国府宮はだか祭の研究 ∼エスノグラフィー的手法を用いて∼

 国府宮はだか祭の研究
∼エスノグラフィー的手法を用いて∼
南谷 将宏 ●要旨
戦後からの復興を目指し日本の各市町村は見事にナショナルミニマムを達成し、日本はどの
地方でもある程度の水準の生活ができるようになったが、皮肉にもそのナショナルミニマムは
地域の独自性・個性を奪うことになり、その結果、地方の過疎化や限界集落などの社会問題が
生まれてきた。
それらの社会問題を解決しようと各地域はそれぞれに「まちおこし」として様々なイベント
を行うなどの対策をしてきた。しかし、それらのイベントはいずれも単発に終わり、観光客を
呼ぶどころか地域内の人も集まらないような状況である。地域の活性化に必要なのは単発での
成功ではなく長期的に継続し、年々参加人数が増やしていくことである。
愛知県稲沢市では毎年旧暦の正月13日に「はだか祭」という祭りが開催される。
「はだか祭」
は、西暦 767 年から続く「難追神事」という伝統的な神事を中心とした祭である。真冬の寒い
時期に男たちがはだかで揉み合う「奇祭」として愛知県では有名な祭りである。この国府宮の
「はだか祭」は、はだか男だけで多い年で1万人以上集めるなど廃れることなく続いている。
また地域内の人々にとって「はだか祭」は生活の一部であり、地域に強く根付いている祭りで
ある。この国府宮の「はだか祭」のもつ人を集める魅力や継続性の理由、地域における祭の果
たす役割・意味を探り、これからの地域活性化に必要な要素・ヒントを見つけたい。
研究手法としてエスノグラフィー的な手法を選択した。エスノグラフィーとは、もともと民
俗学者がネイティブ(内部者)の文化をより深く理解するためにフィールドワークや現地での聞
き取り調査を行い、それらを元にエスノグラフィー(民族誌)を書くというものである。民俗学
者が、遠い未開の民族や外国人に使用していたエスノグラフィーが近年では社会学にも使用され
るようになった。民俗学者が未開の民族などに対し、フィールドワークを行ってきたのと同様に、
社会学者は企業や組織を対象にフィールドワークや現地での聞き取り調査を行い、企業や組織の
エスノグラフィー(民族誌)を書くのである。エスノグラフィーは研究対象を既存の先行研究か
ら導かれた諸理論にあてはめて分析するのではなく、フィールドワークや聞き取り調査などから
得た結果をもとに分析し、理論にあてはめるなどしてインプリケーションを得るものである。
エスノグラフィーの先行研究としては、佐藤(1984,1999)の京都の暴走族を対象にフィール
ドワークを行い書かれた「暴走族のエスノグラフィー」
、現代演劇を題材に自らも劇団に所属して
書かれた「現代演劇のフィールドワーク」がある。
「暴走族のエスノグラフィー」では豊富なフィ
ールドワーク、聞き取り調査の結果から暴走族の暴走行為を Mihaly Csikszentmihalyi のフロ
ー概念の理論的枠組みなどを用いて理解しようとした。
「現代演劇のフィールドワーク」では現代
演劇への「ビジネス化をめぐる問い、被助成化をめぐる問い、産業化をめぐる問い、組織化をめ
ぐる問い、職業化をめぐる問い」という問題意識をもとに、制度的アプローチと呼ばれる視点か
ら、芸術と社会の出会いの不幸およびそれと深い関わりのあるさまざまな由来を解き明かした論
文である。その他にも現在では西尾・森本(2008)の京都花街と神戸スウィーツへの参与観察を
もとにエスノグラフィ―的手法を用いて京都花街と神戸スウィーツの人材育成や競争の制御につ
いて解き明かした論文などがある。
国府宮神社の「はだ祭」の研究にエスノラフィー的手法を選んだのは「はだか祭」が人を集め、
長年続き、また地域において根付いている理由を解き明かすには「はだか祭」が行われている地
域の「声」を聞くことが重要であると考えたからである。また「はだか祭」は古くから行われて
いる伝統的な「神事」であるという側面も有しているので既存の先行研究の理論ではなく、エス
ノグラフィー的手法を用いてフィールドワーク・聞き取り調査を行い、そこから導き出される結
果から「はだか祭」を分析する方という手法が本研究には適していると考えたためである。
本研究では「はだか祭」を研究し、エスノグラフィーを書くために「はだか祭」に深く関わる
者たちへ聞き取り調査を行った。聞き取り調査から得た結果をもとに行った「はだか祭」の分析
結果は以下の通りである。
① 主催者のいない祭
「はだか祭」には主催者が存在しない。
「はだか祭」は、尾張大國霊神社(通称:国府宮神社)
が行う「難追神事」という神事を核として、
「はだか男」が揉みあったり、鏡餅の奉納が「地
域」という会場で行われる祭りである。
「はだか祭」は誰かが主催するわけではなく、参加者
それぞれが主催者という意識のもとに行われている。
「はだか祭」は多くの「はだか男」たち
が揉みあう祭りであり、祭当日は御神酒もはいっておりケンカやトラブルもまた絶えない。
しかし、それでもなお「はだか祭」が続いているのは、参加者に「参加者それぞれが主催者
であり責任者」という意識があるためである。言い方を変えると自己責任的要素が強い祭で
もある。
「はだか祭」は主催者の誰かが「祭」を用意し、すでに出来上がった「祭」に人が集
まってくるという形ではなく、参加者それぞれが祭の用意をして、祭の会場に行き、祭に参
加するという形をとる。
② 「はだか男」とフロー
「はだか祭」は毎年、「はだか男」だけで8千人~1万人もの人集める。「はだか男」たち
を集める「はだか祭」の魅力を
Mihaly Csikszentmihalyi(1975)が構築した「フロー」
という概念で分析した。
フロー経験には次の特徴が挙げられる。
「行為と意識の融合」
、
「限定された刺激領域への注
意集中」
、
「自我の喪失」
、
「自我忘却」、
「自我意識の喪失」、
「自分の行為や環境の支配」、
「個
人の行為に対する明瞭で明確なフィードバック」
、「自己目的的」な性質である。それぞれ
特徴については今回、研究のために行った聞き取り調査の中で確認された。
また Mihaly Csikszentmihalyi(1975)によるとフロー経験は「人々はどのような時に
おいても、彼らに対し挑戦してくる、限られた数の機会があることを意識しており、同時
に彼らの技能が要求されることも意識している。」とある。そして「フロー」とは挑戦と技
能の値が大きければ大きいほど、より深く「フロー」を経験することができる。
「はだか男」
において、最大の挑戦は、
「神男」に触れに行くことである。「はだか祭」は1年の厄を落
とすことであり、厄落としの象徴である「神男」に触れることは最大の挑戦となる。さら
に「神男」に触れるためには「はだか男」の激しい揉みあいの中心に行かねばならず初心
者では困難な行為である。
「はだか男」の挑戦は、単に「はだか男」として「はだか祭」に
参加することを最小値とし、
「神男」に触れ厄を落とすということが最大値とするものであ
る。そして技能はそれぞれを達成するための技能である。
「はだか男」の揉みあいに参加す
るのは毎年熱狂的な「はだか男」としての参加者であり、その参加者たちはより深い「フ
ロー」を経験することに魅せられて参加しているということになる。
③ 核(本質)の部分を変えないこと
国府宮の「はだか祭」の芯の部分は、国府宮神社の「難追神事」にある。難追神事は
西暦767年からほとんど形を変えずに現在まで、毎年、旧暦の正月十三日に国府宮神
社により執り行われてきた。平日・土日関わらず開催される「はだか祭」であるため土
日に開催しようとの声もあるが一切変更してこなかった。芯の部分を変えないことによ
り、神事としての重みが増し、その重々しい雰囲気もまた「はだか祭」の魅力の1つで
ある。ただし、その核(本質)の部分である「難追神事」以外の部分は時代に合わせて
変化してきた。
「はだか男」の暴れ方、市外からの「はだか男」の受け入れ、鏡餅の奉納
団体のあり方は時代と共に変化してきている。
「はだか祭」は血気盛んな「はだか男」が
魅力であり、多数の「はだか男」が集まる。それ故に現在では警察沙汰になるような振
る舞いも過去にはされてきた。しかし、時代の流れに合わせ変化してきたことにより、
「は
だか祭」は現在でも無事開催されている。
④ 様々な協力者
「はだか祭」には様々な協力者が存在する。はだか祭参加者を仲介する和陽館(市内の
ビジネスホテル)
、「神男」のOB会の鉄しょう会、鏡餅奉納に協賛する地元企業、ケガ
人の受け入れをする稲沢市民病院である。それらの協力者もまた「はだか祭」の参加者
であり、主催者がいない「はだか祭」にとって重要な役割を果たしている。
⑤ 地域にとっての生活の一部分
「はだか祭」は国府宮神社がある稲沢市にとってはとくに生活の一部分となっている。
「はだか祭」が開催される旧正月13日は平日、土日と関係ないので開催日が平日とな
った場合は市内の小中学校は休みとなる。それは「はだか祭」に参加するためであり、
現在では少なってきたが一昔前は会社も休みのところが多かったそうだ。稲沢に住む者
たちにとって、
「はだか祭」は小さいころから毎年当たり前のように開催されるという認
識にあり、このこともまた生活の一部分であるという認識を強める。
以上の5つが国府宮「はだか祭」の分析から導かれた分析結果である。
「はだか祭」が人を集める魅力や継続性の理由、地域における役割は①「主催者のいない祭」②
「はだか男とフロー」③「核(本質)の部分を変えないこと」④「様々な協力者」⑤「地域にと
っての生活の1部」の5つである。その中でも①の「主催者のいない祭」、つまり参加者それぞれ
が主催者であり、責任者であるという認識は継続性において重要な要因となる。地域活性化とは
まず第1にその地域内の人が集まらなければはじまらない。
「はだか祭」には地域内の人々に主催
者・責任者という意識が存在し、そのため「続けていかなければ」という思いがうまれる。その
理由は地域ごとに「はだか男」としての参加や「鏡餅・なおい笹」の奉納といった役割が存在す
るからである。
「はだか祭」のように誰かが開いた「祭」ではなく、自分たちが主催者・責任者と
して「祭」に関わる当事者意識こそが、これからの地域活性化には必要なのではないか。また②
「はだか男とフロー」
、③「核(本質)の部分をかえないこと」も重要であり、④「様々な協力」
、
⑤「地域にとっての生活の一部分」はそれらに付随してくるものである。
「はだか祭」における「は
だか男」たちはそれが熱狂的な参加者であればあるほどより深い「フロー」を経験している。そ
の「はだか祭」が提供する「フロー」を目当てに熱狂的な「はだか男」たちは毎年集まってくる。
本研究では愛知県稲沢市で毎年開催される「はだか祭」において、人が集まる魅力・継続性・
地域にとっての意味を明らかにしてきた。その結果、上記のように5つの要因が得られた。これ
からの地域活性化において、本研究が得た「はだか祭」の5つの要因をどのように生かしていく
のかを今後の課題としていきたい。また今回の研究では「はだか祭」の「見物客」としての参加
者に対する分析が十分されていないのでそこも合わせて今後の研究課題としていきたい。