「思いやりのある保守主義」を中心に

第三章
ブッシュ大統領の政治姿勢
「思いやりのある保守主義」を中心に
新田
紀子
1.はじめに
ジョージ・W .ブッシュ・テキサス州知事の勝利は、選挙結果の集計をめぐって大統領
選挙史上稀にみる混乱を経て得られたものであり、しかも一般投票総数で負けながら、選
挙人数で勝利を収めるという112年振りの事態であった。故にこの選挙結果については、
クリントン大統領の負の遺産が影を落とし、かつ同政権の「平和と繁栄」の実績を強く訴
えられなかった民主党候補のアルバート・ゴア副大統領が敗北した選挙と論じられること
が多い。他方、ブッシュ候補が巧みに選挙運動を展開し、その中でも「思いやりのある保
守主義」や教育政策などによって示された、同候補の保守中道寄りあるいは穏健な政治姿
勢が貢献したことも無視できない。ブッシュ候補は、選挙戦の節目には「思いやりのある
保守主義」に言及し、大統領就任演説でも統治原則の1つとして「思いやり」を挙げてい
る。
ブッシュ大統領のいう「思いやりのある保守主義」とはどのような考え方なのか。共和
党革命以降の極端な保守主義をやわらげるためのレトリックにすぎないとの見方も多い。
「使い勝手のよい保守主義」(注1)なのか。しかしその背景を見ると保守派による貧困対
策、社会政策という側面がある。また「思いやりのある保守主義」を一番象徴的に現した
政策である「信仰に基づくまたコミュニティによるイニシアチヴ( F a it h -ba sed
and
Com m u n it y In it ia t ives , 以下F BCI )」は民主党側からも党派を超えて語られている。他
方ブッシュ候補/大統領の、時に民主党と見間違うばかりの発言や政策と、大規模減税策
やアシュクロフト司法長官の任命等の保守的なそれという異なる側面の違いについてはど
のように理解すべきなのであろうか。
本稿では、「思いやりのある保守主義」を中心に、ブッシュ候補/大統領の政治姿勢に
ついて、その背景、政策、特にF BCI について取り上げながら考察する。
2.ブッシュ候補の「思いやりのある保守主義」の形成
ブッシュ知事が「思いやりのある保守主義(者)」を発言して注目されたのは、98年に
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州知事に再選された際の勝利演説の中であった。この年の中間選挙では、下院共和党はか
ろうじて多数を維持したものの96年に続いて議席を減らし、同党内で懸念が高まる一方で
注目されたのは、再選された同党の実務的な州知事の存在であり、特にブッシュ知事が圧
勝で再選され、弟のジェブ・ブッシュが全米第4位の大州であるフロリダ州知事に初当選
したことであった。ブッシュ知事の場合、全米第3位(2000年の国勢調査で第2位)の大
州で、共和党が弱いマイノリティのヒスパニック系有権者や女性票の支持も得て圧勝し、
父親が前大統領であるが故の抜群の知名度(混乱もあったが)を有していること、「思い
やり」という言葉を述べたことなどが、有力な次期大統領候補のいなかった共和党内の期
待を一気に集めるに至った。
(1) 政治メッセージの形成:マグネット、オラスキー他
ブッシュ知事の「思いやりのある保守主義」の形成について報道(注2)によれば次の通
りである。後に大統領選挙でブッシュ陣営の選挙戦略を担当したカール・ローヴが媒介役
として大きな役割を果たした。ローヴは現在ブッシュ政権の上席顧問に任命され、キーパ
ーソンの1人と見られているが(注3)、ブッシュ元大統領が共和党全国委員長であった時
に補佐官であったことからブッシュ家との繋がりができ、94、98年のテキサス州知事選挙
の主要な政治アドバイザーとなった。両名は長い時間をかけて意識的に政治メッセージを
作り上げていったとされる。対抗文化やベトナム反戦運動がさかんであった60年代に青年
期を送ったブッシュはいわゆるノンポリであり、父の母校であるエール大学でフラタニテ
ィの活動に熱心であったが、漠然とながらも、当時の学園にみられた「エリート主義、シ
ニシズム、反米主義、自己陶酔」等に反発する気持ちがあり、ローヴも同様の感情を共有
していた。
「州知事選挙になぜ出馬するのか」という問いへのブッシュの回答は「文化を変えよ」
であったと言う。93年、ローヴは愛読書3冊
マイロン・マグネットの Th e
Dr ea m
a n d t h e Nigh t m a r e 、マーヴィン・オラスキーのTh e Tr a gedy of Am er ica n Com pa ssion 、
デヴィッド・ホロウィッツ、ピーター・コリエ共著のDest r u ct ive
Th ou gh t s Abou t t h e Sixt ies (注4)
Gen er a t ion : Secon d
を渡したという。ブッシュは知事選挙において60
年代について語ることはなかったが、教育、青少年犯罪、訴訟改革、福祉制度改革をとり
あげ、60年代の「何でも許されるというメンタリティ」を自助と道徳的責任に置き換えよ
うとした。
その後、再選を控えてより幅広い選挙メッセージを作成する過程で、ローヴがこれら本
の著者をブッシュに引き合わせた。まず97年にマグネット・マンハッタン研究所シティ・
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ジャーナル誌編集長とオースチンで会った。同人の前掲書の初版は93年であるが、雇用が
あり、福祉予算が増大しているにもかかわらず貧困が減らないのは、経済というより文化
の問題であり、60年代のリベラリズムによる過剰な自由放任主義がアンダークラスをもた
らしたと主張する。2000年のペーパーバック版の表紙には、ブッシュ知事の言葉として、
この本は「60年代の失敗した文化が我々の価値観や社会に及ぼしたインパクトを明確にし
て」おり、60年代の文化が「政府への依存体質の創出、家族の弱体化、価値観の破壊」を
導く手助けをしたと書かれている。
次に、オラスキーが紹介された。同人はテキサス大学オースチン校のジャーナリズムの
教授であるが、ロシア系ユダヤ人で若い頃に共産党に入党したが、その後福音キリスト教
徒に転向したという経歴を持っている。前掲の著書によれば、ニューディール期に始めら
れた連邦政府による福祉政策も、50年代までは最後の手段として認識されていたが、60年
代に変化し、貧困の原因は社会にあり、故に社会が除去できる問題であるとの考え方が広
まった。そしてジョンソン政権の「偉大なる社会」プログラムは、各種の給付を拡大した
だけでなく、福祉の受給は「恥」であるという良心を捨てさせようとする人々に資金を与
え、また福祉受給者の意識も変化させたと指摘する。すなわち、コストがかかるだけでな
く、問題を解決しなかったばかりか、19世紀の米国が持っていた近隣社会での助け合いの
活動や精神を壊し、福祉等義務的経費の運営に携わる人々の利益を先行させたという。こ
の本にはレーガン政権で教育長官を務めたウィリアム・ベネットが賛辞を寄せているが、
ベネットはこれを94年暮れに次期下院議長であるニュート・ギングリッチに勧めたという。
福祉制度改革の保守派による理由付けに貢献したとみられる。
95年、テキサス州の宗教的な転向に基づく麻薬プログラムTeen Ch a llen ge が安全基準
を満たしていないとして閉鎖の可能性が出た時、ブッシュはオラスキーに助言を求め、そ
の結果、宗教と国家(州)の分離原則を破っていると批判されながらも、こうした活動を
推進するために規制を撤廃する法案を成立させた。これは宗教右派の賞賛を得るもので、
オラスキーはこれを契機にブッシュの支持者になったと言う。
2000年に出版されたオラスキーのCom passion a te Con serva t ism (注5)にもブッシュ知事
が序文を書いている。「政府は一定のことについては非常にうまくできるが、我々の心に
希望を育み、我々の人生に目的感を与えることはできない。それには教会やシナゴーグ、
モスクや慈善団体が必要である。真に思いやりのある政府は、これらの思いやりある人々
の軍隊(a r m ies of com pa ssion )を励まし、彼らが成功するような環境を提供する政府で
ある」と述べている。
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(2) 福祉制度改革の次のステップ
こうした批判のほとんどは、クリントン大統領や下院共和党が妥協して成立させた、
「福祉から雇用へ(fr om welfa r e t o wor k )」を掲げる96年福祉制度改革法の成立で、か
なり解消されたと言えよう。同法は、60年続いた福祉制度の要である要扶養児童家庭扶助
に対する連邦政府の定率補助を廃止し、受給家庭の世帯主が2年以内に就業しない場合に
は受給資格を喪失することとし、全生涯給付期間を5年に原則制限した。
マグネットとオラスキーは次の目標としてアファーマティヴ・アクション(差別是正
積極措置)の廃止を求めたが、ブッシュはこれに動かず、60年代の「解毒剤」としては、
同人自身が人生で見つけたと同じもの、すなわち宗教(注6)が必要だと判断したという。
一方、福祉制度が改革されても問題がなくなる訳ではないとの声もあった。例えば共和
党のダン・コーツ上院議員(当時)とジョン・ケーシック下院議員(当時)は、家族関係
の回復や人間の生命や財産に対する敬意、隣人への思いやりへのコミットメントといった
ものの回復が必要だとして、家族やコミュニティや信仰に基づくグループに政府の資源を
移転するための立法措置を提案した(注7)のである。
(3) 大統領選挙におけるブッシュ候補のアドバイザー
ブッシュ知事の大統領選挙運動が開始されると、国内政策アドバイザーとしてスティー
ヴン・ゴールドスミス・インディアナポリス市長(当時)が任命された。同市長は、97年
にテキサスに講演のため赴いた時に知事に招かれて最初に出会っている。同市長は92年に
市長就任以来、市の行政サービスに入札制度を導入(注8)し、再開発に市場原理に基づい
た投資の導入をはかり、赤字財政の建て直しに乗り出したが、政府のダウンサイジングと
ともに、コミュニティ活動を奨励し、特にF r on t -P or ch Allia n ce という市当局、宗教・コ
ミュニティの指導者、ビジネスをつないだ活動で全米的にも注目されていた(注9)。
また、ジョン・デューリオ・ペンシルヴァニア大学教授(ブルッキングス研究所客員上
席フェロー、マンハッタン研究所上席フェロー)(注10)や、ハーヴァード大学でデューリ
オ教授の師であり米国政治学会長も務めたジェームズ・Q .ウィルソン・カリフォルニア
大学ロサンゼルス校名誉教授もアドバイザーとなり、前述のコーツ上院議員元補佐官のマ
イケル・ガーソンがブッシュのスピーチライターの1人となった。
(4) 父ブッシュ元大統領の「たくさんの灯火」とテキサス育ち、キリスト教との出会い
ブッシュ候補の政治姿勢を理解する際に、父ブッシュ元大統領の経験と存在、そして父
親以上に保守的な態度、深い宗教心が注目される。
興味深いのは、父ブッシュ元大統領が89年の大統領就任演説で、コミュニティのボラン
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ティア活動について述べ、「たくさんの灯火(a t h ou sa n d poin t s of ligh t )」(注11)と表
現したことである。当時必ずしもこの意味が理解されたとは言えないが、90年全国及びコ
ミュニティ・サービス法として立法化され、クリントン大統領の93年全国及びコミュニテ
ィ・サービス信託法と展開していく。F BCI に向かう動きの1つと言えようか。
息子のブッシュ候補は、父親より保守的と言えよう。東部エスタブリッシュメント出身
の両親からノブレス・オブリージュの精神を引継ぎ、父と同じ東部のエリート校での教育
を受けた(名門私立高校フィリップス・アカデミー、エール大学、さらにハーヴァード大
学ビジネス・スクール)が、テキサス州西部の小さなミッドランドという石油業の町で生
まれ育ったことが大きな影響を及ぼしている。保守的で、米国の伝統的な価値観の強い土
地柄だと言う。東部の学生生活では時に違和感を抱いていたようであり、両親以上にテキ
サスという風土に近いようにみえる。さらに、有名な宗教家で父親の友人でもあるビリー
・グラハム師との出会い、大酒飲みであったが40歳での宗教的な大改心により断酒した経
験などから、宗教心の深さが伝えられている。同人は信仰心は隠さないが、自分の宗教的
体験を公に話すことを好まず、経験した者でなければわからないと述べている。
そして父ブッシュ元大統領の92年大統領選挙における敗北の経験である。同大統領は、
経済再建策を提示できなかったことに加え、党内では増税せずとの公約を破ったことなど
から保守派が離反し、そしてその結果としての保守寄り姿勢が穏健派の支持離れも招いて、
再選を果たせなかった。このことは当時父の選挙運動を手伝っていたブッシュが十分認識
していたと思われる。
もう1つの特徴は、州知事としてのプラグマティズムである。テキサス州の知事は副知
事に比べて権限が少ないという面があるが、民主党の多い議会を相手に、対立を避けつつ、
「慎重さとプラグマティズムと規律」をもって協力する姿勢をとったという(注12)。
「思いやりのある保守主義」は、ブッシュにとり、無理のない自然体で受け入れやすい
考え方であり、後述するように、選挙戦略上も効果的なテーマであったと言えよう。
3.ブッシュ候補の発言における「思いやりのある保守主義」
「思いやりのある保守主義」とは何かをブッシュ候補自身の言葉で見ていくこととする。
(1) 「思いやりのある保守主義」
自伝、また99年7月22日にゴールドスミス市長の地元インディアナポリスで行った
「 希 望と いう義 務( The
Duty of Hope ) 」と題 した、 信仰に 基づく イニシ アチヴ
(fa it h -ba sed in it ia t ive 、以下F BI 、あるいはfa it h -ba sed or ga n iza t ion , 以下F BO )の奨
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励に関する演説によれば次のとおりである。デューリオ教授はゴア候補にもF BI で助言を
与えたが、この演説の考え方の形成に大きな役割を果たしていた(注13)。
米国には、「アメリカン・ドリームを信じることができ」ず、繁栄から取り残さ
れた人々がいるという希望の格差が存在し、「二つの国」に分裂しつつあるかの
ようである。しかし誰も取り残されてはならない。
その原因として前例のない「文化の衰退」がある。(自分は)保守派として、経
済問題においては経済成長を重視するが、全ての問題が経済成長で解決されるわ
けではない。また価値観と行動の道徳規準の基礎が侵食され、個人の責任感が低
下する一方、貧困問題は政府が助けるものとされ、家庭が崩壊して父親が家を出
て行き、代わりにアンクル・サム(連邦政府)が入ってくるという状況が現出し
た。
政府という官僚制による解決の問題点は、費用がかかりすぎるというだけではない。
政府は「希望を与え、人生に目的感を与えることはできない」。「思いやり
(com pa ssion 、ともに苦しむという意味)」が必要であり、精神やモラルの問題
が大事であり、F BI が役立つのである。
また、教育が重要であり、どの子供も取り残されるべきではない。
自伝の中に、ある新聞記者がブッシュに対し、この点は「通常保守派と結びつけて論じ
られる考え方ではない」と述べ、それに対しブッシュが、それなら自分を「心ある保守主
義者」と呼んで欲しいと答えるやりとりが書かれており、ブッシュ自身の発明ではないが、
こうしたことから「思いやりのある保守主義」という言葉が誕生したと述べている。
大統領候補指名受諾演説(2000年8月3日)においては、上記の点について述べた後、
「保守的な価値観と保守的なアイデアを、正義と機会のための闘いに向けること」が思い
やりのある保守主義であると述べている。
(2) 「違ったタイプの共和党員(a differ en t kin d of Repu blica n )」
もう1つ注目されるのは、「思いやりのある保守主義」ないし政府の役割について述べ
ている文脈で共和党について批判的に述べていることである。ブッシュ候補のカレン・ヒ
ューズ報道官によれば、その場合、伝統的に民主党寄りのグループが念頭にあり(注14)、
例えば、移民に寛容な政策を述べたりしている。
前述の99年7月の演説では、この選挙において「私は我が党に向けたメッセージを持っ
ている。我々は現実の人間を助けるという仕事に保守的かつ自由市場の考えを適用しなけ
ればならない。なぜならイデオロギーはそれが理論上どれほど正しいにしても目標を持た
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なければ不毛であり空である。我々の正義には優しさが、我々の判断には慈悲が、我々の
熱意には愛がなければならない」と述べている。
99年10月5日のニューヨークにおける教育に関する演説では、「しばしば私の党は」と
述べて、「米国をゴモラ(注:邪悪であるが故に神に焼かれた町)になりつつあるかのよ
うに描いている」こと、次に、国家経済にのみ焦点を当てているが、繁栄の影という問題
があること、最後に、限定的な政府の役割の必要性と政府に対する侮蔑を混乱しているこ
とを挙げ、批判している。2000年9月5日のメディケアに関する演説では、「我が党は、
しばしば『偉大な社会』の限界と欠点を指摘するが、成功もあった」と、メディケア(高
齢者医療保険)を評価している。
4.「思いやりのある保守主義」と選挙戦略
(1) ブッシュ候補の選挙戦略と政策目標
前述のブッシュ候補の発言からみても、同候補の選挙のテーマは「思いやりのある保守
主義」であり、「違ったタイプの共和党員」であった(注15)。政策目標は幾つかあり、最
初は「目的のある繁栄」であり、次に「結果をもたらす改革者」であり、民主党大会でゴ
ア候補が「勤労家族のために闘う」と述べると、これまでに発表した政策をまとめなおし
て「現実の人々のための現実的なプラン」を提示した。「現実的なプラン」は中間所得層
を対象としたものであり、F BI に高い優先順位は与えられていない。
(2) 「思いやりのある保守主義」の選挙戦略としての利点
「思いやりのある保守主義」の選挙戦略における利点としては、まず、保守派から常に
懐疑の眼差しを向けられていた父ブッシュ元大統領の経験も踏まえ、ブッシュが文字通り
保守主義者であると確認していること、そして、宗教や精神的なものの重要性を強調して、
共和党の核となる支持基盤である宗教保守派にアピールするとともに、保守派を疎外せず
に社会政策を提示できること、すなわち、議会共和党保守派の極端さへの批判に応えて、
弱者切り捨てではない政策を表明し、政府の役割を限定的にせよ肯定し、穏健派にも訴え
られることが指摘されよう。
(3) 選挙公約:教育・減税政策
(注:教育・減税政策については第二章砂田論文も参照願いたい。)
連邦政府は、限定的であるべきであり、幾つかの政策を効率良く行うべしとの考え方を
有するブッシュ候補は、その重点政策として F BCI の推進とともに教育と減税を柱として
主張し続けた。教育におけるスローガンである「どの子供も取り残されるべきではない」
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という主張は、「思いやり」を主張するブッシュにふさわしいとみなされたが、減税につ
いては、保守派には人気があるが、経済的にも政治的にも疑問を呼ぶものであった。
(イ)教
育
教育は国民の関心が高い問題であり、また、州知事としての経験から、父ブッシュ元大
統領が「教育の大統領と呼ばれたい」と言った以上に、自信を持って語れる分野であった。
大統領選挙出馬可能性調査のための委員会設立(99年3月7日発表)の際、また、出馬
表明演説(99年6月12日)においても、教育が中心課題の1つであることを強調している。
99年秋には3回に分けて、それぞれ「どの子供も取り残されるべきではない」、「学業成
績の文化」、「教育の真の目標(モラル教育)」のテーマで演説を行った。
ブッシュ自身、「教育の水準や、基本的学力の重要性と地方による統制を主張するのは
保守的な考え方であるが、どの子供も1人として取り残されないように確保することは思
いやりである」と述べている(注16)。すなわち政策の原則として、所得階層、人種による
学業成績の格差是正を目指し、州や学校区、それぞれの学校にできる限り権限を委ねて柔
軟性を与え、実績を強調して連邦政府の資金を使う場合には学校の説明責任を求め、実績
を証明できなかった学校への資金は親に振り向けて選択肢を与えることを主張している。
そして、学業成績水準向上のために、州毎に毎年読解力と算数のテストを実施し連邦政
府が費用を分担すること、チャーター・スクール設立費用貸付保証、教育貯蓄口座の拡大、
両親に対する学校選択の自由の拡大等を提案した。また、ヘッド・スタート・プログラム
(連邦政府による低所得層の家族及び学齢前児童のための発達支援プログラム)において
教育を最優先課題としている。
これらは、民主党中道の民主党指導者会議(DLC , Dem ocr a t ic Lea der sh ip Cou n cil )、
そのシンクタンクである革新的政策研究所(P P I , P r ogr essive P olicy In st it u t e )の政策
の重要な部分
(ロ)減
実績に基づく連邦資金の供与、説明責任等
を取り入れている(注17)。
税
減税については、選挙中は国民の支持がそれほど高くなく、財政黒字の使途としては、
むしろ債務削減(ゴア候補)、社会保障(高齢者年金)やメディケアの強化、教育等のプ
ログラムへの支出が支持されていたが、ブッシュ候補は、大型減税、個人所得税率引き下
げ、相続税の廃止等を一貫して主張した。
ブッシュは、自伝の中で、「自分は、全ての個人の価値と尊厳と力を信じるが故に保守
であり、個人が家族やコミュニティのために正しい決断をすると信頼し、遠くにいる官僚
によってなされるより、ずっと思いやりがあると信じている」と述べており、さらに、減
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税に直接言及しているところでは、「米国は減税するならば繁栄するであろう。限界税率
の引き下げは、経済成長を増大しより高賃金の雇用を創出する。個人に戻されたお金は連
邦政府の新規や既存のプログラムの拡大に使われることはない。米国民は史上最も個人負
債を抱えており(減税は)家族の財政を強化するであろう」と述べている(注18)。
(4) 選挙での効果
選挙が「引き分け」であったために通常の勝因の分析がしにくいが、ブッシュが「思い
やりのある保守主義」などを通じて、穏健派のイメージを描くことに成功したという指摘
は多い(注19)。また「思いやりのある保守主義」には直接言及していないが、ブルッキン
グス研究所のトマス・マンは、ブッシュ陣営は、同候補をイデオロギー的に穏健派として
描くことに巧みであったと指摘している(注20)。
選挙の出口調査では、「思いやりのある保守主義」をブッシュ候補に対する投票理由と
してたずねた設問はなかったが、無党派層をリベラル、穏健、保守に分けた場合、真ん中
の穏健無党派層の支持はゴア候補とほぼ拮抗(注:Vot er News Ser vice による出口調査
:穏健無党派層のブッシュ支持45%、ゴア48%)しており、また、大統領就任式直前の世
論調査によれば、ブッシュが思いやりのある保守として統治するであろうと答えた者は58
%であり、選挙でブッシュに投票した有権者の中では是と答えた者が91%であった(注21)。
選挙中に聞かれたブッシュに対するクリントネスク(Clin t on esqu e )という表現(注22)も、
ブッシュが民主党の逆取り込み(co-opt )を狙った戦略の効果とも言えよう。。
5.大統領としての「思いやりのある保守主義」−F B C I促進の具体化−
勝利演説で「思いやりのある保守主義」に言及し、就任演説では米国を「品位、勇気、
思いやりそして人格」によって導くと述べたブッシュ候補は「思いやりのある保守主義」
で全ての政策を説明しようとしたが、直接的に関連があったのはF BI であり教育であった。
そして公約通り、F BI 推進政策を発表した。
(1) 「信仰に基づくまたコミュニティによるイニシアチヴ局(OF BCI )」創設他
就任10日足らずの1月29日、ブッシュ大統領は、2つの行政命令によって、第1に、ホ
ワイトハウスに「信仰に基づくまたコミュニティによるイニシアチヴ局(Office
of F a it h -
ba sed a n d Com m u n it y In it ia t ives 、以下OF BCI )」を設置し、第2に、司法、住宅・都
市開発、保健・社会福祉、労働及び教育の各省に、政府とこうした民間の機関との協力推
進のためのセンターを設置した。さらに、ゴールドスミス前市長を大統領の上席顧問及び
ナショナル・サービス公社の理事に任命し、 OF BCI の長としてデューリオ教授を任命し
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た。
F BCI の政策課題としては、3つの柱が挙げられている。
第1に、立法、規制及びプログラム上の改革により、 F BC 団 体( F a ce-ba sed
and
Com m u n it y Gr ou p )に対する不適当な連邦の障壁を明らかにし、それを廃止すること、
第2に、個人、企業、財団等から非営利の F BC 団体への寄付を奨励するよう、控除措置
等の拡大を行うこと、第3に、放課後プログラムや識字率向上サービス、受刑者の子供へ
の支援等の特定のプログラムにおいて、連邦と F BC 団体の協力のモデルを開発すること
を挙げている。
第1の柱の具体的措置として OF BCI を設立し、州レベルのOF BCI 設置が奨励され、96
年福祉制度改革法で認められた F BO 等の連邦資金受領への規制緩和措置( Ch a r it a ble
Ch oice 条項 (注23))の一層の拡大を求めていくとしている。私的な寄付の奨励措置ついて
は、寄付行為に対する連邦の控除措置の拡大などを通じて促進し、基金を創設し、民間の
寄付に相応する連邦支出を行うことによって、小規模な F BC 団体を支援し、立ち上げの
資金を提供することを提案している。
大統領によれば、宗教組織が政府と契約を結ぶにあたり、宗教上の教えを検閲される必
要はなく (注24)、条件は「実績による評価」と「無宗教の同様プログラムの存在」とされ
た。
(2) F BCI の「そうではないこと」−ゴールドスミス上席顧問による背景説明−
大統領の今回の発表について、1月30日にゴールドスミス上席顧問が以下の説明を行っ
ている。
ブッシュ大統領は、政府の役割について、極端さを排し、繁栄から取り残された
人々を支援するために非常に重要な役割があるとみなしている。と同時に、そう
した行為を行うのは政府だけである必要はなく、資金提供と非中央集権化と権限
委譲を通じて、F BC 団体による実施を可能にしようとしている。
信仰に基づく組織や宗教組織への敵意を取り除こうとしており、対象機関を信仰
内容によって決定するのではなく、結果ないし実績による説明責任によって判断
する。
以上を指針とした上で、具体策については、税制等による個人の寄付・献金の奨励、政
府による信仰に基づく組織への障壁の除去等について述べ、さらに、本政策への誤解をな
くすための説明をしている。すなわち、
F BC 団体のための予算というものはなく、既
存ないし新規の資金へのアクセスの増大を意図しており、
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政府は宗教や信仰の推進活動
に対し資金を供与すべきではなく、政府の関与は、助けを必要とする人々のための収容や
給付食料に対して行われること、
宗教組織を通じた支援を受けるよう強制されるべきで
はなく、無宗教の代替組織が存在すべきであると述べた。
同顧問はまた、1月30日付ウォール・ストリート紙上(注25)でより明確に述べている。
すなわち、(i )信仰に基づく活動は、政府の無活動の言い訳ではない、(ii )政府の資金は、
宗教やキリスト教への改宗の補助金になってはならない、(iii )助けを必要とする人々は、
実 績 の あ る 提 供 者 か ら 選 ぶ 自 由 が あ る 、 ( iv ) 信 仰 に 基 づ く プ ロ グ ラ ム は 万 能 薬
(pa n a cea )ではないし、信仰に基づく組織だからという理由だけで、効果的に実施でき
るという訳ではない、(v )政府による支援よりも、慈善的寄付の増大が望ましく、国家と
宗教の分離に懸念を有する人々を満足させられると述べている。
(3) デューリオとゴールドスミスの任命
ブッシュ大統領が今回発表した政策関連の人事で、デューリオとゴールドスミスという、
F BCI を絶対視していない、バランスのとれた見方をしている人物を任命したことは評価
されている。また、下記の通り潜在的に批判を招く要素がある中で、敬意を持たれている
人物を据えたことは、賢明と言えよう。
6.ブッシュ大統領のF B C Iへの批判と世論調査
しかし、大統領の提案には、左右両派からまた F BCI 支持者からも既に批判が出ている。
すなわち「多くの米国民は、政府が宗教的なプログラムを支援して、社会問題によりよく
取り組むことには賛成であるが、米国連邦憲法修正第1条の『国家と教会の分離』原則を
侵害するようにみえることには懸念」を有し、「左派は宗教が政府に干渉することを、右
派は政府が宗教に干渉することを懸念」している(注26)状況と言えよう。
(1) 「国家と宗教の分離」の原則
特にリベラル派、ACLU (Am er ica n Civil Liber t ies Un ion )等はこの点から批判し、
下記の保守派パット・ロバートソン師の批判を歓迎している。一部の全国的なユダヤ教の
組織の指導者も、デューリオ局長に対し、憲法に抵触するのではないかとの懸念を伝えた
と報じられた (注27)。また、国家の個人の生活への干渉に反対するリバタリアンのグルー
プであるCATO 研究所はF BI への政府の支援に反対している。
(2) 独立性への害、「福祉制度」化への懸念
上記(1)とも関連するが、宗教団体側には信仰上の妥協を強いられるのではないかとの
不安や懸念がある。オラスキーやハドソン研究所のマイケル・ホロヴィッツなどは、福祉
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制度が個人のイニシアチヴを阻害したように、政府による支援が宗教的な社会プログラム
の活力を失わせるのではないかと警告している(注28)。政府の資金がひも付きであること
を懸念(注29)し、むしろ税優遇措置の方が望ましいと主張する声もある(注30)。
(3) 主流でない宗教機関の活動支援への懸念
対象組織の条件は、前述の通り、実績と無宗教の同様プログラムがあるかどうかだけに
なっている。選挙ではブッシュ候補支持を表明していた、共和党最大の支持団体の1つで
あるクリスチャン連合のロバートソン師は、この F BCI について重大な疑問を投げかけた。
それは主流でない宗教団体がこのプログラムで財政的支援を得る可能性である(注31)。
同様の批判は、ユダヤ系団体からもなされている。すなわち、反ユダヤの見解を有する
ネーション・オヴ・イスラムが政府の資金を受け取る可能性である(注32)。また、雇用を
特定の信仰に限定している組織にも政府の給付金が与えられ、結果として、ユダヤ教徒や
カトリック教徒が差別される状況にも懸念が表明されている。
(4) 減税策との対立
ブッシュ大統領の減税策の柱には相続税の廃止がある。これは共和党の支持基盤の1つ
である中小企業団体等にとり重要であるが、高い相続税(最高55%)の故に、富裕層は慈
善事業への多額の寄付を行い相続税対策としている。 OF BCI の長であるデューリオはこ
の廃止に反対を唱えている(注33)。
(5) 世論の見方
政策発表後の世論調査は出揃っていないが、一つの結果(注34)では、一部の社会サービ
スの提供のために、宗教団体が政府の資金を受け取ることを可能にする大統領の計画を原
則的に支持する(64%)が、ホワイトハウス内に担当部局を設置したことについては意見
が分かれている(良い考え46%、悪い考え38%)。興味深いのは、2つの設問について、
グループ別に見ると、福音主義者の間では支持が高いが、主要なプロテスタントやカトリ
ック信者の間では低く、また世代別では、高齢者の支持が概して低い点である。
まだ様子見ということも言えよう。例えば、ユダヤ系団体の批判はあるが、民主党大統
領候補であったリーバーマン上院議員がブッシュの F BCI の発表に同席しており、上院で
の共同提案を検討中と報じられている(注35)。また、ロバートソンなど一部の例外を除い
て、宗教保守派にとって好ましい政策であり、現在のブッシュと保守派との「ロマンス」
を支える1つの要素だとの見方もある (注36) 。 F BCI を批判する人は少ないが、政治と宗
教というリスクを伴う案件だけに、ブッシュ政権としても今後の対応には注意を要しよう。
- 52 -
7.保守派(レトロコン)とコミュニタリアンの接点として
ブッシュの主張する「思いやりのある保守主義」そして F BCI の主張をみると、新保守
主義(ネオ・コンサーヴァティズム)系の人々による貧困・社会政策に関する議論や民主
党中道グループのアプローチ、さらにコミュニタリアンの考え方が看取される。
(1) 「レトロコン」
ブッシュの「思いやりのある保守主義」の形成に、マグネットやオラスキーが関わってい
たことを述べたが、94年の共和党議会誕生に向けた動きを書いたSt orming the Gat e (注37)
によれば、彼らは80年代のレーガン時代の新保守主義者の考え方の延長に出てきた90年代
の「レトロコン(復古保守主義者、 r et r ocon s , r et r o-con ser va t ives )」の一員である。
両人、また既に述べたウィルソン、ベネット以外には、マグネットも引用している、84
年の著書で福祉や他の社会プログラムは問題を解決する以上に原因となっていると主張し
たチャールズ・マレー AE I ブラッドレー研究員 (注38)、「依存の文化」を解体するには
「シビル・ソサエティの再活性化では十分ではなく……シビル・ソサエティを再びモラル
を持ったものにすることである」(注39)と主張する、新保守主義の父アーヴィング・クリ
ストルの妻であるガートルード・ヒマーファーブ・シティ・ユニバーシティ・オブ・ニュ
ーヨーク大学名誉教授、その息子で元クウェイル副大統領首席補佐官で同副大統領の「家
族の価値」の主張を生み出した、保守派の論客ビル・クリストル・ウィークリー・スタン
ダード誌編集長、ヘリテージ財団のロバート・レクター研究員等が挙げられている。政府
の社会プログラムを批判し、昔の徳が現代の問題を解決するという信念が共通しているた
めにレトロコンと名付けられた(注40)。
80年代の新保守主義者は60年代の「偉大な社会」プログラムが実行できる以上のことを
約束し、意図せざる結果を生じたと批判したが、福祉国家の必要性については認めていた。
一方90年代のレトロコンは、社会問題のほとんどを、文化的な問題、非生産的な政府のプ
ログラムに帰し、貧困などは、人種差別や経済的機会の欠如、あるいは資源の配分ではな
く、特に貧困層における、二親がいる家族の崩壊、婚外出産率の増加にたどれると考えた。
そして、政府のあるべき役割は貧困者への直接支出ではなく、個人及び(連邦ではなく)
地方の責任の原則に基づいて社会政策を再組織することであると主張し、政府の福祉プロ
グラムの削減、犯罪の厳罰化、教育基準の厳正化、「マイノリティをして彼らが不公平な
社会の犠牲者として見なすように奨励する」ようなアファーマティヴ・アクションの廃止
を主張した。
最後にレトロコンは、社会秩序を回復するために60年代の対抗文化が、伝統的に善しと
- 53 -
された行動や態度に対する敬意を失わせたので、社会秩序を回復するために公人は善悪や
道徳規準を明確にすべしという。ヒマーファーブは、米国の指導者たちは、19世紀のビク
トリア時代人のように「社会政策の基礎としてモラリティを再び正当化させ、徳と不道徳
の言葉を回復」させなければならないと述べている。
こうしたレトロコンの主張は、保守派が思いやりという高い立場に立つことを可能にし、
共和党に福祉制度改革の理論付けを与えたという。
(2) ニューデモクラットによる信仰に基づくイニシアチブの主張
F BI は保守派だけの主張ではない。ゴア候補はブッシュ候補に先立つ99年5月に F BI に
ついて演説 (注41)しているし、ニューデモクラットとしてのクリントン大統領やゴア副大
統領に政策等を提供していたDLC/P P I も早くからF BI について取り上げている。97年12月
の政策報告書 (注42)では、社会政策について、一部の保守派が主張するように政府の社会
的安全網を全て民間の資金によって置き換えることも、信仰に基づく組織による政府資金
の活用はどんな場合でも違憲とする考え方も、ともに極端と退けた上で、政府の役割と
F BO による社会サービスを認めている。その中でブッシュ知事がテキサス州で始めた政
府と信仰に基づく組織との関係について検討するタスクフォース"F a it h in Act ion "につい
ても言及している。また季刊誌『ブループリント』99年春号でもF BI について取り上げた。
P P I からは本年2月にも F BI について政策報告書 (注43)が出された。 F BO の潜在性を認
め、政策立案者の観点から、法的、行政上、政治思想的な問題を取り上げ、
F BO の役
割を拡大するいかなる政策も、無宗教の組織に適用するのと同じ効果と説明責任の基準を
求めるべきである、
るべきである、
憲法上の問題を回避するよう、政府の F BO 支援は慎重に立案され
政策立案者は、 F BO への直接、間接の資金供与のプラスとマイナス面
をバランスさせなければならないと結論づけている。
ブッシュのアドバイザーであるゴールドスミスは、ブッシュ陣営の主張とDLC の主張が
重なることを認めている。他方P P I のウィル・マーシャル所長は、共和党は活力ある中道
(vit a l cen t er )がシフトしたことに気づき、ニューデモクラットのテーマやアイデアを
「ぬすむ」のに忙しいと述べ、ブッシュ候補の政策全体のどれだけが思いやりでどれだけ
が保守的かは、大型減税策の扱いが重要であろうと述べている(注44)。
(3) 「コミュニタリアニズム」
ブッシュ候補/大統領のアドバイザーや友人の声として、ブッシュの行動は、伝統的な
左派や右派といった観点からは理解できず、「コミュニタリアニズム」として知られる運
動の中のアイデアを現したものとの指摘がある(注45)。
- 54 -
ワシントン・ポスト紙のダナ・ミルバンク記者は、99年に書かれたブッシュの立場を明
らかにしようとした記事(注46)の中で既に、レーガン大統領の作り上げた支持連合が、政
府の干渉をできるだけ排除し、個人の自由を追求するリバタリアンであるとすれば、ブッ
シュのそれはコミュニタリアンであると述べている。そしてブッシュ大統領の就任演説は、
「品位、責任、コミュニティ」という言葉に満ちあふれたコミュニタリアンの文章である
とのコミュニタリアニズムの主唱者であるアミターニ・エツィオーニ・ジョージ・ワシン
トン大学教授の言葉を紹介し、ブッシュのアドバイザーが、リベラル派で「市民的関与」
を重要視するロバート・パトナム・ハーヴァード大学教授に就任演説について相談したと
いう点も紹介している。クリントン政権の政策アドバイザーであったウィリアム・ガルス
トン・メリーランド大学教授もブッシュ大統領に一貫性に欠けるところはあるにしても、
コミュニタリアンの方向に進んでいると見ている(注47)。
(4) 党派を超えた議論
こうした左右両派や党派を超えた繋がりは、必ずしも超党派のコンセンサスができてい
ることを意味する訳ではないが、コミュニティやF BI に関する文脈で、以上の関係者が垣
根を越えて議論を展開している事実がある。
パトナム教授は、政府の役割についての考え方は異なるが、左派の将来をブッシュ候補
や ゴ ー ル ド ス ミ ス 前 市 長 が と っ て い る 方 向 に み て お り 、 「 市 民 的 関 与 ( civic
en ga gem en t )」が新しい革新時代の根本的な前提条件であるとみなしている。
また、98年のCom m u nit y Works (注48)では、ワシントン・ポスト紙記者でブルッキングス
研究所フェローでもあるリベラル派の E . J .ディオンヌが編者で、デューリオ教授、コー
ツ上院議員、ヒマーファーブ教授、サントラム上院議員(共和党)、ブラッドレー元上院
議員、ガルストン教授、パウェル元統合参謀本部議長(当時)が寄稿しており、2000年の
Wh a t ’s God t o do wit h Am er ica n E xper im en t ?(注49)では、ディオンヌとデューリオ教
授の共編で、ゴールドスミス前市長、ウィルソン教授、元モラル・マジョリティ(注50)の
エド・ドブソン師も寄稿している。また2000年12月に発表されたパトナム教授を中心にす
る市民的関与に関するサワロ・セミナー(注51)には、デューリオ教授、ディオンヌ、ゴー
ルドスミス前市長、ヴィン・ウエーバーE m power Am er ica 共同部長が参加している。
8.おわりに
ブッシュ大統領は、保守派なのか、それとも中道・穏健派なのか。「思いやりのある保
守主義」がブッシュ大統領あるいは共和党にとって意味するものは何か。
- 55 -
あえて言えば、クリントン大統領が主唱したニューデモクラット路線、あるいは「第三
の道」がリベラルからの中道寄り姿勢とすれば、ブッシュ大統領の「思いやりのある保守
主義」は保守からの中道寄り姿勢の提示と言えよう。その違いは、クリントンの軸足がリ
ベラルに置かれているのに対し、ブッシュの軸足は保守に置かれていることである。それ
も父ブッシュ元大統領より保守寄りである。「ブッシュは、思いやりをその保守主義の修
飾語として提示したのであって、その本質としてではない」という(注52)べきであろう。
ブッシュ自身、「全ての個人の価値と尊厳と力を信じるが故に保守」であるとまず述べた
上で、「連邦政府は敵でも回答でもない」と中道の姿勢を表明しながら、ニューデモクラ
ットやコミュニタリアニズムの主張も取り入れている。
ニューデモクラット路線も「思いやりのある保守主義」も、選挙戦略そして政治レトリ
ックとして貢献した (注53)。大統領選挙に際し、クリントンもブッシュもそれぞれの党か
ら2期ないし3期振りのホワイトハウス奪回を期待されていたが、リベラル派ないし保守
派が大きな力を持つ党内の予備選挙で勝利を収め、中道志向の有権者が多い一般投票で支
持を得るには、両者を満足させる必要があった。「思いやりのある保守主義」は、保守主
義であることを確認しつつ、95年の政府のシャットダウン等でイメージを悪化させていた
共和党にポジティヴな意味をもたらそうとするものであった。すなわち弱者切り捨てでは
ないと唱えて党内穏健派や中道の有権者を呼び戻し、 F BCI の重視は保守派の中のレトロ
コンなど政治や政策において価値や精神的なもの、宗教の重要性を指摘する流れ、シビル
・ソサエティやコミュニタリアニズムの流れを反映し、宗教保守派や中道の有権者にアピ
ールする内容でもあった。大統領選挙戦中、ブッシュ候補はニューデモクラットではない
かとか、クリントンのようだとか指摘された(注54)のはまさに狙い通りだったのかもしれ
ない。
統治の方針としてはどうか。まだ大統領としての「最初の100日間」も過ぎておらず、
政権の方向性も含めて、見定めることは難しい。
「コミュニタリアン」とも評された就任演説で、米国民の団結や超党派の協力を呼びか
け、公約の通り OF BCI を設立する一方、レーガン・ブッシュ政権の政策であり、クリン
トン大統領が政権発足時に廃止していたメキシコ・シティ政策(中絶を推進する国際団体
への米国の拠出を禁止)を復活させ、民主党リベラル派からの強い反対にもかかわらず、
保守派のアシュクロフト前上院議員の司法長官任命を「強行」し、そして選挙公約である
大規模減税案を提出するなど保守的な姿勢も強く打ち出している。
他方、アシュクロフト司法長官の任命は、クリントン政権発足当初の軍隊における同性
- 56 -
愛の問題や中絶政策と同じく、まず支持基盤を固めるためとの米国人学者(注55)の指摘も
ある。そして、教育政策では民主党との合意が不可能ではないとも報じられている。
しかし、こうした舵取りの実践には、政治家として相当の力量が求められよう。第三の道
そして民主党と共和党の両方から距離を置くトライアンギュレーション(t r ia n gu la t ion )は、
クリントン前大統領のように、核となる支持基盤が堅固で、抜群の政治能力を有するが故
に可能であったとも言える。今のところ、共和党政権誕生を強く願った同党の一致団結
(そして保守派の沈黙)に加え、ブッシュの保守派対策と柔らかい側面がうまく作用して
いる。しかし、クリントン時代と異なり、連邦議会では両党の勢力が拮抗しており、景気
の先行きも不安がない訳ではない。妥協をすれば、保守派のt r u e
believer s の反発を買う
であろう。保守寄りの姿勢をとれば、中道・穏健派の反発を招き、政策の進展どころか再
選にも影響する。昨年の予備選挙の段階で、マッケイン旋風に対抗するために右に急旋回
したことも記憶に新しい。そして大統領として国家の将来像を描く必要がある。クリント
ン前大統領はグローバリゼーションや情報社会への明確な方向性を与えた。「思いやりの
ある保守主義」だけでは将来像は出てこない。対外政策はどうか。「思いやりのある保
守主義」はブッシュ大統領の中では米国の指導力の発揮としてとらえられているが、ジ
ェシー・ヘルムズ上院外交委員長は、「思いやりのある保守主義の対外政策に向けて」
と題する講演 (注56)において、国際開発庁を廃止し、国際開発財団を作って海外で活動す
るシビル・ソサエティや F BO に資金を振り向けよとの主張を行った。こうした主張はブ
ッシュのめざすところなのか。
「ブッシュは共和党を救えるか」(注57)は、98年にブッシュが州知事に圧倒的な人気で
再選した直後の雑誌記事の題名であるが、ブッシュ本人が何者なのかの情報もほとんどな
いままに、共和党内でブッシュへの期待が急速に高まった中での記事である。そして昨年
の投票日直前、英国における「第三の道」の理論家である社会学者アンソニー・ギデンス
は、ブッシュ候補の「思いやりのある保守主義」は、成功すれば「事実上、右派の第三の
道となり得る」と述べた(注58)。ブッシュ政権と共和党の将来にとり、ブッシュ大統領の
政治姿勢とともに統治能力がためされていくことになる。
OF BCI が発表された直後のディオンヌは記事 (注59)の中で、ブッシュ大統領が、 F BCI
の重要性の認識するとともに、実施においてF BI を万能薬とは思っていないデューリオ教
授を長に据えたことを評価しつつ、大統領にとっての挑戦として、宗教組織はボランタリ
ー組織の大きなネットワークの1つとして見られるべきであると戒めた上で、大統領の貧
困者に対する寛容な発言は、その他の政策との関連でテストされること、さらにブッシュ
- 57 -
が個人の責任を強調することは適切であるが、社会の責任を否定する方便として使われる
べきではないと指摘している。そして「ブッシュの思いやりのある保守主義はその意図に
おいて」ではなく、社会に「正義をもたらすか」によって判断されるべきであると述べて
いる。党派的な発言でもあるが、ブッシュ大統領の政権運営はこうした視線にさらされて
いくことになる。
−
注
−
1.H owa r d F in em a n , "Am on g t h e Believer s , " Newsweek , J u ly 26, 1999.
2.H a n n a Rosin , "Bu sh ’s Resen t m en t of ’E lit es’ In for m s Bid"( Th e Wa sh in gt on P ost ,
J u ly 23, 2000)、Da ve McNeely , "Th e book t h a t h elped sh a pe Bu sh ’s m essa ge"
(Au st in Am er ica n -St a t esm a n , J a n u a r y 27,1999)、Da vid Gr a n n , "Wh er e W . got
com passion "(The New York Tim es Magazine , Sept em ber 12, 1999)、Bill Minu t a glio,
"Th e Godfa t h er s of ’com pa ssion a t e con ser va t ism ’"( Th e Da lla s Mor n in g News , Apr il
16,2000)、Alison Mit ch ell, "Bu sh cu lls ca m pa ign t h em e fr om conser va tive t h in ker s"
(Th e New Yor k Tim es , J u n e 12, 2000)などの記事がある。
3.Rich a r d L . Ber ke & F r a n k Br u n i , "Ar ch it ect of Bu sh ’s P r esiden cy is St ill
Bu ildin g Br idges of P ower , " Th e New Yor k Tim es , F ebr u a r y 18, 2001.
4.Myr on Ma gn et , Th e Dr ea m a n d t h e Nigh t m a r e , E n cou n t er Books , 2000(初刊
は93年にWillia m Mor r ow a n d Co. In c.より出版), Ma r vin Ola sky , Th e Tr a gedy of
Am er ica n
Com pa ssion , Regn er y P u blish in g , In c.,1992及びDa vid
H or owit z
&
P et er Collier , Dest r u ct ive Gen er a t ion , Su m m it Books , 1989.
5.Ma r vin Ola sky , Com pa ssion a t e Con ser va t ism , Th e F r ee P r ess , 2000.
6.H a n n a Rosin , op .cit .ブッシュと宗教の関係、特に40歳の誕生日を境に激しい飲酒をや
めた経緯については、Lois Rom a n o & Geor ge Lardner ,J r ., "Bu sh ’s Life-Cha n gin g
Year " (Th e Wa sh in gt on P ost , J u ly 25,1999)や、Nich ola s D . Kr ist of,"H ow Bu sh
Ca m e t o Ta m e H is In n er Sca m p"( Th e New Yor k Tim es , J u ly 29, 2000)を参照。ま
た、ブッシュの自伝 A Ch a r ge t o Keep (Willia m Mor r ow & Co., 1999,pp .136-139)を
参照。
7.Da n Coa t s& J oh n Ka sich , Th e Wa sh in gt on Tim es , J u ly 2, 1996.
8.99年3月22日
日本経済新聞。
- 58 -
9.ゴールドスミス市長とブッシュ候補については、Ter r y M . Nea l, "Th e Ma yor Wh o’s
Ma kin g Bu sh ’s Dom est ic Agen da , " Th e Wa sh in gt on P ost , J u n e 5, 1999、J a m es A.
Ba r n es , "In side Bu sh ’s Ca m pa ign Sh op , " Na t ion a l J ou r n a l , Au gu st 7, 1999、
Ma r t h a Br a bt , "Th e Sa ge of In dia n a polis , " Newsweek , Decem ber 6, 1999、"A
GOP m a yor ’s soft -h ea r t ed r efor m s , " U .S . News & Wor ld Repor t , J a n u a r y 3, 2000、
等を参照。
10.J oh n DiIu lio, "Wh a t is Com pa ssion a t e Con ser va t ism ?, " Th e New Repu blic,
Au gu st 7,2000
11.ブッシュ元大統領の89年1月20日の就任演説より。“I h a ve spoken of a t h ou sa n d
poin t s of ligh t , of a ll t h e com m u n it y or ga n iza t ion s t h a t a r e spr ea d like st a r s
t h r ou gh ou t t h e Na t ion , doin g good . We will wor k h a n d in h a n d , en cou r a gin g ,
som et im es lea din g , som et im es bein g led , r ewa r din g . We will wor k on t h is in t h e
Wh it e H ou se , in t h e Ca bin et a gen cies ......”
12.E dwa r d Wa lsh , "Bu sh ’s St yle Su cceeded E ven a s Ta x P la n F a iled , " Th e
Wa sh in gt on P ost , Novem ber 25,1999.
13.Rich a r d Mor in , "On wa r d Ch r ist ia n Soldier ", Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 26,
2001.
14.Ka t h a r in e Q . Seelye , "Bu sh Ca m pa ign s on Issu es of a ’Differ en t ’ Repu blica n , "
Th e New Yor k Tim es , J u n e 27, 2000.
15.もう1つの底流となっているテーマは、ワシントンの「トーン(風潮、調子)」を変
え、そしてホワイトハウスに「品位と威厳」を戻すというものである。これにブッシ
ュ自身の候補者としての魅力、クリントン・ゴア政権が(ゴア候補が勝利した場合)
1 2 年 間 続 く こ と へ の 有 権 者 の 飽 き 、 い わ ゆ る 「 ク リ ン ト ン 大 統 領 疲 れ ( Clin t on
fa t igu e )」が基本戦略だったと考えられる。
16.1999年6月12日、大統領選挙出馬宣言( www . geor gewbu sh . com /News/speech es/
061299_a n n ou n cem en t .h t m l , J a n u a r y 3, 2001)
17.実際にコンタクトがあった模様。 P P I の政策提言としては、 An dr ew
Rot h er h a m ,
"Towa r d P er for m a n ce-Ba sed F eder a l E du ca t ion F u n din g , " P P I P olicy Repor t , Apr il
1, 1999参照。
18.Geor ge W . Bu sh , ibid . pp .237-238.
19.例えば、久保文明、「2000年大統領選挙と連邦議会選挙の分析」(『国際問題』2001
- 59 -
年2月、7-9頁)、Ka r lyn H . Bowm a n , "lect ion Resu lt s fr om A t o Z, " (On t h e
Issu es , J a n u a r y 2001、ハーヴァード大学のP ippa Nor r is , "US Ca m pa ign 2000"
(Dr a ft for Gover n m en t a n d Opposit ion , J a n u a r y 2001, pp .4-5)などがある。
20.Th om a s E . Ma n n , "A Con sider ed Opin ion : Wh y a pr esiden t ia l dea d h ea t in
2000?," Th e Br ookin gs Review , Win t er 2001.
21.CNN/USA Toda y/ Ga llu p , J a n u a r y 15-16, 2001.
22.E dwa r d Cr a n e , "Th e Clin t on esqu e Geor ge Bu sh , " Th e New Yor k Tim es , Au gu st ,
1999.
23.Ch a r it a ble
Ch oice という条項は、当時のアシュクロフト上院議員(現司法長官)に
よって提案されたもの。「福祉から雇用へ」を推進するプログラムにおいて信仰に基
づく機関も、連邦政府の資金を申請することを禁じられないとしたもの。伝統的には、
これら宗教団体は、別の無宗教の非営利組織を作りそこが資金を受け取るようにして
おり、プログラムに宗教上の要素がなるべく入らないようにしていた。しかし、この
条項により、こうした別の団体を作る必要がなくなり、また宗教的なものを示せるよ
うになり、雇用に関する宗教的な差別禁止からの例外を得られることになった。
24.La u r ie Goodst ein , "In God We Tr u st . In Gover n m en t We H ope for t h e Best , "
Th e New Yor k Tim es , F ebr u a r y 4, 2001.
25.Th e Wa ll St r eet J ou r n a l , J a n u a r y 30, 2001.
26.La u r ie Goodst ein , op . cit .
27.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 27, 2001.
28.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 22, 2001.
29.Th e New Yor k Tim es , F ebr u a r y 5, 2001.
30.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 17, 2001.
31.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 22, 2001、Th e New Yor k Tim es , F ebr u a r y 20,
2001.これらの記事よれば、統一教会やサイエントロジーなどを指している。
32.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 27, 2001.
33.Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 10, 2001.
34.P ew Resea r ch Cen t er , F ebr u a r y 14-19, 2001.
35.Th e Wa sh in gt on P ost , Ma r ch 2, 2001.
36.F r ed Ba r n es , "Con ser va t ives Love Geor ge W . Bu sh ," Th e Weekly St a n da r d ,
Ma r ch 5,2001.
- 60 -
37.Da n Ba lz & Ron a ld Br own st ein , St or m in g t h e Ga t e , Lit t le , Br own a n d Co.,
1996, pp .265-283.
38.Ch a r les Mu r r a y , Losin g Gr ou n d: Am er ica n
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Books , 1984. 後にTh e Bell Cu r ve で論争を巻き起こした。
39.Ger t r u de H im m elfa r b , "Beyon d Socia l P olicy: Re-Mor a lizin g Am er ica , " Th e Wa ll
St r eet J ou r n a l , F ebr u a r y 7, 1995.
40.Nin a E a st on , "Mer ch a n t s of Vir t u e , " Los An geles Tim es Ma ga zin e , Au gu st 21,
1994.
41.ゴア副大統領の演説は、99年5月24日に、アトランタで、"Th e Role of F a it h -Ba sed
Or ga n iza t ion s"と題して行われた。
42.J im Ca st elli , "F a it h -Ba sed Socia l Ser vices ― A Blessin g , Not a Mir a cle ―,"
P r ogr essive P olicy In st it u t e P olicy Repor t No.27, Decem ber 1997.
43. Lewis
D . Solom on
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Ma t t h ew
J . Vlissides , J r , "In
God
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P r ogr essive P olicy In st it u t e P olicy Repor t , F ebr u a r y 2001.
44.Bu r t Solom on , "Milit a n t Moder a t es , " Na t ion a l J ou r n a l , Oct ober 7, 2000.
45.Da n a Milba n k , "Needed: Ca t ch wor d F or Bu sh Ideology", Th e Wa sh in gt on P ost ,
F ebr u a r y
1, 2001. ミルバンクは同記事の中で、「コミュニタリアニズム」、「シビ
ル・ソサエティ(市民社会・市民団体)」の定義はいろいろあるが、個人の自由を重
視した流れの中で、コミュニティの絆が弱められたという認識、個人の権利は社会全
体の利益とのバランスで考えられなければならないことがその中心にあり、こうした
考え方に内在的な主張は価値やモラリティへの回帰であり、それらはコミュニティ組
織によって育まれるものであると述べ、コミュニタリアンとして著名なロバート・パ
トナム教授の発言を引用している。
46.Da n a Milba n k , "Wish y-wa sh y or wise?− Wh a t ’W’ St a n ds F or ", Th e New
Repu blic, Apr il 26 & Ma y 3, 1999. なお、高成田享、レイチェル・ウォルフ「『思
いやりの保守』とは何か」(『論座』1999年4月号)参照。
47.Da n a Milba n k , "Needed: Ca t ch wor d F or Bu sh Ideology", op . cit .
48.E .J . Dion n e , J r . ed ., Com m u n it y Wor ks: Th e Reviva l of Civil Societ y in
Am er ica , Br ookin gs In st it u t ion P r ess , 1998.
49.E . J . Dion ne , J r . & J oh n J . DiIu lio, J r . eds ., What’s God t o do with Am erican
E xper im en t ?, Br ookin gs In st it u t ion P r ess ,2000.
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50.Mor a l Ma jor it y .キリスト教ニューライトのグループで指導者はジェリー・ファルウ
ェル。89年6月に解散。
51. Th e
Repor t
of
the
Sa gu a r o Sem in a r :
Civic
E n ga gem en t
in
Am er ica ,
Bet t er t oget h er , J oh n F . Ken n edy Sch ool of Gover n m en t , H a r va r d Un iver sit y ,
Decem ber 2000.
52.P et er Ber kowit z , "A Mea su r e of Com pa ssion , " Th e New Repu blic, Au gu st 16,
1999.
53.第三の道の選挙戦略としての貢献については、Ru y Teixeir a の "Beyon d t h e Th ir d
Wa y"(Th e Am er ica n P r ospect , Au gu st 28, 2000)がある。
54.E . J . Dion ne , J r ., "Bu sh : Th e New Dem ocra t?" (The Washington Post , April 18,
2000)やRon a ld Br own st ein , "On key issu es , Bu sh sou n ds m or e like a Cen t r ist
Dem ocr a t t h a n Gor e" ( Los An geles Tim es , Apr il 17, 2000)、E dwa r d H . Cr a n e ,
"Th e Clin t on esqu e Geor ge Bu sh " ( Th e New Yor k Tim es , Au gu st 4, 1999)、
Seba st ia n Ma lla by , "Geor ge Clin t on Bu sh "( Th e Wa sh in gt on P ost , F ebr u a r y 4,
2000)などがある。
55.現地インタビューでの複数の学者の発言(2001年1月)。
56.2001年1月11日、於アメリカン・エンタープライズ・インスティチュート。
57.US News & Wor ld Repor t , Novem ber 16, 1998.
58.「地球を読む:第三の道に難題」、2000年11月6日読売新聞。
59.E . J . Dion n e , J r ., "Som e Aid for t h e Sa in t s , " Th e Wa sh in gt on P ost , J a n u a r y
30,2001.政治的には民主党寄りであり、選挙戦初期に「思いやりのある保守主義」を
評価していた ("A F ou r t h Wa y ," Th e Wa sh in gt on P ost , Ma r ch 30, 1999)が、民主党
大会以降ブッシュ候補に厳しい論調であった。ブルッキングス研究所において、前述
の通り宗教と政治に関するプロジェクト(デューリオと共著)、シビル・ソサエティに
関する著書がある。
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