1 尹致昊の啓蒙思想とキリスト教的自由 ――福沢諭吉の自由観と宗教観

尹致昊の啓蒙思想とキリスト教的自由
――福沢諭吉の自由観と宗教観との比較を通じて――
柳忠熙(東京大学東洋文化研究所特任研究員)
本発表では、朝鮮知識人尹致昊(ユン・チホ、1865~1945)の人民啓蒙思想の一つの軸である〈宗教〉
が持つ政治思想的な意味を明らかにした。尹の人民啓蒙思想における自由観に注目し、それがキリスト
教信仰と関わっていると仮定した。また、宗教改革を率いたマルティン・ルター(M. Luther、1483~
1546)とメソジスト教会の思想を検討することで、尹の自由観の宗教思想的な文脈を明らかにした。
尹致昊の初期思想の形成に影響を与えた福沢諭吉(1835~1910)の自由観と宗教観との比較を通じて、
尹の自由観を検討した。と同時に、
「宗教の外に逍遥」する態度を貫いて宗教的信仰に一線を引いてきた
福沢の宗教観の特徴を論じた。とくに人民啓蒙における宗教の役割、キリスト教、宗教的信仰に対する福
沢の見解を問題とした。
以上の検討を通じて、東アジアにおけるキリスト教信仰に基づいた自由観の特徴とその思想的な想像
力の系譜の一例を示すことが、本発表の巨視的な目的だった。
尹致昊の 1893 年 10 月 31 日付の日記には、福沢諭吉の主催で、当時日本に亡命中だった金玉均(キ
ム・オッキュン、1851~94)や朴泳孝(パク・ヨンヒョ、1861~1939)も同席し、尹致昊のアメリカか
らの帰国祝賀会が開かれたと記されている。この宴席の場で宗教の社会的役割が話題となる。尹致昊は
1887 年にキリスト教に入信してから禁酒を厳しく貫いてきていた。このメソジストとしての彼の態度が
発端となり、宗教の有効性と「信仰」との関連性について議論が交わされたのである。福沢は、宣教師と
の同居生活を通じた自身の経験を根拠とし、個人倫理における信仰者と無信仰者との優劣の無さという
理由をもって、尹に「信仰」に基づいた「宗教の有効性」の問いで迫ってくる。それに対して、尹は、
「信
仰」による悪人の改善という個人倫理の教化の事例を取り上げ、
「信仰」と宗教の功利性との因果関係が
存在すると反論する。
福沢諭吉のこうした宗教に関する問いかけには、生涯にわたって一貫した無信仰の宗教論が前提とさ
れていたと言える。尹致昊の帰国祝賀会での、
「信仰」に基づいた「宗教の有効性」に関する福沢諭吉の
質問は、こうした〈信仰と宗教との無関係性〉という認識の徹底に導かれた問いである。宗教的信仰は、
尹致昊と福沢諭吉の間に、相互に理解し得ない思想的な溝として存在したのである。
尹致昊は、1892 年 11 月 12 日付の日記で、個人の道徳心や法意識を培う根本として宗教を取り上げて
いる。尹は、キリスト教を、人間の思考の向上を促す「機能する」宗教として言及する。
「機能する宗教」
としてのキリスト教という彼の主張は、メソジスト教会の宗教思想をその思想的な基盤としていたと言
える。メソジスト教会は、イギリス国教会の司祭であったジョン・ウェスレー(J. Wesley、1703~91)
を起源とする正統派プロテスタント教派であり、イギリス国教会が強調した理性と自由意志に基づいた
主体的信仰と、初期教会が強調した人間の情感に基づいた霊的信仰、これら両者の相互性を重視し、敬
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虔・清潔な個人の生活・簡潔な教義を特徴とする。
尹致昊は、信仰生活における神の霊性の経験を重んじていた。この尹の神学的態度は、メソジスト教会
の宗教思想に基づいていると考えられる。前述した個人の道徳倫理を向上させるという、尹の語る宗教
の功利性は、キリスト教の教理の踏襲や知識にとどまる聖書への理解などの外見的かつ形式的側面によ
って実現されるものではない。尹にとって、キリスト教の功利性あるいは「機能」性は、聖霊に基づいた
キリスト教信仰という内的な状態が問題となる概念である。尹致昊は、ジョン・ウェスレーが主張した
「キリスト者の完全」のように、こうしたキリスト教信仰による個人の道徳倫理の〈完全〉に対する信念
を持って宗教の功利性について語っていたと言えよう。
福沢諭吉は、
「人間の通義」
『西洋事情』二編で、イギリスの社会状況を説明しながら、
「自由」につい
て定義する。ここで福沢が語る「自由」には、天賦的な個人の権利としての自由と社会的義務によって制
約されうる自由という相互矛盾する論理が含まれている。興味深いのは、社会の関係性に基づいた「自
由」という矛盾する概念が、福沢諭吉と同じく、尹致昊にも見られることである。
なぜ福沢諭吉と尹致昊は、個人と社会との関係性に基づいた自由概念を共有していたのか。西洋の近代
的公共性に基づいた市民社会形成と自由な個人との関わりを前提とする社会契約論のような西洋近代思
想を、福沢と尹が共有していたからだと答えることができよう。だが、こうした近代的な社会契約論を可
能とする自由の概念は、天賦的自由と制限的自由という論理的な矛盾を孕んでおり、その矛盾は〈不合理
的な想像力〉によって解消され、公益という合理性を保つことになることに注目するべきである。その
〈不合理的な想像力〉の原型は、宗教改革を導いたマルティン・ルターのプロテスタンティズム的なキリ
スト者の自由観に基づいた宗教的想像力だと考えられる。
マルティン・ルターによれば、キリスト者は自由でありながら、世の中のすべての人々の僕である。こ
の二重命題は相反するものである。しかし、この論理的な矛盾は、不合理性に基づいた宗教的な想像力、
つまり神への信仰によって合理化される。キリスト者の自由は、神への信仰によって内的に自由である
という意味であり、世の中の人々に奉仕することは神への奉仕でもある。日々の罪を犯す世のキリスト
者が、神の恵みであるイエス・キリストの代理犠牲によって罪から解放され内的に自由となる。
尹致昊と福沢諭吉が語る天賦的自由と制限的自由という矛盾する自由論には、こうした神への信仰を
通じてプロテスタントが有する〈自由と責任〉との関係性が前提とされている。そして、信仰という不合
理性による合理化という想像力がそこに働くことで、自由論の二重命題の矛盾はなくなり合理化される
構造を有するようになるのである。
福沢諭吉は、
「第十五編:事物を疑て取捨を断ずる事」
『学問のすゝめ』で、西洋「文明の進歩」は、物
事を疑う態度から可能となると述べる。西洋文明の進歩は、
〈人間の知性〉と〈疑う力〉によって可能と
なる。
「物理」
、つまり自然の原理を究明し、その原理を知っている段階によって文明の進歩の差異が生じ
る。この福沢の論では、自然の原理を知り尽くすことが文明の進歩の条件となっており、人間の「精神」
「智力」の無限な発展という認識とそれによる文明の進歩に対する絶対的な肯定、言い換えれば、宗教的
信仰のような信念的な理想論が窺える。人間の知性と「精神の自由」に基づいた福沢諭吉の文明論は、自
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然の原理を知り尽くすことができるという「物理学的世界観」によって成り立っていたのである。
自然と人間との関係に基づいた文明論に対する尹致昊と福沢諭吉の論理には認識論的な差異が存在す
る。自然の主人としての「文明人」という尹の観念は、自然に対するキリスト教的な自由概念に基づいて
いる。キリスト教における人と自然の関係性に関する彼の認識には、自然を上手く制御した結果、
「キリ
スト教国家」すなわち西洋文明国は富国になったという擁護の論理が窺える。
だが、ここで注意しておきたいのは、尹致昊の擁護は、
〈キリスト教国家〉に対するものであり、
〈西洋
諸国〉それ自体に対するものではないことである。
〈白人〉ではない東洋人の尹致昊は、他国に対する人
種主義かつ帝国主義的な西洋諸国の態度を批判的に捉えており、アメリカや世界のキリスト教国家の現
状を批判する。だが、この批判は、
〈聖霊〉による信仰などのキリスト教の原論的な信仰態度を強調する
ことで可能となる。こうした原論的なキリスト教信仰への態度は、西洋文明国の「国際的罪悪」を相対化
する。一方、その現状を合理化させるものにもなることに注意すべきである。
「キリスト教国家」の「国際的な罪悪」は、ルターの「キリスト教者の自由」における二つ目の命題で
ある現世におけるキリスト教者の「僕」としての義務、つまり世界の人々を助けるという名目の論理で合
理化される。キリスト教の義務として「国際的な罪悪」を容認することは、現世の問題としてである。現
世には常にこうした矛盾がつきまとう。だが、キリスト教者は、西洋人であれ東洋人であれ、
「キリスト
の流された血を通じて私の罪を赦された」平等な存在であり、白人であれ有色人種であれ、いつか一緒に
神の国で「愛し合いながら平和かつ平等に暮らす」ことができる。こうした来世への信仰の想像力によっ
て、
「キリスト教国家」の現実とその矛盾は究極的なレベルでは解消されてしまうのである。
宗教に対する思想的な差異が尹致昊と福沢諭吉二人には存在した。にもかかわらず、文明論者としての
福沢諭吉と尹致昊の語る自由論や宗教論には、文明論やキリスト教やナショナリズムなどが複雑に絡ん
でおり、そこには近代的信仰の想像力がともに働いている。
尹致昊は、
「適者生存主義」に基づいた世の中において、キリスト教が必須条件となり、彼自身の人生
を通じて福音を伝えることで、朝鮮人の生存のために尽力することを述べる。キリスト教と文明論の暗
面を認識しながらも、その論理を相対化し得ない信仰的な態度が窺える。
晩年の福沢諭吉にも功利主義的な宗教観が相変わらず看取される。「宗教の効能」(『時事新報』社説、
1894 年 9 月 30 日)には、1894 年 7 月に勃発した日清戦争へ出陣する兵士の精神武装のために、つまり
国家のために戦うという精神を高揚する手段として、仏教が有効だという論理が窺える。宗教が日本の
ナショナリズムに貢献できるという認識を、ここから福沢が持っていたことが分かる。
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