新年の決意

新年の決意
リック・ネルソン
「三日坊主」は私が初めて覚えた日本語の
慣用句である。既に「三日」と「坊主」は別々に知
っていたが、この二つの言葉の巧みな組み合わ
せは、その意味するところが私にも良く理解出来、
すぐに覚えられた。英語には相当する表現が無
い「三日坊主」を私の語彙に加えられたことは、
日本語の学習上とりわけうれしい出来事だった。
三日坊主になるのは、例えば“禁煙”のような、
人が本当にしたいことではなくて、するべきだと思う
ことを目標にする場合に多いのではないだろうか。
特に“新年の決意”においては、なかなか始めるき
っかけがつかめないことや、一大決
心が要ることをやろうと企てるので三
日坊主になりがちである。
何も一年の初めに目標を設定す
ることに反対しているのではない。新
年の決意をするとき、達成が難しい
ことではなく、自分の行動や考え方
を少しだけ変えることを目標にして
みてはどうだろう。私が最初に我な
がら‘良い’と思える新年の決意をしたのはシアトル
で大学生の時だった。シアトルは演劇が盛んなこ
とで有名な町である。にもかかわらず、興味はあっ
ても格安チケットが入手可能でも、なかなか劇場
に足を運ぶきっかけがつかめなかった。ある年決
心をして“何があろうと最低月に一度は観劇するこ
と”に決めた。ほとんど毎回1人で行くはめになった
が、とにかく劇場に行き、結果たくさんの思い出に
残るすばらしい演劇を鑑賞することができた。(中
にはまあまあの劇もあったが。)日本に来てからの
良い決意はと言うと、こんなことを告白するのは恥
ずかしいのだが“お年寄りにもっと親切にすること”
であった。日本に来るまでこんなに人がたくさんい
る場所を経験したことが無かった私は、混雑の中
でのお年寄りのテンポの遅い行動にしょっちゅうい
らいらしていた。そこで、新年の決意として、お年寄
りに対する温かい理解と親切を誓ったのである。そ
してその精神はすぐに私の常識となって定着し
た。そうすることによって精神的な得をしたのは
他の誰でも無い私自身である。
この記事を書こうと思ったきっかけは、つい
最近オートバイに乗っていて、わき見運転の車
にぶつけられそうになったことである。その車は
対向車線を前から走ってきてセンターラインを
超えて私の方に向かって急に蛇行したのだ。も
し彼女がもっとスピードを出していたら、私はよけ
る暇も無く飛ばされて死んでいたかもしれない、
あるいは今ごろまだ病院にいたかもしれない。
間一髪で事故にならなかったの
は、どちらにとっても本当に幸運
だった。
日本では、公共の場所で電
話をしないというエチケットが徹
底しているようだが、携帯電話を
使いながら運転している人をよく
見かける。統計的に飲酒運転よ
り事故の発生率が高いことを知
らないのだろうか。そして、この
行為を恥だと思っていないのだ
ろうか。
そこで“電話しながら運転しないこと”を
新年の決意にしてはどうだろう。“禁煙”や“書道
上達”よりずっと簡単に実行できると思う。携帯
を‘運転中モード’にするだけでいい、もしそうす
るのを忘れても電話に出なければいいのだ。シ
ートベルト着用と同じようにすぐに習慣になるだ
ろう。電話の相手も刺激されて、あなたの真似
をするだろう。皆がそうすることによって事故を
未然に防ぎ、誰かに計り知れない悲しみを与え
ずに済むというわけだ。
私は今年の新年の決意を、“食料品の買い
物リストを作ること”にした。ねらいは買い物にか
ける時間とお金の節約だ。きっと上手く実行でき
ると思う、多分ね。
訳:神村伸子(Nobuko Kamimura)
February / March 2012 i-News 4