グリエツィ 2005年 新春号vol.28

β i4‐
グリエ│ツ
2 0 0 5新年春 号
編集
Intercuttura A.NOJIMA
編 集 責 任 Atsushi NOJIMA
連 絡 先 B a h n h o 偽t r a s s e 7 1
C H ‐6 4 6 0 A l t d o r f ( ス
イス)
Te1/Fax+41(0)418702728
スイスと 日‐
ぶ生活情報 , 交流紙
本を結‐
(ス
ドイツ語でに んにちは」
イス・
)
!eiZieituinig
Sthiwie[と
之erisich―
」apanisl“
E―
[email protected]
http://mypage.bluewin.ch/gruezi/
今から200年前に日本を訪れた最初のスイス人 !?
ヨハ ン=カ スパ ール ・ホルナー
richで
昨年の初夏 、テ ュー リッ ヒ大学付属民族 博物館 V 6 1 k e r k u n d e m u s e u m d e r U n i v e r s i t a t Z t、
若 手研究者 フ ィ リップ ・グ レー さんが 、今 か ら約 2 0 0 年前 に、ス イス人 と して初 めて 日本 の地
を踏んだ ヨハ ン= カ スパ ール ・ホル ナ ーが描 いた水彩 画やスケ ッチ のオ リジナル を発見 し、話
題 を呼んだ。 フ ィ リップ ・グ レー さん は、 同民族 博物館 に昨年4 月か ら動 め る研 究者で 、 ビジ
ュアル人 類学 を専 門 と し、長年 アイヌ につ いての研 究を手が けて いる。
昨年 は、ス イス と 日本 で 、 日瑞和親通商 条約締結 1 4 0 年の記念行 事が行われ て きたが 、 この
ホル ナ ーの水彩画、スケ ッチのオ リジナル発 見 は、大 きな イ ンパ ク トを与 え、1 0 月ジ ョゼ フ ・
ダイス連邦大統領 ( 当時) の 日本公 式訪 間の際 には、ホル ナ ー の原 画の複製が 日本側 に寄贈 さ
れ た。 さ らに、今年予定 され て いる愛知万博で は、 このホル ナ ーが遺 した水彩画やスケ ッチ、
肖像 画な どがスイス館 を飾 る予定 にな って いる。チ ュー リッヒ大学付属 民族 博物館 を訪 ね 、 フ
ィ リップ ・グ レー さん に話 を聞いた。
チ ュ ー リ ッ ヒ出 身 の ヨハ ン=カ ス パ ー ル ・
ホル ナー
昨年 10月、 スイ スの ダ イス連 邦大統領 (当
時)が 日本 を公式訪 問 した際 に、天皇 と総理
大 臣 に2枚 の 水 彩 画 の 複製 が寄 贈 され た。 こ
れ らは、今か ら2∞年前 に、 日本に上陸 した 「
最
初 のス イス 人Jヨ ハ ン=カ スパ ー ル ・ホル ナ
ー (Johanll caspar Homcr)が
描 いた ものである。
ロシ ア皇帝 ア レクサ ンダ ー 1世の 命 を受 け、
クル ー ゼ ンシュテル ン1監
長率 いる船 が 、 1803
年か ら1806年に掛 けて、世界探検航海 を敢行
した。 この探検 隊 にスイス人 のホルナ ー も科
学者 、地 図作製者 として参加 した ので ある。
チ ュー リッヒ出身のホルナ ー は、ド イツで天
文学 を学 んで いたが、師 に進 め られ 同探検 隊
に参加す ることになった。探検 隊 の主な 目的は、
行 く先 々の 国 との外交 関係 を樹立 し、通 商 の
可能性 を探 る もので、北海道 を経 由 して 日本
に も寄港 した。 しか し、探検 隊 は、徳川時代
の鎖 国の壁 に阻 まれ 、半年 の交渉 もむな しく、
な ん らの成果 も得 られず 日本 を離れ た。 ロ シ
アヘ の 帰国後 、 この探検 隊が記録 した寄港 先
の風土 、風俗 の記録 (地形 、動植物 生態 、人
種 タイ プ、衣装な ど)や 地 図が銅板 に され 、
1810年にサ ンペテルスブル グで出版 されている。
研究生で仕事中のフリッブ ・ダレー さん
ア イ ヌ研 究 者 の フ ィ リップ ログ レー さん が
オ リジナル を発 見
ものが ほ とん ど忘れ去 られて しまった状態 に
な ったよ うで ある。
テ ュー リッヒ大 学付属 民族 博物館 で働 き始
ー
めて
、す ぐの大 発見 に フ ィ リップ ・ダ レー さ
そ の 中 に、ホ ルナ の描 いた 地 図や 日本 の 風
ん
は、興
奮 した。 ダ レー さん は、ホル ナ ー の
景な ども紹介 され て いて 、そ の存在 は以 前か
遺 した古 文書や手紙 類 が もっ と発見 で きる と
ら知 られ て いたが 、オ リジナル につ いて は、
期待 して いる。
ホ ルナ ー の死 後 、そ の行 方が分 か らな くな っ
ダ レー さん は、昨年秋 、 このホル ナ ー の描
て いた。 と ころが、 昨 年 に入 って、チ ュー リ
いた
・
水彩や スケ ッチ の発見 につ いて 、 日本 の
ッヒ大学付属民族博物館 に勤めるフ ィリップ
研 究会 で報 告 した。 ホルナ ー は、 しっか り記
ダ レー さんが 、 同博物館 に埋 もれて いた古 文
録 に残 った形で 、 日本 に足 を踏 み入れ た最初
書 の 中か ら、ホル ナ ー の遺 した水 彩 画や ス ケ
の ス イ ス人 と言 え る。 今 か ら2 0 0 年 前 の こと
ッチな どのオ リジナル を発見 したので ある。
で あ る。来 年 の愛 知 万博 で も、 この 「
発見 J
ヌー シ ャテル 出身 の フ ィ リップ ・ダ レー さ
んは、 ビジュアル人類学 を専攻 し、写真や絵画 、 に焦点 が 当て られ る 予定 だ。 スイ ス館 の入 口
にホルナ ー の 肖像 写真 を掛 ける企 画 が現在進
図像 な どの古 文書 を もとに、民族や 人類 につ
んで いる とい う。
いて研 究 して いる。特 に、 アイ ヌ につ いて の
研 究 を進 め て いる 。 そ して 、2 0 0 4 年4 月 か ら、
ス イ ス と 日本 の 架 け橋 の仕 事 を 引 き続 き
テュー リッヒ大学付属民族博物館の助手 として、
チ ュー リッヒで仕事 を して いる。
フ ィ リップ ・ダ レー さん は、 出身母体 のヌ
以 前か ら、 アイ ヌ問題 を研 究 して いる 関係
ー シャテル の 民族博物館 で 引き続 き仕事 を し
か ら、 ロシ ア探検 隊が樺太 、北海道 に も近接
して いるの を知 って いた ダ レー さん は、民族
て いるが 、 ここには 、 1 8 6 3 年にスイ ス全権 代
表 と して 、 日本 に赴 き 日瑞和親通 商条約締結
博物館 で 、関連 資料 を探 して いた。研 究 室 に
に成功 したエ メ ・ア ンベ ー ル A i m ё H u m b c r が
行 く廊 下 の正 面 に ヨハ ン= カ スパ ー ル ・ホル
ナ ー の 肖像画 が掛 か って いるの を、毎 回見 な
日本 か ら持 ち帰 った貴 重 な資料 が ほば手 つか
が ら、 ロシ ア探検 隊 に参加 して スケ ッチや記
ず で保 存 されて いる とい う。そ して 、 日瑞通
商条約締結 1 5 0 年の年 には、 この資料 を整理 し、
録 を残 した ホル ナ ー の 資料 が 、チ ュー リッヒ
大規模な記念展示会 を企画 したいと考えて いる。
大学付属 民族 博物館 内 に眠 って いるので はな
いか と、探 し始 めた。そ して 、3 0 年来博物館
ダ レー さん は、そ の 準備 責任者 で ある。 スイ
ス と 日本 の交流史 に大 きな足跡 を残す仕 事 と
に勤 め る館 長 の 協 力 を得 なが ら、つ いに2 0 0 4
な るで あろ う。
年 6 月 にそ の オ リジナル を発 見 す る に至 った
ので ある。
V61kcrkundemuscum der Univcrsitat ziirich
現在 まで に分 か って いる ことは、 1 8 3 6 年に
ホル ナ ー が死 んだ 後 、 ホル ナ ー の妻 が、 肖像
チ ュー リッヒ大学付属 民族博物館
Departmcnt of Visual Anthropology
画 と古文書類 をチ ュー リッヒの骨童 商 協会 に
Pelikanstrassc 40,8001 Ztrich
寄贈 した。そ の後 、 1 8 8 8 年にチ ュー リッ ヒ大
Tc1 01 634 90 26
学付属 民族 博物館 が創 設 され 、 コ レク シ ョン
s@vmz unセ h Ch
が博物館 図書館 に保管 され た。そ の後 しば ら
phil dall航
www musethno unizh ch
くは、研 究 者が部分的 に資料 を使 った りして
散逸 した もの もあるが 、次第 にそ の存在 そ の