西海水研ニュース 101 号 ’ 00.春 オーストラリアの観光漁業から 、 小 菅 丈 治 科学技術庁長期在外研究員としてオーストラリア,ク を中心に分布する大型のカニで,各地で重要な漁獲対象 インズランド州立博物館に派遣されていた間,同国の水 となっている。オーストラリアにも多産し,年間約700 産資源利用の実況について努めて情報を収集した。その トンの水揚げがある(1990年) 。クインズランド州は沿 中で特に印象に残った経験が,観光客向けの「カニ捕り 岸部のほぼ全域が漁場となっており,国全体の水揚げ量 ツアー」への参加であった。 中の 60 %を占めている。遊漁者による漁獲が多いが, 観光漁業は, 「漁業体験を共にする」という付加価値 そこには厳正な捕獲制限がある。まずメスのカニはすべ をプラスすることによって,漁業資源への負荷を軽減し て捕獲禁止で,篭にかかっても逃がさなければならない。 つつ資源を利用する漁業として,近年日本でも様々な試 次にオスも甲幅15cm以下のカニは同様に逃がすように みが各地で実施されている。世界中の観光客が訪れる観 定められている。さらに,遊漁者一人につき篭は2つま 光大国オーストラリアで試みられているユニークな観光 でと決められており,管轄の一次産業省(Department 漁業としてここに紹介することにしたい。 of Primary Industry)の係官が海岸をパトロールしてい オーストラリア北東部に位置するクインズランド州は て,捕獲物を検査しているのをときおり見ることがあっ グレートバリアリーフという巨大な観光資源を擁し,マ た。このようにノコギリガザミの捕獲には各側面から制 リンレジャーを目的に訪れる観光客なしには地域経済が 限が設けられているばかりでなく,パトロールによりそ 成り立たない程である。中でも州北部に位置するケアン の徹底が図られている。その効果もあってか,マングロ ズは,グレートバリアリーフへの各種ツアーの基点とな ーブの周辺であればどこでもかなり潤沢なカニ資源が存 っているほか,郊外に点在するビーチ,熱帯雨林の自然 在するようであった。 を楽しむツアーもあり,豊富な観光資源に恵まれた純然 このカニ捕りツアーの場合,営業用として特別に 50 たる観光都市である。ケアンズ国際空港には日本からの 個の篭を仕掛けることが許可されているという。しかし, 直行便も就航し,市街には日本語の看板,日本人の姿は サイズ,性別に関する捕獲制限は一般遊漁者と同様であ ごくありふれたものであるが,それでも入域客数は日本 るので,乗客にそうした主旨の説明がなされ,船上に引 のバブル期と比べて半数ほどだという。 き揚げられたカニは早速仕分けられていった。メスはま 市街地の開発は進んでいるが,町外れには大型のイリ ず文句なしにそのまま川面にドボンと放される。オスは エワニも棲むような大規模なマングローブ林がある。こ 15cm の定規をあててサイズを測り,規格に達しないカ のトリニティ・インレットと呼ばれる河口域に,マング ニはその場で逃がされる。一方,合格サイズのカニは煮 ローブに棲むカニを捕って船上で調理して食べさせると いうカニ捕りツアーの船がある。 その日,ツアー参加者は予想以上に多く17人もいた。 桟橋を離れたボートはカニ篭を仕掛けた場所へと向かっ た。河口付近の川幅は約500mあるが,川を遡るにつれ てマングローブが両岸から迫って来る。あらかじめ餌を 付けて一晩漬けてあった篭を船頭が引きあげると,ザラ ザラッという感じで5-6ハイの大きなノコギリガザミが かかっているのが見えた。参加者一同から歓声が上がる (図1) 。 ノコギリガザミ(英名 Mud crab)はアジアの熱帯域 − 13 − 図1.ケアンズのカニ捕りツアー船上でのひとこま 西海水研ニュース 101 号 ’ 00.春 え立った鍋へと即座に放り込まれる。大きなメスガニを なり, 「あれが見えます。これがご覧になれます。 」とい 惜しげもなく川に返すので,日本人客からはもったいな ったひっきりなしのアナウンスもなく,静かにただ川面 いという声が上がるのではないかと思い,カニ捕りツア をクルーズするだけのものだった。その日は雨模様でワ ーの通訳をしている日本人の女の子に尋ねてみたところ ニも見られないし,まったくどうということはなかった 「いや,むしろ,こうした資源を保護するというやり方 のだが,乗客の白人の老夫婦は大いに感じ入ったようで, が徹底されていることに感心される方が多いですよ。 」 どうもこのあたりは無為に時間を過ごすことが下手で, とのことだった。 何かをしていないと気が済まない気質の日本人と,心身 こうして,いくつもの篭を引き揚げ,乗客数に見合う だけの数の大きなオスガニが捕れたところでカニ捕りは 共に解放して本当にリラックスする欧米人との素地の違 いを改めて印象づけられた。 終了。川幅の広いところに行って釣りタイムとなる。マ 日本の観光漁業について見てみると,遊漁者としての ングローブ域に棲むハタの類やスズキのような魚が釣れ 釣り客を乗せる釣り船は日本でも古くから各地にあり珍 て結構楽しい。この間に船頭は茹で上げたカニの甲を割 しいものではない。が,近年は釣り以外のさまざまな形 って食べやすいように整える。釣れた魚は刺身にされる。 態の漁業に一般客を参加させる試みが各地で行われてい 醤油はもちろんわさびもちゃんと用意されていたが,パ る。例えば小型底曳船への参加。一般客が漁船に同乗し ンとサラダとカニと刺身というやはりなんとなくオース 漁場に向かう。曳網して捕れた魚やイカ,シャコを船上 トラリア風の組み合わせで食事となる。大きなカニがと で賞味したり,おみやげとして持ち帰ってもらう。こう にかくたくさんいるので,篭さえ入れておけばいくらで した試みを実施している漁協は瀬戸内海に面した広島, も捕れる。食いっぱぐれる客が出る心配は無用だった。 兵庫,大阪の各府県にあり,それぞれ老若男女に人気を この日の参加者は全員日本人だった。船頭に聞くと, 集めているという。当所石垣支所がある石垣島ではサバ 99%以上が日本人であるという。このツアーは例えば日 ニクルーズという試みがあり,これは実際に魚を捕るわ 本のケアンズツアーの中に組み込まれているわけではな けではないが,地元の伝統的な船形の小型漁船サバニに く,あくまで参加者がオプションの中から選んで参加し 観光客が乗ることで,スノーケリングやダイビングとは たものであった。周囲の人に聞いて見ると「グレートバ 違った視点からウミンチュ(漁師)気分を味わうという リアリーフへのダイビングは別の日に丸1日かけて行く 趣向である。 ので,なにか別のことをしようと思った中ではおもしろ 従来の釣り,あるいはダイビングという定型化された そうだったから」とか「半日つぶすのにはちょうど良さ 海洋レジャーの枠を超えて,多様な観光漁業の試みが国 そうだったから」という答えが返ってきた。因みに参加 内各地で行われ,定着しつつあることは,近年の動きと 料金は 70 豪ドル(約 5600円)で,やや高めに設定され して注目に値するように思う。漁獲量が減少し,漁業者 ていると感じた。これも日本人客を意識した価格設定で の高齢化と就業者数の減少が進む中,漁村振興策として あるのかもしれない。また,船頭の話によると,日本人 各地で実行に移された方策のひとつが観光漁業だったと は文句や注文が少ないので商売がしやすいということだ 言えるのではないか。捕れた魚を売るだけでなく,捕る った。他の国の人が乗ってきたときにどういうトラブル プロセスをも楽しんでもらおうという付加価値を上乗せ が起こったか,という話もしてくれたがそれはここでは することで観光漁業は成り立っている。 しかし,そればかりでなく集客力のある立地条件が観 割愛する。 トリニティ・インレットには,カニ捕りツアーとは別 光漁業の成否を左右するようだ。瀬戸内沿岸の観光漁業 に,ごく普通の遊覧船もある。これは,単にマングロー は大都市近郊に位置する漁協で多く実行されているし, ブが影を落とす川を遡上しつつ,運が良ければ干潟でひ 石垣島のサバニクルーズにしても,それが主目的で来島 なたぼっこをしているワニの姿を見ることができるとい する観光客を想定するのではなくいくつもある選択肢の うほどのもので特段の企画はない。こちらは,カニ捕り 内から選ばれる性格の企画であろう。ケアンズのカニ捕 ツアーとは対照的に欧米人の観光客が大半である。実際 りツアーについても,同様の背景がある。いわば,名所 にこちらの船にも乗ってみると,日本の観光遊覧船と異 見物という観光旅行のスタイルは,名所プラスアルファ − 14 − 西海水研ニュース 101 号 ’ 00.春 の多様なアトラクションを求める方向にシフトしてきた 本については新模式標本を指定し,従来の論争にひとま のであり,これからもそうした流れが継続するものと予 ずの決着をつけた成果である。しかしその後も, 想される。そこで観光漁業も多様なオプションのひとつ Keenan 博士達の見解とは異なる説が学会などで口頭発 としてさらに参加者が伸びるという可能性がある。また 表されている。それらがいずれきちんとした論文の形を 「農林水産業体験型リゾート」といった中山間地域振興 とって反論がなされるにしても,Keenan 博士の論文が 策では,観光漁業(農業・林業)が企画のメインになる たたき台となることはまず間違いがない。上記論文の第 だけに,地域の特色を生かした企画の面白さが,成否を 二著者のPeter J. F. Davie 博士は,私にとって在外研究 握ることになるだろう。今後は養殖場なども,単なる見 のカウンターパートでもあり,新模式標本指定の経緯に 学ではなく,収穫作業への外来者の参画といった「観光 ついてのエピソードを詳しく聞くことができたほか,ク 色」を付けることによって,付加収入?も見込めるので インズランド州立博物館に収蔵されているノコギリガザ はないかとそんなことを考えた。 ミ類の模式標本についても実際に調べる機会があった これは本論とは直接関係がないが,ここで紹介したク (図2) 。 ノコギリガザミ類の学名が整理されたことをふまえ, インズランド産のノコギリガザミは正確にいうと,アミ メノコギリガザミと呼ばれていた種類(Scylla serrata) 従来日本で用いられていた和名と学名の対応にも変更が である。ノコギリガザミ属(Scylla)を,額角の形態や 生じるものと考えられる。新しい対応関係については, 色彩に基づいて3ないし4種(または亜種)に区別して この類を専門に研究されている人の手によって,別の場 扱うべきではないかという見解は 1949 年からあり で提案されることだろう。本紙 92 号で紹介したマレー (Espantador, 1949) ,これについて遺伝学的手法を用い シア・マタンのマングローブで採集されたノコギリガザ て解明しようという試みが各国の研究者によって取り組 ミ類2種も,Scylla olivacea(アカテノコギリガザミ) まれてきた。Keenan ほか(1998)は,形態的特徴と, と S. serrata(アミメノコギリガザミ)と訂正するのが アロザイム等の解析結果を対応させ,所在不明の模式標 現時点では正しいということになる。 瀬戸内沿岸で行われている観光漁業についての情報を 下さった,瀬戸内海区水産研究所の小川泰樹室長に深謝 する。 (石垣支所 沖合資源研究室) 引用文献 Espantador, E. P., 1949: Studies on Scylla (Crustacea: Portunidae). I. revision of the genus. Philippine Journal of Science 78(1): 95-108, pls. 1-3. Keenan, C. P., Davie, P. J. F. and Mann, D. L., 1998: A 図2.ノコギリガザミ類の一種 Scylla paramamosain Espantador の新模式標本(クインズランド州立博物館 QM W22174, インドネシア,ジャワ島産,オス,甲幅 118mm)。額角 の形態を示す − 15 − revision of the genus Scylla De Haan, 1833 (Crustacea: Decapoda: Brachyura: Portunidae). The Raffles Bulletin of Zoology, 46(1): 217-245.
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