔の拡大などであった[8]。しかし、この10年来、 CT、とくに高分解能CTによって得られた知見が胸部X線写真にフィードバックされ てX線写真自体の読影も変わってきた。 読影における専門用語の使用 とくに研修医を抱えている教育病院では、所見の 記載にできるだけ英語かラテン語の専門用語 (technical term) を用いることが望ま しい。患者のプライバシー保持の意味もある。 図2 肺気腫の胸部X線像(症例1:82歳の男性) 左:背腹矢状方向、右:横方向。所見については本文参照。 (福岡逓信病院・津田泰夫博士原図)。 4 X線学的な常用語については良い教本がいくらもある。その一つとして、版が少々 古くなったが、日本医師会発行の「胸部X線写真のABC」(片山仁監修、1990) を奨 めたい。内外を通じて、最も秀れたものの一つである。 症例1についての所見 背腹矢状方向と横方向の写真がある症例1を主に所見を 述べる (図2と3)。英語またはラテン語を先に、次に邦訳を記す。専門用語として 図3. 症例2 (66歳の男性) の胸部X線像 (早良病院・高木宏治博士原図) 。 常用されているか、それに近い用語はイタリック体の文字で示す。 ⃝ overexpansive lung (過膨張肺) この所見は症例1、2のどちらにも見られ る。過膨張肺の型と程度は様々であるが、ここではその委細には触れない。 過膨張肺をきたす呼吸器疾患は肺気腫だけではない。最もよく知られているのは 汎細気管支炎で、そのほかに長い病歴の気管支喘息でも見られる。一般に汎細気管 支炎ではエリスロマイシン療法などによって過膨張肺は正常容量の肺野にもどるが、 肺気腫のそれは非可逆性である。 過膨張肺を構成する影像要素として、次の五つの所見がある。 5 ⃝ barrel - shaped thorax (樽状胸郭) 図2の右側の写真がこの状態をよく示して いる。 ⃝ hypertransradiancy (肺野の透亮度増加) いわゆる「明るい肺野」で、肺の含 気量が平均して増加していることを示している。 ⃝ low and compressed diaphragms with muscle slips (横隔膜の低位と筋束 影) 過膨張肺では横隔膜ドームが消失し、横隔膜の外側部分が腹部の方向に反転し て凹状になり (逆ドーム化)、肋骨起始部の筋束 muscle slip が階段状に描出される。 ついでながら、肺気腫における低位横隔膜と対照的なのが間質性肺炎における高 位横隔膜である。一般に間質性肺炎では肺野の上下の長さ (肺の高さ) が短縮する傾 向がある。今後、気をつけて見ておくがよい。 ⃝ enlargement 間の拡大) of parasternal and retrocardiac spaces (傍胸骨腔と心後部 空 図2の右側の写真がこの状況をよく示している。 ⃝ drop heart(滴状心) これは肺気腫では意外に高い頻度で見出される。症例1、 2とも細長い心臓である。滴状心は一般に縦隔洞縮小の結果であると説明されてい るが、それだけで納得しにくい。進行した肺気腫でなぜ肺動脈圧高血圧症が起こら ないのかという点も謎である。 ⃝ emphysematous bullae, blebs (気腫性嚢胞―ブラ、ブレブ) 縮写した図2の 写真では見えにくいが、もとの原寸大の写真では両側の上肺野にかなり大きなブラ、 ブレブが見出される。気腔の拡大または融合したもので、ふつう壁は薄く、結核性 空洞や肺膿瘍のように液状の物質が貯留していない。 画像診断上ブラとブレブははっきりと区別されない傾向があるが、病理組織学的 にはブレブは胸膜直下に在って径1㎝以下の比較的小さな嚢胞、ブラは肺の実質内 に在って径1㎝以上の比較的大きな嚢胞として区別されている。 気腫性嚢胞は肺気腫患者に生まれつき存在しているものか、肺気腫の進展過程で 生じてきたものかよく分かっていない。症例2の患者は幼少時にブラ、ブレブが原 因でないかと推測される気胸を起こしている。この点は肺気腫の成因論で一番気に なるところである。これについても川上教授の考えを聴きたいものである。 ⃝ inflammatory, の残遺・痕跡) or reconstructive residues (過去における炎症または再構築 肺気腫では過去に頻回に肺の炎症、気腔の損傷―修復―再構築を繰 り返したのではないかと推測される陰影が認められる。この陰影は直ぐ以前の結核 の名残り (old tuberculosis) と判断されがちであるが、結核性であるとは限らない。 6 ⃝ bronchial cuffing(気管支壁の肥厚) 両肺門部から末梢肺野にかけて気管支壁 が一部肥厚し、不規則な形態を示している。この変化はCT像と対照すると、よく分 かる。上に述べたように、一般に肺気腫の胸部X線写真には「明るい肺野」の印象 があるが、病変が進展するにしたがって、過去の肺病変が加わって「きたない肺 dirty lung」の像を呈するものがある。症例1にもその傾向が認められる。 高分解能CTによる画像解析 この10年間にCT、とくに解像能力の秀れた高分解能CTが普及してから肺気腫の 図4. 症例2のCT像 低濃度吸収値領域(LAA) が見られる (早良病院・高木宏治博士原図) 図5. 。 症例2のCT像 LAA、気腫性嚢胞が多数が見られる。 (早良病院・高木宏治博士原図) 7 。 (矢印) 。 診断は著しく進展した[12]。 低濃度吸収値領域 胸部X線写真ではっきりと肺気腫の所見が得られない場合で も、高分解能CTで辺縁が薄く、境界がやや不鮮明な円形または類円形の低吸収像が 認められることがある (LAA) (図4と5)。これを低濃度吸収値領域 という。近ごろでは表1と図1の分類も LAA CT上の所見の特異性 福岡大学内科の吉田稔教授ら low attenuation area を参考にすることが多い。 (1990) は、肺気腫のCT上の 所見を7項目にわたって示している。これらのなかで肺気腫に最も特異性が高いの は [10, LAA で、伸展・固定された肺の標本における気腫性病変によく対応するという 11]。また慢性閉塞性肺疾患に LAA が見出されれば、他の閉塞性肺疾患に加え て肺気腫の診断をしてもよい[12]。しかし径5㎜以下の気腫性病変は高分解能CTで も描出されないらしい[12]。 表2. ⑴ 肺野に低濃度吸収値領域 CT上の肺気腫 (LAA) が増える。 ⑵ 肺血管の陰影が減少、消失、破壊、変形、細小化する。 ⑶ 肺の構築 ⑷ 気腔 (肺実質) (air が不規則に破壊される。 space) の拡大とブラ様の変化が見られる。 ⑸ 肺の過膨張、縦隔の狭小化、胸郭の前後径の増大などの所見が見られる。 ⑹ 呼気の相で LAA が残存する (吸気と呼気の相における差の減少)。 ⑺ 肺野の濃度の前後勾配が減少する。 ただし、以上の所見には、次のような若干の非特異的な変化がふくま れる可能性がある。 ⒜ 肺野の低濃度変化は肺気腫に特異的であるとは限らない。 ⒝ 血管陰影の減少・消失は、葉間や胸膜下などについては、正常者 でも見られる。 ⒞ 肺の構築の不規則な破壊は気管支拡張症などでも見られる。 ⒟ 呼気の相における LAA の残存は空気とらえこみ でも起こりうる。 吉田ら (1990) を一部改変。 8 (air trapping) 以上の画像解析法のほかに、CTによる視覚的定量評価法や拡大法による選択的気 管支肺胞造影法などがあるが、放射線曝射量が大きいこと、患者への身体的負担、 高額費用などの点で実際的とはいえない。 謝 辞 樋口雅則博士、津田泰夫博士、中野輝明博士、高木宏治博士の協力に深 謝する。 柳瀬 敏幸 (1999. 3. 19.) 参考文献 [1] 渡辺憲太朗、吉田稔 (1997) 肺気腫の歴史―気腫の発見からCOPDまで. 臨床 医. 23: 806 [2] Campbell EJMet al (1959) Terminology, definitions, and classification of Thorax 14: 286 chronic pulmonary emphysema and related conditions. 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